SGRAイベントの報告

  • 2023.07.20

    娜荷芽「第71回SGRAフォーラム報告:20世紀前半、北東アジアに現れた『緑のウクライナ』という特別な空間」

    2023年6月10日(土)日本時間午後2時より第71回SGRAフォーラム「20世紀前半、北東アジアに現れた『緑のウクライナ』という特別な空間」が開催された。コロナ禍以降初めて、登壇者全員が会場の渥美財団ホールに対面で参加。また、長野大学の塚瀬進先生以外、全員が元渥美奨学生という特筆すべきプログラムとなった。   開催にあたり司会のマグダレナ・コウオジェイ先生(東洋英和女学院大学)より、様々な民族や文化を内包して20世紀前半の北東アジアに出現した「緑のウクライナ」と呼ばれた特別な空間をテーマに取り上げた趣旨説明があった。その後、講演と話題提供が行われた。   最初はオリガ・ホメンコ先生(オックスフォード大学日産研究所)の講演「『緑のウクライナ』という特別な空間」。ロシア帝国は中国とのネルチンスク条約、アイグン条約、北京条約により極東の大きな領土を手に入れ、1861年の農奴解放令発布後、当時ロシア帝国に付属していたウクライナの「過剰」人口問題に対する方策として「極東に家族ごと移住すれば、巨大な農地がもらえる」と宣伝した。その結果、1870年からロシア革命までの間に大勢のウクライナ人が土地と自由な生活を求めて移り住んだ。1918年1月にキーウで独立共和国の宣言が行われた時、極東のウクライナ人は「緑のウクライナ」という国を作ろうとしていた。1920年代になるとソ連から逃れた100万人のウクライナ人がハルビンなどに移り住み、1945年まで留まっていた。講演ではウクライナ人がコミュニティを築き、協力しあって多様な活動を展開していた歴史を紹介した。   次は塚瀬進先生(長野大学)による「マンチュリアにおける民族の交錯」。「マンチュリア」はどのように形成され、変容したのか。そこに暮らした人々はどのように近代を迎え、現在に至ったのかを各時代の地図を用いて15世紀~17世紀半ばを萌芽期、17世紀~19世紀半ばを形成期、19世紀半ば以降を変容期と捉え、1949年の中華人民共和国建国までの歴史を考察し、国史と地域史の両方のまなざしによる歴史理解を追究した。   続いて娜荷芽(内蒙古大学)が「中国東北地域における近代的な空間の形成:東北蒙旗師範学校を事例に」を報告した。20世紀前半の瀋陽に創設された東北蒙旗師範学校を事例に、中華民国成立後の1912~1930年代の軍閥混戦期に、内モンゴルの有識者たちが各地方政権と取引を行わざるを得なかったこと、モンゴル人を主体とする文化及び教育団体は相互に連携し活発な活動を行なっていたこと、さらに漢語の著作や雑誌を通して漢族の有識者たちに自分の立場を訴えていたことなどについて考察した。   最後のグロリア・ヤンユー先生(九州大学)の報告「『マンチュリア』に行こう!」は視覚資料、小説、紀行文などを用いて20世紀前半の「マンチュリア」の生活空間の多様性を描き出し、この多様性に富む「越境する現場」空間の視覚表象は、日本帝国の拡張によって取捨され、単一化されつつあったことを説明した。講演と話題提供の90分間はあっという間に終わった。   自由討論は司会者が進行役となり、発表者4名が相互にコメントしあったり、会場からの質問に答えたりする形で進行した。会場の劉傑先生(早稲田大学)からの近代空間及び鉄道についての問題提起は、特に深く考えさせられた。松島芳彦様(共同通信社)、松谷基和先生(東北学院大学)、大野正美様(ネムロニュース)からも発表者へのコメントや質問があり活発な議論が展開した。総括で語られた塚瀬先生の「こうした議論の方向性は地域の歴史的要因の認識につながる」という話は興味深かった。会場とオンラインで参加してくださった皆様にもあらためて感謝を申し上げたい。   私にとってはコロナ後4年ぶりの日本で、雨中の東京を楽しんだ。十数年前の留学時代にお世話になった東京大学教務課国際交流支援チームの坪山様にもお会いでき、週末で賑わう人々の明るい笑顔に元気づけられた。世界中の人々が平和の中で安心して暮らしていけますように!   当日の写真   アンケート集計   <娜荷芽 ナヒヤ Naheya> 2012年東京大学大学院地域文化研究科にて博士号取得。2011年度渥美奨学生。中国内蒙古大学蒙古学学院歴史系教授、研究分野は中国近現代史、近現代モンゴル史、日中関係史。著書『二十世紀三四十年代内蒙古東部地区文教発展史』内蒙古人民出版社、2018年。訳著『民俗学上所見之蒙古』(鳥居きみこ著)きなん大学出版社、2018年など。     2023年7月20日配信
  • 2023.05.25

