SGRAの活動

  • 2025.03.13

    岩田和馬「第23回SGRAカフェ『岐路に立つシリア:抑圧から希望へ、不確実な未来への歩み』報告」

    2025年2月8日、第23回SGRAカフェ「岐路に立つシリア:抑圧から希望へ、不確実な未来への歩み」が渥美財団ホールとZoomによるハイブリット形式で開催されました。講師はジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター研究員のダルウィッシュ・ホサム氏、討論はモハメド・オマル・アブディン氏、司会はシェッダーディ・アキル氏が担い、対面とオンライン共に数多くの聴衆が集まりました。   24年12月8日にアサド政権が突如崩壊し、反体制勢力による新体制が確立したシリアについて、ホサム氏は、故ハーフィズとバッシャール親子によるアサド政権の現実や、11年の反体制デモに端を発する内戦、そしてポスト・アサド時代の不確実な未来への展望について語りました。自身の経験を踏まえたシリアの生活、日本留学後もしばしばアサド政権下の日々を悪夢に見たというエピソード、非人道的な政治体制によって国民に植え付けられたトラウマとその長期的な影響、そして体制を支えた政治構造や、国民に対する弾圧の実態に言及しました。   続いてスーダン出身のアブディン氏は、紛争国や内戦を逃れて海外で生活をする厳しさや、中東・北アフリカ地域において紛争が続くシリア、スーダン、パレスチナといった地域における米国やロシアなど大国の思惑等、多様な論点からコメントしました。   聴衆からの質問は、今後のシリアがどのような未来を歩むかという点に集中しました。内戦中に離合集散を繰り返した反体制勢力同士の不安定な関係に加え、国内に残る政権派やイスラーム国残党の扱い、北部のクルド勢力との関係などは、今後の新生シリアの未来を占う上で重要な要因となることが確認されました。シリア北部においてはクルド勢力の影響が非常に大きく、ホサム氏、アブディン氏とも最終的に情勢を決定するのは新政権を支援するトルコと、クルド勢力を支援する米国の思惑次第ではないかと見ていました。   オスマン帝国史を専攻する私は、アラブ地域は専門外であるものの、トルコを介してシリアとも縁のある学生生活を送りました。アラブの春に続いて、なし崩し的にシリアでの内戦が始まった11年に東京外国語大学に入学、13-14年にトルコへ留学し、語学学校でシリアから逃れてきた学生たちと話をした時に初めて内戦のリアリティを目の当たりにしました。日本でもシリア出身の留学生と仲良くなる機会はありましたが、クラスの3割がシリア人で占められていた語学学校の様子は内戦の影響を「mass」の形で見せつけられているようで、強い印象を受けました。その後、旅行や調査でトルコを訪れるたびにシリア人難民を街で見かけることが増え、難民の定着過程とトルコ人との衝突を目の当たりにしました。   近年ではトルコ社会に定着するシリア人難民も増え、トルコ語を操りトルコ人と同じ学校を卒業し、トルコ人と同じ会社で働くシリア人も増えましたが、15年前後はトルコ語も話せず生活基盤もないシリア人がイスタンブル各地で物乞いをしている姿をよく見かけました。旅行でたまたまバスが通過した国境地帯の難民収容施設で見かけた所在なさげにタバコをふかしたり、施設の周辺で座り込んだりする人たちの姿を今でも覚えています。トルコ人からの冷たい目線や心無い言葉を見聞きすることも多く、難民の強制送還や難民に対する襲撃が度々トルコの政治マターとしてニュースに現れるのを見てやるせない思いに駆られました。   このような体験を通して今回の講演を振り返ると、ホサム氏とアブディン氏からの「ニュースでは紛争における死傷者や難民の数が語られるが、数字に含まれる人々には個別の人生があり、内戦によって引き起こされた個別の苦しみがある」という指摘は非常に重要です。   2度のトルコ留学を通じて、私はトルコへ逃れたシリア人をはじめとしてパレスチナ人、ウイグル人、イエメン人、アフガン人などの難民や学生と知り合い、それぞれの体験を耳にするたびに戦争や政治弾圧が個人の人生に対してもたらすものを考えざるを得ませんでした。「統計的な数字の裏には無数の人間の人生が存在している」ということは、少し考えれば当たり前の話ですが、私たちはしばしばこんな簡単なことも忘れてしまいます。今回のイベントを通して、私が出会ったこれらの人々やニュースで見る戦災被害者全てにそれぞれ戦争に狂わされてしまった人生があることを決して忘れてはいけないと改めて認識しました。カフェに参加したすべての人が、直接的・間接的に紛争の影響を受けた人を見たことがあると思います。このようなある種当たり前のことを思い出すためにも今回のカフェが行われた意義がありました。   ホサム氏とアブディン氏が指摘したように、講演、討論、質問において度々議題に上がった新生シリアの今後については不確定要素が多数存在しており、予断を許さない状況が続いています。先進国の多くはアサド政権下のシリアに対して経済制裁を行っており、新生シリアに対してもリーダーが宗教保守派であることを理由に様子見を続けています。こうした先進国の姿勢はシリアの情勢の改善を促すことにはならないので、日本をはじめとした各国はなるべく早く支援する必要があります。女性の地位を巡る課題や世俗的な生活様式がどれほど容認されるのかといった懸念が特に西側各国から投げかけられています。しかし、「戦闘が終わり、体制が安定しなければこのような議論も行うことができないので、いち早い対策が必要だ」というアブディン氏の指摘は非常に重要です。   内戦が終了したとはいえ、いまだに多数の不確定要素が存在し、無数の村落や都市が荒廃したシリアの再建は容易な事業ではないということを、今回のイベントを通して今一度再確認しました。アサド政権下で行われた非人道的な弾圧や有象無象の武装勢力が割拠したこの10年の歳月がシリア社会に大きな傷跡や憎悪、分断を残したことは明らかであり、爆撃で更地になった国土の復興と並行して、社会や人間性そのものの復興が急務であるという思いを改めて強くしました。一方で、世界各国へ散らばり様々な分野の知識や技術を身につけたシリアの人々が祖国の復興に参画したいと考えていることも確かです。こうした人々の善意と国際社会の適切な援助が新生シリアの社会を健全なものに再建することを期待して止みません。新体制のシリアでは各派閥の対立や憎しみを超えて、可能な限り早い復興が行われることを願います。   当日の写真   <岩田和馬(いわた・かずま)IWATA Kazuma> 東京外国語大学大学院総合国際学研究科世界言語社会専攻博士課程在籍。2020-2023年ボアジチ大学客員研究員。研究論文に「18世紀イスタンブルの荷役組合:内部構造に関する考察」『オリエント』vol.63-2,189-204(2020)。2024年度渥美国際交流財団奨学生。     2025年3月13日配信
  • 2025.02.06

