アジア未来会議

  • レポート第79号「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」

    SGRAレポート第79号     (中国語版)     (韓国語版) SGRAレポート第79号(表紙)      (中国語版)       (韓国語版)   第52回SGRAフォーラム 「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」 2017年6月9日刊行   <もくじ> <第一部>   【問題提起】「なぜ『国史たちの対話』が必要なのか-『国史』と『歴史』の間-」 劉 傑(早稲田大学社会科学総合学術院教授)   【報 告1】「韓国の国史(研究/教科書)において語られる東アジア」 趙 珖(ソウル特別市歴史編纂委員会委員長/高麗大学校名誉教授)   【報 告2】「中国の国史(研究/教科書)において語られる東アジア-13世紀以降東アジアにおける三つの歴史事件を例に」 葛 兆光(復旦大学文史研究院教授)   【報  告3】「日本の国史(研究/教科書)におけて語られる東アジア」 三谷 博  (跡見学園女子大学教授)   <第二部> 討 論 【討 論1】「国民国家と近代東アジア」 八百啓介 (北九州市立大学教授)   【討 論2】「歴史認識と個別実証の関係-『蕃国接詔図」を例に-」 橋本 雄 (北海道大学大学院文学研究科准教授)   【討 論3】「中国の教科書に書かれた日本-教育の『革命史観』から『文明史観』への転換-」 松田麻美子 (早稲田大学)   【討  論4】「東アジアの歴史を正しく認識するために」 徐 静波  (復旦大学教授)   【討  論4】「『国史たちの対話』の進展のための提言」 鄭 淳一 (高麗大学助教授)   【討  論4】「国史における用語統一と目標設定」 金 キョンテ (高麗大学校人文力量強化事業団研究教授)   円卓会議・ディスカッション モデレーター:南 基正(ソウル大学日本研究所副教授)、討論者:上記発表者ほか    
  • 第4回アジア未来会議☆論文・小論文・ポスター/展示の募集

    渥美国際交流財団関口グローバル研究会は、バンコク、バリ島、北九州に続き、ソウルにて第4回アジア未来会議を開催します。アジア未来会議は、日本で学んだ人、日本に関心をもつ人が一堂に集まり、アジアの未来について語る<場>を提供することを目的としています。毎回400名以上の参加者を得、200編以上の論文発表が行われます。国際的かつ学際的な議論の場を創るために皆様の積極的なご参加をお待ちしています。 日時:2018年8月24日(金)~8月28日(火)(到着日・出発日も含む) 会場:韓国ソウル市 Kホテル http://www.aisf.or.jp/AFC/2018/ アジア未来会議は下記の要項にしたがって論文・小論文・ポスター/展示を募集します。 ◆テーマ 本会議全体のテーマは「平和、繁栄、そしてダイナミックな未来」です。本会議では葛藤や格差などの人類共通の諸課題を解決するために、「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」を目指します。朝鮮戦争の後、韓国は絶え間ない努力と海外からの多大な援助によって「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げました。韓国は、その歴史的経験から、開発にともなう苦痛や悩みをよく理解していると言えるでしょう。こうした点からも韓国ソウルで開催される本会議が、これからのアジアの「平和、繁栄、そしてダイナミックな未来」に寄与することを願います。 第4回アジア未来会議で学際的に議論するために、下記のテーマに関連した論文、小論文、ポスター/展示発表を募集します。登録時に一番関連しているテーマを3つ選択していただき、それに基づいて分科会セッションが割り当てられます。 平和Peace、繁栄Prosperity、活力Dynamism、幸福Happiness、人権Human_Rights、成長Growth、グローバル化Globalization、教育Education、共存Coexistence、公平Equity、長寿Longevity、健康Health、メディアMedia、多様性Diversity、革新Innovation、歴史History、 コミュニケーションCommunication、社会環境Social_Environment、自然環境Natural_Environment、持続性_Sustainability ◆学術分野 下記の分野を受け付けます。 A 自然科学 物理学、化学、生物学、数学、医学、農学、工学、その他 B 社会科学 法学、政治学、経済学、経営学、社会学、教育学、その他 C 人文科学 哲学、宗教学、心理学、歴史学、芸術学、文学、言語学、その他 ◆発表言語 第4回アジア未来会議の公用語は英語、日本語と韓国語です。登録時に、まず口頭発表およびポスター/展示の言語を選んでいただきます。英語で発表する場合の発表要旨は250語以内に纏めてください。日本語か韓国語で発表する場合は、発表要旨のみ英語(250語)と日本語(600字)あるいは韓国語(600字)との両方で投稿していただきますが、論文および小論文は日本語あるいは韓国語のみで結構です。 ◆発表の種類 アジア未来会議は日本で学んだ人、日本に関心のある人が集まり、アジアの未来について語り合う場を提供することを目的としています。国際的かつ学際的なアプローチによる、多面的な議論を期待しています。専門分野の学術学会ではないので、誰にでもわかりやすい説明を心掛けてください。 1.小論文 short_paper(2~3ページ) 自分の専門とは違う研究者も参加して国際的かつ学際的な議論をすることを前提に、口頭発表の内容をまとめた小論文を投稿してください。小論文の代わりに発表レジュメ・パワーポイント等の配布資料でも構いません。 発表要旨のオンライン投稿の締め切りは2018年2月28日、合格後の小論文のオンライン投稿(PDF版のアップロード)の締め切りは2018年5月31日です。5月31日までに投稿がない場合は、アジア未来会議における発表を辞退したと見なされますのでご注意ください。小論文は、奨学金、優秀論文賞の選考対象にはなりません。 2.論文 full_paper(10ページ以内)―奨学金、優秀論文賞の選考対象になります アジア未来会議は、多面的な議論によって各人の研究をさらに磨く場を提供します。必ずしも完成した研究でなくても、現在進めている研究を改善するための、途中段階の論文を投稿していただいても構いません。 奨学金と優秀論文賞に申請する場合、発表要旨のオンライン投稿締め切りは2017年8月31日で、合格後の論文のオンライン投稿(PDF版のアップロード)の締め切りは2018年3月31日です。発表要旨の合格後、論文の投稿を前提に奨学金を申請できます。奨学金の選考結果は1月20日までに通知します。 また、学術委員会による審査により、優秀論文20本が選出されます。優秀論文には、アジア未来会議において優秀賞が授与され、会議後に出版する優秀論文集「アジアの未来へー私の提案Vol.4」に収録されます。既にアジア未来会議で優秀論文賞を受賞したことのある方は、選考の対象外となりますので予めご了承ください。 奨学金と優秀論文賞に申請しない場合、発表要旨のオンライン投稿締め切りは2018年2月28日で、合格後の論文のオンライン投稿(PDF版のアップロード)の締め切りは2018年5月31日です。 3.ポスター/展示発表 ・ポスターはA1サイズに印字して当日持参・展示していただきます ・展示作品は当日の朝に自分で搬入し展示していただきます 発表要旨のオンライン投稿締め切りは2018年2月28日で、合格後のポスター/展示のデータのオンライン投稿(PDF版のアップロード)の締め切りは2018年5月31日です。アジア未来会議において、AFC学術委員会により優秀ポスター/展示賞数本が選出されます。ポスター/展示作品は、奨学金と優秀論文賞の選考対象にはなりません。 ◆分科会セッションの割り当て 分科会は、2018年8月26日(日)に、韓国ソウル市のKホテル会議室で開催します。分科会セッションのスケジュールは、2018年8月5日までにAFCオンラインシステム上に発表し、その後調整の上、8月15日に決定します。 1.一般セッション(アジア未来会議実行委員会が割り当てる) 下記のグループセッションと学生セッションのものを除き、2018年5月31日までに投稿された論文または小論文は、まず口頭発表言語によって英語、日本語、韓国語のセッションに分かれます。次に、登録時に選んでいただく3つのテーマに基づき分科会セッションを割り当てられます。 2.グループセッション(グループで独自のセッションを作る) 独自のセッションを希望する方は、発表者3~5名、座長1~2名のグループを作り、①セッションのタイトルと趣旨(英語の発表の場合は英語のみ、日本語か韓国語の発表の場合は英語と日本語か韓国語)、②発表者および座長の氏名とAFCユーザー登録番号(4桁)と投稿番号(3桁)③発表言語を、2018年5月31日までにアジア未来会議事務局へEメールでお送りください。 3.学生セッション 大学院修士課程や学部の学生は、学生セッションに参加してください。大学院博士課程の学生は、どのセッションにも参加できますが、学生セッションを選ぶこともできます。 ◆論文投稿のスケジュール 2017年5月1日:論文の発表要旨のオンライン投稿受付開始(英語で発表する場合は英語。日本語か韓国語で発表する場合は、英語と日本語か韓国語の両方 2017年8月31日:論文の発表要旨の締め切り(奨学金と優秀論文賞の対象) ※奨学金と優秀論文賞に応募しない場合の締め切りは、2018年2月28日 2018年3月31日:論文(英語か日本語か韓国語)のオンライン投稿(PDF版のアップロード)の締め切り (優秀論文賞の選考対象) ※優秀論文賞に応募しない場合の論文の投稿締め切りは、2018年5月31日 ◆詳細は、http://www.aisf.or.jp/AFC/2018/call-for-papers/こちらをご覧ください。(一番上のタブで言語を選択)
