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2018.10.31
下記の通りSGRAチャイナ・フォーラムを北京で開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。
※お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局(
[email protected], 03-3943-7612)
テーマ:「日中映画交流の可能性」
日時: 2018年11月24日(土)午後2時~5時
会場: 人民大学逸夫会堂第二報告庁
北京市海淀区中関村大街59号中国人民大学校内(明志路)
主 催: 渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)
共 催: 中国人民大学文学院、清華東亜文化講座
助 成: 国際交流基金北京日本文化センター
ポスター(PDF)
■フォーラムの趣旨
日中友好の基礎は民間交流に在り、お互いをより幅広く、正しく知るためには、相手の「心象風景」を知ることが、民間交流の基礎を固める上で重要である。映画は、その大事な手段であり、この40年にわたり、大きな役割を果たしてきた。
1977年と78年に、日本と中国でそれぞれ最初の映画祭が開かれた。中国では日本映画ブームが起こり、日本でも中国への関心から多くの観客が訪れた。このときの高倉健の影響力は衰えることなく、2014年の同氏の逝去に際し外交部スポークスマンが追悼の発言を行ったことは知られている。
日本映画の上映は、その後の「Love Letter」や「おくりびと」、「君の名は。」にいたるまで、中国に日本人の細やかな感情を伝え、等身大の日本人に親しみを感じさせてきた。そして、日本にロケした中国映画は、北海道ブームをもたらすなど、現在の日本旅行ブームの原動力にもなっている。また、中国映画の上映は、「芙蓉鎮」や「さらばわが愛、覇王別姫」が波乱の現代史に生きる中国人の姿を伝え、「ヒーロー」や「レッドクリフ」が歴史スペクタクルの楽しさを教えてくれた。
日中の国同士の関係に摩擦が生じたときも、映画交流はさらに発展を続け、映画祭の開催や劇場公開、合作映画の制作やインディペンデント映画の紹介、さらには回顧展の開催など、多様化が見られ、お互いに影響を与え合ってきた。近年はSNSによる発信など、中国の若者の日本への関心が増加しているが、日本でも賈樟珂や婁燁の作品が上映され、今年は「空海――美しき王妃の謎」がヒットし、「中国電影2018」で最新作が紹介されるなど、新たな動きが起こっている。4月の合作映画の撮影に関する日中政府間協議の締結も、重要な一歩である。
いまや中国は世界第1位のスクリーン数と第二の映画製作本数を誇る映画の一大市場であり、日本も世界第4位の映画製作本数を維持している。世界の映画産業のひとつの中心は、まさに東アジアにあると言ってもよいだろう。本フォーラムでは、この映画大国である日本と中国の40年にわたる映画交流を、日本と中国の側からそれぞれ総括を行い、意見交換を行い、今後の展望を検討することを目的としている。
刈間文俊氏は、1977年の中国映画祭から字幕翻訳に携わり、これまで100本に近い中国映画の字幕を翻訳し、中国映画回顧展のプロデュースを行うなど、日本での中国映画の紹介に携わってきた。王衆一氏は、日本映画に精通し、「人民中国」編集長として多くの日本の映画人と交友を持ち、「日本映画の110年」を翻訳し北京で出版している。日中の映画交流の歩みを現場で知る二人の発表をもとに、日中双方の識者による討論を行う。
■プログラム
総合司会:孫 郁(中国人民大学文学院)
【講演1】刈間文俊(東京大学名誉教授)
【講演2】王衆一(人民中国編集長)
【総合討論】
討論者:李道新(北京大学)、秦 嵐(中国社会科学院)、周 閲(北京語言大学)
陳 言(北京市社会科学院)、林少陽(東京大学)
司会者:顔淑蘭(中国社会科学院)
〇同時通訳(日本語⇔中国語):文 俊(北京語言大学)、宋 剛(北京外国語大学)
※プログラムの詳細は、下記URLをご参照ください。
日本語 中国語
■発表内容
【講演1】
◆刈間文俊「中国映画は日本になにをもたらしたか――その過去・現在・未来」
[要旨]
1977年に始まる中国映画祭は、日本に中国映画を紹介する大きな役割を果たした。1986年の「黄色い大地」のロードショー公開は、ニューウェーブの衝撃をもたらし、1985年の中国映画回顧展は、中国映画史の豊かさを教えるものとなった。1990年代に入ると、中国映画は国際映画祭での受賞が相次ぎ、インディペンデントの映画製作も始まるなど、多様化が見られた。日本における中国映画は、中国を知るための窓から、陳凱歌や張藝謀、賈樟珂、婁燁という監督の名前で語られる芸術となり、さらに歴史スペクタクルを描くエンターティメントとなったが、いま中国で大ヒットしている「私は薬神ではない」は、新たな社会派エンターティメントの可能性を示すもので、日本でも驚きをもって受け入れられるだろう。
[略歴]
東京大学名誉教授、武蔵野大学講師、南京大学客員教授。NPO法人日中伝統芸術交流促進会副理事長。1952年生まれ。東京都出身。麻布高校卒、1977年東大文学部中国文学科卒、83年同大学院博士課程中退。駒澤大学講師、87年東大教養学部講師、助教授を経て96年教授。専門は中国現代文学、中国映画史。共著書に「上海キネマポート―甦る中国映画」(凱風社)1985年、「チャイナアート」(NTT出版)1999年、訳書に陳凱歌「私の紅衛兵時代-ある映画監督の青春」 (講談社) 1990年。これまで中国映画の字幕を百本近く翻訳してきた。『空海―美しき王妃の謎』も日本語版の監修・翻訳を担当。
【講演2】
◆王衆一「今に問われる日本映画が中国に与えた影響――融合・参考・合作」
[要旨]
西洋から来た映画は日本経由で中国に伝わったのである。戦後日本映画はいくつかの段階で、それぞれ特色のある形で中国に入りましたが、決定的に中国で日本映画の存在を示したのは40年前『中日友好条約』が調印された時点からです。高倉健、栗原小巻、中野良子、倍賞千恵子などは幾世代の中国人の記憶に残っていて、国民間の好感度向上に一役を買っています。以来、日本映画は中国映画に与える影響はハリウッドとヨーロッパ、ロシア映画と違う形で今日まで続いています。中日友好や共同市場をめざす合作映画も中日映画交流の特徴のひとつです。昨年中国でヒットした『君の名は。』やこの夏中国で話題を呼ぶ『万引き家族』は、日本映画の新たなブームが始まったことを宣言すると同時に、同時代の日本人の「心象風景」は、映画を通して中国の若い世代に理解されることにつながるでしょう。政府間の映画合作協定の締結は、将来共同市場の形成に新たな可能性を与えています。
