SGRAニュース

  • 洪性珉「蓼科から地球市民を考える(第5回SGRA蓼科ワークショップ『地球市民って誰?』報告)」

    (第5回SGRA蓼科ワークショップ『地球市民って誰?』報告)   7月1日(金)朝、少し曇った天気の中、2016年度渥美奨学生たちは、新宿から蓼科へ向かった。バスで移動している途中は雨が降っていたが、諏訪に着いたらすっかり晴れていた。今回のワークショップのテーマは、「地球市民」であった。   プログラムの中でもっとも印象に残ったのは、グループワークである。参加者は4つのグループに分かれて課題を行うことになった。僕らのチームの名前は「虹の橋」と決めた。そして、与えられた課題は2つ。第1は、与えられた状況について演劇を行うこと、そして第2はより良い世界を作るために地球市民として行うべきことについてプレゼンテーションをすることである。   我がチームの演劇の内容は、グローバル企業の進出によって、ある家庭にも影響が及び、お父さんは職を失い、その代わりに子供が家庭の生計のために学校に行かず工場で働いている、という状況をどう解決すればいいのかについてである。ところで、僕が最後に演劇をやったのは何時だったのだろう。中学生、いや小学生だったかもしれない。余りにも慣れない演劇をするのは少し恥ずかしかった。幸いに、元奨学生の方々の熱演のお蔭で演劇は盛り上がり、無事に終わった。   その後、演劇の時に浮かび上がった問題点について解決策を講じ、それについてプレゼンテーションをした。課題としてポスターの制作もあったが、残念ながら僕は絵が得意ではない。ところが、チームのメンバーの中には、いいアイデアを出せる人、様々な意見をよくまとめる人、絵の演出が得意な人など、様々な人がいた。各自の長所をもって人の短所を補う作業は順調に進められた。我がチームは、「虹の橋」という名前を生かして「絶望の輪」が地球市民の活躍によって「希望の虹」に変わる様子を見せながら発表を行った。このように課題を行う中で、世界各国で起きているグローバル化に伴う問題も個々の地球市民が力を合わせれば、問題を解決できる大きな力になれることを感じた。   しかし、疑問に感じたこともない訳ではない。それは、ワークショップの最初の先生の基調講演でのことである。先生は、欧州移民研究がご専門だが、我々のためにお話の内容を東アジア地域にも広げ、地球市民について考える話題を提供してくださった。その中、日本の地球市民の例として2人の日本人を挙げられたが、その一人は東郷茂徳であった。彼は、朝鮮陶工の末裔で、本名は朴茂徳である。しかし、帝国主義の理念が高まっていた当時の日本で、彼は朴茂徳ではなく東郷茂徳を名乗ることで日本の官僚、政治家として活動することが出来た。その時代に生きていた東郷茂徳は、果たしてワークショップで議論している「地球市民」として働けたのか、それとも「帝国主義日本の官僚」としてしか働けなかったのか。私にとっては、すぐに彼が「地球市民」として働いたという結論に達することはできなかった。   もう一つは、講演の中で接した「日本人は、終戦から70年代まで在日朝鮮人以外に外国人と接する機会がなかった」ということばである。在日朝鮮人は果たして外国人であると言い切れるのか。戦前及び戦中には、朝鮮人は日本人と同じく日本の国民と看做され、戦争に動員されている。ところが、戦後になると日本はこの朝鮮人を排除する論理で、外国人として扱ったのである。言い換えれば、在日朝鮮人という存在は、帝国主義日本の「負の遺産」であり、その問題は未だに進行形でもある。上記のことばにはその問題についての意識が充分読み取れないように思う。この問題について認識せず、排除する論理を踏襲したまま「地球市民」について議論を進めても、どれほど有意義な議論を導きだせるのだろうか。以上が私の疑問であった。   一方、ワークショップの他に印象に残ったことも多い。例えば、ご飯が美味しかったことが挙げられる。朝ご飯も、懇親会のバイキングも全て美味しかった。朝ご飯を食べるときは、勿論おかずも美味しかったが、特にご飯が美味しかったので、いつもご飯のお代わりを2~3回もした。バイキングの時に食べた料理の中では、蕎麦が最も印象に残った。程よく歯応えのある麺に汁が絡むと蕎麦の風味が増す。さすが信州の蕎麦は旨いと感じた。   そして、7月3日(日)には全てのプログラムが終わり、東京に戻ることになった。東京は、この3日間の間にだいぶ蒸し暑くなっていた。そして、私たちはその暑さの中に入り、各々の日常に戻った。   蓼科ワークショップの写真   <洪 性珉(ホン・ソンミン)Hong Sungmin> 2016年度渥美奨学生。2012年4月に早稲田大学文学研究科東洋史学専攻に入学、現在は博士論文を執筆中。専門は東洋史、特に遼宋関係史を中心に東アジアの歴史を研究している。     2016年9月22日配信
  • 南基正「第51回SGRAフォーラム『今、再び平和について』報告」

    第51回SGRAフォーラム「今、再び平和について」報告   ◆南基正「フォーラムを終えて」   2016年7月16日(土)の午後、東京国際フォーラムで「今、再び平和について」と題して、第51回SGRAフォーラムが開催された。タイトルには「平和のための東アジア知識人連帯を考える」と副題がつけられた。   「SGRA安全保障と世界平和」チームとしては7回目のフォーラムである。本チームは、2003年、第10回SGRAフォーラムとして「21世紀の世界安全保障と東アジア」をテーマに初めてのフォーラムを開催して以来、「東アジア軍事同盟の過去・現在・未来」(2005年、第16回)、「オリンピックと東アジアの平和繁栄」(2008年、第32回)、「東アジア共同体の現状と展望」(2012年、第41回)、「東アジア軍事同盟の課題と展望」(2012年、第43回、第16回フォーラムのリユニオン)、「紛争の海から平和の海へ」(2014年、第45回)などのテーマでフォーラムを開催してきた。14年間7回のフォーラムを開催したので、2年に一度のペースである。その14年間、東アジアの現実は、「世界平和」の希望と「安全保障」の困難の間を行き来しながら展開してきた。   「安全保障と世界平和」を名前に掲げている当チームとしては、この現実を敏捷に捉えて対応してきたつもりである。ただ、その対応は現実の流れとは逆の方向を向いていた。例えば、東アジア共同体議論が盛り上がり「世界平和」の希望が語られる状況においては、「安全保障」の厳しさを考える必要を訴え、この地域の「安全保障」をめぐる国際環境が不安定化する状況においては、「世界平和」の展望を切り開く可能性を探るような形で、常にバランスを取ることを念頭に置いてきた。今年のテーマは、そのような意図が克明に反映された形になった。   7月のフォーラム開催に向けテーマの調整を始めたのは2月中旬だった。折しも、朝鮮半島の情勢は危機の渦に入りつつあった。1月6日に北朝鮮は4回目の核実験を行い、それから一ヵ月経った2月7日には長距離ロケットを発射した。これを受け、韓国政府は南北協力の象徴である開城工業団地を閉鎖した。この韓国の自虐的措置に触発され、中国を含めて国際社会では、非常に強硬な制裁措置について議論が沸き立ち、北朝鮮はソウルやワシントンへの核攻撃シナリオをちらつかせながら強烈に反発していた。平和の危機に際し、平和の構想力が切に望まれていた。「安全保障と世界平和」チームの名で行われるフォーラムはこのような情勢に対応すべきであると思われた。そして、それを有効に行うためには、この地域に住む知識人としての役割についての自覚が必要であるように思われた。「核とミサイルの国際政治」、「東アジアにおける冷戦研究のあり方」、「東アジア自治体共同体に託す平和の可能性」などのテーマが浮かび上がった。   しかし、まだこの段階では、いずれのテーマも明白な会議の目標がイメージとして描けない状況であった。この時、研究チームの連絡を束ねていた角田英一さん(渥美国際交流財団事務局長)からいただいた一言に触発されて出てきたのが今回のテーマである。角田さんは、昨年の「日本研究」フォーラムの末尾で、私が司会としてのまとめの発言のなかに「東アジアの知識人の連帯」を呼びかけたことを覚えていてくださった。そこで私が提案したのが「今、再び平和について:東アジア平和問題談話会の立ち上げを呼びかける」であった。これは1950年、朝鮮戦争が勃発した状況の下で日本の知識人グループの平和問題談話会が発表して、第3声明として有名になった「三たび平和について」を意識したテーマであった。これについて今西淳子さん(SGRA代表・渥美国際交流財団常務理事)と朴栄濬さん(韓国国防大学校安全保障大学院教授)から大筋で賛同という意見を寄せていただいた。   