-
2016.01.14
【1】フフホト会議
2015年11月20日、中国内モンゴル自治区フフホト市の内モンゴル大学で、渥美国際交流財団関口グローバル研究会主催の第9回SGRAフォーラムinフフホト「日中二百年――文化史からの再検討」が開催された。フフホトでのSGRAチャイナフォーラムは、2010年、2011年に続く3回目である。前2回のフォーラムは内モンゴル大学モンゴル学研究センターを中心に開催され、渥美財団の事業及びチャイナフォーラムを内モンゴルの若者たちに広く知らせる場を提供し、とても良いスタートを切ることができた。今回は国際交流基金北京日本文化センターの協賛を得、内モンゴル大学モンゴル歴史学部、清華大学東亜文化論壇、北京大学日本言語文化学部との共催であった。本大会は劉建輝教授(国際日本文化研究センター)を迎え、「日中二百年――文化史からの再検討」をテーマに進められた。
開会式は午後3時からはじまり、ボヤンデルゲル教授(内モンゴル大学)の司会で行われた。まず主催者側からソドビリグ教授(内モンゴル大学)の歓迎の挨拶があった。次いで本大会開催にあたって渥美財団の今西淳子常務理事からの渥美財団及びSGRA、チャイナフォーラムの現在にいたるまでの歴史の紹介、王中忱教授(清華大学)、周太平教授(内モンゴル大学)、孫健軍副教授(北京大学)から祝辞が述べられた。その後、劉建輝教授による講演がはじまった。
劉教授の講演は内容構成として1.前近代と近代における東アジア文化圏の異同、2.支え合う日中の近代文化、3.過去、現在から未来へ――「東アジア文化圏」再構築の可能性と課題、4.東アジア近代と張家口、とに分けて、当時の貴重な資料を交えながら、詳細なデータと豊富な写真をパワーポイントで紹介した。日本と中国の近代史は、東アジア地域に多大なものを残している。不幸と悲劇だけではない、お互いの交流によって誕生した出来事と文化事象をもう一度見直してみる。そこにはまさに支え合う関係があるという日中関係の新しい歴史視点を詳細にかつ具体的に述べ、内モンゴル大学のモンゴル人研究者たちと率直に議論を深めることができたことは大変有意義であった。
特に、張家口は伝統的に、モンゴルやロシアとの交易を行う中国の要衝で、また蒙漢両民族を分かつ「国境」の関口でもあった。本来、日本は直接的にはほとんど関係のなかった「周縁」地域だが、大正、昭和に入ってから、日中の軍事、経済的勢力の消長により、一時「蒙疆」と呼ばれていたように、「満洲」や上海などと並んで、日本ないし日本人がもっとも深く関わる場所の一つとなった。劉教授は「日本関連在外資料の調査研究」プロジェクトの一環として、張家口に関する現地調査や資料収集を行っておられ、その詳細な研究の方向性は高い評価を受けており、今後一層の研究交流が図られることが期待されている。
講演の後、質疑応答と活発な討論が行われ、講師からの回答及び補足説明などもあった。その後、閉会の辞があり5時に会議は無事に終了した。参加者は内モンゴル大学歴史学部、内モンゴル大学モンゴル学研究センターの研究者の他、内モンゴル大学の学部生、院生、日本からの留学生、他大学からの出席等百余名を数えた。
当日の写真
北京フォーラムと合わせたアンケートの集計
----------------------
<娜荷芽(ナヒヤ)Nahiya>
2012年東京大学総合文化研究科博士号取得。内モンゴル大学学士、東京外国語大学修士。2011年年度渥美奨学生。武蔵大学非常勤講師、和光大学非常勤講師を経て、2012年に内モンゴル大学モンゴル歴史学部に講師を務めた。SGRA研究員。
----------------------
【2】北京会議
11月22日に北京大学外国語学院の新しい建物の5階会議室で開催したフォーラムは、日曜日の上に大雪という悪条件にもかかわらず、50人以上の方々にお集まりいただき、熱のこもった議論が展開された。
午後3時に開会が宣言され、最初に、特別ゲストの北京大学元培学院の孫華院長より、優れた人材育成において国際的かつ学際的な視点をもたせる教育が必要という、SGRAにぴったりなお話をいただいた。次に、国際交流基金北京日本文化センターの吉川竹二所長より、鏡を例に文化交流の大切さについて示唆に富むお話をいただいた。
続いて、劉建輝先生が、パワーポイントを見せながら、「日中二百年――文化史からの再検討」というタイトルで、「東アジアの歴史を語る時、ほとんどの識者が古代の交流史と対比して、近代の抗争史を強調し、両者の間に一つの断絶を見出そうとしてきた。しかし、もしこの間の三国間の文化的交流、往来の足跡を精査すれば、そこには近代以前とは比べられないほど多彩多様な事実、事象が存在していることに気付く。そしてその多くはいずれも西洋という強烈な『他者』を相手に、いかに互いの成果、経験、また教訓を利用しながら、その文化、文明的諸要素の吸収、受容に励む努力の跡にほかならない。その意味で、東アジア、とりわけ日中韓三国はまぎれもなく古来の文化圏と違う形で西洋受容を中心とする一つの近代文化圏を形成していたのである」という主張を熱く語った。