  • エリック・シッケタンツ「円卓会議『東南アジアの社会環境の変化と宗教の役割』報告」

    (第3回アジア未来会議「環境と共生」報告#10)   植民地時代の苦難を経て、最近のグローバリゼーションのもと、東南アジア諸国は、国づくり、環境の悪化、宗教と民族の対立、社会的不平等など、さまざまな困難に再び直面している。識者の多くは「宗教」を、これらの課題を更に悪化させるネガテイブな要素とみなしている。本円卓会議においては「宗教は、各国が抱える様々な課題を克服するにあたって、重要な役割を果たすことができるのではないか、現に果たしているのではないか」とのポジティブな視点から、東南アジアの社会環境の変化に対応する宗教の役割を見直すことを目的とした。   本円卓会議は東南アジアの4カ国からの発表者から寄せられた4本の小論文の発表と、それに続く円卓会議の形式で行われた。発表者はインドネシア/ガジャマダ大学のアクマッド・ムンジッド、フィリピン/アテネオ・ド・マニラ大学のジャイール・S・コルネリオ、タイの活動家ヴィチャック・パニク、そしてヤンゴンベースのフランス人のミャンマー研究者、カリーヌ・ジャケであった。   最初の発表者であるアクマド・ムンジッドは、植民地以後のインドネシアの「新秩序時代」(1968-1998)、並びに1998年の民主化以降の国と宗教との関係についての流れを概観した。「新秩序時代」においては、イスラム教と政治とは一線を画していたが、1998年以降は再び宗教の政治化傾向があらわれてきた。スハルト政権の崩壊のあと、宗教内、宗教間での対立、抗争が顕在化し、近年その傾向は減ったとは言え、今でも続いており、過激で狂信的なイスラム教徒も出現している。こうした傾向に対して宗教指導者で政治家でもあった、アブドララーマン・ワヒッド(Abdurrahman_Wahid)元大統領(在任1999~2001年)に見られるような、伝統的イスラム教に身を置きつつも、(宗教的)教義を緩め、他宗派・他宗教にも寛容であり、さまざまな勢力との対話を重視するという政策も続けられた。ムンジッドは、インドネシアでの進歩的な宗教家間の対話、或いは連合を試みている様々な団体や組織の事例を挙げて、社会的公正や安定・平和をもたらす宗教間の対話の重要性を強調した。   次のジャイール・S・コルネリオの発表では、環境問題に焦点が当てられ、フィリピンのカソリック教会による気候変動の影響の緩和、或いは防止に向けた啓蒙活動などへの貢献が紹介された。彼はコミュニティでのスチュワードシップの育成、あるいは環境保全に対する責任感の醸成など、フィリピンカソリック教会の試みを、ボトムアップで社会を変えようとする「草の根活動(grass-roots_activities)」をベースとしたポジティブな役割として紹介した。   3番目のヴィチャック・パニクは発表の中で、高名な仏教の僧侶達が、共産主義者や犯罪者など体制側から見れば「敵」と見做される人々に対する冷酷な仕打ちに目をつぶるなど、タイ国で起きている国家と宗教の間の馴れ合いとも思われる「同盟関係」を批判的に考察した。パニクは、民衆の(伝統的な)精神的な拠りどころであり「森の中の隠者」と呼ばれる修道僧達の存在さえも無視あるいは犠牲にして、仏教の本来の教えである「慈悲」や「人間性」から離れてしまった、現在の制度化し体制化してしまった仏教界と国は、危険な政治的同盟関係に入ってしまったと厳しく批判した。   最後に、カリーヌ・ジャケはミャンマーにおける援助(Relief)と宗教に関わる政治について、2つの援助に焦点を当てて発表した。ひとつはサイクロン「ナルギス(Nargis)」による被害に対する支援、もうひとつは中央政府とカチン州との内戦の一連の流れである。ジャケは、ナルギスの後、ビルマの仏教界はいち早く対応し、罹災者に対して僧院を緊急時のシェルターとして開放し、仏教の教えの「ダーナ(dana:布施)」のもと経済的な支援をしたことを挙げた。2番目のケースは、主にカチン州に多いキリスト教の援助組織の活動についてであった。この事例では、宗教上の援助組織は地元で信頼され歓迎されているので、紛争地域でも効果的に活動できる一方、この様な宗教色のある援助が宗教集団間の対立を助長し、かえって紛争を長引かせたとも指摘した。   その後、この4人の発表者に各国からの6人の討論者が加わって円卓会議が行われた。円卓会議では会場からの質問、発言も相次ぎ、活発な意見の交換も行われ議論は時間切れまで続き、多くの東南アジアからの参加者の強い関心がうかがわれた。   皮肉に思えるかも知れないが、宗教の為しうるポジティブな貢献を議論するために設けられた本円卓会議の多くの時間は、現代世界が直面している様々な課題に対する宗教のネガテイブな局面に費やされた。無論、宗教が問題解決の一部となる一方、同時に問題の一部であることも事実であるため、これは地球上で起こっている現実を反映していると思われる。   今回の円卓会議で示されたのは、宗教と民族国家(政治)との関係についての今日的な課題である。宗教があまりに国家(政治)に近寄り過ぎ、政治的主体性を帯びてしまうと、かえって緊張をエスカレートしてしまう。気候変動のように、地方社会では対応できない諸問題の解決には国家レベルでの支援が早急に望まれるのは当然のことである。宗教には、さまざまなローカルな紛争に引きずり込まれず、地域、国あるいはグローバルに進行中の紛争にポジティブなインパクトを与えるよう、政治との距離と関係を慎重に見直すことが求められている。   英語の原文   <エリック・クリストファー・シッケタンツ☆Erik_Christopher_Schicketanz> 渥美国際交流財団2009年奨学生。東京大学大学院宗教学宗教史学研究室にて博士号の取得を経て、現在、日本学術振興会外国人特別研究員(東洋史)。専門は近代東アジアの宗教史、宗教と政治の関係。主な書籍には『堕落と復興の近代中国仏教—日本仏教との邂逅とその歴史像の構築』(法蔵館、2016年)等がある。
  • エッセイ516:高偉俊「アジア未来会議に思うこと」

    (第3回アジア未来会議「環境と共生」報告#9)   第3回アジア未来会議が、20ヵ国から397名の登録参加者を得て、北九州市で開催されてからもう2カ月が過ぎました。元渥美財団の奨学生として第1回アジア未来会議の企画当初から係わり、また、私の所属する北九州市立大学が第3回アジア未来会議を共催することになり、現地連絡責任者として大会運営に携わった者として、いろいろな思い出が湧いてきます。   2009年ごろだったと思いますが、私を含めた数人のSGRA会員が渥美財団の今西さんとおしゃべりしているうちにだんだん話が盛り上がってきました。それは、元渥美奨学生(ラクーン)はすでに世界中に広がり、大学の教授になって学生や若手研究者の指導をしたり、研究所や企業等で研究活動を続けている。そのような元奨学生(渥美財団のこどもたち)や彼らが指導する学生や若手研究者(渥美財団の孫たち)が集まる国際会議を立ち上げ、渥美奨学生やSGRA会員の交流の輪を拡げ深めたいという話でした。   翌年、事務局長(当時)の嶋津さんも交えて話す機会があり、そのような国際会議をやりましょう、そして第1回会議は経済大国として台頭する中国の上海で開催しましょう、ということになりました。それから徐々に、会議の名前は「アジア未来会議」とすること、ネットワークを広げるために、SGRA会員だけでなく日本に留学し現在世界各地の大学等で教鞭をとっている方々や、その学生の皆さんにも交流・発表の場を提供すること、限定された専門家ではなく広く社会全般を対象に、幅広い研究領域を包括した国際的かつ学際的な活動を狙いとすることなどが決まっていきました。   2011年4月、第1回アジア未来会議の企画案が出来上がりました。テーマは「世界のなかの東アジア:地域協力の可能性」とし、参加者150人以上の規模をめざし、2012年8月上旬に上海で開催としましたが、その後、諸般の事情により、2013年3月に500人の規模で開催する計画に変更されました。2011年7月18日から21日まで、今西さんと一緒に上海を訪問し、メイン会場として3000人収容できる上海同済大学会場を視察、上海市僑務弁公室副主任蔡建国氏および複旦大学日本センター主任の徐静波先生に協力をお願いし、SGRA会員の上海財経大学の範建亭教授と打ち合わせを行いました。   2012年に入ってから、2回の現地訪問を重ね、着実に会議の準備を進めていましたが、2012年8月に尖閣諸島(中国では「釣魚島」)の「国有化」問題のために中国の反日運動が激しくなりました。国際政治に翻弄され、良き地球市民の実現を目指す渥美財団としては非常に残念ではありましたが、2012年10月に上海での開催を断念し、会場を上海からタイのバンコク市に移すことになりました。開催まであと4カ月しか準備期間がありませんから、慌ててバンコクを視察し、タマサート大学と北九州市立大学に共催を打診し快諾をいただきました。また当初イベント会社に依頼して企画してもらう計画も水の泡になりましたが、そのおかげで、その後の会議はSGRAネットワークを利用して、渥美財団が自ら企画運営する原型になりました。   SGRA会員の積極的な参加、多くの企業等の後援により、第1回アジア未来会議は20か国から332名の参加者を得ました。建築家隈研吾氏の公開基調講演には1200人が参加して成功へ導きました。フェアウェルパーティーにて第3回アジア未来会議の開催地の話が出て、当会議に参加した北九州市立大学の近藤学長から「ぜひ北九州で行いましょう」というお話があり、その場で決まってしまい、北九州市立大学の教授として私は重い責任を感じました。その後、2014年8月にインドネシアのバリ島で、第2回アジア未来会議「多様性と調和」が、17か国から約400名の参加者を得て開催されました。私としても北九州の開催に向けて益々緊張が高まりました。環境首都の旗を掲げた北九州での開催ですから、メインテーマを決めるのはそれほど時間がかかりませんでした。