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2020.02.13
第4回「韓国・日本・中国における国史たちの対話の可能性」円卓会議は2020年1月9日と10日、フィリピン・アラバン市ベルビューホテルで開催された。今回のテーマは「『東アジア』の誕生―19世紀における国際秩序の転換―」だった。3国でそれぞれ活発な研究活動をしている研究者たちが3人ずつ発表した。
9日朝、円卓会議が始まった。冒頭の基調講演及び挨拶では、共通して「『アジア』とは何か」「共同の歴史のための研究者の役割」「歴史の大衆化の問題」などの問題が提起された。
続いて発表セッションが始まった。最初のテーマは「西洋の認識」で、大久保健晴先生(慶應義塾大学)の「19世紀東アジアの国際秩序と『万国公法』受容―日本の場合―」、韓承勳先生(高麗大学)の「19世紀後半、東アジア三国の不平等条約克服の可能性と限界」、孫靑先生(復旦大学)の「魔灯鏡影:18世紀から20世紀にかけての中国のマジックランタンの放映と製作と伝播」の発表があった。伝播と影響、変容という様相を扱った興味深いテーマだった。発表が終わった後は討論が続いた。『万国公法』受容の様相、西洋から伝播した新しい「思想」と「道具」の各国における受け入れ方の共通点と相違点、「不平等条約」という用語が果たして適切であるかについての悩みなどが論点として提示された。
2番目のテーマは「伝統への挑戦と創造」で、大川真先生(中央大学)の「18、19世紀における女性天皇・女系天皇論」、南基玄先生(成均館大学)の「日本民法の形成と植民地朝鮮での適用:制令第7号『朝鮮民事令』を中心に」、郭衛東先生(北京大学)の「伝統と制度の創造:19世紀後期の中国の洋務運動」の発表で、挑戦的な問題提起が目立った。このセッションでは女性論で見える当時と現在の共通点、植民地朝鮮における日本法の適用方式の特殊性、洋務運動の歴史的評価の変遷史などの論点があった。
3番目のテーマは「国境を越えた人の移動」だった。塩出浩之先生(京都大学)の「東アジア外交公共圏の誕生:19世紀後半の東アジア外交における英語新聞・中国語新聞・日本語新聞」、韓成敏先生(大田大学)の「金玉均の亡命に対する日本社会の認識と対応」、秦方先生(首都師範大学)の「近代中国女性のモビリティー経験と女性『解放』に関する再思考」の発表があった。人と人の繋がりによって転送される情報に着目した研究であった。移動を扱うと同時に、それぞれその伝送の媒体を設定するのが興味深かった。このセッションでは金玉均の活動と日本政界の関係、「女性解放」が必ずしも女性を自由にしなかったという指摘、新聞に入る情報を決定する主体が誰なのか、などをめぐる議論があった。
劉傑先生(早稲田大学)はこの日の対話について「国際秩序の転換を各国が受け入れた時期に注目すると、各国がどのように違っていたかが明らかになるだろう」と指摘した。さらに、「冊封・朝貢の概念が登場しなかったのは何故なのか、朝貢・冊封体制の終結と条約体制の始まりは果たして繋がりがあるのか」という問題を提起した。
10日の2セッションは討論だけで構成された。三谷博先生(跡見女子学園大学)は討論に先立ち、前日に提示された様々な論点を基に「今日はさらに進んだ討論が期待される」と述べ、さらに「研究者が互いに友達になり、今後、お互いを研究パートナーにしてもらいたい」という願いが伝えられた。
次は指定討論者からの質問だった。青山治世先生(亜細亜大学)はまず「東アジア」の相対化を提案した。平山昇先生(九州産業大学)は各国の研究の違いと共通点を共に認識するようになったと指摘した。共通点としては、前近代から近代に至る過渡期が共有されていること、そして国史専攻者の間で対話が可能だという発見であった。しかし研究者が自国に戻り、いかに自国民との対話が可能なのかについては反省することになると語った。朴漢珉先生(東国大学)は西欧から流入した近代の様々な要素の朝鮮における様相を詳しく紹介し、新たに「流入」したものとして疾病にも注目すべきものであるとした。孫衛国先生(南開大学)は「東アジア」誕生の意味について提言した。
次は司会者の論点だった。村和明先生(東京大学)は「3国の歴史を合わせたからといって『東アジア史』になるわけではない、日中韓の各国で同じような考え方を持っている人々がいたかもしれない」と述べた。彭浩先生(大阪市立大学)は歴史研究と大衆、政治の問題を指摘しながら、研究者同士は共通の認識を持つことができるが、教科書と大衆向けの媒体で反映されるとき、冷静に考えることができるかどうか悩んでいるとした。
発表者たちはこれらの質問に同意した。一方、ここまでの対話を通じて、分野史を超えて現代秩序の形成に対する問題まで考えるようになり、国境線と歴史的感情も乗り越えられるという期待を持ったという感想もあった。またこの対話を自国でどのように発信するのかを悩まなければならないという指摘も継続された。
発表者と討論者たちは次のような評価を残した。「19世紀後半は『アジア連帯』が模索されながらも、お互いの違いに違和感を抱いた時期だった。21世紀にこれをどう思うかは課題の一つである」「条約に対する対応の差異は、初期条件の差異にも注目する必要がある」「歴史の大衆化は、良い書物を出版するよりも、いかに伝えるかという媒体がより重要な時代になったということだ。研究者が変身を図る時だ」「研究者であり教育者としてこのような悩みを共有してほしい」等だった。
最後に三谷先生が「今回の対話では『アジア』という観点の妥当性の有無が論議された。19世紀は西洋をいかに受け入れていくかについて悩んだ一時期として、各国の対応方式の差を確認した」と総括し、続いて「研究者たちはこの成果を伝え、教育に反映できるように努力しなければならない」と指摘し、「この対話は続けられなければならず、十分に可能だという」期待を残した。最後に円卓会議にずっと参加してくださっていたアジア未来会議の明石康大会会長が、「豊かな議論がなされれば、議論が一致しなくても多くの教訓を受けていけるだろう」とし、「この対話を最後までよく続けてほしい」と話された。
第4回「国史たちの対話」では以前の3回までの会議に比べてはるかに活発な対話が行われたと思う。 参加者たちが以前に比べて非常に密接な交流が展開され始めた時代の19世紀後半を専門にしていたこと、したがって、歴史的事件や人物を共有すること、共通した問題意識を持っているということ、そしてフィリピンという第3の地域に来ていたということ、などがその理由だったと思われる。
今回の会議では言語の重要性を改めて感じるようになった。同時通訳者の苦労と活躍は言うまでもない。特に今回の対話では、相手国の言語駆使が可能な研究者が多く、休憩時間に互いに会話をする場面を目撃した。会議という形式を越え真の仲間になれるなら、国史たちの対話は半分以上成功したも同然だろう。やはり真の「対話」のためには実際の対話が必要だということだろう。
当日の写真
<金泰(キム・キョンテ)Kim_Kyongtae>
韓国浦項市生まれ。韓国史専攻。高麗大学校韓国史学科博士課程中の2010年~2011年、東京大学大学院日本文化研究専攻(日本史学)外国人研究生。2014年高麗大学校韓国史学科で博士号取得。韓国学中央研究院研究員、高麗大学校人文力量強化事業団研究教授を経て、全南大学校歴史敎育科助教授。戦争の破壊的な本性と戦争が導いた荒地で絶えず成長する平和の間に存在した歴史に関心を持っている。主な著作:壬辰戦争期講和交渉研究(博士論文)
