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2017.09.28
「国史たちの対話の可能性―蒙古襲来と13世紀モンゴル帝国のグローバル化―」と題するフォーラムが3日目を迎えると、議論も一段と熱が入った。専門的な応酬が飛び交うなか、本来、日、中、韓、モンゴルから一堂に会した歴史家たちの自由闊達な討論に喜ぶはずであったが、素人の私はなぜかある不安に駆られた。果たして、先生方が、このフォーラムが専門的な歴史学の国際シンポジウムとどこで、どのように違うとお考えなのか、そして「歴史家は歴史和解にどのような貢献ができるか」というフォーラムの趣旨と、ご自身の専門的な研究が、いかに内在的に結びついていると思われるのか、この2つの疑問を歴史家たち、とりわけ日本の研究者たちにぶつけたいと、率直に思った。
不安の理由は2つある。1つは、他国の史料を自由に駆使する歴史家たちの終始和やかな交流を、そのまま「国史的立場」の超越として捉えてよいのか、それとも単に現在についての歴史認識の問われない700年も前の出来事が話題の中心であったからか、という私の疑念が消えていないこと。もう1つは、蒙古襲来に関して全く無知であった私でさえも、2日間の会議でその大体の輪郭をつかむことができたぐらい、研究者たちの論文が実に素晴らしいものであっただけ、その優れた歴史研究に、<いま・ここ>に生きる歴史家自身の歴史性があまり感じられないことに、困惑を覚えたことである。
むろん、口頭での発表と討論に、さまざまな制限があり、発表者が必ずしも自らの考え方を語り尽くすことができない。論文を仔細に読むと、歴史と現実との関連性がまったく触れられていないわけではない。例えば、ある論文は、日清戦争後に起こった元寇記念碑建設運動の背景について、次のように指摘している。「その背景には、日露戦争を控え、欧米列強に対抗しつつ国家の生存戦略を立てなくてはならなかった明治の日本が置かれた状況が色濃く反映されている。これはまた今日われわれが置かれている状況ともどこか似かよう。」また、2015年に刊行された元寇を題材としたマンガに描かれた火薬兵器について、「およそ730年ぶりに先進的な軍事大国として海上に台頭する隣国への畏怖のシンボルなのであり、人々の不安な心理を代弁している、というのは考えすぎだろうか」という。これらの言葉から、論者の現在に対する認識と、過去と現在との関連性を捉える角度を、ある程度窺うことができよう。一方、同じく明治時代と今日、再び元寇の歴史に焦点を当てることの意味に触れるが、元寇資料館を案内してくれたNPO法人志賀島歴史研究会の岡本顕実さんの解説は、もう一つの視点を提示していると言える。
岡本さんは、明治37年に建てられた元寇記念館を、日清戦争から敗戦までまっしぐらに突き進んだ日本軍国主義の起点に位置づけ、長崎原爆の被害者をこの記念館の犠牲者だと言い切った上で、改めてこの史料館の建てられた当初における役割と今日における歴史的意義の差異に注意を喚起する。明治37年の元寇記念館と戦後の元寇史料館だけでなく、8月9日にこの話をする自らの言説行為の歴史性をもはっきりと自覚しておられるその歴史的感覚の鋭敏さに、私は驚かざるを得なかった。
おそらく、歴史家は、国家の角度から歴史を把握する習慣が身につき歴史事実や史料としての展示品自体の真偽により関心を持つのだが、それに対し、一般市民の歴史に対する持続的な関心は、往々にして現在における強い問題意識によって支えられていて、国家の運命よりも個人の運命により注目し、歴史を語る際、なぜ、いま、ここで、このように、ほかでもなくこの歴史を選んで語るのかという理由を、まず自問せねばならないのだろう。
むろん、歴史家が自己の現在における政治的立場や価値判断の基準を歴史研究に持ち込んではならないことはもはや常識である。ただ、それと、歴史を語る際に歴史家が自らの主体性乃至個性を没却すべきか否かとは、おのずと別問題だと私は思う。