[略歴]
『人民中国』雑誌社総編集長。1963年生まれ。吉林大学で日本言語学を専攻、1989年に修士号取得。同年、人民中国に入社。1994年から東京大学で一年客員研究員。コミュニケーションや、翻訳学、大衆文化など多岐にわたる研究を行う。中華日本学会及び中日関係史学会常務理事、中日友好協会理事を務める。著書に『日本韓国国家のイメージ作り』、訳書に『日本映画のラディカルな意志(四方田犬彦著)』『日本映画史110年(四方田犬彦著)』などがある。第十三期全国政治協商会議委員。
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2017.12.28
2017年11月25日、北京師範大学において第11回SGRAチャイナ・フォーラム「東アジアからみた中国美術史学」が開催された。共催の北京師範大学や清華東亜文化講座の告知や広報の成果もあって、当日は会場を埋め尽くすほどの総勢70名以上の聴衆が参集し、本テーマへの関心の高さがうかがえた。
2014年から行ってきた清華東亜文化講座との共催による本フォーラムは、広域的な視点から東アジア文化史再構築の可能性を探ることをテーマの主眼に据えている。
過去3回のフォーラムでは、近代に成立した国民国家のナショナリズムの言説に取り込まれ、東アジア各国において分断された一国文化史観からいまだ脱却しきれない今日の歴史認識や価値観の問題点を浮き彫りにした。さらに、「国境」や「境界」というフレームに捉われない当地域全体の文化的相互影響、相互干渉してきた多様な歴史事象の諸相を明らかにし、交流を結節とした大局的な東アジア文化(受容)史観を構築することの重要性を指摘してきた。
第4回にあたる今回のフォーラムでは、昨年に続き2回目の登壇となる塚本麿充氏(東京大学東洋文化研究所)と新たに呉孟晋氏(京都国立博物館)を講師として迎え、それぞれの講演を通して、前近代から近代にかけての日本における中国美術コレクション形成と中国美術史学確立をめぐる人的・物質的往来とその交流史を照射し、改めて東アジア美術史ないし文化史が内包する越境性や多様性とはなにか、そして越境や交流によって創出された新たな価値観をどのように受容・共有していくか、を提示することとなった。
はじめに、総合司会の孫建軍氏(北京大学)による登壇者紹介と、今西淳子SGRA代表による開会挨拶とフォーラムの開催経緯の説明があった。次いで、前半部の問題提起と2つの講演、休憩をはさんだ後半部の討論(質疑応答)と総括の二部構成で展開した。
林少陽氏の問題提起では、まず過去のチャイナ・フォーラムで提示された、従来の一国美術史観への批判と「国家」に収斂され得ない中間領域に存在する美術作品の再編に関する諸問題を踏まえて、近現代中国美術史学が社会の変革期に直面した文化的アイデンティティーの葛藤を「中間地帯」というキーワードから読み解いた。ここでは、清末から民国期にかけて活躍した高剣父や陳樹人ら嶺南画派による日本画を介した西洋画法受容と失われた伝統的中国画法への回帰を例に挙げ、さらに傳抱石や潘天寿ら同時代画家による言説をとりあげながら、前近代と近代/東洋と西洋のはざまで新たな「中国絵画(国画)」確立を模索する中国美術家たちのジレンマを紹介した。
塚本氏の講演「近代中国学への架け橋―江戸時代の中国絵画コレクション―」では、室町期の足利将軍家による唐物収集と「東山御物」コレクション形成によって威信財としての機能を付与された中国絵画が、応仁の乱による散逸を経て、再び江戸時代において文化的権威として巧みに利用されてきた実相を明らかにした。とりわけ福井藩の牧谿「瀟湘八景図」や「初花茶入」などの具体例にみえる江戸と地方、藩と幕府、各大名家の間での唐物の交換・流通の実態、さらには狩野派による広範な模写制作ネットワークの機能は、作品本体を幾重にも覆う入れ子細工のような「価値」となっていった。しかしながら、近代中国学と近代美術史学の成立の過程において、このような前近代の「箱」の歴史と価値体系が黙殺されてしまった実情に先立ち、今日改めてこれらの価値体系を再評価することの重要性を強調した。
呉氏の講演「漢学と中国学のはざまで―長尾雨山と近代日本の中国書画コレクション―」では、中国学者で書家でもあった長尾雨山(1864-1942)を取り上げ、それぞれ漢学者、中国学者、在野の書画鑑定家という3つの側面からその足跡をたどった。近世と近代、日本と中国、東京と京都、漢学と中国学、官と民、そのような多様な「はざま」に身を置き、当時の中国文人や清朝遺臣との交流により培われた書画観は、下野してからも書画鑑定に生かされた。また近年京都国立博物館に寄贈された長尾雨山の膨大な関係資料を調査・分析することにより、従来の近代美術史学の間隙を突く、近代日本の学知および中国との文化交流の新たな一端が拓かれることが今後期待できよう。
続いて休憩を挟んでの後半部では、王志松氏(北京師範大学)による進行のもと、過去のチャイナ・フォーラムの報告者とコメンテーターである、趙京華氏(北京第二外国語学院文学院)、王中忱氏(清華大学中国文学科)、劉暁峰氏(清華大学歴史学科)、董炳月氏(中国社会科学院文学研究所)を討論者として迎え、前半の登壇者を交えて活発な議論が交わされた。
趙京華氏は、藝術品だけでなくそのコレクション形成に付随する物語性や政治性を認識する重要性を確認したうえで、今後一国美術史を超越した東アジア美術史を構築するあたり、近代以降の植民地主義に象徴される過去のネガティブな歴史認識や政治的言説をどのように超克していくべきか、そのためにはどのような制度改革が必要なのか、という近代の歴史叙述が直面するジレンマを踏まえ、鋭い質問を投げかけた。
王中忱氏は、中国の近代美術教育の萌芽期と清末文人との交流によって培われた長尾雨山の書画観の同時代性に着目した。さらに1920~1930年代の中国画家が日本に留学し複製された西洋絵画を通してその技法を学んだことから、近代書画の流通・伝来において模写・模本・複製が果たす役割を改めて検証し、それが中国人の視覚にどのような影響を与えたかも今後検討すべきであると提言した。
劉氏は、中間領域における「他者の目」の存在を指摘し、同一のものに対して多種多様な「異なる」見方、価値体系が並立していることを指摘し、それもまた中間領域における多層性や多様性を担っていることを強調した。
続いてフロアとの質疑応答が行われた。紙面の関係上全てを紹介することはできないが、殊に印象的だったのは、日本で展開したいわゆる正統ではない中国美術コレクション収集の背景には不完全なものを好む日本の美意識ないし審美眼が影響を与えているのではないか、というフロアの質問に対して、塚本氏は美術史家である矢代幸雄(1890-1975)の言説を批判的に取り上げ、その「一つの審美的な感覚が一つの固有の民族に普遍的に備わっており、それによりすべての価値判断ができる」姿勢の危うさと虚構性を指摘したことであった。