2020年2月13日配信
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2019.05.15
第63回SGRAフォーラム@AFC#5
第4回「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」円卓会議
◆「『東アジア』の誕生-19世紀における国際秩序の転換-」
日 時: 2020 年 1 月 8 日(金)~ 12日(日)
会 場: フィリピン・アラバン市ベルビューホテル、フィリピン大学ロスバニョス校
主 催: 渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)
共 催: 科学研究費新領域研究「和解学の創成」、早稲田大学東アジア国際関係研究所、フィリピン大学ロスバニョス校
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概 要 : 日本語 中国語 韓国語
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発表題目一覧表
プログラム: 日本語 中国語 韓国語
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予稿集 : 日本語 中国語 韓国語
【セッション① 開会】
◆歓迎挨拶
フェルディナンド・マキト(フィリピン大学ロスバニョス校)
19世紀のフィリピン~マニラ・ガレオン貿易を中心に~
19 世纪的菲律宾—以马尼拉大帆船贸易为中心—
19세기의 필리핀: 마닐라 갤리언 무역을 중심으로
日本語 中国語 韓国語
◆基調講演
三谷 博 (跡見学園女子大学)
「アジア」の発明—19世紀におけるリージョンの生成
“亚洲”的发明——区域在19世纪的产生
‘아시아’의 발명: 19세기 리전(region)의 생성
発表要旨 日本語 中国語 韓国語
論文 日本語 中国語 韓国語
◆研究発表
【セッション② 西洋の認識】
大久保健晴 (慶應義塾大学)
19世紀東アジアの国際秩序と「万国公法」受容―日本の場合―
19世纪东亚的国际秩序和对“万国公法”的接受吸收——论其在日本的情况
19세기 동아시아 국제질서와 『만국공법』의 수용―일본의 경우―
発表要旨 日本語 中国語 韓国語
論文 日本語 中国語 韓国語
問題提起
韓 承勳 (高麗大学)
19世紀後半、東アジア三国の不平等条約克服の可能性と限界
19世纪后半:东亚三国克服不平等条约的可能性与局限
19세기 후반, 동아시아 3국의 불평등 조약 극복 가능성과 한계
発表要旨 日本語 中国語 韓国語
論文 日本語 中国語 韓国語
問題提起
孫 青(復旦大学)
魔灯鏡影:18世紀から20世紀にかけての中国のマジックランタンの放映と製作と伝播
魔灯镜影:18-20世纪中国早期幻灯的放映、制作与传播
마등경영(魔灯鏡影):18세기~ 20세기 중국의 매직랜턴 방영(放映)과 제작, 그리고 전파
発表要旨 日本語 中国語 韓国語
論文 日本語 中国語 韓国語
問題提起
【セッション③ 伝統への挑戦と創造】
大川 真 (中央大学)
18・19世紀における女性天皇・女系天皇論
18・19世纪的女性・女系天皇论
18・19세기의 여성천황・여계(女系)천황론
発表要旨 日本語 中国語 韓国語
論文 日本語 中国語 韓国語
問題提起
南 基玄 (成均館大学)
日本民法の形成と植民地朝鮮での適用:制令第7号<朝鮮民事令>を中心に
日本民法的形成及其在殖民地朝鲜的实施——以制令第七号《朝鲜民事令》为中心——
일본민법의 형성과 식민지 조선에서의 적용: 제령 제7호 「조선민사령」을 중심으로
発表要旨 日本語 中国語 韓国語
論文 日本語 中国語 韓国語
問題提起
郭 衛東(北京大学)
伝統と制度の創造:19世紀後期の中国の洋務運動
传统与创制:19世纪后期中国的洋务运动
전통과 제도의 창조: 19세기 후기 중국의 양무운동
発表要旨 日本語 中国語 韓国語
論文 日本語 中国語 韓国語
問題提起
【セッション④ 国境を越えた人の移動】
塩出 浩之 (京都大学)
東アジア公共圏の誕生:19世紀後半の東アジアにおける英語新聞・中国語新聞・日本語新聞
东亚公共领域的诞生:19世纪后半东亚的英文报刊・中文报刊・日文报刊
동아시아 공공권의 탄생: 19세기 후반 동아시아에서의 영어 신문・중국어 신문・일본어 신문
発表要旨 日本語 中国語 韓国語
論文 日本語 中国語 韓国語
問題提起
韓 成敏 (大田大学)
金玉均の亡命に対する日本社会の認識と対応
日本社会对金玉均流亡的认识与应对
김옥균의 망명에 대한 일본사회의 인식과 대응
発表要旨 日本語 中国語 韓国語
論文 日本語 中国語 韓国語
問題提起
秦 方(首都师范大学)
近代中国女性のモビリティー経験と女性「解放」に関する再思考
近代中国女性的游移经验与妇女“解放”框架的再思考
근대 중국여성의 모빌리티 경험과 여성 ‘해방’에 관한 재사고(再思考)
発表要旨 日本語 中国語 韓国語
論文 日本語 中国語 韓国語
問題提起
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2018.12.20
「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」円卓会議では下記の要項にしたがって論文を募集します。
第4回「国史たちの対話の可能性」円卓会議は、2020年1月8日~12日に、フィリピンのマニラ市近郊で開催する第5回アジア未来会議に重ねて開催することになりました。テーマは「『東アジア』の誕生-19世紀における国際秩序の転換ー」です。
本会議では、下記の要項に従って発表論文を募集しています。対象は、博士号を取得した各国の「国史」研究者(日本人の日本史研究者、中国人の中国史研究者、韓国人の韓国史研究者)で、興味のある方には、発表要旨を2019年1月20日までに渥美財団事務局へ直接メールで送ってください。
応募いただいた発表要旨は実行委員会が審査し、「国史たちの対話」円卓会議で発表する9篇の論文のうち約半数と、アジア未来会議の分科会で発表する論文を、最大で日本語、中国語、韓国語、各3篇ずつ計9篇を選ぶ予定です。選出された発表要旨の執筆者は、期日までに論文を投稿し、フィリピンの会議に参加して発表していただきます。会議参加のための登録費、滞在費、交通費を渥美財団より全額補助します。
■投稿方法
下記リンクより募集要項の「趣旨とテーマ」をお読みいただき、このテーマで発表・討論したい方は、およそ2000字で発表要旨をお寄せください。その中から国境を越えた対話にふさわしいものを選びます。ただし、論文の執筆にあたっては、外国の類似分野の研究者、あるいは自国の他分野の専門家に分るようにご配慮ください。同種の問題が隣国にも存在し、それゆえに対話が可能となること、同時に国家間の異同や解釈の相違が浮彫りとされること。それを通じて、参加者の間に知を共有する新たな場が生れ、将来の知的協業が生れることを期待しています。
