SGRAかわらばん

  • エッセイ133:今西淳子「阪神から四川への橋渡し:留学生ネットワークによる災害看護ガイドの緊急翻訳プロジェクト」

    1.留学生ネットワーク:SGRA   それは成都からの1通のメールで始まりました。5月16日、四川大学華西病院の胡秀英さん(2006年千葉大看護学研究科より博士号を取得、SGRA会員)から届いた「殆どの時間は救急外来で頑張っています。休みの時間は災害看護の知識を翻訳しています。中国は地震医学と看護知識が遅れています。あまり時間がないし、一人の力では弱いので、助けていただければあり難いです。とりあえず、災害現場の看護師をはじめ医療職に配ると役に立つと思います」という依頼を受け、すぐに神戸の理化学研究所の武玉萍さん(2000年に千葉大学医学研究科より博士号を取得、SGRA会員)に連絡して取り纏め役を快諾していただきました。そして、SGRAおよび元渥美奨学生のメーリングリストで翻訳ボランティアを募集。同時に、胡さんから要請のあった「災害発生初期に知っておきたい知識」と「災害復旧・復興期に知っておきたい知識」の翻訳を開始。会員が所属する別のネットワークにも呼びかけていただき、ほどなく38名のボランティアが集まりました。   2.災害看護拠点:兵庫県立大学大学院看護学研究科COEプログラム   胡秀英さんがこのホームページに辿りついたのは偶然ではありません。地震の翌5月13日には日本の恩師である千葉大学の石垣和子教授にメールで災害看護と災害医学の本と資料を要求しています。教授は、直ちに資料の送付を約束し、また、兵庫県立大学のCOEプログラムが作成管理している「ユビキタス社会における災害看護拠点の形成:命を守る知識と技術の情報館~あの時を忘れないために~」( http://www.coe-cnas.jp/ )を紹介されました。胡さんは直ちに翻訳を始めましたが、休憩時間中にひとりでするには限界があり、SGRAへの呼びかけになりました。一方、兵庫県立大学の災害看護研究班では、震災直後から、従来から掲載していた中長期のケアに加えて、中国で役立つ救急看護情報も集めホームページに掲載をしていました。中国語への翻訳は始まっていたものの中国語のホームページはまだ公開されていませんでした。   3.中国語ホームページ   5月20日、SGRAの翻訳プロジェクトが軌道に乗ったので、兵庫県立大学地域ケア開発研究所の山本あい子教授に連絡し、留学生ボランティアが行った翻訳原稿をなるべく多くの方々に活用していただくために兵庫県立大学のホームページに掲載していただきたいとお願いしたところ、すぐに、「中・長期的な看護ケアに関しましては、本学のホームページがかなり役立つと考えていますので、翻訳へのご協力は本当に助かります」とのお返事をいただきました。そして、非常にタイミング良く、同日、兵庫県立大学の中国語のページが公開されました。 http://www.coe-cnas.jp/china/index.html   その後、中国語版のガイドは、どんどん追加掲載され、地震から2週間後の5月27日には、当初に計画された全ての中国語のPDFファイルが公開されています。今回の翻訳プロジェクトでは、多くの方々の積極的なご協力を得、大変短期間のうちに貢献度の高い活動を行うことができたと思います。震災直後から積極的に活動を続けられている四川大学の胡秀英さんと兵庫県立大学、千葉大学看護学部の先生方に敬意を表し、また武玉萍さんはじめ即座に翻訳ボランティアを志願してくださった方々に御礼申し上げます。   4.翻訳ボランティアの皆さん   武玉萍、阿不都許庫尓、安然、王偉、王剣宏、 王雪萍、王立彬、王珏、韓珺巧、奇錦峰、 弓莉梅、許丹、胡潔、康路、徐放、 蒋恵玲、銭丹霞、宋剛、孫軍悦、張忠澤、 張長亮、张欢欣、杜夏、包聯群、朴貞姫、 李恩竹、李鋼哲、李成日、陸躍鋒、劉煜、 梁興国、林少陽、麗華、臧俐、趙長祥、 邁麗沙、馮凱、马娇娇   5.次のプロジェクト   山本先生より「こちらの当初の予想を超えて、速いスピードで状況が変化しています。被害地域の甚大さ、被害者の数の尋常ではない多さから、今後は、日本の保健師さんのような活動が必要となってきます。つまり、避難所や仮設住宅を回り、そこで暮らす人々の健康について、生活面を含めて守っていく看護職です。中国には保健師さんはおられないとのことなので、看護師さんが保健師さんの活動ができるような教育プログラムを作成しています。その内容を中国語に変更していただくことは可能でしょうか?」というメールをいただき、継続してプロジェクトが続いています。今のところ前回ほど大規模な翻訳ではないようですが、日本語から中国語への翻訳ボランティアに興味のある方は、SGRA事務局にご連絡ください。  
  • エッセイ132:マックス・マキト「マニラレポート2008春」

    ~ 3人の VIP、3つの研究、1つのアイディア~   共同研究のため、日本の春休みを利用して4月24日から約3週間マニラに帰省した。フィリピンでは夏休みの時期である。日本から3人のVIPにきていただいたので、僕にとってはどう対応したらいいか悩んだ結構暑い夏だった。おまけに4月30日にはフィリピンのアジア太平洋大学(UA&P)と共同で重要なセミナーを開催することになっていた。来てくださったのは、マニラ入りの順番で、SGRAの今西淳子代表、マニラ都会の貧困コミュニティーについて共同研究させていただいている東大の中西徹教授、そして産業クラスターについて共同研究させていただいている名古屋大学の平川均教授である。今回の僕の交通費は中西先生の研究費からだしていただいた。    まず、4月28日の午後2時から、UA&PのExecutive Loungeで、都会の貧困問題に関する研究プロジェクトについての会議を開いた。昨年、観光クラスターとマイクロファイナンスに関するUA&P・SGRA共有型成長セミナーで発表してくださった、UA&Pの貧困問題の専門家のビエン先生とその研究チーム(4名)、中西先生と僕が参加した。都会のスラムなどに住んでいる貧困者は、地方から移住した人々が多いので、地方の発展が都会の貧困問題の解決に貢献できるという点で皆が一致していると気づいた。ビエン先生のチームから全国で展開しようとした試みを聞いた。取り組みの例として、ファーム・スクール(農場学校)と地方の3ヵ所で開催した投資サミットの紹介があった。次に、中西先生の調査先のスラムについてのデータベースを参考にしながら、貧困者が最も多くきている地方を三ヵ所特定し、これらの地方とマニラのスラムとのネットワークを更に調べてみることにした。中西先生は、すでにこのような研究も進めておられるが、UA&Pにも何らかの形で参加してもらいたい。とりあえずは、研究助成金の申請とUA&P・SGRAセミナーの開催をすることになり、提案書は中西先生と相談しながら僕が書くことになった。その夜は、UA&Pの近くにあるアメリカ人経営の「力士」という日本料理店で、ビエン先生、中西先生、平川先生、今西代表と一緒に食事をした。僕は初めてフィリピンでマグロの寿司を口にした。問題なく美味しかった。    