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2009.12.23
下記の通り第9回日韓アジア未来フォーラムを韓国慶州にて開催いたします。一般公開ではありませんが、SGRA関係者の方にはオブザーバーとして参加していただくことが可能ですので、ご希望の方は12月31日までにSGRA事務局へご連絡ください。
日韓アジア未来フォーラムは、韓国(財)未来人力研究院/21世紀日本研究グループと(財)渥美国際交流奨学財団/SGRAとの共同プロジェクトで、2001年以来、毎年日韓交互に研究者を招待してフォーラムを開催しています。
● 日 時:2010年2月9日(火)午後2時00分~5時00分 その後懇親会
● 会 場:韓国 慶州教育文化会館(http://www.temf.co.kr/gyeongju/)
● お問合せ:SGRA事務局
Email:
[email protected]
TEL: 03-3943-7612, FAX: 03-3943-1512
【フォーラムの趣旨】
東アジア地域協力を考えるに当たって文化的同質性が注目されて久しい。しかし、共通の文化への注目は未だに実を結ばずにいるのが現状である。本フォーラムでは、「文化」をキーワードに東アジア地域協力の歴史性や方向性について考えてみることにする。とくにその大きなポイントとなる公演文化(芸能)における同質性と異質性に着目し、その展開と現在的意義について考察する。いくつかのテーマについて主題発表をお願いし、その後、パネルディスカッション、自由討論を行う。(日韓逐次通訳)
【プログラム】
詳細はここからご覧ください。
総合司会:金 雄熙(仁荷大学副教授)
開会の辞: 李 鎮奎(未来人力研究院院長、高麗大学経営学部教授)
挨拶:今西淳子(SGRA代表、渥美国際交流奨学財団常務理事)
● 主題発表1:「東アジア公演文化の普遍性と各国の独自性」
全キョンウク(高麗大学国語教育科教授)
● 主題発表2:「音楽と芸能における『伝統』『古典』観:伝統楽器の練習方法の韓日比較から」
藤田隆則(京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター準教授)
● 主題発表3:「芸能が劇場に収まるとき」
横山太郎 (跡見学園女子大学准教授)
● パネルディスカッション
進行:金賢旭(韓国外国語大学・檀国大学非常勤講師、SGRA研究員)
韓京子(檀国大学日本研究所学術研究教授、SGRA研究員)
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2009.12.17
2009年12月5日、東京国際フォーラムガラス棟710号室にて第37回目のSGRAフォーラムが開催されました。今回のフォーラムのテーマは「エリート教育は国に『希望』をもたらすか:東アジアのエリート教育の現状と課題」であり、「東アジアの人材育成」チームが担当しました。世界各国における人材競争が激しさを増す中、「エリート教育」に関する今回のフォーラムは多くの方の関心を呼び、62名の参加者を得た盛会となりました。
今回のフォーラムでは、羅仁淑さん(国士舘大学政経学部非常勤講師)が進行役を務めました。今西淳子SGRA代表の開会の挨拶に続き、3人のSGRA研究員による研究発表が行われました。
まず、シンガポール出身のSIM CHOON KIATさん(東京大学大学院教育学研究科研究員・日本学術振興会外国人特別研究員)が、「エリート教育:自由主義の日本VS.育成主義のシンガポール」というテーマで報告を行いました。日本とシンガポールのエリート教育の現状を紹介した後、両国の超名門高校で行った調査に基づいて、自由放任式の日本エリート教育と育成主義のシンガポールのエリート教育の特徴と限界について具体的に考察しました。特に、「国や社会のリーダーになりたい」、「将来社会の役に立つと思う」、「社会的弱者を助けたい」などの質問項目に現れた「エリート意識」において、育成主義のシンガポールのエリート学校の生徒が高い支持率を示していることに注目し、日本のエリート教育の問題点を指摘しました。
次に、金範洙(東京学芸大学特任教授・韓国国立公州大学校客員教授)さんは「韓国のエリート高等教育の現場を行く―グローバル時代のエリート教育を考える―」と題した報告で、国際社会でも話題になる韓国の大学進学のための受験競争を背景に、平準化政策からエリート教育への転換の経緯を紹介しました。特に李明博新政権の誕生後、教育の自律性が重視され、特殊目的高等学校、英才学校、自立学校、特性化高等学校、自立型私立高等学校、自律型私立高等学校など多様なエリート高校が誕生した韓国エリート教育の現状を豊富な資料とともに概観しました。と同時に、激変する教育環境の中で、東アジアの状況を踏まえての国際連携の可能性をも提起しました。
最後に、本稿の筆者である張建(東京大学大学院教育学研究科)が、市場化のなかの中国エリート教育」と題した報告を行いました。この報告では、中国の「重点学校」をエリート教育機関と位置付け、その形が歴史的に三つの段階を経て現在にまで発展してきたと説明しました。また、中国の教育市場化による「重点学校」の運営原理の変化を取り上げ、その問題点を分析した後、報告者が実施した高校生を対象とした質問紙調査のデータを用いて、エリート教育と社会階層との関係、重点高校選抜の公平性問題、エリート教育と非エリート教育との関係などの側面から、中国のエリート教育が直面する問題を詳細に分析しました。
フォーラム全体の総括は、玄田有史(東京大学社会科学研究所教授)先生によって行われました。玄田先生は、希望学という視点から、「エリート」の意味の歴史的な変容やエリートと社会・国家との関係についてお話しをされました。また、政治エリートに必要な資質としての「愛嬌」・「運強さ」、絶望の対義としての「ユーモア」など、エリート教育について興味深い問題提起をなされました。玄田先生ご自身の講演が、非常にユーモアに溢れており、会場が大きく沸いていました。
パネルディスカッションでは、3名のフォーラム参加者と玄田先生が、それぞれ「儒教文化とエリート教育」、「軍隊エリートの育成問題」さらには「運とエリート」について、フロアからの質問を受けました。発表者はそれぞれの出身国の状況や自分の考えについてコメントし、会場は盛り上がりを見せました。
