SGRAの活動

  • 2008.09.26

    第3回チャイナフォーラム「一燈やがて万燈となる如く~アジアの留学生と生活を共にした協会の50年~」ご案内

    下記の通りSGRAチャイナフォーラムを開催しますのでご案内いたします。延辺と北京にお住いで、興味をもっていただけそうな方にご宣伝いただけますと幸いです。   ★プログラムはここからダウンロードしていただけます   日本語プログラム   中国語プログラム   第3回SGRAチャイナフォーラム 講演:工藤正司(アジア学生文化協会常務理事) ■ 「一燈やがて万燈となる如く~アジアの留学生と生活を共にした協会の50年~」   ○ 日時と会場: 2008年9月26日(金)午後3時~6時 延辺大学アジア研究センター 2008年9月28日(日)午後2時~5時 北京大学外国語学院民主楼   ○ フォーラムの趣旨 2006年に北京大学で開催したパネルディスカッション「若者の未来と日本語」、2007年に北京大学と新疆大学で開催した緑の地球ネットワーク高見邦夫事務局長の講演「黄土高原緑化協力の15年:無理解と失敗から相互理解と信頼へ」に引き続き、中国で開催する3回目のSGRAフォーラム。今回は、50年にわたり東京で留学生の受け入れ態勢の改善に取り組んできたアジア学生文化協会の工藤正司常務理事に、協会の創設者穂積五一氏の思想とアジア学生文化協会を通して見た日本とアジアのつながり、そして民間人による活動の意義をご講演いただきます。日中同時通訳付き。SGRAでは、日中の懸け橋となった民間人による公益活動を、北京大学をはじめとする中国各地の大学で紹介するフォーラムを開催していきたいと思っています。   ○ 講演要旨戦前の日本に対する反省に立って「新しい戦後日本」を構想して設立された(財)アジア学生文化協会と創設者穂積五一氏の思想。その後の協会の展開と私自身の人生転換、そして戦後日本の歩んだ実像。「戦前の日本」へ回帰傾向を強める現代日本と協会の危機。民間人による活動の意義と課題。   ○ 講師略歴 1943年5月、山形県に生まれる。1968年3月、東京大学大学院修士課程卒業(専攻は電子工学)。在学中に穂積五一氏の主宰する学生寮「新星学寮」に入り、ベトナム等アジア諸国の留学生の問題に遭遇し、日本とアジア諸国に横たわる歴史的・社会的問題に関心を深め、人生航路を変える。1968年4月、穂積氏創設の(財)アジア学生文化協会に入職。現在に至る。  
  • 2008.07.20

    第32回SGRAフォーラム「オリンピックと東アジアの平和繁栄」ご案内

    下記の通り32回SGRAフォーラムを開催いたしますのでご案内いたします。参加ご希望の方は、SGRA事務局にご連絡ください。 日時:2008年7月20日(日)14:00~18:00 19:30~21:00 会場:鹿島建設軽井沢研修センター会議室 参加費:無料 申込み・問合せ:SGRA事務局 Email: [email protected] TEL: 03-3943-7612, FAX: 03-3943-1512 ■ フォーラムの趣旨 国家と国家の間で平和と安定が維持されるためには何が必要となるのか。この問題に関して国際政治学の世界では、様々な研究がなされてきた。その一つとして、経済や文化、あるいはスポーツの交流が国家間関係の安定と地域秩序の平和に重要な機能を果たすという理論がある。いわゆる機能主義的な平和理論である。その理論は冷戦時代に米ソ関係、米中関係、そして東西ドイツ間の関係に適用され一定の成果をあげることができた。実際にこれらの関係においては、文化やスポーツの活発な交流が体制の安定に寄与したといわれている。激しい戦争なしに冷戦構造を溶かすことができたのは、両陣営の間で推進されてきた文化やスポーツ交流の影響もあったのではないだろうか。 東北アジアは、歴史や領土問題をめぐる葛藤などによって、世界的にも不安定な要因が多数残されている地域の一つとして指摘されてきた。韓半島での南北対立は依然変わらない状況である。日本と中国の間でも、歴史問題をはじめ、ガス田開発競争など葛藤の火種が伏されている。しかしこの地域でも、文化とスポーツの交流は互いの誤解と葛藤を溶かす鍵になるのではないだろうか。 注目すべき点は、1964年には日本が、1988年には韓国がオリンピックを開催した経験を持ち、今年は北京オリンピックを控え、東北アジアの主要な国家が世界的なスポーツ交流の場を提供し、また提供しようとする事実である。ほぼ20年ごとにこの地域で開かれる世界のスポーツ祭典・オリンピックは、果たしてこの地域に何をもたらしたのか。そして今、開かれようとする北京オリンピックは何をめざすべきなのか。その目標はいかに達成できるのか。 <東アジアの安全保障と世界平和>研究チームでは、日中韓の研究者を招いて、上記のような問題を共に議論していきたい。この地域で開かれたオリンピックが、各国家の発展のみならず、地域秩序の変化に及ぼした影響を検討し、文化やスポーツ交流のあるべき姿を探る機会にしたい。 ■ プログラム   詳細はここをクリックしてください   【基調講演】 清水 諭 (筑波大学大学院人間総合科学研究科准教授) 「オリンピック運動の内破と東アジアの諸問題」   【講演1】 池田慎太郎(広島市立大学国際学部准教授) 「日本からみたオリンピック」 ―東京オリンピックと1960年代の東アジア―   【講演2】 朴 榮濬(韓国国防大学校副教授、 SGRA研究員) 「韓国から見た東アジアのオリンピック:2028平壤オリンピック?」   【講演3】 劉 傑(早稲田大学社会科学総合学術院教授) 「北京オリンピックが中国にもたらすもの」   【パネルディスカッション】 「オリンピックと東アジアの平和繁栄」 進行:南 基正(韓国国民大学国際学部副教授、SGRA研究員)  
  • 2008.07.15