4月29日に、平川先生と今西代表をどうしてももてなしたいというUA&Pの共同研究者のユー先生とその家族にランチをご馳走になった。ユー先生は僕と同様、平川先生のお招きで名古屋大学に短期滞在したことがあり、大変お世話になったのだ。合間を縫って翌日のセミナーの発表について平川先生と打ち合わせをした。その夜、僕の両親の企画で、3人のVIPをマキト家に招待した。母と相談しながら、東京では食べられない特別なバナナや青いパパイヤが入っている煮込み料理などのメニューになった。    4月30日午後のセミナーは、平川先生と共同で進めているフィリピンの自動車産業についての研究報告がメインテーマであった。自動車産業は地方に工場が集中しているので、地方の活性化に貢献できると期待されている。中西先生を誘ってみればお忙しいのにきてくださったし、今西代表が開会挨拶を担当したので、また賑やかに3人のVIPが合流した。おまけに大手の日系自動車企業の社長さんも来られて大変緊張した。今西代表は開会挨拶のなかで、政府でも業界でもない第三者としてより広い社会的な視野にたって独立して活動できるSGRAのようなNGO・NPOの役割を強調した。僕らの自動車産業の研究プロジェクトでは、SGRAのこのような役割を生かそうとしている。平川先生は、前回のセミナーに引き続き、フィリピンの自動車産業を他の東南アジア諸国(+中国)と比較した研究を発表した。これによってフィリピンの自動車産業の深刻な現状をより鮮明に把握できた。その後、ユー先生はフィリピン政府の国際社会との取り組みという観点から、政府の自動車開発プログラムについて発表した。休憩を挟んで僕は政策提言を会場に発表した。最後に会場を囲んで色々と議論した。政府の代表者がいなかったのは残念だったが、自動車関連各社からきていた聴講者の反応は思ったより前向きだったので、政府に対して政策提案するという次のステップに追い込まれた気がした。東京に帰るまえに、僕の恩師であるフィリピン通産省の幹部と会い、僕らの提案について相談してみた。産業界と同様、彼も早く報告書を出しなさいというので、5月末を目処に平川先生とユー先生と相談しながら提出しようと思っている。    本稿をここまでマメに読んでくださった読者は、確かにVIPは3人だが、研究分野は2つしかないと気がつかれたと思う。もう一つは前回のエッセイで述べた、僕の原点でもあるフィリピンの造船産業に他ならない。鹿島建設も関わりフィリピン大統領がみずから式典に出席して4月28日に開通したばかりの高速道路に乗って、以前米国海軍が基地として利用していたスービック経済特区まで行って、造船会社の元幹部と面会することができ、研究の可能性についていろいろとアドバイスをいただいた。フィリピン大学の機械工学部の同級生や後輩と一緒に、船舶工学の教育プログラムを立ち上げる計画を立てていることに非常に関心を示してくれた。分れる間際に「フィリピン大学でそのようなプログラムができるのを長年望んでいた」との言葉をいただいた。このことを大学の仲間たちに伝えたところ、彼らもとても勇気付けられたようである。というのも、彼らは1998年に船舶工学教育プログラムを提案したのだが、学内から支援されず、そのまま長年眠っているのである。今、もう一度起き上がるようにフィリピン大学の仲間たちと作戦を練っている。    ここで最後に残る話は一つのアイディアであるが、いうまでもなく、それはフィリピンが共有型成長をいかに実現できるかということである。都会だけではなく、地方でも発展が芽生えるように、3人のVIPをはじめ皆さんのご支援をうけながら、3つの研究をさらに進めていきたいと思う。    -------------------------- <マックス・マキト ☆ Max Maquito> SGRA運営委員、SGRA「グローバル化と日本の独自性」研究チームチーフ。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、テンプル大学ジャパン講師。  
  • 第31回SGRAフォーラム「水田から油田へ~日本のエネルギー供給、食糧安全と地域の活性化~」報告

    2008年5月10日(土)、昨日の暑さを一掃したかのような冷たい雨のなかで、東京国際フォーラムガラス棟G610会議にて第31回SGRAフォーラム「水田から油田へ:日本のエネルギー供給、食糧安全と地域の活性化」が開催された。SGRA環境・エネルギーチームにとって、久々の東京国際フォーラムでの開催でありながら、現在地方都市で大問題とされている「農業」を取り上げた。近年、世界中で叫ばれている地球温暖化温室ガスの削減、石油等のエネルギー価格の高騰、そしてそれが一因とされている食糧価格の高騰を背景に、長年不振が続いている日本の地方都市、特に農業にとって、植物から油を作るバイオマスは「水田から油田へ」転換する1つのチャンスとして捉えることができるのか、2人の講師を招き、活発な議論が行われた。    フォーラムでは、今西淳子(いまにし・じゅんこ)SGRA代表による開会の挨拶に続き、2人の講師による講演が行われた。まず東京農工大農学部准教授の東城清秀(とうじょう・せいしゅう)先生より「エネルギー、環境、農業の融合を考える―バイオマス利用とエネルギー自給・地域活性化―」という演題で、様々な植物系から廃棄物までを原料に作られているバイオマスのプロセスを紹介し、CO2を増加させないクリーンなエネルギーであることを明らかにした。さらに、自然と共生し、自然の恵みを享受してきた日本の農業の活性化をめざして、1万人の町をモデルに食料からエネルギーまで、すべて自給自足できる環境に優しい地域モデルの試算例を紹介しながら、今後のエネルギー・環境・農業の展開とバイオマス利用について考えた。    次は地方都市の中の小さな町である福岡県築上町を対象に、町の産業課資源循環係である田村啓二(たむら・けいじ)氏より「福岡県築上町の米エタノール化地域モデル:水田を油田にするための事業構想」が紹介された。田村氏は日本農業とりわけ稲作農業が、お米の消費の減退で転作率40%を越える中で危機に瀕し、全国240万haの水田のうち100万haでお米の生産が出来ないあるいは放棄されている現状を指摘したうえ、迫力のある写真と生々しい現場の話で、水田農業の衰退の一途を食い止めるための、新たな需要としてお米から燃料用のバイオエタノール化への取り込みを紹介した。お米からエタノール化の目的は、食料だけでなく飼料化、燃料化によって、お米の新たな需要と役割を水田がになうことで、減産から増産への新たな道程を確保することである。    2人の講師による講演を終え、本日のコメンテーターSGRA顧問である埼玉大学経済学部教授の外岡豊(とのおか・ゆたか)先生も交え、近年の地球温暖化問題から発した世界規模のエネルギーと食糧価格の高騰、日本農業の活性化問題など、様々な角度からバイオマス利用の是非について活発な議論が行われた。特に米国のトウモロコシ等を原料に石油代替燃料であるバイオエタノールの大量生産政策や、バイオエタノール需要拡大への期待から投機資金の穀物市場への流入は、近年の食糧価格の高騰を招き、アフリカの低所得者たちは著しい食糧不足に見舞われ暴動も引き起こし、日本でも飼料の高騰で畜産家はきわめて深刻な打撃を受けている一方、米国ではバイオエタノール向けのトウモロコシで農家は潤うという富の偏在が際だっている厳しい現実が指摘された。