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2024.10.31
第74回SGRAフォーラムとなる第9回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性「東アジアの『国史』と東南アジア」円卓会議が2024年8月10日~11日にチュラーロンコーン大学(バンコク)で開催された。2020年1月のフィリピンでの「国史たちの対話」以後、新型コロナウイルスの影響でしばらくはオンラインで行われたが、昨年(2023年)8月、第8回の早稲田会議が久しぶりに対面とオンラインとのハイブリッドで開催され、今回も続けることになった。
会議の前日に参加者が集まり、夕食をしながら「対話」が始まった。参加者の中には、5年ぶりに会って話を交わす人もいれば初対面の人もいたが、全員が似たような悩みや問題意識を持つ研究者として和気あいあいと話し合い、翌日から始まる「対話」に期待が高まった。また、元国連事務次長の明石康先生の歓迎挨拶は、自国の歴史と各国の国史との対話を考える研究者たちに大きな勇気を与えた。
8月10日、夏空のもとで会議が始まった。今回の「国史たちの対話」は5つのセッションで構成された。初日は基調講演と発表の2つのセッションがあり、翌日はその内容を基にした第3セッションの指定討論、そして第4セッションの自由討論、最後にこれからの「国史たちの対話」を考える第5セッションという構成で進められた。第1セッションは、劉傑先生(早稲田大学)が司会を務めた。まず、今回の「国史たちの対話」の趣旨について説明があった。続いて、劉先生は「国史たちの対話」が始まった時とは国際情勢が大きく変化した現在、新しい場所とテーマで対話を行なっているということは意義深いと述べながら、これを機に今後の対話も模索していこうと述べた。
その後、三谷博先生(東京大学名誉教授)の開会挨拶があった。三谷先生は、東北アジア3国の関係に影響を与えた現代史の軌跡を互いに理解し共有すれば、歴史対話は確実に安定していくだろうと強調。そして、日中韓の3カ国における東南アジアに関する研究の相違点について歴史学者として疑問を抱いていたが、今回の対話を通してそれを解き明かしながら、この新たな地域で生まれた合意または対立に注目して、私たちの絆をどのように深めていくかを考えてみようと提案した。
楊奎松先生(北京大学・華東師範大学)の基調講演は、「ポストコロニアル時代における『ナショナリズム』衝突の原因―毛沢東時代の領土紛争に関する戦略の変化を手掛かりに」であった。要するに、毛沢東をはじめとする「カリスマ的」な指導者は、自らの裁量で外交関係の葛藤を封じ込める(あるいは無効化する)政治力を発揮したが、彼らとは異なる傾向のその後の指導者たちはそのような方法を使わず(あるいは使えず)、時にはポピュリズムを利用することもあったが、むしろ逆に影響を受ける主客転倒の状況も現れたという。その現状は毛沢東をはじめとする指導者たちが行なった「政策の影」でもあると評価した。最後に、互いの歴史を共感し理解するために歴史研究者が持つべき姿勢について提言した。つまり、どのような民族的、国家的な「歴史認識」であっても限界性を持っていることを認め、人類社会の歴史の中で民族と国家の歴史を位置づけなければならないということであった。
次いで日中韓及びタイ出身の研究者の発表セッションが南基正先生(ソウル大学)の司会で行われた。タンシンマンコン・パッタジット先生(東京大学)の「『竹の外交論』における大国関係と小国意識」は、外交に長けた国として知られ、それを自負する国であるタイの外交の歴史的事実を再検証し、その裏側に隠された「小国意識」が持つ問題点を鋭く指摘した。私にとって「小国意識」は、「小国(観)」、「小中華意識」などの韓国史で使われる用語と似ていて親しみを感じたが、それとは異なる文脈で使われる用語だったのでとても興味深かった。タイの過去と現在を理解するのに役立つ一方で、韓国人が持つ「平和を愛する白衣の民族」という観念との共通点も思い浮かんだ。
続いて、日中韓三カ国の研究者の発表が行われた。吉田ますみ先生(三井文庫)の「日本近代史と東南アジア―1930年代の評価をめぐって」は、戦後の日本近代史研究において日本と東南アジアとの関係がどのように語られてきたかについて、当時の時代背景と学界の潮流を紹介した。
尹大栄先生(ソウル大学)の「韓国における東南アジア史研究」は、朝鮮半島と東南アジアの関係を、慧超(新羅時代)の古代から高麗、朝鮮を経て近代韓国に至るまで歴史の流れに沿って考察した。最後に、韓国の東南アジア史研究の「多少残念な現状」について指摘した。
高艷傑先生(厦門大学)の「華僑問題と外交―1959年のインドネシア華人排斥に対する中国政府の対応」は、1959年から1961年の間にインドネシアで起きた中国系住民に対する排斥とそれに対する中国の外交政策を論じたが、高先生は、中国は強硬な姿勢で対応しながらも、両国の友好関係発展への必要性に応えたと評価した。
今回の「国史たちの対話」では、中国学界の権威者の基調講演とタイ出身の研究者の発表が含まれていたが、これは新しい試みだ。国史学界の権威者から中国の歴史認識や叙述の特徴について聞ける機会であり、私たちにはなじみのないタイの自国史認識についても学べる機会でもあった。
初日の2つのセッションが終わると、屋外に設けられたランチ会場で美味しいタイ料理の昼食を楽しんだ。その後のアジア未来会議の開会式後のウェルカムパーティーでは、前日に引き続き和気あいあいとした会話が交わされた。日程が終わっても自分の家に帰れないということは、ある意味で遠地で行われるイベントの「長所」である。午前の基調講演と発表を聞いた指定討論者たちは、自分の考えをまとめた討論文を夜までに同時通訳者たちに渡したため、翌日の討論セッションのスムーズな進行に役立った。
8月11日、第3セッションは彭浩先生(大阪公立大学)の司会による指定討論であった。韓国からは鄭栽賢先生(木浦大学)と韓成敏先生(高麗大学)が、日本からは佐藤雄基先生(立教大学)と平山昇先生(神奈川大学)が、中国からは鄭潔西先生(温州大学)と鄭成先生(兵庫県立大学)が登壇した。
6人は、それぞれの専門分野に基づき、深い悩みが込められた率直で鋭い質問をした。
第4セッションは鄭淳一先生(高麗大学)の司会による自由討論。まず、指定討論者の質問に対する基調講演者と発表者の簡単な回答から始まり、自由討論の時間を持った。問題意識が質問になり、質問が発展して共感を得る新たな問題意識につながった。質問と回答が頻繁に交錯しながらも対話が自然に進んだのは、長年一緒にやってきた通訳者の方々のおかげであった。長い間一緒に議論を重ねてきた参加者、そして問題意識を共有する新しい参加者が集まったことで、効率的な議論ができた。
皆の熱い議論を踏まえて、劉傑先生が論点を整理してくれた。要約すると、今回のテーマを選定するにあたって新たな発見があったということである。今回のキーワードとして「大国」、「小国」が注目され、時期は戦前から戦後へと自然に移った。戦後の歴史に入ると問題設定が変わってくる。戦前・戦後を連続して語るためには何を問題に設定するかを考えなければならないし、それぞれの異なる空間でどのように「国境を越えよう」としているのか、国境を越えた歴史対話は私たちの仕事であるが、各国の歴史家がそれぞれの国の中で直面している国境の問題も一緒に考えなければならない。そして、歴史認識の問題は自国の問題でもあることを念頭に置かなければならないという話であった。
第5セッションはメインテーマから少し離れて、塩出浩之先生(京都大学)の司会でこれからの「国史たちの対話」の方向性について議論する時間を持った。中国の彭浩先生、韓国の鄭淳一先生、日本の村和明先生(東京大学)が順番に意見を述べた。共通したのは困難があっても継続すべきだというものであった。
「引きこもり型」の国史研究者を一人でも多く連れ出そうとの三谷先生の趣旨を今後とも考えていく必要があるという平山先生の意見と、これまでの形式を変えて、研究者同士が一緒に踏査してそこで互いの距離をさらに縮められるような「スモールトークの場」を作ろうという韓成敏先生の意見も、耳を傾けるべきコメントであった。
最後に宋志勇先生(南開大学)の閉会挨拶で締めくくりを迎えた。第一に、会議の準備と進行は非常に成功したと述べた。渥美国際交流財団の今西淳子常務理事、三谷博先生、劉傑先生、チュラーロンコーン大学に感謝し、同時通訳者とスタッフにも感謝を伝えた。第二に、学術的な成果が豊富であり、そして最後には今後の国史研究の方向性について賢明で建設的な意見を聞いたということである。まとめると、国史研究の深化に示唆があり、会議が終わっても財団と参加者は頭を寄せ合って明るい未来を設計することを確信しているとの話があった。
最後の最後に、「国史たちの対話」の成果を拡散するための新たな取り組みの一つである教材化プロジェクトの現状を報告する場があった。新しいメディアを活用した作業は大きな期待を持たせるものであった。