先生のご研究では、「支え合う」というキーワードの下で、キリスト教研究、植民地研究、都市史、文学、経済など、従来個々の分野で展開されがちのものが統合され、超域的研究のアプローチが試みられている。日中関係は二国間で見るのではなく、200年という長さで見れば、西洋化の流れにどう対処するか、両国が補完し合ってきた実像が見えてくる。つまり、両国は近代化に当たり、隣国(日本にとっての中・韓、中国にとっての日本)との関係の中で自己のアイデンティティーを確立したのである。漢文の近代的発展、新漢語の造出、近代文学者の足跡、近代思想の発祥と伝播など、いずれも「支え合う」特徴が色濃く残り、確実に検証することができる。
ご講演の後半には、当時の近代国際都市である「張家口」が「支え合う」実例として登場し、鋭い洞察と該博な知識に満ちた見解が出され、会場全員の関心が一層高められた。
短い休憩の後、本フォーラムを共催する清華東亜文化論壇の主宰者の1人、清華大学中国文学科の王中忱教授の司会によって、北京大学日本言語文化学部の王京副教授、清華大学歴史学科の劉暁峰教授、同じく清華大学日本言語文学研究科の王成教授からコメントがあった。
大雪警報にも関わらず、劉建輝先生の情熱的なご講演のおかげで、参加してくださった方々から「先生方に様々な角度から中日の200年を探っていただいたおかげで、歴史をより深く理解することができました。」「最も重要なのは、問題を発見する方法をいくつか学べたことでした。」「もっと勉強・研究・探究したくなったほど、久しぶりに好奇という気持ちを抱きました」などの暖かい反響をいただいた。
12月の北京は晴れた日が少なく、ひどいスモッグの日が続いた。スモッグ対策はまったくできておらず、基本的に風任せだと揶揄されている。そんな日には、張家口の話がいつも脳裏をよぎる。北京は北西を除けば盆地状となっている。冬には北西の風が吹けば晴れる。さもなければ、汚い空気が溜まってしまう。張家口はその風の通り道に位置するため、昔から重工業が規制されてきたようである。張家口は北京の空気をよくするために重要な役割を果たしている。70年前の張家口の都市文化も今の北京の空気改善に役立つのでは、とつくづく思う。
当日の写真
——————————-
<孫建軍 Sun Jianjun>
1969年生まれ。1990年北京国際関係学院卒業、1993年北京日本学研究センター修士課程修了、2003年国際基督教大学にてPh.D.取得。北京語言大学講師、国際日本文化研究センター講師を経て、北京大学外国語学院日本言語文化系副教授。現在早稲田大学社会科学学術院客員准教授、早稲田大学孔子学院中国側院長を兼任中。専門は日本語学、近代日中語彙交流史。
——————————-
2016年1月14日配信
-
2016.01.07
下記の通り第20回日比共有型成長セミナーをマニラ市で開催します。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先を記入の上、[ 申込みフォーム(英文) ]にてお申込み下さい。 第20回日比共有型成長セミナー「人類生態学と持続可能共有型成長」"Human Ecology and Sustainable Shared Growth" 日時:2016年2月10日(水)午前9時~午後5時会場:アテネオ・デ・マニラ大学 Escaler Hall言語:英語申込み・問合せ:SGRAフィリピン (
[email protected] ) セミナーの概要グローバル市場経済が世界を席巻する今日、東南アジア諸国、特に中所得の罠(MIDDLE INCOME TRAP)に落ちてしまったフィリピンは著しい経済発展をとげる一方で社会的格差は増大し、環境破壊も止めどなく進行し、人権侵害や地域・民族間の紛争も解決の糸口さえ見えない状態に陥っている。植民地支配のくびきから解放され、国民国家形成の過程で、多様な民族、宗教、文化の統合に苦慮してきた東南アジア各国では、グローバリゼーションのもとでの社会環境の変化に対して宗教的な価値観、倫理観に基づく批判や反発が生まれてきている。最近、カトリック教会から貧富の格差の拡大や環境破壊を厳しく批判し、社会的公正と倫理の回復を求めるメッセージ(encyclical-回勅-)が発せられた。こうした公正と倫理の回復を求めるメッセージには、人類生態学(HUMAN ECOLOGY)という概念が取り上げられているが、このセミナーを通してこの概念の意味や意義など理解するために、一歩を踏み出していきたい。 