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2007.08.01
2007年7月21日(土)、第28回SGRAフォーラム in軽井沢が、鹿島建設軽井沢研修センター会議室で開催された。今回は、SGRA「宗教と現代社会」研究チームが担当する第2回目のフォーラムで、テーマは「いのちの尊厳と宗教の役割」であった。
まず、東京大学文学部宗教学宗教史学科教授の島薗進先生が「いのちの尊厳と日本の宗教文化」というテーマの基調講演を行った。医療技術の発展によって安楽死、臓器売買、代理出産などが可能になり、人の生命が道具のように扱われている。一方、自殺者数は減らず、教育の現場では、子供たちが自分より弱いものをみつけていじめる、さらには「社会を掃除するために」ホームレスを虐待するという社会問題がおこる。これらの現象は根元で繋がっているのではないか。「生命の尊厳」の問題に対して欧米では様々な議論がなされており、カトリック教会などははっきりした立場を示している。しかし、日本の宗教やアジアの宗教文化の立場からの対応はまだ欠如している。アジアの宗教文化の観点から生命倫理を考える必要があるのではないかという問題提起がなされた。
島薗先生の発表に対して兵庫県立大学看護学部心理学系准教授・韓国出身の金外淑さんの質問は、いのちの尊厳をどのように教えることが出来るのかということであった。島薗先生は、いのちの大切さは様々な分野で教えられているが、いのちを尊重する文化を育むことが必要であり、そこで宗教の役割が重要になると回答した。
富山大学経営法学科教授の秋葉悦子先生は「カトリック<人格主義>生命倫理学の日本における受容可能性」について発表を行った。秋葉先生は、中絶問題や生命の誕生(初期胚)や臓器移植について、受精卵を新たな人の命としてみなすカトリック教会のいわゆる人格主義的生命倫理について、ヴァチカンの公式見解を説明した。そして、このような生命倫理的価値観は、生物学の科学的な研究と第二次世界大戦後の国際法の精神に基づく合理的な結論であり、日本での受容の可能性は高いと語った。
秋葉先生に対する東京医科大学大学院博士課程在学生・中国ウィグル出身のアブドジュクル・メジテさんの質問は、ES細胞から人工的に器官を作ることは可能で、それによって様々な病気を直すための実験を行うことができるが、受精卵を新たな人の生命としてみなすというカトリック教会の立場はこの分野の研究を妨げているのではないかということであった。秋葉先生の回答は次の通りであった。ナチス時代には人体が医学実験のために使われていた。カトリック教会が示す生命倫理は科学や技術的発展のために人間の命や人権が奪われないように守ろうとしている。カトリック教会は死後の臓器移植を認めている。
コーヒー休憩の後、高野山大学文学部スピリチュアルケア学科准教授の井上ウィマラ先生による「悲しむ力と育む力:本当の自分に出会える環境づくり」というテーマの発表で、人間は悲しいことをどのように育む力に変えることが出来るのかという内容のものであった。フロイトの対象喪失理論やボウルビィの愛着理論などを紹介し、悲しみを充分に体験しながら人は許しや思いやりなどを獲得し、いのちを育む力を培ってゆくと論じた。井上先生によれば母子関係には人間を育む力があり、それを証するように中島みゆきの「誕生」という曲を聞かせた。
日本社会事業大学大学院博士課程在学生・中国出身の権明愛さんからは、子供ころの精神障害やトラウマは大人になっても残る可能性があるが、それを解決するためにもどのように自分の体験に向かい合うことが出来るのかという問いだった。井上先生は子供への様々な方法でのスピリチュアルケアの必要性を強調した。
最後の発表者は立命館大学産業社会学部教授の大谷いづみ先生だった。「『尊厳ある死』という思想の生成と『いのちの教育』」という題名の発表で、まず尊厳死と安楽死の相違について説明した。そして、様々な事例を通じて欧米や日本社会における「尊厳死」と「安楽死」の受けとめ方について述べた。尊厳死は当事者の自己決定によるものであるとされている。しかし、その自己決定には様々な問題があり、それは「いのちの教育」において課題とされるものであると論じた。
大谷先生の発表に対して東京大学大学院博士課程在学生・韓国出身の李垠庚さんは、韓国では「消極的安楽死」という言葉が使われることを紹介し、尊厳死が安楽死と区別され肯定的に取られてしまう可能性があるのではないかと問いかけた。大谷先生の答えは、死に関する自己決定は「科学的ヒューマニズム」とされており、日本でも道徳的行為とみなされていることに問題を感じると再度強調した。
当フォーラムの前半はこのように4人の講演者による発表と約定質問者による質疑であった。後半(夕食休憩の後)には、フロアからの質問を踏まえながら、「いのちの尊厳と宗教の役割」というテーマのパネルディスカッションが行われた。4人の講演者がパネリストとなり、名古屋市立大学准教授のランジャナ・ムコパディヤーヤが進行を務めた。フロアから様々な質問があった。いのちに関する教育は可能か、そのような教育をどのように行うべきか、文化によって死生観や「いのち」に対する考え方が異なるのに共通な生命倫理は可能か、個人主義を重視するキリスト教的・西洋的な「いのち」観は「無我」を説く仏教的考え方やアジアの文脈において適用しうるのか、宗教的文化的特徴を尊重しながら「いのち」の尊厳を訴えることは出来るのかというような質問があった。パネリストらによる回答がパネルディスカッションをさらに盛り上げ、フォーラムは大盛況であった。
フォーラムの写真は以下のURLをご覧ください。
http://www.aisf.or.jp/sgra/photos/
(文責:ランジャナ・ムコパディヤーヤ)
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2007.05.27
2007年5月27日(日)、秋葉原UDX南6階カンファランスにて、第27回SGRAフォーラム「アジアの外来種問題―ひとの生活との関わりを考えるー」が開催された。同会場でのSGRAフォーラム開催は初めてであり、生物学の分野での開催も初めてと、初めてづくしの記念すべき開催であった。また、ブラックバス問題に代表されるように、現在、熱く議論されている問題をテーマとして、今をときめく電脳空間アキバでフォーラムを行うという、その画期的な試みに、気分は否が応にも盛り上がった。
開演時間の午後2時半が近くなるにつれ、用意されていた椅子も徐々に人で埋められていき、会場はほぼ満席となった。
