SGRAの活動

  • 2010.03.30

    レポート第52号「東アジアの市民社会と21世紀の課題」

    SGRAレポート第52号本文 表紙 SGRAレポート第52号本文(中文版) 中文版表紙 (2014年3月26日発行) 第36回SGRAフォーラムin軽井沢講演録 「東アジアの市民社会と21世紀の課題」 2010年3月25日発行 <もくじ> 【基調講演】市民社会を求めての半世紀ヨーロッパの軌跡とアジア 宮島 喬(法政大学大学院社会学研究科教授) 【発表1】日本の市民社会と21世紀の課題 「市民社会」から「市民政治」へ 都築 勉(信州大学経済学部教授) 【発表2】韓国の市民社会と21世紀の課題 「民衆」から「市民」へ~植民地・分断と戦争・開発独裁と近代化・民主化~ 高 煕卓(延世大学政治外交学科研究教授、SGRA研究員) 【発表3】フィリピンの市民社会と21世紀の課題 フィリピンの「市民社会」と「悪しきサマリア人」 中西 徹(東京大学大学院総合文化研究科教授) 【発表4】台湾・香港の市民社会と21世紀の課題 「国家」に翻弄される「辺境東アジア」の「市民」 ~脱植民地化・脱「辺境」化の葛藤とアイデンティティの模索~ 林 泉忠(ハーバード大学客員研究員、琉球大学准教授、SGRA研究員) 【発表5】ベトナムの市民社会と21世紀の課 変わるベトナム、変わる「市民社会」の姿 ブ・ティ・ミン・チィ(ベトナム社会科学院人間科学研究所研究員、SGRA会員) 【発表6】中国の市民社会と21世紀の課題 模索する「中国的市民社会」 劉 傑(早稲田大学社会科学総合学術院教授) 【パネルディスカッション】東アジアの市民社会と21世紀の課題 進行: 孫 軍悦(明治大学政治経済学部非常勤講師、SGRA研究員) パネリスト:上記講師
  • 2010.03.17