    金雄煕「第21回日韓アジア未来フォーラム『新たな脅威・新たな安全保障』報告」

    長く続いたコロナ禍もようやく落ち着きはじめた2023年4月22日(土)、第21回日韓アジア未来フォーラムが渥美財団ホールにてハイブリッド・ウェビナー方式で開催された。2019年3月23日にソウルで第18回フォーラムが開催されて以来2回続けてオンライン開催だったが、今回は4年ぶりに日韓両国の研究者が顔を向き合わせて開催できるようになり、感無量の思いだ。   今回のテーマは「新たな脅威(エマージングリスク)・新たな安全保障(エマージングセキュリティ)―これからの政策への挑戦―」。多岐にわたり複雑に絡み合う新しい安全保障のパラダイムを的確に捉えるためには、より精緻で包括的な分析やアプローチが必要であるという問題意識から、韓国における「エマージングセキュリティ「新興安全保障」」研究と日本における「経済安全保障」研究を事例として取り上げ、今日の安全保障論と政策開発の新たな争点と課題について考察した。   テーマ設定に際して以下のいきさつがある。渥美国際交流財団・SGRAはアジアの主要都市を巡回してアジア未来会議を開催しており、昨年は第6回を台湾で開催した。そこでコロナパンデミックに代表される安全保障への新しい脅威と新たな国際協力について、ソウル大学の金湘培(キム・サンベ)教授(韓国国際政治学会会長=当時)が非常に挑戦的で印象的な講演を行った。それが契機となり、さらに議論を深めるために今回のフォーラムを開催する運びとなった。   「エマージングセキュリティ」は新たな安全保障及びその創発メカニズムを指す新しい概念であり、韓国の学界や政界の一部では「新興安全保障」と呼んでいる。一般に新しい概念は受容と変形、または外部の衝撃とそれに伴う内部の対応から生まれるものだろうが、それにはさらに複雑な事情が介入してくる。新しい概念は、切迫した必要性がない限り導入されない。こうしたためか今回のテーマ名を決める際にも「新興安全保障」概念をめぐって相当の議論を重ね、最終的には「エマージングセキュリティ」にした。   フォーラムでは、韓国未来人力研究院の徐載鎭(ソ・ジェジン)院長による開会の挨拶に続き、韓国と日本から2名の専門家による基調講演が行われた。金湘培教授は「エマージングセキュリティ」創発の条件、そのメカニズムとプロセス、そして複合地政学との連携性、エマージング平和構想の必要性についての問題提起を中心に基調報告を行った。東京大学の鈴木一人教授は新たな安全保障の最前線に位置する経済安保について、地経学的観点から昨今の経済安保脅威の本質と日本の先導的対応について講演した。お二人の講演は問題認識が非常に似ていながらも、一方は理論的アプローチ、もう一方は具体的かつ政策的議論という違いがあったが、韓国と日本のそれぞれの現実に立脚した興味深い議論を展開した。   基調講演に続き、4人の討論者からコメントがあった。まず「エマージングセキュリティ」論や経済安保論の観点から見て、韓日関係の現在をどう評価できるのか、また韓日関係の未来ビジョンはどのように設計すべきかについて国民大学の李元徳(イ・ウォンドク)教授のコメントがあった。次に複合地政学への対応としての日韓協力とその可能性について慶應義塾大学の西野純也教授がオンラインでコメントした。公州大学の林恩廷(イム・ウンジョン)副教授は、韓国と日本の共通した挑戦とエマージング平和に向けた日韓協力の可能性の観点から興味深い議論を展開した。最後に釜慶大学の金崇培(キム・スンベ)助教授は複雑化する「安保」概念について、国内および国際関係におけるリベラリズム的思考と実践が持つ意味、そして韓日が協力可能な「安保」とは何かについて問題提起を行った。   振り返ってみると、鈴木一人教授を基調講演者として招待し、日本の経済安全保障に向けた政策的対応について具体的な話を聞くことができたことは、フォーラムをより豊かで有意義にする決め手の一つだった。鈴木教授を招待するのにご尽力くださった渥美財団の渥美直紀理事長、船橋洋一評議員に深く感謝したい。そして当日に台湾から会場に直行する厳しい日程を快く受諾し、万が一に備えてオンライン講演のための30分の録画まで準備してくださった鈴木教授にも感謝の言葉を申し上げざるを得ない。   素晴らしい総括を務めてくださった平川均先生、会議のために苦労を惜しまなかった渥美国際交流財団スタッフの皆さん、同時通訳のイ・ヘリさん、アン・ヨンヒさん、発表資料の翻訳を担当してくださった尹在彦(ユン・ジェオン)さん、Q&Aを翻訳してくださったノ・ジュウンさん、そして最後にコロナ禍の中でもフォーラムが持続できるように後援を惜しまなかった今西淳子常務理事と李鎮奎(リ・ジンギュ)教授に心より感謝申し上げたい。   忘れてはいけないことがもう一つ。帰国日の日曜朝、一人のパスポートがないことに気づき、大騒ぎとなった。フォーラム終了後に銀座の飲食店で落としたのではないかと思われるが、探す時間も方法もなく、韓国大使館領事部に緊急連絡し、臨時パスポートを作っていただき、予定通りの帰国便に乗ることができた。一時はパニックになったが、スリル満点だった。遺失物届け出で日本の交番にも大変お世話になった。この場を借りて感謝申し上げたい。   写真アルバム   アンケート集計結果   <金雄熙(キム・ウンヒ)KIM_Woonghee> 仁荷大学国際通商学部教授、副学長。ソウル大学外交学科卒業。筑波大学大学院国際政治経済学研究科修士、博士号取得。仁荷大学国際通商学部専任講師、副教授、教授を経て2022年9月より副学長。最近は国際開発協力、地域貿易協定に興味をもっており、東アジアにおける地域協力と統合をめぐる日・米と中国の競争と協力について研究を進めている。1996年度渥美国際交流財団奨学生。     2023年5月25日配信
  • 2023.04.26

    マックス・マキト「第37回共有型成長セミナー『東アジアダイナミクス』報告」

    2023年4月10日(父の91歳の誕生日)、渥美国際交流財団関口グローバル研究会(AISF・SGRA)、フィリピン大学ロスバニョス校公共政策・開発大学院(UPLB・CPAf)、東北亞未来構想研究所(INAF)の共催で第37回持続可能な共有型成長セミナーが、初めて「ダブルハイブリッド方式」で開催されました。対面式⇔オンラインおよび英語⇔日本語(同時通訳なし)のハイブリッドです。この方式を試した目的は、従来は英語圏の参加者しかいなかったこのセミナーに、英語圏と日本語圏の参加者が一緒に参加する機会を増やせないか、ということでした。   今回のテーマは「東アジアダイナミックス」で、東北アジアと東南アジアの2つを合わせた地域を「東アジア」と定義しています。発表者や討論者は、両東アジア地域の出身者で構成されています。   この「東アジア」の定義は、世界銀行が1993年に発表した報告書『東アジアの奇跡』でも使われています。今回のメインテーマである「共有型成長」という言葉も、この報告書にちなんでいます。共有型成長とは、効率性と公平性のバランスが取れた開発のことです。ピケティの『21世紀の資本主義』、スティグリッツの『不平等の代償』、そして国連の持続可能な開発目標(SDGs)と、最近盛んになってきた公平性の議論に数十年先んじたという点で、この報告書は重要です。   『東アジアの奇跡』は、東アジアのダイナミクスを分析する上で重要な意味を持つ一方、それが出版される頃にちょうど出現しつつあった、重要な2つのダイナミックスを含んでいません。それが「国際的な地域化」と「地方分権化」の試みで、今回のテーマです。平川均先生(名古屋大学名誉教授)が前者を、私が後者を発表しました。平川先生は地域化を「地域主義、地域協力、制度化、経済統合を組み合わせた総合的な概念」と定義し、私は、地方分権化を「国家が政治的権限や財政的自治を委譲することによって、実質的にサブナショナル(自治体)に権限を与える国家内の現象」と定義して、報告しました。   平川先生は、東アジアの地域化について、日本的な視点がふんだんに盛り込まれた興味深い見解を示しています。東アジアの地域化の最初の試みは大東亜共栄圏であったが、結局、日本の敗戦によって失敗。赤松要の「雁行形態発展論」は日本の近代化をその歴史の中で捉えるもので、同時に国際化の視点がありました。そのため、戦時中の日本帝国のプロパガンダの一部とみなされたのですが、1980年代には、東アジア経済の統合を説明する戦略的に首尾一貫した装置として再評価され、ASEAN+3(東南アジア諸国連合+日本・中国・韓国)といった広域統合のテンプレートとさえ言えるようになりました。しかし、こうした地域統合の仕組みが機能するためには、ASEANの地域協力の発展が同時に重要であり、東アジアの発展は両者の試みが融合することで達成されたとの見解を示しました。そして、今日の東アジアで進められている地域統合を成功させるためには、「制度としてASEANの中心性が重要な役割を果たす」と、ASEANの重要性を強調しました。   次に私が、東アジアにおける1990年代以降の地方分権化の傾向について、世界銀行が2005年に発表した報告書を引用しました。地域化と地方分権化は国家が適切に権限を与え(弱すぎず強すぎず)、地域レベルと地方レベルの両方に有効性をもつ共通の原則が存在する場合、つまり、代替ではなく相互補完的関係になる時、社会の発展が達成されます。さらに、地方分権化は発展途上地域への日本の関与が共有型成長志向の下にODA-FDI-EXIM(援助・海外直接投資・輸出入)の三位一体という形で行われる時に有効性を発揮するとの経験的メカニズムを導き出しました。これは、伝統的な成長センターの外に成長ポールを新たに作ろうとする地方分権化の推進を補完する提案となります。   国際的な地域化が失敗する可能性についても考えました。私の所属するフィリピン大学ロスバニョス校で、ASEAN+3のアジェンダを推進する上で地方自治体が果たすべき重要な役割について、最近の研究を引用しました。その研究では、ASEANスマートシティネットワークのパイロット都市をエンジンとし、隣接する都市を同化させる中核主導型アプローチと、サブリージョン都市をそのエンジンとする周辺主導型アプローチを提案しています。また、第6回アジア未来会議で開催した円卓会議「東南アジアの視点から世界を考える」でも、関連する研究が発表されました。航空路線に代表される地域や国際的なネットワークの特徴は、共有型成長の原則に基づくものではなく、COVID-19のパンデミックで明らかになったように、ハブがウイルスの攻撃によって打撃を受けると全体が機能しなくなるという脆弱性を持っているというものです。   3人の討論者からは、非常に興味深い指摘があり、私たちの考えをさらに進めるために大変役立ちました。討論者がとりあげたのは地方分権化がもたらした自治体間の格差の拡大でした。地方分権化は、自治体の効率性を高める手段であり、その結果、能力の異なる自治体間の格差を拡大するからです。このような負の側面はありますが、むしろ地方分権化を積極的に進めて緊張関係の中で効率性を高めつつ、格差の拡大を緩和する政策的措置を追加していくことが望ましい政策の在り方ではないでしょうか。   参加者からも貴重なコメントを頂きました。日本語圏の参加者は期待したほどには集まらず残念でしたが、日本のコミュニティー活性化の活動をしている方が、静かにセミナーを最後まで聞いてくださったことが後で分かりました。日本語圏の人々にも発言していただくためには、もう少し工夫が必要かもしれませんが、せっかくですから匿名のコメントをそのままの形で共有させていただきます。セミナーのテーマと一致していますし、私も全く同感です。   ・・・・・・・・・・・・ 大変なご努力のセミナーですね。現在の世界の緊急で核心的な課題だと思います。マキトさんの狙いが、私に分からなかったので、各スピーカーの思考のコンセプトを理解することに集中していました。最後にその中の考えの違いやズレも、だいたい理解できました。全部聞いていたのです。私も発言しようと思いましたが、会議の狙いもあるでしょうから、混乱させてはいけないと自制しました。私は南アジアと米日韓を加えた諸国の共同を言う人たちは、軍事的な安全思考であって、自国のことしか考えていないと思っています。私は、世界は核戦争で自滅の危機にあると思っています。それは近代国家を良しとするこの200-300年の時代の終焉だと思います。科学技術振興と経済成長、グローバリズムという近代が終わったと思います。21世紀は、20世紀までの思考と構造を破棄して、新しい思考と社会構造を創らなければ、破滅するでしょう。それは近代国家を支えて来たがおとしめられてきた地方/地域を主役に、中央集権体制を打破すること、新しいコミュニティーが自立し、国境を超えてネットワークを創ること、核武装国支配の国際的枠組みを変革することだと思います。近代国家と称する国々の指導者は、自分たちの利害/安全のために離合集散し、最後は核戦争も辞さないでしょう。私はこう言う考えの持ち主ですから、発言すると混乱を招く恐れがあったわけです。ご理解ください。 ・・・・・・・・・・・・   今回のセミナーは、関口グローバル研究会(SGRA)と渥美財団のルーツを思い起こす機会でした。SGRAは、渥美財団の本拠地である東京都文京区「関口」と世界を結ぶというビジョンを持って結成されました。北東アジアの平川先生や李先生、東南アジアのコルテス先生やイドラス先生の親切で積極的なご協力は、その活動の努力と発展を証明しています。私たちは、究極的には2つの東アジアではなく、1つの東アジアなのです。   SGRAは「多様性の中の調和」という原則に基づき、「良き地球市民の促進」に貢献することをモットーとしています。今回のセミナーのダブルハイブリッド方式は、この方向への良い動きだと、私は心から思っています。私たちは異なる場所にいても、選んだ言語(今回は、英語または日本語)で自由に話しても、なおかつ良い友人でいられる関係を構築することができると思います。   当日のプログラム   当日の写真   アンケート集計     <フェルディナンド・マキト Ferdinand C. MAQUITO> SGRAフィリピン代表。SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学ロスバニョス校准教授。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、テンプル大学ジャパン講師、アジア太平洋大学CRC研究顧問を経て現職。       2023年4月27日配信
  • 2023.04.19