    エッセイ145:ボルジギン・フスレ「ウランバートルレポート:2008年夏(その1)」

      2008年6月24、25日の2日間、モンゴル国家文書管理局、関口グローバル研究会(SGRA)、モンゴル科学アカデミー歴史研究所、モンゴル・日本センターが共同主催、在モンゴル日本大使館、モンゴル国立大学、モンゴル国際研究所、東京外国語大学が後援、渥美国際交流奨学財団、守屋留学生交流協会、高澤三次郎国際奨学財団、三菱商事、三井住友銀行、鹿島建設が協賛の国際シンポジウム「歴史・文学・メディア・アーカイブズからみたグローバル秩序――北東アジア社会を中心に」が、モンゴル国の首都ウランバートルで開催された。SGRAが初めてモンゴルでおこなったプロジェクトであるが、盛大な国際シンポジウムとなった。    開会の準備のために、6月19日、私は一足先にウランバートルに到着した。空港からウランバートル市内まで、30分ほどの距離だったが、二つのことにびっくりした。一つ目はポスターと宣伝カーである。外資企業の看板を除いて、ほとんどのポスターと看板が、国民大会議員選挙のポスターになっていた。そして、各政党の宣伝カーのほか、たくさんの車が各自の支持する政党の旗あるいは宣伝ポスターを掲げていた。至るところにポスターと旗が掲げられていた。モンゴル国で4年に一度の国民大会議(国会、定数76)の議員の選挙が6月29日におこなわれることについては去年同シンポジウムを企画した際すでに知っていたが、これほど熱くなっているとは思っていなかった。 二つ目は旱魃である。空港から市内まで、土ばかりで、草がなく、緑色はまったくなかった。環境問題の厳しさを再び痛感した。    ホテルに到着すると、モンゴル国家文書管理局の総務課長チンバト(Ts. Chinbat)氏と外事課のボヤンヘシグ(Buyankhishig)氏が待っていた。荷物を置いてすぐ文書管理局に行った。 昼食の後、文書管理局のパソコンでメールをチェックしようとしたが、日本語のサイトはまったく開けなかった。隣の建物にある国家文書館に行って、ある役人が買ったばかりのTOSHIBAのノートパソコンを使ってみても、日本語のソフト、フォントを入れていないため、日本語のサイトはやはり開けなかった。ダウンロードもなかなかできなかった。TOSHIBAなのに、なぜ日本語のソフトが入っていないのか不思議に思った。外観は立派だが、ソフトなどをチェックしてみたら、2001年、1999年版のものばかりで、どうみても贋物っぽかった。メールをチェックすることをあきらめて、管理局に戻って、職員たちと一緒にシンポジウムの準備の仕事をした。   夕方、ホテルにもどって、ホテルのパソコンを開けてみても、日本語のサイトは開けなかった。そして、ホテル周辺のインターネット・カフェ、国家郵便局のインターネットコーナーにも行ってみたが、日本語サイトはやはり開けなかった。この事情を知った総務課長のチンバト氏が、夕食の後、自宅のApple Mac Bookを持ってきてくれたので、やっと日本語のサイトに入ることができた。    翌朝、目を覚ますと、雨が降っていた。まさに干天の慈雨だと思った。   文書管理局に行くと、ウルズィバータル(Ulziibaatar. Demberel)局長がスケジュールなどを遂一確認して、直接準備作業を指揮していた。私は外事課、総務課などの方々と一緒に仕事をした。仕事はスムーズに進んだが、あまりに熱心だったので、やっと昼食を取ることができたのは3時すぎてからであった。    土曜日、雨が続いていた。シンポジウムの準備のため、午後4時まで、チンバト氏等と一緒に働いていた。その後、空港で、今西さんを出迎えた。東京から直行のモンゴル航空OM502便はほぼ予定通りに到着した。新潟大学の広川佐保準教授も同じ便だった。   大雨のなかのウランバートル空港(チンギス・ハーン空港)は、初めてモンゴルに来た今西さんにどんなイメージを与えたのか分からなかったが、車のなかで、今西さんは「この空気がいい」と言った。モンゴルでは、「雨を持ってきた人」という言葉は相手を誉める言葉なので、チンバト氏の挨拶もこの言葉から始まった。意外にも、「雨」「雨を持ってきた人」という話題は会議修了まで終始続いた。   モンゴル国家文書管理局長、文書館長などが仕事で地方の県に視察に行っていたため、ウランバートルホテルで、チンバト氏が文書管理局を代表して、今西さんとわたしを招待してくれた。外交辞令のやりとりもあったが、話はもちろんシンポジウムと同文書管理局の仕事のことが中心であって、わりに気軽だった。   今西さんがモンゴル料理になれるかどうか心配していたチンバト氏は、今西さんに好きなものを注文させた。料理はモンゴル+西洋式のものであった。今西さんはウラバートルのモンゴル料理はこんなにヨーロッパ的なものだと思っていなかったそうだ。    