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2006.09.01
日本では土用(どよう)の丑(うし)の日にうなぎを食べ、韓国では伏(ぼく)の日に狗湯(ぼうしんたん)を食べる。いずれも中国の五行説 、二十四節気 、十干、十二支 などと関わるが、うなぎと狗とはずいぶん違った結果になったものだ。
土用の丑の日だの、伏の日だのはそもそもどのように決まるのか。夏という季節はいつからいつまでをいうのか。西欧では天文学的基準から6月21日ごろから9月23日ごろまでを夏というらしいが、日本と韓国は全く同じく二十四節気を基準に6月6日ごろから8月7日ごろまでをいう。しかし、最も暑い時とされている「土用の丑の日」とか「伏の日」になるとかなり違う。
土用は各季節の終りの18日間なので、年4回あるが、一般に夏の土用(立秋前18日間)をさす場合が多い。そしてこの18日間のうち「日の十二支」が丑である日が「土用の丑の日」なのだ。要するに「土用の丑の日」は二十四節気と十二支によって決まる。ちなみに今年は7月23日、8月4日と2度あった。
しかし、「伏の日」は3回あって三伏(さんぼく)というが、二十四節気と十干によって決まる。夏至から数えて3回目の庚(こう)の日を初伏、4回目の庚の日を中伏、そして立秋から数えて最初の庚の日を末伏という。今年の初・中・末伏は7月20日、7月30日、8月9日であった。
これらの日に日本では「うなぎ」を、韓国では「ぼうしんたん」を食べる。まず、うなぎについてだが、DHAやEPAの他に多種のビタミンが豊富に含まれている。夏ばて防止には実に理に適った栄養食品だといえよう。しかし、それは事後的結果であって、そのいきさつはと言えばそれほど合理的ではなかったようだ。
うなぎを食べる由来については、大伴家持(奈良時代の政治家・歌人)が夏痩せする友人にうなぎを勧めている和歌が万葉集に収められているなど諸説があるが、どうも平賀源内(江戸時代の学者・医者・作家・発明家・画家)説が主流を成しているようだ。その説によると、夏のうなぎは脂が少なく味がかなり落ちていて商売が成り立たたない。困り果てたあるうなぎ屋が近所の平賀に相談を持ちかけたところ、「丑の日に『う』のつく物を食べると夏負けしない」という民間伝承をヒントに「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。「物知りで有名な平賀のいうことだから・・・」が話題になり大繁盛。それが「土用の丑の日」=うなぎの日となったそうだ。
韓国はどうか。そもそも「伏の日」ってなに?なるほど人と犬が合体された文字ではあるが、どういう経緯でぼうしんたんになっちゃったのか。『東国歳時記』(李王朝第22代正祖大王(1752~1800)の時刊行された書物で、年中行事などの風習が項目別に解説されている)によると、「伏の日」は元々中国「秦」、「漢」の時代から先祖のお墓に参り狗肉で祭祀を行うとても大切な日だったが、既にB.C. 679年からは朝鮮半島にも広まったという。
「伏の日」の解釈は色々あるが、「避けて隠れる」と「闘う」が最も有力である。中国の後漢時代の劉煕により書かれた『釈名』によると、「伏」という文字は五行説に基づいており、秋の涼しい「金気」が暑い「火気」を恐れて伏し隠れるという意味を表すためにできたという。ここからは「火気」の勢いが最も旺盛な「伏の日」に元気を付けて暑さに向かうというニュアンスは伝わってこない。
他方、暑さに積極的に向かうという理解がある。李王朝時代の常識を問答形式で紹介している『朝鮮常識問答』は、「伏」を「暑気制伏」と表し、「折る」と解釈している。漢医学者たちはこの暑さと闘うという考え方に立ち、「拘肉は毒がなく、五臓を楽にし、血行を良くし、胃を丈夫にし、骨髓を満たし、気力を補強し、体を温める働きをする」という『東医宝鑑』(1596年から執筆に着手し1613年 11月に刊行された25分冊の膨大な漢方・東洋医学書である)の記録を持ち出し、さらに五行説を用いて「伏の日」と「ぼうしんたん」を見事に繋げる。すなわち、夏は「火気」が多く、鉄を溶かす。とくに「火気」の絶頂である「伏の日」には暑さを折るため、鉄を補給しなければならず、狗は鉄の気運を多く持っているという。五行説など知らない私にもつい頷いてしまうほどの説得力がある。
亡父はぼうしんたんが大の好物だった。しかし家で食べさせてもらうことは夢のその夢だった。お店で食べてきたことがばれた日は賑やかな夫婦喧嘩の日だった。母は同じ食卓で食事できないと騒いだ。母の迫害を耐え抜き「ぼうしんたん好き」を止めなかった父が懐かしい。しかしぼうしんたんを試して見たい気にはとうていならない。