ただ、「平和問題談話会」をあまり前面に出すと想像力を制限する恐れがある、「呼びかける」ということを掲げると、能力以上の課題を背負うことになるので控えめに調整したほうがいい、との助言があった。非常に適切な助言であり、これを受け入れた形で、最終的に設定されたのが今回のテーマであった。そして、フォーラムでは、「国際政治や安全保障の方向からの現状分析やシナリオの提示ではなく、平和研究または平和論という方向からの問題提起」とすること、「なによりも平和を優先する考え方が各個撃破されている現状を検証する」こと、こうした現状を克服するために「知識人として何ができるのかを議論する」ことを目標として設定した。   フォーラムの内容を構成するにあたっては、2つの方向から問題を提起する必要があった。1つ目は、戦後のアジアにおいて「平和への呼びかけ」が知識人の連帯運動として出てきた先例を確認しておくこと。その例として「平和問題談話会」の経験を東アジアのレベルでいかに生かすことができるか検証する。2つ目は、東アジアの危機の原因を見極め、平和の現状を確認し、そこで知識人が動ける空間がどのように存在しているのか確認しておくことである。私と木宮正史先生(東京大学大学院総合文化研究科教授)の問題提起は、それぞれこの必要に呼応するものであった。   次に、具体的な事例報告として、日本、中国、台湾、韓国、そしてアセアンにおける「平和」の現状を把握することが必要と思われた。台湾と韓国の現状については、本研究チームの林泉忠さん(台湾中央研究院近代史研究所副研究員)と朴栄濬さんが担当することになった。中国パートは、本研究チームの李成日さん(中国社会科学院アジア太平洋・グローバル研究院研究員)に中国の研究者の紹介を依頼し、二人が候補者として挙がった。宋均営さん(中国国際問題研究院アジア太平洋研究所副所長)と趙剛さん(中国社会科学院日本研究所副研究員)である。一人は政治学、もう一人は思想史が専門であったが、専門が異なっていた方が相互に補完が可能と思われ、両方に報告をお願いすることにした。アセアンの専門家は今西さんにこのテーマにピッタリな研究者を紹介していただいたのだが、日程を合わせることができず、報告者を出すことはできなかった。   そして、会議の直前に中国からの出席予定者であった趙剛さんが、研究所の事情で来られなくなった。もう一人の中国からの出席者である宋均営さんも連絡がとれにくく、フォーラム参加が危ぶまれたが、出国をわずか1日を残してビザが下りたということで無事に参加していただいた。最後に、日本パートであったが、今西さんから、以前にSGRAフォーラムで講演をお願いした都築勉先生(信州大学経済学部教授)を紹介していただいた。都築先生は、私が博論を書いていた時から書物を通してお世話になっていた先生であったので、是非とも話を聞きたかった。SGRAフォーラムを手伝いながら、得をしたという気持ちになるのは、このように平素会いたかったひとに会えることである。以上が、フォーラム開催の経緯である。   2つの問題提起と4つの報告の内容は、SGRAレポートに纏められる予定であるが、それぞれの国が置かれた状況によって、「平和」の現状と、「何を平和と認識するか」に至るまでの経緯が大きく異なっていることを確認することができた。時に報告者たちの発言は、お互いに衝突し兼ねない際どいところまで及ぶこともあったが、報告者たちの「平和」な性格のおかげで、生産的な議論になった。「平和」の条件は違っても「平和」の観念には、底で通じるものがあることを確認したことは収穫であった。   総合討論で、劉傑さん(早稲田大学社会科学総合学術院教授)が強調されたことは、そのことであったように思われる。中国にも、特殊な政治状況から生まれていながらも、理念の違いや国の境を超えて訴えることのある「平和テキスト」があり、時を超えてこれを学習する人がいるという。劉傑さんの討論を通じて、このフォーラムの意義が新しく浮かび上がり、これからも引き続き、今回の趣旨を継承して続けていくべきであることが分かった。探してみると、この地域には「三たび平和について」だけでなく、多くの平和テキストがありそうである。これから当分、フォーラムでは、東アジアで共有し継承していくべき平和テキストを発掘し、一緒に読んでいきながら、それを今どう生かすべきか、考えてゆきたい。   その際、フォーラムの最後に谷野作太郎先生(元中国大使)から寄せていただいた論評は、議論が宙に浮かないようにフォーラムを進めていくために、肝に命じておくべきである。平和の理想を求めることは、平和でない現実を省みることから始めるべきである。そのような趣旨の論評であったと覚えている。   平和でない現実に身を置きながらも、現実に囲まれず、平和を想像することを止めないこと。そのため、東アジアの平和テキストを一緒に読んでいくこと。この地域の研究者たちが「知識人」としての役割を自覚し「平和」のため連帯を目指すのなら、このことから始めるのはどうだろうか、フォーラムを閉じながらそんな思いがした。   フォーラムのプログラム フォーラムの写真   <南_基正(ナム_キジョン)NAM_Kijeong> ソウル大学日本研究所副教授。韓国ソウル市生まれ。ソウル大学にて国際政治学を学び、2000年に東京大学で「朝鮮戦争と日本-‘基地国家’における戦争と平和」の研究で博士号を取得。2001年から2005年まで東北大学法学研究科の助教授、2005年から2009年まで韓国・国民大学国際学部の副教授などを経て現職。戦後日本の政治外交を専門とし、最近は日本の平和主義や平和運動にも関心を持って研究している。主著に『基地国家の誕生?日本が戦った朝鮮戦争(韓国文)』、『戦後日本と生活平和主義(編著・韓国文)』、『歴史としての日韓国交正常化II: 脱植民地化編(共著)』、“Similar Conditions, Different Paths?: Japan`s Normalization of Relations with Korea and Vietnam”, “The Reality of Military Base and the Evolution of Pacifism : Japan's Korean War and Peace”,「日本の反原発運動?起源としてのベトナム反戦運動と生活平和主義の展開(韓国文)」、「戦後日韓関係の展開?冷戦、ナショナリズム、リーダーシップの相互作用」などがある。     2016年9月1日配信  
  • 全相律「第5回SGRAふくしまスタディツアー『飯舘村、帰還に挑む』報告」

    渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA・セグラ)では、2012年秋から毎年、福島原発事故の被災地である福島県飯舘(いいたて)村へスタディツアーを行っています。今年も、5月13日(金)から15日(日)の3日間、SGRAふくしまスタディツアー《飯舘村、帰還に挑む》を実施しました。   「SGRAふくしまスタディツアー」は、今年で5回目。参加者は渥美財団のラクーンメンバー、留学生、大学教授や社会人など10名でした。国籍はアメリカ、イタリア、カナダ、韓国、スウェーデン、日本でまさに「SGRAならでは」の多様な国からのメンバーが参加しました。   一日目の13日の朝、9時24分発の東北新幹線(やまびこ113号)で福島に向かった私たちは、「福島市の再生エネルギービル」を訪れました。このビルには、毎年受入れをお願いしている「ふくしま再生の会」の他に、飯舘電力、会津電力、「いいたてまでいの会」などの団体が入っており、互いに交流・協力しながら運営しているとの説明を受けました。その後、福島市内にある松川第一仮設住宅を訪れ、木幡一郎さん(会長)から「仮設住宅での生活」や「帰還に対する不安」について話を伺いました。説明を伺った後は、仮設住宅の敷地内にあるラーメン屋「中華琥珀」で昼食を食べて(琥珀ラーメン、とても美味しかったです)、この日の最後の見学地である飯舘村役場飯野出張所を訪問しました。そこで門馬伸市副村長から2017年3月(予定)からの帰村計画についてお話を伺いました。初日の飯舘村内の見学を終えた私たちは、ふくしま再生の会の活動拠点である霊山センターに到着し、夜は参加者たちが作る各国の手作り料理を食べながら親交を深めました。   二日目。午前中はふくしま再生の会の副理事長(福島代表)である菅野宗夫さんのお宅を訪問し、田んぼの「電気柵」作業をしました。午後はNPOプラチナギルドの会と合流し、村内を視察しました。まず、比曽の菅野啓一さん宅を訪問し、事故後の経緯や現状などを説明してもらいました。