今回のフォーラムは、三名の報告者がすべて渥美国際交流奨学財団の元奨学生であり、なおかつSGRA研究員であることが大きな特徴でした。このことは、渥美財団の長期にわたる人材育成への努力の成果を示していると考えられます。フォーラムの最後に、SGRA運営委員長の嶋津忠廣さんが、渥美財団のこのような実績に触れつつ閉会の辞を述べられました。本フォーラムの内容に関しては、詳しくは来年の春に発行予定のSGRAレポートをご覧くさい。
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<張建(ちょう・けん)☆Zhang Jian>
中国山東省済南市出身。1999年来日。東京大学大学院教育学研究科博士課程に在籍。中国の後期中等教育と社会階層をテーマとした博士学位申請論文を本年9月に提出。SGRA研究員。
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● フォーラムの写真
馮凱撮影
足立撮影
■ 本フォーラムについて、SGRA会員で元駐日欧州委員会代表部の高橋甫さんから、大変興味深いコメントをいただきましたのでご紹介します。
○ テーマ設定、配布資料の内容等から、私の印象を若干のべさせていただきます。
今回のフォーラムテーマ「エリート教育は国に希望をもたらすか:東アジアのエリート教育の現状と課題」は大変興味深いテーマと思いました。 こうした内容のテーマのフォーラムが出来るのも(それも日本語で)SGRAの人的ネットワークならでは、ということと思います。と同時に、日本ではいかに隣国あるいはアジア諸国の事情に疎いか、また知るチャンスが限定されているかを認識いたしました。 それなりに教育に関心がある私でも、中国と韓国(そしてシンガポール)の教育制度に関する知識がゼロに等しかったわけですので。
テーマのサブタイトルにある「東アジアのエリート教育の現状と課題」とある以上、「エリート教育が「国」に希望をもたらすか」だけでなく、「エリート教育が東アジアに希望をもたらすか」の議論はあったのでしょうか。 東アジアの将来を考えた場合、とりわけ東アジア共同体構想を前進させるには、次世代を念頭に入れた対応が関係諸国に求められる筈です。 教育分野での対応のそのうちの一つでしょうし、東アジアのリーダーを担う人材を育てるためにも国レベルそして地域レベルでの「東アジアに希望をももたらすエリート教育」も必要となってくると思います。 韓国に関するプレゼンの一貫として「東アジア教員養成国際コンソーシアム」の結成についての説明がありました。 東アジアの将来にとって、こうした動きは大切な一歩になると思います。 同コンソーシアムの目的と事業として、留学、研修、共同研究、教員育成といったように「東アジア地域の教育の発展」が目的としていますが、是非とも教育の発展の目標の一つとして、「東アジア共同体構築に向けた人材の育成」も掲げて欲しいものです。
ご参考までに、以下、欧州統合を人材育成面からサポートしている教育機関を挙げて見ました。
European Schools
European University
College of Bruges
European University Institute
勿論、これまで欧州統合に実際に係わった指導者、実務者は加盟国の教育機関で教育を受けたエリートで占められていたわけですが、統合半世紀を超え、上記の教育機関で教育を受けた世代が、EU諸機関に勤務するケースが増えてきたことも事実となっています。
2009年12月17日配信
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2009.11.25
SGRAレポート第51号本文
SGRAレポート第51号表紙
第35回SGRAフォーラム講演録
「テレビゲームが子どもの成長に与える影響を考える」
2009年11月15日発行
<もくじ>
【発表1】現代社会はテレビゲームをどう受容してきたか
~「テレビゲームの影響」を多面的に捉えるために~
大多和直樹(東京大学大学総合教育研究センター助教)
【発表2】テレビゲームと子供の健康
佐々木 敏(東京大学大学院医学系研究科教授)
【発表3】テレビゲームが子どもの心理に与える影響
渋谷明子(慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所研究員)
【パネルディスカッション】
進行:江蘇蘇(東芝セミコンダクター社勤務、SGRA研究員)
パネリスト:上記講演者
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2009.10.30
下記の通り第37回SGRAフォーラムを開催します。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。当日参加も受付けますが、準備の都合上、できるだけ事前にお知らせくださいますようお願いします。SGRAフォーラムはどなたにも参加いただけますので、ご関心をお持ちの皆様にご宣伝いただきますようお願い申し上げます。
日時:2009年12月5日(土)
午後2時30分~5時30分 その後懇親会
会場: 東京国際フォーラム ガラス棟G701会議室
申込み・問合せ:SGRA事務局
電話:03-3943-7612
ファックス:03-3943-1512
Email:
[email protected]
【フォーラムの趣旨】
SGRA「東アジアの人材育成」研究チームが担当するフォーラム。
国際化の進展と知の世界競争が激しくなるなか、国際的にも通じ、自国の社会的ニーズにも応じられる次世代の人材を育成すべく、ほとんどの国でエリート教育の推進が重要な政策課題となっている。とりわけ、儒教文化が根強く残り、学校教育を重んじる傾向にある東アジアの多くの国では、経済競争力を維持していくためにも、未来への投資として国の将来を担えるエリート的人材の育成が積極的に取り組まれている。このような人材育成制度が国や社会にどのような影響を与えているのか。そもそもエリートとは何なのか。今はどんなリーダーが必要とされているのか。本フォーラムの前半では、日中韓シンガポールのエリート教育の制度と実態について最新の調査研究を報告する。後半には、玄田有史氏に、希望学の視点からこの大競争社会におけるリーダーの役割やエリート教育について総括していただく。
【プログラム】
詳細はここからダウンロードしていただけます。
● 発表1:シム チュン キャット(東京大学教育学研究科研究員・日本学術振興会外国人特別研究員)