ちなみに西洋でも7月3日から8月11日の間を「dog days」というが、一番明るい恒星シリウス(英語名:dog star)が太陽と同じ時刻に出没する時期だということで、その星座名に因んでdog daysと言っているだけの話で、韓国的意味とは程遠い。
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羅 仁淑(ら・いんすく)
博士(経済学)。SGRA研究員。
専門分野は社会保障・社会政策・社会福祉。
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2006.08.30
日本では、日本の悪しき慣習についての議論をよく耳にします。「事なかれ主義」、「本音と建前」、「臭いものに蓋」等々。しかし、日本でこのような問題が提起されることを、僕はうらやましく思います。またそれ以前に、日本でこのような慣習自体に名詞がついていることをうらやましく思います。
台湾の「事なかれ主義」についてお話します。台湾の大学は6月下旬に期末テストが始まりましたが、僕は学科の重要な必修科目を担当しています。この期末テストの出来事ですが、あろうことか、僕は確固たる物証とともに3人のカンニングを捕まえてしまいました。僕にとっては、はじめてだったので、処置を知るために前例を聞くことからはじめました。そうしたら、なんと!「これまでカンニングで処罰された前例は、知る限りでは聞いたことがない」とのことでした。次に先輩の先生にも聞いてみました。すると、「荒波を立たせることはない。学校当局にこの件を伝える必要はない。その代わりに学生に反省文を書かせればいい」と言われました。これでは正直者がバカを見るだけです。なぜ正規な処分は望まれないのでしょうか?それは、「処分された学生が学校の粗捜しをしたり、なんらかの報復をしたりすることを恐れているからだ」と言うのが一般的な認識のようです。学校当局も、保身を考えて、波立てることは避けたいとのことです。むしろ、圧力をかけて引っ込ませることもあったと聞きます。これこそ、日本で言う「事なかれ主義」と「臭いものに蓋」的な考え方です。中華の世界ではこのような考えが日本以上にしっかり、個々の細胞に根付いていると僕は思います。
しかし中華の世界では、「事なかれ主義」や「臭いものに蓋」という名詞はありません。かといって、そのような慣習がないのとは違います。これは清時代まで、中国に「社会」「数学」等の名詞がなかったのと同じです。実際には「社会」は当然あった訳ですよね。例えば、日本語を数年だけ学習した留学生に「あなたの国に『事なかれ主義』、『臭いものに蓋』はありますか?」と聞いてみます。返ってくる答えは「ありません」となるでしょう。そもそもこの概念を表す名詞が中国語にないのです。たとえこの概念を理解する人がいたとしても自分の欠点は認めたがらない「面子主義」もいくらか影響するでしょう。
これが日本人にいかにも「自分が島国で異質である」との誤った認識を与えてしまうのです。日本は異質ではありません。このような慣習は中華文化を育んだ社会の方がはるかに得意としています。これは文化で、国民の細胞の隅々にまで行き渡っています。日本では明治維新以来受け入れた西洋的思考が先行している分だけ、薄まっているのです。因みに僕は前例を作るのが好きなので、この件はお構いなしに大学に提出してしまいました。今後の発展が楽しみです。
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葉 文昌(よう・ぶんしょう)
SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員
2000年に東京工業大学工学より博士号を取得。現在は国立台湾科技大学電子工学科の助理教授で、薄膜半導体デバイスについて研究をしている。現職で薄膜トランジスタを試作できるラインを構築したことが自慢。年に4回ほど成果発表、親友との再会、一般情報仕入れを目的に日本を訪れる。
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2006.08.26
SGRA会員の皆様
東京ではまだ厳しい残暑が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、SGRAの活動をより多くの方々に知っていただこうという目的で行うリ
