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2015.10.29
渥美国際交流財団SGRAでは、2012年秋から毎年、福島原発事故の被災地である福島県飯舘(いいたて)村でのスタディツアーを行ってきました。そして、一連のスタディツアーでの体験や考察をもとにしてSGRAフォーラムやSGRAカフェ、そして「アジア未来会議」での写真展示やセッションなど、さまざまな催しを展開してきました。
今年も、<飯舘村、帰還を前にして>をテーマとして10月2日(金)から4日(日)まで、飯舘村の視察、見学と協働作業体験としての「稲刈り」を中心とした4回目のスタディツアーを行いました。
参加者は渥美財団の仲間、そして早稲田大学の小林敦子先生、大阪大学の4回生宮野原勇斗君を含めた9名。受入は、毎年お世話になっている「ふくしま再生の会」にお願いしました。
参加者の内、ソンヤさんは3回目、李鋼哲さん、ジャクファルさん、金銀恵さんは2回目。このように、年ごとの移り変わりを知るために訪れるリピーターとの再会に、地元の方々の喜びもひとしおでした。
飯舘村のアチコチが除染土のピラミッドで覆われる様に心を痛める一方で、2017年3月の帰還を前にして、「次世代、次々世代のために」村の農業や酪農の再生に力を注ごうとする方々の意欲と切実な思いが感じられるツアーでした。
(渥美財団事務局長 角田英一)
ふくしまツアー2015時系列データ
ふくしまツアーの写真
◇エッセイ
金 銀惠「飯舘村、再生のジレンマを乗り越えて」
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2015.10.29
1.日本研究者として福島にどう向き合うべきか。
震災から4年半、SGRAふくしまスタディツアーも4回目になりました。
私は、2011年の渥美奨学生として、東北大震災以降の、日本国内外での大混乱を生々しく経験しました。それは、一生忘れられない経験でした。その年、「石巻の炊き出し」にも参加して、震災地の住民たちの力になりたいという気持ちも少しは晴れました。一方で「福島原発事故」には、如何なる形で向き合うべきかと悩みましたが、その頃は、直後の事故収束で緊迫していて、「再生」は、まだ私の心には響かない言葉でした。
私は、帰国して博士号を取得した後、「グローバリゼーション時代の東アジア都市の危機と転換」というテーマの研究チームで、共存とサステナビリティが可能な東アジアの都市を模索しています。勿論、他の日本研究にも関りながら、原発が生み出す「危険景観(Riskscape)」を巡る北東アジア(日本・中国・台湾・韓国)での対応や変化を分析しています。特に、私は、「福島原発事故以後、日本市民社会の変化と模索」の研究に集中しています。
2.2014年冬、 パイロットスタディ
私は、去年(2014年)12月に、初めて飯舘村を訪ねました。それまでも「福島の対応」に関心を持ちながら、マスコミ報道や資料を読み続けていました。だが、自分が現地で目の当たりにしたフレコンバックのピラミッドは、言葉に尽くせない凄まじい光景でした。2日間の訪問の中で「ふくしま再生の会」の田尾陽一さんが、最初の飯舘村民との出会いから、NPO法人に至るまでの経緯を詳しく説明してくれ、菅野宗夫さんは、事故直後の混乱から抜け出して、再生に向かう決意を語ってくれました。
何よりも私にとって印象的だったのは「科学技術への信頼回復」のために、被災した農民とボランティアと科学者が共同作業をする姿勢でした。
「反原発・脱原発」という言葉をよく使いますが、実際、現場で住民と手を組んで、一歩ずつ踏み出す団体は数少ないのが現実です。目に見えない放射能だからこそ、科学技術との連携が必ず必要です。その点で「ふくしま再生の会」は、世界最先端の科学技術者の集まりではないかと思いました。
その夜の交流会では、工学と農学・林学の研究者、そしてボランティアの方々が一緒に、原発事故の原因、事故収束などについて、激論が続きました。人災に近い原発事故。そこから立ち上がるため、農民の知恵と多様な専門の融合の中から生まれ出たアイディアを少しずつ実験して、そのプロセスや結果を世界に発信するという考えに、私も共感しました。特に、「農学(農業)の力で福島を再生したい」という熱い思いに感動し、自然の再生を生かす科学こそが、人を生かす学問になると思いました。雪が積もった寒い朝、管野さんの奥さんの千恵子さんから暖かい靴下を貰って、明大農学部が設置した「ビニールハウスでの作業」を手伝いしなら、「農学に才能がある」と褒められて、再生のための実験に少しでも力になりたいと思いました。
3.2015年秋、再参加と協働作業