    李暉「第70回SGRAフォーラム『木造建築文化財の修復・保存について考える』報告」

    2023年2月18日(土)午後1時より第70回SGRAフォーラム「木造建築文化財の修復・保存について考える」を奈良県吉野郡吉野町の金峯山寺(きんぷせんじ)で開催した。国宝・金峯山寺二王門の保存修理工事現場をライブ中継で発信し、世界中のSGRA会員を始め市民も含めて議論の場を設けるというプロジェクトだ。SGRAと日本学術振興会科学研究費基盤研究(C)J190107009「日本と中国における大工道具の比較による東アジア木造建築技術史の基盤構築」(研究代表者:李暉、2014年渥美奨学生)の共催で、ライブ中継はSGRAでは初の試みだった。   金峰山修験本宗総本山金峯山寺の五條良知管長猊下のご挨拶でフォーラムの幕が開けた。小雨の中だったが、寺の沿革の説明や聖地でのフォーラム開催の意義を愛情込めて伝えていただいた。その後、奈良県文化財保存事務所の竹口泰生先生が二王門の保存修理現場を案内しながら、フォーラム後半で各国の先生方が討論するための話題を提供された。   ライブ中継は奈良県文化財保存事務所・金峯山寺出張所の方々にご協力いただき、二王門北の参道から始まった。外観を見た後で中へ入るというルートを取り、できる限り視聴者が臨場感を味わえるよう工夫した。竹口先生は事業全体の説明から始まり、解体修理に至った原因である地盤沈下の現状を紹介。保存修理にあたっての調査については、特に大工道具による加工痕跡について、初重の軒下にある組物を用いて詳細に説明された。中継の最後は素屋根の3階まで巡り、伐採した木材をいかだ穴付きのままで利用した部材を披露し、往時の建築造営と製材の関係を示す興味深い内容だった。1時間の現場案内は、あっという間に終わったが、普段にない近距離での観察で、多くの視聴者の好奇心を刺激したことだろう。貴重な現場の情報についてメモを取られた方々もたくさんいらしたようだ。   後半の討論は京都大学防災研究所の金玟淑氏(2007年渥美奨学生)の司会で進行した。韓国伝統建築修理技術振興財団の姜璿慧先生、中国文化遺産研究院の永昕群先生、京都工芸繊維大学のアレハンドロ・マルティネス先生が研究成果や経験に基づき、各国の伝統建築の保存修理事情を紹介し、二王門の保存修理を始めとする日本との相異についてコメントを頂いた。また、塩原フローニ・フリデリケ氏(BMW Japan、2008年渥美奨学生)からは市民を代表して文化財保存への理解を述べていただき、保存修理に携わっている専門家も多くのことを考えさせられた。   最後に視聴者の皆さんからの質問も受け、先生方にご回答いただいた。時間が限られており、すべてに回答することはできなかったが、視聴者と交流を図ることができたと思う。   3時間という長時間のフォーラムであったが、先生方は木造建築文化財保存への情熱があふれており、スクリーンを通して誠実で熱い討論が交わされた。その心は視聴者へも伝わったであろう。   常に工程に追われる保存修理現場にもかかわらず、多くの要望に応えていただいた竹口先生を始め、研究や調査業務で多忙な先生方へ心より感謝を申し上げたい。最後まで支援していただいたSGRAの存在の意義を改めて実感した。フォーラムには250余名が参加してくださった。皆さまに感謝するとともに少しでもお役立つことができたらと願うばかりである。木造建築文化財の修復・保存に限らず、専門家と市民のギャップはどの業界にもある。今回の試みを機に、多くの方がそのギャップを理解し、少しでも埋めていく意識を高めることができれば幸いである。   当日の写真   アンケート集計   <李暉(り・ほい)LI Hui> 2014年度渥美奨学生。2015年東京大学大学院博士(工学)取得。2014~2018年、奈良県文化財保存事務所仕様調査員として、薬師寺東塔(国宝・奈良県)の保存修理事業に携わった。2018年、奈良文化財研究所アソシエイトフェローとして、平城宮第一次大極殿院復原研究に従事。2023年、奈良女子大学 大和・紀伊半島学研究所古代学・聖地学研究センター協力研究員。専門は中国建築史。著書に、『建築の歴史・様式・社会』(共著、中央公論美術出版、2018)、『中国の建築装飾』(共訳、科学出版社東京、2021)、『中国古典庭園 園冶図解』(監訳、科学出版社東京、2023)など。     2023年4月20日配信  
  • 2023.01.08