その後、家の裏手に回りイグネ(屋敷林)の除染や実験小屋の取り組みについても説明を受けました。飯舘村の森林は除染の対象から外されていますが、森林、樹木はどのくらい汚染されているのか、除染はどうしたら可能なのか、などの答えを出すための実験です。話を聞くだけで、その複雑さ、難しさが伝わってきます。   その後、立ち入り禁止区域である長泥のゲートや村役場、測定専用車の車庫も見学して回りました。夜は霊山センターの食堂で、村の方や東玉野地区の方なども参加された「大交流会(60名ほど)」が開かれました。かしこまった挨拶は抜きで、それぞれが自由に楽しく言葉を交わし、新たな人の輪ができました。とても楽しかったです。   三日目。最終日の午前、小宮の大久保金一さんのお宅を訪ねた私たちは「ふくしま再生の会」の東京大学大学院農学生命科学研究科教授の溝口勝先生の説明を伺いながら、小宮の試験田で除染を兼ねた代かきをしました。トラクターで代かきをした後に続きテニスコートブラシで排水し、これを繰り返しました。こうした作業により、田んぼの除染がどの程度可能になるのか、科学的な理論と、新しいアイディアと、経験をもとにした地道な実験が続きます。   その後、菅野宗夫さんのお宅に戻り、昼食のおにぎりを食べながら、宗夫さんのお話を伺いました。そして、参加されたメンバーそれぞれが感じたスタディツアーの感想も語り合いました。   出発の前に一番気になっていた放射線数値は、私たちが主に生活や活動をしていた霊山センター、菅野宗夫さんのお宅と田んぼ、小宮の試験田などで0.1~0.3マイクロシーベルト(μSv)程度。最終日に飯館村を発つ時の個人測定器の数値は10~13マイクロシーベルト(μSv)でした。   今回のスタディツアーは私にとってまさに「見て、知って、考える」の旅でした。これから宗夫さんの言葉通り「自分が見て体験した被災地のことを忘れず、今自分にできることを考えながら、(段々その関心が薄れていく)福島のことをなるべく大勢の人に伝えていきたい」と思っています。今後リピーターとして飯館村を訪ねる際は、今の「(帰還に対する)不安や恐怖」が「希望や笑顔」に変わっていることを期待しています。     英訳版はこちら   <全相律(ジョン・サンユル)Sangryul JEON> 渥美国際交流財団2016年度奨学生。韓国外国語大学大学院で日本語学を専攻。2009年4月文部科学省研究留学生として来日。東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻修士課程を経て現在博士後期課程在学中。専門は言語の普遍性と多様性に基づく日本語学・日韓対照言語学の研究。 ----------------------   ● スタディツアーの写真   参加者の感想文を下記リンクからお読みください。   ● リンジー・モリソン 「忘れ難きふるさと飯舘村に寄せて」   ● 宮里かをり「見て、聞いて、知って、感じて、考えた3日間」   ● 李 志炯(イ・ジヒョン)「新たなライフスタイルを目指して」   ● マックシム・ポレリ「<知る>と<分かる>」   ----------------------   2016年6月23日配信
  • 謝惠貞「第6回日台アジア未来フォーラム『東アジアにおける知の交流―越境・記憶・共生―』報告」

    2016年5月21日、第6回日台アジア未来フォーラム「東アジアにおける知の交流―越境・記憶・共生―」が台湾高雄市の文藻外語大学で開催された。西欧的国家モデルをいち早く志向して近代国家の成立に成功した日本は、二十世紀東アジアにおける知の交流を語る際に常に重要な役割を果たしてきた。しかし、近年のグローバル化の急速な進展によって、国民国家の恣意性が明らかになり、また様々な分野の活動にみられる多くの越境者たちの存在や異なる共同体における記憶の構築、多文化主義に見られるような共生の実践など、多種多様な交流の形態がこれまでのような国家単位における知の交流の形を大きく変えてきている。こうした東アジアにおける知の交流の変容をめぐって、講演と論文・ポスター発表を通して、多様な議論が展開された。   今回は、台湾日本人会の呼びかけを通して、全日本空輸株式会社台湾支社、ケミカルグラウト株式会社(日商良基注入營造)、台湾本田汽車股份有限公司、みずほ銀行台北支店より協賛を頂いたお蔭で盛大に開催ができた。   当日は、文藻の陳美華副校長と渥美国際交流財団今西淳子常務理事に続き、交流協会高雄事務所中郡錦藏所長、台湾日本人会日台交流部会の竹内功部会長、同会高雄支部の宮尾圭一支部長から開会のご挨拶をいただいた。総勢170名の方々に参加していただき、盛大に幕を開けることができた。   最初の基調講演は、立命館大学の西成彦教授が「元日本兵の帰郷」という演題で行った。西教授は「マイノリティ文学に潜在する二層性(想定される読者の二重性)は、戦後の日本語文学 (とくに日本国籍を持たない「在日」の作家)を考える場合に決して見落としてはならない重要なこと」であると指摘し、台湾人元日本兵であった陳千武の小説集『生きて帰る』を取り上げて論じた。こうした台湾人元日本兵の戦争経験は、大日本帝国が強いた「華人ディアスポラ」の一例とみなすべきだと語り、戦後沖縄文学の「嚆矢」と呼ばれる太田良博の「黒ダイヤ」をその対照として分析した。前者が中国語で綴ることを強いられた状況や、後者が引揚げ後に米軍軍政下に置かれるといった立場が、戦後「大日本帝国文学」のネガとして映されていると論じることによって、現代台湾・沖縄人の心象的鏡像を提示した。   次の基調講演は、2015年に第153回直木賞を受賞した台湾籍の作家東山彰良氏が「台湾で生まれ、日本で書く」をテーマに、自分自身のアイデンティティの揺らぎと「越境」作家としての心境を語った。大会のサブテーマ「越境・記憶・共生」に沿って、作家としての営為が越境的であるかどうかを回顧し、常に「越境的」な題材では書き続けられず、むしろ読者に感情移入できるように工夫することによって、結果的に読者の「越境」を手伝うことになると述べた。東山氏にとって、越境作家と称し得るのは、ドミニカ系アメリカ人作家のジュノ・ディアスやブルガリア系ドイツ人作家のイリヤ・トロヤノフなどの移民作家に加え、母国語を英語とし、日本語で台湾や中国のことを書いたリービ英雄であった。東山氏は彼らのような思惟の越境や言語の越境をともなってこそ「越境文学」と称し得るのだと述べ、両者はどこにも所属しない「喪失感」を共有しているのだと述懐した。しかし、外部から強制的に決められたアイデンティティを強要される場合、その権力の共犯構造に巻き込まれる沈黙の大衆にならないためにも、その権力と戦うべきだと述べ、スピード感に溢れるその語りぶりは会場を大いに魅了した。   続く研究フォーラムでは、台湾大学日本語文学系教授・日本研究センター副主任の林立萍教授を司会に迎え、「越境・記憶・共生に向けた知の交流」というテーマで、台湾、日本、中国、そしてアメリカという4つの視点から議論を掘り下げていった。名古屋学院大学の土屋勝彦教授は現代ドイツ文学の視点から越境を論じた。ドイツにおける移民文学が内なる他者性を喚起することに触れ、こうした他者による創作が言語的崩壊や国家意識の崩壊を導く契機となることを論じた。   また、コロラド大学教授フェイ・阮・クリーマン教授は、AKBなど現代のアジアの都市文化をつなぐ越境的な現象を手がかりに、ネグリとハートの『帝国』が提起した境界も差異もない「滑らかな空間」(smooth space)について提起した。その上で、2011年前後から急速に増えてきた翻訳活動を中心とした日台間の知識人ネットワークについて言及した。   廈門大学日語系教授兼学科主任の呉光輝教授は、西田幾多郎の思想を手がかりに、アジアにおける越境行為の持つ意義について論じた。西田思想を基にして、東洋と西洋によって共同で作り上げられたオリエンタリズムが持つ意義についても言及を試みた。   最後に、立命館大学の西成彦教授が、帝国主義時代におけるリンガ・フランカ(共通語)の問題を手がかりに、かつては言語的なヘゲモニーの下で個人が複数の言語を宿す状態があったことを述べ、そこからカフカのような「マイナー文学」が生まれてきたことについて言及した。帝国の文学がマイノリティの文学を奨励する一方で、そこから生まれる「マイナー性」がやがてセクシャルマイノリティまでをも包括することになると指摘し、それらがやがて人間の意識の変容をもたらすきっかけとなる可能性を述べた。   午後からのフォーラムでは、「文学」、「言語・教育」、「歴史・文化」という3つのセッションをそれぞれ2会場で構成して、台湾、日本、韓国、中国、ドイツ、アメリカで活躍する学者たちを招き、多角的な視点から深い議論が展開された。