募集要項(日本語)
募集要項(中国語)
募集要項(韓国語)
募集要項に従って下記の情報をメールにてお送りください。
・氏名(漢字、ひらがな/ハングル、ローマ字)・所属・連絡先(Eメール)
・2000字の発表要旨
・600字程度の略歴・主要論文リスト
・推薦者氏名・所属・連絡先(Eメール)
送付先・問合せ:
[email protected]
締切:2019年1月20日(※締切変更しました)
この募集要項を関係者に転送し周知していただきますようお願い申し上げます。
2018年12月20日配信
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2018.10.11
(第4回アジア未来会議円卓会議報告)
2018年8月25日から26日、ソウルのThe_K-Hotelで第3回「国史たちの対話の可能性」円卓会議が開かれた。今回のテーマは「17世紀東アジアの国際関係ー戦乱から安定へー」で、「壬辰・丁酉倭乱」と「丁卯・丙子胡乱」という国際戦争(戦乱)や大規模な戦乱を取上げ、その事実と研究史を確認した上で、各国が17世紀中頃以降いかに正常化を達成したかを検討しようという趣旨であった。各国が熾烈に争った戦乱と、相互の関係を維持しながらも、各自の方式で安定化を追求した様相を一緒に考察しようとしたのだ。
8月24日夕方のオリエンテーションでは国史対話に参加する方々の紹介があり、翌朝から2日間にわたって熱い議論が繰り広げられた。三谷博先生(跡見学園女子大学)の趣旨説明に続いて、趙珖先生(韓国国史編纂委員会)の基調講演があった。17世紀に朝鮮で危機を克服するために起きた数々の議論を参照しながら、17世紀のグローバル危機論の無批判的な適用を避けて、東アジア各国の実際の様相を内的・外的な観点から包括的に検討すれば、3国の歴史の共同認識に到達できると提言した。
第2セッションの発表テーマは「壬辰倭乱」だった。崔永昌先生(国立晋州博物館)は「韓国から見た壬辰倭乱」で、韓国史上の壬辰倭乱の認識の変化過程を具体的に分析した。鄭潔西先生(寧波大学)は「欺瞞か妥協か―壬辰倭乱期の外交交渉」で、従来は「欺瞞」と解されていた明と日本の講話交渉について再検討し、明と日本の交渉当事者が真摯に事に当っていたことを明らかにした。また、豊臣秀吉は講話交渉のなかで日本を明の下に、朝鮮をまた日本の下に位置させようとして朝鮮の王子などの条件を提示したが、明はそれを拒否したと報告した。荒木和憲先生(日本国立歴史民俗博物館)は「『壬辰戦争』の講和交渉」で、壬辰倭乱後の朝鮮と江戸幕府との間の国交交渉における対馬の国書偽造とこれを黙認した朝鮮の論理に注目した。壬辰倭乱というテーマは3国ですでに多くの研究が蓄積された分野であり、対立点も比較的に明確である。各国の史料に対する相互の理解が高まっているので、今後、より実質的かつ発展的な議論が期待されている。
第3セッションの発表テーマは「胡乱」だった。許泰玖先生(カトリック大学)は「『礼』の視座から見直した丙子胡乱」で、朝鮮が明白な劣勢にあっても清と対立(斥和論)した理由を、朝鮮が「礼」を国家の本質と信じていたことによると分析した。鈴木開先生(滋賀大学)は「『胡乱』研究の注意点」で、韓国の丙子胡乱の研究で「丁卯和約」と「朴蘭英の死」を扱う方式について紹介し、史料の重層性と多様性を理解するために利用できる事例とした。祁美琴先生(中国人民大学)は「ラマ教と17世紀の東アジア政局」で、清朝が政治的混乱を収拾していく過程でラマ教を利用しており、ラマ教もこれを利用して歴史の主役になれたことを明らかにした。清朝が中原を支配する過程で当時存在したいくつかの政治体や宗教体の実情も視野に入れなければならないという事実を再認識させてくれた。
本テーマは、倭乱に比べて3国間共同の対話が本格的に行われていない分野であると思う。史料の共有と検討はもちろん、3国の思想(あるいは宗教)にも大きな変動をもたらした事件として、一緒に議論する部分が多い研究分野と考えられる。
第4セッションの発表テーマは「国際関係の視点から見た17世紀の様相(社会・経済分野を中心に)」だった。牧原成征先生(東京大学)は「日本の近世化と土地・商業・軍事」で、豊臣政権後、江戸幕府に至る財政制度と武家奉公人の扱いの変動を分析した。変化の起きた点を明快に指摘し、専門でない人でも容易に理解することができた。崔ジョ姫先生(韓国国学振興院)は「17世紀前半の唐糧の運営と国家の財政負担』で、壬辰倭乱当時、明の支援に対する軍用糧食を意味した「唐糧」が、「胡乱」を経て租税に変化する様相を具体的な分析を通じて説明した。趙軼峰先生(東北師範大学)は「中朝関係の特徴および東アジア国際秩序との繋がり」で、「東アジア」と「朝貢体制」という概念について問題を提起して、本会議が対象としている17世紀以降の韓中関係の特性を紹介し、該当の概念語に対する代案が必要であることを提言した。
政治の動きの下にあって社会を動かす根元、社会・経済に対する関心は、本主題の発表者相互間はもちろん、他のテーマを担当した発表者や参加者たちも積極的な関心を示した分野だった。政治と同様に各国の経済構造は相当な差異を見せるという事実を確認し、これも今後の「国史」間の活発な交流が期待される分野であることを確認した。
セッション別の相互討論と、第5セッションの総合討論では、発表者が考える歴史上から具体的な論点まで多様な範囲の質疑応答が続いた。より熱烈な討論を期待した方たちが物足りなさを吐露したりもしたが、これは決して発表会が無気力であったという意味ではないと考えている。「国史」学者たちが自分の意見を強調する「戦闘的」討論から、外国史の認識を蓄積しつつ、さらに一段階上のレべルに進み始めたことを証明するものだったと思う。
また、「公式討論」の他に、他の国の異なる様相を理解して、その根源がどこにあるか再確認しようとする個別の討論があちこちで行われていたことを目撃した。そして、研究者間の個人的な交流も不可欠であるという考えを持つようになった。
3国の参加者たちが定められた発表と討論時間外にも長時間、共に自由に話し合う時間が必要だと思った。もちろん現実的には仕事が山積の状況で、さらに長い時間を一緒に過ごすのは難しいだろうが、3国以外の土地で会議を開催したり、オンラインを通じた持続的な対話をしたりして、問題意識の共有を進める方式も有効であろう。
また、今までの対話を通じて、自分の専門分野がもつ独特の用語や説明方式に固執せず、これを他の専門分野の学者にどうすれば簡単に伝えられるか、さらに、一般の人たちも理解できるようにする方式を考える必要があるという気がした。筆者もまた同じ義務を持っている。
3回の「対話」に参加しながら、ずっと感じるのは、言語の壁が大きいという事実だった。3国は「漢字」で作成された過去の史料を共有することができるという長所を持っている。歴史的にも近い距離で共通の歴史的事件をともに経験した。互いに使用する史料では疎通できるが、史料に根拠した自分の見解を伝えて相手の意見を聞くには「通訳」という手続きを経なければならなかった。3国の研究者たちがお互いの問題意識を認識してこれを本格的に論議を始める直前に会議の時間が尽きたような惜しい気持ちが残ったのは事実である。
