SGRAエッセイ

  • 2009.01.16

    エッセイ182:趙 長祥「生活の態度–達生」(庄子心得シリーズ③)

    ------「庄子心得」シリーズについて------------   中国では、2006年に「学術超男と学術超女」の話題がメディアに取り上げられ、国中に宣伝された。中国の中央テレビ(CCTV)で放映されたのは、有名大学の教授達が、これまで非常に難しいとされていた国学(中国古典文学)を易しく大衆に解説し、啓蒙する番組である。なかでも、「三国誌」を解説したアモイ(厦門)大学教授の易中天氏(男性)と、中国古典書のひとつである「庄子」を解説した北京師範大学教授の于丹氏(女性)は、それぞれの的確な理解と簡潔明瞭な解説を以って、中国で一躍有名になった。テレビ番組は本に纏められ、それぞれ「品三国」「庄子心得」と名づけられてベストセラーとなった。これまで中国の大学の先生たちは、黙々と研究や教学に努め、マスメディアにでることなく、スーパースターとは全く無縁だった。しかし、今や、学者も国学解説によって学術超男と学術超女となったわけである。   国学が復興したといわれる現在の中国であるが、その原因を分析すると、改革開放30年近くの歳月を経て、徐々に豊かになっている国民は、物質生活だけでなく、精神的な支えも求めるようになったといえるだろう。豊かな中国の古典文学を、現在起きている身近な事象に引き寄せ、易しい説明を加えることによって、金儲けと出世をめざして常に競争に晒され、負組みに陥ることへの恐怖心から常に頑張って緊張している大多数の国民の心を癒すものとなったである。   私は、上海の企業での仕事を辞めて学界に戻ってから、時間的に多少余裕が出てきたので、上述の「品三国」と「庄子心得」を読むようになった。特に、于丹氏によって解説された「庄子心得」における、彼女の独自のロジックからたくさんのヒントを得、少しずつ感想として書き出し、ブログに載せるようになった。そのいくつかを、SGRAかわらばんの場をお借りして、皆様とシェアさせていただきたい。このシリーズが皆様の癒しとなり、テンポの速い生活のなかでも、ときどき空気に漂うスローライフの淡い……淡い香を感じていただければと思う。 ------------------------   ● 生活の態度--達生   昨年の11月で、中国は改革開放政策の実施以来、30年の歳月が過ぎ去った。連日、テレビ、新聞、ネットなどの各種メディアはこの話題を取り上げ、さまざまな形で過去30年の中国の改革の成果を顧みた。なんら疑問なく、過去30年間に中国は、かつて世界銀行に「東アジアの奇跡」と呼ばれたNIESやASEANの成長を凌駕するほどの急速成長を遂げ、人々を錯乱させるほど劇的に変貌した。このような急変化をもたらしたプロセスのなかで、人々は経済成長の速いテンポに共振し、経済成長がもたらした成果をエンジョイすると同時に、大きなプレシャーも背負って、時には迷走しながらも、人生を潜り抜けていく。   アメリカのサブプライムをきっかけに、世界経済に大きな打撃を与えた金融危機は、人々の生活に大きな妨げをもたらしている。輸出依存の強い中国経済も例外ではない。マクロ経済は比較的に健康的な軌道に乗って走っているが、ミクロ面では、特に、輸出依存型の中小企業に多大な損失をもたらし、部分的ではあるが壊滅的な打撃を与えている。長江デルタ、珠江デルタの労働密集型企業は多数破産している。さらに、一般市民は株市場に依存する人が多く、株市場の連月暴落(SHANGHAI STOCK EXCHANGE INDEX:6000ポイントから2000ポイントまで)も人々の心に大きな動揺をもたらし、自殺した人さえいた。   急速に市場化が進む中国では、隣の人が日々変わり、町の様子も日々変わっている。こうした発展は確かに経済によい影響や成果を出しているが、激しい変貌についていけない人もいっぱいいる。自分の明日はよくなるであろうと思っていても、実際はどうなるのだろうかと戸惑い、生活面で挫折や曲がり角にぶつけると、悲しい事件の発生も避けられない。   経済発展を遂げつつある現代中国の一面である。さまざまな問題を抱えながらも、人々は懸命に生きているのも事実である。しかし、こうした問題は中国だけでなく、世界のほかの国も面しているはず。そして、現代中国だけでなく、古代中国人も同じであったはず。こうした問題に面して、中国古代の人々はどう生きぬいてきたのかを、庄子は、自分の人生経験をもとに、さまざまな知恵をわれわれに教えている。その一つは、生活に対する態度である。   「庄子」全章を読むと、庄子の生活態度を二つの文字にまとめることができる。それが「達生」である。「達生」とは、生活やいのちに対する闊達さである。庄子の言葉で言うと、本当の「達生」とは、「達生之情者、不務生之所無以為」である。その意味とは、「本当に生命の真相を理解している人は、いのちに必要でないものを追求しない」ということである。すなわち、経済発展につれて、豊かになっている人々は、従来の生活スタイルを変え、高品質・健康的な生活スタイルを追求すると同時に、生活やいのちに闊達の態度が必然となってくる。寛容な心を以って、日々生活に面し、自分の目標を追求していくことが大事であり、「生年不満百、長懐千歳憂」(注釈:生きている歳月が百年に足りないのに、常に千歳の憂いを抱えている、すなわち、日々心配事ばかりを考えていることである)の状態にならないように努力していくことが重要である。   当然、常に闊達な生活態度を以って、日々履行していくのも容易なことではない。というのは、人間社会では、さまざまな人が生存し、さまざまな考えを持ち、生活の場面で日々ぶつかっていくのだから、常に摩擦を生じ、不平不満がでてくる。たまには、大変腹が立つことにもぶつかるし、どうしても理解できないこともでてくる。いちいち平常心で対面していくのも難しい。それが人間社会の正常態である。つまり、「人生不如意事十之八九」である。   とはいえ、困難だからできないことでもない。庄子の生涯では、ずっと「達生」を体験し、常に寛容な心を以って苦しい生活に面し、いろんな知恵を現代の人々に残していた。「達生」とは庄子の生活態度である。現代人にとって、どれだけ闊達で豊かな人生を得られるのかは、人それぞれであり、人の成長環境、質、理解力などで決まると考えられいる。しかし、毎日、その生活態度を心に銘記し、履行していけば、自分の理解できる闊達人生を得られるはずだ。   ------------------------------ <趙 長祥(チョウ・チョウショウ) ☆ Andy Zhao> 2006年一橋大学大学院商学研究科より商学博士号を取得。現在、中国海洋大学法政学院で講師を務め。専門分野は企業戦略とイノベーション、公共管理と戦略。SGRA研究員。 ------------------------------   庄子心得シリーズ①「独対寂寞、静観吾心」   庄子心得シリーズ②「心中の田園」  
  • 2009.01.13