日本語の「環境と共生」の英訳には当初の「Environment and Symbiosis」より広い意味の「共生」を意味する「Environment and Coexistence」としました。   日本で初めての開催、また地方都市の北九州市での開催ですから、参加者が集まるか心配でした。しかし、論文の発表要旨の締め切りをした時点で700編を超える応募があり、改めてSGRAネットワークの強さを感じました。また会議開催に当たっては、投稿論文の査読やセッション座長から受付や会場案内まで、多くのSGRA会員がボランティアで手伝ってくださり、会議の成功に向けて奮闘してくださいました。最も感動したのは、渥美伊都子理事長がご高齢にもかかわらず会議に参加してくださり、大きな励みになったことでした。   北九州市立大学としても、第3回アジア未来会議を創立70周年記念の大行事と位置づけ、学長のリーダシップのもとに、副学長漆原先生を部会長としてアジア未来会議部会を立ち上げ、10回ほどの会合を開いて会議の開催に尽力しました。会議期間中に、職員の応援延べ86人、学生ボランティア延べ134人を動員し、休憩時のピアノの演奏や茶道のお点前など多くのイベントを準備しました。特に感動したのは漆原先生が食堂に立ち、自らマイクをもって、茶道のインベトの宣伝をする姿でした。このような大きな行事の開催によって、我大学としても大きなものを得たことを付け加えたいと思います。   以上のように、第3回アジア未来会議はみなさんのおかげで無事に成功裡に終了しました。渥美財団の元奨学生として、また今回の会議の運営組織の一員として振り返ってみると、アジア未来会議の開催は我々SGRA会員の交流を深めるばかりではなく、社会へSGRAの主張を広げることにより、良き地球市民の実現を目指すSGRAの目標に近づくことにもなったと思います。これからもより多くの方々にアジア未来会議に参加していただき、国境を越えたアジア未来を語っていきたいと思います。   <高偉俊(ガオ・ウェイジュン)Gao_Weijun> 北九州市立大学国際環境工学部建築デザイン学科教授。中国西安交通大学、四川大学、浙江大学等客員教授。SGRA研究員     2016年12月29日配信
  • 今西淳子「円卓会議『日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性』報告」

    (第3回アジア未来会議「環境と共生」報告#8)   ◆今西淳子「円卓会議『日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性』報告」   2016年9月30日(金)午前9時から12時30分まで、北九州国際会議場の国際会議室で、円卓会議「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」が開催された。日本、中国、韓国から歴史研究者が集まり活発な議論が交わされた。88人が定員の会場は満席で、人々の関心の高さが示された。   最初に早稲田大学の劉傑(Liu Jie)教授が、問題提起の中で「なぜ『国史たち』の対話なのか」「『国史』から『歴史』へ」「対話できる『国史』研究者を育成すること」と題して、最近の10数年間の日本・中国・韓国の「歴史認識問題」をめぐる対話の成果、また留学生の増加と大学の国際化に伴う「国史」から「歴史」への変化を認めながらも、「国史たち」の対話をより実質的なものにするために、現在の研究者同士の交流をさらに進めると同時に、10年後、或いは20年後に本格的な国史対話が行えるような環境を整備することが重要であると指摘した。   次に、高麗大学の趙珖(Cho Kwang)名誉教授は、東北アジアの歴史問題は自民族中心主義と国家主義的な傾向に由来するとし、韓国で近来編集された学校教科書、学会の日本関係史、中国関係史の叙述について分析した。(1)「前近代中国に対する叙述」では、高句麗史をめぐる混乱を通じて「華夷意識」に言及、また、(2)「前近代日本に対する叙述」の結論においては「全体的に(韓国の)教科書でみる前近代日本は、文化後進国として(朝鮮の)先進文化の受益者、そして侵略者としての姿である。これは一面的には妥当だが、正確ではない。日本を一つのまともな関係主体として見做さない国史教科書の認識は、韓国をめぐる現在の様々な難題を解決し、正しい韓日関係を作るのに役立つとは思えない」と主張した。そして、(3)「近代東アジアに対する叙述」では、19世紀以後の東アジアは、一国の状況のみで自国史を述べること自体が不可能であるほどに三国の歴史が絡み合っているのに、韓国近現代史の教科書に中国と日本の近現代史に関する内容が殆ど出てこないこと、朝鮮戦争の場合でさえ、内部政治や経済や社会に関する説明が溢れ、参戦した各国の論理が紹介されていないことを指摘、近現代史の場合、中国史のみならず、日本史と連結して説明することによって脈絡を理解できるようになる、自分を読むことも重要な仕事であるが、如何に他人を読めばよいかという問題も重要である、と結んだ。   復旦大学の葛兆光(Ge Zhaoguang)教授は、「蒙古襲来」(1274、1281)「応永の役」(1419)「壬申丁酉の役」(1592、1597)を例にして、国別史と東アジア史の差異を論じた。一国史の視点から見ると、ひとつの円心の中心部は明晰でありながらも、周辺部はぼやけてしまう。もしいくつかの円心があれば、幾つかの歴史圏が形成され、それが重なる部分がでてくる。東アジア史を語る場合、この歴史圏の重なる部分を浮き彫りにする必要がある。たとえば蒙古襲来によって、日本が初めて「神国」と思われるようになり、日本文化の独立の端緒が開かれ、中国の「華夷秩序」から離脱したと日本史には記述される。ところが高麗は蒙古化され、蒙古人が日本に侵略する際、その前線基地になった。一方、中国では蒙古/元朝は「自国史」と見なされ、蒙古襲来は、蒙古と日本と高麗という中国の外で起こったこととされる。東アジア全体の視野で見れば、蒙元の日本侵略(または高麗を従属国にすること)は、東アジアの政治局面のみならず文化的にも各国の自我意識を喚起し、東アジアの「中国中心」の風潮が次第に変わっていくきっかけとなったと解釈できる。同様に、応永の役の発生及び解決は、その後数百年の東アジア国際関係を安定へと導いた。「壬辰の役」は、それまでの安定した東アジア国際関係を大きく揺らし、その後の東アジアが共有していたアイデンティティの崩壊の伏線を引いたが、当時はこの事件も速やかに収まり、東アジアのバランスのとれた局面は、19世紀に西洋諸国が武力を背景に東洋に進出するまで続いた。しかし、中国の歴史では、蒙元の日本侵略と高麗支配は、ただ蒙古人の世界支配の野心の現れに過ぎず、朝鮮の対馬への侵攻も隣国同士の紛争、「壬辰の役」に到ると、日本は侵略者であり、中国は朝鮮の国際的な友人として、両国が手を携えて日本侵略軍を打ち負かしたと明言する。もし歴史学者が東アジア史の視野をもって見直したら、新しい認識がでてくるのではないかと論じた。   東京大学の三谷博名誉教授は、国史たちの対話を促進するために、(1)日本における高校歴史教育課程の改訂について報告し、(2)日本史教科書の中の世界・東アジア記述の問題点を指摘した。日本の高校では「歴史総合」が必修教科となる予定である。「歴史総合」は、(a)世界史と日本史を融合させ、(b)近代史に絞り、(c)アクティブ・ラーニングを推奨する点に特徴がある。しかしながら、このような動向に、学会や教育会が協力するかどうかは未だ明らかではない。日本史の研究と教育において、つい最近生じた隣国との関係悪化は、東アジアの中に日本を位置づけるという研究動向に冷水を注いだ。内外から押し寄せる政治圧力を超えて、長期的に有意味な展開ができるか予断を許さないと述べた。また、長期的には(3)互いに隣国の国内史を学ぶ必要を強調した。日中韓3国の知識人たちの欧米への関心の高さと、隣国への無関心との対照に深い懸念を抱き、国際関係だけでなく、まず相手の国がどんな文脈を持っているかを知らなくてはいけない、隣国の歴史をわかったつもりにならず、互いに、虚心に学び合う、それが「国史たちの対話」の究極の課題であると結んだ。   韓国、中国、日本の歴史の大家の大局的な講演に続いて、6名の中堅若手の研究者からコメントがあった。   北九州市立大学の八百啓介教授は、先ず近代史における対欧米関係と東アジアの視点との比重についての中韓日の相違点を指摘して論点整理を試みるとともに、東アジアの国民国家としての日中韓の立場の相違、前近代東アジア史を国民国家の視点を離れて見直すことによって近代東アジアの国民国家を検証する可能性と必要性を指摘した。   北海道大学の橋本雄准教授は、1402年に執り行われた足利義満による明使接見儀礼を復元し、いかに義満が、明使への配慮や敬意を表しながら、自尊意識を満足させる儀礼に換骨奪胎していたかを詳しく説明した。日本史を描く場合に対外関係史の成果を衍用することは不可欠だが、ただ単に外国史の文脈をナイーヴに読み込めばよいというものではない。双方の文脈に注意しながら各国史料を実証的に突き合わせ、冷静な判断をしていかないと「国史」が偏ったものになってしまうだろう、と指摘した。   早稲田大学の松田麻美子氏は、「中国の教科書に描かれた日本:教育の『革命史観』から『文明史観』への転換」というタイトルで、中国の歴史教科書の変化について報告したが、習近平政権成立後は揺り戻しもおきていると指摘した。   復旦大学の徐静波教授は、東アジアの歴史を正しく認識する際、自国の立場に拘泥せずに、もっと広い視野で見る必要があり、または自国の資料だけでなく、出来るだけ各国の歴史資料や考古学の成果を利用して客観的に考察する必要があると指摘した。   高麗大学の鄭淳一氏は、「国史たちの対話」の進展のためには、これまで行われてきた官民レベルの歴史対話の事例をちゃんと調べ、「国史たちの対話」プロジェクトとの共通点、相違点を分析し、生産的な課題を引き出していくことが大事であると指摘。