プログラム09:00 – 09:25発表1「スペインの哲学者レオナルド・ポロによる環境の概念や共存:持続可能性教育への含意」発表者:Dr. Aliza Racelis (University of the Philippines) 09:25 – 09:50発表2「防災力(レジリエンス)と持続可能性のためのメトロ・マニラの都市計画」発表者:Arch/EnP. Sylvia Clemente (University of Sto. Tomas) 09:50 - 10:15発表3「パサイ市の旧干拓エリアにおける都市の衰退と貧困の指標との関係の評価」発表者:Arch. Regina Billiones 10:15 - 10:40発表4「ベンゲット州(フィリピン)の主要民族部族のペドペド喫煙」発表者:Ms. Girlie Gayle Toribio (Benguet State University) 10:40 - 11:05発表5「カガヤン・デ・オロ河川の流域の家庭における使用・日使用便益の仮想的市場評価手法による推定」発表者:Dr. Rosalina Palanca-Tan (ADMU), Ms. Marichu Obedencio, and Ms. Caroline Serenas (Xavier University -- Ateneo de Cagayan) 11:05 - 11:30発表6「生物濃縮:プラスチックのゴミの悲劇」発表者:EnP. Grace Sapuay (Solid Waste Management Association of the Philippines) 11:30 - 11:55発表7「気候変動を理解する」発表者:To be arranged by Arch. Mynn 11:55 - 12:20発表8「スペインの植民地資本主義と福音伝道を超えて、フィリピンの教会遺産の評価へ」発表者:Arch Mynn Alfonso (University of Sto Tomas) 12:20 -13:30ランチ休憩(ヘンリー・ジョージ氏に関するビデオ)「ヘンリー・ジョージとは誰か」(12分)「ヘンリー・ジョージ:人生と遺産(12分)一般人のための政治経済学(4分) 13:30 - 15:00円卓会議(第一部)モデレーター:Dr. Max Maquito午前の部の発表者 15:00 - 15:30コーヒーブレイク 15:30 - 17:00円卓会議(第二部)モデレーター:Dr. Max Maquito午前の部の発表者 詳細は、下記リンクをご覧ください。プログラム(和文)プログラム(英文)申込みフォーム(英文)ポスター(英文)
-
2015.11.25
第50回SGRAフォーラムin北九州が、第3回アジア未来会議(「環境と共生」をテーマに2016年9月29日~10月3日に開催)のキックオフとして、北九州市立大学で開催された。今回は「青空、水、くらしー環境と女性と未来に向けて」というテーマで、大気汚染や水質汚染など、1950年代に日本の四大工業地帯の一つであった北九州市が直面した環境問題と、その解決に立ちあがった婦人会の活動経験を踏まえて、北九州、中国、韓国などで展開する女性の活動について議論が繰り広げられた。
まず、今西淳子氏(SGRA代表)と近藤倫明氏(北九州市立大学学長)の開会挨拶があり、続いて日本、中国、韓国の事例が発表された。
最初は北九州市の事例で、神﨑智子氏(アジア女性交流・研究フォーラム主席研究員)より「『青空がほしい』運動に学ぶー現在に問いかけるものー」と題して、旧戸畑市の三六地区の煤煙による公害問題に対峙した婦人会の地道で活発な活動が紹介された。特筆すべきは、単なる金銭的な形での解決ではなく、1960年代に当時としては画期的であった工場の除塵装置やガス集合管の設置などの具体的な環境改善にまで至ったことで、それが今日の綺麗な空気や環境につながったとの報告であった。
次に北京在住ライターの斉藤淳子氏より「変わるのか、人々の意識」と題して発表があった。斉藤氏は、中国の大気汚染問題を訴えるために中央テレビ局キャスターの柴静さんが自費制作した番組の内容について紹介し、同国が直面する環境問題の深刻化と政治的・経済的実情とのジレンマを浮き彫りにした。またその反響の大きさから、現在の中国の若い世代の意識変化は外国メディア等の影響を大いに受けて変化していること等について報告した。
最後に李ユンスク氏(韓国YWCA運動局部長)が「絶え間ない歩みー韓国YWCAの環境活動と女性の社会参加―」を発表した。その中で、1922年に創立された韓国YWCAのこれまでの活動について、特に、女性の地位向上に関する活動や、最近活発な環境保護活動と反原発運動についての紹介があった。セッションの終わりに会場との質疑応答があり、「女性の環境活動に対して、夫は何をしていたのか?」という質問も飛び出した。
15分間の休憩をはさんで第2部のオープンフォーラムが始まった。冒頭にゲストの小林直子氏(NPO法人里山を考える会)から活動内容の紹介があった。里山の会では八幡東区東田地区の地産地消の理想のもと、エネルギーの自給自足を実現するために、夏季ダイナミック・プライシング料金を取り入れることでエネルギーのピークシフトを実現したこと、水素化社会を構築していること、まちづくりのために東田まつり、シェアポイントなどを取入れたことなどの紹介があった。