    エッセイ181: シム・チュンキャット「罰金大国シンガポール」

    シンガポールを紹介する本やウェブサイトなどでは、必ずといっていいほど「Singapore is a Fine Country!」という言葉が目につきます。平常時なら「天気がいい」とか「気持ちがいい」もしくは単なる「美しい」という意味をもつFineなのですが、TPOを変えれば、なぜか「罰金」という意味に変貌してしまうのです(ときに英語も日本語に負けないぐらいややこしいですね)。さっきの言葉に戻りますが、つまり「シンガポールは美しい国なのですが、罰金大国でもあります!」ということに対するシンガポール人の一種の自嘲的な皮肉です。シンガポール以外の国なら「あ、すみません、ついうっかり…」ということとして片づけられそうなことでも、シンガポールではことごとく罰金の対象とされてしまうのです。   ゴミやタバコのポイ捨て、路上でのタン吐き、冷房の効いている場所での喫煙や、交通規則を無視しての道路横断などの「けしからぬ」行為に罰金がつくことぐらいなら、シンガポールではもう小学生でも熟知している常識です。そのほかに、罰金制度のマイナー部分では、例えば公園の花を摘むと罰金(花は花屋で買ってください)、カラスやハトなどの野鳥に餌をやると罰金(そんなに鳥が可愛いのなら、ペットとして家で飼ってください)、トイレで水を流さないと罰金(誰がどこで見ているのかは知りません)、地下鉄やバスの中で飲食することはもちろん、可燃性のものやドリアンの持ち込みでも罰金(にんにくと同様、それ以上に個性的な臭いをもつドリアンの場合でも、一緒に食べたなら問題はないのですが、周りに一人でも食べていない人がいたら、その人の鼻は間違いなく地獄に陥ります。そう、まさに酸鼻の地獄!)などの罰則もあります。    とりわけ、地下鉄での罰則については、僕にはちょっとほろ苦くも恥ずかしい記憶があります。時はずいぶん遡りますが、シンガポールで初めて地下鉄ができた頃、当時青春真っ盛りの僕は日本で花の大学生生活を送っていました。それである年ひさびさに帰国した僕は、ずっと気ままに東京の電車網を使っていたせいもあり、当然ながらシンガポールの地下鉄の壁に貼ってある罰則に圧倒されてしまったわけです。これもダメあれもダメで、つまるところシンガポールの地下鉄は乗るだけの乗り物です。「フン、アホくさ、こんな国を出ておいて良かった」と自分の国をバカにしたように鼻で笑った僕にはすぐそのツケが来ました。ガムや飴を食べることも原則的にできなかったので、退屈していた僕は普通に本を取り出して読書を始めました。それから間もなく周りの冷たい視線を感じ取った僕はハッとしました。まさか、ノー・リーディング!?と僕はその場でいきなりいつものクールさを失って慌てて本をかばんの中に突っ込みながらも、警戒しながらきょろきょろ周りを見回しました。「ナニをやってんの、こいつ?」と周りの空気がさらに冷たくなったのは言うまでもありません。本当のアホは僕でした。周りの人々が僕を見ていたのは恐らく僕にひげがあったのと(シンガポール人は一般にひげを生やさない)、乗る距離が短いから普通は地下鉄の中で読書をしないためなのでしょう。とにかく、学力重視のシンガポールが地下鉄でのリーディングを禁止するはずがありません。このエピソードは、罰金制度がいかに身に染みついていて、またいつも誰かに見られているかもしれないと思う自分を見事に映し出したものでした。本当に恥ずかしいというか、情けないです。でも、この話を友達に話したら、「お前だけだよ!」と皆の失笑を買っただけでした(笑)。   そしてシンガポールの罰金制度の王様といったら、さきほども少し話に出ましたが、それはもうなんてったってチューインガムの禁止令なのです。なんでチューインガムがシンガポールにそこまで憎まれなければならないの?という質問をよくされますが、う~ん、大した理由はないですよ。まあ、でも視点を変えれば大した理由もあったかもしれません。    時はまた遡りますが、僕がそれもまた青春真っ盛りの高校生だった頃まではチューインガムはシンガポールでも普通に噛まれていました。