「エリート教育:自由主義の日本vs.育成主義のシンガポール」
● 発表2:金 範洙(東京学芸大学特任教授・韓国国立公州大学校客員教授)
「韓国のエリート高等教育の現場を行く:グローバル時代のエリート教育を考える」
● 発表3:張 建(東京大学大学院教育学研究科博士課程)
「市場化のなかの中国のエリート教育」
● 総括・コメント:玄田有史(東京大学社会科学研究所教授)
「希望学からみたエリート教育」
●パネルディスカッション
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2009.10.28
【北京】
第4回チャイナフォーラム(北京)は体の丈夫そうな宋剛君の強力かつ情熱的な勧めで、9月16日に北京外国語大学の日本学研究センタAー三階の多目的ホールにて開催された。2006年に北京大学で開催したパネルディスカッション「若者の未来と日本語」、2007年に北京大学と新疆大学で開催した緑の地球ネットワーク高見邦雄事務局長の講演「黄土高原緑化協力の15年:無理解と失敗から相互理解と信頼へ」、2008年に北京大学と延辺大学で開催したアジア学生文化協会工藤正司常務理事の講演「一燈やがて万燈となる如く~アジアの留学生と生活を共にした協会の50年~」に引き続き第4回目であった。今回のテーマは「TABLE FOR TWO~世界的課題に向けていま若者ができること~」で、講演者は特定非営利活動法人TABLE FOR TWO Internationalの近藤正晃ジェームス共同代表理事だった。
9月16日午後4時、フォーラムは定刻どおり開始し、SGRA代表の今西淳子さんと国際交流基金北京日本文化センターの小島寛之副所長の開会挨拶の後、司会の孫健軍さん(北京大学/SGRA)は、フロアにいる70名近くの入場者に近藤正晃ジェームスさんを紹介した。近藤さんは、世界の死亡・病気の原因のトップ2は肥満と飢餓だと説明し、その同時解消に取り組もうというTABLE FOR TWO(TFT)の創立趣旨を紹介し、近年の活動成果および数多くの興味深い事例を生々しく語った。
具体的には、2007年2月に日本で始まったTFT活動は、2009年6月時点では鹿島建設を含む130の企業、衆参両議院をはじめとする多くの官公庁や、地方自治体、大学、病院など200以上の事業所における実施協力を得たという。活動の内容は、日本などの先進国において、実施団体に所属する人々の一食分のカロリーを減らすと約20円程度が節約でき、それをTFT事務局を通してアフリカなどの発展途上国の学校に寄付し、子供たちの給食にするというシステムだそうだ。さらに、事例としては、ウガンダ、ルワンダ、マラウィの三カ国における実施を通じて、子供たちの「栄養状態は改善、健康増進につながる」、「給食導入後の半年から一年で生徒数が2倍近くに増加」、「最終学年の50人のうち、42人が高等教育への進学試験に合格」といった成果を収め、これまでの累計支援定食数は104万食を超えているという。さらに、レストラン、宅配、コンビニなど業界への活動拡大も着々と進めており、地球範囲での実施を今後の課題として視野に入れていると近藤さんは抱負を語った。
近藤さんの目を見張らせる志とTFT活動の成果の一つであるその健康ぶりと若さに驚いた参加者から、「カロリーオフのメニュー」、「TFT活動の運営システムと監督規制」、「中国企業との連携可能性」など、多岐に渡って数多くの質問が出され、会場ではインターアクションのムードが高まり、予定を延長して6時15分、李恩民さん(桜美林大学/SGRA)の閉会挨拶で第4回チャイナフォーラムは幕を下ろした。懇親会は北外賓館のレストランで行い、自由参加で学生さんを中心に40人程度が集まった。宴会中、今回のフォーラムの北京担当の宋剛君は熱で耳鳴りがしていたが、「近藤さんは行動的だ、援助金でご馳走してくれたね、早く北京で活動拡大してほしい」という参加者の声が聞こえた。今後の北京の立場と今夜の宴会の勘定者を間違えられたが、とりあえずTFTという活動を中国で初めて知ってもらえたことで、宋君の熱がだいぶ下がったようだった。
(文責:北京外国語大学/SGRA 宋 剛)
【上海】
9月17日夕方、SGRA上海フォーラムは上海財経大学にて開催された。テーマは「TableFor Two」で、前日北京フォーラムと同じ内容であった。北京の講演には70名の学生が参加したことを知って、本学ではどのぐらいの学生が集まるのかとても不安であった。というのは、上海財経大学は規模が小さく、経済や経営関連の分野を専攻している学生が大半であり、日本語学科の学生は一学年に一クラスしかないから、日本のことや社会貢献、ボランティアなどにどれほど興味を持つのか分からないからだ。さらに、その日はあいにく天気が悪く、朝から大雨が続いていたので、一層学生の出足を心配した。
ところが、講演の20分前までがらがらだった教室は、定刻の6時になると、学生さんが次々と入り、教室の大半を埋めた。結局、100人近くの学生が出席してくれた。翌日学生さんに確認したところ、参加者には学部2年生と3年生が多かったが、1年生と4年生もいる。また、修士課程の学生も何人かいた。日本語学科の学生は全体の三分の一に過ぎなかった。
スクリーンに映されたPPTは日本語のもので、講師の近藤さんも日本語でスピーチをしていたが、北京大学/SGRAの劉健さんの素晴らしい逐次通訳によって、講演はスムーズに進んでいた。質疑の時間に入ると、学生さんから沢山の質問が出された。中には、講師に日本語で直接質問した人も何人かいたが、その場合も通訳が必要なので、結構時間がかかった。講演終了後も近藤さんを囲んでさらに質問する学生もいた。その熱心ぶりに感服したが、終了時間は予定より1時間も延長された。
逐次通訳の講演は効率が落ちることを覚悟していたが、3時間ほどになるとは思わなかった。また、会場は普通の教室だったので、臨時に増加したマイクの調子も良くなかったなど、改善すべき点もいくつかあった。とはいえ、講演は概ね成功したといえる。経済学専攻の学生さんからは日本語専攻者とは違った質問が出たと近藤さんが言う。実際、今回のフォーラムが成功裏に終わった主な要因は、何より講師の近藤さんの素晴らしいスピーチである。その話し方はとても魅力的で、大学の先生よりも上手だなあと感心した。