日曜日、雨がやむ様子がなく、むしろ激しくなってしまった。天気予報では、「25日まで雨」ということで、私たちは心配し始めた。   文書管理局外事課の方は日曜日もシンポジウムの準備の仕事をしていた。わたしは少し手伝ってから、午前10時40分に空港に行って、北京大学の陳崗竜教授を迎えた。   空港から戻って、大雨のなか、私と今西さんは国家百貨店の7階のレストランで「中華料理」を注文した。野菜の前菜だが、牛乳(ヨーグルト?)がいっぱい入っていた。値段は東京に負けないほど高かった。物価の高騰を実感した。    午後、SGRA研究員のマイリーサさん、ブレンサインさん、ヤロスラブさん、包聯群さんと昭和女子大学のフフバートル准教授等が中国国際航空CA421便で来る予定で、私は文書管理局の職員と再び空港に行った。16時30分に到着予定だったが、空港で2時間も待った。中国国際航空の遅延はこれだけではなく、それ以降も遅延し続け、会議の参加者に多大な不便を与えた。   19時、モンゴル出身のSGRA会員マンダフ・アリウンサイハンさんが手配したアイリッシュ・パブ(Grand Khaan Irish Pub)で、今西さんが在モンゴル日本大使館参事官小林弘之氏、モンゴル日本センター所長中村光夫氏、同大使館小山勲三等書記官、深井啓専門調査員等を招待した。昭和女子大学のフフバートル準教授、SGRA研究員のブレンサインさん(滋賀県立大学準教授)、マイリーサさん、アリウンサイハンさん、ヤロスコフさん、包聯群さんと私も参加した。   快適な雰囲気のなか、みな食事をしながら、自己紹介をし、今回の会議、SGRAの事業、モンゴルの総選挙、資源などについて歓談した。   小林参事官は有名なモンゴル通で、モンゴル国に進出した日本の企業、日本大使館の事業、モンゴル人留学生に対する支援、モンゴル国の現状、鉱山開発問題などについて紹介してくれた。また、今回の選挙についても詳細に分析した。結局、のちの選挙の結果は、ほぼその通りであった。氏はまた、自分の経歴を紹介しながら、研究者の道を選んだ私たちに貴重なアドバイスをした。    中村光夫所長は、JICAの仕事で、長い間トルコやアフリカの国で滞在経験があり、去年5月にモンゴル・日本センター所長に赴任。モンゴル・日本センターはモンゴルと日本両国間の理解を促進するために2002年6月に日本政府の無償資金協力で建設された。中村所長は、自分が経験したJICAの仕事や同センターがおこなってきた人材育成などの事業について語った。   今回のシンポジウムの開催にあたって、同センター主任ボロルサイハン(Bolorsaikhan. B)氏にたいへんお世話になった。本来ボロルサイハン氏もこの招待会に参加予定だったが、都合によって欠席になったことは、とても残念だった。   今西さんから、これからのモンゴルにおけるSGRAの事業に対して、日本大使館とモンゴル・日本センターからご支持とご協力を要請し、小林参事官と中村所長両氏は快諾し、わたしたちにいろいろアドバイスをしてくれた。   月曜日、雨がやんだり、降ったりしていた。   夕方、ウランバートルに戻ってきたモンゴル国家文書管理局長ウルズィバータル氏がレストラン・ソウルで今西さんを招待した。韓国系の料理店と言われているが、モンゴル・ヨーロッパ風の料理にした。モンゴル科学アカデミー歴史研究所の所員で、日本の東北大学で博士号を取得したオユンジャルガル(Oyunjargal. Ochir)さんが上手に通訳した。   ウルズィバータル局長は「モンゴルでこのように雨が降るのは珍しい。雨を持ってきた日本の今西代表に感謝したい」と語り、今西さんは「持ってきた雨が多すぎたかもしれない」と言って、選挙というたいへん忙しいところで、積極的に協力してくれたモンゴル国家文書管理局に感謝の意を述べた。冗談も混じえながら、今回のシンポジウム、そしてこれからもお互いに協力していくことについてまじめに話し合った。最後は記念品を交換した。   この日、モンゴル航空、大韓航空の便に乗った3名の日本人の研究者は、夜ウランバートルに到着した。その後、14時間以上も遅延した中国国際航空CA901便に乗った数名の研究者は、夜中になってやっとホテルに到着した。(続く)   写真による報告(その1)はここからご覧ください。   ------------------------------- <ボルジギン・フスレ☆ BORJIGIN Husel> 博士(学術)、昭和女子大学非常勤講師。1989年北京大学哲学部哲学科卒業。内モンゴル芸術大学講師をへて、1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士号取得。「1945年の内モンゴル人民革命党の復活とその歴史的意義」など論文多数発表。  
  • 2008.07.01

