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エッセイ684:三谷博「コロナ禍下に国史対話は続く 国境と世代を越えて」

(第6回「国史たちの対話」会議に参加した翌日にFacebookアカウントに投稿された文章です)

 

昨日、第6回目の「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」の研究集会がオンラインで開かれた。これは渥美国際交流財団の支援の下、2016年から東アジアの自国史研究者の間に対話の道を開くために開催してきたものである。国際関係や隣国史を研究している人たちは留学をきっかけに隣国人と日常的に対話してきたが、「国史」の研究者はそうした経験を持たない。20世紀から尾を引く東アジアの歴史摩擦を解消するためには、まず閉鎖環境で暮らしてきた「国史」学者たちに直接に対話してもらうことが必要である。早稲田大学の劉傑さんの首唱により、渥美財団のご理解を得て日・中・韓の歴史家たちが、ほぼ隔年に対話集会を繰り返してきた。

 

今回のテーマは「人の移動と境界・権力・民族」で、塩出浩之氏による基調報告の後、日中韓三国からそれぞれ二人が指定討論に立ち、その後、10人のパネリストたちによる自由討論を約3時間半にわたって展開した。以前と異なって発表はただ一人で、後はその場の展開に任せるという冒険的な試みだったが、実行委員会の村和明、李恩民、南基正、彭浩、鄭淳一氏らの周到な準備とチームワークのおかげで、充実した討論とその連鎖が実現された。今回の主力となった三国の中堅と若手の歴史家たちは、着実な史料研究を基礎として専門分野と所属国を越える対話に積極的に踏み込み、学術討論を立派に成し遂げた。年配者としてうれしいことである。

 

この国史対話は、元来は東アジア三国、とくに日本と隣国との間にわだかまる歴史摩擦を解消し、国際関係への負担を軽くするために始められた。今世紀初頭、「歴史認識」問題が争点化したとき、私と同世代の歴史家たちは何度も対話を重ね、少なくとも歴史の専門家の間では、相手側が異なる解釈を見せた時、なぜ相手がそう考えるかを理解しようとするまでにはなった。しかし、その後、東アジアの諸政府は領土その他生々しい問題を敢えて争点化し、それによって歴史問題は後景に退くことになった。いま、20世紀前半の厳しい歴史について議論できる場は失われている。

 

しかしながら、今世紀初頭の東アジア歴史家たちの成果は見捨てるに忍びない。一歩退いて、せめて学術レヴェルだけでも次世代の歴史家たちに日常的な交流と連携の場を用意しておきたい。学問的にも各国の歴史家たちが自国の学界に閉じこもるより遙かに生産的となるだろう。国史対話はこの度、当初と違った方向に舵を切ったわけであるが、それは同時に世代交代の機会ともなった。昨年1月にフィリピンでの集会に加わった学者たちが渥美財団の元奨学生たちと協力し、新たな問題設定の下に動き始めたのである。今年1月には、コロナ禍を意識しながら「19世紀東アジアにおける感染症の流行と社会的対応」を取り上げ、その際、内容はともかく討議が十分に行えなかったとの反省に基づいて、若手自らが「人の移動と境界・権力・民族」を問題として設定し、学校教科書の「国史」を超えた歴史ナラティブを探り始めたのである。

 

無論、取り上げられた諸テーマが十分に討議しつくされたわけではない。しかし、中には「国境通過証明書」のように、古代から近世に至る議論が続いたセッションもあって、これらはいずれ共同論文集を編む可能性も見て取れた。

 

いま東アジア3国の国際関係は最悪であり、各国の世論の相互敵対関係は今世紀初頭には予想もされなかったほどである。しかしながら、今回の研究集会はそれと全く異なる潮流が存在し、若手がその担い手であることを世に示した。世は政治ばかりに規定されるのではない。学術を通じた絆が太く強靱なものに育ち、コロナ禍は無論、国家間の敵対関係を超えて、世に公益をもたらしてくれることを願う。今回の会議はその期待を大きく膨らませるものであった。

 

<三谷博(みたに・ひろし)MITANI_Hiroshi>

1978年東京大学大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程を単位取得退学。東京大学文学部助手、学習院女子短期大学専任講師・助教授を経て、1988年東京大学教養学部助教授、その後東京大学大学院総合文化研究科教授、跡見学園女子大学教授などを歴任。東京大学名誉教授。文学博士(東京大学)。専門分野は19世紀日本の政治外交史、東アジア地域史、ナショナリズム・民主化・革命の比較史、歴史学方法論。主な著作:『明治維新とナショナリズム-幕末の外交と政治変動』(山川出版社、1997年)、『明治維新を考える』(岩波書店、2012年)、『愛国・革命・民主』(筑摩書房、2013年)など。共著に『国境を越える歴史認識-日中対話の試み』(東京大学出版会、2006年)(劉傑・楊大慶と)など多数。

 

 

2021年10月14日配信