最後に、董炳月氏による総括があった。今回の二つの講演をうけて、近年の一連のチャイナ・フォーラムの理念の根幹である「東アジアからの視点」は中国美術史学にとってどのような意義を持つのか、改めて問い直すものであった。他方、国や地域で線引きをして「境界」をつくるならば、それに依拠する観察眼もまた異なってくるのか、今後の新たな試みの可能性を提示した。
現役のあるいはかつての博物館学芸員として、多種多様で豊饒な美術作品世界に身を置きながら、社会における「文物」としての価値創造を問い続けるお二人の研究姿勢に基づく講演は、大変説得力があった。従来提唱された近代中国学や近代美術史学の学問体系から取りこぼされてしまった、絵画観や美術史家に焦点をあてて再評価することの意義が改めて認識された。
今回取り上げた題材は、前近代と近代における日本における中国美術と中国美術史学の言説だが、翻ってそれは、「他者」を受け入れた日本の歴史叙述の姿勢を合わせ鏡のように省察することに他ならないのである。
当日の写真
<本多康子(ほんだ・やすこ)Yasuko_Honda>
東京都出身。学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得退学。2015年度より渥美財団勤務(兼国文学研究資料館共同研究員)。専門分野は日本中世絵画。著作に、「東京国立博物館所蔵「土蜘蛛草紙」の物語フレーム再考」(佐野みどり企画・編集『中世絵画のマトリックスⅡ』青簡舎、2014年)、「京都時衆教団における祖師伝絵巻制作:金蓮寺本を中心に」(鹿島美術財団編『鹿島美術財団年報別冊第33号』2016年)等。
2017年12月28日配信
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2017.11.25
SGRAレポート第84号(本文)
SGRAレポート第84号(表紙)
第11回SGRAチャイナ・フォーラム論文集
「東アジアからみた中国美術史学」
2019年5月17日発行
<フォーラムの趣旨>
作品の持つ芸術性を編述し、それを取り巻く社会や歴史そして作品の「場」やコンテキストを明らかにすることによって作品の価値づけを行う美術史学は、近代的社会制度の中で歴史学と美学、文化財保存・保護に裏打ちされた学問体系として確立した。
とりわけ中国美術史学の成立過程においては、前時代までに形成された古物の造形世界を、日本や欧米にて先立って成立した近代的「美術」観とその歴史叙述を継承しながらいかに近代的学問として体系化するか、そして大学と博物館という近代的制度のなかにいかに再編するかというジレンマに直面した。この歴史的転換と密接に連動しながら形成されたのが、中国美術研究をめぐる中国・日本・アメリカの「美術史家」たちと、それぞれの地域に形成された中国美術コレクションである。
このような中国美術あるいは中国美術史が内包する時代と地域を越えた文化的多様性を検証することによって、大局的な東アジア広域文化史を理解する一助としたい。
<もくじ>
【講演1】塚本麿充(東京大学東洋文化研究所)
「江戸時代の中国絵画コレクション ―近代・中国学への懸け橋―」
【講演2】呉 孟晋(京都国立博物館)
「漢学と中国学のはざまで―長尾雨山と近代日本の中国書画コレクション―」
【総合討論】
司会/進行:王 志松(北京師範大学)
討論:趙 京華(北京第二外国語学院)、王 中忱(清華大学)、劉 暁峰(清華大学)
総括:董 炳月(中国社会科学院文学研究所)
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2017.10.19
下記の通りSGRAチャイナ・フォーラムを開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。
※お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局(
[email protected], 03-3943-7612)
テーマ: 「東アジアからみた中国美術史学」
日 時: 2017年11月25日(土)午後2時~5時
会 場: 北京師範大学後主楼914
主 催: 渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)
共 催: 北京師範大学外国語学院、清華東亜文化講座
助 成: 国際交流基金北京日本文化センター、鹿島美術財団
◇フォーラムの趣旨
作品の持つ芸術性を編述し、それを取り巻く社会や歴史そして作品の「場」やコンテキストを明らかにすることによって作品の価値づけを行う美術史学は、近代的社会制度の中で歴史学と美学、文化財保存・保護に裏打ちされた学問体系として確立した。とりわけ中国美術史学の成立過程においては、前時代までに形成された古物の造形世界を、日本や欧米にて先立って成立した近代的「美術」観とその歴史叙述を継承しながらいかに近代的学問として体系化するか、そして大学と博物館という近代的制度のなかにいかに再編するかというジレンマに直面した。この歴史的転換と密接に連動しながら形成されたのが、中国美術研究をめぐる中国・日本・アメリカの「美術史家」たちと、それぞれの地域に形成された中国美術コレクションである。このような中国美術あるいは中国美術史が内包する時代と地域を越えた文化的多様性を検証することによって、大局的な東アジア広域文化史を理解する一助としたい。
◇プログラム
総合司会:孫 建軍(北京大学日本言語文化学部)
【問題提起】林 少陽(東京大学大学院総合文化研究科)
【発表1】塚本麿充(東京大学東洋文化研究所)
「江戸時代の中国絵画コレクション ―近代・中国学への架け橋―」
【発表2】呉 孟晋(京都国立博物館)
「漢学と中国学のはざまで―長尾雨山と近代日本の中国書画コレクション―」
【円卓会議】
進 行: 王 志松(北京師範大学)
討 論:
趙 京華(北京第二外国語学院文学院)
王 中忱(清華大学中国文学科)
劉 暁峰(清華大学歴史学科)
総 括: 董 炳月(中国社会科学院文学研究所)
同時通訳(日本語⇔中国語):丁莉(北京大学)、宋剛(北京外国語大学)
※詳細は、下記をご参照ください。
プログラム(日本語)
プログラム(中国語)
◇開催経緯と過去3回のチャイナ・フォーラム