回収されたフォーラムに対するアンケート調査を見ると、参加者のほとんどがフォーラムの主旨を理解し、収穫を得たと回答した。講演を通じて、日本発の民間人によるグローバルな社会貢献運動を中国人学生に伝え、彼らや彼女たちの視野を広げることができたと思う。これからは、貧困や環境汚染といった世界共通の問題を真剣に考え、TFTのような社会貢献運動に取組んでいくことを中国の若者に期待したい。
(文責:上海財経大学/SGRA 範 建亭)
■ 初めての上海虹橋→東京羽田のシャトル便は極めてスムーズで、今回使った全ての便と同様、満席でした。東アジアの人の交流はますます盛んになってきていると旅行する度に感じます。そして、いつものように、中国の発展のパワーとエネルギーに圧倒されました。
フォーラム前の南開大学の国際シンポジウム「グローバル化時代における東アジアの制度変革」へのオブザーバー参加から、フォーラム後の上海万博の工事現場見学まで、とても充実した一週間でした。南開大学の楊棟梁先生、宋志勇先生、上海設計学院のPan Zhengwei先生をはじめ、ご支援ご協力いただきました皆さまに、心から御礼申し上げます。
宋剛さんと範建亭さんのご尽力のおかげで、北京と上海で開催した今年のチャイナフォーラムも無事盛会裡に終わりました。今年の講師の近藤さんは、参加者と年齢も近く、トピックも現代的で、聴く人を惹きつける力をもっていらしたので、両会場とも大変良い雰囲気で良い交流ができたと思います。上海財経大学では、社会起業ということ自体に関心のある学生さんが自分達の活動レポートを配布し、若者の間でグローバル化の潮流が伝わるスピードの早さに驚きました。SGRAチャイナフォーラムは、来年も9月に、今度は北京とフフホトで開催したいと思っています。みなさん是非ご予定ください。
(SGRA代表 今西淳子)
■SGRAチャイナフォーラムの写真は下記よりご覧ください。
石井撮影 劉健撮影 李恩民撮影
2009年10月28日配信
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2009.10.07
ノモンハン事件(ハルハ河会戦)70周年を記念して、2009年7月3、4日にウランバートルで開催したシンポジウムについては、前回のかわらばんで報告いたしましたが、基調講演をお願いした一橋大学名誉教授の田中克彦先生が、現在編集中の論文集のためにシンポジウムを総括してくださいましたので、先生のご承諾を得てご紹介いたします。尚、田中先生は、本年6月に出版された岩波新書「ノモンハン戦争 モンゴルと満州国」で、新史料に基づくモンゴル人研究者による業績を含めた最近の研究成果をわかりやすく纏めていらっしゃいますので、是非ご一読ください。
■ 田中克彦「2009年ウランバートル・シンポジウムを終えて」
モンゴルとソ連は、その堅固な友好の同盟関係を強調するために、しばしばハルハ河戦勝記念日を祝っていたと思われる。それを知ったのは、たまたま戦勝30周年にあたる1969年、ウランバートルを訪問したときである。記念行事のためにモンゴルを訪れていたらしいソ連軍将兵が「ハルハ河30年」と書いた記念バッヂを胸につけて街を散策しているのを見かけて話し合い、そのことを知ったのである。
その時私は、かれらの敵対者であった日本も、そのような催しに加わって、不戦を誓いあうべきではないかと考えて、雑誌『世界』に一文を寄せた(「ノモンハンとハルハ河のあいだ」)。それは3年後にモンゴル語に翻訳されて、モンゴルでひろく読まれた。
私のこの一文の影響のせいか否か、明らかではないが、それから20年たった、すなわちハルハ河50周年にあたる1989年6月、モンゴルは日本からも研究発表者を招いてウランバートルでモ・ソ・日の三者からなる「ハルハ河50周年シンポジウム」を開催した。これがきっかけとなり、それから2か月たった8月、今度はモスクワに、モンゴル、日本から代表を招いて円卓会議が開かれた。主催はソ連国防省軍事史研究所で、日本からの出席は私だけだった。
その席で、次回は日本が行うべきだと多くの参加者たちが要求したので、私は「何とか努力しましょう」と半ば約束させられてしまった。
この約束は1991年に実現した。NHK、朝日新聞社をはじめ、ジャーナリズムやいくつかの企業から資金が寄せられたおかげである。シンポジウムで発表されたロシア語とモンゴル語の論文はすべて翻訳され、さらに一般参加者からの発言、討論も含めて、『ノモンハン・ハルハ河戦争』として1992年原書房から刊行された。
この東京シンポジウムには特に指摘しておかねばならない価値があった。というのは、モンゴルの固有の領土の一部が、日本に占領されたまま停戦協定が結ばれてしまったために、モンゴル領として回復されず、今日の中国領に残ってしまった。このことを、1936年にモンゴル、ソ連との間で締結された、相互援助条約の不履行であるという指摘をモンゴル代表が行ったのである。つまりモンゴル側からソビエト連邦に対する不服のあることが明らかにされたのである。これは会場を日本で準備して得られた大きな成果であった。モンゴル代表は、日本では、比較的自由にふるまえたからだと思う。
その後、年々ハルハ河戦争についてシンポジウムが行われたが、今回、日、ロ、モ三国の間に行われた70周年シンポジウムは、1991年の結果をさらに展開させた点で注目すべき催しであった。
以下に、寄せられた9か国40本の発表論文の分析にもとづき、そこに示された注目すべき関心をいくつかの項目にまとめる。
1. ノモンハン戦争の原因と目的に関して
この戦争をはじめたのは日本側であるというのが全般的な共通認識である。日本では現地の関東軍が東京の大本営の制止を受け入れず独走したとの議論がひろく知られ、一般認識となっているが、ソ連(ロシア)、モンゴルではそうではない、1927年に当時の首相田中義一が天皇に上奏した、大規模な侵略計画にもとづいて開始されたのがノモンハン戦争だという説がいまなお一貫して維持されている。ロシアの学会ではこの上奏文なるものが偽文書だということが徐々に理解されてきたが、今回、依然として、そこからノモンハン戦争の原因が説き起こされているのは注目すべきことだ。
日本の研究者は、今回のシンポジウムまで、こんな議論がくりかえされているのかとあきれているが、こういう誤った前提が解消されるには、あと10年、つまり80周年のシンポジウムまでかかるであろう。
2. ノモンハン戦争は避けられたはずだとする説