合計32本の論文発表と7本の日本語教育実践報告が行われた。   文学A会場では、文藻外語大学主任の林淑丹教授による「生命と共同体の記憶―『楢山節考』の世界」、銘伝大学頼衍宏副教授による「長屋王の変と『南斉書』」、そして北京大学の解璞助理教授による「中国現代小品文学と明治文学——水野葉舟『響』を中心に」、青島科技大学劉文娟講師による「川端康成「五拾銭銀貨」論」など、主に日中文学の比較研究に関連する4本の論文発表があり、台湾と中国における関連研究の蘊蓄の深さによってさらなる展開が生まれた。   文学B会場では、主に戦前から戦後までの台湾文学がいかに日本(語)と交渉してきたかを議論した。まずは文藻外語大学の黄意雯副教授による「銀鈴会の会誌から跨時代作家が如何に「越える」かを見る」、文藻外語大学の倉本知明助理教授による「越境するディストピア-ポスト・フクシマにおける台湾の原発小説」、輔仁大学の石川隆男講師による「張文環文学にみる保存的記憶-『山茶花』を例として」、文藻外語大学の謝惠貞助理教授による「越境するノスタルジア-東山彰良『流』におけるアウトロー像を通して」、北京外国語大学の劉妍講師による「雑誌『改造』と中国―横光利一『上海』を通して」、中興大学通識教育中心の蕭怡姍講師による「南島・趣味・旅行:日本統治期『台湾日日新報』における国島水馬の台湾旅行挿絵―「納涼八景」、「納涼八計」を例として」が発表された。現代に引き継がれた言語・遺産・記憶・文化・風景をめぐって、戦前と戦後の状況を対照しつつ論証することが未来志向の提案としても成立することが証明された。   言語・教育C会場では、信州大学の岩男考哲准教授と岐阜大学の仲潔准教授が「生徒たちが教科書で触れる「異文化間交流」を、文藻外語大学の賴美麗助理教授が「オーラルテストにルーブリックを導入する試み」を、同学方斐麗助理教授が「日本語副詞「きっと」と「必ず」の文法機能に関する研究」を、同学林琪禎兼任助理教授が「初級日本語学習者に対する「自他動詞」の指導について」を、同学張汝秀助理教授が「日本語会話授業のコース・デザイン-文藻外語大学日本語文系の会話授業を例として」を、同じく同学の久保田佐和子講師が「横断的に見た文藻外語大学日本語学習者の発話習得状況―アーティキュレーションを考慮点として」を発表した。学生の学習目標の意識化を助ける新しい教授法を実施、検討した成果であった。   言語・教育D会場では、5本の論文発表があった。文藻外語大学の董莊敬副教授の「日本の政策文書におけるキャリア教育の言説」は、非適応の若年者へのサポートによる自己形成へのシフトを提言した。同学の陳淑瑩助理教授の「日本統治下における台湾原住民の歴史教育-「尊王論」を中心に」は、皇民化政策として導入した差別構造について分析した。同学の小高裕次助理教授の「台湾で販売されている初学者用日本語教材における日本語発音の記述について」は、清音と濁音の区別を十分に解説されていない現状について指摘した。広州大学の李瑩瑩講師の「上代変体漢文における漢文助辞の破格と受容について――「矣」字を例として」は、「矣」が漢文助辞の提示用法と国語助詞「ヲ」の表記へ移行した過程を論じた。屏東大学の石川清彦講師の「日本語ディベートへの批判的考察」では、情報伝達を目的とするように教授法としてのディベートの改善を唱えた。上記二者は異色の発表であったが、小高氏の幅広い専門知識で熱い対話が交わされた。   歴史・文化E会場では、文藻外語大学の李姵蓉助理教授より、「戦争責任再論-記憶の忘却、喚起と継承」という問題提起が行われた。同学のドイツ籍の李克揚助理教授は、「海外人権力者たちの見たフォルモサ―ドイツのアジア植民地獲得の目標となった台湾をめぐる経緯」という意外な歴史を解明した。中国文化大学の黄馨儀助理教授は、「NHK朝の連続テレビ小説の台湾受容:『あまちゃん』のインタビュー調査を中心に」で、メディアによる日本文化への共感の仕方を分析した。中興大学の陳建源助理教授は、「東アジア大衆観光における多文化実践―士林官邸と蒋・宋家族の物語から考える」で、観光による文化創出の可能性を論じた。立命館大学博士課程の鄧麗霞氏は「“大東亞電影”的演繹與破綻——以《支那之夜》與《莎韻之鐘》為中心」において、李香蘭が「国策映画」の戦略に起用されたことを論じた。早稲田大学の野口真広次席研究員は「植民地台湾と自治― 自律的空間への意思」において、楊肇嘉という運動家が大英帝国の立憲主義に啓発されたことを解明した。   歴史・文化F会場では、台中科技大学の坂井洋兼任講師による「植村正久の思想と蔡培火―伝道対象としての台湾人」、義守大学の李守愛副教授による「日本の古代における釈奠と台南孔子廟の釈奠の発展」、中央研究院台湾史研究所ポスドクの曽齢儀氏による「宇治茶と台湾烏龍茶―三好徳三郎と日台間の茶の交流」、国立故宮博物院の蔡承豪副研究員による「流動、調查與詮釋:文溯閣四庫全書「臺灣」」、立命館大学生存学センター番匠健一研究員による「日本統治期台湾における「植民論」とSettler Colonialism:後藤新平と高岡熊雄の関係に着目して」は、いずれも系譜学という方法を意識した比較・受容研究で、日台文化や思想への理解を深める結果となった。   また、高雄の名山、半屏山とキャンパスを一望できる眺望スペースにおいて、文藻外語大学の日本語教師による教育実務報告が行われた。黄思瑋助理教授による「台湾における日本語のアクセント句の学習についての一考察」、韓国籍の趙英美助理教授による 「The relationships between the Korean wave and Korean language learning in Taiwan」、郭雅芬講師による「反転授業の試み―文藻外語大学専科部二年生の“日本語二”での試み」、童鳳環講師による「「暗誦」が第二言語習得における位置づけについて―文藻外語大学専科部一年生を対象に」、蔡燕昭講師による「遠隔授業教材製作の問題点―文藻夜間部日本語(一)の前期の教材を中心に」、遲秀蘭講師による「日本語の授業におけるSLT(Situational Language Teaching)教授法の応用―初級クラスを例として」、陳貞雯講師による「集中力を高める試みー初級日本語文法の授業を例に」は、文藻外語大学が教授法の改善を追求し、教育に力を入れている熱意を学者や来賓たちに伝えることができた。   今回のフォーラムでは、中国語・日本語・英語による発表が可能で、コメンテーターも2ヶ国語以上が堪能な学者たちであった。台湾は「東アジアにおける知の交流」を促進するための基本的条件を備えていると言える。また、文藻外語大学のドイツ学科より発表者がおり、欧亜語文学院張守慧院長もドイツ文学専門であったために、パネリストのドイツ文学専門の土屋先生と、東アジアにおけるヨーロッパ研究の交流を交わすことが出来たのが意外な収穫だった。日本と台湾の深い絆を活かして、東アジアやグローバルな研究へと広がる一助となるフォーラムとして、末永く続く記憶されることを願ってやまない。   当日の写真 アンケート集計結果     <謝惠貞(しゃ・けいてい)Sie Huei-zhen> 2012年9月東京大学大学院人文社会系研究科より博士号取得。博士論文のテーマは「日本統治期台湾文化人による新感覚派の受容――横光利一と楊逵・巫永福・翁鬧・劉吶鷗」。文藻外語大学日本語文学科の助理教授。       2016年6月16日配信
  • ヴィラーグ・ヴィクトル「第9回SGRAカフェ『難民を助ける―民と官を経験して』報告」