丸山真男が思想史を書く難しさについて、このように述べている。「思想史を書く場合にはどんなに肌の合わない立場なり考え方でも、超越的に一刀両断するというわけに行かず、一度はその思想の内側に身を置いてそこからの展望をできるだけ忠実に観察し体得しなければならない。……その上思想史の叙述で大事なことは、さまざまの思想を内在的に把えながらしかもそこにおのずから自己の立脚点が浸透していなければならない事で、そうでないとすべてを「理解」しっぱなしの相対主義に陥って、本当の歴史的な位置づけが出来なくなってしまう。」
「自己の立脚点」がなくても歴史研究ができるのは、おそらく、学問の自律性と独立性をとりわけ強調しなければならない日本の近代史のなかで形成された、堅実な実証主義的学風を尊ぶ近代史学の一つの特質かもしれない。しかし、史学史における優れた研究業績が現実の歴史において案外みじめな役割しか果たせないこと、また、学問の世界に大きな足跡を残した歴史家の現実についての把握が意外に貧弱であることも、また歴史の教えるところであった。だからこそ、戦後、中世史家の石母田正が史料批判の実証的技術のレベルに留まるいわゆる「実証主義歴史学」の無目的、無思想、無性格を厳しく批判し、日清、日露戦争の時代に成立した東洋史学の西欧を凌駕する業績と、「その古代文化には同情と尊敬を、現在と将来にたいしては軽蔑と絶望を。この老大国の骨と肉をさまざまに刻み、解剖してみせた客観的で冷厳な『学問的』態度」との矛盾を鋭く衝いたのである。
いうまでもなく、丸山が主張しているのは、一旦自らの立場や考え方を棚上げして歴史の内部に沈潜し、徹底した実証的な研究によって甦らせた歴史像に、改めて自らの立場なり考え方にしたがって歴史的に位置付ける、ということではない。もし、歴史家の「立脚点」がその外部にあって、歴史を把握する際に棚上げできるものならば、その歴史叙述に意識的に反映させることができても、「おのずと浸透する」ことはないのではないか。私は、やはり、歴史家の確固たる「立脚点」は、歴史家の自ら生きる現実において、その人間の内部に形成されるものではないかと思う。専門的な学術的訓練のみならず、現在という歴史的な場において日々練磨していく、あらゆる事象をその内側に寄り添って歴史的に把握する方法と能力と感覚こそ、確固たる立脚点として、歴史家の個性と化して、過去の歴史への把握におのずと浸透していくのではないだろうか。
素人の考えではあるが、過去の出来事に埋没することなく、現実との緊張感のなかでしかと生きる歴史家だけが、ただ単に、苦労の多い学問的営為で獲得した歴史的知識を我々に手渡すのでなく、過去と現在との内在的連関の見える歴史の脈動をも伝えてくれるのではないか。ほとぼりの冷めた過去をあくまでも一つの研究対象として冷徹に解剖するよりも、なお現実の体温が感じられる、歴史への主体的認識のほうが、少なくとも、私には、はるかに信用できるのである。
1997年に「新しい歴史教科書をつくる会」が登場してから7年後の2004年に、かつてすべての中学の歴史教科書にあった「慰安婦」問題をめぐる記述が、ものの見事にすべての教科書から消えてしまった。それが2016年に「極左反日」教育のレッテルを張られ、批判の嵐に晒されながら、再び教科書に現れるまで、実に12年の歳月を要した。関東大震災における朝鮮人虐殺でさえも、政治家に「いろいろな歴史の書の中で述べられている」「さまざまな見方」の一つとされてしまう時代、もはや、歴史的事実を事実として認めさせるだけでも多大なエネルギーを費やさなければならなくなっている。歴史家は、一人の専門家として、日々過去と格闘しなければならないだけでなく、また<いま・ここ>に生きる、未来に責任を負う一人の市民として、この厳しい現実に直面しなければならない。だからこそ、自らの専門的な研究と、現実における政府の政策動向と、民衆の歴史意識との間における緊張、また、歴史認識と歴史叙述、現実と未来との複雑な関連性に対して、どれほど自覚を持っているか、非常に重要だと、私は思う。なぜならば、<いま・ここ>に生きる歴史家の歴史叙述から、未来の歴史がすでに始まっているからである。