「国史たちの対話」はコロナ下のオンライン会議を経て9回目を迎えた。個人的には、場所とテーマを大幅に変えた新しい試みを行なった今回の「対話」は特に記憶に残る点が多かった。まず、韓国における東南アジアの研究が非常に不足していることを痛感した。日本や中国に比べ研究者が少ないのは仕方がないかもしれないが、研究テーマが多様でない点については学界レベルでの検討が必要だろう。多様な研究や試みを受け入れる雰囲気が国史の内部から醸成されれば、各国の間の対話もより円滑に行われるのではないか。一人の国史研究者としてそんな思いを抱くようになった。
これまでの「国史たちの対話」でも感じたことであるが、研究者の幅が広がった今回の「対話」でも、多くの研究者が私と同じような悩み(政治と学問、社会が求める学問と自分の研究の間での悩み)を抱えていると実感して、勇気を得ることができた。
一方、華人や華僑排斥事件は東南アジアに限ったことではなく、(華僑社会が東南アジアに非常に大きく形成されているのは事実だが)中国人が多数進出している地域では彼らに対する排斥事件が起きていたことを忘れてはならない。植民地朝鮮でも中国人排斥事件があったし、中国では朝鮮人排斥事件が起こった。このように、各国で移民者コミュニティに対する排斥事件がなぜ発生するのかについて一緒に関心を持ってみるのも意味があると思った。
二日目の夜、「国史たちの対話」の参加者のほとんどが課題を終えた後のほっとした気持ちで、美しい屋外レストランで自由に会話を楽しんだ。学術的な会話だけでなく、顔を合わせて肩の荷物を少し下ろし、互いの本音を交換する私的な会話も重要であることを知った場であった。
(原文は韓国語、翻訳:ノジュウン)
当日の写真
アンケート集計結果
<金キョンテ(キム・キョンテ)KIM_Kyongtae>
韓国浦項市生まれ。韓国史専攻。高麗大学韓国史学科博士課程在籍中に 2010 年~2011 年、東京大学大学院日本文化研究専攻(日本史学)外国人研究生。2014 年高麗大学韓国史学科で博士号取得。韓国学中央研究院研究員、高麗大学人文力量強化事業団研究教授を経て、全南大学校歴史敎育科副教授。戦争の破壊的な本性と戦争が荒らした土地にも必ず生まれ育つ平和の歴史に関心を持っている。主な著作:「壬辰戦争期講和交渉研究(博士論文)」、『虚勢と妥協―壬辰倭乱をめぐる三国の協商』(東北亜歴史財団、2019)。
2025年10月31日配信
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2024.10.03
歴史的、文化的な理由から中国、日本、韓国、あるいは私が「北東アジア」と呼んでいる地域は、SGRAの地域イベントにおいて非常に積極的な役割を果たしてきました。これに触発され、今西さんや角田さんに励まされながら、東南アジアのより積極的な参加を強く進めてきました。2024年8月にバンコクで開催された第7回アジア未来会議では「東南アジアのレンズから世界を考える」シリーズの第2弾となる東南アジア円卓会議を開催。サブテーマは「激動の東アジアにおけるASEAN中心性」。問題提起として私は東南アジアの視点から、平川均先生(名古屋大学名誉教授)は北東アジアの視点から発表しました。
私は東南アジア諸国連合(ASEAN)中心性に関する伝統的な視点と、あまり伝統的でない視点を取り上げました。伝統的な考え方では、ASEANは対立する主要国を交渉のテーブルに集めて冷静に課題を議論させる能力を持っているとみなされます。これに対して私は、地理的なアプローチを採用したあまり伝統的ではない視点から、東南アジアと北東アジアを合わせた「東アジア」諸国の地理的な中心は、まさに南シナ海の荒波に見出すことができると指摘し、二つの概念化を検討しました。一つは小国と大国との間の紛争に焦点を当てた地政学的なもので、事例として西フィリピン海・南シナ海の対立を挙げました。もう一つは東アジアにおける二つの顕著な勢力、国境を越える地域統合と各国国内における地方分権化との間の対立に焦点を当てた「地経学」(ジオエコノミック:地政学的目的のために経済を活用すること)的なものです。
平川先生は東アジアが地域秩序を形成する上で直面している課題は100年前と似ているが、中国が日本に代わって大国になったという発言から始め、米中の覇権争いで経済分断(デカップリング)が進んでいることを指摘しました。ASEAN地域は、双方がお互いを自分たちの陣営に引き込もうとしている競争の場となっています。南シナ海におけるASEANの領有権紛争は中国の「二国間交渉」により、ASEAN加盟国の中心性と結束に深刻な課題を投げかけています。もしASEAN諸国がばらばらに地経学的なアプローチをとると、アジアの地域開発の基盤が損なわれることになります。
平川先生は最後に、ASEAN中心性はASEANだけに任せるべきではなく、東アジアで地域公共財として確立した様々なレベルでの国際協力の枠組みを維持するために、地域メンバー国の努力が必要であると強調しました。これは中国を含む東アジア諸国が平和と繁栄の中で共に生き続けるための前提条件となるでしょう。ウクライナでの戦争が北大西洋条約機構(NATO、ウクライナを支援する米国も含む)とロシアの2つの陣営に分かれる中、東アジアがグローバルサウスへの道を模索するインドと協力することも重要でしょう。ASEAN中心性の枠組みの下で、中国と率直な対話を行うことを忘れてはなりません。中国もルールに基づく国際秩序を守り、ソフトパワーの台頭として世界における威信を高めるように行動すべきでしょう。
続いて行われた討論では、キン・マウン・トウエ氏が、ミャンマーはASEAN中心性にどのように参加できるかという問題を提起しました。私はASEAN中心性の2つの地理的概念化(地政学的および地経学的)が、ミャンマーを含む地域紛争の解決策を示しており、ASEANは依然として中心的な役割を果たすことができると説明しました。フィリピン大学放送大学の講座では、このASEANの中心的な役割を地方自治体や地域コミュニティと他国のカウンターパートとの接続「Local to Local Across Border Scheme(LLABS)」と名付けました。
モトキ・ラクスミワタナ氏(早稲田大学)は、世界銀行の研究が示すように、タイ政府は確かに地方分権化に慎重な動きをしており、最近はさらに慎重になっていることを確認しました。ジャクファル・イドルス氏(国士舘大学)は東アジアにおける権威主義の縮小を呼びかけ、ASEANにとって機能してきた原則の一つが、加盟国の地域問題への不干渉であることを思い出させました。マンダール・クルカーニ博士(GITAM人文社会大学)は、とても良くまとまった統計資料を共有しながら、インドと東アジアの間の強力な経済関係を確認しました。
ポーランドからの参加者による「なぜこの会議に中国人がいないのか」というコメントに対しては、日本に住んでいる中国人研究者と一緒に開催したセミナーを紹介しました。この第37回SGRA共有型成長セミナー「東アジアダイナミックス」のレポートはここからお読みいただけます。
日本にいる中国人は「日本化」されているという私の観察も共有しました。この円卓会議は東南アジアからの観点が中心で、北東アジアの観点は平川先生が十分に触れてくださったと思います。会議が始まった時には参加者がとても少なくて心配しましたが、休憩後には部屋がいっぱいになりました。次回は最初から多くの人に来ていただけるようにしたいと思います。
今回のアジア未来会議の開会宣言で、明石康大会会長は「すべての地政学的な断層線が現在活発化しているように見える」とおっしゃいました。ウクライナ-ロシアと中東の「断層線」が挙げられたので、南シナ海-西フィリピン海の「断層線」についても言及してくださるのを待っていましたが、残念ながら「その他」にグループ化されてしまいました。「ASEAN中心性」を検討する円卓会議の主催者として、次のアジア未来会議ではもっと「東アジアの断層線」について議論できる場を増やせたらと思います。
最終日の夜にはアジア未来会議の成功だけでなく、渥美国際交流財団の30周年も祝うためにラクーン(渥美奨学生のこと)たちの集まりがありました。おそらく日本国外に拠点を置く最年長の私は、中締めを頼まれました。短い挨拶の中で、集まってくれた若い仲間たちに今回のAFC7のテーマ「再生と再会」を思い出してもらい、これは私たちに対しても可能な限りの手段を使ってお互いに「再接続」し「再活性化」するための呼びかけであることを強調しました。
これまでに、ジャクファルさんはフィリピン大学放送大学の講座でインドネシアの農村企業について講義してくれました。ラムサル・ビカスさんは鹿島建設での研究開発活動について講演するためにロスバニョスまで来てくれました。台湾の梁蘊嫻さん(元智大学)には、台湾の国父であり中華人民共和国では革命の父である孫文(1866~1925)の地価税に対する見解について話してくれる人を探していただきました。モトキさんには、次の円卓会議で講演する可能性のあるタイの研究者の推薦をお願いしています。言うまでもなく、皆さんが再びつながることをとても温かく受け入れてくれました。第8回アジア未来会議の仙台での再会を楽しみにしています。