バイオエタノールは自動車燃料として使われているのであり、つまり「クルマ」が農産物を食べ始めたために、「人」が農産物を食べられない事態を生んでいることに警鐘をならした。    フォーラム終了後、当東京国際フォーラム地下2階にあるカフェテリアで懇親会が行われた。会場で議論しつくせなかった問題等を含めて、3時間にも及んだ活発な私的交流を経て、次の第32回SGRAフォーラム in 軽井沢「オリンピックと東アジアの平和繁栄」へバトンタッチした。   運営委員の足立さんが写した当日の写真は、下記URLよりご覧いただけます。   http://www.aisf.or.jp/sgra/photos/   -------------------------- <李 海峰(り・かいほう)☆ Li Haifeng> 中国北京出身。1991年来日、早稲田大学理工学部建築学科に入学し、学部、修士、博士課程を経て、現在、北九州市立大学国際環境工学部特任准教授・早稲田大学理工学術院客員講師、SGRA環境・エネルギーチームのサブチーフ。 --------------------------
  • エッセイ130:林 泉忠「聖火リレーと中国ナショナリズム」

    北京五輪の聖火が混乱を巻き込んだ海外でのリレーを終え、ようやく「安全地帯」の中国に入った。だが、CNNへの抗議デモ、仏系スーパー・カルフールへのボイコット、そして中韓間の罵声合戦といった動きはすぐ収まりそうもない。   3月以来、中国と欧米諸国との一連の軋轢はチベット暴動に起因するが、その中で3年ぶりに高まりを見せている中国ナショナリズムにおいて中心的な役割を果たしたのは、欧米などにおける聖火リレーをめぐる摩擦であった。チベット独立支持派の妨害、およびそれを「容認」する西側に対する中国人若者の反発という構図である。   では、聖火と中国ナショナリズムの関係をどう考えればいいのか。そしてその影響は? 聖火は五輪の象徴と関連している点が重要であろう。オリンピックにおける聖火リレーの導入は1936年に開催されたベルリンオリンピックであったが、聖火は戦後もオリンピックのシンボリックな存在として重要視されてきた。   14万ほどの亡命チベット人にとって、聖火リレーを妨害する理由は、長い間国際社会そして中国人まで届かなかった自らの訴えをアピールすると同時に、メンツを大切にする中国人を傷付ける絶好のチャンスと見ることにある。一方、北京五輪は多くの中国人にとってかつての東京とソウルのオリンピックと同様、国威の発揚にとどまらず、近代以降味わってきた民族的屈辱を晴らし尽くすには欠かせないプロセスなのである。言い換えれば、中国人から見れば、聖火リレーへの妨害は民族的自尊心の回復を妨害することを意味する。そのため、中国人の民族感情はこれで一気に爆発したのである。   ただし、今回の新たな中国ナショナリズムの高揚は国際社会から理解を得ていないようだ。これは、中国人のイメージをダウンさせてしまうばかりか、オリンピックへの影響もむしろマイナスである。CNNニュースキャスターの「失言」や西側の一部の報道の偏りへの批判には一理あるものの、仏製品の不買運動は理性的批判の枠を超えており、毎週日曜日に一か月もアメリカにおいて行われるCNN批判に対する大規模なデモは、「成熟した大国の国民に相応しくない」というイメージを与えてしまいかねない。というのは、民主主義の国において行なわれるデモは、多くの場合、自国政府の政策への不満であるが、外国への反発に向けた大規模デモは希だからである。しかも、今回の場合、自国でのデモが許されずホスト国でのデモであるだけに、民主主義の「実践」の合理性が疑われても仕方がない。さらに、チベット騒乱における暴徒の暴力行為を非難せず、むしろ中国政府の「鎮圧」と伝える西側メディアの偏向に対する批判にもダブルスタンダードが見られる。というのは、「真相の究明」のはずだが、どうも3月14日に暴動が発生する前の三日間の真相を中国人が追求しなかったからである。   チベット事件そして聖火リレーに絡んだ中国ナショナリズムの高揚に対する西側のマイナス的評価は、4月15日に発表されたイギリスのフィナンシャル・タイムズの調査結果にも反映されている。調査はイギリス、フランス、ドイツ、スペインそしてイタリア五カ国で行なわれ、その結果、35%の回答者が中国を国際社会の安定における最大の脅威とみなしており、その数字はアメリカやイランおよび北朝鮮を上回ったことが示された。   また、今年のゴールデンウイークを利用した中国への旅行者数は前年比で20%減少したという調査(JTB)もあり、北京五輪へのマイナス的な影響はすでに出ているようだ。 ナショナリズムは両刃の剣であると言われている。今回の中国ナショナリズムの波も例外ではない。 (2008年5月3日ケンブリッジより)   ---------------------------------- <林 泉忠(リム・チュワンティオン)☆ John C. T. Lim> 国際政治専攻。中国で初等教育、香港で中等教育、そして日本で高等教育を受け、東京大学大学院法学研究科より博士号を取得。琉球大学法文学部准教授。4月より、ハーバード大学客員研究員としてボストン在住。 ----------------------------------  
  • エッセイ129:キン・マウン・トウエ「初めてのサイクロン経験」

    誰でも皆、忘れられない思い出がたくさんあると思います。良いこともあるし、悪いこともあるでしょう。私の人生の中で一生忘れられない思い出ができました。2008年5月2日にヤンゴンで経験した、風速190~220キロの暴風が吹き荒れた大きなサイクロンです。ナーゲッ(Nargis)という名前がつけられました。こんなに大きなサイクロンがヤンゴンに来ることは珍しく、97歳の私の祖母にとっても初めての経験でした。   5月1日の夜11時ごろ、自宅へある軍情報局関係者から電話があり、明日ヤンゴンにサイクロンが来ると知らされました。しかし、こんなに大きなサイクロンになるとは全く考えませんでした。4月28日ごろ、ベンガル湾で小さなサイクロンが生まれました。ベンガル湾では5月は一番サイクロンが多い時期です。しかし、海中で発生してもそのまま消えていく、または、インド側へ移動していくことが普通です。ですから、今回も海中で無くなると予測していました。確かに、今年は例年と違っていて、サイクロンの影響で、ヤンゴンの雨季が少し早く始まりました。この日、ナーゲッはだんだん大きくなりながらヤンゴンの方向へ移動していたのです。時速約25キロという、かなり遅い速度で移動していました。   5月2日の午前中、ヤンゴンは曇り後雨でした。風もなく、普通の雨季の雨なので、昨日の情報が間違いだと思いました。しかし、午後になると空の色が変わってきました。いろんな方からサイクロンの情報の電話が何度もかかってきました。一方、国営テレビからもサイクロンに関する情報が流れています。しかし、ヤンゴンはそんなに影響が無いようです。