また、高校生・大学生レベルでの「対話」あるいは学術交流も視野に入れた若手研究者同士の交流を促進する方法、韓国の高校『東アジア史』の経験を参考にして東アジアにおける「国史」の叙述方式を 皆で考える必要があると提案した。   高麗大学の金キョンテ氏は、共通の歴史的事件に関する用語をどう決めるのかという問題をとりあげ、「壬辰倭乱」ではなく「壬辰戦争」という用語がいいと思うが、「韓国の情緒にはまだ早い」という反論があると紹介した。また、「国史教科書」と「国史研究」が持つべき目標」は、「自信感」「誇り」であったが、それはもう有効な目標ではなく、各国の政治的、歴史的な特徴が反映されなければならないと指摘した。   円卓会議「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」は、渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)が、2013年3月にバンコクで開催した第1回アジア未来会議中の円卓会議「グローバル時代の日本研究の現状と課題」をかわきりに検討を重ね、2015年7月に東京で開催したフォーラム「日本研究の新しいパラダイムを求めて」で、早稲田大学の劉傑教授によって提案された「アジアの公共知としての日本研究」を創設するための提案を受けて発展させたものである。本会議は、これから5回は続けるプロジェクトの初回として、第3回アジア未来会議の中で開催された。今後は、テーマを絞りながら、日本人の日本史研究者、中国人の中国史研究者、韓国人の韓国史研究者の対話と交流の場を提供していく予定である。   本プロジェクトのひとつの特徴は言葉の問題である。本会議では、下記6名によって同時通訳が行われた。【日本語⇔中国語】丁莉(北京大学)、宋剛(北京外国語大学)【日本語⇔韓国語】金範洙(東京学芸大学)、李へり(韓国外国語大学)【中国語⇔韓国語】李麗秋(北京外国語大学)、孫興起(北京外国語大学)。今後もできるだけ同じメンバーで続けていきたい。   本会議の講演録は、SGRAレポートに纏め、日本語版、中国語版、韓国語版を発行する予定である。   当日の写真   <今西淳子(いまにし・じゅんこ)Junko Imanishi> 学習院大学文学部卒。コロンビア大学大学院美術史考古学学科修士。1994年に家族で設立した(公財)渥美国際交流財団に設立時から常務理事として関わる。留学生の経済的支援だけでなく、知日派外国人研究者のネットワークの構築を目指す。2000年に「関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)」を設立。また、1997年より異文化理解と平和教育のグローバル組織であるCISVの運営に加わり、(公社)CISV日本協会常務理事。     2016年11月24日配信
  • 孫軍悦「第10回チャイナ・フォーラム『東アジア広域文化史の試み』@アジア未来会議報告」

    (第3回アジア未来会議「環境と共生」報告#7)   公益財団法人渥美国際交流財団関口グローバル研究会は、2014年と2015年に清華東亜文化講座の協力を得て、中国在住の日本文学や文化の研究者を対象に、2回のSGRAチャイナ・フォーラムを開催した。2014年の会議では、東京藝術大学の佐藤道信教授が、19世紀以降の華夷秩序の崩壊と東アジア世界の分裂という歴史的背景の下で創られた東アジアの美術史は、美術の歴史的な交流と発展の実態を反映しない一国美術史にすぎないという問題を提起し、一国史観を脱却した真の「東アジア美術史」の構築こそ、東アジアが近代を超克できるか否かの重要な試金石であると指摘した。一方、2015年のフォーラムでは、国際日本文化研究センターの劉建輝教授が、古代の交流史と対比して「抗争史」の側面が強調されがちな近代においても、日中韓三国の間に多彩多様な文化的交流が展開されており、古来の文化圏と違う形で西洋受容を中心とする一つの近代文化圏を形成していたことを明らかにした。   今回は、過去2回のフォーラムの報告者とコメンテーターを討論者として招き、塚本麿充氏(東京大学)と孫建軍氏(北京大学)による二本の報告を基に、今後、東アジアにおける広域文化史の試みをいかに推進していくべきかについて活発な議論を繰り広げた。   まず、塚本氏の報告「境界と国籍―“美術”作品をめぐる社会との対話―」は、日本に伝来した中国・朝鮮絵画や福建、広東など中国の地方様式や琉球絵画といったマージナルな地域で生み出された作品を取り上げ、「国家」という大きな物語に到底収斂され得ない、まさに交流を通して境界で育まれた豊饒な「モノ」の世界を開示してくれた。   孫建軍氏の報告「日中外交文書に見られる漢字語彙の近代」は、1871年に日中間で調印された最初の外交条約「日清修好条規」から1972年の「日中共同声明」までの100年間の外交文書を対象に、日中語彙交流の見地から漢字語彙の使用状況、とりわけ同形語の変遷を考察し、日本語から新漢字を輸入することによって、古い漢字語彙から近代語へと変わっていく現代中国語の形成過程の一端を浮き彫りにした。   前者は、国家の物語に回収され得ない大量な歴史的事象の存在を突きつけることによって、後者は、この国ならではの均質、単一な価値を付与されたものの起源の雑種性を証明することによって、それぞれ、外側と内側から国民国家の文化的同一性の虚構を突き破る報告となった。    討論では、佐藤道信氏はまず、中国大陸や台湾、アメリカ、また関西と関東の様々な美術コレクションに接していた塚本氏の多文化体験に言及し、一国美術史に位置付けられない「モノ」の価値を見出す彼ならではの「鑑賞眼」の養われた背景を説明してくれた。その上、国家の呪縛から解き放たれた後の膨大な「モノ」の世界をいかに整理し、その歴史をどのように語り得るか、という新たな困難な課題を提示し、一国美術史に慣れ親しんだ我々自身の感受性の変革と歴史叙述の創造力が問われていることを示唆してくれた。   稲賀繁美氏(国際日本文化研究センター)は、交易のプロセスに組み込まれた美術品の制作が、最初から享受する者の美意識や趣味、要求を取り入れている事実に注目し、一つの価値体系もしくは「本質」が備わっているとする「一国美術史」の想定自体が、単純すぎるのではないかという疑問を呈した。同じ歴史観を共有することは困難だが、異なる歴史観があるという意識の共有は可能だという言葉が、とりわけ印象的であった。   木田拓也氏(国立近代美術館)は、日本で親しまれ、楽しまれている茶碗が中国に持っていくと、その美が全く認識されないという例をあげながら、他国、他地域の人々と共有しない美意識、価値観の存在もまた厳然たる事実であることを指摘した。「一国美術史」は単に国民国家歴史観の反映ではなく、むしろ国民国家の文化的同一性を創出する装置として、このような均一の価値観や美意識乃至身体性を常に作り続けていることを、木田氏の発言によって改めて意識させられるのである。   董炳月氏と趙京華氏(中国社会科学院文学研究所)は、魯迅による浮世絵のコレクションを整理し、書籍化する過程において、そのコレクションが、「浮世絵」ではないという錯覚すら与えるほど、「浮世絵」に対する我々の常識を揺るがす特異性を持っていることを紹介した。このような書籍の出版自体が、すでに広域文化史の構築へ向けての一つの実践だと言えよう。   林少陽氏(東京大学)も、「中間地域」で育まれた豊饒な「モノ」の世界に注目する塚本氏と同じ関心を共有し、「中間地域」の発見が、日本の一国美術史を相対化することができるだけでなく、中国美術史の一国中心主義的歴史叙述への再検討にもつながると述べている。   一方、孫建軍氏の報告に対し、外交文書を単に言語のデーターベースとして取り扱う方法の妥当性が問われ、具体的な歴史的背景や使用者の現実的状況、外交文書の特殊的性格などを考慮に入れると、言語使用のより豊かで複雑な相貌が浮かび上がってくるのではないかというコメントが多く寄せられた。   様々な専門分野の研究者による多岐にわたるコメントの焦点を明確に示してくれたのはむしろフロアとの短い対話であった。明石康氏(元国際連合事務次長)は、国境を前提とする外交や国際政治の領域と異なり、文化領域こそ「国境」の人為性を相対化することができ、今回のフォーラムに大いに啓発されたと述べた。そして、葛兆光氏(復旦大学)は、国民国家がその成立した瞬間から、つねに自らの文化的同一性を作り続けていて、その文化的アイデンティティの形成の歴史と、その結果としての均質的、同一的文化、価値の存在を決して無視できないことを指摘した。これに対し、劉建輝氏(国際日本文化研究センター)は、このような文化的同一性は決して古くから自然に形成されたものでなく、人為的作為の産物にほかならないこともまた忘れてはならないと釘を刺した。古代と近代の東アジア文化交渉史に関する実証的研究を積み重ねてきたお二人の発言から、歴史的に構築された一国文化史の重みと、多彩な交流を包括する広域文化史への確信がひしひしと感じられた。   今回のフォーラムを通して、多様性と雑種性をも巧みに「国民性」や「国民文化の伝統」に回収する「一国文化史」が今日もなお国民国家の文化的同一性を創出する装置として機能し続けている状況において、「一国文化史」に強く規定され続けてきた我々自身の感受性や価値観、思考様式乃至歴史叙述の言語そのものに抗しながら、新たな広域文化史を紡ぎ出すことの可能性と課題の双方が鮮明に浮かび上がってきたと言えよう。   当日の写真   <孫_軍悦(そん・ぐんえつ)Sun_Junyue> 2007年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。学術博士。現在、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部専任講師。専門分野は日本近現代文学、日中比較文学、翻訳論。     2016年11月24日配信
  • エッセイ511:沼田貞昭「アジア未来会議-新しい息吹き」