1935年、ノモンハン戦争の前哨をなす、ハルハ廟における満洲国軍とモンゴル軍の衝突以来、双方はこうした紛争が大きく発展するのを阻止するため、それぞれが代表を派遣して、マンチューリで会談を行うことになった。この会談は、満、モ双方がそれぞれの支配者である、日本とソ連の支配から脱して、独立統合への道を模索する密談を含むものとして、日、ソ双方が会談を妨害、阻止した。日、ソは、満、モの代表それぞれを逮捕処刑した。しかし、もしこのような妨害が行われなければ、マンチューリの会談は成功して、戦争に至らずにすんだかもしれないという趣旨のものだ。1991年の東京シンポジウムではじめて発表されたこの考え方を、今回のシンポジウムで受けついで発表したのが、私、田中である。
3. 国境認識にかかわる地図の研究
ソ連は、1932年に、ハルハ河が満、モ国境線をなすという、日本側と同様の認識をもっていた。しかし、1934年までの間にノモンハン・ブルド・オボーを国境線とするという認識に変わった。この問題は国境衝突事件としてのこの戦争を研究する上で出発点となるほどの重要性がある。しかし、勝者としてのロシアには国境線については議論の余地がないものとしてあまり関心がないのに対し、日本代表にはまだ議論し足りない不満が残った。
4. 国際関係からみたノモンハン戦への関心
すなわち、日本はなぜ停戦を急だか、また、41年には、ドイツ軍がモスクワに迫っていたときを利用して、なぜ日本はドイツの同盟国でありながら、ソ連に攻撃を加えず、想像を絶した真珠湾攻撃に踏みきったのか。あの時、もし日本がドイツに呼応してソ連を攻撃していたら、ソ連は崩壊していたかもしれないというような問題提起である。日本では考えられないこのような仮定はアメリカ、イギリスなどの参加者から出された。
また、アメリカからはもう一人の気鋭の研究者が、ノモンハン戦争を朝鮮戦争と対比して見せた。同じ民族がかれらを分断した国境の双方から敵対したという点に注目した、このような巨視的な見方は、欧米の研究者にしてはじめて得られるものであろう。
5. 日本の国内事情にも関心が持たれるようになった
1989年のモスクワ円卓会議で、私は辻政信参謀個人の性格が戦闘の開始そのものにも、関東軍の行動の上にも大きな影響を及ぼしたことを述べたけれども、ソ連は全く関心をもたなかった。天皇を頂点とする規律正しい帝国日本では、一個人がそのような独走を演ずる余地は全くなく、関東軍の動きを、一貫した侵略計画の不動の方針に従ったものとする理解の域を出なかった。しかし今回2009年のウランバートルでは、停戦協定を結んだ東郷大使の回想録を読んで、その人柄を知り、東郷が停戦にこぎつけた功績をたたえる発表が行われた。これは日本側の立場を内部にたち入って明らかにしようと試みたものであって、研究がよりこまやかになり、大きく進展するきざしを見せるものとして注目すべきであろう。
6.ノモンハン戦争の背後には満洲国とモンゴル人民共和国の国境によって分断されたモンゴル諸族の統一運動があったことを重視する視点は、最近のモンゴル人の著作には至るところ示されているけれども、それをまとめてとりあげる試みはなかった。しかし、田中の提出したこの観点に積極的に賛意を示す人は少なく、と言って反論する人もいなかった。ロシアの人たちには不快に感じられたはずである。しかし、これは将来忘れられない論点になるである。
以上、今回のシンポジウムの成果を、1989、1991年の状況と比べるならば、長足の進歩があったと称賛しなくてはならない。そして、歩みは遅いけれども、国際的なシンポジウムが開かれる度に、確実に発展があり、それはハルハ河戦争のみならず、モンゴル、ロシア、日本相互の間の国際理解に大きく寄与したことが実感される。
半世紀にわたってこの経過を見つづけてきた者には、なお80周年のシンポジウムが行われる必要があり、そこではさらに大きな一歩が進められるであろうと期待される。
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2009年10月7日配信
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2009.10.05
SGRAレポート第50号本文(日本語)本文
SGRAレポート第50号本文(日本語)表紙
SGRAレポート第50号本文(韓国語)本文
SGRAレポート第50号本文(韓国語)表紙
第8回日韓アジア未来フォーラム・第34回SGRAフォーラム講演録
「日韓の東アジア地域構想と中国観」
2009年9月25日発行
SGRA_Report_50(English)TEXT
SGRA_Report_50(English)COVER
The 34th SGRA Forum/8th Asian Future Forum of Japan and Korea
"East Asian Regional Concept and Chinese View of Japan and Korea"
<もくじ>
【発表1】平川 均(名古屋大学経済学部教授、SGRA顧問)
「日本の東アジア地域構想-歴史と現在-」
【発表2】孫 洌(延世大学国際学大学院副教授)
「韓国の東アジア地域構想-韓国の地域主義-」
【発表3】川島 真(東京大学大学院総合文化研究科准教授)
「日本(人)の中国観」
【発表4】金 湘培(ソウル大学外交学科副教授)
「韓国(人)の中国観」
【コメント】李 鋼哲(北陸大学未来創造学部教授、SGRA研究員)
「中国からみた日韓の中国観」
【パネルディスカッション】
進行:金 雄煕(韓国仁荷大学国際通商学部副教授、SGRA研究員)
パネリスト:上記講演者
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2009.09.30
ノモンハン事件(ハルハ河会戦)70周年を記念して、2009年7月3、4日の2日間、モンゴル国家文書管理総局、関口グローバル研究会(SGRA)、モンゴル科学アカデミー歴史研究所が共催、在モンゴル日本大使館、アメリカ大使館、ロシア大使館が後援、東京外国語大学、モンゴル国立大学歴史研究院、モンゴル国防省国防科学研究所軍事史研究センター、モンゴル科学アカデミー国際研究所、モンゴル・日本人材開発センターが協力、日本国際交流基金、霞山会、渥美国際交流奨学財団、守屋留学生交流協会、アメリカのアラタニ財団、韓国の未来人力研究院、及びモンゴル国のモンゴル・テレコム(Telecom Mongolia)、ロシア財団NGO(Russian Foundation NGO)、モンゴル・アーカイブズと歴史研究者連合会“On tsag”(“On tsag” association of Mongolian Archivists and Historians)、“Tsom” Consultingの協賛で、国際シンポジウム「世界史のなかのノモンハン事件(ハルハ河会戦)――過去を知り、未来を語る――」が、モンゴル国首都ウランバートルで開催された。