今回のスタディツアーには、渥美財団の仲間や関係者など国籍や分野、性別も世代も多様なメンバー達と共に参加しました。ツアーの2週間前に「豪雨のニュース」を聞いて本当に心配でした。「再生の会」からのメールでは、「再生の会」の拠点である菅野宗夫さんのお宅の周りの道路は破壊され、実験用ビニールハウスから収穫前の田んぼまでが被害を受けたことも伝えられました。実際、行ってみたら、道路やビニールハウスは復旧されていましたが、力を注いだ田んぼの1/5位の稲は、降雨で倒れてしまっていました。
2日目の協働作業体験は、その倒れた稲を起しながらの稲刈り作業と収穫の祭でした。
慣れない農作業の途中、周りで落穂拾いをしている二人に出会いました。将来飯舘村長の夢を持つ若い世代の代表、佐藤聡太君は、不安や期待が交差しながらも、飯舘村の再生に熱い抱負を語ってくれました。もう一人は、千葉からのボランティアの方で、今回が2年目の「稲刈りへの参加」で、落穂をお宅に飾って「福島の再生」を祈念していると話してくれました。
正直、昨年初めて参加した時には、「再生」という言葉自体に大きな疑問もありましたが、今回は「再生の力は、人の力だ」と強く感じました。
「イネ(畑作)試験栽培」の田んぼの稲刈り作業の中で、「コオロギ、ミミズ、オケラ、お腹が赤いイモリ」まで生きていて、「こんなに多様な生き物の居場所でもあった」と日本語の名前や子供の頃の思い出なども話し合いました。「生命の居場所としての土地」を再生することが、本当の再生の第一歩だと再確認した瞬間でした。しかし、向こうの田んぼにはびこる雑草を除去する作業からは、一日中凄い音が聞こえていました。骨の折れる除染作業、私が出会った政府から派遣されている作業員も、みんな若者でした。こうした厳しい労働を「再生の喜び」と結び付ける政策は本当にないのかと思いました。
4. 厳しい現状を乗り越えて
しかし、「再生の念願」を無駄にしないためにも、幾つかの矛盾を考えたいと思います。
まず、直接に測ってみても「放射線量」はまだまだ高くて、場所や条件別に相当の差があり、その実態を乗り越える除染方法を政策に転換する制度改革が切実に求められているのです。東京に戻る新幹線の中ではTPPの交渉で、日本の都市消費者は、海外から安い食糧を輸入出来ることに喜んでいるというニュースが流れていました。
日本政府の無理な帰還政策だけではなく、厳しい現状に囲まれた「福島農業と住民に本当に役に立つ帰還政策の中身は何か」、「帰還した他の地域の問題(高齢者中心、訴訟など)と、飯舘村の帰還は、どのくらいの差別性をみせるのか」などを議論する必要があると思います。
最後に、国土面積に比べて世界で一番密集した「韓国の原発」、30km圏域だけで300万以上の人口が住んでいることを思い出しました。現在の日本が原発事故以降直面した厳しい現実から、挑戦しつつある科学的・社会的な実験をどのように活かすか、これからも飯舘村の再生の道に注目すべきだと思いました。
英語版はこちら
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<金銀惠(きむ・うね)KIM Eun-hye>
韓国全州出身。ソウル在住。2013年に韓国ソウル大学社会学科より博士号(社会学)取得。専門分野は、都市・文化・日本社会学(メガイベント・世界都市論・開発主義)。現在、ソウル大学アジア研究所、SSK東アジア都市研究団選任研究員。最近は、東アジア都市の比較研究を発展させ、都市の危機を新しい転換の機会として模索している。SGRA会員。
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2015年10月29日配信
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2015.10.15
下記の通り、第9回SGRAチャイナ・フォーラムを開催します。参加ご希望の方は、事前にSGRA事務局(
[email protected] )へご連絡ください。
【1】 フフホトフォーラム
日 時:2015 年11月20日(金)15時~17時
会 場:内蒙古大学蒙古学学院2楼大会議室
【2】 北京フォーラム
日 時:2015 年11月22日(日)15時~17時
会 場:北京大学外国語学院新楼501会議室
主 催:渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)
共 催:清華東亜文化講座
助 成:国際交流基金北京日本文化センター
協 力:北京大学日本言語文化学部(北京フォーラム)
内蒙古大学蒙古学学院蒙古歴史学部(フフホトフォーラム)
フォーラムの趣旨:
「日中200年―文化史からの再検討」