ベンガル湾側のビーチにホテルを持っている友人へ電話したら、彼らのところには大きな影響がなく、被害も無いようでした。しかし、ナーゲッは、予測ルートからはずれ、ベンガル湾とアンダマン海の間、ミャンマーのハイージー島方面から、午前11時に上陸しました。風速は上陸時の約130~160キロからさらに強くなり、約200キロ前後になりました。サイクロンの半径は320キロもありました。この頃から電話が全く鳴らなくなり、正しい情報がヤンゴンに伝達されなかったため、ヤンゴンの人々は普通の小さなサイクロンだと思い、何の準備もしませんでした。国営テレビは何も報道しなかったので、サイクロンのことを知らない人も多かったのです。午後9時頃になって、やっとハイージー島の被害情報が伝わりましたが、準備をするのには遅すぎました。   午後10時半にヤンゴン市全体が停電し、風も強くなりました。速度がかなりゆっくりだったので、12時半になってから、本当に大きな暴風雨がやってきました。私は、家の中から、激しい雨と風の状況を見ていました。映画で見たり本で読んだりしたことあるような風の音が聞こえました。大きな木やココナツなどが風によって大きく揺れていました。そのうち、ガラスが割れる音や屋根が飛ばされる音が、風の音に混じって聞こえました。私も日本で台風を経験したことがありましたが、今回は、それよりはるかに強いものでした。午前3時ごろなると、風の方向があっちこっちに変わっています。サイクロンは暗い真夜中のヤンゴンの街の中心を、ゆっくり移動しています。午前4時半になると風はもっと強くなり(後で風速約190~220キロと知りました)、暗い街のあっちこっちで屋根などが大きな鳥のように飛んでいます。がんばっていた大きな木もほとんど倒されてしまいました。電線が切れ、電話回線が使えなくなりました。強い風は、午前11時ごろまで続きました。おかげさまで私の家は、風向きの反対側にあり、近くに大きな木も無かったので、大きな被害はありませんでした。   3日午後2時、やっと外へ出られる状況になったので歩いて行って見たら、ヤンゴンの街は大変でした。車はとても使えません。大きな木、電線、家の屋根など、いろいろなものが飛び散っていました。町中停電です。水道も来ない、電話回線もインターネットもダメ、このままでは、いつ回復するのかも予測できない状況で、ヤンゴンは全滅かと思いとてもがっかりしました。   サイクロンの影響を一番受けたエーヤーワデイ管区のいくつの村は、全く無くなってしまいました。水位が7メータぐらい上がりました。ハイージー島の80%は、存在しない状態です。ボカレー町の95%も壊滅的な状況です。政府の発表によれば、この台風の影響で本日(11日)までに、亡くなった方は2万8千人以上、行方不明の方は4万人以上です。実際はこの数字を上回るはずです。2004年12月にタイのプーケットに起きた津波よりももっと大きな被害です。   ヤンゴンでは、物価が上がり、特に食べ物に大きく影響しています。たとえば、以前一個100キャト(10円)だった卵が、現在300キャト(30円)です。交通機関にも影響が出ています。毎日停電です。発電機の値段も2倍ぐらい上がり、燃料費も大変です。2日後、水の配給が始まりましたが、停電はまだ続いています。ヤンゴンは、緑が多い町と言われていましたが、今は大きな木はほとんど残っていない状況です。いつになれば、元のヤンゴンのようになるでしょうか?いくつかの写真を下記URLよりご覧ください。   http://www.aisf.or.jp/sgra/photos/   私の場合、停電なってから発電機の生活でしたが、おかげさまで8日の夜から一番早く一般の電気配給が部分的に得られるようになりました。現在に至るまで、停電している地域が多いです。しかし、ヤンゴンから80キロ離れたところにある弊社が所有する100エーカーの農園は大きな被害を受けました。   ---------------------- <キン・マウン・トウエ ☆ Khin Maung Htwe> ミャンマーのマンダレー大学理学部応用物理学科を卒業後、1988年に日本へ留学、千葉大学工学部画像工学科研究生終了、東京工芸大学大学院工学研究科画像工学専攻修士、早稲田大学大学院理工学研究科物理学および応用物理学専攻博士、順天堂大学医学部眼科学科研究生終了、早稲田大学理工学部物理学および応用物理学科助手を経て、現在は、Ocean Resources Production Co., Ltd. 社長(在ヤンゴン)。SGRA会員。  
  • 第31回SGRAフォーラム「水田から油田へ:日本のエネルギー供給、食糧安全と地域の活性化」へのお誘い

      下記の通り第31回SGRAフォーラムを開催いたしますのでご案内いたします。   日時:2008年5月10日(土)午後2時30分~5時30分 その後懇親会   会場:東京国際フォーラム ガラス棟G610会議室 http://www.t-i-forum.co.jp/function/map/index.html   参加費:無料(フォーラム後の懇親会は、会員1000円・非会員3000円)   申込み・問合せ:SGRA事務局 Email: sgra.office@aisf.or.jp TEL: 03-3943-7612, FAX: 03-3943-1512   ■フォーラムの趣旨   現在、石油に代わるエネルギーとして、農地から収穫されるバイオエタノールに世界中の熱い視線が集まっています。バイオエタノールは、サトウキビや穀物などの農産物をアルコール発酵させて製造します。また、木材や農産物の茎葉などに含まれるセルロースを原料にする方法も研究されています。石油などの化石燃料と異なって永続的な生産が可能であり、CO2を増加させないクリーンなエネルギーです。   一方、日本では、コメ余りによる生産調整で、水田の約4割が転作を強いられています。多くの農山村では高齢化が進み、集落の維持すら困難になってきたところもあります。もし、バイオエタノール用のコメ栽培という仕事ができれば、年々増える農地の荒廃を防ぐとともに、稲作技術の伝承を図ることができ、村に人が残ります。崩壊寸前の地域の暮らしから、国のありよう、地球規模での環境問題にまでつながるバイオエタノールですが、それですべてが解決されるわけではありません。世界60億人のうち、飢餓人口が8億人いる時代に、食料を燃料として使うことの是非や、エネルギーの大量消費に支えられたライフスタイルの見直しなど、世界横断で論議すべき課題がたくさん含まれています。   農林水産省は大規模製造プラントのモデル事業を公募し、昨年6月初旬に、福岡県築上町など6地区の中から候補地を選びました。これから本格生産への一歩を踏み出す運びですが、構想実現までには数多くの壁があります。   本フォーラムは福岡県築上町の米エタノール化地域モデル-水田を油田にするための事業構想を紹介しながら、エネルギー、環境、農業の融合を考えます。   ■プログラム   詳細は下記URLをご覧ください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/schedule/forum31program.doc   ○基調講演:東城 清秀(東京農工大農学部 准教授) 「エネルギー、環境、農業の融合を考える:バイオマス利用とエネルギー自給・地域活性化」   ○事例報告:田村 啓二(福岡県築上町産業課資源循環係) 「福岡県築上町の米エタノール化地域モデル:水田を油田にするための事業構想」   ○パネルディスカッション   司会:高 偉俊(北九州市立大学国際環境工学部教授、SGRA研究員) コメンテーター:外岡 豊(埼玉大学経済学部教授、SGRA顧問) パネリスト:上記講演者    