しかし、多大な費用と努力を傾けた同時通訳は確かに今回の3国の国史たちの対話に大きく役立った。十分ではないが、2回目に比べて1歩、1回目に比べて2歩前進したという感じがした。
対話の場を作っていただいただけでなく、言語の障壁を少しでも低めるための努力をしてくださった渥美国際交流財団に感謝する。当初より5回で計画されている「対話」だが、その後も、たとえ小規模でもさらに踏み込んだ対話を交わすことができる、小さいながら深い「対話の場」が随時開かれることを期待する。
韓国語版報告書
会議の写真
関連資料
*報告書は2019年春にSGRAレポートとして3言語で発行する予定です。
<金キョンテ☆Kim Kyongtae>
韓国浦項市生まれ。韓国史専攻。高麗大学校韓国史学科博士課程中の2010年~2011年、東京大学大学院日本文化研究専攻(日本史学)外国人研究生。2014年高麗大学校韓国史学科で博士号取得。韓国学中央研究院研究員を経て現在は高麗大学校人文力量強化事業団研究教授。戦争の破壊的な本性と戦争が導いた荒地で絶えず成長する平和の間に存在した歴史に関心を持っている。主な著作:壬辰戦争期講和交渉研究(博士論文)
2018年10月11日配信
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2018.08.24
SGRAレポート第86号 中国語版 韓国語版
第59回SGRAフォーラム講演録
「第3回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性
─17世紀東アジアの国際関係─戦乱から安定へ」
2019年9月20日発行
<フォーラムの趣旨>
東アジアにおいて「歴史和解」の問題は依然大きな課題として残されている。講和条約や共同声明によって国家間の和解が法的に成立しても、国民レベルの和解が進まないため、真の国家間の和解は覚束ない。歴史家は歴史和解にどのような貢献ができるのだろうか。
1600 年を挟む約 1 世紀は東アジアが 3 度目の大規模な戦乱に直面した時代であった。東アジアには中国市場が世界に求めていた銀を朝鮮から製錬技術を学んだ日本が大量に供給したことを一因として緊密な経済関係が生まれる一方、経済繁栄は域内の諸民族に政治的覇権への欲望も生み出した。日本の豊臣秀吉と満洲のホンタイジによる各 2度の朝鮮侵攻および満洲族による中国での清朝の創立である。経済の相互依存の深まりと各国の覇権争奪の同時進行が生んだ大規模な戦乱、およびその後の長期安定は、現代の東アジアに対して深い自省を促すことであろう。
本フォーラムは第4回アジア未来会議の円卓会議「第3回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性─17世紀東アジアの国際関係─戦乱から安定へ」として開催された。この会議の目的は何らかの合意を得ることにはない。立場によりさまざまな歴史があることを確認した上で、「対話」により相互の理解を深めてゆくのが目的である。
<もくじ>
第1セッション[座長:李恩民(桜美林大学)]
【基調講演】
17世紀東アジア史の展開と特性─韓国史の展開を17世紀の世界史の中でどのように眺めるか
趙 珖(韓国国史編纂委員会)
第2セッション [座長:楊 彪(華東師範大学)]
【発表論文1】 韓国から見た壬辰倭乱 / 崔 永昌(国立晋州博物館)
【発表論文2】 欺瞞か妥協か──壬辰倭乱期の外交交渉 / 鄭 潔西(寧波大学)
【発表論文3】 「壬辰戦争」の講和交渉 / 荒木和憲(国立歴史民俗博物館)
第3セッション [座長:李 命美(韓国外国語大学校)]
【発表論文4】 「礼」の視座から見直した丙子胡乱 / 許 泰玖(カトリック大学校)
【発表論文5】 「胡乱」研究の注意点 / 鈴木 開(東京大学)
【発表論文6】 ラマの位相──17世紀チベット仏教と東アジア政局 / 祁 美琴(人民大学)
第4セッション [座長:村 和明(東京大学)]
【発表論文7】 日本の近世化と土地・商業・軍事 / 牧原成征(東京大学)
【発表論文8】 壬辰倭乱──丙子胡乱期唐糧の性格に関する検証 / 崔 姫(国学振興院)
【発表論文9】 清の前期における中朝関係と「東アジア」秩序構造 / 趙 軼峰(東北師範大学)
第5セッション [座長:劉 傑(早稲田大学)]
【自由討論】 招待討論者:塩出浩之(京都大学)、金 甫桄(嘉泉大学)他 総括/三谷 博(跡見学園女子大学)
第6セッション [座長:劉 傑(早稲田大学)]
【パネルディスカッション】 和解に向けた歴史家共同研究ネットワークの検証
[日本] 三谷 博(跡見学園女子大学)、浅野豊美(早稲田大学)
[韓国] 趙 珖(韓国国史編纂委員会)、朴 薫(ソウル大学)
[中国・台湾] 楊 彪(華東師範大学)、王 文隆(台湾政治大学)、在日研究者:段 瑞聡(慶応大学)
あとがきにかえて
金キョンテ / 村 和明 / 孫 軍悦 / 劉 傑
著者略歴
参加者リスト
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2018.02.26
第59回SGRAフォーラム@AFC#4
第3回「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」円卓会議
◆「17 世紀東アジアの国際関係ー戦乱から安定へー」
ちらし
日本語 韓国語 中国語
日 時: 2018 年 8 月 24 日(金)~ 28日(火)
会 場: 韓国ソウル市Kホテル
主 催: 渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)
共 催: 科学研究費新領域研究「和解学の創成」、早稲田大学東アジア国際関係研究所、ソウル大学日本研究所
助 成: 東京倶楽部
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概 要: 日本語版 中国語版 韓国語版
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発表題目一覧表
プログラム: 日本語版 中国語版 韓国語版
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予 稿 集(本文) : 日本語版 中国語版 韓国語版
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◆三谷 博「趣旨説明」: 日本語版 中国語版 韓国語版
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基調講演 :
◆趙 珖
「17世紀東アジア史の展開と特性―韓国史の展開を17世紀の世界史の中でどのように眺めるか」
「十七世纪东亚史的展开与特点——如何看待在十七世纪世界史框架中的韩国史走向」
「17세기 동아시아사의 전개와 특성-한국사의 흐름을 17세기 세계사 속에서 어떻게 바라볼 것인가」
発表要旨 日本語 中国語 韓国語(原著)
論文 日本語 中国語 韓国語(原著)
発表論文(発表者別) :
◆荒木 和憲
「「壬辰戦争」の講和交渉」
「“壬辰战争”的讲和交涉」
「임진전쟁’의 강화 교섭」
発表要旨 日本語(原著) 中国語 韓国語