    孫建軍「第16回SGRAチャイナフォーラム『モダンの衝撃とアジアの百年―異中同あり、通底・反転するグローバリゼーション―』報告」

    2022年11月19日(土)北京時間午後3時(日本時間午後4時)より第16回SGRAチャイナフォーラム「モダンの衝撃とアジアの百年――異中同あり、通底・反転するグローバリゼーション」が開催された。コロナが始まってから3度目のオンライン形式だ。2021年に引き続き、京都大学名誉教授の山室信一先生に2度目の登壇を依頼した。2年連続して同一の先生に講演を依頼するのはフォーラムが始まって以来初めてだった。   例年通り、開催にあたり、主催側の渥美財団今西淳子常務理事、後援の北京日本文化センター野田昭彦所長(公務のため、野口裕子副所長が代読)より冒頭の挨拶があった。前年同様、野田所長の挨拶にテーマに沿った問題提起があり、フォーラムのウォーミングアップともなった。   講演は定刻に始まり、山室先生は主に4部に分けて語った。まず議論の前提として「論的転回」と「2つのモダン」について触れ、本題に移行した。第2部は「時間論的転回――生活時間と時計時間そして国家時間」、第3部は「ジェンダー論的転回――服色と性差・性美そしてモダン美・野蛮美」、そして最後は「アメリカニズムとグローバリゼーション」であった。第2部から第4部までが、それぞれさらに3つの項目に細分されて、アジアにおける時間と空間の近代的成立の特徴と影響について分析が行なわれた。現代人として何とも思わない事物や思考などの裏側を解き明かす80分間はあっという間に終わった。   討論は澳門大学の林少陽先生によって進められた。中国で活躍している若手研究者、北京社会科学院の陳言先生と中国社会科学院外国文学研究所の高華鑫先生より講演へのコメントが述べられ、そのコメントや新たな質問に山室先生が答えた。林先生が総括で語られた「アジアの近代化において、空間は時間を変えた」という話は深く考えさせられた。   百年の歴史を80分間で語るのは至難の業。振り返ってみれば、前年のフォーラムが終わった時から準備が始まっていたと言っても過言ではない。より多くの参加者の理解を促すために、中国通の山室先生からは様々な話題提供があった。何回ものメールのやりとり、そしてオンラインでの打ち合わせの結果、今回のタイトルが決まった。先生の知識の幅広さと人間としての謙虚さに心を打たれる連続であった。前年同様、事前に原稿を書き上げ、たくさんの画像を用意してくださった。もし前回は満足のいかない点があったとしても、講演終了時の先生の満面な笑みを見て、今回のフォーラムでやり残されたことはないだろう確信した。宣言通りに時間厳守されたことも心から尊敬してやまない。   厳しいコロナ対策の中でも、前回、前々回と同様、北京大学内で少人数ながら学生を集めた会場を設ける予定だったが、キャンパス内の陽性者発覚に続き、北京市全体の感染拡大を受け一般教員の入校が制限され、北京大側は全員オンライン参加を余儀なくされた。   このリポートを書き始めたころ、中国は「ゼロコロナ」から全面的に「ウィズコロナ」に切り替わった。多くの学生が次々と感染したのを知り、深く心を痛めた。私自身も感染を免れなかった。高熱、咳、全身の痛みとだるさにさいなまれる中、フォーラムのタイトルにある「通底・反転する」の真髄を噛みしめた。   オンラインで参加してくださった370余名の方々にあらためて感謝する。2023年こそ対面で行いたい。 最後に、北京大学の院生から感想文が寄せられたので紹介する。   ◇山室教授は、近代世界史を「近代としてのモダン」と「現代としてのモダン」の2つの段階に創造的に区分し、その過程を時間や空間の感覚、身体の倫理など、私たちに最も関係の深い日常生活の劇的な変化を通して示してくださいました。メディア、アート、服飾などに関する多くの用語を網羅し、山室先生の知識の幅の広さに驚嘆させられました。近代化の過程における「文明国の標準主義」の問題をめぐって、これまでの自分はマクロな視点から理解しようとしていましたが、今回の講演を通じて、身体感覚というミクロの視点から理解することができました。山室教授は日常生活と密接に結びつけながら、欧米に対応する中で東アジア(とりわけ日本と中国)の互いの拮抗や啓発から生じた平準化、同類化、固有化といった壮大な物語をつづりました。その思考の深さには尊敬の念が堪えません。講演の最後に触れた近代化と「アメリカニズム」の問題についても、考え続けていきたいです。(劉釗希、修士課程1年)   ◇前回に続き、「近代」(モダン)というキーワードを見つめ直したご意見を伺うことができ、非常に勉強となりました。特にジェンダーの転換という部分で考えさせられました。その中、「モダンガール」や「新しい女」という言葉が示す視覚的表象に関して、洋装や断髪という現象に関する論述が興味深かったです。女性史・ジェンダー史の考察では、上記の現象を課題として取り上げ、近代の商業広告における女性表象を分析する研究が多く見られます。そのうち洋装と断髪といった女性表象は一種の消費者の理想像であり、商業販売のために作られたという論説があります。象徴としての洋装と断髪は「モダンガール」や「新しい女」という新しい語彙と深く絡み合い、商業社会の進展とともに、視覚・言語による女性像が作られたと考えます。こうしてみれば、あらためてジェンダー視点は「近代」を考察するために不可欠であると考えました。これを糧に今後の研究に励みたく存じます。本当にありがとうございました。(羅婷婷、博士課程3年)   当日の写真   アンケート集計   <孫建軍(そん・けんぐん)SUN Jianjun> 1990年北京国際関係学院卒業、1993年北京日本学研究センター修士課程修了、2003年国際基督教大学にてPh.D.取得。北京語言大学講師、国際日本文化研究センター講師を経て、北京大学外国語学院日本言語文化系副教授。専攻は近代日中語彙交流史。著書『近代日本語の起源―幕末明治初期につくられた新漢語』(早稲田大学出版部)。     2023年1月13日配信
  • 2022.12.19

