SGRAエッセイ

  • 2018.09.06

    李彦銘「第11回SGRAカフェ『日中台の微妙な三角関係』報告」

    7月28日(土)、台風の中で開催された今回のカフェは、テーマが「日中台の微妙な三角関係」であった。カフェの途中から大雨に見舞われ、中庭でのBBQを断念せざるをえなかったが、その分の時間を講演後の質疑応答に回すことができ、濃密な2時間を30人弱という参加者で共有できた。   講師を務めたのは、「辺境東アジア」アイデンティティという概念を考案された林泉忠先生(現在中央研究院近代史研究所副研究員)で、元渥美財団の奨学生でもあった。まず、今西淳子代表からSGRAカフェ開催の経緯の説明があった。卒業し各専門分野で活躍している奨学生と気楽にお互いの専門の話を、忌憚なく共有するというのが最初にカフェを開催した目的/きっかけとのことだった。   今回の講演のキーワードは「微妙な三角関係」であるが、その「微妙さ」、特に常に日台関係の懸念材料になる「中国要因」をよりよく理解するために、講師はまず歴史、つまり日清戦争の結果としての台湾植民地化から話を始めた。大陸から切り離された台湾島という地域では、大陸と異なるアイデンティティ形成・近代的国民国家(nation_state)を経験していたことが強調された。さらにその後の日中戦争とその結果としての国民党敗北・台湾入りも、大陸の共産党政権に対するイメージ形成、台湾内部の亀裂(本省人・外省人)につながっていったことなど、現在になっても、歴史は相変わらず中・台の異なる対日認識の根源であると言及した。その後は、戦後「日中関係」(日本と中華人民共和国および日本と中華民国)の形成や、日中国交正常化をきっかけに構築された「72年体制」、日中関係における「台湾問題」の歴史変遷を説明しつつ、中国政府が日台関係に常に多大な関心を払う主な要因をまとめた。つまり、中国政府にとっては、台湾はいまだに未統一の領土で、近代国家の建設にとって必要不可欠な一部であり、政権の正統性の中核にも関わる問題である。   そのうえで、近年の日台関係の主な動向とその懸念材料になる「中国要因」に話が移り変わり、日中台という三角関係のこれからが展望された。特に2013年以来は、日中関係の硬直化と同時に、日台の政治関係の強化が見受けられた。しかし中国政府は自国の実力増強と共に、一方でかつてほどない寛容な態度を示し、もう一方では注意深い警戒を示し、蔡英文政権により強硬な態度で圧力をかけ続けている。このようなアプローチは、台湾のさらなる日米接近をもたらすだろう。しかし中国政府と日米の政治的約束を破ることも決して簡単ではなく、この「微妙」な関係と複雑な駆け引きは今後も続くという結論にたどり着いた。   質疑応答では、もっぱら現実問題に集中していたが、なかでは例えば中国政府による国際社会での「台湾人いじめ」はいつまでなのかなど、専門的な質問というよりは一般人の生活感覚からの質問なども出てきた。このような感覚が生まれたことは、やはり、中国側の政策決定の基盤となる台湾社会への理解が十分ではないことをよく反映しているといえよう。また元外交官や、経済交流の実務家などオーディエンスからも自らの体験・展望が語られ、講師の議論を大変有機的に補完した。   その後は、BBQを楽しみながら講師と参加者の歓談がしばらく続いた。SGRAカフェの参加者の数は増えてきたが、多様な知見を気楽に忌憚なく共有するというモットーは、しっかり受け継いでいるようである。   当日の写真   英訳版はこちら   BBQの様子は下記リンクをご覧ください。 ◇趙秀一「真夏のBBQ」   <李彦銘(リ・イェンミン)LI_Yanming> 専門は国際政治、日中関係。北京大学国際関係学院を卒業してから来日し、慶應義塾大学法学研究科より修士号・博士号を取得。慶應義塾大学東アジア研究所現代中国研究センター研究員を経て、2017年より東京大学教養学部特任講師。     2018年9月5日配信
  • 2018.08.31

    第4回アジア未来会議報告

    2018年8月24日(金)~28日(火)、韓国ソウル市のThe_K-Hotelにおいて、21ヵ国から379名の登録参加者を得て、第4回アジア未来会議が開催されました。総合テーマは「平和、繁栄、そしてダイナミックな未来」。朝鮮戦争の後、韓国は絶え間ない努力と海外からの多大な援助によって「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げました。歴史的経験から、開発にともなう苦痛や悩みをよく理解している韓国のソウルで開催されたこの会議が、これからのアジアの「平和と繁栄、そしてダイナミックな未来」に寄与することを願って、広範な領域における課題に取り組み、基調講演とシンポジウム、招待講師による円卓会議、そして数多くの研究論文の発表が行われ、国際的かつ学際的な議論が繰り広げられました。   アジアだけでなく世界各地から参加者が到着予定の8月24日(金)は、韓国では6年ぶりという台風19号がソウルを直撃するという予報が早くからだされ、東南アジアからの便が数本キャンセルになりましたが、台風の進路は東に逸れ、殆どの参加者はこの日に会場までたどり着くことができました。   翌、8月25日(土)の午前中は2本の円卓会議と同時進行で10の分科会が行われました。円卓会議の概要は以下の通りです。   ◇円卓会議A「第3回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」(助成:東京倶楽部) この円卓会議では、東アジアの歴史和解を実現するとともに、国民同士の信頼を回復し、安定した協力関係を構築するためには歴史を乗り越えることが一つの課題であると捉え、日本の「日本史」、中国の「中国史」、韓国の「韓国史」を対話させる試みです。今回は5回シリーズの第3回めで、「17世紀東アジアの国際関係ー戦乱から安定へー」というテーマで議論が展開されました。さらに、最後のセッションでは、早稲田大学の「和解学の創成」プロジェクトの一環として、今までに行われた歴史対話の試みについて振り返りました。(日中韓同時通訳)   ◇円卓会議B「第2回東南アジア宗教間の対話」では、「寛容と和解-紛争解決と平和構築に向けた宗教の役割」をテーマに、対立や紛争の原因が政治経済的な課題であるにもかかわらず、宗教の対立としての様相を帯びることが数多くあるが、それは宗教が対立する民族や集団の基層文化のなかに深く根ざしているからにほかならないという問題意識により、ミャンマー、タイ、インドネシア、フィリピン、ベトナムの紛争解決、平和構築の経験及び研究をベースとして和解、平和構築に向けた宗教および宗教者の役割、そして「平和と和解」への途を探りました。(使用言語:英語)   昼食休憩の後、午後2時から開会式が始まり、明石康大会会長が第4回アジア未来会議の開会を宣言しました。共催の韓国未来人力研究院の李鎮奎理事長の歓迎の挨拶の後、長嶺安政在韓国日本大使より祝辞をいただきました。   引き続き、「AIと人間の心、そして未来」と題した基調講演およびシンポジウムが開催されました。慶熙サイバー大学の鄭智勲教授「AIの今、そして未来」、ソウル大学の金起顯教授「AIと人間の心」の2本の基調講演の後、共催の韓国社会科学協議会の朴賛郁会長の進行で、韓国政治学会の金義英会長、韓国社会学会の申光榮会長、大韓地理学会の李勇雨次期会長、国際開発協力学会の權赫周時期会長、韓国国際政治学会の金錫宇会長を討論者に迎え、AIが社会に与える影響を検討しました。(韓英同時通訳) 最後に、400人を超える参加者は、HONAというグループによる韓国伝統楽器を用いたジャズのコンサートを楽しみました。   第4回アジア未来会議のプログラム     その後、台風一過で快晴の屋上庭園で開かれたウェルカムパーティーは、ジャズ演奏を聴きながら夜遅くまで続きました。   8月26日(日)午前9時から、12の小会議室を使って、分科会が行われました。前日の午前中と合わせて、7グループセッション、6学生セッション、43一般セッションが行われ、224本の論文発表が行われました。アジア未来会議は国際的かつ学際的なアプローチを目指しており、各セッションは、発表者が投稿時に選んだ「平和」「幸福」「イノベーション」などのトピックに基づいて調整され、学術学会とは趣を異にした、多角的で活発な議論が展開されました。   一般セッションと学生セッションでは、各セッションごとに2名の座長の推薦により優秀発表賞が選ばれました。   優秀発表賞の受賞者リスト     優秀論文は学術委員会によって事前に選考されました。2017年8月31日までに発表要旨、2018年2月28日までにフルペーパーがオンライン投稿された137篇の論文を14グループに分け、ひとつのグループを4名の審査員が、(1)論文のテーマが会議のテーマ「平和、繁栄、そしてダイナミックな未来」と適合しているか、(2)わかりやすく説得力があるか、(3)独自性と革新性があるか、(4)国際性があるか、(5)学際性があるか、という指針に基づいて査読しました。各審査員は、グループの中の9~10本の論文から2本を推薦し、集計の結果、上位19本を優秀論文と決定しました。   優秀論文リスト   クロージングパーティーは、同日午後6時半からピアノの演奏で始まり、今西淳子AFC実行委員長の会議報告のあと、共催の韓国社会科学協議会の朴賛郁会長のご発声により乾杯をして会の成功を祝いました。宴もたけなわの頃、優秀賞の授賞式が行われました。授賞式では、優秀論文の著者19名が壇上に上がり、明石康大会委員長から賞状の授与がありました。続いて、優秀発表賞48名が表彰されました。   パーティーの終盤に、第5回アジア未来会議の概要の発表がありました。フィリピン大学ロスバニョス校総長自らの歓迎ビデオと、実行委員会からの挨拶、そしてフィリピンからの参加者全員が会場も巻き込んでフィリピン版カンナムスタイルを踊り、会場は大いに盛り上がりました。   8月27日(月)、参加者はそれぞれ、非武装地帯スタディツアー、ソウル伝統建築ツアー、ソウル市内観光、南漢山城スタディツアー、NANTA鑑賞などに参加しました。   第4回アジア未来会議「平和、繁栄、そしてダイナミックな未来」は、(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)主催、韓国社会科学協議会と(財)未来人力研究院の共催、文部科学省、在韓日本大使館、ソウルジャパンクラブの後援、(一社)東京倶楽部の助成、CISV_Korea、(公財)本庄国際奨学財団、Doalltec(株)、グローバルBIM(株)の協力、そして、POSCO建設(株)、HAEAHN_Architecture(株)、(株)NIスティール、中外製薬(株)、三菱商事(株)、東京海上ホールディングス(株)、コクヨ(株)、鹿島道路(株)、大興物産(株)、鹿島建物総合管理(株)、イースト不動産(株)、Kajima_Overseas_Asia_Pte(株)、鹿島建設(株)のご協賛をいただきました。   運営にあたっては、渥美フェローを中心に実行委員会、学術委員会が組織され、フォーラムの企画から、ホームページの維持管理、優秀賞の選考、当日の受付まであらゆる業務を担当しました。特に韓国出身の渥美フェローには翻訳やビザ招待状の手配から、当日の会議進行における雑務まで、多大なご協力をいただきました。   400名を超える参加者のみなさん、開催のためにご支援くださったみなさん、さまざまな面でボランティアでご協力くださったみなさんのおかげで、第4回アジア未来会議を成功裡に実施することができましたことを、心より感謝申し上げます。   アジア未来会議は、国際的かつ学際的なアプローチを基本として、グローバル化に伴う様々な問題を、科学技術の開発や経営分析だけでなく、環境、政治、教育、芸術、文化など、社会のあらゆる次元において多面的に検討する場を提供することを目指しています。SGRA会員だけでなく、日本に留学し現在世界各地の大学等で教鞭をとっている研究者、その学生、そして日本に興味のある若手・中堅の研究者が一堂に集まり、知識・情報・意見・文化等の交流・発表の場を提供するために、趣旨に賛同してくださる諸機関のご支援とご協力を得て開催するものです。   第5回アジア未来会議は、2020年1月9日(木)から13日(月)まで、フィリピンのマニラ市近郊で開催します。皆様のご支援、ご協力、そして何よりもご参加をお待ちしています。   第4回アジア未来会議の写真(ハイライト)   フェアウェルパーティーの時に映写した写真(動画)   第5回アジア未来会議チラシ   写真付き報告書 日本語 English   (文責:SGRA代表 今西淳子)     2018年8月31日配信
  • 2018.08.16