祝賀会はフィリピンを訪れることを楽しみにしてくれている全振煥さん(鹿島建設)に手伝ってもらい盛大な三本締めで終わりました。みなさんと再会できてとても嬉しかったです。
当日の写真
<フェルディナンド・マキト Ferdinand C. MAQUITO>
SGRAフィリピン代表。SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学ロスバニョス校准教授。フィリピン大学放送大学提携教員。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、テンプル大学ジャパン講師、アジア太平洋大学CRC研究顧問を経て現職。
2024年10月3日配信
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2024.09.19
2024年8月10日(土)にバンコクのチュラーロンコーン大学で開催され、11名の専門家が登壇した。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は東アジア経済協力の枠組みに入っていない状況だが、今後は東アジア地域協力の枠組に参加して総合的な経済開発を推進できるかという問題意識の下、現状認識と課題の整理を行い、実現性について議論した。
第1セッション「北朝鮮経済の現状と開発戦略および政策」は東北亜未来構想研究所(INAF)所長の李鋼哲氏が司会を務めた。
最初に韓国輸出入銀行・北韓開発センター研究員の姜宇哲氏が「北朝鮮経済に関する多面的分析」という問題提起を行った。北朝鮮の現状を把握するためには、韓国の推定資料、国際機関の調査資料、脱北者のインタビューなど様々な資料を多面的に分析する必要があるとして、経済成長、貿易、食料生産、分野データなどを分析。今後の開発協力の可能性を示唆し、北朝鮮に対する制裁は国民の人道的状況を悪化させるので国際社会は再考すべきと主張した。
新潟県立大学北東アジア研究所教授の三村光弘氏(INAF常任理事)は「朝鮮民主主義人民共和国の統一、対外政策の変化と今後の開発見通し」という問題提起を行った。大韓民国(韓国)との関係に対する認識が敵対国へと変化する一方で、北朝鮮がロシアとの「包括的戦略パートナーシップ条約」に署名したことなど、ここ1年間の対外関係の変化に着目。北朝鮮は世界の多極化の進行を西側諸国とそれ以外の国々の対立の深化と捉えて「新冷戦」と表現しているが、この表現は、北朝鮮が膠着する米朝関係改善にすべての力量を投入するのではなく、新興国グループBRICSや国連加盟の発展途上国からなる「77ヶ国グループ」(G77、現在の加盟国は134)など、米国をメンバーとしない国際協力の枠組みを重要な協力対象としているようにみえる。北朝鮮メディアで使用される表現の分析から、北朝鮮はこの多極化について肯定的な立場であると述べた。今後、部分的な対外開放を行う可能性があるが、その際には海外直接投資の受け入れ制度の大枠については変更せず、対象を絞りながら進めていくのではないかと述べた。
指定討論では齋藤光位と柳学洙・九州市立大学准教授、川口智彦・日本大学准教授(INAF副理事長)、伊集院敦・日本経済研究センター首席研究員が発言した。
齋藤は北朝鮮が発表し国営企業の国家予算に動員する資金の増加率の推移に注目しながら、対朝制裁とコロナによる影響によって企業の生産活動が萎縮するなかで、平壌と地方の開発を進める資金の見通しを立てた要因の一つとしてロシアとの関係強化が考えられると述べた。柳氏は北朝鮮の経済開発戦略は一貫して「自力更生」の理念に基づいており、これを具現化するために「均等原則」、「近接原則」を推進してきたと述べ、北朝鮮の経済開発方式は、ほかの国が経験してきたパターンとは異なっている点を強調した。川口氏は一次資料を使用して、生産されている武器を挙げながら、経済開発の源泉として朝ロ関係の強化に伴い、対露ミサイル輸出が近年では活発化していると指摘した。伊集院氏が各発表者に対してそれぞれ質問した後、会場との質疑応答で活発な議論が展開された。
第2セッション「周辺諸国と北朝鮮の経済関係と開発協力の可能性」は川口氏が司会を務めた。
李鋼哲氏は「北朝鮮の開発と日本・中国の経済支援と投資の可能性」という発表で、朝鮮半島の安定のカギは北朝鮮の国際社会への復帰とともに経済開発であり、北アジア地域諸国にとって非常に重要な課題であると強調。北朝鮮の経済開発において日本と中国は最も重要な役割を担っているとして、日本は2002年の日朝壌宣言過去の朝鮮半島に対する植民地支配の反省と経済的支援を取り上げた。また、中国は朝鮮戦争以来、現在も対北朝鮮経済協力の最大のプレーヤで、北朝鮮が本格的に改革・開放政策を進める場合にはアジア投資インフラ銀行(AIIB)からと中国企業からの投資がパイオニア的な役割を果たすことになると述べた。
伊集院氏は「東アジア地域協力における朝鮮半島の統一と開発協力」という発表で、東北アジアにリスクを軽減しながら経済関係を維持するという「デリスキング」の波が広がっており、その背景は米中の戦略競争の激化で同盟国との連携を軸に経済的強靭性の強化に注力し、先端技術管理などの経済安保政策やサプライチェーン協力などが柱になると分析。この地域は米中を軸とした経済安保の最前線に位置するため分断が深まるリスクが大きく、経済面のリスク・コミュニケーションや適切な競争管理も必要になると主張した。
指定討論では、エンクバヤル新潟県立大学教授(INAF副理事長)、朱永浩福島大学教授(INAF理事)、金崇培釜慶大学助教授、林泉忠東京大学特任研究員の4名が発言した。
エンクバヤル氏は、モンゴル経済はコロナ禍でもV字回復しているが、対外貿易の相手は中国とロシアで鉱業輸出に依存しているため、外的ショックに極めて脆弱であると指摘。朱氏は、国連の対北朝鮮制裁が継続し、コロナによって中朝経済関係は「停滞」しているが、中国にとって中・蒙・ロの経済回廊に朝鮮半島が加わることは東北アジア地域協力の推進に重要であり、そのためには中国東北部と北朝鮮の間の陸上輸送と日本海経由の海上輸送を結び付けるために日韓両国の関わりが不可欠であると強調した。
金氏は、日本は北朝鮮の核・ミサイル問題に対して唯一の被爆国家として核問題政策が必要であり、さらに日朝平壌宣言への回帰を行い、日米関係において同盟国家として米国を誘導し、米朝関係の改善に向けて動く必要があると述べた。林氏は、本円卓会議のキーワードの一つである「朝鮮半島の統一」問題に着目し、台湾海峡を挟んだ両岸の統一問題との比較を試みた。まず、南北朝鮮は長い間、互いに「民族の統一」を掲げてきたが、金正恩総書記は2023年12月に韓国を敵対国視し、南北統一を否定した。一方、方法こそ異なるが、両岸も同じく「国家統一」を1990年代初めまで互いに掲げていたにも関わらず、民主化と本土化の波を受け、台湾は次第に統一に対して否定的な立場に変わってきた。朝鮮半島も両岸も民族や国家の統一は、近い将来において望めないばかりか緊張関係が続いていくだろう、と述べた。会場との質疑応答では、自由闊達な議論が展開された。
最後に李所長が閉会の挨拶で、北朝鮮の経済開発および東北アジア地域協力問題に関して関係諸国の専門家たちが、様々な角度から議論できたことは、とても有意義な時間であったとし、東北アジア地域の平和と繁栄に向けて今後とも多面的に議論しよう締めくくった。
<齋藤光位(さいとう・みつえ)SAITO Mitsue>
2021年3月福島大学経済経営学類経済学研究科(修士)卒業。2022年2月東北亜未来構想研究所(INAF)研究員。2023年3月に韓国の北韓大学院大学博士課程に入学。学会発表は「朝鮮民主主義人民共和国における「市場化」の概念の再考(韓国語)」(2023年9月、北東アジア学会第29回学術大会)、「金正恩時期における軽工業政策-食料品工業を中心に―」(2024年5月、北東アジア学会拡大関東地域研究会)他。
2024年9月19日配信
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2024.09.05
2024年8月10日(土)午前9時から、チュラーロンコーン大学文学部にて開催された円卓会議では、タイにおける「日本語、日本語教育、日本文学、日本文化」に関する研究の特徴が報告された。タイで発表された学術論文のデータベースを基にしたものである。その後、これらの研究を後押しする二つの学術協会の役割、活動内容、研究の特徴の紹介があった。