    ヤン・ユー グロリア「第18回SGRAカフェ『韓日米の美術史を繋ぐ金秉騏画伯』報告」

    1916年平壌に生まれ、2022年3月1日に105歳で亡くなった金秉騏(キム・ビョンギ)という画家がいる。若い頃を東京で過ごし、1947年以降はソウルで教育者・評論家として活躍、1965年に米国に渡り、そして100歳(2016年)の時に韓国に戻り、絵を描き続けた。   人生とキャリアを、国境を超えて紡いだ異色な作家を美術史ではどのように語ることができるか。2022年10月29日(土)にオンラインで開かれた第18回SGRAカフェ「韓日米の美術史を繋ぐ金秉騏画伯」は、その試みの場だった。問題提起・討論・質疑応答の3部から構成された本カフェは、世界各地から76人が視聴し非常に充実した内容となった。   まず問題提起として、コウオジェイ・マグダレナ氏(東洋英和女学院大学国際社会学部国際コミュニケーション学科講師)が金画伯に出会った記憶と彼への取材、作品の受容と評価などを、朝鮮半島・日本・アメリカで過ごした金画伯の人生のエピソードとともに生き生きと紹介した。金画伯の力強く抽象的な絵を満喫した後、発表の後半では、コウオジェイ氏は画伯の生涯と芸術創作がいかに「国史としての美術史(national_art_history)」の枠組みに挑戦をもたらしたかを指摘し、その枠組みでは見落としてしまう難点と限界、そして新たな可能性について、次に登壇する韓国・日本・米国で活躍している3人の美術史学者に投げかけた。   コウオジェイ氏の問いを受け、討論者として朴慧聖氏(韓国国立現代美術館学芸員)、五十殿利治氏(筑波大学名誉教授)、山村みどり氏(ニューヨーク市立大学キングスボロー校准教授)が登壇した。   朴氏は金画伯の回顧展「金秉騏:感覚の分割」(韓国国立現代美術館、2014-2015)を始め、20世紀のダイナミックな韓国美術史を紹介し、その中で様々な証言と口述を提供した金画伯の重要な位置を示した。彼の生涯と芸術創作は、様々な境界の間に位置し、またその境界を超えようと努力したと分析した。   続いて五十殿氏は、金画伯も言及した日本「アヴァン・ガルド洋画研究所」を手かかりに、そのメンバーや機関誌、展覧会などを探り出し、金画伯の東京時代と同時代の日本のモダン美術の動向、そして上野の美術館や銀座・新宿の小画廊が対抗しながらそうした動向の舞台となっていたと紹介した。   最後に山村氏は、米国での出版物や展覧会を通し、米国におけるアジア系アメリカ人の美術史の全貌を説明した。具体的に数名のアーティストとその作品を取り上げ、「アジア系アメリカ人」という枠組みでひとからげに解釈することの制限、「アジア系アメリカ人」の多様性、民族性とアイデンティティーの複雑な絡みを示した。   質疑応答では、あらためて金画伯と韓国・日本・アメリカ美術史の交差点を討論し、「国史」の枠組みを超越する美術史の書き方、東アジア美術史における共通の議論、そして美術史研究の倫理などについて討論を深め、国境を越える美術史の新たな可能性を提示した。質疑応答の後、発表者と討論者は「ミニ・オンライン懇親会」を行い、各国の美術史研究の現場の近況報告や、将来の研究コラボなどで話が盛り上がった。   カフェ当日は晴れだった。実はこのカフェを企画し始めた頃はまだ金画伯がご健在で、ご本人にオンラインでご参加いただこうという案もあった。残念ながら叶わなかったが、今回のカフェは金画伯を偲ぶ会にもなったのではないかと思う。日韓同時通訳付きだったため、韓国からの参加者も多く、ご感想・ご意見もたくさんいただき、こうした形で交流が広がっていけばよいと思う。このような交流の「場」を作り、新たな試みをサポートしてくださった渥美国際交流財団の皆様、企画したコウオジェイ氏、積極的に討論を深めた先生方に、心から感謝を申し上げたい。司会として大変有意義な経験だった。今後、「国史」の枠組みを超えたつながりを重視する美術史(connecting_art_histories)」について新たな試みを続けたい。   当日の写真   アンケート集計   韓国語版はこちら   <ヤン、ユー グロリア Yang Yu Gloria) 2015年度渥美奨学生。2006年北京大学卒業。2018年コロンビア大学美術史博士号取得。東京大学東洋文化研究所訪問研究員を経て、九州大学人文科学研究院広人文学コース講師。近現代日本建築史・美術史を専門。
  • 2022.09.21