    エッセイ577:陳龑「台日動漫畫文化国際学術研討会感想」

    今回の「台日動漫畫文化国際学術研討会」はとても新鮮な体験でした。「動漫畫」とは、「動画」(アニメーション)と「漫画」(マンガ)の総称です。日本では、アニメーションとマンガの「合併」した名詞がないように、アニメーションとマンガは学問の世界でもそれぞれのシステムがあって、独自の学会があります。従って、今回の台湾で開催された「動漫畫文化国際学術研討会」のような両方とも取り扱うイベントは、日本では存在していないのです。また、初日に漫画家の弘兼憲史先生が基調講演をされ、シンポジウムには台湾でアニメーションを実際に制作している黄瀛洲先生も列席されました。これも日本では珍しい「局面」と言えます。日本の研究会では、原作者とクリエイターを学会に誘うことはほとんどなく、研究をする際にも、「作者と距離を置かなければ客観的な結論を出しにくい」という考え方が根強いです。確かに、小説、美術などの伝統文化の研究領域においては、分野の分類が細かく、年代が離れているから作者と接触できない場合が多いのです。   しかし、アニメーション研究は果して伝統文化と同様に研究すべきでしょうか。マンガは美術研究のシステムが活用できますが、アニメーションは映画に近いです。劇場版アニメーションと芸術性の高い短編アニメーションは映画理論の適用性が高いと言えますが、「アニメ」という言葉が成り立つ原因である日本独特のテレビシリーズはまた別格です。「製作委員会」制度を中心に行われた「工業生産」の流れの中、マンガ原作と原作を運営する伝統出版社の力が極めて強いため、アニメーション研究を語る際には(特に「アニメ」が対象になるとき)、マンガと繋いでみるべきだと容易に考えられます。とはいえ、日本ではマンガとアニメの境界がはっきりして、アニメーション学会とマンガ学会のメンバーが大分重なっているにもかかわらず、別々のシステムで議論を展開しています。無論、深くディスカッションをするため、各自のシステムが必要ですが、こういう「動漫」を一緒に考える場も必要ではないかと考えます。   「現場」の方を誘うもう一つの利点は、業界の「イマ(現状)」を把握できることです。研究者だけだと、アニメやマンガを語る時、具体的な作品、或いは、ある歴史段階のトレンドに注目する場合が多いです。映画学か映像学の視点から出発した作品論、美学の視点から出発した考察など興味深いですが、現場の方から見ると、必要とする研究方向はまだまだ「物足りない」状態です。今回実際に台湾アニメーションと一緒に成長してきた黄瀛洲先生のご発表によれば、台湾アニメーションの現状はとても深刻になっています。資金の面でも、クリエイターの育成の面でも、さらにその前に、台湾人自身のアニメーションに対する認識が「アニメーションは日本とアメリカのもので、なぜわざわざ台湾自身のアニメーションを作る必要があるのか」という考え方であり、台湾アニメーションを発展させようとする努力家が、(逆に)一般観客からもっと応援を得たい状態であるということは初耳でした。   これは一般的学会では接触できない現場の人しか感じない現実であり、研究するモチベーションが左右されるぐらい衝撃的でした。一方、大陸のほうは全く逆の状況で産業振興政策が多く出されており、アニメーション制作によって起業したスタートアップ会社も新作を絶えず世に送りだしています。なぜ上記のような考え方が台湾にあるのか、台湾アニメーションの発展史はあまり注目されないが、本当に1960年代までは空白だったのか、このままでは台湾アニメーションの未来はどうなるのか等々、この現実から様々な研究方向が考えられます。現場の方との接触は、研究者にとって貴重で重要なことだと深く感じました。   日本のアニメーションとマンガはこの10年「Cool_Japan」文化政策の要として重視されてきましたが、すでにその前から日本のアニメーションとマンガは一緒に中国大陸と台湾地域に輸出されていました。実際、中国大陸と台湾地域では、「アニメーション」と「マンガ」が一体視される場合がほとんどです。このような背景のもとで今回の「異色」な学会が開催されたのですが、今後もまたこのような場ができたら嬉しいです。   <陳龑(ちん・えん)Chen Yan> 北京生まれ。2010年北京大学ジャーナリズムとコミュニケーション学部卒業。大学1年生からブログで大学生活を描いたイラストエッセイを連載後、単著として出版し、人気を博して受賞多数。在学中、イラストレーター、モデル、ライター、コスプレイヤーとして活動し、卒業後の2010年に来日。2013年東京大学大学院総合文化研究科にて修士号取得、現在同博士課程に在籍中。前日本学術振興会特別研究員(DC2)。研究の傍ら、2012~2014年の3年間、朝日新聞社国際本部中国語チームでコラムを執筆し、中国語圏向けに日本アニメ・マンガ文化に関する情報を発信。また、日中アニメーション交流史をテーマとしたドキュメンタリーシリーズを中国天津テレビ局とコラボして制作。現在、アニメ史研究者・マルチクリエーターとして各種中国メディアで活動しながら、日中合作コンテンツを求めている中国企業の顧問を務めている。     2018年8月16日配信
  • 2018.08.16

    張桂娥「第8回日台アジア未来フォーラム『グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性』報告<その3>」