7月3日、のどかで、あたたかい日だった。午前9時、モンゴル・日本センターの多目的室で盛大な開会式をおこない、モンゴル国会議員、法務内務大臣 Ts. ニャムドルジ(Ts. Nyamdorj)氏、モンゴル科学アカデミー総裁 B. チャドラー(B. Chadraa)氏、関口グローバル研究会代表今西淳子氏が挨拶と祝辞を述べた。Ts. ニャムドルジ大臣の挨拶では、戦略的な視点から、ハルハ河戦争を評価し、研究者たちと率直に話しあって、今後の世界平和と国際的な相互理解を促進したいという意を伝えた。英語で挨拶した今西さんは、同シンポジウム実現までの経緯、ウルズィーバータル局長との付き合い、田中克彦先生、ゴールドマンさんとの出会いなどを簡潔に述べ、参加者に感謝しながら、この戦争をめぐる研究の更なる発展を展望した。続いて、モンゴル科学アカデミー歴史研究所長 Ch. ダシダワー教授、ロシア連邦科学アカデミー会員、シベリア支部ブリヤート支局長 B. V. バザロフ(B. V. Bazarov)教授、一橋大学田中克彦名誉教授、そして、アメリカのユーラシア・東ヨーロッパ評議会の S. D. ゴールドマン(Stuart D. Goldman)博士が基調報告をおこなった。在モンゴル日本大使 城所卓雄閣下、ロシア公使、アメリカ大使館の代表が開会式に出席し、在モンゴルアメリカ大使 M. C. ミントン(Mark C. Minton)閣下も途中から参加した。休憩の忙しいひと時を裂いて、今西さんがミントン大使に挨拶し、私も大使に紹介され、一緒に記念写真をとった。ミントン大使は穏やかで、とてもやさしいという印象だった。日本語が流暢で、びっくりした。たずねてみたら、在日本アメリカ大使館で長年勤務したことがあったのだ。
昼には、参加者たちがモンゴルの国会議事堂の前で記念写真を撮ってから、アルタイというバイキングの焼肉店で食事をした。
午後は、東京外国語大学 二木博史教授、岡田和行教授、愛知大学法学部ジョン・ハミルトン(John Hamilton)教授、内モンゴル大学 チョイラルジャブ(Choiraljav)教授、モンゴル国外務省 Ts. バトバヤル(Ts. Batbayar)局長、モンゴル科学アカデミー会員、国立大学 J. ボルドバータル(J. Boldbaatar)教授、文化芸術大学学長 D. ツェデブ(D. Tsedev)教授、国防科学研究所長 B. シャグダル(B. Shagdar)少将、文書総局 ウルズィーバータル局長、ロシア連邦科学アカデミー極東研究所長 S. G. ルジャニン(S. G. Luzyanin)教授等10人がそれぞれの分野を代表して、大会報告をおこなった。
夕方、モンゴル国大統領官邸のイフ=テンゲル(Ih Tenger)迎賓館で歓迎宴会をおこなった。ちょうど雨が降り始めて、今西さんが、昨年のシンポジウムの招待宴会での挨拶の続きとして、たくみに雨を話題に祝辞を述べて、参加者からの拍手喝采を受けた。ウルズィーバータル局長が「今年はもう雨が降らないでしょう。明後日、草原に行くとき、必ず晴れたいい天気になる」と自信満々で返事をした。宴会中、モンゴルの伝統の歌や馬頭琴の演奏が披露された。在モンゴル日本大使館 藁谷栄参事官が招待に応じて出席し、今後のSGRAのモンゴルプロジェクトについて、いろいろ助言してくださった。
翌日の7月4日午前、モンゴル・日本センターの多目的室、ゼミナー室1・2で、「ノモンハン事件(ハルハ河会戦)の真実: 多元的記憶と多国間アーカイブズの比較の視点から」「ノモンハン事件に対する理解の国際比較と現状」「ノモンハン事件に関する報道、文学、映画、音楽、美術」の三つの分科会をおこなった。シャグダル(B. Shagdar)少将、二木博史教授、ツェデブ学長、ルジャニン所長、ボラグ教授等が各分科会の議長をつとめた。
夕方、在モンゴル日本大使館公邸で、日本大使館とSGRA共同で招待宴会をおこなった。各国の研究者60名あまりが集まって、城所卓雄大使が英語で挨拶を述べた。研究者たちが乾杯しながら歓談し、意見交換をした。城所大使はやさしく、参加者の要求めに応じて、それぞれと記念写真を撮った。これまで、モンゴル国で、世界モンゴル学会など国際シンポジウムをおこなった際、日本大使館は日本の研究者を招待したことがあるが、各国の研究者を一緒に招待したのは、今回がはじめてだったそうで、たいへん有意義なことだと、日本の研究者だけではなく、海外の参加者からも好評だった。
シンポジウムはモンゴル語、英語、日本語、ロシア語の同時通訳がつき、効果的だった。2日間の会議中、モンゴル、日本、アメリカ、ロシア、イギリス、中国、韓国などの研究者が40本の論文(共同発表もふくむ)を発表し、ウランバートルにある各大学、研究機関の研究者、台湾国立政治大学民族学部藍美華教授、東京大学、東京外国語大学の研究者、留学生、中国社会科学院の訪問学者など180人ほどが参加した。会議の影響は大きく、モンゴルのモンツァメ国営通信社、『Udrin sonin(日報)』、UBSなど10数社が報道した。シンポジウムの発表の詳細については、別稿にゆずりたい。
これまで、ノモンハン戦争について、日本、モンゴル、ロシアが数回シンポジウムをおこなってきたが、いずれも各国各自の主催であった。ノモンハン事件をテーマに、日本とモンゴル国の諸団体が共同主催し、同事件に関わった国の研究者だけでなく、世界各国の研究者が集まって、国際学術シンポジウムを開催したことは、今回が初めてであった。田中克彦先生の言葉を借りると、「ノモンハンが軍事にとどまらず、多面的な文脈の中で明らかにされること」が、今回のシンポジウムのもっとも重要なところであった(田中克彦「ノモンハン戦争とは何だったのか、奪われた民族統合の夢」『朝日新聞』、2009年6月25日夕刊)。
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<ボルジギン・フスレ☆ Husel Borjigin>
博士(学術)、東京大学大学院総合文化研究科日本学術振興会外国人特別研究員。1989年北京大学哲学部哲学科卒業。内モンゴル芸術大学講師をへて、1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士号取得。今西淳子、Ulziibaatar Demberelと共著『北東アジアの新しい秩序を探る:国際シンポジウム“アーカイブズ・歴史・文学・メディアからみたグローバル化のなかの世界秩序――北東アジア社会を中心に――“論文集』(風響社、2009年)。