公益財団法人渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)は、清華東亜文化講座のご協力を得て、2014年から毎年1回、計3回のSGRAチャイナ・フォーラムを北京等で開催し、日中韓を中心とした東北アジア地域の歴史を「文化と越境」をキーワードとして検討してきた。
2014年の会議では、19世紀以降の華夷秩序の崩壊と東アジア世界の分裂という歴史的背景のもとでつくられた近代の東アジア美術史が、歴史的な美術の交流と実態を反映していない「一国美術史」として語られてきたという問題を提起し、この一国史観を脱却した真の「東アジア美術史」の構築こそ、同時に東アジアにおける近代の超克への一つの重要な試金石となることを指摘した。(佐藤道信:「近代の超克―東アジア美術史は可能か」)
一方、「工芸」は用語の誕生から制度としての「美術」の成立と深い関係にある。アジアにおいては、陶磁器や青銅器や漆器などを賞玩してきた歴史があり、工芸にはアジアの人々が共感しうる近代化以前の生活文化に根差した価値観が含まれているが、近代では「美術」の一部とみなされる。「美術」と「工芸」は、漢字圏文化と西洋文化との関係および葛藤を表していると同時に、日中両国のナショナリズム、国民国家の展開や葛藤とも深い関係にあることが確認された。(木田拓也「工芸家が夢みたアジア:<東洋>と<日本>のはざまで」)
2015年の会議では、古代の交流史と対比して「抗争史」の側面が強調される従来の近代東アジア史観に対して、実際の近代日中韓三国間において、「他者」である西洋文化受容と理解という目的のもと、互いの成果・経験・教訓を共有する多彩多様な文化的交流が展開し古代にも劣らぬ文化圏を形成していたことを踏まえ、改めて交流史を結節点とした見直しの重要性を確認した。(劉建輝:「日中二百年-文化史からの再検討」)
2016年の会議では、近代に成立した国民国家の文化的同一性のもとに収斂された「一国文化史」という言説の虚構性や恣意性を明らかにした。いわゆる中間領域に存在する作品が内包する文脈から、「モノ」の移動にともなって生まれた多様な価値観と重層的な歴史と社会の有様が認識でき、文物が国家に属するという従来の既成概念を取り去り改めて文物の交流を起点に大局的な文化(受容)史観を構築することの重要性を指摘した。(塚本麿充:「境界と国籍-“美術”作品をめぐる社会との対話―」)
次いで文学史からは、近代の日中外交文書における漢字語彙の使用状況とりわけ同形語の変遷をたどり、日本語から新漢字を輸入することによって古い漢字語彙から近代語へと変容していく現代中国語の形成過程から、ひとつの言語が存立するにあたり、実際の語彙の移動と交流に依拠する多層性と雑種性を持ちうることを明らかにした。(孫建軍:「日中外交文書にみられる漢字語彙の近代」)
それぞれの報告から、「国境」や「境界」というフレームに捉われない多様な歴史事象の存在を認識し、改めて「広域文化史」構築の可能性とその課題を浮き彫りにした。
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2016.11.24
(第3回アジア未来会議「環境と共生」報告#7)
公益財団法人渥美国際交流財団関口グローバル研究会は、2014年と2015年に清華東亜文化講座の協力を得て、中国在住の日本文学や文化の研究者を対象に、2回のSGRAチャイナ・フォーラムを開催した。2014年の会議では、東京藝術大学の佐藤道信教授が、19世紀以降の華夷秩序の崩壊と東アジア世界の分裂という歴史的背景の下で創られた東アジアの美術史は、美術の歴史的な交流と発展の実態を反映しない一国美術史にすぎないという問題を提起し、一国史観を脱却した真の「東アジア美術史」の構築こそ、東アジアが近代を超克できるか否かの重要な試金石であると指摘した。一方、2015年のフォーラムでは、国際日本文化研究センターの劉建輝教授が、古代の交流史と対比して「抗争史」の側面が強調されがちな近代においても、日中韓三国の間に多彩多様な文化的交流が展開されており、古来の文化圏と違う形で西洋受容を中心とする一つの近代文化圏を形成していたことを明らかにした。
今回は、過去2回のフォーラムの報告者とコメンテーターを討論者として招き、塚本麿充氏(東京大学)と孫建軍氏(北京大学)による二本の報告を基に、今後、東アジアにおける広域文化史の試みをいかに推進していくべきかについて活発な議論を繰り広げた。
まず、塚本氏の報告「境界と国籍―“美術”作品をめぐる社会との対話―」は、日本に伝来した中国・朝鮮絵画や福建、広東など中国の地方様式や琉球絵画といったマージナルな地域で生み出された作品を取り上げ、「国家」という大きな物語に到底収斂され得ない、まさに交流を通して境界で育まれた豊饒な「モノ」の世界を開示してくれた。
孫建軍氏の報告「日中外交文書に見られる漢字語彙の近代」は、1871年に日中間で調印された最初の外交条約「日清修好条規」から1972年の「日中共同声明」までの100年間の外交文書を対象に、日中語彙交流の見地から漢字語彙の使用状況、とりわけ同形語の変遷を考察し、日本語から新漢字を輸入することによって、古い漢字語彙から近代語へと変わっていく現代中国語の形成過程の一端を浮き彫りにした。
前者は、国家の物語に回収され得ない大量な歴史的事象の存在を突きつけることによって、後者は、この国ならではの均質、単一な価値を付与されたものの起源の雑種性を証明することによって、それぞれ、外側と内側から国民国家の文化的同一性の虚構を突き破る報告となった。
討論では、佐藤道信氏はまず、中国大陸や台湾、アメリカ、また関西と関東の様々な美術コレクションに接していた塚本氏の多文化体験に言及し、一国美術史に位置付けられない「モノ」の価値を見出す彼ならではの「鑑賞眼」の養われた背景を説明してくれた。その上、国家の呪縛から解き放たれた後の膨大な「モノ」の世界をいかに整理し、その歴史をどのように語り得るか、という新たな困難な課題を提示し、一国美術史に慣れ親しんだ我々自身の感受性の変革と歴史叙述の創造力が問われていることを示唆してくれた。
稲賀繁美氏(国際日本文化研究センター)は、交易のプロセスに組み込まれた美術品の制作が、最初から享受する者の美意識や趣味、要求を取り入れている事実に注目し、一つの価値体系もしくは「本質」が備わっているとする「一国美術史」の想定自体が、単純すぎるのではないかという疑問を呈した。同じ歴史観を共有することは困難だが、異なる歴史観があるという意識の共有は可能だという言葉が、とりわけ印象的であった。
木田拓也氏(国立近代美術館)は、日本で親しまれ、楽しまれている茶碗が中国に持っていくと、その美が全く認識されないという例をあげながら、他国、他地域の人々と共有しない美意識、価値観の存在もまた厳然たる事実であることを指摘した。「一国美術史」は単に国民国家歴史観の反映ではなく、むしろ国民国家の文化的同一性を創出する装置として、このような均一の価値観や美意識乃至身体性を常に作り続けていることを、木田氏の発言によって改めて意識させられるのである。