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<孫軍悦(そん・ぐんえつ)☆Sun_Junyue>
2007年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。学術博士。現在、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部専任講師。専門分野は日本近現代文学、日中比較文学、翻訳論。
2018年2月22日改訂版を掲載
2017年9月28日配信
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2017.09.28
「国史たちの対話」が始まった。第2回目だが、昨年は準備会だったので実質的には第1回である。東アジアには、国ごとに「国史」があり、その間には一見越えがたいほどの溝がある。これを架橋し、さらには何かを共有できるまで持って行けないか。これが「国史たちの対話」の意味である。渥美財団の元締め、今西淳子さんが命名してくださった。
今年から4回、東アジアの国際関係をめぐる歴史的事件を取り上げて、関係国の歴史家たちを招き、議論してゆく。今年のテーマはいわゆる元冦で、ここから次第に時代を下ってゆく計画である。
東アジアの各国すべてに関係する事件を取り上げるので、集まるのは主に国際関係の専門家である。しかし、我々はここに国内史の専門家も日本と韓国から招いた。普段は国際関係史やその背後の政治的意味に無関心な人々が、このワークショップの中でどう反応するか。こうした会議に意味を認めてくれるか否か。今回の「国史たちの対話」では、こうした点も大事な課題として設定した。そのためもあって、同時通訳を日-中、日-韓、さらに中-韓の間で用意した。遠い過去に関する専門用語が飛び交う通訳は大変だったはずであるが、概ねよく分かる通訳をしてくださった。深く感謝したい。
「蒙古襲来と13世紀モンゴル帝国のグローバル化」というテーマは、東アジアの諸国民をとにかく対話のテーブルに着かせるために設定された。今世紀の初頭には数々の歴史共同研究が試みられたが、当時のように近代の問題を取り上げると、日本人が自動的に被告席に着くことになる。対等な対話が不可能になるだけでなく、領土問題が先鋭化している現在、テーブルに着こうとする日本人はほとんどいなくなっている。
これに対し、蒙古襲来という遠い過去は現在から心理的な距離をとりやすい。とくに東アジア3国の国民は、いま流行の表現をすればみな被害者である。高麗は厳しい統治下に置かれ、中国にはモンゴル王朝が生れ、日本は征服を免れたものの、防御にかなりの犠牲を払った。被害者同士だから対等な立場で冷静に議論ができる。ただし、この会議にはモンゴル人の歴史家を3人お招きした。しかし、彼らは加害者の子孫として扱われたわけではない。日本人はモンゴル人の横綱を当然のように受け入れていて、彼らと元冦を結びつけることはないし、今回の会議では韓国の研究者も何ら非難がましい言葉を語らなかった。
だからといって、この歴史対話が政治的磁場の外にあったわけではない。元朝は果たして大モンゴル・ウルスの一つなのか、中国王朝の一つなのか。モンゴル人民共和国と中国の内蒙古自治区から来たモンゴル民族、および漢民族、3つの出自を持つ歴史家たちの間で議論が行われたようである。筆者は十分に聞き取れなかったが、葛兆光さんは中国の専門家の中には二つの解釈が同時に成立すると考える人がいると指摘した。世界の歴史学界では、現在の国家的枠組みをそのまま過去に持ち込むアナクロニズム(時代の取違え)は厳しく批判されるが、東アジアの政府や世論は当然のようにそう行動することが多い。世界からの嘲りを自ら誘うのは賢明なことだろうか。
発表と議論の中には筆者にとって特に印象的なものが二三あった。一つは四日市康博さんの指摘で、クビライが日本に3度目の侵攻を準備しており、彼の死がその実行を妨げたこと、およびベトナムやジャワ(そんなに遠くまで!)が防戦に成功した後、直ちに元朝に朝貢を始めた事実である。モンゴルを撃退した後の日本は、交易は再開したが、外交的な配慮はしなかった。国際関係への不慣れとその背後にある日本の孤立性が思われたことであった。