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★準備段階から、シンポジウム後のチョイバルサン旅行記までを含んだ12ページの報告書
★モンゴルシンポジウムとその前後の旅行の写真
フスレ撮影 石井撮影
★SGRAかわらばんで報告していただいた関連エッセイは下記よりご覧ください。
■ ボルジギン・フスレ「ハルハ河戦争(ノモンハン事件)は、モンゴルと日本の矛盾によっておこったのではなかった」
その1 その2
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2009年9月30日配信
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2009.08.05
2009年7月25日(土)午後2時より9時30分まで、軽井沢にて「東アジアの市民社会と21世紀の課題」をテーマに第36回SGRAフォーラムが開催された。
「良き地球市民の実現」を基本的な目標に掲げるSGRAは、2000年7月の設立以来、常にグローバル化と同時に市民社会に注目して研究活動を続けている。今回のシンポジウムはその一環として、「グローバル化と地球市民」研究チームが担当した。本フォーラムは、東アジアという地域の中でも特に、日本・韓国・フィリピン・台湾・香港・ベトナム・中国において市民社会とは何かという疑問を様々な角度から考察し、意見交換する場として実現した。東アジア各国の「市民」とは何か、NGO及びNPOなどの市民社会運動体の現状を、ヨーロッパ的な市民社会の背景と比較したうえで考え直す試みであった。
フォーラムでは、今西淳子代表の開会挨拶に続き、7人の先生方及びSGRA研究員による研究発表が行われた。まず、本シンポジウムの基調講演として、宮島喬氏(法政大学大学院社会学研究科教授)が「市民社会を求めての半世紀ヨーロッパの軌跡とアジア」というテーマの発表をした。宮島氏は、国境なきヨーロッパを作ることを目標とするEUとヨーロッパ市民社会の伝統・その現実との関連、その展望と問題点について述べた。特に、第二次世界大戦後、アジア諸国は独立国家を目指し、その過程でナショナリズムが高揚したが、それに対して、戦後ヨーロッパは、国家ナショナリズムは悪という自覚から出発していることを指摘した。「市民社会」というキーワードの出自であるヨーロッパを今回のシンポジウムの基調講演のテーマに設定したのは、東アジアの現実と可能性を意識しているからである。しかし、国家単位を超え、一つの共同体として変容していくヨーロッパとは異なり、東アジアにおいては、ASEANを除けばまだ実現していない「国境を越えた地域統合」は今後の課題である。特に難民や移民の受け入れに対する、ヨーロッパの国々の義務感、人権意識が強調された。
2番目の都築勉氏(信州大学経済学部教授)の発表は近代日本の市民社会政治の研究者の立場から「『市民社会』から『市民政治』へ」というテーマだった。都築氏は「市民社会」というキーワードで、近代日本とりわけ戦後社会の変遷、60年安保における市民運動の誕生の経緯や、その影響と発展などについて紹介した。そして、党派のセクト主義、偏狭的なナショナリムを超えるような「アソシエーション的新しい市民政治」の可能性を呼び掛けた。氏の発表は日本の国内レベルでは、市民の主体性につながる市民と政府の契約の結びなおしの可能性、国外のレベルでは日本とアジア、特に東アジアの連帯の可能性への期待を感じさせた。
3番目の発表者の高煕卓氏(延世大学政治外交学科研究教授、SGRA「地球市民研究チーム」チーフ)は「韓国の市民社会と21世紀の課題:『民衆』から『市民』へ~植民地・分断と戦争・開発独裁と近代化・民主化~」という発表をした。高氏は19世紀末の植民地期間における「民衆」「人民」という語の意味から、解放・南北分断後、60~70年代の開発独裁と近代化期間の民主化運動におけるこれらの言葉の意味の変化と表わし方の変容までの歴史を紹介し、市民政治の今日における韓国での意味・問題点を紹介した。「市民」が肯定され、「非営利民間団体支援法」が誕生したのは2000年のことであり、それが韓国の市民社会の芽生えだと位置づけた。高氏の発表では、下からの民主主義の歴史を誇る韓国の現代史の独自性が印象的であった。高氏は今回のシンポジウムの企画・実施のためにたいへんご尽力をいただいたキーパーソンでもある。
4番目の発表者は中西徹氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)であり、氏のテーマは「フィリピンの市民社会と21世紀の課題:「フィリピンの『市民社会』と『悪しきサマリア人』」である。中西氏は、塔に先に上った人々が「梯子を外す」ということに譬えながら、開発経済学の「新自由主義」によって強化された先進国の抑圧的な構造を紹介した。つまり、「国際社会におけるBad Samaritan (IMF、世界銀行、WTOなどの国際機関、及びそれらを支えている先進国)」との関係性の中で、フィリピンが発展途上国の貧困から抜け出すことが出来ないと指摘した。しかし、フィリピンの農村の人々が既に有しているコミュ二ティの資源を利用して、その固定的な階層社会を相対化し流動化していることを紹介し、貧困層が権利獲得と自立のためにネットワークを形成するという意味で市民社会の可能性を提示した。
5番目の発表は林泉忠氏(琉球大学准教授/ハーバード大学客員研究員、SGRA研究員)による発表である。林氏の発表は、「台湾・香港の市民社会と21世紀の課題:『国家』に翻弄される『辺境東アジア』の『市民』~脱植民地化・脱「辺境」化の葛藤とアイデンティティの模索~」というテーマだった。林氏は台湾・香港を例に、この二つの地域における市民社会形成の特徴を纏めつつ、それと「国家」との関係、植民地の歴史との関係を提起した。氏はこの二つの異なる地域における市民社会の形成の過程と民主化との関係、アィデンティティ形成との関係を示した。