    渥美財団15周年SGRA10周年記念祝賀会報告

    ~おかげさまでSGRAは10周年を迎えました~   2010年2月26日(金)小雨模様の東京の赤坂の鹿島KIビルで、渥美国際交流奨学財団創立15周年・SGRA(関口グローバル研究会)創立10周年の記念祝賀会が開催された。5年前の祝賀会と比べて一層盛大な会であったが、多くの「狸」の渥美財団(渥美理事長や今西常務理事)に対する感謝の気持ちを十分に実現できたと思う。 狸とは渥美財団の奨学生のことで、財団設立者渥美健夫氏が生前よく狸を描いていたことに因んでラクーン会という同窓会が組織されたため、その構成員は狸(あるいはRaccoon)と呼ばれている。ラクーン会のメンバー全員はSGRAの会員であるが、SGRAは開かれたネットワークであるから、そのメンバーは狸に限らない。尚、以下の狸年齢とは、渥美奨学生になった時から現在までの年数であるが、それは同時にSGRA会員歴を意味している。 祝賀会のプログラムは以下の通り。  ◎第一部(司会:于暁飛)    開会挨拶 渥美伊都子理事長    来賓祝辞 畑村洋太郎選考委員長、明石康評議員    渥美財団15年・SGRA10年の歩みと展望 今西淳子常務理事(SGRA代表)    元奨学生の近況紹介(台北・ボストン・ソウルとのインターネットライブ中継)    和太鼓演奏  ◎第二部 懇親会(司会:江蘇蘇、シム・チュンキャット) 今西代表が一年前の渥美財団理事会に提出した企画書がきっかけとなり、「AISF15★SGRA10」と名づけたプロジェクトが立ち上げられた。昨年夏のSGRA軽井沢フォーラムの時に、実行委員会の結成が提案され、秋になって正式に立ちあがった。6tanuki3というメーリング・リストが作られ、オンラインで頻繁に(多い時には1日20件くらい)、オフラインでも数回、実行委員会が開催された。「6」というのは実行委員の人数である(第二部の司会者たちの言葉で、狸年齢も加えると)エリック・シッケタンツ(1歳)、王剣宏(3歳)、シム・チュンキャット(4歳)、江蘇蘇(5歳)、全振煥(9歳)、そして僕マックス・マキト(15歳)。「3」というのは実行委員会を支えてくれたSGRAの石井慶子運営委員、嶋津忠廣運営委員長、今西代表である。 さて、実行委員のエリックは末っ子にもかかわらず、欧州梟の手配から当日のお手伝い人員募集やBGMまでたくさんの仕事をやりこなした。狸がまだ健在である筑波付近に住んでいる王は関口で行われた委員会までの長い道のりを何回も足を運んだ。バリトンの声とユーモアに溢れているシムは、委員会の財布を管理した唯一雌狸の蘇蘇と組んで、第二部の司会を務めた。財団やSGRAの良き支援者である鹿島の恩恵を受けている実行委員長の全は、今西代表と連携しながら、会場の設営準備、第一部のインターネットのライブ中継、第二部の鏡開き、ケーキやプレセントなど祝賀会の楽しいプログラムを仕切った。老狸の僕は皆に詳細な準備を任せながら、アンケート中間報告を中心に、パワーポイントの担当者として、これからの渥美財団とSGRAの将来を考える貴重な機会となる発表を準備した。 その他に、実行委員会と今西代表の呼びかけに応じてくれた狸もたくさんいて心強かった。当日の受付や会場案内にはベック(1歳)、ホサム(1歳)孫貞阿(1歳)、金英順(1歳)、梁明玉(6歳)、張桂娥(7歳)、マリア エレナ・ティシ(7歳)、インターネットライブには葉文昌(11歳)、ナリン・ウィーラシンハ(4歳)、撮影には郭栄珠(1歳)、馮凱(2歳)、陸載和(2歳)、看板や鏡開きには李済宇(6歳)、演台設営にはリンチン(1歳)、イェ・チョウ・トウ(1歳)、ルィン・ユ・テイ(9歳)が参加した。皆、研究や仕事で忙しい中、早くから駆けつけてお手伝いいただき、大きな力になった。この人たちを含め、51人もの狸が、祝賀会に駆けつけた。さらに、世界中の狸からこの祝賀会のために支援金が寄せられたことにも心から感謝したい。その他、SGRA賛助会員・特別会員、留学生支援団体、鹿島をはじめとする賛助企業などに参加していただき、また、たくさんの方々にご支援・ご協力いただきましたが、全ての方に御礼を述べきれなくてすみません。   「狸からの感謝」というテーマに加えて、この祝賀会で実感できたもう一つのテーマは「世界の狸」の存在だと思う。5年前には不可能だったインターネットライブを通して、台北の陳姿菁(8歳)と詹彩鳳(3歳)(+後ろで手を振っていたシステム担当の院生)、ボストンから眠そうな林泉忠(10歳)とケビン・ウォン(5歳)(ボストンは午前3時半だった)、「15」という字の飾りのついたチョコレートケーキを用意してくれたソウルの南基正(14歳)、韓京子(5歳)、李垠庚(3歳)からの挨拶があり、地球がいかに小さくなったかを感じさせた。さらには、梟(飾り物)が、(嶋津運営委員長に言わせれば)イタリア、ドイツ、中国、台湾、韓国、スリランカから飛んできた。そして、世界の狸を対象にしたアンケートにより、SGRAの7つの研究チームや4つの海外拠点活動にすでに時間とエネルギーを貸してくれているSGRA研究員に加えて、98狸が何らかの形でSGRAの活動に参加したい、23の新しい研究テーマで、新しく19カ国・地域でもSGRAの活動を展開させたいという世界中の狸からのラブコールが寄せられた。   第一部の締めくくりは、ミラ・ゾンターク(6歳)とお嬢さんのゆきこちゃん、studio邦楽アカデミー和太鼓大元組の皆さんの演奏だった。司会の于暁飛(8歳)が言ったように、太鼓の音が心の響きのようにカッコイイー演奏だった。 明石康先生はご祝辞の中で、「国際交流は『相手と同じである』というよりも『相手と違う』という前提に立ったほうがいい。『やっぱり同じだな』という発見は『やっぱり違う』よりも嬉しく感じる。違いがあってもそれを尊重することが重要だ」とおっしゃったが、さすが、国連の「一国一票」という原理の良き理解者である。 僕は、今回の発表でも使った10年前にSGRAを立ち上げた時の次のような言葉を思い出した。「日出ずる国の道を学ぶため、私達は世界のあらゆる地域から江戸川のほとり大名の領地が残る関口の森にやってきました。この地より私達は世界に向かって発信します。多様性の中の調和を求めて。」 畑村洋太郎選考委員長は、「選考委員を始めたのは今西さんと子どもの幼稚園が一緒という縁だった。途中で一時疲れて辞めようと思ったこともあったが、学問の最高府の研究に接する機会を逃すことになると気付き、また、やっているうちに面白さを感じ、お邪魔でなければずっと続けたい」とご挨拶されたが、世界の狸が同感できる言葉である。 今西代表も発表の中で、「今後、さらにメンバーを増やし、新しいテーマや新しい海外拠点へ輪を広げていきたい。周辺にあるものこそ、コミュニティーの資源ですから」と訴えかけた。 上述のように、今回の記念事業の一環として行ったアンケートにより、世界各地の狸たちが、SGRAの活動に関心を持っており、協力する意思があることが確認できた。この狸たちを含めたSGRA地球市民のひとりひとりが、それぞれの置かれているところでイニシアティブをとれば、自ずとSGRAのグローバルコミュニティーへの道が切り開けていくであろう。そのようなイニシアティブをサポートするために、近いうちにアンケート調査の第二弾を実施する予定である。SGRAの皆さんと一緒に、次への一歩を踏み出したいと思う。 渥美財団やSGRAの未来に関してなんだかワクワクする気持ちが湧いてくる。 -------------------------- <マックス・マキト ☆ Max Maquito> SGRA運営委員、SGRA「グローバル化と日本の独自性」研究チームチーフ。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、テンプル大学ジャパン講師。 --------------------------   ・実行委員(撮影班)が撮影した当日の写真は下記URLからご覧いただけます。 祝賀会アルバム1 祝賀会アルバム2 ・トーマスさんが撮影した当日の写真はここからご覧いただけます。   ID: [email protected]  PW: Lovely tanuki 2010年3月17日配信
  • 2010.03.10