まず、「日本語・日本語教育・日本文学」に関する研究の全体傾向について、チュラーロンコーン大学文学部教授のカノックワン先生から報告があった。(1)過去11年間(2012-2022年)にタイで発表された外国語・外国文学に関する論文の中で、日本語に関するものは350本あり、英語1077本、中国語682本に次いで、3番目に多い。(2)日本語教育分野の論文が多いこと、タイ語で書かれた論文が多いことなどが特徴。(3)2018-2019年は論文数が特に多い。この時期は国による大学教員昇進基準の改定時期と重なる。(4)2015年以降、日本語で書かれた論文が減少した。
「日本語および日本語教育」研究の現状については、タマサート大学教養学部教授のソムキアット先生から報告があった。(1)過去29年間(1994-2022年)にタイで発表されたこの分野の学術論文数は528本。(2)日本語教育に関する研究(教室活動、実践研究など)の割合は2012年頃までは増えていたが、その後は減る傾向にある。翻訳の研究は2008年頃から始まっている。(3)研究方法は、アンケートが最も多く、5年毎の平均で24-39%だが、客観的な方法(テスト、コーパスの利用)や、インタビューなども取り入れられるようになっており、今後も研究の質の向上が期待できる。
「日本文学」研究については、タマサート大学教養学部准教授のピヤヌット先生から報告があった。(1)過去29年間(同上)にタイで発表されたこの分野の論文および図書は152件。最も多いのは作品分析で、約9割を占めている。(2)対象作品の時代区分は、現代(関東大震災以降)が約4割、中世(鎌倉時代から安土桃山時代)が約2割を占めている。(3)現代文学研究が多い理由は日本語で比較的容易に読めることや、タイ語翻訳版が多いことなどが考えられる。中世文学研究が多いのは「仏教」に関係したテーマがあり、タイに仏教徒が多いことが考えられる。
次に、学術協会の紹介では、最初にタイ国日本研究協会(JSAT)会長であるチュラーロンコーン大学文学部准教授のチョムナード先生から、「タイにおける日本の社会と文化研究の現状と課題―JSATの視点から」と題して報告があった。(1)タイの日本研究者の集まりは1980年代後半から始まり2006年に組織化、2011年に学会誌『jsn』を発刊、2013年に協会名をJSATに改名し、現在に至っている。(2)活動の目的は日本研究者同士の意見交換や研究成果の共有など。(3)活動内容は年次学術大会、ワークショップ、オンラインセミナーの開催や、年2回の学会誌刊行など。(4)日本の社会・文化研究の特徴は、現代に関する文献・資料研究が多いことや、フィールドワーク調査が少ないことなどである。
二つ目の学術協会の紹介では、タイ国日本語日本文化教師協会(JTAT)アドバイザーであり、元カセサート大学人文学部准教授のソイスダー先生から報告があった。(1)タイの日本語教師会は2003年に設立され、2009年にタイ国日本語日本文化教師協会となった。(2)活動目的は学術的な意見、教授資料、教授法や経験の共有など。(3)活動内容は、教師向けに年3回のセミナーや年2回の短期訪日研修などがある。学生向けには、ドラマコンテストや輪読会(ビブリオバトル)などを開催。(4)2024年には「第1回タイ国日本語教育国際シンポジウム」を開催し、基調講演で生成(ジェネラティブ)AI時代の言語教育を取り上げ、質的な教師の育成を支援している。
最後の質疑応答では、初めてタイを訪れた方が、バンコクの町中に日本語の看板があることを取り上げ、日本語教育の状況や教科書について質問。登壇者からは、大学では中上級レベルの市販教科書と自作教材を併用している、との回答があった。また、日本語学科がある高校もあり、国際交流基金バンコク日本文化センターが開発した教科書が主に使われ、高校卒業時に同基金などが運営する日本語能力試験(JLPT) N4レベル(基本的な日本語を理解できる)相当の内容を学んでいるとの説明があった。他にも日本の環境への取り組みに対する関心や、タイ国内外の学術協会との交流などについて質問があり、学際的、国際的な話題について活発に議論された。
当日の写真
<香山恆毅(こうやま・こうき)KOYAMA Koki>
チェンマイ大学人文学部日本語講師。東京都立大学工学部建築工学科卒業。日本およびタイにて建築施工管理(1995-2011年)。チュラーロンコーン大学文学部修士課程外国語としての日本語コース修了(2015年)。
2024年9月5日配信
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2024.08.27
2024年6月25日、第73回SGRAフォーラム「パレスチナの壁:『わたし』との関係とは?」が昭和女子大学でオンラインと対面のハイブリッド方式で開催されました。1月9日に開催されたSGRAカフェに続き、パレスチナ問題を取り上げたイベントは2回目です。ロシアによるウクライナ侵攻に続いて、イスラエルとパレスチナの衝突は長年保たれてきた世界平和を破壊する重大な出来事と見なされがちですが、私は「第二次世界大戦後の世界は平和である」というイメージ自体が誤りだと思います。パレスチナの住民を含む多くの人々が、常に戦争のリスクを抱えて不安の中で生活しています。
東アジアでも、冷戦によって台湾海峡や38度線を境とした緊張が消えることは一度もありませんでした。それにもかかわらず、第二次世界大戦や冷戦後、衝突の可能性が無視されるほど世界が平和であるというイメージは皮肉なほど強く存在します。「世界平和」というイメージが作り上げられてきたことを示しているのでしょう。このイメージは「衝突」や「戦争」を特定の地域や民族に結びつけ、「文明的かつ先進的で、民主的な」社会とは無縁なものとして描かれることで作られています。今回のフォーラムはまさにこのような文脈の中で、パレスチナで起きている問題は、「わたし」たちから遠く離れた「平和な民主世界」の外部にあるのではなく、常に「わたし」たちと関連していると訴えました。
フォーラムは、3つの報告と質疑応答で構成されました。明治大学特任講師のハディ・ハーニ氏が、パレスチナ問題を理解するための基礎知識を紹介。特にパレスチナ問題を取り上げる際には「誰がテロリストか」という問いかけがしばしば提起されるが、これがパレスチナで実際に起きている人権侵害や戦争暴力から議論の焦点をずらしてしまい、効果的でないと主張しました。
東京工業大学大学院生のウィアム・ヌマン氏は、ヨルダン川西岸やガザの植民地建築を事例に挙げ、建築がいかに政治的道具として抑圧や排除を強化するものになるかを論じました。公共空間は決して政治から離れたものではなく、排除や抑圧を強化する危険を常に抱えています。「わたし」たちと関連している例として、2021年の東京オリンピックを契機に渋谷区などで起きた街の高級化(gentrification)が、それまでの住人を排除することになり、ガザでの都市構造と同じ効果をもたらしていると解説しました。
最後に早稲田大学学部生の溝川貴己氏が、東京におけるパレスチナ解放運動の当事者として、東京での活動がどんなグループや運動と交差しているかを紹介しました。東京での活動が現地の多くの団体と実際に交差している様子は、フォーラムのテーマである「『わたし』との関係とは」を実例で示してくれました。
質疑応答では、発表者の3人が現場とオンラインからの質問に答えました。具体的には「パレスチナ(テロリスト)VSイスラエル(民主社会)」という二項対立の取り扱いや、日本人(特に大学生)がどのようにこれらの活動に関わるべきかというテーマが取り上げられました。
「テロリストVS民主社会」という二項対立について、発表者たちはパレスチナで起きている戦争暴力は単なる政治問題ではなく、正義の問題であるとの合意に達しました。特にヌマン氏は、正義の問題を政治問題として討論のテーマとすることに注意を喚起しました。言い換えれば、ヌマン氏は人権などの基本的な倫理的問題は、議論の余地がないものであるべきだと主張しました。
次に、日本の人々、特に大学生が政治的関心を失いつつある現状において、いかに多くの人々に運動に参加してもらうかという問題について、溝川氏は自身の経験を踏まえて、諦めずに活動を続けることの重要性を強調しました。政治的活動に頻繁に参加すると、「意識が高い」といったスティグマ(偏見や差別)を受ける危険があるものの、周囲に「意識が高い」人がいないと問題提起が困難になるため、継続的な参加が重要であると主張しました。
フォーラム後、パレスチナ活動家のアイダさんが手作りのパレスチナ料理を提供し、皆で一緒に食事しながら、さらに交流を深めました。
私は性的マイノリティを対象としたフェミニズム・クィア研究を専攻しており、フォーラムでも多くの感銘を受けました。この研究では「わたし(主体・主語)」というものがその理論を支える重要なツールです。この報告でもあえて自分の存在を消すことなく、「私は」から始まる文を書きました。その意味で、今回のテーマ「『わたし』との関係」も自明なものです。実際、クィア研究者のジュディス・バトラーも『戦争の枠組み』という本の中で、メディアがいかに「戦争/衝突」を文明社会の外部にあるものとして構築しながらも、テレビ画面を通してそれを視聴している人々に無限に近づけているかについて論じています。
