SGRAイベントの報告

  • 2020.01.22

    第5回アジア未来会議報告

    2020年1月12日(日)第5回アジア未来会議最終日の午後、スタディツアーの1グループがフィリピンの首都マニラから約70キロ南にあるタガイタイ観光を楽しんでいた正にその時に、タール火山が噴火しました。この規模の噴火は1911年以来とのこと。噴煙は一時、高さ1万5000メートルに達し、火山灰は会議場となったマニラ市南郊のアラバンにも達しました。翌13日(月)の帰国日、マニラの国際空港では欠航や遅れが相次ぎ、200名以上の会議参加者に影響を及ぼし、70名以上が会議場ホテルで延泊、それ以上が空港ターミナルや市内のホテルで長時間の待機を余儀なくされました。   1月9日(木)~13日(月)、フィリピンのマニラ首都圏アラバンにあるベルビューホテルと、ラグーナ州のフィリピン大学ロスバニョス校において、21ヵ国から294名の登録参加者を得て、第5回アジア未来会議が開催されました。総合テーマは「持続的な共有型成長―みんなの故郷、みんなの幸福」。今日、世界はこれまで経験したことがないほどの経済成長をとげているものの、この成長は受入れがたい貧富格差の拡大と環境破壊を伴っているという問題意識に基づき、「持続的な共有型成長」のビジョンを議論すると共に、その実現を目ざすために必要と思われるメカニズムを多角的な視点から考察し、実現のための途を探ることを目標に、基調講演とシンポジウム、招待講師による円卓会議、そして数多くの研究論文の発表が行われ、広範な領域における課題に取り組む国際的かつ学際的な議論が繰り広げられました。   9日(木)午前9時から、同時通訳設備の都合で本会議に先立ち、円卓会議A「第4回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」が開始されました。東アジアの歴史和解を実現するとともに、国民同士の信頼を回復し、安定した協力関係を構築するためには歴史を乗り越えることが一つの課題であると捉え、日本の「日本史」、中国の「中国史」、韓国の「韓国史」を対話させる試みです。4回目の今回は19世紀の歴史に焦点を当て「東アジアの誕生-19世紀における国際秩序の転換-」というテーマで活発な議論が展開されました。(日中韓同時通訳)   10日(金)午前9時30分から開会式が始まりました。高校生の合唱隊によるお祈りの後、明石康大会会長が第5回アジア未来会議の開会を宣言しました。共催のフィリピン大学ロスバニョス校のF.C.サンチェス学長の歓迎の挨拶に続き、羽田浩二駐フィリピン日本大使とフィリピン大学のD.L.コンセプション総長より祝辞をいただきました。   引き続き、J.C.ラウレル駐日本フィリピン大使の「ソーシャルメディア時代に持続可能な開発目標を達成するために」と題した基調講演ありました。その後、渥美財団の第1期奨学生でフィリピン大学ロスバニョス校助教授のF.C.マキトさんの進行で、フィリピンにおけるSGRAの活動の5名の協力者の先生方と一緒に「持続的な共有型成長」というテーマについて検討しました。   午後には円卓会議A、Bと5つの分科会セッションが並行して開催されました。 円卓会議B「東南アジアの叡智-社会倫理とグローバル経済-」では、市場資本主義経済に乗って東南アジア諸国はかつてない経済成長と発展をおう歌しているが、富と権力は一極に集中し、地域コミュニティーは疲弊しているという問題意識に基づき、フィリピン、インドネシア、タイから宗教家と経済学者を招いて、民族、宗教、文化のるつぼである東南アジアには過去の人々が成功と失敗に基づく経験知を通じて築き上げてきたさまざまな叡智やシステムがあり、それらは「混迷する」と言われる現代の経済学や経済社会にどのような光をあてるのだろうかという議論が展開されました。(使用言語:英語)   第5回アジア未来会議プログラム   11日(土)午前8時、参加者は全員7台の大型バスに約1時間乗ってフィリピン大学ロスバニョス校に向かいました。今回の会場は、広大なキャンパスの中の森林学部で、参加者は冷房の効いたホテルの会議室から自然の中に解放され、円卓会議Bと40にわたる分科会セッションが開催されました。お昼には参加者は植物園まで散策し、森の中でお弁当を楽しみました。   第5回アジア未来会議では、グループセッション、学生セッション、一般セッションを合わせて50セッションが行われ、173本の論文発表が行われました。アジア未来会議は国際的かつ学際的なアプローチを目指しており、各セッションは、発表者が投稿時に選んだ「共有型成長」「平和」「環境」「イノベーション」などのトピックに基づいて調整され、学術学会とは趣を異にした多角的で活発な議論が展開されました。   一般セッションと学生セッションでは、セッションごとに2名の座長の推薦により優秀発表賞が選ばれました。   第5回アジア未来会議優秀発表賞受賞者リスト   優秀論文は学術委員会によって事前に選考されました。2019年1月20日までに発表要旨、7月31日までにフルペーパーがオンライン投稿された127本の論文を13のグループに分け、65名の審査員によって査読しました。ひとつのグループを5名の審査員が、次の5つの指針に沿って審査しました。投稿規定に反するものはマイナス点をつけました。(1)論文のテーマが会議のテーマ「持続的な共有型成長」と適合しているか、(2)わかりやすく説得力があるか、(3)独自性と革新性があるか、(4)国際性があるか、(5)学際性があるか、という指針に基づいて査読しました。各審査員は、グループの中の9~10本の論文から2本を推薦し、集計の結果、上位20本を優秀論文と決定しました。   第5回アジア未来会議優秀論文リスト   分科会セッションの後に参加者は再びバスに乗って山の上のアートセンターに移動して、午後6時30分からクロージングパーティーを開始しました。学生サークルによる歌とダンスの宴もたけなわの頃、優秀賞の授賞式が行われました。授賞式では、優秀論文の著者20名が壇上に上がり、明石康大会委員長から賞状の授与がありました。続いて、優秀発表賞50名が表彰されました。 パーティーの終盤では、第6回アジア未来会議の概要の発表がありました。台湾の中国文化大学の徐興慶学長による招待の挨拶とビデオによる大学案内がありました。   12日(日)、参加者はそれぞれ、マニラ観光ツアー、ケソンシティー観光ツアー、そして冒頭のタガイタイ観光ツアーに参加しタール火山の噴火に遭遇しました。   第5回アジア未来会議「持続的な共有型成長:みんなの故郷、みんなの幸福」は、(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)主催、フィリピン大学ロスバニョス校公共政策開発学部の共催、文部科学省、在フィリピン日本大使館、在日本フィリピン大使館の後援、(公財) 高橋産業経済研究財団の助成、フィリピン大学連合および50を超える日本とフィリピンの組織や個人の方々からご協賛をいただきました。とりわけ、フィリピンプラザ・ホールディングスの皆様からは全面的なサポートをいただき、華やかな会議にすることができました。   第5回アジア未来会議主催・協力・賛助者リスト   運営にあたっては、渥美元奨学生を中心に実行委員会、学術委員会が組織され、フォーラムの企画から、ホームページの維持管理、優秀賞の選考、写真撮影まであらゆる業務を担当しました。特に2名しかいないフィリピン出身の渥美フェローは企画の最初から最後まで大活躍でした。   300名の参加者のみなさん、開催のためにご支援くださったみなさん、さまざまな面でボランティアでご協力くださったみなさんのおかげで、第5回アジア未来会議を成功裡に実施することができましたことを、心より感謝申し上げます。   アジア未来会議は、国際的かつ学際的なアプローチを基本として、グローバル化に伴う様々な問題を、科学技術の開発や経営分析だけでなく、環境、政治、教育、芸術、文化など、社会のあらゆる次元において多面的に検討する場を提供することを目指しています。SGRA会員だけでなく、日本に留学し現在世界各地の大学等で教鞭をとっている研究者、その学生、そして日本に興味のある若手・中堅の研究者が一堂に集まり、知識・情報・意見・文化等の交流・発表の場を提供するために、趣旨に賛同してくださる諸機関のご支援とご協力を得て開催するものです。   第6回アジア未来会議は、2021年8月27日(金)から31日(火)まで、台湾の中国文化大学と共催で、台北市で開催します。皆様のご支援、ご協力、そして何よりもご参加をお待ちしています。   第5回アジア未来会議の写真(ハイライト)   第5回アジア未来会議フィードバック集計   第5回アジア未来会議報告(写真入り)日本語   The 5th Asia Future Conference Report   第6回アジア未来会議チラシ   明石康氏コラム(秋田魁新報2020年1月24日朝刊)   Newspaper Column by Mr. Yasushi Akashi   (文責:SGRA代表 今西淳子)
  • 2019.11.21