他方、モンゴルに服属させられた後の高麗の姿も印象的であった。仮に日本も攻略されたとして、何が起きただろうか。天皇家が断絶した可能性もあるが、その一部が元朝に従属し、李命美さんが高麗について紹介したように、元朝の王女を妃に迎えるということもありえたかもしれない。この思考実験は日本史上の難問の一つである天皇制の理解にかなり寄与してくれるのではないかと感じた。
高麗については、趙阮さんの取上げた食文化の変化も興味深かった。高麗王朝の奉じていた仏教は肉食を禁じていたが、モンゴルの支配下でそれが定着したという。政治的支配が終っても、一旦変化した生活文化は持続する。歴史を長期的に見る場合、政治史以上に生活文化史は重要となると感じた。家族の構造や男女間の関係も社会構造の柱の一つであるが、これも征服を通じて変わることがあるのだろうか。朝鮮王朝の場合、19世紀初頭に至るまで子供は母の家で育てられた。では、モンゴルからの公女が産んだ子はどこで育てられたのだろうか。宮中か、外か、そもそもモンゴルでは夫と妻のどちらの家で子供を育てたのだろうか。こんな問いが次々に浮んできたことであった。
このように、この会議の諸発表は、東アジア全体の動きに注目すると、国際関係だけでなく、個別の国と社会をより深く理解する手掛りも示してくれた。会場に招いた日本と韓国の国内史の専門家はどう感じ取っただろうか。注意深く耳を傾けてくださったのは間違いないが、さらに進み、機を見て遠慮なく質問をしてくれたら、会議はもっとエクサイティングになったのではないかと思う。筆者は総括討論の最後になって、「国際会議に出て質問せえへんかったら、罰金やでー」というある先生の言葉を引用し、発言を促した。会議冒頭の挨拶の中で用意していたのだが、うっかり言及を忘れてしまったのが悔やまれてならない。招待者は、一旦口を開くとみな的確で興味深い指摘をした。次回からは、ぜひ最初から発言してほしいものである。
会議は全体で三日。二日目は朝から夕方までびっしりと発表が続き、筆者は総括討論の朝はかなりへばっていた。しかし、司会の劉傑さんは見事な交通整理の枠組を提示し、とりわけ韓国側の責任者趙珖先生は発表の一つ一つについて簡潔かつ的確にまとめ、討論の出発点を提供してくださった。お忙しい公務の時間を割いて駆けつけてくださってのことである。次回のソウルでの会議は、きっともっと楽しく、有意義なものになるに違いない。そう確信した。
<三谷博(みたに・ひろし)MITANI_Hiroshi>
1978年東京大学大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程を単位取得退学。東京大学文学部助手、学習院女子短期大学専任講師・助教授を経て、1988年東京大学教養学部助教授、その後東京大学大学院総合文化研究科教授などを歴任。現在、跡見学園女子大学教授、東京大学名誉教授。文学博士(東京大学)。専門分野は19世紀日本の政治外交史、東アジア地域史、ナショナリズム・民主化・革命の比較史、歴史学方法論。主な著作:『明治維新とナショナリズム-幕末の外交と政治変動』(山川出版社、1997年)、『明治維新を考える』(岩波書店、2012年)、『愛国・革命・民主』(筑摩書房、2013年)など。共著に『国境を越える歴史認識-日中対話の試み』(東京大学出版会、2006年)(劉傑・楊大慶と)など多数。
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2017年9月21日配信
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2017.09.14