    第9回日韓アジア未来フォーラム「東アジアにおける芸能の発生と現在―その普遍性と独自性」報告

    2010年2月9日(火)、韓国の古都慶州(キョンジュ)で「東アジアにおける芸能の発生と現在」をテーマに第9回日韓アジア未来フォーラムが開催された。日韓アジア未来フォーラムにおいて、芸能、特に伝統芸能がテーマとしてとりあげられたのは初めてであった。伝統芸能は、過去に留まっているものではなく、歴史を貫いて今でも生きているものが多い。例えば、日本の能や歌舞伎や浄瑠璃、韓国の仮面劇やパンソリなどがそうである。今回は、このように時代を越えて今に伝わる東アジア芸能を中心に、それらの普遍性と独自性を探り、その展開と現在的意義について考察することにした。さらに、「東アジア地域協力の歴史性や方向性について考える時、伝統文化の視点から提示できるものは何であろうか」という問いについて考えてみる機会を設けたのであった。   フォーラムでは今西淳子(いまにし・じゅんこ)SGRA代表と韓国未来人力研究院の宋復(ソン・ボク)理事長の挨拶に続き、4人のスピーカーによる基調講演と研究発表が行われた。まず、韓国ソウル大学の全京秀(ジョン・ギョンス)氏が「文化論の不変と特殊」と題した基調講演で、東アジアという地域の概念について説いた後、伝統と近代、東アジアの世界化などについて幅広い見識を述べた。次に韓国高麗大学の全耕旭(ジョン・ギョンウク)氏は、「東アジア公演文化の普遍性と各国の独自性」と題した発表で、東アジア共通の文化遺産である仏教・儒学・漢字などは、韓日中の各国においてそれぞれの国の風土と習合しながら独特の文化として形成されたことを指摘し、それは伝統芸能の世界でも同じであることを説いた。特に、シルクロードを経由して中国・韓国・日本に伝わった散楽が東アジアの仮面劇のルーツであることを、古墳壁画や多様な文献資料をあげながら追求した。 つづいて、京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センターの藤田隆則(ふじた・たかのり)氏は、「音楽と芸能における『伝統』『古典』観:伝統楽器の練習方法の日韓比較から」と題し、音楽と芸能における「伝統」や「古典」観について伝統楽器の練習方法の韓日比較という視点から発表した。氏は、アジアの音楽や芸能には、親や師に似ていることを個性よりも大切にする考え方が強かったが、日本では近代に入って、家元制度を通じて、そこに突出した高い価値が与えられてきたことを指摘した。さらに、能管の実演を入れて日本の伝統楽器の練習方法を紹介し、韓国における音楽・芸能の「伝統」「古典」観との違いを明らかにするための素材提供を試みた。最後に、跡見学園女子大学の横山太郎氏は、「芸能が劇場に収まるとき」と題した発表で、東アジアにおける非劇場型の芸能の多くが、近代化(西洋化)のプロセスを経て劇場で上演されるようになったことを指摘した上、この劇場への適合のあり方に、共通の構造があるのではないかということを説いた。特に、日本を代表する伝統芸能である能の事例分析を通じて東アジア芸能の近代化を考える共通の視点を提示した。 パネル討論には、全北大学の林慶澤(イム・ギョンテク)、檀国大学の韓京子(ハン・ギョンジャ)両氏が加わり、質疑応答の形で行われた。発表の時には時間の制約で触れられなかった事項を質問の形でうまく引き出してくれたので、より詳しい説明が聞けた。フロアーから寄せられた意見や質問に対して、タイムリミットで十分な意見交換ができなかったのはとても残念だった。   今回のフォーラムは、研究発表だけでなく、慶州の旅行も兼ねて行われた。SGRA研究員であり仏教美術専門家である陸載和氏に頼りながらたくさんの勉強ができ、有意義な時間が過ごせた。   慶州旅行については、張桂娥さんの報告をご参照ください。フォーラムの写真もそこからご覧になれます。 張 桂娥 「新羅千年の都~雨の慶州を巡る冬の旅~(その1)」 張 桂娥 「新羅千年の都~雨の慶州を巡る冬の旅~(その2)」 ---------------------------------- <金賢旭(キム・ヒョンウク) ☆ Kim Hyeonwook> 韓国檀国大学日語日文科卒業。東京大学大学院総合文科研究科(表彰文化論コース)より修士・博士。専門は能楽・韓日比較文化。著書に『翁の生成―中世の神々と渡来文化』(思文閣出版、2008)。仁荷大学非常勤講師。 ---------------------------------- 2010年3月10日配信
  • 2009.12.23

    第9回日韓アジア未来フォーラム「「東アジアにおける公演文化(芸能)の発生と現在:その普遍性と独自性 」ご案内

    下記の通り第9回日韓アジア未来フォーラムを韓国慶州にて開催いたします。一般公開ではありませんが、SGRA関係者の方にはオブザーバーとして参加していただくことが可能ですので、ご希望の方は12月31日までにSGRA事務局へご連絡ください。 日韓アジア未来フォーラムは、韓国(財)未来人力研究院/21世紀日本研究グループと(財)渥美国際交流奨学財団/SGRAとの共同プロジェクトで、2001年以来、毎年日韓交互に研究者を招待してフォーラムを開催しています。 ● 日 時:2010年2月9日(火)午後2時00分~5時00分 その後懇親会 ● 会 場:韓国 慶州教育文化会館(http://www.temf.co.kr/gyeongju/) ● お問合せ:SGRA事務局  Email: [email protected]  TEL: 03-3943-7612, FAX: 03-3943-1512 【フォーラムの趣旨】 東アジア地域協力を考えるに当たって文化的同質性が注目されて久しい。しかし、共通の文化への注目は未だに実を結ばずにいるのが現状である。本フォーラムでは、「文化」をキーワードに東アジア地域協力の歴史性や方向性について考えてみることにする。とくにその大きなポイントとなる公演文化(芸能)における同質性と異質性に着目し、その展開と現在的意義について考察する。いくつかのテーマについて主題発表をお願いし、その後、パネルディスカッション、自由討論を行う。(日韓逐次通訳) 【プログラム】 詳細はここからご覧ください。 総合司会:金 雄熙(仁荷大学副教授) 開会の辞: 李 鎮奎(未来人力研究院院長、高麗大学経営学部教授) 挨拶:今西淳子(SGRA代表、渥美国際交流奨学財団常務理事) ● 主題発表1:「東アジア公演文化の普遍性と各国の独自性」 全キョンウク(高麗大学国語教育科教授) ● 主題発表2:「音楽と芸能における『伝統』『古典』観:伝統楽器の練習方法の韓日比較から」 藤田隆則(京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター準教授) ● 主題発表3:「芸能が劇場に収まるとき」 横山太郎 (跡見学園女子大学准教授) ● パネルディスカッション 進行:金賢旭(韓国外国語大学・檀国大学非常勤講師、SGRA研究員)    韓京子(檀国大学日本研究所学術研究教授、SGRA研究員)  
  • 2009.12.17

