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2020.08.20
今回のカフェはバーチャルカフェ(以下Vカフェ)という形をとり、延べ100名ちかくの参加が実現でき、SGRAカフェ史上最大規模となったといえよう。この成果は「ポストコロナ時代の東アジア」というタイムリーなテーマ、林泉忠先生をはじめとする講師陣、それからバーチャル形式という新しい実現手段の魅力を語ってくれた。
当日のVカフェは講演と懇親会の2部構成となったが、本レポートは講演内容を中心に報告し、懇親会については林先生のレポートに譲ろう。林先生の講演はまず現在の状況に対する見方、つまりグローバル時代の終焉から始まった。その具体例として、グローバルサプライチェーンの断絶や企業の自国内への回帰、人的交流の一時中断とナショナリズムの高揚、またウイルスに対する初動と「香港国家安全維持法」(国安法)の制定・実施をめぐって世界各国の中国に対する不信感が増長していることが挙げられた。
その後は、米中「新冷戦」が顕在化する状況における東アジア各国の関係性の変化について見解が述べられた。日韓にとっては、米中とどのようにバランスを維持していくのかが最大の問題であるが、中国が日韓と米国を分断させる戦略に乗り出している一方で、日韓の間で軋轢の深刻化が止まらない。日中は最近2年間の「疑似蜜月」関係から「中熱日冷」へと転換したと主張され、またこの日中友好の状態は主に中国主導によるものであったが、現在は日本の対中イメージが悪化する一途であり、習近平主席の国賓訪日もあやふやな状態になったと指摘された。中韓関係もまた、中国が主導しているように見え、韓国外交は主体性を持って臨んでいないと指摘された。
ではコロナが鎮静化したら中国の影響力は一気に強まるのか。まず香港に対し、中国政府は英米などの反発や批判を無視して権威主義体制へ移行させるだろう(1997年より以前の香港は行政主導+半植民地)。一方で台湾に対しては、新型コロナウイルス騒動は予想外の効果、つまり大陸と距離を維持することは悪いとは限らないという見方をもたらした。これは北京の「両岸融合」「恵台31カ条」のような急進的な政策による逆効果ともいえよう。これに加えて「香港統制」は台湾にさらなるプレッシャーをもたらし、また香港という緩衝地帯を失う結果、台湾の対米依存はさらに増すだろうという。
以上の議論を踏まえ、ポストコロナの時代は「新冷戦」時代が到来すると講演を結んだ。香港、台湾はこの新冷戦の激戦地になるだろう。11月の米大統領選の結果も注目しなければならないが、米国内では対中政策の合意がすでに出来上がっており、新冷戦はもはや回避できないと予測される。世界は米中2大ブロックに分割されるのか。今後日本に問われるのは主体性がある行動・リーダーシップである。
コメントとしてまず下荒地修二先生から、コロナの問題は国際社会に予想外のことをたくさんもたらし、相互不信もその一部ではあったが、現在はウイルスという共通敵にどう対処すればいいのかという段階に来ているではないかと指摘された。それから日中関係の改善は望まれる方向で、どちらが主導かということは重要ではなく、肝心なのは国際秩序をどのように建設的な方向へ持っていくのかであり、特に大国の間では議論をしなければならないと提起された。
南基正先生からは、ニューオーダー(new_order)としてポストコロナの国際秩序を考えるときに、国際政治のリアリズム理論の枠を超えなければならないと指摘された。コロナ問題によって各国では、アイデンティティ・ポリティックスから脱皮し、人々の生活を中心とする政治を構築する必要があることが浮き彫りになった。アイデンティティ・ポリティックスにこだわる結果、日韓関係には破綻が起るだろう。しかしコロナなど生活を中心とする政治の観点から見れば、ナショナリズムに訴えても問題は解決できない。アイデンティティやナショナリズムに訴えても票にならないことを、コロナは政治家に悟らせたのではないか。また政治家は政権のレガシーとして何を残すのかを考えるべきであり、特にミドルパワーの国々や日韓に期待したいという。
講演部分はここですでに1時間45分になり、一段落となった。個人的な感想は、まず長い時間をかけてさらに議論したい話題がたくさん出て、研究者として非常に興味深い集まりであった。もう一つは、一人の市民として、今後の国際秩序をどう展望し、そしてどう行動していけばいいのか、という大きな課題を改めて考えさせられたことである。一個人の力は本当に小さいものであり、そして懇親会でも指摘されたように、個人にとってアイデンティティは容易に越えられるものではない。まして政治情勢や情報制限、マイナスの歴史といった「人的操作」を受ければ、恨みや偏見が生まれやすい。しかしそこであきらめていいのか。この半年の間、外出自粛や会合自粛のなか、私も自分自身が閉塞感を感じたり事を悲観的にとらえやすくなったと感じたりしたが、そのバイアスで見落としてきた積極的な要素も現実に存在するのではないか。
英語版はこちら
当日の写真
<李彦銘(リ・イェンミン)LI_Yanming>
専門は国際政治、日中関係。北京大学国際関係学院を卒業してから来日し、慶應義塾大学法学研究科より修士号・博士号を取得。慶應義塾大学東アジア研究所現代中国研究センター研究員を経て、2017年より東京大学教養学部特任講師。
2020年8月20日配信
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2020.08.07
SGRAでは、良き地球市民の実現をめざす皆さまに気軽にお集まりいただき、講師のお話を伺い議論をする<場>として、SGRAカフェを開催しています。今回はオンラインZoomと渥美財団の会場とを繋ぎ、リアルとバーチャルを組み合わせて開催します。皆さまのご参加をお待ちしています。
◆第14回SGRAカフェ「国際的観点から見た日本の新型コロナウイルス対策」
日時:2020年9月19日(土)15時00分~17時00分(日本時間)
参加方法:オンライン(Zoom)または渥美財団へご来訪かを参加登録時にお選びいただけます。
言語:日本語のみ
会費:無料
定員:オンライン:100名/渥美財団へご来訪:15名
(人数に達した時点で申込を締め切らせていただきます)
参加申込:こちらよりお申込みください
お問合せ:
[email protected]
◇プログラム
14:45 Zoom接続開始
司会:尹 在彦
15:00 開会挨拶
15:10 講演:大曲 貴夫「国際的観点から見た日本の新型コロナウイルス対策」
15:40 コメント(10分)&各国リポート5ヵ国(1人5分程度)
16:20 質疑応答(会場+オンライン)
17:00 終了
17:00~ご希望の方々によるZoom懇親会(18:00頃終了予定)
趣旨:
新型コロナウイルス(COVID-19)は世界を席巻し、各国は感染拡大防止と社会経済活動の両立を目指して試行錯誤を繰り返しています。日本でも一旦終息に向かうかに思われた感染も再び勢いを増し、先行きの不透明感は深まっています。一方で、新型コロナウイルスについての知見、研究成果も蓄積されつつあります。今回のSGRAカフェでは、国立国際医療研究センター国際感染症センター長の大曲貴夫先生をお招きして新型コロナウイルスとはなにか、日本の新型コロナウイルス対策の特徴と現状についてのお話を伺うと共にアジア各国からのリポートを交えての対話を行います。更に「感染症とリスクコミュニケーション」、「防疫の国際協力」等の議論も行いたいと思います。
講演要旨:「国際的観点から見る日本の新型コロナウイルス対策」大曲 貴夫
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、新しく発生した感染症としてその診断、治療、感染防止対策が医療上の大きな課題となっている。そればかりでなく、この感染症が社会全般特に経済に及ぼす影響は極めて大きく、COVID-19の影響が今後数年以上継続すると予想されているなかで、この脅威に社会としてどのように対応するかは国際的な大きな課題となっている。日本では1月に患者発生が始まり、3-5月には第一波と呼ばれる多数の重症患者の発生に対応してきた。そして6月以降は軽症患者を中心とした新たな波への対応を迫られている。今回の講演では日本の現状と、今後この感染症にどのように向き合っていくべきかについて、私の意見をお伝えしたい。