    渥美国際交流財団関口グローバル研究会では、2016年4月2日(土)14時半より17時過ぎまで第9回SGRAカフェを開催しました。今回のテーマは『難民を助ける―民と官を経験して』で、講師に柳瀬房子様をお迎えしました。   柳瀬様は、今回のテーマの通り、難民支援の「民」と「官」両方の立場を経験してこられました。1979年にインドシナ難民の支援を目的として発足した「難民を助ける会」に設立準備から携わり、現在に至るまでの長年の民間活動に加え、近年は法務省難民審査参与として日本における難民認定行政にも携わっておられます。活動歴は37年にも渡り、難民を助ける会では専務理事、事務局長、理事長を経験され、現在は、認定NPO法人格を得ている同会の会長を務めていらっしゃいます。1992年には、日本に住んでいる難民等の援助を行う国内の活動を担う社会福祉法人さぽうと21を立ち上げました。1990年代中頃に、対人地雷廃絶キャンペーンの一環として、募金を目的として執筆された絵本『地雷ではなく花を下さい』はベストセラーとなり、外務大臣表彰や日本絵本読者賞を受賞しました。今日でも、難民支援や地雷廃絶の分野において国内外で活動を続けておられます。   短い時間でしたが、ご講演では1979年に始まった活動が、現在に至るまでどのように展開されてきたかについて、設立当初と今の時代とを比較しながら紹介していただきました。例えば、インドシナ危機が発生した当時は、多くの日本の若者が直接支援のために現地に行きたいという風潮でしたが、30年以上たった現在は、シリア危機の解決に向けて日本から自ら出向こうという人は少なくなっています。また、国内活動においても、当時の民間セクターには、日本が国連難民条約を批准するように圧力をかけるほどの活気があったそうです。その反面、設立当初、IT化や口座振込がまだ進んでいない時代における市民活動の実態、とりわけ非常に手間暇のかかる電話や電報、手紙による通信方法、そして大量の現金書留による募金の描写がとても印象的でした。   最近の情報として、日本の難民受け入れの動向と、シリア内戦により大量に発生している難民及び避難民を助けるための取り組みについても教えていただきました。参加者は、日本で行われている難民認定の丁寧なプロセスにおいて使用されている、人をはじめとした様々な資源の多さと、本制度の限界・問題点についても説明を受けることができました。   また、シリア問題を受けて、「難民を助ける会」がトルコ国境で進めている取り組みについてもお話を聞けました。その中で、団体の英語名(Association_for_Aid_and_Relief,_Japan、略してAAR_Japan)に「refugee(難民)」という語が含まれていない理由を、支援対象地域の政府との政治的な問題を回避するための配慮と説明していただいた時は、「目から鱗」でした(「我が国には難民問題なんて発生していない」という政府のスタンスへの事前対策です)。   質疑応答の中で、海外活動については、例えば現地派遣スタッフの安全管理及びそれに欠かせない教育・研修、他の国際及び現地NGOとの連携のとり方に関する参加者の疑問に対して丁寧に答えていただきました。また、国内の難民受け入れについては、そもそも難民と移民の違い、実際に迫害を受けてきた難民と難民性の低い庇護希望者(日本でいう難民認定申請者)の見分け方、更に言語教育などを含む経済的な自立に向けた社会的な統合の問題についても話し合いました。   今回のカフェを通して、国内の文化的なマイノリティを対象としているソーシャルワークに関心をもつ報告者にとっては、特に次の3点が参考になり、考えさせられました。1)世論に膨大な影響を及ぼすマスコミとの付き合い方、つまり「難民」に対してどのような社会的なイメージを、どのように作り、またどうすれば啓発活動を通じて全体的な意識の向上を目指せるか。2)難民を「可哀そうな」弱者として見ない、即ち既にもっている学歴などの人的資本を最大限に活かすための自立支援とは何か。3)他の社会的な課題と同様に、難民の受け入れと社会的な統合において、なぜ「官」ではなく、「民」が主導権をとった方が望ましいのか、そしてどのようにすればそれができるか。   非常に有意義な2時間半でした。   当日の写真     <ヴィラーグ・ヴィクトル Virag_Viktor> 2003年文部科学省学部留学生として来日。東京外国語大学にて日本語学習を経て、2008年東京大学文学部行動文科学科社会学専修課程卒業(文学学士[社会学])。2010年日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科前期課程卒業(社会福祉学修士)。同大学社会事業研究所研究員、東京外国語大学多言語・多文化教育研究センター・フェロー、日本学術振興会特別研究員を経験。2013年度渥美奨学生。2016年日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科後期課程卒業(社会福祉学博士)。上智福祉専門学校、昭和女子大学、法政大学、上智大学、首都大学東京非常勤講師。日本社会福祉教育学校連盟事務局国際担当。国際ソーシャルワーカー連盟アジア太平洋地域会長補佐(社会福祉専門職団体[日本社会福祉士会]内)。主要な専門分野は現代日本社会における文化等の多様性に対応したソーシャルワーク実践のための理論及びその教育。     2016年4月21日配信    
  • 金雄煕「第15回日韓アジア未来フォーラム報告」  『これからの日韓の国際開発協力:共進化アーキテクチャの模索』

    2016年2月13日(土)、東京国際フォーラムで第15回日韓アジア未来フォーラムが開催された。2年連続の東京開催となった今回のフォーラムは「これからの日韓の国際開発協力:共進化アーキテクチャの模索」というテーマで行われた。政府開発援助(ODA: Official Developmental Assistance)分野におけるフロントランナーとしての日本の特色ある国際協力と韓国の開発経験が東アジアの持続可能な成長と域内協力にどのように貢献できるか、という問題意識に基づき、日韓の理念(idea)、制度(institution)、国益(interest)が織りなすODAの国際政治経済について考える場となった。   フォーラムでは、未来人力研究院理事長の李鎮奎(リ・ジンギュ)教授による開会の挨拶に続き、日韓、それぞれの基調講演が行われた。今回は深川教授のご提案により、日韓の研究者がクロスで報告を行うという新しい試みを採用した。まず孫赫相(ソン・ヒョクサン)慶熙大学公共大学院教授が、日本のODAについての韓国的な視点を紹介した。韓国の学者たちがこれまで発表した日本のODAについての研究論文での分析結果や主張を体系的にまとめ、紹介した。主な議論の対象には日本のODAの目的と動機、ODA実施機関の新JICAの発足背景、ODA事業規模の内訳と推移、市民社会の参加などが含まれた。このような検討を通して日韓のODAにみられる類似性と差別性について論じた。とりわけ、ODA分野において日本は韓国の教科書であり、決して「ジャパンモデル」が非難されるべきではないと強調した。   深川由起子(ふかがわ・ゆきこ)早稲田大学政治経済学術院教授は、日本が、今後スマート・ドナーとして、国際社会における経済開発・貧困削減をリードし、援助の潮流を作り出す上では、東アジア型産業発展の経験を最も濃密に共有する韓国との協調は重要な鍵であり、韓国にとっても同様であると強調した。このような問題意識に鑑み、韓国の政府開発援助(ODA)にその開発体験がどう反映されようとしているかについて紹介した。そして、体験反映の事例として、セマウル運動と知識共有プログラム(Knowledge Sharing Program: KSP)の2つを取り上げ、体験共有への志向が韓国のODA体制整備とどういう関係を持つのかを議論した。結論として、スマート・ドナーを目指す日本にとり、極めて似た工業化体験を有しつつ、他方では強味、弱味の補完性のある韓国のODAと協調することの便益は実は大いに期待できるはずであり、そのためには韓国の経済発展の経緯とODA供与国としての韓国の特徴を日本が十分に理解すると共に、他方で韓国が棲み分けと協調の便益を戦略的に捉えられるような対話が欠かせないと力説した。   コーヒー・ブレークを挟んで、円卓会議では、まず平川均(ひらかわ・ひとし)教授が「日本のODAを振り返る」という題で、討論のたたき台としてのミニ報告を行った。今世紀に入ってアジアの経済発展により「成功体験としてのジャパンODAモデル」の自己認識が強まっているが、伝統的に援助に携わった人々のミクロレベルでの実践の再評価を通じてバランスある援助論への移行が必要ではないかと振り返った。   また、被援助国(partner country)の視点を踏まえ、マキト・フェルディナンド(Maquito Ferdinand)テンプル大学ジャパン講師によりミニ報告も行われた。日本と欧米のODAは微妙に異なるが、その違いが生じる原因の一つは援助国自身が経て来た発展経験の相違であるとしたうえで、日本の発展経験を特徴づける「共有型成長」(Shared Growth)のDNAの一つの特徴として、日本国内で行われた開発資金提供(developmental Financing)の独自性を上げた。そのような特徴を持つ経済発展モデルのODA政策への適用には、どのような意義あるいは課題があるのかをフィリピンの事例を通して紹介した。   その後、園部哲史(そのべ・てつし)政策研究大学院教授、広田幸紀(ひろた・こうき)JICAチーフエコノミスト、張ヒョン植(チャン・ヒョンシク)ソウル大学行政大学院招聘教授(前KOICA企画戦略理事)らによる熱のこもったディスカッションが続いた。