    ボルジギン・フスレ「ウランバートル・レポート2024年秋―ハルハ河・ノモンハン戦争85周年―」

    2024年はハルハ河・ノモンハン戦争(ノモンハン事件)85周年にあたる。モンゴルとロシアではさまざまな記念活動が繰り広げられたのに対し、日本側は、いかなるイベントも行われず、まるで1939年には何も起こらなかったかのようだ。かつて「本当は日本側が勝っていた」と主張した人ですら、何もなすところがなかった。皮肉なことに、日本のメディアが「ノモンハン」にふれたのは、ロシアのプーチン大統領が記念式典へ出席するためのまさかのモンゴル訪問だった。   もちろん、日本にもこのような国際情勢だからこそシンポジウムを開くべきだとうったえる方は何人かいた。渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)がモンゴルの団体と共催した第17回ウランバートル国際シンポジウム「ハルハ河・ノモンハン戦争85周年―新視点と新思考―」は特筆すべきといえよう。   ゴールデンウイーク中に出張して日本の若手外交官と打ち合わせをした時に、「ハルハ河・ノモンハン戦争85周年を記念し、なんと200名ものカザフ人が馬に乗ってモンゴルを訪問することになっている。なぜこんなたくさんのカザフ人がモンゴルに来るのか」と聞かれた。私は「戦争にはカザフ・ソビエト社会主義共和国からも多くの軍人が参戦したが、今回モンゴルを訪問する200名はカザフ人ではなく、モンゴル語で発音が似ているロシアのコサックではないか」と答えた。「コサック」はロシアやウクライナに存在した軍事的共同体とそれに属す人びとを指す。「自由な民」という意味のトルコ語由来の言葉だ。かつては特権をあたえられ、ロシアの国境防備などに携わっていた。近代に入ってもツァーリ(ロシア皇帝)の軍事力となり、20世紀まで活躍していた。旧ソ連のペレストロイカ(民主化)に伴って再復興。2014年のロシアによるクリミア併合には、コサックも出動した。   後日、モンゴル語とロシア語の資料を調べていたら「ロシアとモンゴル国の戦勝85周年の記念イベントの一つとして、ロシア連邦クルガン州のコサックが4月に馬に乗って出発し、8月にモンゴル国に入り、ウランバートル、ヘンティ県を経てドルノド県ハルハ河郡(ハルハ河・ノモンハン戦争の戦場)にたどりついた」と書かれていた。   6月19日、世界はロシアと北朝鮮が締結した「包括的戦略パートナーシップ条約」に注目した。条約には、「一方の当事国がいかなる国または複数の国から武力侵攻を受けて戦争状態になった場合は、他方の当事国は遅滞なく国連憲章条約第51条およびロシア連邦と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の法律にもとづいて、利用可能な軍事および他の支援を提供する」という軍事協力が含まれている。これを穏やかに見守る国もあれば、ぷりぷりと腹を立てて腕を上げておこる国もある。日本の官房長官も「深刻に憂慮している」と述べた。   そもそもアジアにおける力の均衡の概念は欧米とは異なる(ヘンリー・キッシンジャー著、伏見威蕃訳『国際秩序』(日本経済新聞出版社2016)。冷戦時代、社会主義のソ連・中国・モンゴル・北朝鮮対資本主義の米国・日本・「国府(中国国民党政権/台湾政権)」・韓国という東アジアの秩序が形成されていた。インドは長い間、非同盟中立政策をとってきた。ポスト冷戦時代に民主化の道をあゆんだモンゴルは、ロシアと中国という2大パワーからのインパクトを受けながらも、北朝鮮との友好関係を維持し、日本、米国、韓国といったいわゆる「第3の隣国」との関係も強化してきた。   このような歴史的背景からロシア・北朝鮮の条約締結に対する関連諸国の反応には温度差が大きいが、モンゴルでは1936年3月に「ソ連・モンゴル人民共和国相互援助条約」が正式に締結され、「ソ連、モンゴル両国は、どちらか一方が他国から攻撃を受けた場合、いずれの側もすみやかに、軍事を含むあらゆる援助を行う」ことを約束。この条約にもとづき、ソ連軍は1939年にハルハ河・ノモンハン戦争に参戦、チョイバルサン元帥も1945年8月にスターリンの呼びかけに応じて、モンゴル軍をひきいて対日戦に参戦した。   昨夏には2回モンゴルを訪ねた。いたるところに戦勝85周年祭典を祝う雰囲気が漂っている。8月15日から24日にかけて、モンゴル国立大学の考古学調査隊と一緒にドルノド県で「チンギス・ハーンの長城」に関する発掘調査をした。私は県都チョイバルサンでも4泊した。ほとんどのホテルが満室で、多くが記念祭典に参加する人たちだった。ウランバートルに戻る朝、ホテルを出ると「ハルハ河戦勝85周年:『父たちの道』国際モーターラリー」というマークがついた長い車列に出会った。ホテル前の「友誼広場」ではハルハ河・ノモンハン戦争当時のソ連軍第57特別軍団司令官(のちに第1軍集団司令官)ゲオルギー・ジューコフ帥像の除幕式リハーサルが行われていた。ドルノド空港の旧ソ連軍の基地だったところにはロシア軍の戦車が見えた。上空にはロシアとモンゴル軍のヘリコプターが飛びまわっていた。   8月27日から9月4日にはウムヌゴビ県に行き、モンゴル国立大学の調査隊と発掘調査を行った。3日の夕方、県都ダランザドガデのホテルに入ってテレビをつけたらプーチン大統領のモンゴル訪問が生中継されていた。   9月6日にはモンゴル国立大学で、第17回ウランバートル国際シンポジウム「ハルハ河・ノモンハン戦争85周年―新視点と新思考―」を開催した。シンポジウムでは2019年以降の世界各国における同戦争に関する研究の成果を総括し、昨今の国際情勢をも鑑みながら、21世紀における民族、国家、及び国際秩序の問題点が指摘された。お互いの視点・認識の違いと特徴に注意をはらいながら対話を進め、ハルハ河・ノモンハン戦争をより広く深く探り、その経験と教訓から現在の政策決定に役立つような知見を導き出し、今後の北東アジアの平和共存と国際的な相互理解の促進を目指した。   開会式ではモンゴル国立大学のS.ゴムボバータル副学長が祝辞を述べ、日本、モンゴル、ロシアの研究者17名(共同発表も含む)が14本の論文を発表した。モンゴルにおけるハルハ河・ノモンハン戦争研究の第一人者、元モンゴル諜報局特別文書館館長、駐アメリカ・ロシア・トルコモンゴル大使を歴任したR.ボルド氏、モンゴル科学アカデミー会員・元駐キューバモンゴル大使Ts.バトバヤル氏、田中克彦一橋大学名誉教授、二木博史東京外国語大学名誉教授、湊邦生高知大学教授、小林昭菜多摩大学准教授、上村明東京外国語大学研究員、軍事史・地図研究者の大堀和利氏らが最新の研究成果を報告した。詳細は、別稿にゆずりたい。シンポジウムには実際に戦争に参加したモンゴル軍の元看護師Ts.チメデツェレン氏、ソ連軍第17前線集団軍(方面軍)司令官で、ソ連では英雄とされたグリゴリー・シュテルン中将(のちに大将)の甥G.I.シュテルン氏なども参加した。   開会式に日本の外交関係者を招待したが、「望まない形の影響が強く現れることが予想される」という理由で欠席だった。これを聞いた著名なノモンハン研究の専門家のK先生は、「だから、日本の外交は下手くそだ」とおこっておられた。   夜の宴会で、あるモンゴルの研究者は、日本のメディアが国際刑事裁判所(ICC)に加盟のモンゴルがプーチン大統領を逮捕しないと糾弾したことについて、「わが国はロシアと中国という2大隣国にはさまれており、経済などにおいて密接な関係を持っている。人口340万余りのわが国は、日本や米国、韓国、フランスなどの「第3の隣国」と友好関係を推進しながらも、ロシアと中国の影響を受けざるをえない。地政学、そして軍事的視点からみてもプーチン大統領を逮捕する力はまったくないので、日本の国民に理解していただきたい」と語った。   SNSでのロシアと中国、モンゴル人の書き込みを調べてみると、「地政学が分かっていないのか。仮にモンゴルがプーチン大統領を拘束したとして、日本の自衛隊、あるいは米国や英国の空軍がモンゴルに飛んできてプーチン大統領を連れて行けるのか、勇気があったら飛んで来い」「どの国がそんなことができるか、幼稚すぎだ」「何を考えているか、モンゴル領に入る前にロシア軍、あるいは中国軍に撃ち落されることが決まっている」などと書かれていた。   今回のシンポジウムはモンゴル国の『ソヨンボ』や『オーラン・オドホン』紙などにより報道された。会議の報告は2025年3月の『日本モンゴル学会紀要』に掲載される。   除幕式とシンポジウムの写真   <ボルジギン・フスレ Borjigin Husel> 昭和女子大学大学院生活機構研究科教授。北京大学哲学部卒。1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会外国人特別研究員、ケンブリッジ大学モンゴル・内陸アジア研究所招聘研究者、昭和女子大学人間文化学部准教授、教授などをへて、現職。主な著書に『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(1945~49年)――民族主義運動と国家建設との相克』(風響社、2011年)、『モンゴル・ロシア・中国の新史料から読み解くハルハ河・ノモンハン戦争』(三元社、2020年)、『日本人のモンゴル抑留の新研究』(三元社、2024年)、編著『国際的視野のなかのハルハ河・ノモンハン戦争』(三元社、2016年)、『ユーラシア草原を生きるモンゴル英雄叙事詩』(三元社、2019年)、『国際的視野のなかの溥儀とその時代』(風響社、2021年)、『21世紀のグローバリズムからみたチンギス・ハーン』(風響社、2022年)、『遊牧帝国の文明――考古学と歴史学からのアプローチ』(三元社、2023年)他。     2025年2月6日配信  
  • 2025.02.05