董炳月氏と趙京華氏(中国社会科学院文学研究所)は、魯迅による浮世絵のコレクションを整理し、書籍化する過程において、そのコレクションが、「浮世絵」ではないという錯覚すら与えるほど、「浮世絵」に対する我々の常識を揺るがす特異性を持っていることを紹介した。このような書籍の出版自体が、すでに広域文化史の構築へ向けての一つの実践だと言えよう。
林少陽氏(東京大学)も、「中間地域」で育まれた豊饒な「モノ」の世界に注目する塚本氏と同じ関心を共有し、「中間地域」の発見が、日本の一国美術史を相対化することができるだけでなく、中国美術史の一国中心主義的歴史叙述への再検討にもつながると述べている。
一方、孫建軍氏の報告に対し、外交文書を単に言語のデーターベースとして取り扱う方法の妥当性が問われ、具体的な歴史的背景や使用者の現実的状況、外交文書の特殊的性格などを考慮に入れると、言語使用のより豊かで複雑な相貌が浮かび上がってくるのではないかというコメントが多く寄せられた。
様々な専門分野の研究者による多岐にわたるコメントの焦点を明確に示してくれたのはむしろフロアとの短い対話であった。明石康氏(元国際連合事務次長)は、国境を前提とする外交や国際政治の領域と異なり、文化領域こそ「国境」の人為性を相対化することができ、今回のフォーラムに大いに啓発されたと述べた。そして、葛兆光氏(復旦大学)は、国民国家がその成立した瞬間から、つねに自らの文化的同一性を作り続けていて、その文化的アイデンティティの形成の歴史と、その結果としての均質的、同一的文化、価値の存在を決して無視できないことを指摘した。これに対し、劉建輝氏(国際日本文化研究センター)は、このような文化的同一性は決して古くから自然に形成されたものでなく、人為的作為の産物にほかならないこともまた忘れてはならないと釘を刺した。古代と近代の東アジア文化交渉史に関する実証的研究を積み重ねてきたお二人の発言から、歴史的に構築された一国文化史の重みと、多彩な交流を包括する広域文化史への確信がひしひしと感じられた。
今回のフォーラムを通して、多様性と雑種性をも巧みに「国民性」や「国民文化の伝統」に回収する「一国文化史」が今日もなお国民国家の文化的同一性を創出する装置として機能し続けている状況において、「一国文化史」に強く規定され続けてきた我々自身の感受性や価値観、思考様式乃至歴史叙述の言語そのものに抗しながら、新たな広域文化史を紡ぎ出すことの可能性と課題の双方が鮮明に浮かび上がってきたと言えよう。
当日の写真
<孫_軍悦(そん・ぐんえつ)Sun_Junyue>
2007年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。学術博士。現在、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部専任講師。専門分野は日本近現代文学、日中比較文学、翻訳論。
2016年11月24日配信
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2016.11.10
SGRAレポート76号(日中合冊版)
劉 建輝(国際日本文化研究センター教授)「日中200年―文化史からの再検討」講演録
2020年6月18 日発行
☆中国語の講演録、日本語訳を一冊に纏めてあります。
<フォーラムの趣旨>
従来、東アジアの歴史を語る時、ほとんどの識者が古代の交流史と対比して、近代の抗争史を強調し、両者の間に一つの断絶を見出そうとしてきた。たしかに政治、外交だけに目を向ければ、日中、日韓などの間に戦争も含む数多くの対抗や対立が頻発し、ほとんど正常な隣国関係を築くことができなかった。しかし、もしこの間の三国間の文化的交流、往来の足跡を精査すれば、そこには近代以前とは比べられないほど多彩多様な事実、事象が存在していることに気付くだろう。そしてその多くはいずれも西洋という強烈な「他者」を相手に、互いの成果、経験、また教訓を利用しながら、その文化、文明的諸要素の吸収、受容に励む努力の跡にほかならない。その意味で、東アジア、とりわけ日中韓三国はまぎれもなく古来の文化圏と違う形で西洋受容を中心とする一つの近代文化圏を形成していたのである。
また、従来、日本にせよ、中国にせよ、その歩んできた歴史を振り返る際に、往々にして周辺との関係を軽視し、あたかも単独で自らのすべてを作り出したかのような傾向も存在している。これはあきらかに近代以降のいわゆる国民国家という枠組みの中で成立したナショナリズムに由来する一国主義のもたらした影響である。ところが、多くの古代、近代の史実が示したように、純粋な国風文化はそもそも「神話」に過ぎず、われわれはつねに他者との関係の中で「自分」そして「自分」の文化を形作ってきたのである。近代日本にとって、この他者は、むろんまず西洋という存在になるが、ともにその受容の道程を歩んだもう一つの他者――中国や韓国も当然無視すべきではないだろう。
そして、昨今、とりわけ日中の間にさまざまな摩擦が生じる時に、よく両国の「文化」の違いが強調され、その文化の差異に相互の「不理解」の原因を探ろうとする動向も見られる。しかし、これもきわめて単純な思考と言わざるを得ない。文化にはたしかに変わらない一部の古層があるが、つねに歴史性を持ち、時代に応じて流動的に変化する側面も存在する。したがって共通する大事な歴史的体験を無視し、文化の差異ばかりを強調するのはいささかも生産的ではなく、結局は自らを袋小路に追い込むことにしかならない。
以上に鑑み、本フォーラムでは、いわば在来の一国主義史観、文化相互不理解論などの弊害を修正し、過去の近代東アジア文化圏、文化共同体の存在を振り返りながら、その経験と教訓を未来にむけていかに生かすべきかについて検討し、皆さんとともにその可能性を探ってみたい。(参考文献:劉 建輝著『増補・魔都上海――日本知識人の「近代」体験』2010年、同『日中二百年――支え合う近代』2012年)
<もくじ>
【講演】 劉 建輝(国際日本文化研究センター)
「日中200年―文化史からの再検討」
【討論】
モデレーター:
王 中忱(清華大学中国文学科)
討論者:
王 京(北京大学日本言語文化学部)
劉 暁峰(清華大学歴史学科)
王 成(清華大学日本言語文学研究科)
董 炳月(中国社会科学院文学研究所)
【あとがきにかえて】
孫 建軍(北京大学日本語学科准教授)
娜荷芽(内蒙古大学蒙古歴史学科准教授)