    第37回SGRAフォーラム「エリート教育は国に『希望』をもたらすか:東アジアのエリート教育の現状と課題」報告

    2009年12月5日、東京国際フォーラムガラス棟710号室にて第37回目のSGRAフォーラムが開催されました。今回のフォーラムのテーマは「エリート教育は国に『希望』をもたらすか:東アジアのエリート教育の現状と課題」であり、「東アジアの人材育成」チームが担当しました。世界各国における人材競争が激しさを増す中、「エリート教育」に関する今回のフォーラムは多くの方の関心を呼び、62名の参加者を得た盛会となりました。 今回のフォーラムでは、羅仁淑さん(国士舘大学政経学部非常勤講師)が進行役を務めました。今西淳子SGRA代表の開会の挨拶に続き、3人のSGRA研究員による研究発表が行われました。     まず、シンガポール出身のSIM CHOON KIATさん(東京大学大学院教育学研究科研究員・日本学術振興会外国人特別研究員)が、「エリート教育:自由主義の日本VS.育成主義のシンガポール」というテーマで報告を行いました。日本とシンガポールのエリート教育の現状を紹介した後、両国の超名門高校で行った調査に基づいて、自由放任式の日本エリート教育と育成主義のシンガポールのエリート教育の特徴と限界について具体的に考察しました。特に、「国や社会のリーダーになりたい」、「将来社会の役に立つと思う」、「社会的弱者を助けたい」などの質問項目に現れた「エリート意識」において、育成主義のシンガポールのエリート学校の生徒が高い支持率を示していることに注目し、日本のエリート教育の問題点を指摘しました。   次に、金範洙(東京学芸大学特任教授・韓国国立公州大学校客員教授)さんは「韓国のエリート高等教育の現場を行く―グローバル時代のエリート教育を考える―」と題した報告で、国際社会でも話題になる韓国の大学進学のための受験競争を背景に、平準化政策からエリート教育への転換の経緯を紹介しました。特に李明博新政権の誕生後、教育の自律性が重視され、特殊目的高等学校、英才学校、自立学校、特性化高等学校、自立型私立高等学校、自律型私立高等学校など多様なエリート高校が誕生した韓国エリート教育の現状を豊富な資料とともに概観しました。と同時に、激変する教育環境の中で、東アジアの状況を踏まえての国際連携の可能性をも提起しました。 最後に、本稿の筆者である張建(東京大学大学院教育学研究科)が、市場化のなかの中国エリート教育」と題した報告を行いました。この報告では、中国の「重点学校」をエリート教育機関と位置付け、その形が歴史的に三つの段階を経て現在にまで発展してきたと説明しました。また、中国の教育市場化による「重点学校」の運営原理の変化を取り上げ、その問題点を分析した後、報告者が実施した高校生を対象とした質問紙調査のデータを用いて、エリート教育と社会階層との関係、重点高校選抜の公平性問題、エリート教育と非エリート教育との関係などの側面から、中国のエリート教育が直面する問題を詳細に分析しました。   フォーラム全体の総括は、玄田有史(東京大学社会科学研究所教授)先生によって行われました。玄田先生は、希望学という視点から、「エリート」の意味の歴史的な変容やエリートと社会・国家との関係についてお話しをされました。また、政治エリートに必要な資質としての「愛嬌」・「運強さ」、絶望の対義としての「ユーモア」など、エリート教育について興味深い問題提起をなされました。玄田先生ご自身の講演が、非常にユーモアに溢れており、会場が大きく沸いていました。 パネルディスカッションでは、3名のフォーラム参加者と玄田先生が、それぞれ「儒教文化とエリート教育」、「軍隊エリートの育成問題」さらには「運とエリート」について、フロアからの質問を受けました。発表者はそれぞれの出身国の状況や自分の考えについてコメントし、会場は盛り上がりを見せました。 今回のフォーラムは、三名の報告者がすべて渥美国際交流奨学財団の元奨学生であり、なおかつSGRA研究員であることが大きな特徴でした。このことは、渥美財団の長期にわたる人材育成への努力の成果を示していると考えられます。フォーラムの最後に、SGRA運営委員長の嶋津忠廣さんが、渥美財団のこのような実績に触れつつ閉会の辞を述べられました。本フォーラムの内容に関しては、詳しくは来年の春に発行予定のSGRAレポートをご覧くさい。 --------------------- <張建(ちょう・けん)☆Zhang Jian> 中国山東省済南市出身。1999年来日。東京大学大学院教育学研究科博士課程に在籍。中国の後期中等教育と社会階層をテーマとした博士学位申請論文を本年9月に提出。SGRA研究員。 --------------------- ● フォーラムの写真 馮凱撮影 足立撮影 ■ 本フォーラムについて、SGRA会員で元駐日欧州委員会代表部の高橋甫さんから、大変興味深いコメントをいただきましたのでご紹介します。 ○ テーマ設定、配布資料の内容等から、私の印象を若干のべさせていただきます。 今回のフォーラムテーマ「エリート教育は国に希望をもたらすか:東アジアのエリート教育の現状と課題」は大変興味深いテーマと思いました。 こうした内容のテーマのフォーラムが出来るのも(それも日本語で)SGRAの人的ネットワークならでは、ということと思います。と同時に、日本ではいかに隣国あるいはアジア諸国の事情に疎いか、また知るチャンスが限定されているかを認識いたしました。 それなりに教育に関心がある私でも、中国と韓国(そしてシンガポール)の教育制度に関する知識がゼロに等しかったわけですので。 テーマのサブタイトルにある「東アジアのエリート教育の現状と課題」とある以上、「エリート教育が「国」に希望をもたらすか」だけでなく、「エリート教育が東アジアに希望をもたらすか」の議論はあったのでしょうか。 東アジアの将来を考えた場合、とりわけ東アジア共同体構想を前進させるには、次世代を念頭に入れた対応が関係諸国に求められる筈です。 教育分野での対応のそのうちの一つでしょうし、東アジアのリーダーを担う人材を育てるためにも国レベルそして地域レベルでの「東アジアに希望をももたらすエリート教育」も必要となってくると思います。 韓国に関するプレゼンの一貫として「東アジア教員養成国際コンソーシアム」の結成についての説明がありました。 東アジアの将来にとって、こうした動きは大切な一歩になると思います。 同コンソーシアムの目的と事業として、留学、研修、共同研究、教員育成といったように「東アジア地域の教育の発展」が目的としていますが、是非とも教育の発展の目標の一つとして、「東アジア共同体構築に向けた人材の育成」も掲げて欲しいものです。 ご参考までに、以下、欧州統合を人材育成面からサポートしている教育機関を挙げて見ました。 European Schools European University College of Bruges European University Institute 勿論、これまで欧州統合に実際に係わった指導者、実務者は加盟国の教育機関で教育を受けたエリートで占められていたわけですが、統合半世紀を超え、上記の教育機関で教育を受けた世代が、EU諸機関に勤務するケースが増えてきたことも事実となっています。 2009年12月17日配信
  • 2009.11.25