続いて田村慶子氏(北九州市立大学法学部・大学院社会システム研究科長)をモデレーターに、発表者を交えたフリーディスカッションが行われた。太陽電池電源が不安定であること、発展途上国のこれから増えるであろうエネルギー消費など、多くの質問があり、聴講者とパネリストとのディスカッションが行われた。
最後にSGRAメンバーの高偉俊氏(北九州市立大学教授)から閉会挨拶と第3回アジア未来会議について説明があった。17時から交流会が始まり、参加者は講師たちと歓談を楽しんだ。
(文責:葉文昌)
当日の写真
アンケート集計結果
2015年11月26日配信
-
2015.11.24
SGRAレポート73号(本文1)
SGRAレポート73号(本文2)
SGRAレポート73号(表紙)
第14回日韓アジア未来フォーラム
第48回SGRAフォーラム
「アジア経済のダイナミズム-物流を中心に」
2015年11月10日発行
<もくじ>
はじめに
金 雄熙(仁荷大学国際通商学部教授)
【基調講演】「アジア経済のダイナミズム」榊原英資(さかきばら えいすけ:インド経済研究所理事長・青山学院大学教授)
【報 告 1】「北東アジアの多国間地域開発と物流協力」安 秉民(アン・ビョンミン:韓国交通研究院北韓・東北亜交通研究室長)
【報 告 2】「GMS(グレーター・メコン・サブリージョン)における物流ネットワークの現状と課題」ド・マン・ホーン (桜美林大学経済・経営学系准教授)
【 ミニ報告】「アジア・ハイウェイの現状と課題について」
李鋼哲(リ・コウテツ、北陸大学未来創造学部教授)
進行及び総括:金雄煕(キム・ウンヒ、仁荷大学国際通商学部教授)
討論者:上記発表者、指定討論者(渥美財団SGRA及び未来人力研究院の関連研究者)、一般参加者
-
2015.11.24
SGRAレポート72号(本文)
SGRAレポート72号(表紙)
第8回チャイナフォーラム
「近代日本美術史と近代中国」
2015年10月20日発行
<もくじ>
◆第1日(2014年11月22日) 中国社会科学院文学研究所 社科講堂第一会議室(北京)
【講演1】
「近代の超克―東アジア美術史は可能か」
佐藤道信(東京藝術大学教授)
【指定討論1】
董 炳月(中国社会科学院文学研究所研究員)
【講演2】
「工芸家が夢見たアジア:〈東洋〉と〈日本〉のはざまで」
木田拓也(東京国立近代美術館工芸館主任研究員)
【指定討論2】
李 兆忠(中国社会科学院文学研究所研究員)
◆第2 日(2014年11月23日) 清華大学 甲所第3回議室
【講演1】
「工芸家が夢見たアジア:〈東洋〉と〈日本〉のはざまで」
木田拓也(東京国立近代美術館工芸館主任研究員)
【指定討論1】
林 少陽(東京大学総合文化研究科准教授))
【講演2】
「近代日本における〈工芸〉ジャンルの成立:工芸家がめざしたもの」
木田拓也(東京国立近代美術館工芸館主任研究員)
【指定討論2】
陳 岸瑛(清華大学美術学部副教授)
-
2015.11.24
2015年10月24日(土)、渥美国際交流財団ホールで、第8回SGRAカフェが開催された。今回のカフェのテーマは「女子大は要る? 「女」、「男」と大学について考えよう」というもので、SGRA会員のシム・チュンキャットさん(昭和女子大学准教授)とデール・ソンヤさん(一橋大学特任講師)が担当した。
まずソンヤさんが、今回のカフェで取り上げるテーマについて説明した。日本には現在でも女子大学が存在するが、男女平等の機運が高まっているなか、女性しか通えない女子大は不要だと考える人もいる。そもそも、女子大は要るのだろうか? この問題意識をきっかけとして、今回のカフェでは、「大学」を通して「女」である、「男」であるとはどういうことか、その社会における妥当性とはいかなるものか、を考えてみましょうと。
カフェは2部に分かれ、第1部はシムさんによる発表が行われた。短い休憩のあと、ソンヤさんによる発表が行われ、参加者全員による小グループ・ディスカッションが開かれた。当日は、SGRA関係者のほかに、シムゼミを受講している昭和女子大学の学生も多数参加して、ゆったりとした雰囲気のなかで、多くの人々が活発に意見を交換した。
シムさんは、まず大学のジェンダーについての歴史を概観したあと、さまざまなデータを用いて日本の現状を分析した。かつて、ヨーロッパでは大学は男性のものであり、女性は高等教育から排除されていた。しかし18世紀中ごろになると女子大学が現われるようになり、広まっていった。だが20世紀中ごろ、男女平等に関する法律が制定されると、女子大の存在が問題視されるようになり、徐々にその数を減らしていくことになる。