論文 日本語(原著) 中国語 韓国語
◆鈴木 開
「「胡乱」研究の注意点」
「“胡乱”研究的注意点」
「‘호란’ 연구에서 주의할 점」
発表要旨 日本語(原著) 中国語 韓国語
論文 日本語(原著) 中国語 韓国語
◆牧原 成征
「日本の近世化と土地・商業・軍事」
「日本的近世化与土地•商业•军事」
「일본의 근세화와 토지, 상업, 군사」
発表要旨 日本語(原著) 中国語 韓国語
論文 日本語(原著) 中国語 韓国語
◆崔 永昌
「韓国から見た壬辰倭乱」
「从韩国的立场来看壬辰倭乱」
「한국에서 바라보는 임진왜란」
発表要旨 日本語 中国語 韓国語(原著)
論文 日本語 中国語 韓国語(原著)
◆許 泰玖
「「礼」の視座から見直した丙子胡乱」
「从“礼”再考丙子胡乱」
「禮의 窓으로 다시 바라본 병자호란」
発表要旨 日本語 中国語 韓国語(原著)
論文 日本語 中国語 韓国語(原著)
◆崔 妵姫
「17世紀前半の唐糧の運営と国家の財政負担」
「17世纪前半唐粮管理与国家财政负担」
「17세기 전반 唐糧의 운영과 국가의 재정부담」
発表要旨 日本語 中国語 韓国語(原著)
論文 日本語 中国語 韓国語(原著)
◆趙 軼峰
「中朝関係の特徴および東アジア国際秩序との繋がり」
「清代中朝关系特点与“东亚”秩序格局」
「한중관계의 특징과 동아시아 국제질서의 연동」
発表要旨 日本語 中国語(原著) 韓国語
論文 日本語 中国語(原著) 韓国語
◆祁 美琴
「ラマ教と十七世紀の東アジア政局」
「喇嘛教与十七世纪的东亚政局」
「라마교와 17세기 동아시아 정국」
発表要旨 日本語 中国語(原著) 韓国語
論文 日本語 中国語(原著) 韓国語
◆鄭 潔西
「欺瞞か妥協か――壬辰倭乱期の外交交渉」
「欺瞒还是妥协——壬辰倭乱期间的外交交涉」
「기만인가? 아니면 타협인가? – 임진왜란기의 외교교섭」
発表要旨 日本語 中国語(原著) 韓国語
論文 日本語 中国語(原著) 韓国語
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2017.11.18
SGRAレポート第82号 中国語版 韓国語版
SGRAレポート第82号(表紙) 中国語版 韓国語版
第57回SGRAフォーラム講演録
「第2回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性─蒙古襲来と13 世紀モンゴル帝国のグローバル化」
2018年5月10日発行
<フォーラムの趣旨>
東アジアにおいては「歴史和解」の問題は依然大きな課題として残されている。講和条約や共同声明によって国家間の和解が法的に成立しても、国民レベルの和解が進まないため、真の国家間の和解は覚束ない。歴史家は歴史和解にどのような貢献ができるのだろうか。
渥美国際交流財団は2015 年7月に第49 回SGRA(関口グローバル研究会)フォーラムを開催し、「東アジアの公共財」及び「東アジア市民社会」の可能性について議論した。そのなかで、先ず東アジアに「知の共有空間」あるいは「知のプラットフォーム」を構築し、そこから和解につながる智恵を東アジアに供給することの意義を確認した。このプラットフォームに「国史たちの対話」のコーナーを設置したのは2016 年9月のアジア未来会議の機会に開催された第1回「国史たちの対話」であった。いままで3カ国の研究者の間ではさまざまな対話が行われてきたが、各国の歴史認識を左右する「国史研究者」同士の対話はまだ深められていない、という意識から、先ず東アジアにおける歴史対話を可能にする条件を探った。具体的には、三谷博先生(東京大学名誉教授/跡見学園女子大学教授)、葛兆光先生(復旦大学教授)、趙珖先生(高麗大学名誉教授/韓国国史編纂委員長)の講演により、3カ国のそれぞれの「国史」の中でアジアの出来事がどのように扱われているかを検討した。
第2回対話は自国史と他国史との関係をより構造的に理解するために、「蒙古襲来と13 世紀モンゴル帝国のグローバル化」というテーマを設定した。13 世紀前半の「蒙古襲来」を各国の「国史」の中で議論する場合、日本では日本文化の独立の視点が強調され、中国では蒙古(元朝)を「自国史」と見なしながら、蒙古襲来は、蒙古と日本と高麗という中国の外部で起こった出来事として扱われる。しかし、東アジア全体の視野で見れば、蒙元の高麗・日本の侵略は、文化的には各国の自我意識を喚起し、政治的には中国中心の華夷秩序の変調を象徴する出来事であった。「国史」と東アジア国際関係史の接点に今まで意識されてこなかった新たな歴史像があるのではないかと期待される。
もちろん、本会議は立場によってさまざまな歴史があることを確認することが目的であり、「対話」によって何等かの合意を得ることが目的ではない。
なお、円滑な対話を進めるため、日本語⇔中国語、日本語⇔韓国語、中国語⇔韓国語の同時通訳をつけた。
<もくじ>
◆開会セッション [司会:李 恩民(桜美林大学)]
【基調講演】 「ポストモンゴル時代」?─14~15世紀の東アジア史を見直す
葛 兆光(復旦大学)
◆第1セッション [座長:村 和明(三井文庫)、彭 浩(大阪市立大学)]
【発表論文1】 モンゴル・インパクトの一環としての「モンゴル襲来」
四日市康博(昭和女子大学)
【発表論文2】 アミール・アルグンと彼がホラーサーンなどの地域において行った2回の人口調査について
チョグト(内蒙古大学)
【発表論文3】 蒙古襲来絵詞を読みとく─二つの奥書の検討を中心に
橋本 雄(北海道大学)
◆第2セッション [座長:徐 静波(復旦大学)、ナヒヤ(内蒙古大学)]
【発表論文4】 モンゴル帝国時代のモンゴル人の命名習慣に関する一考察
エルデニバートル(内蒙古大学)
【発表論文5】 モンゴル帝国と火薬兵器─明治と現代の「元寇」イメージ
向 正樹(同志社大学)
【発表論文6】 朝鮮王朝が編纂した高麗史書にみえる元の日本侵攻に関する叙述
孫 衛国(南開大学)
◆第3セッション [座長:韓 承勲(高麗大学)、金キョンテ(高麗大学)]
【発表論文7】 日本遠征をめぐる高麗忠烈王の政治的意図
金 甫桄(嘉泉大学)
【発表論文8】 対蒙戦争・講和の過程と高麗の政権を取り巻く環境の変化
李 命美(ソウル大学)
【発表論文9】 北元と高麗との関係に関する考察─禑王時代の関係を中心に
ツェレンドルジ(モンゴル国科学院 歴史研究所)
◆第4セッション [座長:金 範洙(東京学芸大学)、李 恩民(桜美林大学)]
【発表論文10】 モンゴル帝国の飲食文化の高麗流入と変化
趙 阮(漢陽大学)
【発表論文11】 「深簷胡帽」考─蒙元時代における女真族の帽子の盛衰史
張 佳(復旦大学)
◆全体討議セッション
司会/まとめ:劉 傑(早稲田大学)、論点整理/趙 珖(韓国国史編纂委員会)、
総括/三谷 博(跡見学園女子大学)
◆あとがきにかえて
金キョンテ(高麗大学)、 三谷 博(跡見学園女子大学)、 孫 軍悦(東京大学)、 ナヒヤ(内蒙古大学)、 彭 浩(大阪市立大学)
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2017.11.02