フォーム計画の一環として、本日より、新「SGRAかわらばん」をスタートいたし
ます。SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地の会員の皆様からいただいた
エッセイを、毎週2回(火・金)を目標に、電子メールで発送します。今までSGR
Aからのメールを受け取っていらっしゃったSGRA正会員・学生会員の皆様には、
そのままお届けいたします。購読中止をご希望の方は、お手数ですが、SGRA事務
局までご連絡ください。
新「SGRAかわらばん」は、今後、SGRAホームページでメールアドレスを自動
登録していただいた方はどなたにでも無料で購読していただけます。購読者はメール
会員として登録され、「会員用」ホームページから、SGRAレポートのバックナン
バーをダウンロードできます。
SGRA会員の皆様には、是非、お友達やお仲間をお誘いいただき、たくさんの方に
「SGRAかわらばん」の無料購読の登録をしていただきたいと思います。よろしけ
れば、下記の文章をご利用ください。
皆様のご協力をよろしくお願い申し上げます。
SGRA代表 今西淳子
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「SGRAかわらばん」無料購読のお誘い
「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのS
GRA会員のエッセイを、毎週2回(火・金)、電子メールで発送いたします。どな
たにも無料で購読していただけますので、下記より登録してください。
http://www.aisf.or.jp/sgra/sgrakawaraban.htm
ご登録いただいた方は、SGRAメール会員となり、「会員用」ホームページから、
SGRAレポートのバックナンバーをダウンロードしていただくことができます。
SGRAは、世界各国から渡日し長い留学生活を経て日本の大学院から博士号を取得
した研究者が中心となって、個人や組織がグローバル化にたちむかうための方針や戦
略をたてる時に役立つような研究、問題解決の提言を行い、その成果をフォーラム、
レポート、ホームページ等の方法で、広く社会に発信しています。研究テーマごと
に、多分野多国籍の研究者が研究チームを編成し、広汎な知恵とネットワークを結集
して、多面的なデータから分析・考察して研究を行います。SGRAは、ある一定の
専門家ではなく、広く社会全般を対象に、幅広い研究領域を包括した国際的かつ学際
的な活動を狙いとしています。良き地球市民の実現に貢献することがSGRAの基本
的な目標です。詳しくはSGRAホームページ(http://www.aisf.or.jp/sgra/)を
ご覧ください。
SGRAは2000年7月より活動を続けており、既にフォーラムを24回開催し、
レポートを33冊発行してきましたが、より多くの方々にSGRAの活動を知ってい
ただくために、新しく「SGRAかわらばん」の無料電子メール送信を始めることに
いたしました。知日派外国人研究者によるネットワーク活動に関心のある方は、是非
ご登録いただきますようお願い申し上げます。尚、SGRAの公用語は日本語で、
「SGRAかわらばん」は日本語のみで発行いたします。
お問合せは、SGRA事務局(
[email protected])まで。
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2005.10.01
中国黒龍江省泰来県には515 人が居住するウンドル村がある。2003 年8 月30 日、笹川科学研究助成による満州語の調査をしていた私の目の前で、村の人々の心を痛める事件が発生した。1946 年に設立され、多くの人材を育てた歴史をもつモンゴル族小学校が火事によって一瞬の内にその形を変えてしまった。村の人々はあまりにも悲惨な出来事に言葉を失った。
この村ではモンゴル族が全体の73%、漢民族が15%、満州人が10%、ダグル族が2%を占めている。
村の周辺はすべて中国語が話されている環境であるが、ウンドル村の人々の日常用語にはモンゴル語がもっとも多く使われている。小学校の児童は40 名程度で、母語であるモンゴル語を勉強できる唯一のモンゴル族小学校であった。しかし、火事が発生する前から一部の人による小学校合併の動きがあった。小学校4 年生から2.5 キロ以上離れた別の村に通わせ始めていた。火事が発生した後、小学校3 年生からのすべての児童を別の村に通わせた。教師もそれぞれ別の村へ派遣された。仮教室に1 年生と2 年生の児童及び教師一人が残された状態であった。