フォーラムは、多紀保彦教授(自然環境研究センター理事長、東京水産大学[現東京海洋大学]名誉教授)の講演「外来生物とどう付き合うか:アジアの淡水魚を中心に」で始まった。多紀教授はご自身がなじみの深い東南アジアの自然環境、魚、養殖、人々のくらしについて、個人的な体験も盛りこみ、ユーモアをまじえながら話してくださった。60年代から今日にかけて、東南アジアをときにきびしく、ときに暖かい目で見続けてきた多紀教授の見解は多くの示唆に富んでおり、魚を専門とされていながら、常に“初めに人間ありき”の視点で世界を見てきた教授ならではのものである。
次に講演を行ったのは加納光樹氏(自然環境研究センター研究員)である。氏は、「外来生物問題への取り組み:いま日本の水辺で起きていること」と題して、外来種をとりまく日本の現状についていくつかの例を用いてわかりやすく説明してくださった。外来種はけっして生物学だけの問題ではなく、文化や経済や政治的な利害も含めた、正に “社会”問題であることが氏の講演からひしひしと伝わってきた。氏のわかりやすい洗練されたプレゼンテーションによって外来種問題の深刻さ、一筋縄ではいかない難しさをはじめて理解した人も多かったのではないだろうか。氏は、「アジアの外来種問題」をテーマとしたフォーラムは初めての試みであり、今後このような場を増やすことが必要と強調された。
最後の講演者はSGRA研究員でもある私、プラチヤー・ムシカシントーン(タイ国立カセサート大学水産学部講師)の「インドシナの外来種問題:魚類を中心として、フィールドからの報告」であった。私は恩師の多紀教授が見守るなかでの講演であったこともあり、緊張しつつ、主に私自らの観察によるインドシナ地域での外来魚問題の現状について話した。講演の後半は最近調査を行ったミャンマーのインレ湖に関してのもので、インドシナの貴重な数少ない古代湖の一つであるインレ湖に現在多くの外来魚が定着しているという現状の報告であった。
コーヒーブレイクをはさみ、フォーラムの後半は講演者全員がパネリストとなり、今西淳子氏(SGRA代表、渥美国際交流奨学財団常務理事)を司会にむかえ、パネルディスカッションを行った。今西氏がパネルディスカッションの進行役を勤めるのも初めての試みであったが、客席との活発なやり取りが行われた。経済を専門にする参加者からの意見もあれば、工学専門の研究者からの意見もあった。いろいろな分野の方々の間での意見交換が行われたことも今回のフォーラムのよかった点ではないだろうか。本フォーラムが、参加者全員にとって、アジアの外来種問題を考えるきっかけになったとしたら、本フォーラムの目的は達せられたのではないかと思う。
(文責:P.ムシカシントーン)
当日、運営委員の足立憲彦さんとF.マキトさんが写した写真は、アルバムよりご覧いただけます。
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2007.04.25
2007年4月16日(月)午後2時から5時まで、フィリピンのアジア太平洋大学(UA&P)にてUA&P・SGRA日本研究ネットワークが主催する共有型成長セミナーが開催された。今年が5回めとなるこのセミナーの主な目的は、今回のテーマである「フィリピンにおけるマイクロクレジット(小額融資)と観光産業クラスター」に関する研究をスタートさせることであった。主催者は、このセミナーにおける議論を土台にして研究計画をまとめ、日本やその他の財団に研究助成を申請する予定である。
SGRAの今西代表が開会の挨拶をしてから、SGRA研究員のマキトは以上のようなセミナーの目的を説明して、UA&P・SGRAの共同研究として行った製造業経済特区の研究成果を、今度はマイクロクレジットと観光産業クラスターにどのように適応できるかという研究枠組みを提案した。この後、この特区研究のパートナーであるピーター・リー・ユ博士(UA&P経済学部長)はフィリピンの観光産業についてマクロレベルの概説をした。その次に、UA&Pの観光産業アナリストのスタン・パドヒノッグ教授が、観光産業をよりミクロのレベルで語った。フィリピンの海外からの観光者数は、タイなど他の東南アジア諸国に比べればまだ少ないが、出稼ぎフィリピン人が休暇に一時帰国するのを含めて、フィリピンの観光客は毎年増えている状況だと二人とも強調した。実はこの増加率が現地の開発業者では追いつけないほどであり、大手企業が海外のディベロッパーと手を組むケースも増えているようである。休憩を挟んでUA&Pのマイクロクレジットのアナリスト、ビエン・ニト教授が、フィリピンにおけるマイクロクレジットの現状について最近の研究報告を踏まえて説明した。地方の町づくりにも観光産業への繋がりが伺える。
このセミナーには、フィリピンの地方でマイクロクレジットを行うNPOの役員たちが参加しており、フリーディスカッションでは期待通りの活発な議論が行われた。早速、地方でも同様のセミナーを開催して、地方政府に働きかけをしたいという要望もあった。もう一つ印象的だったのは、研究者からもNPO役員からも、このマイクロクレジットと観光産業クラスターを結びつけた研究が、新しく、大変面白い発想だと評価されたことである。皆さんから、積極的にこの共同研究に参加協力する意思を表明していただいた。
セミナーの後、発表者は今西代表を囲んで、これからのこの共同研究を具体的にどのように行うか話合った。とりあえず、マキト研究員が、研究提案書のたたき台を作成して、UA&Pの研究者と共同で編集していくことで合意した。また、次回は同様のセミナーを観光地として開発が進む地方で開催するという暫定的な計画が立てられた。楽しみにしている。
マックス・マキト
(SGRA「グローバル化と日本の独自性」研究チームチーフ)
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2007.02.28
2007年2月17日(土)午後2時半より、東京国際フォーラムG棟610号室にて、SGRA「グロバール化と地球市民」研究チームが担当する第26回SGRAフォーラム「東アジアにおける日本思想史―私たちの出会いと将来」が開催された。この日は、ちょうど旧正月の除夜、日本でいう大晦日に当たるので、参加者を集めるのが大変だったが、42名が参加した。「日本思想史」がテーマのSGRAフォーラムは初めて。
フォーラムは、SGRA「グロバール化と地球市民」研究チームのメンバーである藍弘岳さん(東京大学大学院)の総合司会で始まった。SGRA研究会の今西代表による開会挨拶の後、日本思想史研究者である黒住真氏(東京大学総合文化研究科教授)が「日本思想史の<空白>を越えて」と題するゲスト・スピーチを行った。