従来、東アジアの歴史を語る時、ほとんどの識者が古代の交流史と対比して、近代の抗争史を強調し、両者の間に一つの断絶を見出そうとしてきた。たしかに政治、外交だけに目を向ければ、日中、日韓などの間に戦争も含む数多くの対抗や対立が頻発し、ほとんど正常な隣国関係を築くことができなかった。しかし、もしこの間の三国間の文化的交流、往来の足跡を精査すれば、そこには近代以前とは比べられないほど多彩多様な事実、事象が存在していることに気付くだろう。そしてその多くはいずれも西洋という強烈な「他者」を相手に、互いの成果、経験、また教訓を利用しながら、その文化、文明的諸要素の吸収、受容に励む努力の跡にほかならない。その意味で、東アジア、とりわけ日中韓三国はまぎれもなく古来の文化圏と違う形で西洋受容を中心とする一つの近代文化圏を形成していたのである。
また、従来、日本にせよ、中国にせよ、その歩んできた歴史を振り返る際に、往々にして周辺との関係を軽視し、あたかも単独で自らのすべてを作り出したかのような傾向も存在している。これはあきらかに近代以降のいわゆる国民国家という枠組みの中で成立したナショナリズムに由来する一国主義のもたらした影響である。ところが、多くの古代、近代の史実が示したように、純粋な国風文化はそもそも「神話」に過ぎず、われわれはつねに他者との関係の中で「自分」そして「自分」の文化を形作ってきたのである。近代日本にとって、この他者は、むろんまず西洋という存在になるが、ともにその受容の道程を歩んだもう一つの他者――中国や韓国も当然無視すべきではないだろう。
そして、昨今、とりわけ日中の間にさまざまな摩擦が生じる時に、よく両国の「文化」の違いが強調され、その文化の差異に相互の「不理解」の原因を探ろうとする動向も見られる。しかし、これもきわめて単純な思考と言わざるを得ない。文化にはたしかに変わらない一部の古層があるが、つねに歴史性を持ち、時代に応じて流動的に変化する側面も存在する。したがって共通する大事な歴史的体験を無視し、文化の差異ばかりを強調するのはいささかも生産的ではなく、結局は自らを袋小路に追い込むことにしかならない。
以上に鑑み、本フォーラムでは、いわば在来の一国主義史観、文化相互不理解論などの弊害を修正し、過去の近代東アジア文化圏、文化共同体の存在を振り返りながら、その経験と教訓を未来にむけていかに生かすべきかについて検討し、皆さんとともにその可能性を探ってみたい。(参考文献:劉 建輝著『増補・魔都上海――日本知識人の「近代」体験』2010年、同『日中二百年――支え合う近代』2012年)
プログラム
【1】 フフホトフォーラム(講演)
総合司会:宝音德力根(内蒙古大学蒙古学学院蒙古歴史学部)
講 演:劉 建輝(国際日本文化研究センター)
討論者:王 中忱(清華大学中国文学科)
周 太平(内蒙古大学蒙古学学院蒙古歴史学部)
蘇德毕力格(内蒙古大学蒙古学学院蒙古歴史学部)
【2】 北京フォーラム(パネルディスカッション) *日中同時通訳付き
総合司会:孫 建軍(北京大学日本言語文化学部)
問題提起:劉 建輝(国際日本文化研究センター)
モデレーター:王 中忱(清華大学中国文学科)
討論者:王 京(北京大学日本言語文化学部)
劉 暁峰(清華大学歴史学科)
王 成(清華大学日本言語文学研究科)
日本語プログラム
中国語プログラム
ポスター
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2015.09.16
SGRAでは、良き地球市民の実現をめざす(首都圏在住の)みなさんに気軽にお集まりいただき、講師のお話を伺う<場>として、SGRAカフェを開催しています。今回は、「性別やジェンダー(『女』『男』であること等)について、考えるきっかけをつくる」ことをめざし、シンガポール出身のシム チュン キャットさん、ノルウェー出身のデール ソンヤさんのお二人を中心とした座談会を開催します。
準備の都合がありますので、参加ご希望の方は、事前に、SGRA事務局へお名前、ご所属、連絡用メールアドレスをご連絡ください。
◆「女子大は、要る?~『女』、『男』と大学について考えよう~」
日時:2015年10月24日(土)14時~17時
会場:渥美国際交流財団ホール
会費:無料
お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局
[email protected]
講師からのメッセージ:
日本には、女子大学というものがまだ存在しています。男女平等という話題が盛り上がっている現在において、女性しか通えない大学は要らないと思っている人は多いかもしれません。男子大学はないし、男女平等の社会だったら、性別に関わらず誰でもどのスペースでも利用できるはずでしょう。 このカフェは、性別やジェンダー(「女」「男」であること等)について、考えるきっかけにしていただけたらと思います。大学というテーマを中心に、「女」である、または「男」であることと、その社会的な妥当性について考えましょう。 女子大や、大学でジェンダーの勉強することについての発表の後、このテーマについて話し合う場をつくりたいと思っています。このカフェは講演会ではなく、ディスカッションのためのカフェです。皆さんの積極的な参加をお待ちしています!