8月上旬、渥美国際交流財団の主催で、「国史たちの対話の可能性」というシリーズの第2回として、「蒙古襲来と13世紀モンゴル帝国のグローバル化」をテーマとしたフォーラムが北九州市で開かれた。日・中・韓、モンゴル4ヶ国の歴史家が集まり、さまざまな側面から、モンゴル帝国史とりわけ東アジアへのインパクトについて広く議論した。私は、ひとりの歴史研究者でありながら、本プロジェクトの企画にも携わったので、所感も多くそして多岐にわたる。この感想文の執筆を機会に、簡単に整理したい。
まず、この会議は、単なる「蒙古襲来」というキーワードの国際研究集会ではなく、1つの話題、または1素材の検討を通じて、国民国家の歴史叙述と異なる視角から人類の歴史を描き、それを通じて国民国家史観の影響で硬直化されつつある歴史認識の間違いを訂正し、政治手段化した歴史認識の問題によって阻害されている国家間の関係、および国民間の関係を改善していく、という大きな問題意識を抱えていることを再び強調したい。
会議中何人かの参加者が言及した通り、実は、日中韓3者、またはその中の2者間の歴史をめぐる「対話」が近年さまざまな形で展開されている。なかには、よく知られている政府主導型のものもあれば、個別の歴史テーマ・研究手法、または史料の利用方法などをめぐる専門性の高いものもある。それぞれの方向性と目的は、必ずしも一致しているとは限らない。また、三谷博先生が指摘された通り、参加者の間で、仲良くなったかそれとも悪くなったかという点を考えると、民間レベルの「対話」の方が進みやすいと言わざるを得ない。
一方、民間レベルの研究集会は、個別のテーマの議論や専門的知識の深まりという点では成果が出やすい反面、人文研究者の「癖」、または「惰性」でもあるためか、興味のあるテーマの話に夢中になり、その話の社会的意義をあまりよく考えず、専門的な議論がどのように共通の歴史認識の促進に活かせるかという大事な点を、結果的に疎かにする傾向がある。また、資金面の問題もあり、研究補助金を得ながら共同研究を長く継続することが困難で、中途半端の形で終わってしまった「対話」も少なくない。
この問題点と関わってくるのが、劉傑先生が起草されたフォーラムの趣旨文の「知の共有空間」「知のプラットフォーム」というキーワードである。この「知」の意味は広くて、少なくとも「知恵」「知識」両者の意味を包摂している。専門的な研究を通じて信頼性の高い歴史「知識」を創出し、それを広く理解してもらうことで、国民国家の限界や歴史認識の問題を解決する「知恵」をめぐらすという真意がある。これについては、具体的な研究レベルの議論を進めていく際に、やはり忘れがちなので、ここで敢えて加筆した。
次に、会議中のいくつかの論点を踏まえて所感を述べる。1つは「モンゴル・インパクト」の評価についてであるが、1本目の四日市康博氏の報告では、モンゴル帝国の東アジア進出の全体像が分かりやすく描かれていた。ほかの報告者の具体的な議論にも現れたように、そのインパクトには、モンゴル的要素が中国を含む東アジア世界に広がっていく面もあれば、中国を支配して周辺へ勢力を拡大することで、一部の地域に中国化をもたらした面もあった。「モンゴル・インパクト」が立体的に描かれていたことを、非常に面白く感じた。
最近、「新清史」の議論のなかでも、清の支配者は、中華の皇帝であると同時に、多様な顔を持ち、地域と民族に対しては異なる支配の仕組みと論理を築いていたという歴史像が提示されている。清史と比べると、モンゴル帝国史の場合、モンゴル語の史料が限られている中、東アジアに関わる側面は、主に漢文の史料で記録されていて、また現存されている史料は漢文で書かれたものが圧倒的に多い。それで、ひとつの中華王朝である「元朝」のイメージが定着しやすいが、モンゴル人の主体性、またはモンゴル帝国の多元性は表に出にくくなる。近年、杉山正明先生たちの仕事で、豊かなモンゴル帝国史の歴史像が浮き彫りになり、今回の発表者の報告を聞いて、ますます感銘を持つようになった。
これとの関係で、劉先生が全体議論の時にまとめた諸論点の1つでもあるが、今回のテーマにあたる時代は、中国史におけるモンゴル人の支配と、モンゴル帝国の一部である中国への支配との二重性があり、これを「公共知」として語る時、どう扱うべきかという課題がある。さまざまな意見があるなか、従来のように、中国史の一時代として「元史」を取り上げる一方、それを超えて東アジアの文脈、またはユーラシアの文脈でどう見るべきかに関しても加筆する、という重層的な叙述手法が、葛兆光先生の発言で提示された。国民国家がさまざまな問題を抱えるにもかかわらず、すぐ解消する気配もないため、国民国家の史観を完全に廃棄するのは現実的とはいえない。むしろ、こうした重層的な歴史叙述を通じて、いままで見えてこなかった多次元の歴史像を教科書に組み込むことが、長い目でみれば、「公共知」の構築に役立つと思われる。
また、一次史料が乏しい状況に対して、モンゴル帝国史の研究者はどのように過去と対話して史実を探求してきたかという関心もあった。各報告から、編纂物の史料批判、非文字史料からの接近、人類社会の「常識」と歴史背景を踏まえた推論などの創意工夫が講じられてきたことがよく分かった。扱う時代や地域の異なる歴史家の対話を通じて、方法論について互い刺激しあうこともあり、それはまた別の意味で「公共知」へのアプローチに繋がるのであろう。
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<彭浩(ほう・こう)Peng_Hao>
大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。専攻は日本近世史、東アジア国際貿易史。2012年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了(文学博士)。日本学術振興会外国人特別研究員・東京大学史料編纂所特任研究員を経て現職。主な研究成果は、単著『近世日清通商関係史』(東京大学出版会、2015年)等。
2017年11月2日配信
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2017.10.27
近年になって、民族主義的歴史観とそれによる歴史教育の弊害についての議論が激しくなっており、その代案として、地域史研究の視点からその歴史的流れを把握することが強調されつつある。言い換えれば、ネーションと民族単位ではなく、共通の文化的同質性をもつ一定の地域を一つの単位としてまとめることによって、これまで意識されてこなかった新たな歴史像があるのではないかと期待されている。
ここで浮かび上がる主要カテゴリーの一つが東アジアである。これに該当する地域はモンゴルを含む、中国、朝鮮半島の韓国・北朝鮮、日本などである。モンゴルを除けば、該当する国々は伝統的には海路を通じて結びついている地域であり、漢字文化圏という呼称が示すように、数千年にわたって文化的交流が活発であろ、文化的同質性を帯びている地域である。また、これらの地域の多くは13世紀から14世紀後半にかけて、モンゴルによって政治的に統合されたことがある。この期間の東アジア文化圏の文化的交流と融合は最も盛んで、その文化的影響は現在も引き続き残っていると考えるべきだろう。