◇略歴
講演:大曲 貴夫(おおまがり のりお)
国立国際医療研究センター国際感染症センター長
理事長特任補佐、DCC科長感染症内科医長併任
聖路加国際病院内科レジデント
国立国際医療研究センター病院AMR臨床リファレンスセンター長(兼任)
司会:尹 在彦(ユン ジェオン)
一橋大学大学院 国際関係論専攻/元新聞記者(毎日経済新聞・韓国)
リスク・コミュニケーションや経済・移動制限政策を中心にコロナ時代における国際社会の変容をウォッチしている。
リポーター:
韓 国:金 雄熙(1996渥美奨学生)
仁荷大学国際通商学科教授。筑波大学 博士(国際政治経済学) 国際通商論を専攻するが国際政治経済、グローバリズムの展開も研究領域としている。
台 湾: 陳 姿菁(2002渥美奨学生)
開南大学副教授。お茶の水女子大学 博士(日本語教育)。日本語教育、中国語教育等の学習評価に焦点を当てている。
ベトナム : チュ スワン ザオ(2006渥美奨学生)
ベトナム社会科学院文化研究所上席研究員。総合研究大学院大学博士(文化人類学)。新型コロナウイルス感染症を背景に疫病と人類の文化・宗教との関わりに注目している。
フィリピン : ブレンダ テネグラ(2005渥美奨学生)
アクセンチュアコンサルタント・チームリード。お茶の水女子大学博士(社会学)。 ジェンダー、海外出稼ぎ労働者、送金の複層的政治に関心がある。
イ ン ド:ランジャナ ムコパディヤヤ(2002渥美奨学生)
デリー大学准教授。東京大学博士(宗教社会学)。現在、ポストコロナ時代における人間関係と教育問題に焦点を当てている。
プログラム
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2020.06.17
SGRAでは、良き地球市民の実現をめざすみなさんに気軽にお集まりいただき、講師のお話を伺い議論をする<場>として、SGRAカフェを開催しています。今年は初めての試みとして、オンラインZoomによるSGRA-Vカフェを開催します。オンライン参加ご希望の方は、事前にSGRA事務局宛てお申し込みください。
みなさまのご参加をお待ちしています。
◆第13回SGRA-Vカフェ「ポストコロナ時代の東アジア」
日時:2020年7月18日(土)15時~16時30分(日本時間)
参加方法:オンライン(Zoom)による
言語:日本語のみ
会費:無料
定員:100名(人数に達した時点で申込を締め切らせていただきます)
参加申込・問合せ:SGRA事務局 <
[email protected]>
申込内容:お名前・居住国/都市・ご所属・Zoom接続用メールアドレスをお送りください。
※事前参加登録していただいた方に、カフェ前日に招待メールをお送りします。
※ 事前に Zoom 接続テストをご希望の方は、参加申込メールでお知らせください。担当者よりテス
ト日について折り返しご連絡差し上げます。接続方法、ミュート機能の ON/OFF の切り替え、
チャットの見方などについてご不安な方はどうぞお気軽にご連絡ください。
◇プログラム
14:45 Zoom接続開始
司会:李彦銘
15:00 開会挨拶・講師コメンテーター紹介
15:10 講演:林泉忠
15:50 コメント:下荒地修二、南基正
16:05 質疑応答
16:25 まとめ・閉会挨拶
16:30 終了
講演要旨:
世界を震撼させた2020年の新型コロナウイルスが世界システムをかく乱し、「ポストコロナ時代」の国際関係の再構築が求められる中、東アジアはコロナの終息を待たずに、すでに激しく動き始めている。
コロナが発生するまで、中国のアメリカと日・韓の分断戦略はある程度効いていた。しかし、コロナ問題と香港問題によって「米中新冷戦」が一気に進み、今まで米中のバランスの維持に腐心してきた日韓の選択が迫られる。とりわけ日中の曖昧な「友好」関係の継続はいよいよ限界に達し、日本の主体性ある「新アジア外交戦略」が模索され始めている。
中国による「国家安全法」の強制導入で、香港は一気に「中国システム」の外延をめぐる攻防の激戦地になり、米中新冷戦の最前線になる。香港という戦略上の緩衝地帯を喪失する台湾は、「台湾問題を解決する」中国からの圧力が一段と高まり、アメリカとの安全保障上の関係強化を一層求めることなり、台湾海峡は再び緊迫した時代に入る。「ポストコロナ時代」における「米中新冷戦」が深まっていくことはもはや回避できない。
略歴:
林泉忠(りん・せんちゅう Lim Chuan-Tiong)
国際政治学専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年よりハーバード大学リサーチ・アソシエイト、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、香港アジア太平洋研究センター研究員、中国武漢大学日本研究センター長、香港「明報」(筆陣)主筆、を歴任。
著書に『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス:沖縄・台湾・香港』(明石書店、2005年)、『日中国力消長と東アジア秩序の再構築』(台湾五南図書、2020年)など。
下荒地 修二(しもこうじ・しゅうじ SHIMOKOJI Shuji)
日本の元外交官、中国、韓国などの勤務を経て、駐パナマ大使や駐ベネズエラ大使を歴任。
南基正(ナム・キジョン NAM Ki-Jeong)
専門は戦後日本政治外交。東京大学で「朝鮮戦争と日本― ‘基地国家’ における戦争と平和」の研究で博士号を取得。東北大学法学研究科助教授・教授、韓国・国民大学国際学部副教授、ソウル大学日本研究所副教授を経て、同研究所教授。
李彦銘(リ・イェンミン LI Yanming)
専門は国際政治、日中関係。北京大学国際関係学院を卒業してから来日し、慶應義塾大学法学研究科より修士号・博士号を取得。慶應義塾大学東アジア研究所現代中国研究センター研究員を経て、2017年より東京大学教養学部特任講師。
プログラム詳細およびレジュメ
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2020.06.04
2020年3月12日、フィリピンの大統領はマニラ首都圏の隔離令を発動した。これは僕の人生で初めての経験だった。全てのレベルの学校が休校となり、教員と職員は在宅業務を促された。1月30日にWHO(世界保健機関)が、新型コロナウイルス感染症を国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(Public_Health_Emergency_of_International_Concern, PHEIC)と発表した頃から僕が懸念していた最悪な事態が、この隔離令となった。隔離令が実施されるまでの猶予期間に、僕の大学のあるロスバニョスからマニラの実家に帰る選択肢もあったが、家族が分散するように僕と甥2人はロスバニョスに残ることにした。
幸いな事にインターネットはずっと機能していて、SNSなどから社会のあらゆる声が聞こえてきた。僕の研究テーマである「持続可能な共有型成長」と関連した課題を取り上げ、早速「持続可能な共有型成長ポリシー・ブリーフ(Sustainable_Shared_Growth_Policy_Brief)」を始めた。ここでは第1号の内容を簡単に紹介したい。
感染症はそもそも自然環境から生じたものである。中・米の対立による生物兵器という陰謀説もあるが、今のところこのウイルスは自然に発生したものだと見なされる研究論文が有力のようである。災害論では、脆弱性(vulnerability)と回復力(resiliency)という概念が重要である。時間的に言えば、脆弱性とは災害が起こる前の概念で、災害からいかに被害を受けやすいかを指す。回復力は、災害が起こった後の概念である。そして、多くの災害研究により、脆弱性や回復力を左右するのは、所得分配や経済発展の度合いが重要な要素であることが指摘されている。所得分配が悪くなると、そして経済発展の度合いが低くなると、脆弱性は高まり回復力は低下するという。その故に、フィリピンのような所得・富の分配状況が悪い発展途上国は、今回のパンデミックにおいて深刻な問題を抱えている。