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<シム チュン キャット Sim Choon Kiat 沈 俊傑>
シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。昭和女子大学人間社会学部・現代教養学科准教授。SGRA研究員。
<デール、ソンヤ Sonja Dale> 2014年上智大学グローバル・スタディーズ研究科博士課号取得。東海大学他非常勤講師。ウォリック大学哲学部学士、オーフス大学ヨーロッパ・スタディーズ修士。2012年度渥美奨学生。
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2015.09.14
下記のとおり、第50回SGRAフォーラムを開催いたします。
参加ご希望の方は、SGRA事務局(
[email protected] )にご連絡ください。
日時 :2015年11月14日(土)午後1時~5時
会場 :北九州市立大学 北方キャンパス 本館2階 C-202教室
参加費:フォーラム/無料、 フォーラム終了後の交流会/一般1000円、学生500円を予定
お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局宛に事前にお名前、ご所属、連絡先をご連絡の上、参加申込みをしてください。
SGRA事務局(
[email protected] Tel: 03-3943-7612 )
フォーラムの概要:
北九州市は大気汚染や水質汚濁など1950年代、60年代の経済成長に伴ってもたらされた深刻な公害を克服し、今日では国から「環境未来都市」に選定されるなど「世界の環境首都」を目指したまちづくりを行っています。
その礎を築いたのは、当時、子どもの健康を心配した母親たちでした。母親たちは「青空が欲しい」というスローガンを掲げ、「反対運動」や「告発」ではなく、母親たち自らの活動により、企業や行政に改善を求める運動を起こし、それが公害克服と環境再生の原点となったと同時に女性(母親)の社会参加の象徴ともなったのです。
今回のフォーラムは《青空、水、くらし-環境と女性と未来に向けて-》と題して、北九州市のみならず、中国、韓国などの事例をもとに、深刻化する環境問題に直面する女性や母親の意識の変化や社会参加の試みについて議論します。
プログラム:
総合司会:高 偉俊(北九州市立大学国際環境工学部教授/SGRAメンバー)
13:00~14:30【事例発表】
開会の挨拶
今西淳子(渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA代表))
近藤倫明(北九州市立大学学長)
事例発表1.(日本)
「『青空がほしい』運動に学ぶ-現在に問いかけるもの-」
神﨑 智子(アジア女性交流・研究フォーラム主席研究員)
事例発表2.(中国)
「変わるのか、母親の意識-中国の母親の環境意識の変化と活動-」
斉藤 淳子 (北京在住ライター)
事例発表3.(韓国)
「絶え間ない歩み-韓国YWCAの環境活動と女性の社会参加-」
李 ユンスク(韓国YWCA運動局部長)
14:45~17:00 【オープンフォーラム】
モデレーター 田村 慶子 (北九州市立大学法学部・大学院社会システム研究科長)
神﨑 智子 (アジア女性交流・研究フォーラム主席研究員)
斉藤 淳子 (北京在住ライター)
李 ユンスク (韓国YWCA運動局部長)
小林 直子(特定非営利活動法人 里山を考える会)
閉会の挨拶と第3回アジア未来会議に向けた展開
高 偉俊
17:00~18:30 【交流会】
希望者のみ(会費:一般1,000円、学生500円を予定)
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2015.09.10
2015年7月18日(土)、第49回SGRAフォーラム「日本研究の新しいパラダイムを求めて」が、早稲田大学大隈会館で開催された。フォーラムでは、中国、韓国、台湾を代表する日本研究機関と日本研究の第一線で活躍する研究者20名が一堂に会して、新しい日本研究のあり方についての活発な議論が交わされた。今回のフォーラムはセミ・オープン形式であったにも関わらず、予想を上回る延べ100人の参加者があった。
冒頭に今西淳子_渥美国際交流財団常務理事・SGRA代表から、過去2回のアジア未来会議で開催した「日本研究円卓会議」において日本研究の現状を危惧し、その将来を憂慮する声が多数挙がったことをきっかけに、中国、韓国、台湾の代表的な日本研究所と日本の国際交流基金、国際日本文化研究センターに声をかけたこと、そして、このように各研究機関の所長や副所長を始め、第一線の研究者の皆さんが参加してくださったことに主催者としても驚き、改めてこのテーマの重要性を再認識している、との開会挨拶があり、フォーラムがスタートした。