    張桂娥「第8回日台アジア未来フォーラム報告<その1>」 張桂娥「第8回日台アジア未来フォーラム報告<その2>」   5月26日早朝から幕を開けた第8回日台アジア未来フォーラムは、5本の特別講演会及び1本のパネルディスカッションという企画プログラムに続き、2度目のティータイムを挟んで、午後2時20分からいよいよ最終選考に合格した応募論文の発表セッションに移った。16本の応募論文に加えて、台湾、ノルウェー出身の学者による招待発表論文2本も含み、2つのセッションをそれぞれ3会場で構成し、多角的な視点から深い議論が展開された。   日本語セッションのA1会場では、静宜大学日本語文学科副教授兼学科李偉煌主任の司会・進行のもとで、翻訳と異文化コミュニケーション能力を活かす言語学・表現論からACG文化の伝播にみる変容・変化にアプローチした。台湾大学言語学大学院呂佳蓉助理教授による「ACG文化による言語の伝播と受容」では、事例研究を踏まえて、サブカルチャーからの借用語を通して日本語から中国語への影響の一端を明らかにした。「文字の違いに見るマンガ翻訳の不可能性」という題で発表された京都精華大学専任講師住田哲郎先生は、起点言語である日本語と目標言語との文字の違いに着目し、翻訳の不可能性について考察を行うとともに、日本語教育分野への応用についても論じた。一橋大学社会学研究科所属のソンヤ・デール(Sonja_DALE)先生は、制作手法に焦点を当て、「2Dのような3D―日本のアニメ業界におけるCG業界へのシフト―」について考察した上、アニメーターの働き方とアニメーションの制作へのシフトの兆しがみられると結論付けた。   後続の日本語セッションのA2会場では、招待発表者の大役を果たしたソンヤ・デール先生の司会・進行のもとで、台湾の若者世代に絶大な人気を誇るマンガ・アニメ作品の魅力をマンガ・アニメのメディアミックス化・マルチユース化の視点からアプローチした3本の論文発表が順調に進められた。文藻外語大学日本語文系小高裕次先生は、「ライトノベルのアニメ化に際する諸要素の増減について―『涼宮ハルヒの憂鬱』を例に―」という論題で、ライトノベルの線状性とアニメの多重性および音声の有標性がアニメ化の際の諸要素の増減に大きくかかわっているという結論を得たという。 「漫画『ONEPIECE』の組織論 海賊団「麦わらの一味」の性格」について論じた政治大学日本語文学科永井隆之助理教授は、相互の信頼関係に基づく対等かつフラットな組織と位置づけられている「麦わらの一味」の組織の在り方は、対等な人格に基づく友情を結合の紐帯とする、理想の君臣関係と想定できると指摘した。本セッションを締めくくる最後の論文発表「日本のマンガにみるプロフェッショナルの態度と行動特性-料理マンガを中心に-」では、東呉大学日本語文学科林蔚榕助理教授が、料理マンガのストーリーを3つの類型に分類し、ストーリーの展開パターンによって引き出されるプロフェッショナルの特質について論究した。   B1会場では、輔仁大学日本語文学科楊錦昌教授の司会・進行のもとで、主に中華文化圏で注目されてきたマンガ・アニメ文化の特殊な事情・背景及び展開について議論した。まずは、高雄科技大学文化創意産業学科徐錦成副教授による「野球とマンガの親和性―中華職業棒球大聯盟の二度にわたる野球マンガへの干渉を中心に―」であったが、台湾における野球漫画のブームは、プロ野球の最盛期でもある1990-1996にピークを迎え、それ以降下火になり、2014-2015年に少し回復の兆しが見えながらも一瞬で消えてしまう現状を振り返った。 「国境を超える連携―中国初期アニメーション史からみたイマドキのアニメーション生産トレンド」について考察した東京大学大学院総合文化研究科博士課程在学の陳龑氏は、中国初期アニメーションの生産が辿ってきた道を振り返り、現在のアニメーション界の現状を深く理解することで、アニメーション発展の突破口を探る必要があると主張した。一方、京都精華大学マンガ研究科博士課程在学の李岩楓氏は、「オノマトペ─日本マンガにおける図面表現及び中国マンガへの応用の可能性」というテーマで、描き文字・図面記号・図面表現・音喩などのキーワードを中心に、中国マンガにおけるオノマトペの応用現状・問題点を分析し、様々な可能性について言及した。   後続のB2会場では、台湾大学日本研究センター林立萍主任の司会・進行のもとで、マンガ・アニメと物語論、マンガ・アニメ文化と社会学の牽連性や日本語教育への活用など、マンガ・アニメ研究分野の幅広さによってさらなる可能性を示した。まずは、中国文化大学日本語学科沈美雪副教授による「日本のマンガ・アニメにおける「時間遡行」作品の構造分析―死と再生、ループ、選択を手掛かりに―」であるが、様々なアニメ作品を視野に入れ、時間遡行ものの構造や表象、メッセージ性を考察した。 続く世新大学日本語学科林曉淳助理教授は、「『高橋留美子劇場』から見る日本の家族像」を論題に据え、マンガという親しみやすい素材を通しての日本理解のひとつの試みとして、『高橋留美子劇場』に見る夫婦、父親、母親などの家族像を探った。最後の招待発表者である静宜大学日本語文学科李偉煌主任は、日本語教育者として長年にわたって日本のアニメを導入した授業活動の記録と照合した上、「日本のアニメを取り入れたランゲージエクスチェンジ授業の試み」について省察を加えた。年々変化する学生のモチベーションに合わせて新しい教授法を積極的に実施した成果を公開した。   新進気鋭の若手研究者が熱く語り合うC1会場では、台東大学大学院児童文学研究科游珮芸学科長を座長に迎え、マンガ・リテラシー形成の理論と実践、マンガ・アニメ作品にみる視覚芸術論・哲学論など、専門性の高い難しい内容の発表が行なわれた。識御者知識行銷創立者黄璽宇氏による「個人の存在と集団の存在―トマス・アクイナス思想から映画『聲の形』における生きづらさを論じる―」は、個人と集団の立場から「いじめる側」と「いじめられる側」の論理・心理の深層に迫り、哲学思想からのアプローチを試みた。 「デバイス変奏曲:縦スクロール漫画の原理と趨勢」について分析した中原大学教養教育センター周文鵬助理教授は、縦スクロール漫画の原理を生かし爆発的に普及した「韓国の漫画文化」に注目し、世界的に展開する可能性や直面する問題点などを指摘した上、慎重な意見を求めるよう呼びかけた。東呉大学中国語学科博士課程在学の田昊氏は、「浦沢直樹漫画芸術におけるフィルムセンスの創造力について」論証した。撮影術の視覚効果を模倣し、フィルムセンスのマンガ作りの極意を探ってきた浦沢直樹の作品を通じ、マンガという叙事芸術の潜在力や将来像を展望した。   同じく新進気鋭の若手研究者でにぎわうC2会場では、台大智活センター余曜成専門研究員を座長に迎え、多面的な切り口から、マンガ・アニメ作品に見られるコンテクスト・キャラクター設定の特徴などを紐解いた研究発表が展開された。まずは、華梵大学哲学学科所属の周惠玲助理教授は、「ストーリーマンガと児童文学の競合関係―『不思議の国のアリス』を元にしたマンガを例に―」において、マルチメディアの視点から異なるメディアの競合関係と競合の相互依存的関係を分析した上、「読書離れ」「活字離れ」で危ぶまれる児童文学の寿命が少しでも延ばされる可能性があると解明した。 東京大学東洋文化大学院客員研究員呉昀融氏は、「『NARUTO-ナルト-』から核武装論を再検討する」において、潜在的な核兵器能力を保持することや、核武装を行うかどうか意思決定権の行使について十分な議論を行うべきだと提言した。本セッション最後の発表者である政治大学中国語学科博士課程在学の詹宜穎様は、「混血の葛藤、その狂気と輝き―『東京喰種トーキョーグール』から見た混血種のアイデンティティーにおける調和と超越―」では、主人公である金木研の混血種というアイデンティティーの問題を鋭く問い直し、主人公が混血の葛藤と狂気を乗り越えて大きく成長したプロセスを明らかにした。   以上、第8回日台アジア未来フォーラム後半に組み込まれた、自由論題研究論文発表の各セッションのテーマとして、マンガの収集・保存と利用、翻訳と異文化コミュニケーション、マンガ・リテラシー形成の理論と実践、マンガ・アニメと物語論、視覚芸術論、映像論、マンガ・アニメのメディアミックス化・マルチユース化、マンガ・アニメ文化と経済学・社会学・心理学・哲学など、幅広いテーマ・議題の展開を魅せられた開催成果であった。   盛りだくさんのプログラムにもかかわらず、各会場の司会・進行役の適確な時間管理のもとで、予定通りに盛大な閉会式を迎えることができた。登壇した東呉大学図書館林聰敏館長より、参加されたすべての専門家・学者・研究者・協力者・スタッフに対して謝辞が述べられ、参加者全員が今回のフォーラムに参加したことで、東アジア諸国におけるマンガ・アニメ研究の現状と今後の発展についての理解を深めることができたことを今後のマンガ・アニメ研究に活かしたいとし、フォーラムは無事に閉会した。   【総括】   第8回日台アジア未来フォーラムでは、グローバル化したマンガ・アニメ研究のダイナミズムを、研究者・参加者たちの多様な立場と学際的なアプローチによって読み解いた上、新たな可能性を見いだすという目標を達成した。何より、将来有望な若い研究者たちに研究成果を発表する場を提供することにより、日台関係・日台交流、また東アジア地域内の相互交流のさらなる深まりへの理解促進に貢献したと考える。学生や一般参加者たちにも東アジアにおけるサブカルチャー文化の受容現状を理解してもらい、また異文化を越えた視野を抱き、国際交流のネットワークを築きあげてもらえるように、確固たるモチベーションを与えたと確信している。   さらに進んで、よりグローバル的視野から見ても、東アジア研究の広がりの一助となる「日台アジア未来フォーラム」により、歴史紛争・地域紛争が東アジアで激化するなか、異文化間の交流・対話による相互理解・文化の共感・共有を目指す国際日本学研究の最前線へ向けて、世界一日本が好きな国だといわれる台湾から発信(あるいは発進)するという重要な意義も持つと大いに期待できよう。   【懇親会】   同日夜、東呉大学市内キャンパスの近くにある台北ガーデンホテルの宴会会場にて懇親会が開催された。参加者60名を超える大盛況で、終始リラックスしたモードで中華グルメを堪能しながら歓談した。懇親会の冒頭に、弘兼憲史先生台湾特別ご講演の実現をかなえてくださった上、海外からわざわざ台湾まで足を運ばれ応援に駆けつけてくださったスペシャル・ゲスト大石修一様から、乾杯の音頭を頂戴した。司会を務めた陳姿菁先生(開南大学副教授)は、見事なトークで堂々と司会をこなした上、参加者たちの笑いを誘う抜群のユーモアのセンスで会場の雰囲気を一段と盛り上げた。   宴もたけなわ、中締めのご挨拶に、海外から駆けつけてくださったスペシャル・ゲスト曽我隆一郎様、小林栄様、石田さやか様一同より、励ましのお言葉を受け賜った。その後、第1回日台アジア未来フォーラムから応援し続けてくださる中鹿営造(股)の小野寺董事長さまより、心温まるお言葉を頂戴し、実に感無量であった。なかでも特記すべきなのは、懇親会場に駆けつけてくれた世界のラクーンメンバーは、なんと総勢11名の大所帯であったこと!!   最後に、フォーラムの企画者である私が皆様に感謝の言葉を申し上げ、来年の開催責任を藍弘岳先生にバトンタッチした後、2日間のプログラムは円満に終了した。最後に、ケミカルグラウト株式会社(日商良基注入営造)粟根総経理様による恒例の3本締めが行なわれ、盛会の内に懇親会は幕を閉じた。   <張 桂娥(ちょう・けいが)Chang_Kuei-E> 台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本語教育、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科副教授。授業と研究の傍ら、日本児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。     2018年8月16日配信
  • 2018.08.09