    (第3回アジア未来会議「環境と共生」報告#6)   筆者は、北九州市で9月30日−10月1日に開催された公益財団法人渥美国際交流財団主催第3回アジア未来会議に参加した。2013年3月にバンコックで開かれた第1回会議、2014年8月バリ島で開かれた第2回会議にも参加した。400名の参加者が熱心に議論を交わし合う姿を目の当たりにして、渥美奨学金により日本で博士号を取得した人々を中核とするアジアおよび他の地域の知的ネットワークが、今やインドネシアなどの若い学生・研究者の新しい息吹もあって着実に拡大していることを心強く思った。以下、筆者の参加したセッションについての感想を記す。   ◇9月30日午前 AFC_Forum_#2「東南アジアの変わりつつある社会環境に対する宗教の反応」   (1)筆者は、1976−78年スハルト「新秩序」の軍の二重機能の下で政治勢力としてのイスラームの影響力は限られていたインドネシアに在勤し、2000年−2002年には駐パキスタン大使として、近代的穏健イスラーム国家を標榜しながらも急進イスラームの勢力伸張に伴う深刻な不安定要因を抱えた9.11事件前後のパキスタンの姿に接していた。このような経験に鑑み、「1998年後のインドネシアにおける民主主義のデイレンマ:一層の自由は宗教間の対立が深まることを意味するのか、対話が進むことを意味するのか?」とのガジャマダ大学ムンジッド・アハマッド氏の発表は極めて興味深いものだった。   今日のインドネシアは、スハルト・ファミリー及び軍部の強権的支配の崩壊後、政治の民主化、地方分権化が進みつつあること、また、経済成長が進み「イスラーム大国」に変貌しつつあること、民主主義の進展と自由の拡大が異宗教間の対話を進める契機となり得ることなど、筆者にとって学ぶことは多かった。なかんずく、アハマッド氏他インドネシアからの参加者が、自国の抱える問題を闊達に議論していたことが印象的だった。と同時に、インドネシアと比較すると、ムシャラフ政権の崩壊により軍部支配は一応終わったとは言っても、民主化の進展にはまだまだ障壁が残り、多種多様な人種・地域からなる国家を統一するシンボルとしてのイスラームのあり方が急進派と穏健派の間で激しい対立抗争を呼んでいるパキスタンは、何時イスラーム国家として安定するのだろうかとの疑問を禁じ得なかった。   (2)続いて「フィリピンにおける気候変動とカトリックの反応」(アテネオ・デ・マニラ大学ジャイール・セラノ・コルネリオ氏発表)をめぐる討論で、気候変動のもたらす環境破壊、災害の被害者である貧者に対するカトリック教会の取り組みに見られる社会的宗教的正義の問題が取り上げられた。タイの教育関係NGO代表ヴィチャク・パニク氏は、「人道に反する仏教:愛とか親切心ではないもの」と題する発表で、仏教がナショナリズムの一部ないしは支配階級の政治的道具として使われる場合には、人命をも脅かす強圧的なものになりうる危険を指摘した。フランスの現代東南アジア研究所カリヌ・ジャケ氏は、「宗教と救援活動:ミャンマーにおける宗教関係団体と社会的貢献の役割」と題する発表において、ミャンマーの辺境地域などの自然災害被害者に対する仏教団体、キリスト教団体の救援活動を通じて、国家が十分に果たし得ない救援などの社会貢献活動ネットワークが広がって行く可能性を指摘した。   (3)セッションを総括したエリック・クリストファー・シッケタンツ氏(東京大学)は、宗教が民族ないし国家のアイデンティティを誇示する手段として使われる時に政治的対立がしばしば生じるが、宗教が政治的対立に巻き込まれないようにして行くにはどうしたら良いか、また、地域ないし国家のアイデンティティを超えて宗教が果たし得る役割にはどのようなものがあるかを考える必要があると指摘した。   (4)以上の討論を聞いていて、筆者は、アジア各国における多様な宗教状況についてこのような議論を聞く機会は日本国内では極めて少なく、インドネシアにおけるイスラーム、フィリピンにおけるカトリック、タイ及びミャンマーにおける仏教がそれぞれ果たしている役割及び抱えている問題についての日本の一般国民の理解は皮相なものにとどまっており、この日の討論のような内容を日本国内で広めていくことが必要であると感じた。   ◇10月1日午前「平和」分科会(2)   筆者がミラ・ゾンターク立教大学教授とともに共同議長を務めた本分科会では、多民族・多文化社会であるインドネシアと平和国家を目指す日本の直面する問題に関してそれぞれ2つの発表が行われた。   (1)インドネシア   〇「宗教的シンボルの無い教会」(バンジャルマシン宗教・社会研究所シリ・タラウィヤ氏) 南カリマンタン州首都バンジャルマシンのイスラーム社会の中に存在する少数のキリスト教ベテル派信者と周辺住民との間に、信者の集まりに伴うゴスペル等の騒音、駐車問題等を巡り摩擦が生じ、ベテル派追放の動きもあったが、イスラーム系住民の中にも共存しようと努める向きもある。他方、地方政府当局の硬直的介入がかえって事態を混乱させている。   〇「モルッカ諸島におけるサニリ(伝統的合議体)を通じる紛争解決及び環境保存」(ジョグジャカルタ大学スハルノ講師) 中央政府がインドネシア全土にわたって「村」という同一の行政単位を広めようとして来たのに対し、モルッカ諸島では、伝統的な合議体であるサニリが例えば漁業資源の有効利用、保存といった問題について調整機能を発揮している。1999年のアンボンにおけるイスラーム系住民とクリスチャンの流血の対立への政府・公的機関の無為な対応ぶりは、サニリという「土地の知恵(local_wisdom)」への住民の志向を高めた。   〇この2つの発表は、インドネシアのような多文化社会では、異宗教・異民族間の様々な問題が地域レベルで生じるところ、これに対する中央ないし地方政府の画一的な対応には限界があることを指摘する点で共通していた。 (2)日本   〇「至上の法としての憲法遵守:憲法9条と日本の平和主義」(デリー大学准教授ランジャナ・ムコパディヤーヤ博士) 1947年5月5日に日本の仏教、キリスト教等宗教関係者からなる全日本宗教平和会議は、先の戦争を阻止できなかったことについての「懺悔の表明」を行った。仏教界は「聖戦」の名の下に戦争と植民地拡大を支持したことを反省し、憲法9条の戦争放棄条項を仏教の非暴力の教えを具現するものと考えた。キリスト教徒も同条項を「汝殺すなかれ」の教えを反映するものと捉えた。このようにして、日本の宗教界は憲法9条改正に反対する平和運動の主要な勢力となって来た。   〇「地球温暖化、戦争、原子力の三角関係」(木村建一早稲田大学名誉教授) 地球温暖化防止のための炭酸ガス排出制限を定めた京都議定書の下でも軍事目的のためのエネルギー使用についての抜け道がある。米国、中国等の武器生産・使用等の軍事支出のうちかなりの部分が炭酸ガス排出につながるという意味で、地球温暖化は戦争にも関連している。原子力発電は温暖化防止に役立つとして推進されてきたが、日本においては2011年の福島の原発事故以来多くの原発が閉鎖を余儀なくされている。また、原発に蓄積されるプルトニウムは、核兵器生産に使用され得るものとして、非核3原則との関連で深刻な問題を提起している。地球温暖化、エネルギーの問題を考えるにあたりこのような相関関係を考慮する必要がある。   〇この2つの発表は、憲法改正、原子力発電という現下の懸案を考えるに当たり興味深い視点を提供するものだった。   ◇10月1日午後「教育」分科会(3)   筆者が傍聴したこの分科会では、いずれもインドネシアからの4人の学生・若手研究者が、英語教育に関わる発音訓練、YouTubeの利用、グローバル言語とローカル言語、外国人とのコミュニケーション成立過程についてそれぞれ発表を行った。筆者がジャカルタに在勤していた30年前に比べて、インドネシアの学生とか若手研究者の英語習熟度及び発表意欲が著しく高まったことに印象付けられた。   「環境と共生」という今回会議のテーマのうち筆者が参加したセッションは、平和と宗教、多文化社会の問題、環境等に関するものだったが、これらの問題を世界レベル、国家レベル、地域社会レベルで複眼的に把握する必要があること、さらにそれぞれのレベルでのガバナンスの問題に取り組む必要があること、また、インドネシアのような多民族・多文化国家は、日本国内には見られないような様々な課題を抱えていることを明らかにするものだった。また、筆者は英語で行われたセッションに参加したので特に感じたのかもしれないが、今回会議に国外から78名と最も多く参加していたインドネシアの若手研究者とか学生の強い意欲と熱気に感銘を受けた。   <沼田 貞昭(ぬまた さだあき)☆NUMATA Sadaaki> 東京大学法学部卒業。オックスフォード大学修士(哲学・政治・経済)。 1966年外務省入省。1978-82年在米大使館。1984-85年北米局安全保障課長。1994−1998年、在英国日本大使館特命全権公使。1998−2000年外務報道官。2000−2002年パキスタン大使。2005−2007年カナダ大使。2007−2009年国際交流基金日米センター所長。鹿島建設株式会社顧問。日本英語交流連盟会長。     2011年11月10日配信
  • エッセイ510:ブレンサイン「中国の少数民族地域におけるバブルとその遺産」