黒住真氏は、まず「日本思想史」の定義を、「思想」、特に「倫理」思想史の角度から簡明に説明し、そして自分自身が精神医学・生命学から日本思想史、とくに日本思想史にある思想性・宗教性に関心を持つようになったきっかけを話した。さらに、黒住氏は自分の「日本思想史」との出会いについての紹介から、近代以来の「日本思想史」のあり方、近年の変化・傾向を話した。そこから、近代以来の、欧米中心主義的傾向と屈折した形でその裏がえしとなっている自国・自文化中心主義的傾向を紹介しつつ、そのような思想史の自国=東洋が実際は「空白」であることを説きつつ、それへの「問い」を発した。さらに、思想史研究の現場で活躍している中堅研究者の一員
として黒住氏は、1970年代ごろから20世紀末までの大きな思想史的背景・状況・問題の変化について分かり易く紹介した。これらの変化自体はいわば日本思想史研究としての現代日本思想(史)の言説そのものでもあろう。黒住氏は「空白」を克服するための多元性・複数性回復として思想史研究分野の70年代以来の変化を高度に評価しつつ、解体されすぎることによって生じた新たな「空白」にも注意深く注目した。さらに、黒住氏は、日本思想史における「空白」として「近代」において重要視されなかった日本独特の重要概念として「人間」「世間」「空気」などの概念を取り上げ、複数思想・宗教の習合としての日本思想の特徴を紹介した。同時に、黒住氏は、明治以後の倫理・道徳の国民国家化を倫理道徳の限界化=「空白」化として捉えた。最後に現在にだけでなく将来にもつながる日本思想史の可能性として、日本倫理思想史・宗教思想史と女性問題や環境問題、平和問題などとの対話の可能性を提示した。即ちそれは「空白」を乗り越えるための日本思想史の可能性でもある。
続いて、3名の方による研究報告が行われた。
最初に中国の東北師範大学歴史文化学院院長の韓東育氏が「東アジアにおける絡み合う思想史とその発見」という題の研究発表をした。韓氏は東京大学で学位を取得後帰国し、日本思想史・中国思想史を跨りながら研究してきた。今回は旧正月の休みを利用してわざわざフォーラムに参加するために来日したのである。韓氏は、自分と日本思想史の「出会い」を語るより、近代以来の「中国」と「日本思想史」との出会いについて語った。彼の紹介によれば、東アジアの思想史は本来相互に絡み合っているものであるが、近代まで中国側からはそれは無視されてきた。近年になって初めて、遅ればせながら、「発見」されたのである。そのような遅い「発見」はかつて「華夷秩
序」「朝貢システム」等によって形成された中国側の盲点によるものだと韓氏は指摘した。近代以降、東アジアの問題を解決する鍵は、表面的には、西ヨーロッパの「万国公法」「国民国家」等の原則にあったかのようであるが、しかし実際は、「盲点」=「縦=歴史」の問題を十分に解決しているとは言えない。開放的な視点でこのような「縦=歴史」の問題に直面し、「横=現実」の問題を適切に解決するようにと韓氏は東アジアの思想史の視点から説いた。そしてこのことは単なる地政の問題だけでなく、さらに、東アジアにおける絡み合う思想史の課題でもあると強調した。
次に中部大学人文学部助教授の趙寛子氏は、「『もののあわれ』を通じてみた『朝鮮』」という題の発表をした。趙氏は、中国への旅行をやめてわざわざ名古屋からフォーラムに参加してくれた。彼女は、最初は韓国現代文学を専攻したが、日本へ留学に来た初期に、本居宣長の思想を勉強した。現在、日韓のナショナリズムの研究などで活躍しているが、彼女が日本思想史を研究したきっかけは宣長とナショナリズム問題との関連に対する注目であった。宣長は、儒学を批判し、漢意によって汚れる以前の、古道における和(みやび、もののあわれ)を日本的なものとして提示していた。このような思想は、18世紀後半の町人・宣長が、日常の美的趣味として毎日、和歌を楽しんでいるなかで生まれた。ところが、似たような事情は前近代の朝鮮の文
化、芸術、文学にも見られる。宣長のように漢文を中心とする規範的な文化に抗し、「実情」(もののあわれ)を表現するような歌人の存在を、趙氏は朝鮮の文化・文学にも見出そうとした。美術や文学などの実例を挙げながら、同時代の朝鮮の平民文学・美術の多様性を紹介した。趙氏の発表は「儒教国としての朝鮮」という平面的な像を相対化しようとした試みである。
最後にSGRA研究員である林少陽氏が「越境の意味:私と日本思想史との出会いを手がかりに」という題目の発表をした。林氏は日本近代文学を専攻したが、かたわら中国の近代文学も研究してきた。彼自身の留学後における日本思想史との出会いを紹介し、そのような出会いによって、自分の研究分野にもたらした新しい可能性について紹介した。林氏の発表は主に批判的に近代的な人文社会科学の学的制度を捉え、そのような制度が西洋中心的と自国中心主義的なものを一体化する形でいろいろな知的可能性を閉鎖した、と紹介した。「近代」、近代的な「文学」「哲学」の概念を疑問視した発表でもある。
4人の講演と報告が終わった後、「グロバール化と地球市民」研究チームのメンバーである孫軍悦さん(東京大学大学院)が進行役を務め、パネルディスカッションが行われた。フロアからの質問に基づき活発な質疑応答が行われ、予定時間を20分ほどオーバーして、フォーラムは終了した。懇親会でも議論・交流が盛んであったことは印象的だった。
今回は、SGRA「グロバール化と地球市民」研究チームのチーフである高煕卓氏が急用で来られなかったが、高氏ははるばる韓国から色々な形で応援してくれた。若干準備時間が不足していたかもしれないし、タイミング的にも旧お正月のような時期と重なってしまった。今後これを避けるべきであろうが、ゲスト・スピーチの黒住真先生をはじめとする発表者の努力とSGRA研究会の今西代表や運営委員長の嶋津氏の強いサポートでフォーラムは無事に成功した。
「日本思想史」という、一見やや堅苦しいテーマであるが、黒住氏のゲスト・スビーチが残した「空白」を今後のフォーラムがいかに埋めてゆくべきなのか、大きな重みと可能性を感じている。いろいろなテーマそのものをSGRA「グロバール化と地球市民」研究チームに残してくれたような気がする。
(文責:SGRA「グロバール化と地球市民」研究チーム・サブチーフ 林少陽)
当日SGRA運営委員の足立憲彦さんと全振煥さんが写した写真は、ギャラリーをご覧ください。
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2006.11.05