    レポート第45号「教育における『負け組』をどう考えるか」

    レポート第45号   第30回SGRAフォーラム 「教育における『負け組』をどう考えるか~日本・中国・シンガポール~」講演録 2008年9月20日発行   【発表1】佐藤 香(東京大学社会科学研究所准教授)                     「日本の高校にみる教育弱者と社会的弱者」   【発表2】山口真美(アジア経済研究所研究員)                     「中国の義務教育格差~出稼ぎ家庭の子ども達を中心に~」   【発表3】シム・チュン・キャット(東京大学大学院教育学研究科博士課程)                     「高校教育の日星比較~選抜度の低い学校に着目して~」   【オープン・フォーラム】                     進行:孫 軍悦(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)                      パネリスト:発表者全員  
  • 2008.06.25

    レポート第44号「広告と社会の複雑な関係」

    レポート第44号   第29回SGRAフォーラム 「広告と社会の複雑な関係」講演録 (2008年6月25日発行)   <もくじ>   【基調講演】関沢 英彦「広告と社会の複雑な関係」                      (東京経済大学コミュニケーション学部教授・博報堂生活総合研究所エグゼクティブフェロー)   【発表1】徐 向東「中国における社会変動と企業のマーケティング活動」                      ((株)中国市場戦略研究所代表取締役・SGRA人的資源と技術移転研究チームチーフ)   【発表2】オリガ・ホメンコ「ウクライナにおける広告と社会の複雑な関係~広告がなかった時代からグローバル化の中へ~」                     (早稲田大学国際教養学部訪問学者、学術振興会外国人特別研究員、SGRA研究員)   【パネルディスカッション】「広告と社会の複雑な関係」                      進行:関沢 英彦  
  • 2008.06.23