    陳龑「第13回SGRAチャイナフォーラム『国際日本学としてのアニメ研究:メディアミックスとキャラクター共有の歴史的展開』報告」

    今年のチャイナフォーラムは、様々な「想定外」をクリアしつつ、ようやく10月19日(土)午後に北京外国語大学日本学研究センター多目的室において開催された。昨年の日中映画史に関するフォーラムに引き続き、今年のテーマは、さらに若い世代の興味を呼ぶ領域――アニメーションであった。また、今回も日中双方の専門家をお招きして、「国際日本学としてのアニメ研究:メディアミックスとキャラクター共有の歴史的展開」をめぐって、様々な角度から議論した。   今回のキーワードとなる「メディアミックス」は、近年日本アニメーション研究者やアニメーション業界で熱く語られてきた。一方、中国では、「メディアミックス」の形が現れつつあるが、未だにこれが「メディアミックスというシステム」であることに気づいていない。   企業が主導して、複数の作家が同一のキャラクターや世界観(背景世界)を共有して創作物を同時多発的に生み出し、さらにそこにファンが二次創作やコスプレの形で創造的に参加する「メディアミックス」は、日本のアニメーションを中心とするコンテンツ産業の特徴的手法とされ、マーク・スタインバーグ 『なぜ日本は<メディアミックスする国>なのか』(2015、原文は英語で2012年発行)以降、アニメの学術研究の新しい領域として注目を集めている。本フォーラムではスタインバーグの議論では不十分であったメディアミックスの東アジアにおける歴史的な起源について中・日双方から検証した。   北京大学外国語学院の孫建軍副教授が司会を務め、はじめに、清華東亜文化講座、社会科学院文学研究所教授董炳月先生から開会挨拶があった。董先生は魯迅の版画、漫画、連環画についてのご研究に触れ、今回テーマの中国語訳のなかにある「動漫」という言葉を「動く漫画」と解釈した上で、今年のフォーラムに大きな意義を感じたと述べられた。続いて、北京外国語大学日語学院院長の徐滔先生からもご挨拶を頂いた。   その後、国際日本文化研究センター教授の大塚英志先生が最新研究成果を踏まえ「『翼賛一家』とメディアミックスの日本ファシズム起源」というタイトルで講演された。ご自身が漫画原作者でありながら、角川書店黎明期のメディアミックスに深く関わるキーマンでもあったという「ミックス」な身分を持つ研究者である大塚先生は、いつも鋭い感性で着実な実証研究を行い、世界中の漫画研究者を「驚かせている」。今回も、スタインバーグの研究の結論を紹介し、抜け落ちている部分――「戦時下」にフォーカスし、『翼賛一家』のメディアミックスについて詳しく語った。   スタインバーグが最初に取り上げたのは、1925年前後の新聞連載漫画『正チャンの冒険』である。版権の概念が希薄だったその時期に、『正チャンの冒険』が人気を博し、管理者不在の「メディアミックス」が自然発生した。単行本、類似作品、舞台、アニメーション、キャラクター商品などが誕生し、正ちゃんと「正ちゃん帽」は最初のキャラクターとキャラクターグッズであったと言う。また、1960年代のアトムは、世界中で知られている企業主導の「メディアミックス」であり、版権意識が出来上がった時代のビジネスとして行われた。そして、1980年代末の『ロードス島戦記』のメディアミックスは、プラットフォームによる版権と創作行為そのものの管理であった(コモンズ型)。   しかし、スタインバーグに語られていなかった「戦時下」はどうであろう。大塚先生は、メディアミックスという思考と技法は戦時下に形成され、戦後メディアに継承されたと主張した。当時各メディアを支える人々が参加する「報道技術研究会」という存在が、「国家宣伝」のため「大政翼賛会」などプロパガンダ制作をした。翼賛会に関連する新日本漫画協会が『翼賛一家』のキャラクターと世界観(背景世界)を制作し、翼賛会に「版権」を「献納」した。大塚先生は「撃ちてし止まむ」の標語型メディアミックスの事例を紹介し、このような報研グループの技法が戦後の企業広告に転用され、「メディアミックス」と名付けられたことを説明した。   1940年から、翼賛会が管理する『翼賛一家』の漫画が、複数の作家や媒体で同時展開され、「素人」も参加する「参加型メディアミックス」が出来上がった。その流れの中、長谷川町子や手塚治虫など戦後の日本アニメに原作を提供する代表的作者も参加した。「朝日新聞」を中心に「翼賛一家」の読者投稿が推進され、戦後の日本の同人誌文化の特色と言える「二次創作」という参加型文化が日本ファシズム期に形成された。大塚先生は『翼賛一家』で「隣組」の存在が実際「ナチス型国民組織」であることを検証し、さらに、その延長線上、植民地支配の手段として「大和一家」、「ニコニコ共栄圏」のメディアミックスが台湾、旧満洲、上海など「外地」でも行われたことを提示した。一方、プロパガンダの意味合いにも関わらず、この「伝統」――家族、町内、町内の家族の日常――が戦後漫画のメインテーマとなった。最後に大塚先生は、東アジア漫画・アニメーション研究には戦時下の歴史研究が不可避であることを強調した。   膨大な資料と斬新な観点に圧倒された後、来場者の若い中国人学生は親しいキャラクター「孫悟空」に関する新鮮な研究に耳を傾けた。北京日本学研究センターの秦剛教授は「日本アニメにおける『西遊記』のアダプテーション:変異するキャラクター」というテーマで、日中両国が長く共有してきたキャラクター「孫悟空」にフォーカスし、なぜ東アジア地域において『西遊記』アニメによるアダプテーションが作られ続けてきたのかという問いを解明した。   秦先生の調査によると、戦前から『西遊記』のアニメーションが日本で4本作られたが、その特徴の一つが、短い時間の中で、長編小説である『西遊記』の物語を「濃縮」して表現することである。これは中国の従来の『西遊記』の元で展開される「メディアミックス」のやり方、即ち長い『西遊記』の中の一節をピックアップして演じるのとは異なり、戦後のアダプテーションまで継承されている。戦後日本アニメ、特にテレビアニメシリーズの「1話に1つの物語」という特徴が繰り返されて『西遊記』のアダプテーションをつくる流れの中で形成されたと推測した。つまり、「戦後日本テレビアニメのシリーズ構成が『西遊記』が代表する「章回小説」の書き方に深く関わっているかもしれない」という仮説が提示された。   その後、手塚治虫が制作に関わった作品を中心に、日本の『西遊記』の各アダプテーションを整理しつつ、日本における『西遊記』の多くのメディア展開が中国と異なる大きな特徴を3点示した。第1に、戦後日本の『西遊記』のアダプテーションの中で、孫悟空は子どもである。第2に、牛魔王が「怪獣化」される。第3に、三蔵法師の「女性化」、「ギャグ化」。この3つの特徴が形成される背後の文化的要因を分析すると、『西遊記』が日本のクリエーターと観客にとって他者であるので、元々想像力に満ち溢れる原作も「二次創作」に対する「束縛」が少ないと説明された。   子ども化された孫悟空は、戦時下の中国アニメーション『鉄扇公主』に感銘をうけた手塚治虫のマンガ『ぼくのそんごくう』が最初に小学生向けの雑誌で連載された影響もあり、「成長性」の強調と孫悟空の「暴力要素」を弱める配慮などによる結果である。また、牛魔王の「怪獣化」は戦後日本のゴジラが代表する怪獣ブームと関連している。そして、最も中国人にとって不思議な三蔵法師の「女性化」、「ギャグ化」について、秦先生は独特な解説をした。戦後の日本人にとっては、三蔵法師の「内面」或いは「精神力」が「空洞化」したため、このキャラクターが「入れ替え可能」となった。その結果、三蔵法師は自由に変化でき、遂には「孫悟空の彼女」という存在までにもなれた(女性の三蔵法師が登場する『西遊記』のアダプテーションでは、孫悟空には彼女が存在しない、一方、孫悟空の彼女が登場すれば、女性の三蔵法師は出てこない)。   最後に、秦先生は一つの心配を述べた。日本における『西遊記』のアダプテーションの特徴は、作品と共に80年代以後の中国に渡り人気を博した結果、80年代後半の中国アニメ・マンガ・ドラマにも子どもの孫悟空が現れるようになった。先生は、いつか中国でも女性の三蔵法師が現れる「嫌な予感」がすると揶揄した。   2つの膨大な情報量の講演の後、大塚先生と秦剛先生に北京大学マンガ図書館館長古市雅子先生と東京大学総合文化研究科博士課程の陳龑が加わり、顔淑蘭(社会科学院文学研究所研究員)さんの進行で 総合討論を行った。   アニメーション史研究と「動漫」概念の研究を進めている陳龑が自分の研究と関連づけて、「メディアミックス」という言葉は中国では使われていないが、その意味合いの入った言葉に「動漫」と「IP」があると紹介し、特に「IP」(知的財産権の英語の略称)が近年以来の中国「動漫」の世界における存在感が高まり、日本のマンガ・アニメ業界に「逆輸入」されたが、もし「メディアミックス」の根本的な部分にファシズムが潜伏しているであれば少し心配すると述べた。また、子ども化する孫悟空が中国で現れないことに対して、『西遊記』の中ですでに孫悟空とやり合う子どもキャラクター「哪吒」が存在したからではないかと推測した。   古市先生も、「二次創作」という日本式なマンガ・アニメファンの行為には深く文化的な脈があることを補足しながら、中国今年大人気のヒット作劇場版『哪吒』の内容に関連づけて、日本における『西遊記』キャラクターの変遷と最近の中国における『西遊記』のアダプテーションにおける「脱構築」現象は、娯楽化のための変化だと自らの意見を示した。   大塚先生は再び「メディアミックス」を語る目的は「メディアミックス」を提唱したいのではなく、むしろその誕生から見れば様々な問題があり、さらに「メディアミックス」は日本の今のマンガ・アニメの首を絞めていると強調した。   秦先生は、以前から大塚先生の研究に感銘を受けインスパイアされて今回の孫悟空のキャラクターに対する分析をしたと述べた一方、大塚先生も秦先生の実証研究に専念する着実な研究者の姿は尊敬すべきだとアニメ・マンガ研究に興味のある学生たちに向けて紹介した。特にアニメ・マンガが好きで研究に進みたい学生に対して、研究対象は「アニメ・マンガ」であっても、研究方法と研究の姿勢は他の研究と同じく丁寧に資料に当たらなくてはいけないとアドバイスをした。   最後に、渥美財団を代表して今西常務理事からフォーラムの開催経緯の説明と閉会の挨拶があった。今回のチャイナフォーラムは若い学生さんを中心に120名を超える参加者を迎え大成功だった。満席で椅子を運んだが、同時通訳のイヤホンの数は大分足りなかった。専門用語と作品名が多く、情報量も膨大だった講演の同時通訳を担当してくださった丁莉先生(北京大学教授)と宋剛先生(北京外国語大学)に尊敬の念を伝えたい。   当日の写真   <陳龑(ちん・えん)Chen_Yan> 北京生まれ。2010年北京大学ジャーナリズムとコミュニケーション学部卒業。大学1年生からブログで大学生活を描いたイラストエッセイを連載後、単著として出版し、人気を博して受賞多数。在学中、イラストレーター、モデル、ライター、コスプレイヤーとして活動し、卒業後の2010年に来日。2013年東京大学大学院総合文化研究科にて修士号取得、現在同博士課程に在籍中。前日本学術振興会特別研究員(DC2)。研究の傍ら、2012~2014年の3年間、朝日新聞社国際本部中国語チームでコラムを執筆し、中国語圏向けに日本アニメ・マンガ文化に関する情報を発信。また、日中アニメーション交流史をテーマとしたドキュメンタリーシリーズを中国天津テレビ局とコラボして制作。現在、アニメ史研究者・マルチクリエーターとして各種中国メディアで活動しながら、日中合作コンテンツを求めている中国企業の顧問を務めている。     2019年11月21日配信  
  • 2019.10.31