パンデミックの衝撃を和らげるために、フィリピンの政府・民間組織・市民社会は、今に至るまで、あらゆる対策を模索しながら採用している。この激しい戦いから一歩離れて、今回のパンデミックを「持続可能な共有型成長」、つまり環境・公平性・効率という観点から評価してみたい。
さらに整理するために、持続可能な共有型成長を時間・空間・宇宙(universe)という3つの次元に沿って話を進めていく。
◇持続可能性と時間
環境経済学では、現在の世代と将来の世代の間で自然資源をいかに分配するかが政策の重要なポイントである。この見方は、よく引用される「持続可能な開発」の定義にも見られる―将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発。これは、1987年4月に公表された環境と開発に関する世界委員会の報告書『Our_Common_Future』の中心的な考え方として取り上げられた。多世代間の自然資源の分配は、結局政策立案者の計画期間(短期か中長期か)によって決定する。
綺麗な空気や水などの自然資源のように、病気のない環境というものも自然資源として考えられており、それを多世代に渡って提供するためには、やはり資金が必要である。政策提案として取り上げられるのは、パンデミック対策のための中長期的な資金調達である。これは一種の保険であり、パンデミックが発生する時に、対策の資金として使用できるものである。市場本位の例として挙げられるのが、世界銀行のカタストロフ債である。発動条件が厳しすぎる等の批判を浴びたが投資家から3.2億米ドルを集めたので、実際に有効な概念であることを証明した。このようなファンドは市場本位なので、パンデミックのリスク評価、リスク分散、リスク削減のための投資促進という面でも役に立っている。
◇共有型成長と時間
開発経済学にクズネッツの逆U字型曲線というものがある。これは、経済発展過程を大きく2段階に分け、第1段階では発展すればするほど格差が広がるが、第2段階では発展すればするほど格差が縮まっていくという仮説である。この説は、フィリピンにおいても妥当するのではないかという研究もある。
上述のように、被災に対する脆弱性や回復力においては発展段階や所得・富の分配が大事なので、クズネッツ曲線の平坦化が不可欠である。言い換えれば、発展途上国で共有型成長ができるだけ早く実現できれば、その分、脆弱性を低くし回復力を高めることができる。
◇持続可能性と空間
環境問題には国境がない。それはパンデミックにも該当する。そのため対策を練る時に国境を越える協力が必要である。
この場合、やはりWHOのような多国籍の組織が重要である。フィリピンにおいてもWHOに対して批判はあるが、パンデミックに上手く対応するためには、依然として国際的な組織が不可欠であることは変わらない。WHOがこんな状況に陥ったのは、加盟国からの拠出金が減少し自発的な寄付が増加してきたからである。その故に、WHOは本来の使命を果たす余裕をどんどん失ってしまった。確かにWHOは構造改革が必要だが、まずは加盟国による拠出金の復活から始めた方が良い。WHOの西太平洋地域本部がマニラにあるだけに、フィリピンはこのロビー活動に積極的に参加できる良い位置にあると思う。
◇共有型成長と空間
共有型成長の一つの基本原理は地方分散である。分散することにより、伝統的な成長ハブから成長が拡散して行き、成長が共有されるようになる。
今回のパンデミックは成長ハブを最初に狙い、無力化した。それは今のグローバル化の当然な結果とも言える。各国に成長ハブを発展させて、それらのハブを繋げていく。感染症があっという間に広がり、成長ハブが次々とやられて行く。このような構造をより頑丈にするためには、やはり成長の分散が有効であろう。
◇持続可能な共有型成長と代替的な宇宙(alternate_universe)
以上で論じたように、社会がより持続可能な共有型成長(環境・公平・効率の調和)という軌道に乗れば、今回新型コロナウイルスの襲来で受けている苦労は軽減されるはずである。私が20年以上訴え続け、今年の1月にマニラとロスバニョスで開催した第5回アジア未来会議でも強調したように、フィリピンにはこのような発展が必要である。そして、今回のパンデミックでも明らかになったように、世界にもそれが必要である。
マニラもロスバニョスも、ようやく6月から隔離令が一部緩和されたが、パンデミックにおける厳しい生活は長引く覚悟が必要である。この難しい時期を乗り越えるためには、(1)何か夢中になって、(2)家族や友達との繋がりを断たないことが大事である。
対策(1)として、SGRAでやり残した持続可能な共有型成長セミナーのレポート3本を渥美財団のウェブページに掲載したので、下記リンクをご参照いただきたい。
SGRA Sustainable Shared Growth Seminar 25 Report
SGRA Sustainable Shared Growth Seminar 26 Report
SGRA Sustainable Shared Growth Seminar 27 Report
そして、ポリシー・ブリーフのシリーズを始めて、第2号まで発行した。このマニラ・レポートはその第1号のまとめである。次回は第2号について紹介したいと思う。
Sustainable Shared Growth Policy Brief 1
Sustainable Shared Growth Policy Brief 2
対策(2)としては、フェイスブック上での交流に今まで以上に参加している。友達と議論し、笑ったり、共感したりしているが、最近始めたのは、勤務する大学の合唱サークルのオンライン練習である(下記リンク参照)。この合唱サークルのヴィジョンは「多様性の中の調和」であり、これは渥美財団とSGRAのヴィジョンでもある。4つの異なる声(ソプラノ、アルト、テノール、バス)が一つのハーモニを作り出すという意味もあるが、様々な人が、歌う能力と関係なく、楽しんで一緒に歌うという意味もあるので、みなさんも、どうぞご自由に参加ください。
みなさま、安全を第一にしながら、これを機会により良い世界を作り出しましょう。
英語版はこちら
<フェルディナンド・マキト Ferdinand_C._Maquito>
SGRAフィリピン代表。SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学ロスバニョス校准教授。フィリピン大学機械工学部学士、Center_for_Research_and_Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、テンプル大学ジャパン講師、アジア太平洋大学CRC研究顧問を経て現職。
2020年6月4日配信
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2020.05.07
新型コロナウイルスによるパンデミックによって、これから世界が大きく変わるでしょうが、問題はどのように変わるか今はわからないことです。第6回アジア未来会議はまだ1年以上先のことですから、できるだけ台湾の状況と台湾への旅行情報を参加者の皆さんと共有しながら準備を進めてまいります。最悪の場合には、関係者の安全のため延期等もありえます。しかしながら、状況が落ち着き、私たちが一堂に会することができれば、この会議はポストコロナのアジアと世界を語り合う絶好の場となるでしょう。1日も早く全世界で新型コロナウイルスが収束することを祈りつつ、アジア未来会議の開催に対する皆さまのご理解とご協力、そしてご参加をお願いいたします。
◆第6回アジア未来会議
「アジアを創る、未来へ繋ぐ-みんなの問題、みんなで解決」
会期:2021年8月27日(金)~31日(火)(到着日、出発日を含む)
会場:中国文化大学(台北市)
発表要旨の投稿締切:
・奨学金、優秀賞に応募する場合 2020年8月31日(月)
・奨学金、優秀賞に応募しない場合 2021年2月28日(日)
募集要項は下記リンクをご覧ください。
画面上のタブで言語(英語、日本語、中国語)を選んでください。
Call for Papers
◇総合テーマについて
本会議全体のテーマは「アジアを創る、未来へ繋ぐ―みんなの問題、みんなで解決」です。