    張桂娥「第8回日台アジア未来フォーラム『グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性』報告<その2>」

    前日(5月25日)400名を越える観客でにぎわったフォーラム前夜祭【神級名師 弘兼憲史先生 特別講演会】の余韻に浸る間もなく、26日早朝8時半、第8回日台アジア未来フォーラムの開会式は東呉大学普仁堂大講堂で執り行われた。東呉大学董保城副学長と渥美国際交流財団今西淳子常務理事に続き、日本台湾交流協会台北事務所広報文化室の浅田雅子主任、台湾日本人会日台交流部会の高橋伸一部会長から開会のご挨拶をいただいた。   【午前の部】では、日本・韓国・中国から招致した研究者による3つの基調講演会に続き、フォーラムの主題である「グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性―コミュニケーションツールとして共有・共感する映像文化論から学際的なメディアコンテンツ学の構築に向けて―」をテーマに、6名のパネリストによるパネルディスカッションが約1時間にわたって開催された。昼食を挟んで1時半から開始した【午後の部】においては、台湾を代表するマンガ研究者2名による講演会がパラレルに進行した後、3会場に分かれて合計6セッションで18本の研究発表が行なわれた。総勢200名近くの方々に参加していただく盛会であった。   最初の基調講演は、北九州市漫画ミュージアム専門研究員の表智之先生が、日本における「研究者のネットワーク化とマンガ研究の進展-学会・地域・ミュージアム-」というテーマでお話しくださった。2001年に「日本マンガ学会」、2006年に「京都国際マンガミュージアム」、そして2012年に「北九州市漫画ミュージアム」が設立されたことに触れ、「マンガ学会は、多種多様な学術分野が合流する刺激的な場となった。また、マンガ研究に欠くべからざる基礎資料である雑誌や単行本をミュージアムという場に集積し、展覧会や講演会などの場でその学術的意義を広めてきた結果、マンガ資料を一種の文化財として保存する意義が社会に共有された。   現在では政府機関である文化庁をはじめ、福岡県北九州市や秋田県横手市などいくつかの地方自治体がマンガ資料の恒久的な保存活動を進めている」という現状を指摘した上、ここ20年ほどの間に日本で起きたマンガ研究環境の変化や、研究者と研究資料のネットワーク構築及び研究方法の進展について整理してくださった。その結果として得られた新たなマンガ研究の視座に基づき、地域の視点でマンガを考える意味について分析した上、膨大なマンガの「1次資料」を連携・分担して収集し保存するマンガミュージアムの役割及び資料ネットワークの構築、そして、日本を含む世界各国の評論家たちの研究成果の継承の重要性を強調した。   次の基調講演は、韓国で出版企画会社コミックポップ・エンターテインメント代表を務める傍ら、『韓国声優の初期歴史』など、韓国・日本でもマンガ関連研究の書籍・コラムの執筆、翻訳活動など精力的に携わっておられる宣政佑氏が「韓国ではアジア漫画をどう見てきたか(Asian_comics_in_Korea)」をテーマに、韓国におけるアジア漫画の受け入れの歴史を振り返ってくださった。 氏は、「アメリカンコミックス(スーパーヒーロー物・グラフィックノベル)、日本漫画(少年漫画・少女漫画・青年漫画)、BD(バンド・デシネ/bande_dessinee:主にフランス語で発表される、フランスとベルギー中心のヨーロッパ漫画)は勿論として、台湾・香港など中国系の漫画も多数翻訳出版」されている事実を踏まえた上、台湾文化の韓国への輸入の背景、特に人気のある台湾出身の漫画家蔡志忠、林政德、游素蘭、高永、周顕宗、陳某らの作品を詳しく紹介してくださった。さらに、ウェブトゥーン・電子書籍時代以後、韓国におけるアジア漫画受容の変化、特に増えつつある中国漫画の存在感についても興味深く語ってくださった。   3本目の基調講演は、日本近現代文学、日本大衆文化、東アジアマンガ・アニメーション史など、様々な分野において、膨大な研究業績を挙げられた中国北京外国語大学北京日本学研究センターの秦剛教授による「『白蛇伝』における『中国』表象と『東洋』幻想」であった。1958年10月に公開された東映動画制作の『白蛇伝』が戦後日本の最初の長編アニメーションであるが、なぜ中国の民間伝説を題材に選んだのか、またその歴史的なアニメーション作品において、どのような中国のイメージを表象しえたのかについて、細かい画面構成に注目しながら制作者側の真意を紐解いた秦剛教授は、『白蛇伝』のビジュアル的イメージの歴史的な連続性、および映画のナラティブに反映された植民地主義的意識の残影を浮き彫りにした。 「敗戦によって終焉した旧植民地支配時代へのノスタルジーを匂わせながら、植民地主義的な他者支配の再演という欲望が輸出商品としての『白蛇伝』制作の商業的な企図にも内在していた」と結んだ秦剛教授の結論に、かつて植民地支配の被害、搾取に虐げられていた台湾出身者として、「たしかにその通り」と頷かずにいられない共感を得た。   続くパネルディスカッションでは、渥美国際交流財団の今西淳子常務理事を司会に迎え、本フォーラムの主眼に据えている「グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性」というテーマをめぐって、台湾、日本、中国、そして韓国という多文化的視点から議論を掘り下げていった。   マンガ学会・マンガミュージアムの設立に積極的に関与・貢献してきた表智之先生は、(1)日本のマンガ研究は日本以外の研究成果に関心を持っているか、(2)日本以外の地域からの日本マンガ研究者の受け入れ態勢、(3)グローバルな視点からのマンガ研究の可能性について、グローバル化された日本マンガ学の視点から論じた上、「表現論をしっかりと踏まえてのグローバルな対話が、これからは求められていく」と力強く締めくくった。   宣政佑氏は、漫画・アニメの記事やコラムなどを書いてきたライターとして、また主に漫画・アニメ関連の日本の批評書や研究書を翻訳してきた翻訳家として、そして書籍などの国際契約の仲介や展示・各種事業の企画を行ってきた身として、その立場から「漫画・アニメ研究」というもの、グローバルな観点を持つ漫画・アニメ研究の必要性について論じ、たとえ限界はあるにしても、国際的な交流やシンポジウムには意味があるという考え方を示した。   