    ウランバートルで開催する国際シンポジウムのご案内

    下記の通り、SGRAでは初めてモンゴル国ウランバートル市でシンポジウムを共催いたします。   ● 国際シンポジウム in ウランバートル 「アーカイブズ・歴史・文学・メディアからみたグローバル秩序―北東アジア社会を中心に―」   プログラム(英文)   発表要旨集(英文)   主催: モンゴル国家文書管理局、関口グローバル研究会(SGRA)、モンゴル科学アカデミー歴史研究所、モンゴル日本センター   後援: 在モンゴル日本大使館、モンゴル国立大学、モンゴル国際研究所、東京外国語大学   協賛: 渥美国際交流奨学財団、守屋留学生交流協会、高澤三次郎国際奨学財団、三菱商事、三井住友銀行、鹿島建設   ○ 日程:2008年6月23(月)~25日(水)    ○ 会場:モンゴル・日本センター、モンゴル国家文書管理局(モンゴル国ウランバートル市)   ○ 開催の趣旨:   近現代北東アジア地域の社会秩序の再編において、旧ソ連、日本、アメリカ、中国はきわめて大きな役割を果たしてきました。一方、冷戦後の北東アジア社会においては、グローバル化が急速に進められているものの、同地域内の各国は政治、経済、民族、文化等多くの面で矛盾や葛藤を抱えており、相互関係はますます複雑になっています。本シンポジウムは、20世紀以降、激変する北東アジア社会の複雑な状況を視野に入れながら、歴史、文学、メディア、アーカイブズという社会の基礎的な情報源から得られるデータの分析過程の中に、この地域の一元化と多元性の葛藤という今日的であると同時に歴史的である問題を取り込み、現代北東アジア社会のグローバル秩序の歴史的背景とその今日的意義を考え直し、北東アジアの地域秩序はどのようなプロセスをへて構築されたか、これからどのように構築していくか等をめぐって、特色ある議論を展開することを目的とします。同時に、こうした議論、対話を実現するために、関係諸国のアーカイブズ情報の資源化とネットワークの形成をめざしています。   ○ テーマ:   セッション1:歴史・メディア・アーカイブズからみた北東アジアの社会秩序:過去・現在と課題 セッション2:北東アジア文学の中の社会像・世界像 セッション3:アジア主義論からアジア共同体へ セッション4:北東アジア地域アーカイブズ情報の資源化とネットワークの形成にむけて   ○ 参加者:   日本、中国、韓国、オーストラリア、ドイツ、ロシアなどの国、地域からの研究者約25名、モンゴル国からの研究者約25名。   ○ 公用語: モンゴル語、英語、日本語、ロシア語。  
  • 2008.04.11

    レポート第43号 「鹿島守之助とパン・アジア主義」

    レポート第43号   渥美奨学生の集い講演録 平川 均 「鹿島守之助とパン・アジア主義」 2008年3月1日発行   鹿島守之助博士は、今日、鹿島建設元社長として昭和期を代表する卓越した実業家であると同時に、政治家、外交史研究者でもあった人物として知られている。日本の外交研究とそれに関する活動にも多大な貢献を果した。しかし、彼が1920年代後半以降、生涯を通じて、独特なアジア主義者として「アジア連盟」あるいは「アジア共同体」の理想を追求した人物であったことを知る人は少ない。彼が73年に、かつての生家・永富家の一角に「わが最大の希願は、いつの日にか パンアジアの実現を見ることである」と刻んだ碑を建立していたことを知れば、意外に思う人がほとんどであろう。実際、彼の国際政治や外交に関する膨大な著作や政治活動の軌跡を辿るならば、彼は確かに「汎(ハン)アジア」「パン・アジア」を悲願としており、大戦後の多彩な社会活動も彼の思想と深く関っている。   彼のアジア主義はどのような思想であり、その思想に駆り立てたものは何か、彼の思想が「大東亜共栄圏」によって象徴される日本のアジア侵略の試練とどう関り、その試練をどう潜り抜けてきたか、彼の構想が戦後むしろ省みられないできたのは何故かなどである。   東アジア共同体への関心が21世紀に入って急速に高まっている現在、鹿島博士のパン・アジア論に改めて光を当てることによって、今日の東アジア共同体に資する何かを発見できるのではないか。報告ではほぼ時代に沿って鹿島のパン・アジア論の生成と変遷をみた後、その思想と論理の特徴を確認したい。そのことによって上述の疑問の幾つかに回答を試みたい。  
  • 2008.03.21