アジアの将来には偉大な可能性があり、世界はその発展に注目しています。過去30年に亘り、アジアは目覚ましい発展を遂げ、消費レベルは急速に上昇し、グローバルな貿易、資本、人材、イノベーションの一角を担うに至りました。次の10年の間に、アジア経済はこの地域だけでなく、グローバルな流れを決定するようになるでしょう。インターネットや技術革新から国際貿易まで、アジアは多くの分野で主要な地位を占めるようになりました。今大事なのは、アジアがいかに早く上昇するかではなく、いかに指導的役割を発揮するかです。アジアは言語、人種、宗教が様々で、政治体制も経済システムも異なりますが、歴史的な発展やその背景などを分かち合っています。
2000年にアジアのGDPは世界の1/3以下でしたが、2040年には50%を超え、世界消費の40%を占めると予測されています。経済発展は言うに及ばず、人々の寿命は延び、識字率は向上し、人間開発に役立つ技術とインターネットの普及が成し遂げられるでしょう。しかしながら、その結果起こる資源の過剰消費や健康保険の問題は深刻になると考えられます。
アジアの発展は数億人の人々を最貧困の状態から救い出しましたが、同時に貧富の格差を広げる結果となりました。都市化は経済発展に拍車をかけ、教育や公衆衛生を促進しましたが、貧困やその他の課題は手付かずでした。人口の急速な増加に伴い、多くの都市は十分な住宅の供給、インフラ、関連サービスが整備されていません。アジアの国々、或いは地域は、格差や環境問題の重圧に対処するために、より包括的かつ持続可能な経済発展を達成する必要があります。
さらに、環境や経済の持続性に加え、アジアの国々は、平和な未来を築くために共に努力することが求められています。
第6回アジア未来会議は「アジアを創る、未来へ繋ぐ」ための独創的な提案を募集します。皆様のご応募をお待ちしています。
◆アジア未来会議について
アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心のある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。アジア未来会議は、学際性を核としており、グローバル化に伴う様々な課題を、科学技術の開発や経営分析だけでなく、環境、政治、教育、芸術、文化の課題も視野にいれた多面的な取り組みを奨励します。皆様のご参加をお待ちしています。
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2020.04.10
2019年11月2日(土)台北の台湾大学において、「東アジア日本研究者協議会国際第4回学術大会」が開催され、渥美国際交流財団(SGRA)の派遣チームの1つとして「日本における女性ムスリムの現状、留学中に直面する課題と彼女らの挑戦」と題するパネルセッションを行った。当パネルは発表者2名、討論者2名、座長1名で実施された。
セッションの背景には、日本における外国人の人口増加があげられる。しかし、日本社会で知られていた外国人も近年では多様化が進み、様々な人種、宗教背景を持つ人達が目立つようになっている。その外国人コミュ二ティの中のひとつがイスラム教徒を宗教背景にしているコミュ二ティの人々である。
そこで、本セッションでは、中東湾岸諸国の女性の高等教育をめぐる意識と行動をこれまで研究してきた沈雨香(早稲田大学)と日本での外国人コミュニティの現状を研究対象にし、また自身もムスリム女性として日本で留学経験のあるアキバリ・フーリエ(白百合女子大学)が日本の多様性社会に目を向けた。
発表で取り上げられたのは、「在日女性ムスリム」であった。“女性ムスリム”に注目したのは、彼女らが宗教や文化の象徴的な存在として昨今の国際社会におけるディスコースの中心となってきていること、そして、特に可視性が強いと考えられる彼女たちは、外の社会からは「他者」「外国人」として、ムスリムコミュ二ティ内では「期待」「評価」される存在としてプレッシャーをかかえていると考えられたからである。
パネルの流れとしては、最初に座長司会の張桂娥氏(東呉大学)がパネル企画の背景や流れを説明し、その後各発表者、討論者の紹介を行い、次にそれぞれのパネル者により発表が行われ、そして討論者からの意見と質疑応答が行われた。最後には、来場者からの質疑応答により幅広い議論が交わされた。
まずはじめの発表においては、沈雨香が「ムスリム女性の困難―彼女らの可視性から―」についての研究報告を行った。沈は、ムスリム女性が宗教的慣習や文化に基づき日常的にヒジャブを着用していることに着目し、可視性がもたらす影響を明らかにすることを試みた。その中で、ヒジャブはムスリム女性の宗教への信仰を「可視化」していると述べ、その宗教的可視性の故、ムスリムの女性は他から物理的にも意識的にも区別されており、彼女らならではの生活世界を経験していると指摘した。続いて、3か月にわたる5名のムスリム女性への半構造化インタビューに基づき、非イスラム文化圏で暮らすムスリム女性の可視性は、「ムスリムコミュニティ」では信仰心の判断基準や彼女個人の性格や思考、趣味の指標として。「日本社会」ではムスリム、外国人、他者のシンボルとして、彼女らの生活世界を決定づけていることを明らかにした。
続いて、アキバリ・フーリエによる「在日ムスリム女性留学生の内なる葛藤」についての研究報告が発表された。アキバリは、日本という多文化社会において在日ムスリム女性留学生らはどのような葛藤を経験しているのかに焦点を当てた。その背景には、21世紀に入り、急スピードで変化していく時代の中で、控えめで従順なステレオタイプのイメージとは一線を画して、キャリア重視のムスリム女性が増加していることを強調した。その変化は著しく、まだムスリム社会でもその受け入れに戸惑いを隠せない人たちがいることを指摘した。
アキバリも同様に5名のムスリム女性に焦点を当て、彼女らの語りでのキーワードに注目した。その結果、内なる葛藤の要因として、「ムスリム・同国籍者社会」、「家族」、「日本社会」、「自己の信仰」を挙げた。葛藤が起きる仕組みとして、まず「自国のこれまで生きてきた社会から来る“過去のしきたりや習慣を踏襲することへの期待と評価”というプレッシャー」があると分析。一方で新たな受け入れ先の社会からは、「“ムスリム女性として与えられてきた評価が新しい社会でどのように受け取られるかへの不安”、“自分の信仰心に対するムスリムコミュ二ティからの期待”」が大きく葛藤につながることを報告した。
2つの研究発表の後、討論者としてミヤ・ドゥイ・ロスティカ氏(大東文化大学)とショリナ・ダリヤグル氏(明渓日本語学校)が加わり、2つの研究報告についてそれぞれコメント、質問が続いた。討論者の興味深いコメント・質疑から幅広い議論が行われた。最後、来場者の中の一人であった、関西大学多賀太先生からは、「多様性社会の教育現場においては、同化を求める部分に比較的圧力が入っており、特別扱いをすることがよくないとされ、マイノリティである彼らを特別に見ることは差別を伴うため避けるべきとの考えが広がりつつある。マイノリティを尊重する姿勢は重要である。」ととても貴重なご指摘を頂いた。
本セッションは、ムスリム女性は多様性社会のマイノリティメンバーの一つの事例として取り上げたことを強調したい。本研究の考察を通して、彼女らは、“自分自身を受け入れる”、“相手に受け入れてもらう”ためにヒジャブを外すという自己調整をしていることがひとつ明確になった。しかし、「ハーフ」「身体障害者」「LGBT」「日系人」「外国人労働者」等々、自己調整が不可能である彼らはどのように自己そして社会と向き合っていくのかを今後の課題として考えていきたい。
最後に、今回、渥美国際財団関口グローバル研究会(SGRA)の派遣チームとして、多くの日本研究者と共に、本学会に参加できたことに感謝の意を表したい。貴重なコメントを頂き、多くの研究者と意見交換ができたことを大変誇りに思う。今後、日本社会の多様性についてこれを機に、研究を進めていければと思う。ありがとうございました。
当日の写真
< アキバリ、フーリエ Akbari, Hourieh >
2017年度渥美国際財団奨学生。イラン出身。テヘラン大学日本語教育学科修士課程卒業後、来日。2018年千葉大学人文社会科学研究科にて博士号取得。現在千葉大学人文公共学府特別研究員。白百合女子大学の非常勤講師。研究分野は、グローバル近代社会における社会言語学および日本語教育。研究対象は、主に日本在住のペルシア語母語話者の言語使用問題。
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2020.04.10