  •  

    ■李 鋼哲「SGRAの皆さんへ」   今度の聖火リレーを巡る中国の動き、海外中国人の動き、海外メディアの反応、海外市民の反応を見て、自分なりのスタンスを考えていたが、私にとっては複雑な問題であり、どちらが正しくどちらが間違っているか、という次元ではなかなか答えを見出せなかった。それが、日本の長野聖火リレー、韓国ソウルでの聖火リレーを巡るいろいろの動きを観察することで、一つ自分なりの結論を見出すことができた。   1)北京五輪は全世界のオリンピック大会であり、中国の五輪ではないことを認識すべきである。   国際オリンピック大会を催す場所として北京が選ばれたのであり、聖火リレーは世界の人々の心を、五輪を通じてつなぐという立派な催しである。それがパリであっても、長野であっても、ソウルであっても、中国人のための物ではないということである。それに反対する、または人権問題を理由で妨害する行動やマスメディアの報道も基本的な視点を欠いていると思わざるを得ない。同じような視点で考えると、聖火リレーを守るために、中国政府が警察学校の生徒まで派遣する仕草には問題があり、海外にいる中国人たちが(留学生が主体?)聖火リレーを守るために活動をしているのも問題がある。つまり、海外で聖火リレーを行う国では聖火を守ることができないの で、中国人が立ち上がったという、二極対立の構図を世界各国でメディアを通じて造り上げたようなことではないか。   私が所属する北陸大学や金沢大学からも100名以上の学生がバスをチャーターして長野に行ってきた。彼らは自発的に動いたのではなく、東京に本部がある中国人留学生総会の呼びかけで動いたのである。誰が呼びかけたかはさておいて、問題は、彼らは何のために呼びかけ、何のために行ったのかである。基本的な意識は「聖火」を護るということである。私は組織者代表たちとお会いしたとき、このように助言した。「貴方たちが聖火を守るために長野に行くという認識は正しくない。なぜなら聖火は世界人民の聖火であり中国のものではないからだ。仮にそれに反対したり、破壊したりする人がいても、それを護るのは日本政府(警察)であり、日本国民である。聖火リレーに参加するランナーも全員日本人である。貴方たちが取るべき態度は聖火を声援することにつきる」。組織者の代表は熱心にノートし肯いていた。聖火リレーを応援に行く留学生たちの安全のための事前会合であったが、皆さんが無事で帰ってきて、ほっとした。   今度の聖火リレーでは、それが世界人民のためのフェスティバルであるという意義に対する認識とPRが不足したために、結果的には、中国と国際社会の溝や対立を深める始末になったのである。もしこの催しが失敗だとしたら、その失政は国際オリンピック委員会の失政であり、中国オリンピック委員会の失政である。また、それを企画した中国政府も誤算だったかも知れない。逆の効果が大きかったからだ。もちろん、それをもたらしたきっかけはチベット暴動であるに違いない。   もし、人々が地球市民という意識が多少あるならば、このような事態は起こらなかったかも知れない。SGRAの役割がますます重要になってくると思われる。   2)聖火リレーとチベット問題は分けて見るべきである。   聖火リレーの妨害事件が起こったきっかけは紛れもなくチベット暴動であり、その背景には中国の台頭に対する「脅威論」が潜んでいることも想像に難くない。中国が人権問題、民族問題を抱えているのは否定しがたいが、だからといって、世界人民の平和祭典の一つであるオリンピック行事を妨害したり、破壊したりすることは、非難されるべき行為であり、違法行為をしたものは法律により厳罰を受けるべきである。もし、中国の人権問題、民族問題に対して抗議するのであれば、手段と機会は別にいくらでもある。オリンピック聖火を破壊、妨害しようとする行為は、理性的な行動であると思われないし、世界平和に対する冒涜であるとしか思えない。   チベット人の人権のために行ったと理屈を言うかも知れないが、その人たちがチベット問題に対してどれくらいの知識と理解があるのか。長野で逮捕された数人は、本当にチベットのことを理解して、人生を賭けてチベット人のために戦う覚悟がある人たちであるのか。到底そうは思えない。感情に訴えて、ストレス解消のために暴れる「ちんぴら」にしか思えない。なぜかというと、チベット人の参加者は誰もそのような違法行動に訴えなかったこととは対照的であるからだ。   3)チベット問題は客観的な視点で見るべきである。   チベット問題は、中国にとって敏感な問題であり、「チベット独立」となると絶対容認できない領土主権問題である。しかし、中国政府や中国民衆のチベット問題に対する態度は硬直的で、感情的(ナショナリズム的)なものであり、対外的に説得力が乏しいものであると思われる。最近、「人民日報」(海外版)にはチベットが歴史的に中国であったという論文が連載されているが、歴史的事実を述べた部分もあるが、それはあくまでも前提が「チベットは中国の領土である」というもので、論理的・客観的な結論とは到底思えない。もちろん、私は現在「チベットの独立」を支持するという意味ではない。ましてや亡命政府のダライラマも「独立を望んでいるのではなく、高度の自治を望んでいる」というのに。私が言いたいのは、歴史真実を隠そうとすることは世界から中国不信感を招くだけということだ。   中国政府が「チベットは中国の領土」という理由は二つある。一つは、歴史的に中国とチベットは冊封関係があったこと、もう一つは、中国共産党はチベットを奴隷社会から解放してチベット人に幸福を与えたということである。ところが、私が調べたところ、チベットは歴史的にずっと中国の一部であったということは事実とは大きくかけ離れている。中国がチベットを支配したのは清朝の時からであり、中華民国の国民党政権の時は支配が及んでいなかった。だからこそ、共産党中国は解放軍をチベットに派遣して支配を確立する必要があったのである。   もう一つの「チベットを奴隷社会から解放したから、チベット人は感謝している」というような中国人の主張は、外国の侵略や支配を受けた経験のある中国人としては、冷静に考えて言うべきものであろう。旧満州地域が日本に支配されて近代的な産業やインフラが発達したからといって、それが良かったというのは日本の右翼である。イギリスが香港を占領支配して、貧しい香港から豊かな香港を造ったから、イギリスに感謝しろと中国人に言ったら、誰もが、それは植民地支配であり、香港は奪還すべきものであったと思うのではないか。社会や経済が以前より発展したとしても、一つの民族が他の民族に支配されるような構造は、支配される民族側から見ると不公平であり、受け入れ難いことである。