第57回SGRAフォーラムは「第2回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性:蒙古襲来と13世紀のモンゴル帝国のグローバル化」というテーマで開催された。昨年秋に開催された第1回会議がプロローグとしてこれからの対話の可能性を開く場だったとしたら、第2回は学界で最も活発に活動している若手中堅の研究者が集まって、本格的な「対話」をしようとする場であった。
2017年8月7日から3日間、北九州国際会議場で予定されていた会議には開催危機の瞬間があった。観測史上2番目に進度の遅い台風10号が、当日九州の北部を通るという予報だったからである。幸いなことに、開催地である北九州の航空と列車運行には大きな影響はなかった。ただし、航空会社が事前に着陸時間を調整したために、韓国からの参加者の一部は(筆者本人を含め)開始時間に少し遅れて到着した。
初日には開会式と基調講演が行われた。今西淳子SGRA代表の開会挨拶に続き、三谷博先生(跡見学園女子大学)から趣旨説明があった。これまでの東アジアの歴史を背景に行われた様々な歴史に関する議論は、主に20世紀前半の日本の侵略をどのように捉えるかにあったこと、ある面では成功したが、いくつかの面では失敗したこと、また明らかなことは、国家が介入すると失敗したということ、そして、個人が構成する会議としてお互いを理解する努力があれば成功させることができると指摘した。また、全5回シリーズとして予定されるこの会議は、前近代と近代以後のすべての時代を網羅的に論ずるという趣旨で、1〜3回を前近代に配置したこと、最も重要なのは、お互いの発表をよく聞いてレスポンスをする作業であることを強調した。
葛兆光先生(復旦大学)は、基調講演「ポストモンゴル時代?-14~15世紀の東アジア史を見直す」で、モンゴル帝国の衰退後、新しい王朝が成立し、お互いに(朝貢システムに限らない)多様な関係を結びはじめた14世紀末〜15世紀初めに至る時期を、東アジアのその後の関係を示唆するものとして参考にすることができると提案した。関連する歴史研究者としても重要な指摘を含む提案だったと思う。
8月8日は、本格的な論文発表であった。4つのセッションに分けて11篇の論文が発表された。最初のセッションは、四日市康博先生(昭和女子大学)、チョグト先生(内蒙古大学)、橋本雄先生(北海道大学)の発表で、「モンゴルインパクト」の歴史的意味と各国の立場から、さらに世界史の視点からどのように見るべきかを提案した。2番目のセッションは、エルデニバートル先生(内蒙古大学)、向正樹先生(同志社大学)、孫衛国先生(南開大学)の発表で、モンゴル侵略による文化的・技術的影響に様々な史料を通じてアプローチした発表であった。3番目のセッションは金甫桄先生(嘉泉大学)、李命美先生(ソウル大学)、ツェレンドルジ先生(モンゴル国科学院)の発表で、モンゴルの主要侵略対象とされ、長い間抵抗した国である高麗を例に挙げ、モンゴルの支配実像の多角的な分析を示した。最後のセッションは趙阮先生(漢陽大学)、張佳先生(復旦大学)の発表で、食事と帽子という物質的、文化的要素にみられる長期的かつ系列的なモンゴルの影響を調べた。各セッションの発表者は、他のセッションの討論者として参加した。
8月9日の午前中は、昨日の各研究報告を踏まえての全体討論の時間だった。日本での一般的な学術大会とは少し異なる構成であったが、一日熟成した質問やコメントはそれぞれ本会議の趣旨に沿ったものであり、大変効果があったと思う。この日は、趙珖先生(韓国国史編纂委員会)の論点整理が先行した。「モンゴル襲来」と「グローバル化」をキーワードにして、集中的な発表と討論が行われたこと、モンゴルは最初にグローバル化に成功した「帝国」であり、その中で、韓国・日本・中国がそれぞれどのような歴史を展開したのかを検討することによって、グローバル化を明確に理解することができること、グローバリゼーションは、単純なグローバル化だけではなく、グローカリゼーションとの相互関係を見なければならないと指摘した。また、4つのセッションの全ての発表によって政治と統治様式、文化交流が幅広く調べられており、各国の国史を扱いながら一国の視点からのみではなく東アジア全体から見ると、どのように幅が広がるかを示した良い実例だったと結んだ。