村民が学校再建委員会を設け、地元の行政へ事情を説明し、学校再建を求めた。その後、県教育局の責任者が村に行って、村民たちに経済的な理由により再建できないという説明をした。絶望した村民たちは、私宛に日本からの応援を求める手紙を送ってきた(2004年4 月6 日)。手紙を読んだ私は、日本側を代表する責任の重さを感じる一方、母校でもあった小学校のために何かをしなければいけないと思い、母校出身3 名が中心となり、在日小学校再建委員会を立ち上げ、様々な活動を開始した。
しかし、実行は容易ではないことに気づいた。多くのボランティア団体(東武練馬コスモスの会、東京・
沖縄・東アジア社会教育研究会、SUNUS、フフ・モンゴル・オドム、モンゴル民族文化基金など)に支援を求めた。国際交流も視野に入れて、東武練馬コスモスの会の支援のもとに留学生たちが中心となり、様々な祭り(10 回程度)に参加し、モンゴル料理の販売をした。それによって、異文化を紹介し、国際交流を進める一方、学校再建資金の一部(他は支援金)を集めることができた。
その時、最も重要なのは教師を派遣できるかどうかという問題であることに気づき、2005 年3 月に一時
帰国して地元の各行政機関を訪問し、黒龍江省民族委員会から学校再建に必要とする資金の半分を支援する約束をしてもらった。泰来県教育担当の副県長さんも日本の多くの皆様と多くの留学生のご支援を理解し、特別な計らいによって、小学校に5人の教師を派遣し、モンゴル語科目の再開も許可された。今年の5 月に日本から10 万人民元を学校側に渡し、小学校の再建を求めた。9 月に東武練馬コスモスの会が中心となる日本人10 人グループが小学校の開校式に参加した。地元の行政官僚も大勢参加し、日本への感謝の気持ちを述べ、日中友好関係が永遠に続くことを祈ると発言した。
最後に言いたいことは、村民の笑顔を取り戻した「小学校再建活動」の背景には、渥美国際交流財団からの欠かせないご支援が存在していた。お金と時間のかかる小学校再建活動は、私にとって、経済的に大きな支えがなければできないことであった。財団の奨学金とご支援が私のパワーとなり、それらを活動に生かせたからこそモンゴル族小学校が再建できたと位置付けている。
(2005 年10 月記)中国黒龍江省泰来県には515 人が居住するウンドル村がある。2003 年8 月30 日、笹川科学研究助成による満州語の調査をしていた私の目の前で、村の人々の心を痛める事件が発生した。1946 年に設立され、多くの人材を育てた歴史をもつモンゴル族小学校が火事によって一瞬の内にその形を変えてしまった。村の人々はあまりにも悲惨な出来事に言葉を失った。
この村ではモンゴル族が全体の73%、漢民族が15%、満州人が10%、ダグル族が2%を占めている。
村の周辺はすべて中国語が話されている環境であるが、ウンドル村の人々の日常用語にはモンゴル語がもっとも多く使われている。小学校の児童は40 名程度で、母語であるモンゴル語を勉強できる唯一のモンゴル族小学校であった。しかし、火事が発生する前から一部の人による小学校合併の動きがあった。小学校4 年生から2.5 キロ以上離れた別の村に通わせ始めていた。火事が発生した後、小学校3 年生からのすべての児童を別の村に通わせた。教師もそれぞれ別の村へ派遣された。仮教室に1 年生と2 年生の児童及び教師一人が残された状態であった。
村民が学校再建委員会を設け、地元の行政へ事情を説明し、学校再建を求めた。その後、県教育局の責任者が村に行って、村民たちに経済的な理由により再建できないという説明をした。絶望した村民たちは、私宛に日本からの応援を求める手紙を送ってきた(2004年4 月6 日)。手紙を読んだ私は、日本側を代表する責任の重さを感じる一方、母校でもあった小学校のために何かをしなければいけないと思い、母校出身3 名が中心となり、在日小学校再建委員会を立ち上げ、様々な活動を開始した。
しかし、実行は容易ではないことに気づいた。多くのボランティア団体(東武練馬コスモスの会、東京・
沖縄・東アジア社会教育研究会、SUNUS、フフ・モンゴル・オドム、モンゴル民族文化基金など)に支援を求めた。国際交流も視野に入れて、東武練馬コスモスの会の支援のもとに留学生たちが中心となり、様々な祭り(10 回程度)に参加し、モンゴル料理の販売をした。それによって、異文化を紹介し、国際交流を進める一方、学校再建資金の一部(他は支援金)を集めることができた。