さらに、イスラーム文化が同性愛を嫌悪するホモフォビックであるため、LGBTの権利を支持する民主国家がそれらの国に対して戦争を起こしても「正義」の一種であるという政治に対する批判もクィア・スタディーズの重要な柱の一つです。その意味で、溝川氏が報告したパレスチナ解放運動とクィア運動の連帯も不思議なものではありません。クィア運動は長年「人権」などの名義で行われてきましたが、それは近年強い揺り戻しを受けています。というのも、LGBTの人権を保護することが生まれ持った性別と性の認識が一致するシスジェンダー・異性愛者の人権を侵害するという議論が多く提起されるようになったからです。しかし、それは実際にはパレスチナ問題のように討論のテーマに扱われるべき「政治問題」ではなく、議論の余地がない「正義(Justice)」の問題であるという姿勢が重要なのではないかと思いました。
最後に、「壁」というメタファーについてお話しします。フォーラムではパレスチナ問題を議論する「壁」を、タブーと言論の自由への抑圧および物理的な分離の壁の象徴として扱っていますが、私はそれが実はさらに豊富な意味と政治性を秘めていると思います。「壁」の辺境という意味と「皮膚」との類似性を強調したいです。「壁」も「皮膚」も外部と内部を分離する機能および、外部から内部を守る機能の両方を備えています。そして両方ともある「主体(身体)」の辺境を示すものです。それはもちろん拒否や保護の姿勢を含みますが、接触、とりわけ接触することによる快楽(性的なものも含む)、あるいは包まれる安心感が存在する場所にもなります。壁/皮膚が存在することとは、痛みと快楽が同時に存在することを意味しています。これまでパレスチナ問題に対して議論できない、わからない「壁」を感じているということは、心の中のその壁に向き合えば、まさにその壁から接触/連帯が生じうる可能性があることを意味しています。
当日の写真
アンケート集計
<郭立夫(グオ・リフ)Guo Lifu>
2012年から北京LGBTセンターや北京クィア映画祭などの活動に参加し、2024年東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻で博士号を取得し、現在筑波大学ヒューマンエンパワーメント推進局助教。専門領域はフェミニズム・クィアスタディーズ、地域研究。
研究論文に、「中国における包括的性教育の推進と反動:『珍愛生命:小学生性健康教育読本』を事例に」小浜正子、板橋暁子編『東アジアの家族とセクシュアリティ:規範と逸脱』(2022年)や「終わるエイズ、健康な中国:China AIDS Walkを事例に中国におけるゲイ・エイズ運動を再考する」『女性学』vol.28, 12-33(2020 年)など。
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2024.08.22
2024年8月9日(金)~13日(火)、バンコク市の中心に位置するチュラーロンコーン大学にて、21ヵ国から346名の登録参加者を得て、第7回アジア未来会議が開催されました。総合テーマは「再生と再会(Revitalization and Reconnection)」。「100年に一度とも言われるパンデミック後のアジア、地球社会は変化の時代に入った。社会、経済、文化、教育など多方面における大きな変化に対して私たちはどのように向き合い、乗り越えて行けばよいのだろうか。国際的・学際的な若い研究者たちが集い、共に語る、この「再会」の場が新しいアジア、地球社会の未来を「再生」させる源ともなることを期待しつつ、課題解決の糸口を模索すること」を目標に、基調講演とオープンフォーラム、円卓会議、そして数多くの研究論文発表が行われ、広範な領域における課題に取り組む国際的かつ学際的な議論が繰り広げられました。
10日(土)午前9時、同大学文学部の教室で、渥美フェローが企画実施を担当する8つの円卓会議が始まりました。
1) 日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性「東アジアの『国史』と東南アジア」(日中韓同時通訳)
2) チュラーロンコーン大学日本語講座セッション「タイにおける日本研究の現状と展望」(日本語)
3) Exploring the Impact of Generative AI on Education and Research(英語)
4) Asian Cultural Dialogues “The Limits and Possibilities of Freedom” (英語)
5) Animal Release Problems in Asia: Harm caused by introduction of animals into natural environments, with special reference to fish(英語)
6) ASEAN Centrality in Turbulent East Asia(英語)
7) INAFセッション「東アジア地域協力における朝鮮半島の統一と開発協力」(日本語)
8) モンゴルと中央アジアにおける文化と資源の越境(日本語)
午後3時30分からクラウンプラザホテルで開会式が行われました。最初に明石康大会会長の開会宣言があり、同大学文学部スラディート・チョティウドムパン学部長から歓迎挨拶、在タイ日本大使の大鷹正人様と在タイ韓国大使の朴容民様からご祝辞をいただきました。引き続き、渥美直紀・渥美国際交流財団理事長より共催、協賛、参会のお礼と基調講演の講師紹介がありました。
基調講演では、社会起業家でありバンコクで最年少の副知事であるサノン・ワンスランブーン氏が多くのスライドを使って「バンコクと私たちの未来」について熱く語ってくださいました。官僚組織の簡素化、デジタル化を推進しながらも「人々が中心」「動脈から毛細血管へ」と次々に魅力的な改革を紹介して400人の聴衆を魅了しました。
引き続き開催されたオープンフォーラム「アジアの巨大都市と未来への挑戦」では、建築・都市開発の専門家によって、巨大都市(メガシティー)の全体像とバンコク、マニラ、そしてインドネシアの都市マカッサルの現状と未来への挑戦についての報告がありました。
その後、会場でウェルカムパーティーが開催され、参加者はタイ料理と民族音楽、人形劇を楽しみました。
第7回アジア未来会議のプログラム
11日(日)午前9時から、同大学の会場で53セッションの分科会が行われ、198本の論文発表が行われました。アジア未来会議は国際的かつ学際的なアプローチを目指しており、各セッションは発表者が投稿時に選んだ「平和」「環境」「イノベーション」などのトピックに基づいてグループ化され、学術学会とは趣を異にした多角的で活発な議論が展開されました。
セッションごとに2名の座長の推薦により優秀発表賞が選ばれました。
優秀発表賞の受賞者リスト
優秀論文は学術委員会によって事前に選考されました。2023年9月20日までに発表要旨、3月31日までにフルペーパーがオンライン投稿された94本の論文を10グループに分け、延べ42名の審査員が査読しました。ひとつのグループを6名の審査員が、 (1)論文が会議のテーマ「再生と再会」と適合しているか、(2)分かりやすく構成され、理解しやすいか、(3)論点が明確に提示され説得力があるか、(4)課題への取り組み方に創造性があるか、(5)国際性があるか、(6)学際性があるか、という指針に基づいて審査し、各審査員は、各グループ9~10本の論文から2本を推薦し、集計の結果、上位21本を優秀論文と決定しました。
優秀論文リスト
クロージングパーティーは、午後6時30分からマンダリンホテルで開催されました。2013年にバンコクで開かれた第1回アジア未来会議のクロージングパーティーでも司会を務めた渥美フェロー2名の司会で進められ、優秀賞の授賞式が行われました。今回の受賞者21名だけでなく、コロナ禍のために対面で開催できなかった第6回の受賞者も含めて優秀論文の著者40名が登壇し、明石大会会長から賞状が手渡されました。続いて、優秀発表賞52名が表彰されました。
最後に第8回アジア未来会議の開催場所が発表され、ホストである東北学院大学(仙台市)の大西晴樹学長による招待のスピーチとビデオによる大学案内がありました。
12日(月)、参加者はそれぞれ、アユタヤ観光ツアー、寺院と王宮ツアー、水上マーケットそしてタイ料理教室等に参加しました。