    第75回SGRAフォーラム・第45回持続的な共有型成長セミナー 「東アジア地域市民の対話」へのお誘い

    下記の通り第75回SGRAフォーラム・第45回持続的な共有型成長セミナー 「東アジア地域市民の対話」を対面とオンラインのハイブリットで開催いたします。参加ご希望の方は、事前に参加登録をお願いします。   テーマ:「東アジア地域市民の対話 国境を超える地方自治体・地域コミュニティ連携構想(LLABS)の可能性を探る」 日 時:2025年4月12 日(土)午後2時~午後5時(日本時間) 方 法: 会場参加とオンライン参加(Zoom ウェビナーによる)のハイブリット開催 会 場:桜美林大学 新宿キャンパス創新館(南館)JS302号室(地図) 言 語:日本語・英語(同時通訳)   申 込:参加申込(参加には事前登録が必要です) お問い合わせ:SGRA事務局([email protected])       ■フォーラムの趣旨 地理学的にいえば、「東アジア」は、北東アジア(日本、中国、韓国)と東南アジア(ASEAN加盟国)の双方から構成され、「多様性の中の調和」原則の現出ともいえる「東アジア統合」というASEAN+3(日中韓)のビジョンを共有している。東アジアはこのビジョンに向けて大きな前進を遂げたが、近年中国が関わる出来事がビジョンに向けた地域の進歩を頓挫させていることも否定できない。 国境を超える地方自治体・地域コミュニティ連携構想(Local-to-Local-Across Border Schemes、以下LLABS)は、渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)とフィリピン大学ロスバニョス校(UPLB)経営開発学部(CPAf)のさまざまなコラボレーションとして、フェルディナンド・C・マキト博士が主導する「持続可能な共有成長セミナー」を通じて生まれた。UPLBチームは、フィリピン内務省の地方政府アカデミーと地方自治省のために LLABS研究プロジェクトを実施した。 本フォーラムでは、桜美林大学グローバル・コミュニケーション学群とSGRAの協力によって、これまで主にフィリピンで検討されてきた LLABS構想について、北東アジアの研究者と一緒に議論し、実現の可能性について探る。 会場とオンラインのハイブリッド形式で開催し、共催のフィリピン大学オープンユニバーシティ(UPOU)を通じて広くオンライン参加者を募る。     ■プログラム   基調講演   「国境を超える地方自治体・地域コミュニティ連携構想(LLABS)の概要と意義」 フェルディナンド・マキト(フィリピン大学オープンユニバーシティ(UPOU)講師) LLABS 構想の背景には、東アジア全体に広がる2大潮流がある。一つは東南アジア諸国連合(ASEAN)+3(日中韓)に代表される”地域統合”の思想で、もう一つは政治的および財政的決定権を地方政府に委ねる”地方分権”の思想である。果たしてこれらの潮流は互いに代替し合うか、あるいは補完し合うかという疑問が本フォーラムの出発点である。 地域統合の戦略が状況次第で機能しないことは、西フィリピン海や南シナ海で紛争が続いていることなどからみても明らかだ。行き詰まりの状況を打開する策をLLABS構想が提供できると期待されている。またその他のケースでも、LLABS構想がこの2大潮流を前進させる補助的メカニズムとして機能し、地域統合と地方分権が補完的な関係になる可能性が示唆されている。事例研究として、フィリピン大学オープンユニバーシティ(UPOU)が神奈川県相模原市藤野とフィリピンのラグナ州バニョスで進めている2つの取り組みを紹介しながらLLABS構想の意義を考察する。     討論1「ASEAN+3と日本。LLABS の可能性」 コミュニティ連携:成長のトライアングル、中華街、「カレー移民」に見る教訓 佐藤 考一(桜美林大学リベラルアーツ学群教授)   国境を超える地方自治体・地域コミュニティの連携構想(LLABS)というのは、夢のある話であるが、難しい話でもある。ASEANの成長のトライアングル構想については、成功の条件として、新興工業国・地域(NIES)のような先進地域と発展途上地域の垂直分業関係、良港の存在、近接性、インフラ整備の度合いと資金源、治安問題がないことなどが必要で、さらに世界的な供給連鎖管理(SCM)の流れに乗れることも必要である。現在までのところ、3つのトライアングルのうち、成功したとはっきり言えるのは南のトライアングルだけである。日本国内の小さなコミュニティー連携について言えば、中華街、「カレー移民」について成功例と失敗例がある。 外国人労働者が言語や宗教、文化の問題を乗り超えて日本社会に溶け込めるか、日本側が彼らの受け入れにどれだけ努力しているか、移民の子供の教育機会が充実しているかなどが問題になる。互いに歩み寄りながら、相互理解と共益を目指す事が必要である。なお、日本の中華街には、中国文化を売り込んで観光名所として成功するしたたかさもある。     討論2「ASEAN+3と中国。LLABS の可能性」 中国および東北アジア地域における越境開発協力と地方自治体国際協力の枠組み 李 鋼哲(INAF研究所代表理事・所長)   東北アジアにおける地域主義は1990年代前後から冷戦崩壊の頃、国境を超える地域開発の活性化とともに台頭する。様々な越境的地域開発のプロジェクトが立ち上がり、極地経済圏(サブ・リージョン・エコノミック・ゾーン)形成の動きが出現し、それがこの地域の経済成長の大きな原動力となった。 (1)環日本海国際経済圏構想(1980~90年代)。 (2)図們江地域開発構想と計画(TRADP)(1991年~)。 (3)環黄海・渤海経済圏構想(1990年代~)。 (4)両岸四地経済圏構想:中国の広東省・福建省と台湾、香港、マカオ(1990年代~)。 (5)メコン川流域経済圏構想GMS(1991年~、中国広西チワン族自治区と東南アジア5ヵ国)。 そのような流れの中で「北東アジア地域自治体連合」(国際機構)が1996年に成立、その他にも様々な地方間国際交流の枠組みが形成された。中国の地方政府(自治体)が、国境を越えた地方間の経済・文化交流のプラットフォームの活性化により地域経済成長と中国の高度経済成長を支えてきた軌跡を考察する。     討論3「ASEAN+3と韓国。LLABS の可能性」 韓国地方政府の国際レジーム形成の取り組み:日中韓地方政府交流会議を事例として 南 基正(ソウル大学日本研究所所長)   韓日中地方政府交流会議(以下、日本語での報告であることを考慮し「韓日中」は「日中韓」と表記)は韓国、日本、中国の地方政府が実質的な交流を進めることを目標に、大韓民国市道知事協議会、日本自治体国際化協会、中国人民対外友好協会など3つの機関が共同で開催する地方政府間協力の枠組みである。1999年にソウルで最初の会議が開催され、以来2024年に25回目の会議が韓国光州で開催されるまで、輪番制で毎年開催されている。ただ一度、20年に新型コロナウイルス感染症の影響で延期になったが、これも非政治的な理由での「延期」であり、中断したことはなかった。25年は中国・江蘇省塩城市での開催が決まっている。 報告では、日中韓地方政府交流会議に対する大韓民国市道知事協議会の取り組みを事例に、北東アジアにおいて地方政府が主導する国際レジームの特徴と意味を確認する。具体的には次の2点である。第1はASEAN+3との相関性の究明。日中韓地方政府交流会議が始まったのはASEAN+3発足2年後の1999年で、韓国がASEANとの連携を大きく意識し始めた時であった。そして金大中政権になりASEANへの接近も見られた。韓国の地方政府が地方外交を開始し、ASEAN方式に注目したのがこの頃であった。それが継続の力になっていたと考えられる。そこで、第2に試みるのは日中韓首脳会談との比較である。日中韓首脳会談は2008年の初開催以来、24年に9回目の会談が開催されたが、13年と14年、16年と17年、20年から23年まで、3度の中断があった。それぞれ政治的な状況が大きな影響を与えていた。一方で、日中韓地方政府交流会議はこの時期も継続され、背景にどのような努力があったのかを確認することは、この地域の平和共存のための知恵を与えてくれるだろう。     討論4「ASEAN+3と台湾。LLABSの可能性」 政治的制約を超える台湾と東南アジアの「非政府間」の強い結びつき 林 泉忠(東京大学東洋文化研究所特任研究員)   台湾とASEAN10カ国とは、正式の外交関係を有しておらず、また「ASEAN+3」にも入っていないが、両者の関係は実に微妙で密接な状況にある。戦後の台湾は、かつて東南アジア8カ国とそれぞれ国交を樹立したが、1970年代における両岸(中台)の国際地位の逆転で次々と断交していく。だが、やがて台湾は韓国、香港、シンガポールと共に「アジアNIES」の一員として経済発展を遂げ、東南アジアへの経済進出も目立つようになった。 2016年、蔡英文民進党政権は中国への経済依存を減らし、「新南向政策」を打ち出した。それによって、台湾と東南アジアの結びつきはさらに深まり、人的・経済的な国境を超えたつながりが強化されている。今後、特にデジタル経済・医療・教育・労働者受け入れの分野での協力が引き続き重要視されるだろう。他方、「星光計画」としてシンガポール軍が台湾で軍事訓練を実施したり、台湾は南沙諸島にある自然形成された陸地面積が最大の太平島を実効支配したりしている。 全体として、台湾とASEANの関係は中国の圧力や自由貿易協定(FTA)の未締結といった課題もあるが、政治的な制約を超えて実質的な相互依存関係を深めており、今後も国境を超えた交流が広がっていくと思われる。     自由討論 フィリピン市民の意見 … ジョアン・セラノ(フィリピン大学オープンユニバーシティ教授) インドネシア市民の意見 … ジャクファル・イドルス(国士舘大学21世紀学部専任講師) タイ市民の意見 … モトキ・ラクスミワタナ(早稲田大学アジア太平洋研究科)   総括  平川 均(名古屋大学名誉教授)     ※詳細は、下記リンクをご参照ください。 ・プログラム 皆さまのご参加をお待ちしております。   English Page  
  • 2025.01.18