その時、最も重要なのは教師を派遣できるかどうかという問題であることに気づき、2005 年3 月に一時
帰国して地元の各行政機関を訪問し、黒龍江省民族委員会から学校再建に必要とする資金の半分を支援する約束をしてもらった。泰来県教育担当の副県長さんも日本の多くの皆様と多くの留学生のご支援を理解し、特別な計らいによって、小学校に5人の教師を派遣し、モンゴル語科目の再開も許可された。今年の5 月に日本から10 万人民元を学校側に渡し、小学校の再建を求めた。9 月に東武練馬コスモスの会が中心となる日本人10 人グループが小学校の開校式に参加した。地元の行政官僚も大勢参加し、日本への感謝の気持ちを述べ、日中友好関係が永遠に続くことを祈ると発言した。
最後に言いたいことは、村民の笑顔を取り戻した「小学校再建活動」の背景には、渥美国際交流財団からの欠かせないご支援が存在していた。お金と時間のかかる小学校再建活動は、私にとって、経済的に大きな支えがなければできないことであった。財団の奨学金とご支援が私のパワーとなり、それらを活動に生かせたからこそモンゴル族小学校が再建できたと位置付けている。
(2005 年10 月記)
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2005.10.01
フィリピンのアジア太平洋大学(UA&P)とSGRAで立ち上げた日本研究ネットワークの活動の一環として、マキトは中国の広東省と香港特別行政区にてフォーラムに参加することになった。マキトは初めての中国である。香港でのフォーラムは2005年11月1日から3日までGOLD COASTホテルで開かれ、East Asia Development Network (世界銀行が主催するGlobal Development Networkの傘下にある開発経済の研究ネットワーク)から受賞した助成による研究の中間報告が行われる。この研究は正式に今月からスタートして来年の4月までUA&Pのピター・リー・ユ先生とシッド・テロサ先生との共同で進められている。研究テーマは「フィリピンの特区は共有型成長の触媒になるのか」というSGRAが2年前から始めた研究である。香港のフォーラムは中国語が話せるユ先生と同行なので面白い発見もありそうではないかという期待がある。
引き続き、お招きをいただいたので、11月4日から7日まで香港政策研究所や広東省社会科学院の主催によるフォーラムにUA&P・SGRA共同研究チームの代表として一人で参加し、香港から広州市に途中で移動する予定である。フォーラムのテーマは"A Tale of Two Regions: China's Pan-Pearl River Delta and ASEAN Cooperation for Mutual Benefit"(二つの地域の物語:共同利益のための中国の汎珠江デルタとASEANとの協力)
オンライン記事をご参照ください
テーマは関心のある経済特区とも関係があるし、中国大陸への訪問チャンスでもあるので参加を申請させていただいた。父の父の父の国に初めて足を踏むことになるだけにちょっとわくわくしている。
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2005.04.28
2005年4月8日、SGRA(関口グローバル研究会)のメーリングリストに、以下の呼びかけをしました。ちょうど、中国で反日デモが始まった頃でした。 【質問】現在中国や韓国で沸き起こっている反日運動についてあなたはどう思いますか。この事態を収拾するために、あるいは今後繰りかえさないために、私たちは、あるいは、日本人は、中国人は、韓国人は、何をすれば良いでしょうか。 SGRAは、日本の大学院から博士号を取得した外国人研究者が中心となって設立した研究会で、会員は約 250名、そのうちの半数が中国人と韓国人を中心としたアジア諸国からの留学生や元留学生で、少数ですが欧米やアフリカ出身の方々もいらっしゃいます。残りの半数は、この活動を支援してくださっている日本人の方々です。そのうち、メーリングリストに参加しているのは約220名、公用語は日本語ですが、インターネットのおかげでアジア各国だけでなく、アメリカやヨーロッパに在住している元留学生も参加しています。
http://www.aisf.or.jp/sgra/kawaraban/kawaraban9.pdf
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2005.02.16
渥美財団、10歳のお誕生日おめでとう!