    (第3回アジア未来会議「環境と共生」報告#5)   ここ十数年の急激な経済発展を経て、中国は世界第2の経済大国に成長した。このプロセスを1970から1980年代にかけて急成長した日本に例えて「中国版バブル経済」という人もいる。しかし、勢いよく続いてきた中国の経済発展にも、ここに来て陰りが見え始め、中国経済のバブル的な発展はもう終焉を迎えているのではないかと囁かれている。いずれにせよ、21世紀に入ってから現在に至るまでの中国は、経済発展による激動の時代であり、13億の人口を抱える大国の国内の状況が目まぐるしく変化した。   そもそも中国は漢族以外に55もの少数民族を抱える多民族国家であり、文化と歴史の異なるこれらの少数民族の人々は広範囲に「自治区」を形成して居住している。急激な経済発展のなかで、これらの少数民族の人々が等しくその恩恵にあずかり、各少数民族自治区の経済状況も共に発展したかどうかについては、必ずしもその状況がよく伝わっているとはいえない。これらの少数民族の多くは人口が比較的少ない辺境地域に居住しているが、これらの地域には各種の資源が豊富で、特に地下資源は以前から中国全体の経済発展を支えてきた。   中国は1990年代後半から資源輸入国に転じ、「世界の工場」に変身した今日、原材料の供給地は全世界の隅々にまで及んでいる。急激な経済発展下における原材料調達と製品輸出によるグローバル化のなかで、国内少数民族地域の状況が見えなくなり、以前にも増して風通しが悪くなっていることも事実である。私たちは、急激な経済発展期における少数民族地域の変化、そして伝統的な資源供給地であった少数民族地域、少数民族の人々が如何にバブル的な経済発展の洗礼を受け、いかなる遺産を引き受けたのかを知る必要がある。色々な意味において、上海や北京だけではなく、内陸部で起きたリアルな変化を把握することによって、はじめて中国の立体的な姿を捉えることができる。第3回アジア未来会議では、このような問題意識をもって自主セッション「中国の少数民族地域におけるバブルとその遺産」を組織した。   本セッションでは、まず内モンゴル大学のネメフジャルガルさん(2008年度渥美奨学生)が「内モンゴル自治区とモンゴル国の草原牧畜業の比較研究」というテーマで報告した。遊牧と牧畜の伝統を共有するモンゴル国と内モンゴル自治区は今こそ異なる国家に分断されているが、1911年までは共に清朝に属し、20世紀の半ばからそれぞれソ連と中国の2大社会主義国家の枠組みのなかで社会主義の洗礼を受けてきた。中国の改革開放に伴って、内モンゴルは1980年代初期から限定的な市場経済へ移行し、その後中国の社会主義市場経済の荒波にさらされてきた。一方、モンゴル国は1990年に社会主義体制が崩壊して、一気に市場経済の土俵に押し出され、社会主義的な牧畜から市場経済的な牧畜への移行に伴う混乱は現在まで続いている。   内モンゴルでは、牧草地の使用権の個人分配が行われ、家畜頭数の増加と調整不能な牧草地利用の間に生じた矛盾が急激な沙漠化を引き起こした。市場経済に移行したモンゴル国でも都市部において土地の私有化がすすめられ、将来的に牧草地の私有化が行われるのではないかと危惧されている。つまり、遊牧に頼ってきたモンゴル国と内モンゴルは、両者ともそれぞれ微妙に異なる市場経済による環境の変化に晒されている一方で、ここ十数年の急激な経済発展のなかで、両者とも中国経済の原材料供給地となり、地下資源開発ブームに沸いている。   ネメフジャルガルさんの報告で特に注目すべき点は、資源開発によって内モンゴル各地で起きている工業汚染、デベロッパーと地方政府の利権絡みで強引にすすめられる開発プロジェクトとそれに対するモンゴル人の抗議活動など、現地で起きているなどの最新情報であった。本セッションの直前に、内モンゴル自治区共産党委員会書記(自治区のトップ)が交替し、前書記の王君氏が力を注いていた「十個全覆蓋」(十大インフラ整備)という内モンゴル全体を巻き込んだインフラ整備運動が中断されたというホットなニュースが報告された。内モンゴル史上最大の「面子工程」といわれるこの強引なインフラ整備運動を、人々は色とりどりに化粧された羊に例えて風刺したり、宴席の笑いのネタにしたりしていた。このプロジェクトによって、内モンゴル各地の地方財政は大きな負債を抱えたといわれている。情報化、グローバル化の時代と裏腹に、中国の少数民族居住地域で起きているこうした情報は国際社会に伝わり難いので、本セッションの趣旨に沿った大変有意義な報告であった。   2番目の報告者は内モンゴル大学のナヒヤさん(2007年度渥美奨学生)で、テーマは「内モンゴルにおける小学校の統廃合問題:フルンボイル市新バルガ左旗を事例に」であった。中国では、2001年ころから「撤点并校」と呼ばれる農村の末端地域にある小中学校の統廃合政策がすすめられ、農村の子供たちは県(内モンゴルでは旗・県)政府所在地などその地域の中心都市に就学することになった。それにより、村から学校までの距離は遠くなり、子供が下宿するため親が都市部にアパートを借りで子供の世話にあたり、村の生活がおろそかになることや就学バスの事故が多発して大きな社会問題となっている。問題の重大さに気づいた中国政府は2012年に見直し、統廃合にブレーキをかけたが、それまですすめられた政策の影響は全国的で深刻なものである。   末端小中学校の統廃合運動は分散居住する少数民族地域ではさらに大きな混乱をもたらし、その影響は人口の密集する地域よりもさらに深刻である。モンゴル族が分散居住するフルンボイル市新バルガ左旗の場合は、強引な統廃合や都市化による人口流出で自然廃校してしまい、人々は教育の質を求めてより大きな町の学校へ進学するという状況が生じた。現在、内モンゴルの牧畜地域では、ほとんどの末端小中学校が廃止され、旗政府所在地に旗内のすべての子供たちが修学するために集まるという状況になっている。それは結果的に、モンゴル族の文化と社会の将来を担う次世代の子供たちを、生の民族の生活から強引に引き離し、同化に拍車をかけることになっている。   3番目の報告者は新疆ウィグル自治区出身のイミテ・アブリズさん(2002年度渥美奨学生)であった。化学を専門とするアブリズさんは現在新疆大学で教鞭をとっている。周知の通り、現在の新疆ウィグル自治区は中国の少数民族自治区のなかでも最も情報の閉鎖された地域の一つであり、そうした政治的な閉塞の陰で、経済や社会的な変化に関する情報も見えにくくなっている。本セッションを企画するなかで、専門の異なるアブリズさんに経済や社会に関する報告を準備していただきとても感謝している。   新疆ウィグル自治区は中国屈指の石油、天然ガスと石炭の埋蔵庫であり、中国全体のエネルギー資源埋蔵量の1/3を占めるともいわれている。また温暖な気候をもつ新疆では近年、綿花やトマトの生産が盛んに行われ、農業でもその重要性が増している。急激に成長する中国経済にとって新疆がもつ豊かな資源は益々重要な存在となっており、ウィグル族をめぐる政治的問題と並んで新疆がもつ経済的な意義も軽視できない。しかし、2015年の新疆のGDPは中国31の省・市・自治区のなかで、後ろから6 番目に留まっている。豊富な資源があるにもかかわらず経済発展に恵まれないこのような現象をアブリズさんは「資源の呪い」に例えた。新疆は旧ソ連圏の中央アジア諸国やアフガニスタン、パキスタンなど西アジア諸国への玄関口であり、その地政学的重要性は新疆のインパクトを一層強めることとなっている。   2014年の統計によると、新疆ウィグル自治区の総人口は2322万人に達し、そのうちウィグル族の人口は自治区総人口の48.53%を占める1127万人であり、漢族は859万人(37.01%)、カザフ族は159万人(6.88%)であり、チベット自治区を除けば、漢族人口が半分に満たない唯一の自治区となっている。また、ウィグル族とカザフ族を合わせると全自治区総人口の55%がトルコ系のイスラム教徒によって占められるという点も注目に値する。この2つの特徴が今日新疆を取り巻く複雑な状況の背景にあることは間違いない。ちなみに、同じイスラム教徒である回族も百万人(5%弱)居住している。   各民族の規模や力関係をめぐるこうした状況は民族教育にも色濃く反映されている。新疆では、ウィグル族を対象に「双語教育」(バイリンガル教育)という政策が厳しく実施されている。バイリンガル教育とは本来、2つの言語を均等に操ることのできる状態を指すのが一般的で、ウィグル族も含めてモンゴル族やチベット族、朝鮮族といった独自の言語と文字をもつ少数民族は、小学校3年まで自民族の言語や文字で勉強し、小学校3~4年生のころから中国語を学び始めるのが従来のやり方であった。しかし、現在新疆で実施されているのは、ウィグル語を母語として生まれた子供たちに小学校1年生から中国語で教育を受けさせ、母語のウィグル語はいわばひとつの言語として学ぶというものであり、何よりも中国語によるコミュニケーション能力と知識習得を重視している。これも新疆における民族対立の根底にある要因の1つだと囁かれている。   最後の報告は奇錦峰さん(2001年度渥美奨学生)による「ゴースト・タウン(鬼城)『康巴什』」であった。中国の広州中医薬大学教授の奇さんは内モンゴル自治区オルドス(鄂爾多斯)出身のモンゴル族であり、彼の故郷のオルドスは「鬼城/ゴースト・タウン=康巴什(ヒヤバグシ)」が位置する地域として世界的に有名である。夏休みに広州から遥々内モンゴルに行って現地調査をし、報告を準備してくださったことを大変感謝している。   内モンゴル自治区西部の沙漠のど真ん中にあるヒヤバグシは「中国のドバイ」或は「中国のラスベガス」ともいわれている資源バブルで急成長した幻の都市である。黄河と沙漠に囲まれたオルドスはもともと牧畜業を中心としてきた内モンゴル自治区の盟(市)レベルの地域の一つで、モンゴル族の生活舞台であったが、改革開放後の1980年代からカシミア山羊の飼育に成功し、有名な「鄂爾多斯カシミア」ブランドで世界中にその名が知られるようになった。   そのオルドス沙漠の地下には豊富な石炭が埋蔵していることが発見されて、1990年代から採掘が始まった。ちょうど中国が経済発展期を迎える時期であり、オルドス南隣に位置する中国最大の石炭採掘地域である山西、陝西両省の石炭資源が限界を迎えていた時期とも重なったのである。この2つの偶然がオルドスの運命を変え、2000年にわずか15億元しかなかったGDPは、2009年には2000億元にまで膨れ上がり、わずか9年で香港を超えて「オルドスの奇跡」と呼ばれた。まさに中国の急激な経済発展が少数民族地域にもたらした典型的な資源バブルである。経済規模の膨張に伴ってオルドス市は沙漠のなかに百万人が居住できる新都市の建設に乗り出し、世界的に有名な建築家たちを集めてインパクトの強い建物と大勢の市民が居住する高層住宅を建設した。   それと同時に、加熱する不動産業への投資として金融活動も活発になり、シャド―・バンキングとも呼ばれる民間の金融業者が横行し、オルドスは浙江省の温州とともに中国の金融バブルを代表する闇金融の代名詞ともなった。しかし、バブルの饗宴は長つづきせず、リーマンショックによる世界的な需要の低下によって石炭の需要も減り、2010年ころからオルドスの経済は失速した。現在百万人を収容できる都市に5万人前後しか人が住んでおらず、ヒヤバグシは中国に数多くある「ゴースト・タウン」の代表格として定着した。草原と沙漠と遊牧でしか知られていなかった内モンゴルの奥地に何故世界的なゴースト・タウンができたのか。わずか十数年の間に、蜃気楼のように現れた「オルドスの奇跡」は一体何を物語っているのか。奇さんの報告は、聴講者に深く問いかけるものであった。   自主セッション「中国の少数民族地域におけるバブルとその遺産」では、中国の少数民族出身の4名の元渥美奨学生にそれぞれの故郷で起きているホットな出来事を報告していただいた。現代中国を内陸部から理解するためのとても重要な情報発信であり、これは渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)がもつソフトパワーの1つでもあると思う。   当日の発表資料(抜粋1)と会場風景   当日の発表資料(抜粋2:オルドス)   <ボルジギン・ブレンサイン> 渥美国際交流財団2001年度奨学生。1984年に内モンゴル大学を卒業後内モンゴル自治区ラジオ放送局に勤務。1992年に来日し、2001年に早稲田大学で博士学位取得。現在は滋賀県立大学人間文化学部准教授。   2016年11月4日配信  