中国人(漢民族)は懐が深いから、チベット民族を含む中国の少数民族のそうした気持ちを理解すべきであり、その上でもっと合理的な政策や制度を考案する努力を注ぐべきである。イラクが独裁国家だからアメリカが軍隊を派遣して独裁から解放し、民主主義国家で豊かな国家を作ったとしても、イラク人の多数は快く思わないだろう。それに対して中国人はどう見ているだろうか。言うまでもなく、アメリカの覇権主義・帝国主義だと思うに違いない。「チベットは中国の領土である」というネティズン世論のほとんどが感情論であり、チベットの歴史を客観的な知識として知ろうとするものではないことが、林泉忠先生のブログ(註)に対するコメントからもよくわかる。   チベット問題がたびたび起こり(1989年にも暴動が起こっている)、国際的な関心を呼んでいるのは、中国の民族政策に問題があるからではないか。今度の事件をきっかけに、中国は民族問題や民族政策を根本から考え直す必要があるのではないか。武力と多数の論理で、中国の多民族国家の永久の安定を保つことは、恐らく長続きできないだろう。今の時点で、中国人皆さんに、客観的で冷静な観点でチベット問題を見るべきだと言っても、現実的には無理であり、誰も受け入れようとしないだろう。   だからこそ地球市民を目指すSGRAの皆さんに、自分の考えを伝えるのは価値があると思い、以上短見を述べた次第である。   (註)SGRA研究員の林泉忠さんのブログが下記よりご覧いただけます。(SGRA事務局) http://blog.ifeng.com/1305287.html     ■(匿名投稿)   観客が聖火走者を見ることができないような聖火リレーなら止めたほうがいい。 私の提案:国立競技場のような大きな競技場で、走者一人ずつ1周廻る聖火リレーにすれば、観客は全部の走者を観ることができる。ウエアもお揃いのではなく、自身のウエアのほうがいい。お金もかからない。     ■(匿名投稿)   SGRAの「聖火リレーは続けるべきでしょうか」を拝読させていただきました。私の感想を少し書かせていただきます。   中国人として、今回の聖火リレー妨害活動は心が痛みます。我々のような海外にいる中国人は、外国の文化や考え方をよく理解できるので、母国を擁護する一方、外国人の立場にも立って、もっと中国の難しさを理解してもらう責任があるではないでしょうか。   今の中国は、農村と都市部の経済格差、教育格差等の様々な問題を抱えています。これから経済成長とともに、民主化を進めていく過程で、現状ではどうしても中央集権でないと解決できない問題が山ほどあります。かつて日本の高度成長期も同じような難問を抱えながら、現在の経済大国まで成長したのと同じように、現在の中国も大変難しい時代に差し掛かっています。   今回の聖火リレー問題は、民主化が進んでいる欧米先進国からみれば、中国国内における民主化(特に報道の自由化)が進まない限り、外部の人々(一部の中国人も含む)は聖火リレーを妨害するような極端な手段をとるしかないと考えているのかもしれません。   21世紀に入って、中国やイスラムの台頭に伴い、アメリカやヨーロッパを中心とする大国が大きな脅威を感じているかもしれません。イラク戦争など、まさに文化と文明の衝突の時代に突入しています。文明の衝突だからこそ、対話によって相互の利害関係を緩和・解決する努力がもっと必要であると思います。そういう意味で、SGRAの活動はすばらしいと思います。   2008年4月29日の日本経済新聞に「中国のナショナリズム台頭:欧米メディアが分析、知識層にも猛烈に拡大」という記事が掲載されました。私は健全なナショナリズムが必要だし、それこそ中国の民主化を推進させる原動力であると考えています。
  • エッセイ#128:太田美行「世界のセンターと世界の田舎者」

    葉 文昌様   SGRAかわらばん154号「差別化問題とグローバル化」を大変興味深く拝読しました。 日本のように人的資源以外なく、国土的にも小さな国がグローバル時代にどう生きるか考える上で、国際学会の話は示唆に富んでいますね。   しかし、「世界のセンター」は今の時代、本当に存在しているのでしょうか?また必要なのでしょうか?7年くらい前になりますが、「米国のホワイトハウスで政策立案に携わっている」という20代の女性と話す機会がありました。その時、「米国は世界の警察としての役割を担ってきたが、911事件以来それが揺らいでいる」と言われ、「そんなことを考えているのはアメリカくらいだ」と思い、そんなことを無邪気に信じている政策担当者に腰が抜けるほど驚きました。自分の周囲のことしか知らない人のことを「田舎者」と評することがありますが、その時は正直、「なんて田舎者的発想なのだろう」と思いました。アメリカだけが自分を世界のセンターと考えているのでは?(その人が少数派であることを祈ります。)   では逆に「世界の田舎者」は存在するのでしょうか。ここ数週間私が抱いている疑問です。   日本に関して言えば、今の日本は「世界の田舎者」になりつつあるのではないかと心配しています。その理由は第一に発信力が弱いこと、第二に日本以外の他者を知ることへの探究心が弱まっているような印象を最近受けるからです。   一つ目の発信力に関する要素の大部分は、英語力の弱さにあると思います。日本の公立の小中学校における英語教育のあり方には目を覆いたくなるものがあります。もちろん「英語力=グローバル(ビジネス力)」ではありませんが、国際社会で共通語ができないために効果的な主張ができにくいことは確かです。そして企画力やアピール力の弱さも挙げられるでしょう。昨年シンガポールに旅行しましたが、その際、韓国観光局によるCMの多さに驚きました。日本でも良く知られた俳優を起用したCMを放送したり、伝統だけでなくエネルギッシュな韓国の「今」を紹介するCMなど大変よくできていました。恐らくテレビの放送枠を買い取って放映しているのでしょう。   二つ目の問題に関しては、日本人に限った問題ではなく、そして外国だけでなく自国内の問題への無関心という点で日本以外の他国の人々も同様かもしれません。以前、日本に留学していた裕福なフィリピン人学生が、スモーキーマウンテン等に象徴されるフィリピン内の貧しい人々の状況を、日本のメディアを通して初めて知ったということがありました。彼女は裕福な家庭出身のため、自国内で貧しい人たちと接点がなく、知らなかったのです。そしてその貧しい人たちに外国人が支援をしているという実態を知り、「自分も帰国したら、彼らのために何かボランティアをしたい」と話していたそうです。   もうひとつの例としては、私が日本語教師をしていた時、中国人学生同士でも民族が異なると、互いに全く話をしないということがありました。教科書を忘れたある中国籍の少数民族の学生に、漢族の生徒の教科書を見せてもらうよう指示したところ、お互い話もしないし(授業中なのに)すぐに自分の席に戻ってしまうのです。教師の間ではよく知られていることらしいですが、新米教師だった私には大変ショックな出来事でした。日本に住む日本人だけでなく、世界中どこでも、多数派は往々にして自己中心的になりがちなのかもしれませんね。