    楊淳婷「第8回ふくしまスタディツアー『ふるさとの再生』報告」

    2019年9月21日から23日までの3日間、福島県飯館村の訪問を軸としたスタディツアーの一参加者として、非常に充実した時間を過ごした。震災/復興という漠然とした言葉で括られている、福島で起きた/起きている出来事、すなわち2011年福島第一原子力発電所事故による放射能汚染と住民の避難、そして近年、その除染作業の進行に伴う土地利用や住民の帰還について見聞きしたことを少しお伝えしたい。   原発事故の経過を回顧し、廃炉作業の現状や予定について紹介する「東京電力廃炉資料館」から我々のツアーが始まった。東電の旧経営陣の3人に無罪判決が下された数日後だった。当該資料館の解説員や映像紹介によって、「自然現象など外的事象が引きおこす過酷事故のリスクを軽視し、安全対策を継続的に強化してこなかった、申し訳ない」という弁解が繰り返された。しかし、福島県沖を震源と設定した場合、津波水位の最大値は15.7メートルという計算結果が東電に報告された2008年から震災の発生まで、特に対策を講じてこなかったという事実説明の方がむしろ印象深かった。   その後、原発災害による避難で日常を中断されていた飯館村に向かった。震災から6年後、2017年3月31日に、一行政区を除き、避難指示がようやく解除された村である。今年9月の統計によると、約6500名の登録人口の内、1200名未満の村民しか帰還していない。噂通り、美しい山に囲まれた村内には汚染土などを保管するフレコンバッグが大量に積み上げられており、農地の一角にはソーラーパネルが一面に広がっていた。   仮設住宅の木造建材を再利用し、飯館村内外の交流を図る宿泊施設「風と土の家」に我々は滞在しながら、「ふくしま再生の会」理事長の田尾陽一さんや、副理事長であり東京大学大学院農学生命科学研究科教授でもある溝口勝さんなどによるレクチャーを受け、農林畜産業を生業としてきた飯館村の現在を見学した。トルコキキョウなどお花のハウス栽培農家、遠隔監視装置が装備された牛舎、放射線セシウムの除染工事の跡が窺える「松塚土壌博物館」や、経済作物として見込まれて栽培実験中の漆(うるし)の畑などを見学した。さらに、桜やバラなど様々な花を谷一杯に栽培し、桃源郷のような花園を作ることに取り組んでいる大久保金一さんにご指導いただきながら花植え体験をした。また、我々が手作りした多国籍料理が並べられ、村民が即興で披露してくれた歌や踊りで賑わった佐須公民館(旧佐須小学校校舎)での交流晩餐会も思い出深い。   実は、飯館村の村民と数えられる人の中には、田尾さん一家などここ2年間新たに転入した移住者100人以上が含まれる。それゆえ、飯館村の再生をめぐって「外部の人」の見解に反感を抱く村民も見受けられるのだという。村中の人々が足並みを揃えている訳ではないが、「ふくしま再生の会」は村全体に影響を及ぼしかねない新しい取り組みに着手している。「大地の芸術祭」や「瀬戸内国際芸術祭」のアートディレクターとして知られている北川フラムさんを迎えて、地域文化を掘り起こし、村に訪問者を呼び込む「アートプロジェクト」の構想がスタートしたのである。   なぜ震災後の農村の再建に「アート」を取り入れるのか、疑問を抱く方は少なくないだろう。けれども、アート分野で学ぶ筆者にとってこの考えは理に叶っている。アートは、普段人々が見えていない物事を「見える化」したり、既成概念を問い直したりして、あらゆる事象に独自の価値を付与する傾向がある。鑑賞者はアート作品によって思考が刺激され、さまざまな発見や再認識が促される。このような特性から、アーティストが持ち込む新しい視点によって地域の魅力が見出され、発信されるという期待のもと、既に日本各地で地域創生の手段の一つとしてアートプロジェクトが多く実践されている。   飯館村の再生は、田尾さんに言わせれば、決して「元のまま」に戻すことではない。放射能汚染ばかりが問題視されているが、原発事故が破壊したのは自然と人間の関係性であり、その関係性が断ち切られた人々の精神であると田尾さんは主張する。この意味において、アートプロジェクトは少なくとも人と人、人と土地の新しい関係性や愛着感を醸成する糸口となるかもしれない。   再生に向かう飯館村の取り組みは、農林畜産業から芸術活動まで広がっている。「内部の人」であろうとなかろうと、地についた研究・調査力から飛躍的な想像力を持つ多分野の協力者が重層的に展開している活動の数々は、市民の豊かな創造性が芽吹き始めていることを物語っているのではないだろうか。   英語版はこちら   スタディツアーの写真   <楊淳婷(ヤン・チュンティン)Yang_Chun-ting> 2018年度渥美奨学生。アートマネジメント/文化政策分野で研究・活動をしている。博士(学術/東京藝術大学)。修士(美術教育/福岡教育大学)。学士(日本語/台湾国立政治大学)。2019年度現在はNPO法人「音まち計画」の主催事業「イミグレーション・ミュージアム・東京」(略称IMM)の企画統括を務める。主な論文は「アートによる多文化の包摂-日本人の外国人住民に対する『寛容な意識づくり』に着目して-」(『文化政策研究』第10号、2016年)がある。(IMMのホームページ:http://aaa-senju.com/imi)     2019年10月31日配信  
  • 2019.09.05

    金弘渊「第12回SGRAカフェ『「混血」と「日本人」:ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』報告」

    2019年7月27日、第12回SGRAカフェが開催された。午後の蒸し暑い坂道を登り、たどり着いた鹿島新館には、予想以上に多くの人が集まっていた。今回のテーマは『「混血」と「日本人」:ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』であり、発表者は上智大学の下地ローレンス吉孝先生だ。私は大学時代からずっと生物についてばかり勉強してきたので、文系世界は門外漢であり、こんな真面目な社会学セミナーの参加は初めてで正直なところ最初は不安だった。   でもその不安はすぐに解けた。皆さん普通に私服でお越しになっていたし(日本で参加した生物学会ではスーツがメジャーな格好だ)、私が着いた頃にはまだ時間に余裕があったため、多くの人たちはコーヒーを飲みながら談笑していて、そんなリラックスな雰囲気がよかった。   講演は午後2時からスタートした。はじめに司会の立命館大学言語教育センターのファスベンダー・イザベル先生より、パネリストの紹介と今回のSGRAカフェのテーマについて説明があった。その後、下地先生の発表が始まり、最初はご自分の家族について語られ、続いて「混血」の歴史についての発表があった。日本の戦後から今までの数十年の期間に着目し、日本人と外国人の間で生まれたいわゆる「混血」の人々が、日本社会においてどのように位置付けされてきたかを歴史的、政治的、文化的な角度から分析された。後半は、「混血」の生活史について掘り下げた内容で、その中で下地先生が6年をかけて、日本国内の50人以上の「ハーフ」の方々にインタビューされた調査結果が報告された。   私が一番好きだったトピックは、この実際に聞き取りした一人一人の物語だ。私は理工学出身のため、物事を観察する時、他人の気持ちを考えず論理的な視点からしか見ないことがよくある。しかし今回の発表では「ハーフ」の方々から直接聴取されたごく日常的な差別の経験が紹介され、その内容に思いのほか心を動かされた。自分は外国人として日本留学しており、中国人のため外見だけでは「外国人」とは判断されないけれど、自分のボロボロな日本語を日本人に聞かせると、大体初対面の方から「日本語お上手ね」のように褒められるケースが多い。自分の日本語があまり上手じゃないのを知っているから、そうは言われても相手に悪意があるのではないかと思ってしまう。どうしてこのような反応が返ってくるのか、ずっと考えてきたが、それはおそらく相手が私に対して抱く予測(顔からの判断して日本人だろうと思うこと)が外れ、実は外国人だと分かった時のごく一般的な反応だと自分に説得してきた。   でも、一時的な留学生の身分とは異なり、数十年にわたる人生の中で、毎日そのような定番の質問と返事が繰り返されるとしたら、日本人としての「ハーフ」の方々には相当なストレスが溜まるだろう。   私は比喩が好きではないけれど、「ハーフ」の生活史に関することは生物の免疫になんとなく相似すると感じた。人間は生まれた時点では免疫システムがか弱い。その理由は、免疫システムが、自分自身の認識がまだできていないからだ。子どもから大人になる時期に、免疫システムは自分自身の細胞を認識できるようになり、病気との戦いを経験することで鍛えられ、病原体に対するバリアを作るための境界線も自ら引けるようになる。要は、生物の成長にとって大事なことは、免疫システムの成長の過程における自分自身の「アイデンティティ」の確立なのである。   しかし、いったん確立した「アイデンティティ」が何らかの要因(例えば薬やアレルギーなど)でバランスを失ったり、本来の自分とミスマッチを繰り返したりするようになると、免疫システムは自分自身の細胞まで攻撃してしまうようになる。難病として多く認識されている自己免疫疾患はその例だ。似たような感じで、同じ日本人の母集団にいるのに、「ハーフ」の人たちが日本人としての所属意識を失ったり、幼少期から人格の確立に悩んだり、大人になっても「アイデンティティ」を他人から疑われ続けたりすると、いくら精神力があってもとても深く傷付けられることは容易に想像できた。   もちろん、ここでは誰かが病気になっているというわけではない。「ハーフ」たちが経験した差別は、アイデンティティを認識するときに生じる「情報不均衡」に加え、ほぼ単一民族から構成される日本の社会の中でさらに拡大されると考える。私は生物をやっているので、様々な可能性を生む「多様性」という言葉が好きだ。熱帯雨林のような著しい多様性が存在する生態システムには、さまざまな珍奇な生物が見られ、その包容力があるからこそ熱帯雨林は成り立っている。だが、人間社会はやはり自然より複雑だ。仮に国家の歴史と地理的な条件から独自の民族的性格が捉えられたとしても、その唯一の標準だけをもってその民族全体を測ることはできない。元々多民族の国、または複数の移民から構成される国では、「ハーフ」たちへの差別はどうなのだろうと考えると、結構興味深くなるテーマだった。   下地先生の素晴らしい講演は来場者からの拍手の中、終了した。その後、今回のセミナーにいらっしゃった「ハーフ」の方々も自分の経験談を皆さんにシェアし、貴重なご意見と有意義なコメントが集まった。とても勉強になった2時間だった。   SGRAカフェの後は、渥美国際財団が主催した真夏のBBQ。今回も神奈川県・小田原からの新鮮な「海の幸」がメインディッシュになり、ラクーン会の先輩たちによる美味しい料理もいただいた。ご来場の方々も増え、2時間ほど歓談とご馳走を楽しんだ。   当日の写真     <金弘渊(キン・コウエン)Jin_Hongyuan> 渥美国際財団2019年度奨学生。中国杭州生まれ杭州育ち。中国浙江大学応用生物科学卒業、東京大学大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻博士(生命科学)修了。現在、東京大学先端生命科学専攻特任研究員。専門は進化発生学、進化ゲノム学、遺伝学。特に、「昆虫の擬態現象」を着目し、アゲハチョウの色素合成と紋様形成の分子機構及び進化過程を中心に研究中。     2019年9月5日配信  
  • 2019.07.04