  • エッセイ509:ラムサル・ビカス「AFC円卓会議『人とロボットの共生社会をめざして』で学んだこと」

    (第3回アジア未来会議「環境と共生」報告#4)   2016年9月29日から10月3日まで北九州市で開催された第3回アジア未来会議は、私にとってとても楽しく、またたくさんのことを学んだ貴重な機会でした。総合テーマは「環境と共生」で、20ヵ国から約400人が参加し、多分野に亘る国際的かつ学際的なセッションがたくさんありました。ここでは、9月30日の午前中に北九州国際会議場で行われた4つの円卓会議の一つである「人とロボットの共生社会をめざして」について報告します。   この円卓会議の発表者は、東京大学名誉教授の井上博允先生、立命館大学教授の李周浩(Lee Joo-Ho)先生、ロシア・カザン連邦大学教授のイヴゲニ・マギッド(Evgeni Magid)先生、九州産業大学教授の李湧権(Lee Yong-Kwun)先生、韓国ROBOTIS社のピョ・ユンソク(Pyo Yoon-Seok)先生、ミュンヘン工科大学教授のディルク・ウォルヘル(Dirk Wollherr)先生、上海交通大学の李紅兵(Li Hongbing)先生の7名で、討論者は東京大学の文景楠(Moon Kyungnam)さんとAtelier OPA代表取締役の杉原有紀さんでした。座長は李周浩先生とイヴゲニ・マギッド先生が務め、使用言語は英語でした。   会議は井上先生の基調講演から始まりました。新しい技術に取り組んでいらっしゃる先生は、「コボット:私たちと協働するロボット(COBOT: Robots that collaborate with us)」というテーマで、iPhoneからプロジェクターに出力して発表をされました。50年以上のロボット研究の経験をお持ちの先生は、ロボットに新しい名前を付けてコボットと呼んでいます。共同作業ロボット(COllaborative roBOT)という意味で、ロボットは人間と共同作業をしているという意味を深めるためです。将来、会社などでロボットは労働者として使われるようになり、人口減少の影響により起こる深刻な問題を解決するロボット・ソリューションについての興味深いお話でした。   李周浩先生は「漫画アニメーションにおけるロボットの社会や人間の共存(Coexisting societies of robots and human beings in cartoon animation)」というテーマで発表されました。日本には多くの漫画やアニメーションがあり、そのいくつかはロボットと人間の共存を扱っている事を知りました。1951年に発表された「鉄腕アトム(Astro Boy)」という漫画が、ロボットに関する10の法則を伝えおり、それを参考にして現在のロボットができたという話は、真実であろうと感じました。1969年に発表された「ドラえもん」は、人間とは違う姿をしていますが、人間と同じように考え、人間のために働いてくれるロボットです。言うまでもなく、ロボットはあくまでも人間のために働いてくれる存在なのです。他にもロボットと人間の共存を示す漫画アニメーションが流行っていますが、結論を言うと漫画アニメーションで見られるものは現実の技術レベル以上です。しかし、いつか必ず私たちの日常生活の中に取り入れられてゆくのだろうと感じました。   イヴゲニ・マギッド先生は「都市捜索救助シナリオにおけるモバイルロボットアシスタント(Mobile Robotic Assistants in Urban Search and Rescue Scenarios)」というテーマで発表されました。人間が行くことができない環境と危険な場所に、人間の代わりに行ってくれるモバイルロボットの活用についての発表でした。この発表では起伏の多い地形や瓦礫などで救助が困難なときに、安全でより良い経路を見つけるロボットが、被災地でとても役に立つ事が示唆されています。   李湧権先生は「九州産業大学のヒューマンロボティクス研究センター(HRRC)における研究活動(Research Project of Human-Robotics Research Center in Kyushu Sangyo University)」というテーマで発表されました。リハビリや介護の現場は人手不足が問題になっているため、それを解決するリハビリロボットの開発についての発表でした。現在では、高齢者や脊損患者のリハビリ支援に役立つロボット、全身性麻痺患者用移動支援ロボットや、ベッドの上での生活を介助するロボット開発が進んでいる事がわかりました。   ピョ・ユンソク先生は「なぜ『ヒューマノイド』が必要とされるのか?(Why is “HUMANOID” requested?)」というテーマで発表されました。人間との共生の視点から人間型ロボットの利点、人間型ロボットの外見から機能までの開発条件、人間と人間型ロボットの間の望ましい共存のための予見などについての発表でした。   ディルク・ウォルヘル先生は「人間環境におけるロボットアクションの相互作用の意識(Interaction-awareness for robot action in human environments)」というテーマで発表されました。自然で直感的なロボットアクションは、人間の環境で採用される将来のロボットの受け入れ先を増やすための鍵だということを教えて頂きました。人間は新しい状況に適応する能力を持っている。この人間との対話を目指すロボットは直感的なインターフェイスを持つことが、特に重要になると力説されました。   李紅兵先生は「手術用ロボットの力感知および制御(Force sensing and control for surgical robots)」というテーマで発表されました。現在多くの低侵襲性外科手術の手順は、遠隔操作ロボットシステムを用いて行われていますが、このような一般的なシステムでは外科医の「微妙な力加減」のコントロールシステム(フィードバックシステム)が内蔵されていません。特に、人の持つ組織は繊細なため、外科医に与える触覚的なフィードバックの欠落は、安全で複雑かつ繊細な手術においてボトルネックになっています。そのため手術ロボットの失敗操作が多いという事を知りました。このような失敗をなくすために、力のフィードバックシステムを内蔵した施術ロボットの開発に取り組んでいるそうです。   以上がロボット技術者からの発表でした。最後に、招待討論者の杉原さんは、噴水指輪のデザインと開発を紹介し、ロボット開発にもデザインが大事だということを発表されました。   同じく招待討論者の哲学者である、文景楠さんがいくつかの大事な点をコメントされました。多方面におけるコメントでしたが、一番話題になったのは「ロボットが失敗したら、だれの責任か?」という質問でした。その答えは、開発者の責任になるとも言えますが、私は技術者としてロボットを制御する人の責任でもある、と発言しました。   本会議で色々な種類のロボットについて学ぶ事ができました。ロボットと人間がどのように共存する社会を目指していくか、様々な事を考えました。問題点は多くありますが、技術者は問題解決に向け日々研究を行っている事を知ると共に、ロボット技術の研究開発には、ただ技術者だけではなく哲学者やデザイナーなど理系、文系の枠を超えた学際的なアプローチが必要だという事がよくわかりました。   当日の写真   <ラムサル・ビカス Lamsal Bikash> 渥美国際交流財団2016年度奨学生。トリブバン大学科学技術学部。物理学科を終えて、2010年1月に日本語学生をとして日本へ来日。2014年3月に足利工業大学大学院修士課程を取得。2014年4月から足利工業大学大学院博士課程情報・生産工学専攻に入学。現在は顔検出技術について研究中。
  • 第3回アジア未来会議「環境と共生」報告