2005年2月16日(水)、人類の歴史の新しいページを開く京都議定書の正式発効とともに、渥美国際交流奨学財団の設立10周年を祝うイベントが、東京赤坂の鹿島KIビルで開催された。当日の朝の震度5の地震や冷たい雨にも関わらず180名もの関係者が集まり、渥美健夫氏の遺志で10年前に設立された、規模が小さいが夢が大きいこの財団の記念日を一緒に祝ってくださった。
渥美理事長と今西常務理事の指導のもと、数週間前から数回にわたる準備会を重ねてきたが、当日は現役と来年度の奨学生らで構成する渥美奨学生、元奨学生からなるラクーン会、ラクーン会から発展した関口グローバル研究会(SGRA)の運営委員と研究員・会員(とその子供たち)、そして鹿島建設の皆さんがお手伝いに駆けつけ、記念講演会の成功に繋がった。渥美ファミリが一堂に動いたと凄く感じた。
記念講演会は午後4時に始まった。最初に渥美理事長から財団の設立の背景と特別講演をされる緒方貞子さんのことについてお話があった。次ぎに、今西常務理事から、パワーポイントのスライド付きで、財団の設立からの今に至る経緯についての説明があった。遠慮深い理事長から「あまり宣伝しない」と言われたということだったが、常務理事はSGRAのコンセプトは渥美財団と一致していると断った上で、財団の話に重ねてSGRAの紹介とその活動へのお誘いを、遠慮なく発表した。
午後4時半ごろに、JICAの理事長である緒方さんがみえて、一休みもせずに「人間の安全保障」というテーマの講演が始まった。奨学財団の講演会だから教育という側面に関心が高いであろうという前提で、人間の安全のためには人間を強化すべきなので、その一つの有力な手段として教育が非常に重要であるということにお話の焦点が当てられた。特に、国際教育の面では多様性を尊重し、排除しないinclusiveな人を育てる教育が一番大事だとされた。このような特質の欠如こそが人間の安全を脅かすと強調された。これは、確かに、渥美財団とSGRAの「多様性のなかの調和」という原理に基づく「良き地球市民の実現に貢献」というビジョンと一致している。同時に、「グローバラゼイション」という名で呼ばれている、あまりサイレントではない津波によって、この多様性の尊重が実現できるのかどうか考えさせるところだった。「会場の皆さんと一緒に考えましょう」という緒方さん自身のお招きもあって、さばききれないほどの質問を受けてから、記念講演は、午後5時45分に終了した。
その後、緒方さんにもお時間が許す限り参加していただいて、KIビルのカフェテリアで懇親会が開かれた。渥美財団の選考委員長を10年間務めていらっしゃる、「失敗に学ぶ」というベストセラーで有名な畑村洋太郎先生の挨拶と乾杯でスタートした。参加者全員がレセプションを楽しんだ。渥美直紀鹿島副社長が、建設業らしく、三三七拍子の手拍子とともに中締めをした。
様々な方々とお話ししたが、なかでも、渥美健夫さんの同期で、毎年数千人の留学生の面倒をみているロータリー米山記念奨学会の加美山節副理事長(渥美財団評議員)からいただいた「素敵な財団ですね」という言葉が大きいなお祝いになった。渥美健夫さんもきっと同じことを考えているであろう。
※今西常務理事の要請により、記念講演会場の模様を全振煥さん(2001年ラクーン)が取った写真を集めて、AISF PICTURE GALLERYを立ち上げました。他の写真もこれから掲載する予定です。
(文責:M.マキト)
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2005.02.16
渥美財団の10周年を記念して出版した本です。執筆者は全員SGRA会員です!