【基調講演】
平野健一郎先生(早稲田大学名誉教授、東洋文庫理事)は「新しい、アジアの日本研究に求めるもの」と題する基調講演の中で下記の2点を強調した。
(1)今回のフォーラムが目指す、国境を超える「知の公共空間」を構想するにあたっては、文化の相互依存性、共通性(普遍性)を視野に入れて、個別理解から国際間の経験・文化の相関関係により織りなされる現象として理解する「相互関係理解」へ、更には日本研究を地域、アジア、グローバルという重層構造の中に位置づけて理解しようとする「重層的理解」へと進まなければならない。
(2)これからの日本研究のテーマとして、平和と安全保障の問題を付け加えたい。戦後日本の経験を平和の問題として取り上げることは、誤った歴史の反省というだけでなく、各国にとっても重要な示唆を与えるものであろう。平和は、意思の力で築き上げて行くものである。日本研究者のみならずアジアの研究者は知的共同体を形成して行くことにより、東アジア共同体の構築、即ち平和の構築に参画することができる。
正に、「新しいアジアの日本研究」の方向性を示唆する内容であった。
【報告】
基調講演に引き続き、中国(楊伯江_中国社会科学院日本研究所副所長)、台湾(徐興慶_台湾大学日本研究センター所長)、韓国(朴喆煕_ソウル大学日本研究所長)から各国の日本研究の現状と将来に関する報告があり、日本(茶野純一_国際交流基金日本研究・知的交流部長)からは日本研究支援の現状と展望についての報告があった。
【円卓会議】
午後からの円卓会議では講演者とパネリスト計20名と会場の若手研究者を交えた、オープンディスカッションが3時間にわたって行われた。
劉_傑先生(早稲田大学社会科学総合学術院教授)による総括は以下のとおりである。
(1)文化現象として日本への関心が高まり、これまでの伝統的な枠組みでの日本研究とは異なる次元、異なる領域、異なる人脈での日本研究が広がってきている。しかし、こうした関心の広がりと「日本研究の深化」とは直接に結びつくものではない。これを、どのようにアジアで共有できる日本研究に結び付けるかは、今後の「新しい日本研究」構築にあたっての課題であろう。
(2)今、この地域にとって「方法としての日本研究」が特別に重要な時期である。日本研究のあり方は、この地域の国や人々のあり方を映し出す鏡のような意味を持つものであり、自己認識の方法とも言える。このフォーラムを通じて「方法としての日本研究」の重要性を確認することができた。
(3)「方法としての日本研究」が東アジアの和解、即ち平和に繋がることは間違いない。和解を安定化させるための重要なツールが「知」である。日本研究を一つの方法として用いることにより、知の共同空間、知の共同体が生まれ、この地域の和解、即ち平和と安定に寄与する可能性を垣間見ることができる。
(4)少なくとも、今回のフォーラムでは「アジアで共有できる日本研究」、「アジアの公共知としての日本研究」の構築を目指すというコンセンサスが得られた。
今回形成されたネットワークをどのように生かして行くか、の議論の中で朴喆煕_ソウル大学日本研究所所長から「東アジア日本研究者協議会」開催の提案があり、具体的な作業をどのように進めるのかを議論するための環境を整備し、対外的にも発信して行くこととなった。
フォーラム終了後、渥美財団ホールで渥美奨学生、ラクーン(元奨学生)を交えた懇親会が開催され、若手研究者と講師、パネリストの交流と議論が夜遅くまで続いた。
東アジアの日本研究の第一線で活躍する講師、パネリスト20名を招いての駆け足のフォーラムであったが、円卓会議のモデレーターである南基正教授(ソウル大学日本研究所研究部長/SGRA会員)の見事な司会により、短時間であっても極めて実り多いフォーラムとなった。
ご参加いただいた講師、パネリストの先生方に心から感謝すると共に、このSGRAフォーラムを契機にして形成されたネットワークの今後の飛躍に期待したい。
当日のアンケートの集計結果
当日の写真
英語版はこちら
(文責:角田英一_渥美国際交流財団事務局長)
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2015.08.05
フォーラムの趣旨:
「日台アジア未来フォーラム」は関口グローバル研究会が毎年台湾で主催する国際会議である。本会議では主にアジアにおける文学、言語、教育、歴史、社会、文化などの議題を取り上げる。 第六回目の開催となる今年は「東アジアにおける知の交流―越境・記憶・共生―」について議論する。