    レポート第51号「テレビゲームが子どもの成長に与える影響を考える」

    SGRAレポート第51号本文 SGRAレポート第51号表紙   第35回SGRAフォーラム講演録 「テレビゲームが子どもの成長に与える影響を考える」 2009年11月15日発行   <もくじ> 【発表1】現代社会はテレビゲームをどう受容してきたか                  ~「テレビゲームの影響」を多面的に捉えるために~       大多和直樹(東京大学大学総合教育研究センター助教)   【発表2】テレビゲームと子供の健康       佐々木 敏(東京大学大学院医学系研究科教授)   【発表3】テレビゲームが子どもの心理に与える影響       渋谷明子(慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所研究員)   【パネルディスカッション】       進行:江蘇蘇(東芝セミコンダクター社勤務、SGRA研究員)       パネリスト:上記講演者
  • 2009.10.30

    第37回SGRAフォーラム「エリート教育は国に『希望』をもたらすか:東アジアのエリート教育の現状と課題」へのお誘い

    下記の通り第37回SGRAフォーラムを開催します。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。当日参加も受付けますが、準備の都合上、できるだけ事前にお知らせくださいますようお願いします。SGRAフォーラムはどなたにも参加いただけますので、ご関心をお持ちの皆様にご宣伝いただきますようお願い申し上げます。 日時:2009年12月5日(土)  午後2時30分~5時30分 その後懇親会 会場: 東京国際フォーラム ガラス棟G701会議室 申込み・問合せ:SGRA事務局  電話:03-3943-7612  ファックス:03-3943-1512  Email:[email protected] 【フォーラムの趣旨】 SGRA「東アジアの人材育成」研究チームが担当するフォーラム。 国際化の進展と知の世界競争が激しくなるなか、国際的にも通じ、自国の社会的ニーズにも応じられる次世代の人材を育成すべく、ほとんどの国でエリート教育の推進が重要な政策課題となっている。とりわけ、儒教文化が根強く残り、学校教育を重んじる傾向にある東アジアの多くの国では、経済競争力を維持していくためにも、未来への投資として国の将来を担えるエリート的人材の育成が積極的に取り組まれている。このような人材育成制度が国や社会にどのような影響を与えているのか。そもそもエリートとは何なのか。今はどんなリーダーが必要とされているのか。本フォーラムの前半では、日中韓シンガポールのエリート教育の制度と実態について最新の調査研究を報告する。後半には、玄田有史氏に、希望学の視点からこの大競争社会におけるリーダーの役割やエリート教育について総括していただく。 【プログラム】 詳細はここからダウンロードしていただけます。 ● 発表1:シム チュン キャット(東京大学教育学研究科研究員・日本学術振興会外国人特別研究員) 「エリート教育:自由主義の日本vs.育成主義のシンガポール」 ● 発表2:金 範洙(東京学芸大学特任教授・韓国国立公州大学校客員教授) 「韓国のエリート高等教育の現場を行く:グローバル時代のエリート教育を考える」 ● 発表3:張 建(東京大学大学院教育学研究科博士課程) 「市場化のなかの中国のエリート教育」 ● 総括・コメント:玄田有史(東京大学社会科学研究所教授) 「希望学からみたエリート教育」 ●パネルディスカッション
  • 2009.10.28