2019年11月2日、400人以上の参加者を迎えた東アジア日本研究者協議会第4回学術大会にて、SGRAより参加した3パネルの一つである「日本のODAとアジア:再評価の試み」が台湾大学の普通教学館で挙行された。
このパネルは公益財団法人渥美国際交流財団の助成を受けて企画されたものである。1950~60年代に始まった日本の政府開発援助(Official Development Aid=ODA)は、1989年には米国を抜きODA拠出額では世界ナンバーワンとなった。しかし、その過程で世界各国からさまざまな批判、日本国内からも不満または評価の高まりを受け、日本政府は予算の縮小・戦略の再構築を決断した。2015年、ODA大綱は「開発協力大綱」と名称を変更し、より一層強く「国益」の確保への姿勢を打ち出した。他方、政治的な要因で対台湾の経済協力事業は中止、経済的な要因で対韓国のODAは予定通り「卒業」、急速に経済の高度成長を遂げた中国へのODAも2019年春をもって終了した。アジアにおける複雑な政治経済の動きが世界規模で影響を拡大している現在、「日本の重要な政策ツールのひとつ」と位置づけられた「ODAを主体とする開発協力」について、立体的かつ総合的にレビューする機が熟した。
これまで日本が行ってきたODAについては政策決定のプロセスや戦略意図についての論考が多かったが、今回のパネルでは黄自進・中央研究院教授(Prof. Huang Tzu-chin, Academia Sinica)の司会のもと、異国で博士学位を取った多文化なバックグラウンドを持つ学者陣と共に、日本のODA政策へのレビュー、対アジア主要国ODAのケース・スタディーに重点を置いた議論を進めていった。
基調講演をされた深川由起子・早稲田大学教授(Prof. Fukagawa Yukiko, Waseda University)は「日本の開発援助政策転換~韓国との比較から~」というタイトルで、日本ODAの歴史と現在、成果と問題について総合的に語った。深川教授の研究によれば、日本のODAをめぐっては1990年代にその規模がピークに達すると、欧米から自国利益を拡大するための「商業主義」であるという批判を受けた。しかしながらその後、多くの研究によって誤解が解かれると共に、結果としてアジア各国が優れた経済発展を遂げることで、むしろ「商業的」なODAが民間企業の誘致や技術の波及に役立ったとする肯定的な評価が台頭していった。深川教授はさらに、アジアにおいてODAには自国の発展経験の移転といった側面が強く、中国の「一帯一路」がさらに商業性を強めた「経済協力」として展開されるようになって以来、日本のODAもより経済権益に直結するインフラ輸出などの「経済協力」として再編されつつある。これに対し、韓国はセマウル運動の移植や人材育成などより古典的なODAを展開している、との見解を示された。最後、深川教授は「北東アジアでは政治的障壁からドナー間の協力や対話が進んでいないが、潜在的には様々な補完性もあり、アフリカ支援協力などで具体的な協力を模索する時期に来ている」と鋭く指摘した。都市鉄道システム(高度な建設技術・安全・正確な運行管理など)をはじめとするパッケージ型インフラ輸出とODAの活用といった事例紹介は特に印象深かった。
次に韓国に絡んだ諸課題が提起され、金雄煕・仁荷大学教授(Prof. Kim Woonghee, Inha University)が登壇し、「日本の対韓国ODAの諸問題」をテーマに事例報告を行った。金教授の話によると、日本の対韓経済協力に対する研究は、その重要性にもかかわらず、いくつかの理由から客観的な分析が困難な状況である。1965年の日韓国交正常化を皮切りに実施された多くの協力案件は半世紀以上の歳月が経過してしまい、韓国経済において日本による資金協力や技術協力の痕跡を見出すことは、もはや容易ではない。また請求権資金がもつ特殊性、すなわち、戦後処理的・賠償的性格と経済協力としての性格を併せ持つことによる複雑性もある。さらに元徴用工の戦後補償問題に由来し最終的に最悪の状態に陥った日韓関係のなかで、日本が韓国に対し資金協力や技術協力を行ったことを公に議論することはかなりセンシティブでリスキーなことと認識されている。
同問題について金教授は次の通りに指摘した。韓国で請求権資金の性格や役割に対する評価は、一般的に日韓国交正常化に対する評価と密接につながっている。安保論理と経済論理が日韓の過去の歴史清算を圧倒する形で日韓国交正常化が進められ、肯定的な評価と否定的な評価が大きく分かれてしまった。請求権資金についても同じく評価が分かれているが、構造的な韓国の対日貿易不均衡などいくつかの問題は起こしたものの、請求権資金が韓国経済の初期発展過程で重要な役割を果たしたことは否定できないというのが韓国国内での一般論である。
報告の中で、金教授は詳細なデータをもって、請求権資金を中心に日本の対韓経済協力についての異なる評価や様々な論点を紹介し、特に日本の外務省が「日本の援助による繁栄」の象徴的事業としているソウル首都圏地下鉄事業と浦項製鉄所(現在のPOSCO)の建設事業についての異なる評価も取り上げつつ、より客観的に日本の対韓経済協力をレビューした。
上記の報告を踏まえて、フェルディナンド・シー・マキト准教授・フィリピン大学ロスバニョス校(Prof. Maquito, Ferdinand C. University of the Philippines Los Baños)は、商業主義や日中韓ODAの補完性についてコメントを入れながら「フィリピンからの報告:日本ODAの再検討」というタイトルで最新の研究成果を報告した。マキト准教授は、日本のODAを西洋諸国または中国のODAと比較した上で、その相違性と類似性を分析し、アジアにおける共有型成長への日本によるODAの貢献を評価した。マキト准教授は最後に、韓国や中国にとっても日本型ODAのシステムは模範的だったと指摘した。
最後は被援助国としての中国のケース・スタディーを私、李恩民・桜美林大学教授(Prof. LI Enmin, J.F.Oberlin University)より発表し、日本の対中ODAの40年を概観した。
1979年、鄧小平が推進した改革開放政策は経済発展を最優先にする新時代の幕明けであった。この年、中国政府は日本の財界人の助言を受け、これまでの対外金融政策を改めて日本からODAを受け入れ、主要インフレと文化施設の建設に集中した。それ以降の40年間、政府から民間まで日本側は円借款、無償資金提供、技術協力などを通して中国の経済発展、人材育成、格差の是正、環境保全等分野に大きく貢献してきた。その証として、ODAプロジェクトの現場で撮った写真を展示しながら中国民衆の認識・評価を紹介した。
全員の報告を終えた後、石原忠浩・台北にある政治大学助理教授の質問を皮切りにディスカッションに入った。しかし時間の制約があって、会場では十分な議論ができなかった。そのため、司会者の黄自進教授は国際性に富んだこのパネルの特徴について総括した後、パネルの締め括りとして今後も他地域で同じメンバーで会議を重ね、良き研究成果を出すよう力強く訴えた。
学術の立場から日本によるODAへのレビューは、理論的な検討も現地考察も欠かせない至難の作業である。90分のパネルだけで議論を尽くすことはほぼ不可能である。この意味で言えば、この種の研究成果の活発な意見交換は今後も進めて行かなければならない。
当日の写真
< 李 恩民 Li Enmin >
中国山西省生まれ。1996年南開大学にて歴史学博士号、1999年一橋大学にて社会学博士号取得。桜美林大学国際学系教授、公益財団法人渥美国際交流財団理事。2012~2013年スタンフォード大学客員研究員。主な著書に『中日民間経済外交 1945~1972』(人民出版社1997年)、『転換期の中国・日本と台湾』(御茶の水書房2001年、大平正芳記念賞受賞)、『「日中平和友好条約」交渉の政治過程』(御茶の水書房2005年)、『中国華北農民の生活誌』(御茶の水書房2019年)。共著に『歴史と和解』(東京大学出版会2011年)、『対立と共存の歴史認識』(東京大学出版会2013年、中文版:社会科学文献出版社2015年)、『日本政府的両岸政策』(中央研究院2015年)などがある。
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2020.04.10