秋の3連休、その最終日の11月5日、海のきれいな葉山で「親日・反日・克日:多様化する韓国の対日観」をテーマに、第6回日韓アジア未来フォーラムが開催された。日韓をひんぱんに往来しながら活躍する若手の研究者に、近代における韓国人の日本留学と人的ネットワークの形成、韓国における歴史認識/論争、「独島/竹島」と反日、韓流と日韓関係についての最近の研究成果を発表してもらい、その後、自由に意見交換を行うフォーラムであった。複雑な日韓関係における敏感なテーマだけに、今回のフォーラムは非公開で行われた。
韓国未来人力研究院の李鎮奎(イ・ジンギュ)院長と今西淳子SGRA代表による開会の挨拶に続き、4人の研究者による研究報告が行われた。まずSGRA研究員の金範洙(キン・ボンス)氏の研究発表は、朝鮮留学生運動の再評価の必要性や、これまで研究課題として残されていた朝鮮留学生の実体を解明し、また日本留学を媒介とする人的ネットワークの形成と朝鮮民族運動への関わりをより具体的に明らかにするものであった。中部大学の趙寛子(チョウ・クァンジャ)氏は、最近の韓国における歴史認識をめぐる党派的「思想戦」の淵源を体系的かつ歴史的に説明した。東京大学の玄大松(ヒョン・デソン)氏は、日韓両国において独島/竹島がいかに語られるのかについてつぶさに考察し、日韓の市民社会とマス・メディアが構築した「公共圏」、「言説空間」にみられる偏りを調整する必要性を力説した。最後の発表者として静岡県立大学の小針進氏は、韓流を日韓関係の文脈から捉え、韓流の経済効果ばかり強調したり国威発揚として強調したりすべきではないと指摘した。
2時間に及ぶ発表(お勉強の時間)が終わり、休憩を挟んで、韓国国民大学の南基正(ナム・キジョン)氏の進行でフリーディスカッションが行われた。熱のこもった討論ではあったが、案外研究報告や発言などをめぐる「攻撃的な」(aggressive)コメントや感想は寄せられなかった。日韓においては、対立や葛藤が浮沈するなかでも、草の根のレベルでの価値や認識の共有が着実に深まってきていることが確認できたフォーラムでもあった。
今回のフォーラムのタイトルに「親日・反日」の文字を入れたのは、日本と関わる多くの中国人、韓国人のためにも、この「図式」に正面から取り組むことこそ大事なことだという主催者側の意図があったからである。勿論、向かうべき方向性は「多様化」であると思われるが、日韓関係の専門家ではない大多数の人々にとって、「多様化」だけをだしてもインパクトが足りないように思ったからである。「同時に、この『図式』を一般の日本人も理解すべきです。日米関係では『親日』という言葉が文字通りに使われており、私も留学交流の仕事を始める前には、日中・日韓関係におけるこの言葉の意味を知りませんでした」と今西氏。
フォーラム終了後の懇親会では、すばらしい葉山の海産物やおいしいお酒を思う存分楽しむことができた。案の定、優雅な懇親会はまもなく「狂乱」の飲み会に変わってしまった。消費したアルコールの量に驚いたが、消費量を見込んで十分に用意した主催側の「配慮」には感動を覚えた。その晩の一気飲み、ラブ・シャット、次の日の二日酔いは当分の間忘れられないであろう。
酔いつぶれる前にどこかで次のような提案と合意がなされたような気がする。
「次回の日韓アジア未来フォーラムは延辺でしませんか」
「いいですよ」
(文責:金雄煕)
SGRA運営委員の足立さん、マキトさん、許雷さんが写した当日の写真のアルバムは、下記URLからご覧いただけます。
http://www.aisf.or.jp/sgra/photos/
尚、このフォーラムの講演録は、後日、SGRAレポートとして会員の皆様に送付いたします。
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2006.10.21
去る2006年10月21日(土)、北京大学生命科学学院報告庁にて、「北京大学日本言語文学科設立60周年記念シンポジウム特別企画」として、SGRAフォーラム in 北京『若者の未来と日本語』が盛大な雰囲気の中で開催されました。
中国で初めてのSGRAフォーラムでしたが、参加者は予想外に100名を越え、会場を熱気で包んでくれました。テーマが『若者の未来と日本語』だけあって、参加者のほとんどは、北京大学、北京語言大学、北京外国語大学など、北京市内の大学から来た学生でしたが、中でも北京語言大学の学部生がもっとも多かったのです。これは、たぶん本フォーラムが実用日本語を中心に翻訳通訳者の養成に力を入れている北京語言大学の学生のニーズに合ったからではないかと思われます。
フォーラムは、午後2時から5時までの予定でしたが、4人のパネリストの熱気に溢れるスピーチの後、フロアーの参加者との真摯なディスカッションが続き、時の経つのも忘れ、5時50分になってやっと惜しい気持ちで閉会を告げました。
総合司会の孫建軍先生(北京大学日本言語文化学部助教授、SGRA研究員)の開会の言葉がよいスタートとなり、引き続き、開会の挨拶として、今西淳子代表(SGRA代表、渥美国際交流奨学財団常務理事)が、素晴らしいデザインのパワーポイントでSGRAを紹介して、参加者の人気を集めました。その好調子に乗って、パネリストが登壇し、自己紹介お後、パネルディスカッションのための主題講演が、池崎美代子先生(JRP専務理事、SGRA会員)の「ビジネス日本語とは」から始まり、続いて武田 仁先生(富士通(中国)有限公司副董事長(兼)総経理)の「グローバル企業が求める人材」、張潤北先生(三井化学北京事務所所長代理)の「日本文化と通訳の仕事」、徐向東先生(キャストコンサルティング代表取締役、SGRA研究チーフ)の「『日本語』の壁を超える」といった順で行われました。最後にSGRA運営委員長の嶋津忠廣氏がフォーラムをまとめ、閉会の辞を述べました。
パネリストの主題講演には、それぞれ特徴があって、それに対するコメントとともに、フォーラムに異彩を放ってくれました。というのも、フォーラムのテーマ自体が「若者の未来」と「日本語」という二つの意味を含んでおり、パネリストの主張も主に「ビジネスマナー」としての「美しい日本語」と、「ビジネスセンス」として『日本語』の壁を越えた「中身のある言葉」の二つが議論のテーマになっていました。池崎先生と張先生の講演では、「美しい日本語」、「文化としての日本語」とつながるものが多く覗われ、武田先生と徐先生の講演では、「若者の未来」を提示した「企業が求める人材」についての内容が多く覗われたのです。