帝国主義と植民地主義の下で進められた東アジアにおける近代化の流れは、それまでの中国を中心とした朝貢システムを崩壊させ、国民国家を中心とした国際関係を東アジアにおいて成立させてきた。西欧的国家モデルをいち早く志向して近代国家の成立に成功した日本は、二十世紀東アジアにおける知の交流を語る際に常に重要な役割を果たしてきた。しかし、近年のグローバル化の急速な進展によって、国民国家制度の恣意性が明らかになり、また様々な分野の活動にみられる多くの越境者たちの存在や異なる共同体における記憶の構築、多文化主義に見られる共生の実践など、多種多様な交流の形態はこれまでのような国家単位における知の交流の形を大きく変えてきている。今日においてこうした議論は大変有意義であると思われる。本シンポジウムでは、こうした東アジアにおける知の交流の変容を、参加者たちの多様な立場とアプローチによって読み解いていきたいと考えている。
主 催:
公益財団法人渥美国際交流財団、文藻外語大学日本語学科、台湾大学日本語文学学科、台湾大学日本研究センター
会 場: 文藻外語大学(台湾高雄市)
開催日: 2016年5月21日(土)
テーマ: 東アジアにおける知の交流―越境・記憶・共生―
申請方法: 2015年9月20日までに、(1)「論文發表申請書」と(2)「論文要旨【中国語・外国語】」を送って下さい。申請書は、文藻大学のホームページよりダウンロードしてください。
審査結果: 結果は2015年11月30日までにEメールにてお知らせいたします。
論文提出期限: 2016年3月18日(金)までに完成した論文(8000字以上)を送って下さい。
本フォーラムでの論文発表後、修正・補充・審査を経て、審査合格論文を編集して、台湾大学「日本学研究叢書」(中国語・日本語)において出版する予定です。
詳細は論文募集要項をご覧ください。
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2015.07.30
第4回SGRAワークショップが、「『知の空間』を創ろう」というテーマで、7月3日から3日間行われた。蓼科への「旅行」なのか、「ワークショップ」(しかも、かなり重いテーマである)なのか、少し不安を抱きながら参加した。以下は、極めて個人的な感想を込めた参加レポートである。
7月3日(金)
朝から激しい雨が降り続いていた。新宿を午前9時の出発予定だったが、激しい雨と思わぬ事情により、1時間程度遅れていよいよ出発。幸い目的地への道は渋滞もなく、諏訪に着くころには雨もほぼ止んだ。
お昼はSUWAガラスの里のレストラン。諏訪湖を眺めながら食事をし、食後SUWAガラスの里の美術館・ショップを見るのが定番のコースらしい。美術館で印象深かったのは、金箔の漆器箱をガラスで表現した作品だった。見た目は六角の漆器箱そっくりだが、ガラスの表面に金箔を張り付けたそうだ。わざわざガラスで造る必要があるのかとの思いもなくはなかったが(隣には、ガラスで作ったキャベツもあった!)、とにかく美しい。
次の目的地は諏訪大社。雨は降ったり止んだりしていたが、雨霧に囲まれた古社は神秘感を増した。たまたまあった茅の輪で夏越しの大祓もやってみた。くぐり方だけに気をとられて、その時は何も祈ることが出来なかったが、同期の皆さんが無事に博論を出せるように祈ったらよかったと思う。
予定より少し遅れて最終目的地、チェルトの森へ到着した。夕食後、アイスブレーキングタイムがあった。「私の強みは_______である」「私の弱みは_______である」などなど、親しい人ともなかなか話さない話題について、小グループごとに話し合う時間だった。これでアイスブレーキングができるかよく分からないが、個人的には話すうちにどんどん盛り上がってきた。また周りを見ると、積極的に、真面目に話す人や、ボンヤリのんびりとする人など、個々の個性が浮かび上がるのも面白い。続く懇親会では、聞くだけでも非常に楽しい話が長く続いた。
7月4日(土)
2日目から本格的なワークショップが始まった。午前中は劉傑先生、茶野純一先生のトークショーがあった。まずは両先生より知・空間の概念定義から始まり、知と政治との関係など、深度の深いお話を伺った。茶野先生はアメリカのthink tankと政治政策について、劉先生は中国における日本学(者)の状況などを例として取り上げ、知の問題が現実の政治権力と微妙な緊張関係にあることを鋭く指摘した。
そもそも蓼科ワークショップは、蓼科旅行とも言われているように、博論執筆に疲れている今年度の奨学生にリフレッシュの時間を与えようとの財団の配慮で、気軽に楽しむという趣旨もあるようだが、今回のテーマはなかなか重い。それゆえ参加者皆が真面目に、真摯にテーマを受け入れた様子であった。講演の後に続く質疑応答時間でも「知の空間」における東アジア共同体の可能性、知と権力との関係、「専門性」と「知」との関係設定、アカデミックの「知」と地域の「知」との結びつきなどなど、様々な側面・観点から議論が行われた。
確かに、日本史、しかも日本近現代史という狭いといえば狭い領域で暮らしていた私にとって、刺激になる、それなりに楽しめる時間だったが、他方、これからのワークショップの分科会、翌日のプレゼンテーションなどへのプレッシャーも次第に高くなった。