日本に留学していたウイグル族の留学生が帰国してみたら、いつの間にか漢族の町ができていて、膨大な数の漢族が移住してきていて、自分たちの文化が消されてしまうのではないかとショックを受けていたこともありました。   やや話が逸れてしまいましたが、「世界の田舎者とは自分と自分の周囲のことしか見ない人」と考えられないでしょうか。では「世界のセンター」とは何なのでしょうか。経済力、政治力、そして豊富な資源や文化的な影響力・・・。思いつくままに国力の要因と考えられるものを挙げてみましたが、これだけではないでしょう。しかし本当に今でも「世界のセンター」は必要とされているのでしょうか?交通機関の発達、留学生や移住者の増加、そして何よりインターネットの登場により、個々の発信力が強まった現在において必要なのは、「もっと違うこと」ではないでしょうか。   自国の情報源だけでなく、各国メディアを通して自国がどのように報道されているか、そして自分は本当に自分の国のことを知っているのか、「国は」でなく、「自分は」何を知りたくて、何をすべきなのか。それらを複数のメディアを通して、それらの意図やフィルターを考えた上で自分のすべきことをすることが必要なのではないでしょうか。   「国単位」だけでなく、「メディア」単位でも意図やフィルターはあります。日本のテレビ局や新聞社もそれぞれ主張や傾向があります。A社のトップニュースがB社では全く扱われないということもありますし、ある有名な海外政治家の発言が新聞社の主張に合わせた形に編集されて報道されたこともあります。そうなると各メディアの比較検討が個人レベルでも必要となってくるでしょうし、現在の技術はそれを容易にしていると思います。   私が大学に入学した時、国際関係論の教授は学生にイギリスの経済紙「FINANCIAL TIMES」を必ず読むように指導し、それに合わせた課題も出しました。なぜ「HERALD TRIBUNE」や「THE WALL STREET JOURNAL」でないのかと学生が質問すると、「日本ではアメリカの情報を簡単に入手できます。しかし世界はアメリカだけではありません。その複数の視点を養うためにイギリスの経済紙を選んだのです。本当はフランスの「LE MONDE」が良いのですが、フランス語を読みこなせる人はあまりいないと思うので」と答えられました。そして学部付属の図書館には「FAR EASTERN ECONOMIC REVIEW」を初めとするアジアの雑誌も揃えられました。身近にそうした環境が整えられていたことは大変ありがたかったものです。   更に重要なのは、それらから得た知識を分かち合い、議論することではないでしょうか。気に入らないサイトに対するサイト攻撃などがありますが、そのような独りよがりになることなく、互いに議論する。まどろっこしく、牛歩にも似た動きのようですが、それこそが長い目で見ると、大きな力になると信じます。国家というのは常に自国の利益を優先する存在です。もし真の他者理解や交流を図るのであるならば、私たちは常に「私」という「個」に戻る必要があるでしょう。私が大学院生であった頃、チベット仏教を研究している学生が授業で研究発表をし、その後皆で議論をしました。その時ただ一人いた中国人学生は、自分が「クラスに一人の中国人」という立場であるためか、「中国政府擁護」に終始し、その場にいた学生は誰も中国人である彼女個人を非難していたわけではなかったのですが、結局議論は噛み合わないまま終わってしまいました。外国で自国の批判をされて気持ち良いはずがありませんが、問題は彼女がチベット問題を何も知らないまま政府擁護をしてしまったことにあるように思いました。   今回のオリンピックの聖火リレーで中国人留学生や中国系住民が祖国の聖火リレーを応援する気持ちはとても自然なものだと思います。しかしオーストラリアで行われたリレーで見たある映像には正直がっかりし、悲しくなりました。それはテレビのインタビュアーがチベット系住民にインタビューをしようとしたところ、中国人留学生たちが中国旗で画面を埋め尽くし、「One China!」の連呼でインタビューを打ち切ってしまった出来事です。その光景は正に、数に物を言わせた暴力として私の目には映りました。もしあの場に限らず、中国人留学生たちとチベット系住民の間で議論(対話)が生まれたらとても良かったのですが。   チベット問題に限らず、議論の結論が簡単につくとは思いません。もしかしたら結論がつかない議論を死ぬまで続けることになるのかもしれません。しかし「話し合う」、その事にこそ意味があり、互いに学べるのではないでしょうか。その意味で、「世界のセンター」ではなく、知の発信地が世界のあらゆる所にあり、議論(対話)が無数にあることを願ってやみません。私たちの時代にはもしかしたら何も解決しないかもしれませんが、長い人類の歴史の中で少しでもそうした動きが進歩のステップになれば、それで良いのではないでしょうか?   --------------------------- <太田美行☆おおた・みゆき> 1973年東京都出身。中央大学大学院 総合政策研究課程修士課程修了。シンクタンク、日本語教育、流通業を経て現在都内にある経営・事業戦略コンサルティング会社に勤務。著作に「多文化社会に向けたハードとソフトの動き」桂木隆夫(編)『ことばと共生』第8章(三元社)2003年。 ---------------------------  
  • SGRAからの質問:聖火リレーは続けるべきでしょうか(1)

    SGRAから、購読者の皆さんに質問しました。 「聖火リレーは続けるべきでしょうか」   ■ 聖火リレー問題について意見を申し上げます。 チベット問題について一定の理解があるものの、今回のように聖火リレーを妨害することは下作だというしかありません。もともと聖火リレーは国際オリンピック委員会によるものであり、聖火は世界の平和を象徴するもので、聖火等を奪うようなテロ行為は本来なら世界が許すものではありません。ダライ・ラマ氏が言うように、暴力等をふるって問題を解決するものではありません。オリンピックを自分たちの政治に利用するのも卑怯です。中国政府に問題があるとしても、世界が望む四年に一度の平和の象徴のオリンピックを侮辱するのは決して許せるものではありません。平和的にオリンピックを行われることを祈っています。今回のような事件は、チベット問題を解決するのに何も役に立つことがないと思います。聖火リレーを妨害するのは得策ではないです。   ■フランスで車椅子のランナーの手から聖火を奪う場面を見て、本当に驚きました。自由の国のフランスで、不自由な方にこのような恐怖を与えるのはわれわれ普通の人から見れば不思議でならないです。地球市民って難しいですね。いろいろな国々があって、それぞれの立場・利益からものの見方が変わってきます。日本のメディアも中国への非難一色で、聖火リレーを妨害する過激な行動が民主的ではないことは誰も批判しませんね。ま、どっちもどっちでよくわかりません   ■私は縮小、或いはやめた方がいいと思います。本来の目的は達成しませんので、聖火リレーを続ける意味はないと考えます。   ■今回の聖火リレーについては、本当にいろいろと考えさせられました。