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2016.01.14
【1】フフホト会議
2015年11月20日、中国内モンゴル自治区フフホト市の内モンゴル大学で、渥美国際交流財団関口グローバル研究会主催の第9回SGRAフォーラムinフフホト「日中二百年――文化史からの再検討」が開催された。フフホトでのSGRAチャイナフォーラムは、2010年、2011年に続く3回目である。前2回のフォーラムは内モンゴル大学モンゴル学研究センターを中心に開催され、渥美財団の事業及びチャイナフォーラムを内モンゴルの若者たちに広く知らせる場を提供し、とても良いスタートを切ることができた。今回は国際交流基金北京日本文化センターの協賛を得、内モンゴル大学モンゴル歴史学部、清華大学東亜文化論壇、北京大学日本言語文化学部との共催であった。本大会は劉建輝教授(国際日本文化研究センター)を迎え、「日中二百年――文化史からの再検討」をテーマに進められた。
開会式は午後3時からはじまり、ボヤンデルゲル教授(内モンゴル大学)の司会で行われた。まず主催者側からソドビリグ教授(内モンゴル大学)の歓迎の挨拶があった。次いで本大会開催にあたって渥美財団の今西淳子常務理事からの渥美財団及びSGRA、チャイナフォーラムの現在にいたるまでの歴史の紹介、王中忱教授(清華大学)、周太平教授(内モンゴル大学)、孫健軍副教授(北京大学)から祝辞が述べられた。その後、劉建輝教授による講演がはじまった。
劉教授の講演は内容構成として1.前近代と近代における東アジア文化圏の異同、2.支え合う日中の近代文化、3.過去、現在から未来へ――「東アジア文化圏」再構築の可能性と課題、4.東アジア近代と張家口、とに分けて、当時の貴重な資料を交えながら、詳細なデータと豊富な写真をパワーポイントで紹介した。日本と中国の近代史は、東アジア地域に多大なものを残している。不幸と悲劇だけではない、お互いの交流によって誕生した出来事と文化事象をもう一度見直してみる。そこにはまさに支え合う関係があるという日中関係の新しい歴史視点を詳細にかつ具体的に述べ、内モンゴル大学のモンゴル人研究者たちと率直に議論を深めることができたことは大変有意義であった。
特に、張家口は伝統的に、モンゴルやロシアとの交易を行う中国の要衝で、また蒙漢両民族を分かつ「国境」の関口でもあった。本来、日本は直接的にはほとんど関係のなかった「周縁」地域だが、大正、昭和に入ってから、日中の軍事、経済的勢力の消長により、一時「蒙疆」と呼ばれていたように、「満洲」や上海などと並んで、日本ないし日本人がもっとも深く関わる場所の一つとなった。劉教授は「日本関連在外資料の調査研究」プロジェクトの一環として、張家口に関する現地調査や資料収集を行っておられ、その詳細な研究の方向性は高い評価を受けており、今後一層の研究交流が図られることが期待されている。
講演の後、質疑応答と活発な討論が行われ、講師からの回答及び補足説明などもあった。その後、閉会の辞があり5時に会議は無事に終了した。参加者は内モンゴル大学歴史学部、内モンゴル大学モンゴル学研究センターの研究者の他、内モンゴル大学の学部生、院生、日本からの留学生、他大学からの出席等百余名を数えた。
当日の写真
北京フォーラムと合わせたアンケートの集計
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<娜荷芽(ナヒヤ)Nahiya>
2012年東京大学総合文化研究科博士号取得。内モンゴル大学学士、東京外国語大学修士。2011年年度渥美奨学生。武蔵大学非常勤講師、和光大学非常勤講師を経て、2012年に内モンゴル大学モンゴル歴史学部に講師を務めた。SGRA研究員。
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【2】北京会議
11月22日に北京大学外国語学院の新しい建物の5階会議室で開催したフォーラムは、日曜日の上に大雪という悪条件にもかかわらず、50人以上の方々にお集まりいただき、熱のこもった議論が展開された。
午後3時に開会が宣言され、最初に、特別ゲストの北京大学元培学院の孫華院長より、優れた人材育成において国際的かつ学際的な視点をもたせる教育が必要という、SGRAにぴったりなお話をいただいた。次に、国際交流基金北京日本文化センターの吉川竹二所長より、鏡を例に文化交流の大切さについて示唆に富むお話をいただいた。
続いて、劉建輝先生が、パワーポイントを見せながら、「日中二百年――文化史からの再検討」というタイトルで、「東アジアの歴史を語る時、ほとんどの識者が古代の交流史と対比して、近代の抗争史を強調し、両者の間に一つの断絶を見出そうとしてきた。しかし、もしこの間の三国間の文化的交流、往来の足跡を精査すれば、そこには近代以前とは比べられないほど多彩多様な事実、事象が存在していることに気付く。そしてその多くはいずれも西洋という強烈な『他者』を相手に、いかに互いの成果、経験、また教訓を利用しながら、その文化、文明的諸要素の吸収、受容に励む努力の跡にほかならない。その意味で、東アジア、とりわけ日中韓三国はまぎれもなく古来の文化圏と違う形で西洋受容を中心とする一つの近代文化圏を形成していたのである」という主張を熱く語った。
先生のご研究では、「支え合う」というキーワードの下で、キリスト教研究、植民地研究、都市史、文学、経済など、従来個々の分野で展開されがちのものが統合され、超域的研究のアプローチが試みられている。日中関係は二国間で見るのではなく、200年という長さで見れば、西洋化の流れにどう対処するか、両国が補完し合ってきた実像が見えてくる。つまり、両国は近代化に当たり、隣国(日本にとっての中・韓、中国にとっての日本)との関係の中で自己のアイデンティティーを確立したのである。漢文の近代的発展、新漢語の造出、近代文学者の足跡、近代思想の発祥と伝播など、いずれも「支え合う」特徴が色濃く残り、確実に検証することができる。
ご講演の後半には、当時の近代国際都市である「張家口」が「支え合う」実例として登場し、鋭い洞察と該博な知識に満ちた見解が出され、会場全員の関心が一層高められた。
短い休憩の後、本フォーラムを共催する清華東亜文化論壇の主宰者の1人、清華大学中国文学科の王中忱教授の司会によって、北京大学日本言語文化学部の王京副教授、清華大学歴史学科の劉暁峰教授、同じく清華大学日本言語文学研究科の王成教授からコメントがあった。
大雪警報にも関わらず、劉建輝先生の情熱的なご講演のおかげで、参加してくださった方々から「先生方に様々な角度から中日の200年を探っていただいたおかげで、歴史をより深く理解することができました。」「最も重要なのは、問題を発見する方法をいくつか学べたことでした。」「もっと勉強・研究・探究したくなったほど、久しぶりに好奇という気持ちを抱きました」などの暖かい反響をいただいた。