    張桂娥「第8回東アジア日本研究者協議会におけるモビリティに関するパネル報告」

    2024年11月8日(金)~10日(日)、台湾の新北市淡水区において「第8回東アジア日本研究者協議会国際学術大会」が開催され、渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)から参加した4パネルの1つとして「物語空間におけるモビリティ:日本と台湾の児童文学における鉄道旅行の象徴」と「都市空間におけるモビリティ:多角的な視点からの探求」と題するパネルディスカッションが行なわれた。   第1部「物語空間におけるモビリティ:日本と台湾の児童文学における鉄道旅行の象徴」   本セッションでは、異なる文化や歴史的背景を有する日本と台湾の児童文学において鉄道旅行がどのように描かれ、異文化間の理解と交流を促進する役割を果たすのかが論じられた。   [日本児童文学における鉄道旅行]   最初の発表は、イタリア・ボローニャ大学のマリア・エレナ・ティシ先生による「日本児童文学における鉄道旅行」。ティシ先生は日本の児童文学における鉄道旅行の象徴性とその変遷について、近代から現代に至るさまざまな作品を取り上げた。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』や小川未明の『負傷された線路と月』、さらに現代の絵本『きかんしゃやえもん』、『こんとあき』、『おばけでんしゃ』などが具体例として紹介され、鉄道旅行が近代化の象徴や夢、想像を掻き立てる対象から、懐かしさや安心感を伴う魔法的な乗り物へと変化している点を指摘。また、鉄道旅行が現実と幻想を兼ね備え、読者に深い問いを投げかける存在であること、そしてその過程で深遠なメッセージを伝える点が強調された。   コメンテーターの東京大学大学院助教・安ウンビョル先生は鉄道というモビリティテクノロジーを通じて児童文学が持つ社会的・文化的意義を深く掘り下げた点を高く評価した。さらに鉄道が日本における国家的な象徴性と結びついている点や、鉄道の表象が他のテクノロジーとどのように異なる特徴を持つのかについて、社会史的な視点から研究の可能性を示唆した。関西学院大学の齋木喜美子先生は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』における旅の過程の重要性や、日本の絵本における鉄道の役割について言及し、特に近年の児童文学において鉄道が子どもたちにとって親しみやすく魅力的な存在であり続けていることを指摘した。   [台湾児童文学における鉄道の役割とモビリティの象徴性]   次は、本パネルの企画者である張桂娥が「台湾児童文学における鉄道の役割とモビリティの象徴性─九歌版『年度童話選』(2003-2023)に登場する鉄道関連要素の考察」を発表。台湾におけるモビリティ研究の視座を取り入れ、21世紀の台湾児童文学における鉄道関連要素を中心に分析を行った。九歌版『年度童話選』(2003-2023)に収録された461編の作品の中で鉄道が象徴的に描かれた作品を取り上げ、鉄道や電車が登場人物の成長、冒険、自己発見の過程にどのように寄与しているのかを探求した。鉄道が単なる移動手段ではなく、登場人物の心理的成長や文化的アイデンティティの形成を象徴する存在として描かれている点が強調された。   コメンテーターの齋木先生は台湾における鉄道モチーフの作品が少ない点に触れ、沖縄の車社会を例に挙げて「軽便鉄道アヒィー」(野村ハツ子)のような絵本が存在するものの、子どもたちの生活に鉄道が関与する機会が少ないことが類似した状況を作り出していると述べた。その上で、今後鉄道に触れる機会が増えることで、新しい作品が登場する可能性に期待を寄せた。   [モビリティという概念は社会変化を捉える有効な枠組み]   「鉄道という乗り物の存在が日台の地域文化や歴史的背景とどのように結びついているのか」というフロアからの質問に、セッションを総括した座長である大阪教育大学の成實朋子先生と齋木先生は日台の児童文学における鉄道の描写を比較することで、モビリティの社会的・文化的な多様性が明らかになり、特に、日本の児童文学における鉄道旅行が近代化の象徴として、また夢や幻想を喚起する存在として描かれる一方、台湾では鉄道が急速に進展する都市化と地域文化との接点として描かれている点が注目されたという。   最後に、座長の成實先生がモビリティの発展が児童文学に与える影響についての議論が新しい視点を提供したことを評価し、モビリティという概念が社会変化を捉える有効な枠組みであることが確認されたと総括した。また、日台の児童文学に加え、他地域の作品や同時代の大人向け文学との比較を進めることで、さらなる研究の発展が期待できるとの見解を示した。   第2部「都市空間におけるモビリティ:多角的な視点からの探求」   2つ目のセッションでは都市におけるモビリティをテーマとし、複数の研究者が異なる視点から研究成果を発表した。   [東京圏の鉄道における外国人観光客の移動の実践に関する研究]   最初の発表は安ウンビョル先生による「東京圏の鉄道における外国人観光客の移動の実践に関する研究―モバイル・エスノグラフィーを手法にして―」であった。観光客が移動中に直面する問題や感覚的な体験を明らかにするとともに、鉄道という物理的な施設が観光客の視点からどのように意味づけられるかを論じた。観光客の移動を単なる移動手段ではなく、都市空間における新たな体験価値を創造するプロセスとして捉える視点を提示した点が、本研究の重要な貢献である。   台湾・中興大学の陳建源先生は研究の新規性を評価するとともに、その手法的課題について指摘した。特に、調査対象である外国人観光客の多様な背景を反映するデータ収集の必要性や、観察行為が観光客の行動に与える影響についての考察を求めた。   [CLILの授業実践から考察する日本のモビリティサービスの課題]   次に、台湾・東呉大学の田中綾子先生が「CLILの授業実践から考察する日本のモビリティサービスの課題―台湾JFL(Japanese_as_Foreign_Language)学習者を対象にしてー」と題する発表を行った。台湾人日本語学習者が日本の公共交通機関を利用する際に直面する課題を、内容言語統合型学習(CLIL)の枠組みを活用して考察した。学習者が交通サービスに関する知識を深める過程を分析し、それが日本語能力や訪日旅行への意欲にどのような影響を与えるかを論じ、日本語教育のシラバスに交通関連の内容を導入することの教育的意義について提言した。   台湾・開南大学の陳姿菁先生は本研究の独自性と応用可能性を高く評価する一方で、学習者の背景に基づくさらなる詳細な分析や対象範囲の拡大についての課題を提示した。   最後に座長である張桂娥が総括として、本セッションが都市モビリティに関する研究を文化的、教育的、技術的視点から多角的に考察した点を評価し、特に外国人観光客や日本語学習者といった多様な利用者の経験に焦点を当てた意義を強調した。また、教育と技術の連携を通じた公共交通サービスの改善が、都市の持続可能な発展に寄与する可能性についても触れた。   多文化的視点を取り入れた研究が現実社会の課題解決にいかに貢献できるかが明らかにされたことは重要な成果である。本セッションで得られた議論の成果は今後のモビリティ研究や教育実践にとっても大きな示唆を与えるものであり、持続可能な交流と相互理解の深化に寄与する可能性を秘めている。   [モビリティという概念が持つ広がりと深さと学際的研究の可能性]   今回の4本の研究発表の成果を総括すると、都市空間と物語空間におけるモビリティのメタ概念が、それぞれ補完的な視点で深く探求されたことが明確に見えてくる。都市空間におけるモビリティは物理的な移動や社会的な機能にとどまらず、文化的、教育的、そして体験的な側面をも包含し、個人やコミュニティにとっての意味を再定義するものとして捉えられる。一方、物語空間におけるモビリティは物理的な移動が持つ象徴的な意味や、登場人物の成長、自己発見、さらには文化的アイデンティティの形成に深く関わる側面として現れた。   これらの研究を通じて、都市空間と物語空間におけるモビリティが互いに補完し合う形で学術的に展開される可能性が示唆された。都市空間のモビリティは物理的な移動とともに社会的・文化的な変革を促す力を持っている一方、物語空間のモビリティは個々の登場人物がどのように自己を発見し、文化的アイデンティティを形成していくかという象徴的・哲学的な側面を内包している。両者は異なる領域でありながらモビリティという概念が持つ広がりと深さを示しており、今後の学際的な研究において都市と物語の相互作用を探ることで、新たな知見が生まれることが期待される。   ポストコロナの時代においてこそ、人々の往来の意義や移動の真価を再確認することが急務である。こうした時期に手厚いサポートとともに、多国籍の学者たちと我が出身国である台湾で知的交流を深める素晴らしい機会を提供してくださった渥美国際交流財団には、深く感謝の意を表す。また、遠路はるばる「移動」して一堂に会した報告者、討論者、座長(司会)を務めた先生方に対しても、改めて感謝の意を申し上げたい。(文中敬称略)   当日の写真   <張 桂娥(ちょう・けいが)Chang_Kuei-E> 台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本語教育、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科副教授。授業と研究の傍ら、日台児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。     2025年1月23日配信
  • 2025.01.16