しかしながら、これは私の杞憂にすぎなかった。午後から始まった小グループの活動は、ワークショップ本来の趣旨の通り、気軽で、楽しめる時間だった。5つに分けられた各チームは、蓼科の自然を満喫しながら、宝探しを兼ねて知の空間をイメージする色・形や、知の空間に必要なもの、禁止すべきものなどの課題を見つけ、それについて自由に話し合う時間を持った。
その後、話し合った結果を元に、各チームは明日のプレゼンテーションに向けて準備にはいった。私のチームでは、知の空間を象徴する各種のイメージをコラージュすることにした。最初は、どういう形になるか分からずに始めたが、皆が少しずつアイデアを出して、ふさわしいイメージを探し出すことによって、作業はどんどん具体化された。よいチームワークの結果、夕食前に、明日の発表準備をほぼ終わらせることができた。これで一安心。外は少しずつ雨が降り出したが、おいしい夕食と、続く懇親会も思う存分、楽しめた。
7月5日(日)
最後の3日目。ワークショップの結果をチーム毎に発表する時間となった。各チームいずれも発表内容や形式において、個性溢れる、面白い発表であった。私のチームのコラージュは知の空間のイメージから、宇宙と秩序を背景とした人間の形状を作り出した。他の発表の面々を見ると、知の空間とその誕生を、卵の形で立派な照明効果も活用しながら表現したもの、とても面白い料理番組で知の空間へのチョコ(直行)焼きを造ったもの、知の空間のつながり・拡散を真面目な説明と分かりやすい紙工作で表現したものなどがあった。最後のチームは、発表順まで緻密に計算して、会場の全員の手をつなぎ合わせ、知の空間における人と人との結びつきを表現した。実に今回のワークショップのテーマにふさわしい最後の発表であったと思う。また、議論、まとめ、発表全体を通して、新入奨学生に任せきりではなく、奨学生のOBやOG、財団の方々、それに講師の先生方までも皆が積極的に参加してくださって、本当にありがたいと思った。
発表が終わってみんなが満足できる授賞式もあった。それからお昼を食べて、バスで東京へ向かった。短い時間であったが、自然を楽しめる(しかも鹿を二度も見ることが出来た)、皆とより一層親しくなった、貴重なリフレッシュの時間だった。
蓼科ワークショップの写真
英語版はこちら
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<趙 国(チョ・グック) Guk CHO>
歴史学専攻。早稲田大学大学院文学研究科博士課程在学中。研究分野は日本近現代史で、現在は日本の居留地における清国人管理問題について博士論文を執筆している。
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2015年7月30日配信
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2015.07.28
SGRAでは昨年に引き続き、福島県飯舘村スタディツアーを下記の通り行います。 参加ご希望の方は、SGRA事務局へご連絡ください。
渥美国際交流財団SGRAでは2012年から毎年、福島第一原発事故の被災地である福島県飯舘(いいたて)村でのスタディツアーを行ってきました。
ふくしまスタディツアーでの体験や考察をもとにしてSGRAワークショップ、SGRAフォーラム、SGRAカフェ、そしてバリ島で開催された「第2回アジア未来会議」でのExhibition & Talk Sessionなど、さまざまな催しを展開してきました。
今年も10月初めに第4回目の「SGRAふくしまスタディツアー」を行います。ぜひ、ご参加ください。
日 程 : 2015年10月2日(金)、3日(土)、4日(日)2泊3日
参加メンバー:渥美財団奨学生、ラクーンメンバー、SGRAメンバー その他
人 数 :7~8人程度
宿 泊 :「ふくしま再生の会-霊山(りょうぜん)センター」
参加費 :渥美奨学生、ラクーンメンバーは無料
一般参加者は新幹線往復費用+1万円
申込み締切 :9月15日(火)
申込み・問合せ:(渥美国際交流財団 SGRA 角田)
E-mail:
[email protected] TEL: 03-3943-7612
プログラム・詳細
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2015.07.23
2015年7月11日、東京九段下にある寺島文庫みねるばの森にて、台湾中央研究院近代史研究所の林泉忠先生をスピーカーに迎え、第7回SGRAカフェが開催された。SGRA運営委員のデール・ソンヤさんの司会のもと、まずSGRA代表の今西淳子さんによる開催の挨拶があり、続いて林先生による講演が始まった。以下、その様子を簡略に伝えたい。