    藍弘岳「第9回日台アジア未来フォーラム『帝国日本の知識とその植民地:台湾と朝鮮』報告」

    2019年5月31日、国立台湾大学国際会議ホールで、第9回日台アジア未来フォーラム「帝国日本の知識とその植民地:台湾と朝鮮」が開催された。今回のフォーラムの趣旨は、漢文など東アジア諸国共有の伝統知識を踏まえながら、グローバルな視野で、台湾と朝鮮をめぐって、思想、歴史、文学の視角から、近代日本帝国における知識の在り方と台湾、朝鮮との関連、また日本帝国の諸植民地における人間の移動と交流を探究することであった。 (1)帝国日本の知識と台湾(一):思想史、(2)帝国日本の知識と台湾(二):歴史と文学、(3)帝国日本の知識と朝鮮、という3つのセッションに分けて帝国日本の知識とその植民地に関わる諸問題に焦点を当てて、9本の論文が発表された。   今回のフォーラムへの参加申込は約200名であったが、会議当日、200席の会場はほぼ満席状態が続いていた。1つのセッションだけに参加した人もいたので、延べ参加者数は250名を越えたであろう。この点でも今回のフォーラムは大成功で、参加者から好評を得、台湾の新聞に報道された。   まず開幕式では、中央研究院人文社会科学研究センターの蕭高彦主任、渥美国際交流財団関口グローバル研究会の今西淳子代表、交通大学社会文化研究所の劉紀蕙教授(藍弘岳代読)より共催者として挨拶があった。   次に、京都大学名誉教授の山室信一先生が「日本の帝国形成における学知と心性」というテーマで基調講演を行った。講演では、まず、アカデミックな学術と、統治を正当化・合法化するための学術知と、統治にかかわる実践のための技法知(techne)から成るものとして、「学知」という概念が紹介された。そして、口承文芸や祭祀・伝説などに現れる「心理的慣習」や真偽に拘わらず社会的に流布した「集合的心理」を示す表現という意味で「心性」という概念も提起された。これらの概念定義を踏まえ、山室教授はこうした意味の「学知」と日本帝国の形成と管理運営との関係について、統治技法の遷移と統治人材の周流など、諸事例を挙げながら、説明された。また、朝鮮については神功皇后、台湾については鄭成功や呉鳳の例を挙げながら、帝国形成の対象となる地域についての空間心性がいかに歴史的に蓄積されてきたかを述べられた。   山室先生の博学でスケールが大きな講演の内容に導かれて、論文発表と討論が3つのセッションに分けて展開された。   第1セッションでは、まず、交通大学社会文化研究所の藍弘岳教授が、「明治日本の自由主義と台湾統治論――福沢諭吉から竹越与三郎まで」というテーマで発表した。日欧比較と世代差異の観点から、福沢諭吉と竹越与三郎をめぐって、明治日本のリベラリストの台湾統治論について考察した。そして、大日本帝国の時間的な後進性と空間的なアジア性によって、明治リベラリストが提示した台湾統治政策は、意識的に大英帝国のやり方を模倣しながら、より防衛的で日本的な特色を持つ政策になっていたと論じた。特に、福沢と竹越には台湾という植民地に対する知識の差異が見られるが、2人ともヨーロッパの帝国主義国家のリベラストが持つ内外で違う基準で物を見る方法を学んだことを指摘した。   次に、首都大学東京の法学政治学研究科の河野有理教授が「田口卯吉の台湾論大和魂」というテーマで発表した。内田魯庵の小説『社会百面相』の台湾論を紹介しながら、魯庵の冷たい視線と同様に冷ややかな眼差しを注いでいた人物として、田口卯吉の台湾論を検討した。そして、台湾統治に対する田口の「消極主義」は、経済的な自由主義と「市場」メカニズムへの信頼に支えられたものだと論じ、植民地へのインフラ投資の拡大が政治権力の巨大化と腐敗につながっていくことに田口が鋭敏に反応したことを指摘した。   最後に、台湾大学歴史学科博士課程の陳偉智が「観察、風俗の測量と比較の政治――坪井正五郎、田代安定と伊能嘉矩の風俗測量学」というテーマの論文を発表した。陳氏は坪井正五郎が東京の町で使った風俗を観察する測量の技法がどのように田代安定と伊能嘉矩に継承され、台湾台北などの町で再利用されていたかを報告した。   第2セッションでは、まず京都大学大学院文学研究科の塩出浩之准教授が「近代初期の東アジアにおける新聞ネットワークと国際紛争」というテーマで発表した。西洋人の新聞発行活動に触発され、1870年前後には中国人と日本人もそれぞれ中国語・日本語による新聞の発行を始めたことを論じた。さらに、台湾出兵などの事件を通して、英語新聞・中国語新聞・日本語新聞の間で言語を越えた言論の流通が起こり、東アジア地域の言論空間が形成されたことによって、東アジアにおける近代が始まったことを詳細に検討した。   次に、台湾大学日本語学科の田世民准教授が「近代日本における葬式儀礼の変化と植民地台湾との交渉」というテーマで発表した。日本近世思想史が専門の田氏は、日本では古来仏教が日本人の葬儀と密接な関係にあることを説明した上で、漢学が19世紀に隆盛したことを背景に、近世以降儒教や神道がいかに仏葬を排除して儒葬や神葬を行ったのかを考察した。近代日本において神葬祭を実施するために火葬が禁止されたが、様々な理由で禁令が解除され、火葬が日本の基本的な葬法となった過程を検討した。さらに、台湾総督府の政策と台湾の葬祭儀礼との交渉、特に官吏たちが純粋な儒教儀礼ではない葬送習俗をどのように捉え、改善しようとしたかを考察した。   最後に、清華大学台湾文学研究所の柳書琴教授は「左翼文化の廊下における『台湾のバイロン』――上海時期の王白淵を論じて」というテーマで発表を行った。柳教授は上海における王白淵という植民地台湾の左翼知識人の宣伝工作をめぐって、台湾の左翼知識人はどのように東アジアにおいて日本語を通して台湾の植民地経験を宣伝しながら、中国、日本、朝鮮の知識人たちと連携して植民地統治に抵抗していたかを検討した。   第3セッションでは、まず東京大学大学院総合文化研究科の月脚達彦教授が「朝鮮の民族主義の形成と日本」というテーマで発表した。朴殷植という植民地朝鮮の知識人が韓国併合(1910年)の後に民族史学を打ち立てるに際し、どのようにして日本による朝鮮植民地支配を批判する論理を獲得したかを第一次世界大戦終結後の時代状況の中で検討した。また、朴殷植とともに民族史学の代表的人物と評価される申采浩が、「武」について朴殷植とは異なる態度を取っていたことを明らかにすることにより、日清・日露戦争後の帝国日本に対する朝鮮の民族主義の対応を多面的に検討した。   次に、ソウル大学日本研究所の趙寛子準教授が「東アジア体制変革において日清・日露戦争をどう見るか――『思想課題』としての歴史認識」というテーマで発表した。日清・日露戦争に対する同時代人のスタンスが朝鮮・清国・ロシアの古い秩序を改革するための権力闘争と関わっていたことに注目。これらの権力闘争の検討を通じて、朝鮮と日本の民族的対立、民権と国権の政治的対立、近代化における新旧対立、左翼と右翼の理念対立といった、かつての認識の枠組みを超えて、同時代の歴史的変化における相互の分裂と連鎖の様相を探り、さらに今日の歴史認識の衝突を超えられる新たな「思想課題」を探るべきだという提案をした。   最後に、文化大学韓国語学科の許怡齡准教授が「近代知識人朴殷植の儒教改革論と日本陽明学」というテーマで発表した。植民地朝鮮の知識人としての朴殷植をめぐって、朴殷植の経歴、儒教改革論と高瀨武次郎『王陽明詳伝』といった日本の陽明学著作との関連などを検討した。 閉幕式では、台湾大学日本研究センターの林立萍教授から閉会挨拶があり、その後に山室教授が発表された論文ひとつひとつにコメントをしてくださった。素晴らしい総括のおかげで、多くの参加者が最後まで残っていた。今回の日台アジア未来フォーラムは大成功であったと、多くの方々から高い評価をいただいた。   当日の写真   <藍弘岳(らん・こうがく)Lan_HongYueh> 台湾国立交通大学社会文化研究所教授。 近著に:『漢文圏における荻生徂徠――医学・兵学・儒学』(東京大学出版会、2017)、「會澤正志齋的歴史敘述及其思想」(『中央研究院歴史語言研究所集刊』第89本第1分、2018)など。     2019年7月4日配信
  • 2019.05.02