次いで、日本の状況分析が紹介された。日本は、女性の社会進出・雇用や教育率について他国と比べて遜色はない。だが、研究者に占める女性の割合は14.6%であり、他の先進国と比べてもかなり少ない。また、東京大学の2014年度入学者のうち女性は18%しかおらず、ほとんど「準男子大学」の様相を呈している。学力はあるのに、なぜ大学に行かないのだろうか。アンケート調査によると、理由として挙げられているのは、男性にもてなくなる、結婚できなくなる、親が許してくれない、といったものだった。
次に、女子大の存在意義とは何か、ということが問われた。シムさんの調査によると、議論の場では、女性は男性がいないほうが積極的に発言する。そのため、ジェンダー問題や女性のありかたについて、より深く議論することができるようになる。また、東大のような「準男子大学」が多く存在するので、女子大はバランスを取っているのだ、という見方もあるということが紹介された。さらに女子大のメリットとして、少人数授業ができる点、女性の人生の選択肢を知ることができる点、女性研究者枠があるので女性に多くのチャンスを与えられる点、などが指摘された。
最後に、イギリスのサッチャー元首相や本財団の理事長をはじめ、女子大出身の素晴らしい女性リーダー達が紹介された。女子大は、普段の生活の場から離れて、女性だけで学問を学び議論することで、社会常識や「当たり前」を問う場となり、優れた女性を育てる場になる、ということが述べられた。
第2部のソンヤさんの発表はグループ・ディスカッション形式で進められた。まず、参加者が5~6人のグループに分かれ、「異性として生まれ変わったら、あなたの人生はどう変わる?」、「あなたの一番好きな映画は何?」、「その映画は、ベックデル・テスト(Bechdel
Test)を合格できる?」という問題を一人一人が考え、グループ内で発表が行われた。ベックデル・テストによれば、「名前を持っている女性が二人以上いる」、「女性が互いに会話する」、「その会話は男性以外のものについてである」という基準を満たした映画が合格なのだそうである。
報告者が参加したグループには、日本人と中国人の女性が5人いた。日本人の女性は、男性に生まれ変わると、人生の道が制約される、社会のプレッシャーが強くなる、という可能性を話した。中国人の女性は、一人っ子政策のため男児は厚遇される傾向にあり、家族には愛される反面、責任も重いので、自由な行動ができないということを話した。また、ベックデル・テストをクリアできる映画が非常に少ないことも、ディスカッションンを通じて気付かされた。大学生を対象としたソンヤさんの調査では、男性が女性に生まれ変わると、内面的になり、逆に女性が男性に生まれ変わると、外面的になって夢が広がるという結果がでたという。
次に、「友だちが妊娠したら、子供の性別を知りたいか」という問題が出され、社会における性別の問題が議論された。知りたい理由として挙げられたのは、プレゼントの選び方にかかわる、将来を想像できるようになるなどだった。性別によって人々の子供に対する態度も変わる。それは性別によって趣味や扱い方が違うからだという。しかし、近年では男性と女性の役割も固定的ではなくなっている。男性も家事や子育てに参加するようになり、何かとメディアで取りあげられるようになった。しかし、子育てと仕事を両立する女性は全然注目されていない。このように、社会における性別意識は、当たり前のように既成観念になっている。それゆえに、社会的なジェンダーは女性だけの問題ではなく、すべての人間に関わっており、社会構造にもかかわっている問題でもある、ということが指摘された。
今回のカフェを通して、私たちは今まで疑問視されてこなかった性別にかかわる社会常識などについて深く考えさせられることになった。私たちはこうした社会問題に対して、「女」として、「男」として何をすべきか、さらに考えていく必要があるだろう。
当日の写真
-----------------------------------------
<胡艶紅(こ・えんこう)Hu_Yanhong>
2006年来日。2010年3月筑波大学人文社会科学研究科 国際地域専攻修士課程修了。同年4月同研究科 歴史・人類学専攻一貫制博士課程編入、2015年7月同課程修了。現在、筑波大学人文社会科学研究科、博士特別研究員。専門は、東アジア歴史民俗学。主要論文「現代中国における漁民信仰の変容」(『現代民俗学』4)。
-----------------------------------------
2015年11月19日配信
-
2015.10.29
催事案内:講演会「ふくしま再生に向けて」
毎年、SGRAふくしまスタディツアーでお世話になっている、菅野宗夫さんと佐藤聡太さんの講演会です。今年のスタディツアーに参加した、早稲田大学の小林敦子先生が企画されました。ふるってご参加ください。
◆「生きがいを求め 次世代に何を残す―原発事故の教訓を世界へ―」
福島と言えば放射能汚染。これが多くの人が抱くイメージではないでしょうか?