    第7回アジア未来会議円卓会議報告:郭立夫「アジア文化対話『自由の限界と可能性』~『自由』の視点から現代社会の多様性を探る」

    2020年代も半ばに差し掛かった現在、言論の自由や人権保障といった民主社会を支える最も基本的な倫理的前提が新たな挑戦に直面している。ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエル・パレスチナ紛争といった国際的な紛争、少子高齢化や若年層の貧困問題といった日本国内における課題まで、私たちの社会は不安と恐怖を伴う多くの困難に直面している状況だ。   こうした中、政治的保守勢力は、複雑かつ国境を超えた宗教、政治、経済ネットワークを通じて連携を強め、社会の周縁に位置するマイノリティ――少数民族、移民、労働者、性的マイノリティなど――を、人類社会の進歩や伝統的な宗教文化的価値観、民主的制度、さらには社会の安定そのものを脅かす存在として再構築しつつある。これらの動きは、多様性と自由を否定するだけでなく、「自由」という概念そのものを見直す必要性を私たちに問いかけている。現代社会の基本的、倫理的前提として位置づけられてきた「自由」は、果たして今日の複雑化する社会問題に対抗するうえで十分なものか。また、「自由」をめぐる闘いには新たな可能性が存在するのか。これらの問いに向き合うことは、現代に生きる私たちにとって喫緊の課題だ。   2024年8月10日から11日にかけて、タイのチュラーロンコーン大学にて開催された「自由の限界と可能性」と題する第7回アジア文化対話の円卓会議が、渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)の主催で開催された。事例に根ざした議論と意見交換が繰り広げられ、主にアジアの文化や社会における自由の意味や実践について検討した。会議では学術的な議論に加えて学者、研究者そして活動家の間の経験共有と交流が重視された。   ◇プログラム   【1日目】 司会:Sonja・PF・Dale(アジア文化対話プログラムディレクター) 発表1:Yingcheep・Atchanont(iLawディレクター) 討論:Jose・Jowel・Canuday(アテネオ・デ・マニラ大学准教授)/Carine・Jaquet(独立研究者)/郭立夫(筑波大学助教) 発表2:Miki・Dezaki(独立ドキュメンタリー映画監督) 発表3:Bonnibel・Rambatan(New_Naratif編集長) 討論:Jose・Jowel・Canuday/Mya・Dwi・Rostika(大東文化大学講師)/郭立夫   【2日目】 司会:Sonja・PF・Dale 発表1:Nyi・Nyi・Kyaw 発表2:Thigala・Sulathireh(Justice_for_Sisters) 討論:武内今日子(関西学院大学助教)/Carine・Jaquet   会議は3つのセッションから構成された。   1日目の発表1では「タイの自由」を調査・記録してきたiLawという非政府組織(NGO)リーダーのYingcheep・Atchanont氏が、タイにおける君主の尊厳に対する不敬罪などを定めた「レーザー・マジェステ法」を始めとする自由の制約について紹介、議論が交わされた。そこからタイ社会における少数民族問題や情報アクセスの制約まで展開し、公式文書公開の必要性や、何を持って自由を享受すべきかを検討した。   発表2では「表現の自由」を主題に、独立ドキュメンタリー映画監督のMiki・Dezaki氏が自身の体験に基づいて慰安婦問題をテーマとしたドキュメンタリーを日本で上映した後に遭遇したバッシングという自身の体験に基づき、日本の右翼文化を指摘した。「言論の自由」を掲げながらも、右翼団体や活動家たちが言論に制限をかけようとしている矛盾した様子が実体験として共有された。   発表3では、主にインドネシアで活動するオンライン情報プラットフォームのNew_Naratifの編集長Bonnibel・Rambatan氏が、アジアにおける3つの「自由の技術」に関する分析を提示し、既存の価値観や物質的基盤、アルゴリズムがもたらす影響について発表。これまで冷静かつ客観的とされてきた科学技術も実際は人の自由を制限する武器として利用されることを明らかにし、科学技術の力を自由を守るためのものにするためのアプローチについて提案した。   2日目のセッションでは「存在する自由」に着目し、Nyi・Nyi・Kyaw氏が南東アジアにおける移住の問題を提起した。ミャンマーのクーデターの例など、実践に根ざした詳細な報告と検討が行われた。続いて、Justice_for_SistersのThilaga・Sulathireh氏がクィア・フェミニズムの観点から、マレーシアにおける性的マイノリティのLGBTQコミュニティーが目指す実践について発表した。   通底する議論は「自由」の視点から現代社会の多様性を探るものであり、論者たちの主張や経験はアジア全体に広がる問題を提起していた。参加者は「自由が広がる」とはどのような状況が展開されるのかを議論しながら、文化対話的な観点を提示した。何が自由を促進し、何が自由をそぐのかに関する議論は、参加者自身の問題意識を深めるものとなった。これらの議論から見出された制約の要因や自由の展望については、さらなる分析や討論の次の機会へとつながる要素を含んでいる。特に現代社会の多様性を議論する中で、自由の意味を再定義する視野の必要性も明らかになった。   当日の写真   <郭立夫(グオ・リフ)GUO_Lifu> 2012年から北京LGBTセンターや北京クィア映画祭などの活動に参加。2024年東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻で博士号を取得。現在筑波大学ヒューマンエンパワーメント推進局助教。専門領域はフェミニズム・クィアスタディーズ、地域研究。 研究論文に、「中国における包括的性教育の推進と反動:『珍愛生命:小学生性健康教育読本』を事例に」小浜正子、板橋暁子編『東アジアの家族とセクシュアリティ:規範と逸脱』(2022年)、「終わるエイズ、健康な中国:China_AIDS_Walkを事例に中国におけるゲイ・エイズ運動を再考する」『女性学』vol.28, 12-33(2020 年)など。     2025年1月16日配信  
  • 2025.01.09

    李趙雪「第18回SGRAチャイナ・フォーラム報告『アジア近代美術の〈西洋〉受容~色鮮やかな東南アジア美術の議論はこれからも続く~』」

    2024年11月23日(土)午後3時(日本時間4時)より第18回SGRAチャイナ・フォーラム「アジア近代美術の〈西洋〉受容」が北京外国語大学日本学研究センターで開催された。新型コロナウイルスのパンデミックが終息した後、フォーラムは5年ぶりに北京に戻り、対面とオンライン参加のハイブリッド形式で日中両国の視聴者に同時配信した。   11月の北京はすでに冬に入っているが、当日は暖かく穏やかな天気だった。孫建軍先生(北京大学日本言語文化学部)が司会を務め、主催者代表の周異夫院長(北京外国語大学日本語学院日本学研究センター)と後援の野田昭彦所長(北京日本文化センター)が挨拶した。前回の第17回SGRAチャイナ・フォーラム「東南アジアにおける近代〈美術〉の誕生」を引き継ぎ、今回は「アジア近代美術の〈西洋〉受容」をテーマとした。講師として日本における東南アジア美術史の第一人者である後小路雅弘先生(北九州市立美術館館長)、指定討論者として王嘉先生(北京外国語大学アジア学院教授)と二村淳子先生(関西学院大学教授)をお迎えした。   長い間注目されていなかった分野である東南アジア美術史は、近年の中国では重要な研究課題と見なされ、関心の高いテーマである。後小路先生の講演は、初期の東南アジアの美術家にとって重要な存在であったゴーギャンを取り上げ、東南アジア近代美術において「西洋」がどのように受容され、そこにどのような課題が反映していたのかを問題提起した。「ゴーギャンの受容」は画家自身を文明の側におき、対象を野蛮な他者とする図式が見られる。その背景には植民地体制を脱し新たな多民族多文化による国民国家の建設を目指す中で、ナショナル・アイデンティティーの形成、あるいは国民文化の創造という国家的な要請もあった。異国趣味的な女性像を乗り越えるため、ゴーギャンの造形性は参照すべき格好のモードであり、規範でもあった。国民国家の形成過程における「国民」の発見と重なり合い、いわば他者の発見と自己の探求が分かちがたく結びあっているところに、東南アジア近代美術に固有の問題と表現を見出すことができると指摘した。   自由討論は前回と同様にモデレーターの名手、澳門大学の林少陽先生によって進められた。ベトナム研究の専門家・王嘉先生は、20世紀初期のベトナム美術教育とベトナム近現代美術をテーマに補足・報告した。二村淳子先生は『ベトナム近代美術史――フランス支配下の半世紀』(原書房、2021年)の著書で東京大学而立賞(東京大学学術成果刊行助成)を受賞したフランス語圏美術史の研究者である。ゴーギャンとベトナム人画家との関係、特にレ・フー(黎譜)をはじめ、ベトナムの近代画家らも東南アジアの画家らと同様にゴーギャンの影響を受けたことを指摘した。ただし、ゴーギャンがベトナムから見出した「失われた楽園」は地理的な遠方であるのに対し、レ・フーらが見出したのは時間的な遠方、すなわちベトナムの歴史や過去だったと指摘した。   その後、会場から北京外国語大学の学生らや上海大学、九州大学、中国芸術研究院の美術史研究者から多くの質問を受けた。「なぜ野蛮を描いたゴーギャンが東南アジアの近代画家のモデルとなったか」、「陳進の作品から野蛮ではない印象を受けたが、それについてご説明をいただきたい」、「レ・フーの『幸福時代』にゴーギャン以外の要素もあるか」などの質問に対し、後小路先生、二村先生、王先生は丁寧に回答して今回の講演をまとめた。近代国家の成立やアイデンティティーを模索する過程で、ゴーギャンの作品をモデルにする東南アジアの画家たちや台湾の原住民を「高貴」の目線で表現する陳進、ゴーギャン以外のフランス画家からも影響を受けたレ・フォーの諸問題は自由討論で語り切れなかったが、色鮮やかな東南アジア美術についての議論はこれからも続くだろう。   最後に清華東亜文化講座を代表して、王中忱先生(清華大学中国文学科)より閉会の挨拶があった。王先生は後小路先生の講演が植民地主義研究における従来の方法を超え、「他者を認識することは自己を認識・構築することでもある」という示唆的な視点を評価し、国家主義の台頭、均質のグローバル化が進む今日では東南アジアなどの多視点的な討論はきわめて貴重であると述べた。王先生は長年にわたりチャイナ・フォーラムを企画・支援してきた渥美国際交流財団関口グローバル研究会に対して謝意を伝えた。   北京会場、そしてオンラインを含め110名を超える参加があった。講演主題の選択と質疑応答の構成に対してアンケートからも多くの好評を受けた。フォーラム終了後、北京外国語大学の近くにあるレストランで渥美国際交流財団30周年祝賀夕食会が開催された。SGRAを長らく支援してくださっている宋志勇・南開大学教授、北京日本文化センターや清華大学東亜文化講座の先生方、そして中国在住のラクーン(元渥美奨学生)たち、総勢50名の参加者が一堂に会し、大盛況だった。   当日の写真   アンケート集計   <李 趙雪(り・ちょうせつ)LI_Zhao-xue> 中央美術学院人文学院美術史専攻(中国・北京)学士、京都市立芸術大学美術研究科芸術学専攻修士、東京藝術大学美術研究科日本・東洋美術史研究室博士。現在南京大学芸術学院の副研究員。専門は日中近代美術史・中国美術史学史。       2025年1月9日配信    
  • 2025.01.08