池崎先生は「ビジネス日本語」の特徴として「美しい日本語」を強調し、「ビジネスセンス」と「日本語能力」を外国人高度専門人材像の備えるべき大切な資質としてあげました。一方、武田先生は「企業の求める人材」像について「人格(職員の魂)、センス(マナー)、能力(目標評価)、個性(自分だけのもの)」といった総合的立場から概括し、それに続いて徐先生が「ビジネスキャリア、知識(母語のレベルも含めて)、創造性(チャレンジ精神)」を「企業の求める人材」像の条件として付け加えました。張先生は、文化的要素の重要性について生き生きとした翻訳の例を挙げて興味深く説明し、また、コミュニケーションにおける「文化」的要素を「企業の求める人材」の条件の一つとして強調しました。
閉会後、参加者に「どうでしたか」と聞いたら、「とても勉強になりました」「励まされました」「日本語の勉強の目標を見つけました」「日系企業や日本社会の求める人材像が分かりました」などなど、評判の声が多かったです。
残念なのは、参加者の中に北京大と北京語言大以外の学生が少なかったことです。もっと多くの大学に声かけて、日本語を無難に駆使できる大学高学年生や大学院生に来てもらえたらもっとよかったのに・・・。
本フォーラムは、急増している中国での日本語学習者のニーズに合わせて、日本語学習者を対象に、日本語教育の現状や日系企業を含む社会のニーズや先輩の経験談を紹介し、日本語を学ぶことによって広がる未来へのビジョンを提供することで、若者の期待に応えるためにはどのような教育が必要とされているか提案することを目標として開催されましたが、予想通りの成果を上げたと思います。なお、今回のように、SGRAフォーラムを世界中に広げていくことは、われわれのこれからの仕事ではないかとも思います。
文責:朴貞姫(北京語言大学助教授、SGRA研究員)
☆足立憲彦さんと石井慶子さんが撮ってくださった写真は、アルバム1とアルバム2から覧いただけます。
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2006.09.23
2006年9月23日(土)、秋分の日に相応しい天高く馬肥ゆる秋晴れ。運動会に没頭する子どもたちの情熱に負けじと、有楽町の東京国際フォーラムにて第25回SGRAフォーラムが開催された。テーマは「ITは教育を強化できるのか」という奥深さを感じるものだった。
総合司会のSGRA研究員ナポレオン氏(ヤマタケ研究所研究員)が開会を宣言し、SGRA代表の今西淳子氏から開会の挨拶があった。今西氏は、第9回SGRAフォーラムで「デジタルデバイド」について検討した時、IT化により先進国と途上国の格差が広がる懸念があるのではないかという問題意識で企画したが、むしろ後進国が追いつき追い越すのに非常に有効な手段であると感じたと述べた。また、近日下されたオーム真理教教祖麻原被告の死刑判決にヒントを得て、優秀な理系の研究者がどうして才能を誤ったところに使ってしまったのか、これは社会の情報化と関係あるのか、そもそも教育とは何なのか、ITは価値の教育に貢献できるのかという問題を提起した。このフォーラムでは、これらの疑問点を①技術の面、②人的な面の二つの側面から考えた。
フォーラムの前半では3人の講師を迎えご講演いただいた。特に、今回のテーマを考慮に入れ、それぞれの専門分野の中で、どのようにITが教育に生かされているのかについても検討していただいた。後半のパネルディスカッションはSGRA研究員の江蘇蘇氏(株式会社 東芝)の司会の下、3人の講師により熱い討論が行われた。
一人目の講演者である横浜国立大学教授の高橋冨士信氏は、「途上国へのE-learning技術支援とオープンソースソフトウェア教育強化~南太平洋大学におけるJICAプロジェクト活動を中心に」をテーマとして、日本と途上国においてのIT教育への取り組みの違いなどについて講演した。理工系離れが深刻化している日本と対照的に、途上国では理工系への関心が極めて強い。高橋氏はリーダーとして2年間にわたり南太平洋大学(USP)のIT強化プログラムを遂行したが、この間にインド系学生が多いUSPでは情報系学科への志望者数が3倍になった。ハングリー精神をもって最先端の仕事に従事していこうとする途上国の学生と対照的に、ITが空気のようになっている日本においてはかえって学生の学習意欲が低いなど、教育効果に大きな相違が生じていると力説した。最後に、日本では若者を叱るだけではなく、団塊の世代も含めた「大人」がもっと途上国に出かけるべきで、他の文化を理解し分析した上で自国の長所や短所が初めて見えてくるし、そうすることが若者にも良い影響を与えるだろうと主張した。
次に、「伝え合うことで学ぶ『交流学習』と支援のあり方」について目白大学専任講師の藤谷哲氏が講演した。藤谷氏も高橋氏と同様、教師同士のコミュニケーション不足や新しいことへ挑戦する時の壁などの問題点が挙げられ、教師から学生に情報を十分に発信することができないと述べた。そして、「では、どんな学習活動ができたらよいと言えるのか?」という疑問を提起し、その答えを探るべく行ってきた二つの試み、①技術的な面から<ネットワークをツールとした技術者と子供たちの交流活動>と②人的な面から<国際交流・国際理解教育をテーマに教育実践>を紹介した。①では新しい科学技術の紹介ページや質問ページの開設、高校生によるプレゼンテーションなどを通して先端科学技術に関する発展的な学習・関心の深化を目指している。②では主に教師向け研修で国際教育・学校間交流学習の手法紹介、教員の招聘などを通して多国間での情報交換および国際理解教育実践を行っている。このようなプロジェクトにおいてはITを利用したネットワークの役割はますます大きくなっていると指摘した。
最後に、「Mobile-Learningが教育を変える?!」と題して台湾国立中央大学助教授の楊接期氏が講演した。楊氏の研究実例の一つに学生一人ひとりにレスポンスパッドを待たせ先生の質問に対し全員がレスポンスパッドを用いて回答するというものがある。先生はサーバーで管理された一人ひとりの答えを確認し、統計と比較することにより、生徒個々人の学習レベルや学習姿勢、モチベーションなどを把握でき、適切な指導ができるようになるというコンセプトである。また、学生同士でモバイル機器を用いたFace-to-face探求的な学習活動もあり、モバイル機器に搭載されているさまざまな植物や動物のデータベースを用い、自分たちが観察した生物について詳しく理解しレポートにまとめるという、「調べる・書く」練習がある。これらにより、先生が一方的に学生に教えるのではなく、学生自身が自ら学習をコントロールし積極的な姿勢を養うことができる。また、楊氏は「『成績がいい』と『子供が育つ』ということは必ずしも一対一の関係ではない」と唱え、モバイルテクノロジーを用いた英語学習実践例を挙げ、テストの成績はあがらなかったが、子供たちの英語を話す自信が倍増したことを示した。
10分の休憩を挟み、パネルディスカッションでは聴講者からの質問をもとに討論を広げた。