日韓の比較にとどまらず、今後、日韓が協力し合いながら、共に進化し、ODAの「東アジアモデル」とでもいえるようなアーキテクチャを創り上げる可能性について、それぞれの立場や専門領域を踏まえた、そして自分の夢が込められた素晴らしい討論であった。   前回のフォーラム報告でも言及したが、これから「ポスト成長時代における日韓の課題と東アジア協力」について、実りのある日韓アジア未来フォーラムを進めていくためには、総論的な検討にとどまらず、今回のように具体的な課題において掘り下げた検討を重ねていかなければならない。今回から3年かけてODA問題を取り上げることになるが、次回のフォーラムの開催に当たっても、国際開発協力における中国のプレゼンスにも注目しつつ、着実に進めていきたい。最後に第15回目のフォーラムが成功裏に終わるようご支援を惜しまなかった今西淳子SGRA代表と李先生、そしてスタッフの皆さんに感謝の意を表したい。   当日の写真   英訳版はこちら ————————– <金雄煕(キム・ウンヒ)Kim Woonghee> 89年ソウル大学外交学科卒業。94年筑波大学大学院国際政治経済学研究科修士、98年博士。博士論文「同意調達の浸透性ネットワークとしての政府諮問機関に関する研究」。99年より韓国電子通信研究員専任研究員。00年より韓国仁荷大学国際通商学部専任講師、06年より副教授、11年より教授。SGRA研究員。代表著作に、『東アジアにおける政策の移転と拡散』共著、社会評論、2012年;『現代日本政治の理解』共著、韓国放送通信大学出版部、2013年;「新しい東アジア物流ルート開発のための日本の国家戦略」『日本研究論叢』第34号、2011年。最近は国際開発協力に興味をもっており、東アジアにおいて日韓が協力していかに国際公共財を提供するかについて研究を進めている。 ————————–     2016年3月17日配信
  • マックス・マキト「第20回日比共有型成長セミナー『人間環境学と持続可能な共有型成長』報告」

    「土は土に、灰は灰に、塵は塵に」(earth to earth; ashes to ashes, dust to dust)という言葉を信者に思い出させる、カトリック教会の祝日である「灰の水曜日(Ash Wednesday)」(2016年2月10日)に、SGRAの20回目の共有型成長セミナーが、マニラ市にあるカトリックの名門アテネオ・デ・マニラ大学で開催された。今回のセミナーは企画の段階から、実行委員たちの提案で、今まで以上に宗教色が増していた。それもそのはずである。昨年、カトリックの教皇様がフィリピンを訪問された後、回勅(encyclical)を出されたことが、委員たちの心を動かしたのである。灰の水曜日に開催されたのは偶然だったが、セミナーのテーマ「人間環境学と持続可能な共有型成長」(Human Ecology and Sustainable Shared Growth)に相応しいと思った。 グローバル市場経済が世界を席巻する今日、東南アジア諸国、特に中所得の罠(Middle Income Trap)に落ちてしまったフィリピンは、著しい経済発展をとげる一方で社会的格差が増大し、環境破壊も止めどなく進行し、人権侵害や地域・民族間の紛争も解決の糸口さえ見えない状態に陥っている。植民地支配のくびきから解放され、国民国家形成の過程で、多様な民族、宗教、文化の統合に苦慮してきた東南アジア各国では、グローバリゼーションものとでの社会環境の変化に対して、宗教的な価値観、倫理観に基づく批判や反発が生まれてきている。 教皇様が発したのは、貧富の格差の拡大や環境破壊を厳しく批判し、社会的公正と倫理の回復を求める強いメッセージであった。公正と倫理の回復を求めるメッセージには、人間環境学(Human Ecology)という概念が取り上げられているが、このセミナーを通してこの概念の意味や意義など理解し、さらにはフィリピンのSGRAプロジェクトで追究している持続可能な共有型成長との関連性を考えることが、本セミナーの目的であった。 セミナーはフィリピンの国歌斉唱、アテネオ・デ・マニラ大学の経済学部長のクリスティナ・バウティスタ氏と今西淳子SGRA代表の開会挨拶から始まった。午前中は、下記の通り、フィリピン各地から集まった講師による発表が行われた。 発表1「スペインの哲学者レオナルド・ポロによる環境の概念や共存:持続可能性教育への含意」 発表者:Dr. Aliza Racelis (University of the Philippines) 発表2「防災力(レジリエンス)と持続可能性のためのメトロ・マニラの都市計画」 発表者:Arch/EnP. Sylvia Clemente (University of Sto. Tomas) 発表3「パサイ市の旧干拓エリアにおける都市の衰退と貧困の指標との関係の評価」 発表者:Arch. Regina Billiones 発表4「ベンゲット州(フィリピン)の主要民族部族のペドペド喫煙」 発表者:Ms. Girlie Gayle Toribio (Benguet State University) 発表5「カガヤン・デ・オロ河川の流域の家庭における使用・日使用便益の仮想的市場評価手法による推定」 発表者:Dr. Rosalina Palanca-Tan (ADMU), Ms. Marichu Obedencio, and Ms. Caroline Serenas (Xavier University — Ateneo de Cagayan) 発表6「生物濃縮:プラスチックのゴミの悲劇」 発表者:EnP. Grace Sapuay (Solid Waste Management Association of the Philippines) 発表7「気候変動を理解する」、「高潮」 発表者:Mr. Erik Pinaroc (University of Sto. Tomas)、Mr. Gerardo Santiago III (University of Sto. Tomas) 発表8「スペインの植民地資本主義と福音伝道を超えて、フィリピンの教会遺産の評価へ」 発表者:Arch Mynn Alfonso (University of Sto Tomas) このセミナーには100人を超える参加者が集まった。共有型成長セミナーは、以前から専門分野や国籍の壁を超えて実施されてきたが、今回は、初めて世代の壁をも超え、実行委員の推薦の学部生の発表を3本も入れてみた。アジアで最も古く、カトリック最大の大学とも言えるサント・トマス大学の学部生とその先生たちが大勢来てくれた。灰の水曜日に合わせるかのように、午前中の発表は、宗教的な課題(カトリックの哲学者について)から始まり、宗教的な課題(スペイン植民時代の教会について)で終わった。その日は本来断食の日でもあるので、軽いランチを挟んで、午後は発表者の円卓会議が行われ、発表とテーマとの関係の理解を深めようとした。そのまとめ下記のリンクからご覧ください。 「人間環境学」と「持続可能共有型成長」の視点から見た各発表のまとめ(英語) 日比共有型セミナーは12年回に20回開催してきたが、今回も手伝ってくれた甥のアラン君は、セミナー後の懇親会で、感想を聞かせてくれた。「僕はマキト家の中で、このセミナーの出席率が一番いいと思う。何しろ最初は11歳だったのでちゃんと聞いていなかった。でも、今日は、僕と同世代の熱意ある発表を聞いて、やっとセミナーの意義がわかった」と。今後も「世代間の壁」を突破する試みをしようと励まされた。当日の写真--------------------------<マックス・マキト ☆ Max Maquito>SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。SGRAフィリピン代表。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。--------------------------  
  • 第9回SGRAチャイナフォーラム「日中二百年――文化史からの再検討」報告

