SGRAイベントの報告
銭海英「第22回SGRAカフェ『逆境を超えて:パレスチナの文化的アイデンティティ』報告」
2024年10月5日、第22回SGRAカフェ「逆境を超えて:パレスチナの文化的アイデンティティ」が対面(渥美財団ホール)・オンライン(Zoom)併用方式にて開催されました。1月9日と6月25日に続き、「パレスチナを知ろう」というシリーズの3回目です。
今回は慶應義塾大学総合政策学部の山本薫先生から「パレスチナ文化とは何か?」と題し、長年に渡り混乱する中東情勢の中で形成されたパレスチナ人の多様な文化的アイデンティティをテーマに講演していただきました。
講演では2003年以降、イスラエルにより強制的に立ち退かされたガザの人々が取り組むストリートカルチャーが紹介されました。ガザの若者たちの間では、パルクール競技(街頭運動)、ラップ音楽(街頭音楽)、グラフィティアート(街頭芸術)が盛んに行われているそうです。
講演後、次のような質問が出されました。「戦時下において芸術に時間を割くべきではないという主張が存在するが、パレスチナの若者が創出した芸術作品がいかにしてイスラエルや他のアラブ諸国への抵抗手段として機能してきたのか?」、「政治的アイデンティティが脅かされる構造の中で、芸術を通じてエスニックなアイデンティティを主張することは、芸術作品に政治的メッセージを込めることになると考えるが、イスラエル化を推進するシオニスト政権はパレスチナ人の芸術運動をどの程度規制しているのか?」、「パレスチナ人の芸術はイスラエル国民に受容されているか?」、「日本では、パレスチナの芸術や文化はどのように受容されているのか?」、「日本文化との交流の進展はいかに評価されているか?」。
「芸術作品と政治」について、山本先生は「パレスチナの若者たちがグローバルマーケットに接続する希望はあるが簡単ではない。グローバリゼーションの中で表現の自由を模索しながら、国や資本の論理にとらわれずに自己表現を模索し続けている。国がないからこそ生まれる葛藤や自由が、独自の文化や芸術を形成する原動力となっている」と将来への可能性を指摘しました。
「イスラエルでの受容状況」については、「パレスチナの文化表現はイスラエルだけでなく、一部のアラブ諸国からも危険視され、表現者が命を奪われることも少なくない」と回答。実例として「『太陽の男たち』の著作で知られるパレスチナを代表する小説家G.カナファーニーは強大な影響力を持つがゆえに36歳の若さでイスラエルに暗殺された。風刺漫画家が殺害される事件もあった。一方で、背景にはアラブ側権力者の思惑があるとも言われている」と指摘し、「パレスチナ問題はイスラムとの対立だけでなく、周辺のアラブ諸国も巻き込む中東全体の問題であり、多くの国々はパレスチナ人を警戒している。イスラエル国内でもパレスチナ人の文化表現は否定されがちだが、共生を目指すユダヤ人の支援活動も依然として存在する」と言及しました。
「日本での受容状況」については、「パレスチナの演劇や映画は日本でも高い注目を受けている」と回答。ただ「カンヌ映画祭などでもパレスチナ出身、もしくはイスラエルに在住するパレスチナ人の監督が多数の賞を獲得しているが、製作者がパレスチナ人であることが知られていない場合もある」と指摘しました。
最後に今西淳子SGRA代表から閉会の挨拶がありました。パレスチナに対する日本やアジアの関心を高めるための活動を評価し、小説や文化の力を通じて、わずかながらでもパレスチナの現状を理解できたと述べました。また、SNS時代における、私たち個人からの発信や活動を進める重要性を強調しました。
完全に専門外であった私はフォーラムで多くの感銘を受けました。90分にわたり拝聴していたのですが、山本先生の「パレスチナ文化は、言ってしまえば一つも無いのですよ」という一言には驚きました。確かにイスラエルの主張では、「パレスチナ人は存在しない」のです。パレスチナという国家がそもそも存在しないから、という理屈です。「いや、違う。パレスチナ人は確かにそこにいる。なぜいるのかと言うと、その証明はパレスチナ文化が存在するからである」と山本先生は主張します。こうして、そもそも「パレスチナ文化」とは何かという疑問も自然に浮上してくると思います。
私が敬愛する中国の学者である許紀霖は、かつて「文明」と「文化」という二つの概念について、実に分かりやすい見解をもって両者を区別しました。
「『文明』と『文化』は異なる概念であり、『文明』が関心を寄せる対象は『何が善いか?』であるのに対し、『文化』は単に『何が我々のものか?』に焦点を当てる。『文化』は『我々』と『他者』とを区別し、自己の文化的アイデンティティを確立することを目的とするが、文明はそうではない。文明は、一国や一民族を超えた普遍的な視点から『何が善いか』を問い、その『善い』は我々にとってだけでなく、他者にとっても同様に善いものであり、全人類にとって普遍的な善であることを追求する」(許紀霖『中国時刻?従富強到文明崛起的歴史邏輯』香港城市大学出版社、2019年、7-8頁)。
「パレスチナ文化」とは何かを表現する際に、私は、まず「他者」と区別されるパレスチナ人の「我々」(独自性)とは何かを考えてしまいます。この唯一無二の独自性とは何か、どのように把握するべきかについて、山本先生からは「パレスチナ文化の魅力の一つは、国家の不在ゆえに未来を構築していく過程にある。さらに、その過程がパレスチナ人全体によって今なお作られ続けている点にある。また、パレスチナ文化は多様性に富み、アラブ人に限らず、ユダヤ人をも排除するものではなく、決して排他的なものではない」という説明がありました。
しかし、この説明だけでは、「パレスチナ文化」の独自性そのものを十分に理解するには至りませんでした。この難しさは山本先生も指摘したように、現在のパレスチナにおいては統一された文化が未だ形成されていないという冒頭の説明そのものが一つの答えであり、同時に今まさに現地では悲惨な戦争のさなかにあるという現実が関連していることを強く認識すべきです。すなわち、パレスチナ文化の確立とは、地政学的な条件と過酷な現実が独自性を生み出す条件であり、また人の心に響く力として存在していると考えます。
このような状況において、山本先生がハマスの暴力手段とは一線を画し、非暴力的な手段によるパレスチナ文化の自己表現の重要性を強調した点には深く共感します。壁に囲まれ攻撃の対象とされる人々がいる現実は、極めて残酷ながらもパレスチナ人が確固たる存在として成立していることを証明するものです。「パレスチナ人は存在しない」という発信は詭弁でしかないことは明らかです。パレスチナ人が自己の存在を声高らかに証明し、さらなる独自性を宣伝するためにも、一刻も早い平和の実現を強く望みます。
<銭海英(せん・かいえい)QIAN Haiying>
2022年度渥美奨学生。中国江蘇省出身。明治大学大学院教養デザイン研究科博士後期課程に在学中。近代中国教育思想史を専攻。現在、成城大学及び神奈川大学非常勤講師、有間学堂東洋史学専属講師。