    金雄熙「第18回日韓アジア未来フォーラム『日韓関係の現在地と改善案』報告」

    2019年3月23日(土)、韓国ソウル市の未来人力研究院オフィスで第18回日韓アジア未来フォーラムが開催された。今回のフォーラムは、2018年8月にソウルで開催した第4回アジア未来会議の後、しばらく間をおいてこれまでの成果と課題を踏まえ、フォーラムの進め方などを整備して再スタートしようと思っていたところ、今西さんの緊急提案により、急きょ開かれるようになった。政治レベルにおける日韓関係の「軌道離脱」とも読み取れる異常な展開がその背景にあった。   日韓関係はどうしてここまで悪化してしまったのか。日韓の専門家たちは今の状況をどう診断し、どのような解法を提示するか。現状を打開するためには何をすべきか。今回のフォーラムでは日韓関係の専門家を日韓それぞれ5名ずつ招き、「日韓関係の現在地と改善案」について忌憚のない意見交換を試みた。   フォーラムでは、渥美国際交流財団関口グローバル研究会の今西淳子(いまにし・じゅんこ)代表による開会の挨拶に続き、日本と韓国から2名の専門家による基調報告が行われた。まず、木宮正史(きみや・ただし)東京大学大学院総合文化研究科教授は、「日韓関係をどう「科学」し、「実践」するのか」という題で、日韓関係の現状は、従来の相互対立を政策選好の共通性でカバーしてきた状況から、相互対立と政策選好の違いが増幅し、対立を管理せず、むしろ放置している状況であるとした。政策選好を接近させてそのために協力するということは難しいとしても、少なくとも各自の政策選好を妨害しないようなミニマムな合意を形成することは不可能ではないし、そうした政府による管理を可能にするような市民社会間関係は成立していると主張した。また、むやみに市民社会間関係の対立を刺激することで、そうしたことさえも困難にしてしまうような選択は控える必要があると強調した。   李元徳(リ・ウォンドク)国民大学教授は、「韓日関係の現在と改善の見通し」について報告した。1965年の国交正常化以来、外交的に冷え込み、好感度も急速に低下し、最悪の局面を迎えているが、人の往来、韓流は依然として健在である奇異な現象に触れた。日本国内の嫌韓、韓国内の反日の勢いは次第に強化されつつあり、日韓関係は攻守転換し、加害者・被害者関係の逆転現象が目立つようになったと診断した。そして最近の韓日関係の悪化要因の中で、「徴用工問題」が最も核心的な悪材料であるとしたうえで、3つのシナリオを提示した。シナリオ1は放置、シナリオ2は基金(財団設立)による解決、シナリオ3は司法的な解決(仲裁委員会または国際司法裁判所)で、そのうち、シナリオ3が選択可能な適切な道ではないかとの意見を示した。   コーヒーブレイクを挟んだ自由討論では、それぞれの立場や専門領域を踏まえた、内容の濃い議論が展開された。黄永植(ファン・ヨンシキ)元韓国日報主筆は韓国における言論の自由は委縮しており、日韓関係についても知識社会は沈黙していると批判した。徴用工問題については、その重要性を過大評価してはならないと強調した。堀山明子(ほりやま・あきこ)毎日新聞ソウル支局長は今こそ韓国政府が答えを出さないといけないと促した。木村幹(きむら・かん)神戸大学教授は1990年代半ば日本でみられたような「ガバナンスの崩壊」がいま韓国の対日政策で現れており、その回復こそが重要であるとした。また徴用工問題についてはICJ提訴で確定したほうが望ましいとした。朴栄濬(パク・ヨンジュン)国防大学教授は韓国の外交的孤立を憂慮しつつ、非核化・平和プロセスにおいて「日本軸」を活用する必要があるとした。 豊浦潤一(とようら・じゅんいち)読売新聞ソウル支局長は5か月以上放置されている徴用工問題をICJに提訴するのは日韓外交の敗北を認めることであり、基金(財団)方式以外の方法はないと指摘した。春名展生(はるな・のぶお)東京外国語大学准教授は「韓国被害・日本加害」という枠組みに嵌まらない事例もみつめるべく、国家対国家の図式を相対化する必要があるとした。木宮教授は徴用工問題より、北朝鮮の非核化問題の方がもっと重要でないかとコメントをした。南基正(ナム・キジョン)ソウル大学日本研究所教授は、日韓の間では、賠償を明記し日本の役割と努力の経緯をも認める「歴史宣言」が必要であるとした。また、ICJ提訴はレトリックであり、基金方式で日韓が積極的に解決すべきであるとした。金崇培(キム・スンベ)忠南大学助教授は、いまは韓国に分が悪い状況であり、日韓の差を認めたうえで話し合いを進めるべきであるとした。   最後は、李鎮奎(リ・ジンギュ)未来人力研究院理事長により、時宜にかなったテーマの選定に触れるコメントと閉会の辞で締めくくられた。閉会の辞が終わった午後5時半ごろからは、ケータリングスタイルで懇親会が始まった。まもなく会議場のオフィスはワインバーの雰囲気に一変し、案の定未来人力研究院のワインセラーは空っぽになり、日韓アジア未来フォーラムならではの「狂乱の夜」を再現した。   一般に「忌憚のない話し合いができた」とか「胸襟を開いて議論した」ということは、合意なしで終わったことを意味する場合が多い。今回のフォーラムでは、日韓の間で突っ込んだ話し合いを試みたわけだったが、結果は必ずしもそうだったとは言えないかもしれない。専門家グループによる国際会議ではそれぞれ自国の立場や国益を背負って議論する場合が大いにあるが、今回のフォーラムでは、国籍から離れ、理念的指向によって議論が分かれる場面がしばしば見られた。文在寅政府の「親日清算」や「対日ガバナンスの崩壊」については概ね冷ややかな評価で一致しているような感じもした。   いうまでもなく、良好な日韓関係は朝鮮半島の非核化、平和体制の構築、北東アジアの平和と繁栄において欠かせないものである。日韓関係において正面の「理」のぶつけ合いだけでは互いに魅力を感じないし、側面の「情」だけを強調するのも根本的な問題解決にはならないはずである。昨今のように「理」や「情」が働く余地が狭くなり、背面の「恐怖」だけを振りかざしてマネジメントしようとすると、日韓関係は破綻してしまうはずである。これからはやはりこの3つの要素でバランスをとることが大切であろう。   最後に第18回目のフォーラムが休むことなく成功裏に終わるようご支援を惜しまなかった今西代表と李先生、そして遠くから「春鹿」と宴会に必要な物品などを空輸してくれた石井さんのご尽力に感謝の意を表したい。   英訳版はこちら   当日の写真   <金雄煕(キム・ウンヒ)Kim_Woonghee> 89年ソウル大学外交学科卒業。94年筑波大学大学院国際政治経済学研究科修士、98年博士。博士論文「同意調達の浸透性ネットワークとしての政府諮問機関に関する研究」。99年より韓国電子通信研究員専任研究員。00年より韓国仁荷大学国際通商学部専任講師、06年より副教授、11年より教授。SGRA研究員。代表著作に、『東アジアにおける政策の移転と拡散』共著、社会評論、2012年;『現代日本政治の理解』共著、韓国放送通信大学出版部、2013年;「新しい東アジア物流ルート開発のための日本の国家戦略」『日本研究論叢』第34号、2011年。最近は国際開発協力に興味をもっており、東アジアにおいて日韓が協力していかに国際公共財を提供するかについて研究を進めている。     2019年5月2日配信    
  • 2019.04.07