「IT化は子供たちにどういう影響を与えたのか」という問いかけに対して、楊氏は興味深いデータを示した。過去10年のコンピューターによる勉強成果統計によると、PCを持つことによって成績が下がった学生が過半数だという。一方で観察力および情報収集の力は向上した。賛否両論といったところだ。「人と接する機会を多く与えるために、小学校ではむしろパソコンを使わせないほうがよいのでは」という意見に対して、印象深かったのは「人と接する機会を多く与えるという意味では、『幼稚園児にテレビを見させないほうがよい』」に置き換えられるという藤谷氏の意見だ。肝心なのは「本当に必要なことは何か?それらをどのようにして見つけるのか?」ということで、いままでのBlack Box化した学習ではなく、目的は何か、それを達成するためには何が必要なのかという大枠をまず考える必要がある。高橋氏も同意見で、何かを習得するには①思索段階、②必要な材料(情報)を集めるという二段階のプロセスが必要で、思索段階ではIT技術は全く必要なく、想像力や経験などでオリジナリティを出す。それによりできた案に必要な材料をいかに集中力をもって集めるかという段階になるとIT技術は必要不可欠な道具となってくると指摘した。また、冒頭の「優秀な理系の大学院生がどうして才能を誤ったところに使ってしまったのか?」という問題提起に関連するが、米国と日本では理系の研究者に対しての見方に違いがある。米国ではいわゆる「ハッカー」の才能を見込んで、積極的に企業に取り込んでいっているのに対し、日本では「おたく」は暗いイメージを持ち重宝されない。こういった社会背景の中、世界有数のストレス国でもある日本では精神的におかしくなることも不可思議ではないといえるかもしれない。
いずれにせよ、ITは使い方次第で教育に役立つという結論になったのではないかと思う。「では、適切な使い方はどのようなものなのか」という次のステップの問題は、次回のフォーラムに残して、一時間半のパネルディスカッションを終えた。最後にSGRA運営委員長の嶋津忠廣氏がフォーラムをまとめ、閉会の辞を述べた。
(文責 江蘇蘇2006/10/05)
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2006.07.22
第24回SGRAフォーラムin軽井沢
「ごみ処理と国境を越える資源循環~私が分別したごみはどこへ行くの?~」
時は平成18年7月22日、日本全国で大雨が降り続く中、軽井沢は晴れ!という日に鹿島建設軽井沢研修センター会議室にて、第24回SGRA(関口グローバル研究会)フォーラムが開催された。
総合司会のSGRA研究員全振煥氏(鹿島技術研究所主任研究員)が開会を宣言し、SGRA代表の今西淳子氏から開会の挨拶があり、フォーラム開催の趣旨について説明があった。地球温暖化、異常気象、砂漠化、廃棄物処理等々、環境問題は、人類が地球規模でとりくむべき課題となった。その中で最も身近な問題であるごみ処理は正しく行われているかどうか、また、日本から中国を含むアジア諸国・地域への再生資源(廃棄資源)輸出が拡大しているが、国際間移動の現状はどうなっているのか。各国の法制度や施策の実情はどうなっているのか。何が問題か、今後どうすれば良いか、国際協調は可能か、等々検討するため、このフォーラムを開催することにした。ごみという身近な問題から一緒に考えたい。
フォーラムの前半では4人の講師を迎え、それぞれ専門分野について講演を頂いた。また後半のパネルディスカッションでは、4人の講師を含み、5人の先生により熱い討論が行われた。
最初に、「廃棄資源の国際間移動の現状と今後:アジアを中心として」を題とし、エックス都市研究所取締役鈴木進一氏が、日本の廃棄物資源の循環利用の取り組みを紹介しながら、リサイクル資源の国際間の移動の背景や状況について詳細なデータを用いて紹介した。日本とアジア諸国との国際資源移動のイメージを模索し、さらに具体化的な対策について提案を行った。廃棄物資源の循環利用の取り組みに各国相互の理解や協力が不可欠だと結論づけ、地球市民を目指すSGRA会員にそれらの取り組みへの協力を要請した。
次に、「EUの再生資源とリサイクル:ドイツを中心として」を題とし、鹿島技術研究所上席研究員間宮尚氏から、自身の留学体験から、環境先進国であるドイツの廃棄物処理の政策、法律について紹介し、ごみ処理について日本とドイツの相違点を明らかにした。ドイツでは積極的にリサイクル行為にインセンティブを与えて、廃棄物のマネージメントを最優先に考える。また、廃棄物処理は税金ではなく、手数料を通して解決する手段をとっており、日本にとって、大いに参考になると力説した。
3番目の講演では、「アジアにおける家電リサイクル活動に関する調査報告」を題とし、SGRA研究員の李海峰氏(北九州市立大学)が台湾、韓国、中国を中心としたアジア諸国における家電リサイクルの取り組みを紹介し、各国の家電リサイクル法の相違及び国際資源循環の背景及び問題点を指摘し、豊富な写真から中国における家電製品リサイクルの流れ、問題点を述べた。またアジア、特に中国における家電リサイクルの実践について、回収ネットワークの整備、リサイクル費用の負担及び適正処理技術の開発等に多くの問題が存在していることを明らかにした。
最後に、「廃棄物問題と都市の貧困:マニラ貧困層のコミュニティ資源の活用」を題とし、東京大学総合文化研究科教授の中西徹氏が、「幸せとは何か」の問いから貧困が環境にもたらす問題、また環境が貧困に与える影響を述べ、被害者として環境劣化が貧困を激化させるが、同時に、不法投棄など、環境問題への加害者となっている面もあり、環境保全と貧困緩和の両立を目指すための事例を提案した。また循環システムの構築をするために、コミュニティ資源を活用するのが先決で、コミュニティのネットワークにより、生ごみ回収の効率化や協力体制もできるのではないかと提案された。資源循環社会構築による貧困層の改善に期待したい。
夕食を挟んで、午後7:30時、4人の講師に埼玉大学教授外岡豊氏を交えて、パネルディスカッションが始まった。
まず、司会SGRA研究員の高偉俊氏(北九州市立大学助教授)が、以下のように共通認識をまとめた。①ゴミは資源であると同時に、不純物や有害物等を含む混合物でもある。だから無害化と資源化という矛盾を同時に扱わなければならない。②資源循環が国境を越えていく。有価物、例えば、古紙等がすでに商業ベースに乗って国際間で売買されている。処理費用の削減を求めるために、先進国から途上国に安い処理場や工場を探し、ゴミが国境を越える。また、無責任な処分企業が有害物の最終処分を途上国に転嫁させる例もある。このような問題へは、個人レベル、国レベル、国際レベルで総合的に対処していかなければならない。ゴミ問題の決め手は、基本的にはわれわれ消費者であり、物を長く使っていくことが先決である。国レベルでは法整備を含め、経済性のある資源循環社会の構築に力を入れる必要がある。また、廃棄物資源の循環が国際化している以上、国家間の信頼関係、ビジネスとしてのWin-Win関係、そして先進国からの技術供与や支援が求められる。