    【1】フフホト会議   2015年11月20日、中国内モンゴル自治区フフホト市の内モンゴル大学で、渥美国際交流財団関口グローバル研究会主催の第9回SGRAフォーラムinフフホト「日中二百年――文化史からの再検討」が開催された。フフホトでのSGRAチャイナフォーラムは、2010年、2011年に続く3回目である。前2回のフォーラムは内モンゴル大学モンゴル学研究センターを中心に開催され、渥美財団の事業及びチャイナフォーラムを内モンゴルの若者たちに広く知らせる場を提供し、とても良いスタートを切ることができた。今回は国際交流基金北京日本文化センターの協賛を得、内モンゴル大学モンゴル歴史学部、清華大学東亜文化論壇、北京大学日本言語文化学部との共催であった。本大会は劉建輝教授(国際日本文化研究センター)を迎え、「日中二百年――文化史からの再検討」をテーマに進められた。   開会式は午後3時からはじまり、ボヤンデルゲル教授(内モンゴル大学)の司会で行われた。まず主催者側からソドビリグ教授(内モンゴル大学)の歓迎の挨拶があった。次いで本大会開催にあたって渥美財団の今西淳子常務理事からの渥美財団及びSGRA、チャイナフォーラムの現在にいたるまでの歴史の紹介、王中忱教授(清華大学)、周太平教授(内モンゴル大学)、孫健軍副教授(北京大学)から祝辞が述べられた。その後、劉建輝教授による講演がはじまった。   劉教授の講演は内容構成として1.前近代と近代における東アジア文化圏の異同、2.支え合う日中の近代文化、3.過去、現在から未来へ――「東アジア文化圏」再構築の可能性と課題、4.東アジア近代と張家口、とに分けて、当時の貴重な資料を交えながら、詳細なデータと豊富な写真をパワーポイントで紹介した。日本と中国の近代史は、東アジア地域に多大なものを残している。不幸と悲劇だけではない、お互いの交流によって誕生した出来事と文化事象をもう一度見直してみる。そこにはまさに支え合う関係があるという日中関係の新しい歴史視点を詳細にかつ具体的に述べ、内モンゴル大学のモンゴル人研究者たちと率直に議論を深めることができたことは大変有意義であった。   特に、張家口は伝統的に、モンゴルやロシアとの交易を行う中国の要衝で、また蒙漢両民族を分かつ「国境」の関口でもあった。本来、日本は直接的にはほとんど関係のなかった「周縁」地域だが、大正、昭和に入ってから、日中の軍事、経済的勢力の消長により、一時「蒙疆」と呼ばれていたように、「満洲」や上海などと並んで、日本ないし日本人がもっとも深く関わる場所の一つとなった。劉教授は「日本関連在外資料の調査研究」プロジェクトの一環として、張家口に関する現地調査や資料収集を行っておられ、その詳細な研究の方向性は高い評価を受けており、今後一層の研究交流が図られることが期待されている。   講演の後、質疑応答と活発な討論が行われ、講師からの回答及び補足説明などもあった。その後、閉会の辞があり5時に会議は無事に終了した。参加者は内モンゴル大学歴史学部、内モンゴル大学モンゴル学研究センターの研究者の他、内モンゴル大学の学部生、院生、日本からの留学生、他大学からの出席等百余名を数えた。   当日の写真   北京フォーラムと合わせたアンケートの集計   ---------------------- <娜荷芽(ナヒヤ)Nahiya> 2012年東京大学総合文化研究科博士号取得。内モンゴル大学学士、東京外国語大学修士。2011年年度渥美奨学生。武蔵大学非常勤講師、和光大学非常勤講師を経て、2012年に内モンゴル大学モンゴル歴史学部に講師を務めた。SGRA研究員。 ----------------------     【2】北京会議   11月22日に北京大学外国語学院の新しい建物の5階会議室で開催したフォーラムは、日曜日の上に大雪という悪条件にもかかわらず、50人以上の方々にお集まりいただき、熱のこもった議論が展開された。   午後3時に開会が宣言され、最初に、特別ゲストの北京大学元培学院の孫華院長より、優れた人材育成において国際的かつ学際的な視点をもたせる教育が必要という、SGRAにぴったりなお話をいただいた。次に、国際交流基金北京日本文化センターの吉川竹二所長より、鏡を例に文化交流の大切さについて示唆に富むお話をいただいた。   続いて、劉建輝先生が、パワーポイントを見せながら、「日中二百年――文化史からの再検討」というタイトルで、「東アジアの歴史を語る時、ほとんどの識者が古代の交流史と対比して、近代の抗争史を強調し、両者の間に一つの断絶を見出そうとしてきた。しかし、もしこの間の三国間の文化的交流、往来の足跡を精査すれば、そこには近代以前とは比べられないほど多彩多様な事実、事象が存在していることに気付く。そしてその多くはいずれも西洋という強烈な『他者』を相手に、いかに互いの成果、経験、また教訓を利用しながら、その文化、文明的諸要素の吸収、受容に励む努力の跡にほかならない。その意味で、東アジア、とりわけ日中韓三国はまぎれもなく古来の文化圏と違う形で西洋受容を中心とする一つの近代文化圏を形成していたのである」という主張を熱く語った。   先生のご研究では、「支え合う」というキーワードの下で、キリスト教研究、植民地研究、都市史、文学、経済など、従来個々の分野で展開されがちのものが統合され、超域的研究のアプローチが試みられている。日中関係は二国間で見るのではなく、200年という長さで見れば、西洋化の流れにどう対処するか、両国が補完し合ってきた実像が見えてくる。つまり、両国は近代化に当たり、隣国(日本にとっての中・韓、中国にとっての日本)との関係の中で自己のアイデンティティーを確立したのである。漢文の近代的発展、新漢語の造出、近代文学者の足跡、近代思想の発祥と伝播など、いずれも「支え合う」特徴が色濃く残り、確実に検証することができる。   ご講演の後半には、当時の近代国際都市である「張家口」が「支え合う」実例として登場し、鋭い洞察と該博な知識に満ちた見解が出され、会場全員の関心が一層高められた。   短い休憩の後、本フォーラムを共催する清華東亜文化論壇の主宰者の1人、清華大学中国文学科の王中忱教授の司会によって、北京大学日本言語文化学部の王京副教授、清華大学歴史学科の劉暁峰教授、同じく清華大学日本言語文学研究科の王成教授からコメントがあった。   大雪警報にも関わらず、劉建輝先生の情熱的なご講演のおかげで、参加してくださった方々から「先生方に様々な角度から中日の200年を探っていただいたおかげで、歴史をより深く理解することができました。」「最も重要なのは、問題を発見する方法をいくつか学べたことでした。」「もっと勉強・研究・探究したくなったほど、久しぶりに好奇という気持ちを抱きました」などの暖かい反響をいただいた。   12月の北京は晴れた日が少なく、ひどいスモッグの日が続いた。スモッグ対策はまったくできておらず、基本的に風任せだと揶揄されている。そんな日には、張家口の話がいつも脳裏をよぎる。北京は北西を除けば盆地状となっている。冬には北西の風が吹けば晴れる。さもなければ、汚い空気が溜まってしまう。張家口はその風の通り道に位置するため、昔から重工業が規制されてきたようである。張家口は北京の空気をよくするために重要な役割を果たしている。70年前の張家口の都市文化も今の北京の空気改善に役立つのでは、とつくづく思う。   当日の写真     ——————————- <孫建軍 Sun Jianjun> 1969年生まれ。1990年北京国際関係学院卒業、1993年北京日本学研究センター修士課程修了、2003年国際基督教大学にてPh.D.取得。北京語言大学講師、国際日本文化研究センター講師を経て、北京大学外国語学院日本言語文化系副教授。現在早稲田大学社会科学学術院客員准教授、早稲田大学孔子学院中国側院長を兼任中。専門は日本語学、近代日中語彙交流史。 ——————————-     2016年1月14日配信
  • 第50回SGRAフォーラム「青空、水、くらしー環境と女性と未来に向けて」報告