第7回アジア未来会議「再生と再会」は、(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)主催、チュラーロンコーン大学文学部東洋言語学科日本語講座の共催、在タイ日本大使館、国際交流基金の後援、(公財)高橋産業経済研究財団と(一社)東京倶楽部からの助成、日本と在タイ日系企業からのご協賛をいただきました。同大学日本語講座では実行委員会を組織し、当日はたくさんの学生さんにお手伝いいただきました。また、タイ鹿島の皆さんにはタイ日系企業への募金とVIPサポートをしていただきました。
主催・協力・賛助者リスト
運営にあたっては、渥美フェローを中心に実行委員会、学術委員会が組織され、フォーラムの企画からホームページの維持管理、優秀賞の選考、撮影まであらゆる業務を担当しました。特にタイ出身の渥美フェローが企画の最初から最後まで大活躍でした。
400名の参加者の皆さん、開催のためにご支援くださった皆さん、さまざまな面でボランティアとしてご協力くださった皆さんのおかげで、第7回アジア未来会議を和やかかつ賑やかに、成功裡に実施することができましたことを、心より感謝申し上げます。
アジア未来会議は国際的かつ学際的なアプローチを基本として、グローバル化に伴う様々な問題を科学技術の開発や経営分析だけでなく、環境、政治、教育、芸術、文化など、社会のあらゆる次元において多面的に検討する場を提供することを目指しています。SGRA会員だけでなく、日本に留学し現在世界各地の大学等で教鞭をとっている研究者、その学生、そして日本に興味のある若手・中堅の研究者が一堂に集まり、知識・情報・意見・文化等の交流・発表の場を提供するために、趣旨に賛同してくださる諸機関のご支援とご協力を得て開催するものです。
第8回アジア未来会議「空間と距離:こえる、縮める、つくる」は、2026年8月25日(火)から29日(土)まで、東北学院大学と共催で仙台市で開催します。皆様のご支援、ご協力、そして何よりもご参加をお待ちしています。
第7回アジア未来会議の写真(ハイライト)
第7回アジア未来会議のフィードバック集計
第7回アジア未来会議報告(写真入り)日本語
The 7th Asia Future Conference Report (English)
第8回アジア未来会議(日本、仙台市)案内
(文責:SGRA代表・アジア未来会議実行委員長 今西淳子)
2024年8月22日配信
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2024.05.30
木々の青葉が美しく、吹く風も爽やかな2024年5月18日(土)の午後、ソウル大学国際大学院の会議室に日韓両国の研究者50名以上が集い、オンラインも組み合わせた第22回日韓アジア未来フォーラム「ジェットコースターの日韓関係-何が正常で何が蜃気楼なのか」が開催された。
2023年3月の徴用工問題の第三者支援解決法を契機に、7回にわたる首脳会談を経て日韓関係は一挙に正常化軌道に乗った。この1年間の成果と課題、日韓協力の望ましい方向について、政治・安保、経済・通商、社会・文化の3分野から検討した。
最初に未来人力研究院(未来財団)の李鎮奎(イ・ジンギュ)理事長から「渥美財団と未来財団は日韓両国がジェットコースターのようなアップ・ダウンの関係にある時も、ずっと友好関係を深めており、平坦な道を走るローラースケートのようである。両財団が30周年を迎えるが、この先40周年、50周年と手を携えて共同事業を続けて行けることを祈っている」とあいさつした。
ソウル大学日本研究所の南基正(ナム・キジョン)所長は「長崎県・対馬に行く船に乗った時に『日韓関係』を感じた。外の景色を見たくて窓際に座ったら波が荒くてひどく船酔いをしたが、真ん中で均衡を取りながら座った人は平気な顔をしていた。もうろうとする中で陸地に見えた蜃気楼は高い波だった。その時、早く陸に上がりたいなどと考えず、諦めも大事だと感じた。和解は単独で存在するものではない。日韓関係は複雑で難しく『あなたが思っていることが全てではない』ことを考える機会にしたい」と話した。
第1部「日韓関係の復元、その一年の評価と課題」では、まず、西野純也・慶應義塾大学教授が政治・安保分野の成果として、尹大統領と岸田首相による両国が協力パートナーであることの再確認、指導者間の信頼関係の構築、政府間の対話・協議チャンネルの復元と新設、政治家同士のネットワーク活性化などを挙げ、課題として、協力パートナーとしての国民的理解やコンセンサスの醸成、それに資する制度的措置の実施として欧州連合(EU)の歴史経験、国内政治からの悪影響の管理・低減、相互の政策・戦略への理解などを挙げ、残りの任期3年に尹政権が国民の支持をどう得ることができるかが重要であると述べた。
次に李昌ミン(イ・チャンミン)韓国外国語大学教授が、日本が方針表明後4カ月という短期間で韓国を安全保障上問題がない国として輸出手続きを簡略化する「グループA(旧ホワイト国)」へ再指定したことは、これまでの日本の行政手続きではなかったことと評価。2023年を起点に日韓関係は新たなステージに入った。経済安保は「大きな政府の時代」の到来を意味するが、日韓ともに企業のモチベーションやインセンティブを考慮しないと政策的連帯が滞る可能性があり、総選挙後の韓国の「与小野大」の状況、日本のリーダーシップの状況、米大統領選でのトランプ氏の帰還の可能性などを総合的に考慮した協力のシナリオが必要と展望した。
最後に小針進・静岡県立大学教授が、この5年間の音楽動向をまとめた「オリコンランキング」で韓国のBTSが日本で一番売れたこと、日本の輸入化粧品第1位は韓国であり、日本の女性がファッションの参考にしている国も韓国が1位であると指摘した上で、社会・文化の全ての動向がこの1年間で「復元」した訳ではないが、政治・外交関係の「復元」が日韓間の人の往来を増幅し、人的交流や文化交流にプラスに作用したことは間違いないと評価。良好な関係維持に新しい日韓共同宣言は必要なのか、新しいビジョン(ジェンダー、少子高齢化、環境、災害、国際協力、対北朝鮮・・・)とは何か、そもそも宣言を発出できる政治環境なのかと問いかけた。
3人の発表に対して3人の討論者からのコメントがあった。金崇培(キム・スンべ)釜慶大学准教授は、西野教授の報告(関係修復に向けた動き、1年の成果、課題)に対してひとつひとつ丁寧に論評した。安倍誠・アジア経済研究所上席主任調査研究員は、李教授の「2023年に日韓関係が新たなステージに入る中で、新たに協力と競争の重層的関係を構築する空間が広がるだろうが、日韓協力のあり方を議論する際には政治状況を考慮する必要がある」という主張に同意し、補足的なコメントを行った。鄭美愛(ジョン・ミエ)ソウル大学日本研究所客員研究員は、小針教授の観点については全面的に共感するが、討論を引き受けた立場でと前置きした上、「宣言を発出できる政治環境」について質問した。
休憩の後の第2部「日韓協力の未来ビジョンと協力方向」ではパネル討論が行われた。国民大学の崔喜植(チェ・ヒシク)先生、ソウル大学の李政桓(イ・ジョンファン)先生、ソウル大学日本研究所の鄭知喜(チョン・チヒ)先生、東北アジア歴史財団の趙胤修(チョ・ユンス)先生、西野教授、小針教授、安倍研究員の7名が順次発言した。小針教授の「日韓それぞれが相手国をどう見ているのかという面で不安になった。今後、政権が変わったらどうなるのか?2019年当時、韓国に対する日本の見方は慰安婦、徴用工などを蒸し返す国という認識があった。一方、韓国側の持っている不安も理解できる。日本に対する不満もあると思う。不安と不満はあっても不信を招かないようにするにはどうするかが大事である。メディアには正確な報道をお願いしたい。糾弾する報道は『不信』を招く」とのコメントが印象的だった。
閉会にあたり、渥美国際交流財団の今西淳子常務理事が「今回のフォーラムは未来人力研究院だけでなく、韓国の現代日本学会、ソウル大学日本研究所との共同主催ということで、韓国で開催した日韓アジア未来フォーラムでは最大規模となった。渥美財団は日本の大学院で博士論文を執筆中の若手研究者を支援する奨学財団で、現代日本学会の金雄熙会長、ソウル大学日本研究所の南基正所長は1996年度に支援させていただいたご縁で、その後30年間途切れることなく交流を続けている。こういうことは滅多になく、本日は本当に奨学財団冥利に尽きると感じている」と感謝を述べた。
最後に日韓アジア未来フォーラム存続の立役者の金雄熙仁荷大学教授が「日韓関係は激しく上へ行ったり下へ行ったりジェットコースターのようだ。一定の動力があればジェットコースターは軌道から脱線しない。日韓関係にはその動力が働くだけに『山あり谷あり』を楽しめるようになりたい」と挨拶した。
フォーラム終了後、参加者はソウル大学の近くの学生街でサムギョプサルと「爆弾酒」を楽しんだ。
当日の写真
<原田健(はらだ・けん)HARADA Ken>
渥美国際交流財団事務局長。鹿島建設(株)、(一社)日本建設業連合会を経て、2023年より渥美財団で勤務。
2024年6月30日配信
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2024.04.26