    第4回SGRAチャイナフォーラム「TABLE FOR TWO~世界的課題に向けていま若者ができること~」報告

    【北京】   第4回チャイナフォーラム(北京)は体の丈夫そうな宋剛君の強力かつ情熱的な勧めで、9月16日に北京外国語大学の日本学研究センタAー三階の多目的ホールにて開催された。2006年に北京大学で開催したパネルディスカッション「若者の未来と日本語」、2007年に北京大学と新疆大学で開催した緑の地球ネットワーク高見邦雄事務局長の講演「黄土高原緑化協力の15年:無理解と失敗から相互理解と信頼へ」、2008年に北京大学と延辺大学で開催したアジア学生文化協会工藤正司常務理事の講演「一燈やがて万燈となる如く~アジアの留学生と生活を共にした協会の50年~」に引き続き第4回目であった。今回のテーマは「TABLE FOR TWO~世界的課題に向けていま若者ができること~」で、講演者は特定非営利活動法人TABLE FOR TWO Internationalの近藤正晃ジェームス共同代表理事だった。   9月16日午後4時、フォーラムは定刻どおり開始し、SGRA代表の今西淳子さんと国際交流基金北京日本文化センターの小島寛之副所長の開会挨拶の後、司会の孫健軍さん(北京大学/SGRA)は、フロアにいる70名近くの入場者に近藤正晃ジェームスさんを紹介した。近藤さんは、世界の死亡・病気の原因のトップ2は肥満と飢餓だと説明し、その同時解消に取り組もうというTABLE FOR TWO(TFT)の創立趣旨を紹介し、近年の活動成果および数多くの興味深い事例を生々しく語った。   具体的には、2007年2月に日本で始まったTFT活動は、2009年6月時点では鹿島建設を含む130の企業、衆参両議院をはじめとする多くの官公庁や、地方自治体、大学、病院など200以上の事業所における実施協力を得たという。活動の内容は、日本などの先進国において、実施団体に所属する人々の一食分のカロリーを減らすと約20円程度が節約でき、それをTFT事務局を通してアフリカなどの発展途上国の学校に寄付し、子供たちの給食にするというシステムだそうだ。さらに、事例としては、ウガンダ、ルワンダ、マラウィの三カ国における実施を通じて、子供たちの「栄養状態は改善、健康増進につながる」、「給食導入後の半年から一年で生徒数が2倍近くに増加」、「最終学年の50人のうち、42人が高等教育への進学試験に合格」といった成果を収め、これまでの累計支援定食数は104万食を超えているという。さらに、レストラン、宅配、コンビニなど業界への活動拡大も着々と進めており、地球範囲での実施を今後の課題として視野に入れていると近藤さんは抱負を語った。   近藤さんの目を見張らせる志とTFT活動の成果の一つであるその健康ぶりと若さに驚いた参加者から、「カロリーオフのメニュー」、「TFT活動の運営システムと監督規制」、「中国企業との連携可能性」など、多岐に渡って数多くの質問が出され、会場ではインターアクションのムードが高まり、予定を延長して6時15分、李恩民さん(桜美林大学/SGRA)の閉会挨拶で第4回チャイナフォーラムは幕を下ろした。懇親会は北外賓館のレストランで行い、自由参加で学生さんを中心に40人程度が集まった。宴会中、今回のフォーラムの北京担当の宋剛君は熱で耳鳴りがしていたが、「近藤さんは行動的だ、援助金でご馳走してくれたね、早く北京で活動拡大してほしい」という参加者の声が聞こえた。今後の北京の立場と今夜の宴会の勘定者を間違えられたが、とりあえずTFTという活動を中国で初めて知ってもらえたことで、宋君の熱がだいぶ下がったようだった。   (文責:北京外国語大学/SGRA 宋 剛)   【上海】   9月17日夕方、SGRA上海フォーラムは上海財経大学にて開催された。テーマは「TableFor Two」で、前日北京フォーラムと同じ内容であった。北京の講演には70名の学生が参加したことを知って、本学ではどのぐらいの学生が集まるのかとても不安であった。というのは、上海財経大学は規模が小さく、経済や経営関連の分野を専攻している学生が大半であり、日本語学科の学生は一学年に一クラスしかないから、日本のことや社会貢献、ボランティアなどにどれほど興味を持つのか分からないからだ。さらに、その日はあいにく天気が悪く、朝から大雨が続いていたので、一層学生の出足を心配した。   ところが、講演の20分前までがらがらだった教室は、定刻の6時になると、学生さんが次々と入り、教室の大半を埋めた。結局、100人近くの学生が出席してくれた。翌日学生さんに確認したところ、参加者には学部2年生と3年生が多かったが、1年生と4年生もいる。また、修士課程の学生も何人かいた。日本語学科の学生は全体の三分の一に過ぎなかった。   スクリーンに映されたPPTは日本語のもので、講師の近藤さんも日本語でスピーチをしていたが、北京大学/SGRAの劉健さんの素晴らしい逐次通訳によって、講演はスムーズに進んでいた。質疑の時間に入ると、学生さんから沢山の質問が出された。中には、講師に日本語で直接質問した人も何人かいたが、その場合も通訳が必要なので、結構時間がかかった。講演終了後も近藤さんを囲んでさらに質問する学生もいた。その熱心ぶりに感服したが、終了時間は予定より1時間も延長された。   逐次通訳の講演は効率が落ちることを覚悟していたが、3時間ほどになるとは思わなかった。また、会場は普通の教室だったので、臨時に増加したマイクの調子も良くなかったなど、改善すべき点もいくつかあった。とはいえ、講演は概ね成功したといえる。経済学専攻の学生さんからは日本語専攻者とは違った質問が出たと近藤さんが言う。実際、今回のフォーラムが成功裏に終わった主な要因は、何より講師の近藤さんの素晴らしいスピーチである。その話し方はとても魅力的で、大学の先生よりも上手だなあと感心した。   回収されたフォーラムに対するアンケート調査を見ると、参加者のほとんどがフォーラムの主旨を理解し、収穫を得たと回答した。講演を通じて、日本発の民間人によるグローバルな社会貢献運動を中国人学生に伝え、彼らや彼女たちの視野を広げることができたと思う。これからは、貧困や環境汚染といった世界共通の問題を真剣に考え、TFTのような社会貢献運動に取組んでいくことを中国の若者に期待したい。   (文責:上海財経大学/SGRA 範 建亭)   ■ 初めての上海虹橋→東京羽田のシャトル便は極めてスムーズで、今回使った全ての便と同様、満席でした。東アジアの人の交流はますます盛んになってきていると旅行する度に感じます。そして、いつものように、中国の発展のパワーとエネルギーに圧倒されました。   フォーラム前の南開大学の国際シンポジウム「グローバル化時代における東アジアの制度変革」へのオブザーバー参加から、フォーラム後の上海万博の工事現場見学まで、とても充実した一週間でした。南開大学の楊棟梁先生、宋志勇先生、上海設計学院のPan Zhengwei先生をはじめ、ご支援ご協力いただきました皆さまに、心から御礼申し上げます。   宋剛さんと範建亭さんのご尽力のおかげで、北京と上海で開催した今年のチャイナフォーラムも無事盛会裡に終わりました。今年の講師の近藤さんは、参加者と年齢も近く、トピックも現代的で、聴く人を惹きつける力をもっていらしたので、両会場とも大変良い雰囲気で良い交流ができたと思います。上海財経大学では、社会起業ということ自体に関心のある学生さんが自分達の活動レポートを配布し、若者の間でグローバル化の潮流が伝わるスピードの早さに驚きました。SGRAチャイナフォーラムは、来年も9月に、今度は北京とフフホトで開催したいと思っています。みなさん是非ご予定ください。 (SGRA代表 今西淳子)   ■SGRAチャイナフォーラムの写真は下記よりご覧ください。 石井撮影     劉健撮影     李恩民撮影     2009年10月28日配信
  • 2009.10.07