鋭い批判精神で東アジアにおけるマンガ・アニメーション史を凝視してきた秦剛教授は、西遊記でもっとも話題性に富んだキャラクター鉄扇公主を主人公に仕上げた、中国初の長編アニメーション映画「西遊記 鉄扇公主の巻(原題:鉄扇公主)」の越境史に注目しながら、マンガ・アニメ研究の新地平への展望よりも、歴史あるアニメーションの芸術性とその文化的価値を回顧・再考することの重要性を力説した。記憶に葬られそうな過去の漫画・動画を今一度見直すことこそ、グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性を切り拓く決め手ではないかと訴えた。   台湾U-ACG発起人、旭メディアテクノロジー会社創立者としてマンガ・アニメの普及・発展の最前線をけん引する傍ら、清華大学でも非常勤講師として「御宅学」講座の開設に尽力してきた梁世佑先生は、台灣におけるACG(アニメ・コミック・ゲーム)の概念の移り変わりを振り返った上、グローバルなマンガ・アニメマーケティングの戦略的コンセプトが確立された時代において、台湾オリジナルマンガ・アニメ作品にどんな特色を持たせるべきか、どういった位置づけを狙うべきかについて論じた。パラダイス鎖国化・ガラパゴス化されていく傾向の強い日本業界と手を組んで需要が高まる中国市場に挑むべきだと提言した。   一方、台湾で初めてのアニメーション評論団体「Shuffle_Alliance」発起人で、東海大学に続き国立交通大学でも「御宅学」講座を創設して開講以来圧倒的人気を誇る講師であるJOJO先生こと黄瀛洲先生は、マンガ・アニメ研究者からマンガ・アニメ作品制作会社「石破天驚行銷(股)」CEOに転身した実体験に基づき、台湾におけるマンガ・アニメ関連イベントの企画開催の現状及び困難点について言及した上、台湾オリジナルマンガ・アニメ・ゲーム作品制作現場が直面する課題を展望した。   最後に登壇したパネリスト住田哲郎先生は、韓・台・日の3か国で日本語教育に携ってきた経験を活かし、言語研究者・日本語教師として、マンガ・アニメ研究の可能性について貴重な意見を述べられた。特に、「マンガ・アニメがいかに社会貢献を果たせるか(いかに有効活用できるのか)」という切実な課題に、日本語教育への活用、情報メディアとしての活用、マンガ学・アニメ学の確立と学校教育への活用といった3つの示唆に富んだ解決策を提示された。   パネリスト6名の発言がそれぞれ時間内におさまるよう、スムーズな進行を心がけられた司会者今西淳子常務理事の適宜な時間管理の下で、2本目の特別講演会の司会者邱若山教授の感想・問題提起を筆頭に活発な議論が交わされた。本フォーラムのメインテーマ「グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性」をめぐって、東アジア諸国の有識者を招いた約1時間にわたるパネルディスカッションは滞りなく終了した。   台湾グルメの名物弁当が振る舞われたランチタイムを挟んで、午後1時半からは、台湾の大学に大フィーバーを巻き起こした「御宅学」講座開設のパイオニア、梁世佑先生と黄瀛洲先生の両氏による特別講演会であった。プログラム時間の制限でパラレル進行形式を余儀なくされるため、台湾「オタク学・オタク研究」史上最高のゴージャスな競演といわれるほど、本フォーラムでも注目度の高い目玉企画であった。   「日本のアニメから見る国家と社会の構造―人型ロボット兵器を例に―」という題目で講演された梁世佑先生は、台湾のマンガ・アニメファンの目線から、『鉄腕アトム』『鉄人28号』『マジンガーZ』など、人型ロボットを兵器に見立てた日本で有名なアニメ作品を例に、日本の映像文化やエンターテインメント作品にみられる日本人のアイデンティティーやセルフイメージの形成のプロセスに迫ろうと試みた。さらに、芸術家岡本太郎が手がけた「太陽の塔」の無機質な顔に表象された日本の美意識に着眼し、日本のアニメや特撮映画の技術を最大限に盛り込んだアメリカ発エンターテインメント映画『パシフィック・リム』(Pacific_Rim)や、『機動戦士ガンダム』『宇宙戦艦ヤマト』『沈黙の艦隊』などロボット兵器や巨大な武器を主役に据えたアニメ作品を取り上げ、「大和文化」の本質を再発見・再認識しようとした日本アニメから見る国家と社会の構造を解き明かそうとした。   一方、自ら手掛けたアニメ映画の実体験を踏まえて、「未来を見据えた台湾アニメの発展―アニメ映画『重甲機神BARYON』を例に」というテーマで講演された黄瀛洲先生は、1950年代に欧米や日本のプロダクションの下請けからスタートした台湾のアニメ産業の歴史を振り返った上、台湾アニメ産業が直面した問題点を、国際・政治・経済・社会・教育など各方面から鋭く分析した上、様々な課題を指摘した。ただ決して悲観的に捉える必要はなく、常に第一線で活躍するパイオニアならではの洞察力を発揮して、21世紀を迎えた台湾アニメ産業が挑戦すべき分野、目指すべき方向及び未来を切り拓く新たな可能性について、広範多岐にわたる活路を見いだした。現在、山積する課題の解決に向けて、気鋭の若手たちを率いて制作している台湾初のオリジナルアニメ映画『重甲機神BARYON』の取り組みを手掛かりに、発展的・創造的な活動を積極的に展開していこうと、並々ならぬ意欲を示した姿勢が印象深いものであった。   台湾におけるマンガ・アニメ文化の進化やオタク文化の深化、オタク学の研究に人生をかけてきたお二人の真剣な眼差しと未来に対する意欲に満ちる講演は今後への期待感が溢れ、大変説得力があった。日本から受け継いで台湾でさらなる大きなソフトパワーに成長していくマンガ・アニメの価値と意義が改めて認識された、非常に充実した講演内容であった。   午後2時20分からの論文発表シンポジウムでは、3会場でそれぞれ2つのセッションを構成して、台湾、日本、中国、ノルウェー出身の学者たちを招き、多角的な視点から深い議論が展開された。合計18本の論文発表が行われたが、詳細は引き続き報告する。(つづく)   当日の写真   <張 桂娥(ちょう・けいが)Chang_Kuei-E> 台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本語教育、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科副教授。授業と研究の傍ら、日本児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。     2018年8月9日配信
  • 2018.08.02