    第23回SGRAカフェ「岐路に立つシリア ~ 抑圧から希望へ、不確実な未来への歩み ~」へのお誘い

    下記の通り第23回SGRAカフェを会場及びオンラインのハイブリット方式で開催します。参加ご希望の方は、会場、オンラインの参加方法に関わらず事前に参加登録をお願いします。   テーマ:「岐路に立つシリア ~ 抑圧から希望へ、不確実な未来への歩み ~」 日 時: 2025年2月8日(土)14:00~15:30(その後懇親会) 方 法: 渥美国際交流財団ホール 及び Zoomウェビナー 言 語: 日本語 主 催: (公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会 [SGRA] 申 込: こちらよりお申し込みください お問い合わせ:SGRA事務局([email protected])     ■ プログラム 14:00  開会 司会 シェッダーディ アキル (慶應義塾大学) 14:05  講演 ダルウィッシュ ホサム(ジェトロ・アジア経済研究所) 14:45  討論 モハメド オマル アブディン(参天製薬株式会社) 15:00  質疑応答 & ディスカッション 司会・モデレーター:シェッダーディ アキル オンラインQ&A担当:岩田和馬(東京外国語大学) 15:30  閉会   ■ 講師からのメッセージ シリアは今、歴史的な転換点に立っています。2011年の民衆蜂起から始まった闘いは、ついに54年にわたるアサド独裁体制の終焉に帰結しました。しかし、その代償はあまりに大きく、数十万人の命が失われ、1,300万人以上が故郷を追われる結果となりました。本イベントでは、アサド政権崩壊に至る過程を振り返り、シリア社会が直面する課題に光を当てます。抑圧と恐怖の時代から、希望と再建へ——不確実な未来への歩みを共に考察します。シリアの未来に待ち受ける困難と可能性、新たな国家再建の道とは何か。皆様と一緒に考える機会になれば幸いです。   ■ 講師紹介 ダルウィッシュ ホサム Housam DARWISHEH ジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター研究員。専門はエジプト政治、中東・北アフリカの現代政治、地政学、国際関係。ダマスカス大学英文学・言語学部を卒業後、東京外国語大学大学院地域文化研究科で平和構築・紛争予防プログラムの修士課程および博士課程を修了し、2010年に博士号を取得。東京外国語大学大学院で講師・研究員を務めた後、ジェトロ・アジア経済研究所研究員、米国ジョージタウン大学現代アラブ研究所(CCAS)客員研究員を経て、現職。主な著作に、「エジプトの司法と『1月25日革命』―移行期における司法の政治化」(玉田編『政治の司法化と民主化』晃洋書房 2017年)、“Egypt-Sudan Relations: The Dynamics of Changing Power Relations in the Nile River Basin and Horn of Africa”(IDE Middle East Review Vol. 7、2019年)や “Geopolitics of Transboundary Water Relations in the Eastern Nile Basin” (IDE Discussion Paper 921, 2024)などがある。   ■ 討論者紹介 討論者:モハメド・オマル・アブディン Mohamed Omer ABDIN 参天製薬株式会社のCore Principles and Sustainability部門でCSV活動(共通価値の創造)を担当し、企業の強みを活かして視覚に関する社会課題の解決に取り組む。また、東洋大学国際共生社会研究センターの客員研究員として研究活動を継続している。東京外国語大学ではスーダン北部における権力闘争をテーマに研究を行い、2014年に博士号(学術博士)を取得。その後、日本学術振興会研究員、学習院大学や立教大学の講師等を経て現職。専門分野は政治学、平和構築、包括的教育など多岐にわたり、持続可能で公正な解決策の実現を目指し、多様な社会課題に取り組んでいる。さらに、2018年より「東京都多文化共生推進委員会委員」に着任し、都の多文化共生政策策定に有識者として携わっている。 プログラム詳細    
  • 2024.12.13

    藍 弘岳「第11回日台アジア未来フォーラム『疫病と東アジアの医学知識――知の連鎖と比較』報告」

    2024年11月に台湾淡水市の淡江大学で開催された「東アジア日本研究者協議会第8回国際学術大会」の場を借りて、第11回日台アジア未来フォーラム「疫病と東アジアの医学知識――知の連鎖と比較」を開催した。   3年前にコロナ禍で延期せざるを得なかった本フォーラムであるが、コロナ禍が収束した今だからこその時宜を得た内容となった。   議論の中心は、東アジア及び世界の歴史における疫病の流行とその対処法、また治療や予防に関する医学知識がどのように構築されてきたのか、さらに東アジアという地域の中でどのように知の連鎖が引き起こされ、共有されたのかについてであった。会議後半では、中国、台湾、日本、韓国における疫病の歴史とその予防対策、またそれに関わる知識の構築と伝播を巡って討論を行った。   進行役は私、藍弘岳(台湾・中央研究院歴史言語研究所研究員)が務め、李尚仁氏(台湾・中央研究院歴史言語研究所研究員)、朴漢珉氏(韓国・東北亜歴史財団研究員)、松村紀明氏(日本・帝京平成大学准教授)、町泉寿郎氏(日本・二松学舎大学文学部教授)の4名が発表を行った。これらの報告に対して、市川智生氏(日本・沖縄国際大学総合文化学部教授)、祝平一氏(台湾・中央研究院歴史言語研究所研究員)、巫いくせん氏(台湾・中央研究院歴史言語研究所副研究員)、小曽戸洋氏(日本・前北里大学東洋医学総合研究所教授)の順で発言し討論した。   最初の李尚仁氏の報告テーマは「コロナから疫病史を考え直す――比較史研究はまだ可能であろうか」で、ピーター・ボールドウィン(Peter_Baldwin)の著作を踏まえて、各国の防疫政策の違いについて比較研究が可能かどうかを検討した。李氏によれば、政権の性質や科学的知識は防疫政策に大きな影響を与えない一方で、商業利益、国の行政能力、地理的要因、公衆衛生の歴史的記憶や「パス依存性」などは防疫政策に影響を及ぼす可能性があるとし、これらの観点から疫病史の比較研究の可能性を示唆した。   次に、朴漢珉氏が「清日戦争以前朝鮮開港場の検疫規則の運営」というテーマで報告。日清戦争勃発以前、朝鮮政府が「朝鮮通商口防備瘟疫暫設章程」を制定した後に開港場で検疫規則を運営する過程で現れた改正問題を検討した。また、この検討を通じて朝鮮王朝時代における検疫と主権の問題を提示した。   松村紀明氏は「幕末から明治初期の種痘について」というテーマで報告を行った。千葉県と岡山県の事例を通して種痘の実施状況を比較し、天然痘の治療における民間医師のネットワークの重要性を指摘した。   町泉寿郎氏は「感染症と東アジア伝統医学」というテーマで、『傷寒論』や運気論、温疫学説など、漢方医学史における感染症に関する知識と治療法を論じた。長い歴史を通じた東アジアの伝統医学と疫病の関連を要領よくまとめ、重要なポイントを提示した。   報告が終わった後、休憩を挟んで指定討論に入った。まず、李尚仁氏の報告に対して、市川智生氏は歴史家として、現在発生している事件に対してどのように発言すべきかという問題を提起した。そして、日清戦争後に後藤新平が作った検疫島と、新型コロナの集団感染が起きたダイヤモンド・プリンセス号やその後の水際作戦は、表面的には歴史の継承に見えるものの、質的には異なると指摘した。また、歴史研究者が現在進行形の社会問題に発言する際に何が求められるか、さらに台湾の事例を比較する対象として適切な国・地域はどこかと質問した。   次に、朴漢珉氏の報告について、巫いくせん氏は、防疫ルールの策定と実施において、科学的知識や特定の政治的思想に厳密に基づくものではなく、国家間の交渉と妥協が必要であったことを明確に示しているとコメントした。また、検疫規則が後の時代に継承されたかどうかという李尚仁氏の研究にも関連して、船の消毒に関するヨーロッパ国家と日本の違いは地理的、文化的観点から説明できるのか、自由貿易の理由で検疫に反対することは、当時の朝鮮と日本でよく見られたことなのかと質問した。   松村紀明氏の報告については、祝平一氏がコメントし、「救助種痘」や「種痘勧善社」といった名義で岡山県など地方の医師による種痘の地域ネットワークが形成された点を非常に興味深いと指摘した。その上で中国の事例と比較して、「種痘が利益を生む商売」である中国において医療事業や感染症対策はしばしば地方の士紳(地域社会の行政・経済・文化・教育などの各分野において指導的立場にいた階層の人々)の力を借りる必要があったが、岡山県の種痘事業は寺院や地域の社会ネットワークとどのように関係していたのか、また、明治政府はいつから技術や人員の不足を補い、種痘を国家の公衆衛生体制に組み込むことができるようになったのかと質問した。   町泉寿郎氏の報告に対しては、小曽戸洋氏が日本史における感染症と漢方医学の関係について補足し、特に日本では『傷寒論』が非常に崇拝されていたことや、防疫対策と漢方医学との関連について言及した。漢方医学は当時神仏頼りの部分が多かったが、ダニ科のツツガムシが媒介とする感染症の治療に対しては効果的なアプローチが可能との認識が一般的だったと述べた。   最後に司会の私からも東アジアにおける医学知識の問題に関連し、松村氏に対して、江戸時代における人痘法だけでなく牛痘法に関する中国からの書籍の輸入や翻訳、受容の状況について質問した。また、町氏には、江戸時代における荻生徂徠の五行に対する理解や運気論の受容に関して質問した。   その後の自由討論では、発表者が各々の質問に答え、予定の時間はあっという間に過ぎてしまった。今回4本の論文で提示された問題は非常に多岐にわたるものであった。比較史研究の可能性、朝鮮における検疫規則、幕末期から明治初期にかけての種痘事業、東アジアにおける伝統医学と感染症に関する理解がいかに重要か、などが鮮明に浮かび上がったフォーラムとなった。この会議の成果が疫病と東アジアの医学知識を探究する契機になれば幸いである。日本語と中国語の同時通訳・逐次通訳を入れ、アジア各地からの研究者が活発に議論し合えたとても有意義な機会になったことを感謝申し上げる。   当日の写真   <藍 弘岳(らん・こうがく)Lan Hung-yueh> 中央研究院歴史語言研究所副研究員。専門は日本思想史、東アジア思想文化交流史。これまでの業績に『漢文圏における荻生徂徠――医学・兵学・儒学』(東京大学出版会、2017)、 「臺灣鄭氏紀事》與鄭成功和臺灣歷史書寫:從江戶日本到清末中國」(『中央研究院歷史語言 研究所集刊』第 95 本第 1 分、2024)などがある。       2024年12月19日配信
  • 2024.12.06