    国際シンポジウム『世界史のなかのノモンハン事件(ハルハ河会戦)』報告(その2)

    ノモンハン事件(ハルハ河会戦)70周年を記念して、2009年7月3、4日にウランバートルで開催したシンポジウムについては、前回のかわらばんで報告いたしましたが、基調講演をお願いした一橋大学名誉教授の田中克彦先生が、現在編集中の論文集のためにシンポジウムを総括してくださいましたので、先生のご承諾を得てご紹介いたします。尚、田中先生は、本年6月に出版された岩波新書「ノモンハン戦争 モンゴルと満州国」で、新史料に基づくモンゴル人研究者による業績を含めた最近の研究成果をわかりやすく纏めていらっしゃいますので、是非ご一読ください。 ■ 田中克彦「2009年ウランバートル・シンポジウムを終えて」 モンゴルとソ連は、その堅固な友好の同盟関係を強調するために、しばしばハルハ河戦勝記念日を祝っていたと思われる。それを知ったのは、たまたま戦勝30周年にあたる1969年、ウランバートルを訪問したときである。記念行事のためにモンゴルを訪れていたらしいソ連軍将兵が「ハルハ河30年」と書いた記念バッヂを胸につけて街を散策しているのを見かけて話し合い、そのことを知ったのである。 その時私は、かれらの敵対者であった日本も、そのような催しに加わって、不戦を誓いあうべきではないかと考えて、雑誌『世界』に一文を寄せた(「ノモンハンとハルハ河のあいだ」)。それは3年後にモンゴル語に翻訳されて、モンゴルでひろく読まれた。 私のこの一文の影響のせいか否か、明らかではないが、それから20年たった、すなわちハルハ河50周年にあたる1989年6月、モンゴルは日本からも研究発表者を招いてウランバートルでモ・ソ・日の三者からなる「ハルハ河50周年シンポジウム」を開催した。これがきっかけとなり、それから2か月たった8月、今度はモスクワに、モンゴル、日本から代表を招いて円卓会議が開かれた。主催はソ連国防省軍事史研究所で、日本からの出席は私だけだった。 その席で、次回は日本が行うべきだと多くの参加者たちが要求したので、私は「何とか努力しましょう」と半ば約束させられてしまった。   この約束は1991年に実現した。NHK、朝日新聞社をはじめ、ジャーナリズムやいくつかの企業から資金が寄せられたおかげである。シンポジウムで発表されたロシア語とモンゴル語の論文はすべて翻訳され、さらに一般参加者からの発言、討論も含めて、『ノモンハン・ハルハ河戦争』として1992年原書房から刊行された。 この東京シンポジウムには特に指摘しておかねばならない価値があった。というのは、モンゴルの固有の領土の一部が、日本に占領されたまま停戦協定が結ばれてしまったために、モンゴル領として回復されず、今日の中国領に残ってしまった。このことを、1936年にモンゴル、ソ連との間で締結された、相互援助条約の不履行であるという指摘をモンゴル代表が行ったのである。つまりモンゴル側からソビエト連邦に対する不服のあることが明らかにされたのである。これは会場を日本で準備して得られた大きな成果であった。モンゴル代表は、日本では、比較的自由にふるまえたからだと思う。   その後、年々ハルハ河戦争についてシンポジウムが行われたが、今回、日、ロ、モ三国の間に行われた70周年シンポジウムは、1991年の結果をさらに展開させた点で注目すべき催しであった。 以下に、寄せられた9か国40本の発表論文の分析にもとづき、そこに示された注目すべき関心をいくつかの項目にまとめる。   1. ノモンハン戦争の原因と目的に関して この戦争をはじめたのは日本側であるというのが全般的な共通認識である。日本では現地の関東軍が東京の大本営の制止を受け入れず独走したとの議論がひろく知られ、一般認識となっているが、ソ連(ロシア)、モンゴルではそうではない、1927年に当時の首相田中義一が天皇に上奏した、大規模な侵略計画にもとづいて開始されたのがノモンハン戦争だという説がいまなお一貫して維持されている。ロシアの学会ではこの上奏文なるものが偽文書だということが徐々に理解されてきたが、今回、依然として、そこからノモンハン戦争の原因が説き起こされているのは注目すべきことだ。 日本の研究者は、今回のシンポジウムまで、こんな議論がくりかえされているのかとあきれているが、こういう誤った前提が解消されるには、あと10年、つまり80周年のシンポジウムまでかかるであろう。 2. ノモンハン戦争は避けられたはずだとする説 1935年、ノモンハン戦争の前哨をなす、ハルハ廟における満洲国軍とモンゴル軍の衝突以来、双方はこうした紛争が大きく発展するのを阻止するため、それぞれが代表を派遣して、マンチューリで会談を行うことになった。この会談は、満、モ双方がそれぞれの支配者である、日本とソ連の支配から脱して、独立統合への道を模索する密談を含むものとして、日、ソ双方が会談を妨害、阻止した。日、ソは、満、モの代表それぞれを逮捕処刑した。しかし、もしこのような妨害が行われなければ、マンチューリの会談は成功して、戦争に至らずにすんだかもしれないという趣旨のものだ。