    張桂娥「第8回日台アジア未来フォーラム『グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性』報告<その1>」

    2011年5月から8年連続の開催となる「日台アジア未来フォーラム」とは、「渥美国際交流財団関口グローバル研究会」(SGRA)主催の国際研究交流会議であり、台湾ラクーン(渥美財団の支援を受けた元奨学生)が中心となって活動している知日派外国人研究者の研究ネットワークである。本フォーラムでは、主にアジアにおける言語、文化、文学、教育、法律、歴史、社会、地域交流などの議題を取り上げ、若手研究者の育成を通じて、日台の学術交流を促進し、日本研究の深化を目的とすると同時に、若者が夢と希望を持てるアジアの未来を考えることを、その設立の趣旨としている。   グローバル化したマンガ・アニメ文化は、視覚芸術を極めた魅惑的なワールドを築き、世界中の若者を虜にした。非日常な世界に魅了された視聴者にとって、マンガ・アニメは、まさに自己と他者ないし世界を理解するための媒介である。サブカルチャーだったマンガ・アニメ文化は、一国の経済成長に大きな影響を与えるメインカルチャーに転換していき、我々現代人のライフスタイルをダイナミックに変えるソフトパワーの源でもある。   台湾では近年、マンガを通して各国の文化・社会への理解を深める教養講座が相次いで開設されている。東呉大学日本語学科は、コミックス蔵書を楽しむ「マンガ読書エリア」を開設した東呉大学図書館と協力して、マンガ・アニメ文化の可能性を探究する学術シンポジウムを開催してきた。他大学に先駆けて、マンガ・アニメ文化研究の最前線に立って、アカデミックな研究の未来を見据え、その可能性をさらに切り拓こうとしている。   第8回日台アジア未来フォーラム「グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性」は、世界の若者を魅了したマンガ・アニメのソフトパワーの真骨頂を解明しようとする台湾東呉大学日本語学科と同大学図書館との共同主催のもとで、2018年5月25日(特別講演会)、26日(国際シンポジウム)の2日間にわたって、台北市の東呉大学で開催された。   本フォーラムでは、世界規模・地球規模に広がったマンガ・アニメ文化の魅力に着目し、「グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性―コミュニケーションツールとして共有・共感する映像文化論から学際的なメディアコンテンツ学の構築に向けて―」というテーマを中心に議論を展開した。25日午後の特別講演会を前夜祭に、26日の国際シンポジウム【午前の部】招待講演会×3講演、パネルディスカッション×1会場、【午後の部】招待講演会×2講演、3会場×2セッション(招待研究発表×2本+公募研究発表×16本)など、多様なプログラムを通して、情報の共有及び知的交流の推進を目的とした。   また、文化を発信するコミュニケーションツールとして共感・同調・共有されてきたマンガ・アニメが、いかに次世代の地球市民の手によって共創するコンテンツ産業へ進化していくかのプロセスや、それを実現させるあらゆる創発の原理を創造的に思考する場を提供し、あらゆる参加者による活発な議論・討議・ディスカッション・意見交換が繰り広げられるという、市民向けフォーラム的効果も期待している。   今回は、共同主催する3機関団体の他に、中華民国(台湾)教育部、科技部、外交部、中華民国三三企業交流会、台日商務交流協進会をはじめ、日本の(独)国際交流基金、(公財)日本台湾交流協会など、台湾と日本の公的機関から甚大なる支援をいただいた。また、第1回フォーラムから主要賛助企業である中鹿営造(股)を筆頭に、台湾日本人会の呼びかけを通して、ケミカルグラウト(株)(日商良基注入営造)、日商全日本空輸(股)台北支店、台灣住友商事(股)、台灣本田汽車(股)、台灣三菱電機(股)、みずほ銀行台北支店より貴重な協賛を頂いたお蔭で盛大に開催ができた。この場をお借りして改めて深謝の辞を記させていただく。   1日目の5月25日午後は、シンポジウムの前夜祭として設けた漫画家特別講演会であるが、一年間にわたる関係者の努力が実り、また幸運にも講談社より全面的なバックアップを受けたお蔭で、『島耕作』シリーズが代表作である漫画家――当代日本マンガ界きっての「神級名師」である弘兼憲史先生をお招きすることが実現できた。40年以上に渡って日本企業文化の神髄やサラリーマンの心得を伝授してこられる弘兼憲史先生には、「漫画から学んだこと」をテーマに、漫画の創作や企業の取材を通して身につけたことを伝授していただくことにした。   台湾でも圧倒的な人気を誇る弘兼憲史先生のご著書を網羅的に所蔵している東呉大学図書館は、アカデミックな特別講演会をさらに盛り上げようと、学内外のコミックファンを対象に、4月から先駆けて「弘兼憲史先生全作品を読破する」という読書感想コンクール・「弘兼憲史先生/島耕作会長に聞きたい!」という質問大募集キャンペーン、弘兼憲史先生全作品特別展示ブックフェアなど、総力を挙げて盛りだくさんのイベントを開催する運びとなり、大学史上最高の盛り上がりを見せた。その成果か、講演会に出席したいと事前に申し込んだ人数は、想像を遥かに超えて、500名に迫る勢いなのを受け、定員340人の会場に収容できない来場者を受け入れるため、急遽隣接する戴氏基金会ホールに生放送する機材を運びこみ、臨時会場を特設することにした。   25日午後2時ごろ、講演会開始の前に、東呉大学図書館特設会場にて、弘兼憲史先生ご来学記念ボードのサインセレモニーが行われた。その後、講演会場に隣接する生放送する予定の講堂ホールに移動され、記者会見に臨んでいただいた。約30社のマスメディア関係者による囲み取材を受けた弘兼憲史先生は、地元記者からの矢継ぎ早で途切れぬ鋭い質問に、40分ほどよどみなく答え続けてくださった。日中台関係をめぐる政治がらみの敏感な質問にも決して嫌な顔をなさらずに、どんな細かい質問にも真面目に誠実に答えてくださった先生の謙虚で真摯な姿が、連日、台湾のテレビニュース番組の動画や各社メディアの新聞記事に報道された。「島耕作シリーズ」の高い知名度とともに、台湾の良き理解者として、リアルな弘兼憲史先生の人間性がさらに広く認識されるという印象深いエピソードである。   25日午後3時半、東呉大学の大学生・院生のみならず、台湾全土の大学関係者や社会人、約30社のマスメディア関係者や日系企業の台湾駐在員などで超満員の東呉大学普仁堂で、特別講演会の開幕式が行われた。入場できずに戴氏基金会ホールで生放送のモニターに釘付けの参加者たちにも見守られるなか、東呉大学董保城副学長、渥美国際交流財団今西淳子常務理事、日本台湾交流協会台北事務所広報文化部松原一樹部長のご挨拶があり、弘兼憲史先生特別講演会が始まった。   今回の特別講演会は、フロアとの交流、話しやすさにこだわる弘兼先生のご要望もあり、同時通訳ではなく、逐次通訳を壇上に同席させた上、取材メディアから寄せられた質問や視聴者から事前に集まった代表的な質問から司会者の朱廣興教授が選んだものに、先生に答えていただく【Q&A形式】で進行することになった。最初の10分間は、先生自らの生い立ちの紹介からスタートし、漫画家になるまでに経験したサラリーマン時代を振り返り、そして、約45年間にわたって無我夢中に打ち込んできた漫画家としての歩み並びに、膨大な漫画創作の業績及び多種多面な分野で活躍された成果などを振り返っていただいた。   その後、パートⅡ【Q&A】のコーナーに入り、(1)漫画創作にまつわる物語の背景・舞台設定、作業場の裏話・苦労話(2)漫画作品の世界や作中人物にまつわるエピソード・逸話(3)世界情勢・アジアの若者事情・仕事観・キャリア形成、といった3つのカテゴリーから、司会者が選んだ10の質問にお答えいただくコーナーにうつった。   まず、「激しい世界情勢や社会現状を背景にした作品作りに取り組んでいるが、リアリティーを持たせるための工夫や、想像力のトレーニング、そしてアイデアを枯渇させないコツは?」という創作手法をめぐる質問に、弘兼先生は、ラジオのニュース番組の視聴や映画予告編の鑑賞、取材を通して入手した材料、蓄積した人脈を活用したりして、日々の生活のどんなシーンでも周りの出来事に目を光らせている等、アイデアを保つヒントを隠さずに教えてくださった。   また、IOTによる産業革命に生き残るために企業へのアドバイスを求められると、多国籍企業文化の普及化に伴うモノづくりの多様化に柔軟に対応していきながらも、グローバル化した世界・社会に貢献できる人間の本質の生活に欠かせない不変なものの価値を見いだしてほしい。これから、もっと高度に進化し多様化していく人間社会にも通用できる、シンプルな喜びをもたらすモノづくりシステムの構築にたどり着くのではないか、という、遥か人間の未来社会を見据えた哲学者っぽいウィットな解答もあった。   そして、未来世界の国や会社を導く真のリーダー像とは?の問いに、弘兼先生は、山本五十六の人材育成に関する非常に有名な言葉――「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」を引き合いに、リーダーとしてこれからの世界を担う若者の人材育成・人材づくりに携わる際に最も大事な留意点(キーポイント)をかみ砕いて、丁寧に説明してくださった。   最後に、ご自身の経験を例に、台湾・アジアを歴訪した会長島耕作的目線を光らせ、「アジア均一化時代」に生きる台湾・アジアの若者の試練や未来につなぐためにしておくことも含めて、将来、新社会人として勤務する際の心得や取るべき行動などについて、時間をかけてじっくり語っていただいた。会場を埋めつくした参加者一同、瞬きもせず聞き入っていた光景が印象的で感銘深い特別講演会であった。   読書感想文の優勝者・最優秀質問の当選者の表彰式及び感想文朗読プレゼンの後、フロアからの質問を受けるコーナーも予定していたが、夢心地のような短い2時間の講演会は、余韻に浸る間もなく、あっという間に終わりました。第8回日台アジア未来フォーラムの初日を飾った弘兼憲史先生特別講演会は、東呉大学日本語文学科蘇克保主任の閉会式のご挨拶で、大盛況のうちに幕を閉じた。   同日夜、東呉大学の近くにある故宮博物院の敷地内に位置する「故宮晶華」という、現代テイストの中華料理と藝術的な創作メニューが魅力なレストランで歓迎パーティーが開催された。総勢40名の出席者でにぎわう会場で、気さくで話し上手な弘兼憲史先生を囲んで、美食・美禄を堪能しながら、歓談した。   実は、8年ぶりに公開された訪台活動である今回の特別講演会を機に、取材活動にも精力的に取り組まれた先生は、過密なスケジュールの合間を縫って、早朝から深夜まで台湾各地を歩き回られ、現地取材をこなしたと話された。そして、今回の取材で入手された迫真で斬新な材料を、今年8月(今月)発売の最新連載号「会長 島耕作」の<台湾編>に仕上げるという、会場一同を驚かせたサプライズなニュースをリークしてくださった。第8回日台アジア未来フォーラムにおける特別講演会のイベントが、何らかのシーンで紹介されるとすごいねと、関係者全員密かに期待しながら、愉快なエピソードをつまみに、とっても充実した長丁場の一日の幕下ろしを円満に迎えて、帰路についた。   以上、本フォーラム発足して以来もっとも記念すべき特別講演会の報告であった。引き続き2日目の国際シンポジウムの詳細を報告する。(つづく)   当日の写真   ◇記者会見・講演会の動画:   日本「島耕作」漫畫家來台 取材台灣政治 20180525 公視晚間新聞-YouTube   島耕作漫畫作者來台 取景台灣立法院 – YouTube   ◇記者会見・講演会の関連記事:   「島耕作」の新作は「台湾篇」 弘兼憲史さん訪台、大学で講演も|社会|中央社フォーカス台湾   《島耕作》作者東吳演講 想忠實呈現台灣政治|芋傳媒TaroNews   ◇雑誌週刊誌:話題人物特集(報道)編/大学キャンパス通信   新世代職場求生 島耕作之父傳授三大祕技―今周刊   『東呉大学キャンパス通信』311号p.2.pdf   <張 桂娥(ちょう・けいが)Chang_Kuei-E> 台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本語教育、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科副教授。授業と研究の傍ら、日本児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。    
  • 2018.07.26