    第6回アジア未来会議「アジアを創る、未来へ繋ぐ―みんなの問題、みんなで解決」報告

    第6回アジア未来会議は2022年8月27日(土)~29日(月)、ハイブリッド形式で実現しました。本来は2021年8月に台北市で開催する予定でしたが、新型コロナウイルスの世界的な流行により1年延期し、その代わりに同年8月26日に1日限りの「プレカンファランス」をオンラインで開催しました。それから1年。東アジアではまだパンデミックの収束の目途が立たない状況ですが、台湾の中国文化大学をメイン会場とし、海外からはオンラインで参加というハイブリッド形式で、多くの人が参加できる会議を実施することができました。   総合テーマは「アジアを創る、未来へ繋ぐ―みんなの問題、みんなで解決」です。2020年1月のマニラ会議の閉会式で、共催の中国文化大学の徐興慶学長(当時)が台湾での開催を宣言。同年2月には渥美財団の担当チームが訪台して会場や宿泊施設、宴会場を視察し、中国文化大学で最初の準備会議を開催しました。当時もほとんどの人がマスクを着用していましたが、その後台湾と日本の往来が全くできなくなり、しかも2年半以上も続くとは誰も予想できませんでした。   今回のアジア未来会議は全員が一堂に集まることはできませんでしたが、最新のオンライン会議技術を駆使して3日間にわたって実施され、基調講演とシンポジウム、3つの円卓会議と179篇の研究論文発表を行い、広範な領域における課題に取り組む国際的かつ学際的な議論が繰り広げられました。今、アジアや世界は大きく変化しています。このような時だからこそ「みんなの問題、みんなで解決」の必要性が強調されました。   8月27日(土)は台北市の中国文化大学の会場とハイブリッド形式で実施。午前は12の分科会で英語、日本語、または中国語による45篇の論文発表が行われました。分科会はZoom会議のブレイクアウトルーム機能を使い、会場の座長や発表者もオンライン会議に参加しました。午後2時(台湾時間)、中国文化大学と東京の渥美国際交流財団をつないで開会式が始まりました。会場参加者は220名、Zoomウェビナーへの参加者は324名でした。最初に明石康大会会長が第6回アジア未来会議の開会を宣言しました。続いて渥美国際交流財団の渥美直紀理事長が主催者として、中国文化大学の王淑音学長が共催者としてあいさつし、日本台湾交流協会台北事務所の泉裕泰代表と中国文化大学傑出校友会の黄良華会長から祝辞をいただきました。   次は、前中華民国副総統の陳建仁博士による基調講演「国際感染症と台湾―新型コロナウイルスとの共存かゼロコロナか?」(中英、中日同時通訳)でした。感染症対策の第一人者だけにパワフルなお話で「台湾の100万人当たりの累計感染者は世界最少で、同死亡者もニュージーランドに次ぎ2番目に少なく、2020年のGDP成長率3%超を維持できたという『成功の主役』は台湾の人々である」と強調しました。   シンポジウム「パンデミックを乗り越える国際協力―新たな国際協力モデルの提言」(中英、中日、英日同時通訳)では、中国文化大学の徐興慶先生がモデレーターを務め、国立台湾大学の孫效智先生、ソウル大学の金湘培先生、台北市立聯合病院の黄勝堅前総院長、日本の国立国際医療研究センターの大曲貴夫先生、中国文化大学の陳維斌先生が会場やオンラインで登壇され、それぞれ哲学、国際政治学、医学、公衆衛生学、国際交流の視点から分析し、国際的な協力によっていかにパンデミックを「みんなの問題、みんなで解決」していくか検討しました。   8月28日(日)と29日(月)には、円卓会議と分科会(研究論文発表)を行いました。円卓会議I「あなたは大丈夫―アジアにおけるメンタルヘルス、トラウマ、疲労」と円卓会議II「コミュニティとグローバル資本主義―It’s a small world after all」(いずれも英語)では、パンデミックだけでなく、自然災害や戦争によって現れたコミュニティのさまざまな課題、さらにはそれが人々の精神、感情に与えた影響についてアジア各国から報告があり、いかに対応していくかを議論しました。また、一般社団法人東北亞未来構想研究所(INAF)主催の「台湾と東北アジア諸国との関係」(日本語)セッションでは、東北アジア地域協力の視点から台湾に照準を合わせて、各国との国際政治・経済・文化などの関係について多面的に検討しました。   円卓会議と併行して34の分科会(参加登録者308名)を開催し、英語と日本語の134篇の論文の口頭発表が行われました。世界各地から2名の座長と4名の発表者がZoomのブレイクアウトルームにオンラインで参加し、研究報告と聴講者を交えた活発な議論が展開されました。アジア未来会議は国際的かつ学際的なアプローチを目指しており、各セッションは使用言語と発表者が投稿時に選んだ「環境」「教育」「言語」などのトピックに基づいて調整されました。 第6回アジア未来会議のプログラム   分科会ではセッションごとに座長の推薦により優秀発表が選ばれました。 優秀発表賞受賞者リスト   会議に先立って学術委員会が優秀論文を選考しました。1年間の開催延期があったため、3年間の間に優秀論文の選考を2回実施しました。1回目の選考についてはプレカンファランス報告をご覧ください。2回目の選考は2021年8月31日までに発表要旨、2022年3月31日までにフルペーパーがオンライン投稿された133篇の論文を12のグループに分け、各グループを6名の審査員が以下の7つの指針に沿って審査しました。 (1)会議テーマ「アジアを創る、未来へ繋ぐ―みんなの問題、みんなで解決」との関連性、 (2) 構成と読みやすさ、 (3) まとまりと説得力、 (4)オリジナリティ、 (5) 国際性、 (6) 学際性、 (7) 総合的なおすすめ度。投稿規定に反するものはマイナス点をつけました。各審査員はグループの中の9~10本の論文から2本を推薦し、集計の結果、上位18本を優秀論文と決定しました。 第6回アジア未来会議優秀論文リスト   優秀論文集『アジアの未来へ-私の提案-Vol.6B』は2023年3月に出版予定です。   また、台湾実行委員会による台湾特別優秀論文も同じプロセスで選考されました。 台湾特別優秀論文リスト   分科会セッションの後の閉会式もオンラインで実施されました。本会議の短い報告のあと、優秀発表賞が発表されました。最後に次回2024年に開催される第7回アジア未来会議のお誘いが開催地のバンコク市から呼びかけられました。   コロナ禍の第6回アジア未来会議の開催経緯については、プレカンファランス報告もご参照ください。   第6回アジア未来会議「アジアを創る、未来へ繋ぐ―みんなの問題、みんなで解決」は、(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)主催、中国文化大学の共催、(公財)日本台湾交流協会の後援、国家科学及び技術委員会と(公財) 高橋産業経済研究財団の助成、台湾大学日本研究センターと台中科技大学日本研究センターの協力、そして日本と台湾の組織や個人の方々からご協賛をいただきました。 主催・協力・賛助者リスト   運営にあたっては、中国文化大学を中心に台湾実行委員会が組織され、基調講演とシンポジウムを企画実施してくださいました。また台湾特別優秀論文賞を設けて台湾在住の研究者を特別支援しました。アジア未来会議全般の運営は、元渥美奨学生の皆さんが、優秀賞の選考、セッションの座長、技術サポート、翻訳や通訳等、さまざまな業務を担当してくださいました。とりわけ、台湾出身の方々は台湾実行委員会メンバーとして諸調整や翻訳等をお手伝いくださいました。   論文を投稿・発表してくださった200名のみなさん、会場またはオンラインでお集りくださった基調講演・シンポジウム500名、分科会300名の参加者のみなさん、開催のためにご支援くださったみなさん、さまざまな面でボランティアで協力してくださったみなさんのおかげで、第6回アジア未来会議を成功裡に実施することができましたことを心より感謝申し上げます。   第7回アジア未来会議は、2024年8月9日(金)から13日(火)まで、チュラロンコーン大学文学部東洋言語学科日本語講座の共催で、タイ王国バンコク市で開催します。皆様のご支援、ご協力、そして何よりもご参加をお待ちしています。   第6回アジア未来会議の写真(ハイライト)   第6回アジア未来会議フィードバック集計   基調講演とシンポジウムのフィードバック集計   第7回アジア未来会議論文募集のチラシ   <今西淳子(いまにし・じゅんこ)Junko_Imanishi> 学習院大学文学部卒。コロンビア大学人文科学大学院修士。1994年の設立時より(公財)渥美国際交流財団に常務理事として関わる。留学生の経済的支援だけでなく国際的かつ学際的研究者ネットワークの構築を目指し、2000年に「関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)」を設立。2013年より隔年でアジア未来会議を開催し実行委員長を務める。     2022年9月22日配信    
  • 2022.09.15