    ボルジギン・フスレ「第11回ウランバートル国際シンポジウム『キャフタとフレー:ユーラシアからの眼差し』報告」

    昨今、安倍首相とプーチン大統領による日露会談や北方領土をめぐる交渉が日本のマスコミに限らず、関係諸国のマスコミにもよく報道され注目を浴びている。実は、2018年は「ロシアにおける日本年」、「日本におけるロシア年」であり、また「シベリア出兵」百周年でもあった。この記念すべき年を迎えるにあたって、私どもは第11回ウランバートル国際シンポジウムのテーマを「キャフタとフレー:ユーラシアからの眼差し」に決めた。   歴史上、キャフタは単なる交易地ではなく、政治的あるいは軍事的な都市でもあり、北東アジアの秩序の形成に影響をあたえた重要な国際会議が何度も行われ、条約が結ばれた。また、19世紀半ば以降、多くのユダヤ人やタタール人などがキャフタを避難所とした。他方、明治以降、朝鮮半島、清朝を越えて、キャフタをはじめ、シベリアは、日本が深い関心をもった地域であった。19世紀後半から20世紀初期にかけて、榎本武揚や黒田清隆、福島安正など日本の多くの政治家や外交官、諜報将校、商人、唐行さんなどがキャフタを訪れ、日本商店や病院なども設けられていた。戦後の日本の経済成長が神話のように言われるが、その基礎は20世紀前半ではなく、19世紀にすでに築かれていたのである。あらたに地域研究、国際関係研究の視点からキャフタ、フレー(ウランバートルの前身)における歴史的空間を、ロシアと清だけではなく、日本とのかかわりをもふくめて検討することには、重要な意義がある。   シンポジウムの前日、すなわち2018年8月30日の夜、在モンゴル日本大使高岡正人閣下は、昭和女子大学学長金子朝子先生や東京外国語大学名誉教授二木博史先生、同大学講師上村明先生、高知大学湊邦生先生と私を大使館公邸に招いた。皆で食事をしながら、政治、鉱山開発、国際記憶オリンピック大会(この数年の大会でモンゴル国がトップに立ち注目されいる)、大相撲、そして日モ関係などについて歓談した。   第11回ウランバートル国際シンポジウム「キャフタとフレー:ユーラシアからの眼差し」は公益財団法人渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)と昭和女子大学国際文化研究所、モンゴル国立大学アジア研究学科の共同主催で、在モンゴル日本大使館、昭和女子大学、モンゴル科学アカデミー国際研究所、公益財団法人三菱財団、モンゴルの歴史と文化研究会の後援で、同年8月31日にモンゴル国立大学2号館学術会議室で実施され、モンゴル、日本、ロシア、中国、ドイツなどの国からの80名余りの研究者や大学院生、学生が参加した。   当日午前中の開会式では、在モンゴル日本大使高岡正人閣下、昭和女子大学学長金子朝子教授、モンゴル科学アカデミー副総裁G.チョローンバータル氏が挨拶と祝辞を述べた。その後、研究報告がおこなわれた。会議の公用語はモンゴル語・日本語であるが、モンゴル語の報告が主流を占め、日本語の報告にはモンゴル語通訳がつけられた。シンポジウムの質を高めるために、実行委員会は、招待研究者と応募者計22名の内、15本の報告を選んだが、ポーランドの若手研究者1名が旅費を得られなかったためか欠席し、実際には14本の論文が報告された。   本シンポジウムは、近年の研究の歩みをふりかえり、新たに発見された歴史記録に基づいて、ユーラシアの眼差しからキャフタとフレーにおける多様な歴史・政治・経済・文化的空間を考察し、その遺産を再評価しながら、今後、いかにその栄光を再興していくかなどをめぐって、創造的な議論を展開することを目的とした。   シンポジウム当日の夜の招待宴会では、馬頭琴やオルティンドー(長い歌)、ダンスなどが披露された。   本シンポジウムの成果を、以下の3項目にまとめたい。 第1に、従来、研究者が利用し得なかった、キャフタ、外モンゴルとかかわる地図を中心に検討する報告が多かったことは注目すべきである。 第2に、キャフタとかかわる国際条約についての研究が進展を見せた。 第3に、新資料を用いて、キャフタとフレーの近現代について検討した新説が提示された。   その詳細は2019年3月に刊行予定の『モンゴルと東北アジア研究』第4号と『日本モンゴル学会紀要』第49号にまとめたのでご参照ください。   また、同シンポジウムについては、モンゴル国の新聞『ソヨンボ』や『オラーン・オドホン』、モンゴルテレビなどにより報道された。   英訳版はこちら 当日の写真   <ボルジギン・フスレ Borjigin_Husel> 昭和女子大学国際学部教授。北京大学哲学部卒。1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会外国人特別研究員、ケンブリッジ大学モンゴル・内陸アジア研究所招聘研究者、昭和女子大学人間文化学部准教授などをへて、現職。主な著書に『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(1945~49年)――民族主義運動と国家建設との相克』(風響社、2011年)、共編著『国際的視野のなかのハルハ河・ノモンハン戦争』(三元社、2016年)、『日本人のモンゴル抑留とその背景』(三元社、2017年)他。     2019年4月12日配信
  • 2019.03.14

    角田英一「第62回SGRAフォーラム・APYLP+SGRAジョイントセッション「再生可能エネルギーが世界を変える時…?-不都合な真実を超えて」報告」

    2019年2月2日、東京・六本木の国際文化会館で、第62回SGRAフォーラム・APYLP+SGRAジョイントセッション「再生可能エネルギーが世界を変える時…?-不都合な真実を超えて」が開催された。このフォーラムは、国際文化会館がアジア太平洋地域の若手リーダー達を繋ぐことを目的として組織し、SGRAも参加する、「アジア太平洋ヤングリーダーズ・プログラム(APYLP)」とのジョイントセッションとして開催された。   今回のフォーラムは、2015年のCOP21・パリ協定以降、急速に発展しつつある「再生可能エネルギー」をテーマとして、その急速な拡大の要因や将来の予測を踏まえて「再生可能エネルギー社会実現の可能性」を国際政治・経済、環境・技術(イノベーション)、エネルギーとコミュニティの視点から、多元的に考察することを目的とした。   フォーラムで行われた、研究発表と基調講演を概観してみよう。 午前中のセッションは、120名の会場が満杯となる盛況の中、デール・ソンヤ氏(一橋大学講師)の司会、今西淳子氏(渥美国際交流財団常務理事・SGRA代表)の挨拶で始まった。 第1セッションでは、3名のラクーン(元渥美奨学生)の研究発表が行われた。トップバッターの韓国の朴准儀さん(ジョージ・メイソン大学兼任教授)は、「再生可能エネルギーの貿易戦争:韓国のエネルギーミックスと保護主義」の発表を行い、専門の国際通商政策の視点から文在寅政権の野心的すぎる環境政策、中国の国策の大量生産による市場独占、アメリカの保護主義政策などを分析しながら、韓国の太陽電池生産の衰退を取り上げ、再生可能エネルギービジネスが大きく歪められている現状に警鐘を鳴らし、政策転換の必要性を力説した。 第2の発表は、高偉俊氏(北九州市立大学教授)による「中国の再生可能エネルギー政策と環境」。中国の環境問題を概観した上で、深刻な環境汚染を克服するために「再生可能エネルギーへの転換が必要だ」と訴え、政府主導で中国国内や外国で展開される中国製大規模プロジェクトを紹介したが、一方で、中国は大規模プロジェクトに傾斜せず、きめ細かな環境政策が必要であると強調した。第3の発表は、葉文昌氏(島根大学准教授)の「太陽電池発電コストはどこまで安くなるか?課題は何か?」で、PVの独自のコスト計算を披露しながら、太陽光発電コストを削減するための様々なイノベーションの可能性を示した。その上で、発電と同時に蓄電のイノベーションの必要性を訴えた。   春を思わせる陽光の下、庭園で行われたコーヒーブレイク後の第2セッションでは、原発被害からの復興と地域の自立のために「再生可能エネルギー発電」を新しい地域産業に育てようと試みる福島県飯舘村の事業が紹介された。まず、飯舘村の村会議員佐藤健太氏が、2011年3月11日の福島第一原発事故による被害と昨年まで7年間の避難生活を振り返りながら、飯舘村の再生、新しい地域づくりの核に「再生可能エネルギー発電」を取り上げる意義と将来のヴィジョンを語った。次に登壇した飯舘電力の近藤恵氏は、既に飯舘村内で実施中のコミュニティレベルの小規模太陽光発電プロジェクトなどの取組を紹介すると共に、現在の日本国内の規制、制度の下での地域レベルの発電システム拡大の難しさを語った。   午後のセッションは、2本の基調講演と分科会でのディスカッションが行われた。 1本目の基調講演はルウェリン・ヒューズ氏 (オーストラリア国立大学准教授)の「低炭素エネルギー世界への転換と日本の立ち位置」。この講演の中でヒューズ氏は、低炭素エネルギーへの転換の世界的な流れを概観し、気候変動対策等を重要な政策とかかげ、低炭素エネルギーの振興を語りながらも、明確な指針が定まらない日本のエネルギー政策を多様なデータを用いながら解説した。 これに対して2本目の基調講演者ハンス=ジョセフ・フェル氏(グローバルウォッチグループ代表、元ドイツ緑の党連邦議員)は「ドイツと世界のエネルギー転換とコミュニティ発電」の中で、1994年に世界初の太陽光発電事業者コミュニティを設立し、ドイツ連邦議会の一員として再生可能エネルギー法(EEG)の法案作成に参画、その後世界の再生可能エネルギーの振興に取り組んできた経験を紹介しながら、「Renewable_Energy_100」のスローガンの下に、再生可能エネルギー社会の実現を訴えた。   午前中の5本の発表、午後の2本の基調講演の後、講演者、参加者が「国際政治経済の視点から」、「環境・イノベーションの視点から」、「コミュニティの視点から」の3分科会に別れて、熱い議論が展開された。   今回のフォーラムは、一日で「再生可能エネルギー社会実現のための課題と可能性」を探ろうという試みであり、さまざまな分野の多くのトピックスが取り上げられ、また様々な疑問、問題点も提起された。これらの議論を消化することは、容易ではないことを改めて感じさせられた。 フォーラム全体を通じて私が感じたのは、まず、「世界の脱炭素化、再生可能エネルギー社会に向かう傾向は後戻りできない現実、あるいは必然であろう」という認識が講演者だけでなく会場全体で共有されていたことである。 しかし、すべてが楽観的に進行して行くとは思えないことも、発表の中で明らかになった。また、分科会でも、各国、各分野がさまざまな課題を抱えていることが指摘されたし、このフォーラムで必ずしも疑問点が解消されたと言うこともできない。 例えば、地球温暖化の影響で顕在化する気候変動、資源の枯渇などを考えれば再生可能エネルギー社会(脱炭素エネルギー社会)への転換は、地球社会が避けて通ることができない喫緊の課題である。しかしながら、グローバルなレベルで大資本が参入し、化石燃料エネルギーから自然エネルギーに転換したとしても、地球環境問題は改善されるであろうが、大量消費文明を支える大規模エネルギーの電源が変わるだけで、大量生産大量消費の文明の本質は変わらないのではなかろうか、という疑問に対しての答えは得られなかった。 また、分科会では、巨大化するメガソーラが景観や環境を破壊するとして、日本でもヨーロッパでも反対運動が生まれていること、太陽光パネルの製造過程で排出される環境汚染物質などの問題も提起された。 FIT((売電の)固定価格買い取り制度)がもたらす、買い取り価格の低下による後発参入が不可能となる問題、財政が圧迫する(ドイツの事例による)などの問題点。蓄電システムなど技術的なイノベーションの必要性なども議論された。 当然のことながら、こうした地球社会の未来にもかかわる大きなテーマに簡単な解や道が容易に導き出されるとは思えないし、安易な解答、急いで解答を求める姿勢こそ「要注意」だと思える。   様々な課題や困難があろうが、再生可能エネルギー社会が世界に普及、拡大して行く傾向は、ますます大きな流れとなることは、間違いのない現実だろう。 ここで思い起こされるのが、このフォーラムのサブタイトルである「『不都合な真実』を超えて」というフレーズである。これは、アメリカ元副大統領アル・ゴアが地球環境問題への警鐘として書いた本のタイトルである。 大きな力強い流れがおこっている中では、流れに逆らう「不都合な真実」はともすれば語られず、秘匿される。 「再生可能エネルギー」の議論の中でも、福島第一原発事故においても、さまざまな「不都合な真実」が語られず、秘匿されてきたことが明らかになっている。 再生可能エネルギーの普及に向けた市民のコンセンサスのために、そして科学技術信仰のあやまちを繰り返さないためにも、さまざまな「不都合な真実」を隠すことなく、軽視することなく、オープンにして市民レベルでの議論を繰り返して行くことが求められる。   フォーラムの写真   《角田英一(つのだ・えいいち)TSUNODA Eiichi》 公益財団法人渥美国際交流財団理事・事務局長。INODEP-パリ研修員、国連食料農業機関(バンコク)アクション・フォー・デヴェロプメント、アジア21世紀奨学財団を経て現職     2019年3月14日配信
  • 2019.01.24