2023年11月25日(土)北京時間午後3時(日本時間午後4時)より第17回SGRAチャイナフォーラム「東南アジアにおける近代〈美術〉の誕生」が開催された。コロナが収束して4年ぶりに対面形式で行う予定だったが、スケジュールを決める9月の時点で2012年秋の事態を思わせる空気が漂い始め、オンライン方式を続けることに決めた。
テーマの通り、今回は美術史の返り咲きとなった。しかもこれまで焦点が置かれていた「東アジア」から初めて「東南アジア」に視点を向けたため、事前の準備はこれまでと異なり、チャイナフォーラムの歴史の中でかつてない国際的な展開となっていた。講師は北九州市立美術館館長の後小路雅弘先生、指定討論者は北京大学東南アジア学科准教授の熊燃先生、ナショナル・ギャラリー・シンガポール学芸員でコレクション部門ディレクターの堀川理沙先生のお二方をお迎えした。東京、北九州、北京、シンガポール、マカオと事前準備の連絡は広範囲にわたった。日本語だけでなく、英語によるメールの連絡もこれまでにないレベルで、渥美財団のスタッフ一同の国際色の高さに脱帽した。
例年通り、開催にあたり、主催者側から今西淳子・渥美財団常務理事、後援の野田昭彦・北京日本文化センター所長より冒頭の挨拶があった。野田所長の挨拶は前年同様にテーマに沿った問題提起があり、フォーラムのウォーミングアップともなった。
日本における東南アジア美術史の第一人者である後小路雅弘先生の講演は、ご自身の東南アジアの実体験から始まった。東南アジアにおける近代美術の萌芽的な動きは1930年代に見られると指摘した。地域や国同士の相互の連動は見られなかったが、植民地において19世紀末から盛んになったナショナリズムや民族自決の高まりといった国際的な共通性から、ほぼ同じ時期に見られるようになったと、数多くの絵画の紹介を通じて語った。そして19世紀末から20世紀前半にわたって、東南アジアの近代美術運動を担うパイオニアたちが直面する課題、目指す目標、各国における共通性や相違を読み解いた。
自由討論はモデレーターの名手、澳門大学の林少陽先生によって進められた。美術作品を通して、その背後にあるより微妙で生き生きとした植民地支配に対する抵抗や民族解放を求める東南アジアの歴史の詳細を見ることができるという熊燃先生のご見解や、後小路先生のご研究の原点は東南アジアだけでなく、東アジア全体にあるのではないかという堀川理沙先生のご指摘が印象的だった。その後、会場およびオンライン参加者の質問に対し、後小路先生が丁寧に回答した。
最後に清華東亜文化講座を代表して、北京第二外国語大学趙京華先生より閉会の挨拶があった。趙先生は後小路先生のご講演により、美術史を専門としない人も美術界の新たな風潮を通じて、東南アジアの20世紀の複雑な歴史的プロセス、そして民族、言語、宗教、文化の多様性について初歩的な理解を得ることができたと指摘した上で、「どのような覇権も、世界を統一することも、差異を排除することもできない。私たちは各民族国家の多様性を尊重することでしか、文明の相互理解と平和共存の理想を実現することができない」と強く訴えた。
東京会場、北京会場、そしてオンライン参加を含め、合わせて150名の参加を得た。参加者からは「東南アジアにおける近代美術が生まれた背景や、その代表的な人物に関する基本知識を得ることができた。今後もこの研究領域に関するフォーラムを開催してほしい」などの感想が寄せられた。
フォーラム開催当日は趙先生の誕生日で、北京会場でささやかなお祝いをした。4年ぶりの会食も実現した。そして次回の第18回も引き続き後小路先生に依頼し、対面形式で北京で行うことが早々に決まった。
かつてのおなじみのチャイナフォーラムが確実に戻ってくる。
当日の写真
アンケート集計結果
<孫建軍(そん・けんぐん)SUN Jianjun>
1990年北京国際関係学院卒業、1993年北京日本学研究センター修士課程修了、2003年国際基督教大学にてPh.D.取得。北京語言大学講師、国際日本文化研究センター講師を経て、北京大学外国語学院日本言語文化系副教授。専攻は近代日中語彙交流史。著書『近代日本語の起源―幕末明治初期につくられた新漢語』(早稲田大学出版部)。
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2024.04.03
2024年2月17日に開催された第21回SGRAカフェには57人が参加し、「日本社会における二重国籍の実態」が議論されました。今回のSGRAカフェを企画した理由の一つは、日本の国籍法を巡る誤解が多いことにあります。その最大のものは「日本は二重国籍を認めていない。二重国籍は違法だ!」という認識です。日本の国籍法が「国籍唯一の原則」という理念を取り入れていることは確かですが、それが二重国籍を禁止したり、不可能としたりするものではありません。この原則の下、二重国籍のケースを減らすための制度がいくつか設けられていますが、その重国籍防止・解消制度の多くは必ずしも積極的なものではなく、また行政による運用についても同じことが言えます。例えば国籍選択制度の下では、選択の義務を果たしながらも日本国籍を選択した上で、外国の国籍を保持することは可能なのです。それに対して、海外在住の日本人が居住国の国籍を取得した場合等に適用されている規定(11条1項)は非常に厳しいもので、重国籍の存続は許されません。同じ二重国籍者でも、状況によって法の適用が異なることが示されました。
基調講演では、武田里子氏が複数国籍の実態について「日本社会における複数国籍の実態―放置主義から摘発強化への政策転換」と題して35分にわたって発表しました。まず、国際結婚の研究から二重国籍の問題に関心を寄せ、特に台湾や韓国での調査を通じて現地男性と結婚した日本人女性たちとの交流から子どもの二重国籍問題が浮かび上がったことを紹介。日本国籍と外国籍の選択が22歳までに必要とされるが、実際にはこの義務を果たさなくても何も起こらないという混乱した情報の中で、母親たちが子供の将来について心配していることを指摘しました。
次に、日露ハーフの子どもたちに関する国籍問題が取り上げられました。通常、ハーフの子供たちは片方の親から日本国籍、もう一方の親から外国籍を取得しますが、日本に生まれたロシア人の子は出生によってロシア国籍を取得したとは見なされず、「簡易帰化のような手続きを経て取得した」と、日本政府は解釈します。そのため、ロシア大使館で出生届を提出した時点で日本国籍を喪失します。子どもの最善の利益の観点から、この国籍法の運用は許されるものなのかと、武田氏は問いかけました。
その後、発表のタイトルにある通り、過去40年の間、日本政府による複数国籍への対応がどのように変遷してきたのかを論じてくださいました。
40年前と言うと、ちょうど1984年の国籍法改正の時です。当時、女子差別撤廃条約の批准のための法整備の一環として、父系優先血統主義が父母両系血統主義に改められました。この法改正により、二重国籍者の増加が予測され、それに対処するために重国籍解消制度が導入されました。
1984年の国籍法改正後、複数国籍の議論が進まず現在に至っています。その間、海外では重国籍容認への動きがあり、国外居住者のロビー活動が影響力を持ちました。「日本ではなぜ在外邦人が国籍法改正に向けて大きな力を発揮しないのか」と武田氏は問いかけます。
2000年代に入り、日本政府は重国籍者に対する対応を変化させ、「放置主義から摘発強化」への方針転換が見られるようになりました。特に、在外公館ではこの転換が顕著に現れました。それまでは11条1項の定めるところによって、日本の国籍を喪失したはずの在外邦人に対し、日本政府は国籍喪失届の提出を指示することもなく放置していました。戸籍さえあれば、日本人扱いで構わなかったようです。しかし、2005年以降は、11条1項が適用される人たちの摘発に力を入れるようになりました。
近年、二重国籍者を萎縮させた最大の出来事は間違いなく、2016年に起きた蓮舫議員の二重国籍騒動です。メディア報道により、「重国籍=違法」という印象が拡散し、強まりました。その結果、当事者の間には不安が広がり、国籍のことを友達にも話せなくなったと言う人もいます。
そして、この問題が日本国憲法の基本原則である平和主義、民主国民主権、人権擁護とどのように関連しているかについても議論が展開されました。武田氏は、複数国籍の容認は憲法に基づく要請であるとする憲法学者の見解を紹介し、複数国籍の問題が国の基本原則とも密接に関連していることを強調しました。
2010年代の終わり頃から、この状況の悪化に歯止めをかけようとする当事者らによる運動が見られるようになります。11条1項の違憲性を訴え、国を提訴した「国籍はく奪条項違憲訴訟」です。残念なことに、現時点では敗訴が続いていますが、今後、違憲判決が出ることを信じて、武田氏は弁護団と原告らを支援し続けています。
最後に「複数国籍の容認は日本国憲法の基本原則たる平和主義、民主国民主権、そして人権擁護に基づく要請である」と指摘する憲法学者の近藤敦氏と同意見であることを明確に述べて、基調講演を終えました。
