SGRAイベントの報告

金キョンテ「第6回国史たちの対話『人の移動と境界・権力・民族』レポート」

今回の第6回「国史たちの対話」は、2021年1月に続き7ヶ月ぶりだった。近くになった距離はそう遠くならない。しかし、より頻繁に会えば会うほど親密さが増すことは言うまでもない。今回は皆が見慣れた顔であいさつを交わすことができた。

 

今回は一つの共通のテーマに対して一人の発表者が問題提起をし、複数の人がそれに対して討論をする方式だった。テーマは皆が話せる「人の移動」。これは一般的な意味でも学術的な意味でも議論が燃えるテーマだ。

 

円滑なオンライン会議の進行のために尽力してくださった事務局と通訳の皆さんに「ご苦労様でした」と、真っ先にお礼を申し上げたい。9月11日午前10時ちょうど、李恩民先生の開会挨拶から「対話」が始まった。村和明先生は6回目を迎える会議の経緯と趣旨を説明した。討論の時間が足りず、毎回心残りがあった経験から、今回は討論に重点を置く方式を選んだという。ただ、この実験的な試みがうまくできるかどうかは参加者にかかっているとの懸念があった。結果的に実験は成功だったと思う。

 

 

塩出浩之先生の問題提起は「人の移動から見る近代日本:国境・国籍・民族」というタイトルだった。歴史の研究は長い間、国と民族の影響を受けてきた。その枠から抜け出そうとする試みは多かったが、歴史研究の主流になるのは難しい。多くの見解を包容する方法論が必要な時だ。塩出先生が多様な角度から紹介してくれた事例は、これまで思いもよらなかったことを想起させた。

 

移動の自由というのは一体何か、何が人の移動を規定するか。先生は「大日本帝国」時代の朝鮮人と沖縄人の移動事例を挙げた。また、人の移動が何をもたらすか、何を作るかに主眼を置き、ハワイにおける中国、日本の移民者間の関係も紹介した。要するに、国が人の移動に及ぼす強い影響力についての悩みを投げかける発表であり、中国や韓国の研究者に、国史の中で人の移動をどのように扱っているのかを問う問題提起でもあった。生々しい写真を通じて蘇った人々の人生で一つの映画を見ているような感じだった。

 

これに対して、韓中日各国から2人ずつの指定討論者がコメントした。趙阮先生は経済的、政治的要因によるモンゴル帝国時代の移動を紹介。人々の移動が活発になる中で、帝国の中で異文化圏から来た人々の競争もあったということ、そしてこれらの移動がその後の歴史に与えた影響を指摘した。

 

張佳先生も同様に、中国史の移動を例に挙げた。戦争がもたらした移動とともに、政府主導の強制移動と政府が介入しない経済的移動との比較を行った。そして人々が様々な規制にもかかわらず、自発的に移動を続け、暮らしを続けた姿を見せてくれた。

 

榎本渉先生は古代と中世日本の具体的な事例を紹介した。古代日本は出入りの管理を厳密に行っていたのに比べ中世は国家の管理がなく、このため移動しようとする人が直接パスポートの役割を果たす文書を準備したという。国家が人の移動に介入しようとする試みの時間的・空間的多様性をうかがわせた討論だった。今のパンデミックの状況の中で見ると、移動の停止がオンラインでより活発な接触を引き出したような気もする。

 

韓成敏先生は近代韓国人の移動を3つに分けた。第1に生計のための半自発的な移動、第2に国家政策的移民、第3に植民地化以後の強制動員だ。さらに、弱者に対する愛情を盛り込んだ「トランスナショナル」観点の導入を提案し、移住先に住まなければならなかったディアスポラ(民族離散)の問題を勘案すると、移住者集団間の競争は特殊なものかも知れないという意見を提示した。

 

秦方先生はジェームズ・スコットの「ゾミア」(日本語訳では「脱国家の世界史」)を紹介しながら、中心と辺境、辺境と境界外のバランス、そしてその間を行き交った人々に対する関心の必要性を提起した。移動に対する国の管理とともにその裏面の姿も同時に見なければならないだろう。先生は自分のフィールド研究を簡単に紹介し、パンデミック以後変化したり、あるいは変化していなかったりする境界にいる人々の話を聞かせてくれた。

 

大久保健晴先生は、人の移動を別の視点から眺めた。近代化を推進していた国に雇用された外国人、南洋群島に行った日本人の原住民認識の事例だった。人々の移動であるだけに、様々な事例、反対の例を調べることがとても重要だろう。主権国家から離れていく難民はどう見えるかも重要な問題であることを確認した。一方、東アジアを越えて他の地域に対する見解も共有しようという意見を提起された。