去る2019年11月1日から3日にかけて、「第4回東アジア日本研究者協議会国際学術大会」が台湾大学において開催された。私が企画したセッション「明治期の小説と口絵・挿絵―絵の役割―」は渥美国際交流財団グローバル研究会(SGRA)の派遣チームとして大会に参加した。
小説の挿絵は文学研究においても、美術史研究においても、重要視されていないが、本パネルの発表をとおして、挿絵研究という未開な分野が拓かれたらと思ったのが企画のきっかけであった。
一本目の発表は、東京大学の出口智之氏「明治期絵入り新聞小説と単行本の挿絵戦略―尾崎紅葉「多情多恨」に即して―」であった。
出口氏のご発表は、文芸の制作に関する近世と近代の連続性という問題意識に基いたものである。江戸時代の「戯作」は、近代におけるいわゆる「文学」と異なり、戯作者が口絵や挿絵の下絵も含めた稿本を作り、絵師はそれに従って絵を描くという工程で制作されていた。ところが〈近代文学〉の領域では、そうした絵師・画家に対する指示の存在は想定すらされておらず、作家たちは本文だけを執筆し、絵師・画家は完成した本文を読んで自由に描くという捉えかたが自明視されているようである。だが、はたして明治維新を経た途端に、そのような分業が短期間で成立するなどということがありうるのだろうか。出口氏の調査により、明治中期以降の近代文学の時代に入ってもなお、江戸期の戯作と同じように小説作者が口絵や挿絵に指示を出していたことが判明した。すなわち、明治の文学者たちにとってもなお、自作とは本文だけでなく口絵や挿絵とセットで認識されていたのである。
本文と口絵・挿絵との関係を検討するうえで、従来から取上げられてきた作家に尾崎紅葉がいる。彼は自作に絵は不要だとする、いわゆる挿絵無用論を唱えたことで知られ、その発言はこれまで、江戸的な挿絵との協奏から文学を自立させようとする近代的な意識だと捉えられてきた。これに対し、出口氏は紅葉・田山花袋の合作による「笛吹川」や紅葉単独の「青葡萄」など、『読売新聞』に連載された紅葉の絵入り小説を取上げ、彼がほぼすべての挿絵に対して指示を出していたこと、またそこでは当時一般的だった浮世絵風の絵を用いず、俳画のように景物だけを描いたり(「留守もやう」と呼ばれていた)、比喩表現に取材した絵を用いたりするなど、斬新な試みを行っていたことを明らかにした。
今回の発表で特に中心的に取上げられたのは、紅葉「多情多恨」初出時(『読売新聞』明治29年)と単行本(春陽堂、明治30年)に用いられた挿絵の違いである。出口氏の分析によると、初出時の挿絵には、「留守もやう」のような風致を添える絵だけでなく、より立ち入った試みが行われていた。たとえば、本文は室内の場面であるのに挿絵には戸外の様子が描かれ、鎖された障子によってその後ろで展開する物語を想像させたり、あるいは男女の手が沸騰する鉄瓶に押し当てられている絵によって、二人の関係が危うい領域に入ろうとしていることを暗示したりするなどの例である。出口氏は、「これは挿絵を排斥するのではなく、「文字と独立」した機能を持たせ、活用する試みだった」と指摘し、紅葉の挿絵は「人物を描かないことで、本作の主題である人物の心理に過度に干渉することなく、しかし紙面の中で読者の興味を物語に集めようとしていた」のだろうと説明した。つまり、本文とは別の角度から読者の興味を誘うとともに、挿絵にも何らかの意味を持たせるような、新しい画文共存のありかたを紅葉が試みたというのである。
続いて出口氏が注目したのは、『多情多恨』単行本で用いられた二枚の挿絵と、それに対して紅葉が与えた自筆の指示画である。紅葉はその指示画において、画面に余白や闇を残すなど、何も描かれていない部分に関する指示も出していた。出口氏はこの点への着目から、余白は妻を亡くした主人公が抱え込んだ心理的な空虚や、階下で働く女たちとの心理的な懸隔を隠喩していると解する。また、深夜に主人公のもとを訪れる友人の妻を取巻く暗闇は、家人たちが寝静まる闇の深さや、その後の関係の危うさを表現しているなどの解釈が提示された。そのうえで氏は、初出・単行本がいずれも挿絵とセットの形で示されていたことから、絵は不要であるという紅葉の発言を文字通りに受け取るのは危険だとし、これはむしろ挿絵を「文字と独立」させ、文章とは別個の機能を担うように活用したいという意味に解するほうが妥当だとした。
出口氏のご発表はまさに画期的な研究で、刺激的なものであり、「醍醐灌頂」の感すらあった。発表からいろいろ得るものはあったが、特に、出口氏が提出した「画文学」の概念に共鳴を覚えた。
「画文学」という視座、すなわち近代でも作家や編集部が口絵・挿絵の制作にかなり介入し、共同作業によって画―文がセットになった作品が生み出されたという前提に立ち、画と文の関係をあらためて捉えなおすことにより、文学・美術・出版・法制史・書誌学・広告など、幅広い領域につながる問題が提起されてくるはずである。
と出口氏がおっしゃったとおり、「画文学」は様々な領域と関わり、実に多岐にわたりうる研究である。このセッションをきっかけに、さまざまな分野で数多くの研究が生れることを期待している。
二本目の発表は私(梁蘊嫻)「明治時代に出版された『絵本通俗三国志』―青柳国松版を中心に―」であった。
『絵本通俗三国志』の原作は天保7(1836)年から天保12(1841)年にかけて出版された絵本読本(池田東籬作・二世葛飾北斎画)である。この作品は、明治時代になると、30種以上の異版も刊行された。これは、活版の時代になった明治期には、本屋仲間の結束による保護出版が終わり、自由な競争出版の社会になったことを示したものである。本発表では、明治20年に青柳国松によって出版された『絵本通俗三国志』を取り上げる。青柳国松『絵本通俗三国志』では、口絵は大蘇芳年のものであり、本文の挿絵は水野年方の筆によるものである。本作品から、古典としての二世北斎の絵を区別し、独自性を出そうとする出版社の意図が窺われる。本発表では、青柳国松を例として、「古典」を形成・再編し、継承する過程を辿りながら、古典の創造性について論じてみた。
青柳国松本は、明治15年に清水市次郎が出版したものを継承したものと思われるが、清水市次郎版と大きい違いが見られる。青柳国松は清水市次郎版の前半、すなわち小林年参の挿絵をすべて削除し、水野年方による挿絵を取り替え、全書を年方の絵で統一させたのである。新しく描かれた挿絵は大体二種にまとめることができる。(1)清水市次郎本と構図が異なるもの、(2)挿絵とされなかった場面が挿絵化となったもの、である。本発表では、清水市次郎本と重なった後半部分を除いて、前半部分について検討した。
青柳国松本は「古典」としての清水市次郎本を継承しながら、すべてを受け入れるわけではなく、古典と異なった新しさを出そうとしており、古典から離脱するものの集大成とも言える。その後、明治21年出版の銀花堂本は青柳国松本に描かれている水野年方の挿絵を使用し、寸法を大きくした。このように、斬新な青柳国松本は後の作品に対しては、いわゆる「古典」としての存在となったのである。
発表の後、活発な議論が交わされ、パネル発表が円満に終了した。聴衆は少なかったが、非常に刺激的で、充実したセッションであった。
今回のパネルのメンバーは、みんな私とご縁の深い方々だった。延広真治先生は東大時代の指導教授で、出口先生は、「手紙を読む会」で一緒に崩し字を読んできた仲間で、藍先生は大学時代の同級生だった。パネルを組んで台湾で研究発表を行い、討論することができたこと、誠に嬉しく思い、感慨無量だった。企画者として、あらためて皆さまに御礼を申し上げる。
当日の写真
< 梁 蘊嫻 Liang Yun-hsien >
台湾花蓮県出身。台湾、元智大学応用外国語学科助理教授。
2010年、東京大学総合文化研究科の博士号取得。専攻は、比較文学比較文化、日本における『三国志演義』の受容。論文には、「『諸葛孔明鼎軍談』における『三国志演義』の受容とその変容―「義」から「忠義」へ―」(『比較文学研究』83 号、2004 年3月)「呉服文織時代三国志』の虚構と真実―都賀庭鐘の歴史観―」(『国語と国文学』2017年4月号)、「トラン・アン・ユン『ノルウェイの森』と村上春樹『ノルウェイの森』の比較研究―映画と文学のはざま―」(『東アジアにおけるトランスナショナルな文化の伝播・交流―メディアを中心に―』日本学研究叢書22、国立台湾大学出版中心、2016年8月)などがある。
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2020.03.26