1991年の東京シンポジウムではじめて発表されたこの考え方を、今回のシンポジウムで受けついで発表したのが、私、田中である。 3. 国境認識にかかわる地図の研究 ソ連は、1932年に、ハルハ河が満、モ国境線をなすという、日本側と同様の認識をもっていた。しかし、1934年までの間にノモンハン・ブルド・オボーを国境線とするという認識に変わった。この問題は国境衝突事件としてのこの戦争を研究する上で出発点となるほどの重要性がある。しかし、勝者としてのロシアには国境線については議論の余地がないものとしてあまり関心がないのに対し、日本代表にはまだ議論し足りない不満が残った。 4. 国際関係からみたノモンハン戦への関心 すなわち、日本はなぜ停戦を急だか、また、41年には、ドイツ軍がモスクワに迫っていたときを利用して、なぜ日本はドイツの同盟国でありながら、ソ連に攻撃を加えず、想像を絶した真珠湾攻撃に踏みきったのか。あの時、もし日本がドイツに呼応してソ連を攻撃していたら、ソ連は崩壊していたかもしれないというような問題提起である。日本では考えられないこのような仮定はアメリカ、イギリスなどの参加者から出された。 また、アメリカからはもう一人の気鋭の研究者が、ノモンハン戦争を朝鮮戦争と対比して見せた。同じ民族がかれらを分断した国境の双方から敵対したという点に注目した、このような巨視的な見方は、欧米の研究者にしてはじめて得られるものであろう。 5. 日本の国内事情にも関心が持たれるようになった 1989年のモスクワ円卓会議で、私は辻政信参謀個人の性格が戦闘の開始そのものにも、関東軍の行動の上にも大きな影響を及ぼしたことを述べたけれども、ソ連は全く関心をもたなかった。天皇を頂点とする規律正しい帝国日本では、一個人がそのような独走を演ずる余地は全くなく、関東軍の動きを、一貫した侵略計画の不動の方針に従ったものとする理解の域を出なかった。しかし今回2009年のウランバートルでは、停戦協定を結んだ東郷大使の回想録を読んで、その人柄を知り、東郷が停戦にこぎつけた功績をたたえる発表が行われた。これは日本側の立場を内部にたち入って明らかにしようと試みたものであって、研究がよりこまやかになり、大きく進展するきざしを見せるものとして注目すべきであろう。 6.ノモンハン戦争の背後には満洲国とモンゴル人民共和国の国境によって分断されたモンゴル諸族の統一運動があったことを重視する視点は、最近のモンゴル人の著作には至るところ示されているけれども、それをまとめてとりあげる試みはなかった。しかし、田中の提出したこの観点に積極的に賛意を示す人は少なく、と言って反論する人もいなかった。ロシアの人たちには不快に感じられたはずである。しかし、これは将来忘れられない論点になるである。 以上、今回のシンポジウムの成果を、1989、1991年の状況と比べるならば、長足の進歩があったと称賛しなくてはならない。そして、歩みは遅いけれども、国際的なシンポジウムが開かれる度に、確実に発展があり、それはハルハ河戦争のみならず、モンゴル、ロシア、日本相互の間の国際理解に大きく寄与したことが実感される。 半世紀にわたってこの経過を見つづけてきた者には、なお80周年のシンポジウムが行われる必要があり、そこではさらに大きな一歩が進められるであろうと期待される。 ------------------------------------------- 2009年10月7日配信
  • 2009.10.05

    レポート第50号「日韓の東アジア地域構想と中国観」

    SGRAレポート第50号本文(日本語)本文 SGRAレポート第50号本文(日本語)表紙   SGRAレポート第50号本文(韓国語)本文 SGRAレポート第50号本文(韓国語)表紙   第8回日韓アジア未来フォーラム・第34回SGRAフォーラム講演録 「日韓の東アジア地域構想と中国観」 2009年9月25日発行   SGRA_Report_50(English)TEXT SGRA_Report_50(English)COVER   The 34th SGRA Forum/8th Asian Future Forum of Japan and Korea "East Asian Regional Concept and Chinese View of Japan and Korea"   <もくじ> 【発表1】平川 均(名古屋大学経済学部教授、SGRA顧問)      「日本の東アジア地域構想-歴史と現在-」   【発表2】孫 洌(延世大学国際学大学院副教授)      「韓国の東アジア地域構想-韓国の地域主義-」   【発表3】川島 真(東京大学大学院総合文化研究科准教授)      「日本(人)の中国観」   【発表4】金 湘培(ソウル大学外交学科副教授)      「韓国(人)の中国観」   【コメント】李 鋼哲(北陸大学未来創造学部教授、SGRA研究員)      「中国からみた日韓の中国観」   【パネルディスカッション】      進行:金 雄煕(韓国仁荷大学国際通商学部副教授、SGRA研究員)      パネリスト:上記講演者