高麗とモンゴルの出会いは、13世紀の初めころ、高麗側がモンゴルに貢物を献上することを約束したため、モンゴルからの使者が高麗を頻繁に訪れ、極めて横柄に法外な量の貢物を要求するようになった。そのような使者の代表格が、1221年から毎年のように貢物を受け取っては持ち帰る著古與という者であった。その著古與が1231年に貢物を受け取った帰路、鴨緑江を超えたところで死んでしまった。当時モンゴルでは、チンギス・カーンの後を継いだウゲデイが即位していたが、ウゲデイ・カーンはこの著古與の死の責任を高麗に問うて6回に亘って軍を送り込み、1259年、高麗はモンゴルに全面降伏する。
その後、済州(チェジュ)がモンゴルと出会う。済州は古くは耽羅国が成立していたが、高麗により合併。朝鮮半島と中国大陸や日本列島などをつなぐ中間的地点であり、好むと好まざるとにかかわらず、周辺地域との交流が盛んになる地政学的位置にある。一方、国際情勢が揺れ動く時には激しい変化を経験することもあった。
これまで、済州とモンゴルの最初の交流については、対立と葛藤の関係と見て、それが済州社会に与えた影響は無視するか、極小化しようとする立場を取ってきたと言える。これには、民族主義的立場を揚げる歴史観と共に、モンゴル帝国没落以後の長い歳月の間、漢族を中国支配の正統と見なし、他の種族は夷であると見る華夷論が広く深く受け継がれてきた影響が大きく作用している。しかし、最近になって、「翻って、国家と民族単位ではなく、済州の対外関係と済州の人々の生活と文化という観点から眺めてみた時、済州とモンゴルの最初の交流は済州地域のアイデンティティ形成に大きな影響を与えたのであり、これは今日でも見いだすことができる」という提案もある。例えば、済州にモンゴルから馬が持ち込まれて国営牧場が営まれていた。現在、韓国が国を挙げて保護に努めている「済州馬」は、済州島の在来種「果下馬」と北方から将来された外来種「胡馬」との混血種であり、モンゴル支配時代にモンゴル馬や西域馬とさらに混血し多品種化して残ったものだといわれている。
1265年、モンゴルのクビライ・カーンは、ある高麗人に、日本がかつては中国に使者を送って通好していたことを告げられ、翌1266年に高麗の元宗の所に使者を遣わした。その使者は2通の書簡を携えていた。1通は「日本国王」に通好を呼びかけるもの、もう1通はその使者を日本まで送り届けるよう元宗に命じるものであった。これに始まるクビライの数度の呼びかけに日本側が一切応じず、結果として日本遠征、日本で言うところの元寇あるいは蒙古襲来を引き起こすことになった。
2017年8月7日~9日に、歴史家は東アジアにおける「歴史和解」にどのような貢献ができるのかという趣旨で、「第2回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性:蒙古襲来と13世紀モンゴル帝国のグローバル化」円卓会議が北九州市で開催された。東アジア全体の視野で、モンゴルの高麗・日本侵略は、文化的には各国の自我認識を喚起し、政治的には中国中心の華夷秩序の変調を象徴するため、立場によってさまざまな歴史があることと、「国史」と東アジア国際関係史の接点に今まで意識されてこなかった新たな歴史像の確認が期待され、4か国の学者による議論も一段と熱が入った。
翌日、「蒙古襲来」遺跡見学コースで元寇資料館、箱崎宮、松原元寇防塁跡などを見学したが、ここで得られたものも大きかった。NPO法人志賀島歴史研究会の岡本顕実さんや筥崎宮宮司田村克喜さんの歴史的感覚の豊かさに驚かざるを得ない。箱崎宮の楼門には、元寇の折亀山上皇が書かれた「敵国降伏」の額が掲げられている。この4文字は、一般的には日本に攻め寄せてくる敵国を降伏させようというお祈りのように考えられる。ところが、「敵国降伏」というのは、敵国が我が国のすぐれた徳の力によって、おのずからに靡き、統一されるという「徳による王者の業なり」という。
自国史と他国史との関係をより構造的に理解するために、さまざまな歴史があることをまず確認する必要があろう。しかし、それではいつまでもばらばらであるから、その上で、異なる立場の研究者同士が対話を進めて共有できるものを模索する知的な空間の創造が求められている。
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<娜荷芽(ナヒヤ)Naheya>
内蒙古大学・蒙古学学院蒙古歴史学学部助研究員。専攻は東アジア近現代史、モンゴル史。2012年東京大学大学院修了(歴史学博士)。武蔵大学、和光大学講師を経て現在に至る。主な著作:「近代内モンゴルにおける教育・文化政策研究」(博士論文、2012年)、「満洲国におけるモンゴル人中等教育――興安学院を事例に――」(『日本モンゴル学会紀要』第42号、2012年、3‐21頁)、「1930~40年代の内モンゴル東部におけるモンゴル人の活動」(『日本とモンゴル』第49巻第2号(130号)、2015年3月、108-119頁)等。
2017年10月27日配信
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2017.10.19
SGRAエッセイ547(三谷博「東アジアにおける歴史対話の再開-北九州での『蒙古襲来』会議」)に関して、著者と読者の葉文昌さんとの興味深い「対話」がありましたのでご紹介します。
【葉→三谷】
エッセイを拝見しました。
大変クリアで科学的なアプローチで面白いと思いました。アナクロニズムも困ったものです。
また「国際会議に出て質問せえへんかったら、罰金やでー」も大変良いと思いました。
会議によっては現場からの質問がない、または受け付けないのもあり、澱んだ雰囲気になってしまうので。
一方で一つ気になった所があります。
タイトルが「蒙古襲来...」なのですが、「襲来」とは主観的な言葉であります。
宇宙人にでもなった第三者的な立場で歴史を表現するのが理想なので、「蒙古出兵」「蒙古進出」「蒙古侵略」(侵略は恨みの感情が入るので好ましくないが)にするべきではないでしょうか?
なにか先生なりのお考えがあるのでしたら教えてください。
よろしくお願いいたします。
【三谷→葉】
はい。「蒙古襲来」は、日本の日本史教科書や学界で慣用される言葉です。「襲来」とは、ある土地から見て外部から別の集団が襲ってくるという意味です。歴史用語は、どの位置から見ても、どの主体から見ても「等価」というものは少なく、多少なりとも、特定の観点を内在させています。
代替用語としてご指摘の言葉にも、それぞれの観点が内在しています。
「蒙古出兵」・「蒙古進出」は、「出兵」や「進出」する蒙古の側からの視点で用いられ、それを受け止める側への想像力が欠けがちです。かつて世界史教科書の近代の部分で、「日本の進出」という用語が使われて、隣国から非難されたことがありますが、それはこのためです。
「蒙古侵略」は、侵略する蒙古と侵略される日本の両方を意識させ、後者の観点からの「侵略」への非難も含意します。「日本の中国侵略」という場合も同様です。
というわけで、人間社会を記述するときは、単一の観点から全体を表現することは難しく、理想的には複数の観点を同時に使うしかありません。
この度の「蒙古襲来」は専ら日本人の関心を引くために使ったもののようです。
タイトルの中でこれに続いている「グローバル化」は、まさに地球の外から見下ろす用語なので、主動者と被動者という関係への関心は薄くなります。
いかかでしょうか?