12月の北京は晴れた日が少なく、ひどいスモッグの日が続いた。スモッグ対策はまったくできておらず、基本的に風任せだと揶揄されている。そんな日には、張家口の話がいつも脳裏をよぎる。北京は北西を除けば盆地状となっている。冬には北西の風が吹けば晴れる。さもなければ、汚い空気が溜まってしまう。張家口はその風の通り道に位置するため、昔から重工業が規制されてきたようである。張家口は北京の空気をよくするために重要な役割を果たしている。70年前の張家口の都市文化も今の北京の空気改善に役立つのでは、とつくづく思う。
当日の写真
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<孫建軍 Sun Jianjun>
1969年生まれ。1990年北京国際関係学院卒業、1993年北京日本学研究センター修士課程修了、2003年国際基督教大学にてPh.D.取得。北京語言大学講師、国際日本文化研究センター講師を経て、北京大学外国語学院日本言語文化系副教授。現在早稲田大学社会科学学術院客員准教授、早稲田大学孔子学院中国側院長を兼任中。専門は日本語学、近代日中語彙交流史。
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2016年1月14日配信
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2015.11.24
SGRAレポート72号(本文)
SGRAレポート72号(表紙)
第8回チャイナフォーラム
「近代日本美術史と近代中国」
2015年10月20日発行
<もくじ>
◆第1日(2014年11月22日) 中国社会科学院文学研究所 社科講堂第一会議室(北京)
【講演1】
「近代の超克―東アジア美術史は可能か」
佐藤道信(東京藝術大学教授)
【指定討論1】
董 炳月(中国社会科学院文学研究所研究員)
【講演2】
「工芸家が夢見たアジア:〈東洋〉と〈日本〉のはざまで」
木田拓也(東京国立近代美術館工芸館主任研究員)
【指定討論2】
李 兆忠(中国社会科学院文学研究所研究員)
◆第2 日(2014年11月23日) 清華大学 甲所第3回議室
【講演1】
「工芸家が夢見たアジア:〈東洋〉と〈日本〉のはざまで」
木田拓也(東京国立近代美術館工芸館主任研究員)
【指定討論1】
林 少陽(東京大学総合文化研究科准教授))
【講演2】
「近代日本における〈工芸〉ジャンルの成立:工芸家がめざしたもの」
木田拓也(東京国立近代美術館工芸館主任研究員)
【指定討論2】
陳 岸瑛(清華大学美術学部副教授)
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2015.10.15
下記の通り、第9回SGRAチャイナ・フォーラムを開催します。参加ご希望の方は、事前にSGRA事務局(
[email protected] )へご連絡ください。
【1】 フフホトフォーラム
日 時:2015 年11月20日(金)15時~17時
会 場:内蒙古大学蒙古学学院2楼大会議室
【2】 北京フォーラム
日 時:2015 年11月22日(日)15時~17時
会 場:北京大学外国語学院新楼501会議室
主 催:渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)
共 催:清華東亜文化講座
助 成:国際交流基金北京日本文化センター
協 力:北京大学日本言語文化学部(北京フォーラム)
内蒙古大学蒙古学学院蒙古歴史学部(フフホトフォーラム)
フォーラムの趣旨:
「日中200年―文化史からの再検討」
従来、東アジアの歴史を語る時、ほとんどの識者が古代の交流史と対比して、近代の抗争史を強調し、両者の間に一つの断絶を見出そうとしてきた。たしかに政治、外交だけに目を向ければ、日中、日韓などの間に戦争も含む数多くの対抗や対立が頻発し、ほとんど正常な隣国関係を築くことができなかった。しかし、もしこの間の三国間の文化的交流、往来の足跡を精査すれば、そこには近代以前とは比べられないほど多彩多様な事実、事象が存在していることに気付くだろう。そしてその多くはいずれも西洋という強烈な「他者」を相手に、互いの成果、経験、また教訓を利用しながら、その文化、文明的諸要素の吸収、受容に励む努力の跡にほかならない。その意味で、東アジア、とりわけ日中韓三国はまぎれもなく古来の文化圏と違う形で西洋受容を中心とする一つの近代文化圏を形成していたのである。
また、従来、日本にせよ、中国にせよ、その歩んできた歴史を振り返る際に、往々にして周辺との関係を軽視し、あたかも単独で自らのすべてを作り出したかのような傾向も存在している。これはあきらかに近代以降のいわゆる国民国家という枠組みの中で成立したナショナリズムに由来する一国主義のもたらした影響である。ところが、多くの古代、近代の史実が示したように、純粋な国風文化はそもそも「神話」に過ぎず、われわれはつねに他者との関係の中で「自分」そして「自分」の文化を形作ってきたのである。近代日本にとって、この他者は、むろんまず西洋という存在になるが、ともにその受容の道程を歩んだもう一つの他者――中国や韓国も当然無視すべきではないだろう。
そして、昨今、とりわけ日中の間にさまざまな摩擦が生じる時に、よく両国の「文化」の違いが強調され、その文化の差異に相互の「不理解」の原因を探ろうとする動向も見られる。しかし、これもきわめて単純な思考と言わざるを得ない。文化にはたしかに変わらない一部の古層があるが、つねに歴史性を持ち、時代に応じて流動的に変化する側面も存在する。したがって共通する大事な歴史的体験を無視し、文化の差異ばかりを強調するのはいささかも生産的ではなく、結局は自らを袋小路に追い込むことにしかならない。
以上に鑑み、本フォーラムでは、いわば在来の一国主義史観、文化相互不理解論などの弊害を修正し、過去の近代東アジア文化圏、文化共同体の存在を振り返りながら、その経験と教訓を未来にむけていかに生かすべきかについて検討し、皆さんとともにその可能性を探ってみたい。(参考文献:劉 建輝著『増補・魔都上海――日本知識人の「近代」体験』2010年、同『日中二百年――支え合う近代』2012年)
プログラム
【1】 フフホトフォーラム(講演)
総合司会:宝音德力根(内蒙古大学蒙古学学院蒙古歴史学部)
講 演:劉 建輝(国際日本文化研究センター)
討論者:王 中忱(清華大学中国文学科)
周 太平(内蒙古大学蒙古学学院蒙古歴史学部)