    李趙雪「第8回東アジア日本研究者協議会パネル『植民地・租界の美術と美術史』報告」

    2024年11月8日から10日にかけて、「東アジア日本研究者協議会第8回国際学術大会」が台湾の淡江大学で開催され、東アジアの近代美術史研究者6名を集めて「植民地・租界の美術と美術史」をテーマにパネル発表を行なった。   1980年代末以来、美術史既存の枠組みを再考し、近代日本美術史の叙述から排除された植民地美術史の研究が本格的に日本で始まった。近年の多くの研究成果を挙げていることを背景に、本パネルは天津租界、満洲大連、台湾、朝鮮での記念碑、建築、絵画、書芸などの造形・言説に焦点を当て、美術史の視点から植民地・租界の都市空間、市民生活、アイデンティティの交錯などを検討した。   会期中、台北に隣接する淡水という港町は小雨が降っていた。本パネルは2日目の午後の最初のセッションで、座長は国立台湾大学芸術史研究所の邱函妮先生を迎え、発表当日は時間軸に沿って発表の順序を調整した。「天津租界公園の記念亭と記念碑——東アジアのモニュメントの成立」(李趙雪:南京大学)、「戦前大連の文化住宅と郊外空間」(楊昱/グロリア・ユー・ヤン):九州大学)、「植民地台湾から『外地』を視る—水彩画家・石川欽一郎の朝鮮旅行を中心に」(鈴木惠可:中央研究院)、「植民地における朝鮮の書芸—呉世昌(1864-1953)を中心に」(柯輝煌:東京大学)の四つの発表と、東洋英和女学院大学のマグダレナ・コウオジェイ(Kolodziej, Magdalen)先生のコメントと発表者の議論を経て、フロアからの質問を受けた。   私の発表は天津のイギリス租界のビクトリア公園(1887年)と日本租界の大和公園(1909年)の奏楽堂や記念碑を手がかりに、東アジアのモニュメント概念の受容について検討した。「公園」という西洋の近代的な都市装置が天津租界に移植された結果、新しい都市理念を示すだけでなく、イギリスの権威や、日英同盟、日本の対外姿勢と自己主張の視覚シンボルとなったことを明らかにした。国際政治や外交の要因を背景に、ヨーロッパの奏楽堂(Bandstand)は中国の礼制建築と奈良時代の寺院建築との融合や対話を経て、天津の租界のなかで「記念亭」の雛形として成立した経緯がわかった。   楊氏の発表は日露戦争後の大連の住宅建設に注目し、日本の生活改善運動にも影響を与えた満州の生活改善展覧会(1921年10月29日〜11月2日)の状況を明らかにした。日本国内での中流階級の住宅・イメージを作ろうとした動きは、満州の植民地建設にも見られる。満州の場合、現地の地域性も重視され、1920年代に多くの文化住宅、和洋折衷の住宅が大連で建てられた。ところが、満州の住宅建設を通して明らかにしたように、植民地建設には理想と現実が混在していた。満州の中流住宅は一部だけの日本人に支持され、時には中国人の上流・中流階級の理想の対象にもなったという複雑な状況は今後さらに研究が求められる点とされた。   鈴木氏の発表は水彩画家・石川欽一郎(1871-1945)の朝鮮旅行に注目し、その歴史背景や朝鮮滞在中の活動、経緯などについて考察した。天津、北京、ヨーロッパ、台湾、福州などの各地での旅行後、1933年に石川は朝鮮に旅立った。石川は自らの朝鮮への眼差しは、内地からの画家というより、台湾への植民経験を有する宗主国の画家という自負を持っていたことがわかった。   柯氏の発表では植民地支配下の呉世昌の作品を取り上げ、そこに絡んでくる「檀君と箕子」の問題を提示した。先行研究においては、植民地期に入り、檀君ナショナリズムと天皇制のイデオロギーの間に起きている衝突がしばしば強調されているが、檀君と箕子は互いを排除する関係でしか捉えないのかと柯氏は疑問を提示した。それを背景に、呉世昌の書芸において檀君と箕子はどのような役割を担っていたか検証した。戦時期には箕子朝鮮と楽浪文化が内鮮一体や日本の大陸進出などの言説と絡んでおり、呉世昌の作品とこのような言説がいかに相互に作用しているのかを今後の課題とした。   討論者のマグダレナ先生は「一国美術史」の枠を超え、複数の民族が集まって国境を超える租界・植民地の美術史を再考することはとても重要であると指摘してから、それぞれの発表に質問した。(1)李の発表に対して、日英の二つの租界公園の公共空間を作る際の市民の状況、その受容の様子について。例えば奏楽堂(bandstand)で実際に演奏が行われたかについてなど。また使用した資料の絵葉書のメディアの問題についても検討する必要があると指摘した。(2)楊氏の発表に対しては、大連の住宅は植民地に住んでいた市民の状況を明らかにする重要な手がかりであると評価した一方、日本内地と満州で住宅に住んでいる階級、階層、また文化住宅に対する理想と現実についての具体的な説明を求めた。(3)鈴木氏の発表に対しては、植民地と内地の二元的な考え方より、植民地間の関係という新鮮な視点を提示していると評価した。その上で、石川欽一郎の研究は台湾美術史と日本美術史のどちらからの視点でなされているのかを質問した。日本美術史の文脈から考えるなら面白いテーマになると指摘した。(4)柯氏の発表に対しては、なぜ呉世昌は書芸というメディアで自己の意思をあらわしたのか、植民地研究の抵抗(resistance)・協力(collaboration)という既存の二元論に対して発表者の意見を伺った。マグダレナ先生の質疑に対して、発表者からは文脈、内容をそれぞれ補足し90分の時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。   最後に座長・邱函妮先生からのコメントは下記に補足する。 「李趙雪先生と楊昱先生のご発表は、外国勢力によって占領された中国天津の租界や満洲国といった特殊な都市空間をテーマにされました。お二人はそれぞれ、政治的意味を有する記念碑や建造物、また非公共的な住宅空間という異なる視点から考察を行い、これらのアプローチは非常に興味深いものでした。 鈴木恵可先生のご発表は、これまで中央/地方、植民母国/植民地という二項対立的枠組みに依存していた従来の視点から転換し、植民地間の比較という新たな視座を採るものでした。その結果、石川欽一郎が台湾での生活経験を通じて、他の植民地を観察するための比較基準を形成していたことが明らかとなりました。 柯輝煌様のご発表は、呉世昌の書芸とその活動を通じて、植民地支配下における朝鮮ナショナリズムを考察し、新たな論点を提示されました。今後の研究の進展が非常に楽しみです。」   本パネルは多様な美術ジャンルから成り立っているが、参加者の研究方法(美術制度論)はきわめて近いといえる。植民地・租界の美術の史的展開を全うしたとは言いがたいが、方向性や視点の提示などの面では有意義な成果を得た。パネルの後、参加者全員は会場近くのカフェに行き、発表内容についてさらに議論を深めるとともに、自身の研究方向や課題についても紹介した。今後のさらなる交流に向けて良い基盤を築く機会となった。   当日の写真   <李 趙雪(り・ちょうせつ)LI Zhao-xue> 中央美術学院人文学院美術史専攻(中国・北京)学士、京都市立芸術大学美術研究科芸術学専攻修士、東京藝術大学美術研究科日本・東洋美術史研究室博士。現在南京大学芸術学院の副研究員。専門は日中近代美術史・中国美術史学史。
  • 2024.11.28