モンゴル高原の東部にはメネン、フルンボイル、ヌムルグ草原がつながって果てしなく広がり、牛や羊や馬やガゼルがゆったりと草を食べながらあるき、穏やかで暖かい日の光に照らされ、青空には白い雲がうかび、なごやかな風がわたりすぎてゆく。
この広い草原地帯には複数の川が流れており、その内、大興安嶺山脈を源流とするハルハ河は同山脈の麓から北東へと流れ、くねくねと曲がり、途中、二つに分かれる。その一つはボイル湖に流入し、その北からはオルシュン川(Orchun_Gol)が流れ出てフルン湖へと続く。もう一つはシャリルジ川(Shariljiin_Gol)といい、オルシュン川と合流する。
ハルハ河にそって複数のオボー(モンゴルの山や峠に石や木で作られた構造物。宗教的役割と同時に境界標識や道標としての役割も持つ)が点在しており、流域の真ん中辺の東岸にノモンハン・ブルド・オボーが建てられており、静かに周りを見守っている。ノモンハン・ブルド・オボーの「ブルド」つまり「泉」を源とするホルスタイ川は西へと流れ、ハルハ河に注ぐ。この「泉」の周辺にはヨシが多いため、地元の人たちは、その川をホルスタイ川(ヨシの川)と呼ぶが、川が西へ流れていくにつれ、楡、即ちモンゴル語でハイラースが多くなっていくため、ハルハ人はその川をハイラースト川(Khailaastiin_Gol)と呼ぶ。
こんな天国のような草原地帯で、1939年5月から9月にかけて、激しく、壮絶な戦いが繰り返された。
2019年はハルハ河・ノモンハン戦争80周年にあたる。この記念すべき年を迎えるにあたって、ウランバートル、モスクワ、東京でさまざまな記念シンポジウムがおこなわれた。その一つが、私が企画したウランバートルにおける国際シンポジウムであった。
今回のシンポジウムの開催において、モンゴル日本関係促進協会会長・元駐日モンゴル大使のS.クレルバータル(S.Khurelbaatar)氏が非常に熱心、かつ積極的に協力してくださった。4月と5月に日本を訪問された際には、一橋大学名誉教授田中克彦名誉教授や二木博史・東京外国語大学名誉教授と私に会って、いろいろと話し合った。そして、日本側の団体の資金が厳しい状況のなか、氏のご尽力のおかげで、モンゴル外務省からも支援を得た。さらに、シンポジウムの前日には、氏を始めモンゴル日本関係促進協会の方々が会場にて、設営などにも携わってくださった。
2019年8月29、30日の2日間にわたって、公益財団法人渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)とモンゴル日本関係促進協会、日本モンゴル学会、昭和女子大学国際学部国際学科の共同主催、昭和女子大学、モンゴル日本学会、モンゴル科学アカデミー歴史・考古学研究所、モンゴル・日本人材開発センター、モンゴルの歴史と文化研究会、NGO「バルガの遺産」協会の後援、公益財団法人守屋留学生交流協会の助成で、第12回ウランバートル国際シンポジウム「ハルハ河・ノモンハン戦争80周年:歴史、記憶、そして教訓」がモンゴル・日本人材開発センター多目的室で開催された。
開会式では、クレルバータル氏が司会をつとめ、D.ダワースーレン(D.Davaasuren)モンゴル外務省国務長官、高岡正人在モンゴル日本大使、二木先生が祝辞を、田中克彦先生が開会の辞を述べた。
今回のシンポジウムには、モンゴル、日本、ロシア、中国、韓国、香港などの国や地域からの100名余りの研究者が参加し、共同発表を含む、18本の報告があった。D.ソドノム(D.Sodnom)元モンゴル首相をはじめ、10名を超える元駐欧米、アジア諸国のモンゴル大使がシンポジウムに参加した。その内、Ts.バトバヤル(Ts.Batbayar)モンゴル外務省顧問・元駐キューバモンゴル大使、モンゴルにおけるハルハ河・ノモンハン戦争研究の第一人者、R.ボルド(R.Bold)駐トルコモンゴル大使、そして、S.チョローン(S.Chuluun)国際モンゴル学会事務総長・モンゴル科学アカデミー歴史・考古学研究所所長なども参加し、最新の研究成果を報告した。その詳細は、別稿にゆずりたい。
8月29日の夜の招待宴会は、モンゴル日本関係促進協会の主催で、モンゴル外務省迎賓館で開催され、宴会中、モンゴルの伝統の歌や馬頭琴の演奏、民族舞踊も披露された。8月30日の夜の招待宴会は関口グローバル研究会(SGRA)と日本モンゴル学会の主催で、ウランバートルホテルでおこなわれた。
同シンポジウムについては、『ソヨンボ』や『オーラン・オドホン』紙などにより報道された。
ハルハ河・ノモンハン戦争の戦勝80周年を記念し、モンゴルでは『ハルハ河戦争:1939』というモンゴル語・ロシア語・英語対照の資料・写真集が出版された。同資料・写真集はハルハ河・ノモンハン戦争にいたるまでのモンゴルの内外情勢、戦争が起きた原因、戦争、結果、モンゴル・ソ連軍の共同の勝利、英雄的出来事という6つの部分より構成されている。史料・地図・写真・ハルハ河でおこなわれたフィールドワークの資料、個人コレクターのコレクションなど950点余りが収録されている。同時にモンゴル科学アカデミー歴史学・考古学研究所とモンゴル諜報局特別文書館が共同で『マンチューリ会議日記:1935~36年』という資料集も出版された。主にマンチューリ会議の時のモンゴル側の代表のモンゴル文字で書かれた日記をキリル文字に転写し、出版したのである。
また、バトバヤル氏は、それまでのみずからのハルハ河・ノモンハン戦争についての研究成果を発展させた『ハルハ河戦争と大国間の地政学』を出版し、マンチューリ会談を含む、ハルハ河戦争をめぐる日本、ソ連の思惑などについて再検討している。さらに、ミャグマルスレン・ハルハ河郡戦勝博物館館長が編集した『彼らは私たちのために(戦った)私たちは彼らのために(記憶を残そう)』には、モンゴル国ドルノド県ハルハ河郡戦勝博物館がおこなってきたハルハ河・ノモンハン戦争参加者の伝記研究と戦争考古学的発掘調査の成果がまとめられている。同時に、ハルハ河・ノモンハン戦争を記念・たたえる『ハルハ河歌集1』という歌集も出版されている。
シンポジウムを終えて、8月31日から9月6日にかけて、わたしはハルハ河・ノモンハン戦場のドルノド県で現地調査をおこなった。その目的は、ハルハ河・ノモンハン戦場での現地調査のほか、モンゴルのハス映画会社と共同でドキュメンタリー映画『ハルハ河とノモンハン:忘れられた忘れてはいけない戦争』の製作のための現地撮影であった。
実はハルハ河・ノモンハン戦争80周年にあたる2019年に、ロシア政府の提供した800万ユーロにより、モンゴル国政府は同年ハルハ河郡に、郡庁舎、学校、病院などを新たに建設したほか、モスクワの赤の広場の入り口にあるジューコフ元帥の像を複製し、郡の庁舎の前の広場に建てた。その記念式典はドルノド県ハルハ河郡でおこなわれた。私たちはその記念式典に間に合った。
2019年12月と今年1月に私は2度もモンゴルに行き、映画『ハルハ河とノモンハン:忘れられた忘れてはいけない戦争』のポストプロダクションに携わった。この映画のモンゴル語版はすでに完成し、予想以上に出来が良かった。これから同映画の日本語版のポストプロダクションに入る。この映画の脚本の執筆は私である。私には、この映画をどこかの国のためのみに製作するものではなく、多くの国の人びとに納得のできるものにしてもらいたいという願いがある。
モンゴルの草原と会議の写真
<ボルジギン・フスレ Borjigin Husel>
昭和女子大学国際学部教授。北京大学哲学部卒。1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会外国人特別研究員、ケンブリッジ大学モンゴル・内陸アジア研究所招聘研究者、昭和女子大学人間文化学部准教授などをへて、現職。主な著書に『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(1945~49年)――民族主義運動と国家建設との相克』(風響社、2011年)、『モンゴル・ロシア・中国の新史料から読み解くハルハ河・ノモンハン戦争』(三元社、2020年)、編著『国際的視野のなかのハルハ河・ノモンハン戦争』(三元社、2016年)、『日本人のモンゴル抑留とその背景』(三元社、2017年)、『ユーラシア草原を生きるモンゴル英雄叙事詩』(三元社、2019年)他。
2020年3月26日配信