ひとりでも多くの人に読んでいただきたいので、是非、お知り合いの方々に勧めてください。現在、八重洲ブックセンター、丸善、三省堂にはおいてあるそうですが、ジャパンブックに直接申し込めるそうです。
皆さんの大学や近所の図書館で購入してもらってください!
だから私は日本を選んだ!
外国人留学生が見たサプライズ・ニッポン
今西淳子編
2005年2月16日
(株)ジャパンブック発行
TEL 03-3219-0811
ISBN4-902928-01-9
<目 次>
第一部 私と日本
F.マキト 「僕にはジャパニーズドリームがある」
金 政武 「日本刀とスリッパ」
朴 貞姫 「日本語を考える」
M.アリウンサイハン 「成功の秘密」
葉 文昌 「日本に追いつけない理由」
林 少陽 「クラスメートと日本」
孫 建軍 「新漢語の成立をたどる喜び」
李 鋼哲 「『三国人』と犬の文化」
高 熙卓 「『江戸時代』との出会い」
李 恩民 「日中間の歴史の葛藤」
第二部 異文化の中で
尹 ヒスク 「オゴリ文化とワリカン文化」
M.ティシ 「面白い日本の私」
梁 明玉 「『冬のソナタ』ー韓国と日本のお年寄り」
K.カタギリ 「きまりだらけの日本、きまりのないタイ」
方 美麗 「日本人の鎧」
M.トレーデ 「日本の大学、ドイツの大学」
M.ゾンターク 「東京自転車物語」
B.ブレンサイン 「やさしさへの誤解」
羅 仁淑 「日本は開放的?閉鎖的?」
陳 姿菁 「温めますか?」
第三部 留学生活
ブ・ティ・ミン・チィ 「ベトナム人留学生の夢と歴史」
胡 炳群 「私を支えてくれた人たち」
林 泉忠 「三人の年配の恩人たち」
白 寅秀 「日本人が教えてくれた大切なもの」
郭 智雄 「愉快な仲間たち」
金 賢旭 「下町の留学生活」
張 桂娥 「自分探しの旅」
于 暁飛 「落花生」
ルイン・ユ・テイ 「天からの贈り物」
フスレ 「青空のもとで」
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2004.08.30
7月24日に開催した第16回SGRAフォーラム in 軽井沢「東アジア軍事同盟の過去・現在・未来」の報告が、朝日新聞アジアネットワーク(AAN)のウェブサイトに掲載されましたのでお知らせします。
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漂流する対米同盟 浮上する「対テロ戦略」
--日本、韓国、フィリピン、台湾の同盟関係の現状を見る
都丸 修一
「アジア型共同体への道」研究チーム主査
「地球化(グローバリゼーション)」という現象は、国際・国内経済ばかりか、国家のありよう、地域社会の姿からテロリズムにまで、従来の物差しでは測れない変化を日々私たちに見せつけている。人、モノ、金の自由な動きと情報革命。グローバリゼーションは間違いなく人間社会の発明なのだが、グローバル化という「発明品」は、人間が追いつけないほど強大、かつ複雑な妖怪に育って、どう処していいのか分からないほどである。将来の予測がこれほど難しい時代はないかもしれない。
グローバル化の深化にあらがうように、欧州や米州で新時代の羅針盤として「地域主義」が台頭している。アジアでも同様である。ただし、アジアの動きは欧米に比べて遅い。しかも、南北が分断されたまま、核戦争の脅威まででている朝鮮半島を抱え、冷戦構造を残したグローバル化時代を生きるという宿命を負わされている。
アジアの安全保障の将来像は、どうあるべきか。7月24日、軽井沢で開かれた第16回関口グローバル研修会(フォーラム)は「東アジア軍事同盟過去・現在・未来」と題して、日米同盟、韓米同盟、台米同盟、米比同盟の専門家が語り合った(朝日新聞アジアネットワーク後援)。新たなトランスフォーメーション(軍の世界的再編)に動き出す米国。この超大国を軸とするアジア諸国の同盟を読み比べると、あらためてアジアの多様性に気がつく。「東アジア共同体」といった構想はずいぶん出てきたが、あるべき将来像を描く道のりは険しい。それでも、地球化のうねりを乗り切るには、やはりアジアの新しい羅針盤が必要とされる。