今回の講演は、2014年に中国語圏で起こった政治的な出来事のなかでも特に印象的であった、台湾のひまわり学生運動と香港の雨傘運動を取り上げたものであった。現在の台湾と香港の状況を象徴するようなこれら二つの運動は、学生たちが立法院や道路を占有する映像とともにメディアによって大きく取り上げられ、海外の人々にも非常に強いインパクトを与えた。これらの運動が現代の中国語圏を理解する上でどのような意味をもつのかを整理し、それをもとにして、運動の主体となった台湾と香港の若者のアイデンティティの問題に進んだ。
林先生によれば、二つの運動は以下のような特徴をもつ。まず、それらはともに学生主体の運動であり、政権や社会格差への関心が主な動機として始まっている。また両者は、方法としては非暴力を、理念としては民主主義を掲げたものであり、その展開においてインターネットが重要な役割を果たしていたという点でも類似している。さらに、ひまわり学生運動と雨傘運動の中心となった若者たちが、深い関心をもって互いの活動を積極的に支援したという点も特徴的である。
すでに『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス:沖縄・台湾・香港』というタイトルの著書を上梓されていることからも窺えるように、林先生が、これらの運動を理解する際にキーワードとしたのは、「中心と辺境との距離」である。上で取り上げた二つの運動は、民主化運動といった点を重視すれば、中国語圏で行われてきた従来の政治運動と一見同様に見えるかも知れない。しかし、今回の二つの運動には大きな違いがあり、それには、近年の中国語圏における最も重大な変化、すなわち「中国の台頭」という現象が関係している。
現在の中国語圏において、中国本土と台湾、香港の力関係は従来のそれから大きく変化している。香港は以前もっていた経済的求心力を失い始め、台湾もまた爆発的な成長を見せる中国との関係をどのように保つかに苦慮している。このような関係の変化は、特に雨傘運動に対する中国政府の対応から垣間見ることができる。林先生の理解によれば、中国政府の雨傘運動への対応は予想以上に強硬なものだった。これは、香港がもっていた経済的重要性が弱まってきたことによって、現在の中国政府がある意味では香港(に住む人々)に対して優位に立つようになったという事情を反映しているといえる。
このような現実に直面している香港の学生たちが今回の運動で問わなければならなかったのは、おそらく民主主義やそのための手続きの問題だけではなく、激変する社会情勢における自分たちの立ち位置でもあったのだろう。同様の指摘は、台湾の事例にも当てはまる。中国政府の反応は香港の場合とは違って比較的おだやかなものではあったが、ひまわり学生運動がそもそも中国本土と台湾の経済的な協定が火種となったものであるという点を考えれば、台湾の若者が苦心していたものもまた、単なる政治的意思決定のプロセスの妥当性だけではなく、中国台頭時代における自らの立ち位置への不安でもあったと思われる。
このように、今回の二つの運動は、ますます中心化していく中国本土とますます辺境化する台湾・香港の関係がもつ不安定さを反映したものであり、若者による民主化運動という理解だけではこれらの内実を正確に把握することは、もはやできないのである。
中心と辺境の距離感は、講演の主題となったアイデンティティの問題に直結している。林先生の調査によれば、香港・台湾の住民のかなりが、自らを香港人・台湾人と考えている。香港人や台湾人という自己認識が何を意味するのか、さらに、この自己認識が中国語圏の今後に対して何を示唆するのかに関しては、まだ判定を下すことができない。しかし、社会情勢の変化が、中国語圏が従来から抱えていた問題の位相を変えていることは恐らく事実であり、今後このような傾向はさらに加速されるだろう。
現状の整理は上記のとおりであるが、これから中国語圏の人々が何を目指すべきかを示すことは簡単ではない。これに関して林先生は、中心となっていく中国政府が、どのように辺境の人々からの信頼を回復できるのかが鍵となるだろうと述べた。その具体的な方法は事案に応じて個別的に論じられなければならないが、その指摘は方向性としては全面的に正しいと思われる。
中国語圏の若者のアイデンティティの問題は、その地域の現実を直に反映したものである。今回の講演は、このようなアクチュアルな現象に着目することで今後の中国語圏全体のあり方を考えるという、非常に刺激的な内容であった。
当日の写真
英語版エッセイはこちら
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<文 景楠(ムン・キョンナミ) Kyungnam MOON>
哲学専攻。東京大学大学院博士課程在学中。研究分野はギリシア哲学で、現在はアリストテレスの質料形相論について博士論文を執筆している。
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2015年7月23日配信