6番目発表者であるブ・ティ・ミン・チィ氏(ベトナム社会科学院人間科学研究所研究員、SGRA会員)は、「ベトナムの市民社会と21世紀の課題:変わるベトナム、変わる市民社会の姿」という発表をした。ブ氏は社会学的な角度からこの15年間におけるベトナムの「市民社会」という「デリケート」な用語・概念自体の変遷を具体的なデータで示し、NGO組織、CGO組織のなどの増加の傾向を提示した。ブ氏は同時にべトナムの市民社会の形成の経緯・現状とその可能性を、中国、シンガポールなどの国と比較した。
最後の発表者は劉傑氏(早稲田大学社会科学総合学術院教授)であり、テーマは「中国の市民社会と21世紀の課題:模索する『中国的市民社会』」である。劉氏は中国の現代における「1949年」と「1978年」(とりわけ後者)の意味を強調し、さらにオリンピックと四川省の大地震後の民間組織とボランティア活動が盛んであった「2008年」を「中国公民社会元年」と位置づけた。また、劉氏は「公民社会」というキーワードで中国の市民社会の独自な文脈を強調し、同時に「知識界」という用語で、台頭する民族主義を、知識人が批判していることを取り上げつつ、中国の知識人の中国の「公民社会」の形成における役割を紹介した。劉氏は、インターネットと「公民社会」との関係、若い世代と「公民社会」との関係、「公民社会」と民族主義との関係を提示した。
夕食後、午後7時30分~9時まで、孫軍悦氏(明治大学政治経済学部非常勤講師、SGRA研究員)を進行役に、上記の講演者・発表者をパネリストとして、「東アジアの市民社会と21世紀の課題」をテーマとするパネル・ディスカッションを行った。パネル討論ではたくさんの質問が寄せられ、パネリストによる返答・討論を行った。東アジアが今後一つの共同体として姿を形作るには、まだ時間がかかることを認めたうえで、様々な経済的・政治的な問題が課題として残されていることが討論された。今回のフォーラム自体が「東アジア」という単位で考えるための一つの試みであったことは最も大きな成果だと考えられる。これからの東アジアの有様は、中国の国際プラットフォームでのステータスの上昇に大きく左右されると考えられる。また東アジア地域が戦争の負の記憶を乗り越え、新たな連帯・協力の体制を作るのがこれからの課題であろう。その過程において経済的にも比較的に余裕のある日本が自発的に協力・統合を呼びかける役割を果たすべきではないだろうか。
当日の写真は、下記からご覧ください。
足立撮影
マキト、郭栄珠撮影
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<林少陽(りん・しょうよう)☆Lin Shaoyang>
厦門大学卒業後、吉林大学大学院修士課程修了。学術博士(東京大学)。1999年来日。東京大学博士課程、東大助手を経て東京大学教養学部特任准教授。著書に『「文」与日本的現代性』(北京:中央編訳出版社、2004年7月)、『「修辞」という思想:章炳麟と漢字圏の言語論的批評理論』(白澤社、近刊)及び他の日本・中国の文学・思想史関係の論文がある。SGRA研究員
<Kaba Melek(カバ・メレキ)>
トルコ出身。2003年来日。現在、筑波大学人文社会科学研究科文芸言語専攻博士課程後期に所属。専門分野は比較文学・文化。SGRA会員
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2009.07.29
下記の通りSGRAチャイナフォーラムを開催します。参加ご希望の方は、SGRA事務局(
[email protected])までご連絡ください。また、北京と上海にお住いで、興味をもっていただけそうな方にご宣伝いただけますと幸いです。
【講演】 近藤正晃ジェームス
「TABLE FOR TWO ~世界的課題に向けていま若者ができること~」
★プログラムは下記URLよりダウンロードしていただけます。
日本語版
中国語版
■ 日時と会場
【北京】
2009年9月16日(水)午後4時~6時
北京外国語大学日本学研究中心三楼多功能庁
【上海】
2009年9月17日(木)午後6時~8時
上海財経大学梯一教室(国定路777号)
■ フォーラムの趣旨
開発途上国の飢餓と先進国の肥満や生活習慣病に同時に取り組む、TABLE FOR TWOという日本発の社会貢献運動の創始者、近藤正晃ジェームスさんにご講演いただきます。TABLE FOR TWOとは、先進国の食卓に出される健康的な食事が、開発途上国の食卓の学校給食に生まれ変わることを意味します。2007年に始められた活動ですが、協力企業はどんどん増え、たくさんの日本のメディアにとりあげられています。日中同時通訳付き。SGRAは、民間人による公益活動を、北京をはじめとする中国各地の大学等で紹介するフォーラムを開催していきたいと思っています。
■ 講演要旨
世界には60億人以上の人々が暮らしていますが、10億人が飢餓、10億人が肥満などの生活習慣病で苦しんでいます。世界の死亡と病気の原因は、1位が肥満、2位が飢餓です。戦争、事故、感染症を大きく上回る人類の課題です。この飢餓と肥満の同時解消に取り組もうと立ち上がったのがTABLE FOR TWO(TFT)です。TFTに参加する企業食堂、レストラン、ホテルなどで健康的な食事をとると、開発途上国で飢餓に苦しむ子供に学校給食が1食寄付されます。1人で食べていても、世界の誰かと2人で食べている。それでTFTという名前をつけました。日常の中で、世界とのつながりを感じられる。小さな一歩で、お互いに救われる。そんな運動です。社会起業家のキャリアに興味がある方、食や健康に興味がある方、TFTを中国で広げることに興味がある方。幅広い方々との議論を楽しみにしています。
■ 講師紹介
近藤正晃ジェームス(こんどう まさあきらじぇーむす)
現職:
特定非営利活動法人TABLE FOR TWO International 共同代表理事
特定非営利活動法人 日本医療政策機構 副代表理事 兼 事務局長
東京大学先端科学技術研究センター 特任准教授
略歴:
1990年慶応義塾大学経済学部卒。1997年ハーバード・ビジネス・スクール修了。
マッキンゼー・アンド・カンパニーにおいて、世界各国の支社で15年間、政府の経済政策および国際企業のグローバル戦略を立案。2003年より東京大学医療政策人材養成講座の設立・運営に関わる。2004年、特定非営利活動法人日本医療政策機構を共同設立。2005年ダボス会議ヤンググローバルリーダーに選出。各国のリーダー達と共にTABLE FOR TWOの構想を固め、2007年、特定非営利活動法人TABLE FOR TWO Internationalを設立。現在に至る。