全文はasahi.comをご覧ください。
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2004.06.28
新刊紹介
SGRA「人的資源・技術移転」研究チームのサブチーフの範建亭さんより、下記のご本とその紹介文お送りいただきましたのでご紹介します。
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範建亭著「中国の産業発展と国際分業:対中投資と技術移転の検証」
風行社 A5判 約250頁 定価3675円(本体3500円)
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■出版に寄せて 上海財経大学 範 建亭
このたび、拙作の『中国の産業発展と国際分業―対中投資と技術移転の検証』が出版されました。本書は、一橋大学経済学研究科に提出した博士学位論文を基礎に、国際分業の視点から中国の発展要因を明らかにしようとするものであり、特に日本企業の対中直接投資や技術移転を通じた日中間の分業関係に着目しています。
1970年代末に改革・開放を実施した中国は、驚異的な経済成長と産業発展を遂げつつありますが、中国経済における際立った変化の一つは、海外から大量の直接投資と技術が導入されたことであります。日本を含む世界各国の対中投資は、資金の導入や輸出入の拡大などへの貢献に限らず、様々な製造技術や製品技術、および生産管理の手法などが合弁パートナー企業や現地企業に移転、波及し、中国の産業発展に寄与していることは明らかであります。そして、外資系企業の現地生産活動を通じて、中国企業との間に緊密かつ多様な分業・協力関係が築かれつつあります。しかしながら、中国経済論の文献は多数刊行されているにもかかわらず、国際分業との関連から中国の発展要因を研究したものは必ずしも多くないです。
そこで、本書は国際分業を後発国の発展要因として捉え、貿易や直接投資などの展開が中国の産業発展にいかなる影響を及ぼしたのかということを考察しています。研究対象の一つは、日本企業の対中直接投資を通じた技術移転の効果であり、第Ⅱ部では、機械工業企業を対象に行った独自のアンケート調査に基づき、日系企業内外の技術移転構造とその決定要因についての検証が展開されています。もう一つの研究対象は中国の産業発展と国際分業との関わりであり、第Ⅲ部は中国の家電産業を取り上げ、その追いつき発展の特徴と諸要因を輸入代替化のプロセス、日本家電産業の技術供与や現地生産との関連から検証しています。
私は日本語学校から学部を経て大学院の博士課程を修了するまで、合計12年の留学生活を送りました。以前、私は建築関係の仕事に従事しており、経済学とは全く無縁でした。もし日本に留学していなかったら、新しい学問に挑戦する機会もなかったでしょう。長年の留学生活を恵まれた研究環境のなかで送ることができ、そして著作としてまとめることができたのは、渥美財団をはじめ、大勢の方々からのご指導とご援助のおかげであり、ここに改めて御礼申し上げます。
私は昨年の夏に帰国し、大学の先生として久しぶりの現地生活をスタートしました。故郷の上海は十数年の間にとてつもない変貌を遂げており、激動の中国経済を象徴するような大都市となっています。近年、海外から戻った研究者は増えつつありますが、経済学に関しては日本留学組はまだ少数派であります。今後、教育と研究の両面において日本で学んだ知識を生かし、日中間の経済関係と分業体制のあり方を幅広く考えていきたいです。
■目次
序 章:研究課題と方法
第I部:理論的アプローチと現状分析
第1章:理論と先行研究の検討
第2章:中国の外資導入と日本企業の進出
第II部:対中直接投資を通じた技術移転
第3章:日系現地企業の技術移転構造
第4章:技術移転の決定要因分析
第III部:中国家電産業の発展と国際分業
第5章:家電産業の輸入代替メカニズム
第6章:家電産業の発展における日中間分業関係
終 章:総括と展望