パネルディスカッションでは、最初にパネリストで埼玉大学教授の外岡豊氏が4人の講師の講演に対し感想を述べ、その意義を総括した。共通して現場を深く理解し問題の解決に向けた意識を持った研究であり、このような試みが社会の新しい状況に対応した問題解決への基礎になる。地球全体が一つの生命体であるというラブロックのガイア仮説になぞれば、人類社会全体が一つの生命のようなものであり、この国境を越えたリサイクルとゴミ問題に対処するシステムを構築する試みは、社会が柔軟に対応できる能力をそなえ、人類社会に命を吹き込む重要な営みである。アジア各国のさまざまな違いを融合させて国境を越えた新しい解決策を打ち立てるためにSGRAの活動は重要な意義がある。
「自国のゴミは自国で処理すべきと思うか」との問いに対して、参加者の間では賛成40%に対して反対60%との結果が出た。原則としては自分が発生(製造)したものは自分で処理すべきではあるとしても、私にとってはゴミかもしれないが、別の人に対して資源になる場合もあり得るので、グローバルになった今日には国境を越えた廃棄資源移動を止めることができないとパネリストたちは共通的に認識している。しかし「途上国はゴミ箱ではない!」公害輸出等の悪いケースもあり、廃棄物資源の中に有害物も含まれるという現実から、製造者(生産者)責任でそれらの問題を真剣に取り込むべきであり、情報公開や処理技術供与等の基本モラルが必要であると指摘された。国際的な廃棄物資源循環モデルを構築するために、①排出側と受け入れ側での責任体制の確立;②双方のWin-Winとなるビジネスモデルの構築;③情報公開等による事業の透明性の確保;④国民の間の信頼関係の構築;⑤そして双方の協力体制の確立等を早急に取り込むことが必要だとパネルディスカッションは結ばれた。SGRA会員はこのような環境作りに大いに活躍することができるではないかと期待され、1時間半のパネルディスカッションに終止符を打った。最後にSGRA運営委員長の嶋津忠廣氏がフォーラムをまとめ、閉会の辞を述べた。
(文責:高偉俊)
マキト運営委員の写したSGRAフォーラムの写真は、ここをご覧ください。
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2006.04.18
SGRA「グローバル化と日本の独自性」研究チームチーフ
マックス・マキト
2006年4月18日(火)午後2時から5時まで、マニラ市にあるアジア太平洋大学(UA&P)のPLDTホールにて、UA&P・SGRA日本研究ネットワークの第4回セミナーが開催された。セミナーの主な目的はEADN(東アジア開発ネットワーク)やSGRAの支援を受けて行ったフィリピンの経済特区についての研究報告であった。経済特区管理局(PEZA)の積極的な支援をいただいて、予想を上回る71名の参加者があった。
まず、アジア太平洋大学のヴィリイェガス常任理事より開会挨拶があり、効率性だけではなく所得分配も重視する開発戦略、いわゆる共有型成長が必要であることが強調された。
研究報告は経済学部長のピーター・ユー教授が分析枠組みの説明をし、その後に、私が実証研究報告を行った。この研究は数年前から続けており、今年は対象期間と特区の範囲を拡大したが、以前の研究結果がこの拡大した研究でも立証された。つまり、雇用の安定性、現地調達の割合、日本経済との統合が高ければ高いほど輸出生産性が高まるという結果が得られたのである。要するに、私たちの研究結果が示しているのは、共有型成長を目指すことは経済特区の効率性に貢献するということである。
最後の報告として、トヨタ(フィリピン)産業関係部のジョセプ・ソッブルベガ部長より、トヨタ経済特区におけるクラスタ化の活動についての発表があった。クラスタ化は現地の中小企業の育成を目指す活動であり、私たちの研究で取り上げた現地調達との関係が深い。このような活動にトヨタが力を入れていることは大歓迎である。セミナーの後、ジョセプ氏は、私たちの研究を聞いて初めて彼の活動のマクロ的な意味を把握できたと言ってくれた。今後もお互いに連絡を取り合うことになった。
その後、会場からの意見を聞いた。UA&P・SGRA日本研究ネットワークの将来的な活動として、NGOとしての第三者の視点を持ちながら、企業と政府の間の話し合いの場が提供できればと思う。最後に、今西淳子SGRA代表が、閉会の挨拶の中で、日本とフィリピンの友好50周年記念の活動のひとつとして、このセミナーを開催できたことに対し関係者の皆さんに感謝の意を伝えた。
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2006.04.18
SGRA「宗教と現代社会」研究チームチーフ
名古屋市立大学大学院人間文化研究科助教授
ランジャナ・ムコパディヤーヤ
2006年5月14日(日)午後2時から5時半まで、第23回SGRAフォーラムが東京国際フォーラムにて開催された。今回のフォーラムは、今年新設されたSGRA「現代社会と宗教」研究チームの第1回目のフォーラムであった。近年、原理主義運動、宗教紛争などの宗教をめぐる様々な問題が世界各地で発生している一方、ニューエイジ運動やスピリチュアル・ケア活動の興隆にみられるように宗教に癒しを求めている人も少なくない。現代社会及び現代人をよく理解するために「宗教」に対する知識を高める必要があるのではないかという発想からSGRAの新しい研究チームが発足した。当然の関心として挙げられたのが、日本人にとって「宗教」とはどういうものでしょうかという問題だった。日本人は「無宗教」であるのか、「多宗教」であるのか。日本人の宗教観への理解を目指して、当フォーラムのテーマは「日本人と宗教」となった。