    2016年9月30日(金)~10月2日(日)、北九州市において、二十日ヵ国から397名の登録参加者を得て、第3回アジア未来会議が開催されました。総合テーマは「環境と共生」。北九州市は製鉄業をはじめとする工業都市として発展しましたが、1960年代には大気や水の汚染により、ひどい公害が発生しました。その後、市民の努力により環境はめざましく改善され、2011年には、アジアで初めて、経済協力開発機構(OECD)のグリーン成長モデル都市に認定されました。第3回アジア未来会議では、このような自然環境と人間の共生はもとより、さまざまな社会環境や文化環境の中で、いかに共に生きていくかという視点から、広範な領域における課題に取り組み、基調講演とシンポジウム、招待講師によるフォーラムや円卓会議、そして数多くの研究論文の発表が行われ、国際的かつ学際的な議論が繰り広げられました。   開会に先立つ9月29日(木)午後7時、北九州国際会議場において、第10回SGRAチャイナフォーラム「東アジア広域文化史の試み」が開催されました。SGRAが毎年秋に北京を始め中国各地で開催しているフォーラムを、今回はアジア未来会議にあわせて日本で実施したもので、過去2回のフォーラムの論点に沿ってさらなる研究成果が報告され、今後の展開に繋げました。   翌、9月30日(金)午前9時から12時半まで、北九州国際会議場では4つのフォーラムと円卓会議が同時に開催されました。どの会場も大入り満員で、グローバルな課題に取り組む活発な議論が展開されました。   ◇円卓会議「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」(助成:東京倶楽部) この円卓会議では、東アジアの歴史和解を実現するとともに、国民同士の信頼を回復し、安定した協力関係を構築するためには歴史を乗り越えることが一つの課題であると捉え、中国の「国史」、日本の「国史」、韓国の「国史」を対話させることが大事であることを確認しました。将来的には「国史」研究者同士の交流によって共有する東アジア史に繋がっていくことが期待されます。今回は今後5回程度のシリーズの初回と位置づけられ、日本、中国、韓国の歴史研究者が集まって「国史たちの対話」の可能性を検討しました。(日中韓同時通訳付き)   ◇円卓会議「東南アジアの社会環境の変化と宗教の役割」(助成:国際交流基金アジアセンター) この円卓会議では、宗教が本来人間や社会を幸福にするために生まれたものであるにもかかわらず、近年は対立や衝突の原因と見なされがちである現状を踏まえ、民族と宗教のモザイクで構成され、各国で固有の宗教と社会の関係が見られる東南アジア各国の事例を基にして、この地域から招待する研究者、日本で研究活動を行う外国人及び日本人研究者が共に、宗教と社会のかかわり、社会変化と宗教の役割などの普遍的なテーマを議論しました。(使用言語:英語)   ◇円卓会議「人とロボットの共生社会をめざして」(助成:鹿島学術振興財団) この円卓会議では、(1)ロボットが日常生活の中に入る時、どのように人々とかかわり合い、どんな働きをすべきか、(2)人々とロボットが信頼関係を作り、共生できる社会は実現できるか、(3) ロボットは、従来の「人を模した相互作用対象」という限られた役割を超え、人間社会の中で、高度に知的で創造的な協調活動を誘発し、人々の間の相互作用の質を向上させる新たな役割を担うようになるか、等の問題意識に基づき、理工系研究者の発表の後、若手の哲学、デザインの研究者を交えて、人とロボットが共生する近未来の社会を構想しました。(使用言語:英語)   ◇AGI経済フォーラム「アジアの人口問題と対策」(主催:アジア成長研究所主催) 北九州市に本拠を置くアジア成長研究所主催の本フォーラムは、「アジア諸国は目下、少子高齢化、人口減少、人口移動、人口の都市化、外国人労働者の流入、性差などのような多くの人口問題を抱えており、これらの問題について網羅的に吟味し、対策を打ち出すことが急務となっている」という問題意識に基づき、アジア成長研究所の4名の専門家が、アジア諸国が直面している様々な人口問題を取り上げ、その実態、経済社会に与える影響、対策、他のアジア諸国への教訓などについて検証しました。(使用言語:英語)   昼食休憩の後、午後3時、北九州国際会議場メインホールにて開会式が始まり、第3回アジア未来会議を共催する北九州市立大学の近藤倫明学長の歓迎の挨拶の後、明石康大会会長が開会を宣言しました。引き続き、トヨタ自動車のMIRAIチーフエンジニア田中義和氏による「燃料電池自動車MIRAIの開発と水素社会の実現に向けたチャレンジ」と題した基調講演がありました。その後、北九州市立大学創立70周年記念シンポジウム「持続可能な発展とアジア市民社会-水素エネルギー社会の実現を目指して-」が開催され、北九州市で環境問題に取り組む市民活動について、研究員、NPO、起業家からの活動報告がありました。   フォーラムの講演一覧   最後に、松元照仁北九州副市長の祝辞をいただいた後、北九州市立大学創立70周年を祝して大学の研究成果の麹と地域民間企業のコラボが醸造する日本酒「ひびきのの杜」で鏡開きが執り行われました。参加者がホールを出ると、奇跡的に雨が止んだ中庭で、ジャズ演奏を聴きながら、そのお酒が300名を超える参加者に振る舞われてウェルカムパーティーが始まりました。アジアを中心に各国から集まった参加者が小倉名物の屋台によるB級グルメを楽しんだ後、小倉祇園太鼓の演奏に続いて、いよいよ今回の目玉イベントであるプロジェクションマッピングで、北九州の1500年の歴史を3分で纏めた影像が国際会議場中庭の大壁面に放映されました。   10月1日(土)、参加者は全員、小倉駅からモノレールで北九州市立大学北方キャンパスに移動し、8つの自主セションを含む58の分科会セッションに分かれて225本の論文発表が行われました。アジア未来会議は国際的かつ学際的なアプローチを目指しているので、各セッションは、発表者が投稿時に選んだ「平和」「幸福」「イノベーション」などのトピックに基づいて調整され、学術学会とは違った、多角的かつ活発な議論が展開されました。前日の招待フォーラムの講師を含む延べ109名の方に多様性に富んだセッションの座長をお引き受けいただきました。ポスター発表は地下一階の休憩所に隣接して行われました。休憩時間には北九州市立大学の学生やボランティアによるピアノの演奏やお茶のお点前があり、国際交流の雰囲気を盛り上げました。   各セッションでは、2名の座長の推薦により優秀発表賞が選ばれました。 優秀発表賞の受賞者リスト   また、本会議では10本のポスターが掲示されましたが、AFC学術委員会により2本の優秀ポスター賞が決定しました。 優秀ポスター賞の受賞者リスト   さらに、優秀論文は学術委員会によって事前に選考されました。2015年8月31日までに発表要旨、2016 年2月28日までにフルペーパーがオンライン投稿された115本の論文を13のグループに分け、ひとつのグループを4名の審査員が、 (1) 論文のテーマが会議のテーマ「環境と共生」と適合しているか、 (2) わかりやすく説得力があるか、(3) 独⾃性と⾰新性があるか、(4) 国際性があるか、(5) 学際性があるか、という指針によって審査しました。各審査員は、グループの中の9~10本の論文から2本を推薦し、集計の結果、上位20本を優秀論文と決定しました。 優秀論文リスト     フェアウェルパーティーは、同日午後7時から、ステーションホテル小倉において開催され、今西淳子AFC実行委員長の会議報告のあと、北九州市立大学の漆原朗子副大学長による乾杯で始まりました。食事が終わる頃、AFC学術委員長の平川均国士舘大学教授から選考報告があり、優秀賞の授賞式が行われました。授賞式では、優秀論文の著者20名が壇上に上がり、明石康大会委員長から賞状の授与がありました。続いて、優秀ポスター賞2名、優秀発表賞50名が表彰されました。パーティーの最後に、韓国未来人力研究院院長の李鎮奎高麗大学教授から第4回アジア未来会議の概要の発表がありました。   10月2日(日)参加者は、それぞれ、水俣スタディツアー、秋吉台・萩観光、北九州市内観光、北九州環境スタディツアー、温泉体験などに参加しました。   第3回アジア未来会議「環境と共生」は、渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)主催、北九州市立大学と北九州市の共催、外務省と文部科学省の後援、国際交流基金アジアセンター、東京倶楽部、鹿島学術振興財団、北九州市の助成、九州経済連合会、アジア成長研究所の協力、そして、麻生セメント、カジマ・オーバーシーズ・アジア、 鹿島建設、鹿島道路、 九州電力、九州旅客鉄道、九電工、コクヨ、スナヤン開発、ゼンリン、第一交通産業、中外製薬、テノ・コーポレーション、TOTO、西日本産業貿易コンベンション協会、本庄国際奨学財団、三井住友銀行、米良電機産業、門司港運、安川電機、山口銀行からのご協賛をいただきました。   運営にあたっては、元渥美奨学生を中心に実行委員会、学術委員会が組織され、フォーラムの企画から、ホームページの維持管理、優秀賞の選考、当日の受付まであらゆる業務を担当しました。また、北九州市立大学にも実行委員会が開設され、延べ120名を超える教員、職員、学生ボランティアのご協力をいただきました。   400名を超える参加者のみなさん、開催のためにご支援くださったみなさん、さまざまな面でボランティアでご協力くださったみなさんのおかげで、第3回アジア未来会議を成功裡に実施することができましたことを、心より感謝申し上げます。   アジア未来会議は、国際的かつ学際的なアプローチを基本として、グローバル化に伴う様々な問題を、科学技術の開発や経営分析だけでなく、環境、政治、教育、芸術、文化など、社会のあらゆる次元において多面的に検討する場を提供することを目指しています。SGRA会員だけでなく、日本に留学し現在世界各地の大学等で教鞭をとっている研究者、その学生、そして日本に興味のある若手・中堅の研究者が一堂に集まり、知識・情報・意見・文化等の交流・発表の場を提供するために、趣旨に賛同してくださる諸機関のご支援とご協力を得て開催するものです。   本会議は2013年から始めた新しいプロジェクトで、当初10年間で5回の開催を計画しましたが、既に3回の会議を成功裡に終えることができたので、2020年以後も開催を続けることになりました。第4回アジア未来会議は、2018年8月24日から27日まで、韓国ソウル市で開催します。皆様のご支援、ご協力、そして何よりもご参加をお待ちしています。   第4回アジア未来会議チラシ   第3回アジア未来会議の写真(ハイライト)   フェアウェルパーティーの時に映写した写真(動画)     (文責:SGRA代表 今西淳子)     2016年10月6日配信
  • 1 / 212