でも噛んだあとのガムを、ポイ捨てはダメなわけですから、シンガポールの若者はこっそりとあちこちに貼り付けたりしていました(もちろん僕はやりませんでしたよ)。そしてそれがエスカレートしてしまって、その後できたばかりの地下鉄の座席の裏やドアの隙間に突っ込んだり、団地のエレベーターのボタンに貼り付けたりするケースが続出して、そのため地下鉄の運行に支障を来したり、またエレベーターのボタンがベタベタと汚くて押せないという苦情が増えたり…とにかくガムは「公害」そのものだったわけです。もちろん、悪いのはそのような悪質ないたずらをした若者であり、決してガムではありません。でも美しい国を作ることを目指してきたシンガポールにとって、ガムは目障りでしかありませんでした。それで「ガムを噛むな!」という禁止令が90年代の頭に出され、一日にしてガムはシンガポールから姿を消し、今日に至ったわけです。    そしてガムの大量持ち込みには最高罰金である1万シンガポールドル(2008年12月現在、63万円ぐらい)がついてしまいました。まあ、「大量」はいったいどれぐらいの量を指すのかは明文化されていませんが、僕が捕まったときの経験からいうと、8箱ぐらいですかね。そうです、カミングアウトします。僕はその昔ガムの密輸で警察に連行されたことがあるのです。うそではありません。僕は前科もちです。はい、説明しますね。    ガムは、シンガポールにはもうありませんが、国境の大橋を渡ればマレーシアにはたくさんあります。そしてあるとき、僕は8箱のガムをシンガポールに持ち込もうとしましたが、またひげのせいか税関で足を止められ、かばんの中身をチェックされてしまいました。「これは何ですか」と税関の捜査官。「ガムですね」と潔く正直に答えた僕。「ついてこい!」とその後僕は連れていかれた冷房の効きすぎの小部屋で名前とその他の個人情報を書かれました。「1万ドルもってないよ!」と叫ぼうとしたところ、「初めてだから、見逃してやるよ」と捜査官は一瞬にして天使になりました(まあ、正確にいえば、捕まったのは初めてでしたが、ガムを「密輸」したのは数回目でしたけどね)。    以上が、僕がシンガポールの法に触れた最初で最後の体験です。本当です。この僕の前科に関するエピソードからもわかるように、シンガポールの罰金制度は確かに細かくてうるさいのですが、僕の周りに罰金を取られたという人はそんなにいないです、というか、いないです。そのアバウトさというか、ゆるさがシンガポールも結局東南アジアの国だなぁと思わせるところです。また、敢えて法を犯すようなことを皆はしないというか、要はルールをきちんと守り、「けしからぬ」行為をしなければいいわけです。    ただ、ガム禁止令のせいでシンガポールの今のほとんどの子どもがガムも噛めないという現実が少し寂しいと思います。例えば、僕が日本から「少量」のガムをシンガポールに持ち込み、甥っ子とか姪っ子に与えようとしたら、いつも兄夫婦と弟夫婦に慌てて止められたりします。なぜなら、甥っ子や姪っ子は噛んだあとのガムを吐き出すことを知らず、飴だと思ってつい飲みこんでしまうからです。ガムを噛めなくてもいいと兄夫婦と弟夫婦は言いますが、ガムを噛めずに一生を終える人生なんてやはりどこか寂しい気が僕はします。   ----------------------------------- <シム・チュンキャット☆ Sim Choon Kiat☆ 沈 俊傑> シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。現在は、日本学術振興会の外国人特別研究員として同研究科で研究を継続中。SGRA研究員。著作に、「リーディングス・日本の教育と社会--第2巻・学歴社会と受験競争」(本田由紀・平沢和司編)、『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』第18章(日本図書センター)2007年、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年。 -----------------------------------