総合討論の司会を務めた劉傑先生(早稲田大学)は5つの議論主題を提案した。まず、モンゴル帝国の影響をどのように評価するのか。第2に、冊封体制と朝貢について。第3に、モンゴル帝国はモンゴル史か中国史なのか、そしてどのように対話したら良いのか。第4に、高麗から朝鮮につながる韓国の歴史における中国の立場は何だったのか。そして最後に、史料批判の問題であった。続いて自由討論が行われた。上記テーマのうち、冊封体制、モンゴル史、史料批判の問題について、参加者全員が発言する活発な議論が繰り広げられた。
最後に三谷博先生の全体総括があった。非常に充実した3日間の会議であり、実行委員の一人として感謝すること、さらにもっと深いレベルの「グローバル化」の分析があったらよかったという所感を述べた。そして今後も対話を続けて欲しいという総評だった。
午後は見学会であった。モンゴルが襲来した九州北部の重要な場所を踏査した。元寇記念館と筥崎宮は歴史をどのように記憶して使用するかの問題を提起する史料館で、また史跡として印象が深かった。雨の中を訪ねた生の松原元寇防塁跡では、約800年前にこの海から上陸を試みていたモンゴル連合軍と、これを眺めていた日本の鎌倉武士たちはどんな気持ちだったのだろうという考えに浸った。
期間中、各国の研究者が自分の最新の研究成果や研究の過程での悩みを提示し、議論やアドバイスが行き来した。当時存在していた国ないし王朝の勢力範囲は、そのまま現在の国境や国家概念と必ずしも合致しない。そのような面で、モンゴルの研究者の参加は大事であった。国際会議での最大の難関は、言語の問題である。交差通訳をする場合、時間がかかる。したがって質問や反論があっても飛ばす場合が多い。今回は3日にわたって同時通訳が提供されて、各国の研究者は率直に話をすることができた。渥美財団と同時通訳者の労苦に感謝する。
今回の大会においての感想は皆違うと思うが、多くの成果と課題を残したという点は同意するだろう。東アジアという空間、時間における朝貢関係の具体性、固定化された各国史の視座をどのように超えるのか等、基本的な問題提起を介して得られたことが多いと思う。連続した「国史の対話」は、5回まで予定されている。これまでの成果さえ失ってしまい、後戻りしてはいけない。成果を踏まえて、次のステップに進まなければならない。来年夏に開催する第3回会議は、近世に東アジアを揺さぶった戦乱と平和の世紀への移行を扱う予定である。多くの方々に関心を持って参加していただき、発展的な新しい歴史学の時代が来ることを期待している。
会議の写真はここからご覧いただけます。
報告書は2018年春にSGRAレポートとして発行予定ですが、関連資料はここからご覧いただけます。
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<金キョンテ☆Kim_Kyongtae>
韓国浦項市生まれ。韓国史専攻。高麗大学校韓国史学科博士課程中の2010年~2011年、東京大学大学院日本文化研究専攻(日本史学)外国人研究生。2014年高麗大学校韓国史学科で博士号取得。韓国学中央研究院研究員を経て現在は高麗大学校人文力量強化事業団研究教授。戦争の破壊的な本性と戦争が導いた荒地で絶えず成長する平和の間に存在した歴史に関心を持っている。主な著作:壬辰戦争期講和交渉研究(博士論文)
2017年9月14日配信
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2017.07.06
下記の通りSGRAフォーラムを北九州市で開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。
テーマ:第2回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性
「蒙古襲来と13世紀モンゴル帝国のグローバル化」
会 期: 2017 年 8 月 7 日(月)~9 日(水)