    張桂娥「第3回東アジア日本研究者協議会パネル報告『アジアにおける日本研究者ネットワークの構築』報告」

    2018年10月27日(土)京都において、「第3回東アジア日本研究者会議国際学術大会」が開催され、SGRAから参加した2つのパネルの1つとして「アジアにおける日本研究者ネットワークの構築~SGRA(渥美国際交流財団関口グローバル研究会)の取り組みを中心に~」と題するパネルディスカッションが行なわれた。当パネルは発表者4名、討論者2名、座長兼司会1名で構成され、ほぼ満場に近い世界各国からの来場者を前に、SGRAがアジアを中心に取り組んでいる日本研究者ネットワークの構築について幅広い議論が交わされた。   本パネルは、アジアにおける日本研究者ネットワークが実現するまでに、2000年の発足以来継続してきたSGRAの取り組みを振り返り、今後目指すべき新地平を探ることを目的とした。特に、日本国内のSGRAフォーラムとシンクロして、アジア各地域で展開される、「日韓アジア未来フォーラム」(2001~)、「日比共有型成長セミナー」(2004~)、「SGRAチャイナフォーラム」(2006~)、「日台アジア未来フォーラム」(2011~)に焦点を当て、地域ごとの活動報告を通して、より創発的に共有できる「知の共同空間」構築のための解決すべき課題、未来を切り拓く骨太ビジョンの策定等について、異なる見解が共有され多様な視点が得られた。また、フロアの参加者たちを交えた質疑応答コーナーでも活発な意見交換が行なわれ、改めて本パネルの課題に寄せられた研究者たちの関心の大きさに気づかされ、実り豊かなひと時を過ごすことができた。   パネルの流れとしては、最初に座長兼司会の劉傑先生(早稲田大学社会科学総合学術院教授)がパネル企画の背景・趣旨およびメンバーの紹介を行い、次に4つの発表をした後、討論者がコメントをし、最後に参加者の質疑応答の時間を設けた。2015年第49回SGRAフォーラム「日本研究の新しいパラダイムを求めて」において、「アジアないし世界が共有できる『日本研究』とはどのようなものか」「東アジアの日本研究の仕組みをどのように構築していくのか」といった問題を提起した劉先生は、「日本研究」をアジアの「公共知」として育成するために、アジアで共有できるアジア研究を目指すネットワークの構築が喫緊の課題であるといち早く予見し提唱した識者であるが、SGRAの取り組みの方向性についてコメントしていただけるラクーン(元渥美奨学生)ネットワークのアドバイザーでもある。今回のパネル議題に強い関心を持つ劉先生の切れ味抜群の司会進行で、各発表が明るくテンポよく進められた。以下、4本の発表要旨と討論者によるコメントの概要を簡単にまとめる。   1本目の発表は、「日韓アジア未来フォーラム」(JKAFF)の設立(2001年)から係わってきた金雄熙先生(韓国・仁荷大学国際通商学科教授)による報告であった。韓国未来人力研究院の「21世紀日本研究グループ」と渥美財団SGRAの共同プロジェクトで始まったJKAFFの経緯(17回毎年開催した形式、内容、番外の三拍子が揃ったフォーラムのテーマの紹介)、現状(アジアの研究者及び現場の専門家たちが、アジアの未来について幅広く意見を交換する集まり)について詳しく説明した金先生は、さらに社会統計学の手法を用いて、これまでに積極的に参加した韓国ラクーンと出席関係者たちで築き上げられた知のネットワークを、ダイナミックなグラフで「見える化」した。スクリーンに写し出された科学的・実証的な考察結果に、報告者も含むフロア一同、強いインパクトを受けた。   金先生は、歴史問題で揺れ動く日韓の間ではあまり類を見ないしっかりとした交流プロジェクトであるJKAFFの実績を自負しながらも、決して現状に甘んずることなく、テーマ設定の在り方や次世代を担う若手研究者の育成面では考え直すところがあると、危惧の念を抱いているという。今後の課題として、より多元的で弾力的な推進体系を取り入れ、東アジア地域協力課題により多面的に対応し、ダイナミックで実践的な知のネットワークを作り上げていきたいと、淡々と語った金先生であるが、彼の眼には、知日派人材の宝庫である韓国ラクーンメンバーたちの目指す「日韓アジア未来フォーラム」(JKAFF)の未来像(テーマの多様化・運営主体の多元化・運営資金調達の安定化・専門同時通訳士の予算確保・ネットワークの脱集中化)が、より鮮やかに映って来たのではないか、というインパクトのある印象を受けた。   2本目の発表は、フェルディナンド・シー・マキト(Ferdinand_C._Maquito)先生(フィリピン大学ロスバニョス校准教授)による発表であり、SGRAの全面的な支援を受けて2004年に設立した「日比共有型成長セミナーの経緯、現状と課題」について振り返ったものである。当初は経済の成長と分配が同時に進む「共有型成長」を軸に進められたが、2010年よりラクーン同期である高偉俊教授(北九州市立大学教授)の協力を得て環境問題も含む学際的な日比共同研究プラットホームが実現した。以降、訪日歴あるフィリピン研究者を中心に環境問題が取り上げられ、ここ数年では、環境保全(持続的)、公平(共有)、効率(成長)の3つの目標を目指す「持続的な日比共有型成長セミナー」に進化してきた。この3つの目標に当たるフィリピン旧来文字の言葉の頭文字が<KA、KA、KA>であることから、「3KA(さんか)セミナー」と愛称されることに。   2017年に帰国したマキト先生は、東アジアからさらに南西に離れたフィリピンで展開した、「英語」ベースの日比共有型成長セミナーの活動を、遠路遥々の日本における「東アジア日本研究者協議会」で「日本語」で発表するめったにない機会に感謝しながら、少しのためらいと緊張感に包まれていたように見受けたが、簡潔明瞭で歯切れのよい日本語の説明と、持ち前のユーモアセンスで会場中の人びとを笑いのるつぼに陥れることに成功した。2020年1月に第5回アジア未来会議を開催する責任者に任命されたマキト先生は、3KAセミナーに基づく「持続的な共有型成長:みんなの故郷(ふるさと)、みんなの幸福(しあわせ)」という目標を大会のテーマに据えて、SGRAフィリピンの活動の集大成を目指したいという。さらに、フィリピンに限らず、世界が直面している課題でもある「持続的な共有型成長」の実現に向けて、微力ながら貢献できればと、目を輝かせながら力強く締めくくった。   3本目の発表は、2006年SGRAチャイナフォーラムが発足した当初から舵を取ってきた孫建軍先生(北京大学外国語学院副教授)が、フォーラムの経緯、現状と課題をめぐって、「広域的な視点から東アジア文化史再構築の可能性を探って」という視座から振り返った報告であった。前期(2006-2013)では、中国全土(北京、上海、フフホト、ウルムチ、延辺など)で活躍している20名弱の中国ラクーンの所属大学を拠点に、若者(大学生たち)向けに、環境問題・人材養成などの分野で活躍している日本の公益活動を紹介する講演会を開催し、知的情報の共有や国際的な視野と円満な人格の涵養を図るイベントがメインであった。   しかし、2012年に起きた反日活動の影響で大きく軌道修正したチャイナフォーラムは、2014年より、清華大学東亜文化講座の協力を得て、広域的な視点から東アジア文化史再構築の可能性を探ることをテーマの主眼に据え、日本文学や文化研究に携わる中国人研究者の関心を集め、国際的な学術的活動への新しい展開を見せている。その背景には、研究者層の拡大、経済的背景の変化、文化史(美術、言葉、映画)への共通的関心など、様々な要素が挙げられるという。豊富な語彙で切れのいい言葉づかいの名人である孫先生は、軽妙でユーモアな語り口と独創的な表現力を駆使しながら、今後の課題について、ぶれない文化史を軸に、他地域の経験を如何に生かすかという極めて重大な問題を提起した。底の知れぬ可能性を持つチャイナフォーラムは、独自の路線を維持するか、それともさらなる大きな方向転換に挑むか、今後の動向が興味深い。   4本目の最終発表は、本パネルの企画者である張桂娥(東呉大学日本語文学科副教授)が、2010年代に誕生したばかりの「日台アジア未来フォーラム」(JTAFF)の歩み(経緯、現状と課題)を振り返りながら、台湾ラクーンメンバーの「既成概念にとらわれない柔軟なフットワークで、身の丈にあった知的交流活動の展開」を紹介した。JTAFFでは、主にアジアにおける言語、文化、文学、教育、法律、歴史、社会、地域交流などの議題を取り上げ、若手研究者の育成を通じて、日台の学術交流を促進し、台湾における日本研究の深化を目的とすると同時に、若者が夢と希望を持てるアジアの未来を考えることを、その設立の趣旨としている。2011年東北大震災の直後にスタートしたJTAFFは、かつてないほど盛り上がった日台友好ムードに恵まれ、台湾の大学機関・公的部門のみならず、台湾現地の日系企業からも比較的潤沢な活動資金が確保できるという、運営体質に恵まれた組織である。   JTAFF主催責任を担う7名の台湾ラクーンはそれぞれ専門が異なるため、バラエティーに富んだ多元的学問領域を視座に、既成概念にとらわれない柔軟なフットワークを展開してきたが、長期的には、持続可能な「知の共同空間」の構築に欠かせない骨太ビジョン、いわば具体的にアプローチできる目標を確立しない限り、活動のアイデアの枯渇やマンネリ化に陥る危機感を募らせる一方である。今後、台湾ラクーン個々のメンバーに期待される急務は、学際的・国際的学術交流に積極的に参画することによって、長期的視野に立ったフォーラム作りをはじめ、広域的な視点に立ったテーマの取組みまで、日台間の歴史文化・政治的・社会的問題に幅広い関心をもって、深く掘り下げることの出来る高度の知見と能力を兼ね備えることではないか。   続く専門家の助言を仰ぐ時間であるが、1人目の討論者として迎えた稲賀繁美先生(国際日本文化研究センターおよび総合研究大学院大学教授)のコメントは、まず所属する公的機関、国際日本文化研究センターを引き合いに、「国際」を大々的に掲げたにも関わらず、日本国内にある国際学術機構の交流成果は民間組織であるSGRAの実績には遥かに及ばない現実に言及し、東アジアで展開されるSGRAの取り組みこそ、日本の国際的学術組織がもっとも見習うべき見本の1つではないかと念を押した。 そして、国際社会に向けて発信する際の言語媒体に悩まされる学者の懸念に対し、英語が公用語である3KAセミナーを除き、同時通訳付き形式を採用したSGRA中韓台のフォーラム運営方式には肯定的な意見を示した。最後に、本パネルの4つの発表を通して、日本学を外に開いたことをどう意味づけするのか、東アジアの諸国(非日本語の世界)に蓄積された日本研究の成果、知識、解釈が、日本の学会・日本列島に住んでいる国民にも行き渡るようなプラットホームの構築をどう実現していくのか、日本学のあり方や真価が問われる喫緊の課題ではないかとコメントした。   2人目の討論者である徐興慶学長(中国文化大学学長・外国語文学院日本語文学系教授兼院長)は、本パネルで報告した上記4名の発表内容を総括した形で感想・助言を述べられた。たとえば、フィリピン3KAセミナーでは、時の政権と抗って果敢に取り上げられた環境・自然問題、経済利益の公平的再分配問題を、古き時代から蓄積してきた文化資産の共有で日本とは強いつながりを持ってきた中国では、両国の美術交流史・文化交流史の再構築に焦点を当てるチャイナフォーラムの斬新な試み、JKAFFで実現できた日韓交互開催形式の幅広いネットワークの強い連帯感、そして、第1回JTAFFの開催に徐興慶学長自身がパイオニア主催者として最善を尽したJTAFFの独創的なスタイルーー既成概念にとらわれない柔軟な対応力を培った多元文化社会台湾ならではの底力――、つまり、SGRAの元奨学生がそれぞれの国の置かれた状況にふさわしい活動をダイナミックに展開することに成功しているのではないかと、励ましのコメントを送った。   座長を務めた劉傑先生は、討論者の意見に対してそれぞれ簡潔なコメントを述べたあと、会場からの質問を受けることに移った。   渥美国際交流財団についての質問をはじめ、4つの国以外でも実施した或いは実施する予定の取り組みや奨学金の申請方法、元奨学生が活躍できる交流の場の提供や場づくりのノウハウなど、会場まで駆けつけた今西淳子常務理事が自らの言葉で説明したり、現場にいる元奨学生たちが補足したり、実に幅広い課題について議論が交わされた。満場に近いオーディエンスから終始熱い注目を浴びている会場の雰囲気から、東アジア日本研究者協議会のような、広域的な地域連携による知的交流の場づくりの大切さが、フロア全員にも、しっかりと体感できたのではないか。   何より、本来、日本留学を終え、韓・比・中・台、それぞれの国に貢献すべく、帰国した高度知日派人材であるラクーンメンバーが、独自な組織運営を営みながら孤軍奮闘してきた足跡・蓄積してきた知的交流のノウハウは、こうした国際的な知的情報の交換/交流舞台に持ち込まれ、広く共有されることで、新たなエネルギーを生み出していくと確信できよう。そのエネルギーは、やがて国際交流に役立つファシリテーターに吸収され、国際的ネットワークへ拡張していき、その先々には、再生できる知的交流サークルが形成されることであろう。   今回は(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)のパネル企画者及び発表者として参加でき、実りの多い貴重な体験を記憶に刻むことができた。それぞれの立場をわきまえながら、同じ思いで別々の国で努力している仲間たちとの意見交換によって、これまでにない斬新なアプローチに向けて発展させ、アジアにおける日本研究者ネットワークを広げることの意味を台湾の仲間たちに伝えることができる。参加してみて改めて、会話・対話を通じたコンセンサス(合意)形成の意味と必要性を深く認識させられた東アジア日本研究者協議会であった。   素晴らしい機会を与えていただき、感謝の念に尽きない。 報告者、討論者、座長(司会)の先生方に改めて感謝を申し上げたい。(文中敬称略)   金雄熙(日韓アジア未来フォーラム)発表資料   マキト(共有型成長セミナー)発表資料   孫建軍(SGRAチャイナフォーラム)発表資料   張桂娥(日台アジア未来フォーラム)発表資料   第3回東アジア日本研究者協議会国際学術大会の写真   英訳版はこちら   <張 桂娥(ちょう・けいが)Chang_Kuei-E> 台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本語教育、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科副教授。授業と研究の傍ら、日本児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。     2019年1月24日配信
  • 2019.01.17