しかし、福島県飯舘村では、農民自身による再生への取り組みが、力強く始まっています。
この講演会では、帰還と再生に向けて動き始めた菅野宗夫さんと、次世代を担う佐藤聡太さんをお迎えして、現地の方々の声に耳を傾けたいと思います。
講師: 菅野宗夫(「ふくしま再生の会」、福島県飯舘村農民)
コメンテーター:佐藤聡太(東京大学大学院農学生命科学研究院、福島県飯舘村出身)
日時:2015年11月16日(月) 18時15分~20時15分
会場:早稲田大学早稲田キャンパス 14号館406号室
http://www.waseda.jp/top/assets/uploads/2015/08/waseda-campus-map.pdf
参加費:無料(直接ご来場ください)
問い合わせ:早稲田大学教育学部小林敦子ゼミ
[email protected]
小林先生「ふくしま講演会」チラシ
-
2015.10.29
渥美国際交流財団SGRAでは、2012年秋から毎年、福島原発事故の被災地である福島県飯舘(いいたて)村でのスタディツアーを行ってきました。そして、一連のスタディツアーでの体験や考察をもとにしてSGRAフォーラムやSGRAカフェ、そして「アジア未来会議」での写真展示やセッションなど、さまざまな催しを展開してきました。
今年も、<飯舘村、帰還を前にして>をテーマとして10月2日(金)から4日(日)まで、飯舘村の視察、見学と協働作業体験としての「稲刈り」を中心とした4回目のスタディツアーを行いました。
参加者は渥美財団の仲間、そして早稲田大学の小林敦子先生、大阪大学の4回生宮野原勇斗君を含めた9名。受入は、毎年お世話になっている「ふくしま再生の会」にお願いしました。
参加者の内、ソンヤさんは3回目、李鋼哲さん、ジャクファルさん、金銀恵さんは2回目。このように、年ごとの移り変わりを知るために訪れるリピーターとの再会に、地元の方々の喜びもひとしおでした。
飯舘村のアチコチが除染土のピラミッドで覆われる様に心を痛める一方で、2017年3月の帰還を前にして、「次世代、次々世代のために」村の農業や酪農の再生に力を注ごうとする方々の意欲と切実な思いが感じられるツアーでした。
(渥美財団事務局長 角田英一)
ふくしまツアー2015時系列データ
ふくしまツアーの写真
◇エッセイ
金 銀惠「飯舘村、再生のジレンマを乗り越えて」
-
2015.10.29
1.日本研究者として福島にどう向き合うべきか。
震災から4年半、SGRAふくしまスタディツアーも4回目になりました。
私は、2011年の渥美奨学生として、東北大震災以降の、日本国内外での大混乱を生々しく経験しました。それは、一生忘れられない経験でした。その年、「石巻の炊き出し」にも参加して、震災地の住民たちの力になりたいという気持ちも少しは晴れました。一方で「福島原発事故」には、如何なる形で向き合うべきかと悩みましたが、その頃は、直後の事故収束で緊迫していて、「再生」は、まだ私の心には響かない言葉でした。
私は、帰国して博士号を取得した後、「グローバリゼーション時代の東アジア都市の危機と転換」というテーマの研究チームで、共存とサステナビリティが可能な東アジアの都市を模索しています。勿論、他の日本研究にも関りながら、原発が生み出す「危険景観(Riskscape)」を巡る北東アジア(日本・中国・台湾・韓国)での対応や変化を分析しています。特に、私は、「福島原発事故以後、日本市民社会の変化と模索」の研究に集中しています。
2.2014年冬、 パイロットスタディ
私は、去年(2014年)12月に、初めて飯舘村を訪ねました。それまでも「福島の対応」に関心を持ちながら、マスコミ報道や資料を読み続けていました。だが、自分が現地で目の当たりにしたフレコンバックのピラミッドは、言葉に尽くせない凄まじい光景でした。2日間の訪問の中で「ふくしま再生の会」の田尾陽一さんが、最初の飯舘村民との出会いから、NPO法人に至るまでの経緯を詳しく説明してくれ、菅野宗夫さんは、事故直後の混乱から抜け出して、再生に向かう決意を語ってくれました。
何よりも私にとって印象的だったのは「科学技術への信頼回復」のために、被災した農民とボランティアと科学者が共同作業をする姿勢でした。
「反原発・脱原発」という言葉をよく使いますが、実際、現場で住民と手を組んで、一歩ずつ踏み出す団体は数少ないのが現実です。目に見えない放射能だからこそ、科学技術との連携が必ず必要です。その点で「ふくしま再生の会」は、世界最先端の科学技術者の集まりではないかと思いました。
