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エッセイ573:楊冠穹「わたしはここにいる」

(私の日本留学シリーズ#23)

 

12年前、新卒として就職したばかりの私は毎日ラッシュアワーに満員の通勤バスに乗って、黄浦江を渡る大きな橋の上で渋滞に耐えていた。イヤフォンで音楽を聴きながら、渋滞がなければ10分間の道のりが1時間もかかる毎日を過ごしていた。決して仕事の内容が退屈とか、そういうことではなかったが、ただただ、人生が囲まれているように感じていた。どこかに突破口を開きたかった。

 

「五月にある人は言った。誰もが未来を求め旅立って、結局、生まれた場所に帰っていくのだと。」これは、テレビドラマ『東京タワー』のセリフである。このドラマを見ていて、初めて東京タワーが「東京タワー」であることを知った。そして自分の人生、夢を見つめ直した。行きたい、そのシンボルに向かって。

 

でも、人間は馴れた場所から離れると、ようやく気づくのだ。自分自身は誰なのか、どこから来たのか、を再確認する。外国で生活する人にとって、「郷愁」は常に伴う言葉なのだろう。私もそうだった。バイト帰りの夜はいつも空を見上げて、明るい月の下で、「私は何をしている?」、「何のためにここにいる?」、と自分を問い詰めていた。その答えは、今の研究にある。

 

その時から故郷の上海に注目し始め、上海出身の作家を研究テーマにしようと思って、進学先を探し始めた。偶然、東大中文研究室のホームページで授業案内を目にした。そこには、当時中国で人気だった女性作家の安妮宝貝(アニー・ベイビー)の作品を対象とした「原典を読む」という講義があった。

 

驚いた。まさか同時代の上海の文学が日本の大学で紹介されているとは、それまでまったく思いもしなかったからだ。この出会いをきっかけに、「日本で中国現代文学を研究する」という周りから不思議に思われる決断をした。

 

今年で日本に来て10年目に入るが、その9割は東大中文研究室にいたと気づいた。このような自分にとって、故郷への愛情は研究テーマにも繋がっており、まさに研究者になりたい源泉なのである。外から見る風景と、中にいる時の風景は違う。しかし、その違いにきっと何か意味があるに違いない。

 

2011年、東日本大震災。当時就職するつもりだった私は、すべての計画が狂ってしまって、とても就活を続ける状況ではなかった。これもまた偶然と言えるのではないだろうか。日本ドラマに惹かれて来日した自分が、まさか博士課程に進学する日が来るとは思ってもみなかった。人生を変える大きな選択だった。

 

2012年、博士課程に進学。この年は中文にいる中国人留学生にとって特別な年だった。世界レベルの中国人映画監督、張芸謀の初監督作品は『紅いコーリャン』という映画だが、この映画の原作『赤い高粱』を書いた作家、莫言が2012年のノーベル文学賞を受賞したのだ。しかしながら、同時に、私にとってはこれまでの人生の中で最も落ち込んでいた時期を迎えた年でもあった。

 

博士課程に入ってから、最初の学会論文採用まで、3年待った。同時代文学研究には実証性と批評性が必要だが、ほとんどの文学研究者は前者を重視している。同時代文学は先行研究が少なくて批評になりがちなので、実証性が足りないと思われている。有名な教授が書いたものなら話は別だが、大学院生の論文になると、実証性の低いものは学術として認識されないことが多い。そのため、批評性に実証性の不足を補うだけのものがあっても、なかなか採用されない。まして、今現在の新しい文学を研究すること自体が、いったい研究する価値のあることなのかも問題なのである。急速に発展する中国文化の事情に関して、日本の学術界はあまりにも関心が薄い。

 

少額の奨学金しかもらえない、それでバイトをしなければならない、研究もなかなか認めてもらえない。博士課程の最初の3年はそういう時期だった。でも、「Show_must_go_on」、ショーは続けなければならない、今立ち止まったら、そこで終わりが来てしまう。そう思って、とりあえず走り続けようと自分に言い聞かせた。走り続けたら、いずれゴールにたどり着く。

 

2015年1月、学会投稿論文に取り上げた作品がアメリカで有名な翻訳者によって英訳された。夏には『すばる』に同作品の邦訳が掲載された。そして、何よりも論文が採用された。それまではこのテーマで博士号を取れるかどうか、ずっと懸念を抱いていたが、これでほっとした。「ラッキー!」と思いながら、よく考えてみると、研究はやはり運ではない。どうして他の作家や作品ではなく、「これ」を選んだのか、そこにはきちんと裏付けがあった。

 

ふと思えば、親に「いつ卒業できるの」「いつ就職するの」と聞かれる日々の中、自分を疑うこともあった。それでも自分を信じて人生を歩んでいきたかった。他の誰でもない、ここにいるのは「わたし」なんだから。それに、「わたし」が他のどこでもない、「ここ」を選んだのだから。

 

卒業することはきっと終点ではなく、新たなスタートになる。今後の人生も、自分の心の声にしたがって生きていきたい。

 

<楊冠穹(よう・かんきゅう)Yang_Guanqiong>

渥美国際交流財団2018年度奨学生。中国出身。華東師範大学卒業後、電通広告勤務。2018年東京大学人文社会系研究科アジア研究専攻にて博士号取得。現在東京大学総合文化研究科学術研究員、北京語言大学東京校非常勤講師。研究分野は、中国現代文学および社会文化。

 

 

2018年7月5日配信