東京大学宗教学の島薗進教授が「日本人にとっての『宗教』と『宗教のようなもの』」というテーマの基調講演を行った。島薗家は代々医師であったが、なぜ島薗教授は医学を捨てて宗教学を選んだのかというところから日本人の宗教観について語りはじめた。島薗家は浄土宗であるが、お母様がカトリックに信仰したり、教授自身がプロテスタント系の幼稚園に通っていたり、また神道式の葬式に共感するなどのことがらが指し示すように日本人の宗教観念は包容的で多元的である。日本人は、同時に様々な宗教を信仰しながらも、なぜ「無宗教」だというのか。その説明として、島薗教授は「自然宗教」と「創唱宗教」の概念を紹介した。自然宗教とは、神道、ヒンドゥー教、道教など、創始者をもたない宗教である。創唱宗教は、キリスト教、イスラム教、仏教のように、創始者をもち、その教説に拠る宗教である。日本の民族宗教(神道)はアニミズムのようなものであり、それが日本人の宗教心の根底をなす。日本人の「無宗教」を課題とした著作として阿満利麿著『日本人はなぜ無宗教なのか』が紹介された。日本人の宗教に対する考え方が学問的に、そして一般的にも注目を浴びるきっかけになったのはオウム事件である。その後、日本の宗教状況に関する多数の図書が刊行された。例として橋本治著『宗教なんかこわくない!』、梅原猛、山折哲雄共著『宗教の自殺―日本人の新しい信仰を求めて』などの書籍が挙げられた。さらに、日本人の宗教観念を表すもう一つの概念は「道」である。神道や道教に「道」の文字が含まれているように日本人にとって宗教は「道」のようなものである。宗教学を研究する者には、茶道、華道などの芸道、剣道、弓道などの武道を学んでいる人が多い。最近は武士道がリバイバルであり、宮本武蔵を主人公とする漫画が大人気になっている。
続いて、日本で宗教研究に従事している4人の外国人研究者がどのような経緯で宗教・宗教学に関心をもつようになったのか、日本留学のきっかけ、とりわけ日本の宗教を研究することに至ったのかという内容の自己紹介を行った。國學院大學神道文化学部助教授のノルマン・ヘィヴンズ氏は、ベトナム戦争の時、アメリカの兵士として沖縄に来て、初めて異文化と触れる機会を得た。それが、日本の宗教や文化に関心をもつきっかけとなった。その後、神道をはじめ、日本の巡礼、とりわけ幕末時代の「お陰参り」、「ええじゃないか」などの日本宗教の諸相について研究をすすめてきた。名古屋市立大学大学院人間文化研究科助教授のランジャナ・ムコパディヤーヤ氏(SGRA研究員)が日本の仏教に関心をもったきっかけは、インドにおける原理主義問題であった。また、家族が信心深いの職業軍人であったことにも影響を受けた。様々な国・文化における宗教状況を比較考察する目的でムコパディヤーヤ氏が宗教学そして日本宗教の研究に着手した。来日以来、日本仏教の社会活動(「社会参加仏教」)に関する研究に取り組んできた。ミラ・ゾンターク氏(SGRA研究員)は、富坂キリスト教センター研究所において「宗教と教育」という研究を担当している。旧東ドイツに生まれ、19歳の時、ベルリンの壁が破壊し、社会主義体制が終焉に向った際、ゾンターク氏はキリスト教に関心をもちはじめた。また、美術、言語学そして柔道にも関心があったことから、大学で日本学を専攻することにした。最後に、京都のイスラム文化センター代表のセリム・ユジェル・ギュレチ氏(第2期渥美財団奨学生)が湾岸戦争の時、報道機関の人々にイスラムについて質問された際、日本人のイスラムに対する知識の浅さに驚き、日本でイスラムに関する知識を広げることを「天命」として受けとめた。その後、トルコ政府の支援による東京都渋谷区にモスクを建設し、現在は京都でイスラムセンターを設立して活動に励んでいる。
休憩を挟んで、フロアからの質問を踏まえながら、「日本人と宗教」というテーマのパネルディスカッションが行われた。4人の研究者はパネリストを、島薗教授はコーディネーターを務めてくださった。最初の質問者は、SGRA会員の玄承洙氏であった。韓国のキリスト教の家に生まれ、牧師を目指していた玄氏は、ある時期からその宗教に疑問を抱く一方、イスラムに関心をもつようになった。現在東京大学大学院博士課程でチェチェン紛争について研究している玄氏の質問は、「宗教は平和思想を生み出すと思われているが、実際は戦争や暴力の原因ではないでしょうか」というものだった。4人のパネリストがそれぞれの立場から回答した。人類の長い歴史のなか、宗教理念によって正当化された戦争や暴力の事例は少なくない。宗教の重要な役割は社会秩序を維持することであり、そのために権力者による暴力や戦争を正当化してしまう場合がある。近代以降、政教分離によって、戦争が政府側の権力として認められ、平和活動が宗教の領域になったのである。その後、宗教が精神的内面的なものであるのか、社会的なものであるのかということについて意見が交わされた。
次の質問は、今もっとも注目されている靖国問題に関連するものであった。戦没者の慰霊祭が宗教的行為であるか否かという質問だった。パネリストの答えは、日本の宗教文化においては追悼式や慰霊祭、つまり魂を祭ることが宗教的な行為として認識されている。そして、靖国神社は宗教施設であり、そこで行われる慰霊祭が宗教と無関係であるとはいい難い。続いて、「政教分離」がパネルディスカッションの話題となり、各パネリストが、それぞれの国における宗教と国家との関係をめぐる諸問題を日本の状況と対比しながら、政教分離の理念を賛否する意見を述べた。
宗教と自殺に関する質問もあった。日本人の自殺率が高いのは宗教と関係があるかという質問だった。その質問に対するパネリストの反応も様々であった。イスラムやキリスト教においては、自殺する人が地獄に落ちるという見方に対して、仏教では、死によってこの苦の世界から解放され浄土に生まれ変わることができるという考え方がある。ここでは、宗教によって「死」に対する考え方が異なっていることを窺うことができた。その関連でパネリストから宗教と道徳についての発言があった。人間の行為が(習慣としても)宗教によって規定されうるので、宗教が人々のモラル(道徳観)をどのように育むことができるのか、ということについて真剣に検討する必要がある。
最後に、貿易関係の仕事をしている会社員から「外国人に貴方の宗教は何かと聞かれたら迷ってしまうことがあるので、外国人に日本人の宗教についてどのように説明すれば良いでしょうか」という質問があった。パネリスト側の回答としては、日本で近代以降出現した「宗教」という言葉が、日本の多元的包容的な宗教状況を把握するために必ずしも適切な概念であるとはいえない。日本人の宗教観をより正確に表す概念を模索することは今後の課題であるということだった。この質問が求めていた回答はまさに本フォーラムの趣意であった。日本で長く生活し、日本宗教の研究に取り組んでいる外国人研究者たちは、日本の宗教をどう見ているのかという視点から当フォーラムが日本人の宗教観について理解の深めようとしたのである。
このフォーラムの様子は、「仏教タイムズ」第2217号(2006年5月18日)にも掲載されました。その記事と当日の写真は、ここをご覧ください。