    第50回SGRAフォーラムin北九州が、第3回アジア未来会議(「環境と共生」をテーマに2016年9月29日~10月3日に開催)のキックオフとして、北九州市立大学で開催された。今回は「青空、水、くらしー環境と女性と未来に向けて」というテーマで、大気汚染や水質汚染など、1950年代に日本の四大工業地帯の一つであった北九州市が直面した環境問題と、その解決に立ちあがった婦人会の活動経験を踏まえて、北九州、中国、韓国などで展開する女性の活動について議論が繰り広げられた。   まず、今西淳子氏(SGRA代表)と近藤倫明氏(北九州市立大学学長)の開会挨拶があり、続いて日本、中国、韓国の事例が発表された。   最初は北九州市の事例で、神﨑智子氏(アジア女性交流・研究フォーラム主席研究員)より「『青空がほしい』運動に学ぶー現在に問いかけるものー」と題して、旧戸畑市の三六地区の煤煙による公害問題に対峙した婦人会の地道で活発な活動が紹介された。特筆すべきは、単なる金銭的な形での解決ではなく、1960年代に当時としては画期的であった工場の除塵装置やガス集合管の設置などの具体的な環境改善にまで至ったことで、それが今日の綺麗な空気や環境につながったとの報告であった。   次に北京在住ライターの斉藤淳子氏より「変わるのか、人々の意識」と題して発表があった。斉藤氏は、中国の大気汚染問題を訴えるために中央テレビ局キャスターの柴静さんが自費制作した番組の内容について紹介し、同国が直面する環境問題の深刻化と政治的・経済的実情とのジレンマを浮き彫りにした。またその反響の大きさから、現在の中国の若い世代の意識変化は外国メディア等の影響を大いに受けて変化していること等について報告した。   最後に李ユンスク氏(韓国YWCA運動局部長)が「絶え間ない歩みー韓国YWCAの環境活動と女性の社会参加―」を発表した。その中で、1922年に創立された韓国YWCAのこれまでの活動について、特に、女性の地位向上に関する活動や、最近活発な環境保護活動と反原発運動についての紹介があった。セッションの終わりに会場との質疑応答があり、「女性の環境活動に対して、夫は何をしていたのか?」という質問も飛び出した。   15分間の休憩をはさんで第2部のオープンフォーラムが始まった。冒頭にゲストの小林直子氏(NPO法人里山を考える会)から活動内容の紹介があった。里山の会では八幡東区東田地区の地産地消の理想のもと、エネルギーの自給自足を実現するために、夏季ダイナミック・プライシング料金を取り入れることでエネルギーのピークシフトを実現したこと、水素化社会を構築していること、まちづくりのために東田まつり、シェアポイントなどを取入れたことなどの紹介があった。   続いて田村慶子氏(北九州市立大学法学部・大学院社会システム研究科長)をモデレーターに、発表者を交えたフリーディスカッションが行われた。太陽電池電源が不安定であること、発展途上国のこれから増えるであろうエネルギー消費など、多くの質問があり、聴講者とパネリストとのディスカッションが行われた。   最後にSGRAメンバーの高偉俊氏(北九州市立大学教授)から閉会挨拶と第3回アジア未来会議について説明があった。17時から交流会が始まり、参加者は講師たちと歓談を楽しんだ。 (文責:葉文昌)   当日の写真   アンケート集計結果     2015年11月26日配信
  • 胡 艶紅「第8回SGRAカフェ『女子大は要る?~「女」、「男」と大学について考えよう~』報告」

    2015年10月24日(土)、渥美国際交流財団ホールで、第8回SGRAカフェが開催された。今回のカフェのテーマは「女子大は要る? 「女」、「男」と大学について考えよう」というもので、SGRA会員のシム・チュンキャットさん(昭和女子大学准教授)とデール・ソンヤさん(一橋大学特任講師)が担当した。   まずソンヤさんが、今回のカフェで取り上げるテーマについて説明した。日本には現在でも女子大学が存在するが、男女平等の機運が高まっているなか、女性しか通えない女子大は不要だと考える人もいる。そもそも、女子大は要るのだろうか? この問題意識をきっかけとして、今回のカフェでは、「大学」を通して「女」である、「男」であるとはどういうことか、その社会における妥当性とはいかなるものか、を考えてみましょうと。   カフェは2部に分かれ、第1部はシムさんによる発表が行われた。短い休憩のあと、ソンヤさんによる発表が行われ、参加者全員による小グループ・ディスカッションが開かれた。当日は、SGRA関係者のほかに、シムゼミを受講している昭和女子大学の学生も多数参加して、ゆったりとした雰囲気のなかで、多くの人々が活発に意見を交換した。   シムさんは、まず大学のジェンダーについての歴史を概観したあと、さまざまなデータを用いて日本の現状を分析した。かつて、ヨーロッパでは大学は男性のものであり、女性は高等教育から排除されていた。しかし18世紀中ごろになると女子大学が現われるようになり、広まっていった。だが20世紀中ごろ、男女平等に関する法律が制定されると、女子大の存在が問題視されるようになり、徐々にその数を減らしていくことになる。   次いで、日本の状況分析が紹介された。日本は、女性の社会進出・雇用や教育率について他国と比べて遜色はない。だが、研究者に占める女性の割合は14.6%であり、他の先進国と比べてもかなり少ない。また、東京大学の2014年度入学者のうち女性は18%しかおらず、ほとんど「準男子大学」の様相を呈している。学力はあるのに、なぜ大学に行かないのだろうか。アンケート調査によると、理由として挙げられているのは、男性にもてなくなる、結婚できなくなる、親が許してくれない、といったものだった。   次に、女子大の存在意義とは何か、ということが問われた。シムさんの調査によると、議論の場では、女性は男性がいないほうが積極的に発言する。そのため、ジェンダー問題や女性のありかたについて、より深く議論することができるようになる。また、東大のような「準男子大学」が多く存在するので、女子大はバランスを取っているのだ、という見方もあるということが紹介された。さらに女子大のメリットとして、少人数授業ができる点、女性の人生の選択肢を知ることができる点、女性研究者枠があるので女性に多くのチャンスを与えられる点、などが指摘された。   最後に、イギリスのサッチャー元首相や本財団の理事長をはじめ、女子大出身の素晴らしい女性リーダー達が紹介された。女子大は、普段の生活の場から離れて、女性だけで学問を学び議論することで、社会常識や「当たり前」を問う場となり、優れた女性を育てる場になる、ということが述べられた。   第2部のソンヤさんの発表はグループ・ディスカッション形式で進められた。まず、参加者が5~6人のグループに分かれ、「異性として生まれ変わったら、あなたの人生はどう変わる?」、「あなたの一番好きな映画は何?」、「その映画は、ベックデル・テスト(Bechdel Test)を合格できる?」という問題を一人一人が考え、グループ内で発表が行われた。ベックデル・テストによれば、「名前を持っている女性が二人以上いる」、「女性が互いに会話する」、「その会話は男性以外のものについてである」という基準を満たした映画が合格なのだそうである。   報告者が参加したグループには、日本人と中国人の女性が5人いた。日本人の女性は、男性に生まれ変わると、人生の道が制約される、社会のプレッシャーが強くなる、という可能性を話した。中国人の女性は、一人っ子政策のため男児は厚遇される傾向にあり、家族には愛される反面、責任も重いので、自由な行動ができないということを話した。また、ベックデル・テストをクリアできる映画が非常に少ないことも、ディスカッションンを通じて気付かされた。大学生を対象としたソンヤさんの調査では、男性が女性に生まれ変わると、内面的になり、逆に女性が男性に生まれ変わると、外面的になって夢が広がるという結果がでたという。   次に、「友だちが妊娠したら、子供の性別を知りたいか」という問題が出され、社会における性別の問題が議論された。知りたい理由として挙げられたのは、プレゼントの選び方にかかわる、将来を想像できるようになるなどだった。性別によって人々の子供に対する態度も変わる。それは性別によって趣味や扱い方が違うからだという。しかし、近年では男性と女性の役割も固定的ではなくなっている。男性も家事や子育てに参加するようになり、何かとメディアで取りあげられるようになった。しかし、子育てと仕事を両立する女性は全然注目されていない。このように、社会における性別意識は、当たり前のように既成観念になっている。それゆえに、社会的なジェンダーは女性だけの問題ではなく、すべての人間に関わっており、社会構造にもかかわっている問題でもある、ということが指摘された。   今回のカフェを通して、私たちは今まで疑問視されてこなかった性別にかかわる社会常識などについて深く考えさせられることになった。私たちはこうした社会問題に対して、「女」として、「男」として何をすべきか、さらに考えていく必要があるだろう。   当日の写真   ----------------------------------------- <胡艶紅(こ・えんこう)Hu_Yanhong> 2006年来日。2010年3月筑波大学人文社会科学研究科 国際地域専攻修士課程修了。同年4月同研究科 歴史・人類学専攻一貫制博士課程編入、2015年7月同課程修了。現在、筑波大学人文社会科学研究科、博士特別研究員。専門は、東アジア歴史民俗学。主要論文「現代中国における漁民信仰の変容」(『現代民俗学』4)。 -----------------------------------------     2015年11月19日配信