    エッセイ576:フーリエ・アキバリ「大切なものを与えてくれた日本」

    私が3歳のとき、父の留学のため家族全員で日本に来ました。その時に、今でも忘れられない思い出があります。それは小学校3年生の時、初めてスカーフを被った日のことです。昨日までは、他の子供達と同じような恰好で学校に通っていましたが、9歳の誕生日を迎えた私は、イランの風習で大人の女性の仲間入りをしたのです。その日からは大人の女性として、様々な点を気にしなければなりませんでした。母のように外出するときは、髪の毛や肌を隠し、決まった時間にお祈りをするなど、生活には多くの決まりが加わります。   「9歳の私に、それも自分の国ではなく日本でそのようなことができるのだろうか?」と不安になりました。なぜなら、家族はこれまでも日本で生活をする上で、習慣や宗教の違いから様々な問題に直面していました。そのたびに父は周囲の日本人に相談をしては、助けられていました。きっと、親切な日本人の助けがなければ、その時点まで来られなかったでしょう。   自分の信念を大事にしていた父は、9歳の私にもその教えを守ってほしかったことと思います。しかし、どのようにすれば私が傷つけられずに、いじめられずにこの道を乗り越えられるのか。両親は悩み考えた結果、いつもお世話になっていた担任の先生にこの問題を相談しました。その結果、先生の考えで私のために特別に全校集会を開き、父母と弟を学校に招待してくれました。   最初に私の担任の先生ともう一人の先生が生徒全員の前に立ち、スカーフを被ったのです。「先生は今、スカーフを被っていますが、何も変わってませんよ、先生はこれまでと同じ先生です。明日からフーリエちゃんもスカーフを被って学校に来ますが、何も変わりません。同じフーリエちゃんですよ」と言ってくれたのです。そして、私を呼び、スカーフを被らせてくれて言いました。「明日からフーリエちゃんは、大人の仲間入りをしますが、これからもみんなのお友達です!何も変わりません!これからもフーリエちゃんとお友達でいてくれる人?」、すると全生徒がいっせいに手を挙げてくれたのです。   次の日からは、いじめられるどころか、すっかり学校の人気者になっていました。私に、「自分らしくいること」、「自分の考え方に自信をもって発言すること」を教えてくれ、勇気をくださったのが日本人のみなさんでした。今でもこの思い出は、私の一生の宝物です。今の自分が自分らしく堂々としていられるのは、あの日の先生方とみんなのお陰であったといっても過言ではありません。   日本での素敵な思い出を胸にその2年後、家族全員でイランに帰りました。その後も、日本に対する愛情はずっと変わりませんでした。そして「いつか自分の力でまた日本に留学する」と決心していた私は、29歳の時に博士課程習得のため文部科学省の奨学生として再来日することができました。あの時から20年・・それも、当時父の留学先の千葉大学に入学しました。   博士課程の2年生のある日、午後家に帰ろうとした私は大学の正門前で見覚えのある人を見かけたのです。少し近づいてみると、当時の小学校の校長先生でした!!!私は勇気を出し、校長先生に声をかけてみました!当然、20年後の私を知る由もない校長先生に当時の話をしたら、覚えていてくれたのです。その後、校長先生のおかげで、感動と勇気を与えてくれた担任の先生にも連絡が取れ、お会いすることができました。   もしあの時の、父の決断そして先生たちの判断がなければ、自分は違う経験をし、違う生活をしていたかもしれません。自信をもってきちんと自分の信念や想いを伝えることの大切さ、そしてそれを理解しようとする思いの重要さ、それがあれば平和や幸運をもたらせることを実感することができました。   今回の留学でも私は多くの素敵な日本人と留学生に出会い、大切なことを学びました。 それは、国境や言葉、宗教などとは関係なく、私たちは人間として互いにとても理解しあえるのだということ。そして余談ですが、日本が私に与えてくれたもうひとつの大切なものが、コスタリカ人の夫です。世界の反対側にここまで自分の考え方に近い人がいる、同じ価値観を持つ人がいるということを学びました。   私に大切なことを教え、大事なものを与えてくれた日本に感謝の気持ちでいっぱいです。   <フーリエ・アキバリ Hourieh_Akbari> 渥美国際財団2017年度奨学生。イラン出身。テヘラン大学日本語教育学科修士課程卒業後、来日。2018年千葉大学人文社会科学研究科にて博士号取得。現在千葉大学人文公共学府特別研究員。研究分野は、社会言語学および日本語教育。研究対象は、日本在住のペルシア語母語話者の言語使用問題。       2018年7月26日配信  
  • 2018.07.19

    エッセイ575:エマヌエーレ・ダヴィデ・ジッリォ「私の日蓮(3):宗教的主体性」

      「私の日蓮(1):日蓮研究に至った背景について」 「私の日蓮(2):日蓮の多面性」   〇「思想史的研究」と「宗教的注釈」との違いについて   日蓮宗の宗派と教団は大きく2つに分けられる。   ひとつは、日蓮宗の日興門流から派生した宗派と教団で、いわゆる「富士門流」である。今日その流れを受け継いでいる教団では日蓮正宗と創価学会が数えられる。基本的に日蓮の正体を、多くの大乗経典でいう「仏」、すなわち永遠な存在として扱っている。そのため、筆者が研究している日蓮の「写本遺文」(「日蓮遺文」の40%)のような、後代の弟子たちに偽造されたかもしれない文献でも、日蓮と同じ精神性を示していると思われるなら、直ちに彼自身に帰せられても問題ないという立場に立つ。   だが、この主体性を前提に「思想史的研究」を行えば、「思想史的研究」よりも「宗教的注釈」になるのではないかと考えている。「宗教的注釈」ならば歴史を超えた「何か」、たとえば永遠な存在としての日蓮の精神性に拠ろうとしても、それはそれで問題ないかもしれない。だが、「思想史的研究」は「思想史」すなわち「歴史」でないといけないので、歴史を超えていると思われる「何か」を基準に進んでいくのを避けなければならない。となれば、研究は歴史を超えた普遍性という幻想を諦めたところで仮言的言明にとどまり、「疑い」であり続けるという「科学性」を有しなければならないことになる。   上記以外の宗派と教団とは、「身延門流」を指している。日蓮を基本的に「仏」ではなく、「人」として扱っている。「人」として扱い、研究をすれば、筆者が研究している「写本遺文」のような、日蓮という「人」自身のものではないかもしれないという文献の「日蓮らしさ」を「疑う」のは一見妥当であろう。確かに、多くの写本遺文は室町期で支配的だった天台思想の影響下で偽作された可能性がある。だが、「日蓮の真作かどうかはわからない」「後に他の思想の影響下でつくられた偽作なのかもしれない」と歴史学的に「疑う」ということが、宗教的にも「信じてはならない」という立場に突然飛んでいくことになれば、大きな問題が出てくる。   「疑う」という点では上述の教団のような主体性を前提とする試みよりはもう少し科学性を示しているかもしれない。しかし、その裏にはまた護教的で宗教的な「何か」、すなわち鎌倉期の他の仏教思想などに対して日蓮の「純粋さ」を護ろうという目的が潜んでいる点では、日蓮の出発点としての歴史的背景との不可避な影響関係まで完全に無視してしまうことになる。そのため、「思想史的研究」よりは結局、「富士門流」とは違う形であれ日蓮の歴史性を超えようとする「宗教的注釈」に再び偏ってしまうのではないかと考えている。   〇「主体性」の選択について   宗教は己の都合のために、科学だろうとなんだろうと、何を活かそうとしても問題はないのかもしれない。仏教はある時点から確かに「富士門流」と同じような主体性で、仏滅の数百年後に現れた大乗経典を「仏」に帰せて受け容れたのだから、今度は科学思想まで受け容れて、活かそうとしても問題ないのかもしれない。だが、宗教は歴史性と理性の世界を超えようとする。対して、科学は基本的に理性の活動であり、「過去の無知から現在の研究へ、そして現在の研究から未来の進歩へ」という方向性のある時間、すなわち「歴史」の中で己を根強く位置付けている。そのため、とある文献の救済力まで測定できる計算機が存在するかどうかはっきりしない限り、歴史的かつ科学的に「偽作」だと言っても、宗教的かつ救済論的にも「信じてはならない」、要するに「人を救う力がない」というようなことになることは一切ないであろう。   以上の理由を踏まえて、日蓮遺文の「思想史的研究」をするのであれば、日蓮をひとまず「歴史的人物」として扱うのが最も妥当であり、その点では「富士門流」のような主体性は乗り越えるべきであると考えている。だがそれと同時に、日蓮の歴史性まで完全無視してしまったときの「身延門流」のような主体性をも乗り越えなければならない。「宗教的主体性」については以上である。(つづく)   <エマヌエーレ・ダヴィデ・ジッリォ☆Emanuele_Davide_Giglio> 渥美国際交流財団2015年度奨学生。トリノ大学外国語学部・東洋言語学科を主席卒業。産業同盟賞を受賞。2008年4月から日本文科省の奨学生として東京大学大学院・インド哲学仏教学研究室に在籍。2012年3月に修士号を取得。現在は博士後期課程所定の単位を修得のうえ満期退学。博士論文を修正中。身延山大学・東洋文化研究所研究員。     2018年7月19日配信
  • 2018.07.12