    グアリーニ & ファスベンダー「第3回東アジア日本研究者協議会パネル『現代日本社会の『生殖』における男性の役割――妊娠・出産・育児をめぐるナラティブから』報告」

    2018年10月27日(土)に国際日本文化研究センター(日文研)と京都リサーチパークにおいて、第3回東アジア日本研究者協議会国際学術大会が開催されました。私たちは、SGRAから参加したパネルの1つとして「現代日本社会の『生殖』における男性の役割――妊娠・出産・育児をめぐるナラティブから」という発表をしました。本パネルは、2人の発表者のほか、司会者のコーベル・アメリ(パリ政治学院)、討論者のデール・ソンヤ(一橋大学)とモリソン・リンジー(武蔵大学)の5人のメンバーで構成されました。当日、約15人の参加者を迎え、討論者や参加者から刺激的な質問やコメントをいただき、熱心な議論が交わされました。   本パネルは、現代日本において、妊娠・出産・育児における男性の役割がどのように語られているかを考察することを目的としました。日本の最重要な社会的課題として「少子化」が議論されているなかで、個人の妊娠・出産・育児には、国家や企業、マスメディアからの介入がみられますが、その言説では、若い女性が子供を産み育てるために身体・キャリア・恋愛などの人生のあらゆる側面をプランニングし、管理する必要性が説かれています。そうした「妊活」(妊娠活動)や育児に関わる言説には、今も尚、母性神話が強く根付いています。一方、そこに男性の存在感は稀薄であり、家庭内における「父親の不在」がしばしば指摘されています。たとえ「イクメン」という言葉が流行し、子育てに参加したい気持ちはあっても、長時間労働や日本企業独特の評価制度などに縛られ、それを許されない男性は多いのです。   上記の背景を踏まえた上で、本パネルでは、社会学と文学のそれぞれの視点から、妊娠・出産・育児における男性の役割の考察を試みました。   最初の発表は、イサベル・ファスベンダー(東京外国語大学)による「『妊活』言説における男らしさ―現代日本社会における『産ませる性』としての男性に関する言説分析」でした。ファスベンダーは、これまで「妊活」言説が、国家・医療企業・マスメディアの利害関係のもとにいかに形成されてきたか、そしてその言説がいかに個人、とりわけ女性の生き方を規定するかを分析してきました。 しかし今回は、その言説における男性の役割に焦点をあてました。「妊娠」すること、「産む」ことは、個人的な領域に属していると思われがちですが、不断に政治的なものとして公の介入を受けてきました。特に問題視されてきたのは「妊孕性」と「年齢」の関係性です。これまで「妊活」言説の主人公が主に女性に限定されてきましたが、最近になって、男性の身体、妊孕性をめぐる言説も注目されてきています。生殖テクノロジーの発展に伴う生殖プロセスの、生殖細胞レベルでの可視化が、さらに徹底して利用されていることが背景にあります。 この発表は、新聞記事、専門家へのインタビュー、男性向けの「妊活」情報、そして男性自身の語る「妊活」体験談などの分析に基づいて、男性の生殖における役割が現在の日本社会においてどのように位置づけられているのかを探りました。   2番目の発表は、レティツィア・グアリーニ(お茶の水女子大学)による、「妊娠・出産・育児がつくりあげる男性の身体-川端裕人『ふにゅう』と『デリパニ』を手がかりに-」でした。この発表では、川端裕人の『おとうさんといっしょ』(2004年)を中心に日本現代文学における父親像の表象について考察を試みました。 現代日本における出産・育児の語り方は、常に女性に焦点を当て、母親がいかにして子どもを産み育てるための身体を作るべきかが論じられています。一方、そこに男性の存在は稀薄であり、家庭内における「父親の不在」がしばしば指摘されています。このような社会事情を反映する現代文学においても出産・育児の体験はしばしば女性を中心に語られており、男性が物語の舞台に登場することは少ない上、育児に「協力する」副次的な人物として描かれることが多いのです。 グアリーニは、川端裕人の『おとうさんといっしょ』から出産に立ち会う男性を主人公にする「デリパニ」と授乳しようと試みる父親を描く「ふにゅう」、この2つの短編小説を取り上げ、川端裕人の作品分析によって、男性の身体に焦点を絞りながら父親の表象について論じ、新たな観点から出産・育児の体験を考察しました。   今回、渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)のパネルの発表者として参加できたおかげで、貴重なコメントをくださった討論者の方はもちろん、さまざまな研究者と意見交換ができました。自分たちの研究について改めて考える機会を与えていただき、ありがとうございました。 (文中敬称略)   当日の写真   <グアリーニ・レティツィア GUARINI Letizia> 2017年度渥美奨学生。イタリア出身。ナポリ東洋大学東洋言語文化科(修士)、お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科(修士)修了。現在お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科に在学し、「日本現代文学における父娘関係」をテーマに博士論文を執筆中。主な研究領域は戦後女性文学。       2019年1月17日配信