    第7回アジア未来会議円卓会議報告:ブレンサイン「モンゴルと中央アジアにおける文化と資源の越境」

    ロシアによるウクライナ侵攻開始から3年近くたつなかで、ロシアとウクライナは戦いに対するそれぞれのイデオロギー的根拠を示すとともに、力のおよぶ範囲内で多くの人々を巻き込み、収束が見通せない状況が続いている。本セッションは、一見この戦争と直接的な関係性を持たないモンゴルや中央アジアの人々を事例に、私たちが聞き慣れてきた「多文化主義」がどのように肉薄する戦場で機能しているのかについて考えた。   ◇プログラム 総合司会:廣田千恵子(日本学術振興会特別研究員PD                 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターフェロー) 趣旨説明:ブレンサイン(滋賀県立大学教授) 基調講演:ウラデイン・ボラグ(ケンブリッジ大学教授) 発表1:メレキ・カバ(チャナッカレ・オンセキキズ・マルト大学准教授) 発表2:廣田千恵子 発表3:ネメフジルガル(モンゴル国科学アカデミー研究員) 討論:ブレンサイン   ユーラシア大陸の諸問題は往々にして中国とヨーロッパという東西の2つの軸を中心に取り上げられ、軸をつなぐ内陸ユーラシア地帯の国家と民族間の横のつながりが見落とされてきた。これらの地域は歴史的にも東西交流の中継地として重要な役割を果たしてきたが、近現代以降はロシアと中国の地政学的力学に巻き込まれ、国際関係の上で複雑な状況に置かれている。複雑さの根源にはソビエトと中国の二大社会主義勢力の長きにわたる統治の遺産があり、現在のウクライナ戦争に象徴される内陸アジア地域の少数民族をめぐる不安定性がどのような経緯で形成されてきたのかを理解することが求められている。   本セッションの特徴は、大国と中央アジアとの関係を分析の中心に据えつつも、西はトルコ、東はモンゴルまで広域にわたる諸民族間の歴史的関係性に目をむける点にある。歴史的に内陸アジアのほとんどの民族と国家は、モンゴル帝国と何らかの繋がりを持っている。内陸アジアの東端に位置するモンゴル国からウクライナ戦争に巻き込まれている地域に分散居住する民族集団の相互交流が、それぞれが所属する勢力圏にどのような影響をもたらしてきたかを整理することは、近現代以降の「東西交流」を理解する上で重要な側面と考える。本セッションでは、こうした問題意識を持って中央アジアとその周辺地域の文化的、社会的相関関係を幅広く取り上げた。   基調講演を行ったケンブリッジ大学社会人類学科のウラデイン・ボラグ教授は、これまでにも関口グローバル研究会(SGRA)に登壇し我々の活動を応援してきた方で、ウクライナ戦争を次のように考察している。   ロシアは、ウクライナに対する戦争を、ウクライナにおけるナチス化への反撃として正当化しており、ロシア軍はチェチェン人やカルムイク人、ブリヤート人、トゥヴァ人、ヤクート人など中央アジアや内陸アジアの少数民族を動員している。一方、ウクライナはロシアの全体主義から民主主義陣営を守る戦いと位置付けており、軍は多様な欧米連合体から支持を得ている。 中央アジアの人々を戦争に幅広く動員しているロシアの状況を、内陸に多くの少数民族を抱える中国と比較すると、内陸アジアの少数民族(主にモンゴル族、ウイグル族、チベット族)が、いわゆる「中華民族の構成員」として見られている点、そして「中国文化と文化的異質体」という相矛盾する体験をしている点に注目すべきである。   ウクライナ戦争におけるこのような辺縁の人々に対する幅広い動員を「戦争多文化主義」と定義し、中央アジアと内陸アジアの人々が紛争に果たしている重要な役割に焦点を当てた。中央アジアの人々がロシア軍に加わったことにより、「モンゴル帝国の歴史的文脈に根ざしたプーチンのユーラシア帝国主義」というウクライナの主張が成り立っている。同時に、これらの少数民族は、ロシアの「ルーシ」と中国の「中華」というより広範な文明的・国家的アイデンティティーの形成に貢献し、ロシアを戦争状態におき、中国をグローバル紛争に備えた状態においていると指摘した。   トルコのチャナッカレ・オンセキキズ・マルト大学で准教授を務めるメレキ・カバ先生(2009年度渥美奨学生)は「現代に根差すトルコ共和国の中央アジアとモンゴルという『故郷』」と題する研究発表で、トルコ共和国におけるモンゴルに対する認識について、歴史的な流れや冷戦時代以降のトルコと中央アジア諸国の政治的・経済的な関係を、特に1990年から2000年の間の動きを視野に入れて考察した。   トルコの歴史教科書では「突厥碑文」がトルコ系諸民族の歴史の最初の記録とされ、アジア大陸の中心に対して特別な意識が持たれている。一方、トルコ人にとって中央アジア諸国、諸民族は同じトルコ系の民族としての「同胞」認識があり、ソ連崩壊後に中央アジア諸国は社会主義陣営から「救済」された、との認識を持つ人が多い。したがって、トルコにとって冷戦以降の中央アジアは再発見された「身内」であり、中央アジアにおける近年の紛争や今般のウクライナ戦争におけるトルコの立ち位置からも、この地域におけるトルコの役割の重要性を理解することができる。   日本学術振興会特別研究員として北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターに在籍している廣田千恵子氏(2022年度渥美奨学生)はモンゴル西部のバヤンウルグイ県におけるカザフ族コミュニティーを拠点とし、中央アジアのカザフスタンやウズベキスタンなどで幅広くフイールドワークを行った研究を基に、異なる国家に暮らすカザフ人たちの刺繍模様を事例として文化的越境性と分断の面影を考察した。   モンゴル国内のカザフ移民社会のなかで作られた壁掛けの模様デザインと、中央アジア地域の様々なモノの模様デザインとの共通性の分析を通じて、社会主義期の人・モノ・情報の越境の活発さがソビエト全体の文化的流行や美意識を構成していった様子を報告。具体的には、19世紀末にアルタイ山脈北部に移住し、モンゴル国の国民となったカザフ人が社会主義期に作った壁掛けトゥス・キーズの模様デザインは、モンゴルよりもウズベキスタンやキルギスと共通しており、その背景として、1950年代以降にモンゴルのカザフ人が留学や出張のためロシア・中央アジア地域を訪れた際、壁掛けや茶器などを購入し、持ち帰ったことが影響していると指摘した。   モンゴル国科学アカデミーの研究員を務めるネメフジルガル先生(2008年度渥美奨学生)は、「モンゴル国と中央アジア諸国との経済関係」と題する研究発表を行った。1990年の民主化まで、モンゴル国は圧倒的に旧ソ連との関係で経済を運営してきた。体制転換以降は、中国とロシア両隣国との良好な外交関係を維持しながら「第三隣国」として日本や欧米諸国をはじめ、世界各国との経済関係の拡大を目指してきた。近年は特に中国との貿易量が増加し続け、モンゴルにおける中国の影響力が増している。しかし、旧ソ連圏の中央アジア諸国はモンゴルとの地理的距離は近いうえ、双方とも転換後の後遺症や過度の資源依存などの問題を抱えている。互いの経済関係を拡大させるとともに、中国という巨大市場での地位を争う側面もある。中国とロシアの資源貿易、中国とヨーロッパの陸上貿易などもモンゴルと中央アジア諸国の経済関係を複雑化している。モンゴルと中央アジア諸国間における補完性に欠ける経済構造や、内陸という地理的共通性による種々の制限が経済活動の支障になっている。   以上のようにモンゴルや中央アジアの国々にスポットをあてた問題意識は、いまなお続いているウクライナに対する戦争を理解する一つの側面であるのみならず、戦争終結後のユーラシア大陸の地政学的再編における中央アジア諸国の立ち位置を予測するための参考ともなりうる。   <ブレンサイン Burensain> 滋賀県立大学人間文化学部教授。2001年に早稲田大学より博士号(文学)。現在の研究テーマはモンゴル・内陸アジア地域近現代史。     2024年11月28日配信