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2020.03.19
2020年1月、第5回アジア未来会議の円卓会議「東南アジア文化/宗教間の対話」がアラバン・ベルニューホテル(マニラ)とフィリピン大学ロスバニョス校を会場にして2日間にわたって行われた。テーマは「社会倫理とグローバル経済」。アジア経済が私の研究対象であり、発展途上経済、最近では新興経済と呼ばれる地域の経済発展に関心を持っていることもあり、円卓会議開催の趣旨説明を行った。そのため、特に円卓会議に参加する中で考えたこと、感じたことを述べることにしたい。
残念なことに私自身の語学力に加えて宗教や東南アジア社会に対する知識不足が加わり、その理解は限られている。そのため、会議の内容の紹介にはなっていない。これについては司会の労を取って下さった小川忠・跡見学園女子大学教授の報告で確認していただきたい。私自身も今後、記録が出された段階で、改めて経済学と宗教や社会倫理との関係について考えを深めたいと思う。
さて、本円卓会議を設けることの趣旨に関わって、私自身は、経済学が今日、発展途上社会に多大な影響を与えているにも拘らず、その社会への配慮が極めて不十分であると感じてきた。2001年のノーベル経済学賞の受賞者のジョセフ・スティグリッツ教授は、経済学を学ぶ学生の経済行動に関する公正の認識が一般の人々と掛け離れたものであることを、彼の同僚のシカゴ大学の経済学者リチャード・セーラー教授の経験を紹介する形で述べている。それによると、嵐の後に雪かき用シャベルの価格設定に関する調査で、値上げをアンフェアと考える回答が、一般の人々では82%であるのに対して、同大MBA受講生では24%に過ぎなかった。経済学の学生のフェアの認識は社会的なそれとは大きく異なっているのである。実際こうした事例は、現在進行中の新型コロナウイルス感染禍にあってマスクを高値販売する行為として身近で起こっている。スティグリッツ教授はまたアメリカ社会の所得格差の拡大で、富裕層と政治家の結託だけでなく経済学が一役買ってきたことを鋭く批判している。
経済学が社会問題に関心が薄い、あるいは利己的であるという問題提起に関しては、円卓会議の基調講演者であるバーナード・M・ヴィレガス・アジア太平洋大学副学長が言及した。ヴィレガス教授は経済学博士号を有する教育者として半世紀の経験に基づいて、経済学が過度の細分化と数量化を進めてきたこと、また経済学が経済現象の分析で数式の優雅さを競い、市場の自立性を強調し、正義や人間の社会的責任、そして国家の規制への配慮などを排除してきたことを客観的批判的に総括された。同時に、経済学は「社会科学」であるとして、フィリピンの貧困問題の解決のために諸科学の成果を採り入れて経済学教育を実践されてこられたことを説得的に述べられた。
フィリピンにおける貧困の女性化を扱われたフィリピンの聖スコラスティカ大学のシスター・メアリー・ジョン・マナンザン女史のご報告、タイにおける仏教の社会倫理認識とグローバリゼーションを報告された社会参画仏教ネットワークのソンブーン・チュンプランプリー氏の報告、そしてインドネシアにおけるイスラム運動の最新情報を報告されたシャリフ・ヒダヤツラ―州イスラム大学のジャムハリ・シスワント大学院長の報告は、いずれも東南アジアの宗教者の現在の課題を取り上げられた。
それらを聴きながら、私の知る経済学はそれらに真に応えられるのだろうかとの問いが浮かんでは消え、消えては浮かんだ。宗教者の社会活動は生身の人間を対象にしている。人々が様々な環境や条件の中で絶対的貧困や性差別を含む様々な差別と闘っていることに直接に関わっている。東南アジアの社会活動の多くが、貧困や性差別からの解放に向けられている。
考えてみるに、経済学は社会を明らかに異なる視点から捉えている。経済学は、複雑な社会関係を単純な抽象的市場のモデルで表し、その市場を通じて社会が「効率」を最大化できると捉える。ここでの市場は、理念と現実の区別を曖昧なままに社会を同一視している。その上、現在主流の経済学では、数学的モデルを通じて現実の社会が捉えられ、それ以外の社会科学は排除されている。もちろん経済学は現在大きく発展し、現実に近づくために様々なモデルが作られている。原理的なモデルは修正されている。
だが、こうした経済学が発展途上世界に適用されるとき、果たしてどうだろうか。開発の処方箋を書き上げる経済学者は発展途上社会に関する知識をほとんど持っておらず、そうして作られた処方箋が先進国や国際開発機関を通じて政策とされている。結局、そうしたモデルは単純な市場モデル、つまり原理的なモデルに依拠する政策でしかなかったと言えるだろう。政策が失敗する場合は、その原因は発展途上社会それ自体の中に求められてきた。1997年のアジア通貨危機への対応が好例である。
経済学では、あえて言えば経済と社会の区別はないように私には思える。経済のグローバル化の中で経済学は発展途上地域の開発に関わり、発展途上諸国に自由化、民営化を強制してきた。そのことで起こる様々な矛盾は弱者に押し付けられてきた。
話が少し飛躍するが、2008年のアメリカのサブプライムローン危機に発する世界金融危機、そして2017年のアメリカのトランプ大統領の誕生は、新自由主義経済学が推し進めてきた政策の失敗の帰結の面があるように思われる。また、成功するはずがないと思われた共産党政権下の中国が、驚異的な発展・成長を達成したことは痛烈な皮肉である。それは主流派経済学への現実社会の反撃と捉えられるのではないか。あらゆる社会にはルールが必要である。だが、過去半世紀の経済学はそれを規制と捉えることで社会のルールを壊し所得格差を拡大させ、社会的分断を深め、経済と社会を劣化させてきた。その付けがアメリカの外と内の両方における民主主義の危機なのではないか。
円卓会議で、私が経済学は抽象的な「モデル」を前提として厚生を考えていると発言した時、シスター・マナンザン女史が辟易とした表情を見せた。そのように私には感じられ、鋭く心に突き刺さった。
「経済学は科学である」という言葉も頭に浮かぶ。だが、社会科学としての経済学は抽象的モデルの現実社会への適用に関しては、自制的でなければならないし、諸科学との協力・協調の中で政策が作りだされなければならないのではないか。経済学がどれだけ学問的な優位性を主張しても、それだけでは独断であり傲慢でしかない。国際開発、貧困開発では自制的態度が、今まで以上に切実なものとして求められているのではないか。
経済学は確かに部分的、局所的分析、政策では有効性を持つ。それは間違いない。しかし、発展途上社会に適用しようとする時には、とりわけ慎重さ、自制が求められる。アジア通貨危機の頃だったと思うが、経済学者が発展途上国の歴史や社会を学ぶことは政策決定で判断を曇らせると、かつてある著名なアメリカの経済学者が語ったとの逸話を思い出す。経済学は現在、発展途上経済の開発に大きな影響力を持つ。経済学を学ぶ者は社会や歴史について真剣に学ぶ必要がある。2日間の円卓会議の場に身を置いて、社会との関係について考えさせられた。今後も両者の関係と持続可能な共有型成長について考えていきたいと思う。
最後に、このような円卓会議の開催は、私には経済学と宗教を考える貴重な契機となった。基調講演をお引き受け下さったビリエガス教授はじめ、報告者と参加者の皆様、開催と運営にあたって司会の小川忠教授、ランジャナ・ムコパティヤヤ博士、プロジェクトコーディネーターのブレンダ・テネグラ博士、フェルデイナンド・C・マキト博士、そして私の通訳もしてくれたソンヤ・デール博士ほか関係者すべての皆様に感謝を申し上げたい。
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<平川均(ひらかわひとし)HIRAKAWA_Hitoshi>
京都大学博士(経済学)。東京経済大学等を経て、名古屋大学大学院経済学研究科教授/同国際経済動態センター長を歴任。現在、名古屋大学名誉教授、浙江越秀外国語学院特任教授、国士舘大学客員教授。渥美国際交流財団理事。主要著書に、平川均・石川幸一ほか共編『一帯一路の政治経済学』文眞堂、2019年、「グローバリゼーションと後退する民主化―アジア新興国に注目して」山本博史編『アジアにおける民主主義と経済発展』文眞堂、2019年、ほか。
※円卓会議『東南アジア文化/宗教間の対話』の報告は下記もご覧ください。
◇小川忠「経済学と宗教実践―壁を乗り越える試み」
2020年3月19日配信