    エッセイ574:陳龑「アニオタからアニメーション史の研究者へ」

    (私の日本留学シリーズ#24)   「日本語の専攻でもなく、日本語学校に通ったこともありません。アニメを見て日本語を覚えました。」最初に日本へ来た時、これが私の定番の自己紹介でした。大学1年生の時、学生寮で海賊版アニメの「名探偵コナン」を見ていて、10分も経ってから突然あるセリフが分からなくなってはじめて、「あ、中国語の字幕がついてない」と気づいたのを今でも覚えています。いつの間にか聞けばわかるけど読み書きはできない日本語の「文盲」になっていました。それから日本語をまじめに勉強するようになったのです。   「平成生まれ」と同じように、中国では「八〇後」という世代があります。この世代は様々な特徴が指摘されてきましたが、「日本のアニメと優秀な中国のアニメの両方を見て育った」という代表的な特殊性は意外と注目されていません。私の親の世代は日本映画とドラマの「大熱愛世代」と言われ、日本でも研究されていますが、私が所属する「八〇後」は日本のメディアに注目されたものの、アニメの側面は殆んど語られていません(私の世代の後は中国の良い作品がなくなり、日本のアニメだけを見る世代もいましたが、2004年頃からは海外アニメがテレビで見られなくなって、ようやく最近になり少し柔軟になったのです)。   実際、「アニメ好き→日本文化に興味を持ち始め→日本で生活してみたい→日本留学」と、私と同じような道を辿ってきた中国人留学生がたくさんいます。正直なところ、最初日本語を自分で勉強しようと思ったときの目的は、字幕・翻訳なしで原版のアニメとマンガが理解できるようになりたかっただけでした。でも日本のコンテンツを見れば見るほど、作品の中で描かれた世界、様々な中国にない文化風習に憧れて、もっと知りたくなってしまいます。これが日本アニメとマンガの最大の魅力であり、その産業が国家のソフトパワーになれる理由でもあると思います。   なぜ日本ではいつも高校生が世界を救う?学園祭にはなぜ女装する男性が必ずいる?日本人が犬より猫を好きな理由は?ダメ男が主人公で素敵な女の子たちに愛されるという設定が主流になれる社会背景は?日本に来る前に、すでに頭の中で質問が溢れていました。高校時代は理系で、学部時代はマーケティング専攻で、文系研究に対する概念が全くなかった私はまだ知りませんでした――まさかこれらの正直な問いが「研究動機」になりうることを。   「Interest is the best teacher.(好奇心は最良の教師なり。)」この名言は昔から聞いていましたが、まさかアニメに対する情熱が研究につながるとは思わなかったです。アニメ研究はやはり日本でこそ成立する研究領域です。最初に日本語を独学し始めたときには絶対想像できなかったでしょうね、字幕なしでアニメをみたい気持ちが、20万字の日本語の博論を支えるなんて(笑)。   アニオタ(アニメーションのオタク)からアニメーション史の研究者に変身(或いは進化?)。これが私の日本留学です。   <陳龑(ちん・えん)Chen Yan> 北京生まれ。2010年北京大学ジャーナリズムとコミュニケーション学部卒業。大学1年生からブログで大学生活を描いたイラストエッセイを連載後、単著として出版し、人気を博して受賞多数。在学中、イラストレーター、モデル、ライター、コスプレイヤーとして活動し、卒業後の2010年に来日。2013年東京大学大学院総合文化研究科にて修士号取得、現在同博士課程に在籍中。前日本学術振興会特別研究員(DC2)。研究の傍ら、2012~2014年の3年間、朝日新聞社国際本部中国語チームでコラムを執筆し、中国語圏向けに日本アニメ・マンガ文化に関する情報を発信。また、日中アニメーション交流史をテーマとしたドキュメンタリーシリーズを中国天津テレビ局とコラボして制作。現在、アニメ史研究者・マルチクリエーターとして各種中国メディアで活動しながら、日中合作コンテンツを求めている中国企業の顧問を務めている。       2018年7月12日配信  
  • 2018.07.05

    エッセイ573:楊冠穹「わたしはここにいる」

    (私の日本留学シリーズ#23)   12年前、新卒として就職したばかりの私は毎日ラッシュアワーに満員の通勤バスに乗って、黄浦江を渡る大きな橋の上で渋滞に耐えていた。イヤフォンで音楽を聴きながら、渋滞がなければ10分間の道のりが1時間もかかる毎日を過ごしていた。決して仕事の内容が退屈とか、そういうことではなかったが、ただただ、人生が囲まれているように感じていた。どこかに突破口を開きたかった。   「五月にある人は言った。誰もが未来を求め旅立って、結局、生まれた場所に帰っていくのだと。」これは、テレビドラマ『東京タワー』のセリフである。このドラマを見ていて、初めて東京タワーが「東京タワー」であることを知った。そして自分の人生、夢を見つめ直した。行きたい、そのシンボルに向かって。   でも、人間は馴れた場所から離れると、ようやく気づくのだ。自分自身は誰なのか、どこから来たのか、を再確認する。外国で生活する人にとって、「郷愁」は常に伴う言葉なのだろう。私もそうだった。バイト帰りの夜はいつも空を見上げて、明るい月の下で、「私は何をしている?」、「何のためにここにいる?」、と自分を問い詰めていた。その答えは、今の研究にある。   その時から故郷の上海に注目し始め、上海出身の作家を研究テーマにしようと思って、進学先を探し始めた。偶然、東大中文研究室のホームページで授業案内を目にした。そこには、当時中国で人気だった女性作家の安妮宝貝(アニー・ベイビー)の作品を対象とした「原典を読む」という講義があった。   驚いた。まさか同時代の上海の文学が日本の大学で紹介されているとは、それまでまったく思いもしなかったからだ。この出会いをきっかけに、「日本で中国現代文学を研究する」という周りから不思議に思われる決断をした。   今年で日本に来て10年目に入るが、その9割は東大中文研究室にいたと気づいた。このような自分にとって、故郷への愛情は研究テーマにも繋がっており、まさに研究者になりたい源泉なのである。外から見る風景と、中にいる時の風景は違う。しかし、その違いにきっと何か意味があるに違いない。   2011年、東日本大震災。当時就職するつもりだった私は、すべての計画が狂ってしまって、とても就活を続ける状況ではなかった。これもまた偶然と言えるのではないだろうか。日本ドラマに惹かれて来日した自分が、まさか博士課程に進学する日が来るとは思ってもみなかった。人生を変える大きな選択だった。   2012年、博士課程に進学。この年は中文にいる中国人留学生にとって特別な年だった。世界レベルの中国人映画監督、張芸謀の初監督作品は『紅いコーリャン』という映画だが、この映画の原作『赤い高粱』を書いた作家、莫言が2012年のノーベル文学賞を受賞したのだ。しかしながら、同時に、私にとってはこれまでの人生の中で最も落ち込んでいた時期を迎えた年でもあった。   博士課程に入ってから、最初の学会論文採用まで、3年待った。同時代文学研究には実証性と批評性が必要だが、ほとんどの文学研究者は前者を重視している。同時代文学は先行研究が少なくて批評になりがちなので、実証性が足りないと思われている。有名な教授が書いたものなら話は別だが、大学院生の論文になると、実証性の低いものは学術として認識されないことが多い。そのため、批評性に実証性の不足を補うだけのものがあっても、なかなか採用されない。まして、今現在の新しい文学を研究すること自体が、いったい研究する価値のあることなのかも問題なのである。急速に発展する中国文化の事情に関して、日本の学術界はあまりにも関心が薄い。   少額の奨学金しかもらえない、それでバイトをしなければならない、研究もなかなか認めてもらえない。博士課程の最初の3年はそういう時期だった。でも、「Show_must_go_on」、ショーは続けなければならない、今立ち止まったら、そこで終わりが来てしまう。そう思って、とりあえず走り続けようと自分に言い聞かせた。走り続けたら、いずれゴールにたどり着く。   2015年1月、学会投稿論文に取り上げた作品がアメリカで有名な翻訳者によって英訳された。夏には『すばる』に同作品の邦訳が掲載された。そして、何よりも論文が採用された。それまではこのテーマで博士号を取れるかどうか、ずっと懸念を抱いていたが、これでほっとした。「ラッキー!」と思いながら、よく考えてみると、研究はやはり運ではない。どうして他の作家や作品ではなく、「これ」を選んだのか、そこにはきちんと裏付けがあった。   ふと思えば、親に「いつ卒業できるの」「いつ就職するの」と聞かれる日々の中、自分を疑うこともあった。それでも自分を信じて人生を歩んでいきたかった。他の誰でもない、ここにいるのは「わたし」なんだから。それに、「わたし」が他のどこでもない、「ここ」を選んだのだから。   卒業することはきっと終点ではなく、新たなスタートになる。今後の人生も、自分の心の声にしたがって生きていきたい。   <楊冠穹(よう・かんきゅう)Yang_Guanqiong> 渥美国際交流財団2018年度奨学生。中国出身。華東師範大学卒業後、電通広告勤務。2018年東京大学人文社会系研究科アジア研究専攻にて博士号取得。現在東京大学総合文化研究科学術研究員、北京語言大学東京校非常勤講師。研究分野は、中国現代文学および社会文化。     2018年7月5日配信