    金キョンテ「第7回国史たちの対話『歴史大衆化と東アジアの歴史学』報告」

    「第7回日本・中国・韓国における国史たちの対話」は、2022年8月6日にオンラインで開催された。テーマは「『歴史大衆化』と東アジアの歴史学」だった。歴史大衆化と「パブリック・ヒストリー」は国籍や専攻分野を飛び越えて対話のできるテーマであり、実際に時間が不足するほど熱を帯びた議論が交わされた。   第1セッションは李恩民先生(桜美林大学)の司会で進められた。彭浩先生(大阪公立大学)による開催の趣旨に続き、韓成敏先生(高麗大学)の問題提起があった。2019年にフィリピンで開かれた「第4回国史たちの対話」以来、情熱的に参加し鋭いご意見を頂いている韓先生の問題提起は時宜を得たものだった。その題目は「『歴史の大衆化』について話しましょう」。韓先生は普段から同僚の学者たちと共に同テーマについて深く考えており、今回の問題提起はそういった議論をまとめたものでもあった。   韓国の事例を歴史学の危機と歴史学者の危機、そして現実的問題(歴史学科の存続と卒業生の就職)といった三つの部分に分けて紹介した。要するに、時代の変化に応じて歴史学も変わり対応すべきということだった。歴史学者による歴史への独占の時代が終わったことを認め、変化しなければならないということだ。   韓先生はその対応策の一つとして「パブリック・ヒストリー」を紹介した。この概念や手法はまだ日中韓の3カ国で理論として定着しているわけではないが、その取り組みは早ければ早いほど良いという。「歴史学が自らの存在意義を証明すべき時期」という提言も同時になされた。   これに対し、指定討論者の日中韓の研究者である中国の鄭潔西先生(温州大学)、日本の村和明先生(東京大学)、韓国の沈哲基先生(延世大学)たちは、慎重ながらも積極的に意見を提示した。各者から似てはいるが、それぞれ異なる考えを示していただいた点は興味深かった。国ごとに、例えば歴史家が譲ってはいけないことなどの「歴史学界の権威」や、これからの役割などについてある程度違いも見られた。特に中国の場合、大衆の歴史議論への参加が活発で、これを肯定的に捉える観点があるように思った。にもかかわらず、ニューメディアと共に非専門的な歴史家たちが大衆の求めるところに便乗する場面と、歴史学が職業として安定性を失っている現状(就職の困難さ)は共通しているようだった。これは世界的な問題なのか。「パブリック・ヒストリー」というオルタナティブを認め、そのためのスペースが用意されるべきという意見もあった。また、3カ国で共通して「パブリック・ヒストリー」の範囲を定め、概念を定義する必要性も呼びかけられた。   第2セッションは南基正先生(ソウル大学)の司会。まず劉傑先生(早稲田大学)の論点整理があった。歴史が政治と関わって、道具になってしまう場合に注意しなければならない点、一般の歴史家が克服すべき問題、歴史家が対応しきれていない問題について触れられた。   自由討論では次のような議論があった。歴史的経験から始まる活発な「大衆の歴史」の様子、メディアと急激に変化する世界という現状を指摘した毛立坤先生(南開大学)。国家が管理してきた歴史に対する挑戦は常にあったから、歴史の大衆化は必然的と指摘、人々皆が自ら歴史家になりたいというのがパブリック・ヒストリーの核心であり、むしろ、機会であり多様性を認め包容力を持つ態度が重要である。しかし、もちろん、度が過ぎた商業化、政治的介入、歴史修正主義などの「耐えられないこと」は拒否すべきであるという金ホ先生(ソウル大学)。また、塩出浩之先生(京都大学)や佐藤雄基先生(立教大学)は、前向きに大衆の歴史を受け止め、機会と捉えるべきで、大衆の歴史の効果性もあると指摘した。   比較的楽観的もしくは歴史学者の積極的な変化を促すこうした見解以外にも様々な意見があった。平山昇先生(神奈川大学)は、この現象が近代日本において歴史的に存在していた事実を思い出すべきということを強調した。村先生は危機と機会の両立には賛成だが、歴史専門家が専門家以外の人々と話を進められるかについては懐疑的な見解を示した。いわゆる疑似歴史学の最も大きな危険性は社会を分断させることで、例えば、「敵を作り出すこと」という指摘は重要だ。二つの食い違った議論ではなく、実際には歴史学者として似たような悩みを抱えつつ、やや違うオルタナティブを考えているように感じた。歴史大衆化は歴史学者の皆が考え抜く問題であり、はねのけて勝利するような種類の問題ではないと考える。   第3セッションは再び李恩民先生の司会で、三谷博先生(東京大学名誉教授)の総括及び趙珖先生(高麗大学名誉教授)の閉会挨拶で幕を閉じた。両先生ともに「若き」研究者たちの悩みに理解を示し、ねぎらいの言葉も頂いた。   今回の「対話」は肩の荷を少し下ろして、自由に話をしようというのがねらいの一つだっただろう。しかし、対話をしてみたら、同じ悩みを抱えている研究者らの話を伺って、嬉しい気持ちになる一方で、重荷を担わされた気がした。これからの歴史学者の役割はどうなるか。今回の対話で我々は「大衆」という用語を用いたが、大衆もひとくくりにして捉えてはいけないだろう。大衆の中には善悪が明確に分けられた感動的な歴史物語が好きな人、特定分野に関して専門の研究者よりマニアックな興味関心を持っている人、暗記中心の歴史教育により興味を失った人もいるだろう。もしくは自分が知っていた歴史は全て偽物だと、いわゆる歴史修正主義に傾く人もいるかもしれない。一人の歴史研究者が全ての大衆を満足させることはできないだろうが、このように多様な大衆の前で歴史専門家として果たすべき役割は確かにあると思う。   筆者は大衆向けの講演と学術会議の中間に位置付けられるような催し・イベントにたまに足を運ぶ。しかし、そうした催しが、面白くなく、感動的でもないという話を聞くことがある。歴史ドラマのような感動的な講演を求めていた方々だったのだ。最初は納得できないところもあったが、今はそうは思わないようにしている。時にそれらの方々の興味に合わせ面白い話をいくつか用意することもある。   最近は一つの職業にも多様な役割が求められているように感じる。これからは歴史研究者も良い学術論文を書く基本的な任務以外に、大衆が少なくとも間違った歴史に引き込まれないように方向を案内する役割を担わなければならないと思う。もちろん大衆が受け入れられる言語と形式で。面白くても間違った話であればそれを直すべきだろうし、歴史マニアが看過しがちな歴史的な洞察力を提示すべきだ。大衆向けの書籍や外国の良い書籍を翻訳する作業、多様なメディアを用い、正確な歴史を教えること等が具体的な方法になるだろう。そういった仕事を学者の役割ではないとして無視してはならないし、ひるんでもならないと思う。現代社会で大衆とのつながりは歴史研究者の義務だと思う。できること、すべきことは、しなければならない。化石のような学問に満足すると、そのような役割しか担うことができないだろう。   当日の写真   アンケート集計結果   ■ 金キョンテ(キム・キョンテ)KIM_Kyongtae 韓国浦項市生まれ。韓国史専攻。高麗大学韓国史学科博士課程中の2010年~2011年、東京大学大学院日本文化研究専攻(日本史学)外国人研究生。2014年高麗大学韓国史学科で博士号取得。韓国学中央研究院研究員、高麗大学人文力量強化事業団研究教授を経て、全南大学歴史敎育科助教授。戦争の破壊的な本性と戦争が荒らした土地にも必ず生まれ育つ平和の歴史に関心を持っている。主な著作:壬辰戦争期講和交渉研究(博士論文)、虚勢と妥協-壬辰倭乱をめぐる三国の協商-(東北亜歴史財団、2019)   (原文は韓国語、翻訳:尹在彦)     2022年9月15日配信
  • 2022.06.06