その夜の交流会では、工学と農学・林学の研究者、そしてボランティアの方々が一緒に、原発事故の原因、事故収束などについて、激論が続きました。人災に近い原発事故。そこから立ち上がるため、農民の知恵と多様な専門の融合の中から生まれ出たアイディアを少しずつ実験して、そのプロセスや結果を世界に発信するという考えに、私も共感しました。特に、「農学(農業)の力で福島を再生したい」という熱い思いに感動し、自然の再生を生かす科学こそが、人を生かす学問になると思いました。雪が積もった寒い朝、管野さんの奥さんの千恵子さんから暖かい靴下を貰って、明大農学部が設置した「ビニールハウスでの作業」を手伝いしなら、「農学に才能がある」と褒められて、再生のための実験に少しでも力になりたいと思いました。
3.2015年秋、再参加と協働作業
今回のスタディツアーには、渥美財団の仲間や関係者など国籍や分野、性別も世代も多様なメンバー達と共に参加しました。ツアーの2週間前に「豪雨のニュース」を聞いて本当に心配でした。「再生の会」からのメールでは、「再生の会」の拠点である菅野宗夫さんのお宅の周りの道路は破壊され、実験用ビニールハウスから収穫前の田んぼまでが被害を受けたことも伝えられました。実際、行ってみたら、道路やビニールハウスは復旧されていましたが、力を注いだ田んぼの1/5位の稲は、降雨で倒れてしまっていました。
2日目の協働作業体験は、その倒れた稲を起しながらの稲刈り作業と収穫の祭でした。
慣れない農作業の途中、周りで落穂拾いをしている二人に出会いました。将来飯舘村長の夢を持つ若い世代の代表、佐藤聡太君は、不安や期待が交差しながらも、飯舘村の再生に熱い抱負を語ってくれました。もう一人は、千葉からのボランティアの方で、今回が2年目の「稲刈りへの参加」で、落穂をお宅に飾って「福島の再生」を祈念していると話してくれました。
正直、昨年初めて参加した時には、「再生」という言葉自体に大きな疑問もありましたが、今回は「再生の力は、人の力だ」と強く感じました。
「イネ(畑作)試験栽培」の田んぼの稲刈り作業の中で、「コオロギ、ミミズ、オケラ、お腹が赤いイモリ」まで生きていて、「こんなに多様な生き物の居場所でもあった」と日本語の名前や子供の頃の思い出なども話し合いました。「生命の居場所としての土地」を再生することが、本当の再生の第一歩だと再確認した瞬間でした。しかし、向こうの田んぼにはびこる雑草を除去する作業からは、一日中凄い音が聞こえていました。骨の折れる除染作業、私が出会った政府から派遣されている作業員も、みんな若者でした。こうした厳しい労働を「再生の喜び」と結び付ける政策は本当にないのかと思いました。
4. 厳しい現状を乗り越えて
しかし、「再生の念願」を無駄にしないためにも、幾つかの矛盾を考えたいと思います。
まず、直接に測ってみても「放射線量」はまだまだ高くて、場所や条件別に相当の差があり、その実態を乗り越える除染方法を政策に転換する制度改革が切実に求められているのです。東京に戻る新幹線の中ではTPPの交渉で、日本の都市消費者は、海外から安い食糧を輸入出来ることに喜んでいるというニュースが流れていました。
日本政府の無理な帰還政策だけではなく、厳しい現状に囲まれた「福島農業と住民に本当に役に立つ帰還政策の中身は何か」、「帰還した他の地域の問題(高齢者中心、訴訟など)と、飯舘村の帰還は、どのくらいの差別性をみせるのか」などを議論する必要があると思います。
最後に、国土面積に比べて世界で一番密集した「韓国の原発」、30km圏域だけで300万以上の人口が住んでいることを思い出しました。現在の日本が原発事故以降直面した厳しい現実から、挑戦しつつある科学的・社会的な実験をどのように活かすか、これからも飯舘村の再生の道に注目すべきだと思いました。
英語版はこちら
---------------------------------------------------------------------------------------------------------
<金銀惠(きむ・うね)KIM Eun-hye>
韓国全州出身。ソウル在住。2013年に韓国ソウル大学社会学科より博士号(社会学)取得。専門分野は、都市・文化・日本社会学(メガイベント・世界都市論・開発主義)。現在、ソウル大学アジア研究所、SSK東アジア都市研究団選任研究員。最近は、東アジア都市の比較研究を発展させ、都市の危機を新しい転換の機会として模索している。SGRA会員。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------