中国国内では、ナショナリスティックな意見も少なくないですが、マスコミは意外と冷静でした。リレーのトラブルに関する報道は規制されているせいか、衝撃な映像などはあまり流されていないです。   それに関連して、日本の報道ぶりに驚きました。上海の自宅で日本のNHKのニュースが見られるので、 聖火リレーの様子をキャッチできますが、昨日は衝撃を受けました。NHKの報道によると、インドネシアでの聖火リレーは中国政府の要請で専ら現地の運動場の中で行われたということでしたが、その直後、中国国内のニュースをみると、リレーは明らかに街の中でも行われている映像が流されていたのです。NHKも欧米のメディアと同じく、過大報道、中立でない報道、意図的な報道などといった問題を抱えているといわざるを得ないです。   チベットで起きた暴動事件などについても、真実はまだ見えないですが、マスコミの報道を単純に信じるのは危ないと強く感じました。中国政府を代弁するつもりはまったくないですが、今回の聖火リレー事件を通じて、中国国民が欧米諸国を見る目が変わったと思います。   日本での聖火リレーはどうなるか、注目したいです。   ■北京に行ってきました。海外のテレビで流れている聖火リレーとそれをめぐる数々の騒動、およびそれによって出来上がっている北京五輪のイメージと、北京空港や北京街頭で体感した北京五輪の雰囲気とはだいぶ異なるような気がします。もちろん、私は今北京に住んでいないし、あくまでもこの4日間だけの滞在でしたので、私の「体感」もある意味ではこの4日間だけの私個人の感覚に過ぎないと思います。   しかし、昔に比べるとさわやかな緑(昔なら埃を被った緑)がずいぶん増えたなあとまず感心しました。まっすぐで大きい道路や立派な建物、そしてあの広々した開放感のある空間作り(それは昔もそうだったが、今はより広く感じられます)に癒されました。そして何よりも接してきた人々のあの親切さ、ホテルの人、タクシーの運転手、空港のスタッフ。みんな自然に笑顔があって心のゆとりを感じました。「ずいぶん変わったなあ」と感心しました。   海外のメディアはやはり海外のメディアらしく、彼らの意図や想像によって情報を取捨選択して流していると思います。もちろん、中国のメディアもそれなりの取捨選択で報道していると思いますが、しかしCNNの報道や、時には日本の民放の報道ぶりをみていると、彼らに中国のメディアを批判する権利はないなぁと思います。やり方はよりソフトに見えるかもしれませんが、情報操作とは言わなくても先入観があまりにも甚だしい。   私は普通の北京の人々が自然に笑顔で優しく接してくれるのが何よりも嬉しく思いました。もちろん中国にはまだ人権問題や環境問題など数多くの問題があります。程度の差はあるが、それはパリでも東京でもあると思います。しかし、中国人にも、北京オリンピックも含めて世界の人々と交流を深める中、自然な笑顔が溢れる「幸せ」を追求する権利はあります。そして北京で確実にそれが見えてきたのが何よりも嬉しいです。   海外のメディアは“洗練”されているかもしれませんが、その“洗練”の下には「アジア蔑視」「偏った先入観」が隠されているときもあります。“洗練”したカッコウをした「行き過ぎ報道」より、私にはタクシーの運転手や空港の若いスタッフ等の素朴な北京の人々のほうが正直で良いと思いました。  
  • エッセイ127:徐 景淑「文化は力‐茶の湯」

    日本には他国にはない文化がある。それは茶の湯という飲茶の儀式とそこから生まれた侘び寂びの美意識である。茶の湯は分かっても、「侘び寂び」という言葉の意味については理解に困る。   私のような外国人には当然のことで、日本人でさえよく分かっていない気がする。私は正式にお茶を習ったことはない。研究対象が茶道具であるから茶道に興味がある程度であるが、「侘び」と「寂び」については今もたくさん考えさせられる。   鎌倉時代に中国から禅宗の飲茶法が導入されてから千利休(せんのりきゅう)の生きた安土・桃山の時代まで、美意識は、豪華で耽美的なものであったが、その反面、単純美を否定し、時を経て傷んだわびしい状態の美を肯定する精神的な美意識もあった。「侘び」とは広辞苑によると「①わぶること。わびしいこと。思いわずらうこと。②閑居を楽しむこと。また、その所。③閑寂な風趣。茶道・俳句などでいう。さび」とある。この説明では「侘び寂び」が何の意味かますます分からなくなる。基本的に「侘び」とは侘しい(わびしい)「寂び」とは寂しい(さびしい)という意味で捉えられる。   「寂び」は「錆び」とも書き、時間の流れによって古くなる様子、それが完全な美しさに到達していない、ある趣の美である。これには村田珠光の「草庵の茶」という新しい試みがあり、茶道具を通して形象化されたのである。草庵の茶とは四畳半という狭い空間で、飾り付けも少なくし、道具も歪みや不正形の、完全には物足りない道具で茶を点じることである。その後、紹鴎が踏襲し、ついにその弟子千利休が侘び茶を大成したのである。完全たる形、概念、日常、常識を超えて、あえて汚す、歪む、散らす美である。   それでは、日本でなぜ侘び・寂びの美意識が生まれたのか。武士政権が主導する日本とは違って王権政治をした朝鮮半島の例をみるといい。ごく簡単にいうと、政治面で日本は藩間の戦争が耐えることなく続いていたのに比べ、朝鮮は中央集権体制のもとで国内での戦いがなく、両班(文班と武班の貴族)のうち、文班(文臣)が権力を握るときが多かった。宗教面では、日本が華麗な仏教を中心にしたのに比べ、朝鮮時代は質素な儒教を支持していた。朝鮮でも飲茶の風習は古代からある。先祖に祭る祭祀を「茶禮」といい飲茶の痕跡は度々見られるが、茶室という特定の場所を設けてはいない。戦争のない平和な時代に茶室などは必要なかっただろう。   日本の場合は、江戸時代に入るまでは緊張を緩めることができない時代であった。俗世から離れて安らぎを求めるため、時には敵同士で非武装して向き合うため、ある時は仲間との親交の場として四畳半の空間はとても適したと思われる。生きるか死ぬか、勝つか負けるかの厳しい現実で、失敗は許されなく、全て完璧さが求められたに違いない。その現実において、四畳半の窮屈な茶室で完全とはいえない茶碗でお茶を飲む。これこそ究極の安らぎの空間であり、自分を見極める瞬間であっただろう。そして、こういう時代であったからこそ生じた茶の湯の文化、侘び寂びではないかと思われる。   茶の湯は今の日本を豊かにしたといっても過言ではない。茶の湯が残した数多くの美術品は人々の心を豊かにし、それを求めて各地を巡った商人の活動は日本が経済大国になる基礎になったのではないかと考える。文化は力なり。茶の湯は日本の大きな力となった大事な文化であるといえよう。   -------------------- <徐 景淑 (ソ・キョンスク) ☆ Seo Kyoung Sook> 韓国釜山の東亜大学芸術学部工芸学科(陶磁工芸専攻)卒。現在、慶応義塾大学大学院文学研究科(美学美術史学専攻)博士課程で高麗茶碗の研究をしている。SGRA会員。 -------------------- *このエッセイは、2006年度渥美国際交流奨学財団年報に投稿していただいたものを、筆者の許可を得て再掲載しました。