    第32回SGRAフォーラム in 軽井沢「オリンピックと東アジアの平和繁栄」

    ■日 時: 2008年7月20日(日)14時~18時、19時半~21時   ■会 場: 鹿島建設軽井沢研修センター会議室   ■フォーラムの趣旨:    国家と国家の間で平和と安定が維持されるためには何が必要となるのか。この問題に関して国際政治学の世界では、様々な研究がなされてきた。その一つとして、経済や文化、あるいはスポーツの交流が国家間関係の安定と地域秩序の平和に重要な機能を果たすという理論がある。いわゆる機能主義的な平和理論である。その理論は冷戦時代に米ソ関係、米中関係、そして東西ドイツ間の関係に適用され一定の成果をあげることができた。実際にこれらの関係においては、文化やスポーツの活発な交流が体制の安定に寄与したといわれている。激しい戦争なしに冷戦構造を溶かすことができたのは、両陣営の間で推進されてきた文化やスポーツ交流の影響もあったのではないだろうか。   東北アジアは、歴史や領土問題をめぐる葛藤などによって、世界的にも不安定な要因が多数残されている地域の一つとして指摘されてきた。韓半島での南北対立は依然変わらない状況である。日本と中国の間でも、歴史問題をはじめ、ガス田開発競争など葛藤の火種が伏されている。しかしこの地域でも、文化とスポーツの交流は互いの誤解と葛藤を溶かす鍵になるのではないだろうか。   注目すべき点は、1964年には日本が、1988年には韓国がオリンピックを開催した経験を持ち、今年は北京オリンピックを控え、東北アジアの主要な国家が世界的なスポーツ交流の場を提供し、また提供しようとする事実である。ほぼ20年ごとにこの地域で開かれる世界のスポーツ祭典・オリンピックは、果たしてこの地域に何をもたらしたのか。そして今、開かれようとする北京オリンピックは何をめざすべきなのか。その目標はいかに達成できるのか。  <東アジアの安全保障と世界平和>研究チームでは、日中韓の研究者を招いて、上記のような問題を共に議論していきたい。この地域で開かれたオリンピックが、各国家の発展のみならず、地域秩序の変化に及ぼした影響を検討し、文化やスポーツ交流のあるべき姿を探る機会にしたい。   ■プログラム   【基調講演】清水 諭(筑波大学体育専門学群教授) 「オリンピック・スタディーズと東アジア」   【講 演1】池田慎太郎(広島市立大学国際学部准教授) 「日本からみたオリンピック-東京オリンピックと1960年代の東アジア」   【講 演2】朴 榮濬(韓国国防大学校副教授、 SGRA研究員) 「韓国からみたオリンピック-ソウル・オリンピックと冷戦」   【講 演3】劉 傑(早稲田大学社会科学総合学術院教授) 「中国からみるオリンピック-北京オリンピックと東北アジアの未来 v  【パネルディスカッション】進行:南基正 (韓国国民大学国際学部副教授、SGRA研究員)
  • 2008.03.20

    レポート第42号「黄土高原緑化協力の15年」

    SGRAレポート42号(日本語版) SGRAレポート42号(中国語版)   講演録:高見邦雄(緑の地球ネットワーク事務局長) 「黄土高原緑化協力の15年:無理解と失敗から相互理解と信頼へ」 2008年1月30日発行   緑の地球ネットワークは1992年以来、山西省大同市の農村で緑化協力を継続している。大同市は北京の西300kmほどのところにあり、北京の水源、風砂の吹き出し口でもある。そこで深刻な沙漠化と水危機が進行している。「ゼロからの出発」とよくいうが、歴史問題をかかえた大同ではマイナスからのスタートだった。初期は失敗つづきだったが、その後、日本側の専門家や中国のベテラン技術者の参加をえて、だんだんと軌道に乗ってきた。協力の双方も失敗と苦労を通じ、お互いを理解し、信頼しあうようになってきた。いまでは「国際協力の貴重な成功例」とまで評価されるようになっている。その経験と教訓を話したい。  
  • 2008.03.15

    レポート第41号「いのちの尊厳と宗教の役割」

    レポート第41号   第28回SGRAフォーラム in 軽井沢講演録 (2008年3月15日発行)   <もくじ>   【基調講演】島薗 進(東京大学文学部宗教学宗教史学科教授)                     「いのちの尊厳と日本の宗教文化」   【発表1】秋葉 悦子(富山大学経営法学科教授)                     「カトリック<人格主義>生命倫理学の日本における受容可能性」   【発表2】井上ウィマラ(高野山大学文学部スピリチュアルケア学科助教授)                     「悲しむ力と育む力:本当の自分に出会える環境づくり」   【発表3】大谷いづみ(立命館大学産業社会学部教授)                     「『尊厳ある死』という思想の生成と『いのちの教育』」   【パネルディスカッション】                      進行:ランジャナ・ムコパディヤーヤ (名古屋市立大学大学院人間文化研究科助教授、SGRA研究員)