蘇德毕力格(内蒙古大学蒙古学学院蒙古歴史学部)
【2】 北京フォーラム(パネルディスカッション) *日中同時通訳付き
総合司会:孫 建軍(北京大学日本言語文化学部)
問題提起:劉 建輝(国際日本文化研究センター)
モデレーター:王 中忱(清華大学中国文学科)
討論者:王 京(北京大学日本言語文化学部)
劉 暁峰(清華大学歴史学科)
王 成(清華大学日本言語文学研究科)
日本語プログラム
中国語プログラム
ポスター
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2015.01.15
これだけ近い国だというのに中国へ行くのは初めてである。そういう訳で空港からのタクシーの中では念願の中国をよく見ようと、ひたすら車窓に張り付いていた。大陸の広さを感じた。何よりも建物の一つひとつが大きく、隣の建物との間が広い。そして道路はひたすら真っすぐだ。東京に生まれ育った身としてまず感じたのがこの空間感覚の違いである。ここから中国の人たちとの間に何となく感じる感覚の違いの背景に納得する。フォーラム会場の中国社会科学院文学研究所から天安門まで官公庁が並ぶ、中国で最も広いであろう通りを歩いた時は都を訪れる遣隋使はたまた遣唐使の気分で、「威容」が与える心理的効果についてしばし考えた。こうして私の中国訪問とチャイナ・フォーラムは幕を開けた。
第8回チャイナ・フォーラム初日の中国社会科学院では佐藤道信先生が「近代の超克-東アジア美術史は可能か-」で「ヨーロッパ美術史」が存在するのに対して日本、中国・台湾、韓国に同様の広域美術史がなく、一国美術史が中心となっている現状と課題について、木田卓也先生は「工芸家が夢みたアジア:<東洋>と<日本>のはざまで」の講演で中国へ渡った近代日本の工芸家について講演をされ、2日目の清華大学では「脱亜入欧のハイブリッド:『日本画』『西洋画』、過去・現在」を佐藤先生が、「近代日本における<工芸>ジャンルの成立:工芸家がめざしたもの」で木田先生が近代日本と中国の美術・工芸のあり様について講演をされた。フォーラムの詳細は林少陽氏の報告書でご覧戴いたと思うので、ここでは私がフォーラム及び参加者との交流で感じたことを、広域史を中心にご紹介したい。
フォーラムは近代日本と中国、東アジアの美術・工芸のあり様と関わりを丁寧に、そして学術的に掘り起こし、整理していくものだった。私たちが当たり前にとらえている美術史が当時の時代背景と(恐らく)必要性や気運によってどのように「作られていった」のかを佐藤先生は「自律と他律の自画像」という言葉を用いながら、木田先生は工芸家の足跡をたどりながら、それぞれ明らかにした。
歴史というものは事実、起きたことの単なる集合体ではなく、どの「事実の集合体」を掘り起こして、どの角度から光を当てるか、それをどのように取り扱っていくのかの意図によって異なる意味をもってくる。その観点からすると今回のフォーラムでは、多くの事柄から「東アジア美術史」、「広域史」、「影響し合う」を選び、未来に対して前向きな意欲が感じられる発表と議論の場だった。一方で佐藤先生は「新しい基軸を作ることは新しい誤解を作ることになるのかと思う(こうした研究をするのは)自分がどこに立っているのか知りたい、それだけ」と語る。佐藤先生の指す「新しい誤解」への懸念はよくわかるものの、ある基軸を知ることで自分を取り巻く世界の構成が、成立の過程が、見えてくる。ひとつの基軸を知ることは他の基軸を感じ取る手がかりとなる。だから私はこの新しい基軸を積極的にとらえたい。
10年以上も前に「ワールド・ミュージック」が流行していた頃、確か音楽家の坂本龍一が雑誌の対談か何かで「今のワールド・ミュージックを語ると沖縄民謡のような民族音楽を語ることになってしまい、ワールドではなくなってしまう」という趣旨のことを言っていたのを思い出した。確かに当時彼が発表した音楽は沖縄民謡のアレンジ曲だった。同じように広域史を論じると自国史や「個」はどうなるのだろう。実際その点への心配の声が会場にはあった。しかし広域史を語ることは個や独自性を否定するものではないはずだ。独自性とは何か。人で考えた場合、個人の性質や能力、教育、経験の積み重ね、取り巻く環境とその歴史(国家だけでなく家族、友人、民族も含む)などから育まれ、磨かれたものではないか。ならば他との関わり(広域史)の中にある自己(自国史)を見出し、自己(自国史)の中に他(広域史)を見出すことはごく当たり前のことだ。自分の立っている場所を検証し続け、考えることこそが必要である。
もし自分の頭で考え物事を選ぶことをやめたら、すべてが曖昧なまま流されてしまいかねない。私たちは考え、掘り出し、そして選ぶ。その先にあるのが未来だ。何かを選ぶ時点で既に自らの態度を表明しているともいえないか。「東アジア美術史」、「広域史」、「影響し合う」を選ぶのは「影響し合う」未来を前向きなものにしたいからである。一見すると今回の講演は学術的で地味なものだろう。しかし、とかく考証の怪しげな歴史小説やドラマが溢れ、熱気を帯びた雰囲気や流れに足元をすくわれかねないような昨今、一つひとつを丁寧に掘り起こし、検証しつつ事実を浮かび上がらせることには大きな意味がある。
講演後の質問では少なからず論点から外れたというか、一足飛びのものがあったり、若い日本研究の学生と話していて意外にも現代日本の作家が読まれていないことに驚いたこともあった。(中国にも多数いるという村上春樹ファンはどこにいるのだろう?) それも事実なら、会場に大勢の学生が来てくれたこともまた事実だ。彼らの中に今回のフォーラムが種となり、芽吹く日が来ることを願っている。
木田先生は1920~30年代の「新古典派」を「懐古趣味的な保守反動勢力でなく、新しく東洋趣味的な工芸を作り出そうということを目指していた」、「『日本の近代』は、いかにあるべきか?、さらには『アジアの近代』はいかにあるべきかという問いが含まれていたと思われます」と語る。その頃の日本が発信する「東洋」と今の日本や他国がいう「東アジア(あるいは東洋)」では異なる点は多いだろう。だからこそ日本からだけでなく、その他の国から、人からの「東アジア広域史」を論じる声を聞き、共に今と未来とを選びたい。
--------------------------------------- <太田美行(おおた・みゆき)>東京都出身。中央大学大学院 総合政策研究科修士課程修了。シンクタンク、日本語教育、流通などを経て2012年より渥美国際交流財団に勤務。著作に「多文化社会に向けたハードとソフトの動き」桂木隆夫(編)『ことばと共生』第8章(三元社)2003年。
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2015年1月15日配信