    金雄煕「第20回日韓アジア未来フォーラム『進撃のKカルチャー:新韓流現象とその影響力』報告」

      2022年5月14日(土)、新型コロナウイルスが「終盤」の猛威を振るう中、第20回日韓アジア未来フォーラムが前回同様Zoomウェビナー方式で開催された。これまで2回続けて日韓関係の「暗い」部分を扱ってきたが、今回は今西さんのご提案で「明るい」部分について議論することにし、「防弾少年団(BTS)」の文化力に焦点を当て「進撃のKカルチャー:新韓流現象とその影響力」について議論を交わした。日韓、そしてベトナムから専門家を招き、BTSの文化力の源泉をなすものは何か、BTS現象は日韓関係、地域協力、そしてグローバル化にどのようなインプリケーションをもつものなのかなどについて幅広い観点から検討した。   フォーラムでは、渥美国際交流財団SGRAの今西淳子(いまにし・じゅんこ)代表による開会の挨拶に続き、日本と韓国から2名の専門家による基調報告が行われた。まず、小針進(こはり・すすむ)静岡県立大学教授は「文化と政治・外交をめぐるモヤモヤする『眺め』」という題で、政治と文化を切り離せない葛藤、政治ニュースの韓国とInstagramの韓国のギャップへの葛藤、文化消費と政治的価値観・世代間の差への葛藤、魅了する文化と不安定な大統領の国に対する葛藤、反日・親日騒動と嫌韓助長への葛藤、政治的表明とその反発への葛藤、政治の文化への介入と「推し」の反日疑惑への葛藤、熱心なファン集団「ファンダム」のSNS投稿を素直に楽しめない葛藤、アーティスト批判の嫌韓論への葛藤、以前は日本が韓国の手本だったことに対する葛藤など、日本の大学生が経験している文化と政治をめぐる葛藤とモヤモヤする「眺め」の実体を様々な側面から生々しく描いた。   韓準(ハン・ジュン)延世大学教授は、「BTSのグローバルな魅力」について、外的環境的な要因と内的力量的な要因に分けて考察した研究結果を報告した。まず、外的、環境的な要因として、グローバル文化における中心―周辺関係の弱化又は解体、文化的趣向におけるヒエラルキーの弱化とオムニボア(雑食性)の登場、文化的価値としてのハイブリッドと真正性の結合、個人化したデジタル媒体によるマスメディアの代替を挙げた。そして内的、力量的な要因として音楽スタイルやパフォーマンス能力の卓越性、真正性とアイデンティティの結合を通じた共感の拡大、グローバルファンダムである「アーミー(BTS公式ファンクラブ)」の強力なサポートを指摘した。   第2部に入り、ミニ報告では、チュ・スワン・ザオ(Chu Xuan Giao)ベトナム社会科学院文化研究所上席研究員が、ベトナムにおけるKポップ・Jポップ、ベトナムからのKポップ・Jポップの現状を紹介し、文化資源としてのVポップの可能性について若干の考察を加えた。自由討論では、金賢旭(キム・ヒョンウク)国民大学教授が日本の伝統芸能の一分野である能との比較から、平田由紀江(ひらた・ゆきえ)日本女子大学教授がメディア・文化研究の観点からそれぞれコメントした。   第3部では、金崇培(キム・スンベ)国立釜慶大学准教授と金銀恵(キム・ウンヘ)釜山大学准教授のアシストでウェビナー画面の「Q&A 機能」を使って一般参加者との質疑応答が行われた。最後は、徐載鎭(ソ・ゼジン)未来人力研究院院長により、日韓アジア未来フォーラムの経緯や役割についての熱いコメントと閉会の辞で締めくくられた。今回は250を超える一般からの参加申し込みがあり、最多時の参加者が170人を上回った。静岡県立大学、仁荷大学から若い学生の参加も多かった。十分な質疑応答が行われたとは言い切れない部分もあるが、アンケートを通じて多くの参加者からフォーラムの感想などが寄せられた。「フォーラムは期待通りであった」(「大いに期待通り」56.6%、「だいたい期待通り」38.4%)と答えた人の割合が95%を占めており、「新韓流現象やモヤモヤの正体が分かった」との感想もあった。   今回は第20回という節目だったにもかかわらず、惜しくもコロナ禍で記念行事や日韓アジア未来フォーラムならではの「番外」はなかった。次回は20年を振り返りつつ、ぜひ「春鹿」と「爆弾酒」を飲みながらの会にしたいと思う。最後に第20回目のフォーラムが成功裏に終わるよう支援を惜しまなかった今西SGRA代表と李鎮奎未来人力研究院前理事長(咸鏡道知事)、そして前回同様ウェビナーの準備に万全を期し、完璧なフォーラムに仕上げてくれたスタッフの皆さんのご尽力に感謝の意を表したい。   当日の写真 アンケート集計 韓国語版はこちら   <金雄煕(キム・ウンヒ)KIM Woonghee> 89年ソウル大学外交学科卒業。94年筑波大学大学院国際政治経済学研究科修士、98年博士。博士論文「同意調達の浸透性ネットワークとしての政府諮問機関に関する研究」。99年より韓国電子通信研究員専任研究員。00年より韓国仁荷大学国際通商学部専任講師、06年より副教授、11年より教授。SGRA研究員。代表著作に、「日韓基本条約の意義と限界」『日本研究論叢』第43号、2016年;日本の自由で開かれたインド太平洋構想と包摂的競争のジレンマ」『日本研究論叢』第54号、2021年;『現代日本政治の理解』共著、韓国放送通信大学出版部、2022年。最近は国際開発協力、地域貿易協定に興味をもっており、東アジアにおける地域協力と統合をめぐる日・米と中国の競争と協力について研究を進めている。
  • 2022.04.05

    三宅綾「第17回SGRAカフェ『国境を超えたウクライナ人』報告」

      2022年3月21日20時から1時間半にわたり、第17回SGRAカフェ「国境を超えたウクライナ人」がZoomウェビナーで開催されました。今回のカフェは、奇しくもロシアによるウクライナ侵攻開始と同じ2月に発行されたばかりの『国境を超えたウクライナ人』(2022年、群像社)の著者であり、2004年度渥美奨学生でもあるオリガ・ホメンコさんを講師にお迎えして、著作からウクライナとウクライナ人の歴史、文化的背景まで幅広くお話しいただきました。オリガさんは風邪で体調がすぐれない状態でしたが、最後まで情熱をもってお話しくださいました。当日は以前からオリガさんと親交の深い群像社編集発行人の島田進矢さんにゲスト、中央大学教授の大川真先生にコーディネーターとして参加いただきました。   最初に司会の今西淳子SGRA代表よりオリガさんの渥美奨学生当時の懐かしい写真、最初の著作『ウクライナから愛をこめて』(2014年、群像社)の元となったメールマガジン「SGRAかわらばん」(毎週木曜日に日本語で配信)への長年にわたるウクライナに関する投稿や最新作の内容とともにオリガさんの紹介がありました。続いてオリガさん、島田さんから短いご挨拶をいただいた後、『国境を超えたウクライナ人』執筆の経緯や「国境」、「超える」がキーワードとなった経緯について対談していただきました。   オリガさんからはウクライナの歴史と文化、ウクライナ人の精神的背景について日本との関わりも交えてお話しいただきました。特にウクライナのたどってきた歴史や置かれてきた状況についての話は、日本ではほとんど知られていない事ばかりで、物事や状況を多方面から見て考えることの大切さと、与えられる情報だけではなく、自ら知ろうとする事の大切さを教えられるものでした。これまでの支配のトラウマを乗り越え、今まさに自分たちの事を語り始めようとしているウクライナの方々の気持ちがオリガさんを通じて切々と伝わってきました。   最後に大川先生が参加者からの質問やコメントを紹介し、オリガさん、島田さん、今西さんの4人でお話しいただきました。ウクライナでは自由な自己表現ができなかった時代から詩人と作家がウクライナの主張を伝える上で大きな役割を果たしてきたという説明がありましたが、その作品は必ずしもウクライナ語で表現されるものだけではないという指摘が印象的でした。自分たちの言語はもちろん大切にするべきものだが、それがアイデンティティの全てではなく、大切なのは意識であり、文化であるということ、ウクライナのアイデンティティは歌、刺繍、踊り、生活習慣、生活風土などいろいろなものを含むとても豊かなものであることを理解してもらいたいし、それを通じて自己表現していくことが大切であるというオリガさんの一貫した主張が心に響きました。そういう意味でも、オリガさんの著作はウクライナを理解するうえで素晴らしい案内役ではないでしょうか。そして、ただ心を痛めるだけではなく、自ら知ろうとすること、多面的に考えようとすることの大切さが分かっているようで分かっていなかったことに気づかされました。   カフェの参加者からは、ウェビナーを通じてオリガさんにお話しいただいた事への感謝とオリガさんの気持ちに寄り添おうとする温かい応援がたくさん寄せられました。厳しい状況の中、また体調が万全ではない中で、力強いメッセージを伝えてくださったオリガ・ホメンコさんに改めて感謝いたします。   当日の写真とオリガさん書籍の紹介   アンケート集計結果     <三宅綾(みやけ・あや)MIYAKE Aya> 東京都出身。博物館学修士(ジョージワシントン大学)、哲学修士(美術史系)(学習院大学)。独立行政法人 科学技術振興機構(JST)(現・国立研究開発法人 科学技術振興機構)勤務を経て2020年より渥美国際交流財団に勤務。     2022年4月7日配信