話題提供を務めてくださった3人は、それぞれ異なる視点から二重国籍の問題に限らず、国籍のあり方そのものに疑問を投げかけ、カフェ参加者に「Food for thought」を与えてくれました。
最初の話題提供者は、社会福祉学の専門家であるヴィラーグ・ヴィクトル氏です。日本の公的な福祉制度と国籍の関係について説明し、多様性を尊重する必要性を強調しました。さらに、ソーシャルワークの視点から二重国籍問題を分析し、当事者の活動の重要性を強調します。参加者からは賛同する声が上がりました。
金崇培氏は、3世代にわたる自身の家族史やライフ・ヒストリーから、国際関係や国家の諸事情がいかに個人の国籍に影響を与えるのかを教えてくれました。1941年に朝鮮人の両親をもち、日本で生まれた金氏の母親は、生まれつき日本国籍を有していましたが、1952年のサンフランシスコ講和条約の発効に伴い、日本国籍を失うことになりました。金氏の息子たちは、韓国人の父親と日本人の母親の間に生まれたことから、生まれながらの二重国籍者です。2011年に韓国が部分的に重国籍を認めたため、息子は成人した後も二重国籍を保持できるようになりました。ただ、韓国人男性に課されている徴兵制による兵役義務がネックとなりそうです。金氏の報告からうかがえるのは、国籍というのはアイデンティティーと絡む側面もあれば、権利・義務が発生する法的身分を表すものでもあり、時には実利的な事情で国籍を取得したり、放棄したりすることもあるということです。
高偉俊氏は個人的な経験を通じて議論しました。日本生まれ、日本育ちの娘が日本に帰化した際の手続きの複雑さや時間のかかり方を挙げ、日本で生まれ育った外国籍の子どもたちが、より簡単な方法で日本国籍を取得できる仕組みが必要だと提案しました。こういった子どもたちの多くは、日本にアイデンティティーを置いており、今後も日本社会に貢献していくことから、彼ら、彼女らに日本国籍を与えることが、本人たちのみならず、日本にとっても有益であると主張しました。
参加者は休憩を挟み、会場とオンラインの4つのグループに分かれてディスカッションを行いました。国籍制度自体に疑問を投げかける声が挙がり、国籍が人々を区別する制度として機能する側面について考えられました。また、国籍法改正に関して国の姿勢を批判するだけでなく、国を動かす方法を模索すべきだという意見も出されました。その他、国籍を捨てることがアイデンティティーの一部を捨てることと結びつく可能性が指摘され、日本で国籍が重要な境界線として果たしてきた役割についても議論が行われました。
当日の写真
https://www.aisf.or.jp/sgra/wp-content/uploads/2024/03/SGRACafe21Photos.pdf
アンケート集計結果
https://www.aisf.or.jp/sgra/wp-content/uploads/2024/03/SGRACafe21Feedback.pdf
報告書の全文
https://www.aisf.or.jp/sgra/wp-content/uploads/2024/03/SGRACafe2Report_ALL.pdf
<アメリ・コーベル Amélie CORBEL>
獨協大学フランス語学科特任講師。パリ政治学院政治学研究科博士課程修了(政治学博士)。博士論文「日本の国際結婚の諸規制——ビザ専門の行政書士の役割を中心に」(仏語のみ)。2022年度フランス日本研究学会博士論文賞を受賞。専門は政策過程論、ジェンダー研究、法社会学。2018年度渥美国際交流財団奨学生。
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2024.03.12
2024年2月3日、第20回SGRAカフェ「パレスチナについて知ろう― 歴史、メディア、現在の問題を理解するために」が渥美財団ホールおよびZoomによるハイブリッド形式で開催されました。
今回は明治大学の特任講師であり、東京ジャーミイ文書館(テュルク文化・イスラム文化研究施設)理事でもあるハディ・ハーニ先生が講師を務め、パレスチナの歴史やメディアの扱い、そして現在進行形の問題について詳細に解説しました。長年にわたるイスラエル・パレスチナ紛争の根本原因と、現在におけるその影響について深い洞察を提供。さらに同紛争に関する包括的な分析を行い、その歴史的背景や主要な出来事、現在の状況を説明。特に紛争の起源やイスラエルの設立、その後の戦争と平和努力について言及し、パレスチナ人の追放や占領地の状況など、人道的問題を強調しました。さらに2023年10月のハマスによるイスラエル領土への攻撃とイスラエルの対応を例に挙げ、双方の行動が国際法を違反していることを指摘。パレスチナ人の権利と自己決定権の重要性を強調し、平和と共存を望むすべての人々を支持する意志を表明しました。
さらに、イスラエル・パレスチナ問題の簡略化に反対し、少なくとも4つの主要な行為者を2つの異なるレベルで見ることを提案。パレスチナはガザにおいて妥協を許さない強硬な立場を採るハマスと、西岸を統治するより和平と妥協に開かれたファタハ政府に分かれ、同様にシオニスト陣営も紛争への異なるアプローチを反映した右派と左派に分かれています。この枠組みは、直接的な軍事衝突とその結果に焦点を当てる「表層-戦術」レベルと、関与する行為者のより深い、根本的な目標と政策を探求する「構造-戦略」レベルに分類できます。これは両陣営内の微妙なダイナミクスと内部の多様性を認識する必要性を強調し、紛争を形作る戦略的および戦術的な次元を理解するために単純な物語を超えて進むことの重要性を示しています。
ハディ先生はこのように、イスラエル・パレスチナ紛争における「両側主義」の概念を批判し、それが不当に抑圧者に正当性を与え、最終的には植民地主義的占領構造の「目に見えないテロ」を維持すると主張。「正義の側」に立つことは、パレスチナ人の行動を無条件で擁護することでも、イスラエル人の行動を全面的に非難することでもない。紛争における両側を同等に扱うことは、非対称な実体を対称的と見なすことであり、これは中立的でも公正でもなく、実際には抑圧者に味方することになります。真に正義と公平を支持するためには、イスラエルの占領政策、それらを可能にする排他的で暴力的なイデオロギー、そしてそれらを支持する政治構造、特に米国の外交政策に挑戦する必要があるとみています。
紛争の解決に向けて市民社会の役割も強調されました。正義の実現には、ハマスとイスラエルの両方からテロリズムの問題を認識し、特に右翼シオニスト派におけるイスラエルの不釣り合いな責任を認め、半世紀にわたるイスラエルの一方的な構造的テロリズムが重大な問題であることを理解するという「3つの命題」の同時実現が必要であると提案。市民に対しては、問題についての意識を高め、声を上げ、これらの懸念を政治行動に反映させ、外交圧力を形成することを目指すよう呼びかけています。
司会・討論者を務める私、シェッダーディ・アキルはガザの現在の人道状況について報告。2024年2月3日時点でガザでの死亡者数が2万7000人を超え、その70%が女性と子どもであることを強調し、紛争の深刻な影響と緊急の国際的対応を呼びかけました。また、国連国際司法裁判所が1月26日にイスラエルに対してガザでのジェノサイドを防ぐための仮命令を下したことは、世界政治と平和努力にとって画期的な瞬間であると強調し、国際法と人権保護の重要性を訴えました。米国、日本、欧州連合などの主要な国際プレーヤーによる国連救済復興事業機関(UNRWA)への支援の停止は、世界的な人道支援に関する重要な疑問を提起し、外交と人道支援という課題に対する日本の対応が、国際社会内での連帯と責任ある行動の必要性を示しているとも指摘しました。
質疑応答セッションは、東京大学博士課程の徳永佳晃氏がアシストしてくださり、会場参加とオンライン参加の両方から多岐にわたる質問が寄せられ、長年にわたる紛争が世界平和、正義、そして人類にとって何を意味するのかについて議論しました。「外交の失敗がイスラエルの植民地化政策の継続を可能にしているのか」、「今後の見通しと解決策は何か」、そして「私たちが世界市民として平和にどのように貢献できるか」についての質問とコメントがありました。
初めてのパレスチナ問題に係るSGRAカフェでは、政治的、歴史的、人道的要因の間のバランスを取りながら、紛争の異なるレベルを分析する枠組みを用いて説明しました。また、パレスチナ問題に対する私たちのアプローチを集団的に再評価する緊急性があることを明確にしました。
当日の写真
<シェッダーディ・アキル Mohammed Aqil CHEDDADI>
モロッコ出身。モロッコ国立建築学校卒業。慶應義塾大学政策・メディア研究科環境デザイン・ガバナンス専攻修士号取得・博士課程在学。同大学総合政策学部訪問講師。2022年渥美奨学生。
2024年3月14日配信