【葉→三谷】
ご回答大変ありがとうございました。
私の言葉に対する誤解かも知れませんが、私は「出兵」は「軍隊を出す」なので、事象の記述と思っております。(一方で「進出」は兵隊を送ったことをオブラートに包みすぎと思っています)
仮に「出兵」自体が片側の視点であるとしても、これをやめて、他の事象を表現する形容詞を使ったらいいのではと思っております。
歴史に、「特定の観点を内在させているもの」が許されるのであれば、歴史は二面性を持っているということになります。これは非科学的と思います。また、他国に対する主観的な表現も許されることになります。これはご指摘されたアナクロニズム(時代錯誤)とはそう変わらないです。
かたや自分の位置で物事を表す、かたや自分の時間で過去を表わす、だけの違いですので。
また「特定の観点を内在させている」こと自体が、アジアでの共通な歴史認識を不可能にしていると思います。
歴史教科書では、欧米の歴史や、本国の王道と外れた歴史に関しては、第三者的な表現となっています。
本国の歴史も、特定の観点を排除した、事象の表現に徹した、誰がどこで読んでも一様な、歴史教科書が良いのではないかと思っております。
以上、私の歴史記述に持つ理想でした。
【三谷→葉】
話が込み入ってきたので、一からやり直します。
社会を表現する言葉は、そのコンテキストが分かるように表現するのが「科学的」なのです。
自然科学では、一つのモノ、一つの現象に、一つの用語を対応させる慣行がありますが、それは何のためでしょう。それは、個々のモノ、個々の現象が、均質なものの一部で、かつ互いに干渉しないと仮定し、その間の関係を方程式で厳密に記述するためです。
翻って、社会の単位はそれぞれに異質で、かつ他との関係でのみ成り立っています。ここでは単純な方程式は成り立ちません。
人は自然科学的にはヒトの一部ですが、人Aと人Bを均質なもので互いに置き換え可能と考えることはできません。同じ条件下でも彼らは別の行動を取ることがしばしばです。
かつ、彼らは孤立した原子ではありません。生まれたときから家族に育てられ、生計も別の個人との関係なくしては成り立ちません。社会関係の中にあって初めて、生き続けられるのです。
鉄の粒が磁性を帯びて、互いに引きつけ合ったり、反発し合ったりすることがありますが、その振る舞いを理解するために個々の粒を調べる必要はありません。社会は違います。
社会を構成する個人は、そのため複数の名を与えられ、それぞれの名は特定の文脈のなかで使われます。
例えば、私の呼び名はいくつもあって、公的書類には「三谷 博」と記されますが、両親からは「ひろし」、幼友達には「ひろっちゃん」と呼ばれて育ち、学校の先生と同級生には「三谷君」、下の学年からは「三谷さん」と呼ばれ、社会に出てからはもっぱら「三谷さん」と呼ばれてきました。アメリカ人と友達になると「ヒロシ」と呼ばれるようになりましたが、今でもこれにはなじめません。日本の社会関係にあるべき、上下の関係と親しさの距離による使い分けの慣行からはみ出す用語法だからです。
つまり名前は社会関係を表現するためにあるのであって、これを「三谷博」の一つに固定されたら、どれほど居心地が悪いことでしょう。
これは日本に限られた現象ではないはずです。しかし、人類の近代には政府が税負担者を特定し、学校と試験の制度を管理するために、どの国でも名の一義性を強制してきました。このため、歴史教育の世界でも、一つの事象に正しい名は一つしかないという、現実に反する思い込みが広がっています。
日本の江戸時代には、人は複数の名を活用して生きていました。政府との関係では公式の名を名乗らされましたが、それ以外は管理の対象外で、世襲身分でがんじがらめの社会にあっても、お茶席に入り、茶名を名乗れば、互いの上下関係は消滅しました。俳句の俳名もそうです。学問の場合でも、学者たちは号を使い、身分差を越えた対話を楽しみました。つまり、名を使い分けることによって、当時の人々は場面ごとに異なる社会関係を生きていたのです。
国と国との関係も同じことで、名は当事者の関係を表現するために用いられます。社会関係を正確に、科学的に表現するには、当事者すべてを包み込みながら、それぞれの立場を表現できる言葉が必要で、ときには複数の言葉を併用せざるを得なくなるのです。
グローバル化のような、宇宙から見下ろしたような表現が可能になったのはスプートニク以後のことで、これを使った場合でも、地上にいる人間同士の関係を十分に表現できるわけではありません。無論、個々の町村、個々の府県、個々の国を超えた視野を人類が持てるようになったのは、人類始まって以来の画期的なことではありますが。
【葉→三谷】
詳しいご説明ありがとうございました。
人は均質ではなく、それぞれ複雑な考えを持つことから、
一つの事象に対して違った表現は可能であるとのことについて、先生のお考えはわかりました。
それだとアジアでそれぞれ独自の歴史記述が存在してまとまらないので、
シンプルで一様な表現にしましょうというのが私の考えでした。
お互い理解できない溝があるように感じています。
それはアジアの歴史の対話の難しさを物語っているようです。
私はグローバル化を今始まったことではなく、原始時代から絶えず続いていることと捉えています。
互いに独自文化を持っていた村落などの集合体が拡大によって他の集合体との接点を持ち(出兵もあり)、
より複雑な多様性を持ったまとまった集落を形成して行く過程がグローバル化と考えております。
直近の日本では、廃藩置県により地域の隔てがなくなり、かつテクノロジーによって文化などの伝達速度が速まった明治維新の頃と思います。
このため、私は今起こっているグローバル化を画期的とはとらえておりません。
国内の歴史でも、王道から外れた部分の歴史記述は、宇宙から地球を見下ろす表現となっております。
そのような記述を今のアジアに求めているのです。
昔攻めあっていたヨーロッパ各国の歴史は、今やEUという統一ユニットを形成しているので、
それぞれの国の歴史記述は、アジアにとって多いに参考できるのではないかと思います。
英仏の百年戦争はそれぞれどういう記述がなされているか、興味を持つ所です。
あるいは英国はEUと陸続きではないので、英国よりもEU大陸内が良いかも知れません。
今西さんの持つネットワークで、お願いしたいものです。
【三谷→葉】
返信が遅くなり、失礼いたしました。私も基本的には先生と同じ事実認識と理想を持っています。日本史をグローバルな視点から見直すことが私のライフワークです。
各国内部の視点を越える俯瞰視点が一つ見つかれば、それはありがたいことです。
しかし、私の知る限り、EUでのポーランドードイツ、フランス-ドイツが作製した共通教科書は、内容が表面的なものに留まったため、結局、使われなくなったようです。まして、東アジアでは、国の規模やそれぞれの直近の経験が大きく異なるため、一つの視点で書くのは無理があると思います。稀な例として、日中韓三国共通教材『新しい東アジアの近現代史』上・下、日本評論社、2012年がありますが、三国を同じ枠で書こうとしたために、一部にはかなりの無理が生じています。
というわけで、私は、いま可能なことは、各国それぞれに、同じ歴史事象を、国の内部からと第三者に分かるような視点(審級と哲学者は呼んでいます)と、二層を意識しつつ書くことくらいでないかと考えています。東アジアの外部の人が聴いても理解できるような言葉で語ると、自らが生まれながらに抱いている偏見に気づき、反省ができるようになり、歴史を距離を取って眺め、隣国の人とも冷静に語れるような態度が生まれるのではないかと期待しています。
【葉→三谷】
私の歴史に関する素人質問に時間をかけて真摯に向き合っていただき大変ありがとうございました。私も今週になって、ヨーロッパの歴史記述について調べた所、独仏共通歴史書があることがわかりました。両国はEUになってもなお、共通歴史書の作成には結局は失敗に終わったようで、難しさを感じます。
2017年10月ア19日配信