SGRAかわらばん

エッセイ132:マックス・マキト「マニラレポート2008春」

~ 3人の VIP、3つの研究、1つのアイディア~

 

共同研究のため、日本の春休みを利用して4月24日から約3週間マニラに帰省した。フィリピンでは夏休みの時期である。日本から3人のVIPにきていただいたので、僕にとってはどう対応したらいいか悩んだ結構暑い夏だった。おまけに4月30日にはフィリピンのアジア太平洋大学(UA&P)と共同で重要なセミナーを開催することになっていた。来てくださったのは、マニラ入りの順番で、SGRAの今西淳子代表、マニラ都会の貧困コミュニティーについて共同研究させていただいている東大の中西徹教授、そして産業クラスターについて共同研究させていただいている名古屋大学の平川均教授である。今回の僕の交通費は中西先生の研究費からだしていただいた。

 

 
まず、4月28日の午後2時から、UA&PのExecutive Loungeで、都会の貧困問題に関する研究プロジェクトについての会議を開いた。昨年、観光クラスターとマイクロファイナンスに関するUA&P・SGRA共有型成長セミナーで発表してくださった、UA&Pの貧困問題の専門家のビエン先生とその研究チーム(4名)、中西先生と僕が参加した。都会のスラムなどに住んでいる貧困者は、地方から移住した人々が多いので、地方の発展が都会の貧困問題の解決に貢献できるという点で皆が一致していると気づいた。ビエン先生のチームから全国で展開しようとした試みを聞いた。取り組みの例として、ファーム・スクール(農場学校)と地方の3ヵ所で開催した投資サミットの紹介があった。次に、中西先生の調査先のスラムについてのデータベースを参考にしながら、貧困者が最も多くきている地方を三ヵ所特定し、これらの地方とマニラのスラムとのネットワークを更に調べてみることにした。中西先生は、すでにこのような研究も進めておられるが、UA&Pにも何らかの形で参加してもらいたい。とりあえずは、研究助成金の申請とUA&P・SGRAセミナーの開催をすることになり、提案書は中西先生と相談しながら僕が書くことになった。その夜は、UA&Pの近くにあるアメリカ人経営の「力士」という日本料理店で、ビエン先生、中西先生、平川先生、今西代表と一緒に食事をした。僕は初めてフィリピンでマグロの寿司を口にした。問題なく美味しかった。

 

 
4月29日に、平川先生と今西代表をどうしてももてなしたいというUA&Pの共同研究者のユー先生とその家族にランチをご馳走になった。ユー先生は僕と同様、平川先生のお招きで名古屋大学に短期滞在したことがあり、大変お世話になったのだ。合間を縫って翌日のセミナーの発表について平川先生と打ち合わせをした。その夜、僕の両親の企画で、3人のVIPをマキト家に招待した。母と相談しながら、東京では食べられない特別なバナナや青いパパイヤが入っている煮込み料理などのメニューになった。

 

 
4月30日午後のセミナーは、平川先生と共同で進めているフィリピンの自動車産業についての研究報告がメインテーマであった。自動車産業は地方に工場が集中しているので、地方の活性化に貢献できると期待されている。中西先生を誘ってみればお忙しいのにきてくださったし、今西代表が開会挨拶を担当したので、また賑やかに3人のVIPが合流した。おまけに大手の日系自動車企業の社長さんも来られて大変緊張した。今西代表は開会挨拶のなかで、政府でも業界でもない第三者としてより広い社会的な視野にたって独立して活動できるSGRAのようなNGO・NPOの役割を強調した。僕らの自動車産業の研究プロジェクトでは、SGRAのこのような役割を生かそうとしている。平川先生は、前回のセミナーに引き続き、フィリピンの自動車産業を他の東南アジア諸国(+中国)と比較した研究を発表した。これによってフィリピンの自動車産業の深刻な現状をより鮮明に把握できた。その後、ユー先生はフィリピン政府の国際社会との取り組みという観点から、政府の自動車開発プログラムについて発表した。休憩を挟んで僕は政策提言を会場に発表した。最後に会場を囲んで色々と議論した。政府の代表者がいなかったのは残念だったが、自動車関連各社からきていた聴講者の反応は思ったより前向きだったので、政府に対して政策提案するという次のステップに追い込まれた気がした。東京に帰るまえに、僕の恩師であるフィリピン通産省の幹部と会い、僕らの提案について相談してみた。産業界と同様、彼も早く報告書を出しなさいというので、5月末を目処に平川先生とユー先生と相談しながら提出しようと思っている。

 

 
本稿をここまでマメに読んでくださった読者は、確かにVIPは3人だが、研究分野は2つしかないと気がつかれたと思う。もう一つは前回のエッセイで述べた、僕の原点でもあるフィリピンの造船産業に他ならない。鹿島建設も関わりフィリピン大統領がみずから式典に出席して4月28日に開通したばかりの高速道路に乗って、以前米国海軍が基地として利用していたスービック経済特区まで行って、造船会社の元幹部と面会することができ、研究の可能性についていろいろとアドバイスをいただいた。フィリピン大学の機械工学部の同級生や後輩と一緒に、船舶工学の教育プログラムを立ち上げる計画を立てていることに非常に関心を示してくれた。分れる間際に「フィリピン大学でそのようなプログラムができるのを長年望んでいた」との言葉をいただいた。このことを大学の仲間たちに伝えたところ、彼らもとても勇気付けられたようである。というのも、彼らは1998年に船舶工学教育プログラムを提案したのだが、学内から支援されず、そのまま長年眠っているのである。今、もう一度起き上がるようにフィリピン大学の仲間たちと作戦を練っている。

 

 
ここで最後に残る話は一つのアイディアであるが、いうまでもなく、それはフィリピンが共有型成長をいかに実現できるかということである。都会だけではなく、地方でも発展が芽生えるように、3人のVIPをはじめ皆さんのご支援をうけながら、3つの研究をさらに進めていきたいと思う。

 

 
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<マックス・マキト ☆ Max Maquito>
SGRA運営委員、SGRA「グローバル化と日本の独自性」研究チームチーフ。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、テンプル大学ジャパン講師。