 

以上の指定討論を通じて異なる時代、異なる地域で人の移動がもたらされる政治、経済的理由を探ることができた。歴史において国家の管理方式と理由、それでもそれを越えようとする人々の躍動的な姿。短い時間だったが視野が広がった。同一のテーマについて、自分の専攻分野と関連して短くて簡明に問題意識を語る形式は、効用性があると思った。

 

指定討論者が参加する自由討論では南基正先生が司会を務めた。ここでは移動の「自発性と非自発性」の区分が議論の中心で、塩出先生は、「個人が様々な目的で移動することを見せるのが、今回の問題提起だった」と述べた。しかし、その移動を左右するものの一つが国家であるという点を忘れてはならないという立場だ。国家と個人は一方的ではなく緊張関係であることを改めて確認することができた。移動と移住を分けるかどうかの問題についても議論があり、民族とはネーションかエスニック・グループか、エスニック・グループも歴史の中で作られたのではないか、などの議論が続いた。

 

3、4セッションはパネリストが参加した自由討論で、議論の幅がより広がった。まず、劉傑先生が論点を整理した。ポイントは何が移動を規定するか、移動は何をもたらすか、各国の国史教育が移動の問題をどのように扱っているか、今、人の移動を考えることの意味など。これによって自由討論に先立って考え方を整理することができた。

 

多様で細かい専攻分野を持つ研究者たちの質問と論点提起は、対話をさらに深めた。「人の移動を考える時、人類に普遍的に影響を与えた宗教に焦点を当ててはどうだろうか。忘れられた移動にも関心を持つべきであり、一般の人々と問題意識を共有する必要がある」(平山昇)。「自発と非自発は大差ないかも知れない。『中動態』という概念、すなわち自発的ではないが環境的にそうせざるを得ない状況がある」(大川真)。「人の移動を基軸としてグローバルヒストリーを描くということは重要な試みである。今回のテーマにより、古代~近代国家社会というものをより客観的に見ることができるようになった」(浅野豊美)。

 

「移動した移住民が現地との関係で生じる問題、移住2世代たちのアイデンティティ問題」(南基玄)。「移動と労働力の密接な関係」(佐藤雄基)。「人の移動に密接に関わる感染症が現代社会において自国民保護と矛盾をなす場面で感じた不思議」(市川智生)などの指摘が記憶に残った。また、本セッションの司会者であった鄭淳一、彭浩先生は専攻分野である日本と中国の旅券、戸籍の事例を詳しく紹介し、時代の理解に大きく役に立った。韓国の事例が十分に紹介されなかったのは残念だが、これは韓国史専攻者である筆者の責任でもある。

 

討論の後、宋志勇、三谷博先生の総括、趙珖先生の閉会挨拶が続いた。討論をもっと展開したいという発言が聞かれるとともに、この会議が充実していたことには皆が同意した。三谷先生は、多くの参加者が年長の世代が思いもよらなかった研究や発表もしているという点で明るい東アジアの未来を感じたと語り、こうして出会った仲の良い友達と一緒にこれからもこの対話を導いてほしいという希望を述べた。

 

今回の対話で、多様な時代と分類史を研究する研究者たちが集まり、共通のテーマを語るということのすごさに気づいた。問題提起は議論の幅を広げ、知的刺激は新たな疑問を引き出した。点から線へ、線から面へと広がることになるだろう。討論は終わらないものだ。9月11日の討論時間は終わったが、3国間の対話は終わっていないに違いない。国史たちの対話が続く一方で、研究者たちが自分の所属する場所で「対話の場」を広げることもできるだろう。

 

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■ 金キョンテ(キム・キョンテ)Kim Kyongtae
韓国浦項市生まれ。韓国史専攻。高麗大学韓国史学科博士課程中の2010年~2011年、東京大学大学院日本文化研究専攻(日本史学)外国人研究生。2014年高麗大学韓国史学科で博士号取得。韓国学中央研究院研究員、高麗大学人文力量強化事業団研究教授を経て、全南大学歴史敎育科助教授。戦争の破壊的な本性と戦争が荒らした土地にも必ず生まれ育つ平和の歴史に関心を持っている。主な著作:壬辰戦争期講和交渉研究(博士論文)

 

参照:

中国語版レポート

韓国語版レポート

三谷博「コロナ禍下に国史対話は続く 国境と世代を越えて」

 

 

 

2021年10月14日配信