2015年10月29日配信
-
2015.10.15
下記の通り、第9回SGRAチャイナ・フォーラムを開催します。参加ご希望の方は、事前にSGRA事務局(
[email protected] )へご連絡ください。
【1】 フフホトフォーラム
日 時:2015 年11月20日(金)15時~17時
会 場:内蒙古大学蒙古学学院2楼大会議室
【2】 北京フォーラム
日 時:2015 年11月22日(日)15時~17時
会 場:北京大学外国語学院新楼501会議室
主 催:渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)
共 催:清華東亜文化講座
助 成:国際交流基金北京日本文化センター
協 力:北京大学日本言語文化学部(北京フォーラム)
内蒙古大学蒙古学学院蒙古歴史学部(フフホトフォーラム)
フォーラムの趣旨:
「日中200年―文化史からの再検討」
従来、東アジアの歴史を語る時、ほとんどの識者が古代の交流史と対比して、近代の抗争史を強調し、両者の間に一つの断絶を見出そうとしてきた。たしかに政治、外交だけに目を向ければ、日中、日韓などの間に戦争も含む数多くの対抗や対立が頻発し、ほとんど正常な隣国関係を築くことができなかった。しかし、もしこの間の三国間の文化的交流、往来の足跡を精査すれば、そこには近代以前とは比べられないほど多彩多様な事実、事象が存在していることに気付くだろう。そしてその多くはいずれも西洋という強烈な「他者」を相手に、互いの成果、経験、また教訓を利用しながら、その文化、文明的諸要素の吸収、受容に励む努力の跡にほかならない。その意味で、東アジア、とりわけ日中韓三国はまぎれもなく古来の文化圏と違う形で西洋受容を中心とする一つの近代文化圏を形成していたのである。
また、従来、日本にせよ、中国にせよ、その歩んできた歴史を振り返る際に、往々にして周辺との関係を軽視し、あたかも単独で自らのすべてを作り出したかのような傾向も存在している。これはあきらかに近代以降のいわゆる国民国家という枠組みの中で成立したナショナリズムに由来する一国主義のもたらした影響である。ところが、多くの古代、近代の史実が示したように、純粋な国風文化はそもそも「神話」に過ぎず、われわれはつねに他者との関係の中で「自分」そして「自分」の文化を形作ってきたのである。近代日本にとって、この他者は、むろんまず西洋という存在になるが、ともにその受容の道程を歩んだもう一つの他者――中国や韓国も当然無視すべきではないだろう。
そして、昨今、とりわけ日中の間にさまざまな摩擦が生じる時に、よく両国の「文化」の違いが強調され、その文化の差異に相互の「不理解」の原因を探ろうとする動向も見られる。しかし、これもきわめて単純な思考と言わざるを得ない。文化にはたしかに変わらない一部の古層があるが、つねに歴史性を持ち、時代に応じて流動的に変化する側面も存在する。したがって共通する大事な歴史的体験を無視し、文化の差異ばかりを強調するのはいささかも生産的ではなく、結局は自らを袋小路に追い込むことにしかならない。
以上に鑑み、本フォーラムでは、いわば在来の一国主義史観、文化相互不理解論などの弊害を修正し、過去の近代東アジア文化圏、文化共同体の存在を振り返りながら、その経験と教訓を未来にむけていかに生かすべきかについて検討し、皆さんとともにその可能性を探ってみたい。(参考文献:劉 建輝著『増補・魔都上海――日本知識人の「近代」体験』2010年、同『日中二百年――支え合う近代』2012年)
プログラム
【1】 フフホトフォーラム(講演)
総合司会:宝音德力根(内蒙古大学蒙古学学院蒙古歴史学部)
講 演:劉 建輝(国際日本文化研究センター)
討論者:王 中忱(清華大学中国文学科)
周 太平(内蒙古大学蒙古学学院蒙古歴史学部)
蘇德毕力格(内蒙古大学蒙古学学院蒙古歴史学部)
【2】 北京フォーラム(パネルディスカッション) *日中同時通訳付き
総合司会:孫 建軍(北京大学日本言語文化学部)
問題提起:劉 建輝(国際日本文化研究センター)
モデレーター:王 中忱(清華大学中国文学科)
討論者:王 京(北京大学日本言語文化学部)
劉 暁峰(清華大学歴史学科)
王 成(清華大学日本言語文学研究科)
日本語プログラム
中国語プログラム
ポスター