8月7日(月)16:00~17:00 基調講演
8月8日(火)9:00~12:40 14:00~18:00 論文発表
8月9日(水)9:00~12:00 全体討議・総括
会 場: 北九州国際会議場国際会議室
主 催:(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)
助 成:(公財)鹿島学術振興財団
協 賛:北九州市/(公財)北九州観光コンベンション協会
参加費:無料(一般参加者の食事と宿泊は自己手配)
使用言語:日・中・韓同時通訳付き
お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局(
[email protected], Tel:03-3943-7612)
◇フォーラムの趣旨
東アジアにおいては「歴史和解」の問題は依然大きな課題として残されている。講和条約や共同声明によって国家間の和解が法的に成立しても、国民レベルの和解が進まないため、真の国家間の和解は覚束ない。歴史家は歴史和解にどのような貢献ができるのだろうか。
渥美国際交流財団は2015 年7月に第 49 回 SGRA(関口グローバル研究会)フォーラムを開催し、「東アジアの公共財」及び「東アジア市民社会」の可能性について議論した。そのなかで、先ず東アジアに「知の共有空間」あるいは「知のプラットフォーム」を構築し、そこから和解につながる智恵を東アジアに供給することの意義を確認した。このプラットフォームに「国史たちの対話」のコーナーを設置したのは2016年9月のアジア未来会議の機会に開催された第1回「国史たちの対話」であった。いままで3カ国の研究者の間ではさまざまな対話が行われてきたが、各国の歴史認識を左右する「国史研究者」同士の対話はまだ深められていない、という意識から、先ず東アジアにおける歴史対話を可能にする条件を探った。具体的には、三谷博先生(東京大学名誉教授)、葛兆光先生(復旦大学教授)、趙珖先生(高麗大学名誉教授)の講演により、3カ国のそれぞれの「国史」の中でアジアの出来事がどのように扱われているかを検討した。
第2回対話は自国史と他国史との関係をより構造的に理解するために、「蒙古襲来と13世紀モンゴル帝国のグローバル化」というテーマを設定した。13世紀前半の「蒙古襲来」を各国の「国史」の中で議論する場合、日本では日本文化の独立の視点が強調され、中国では蒙古(元朝)を「自国史」と見なしながら、蒙古襲来は、蒙古と日本と高麗という中国の外部で起こった出来事として扱われる。しかし、東アジア全体の視野で見れば、蒙元の高麗・日本の侵略は、文化的には各国の自我意識を喚起し、政治的には中国中心の華夷秩序の変調を象徴する出来事であった。「国史」と東アジア国際関係史の接点に今まで意識されてこなかった新たな歴史像があるのではないかと期待される。
もちろん、本会議は立場によってさまざまな歴史があることを確認することが目的であり、「対話」によって何等かの合意を得ることが目的ではない。
なお、円滑な対話を進めるため、日本語⇔中国語、日本語⇔韓国語、中国語⇔韓国語の同時通訳をつける。円卓会議の講演録は、SGRAレポートして3カ国語で発行する。
◇プログラム
〇8月7日(月)16:00~17:00 開会と基調講演
【趣旨説明】三谷博(跡見大学)
【基調講演】葛兆光(復旦大学)「『ポストモンゴル時代』?―14~15世紀の東アジア史を見直す」
〇8月8日(火)全日円卓会議(9:00~12:40 14:00~18:00)
【問題提起】劉傑(早稲田大学)
【研究発表】
(1)四日市康博(昭和女子大学)「モンゴル・インパクトの一環としての『モンゴル襲来』」
(2)チョグト(内蒙古大学)「アミルアルホンと彼がホラーサーンなどの地域において行った2回の戸籍調査について」
(3)橋本雄(北海道大学)「蒙古襲来絵詞を読みとく」
(4)エルデニバートル(内蒙古大学)「モンゴル帝国時代のモンゴル人の命名習慣に関する一考察」
(5)向正樹(同志社大学)「モンゴル帝国と火薬兵器」
(6)孫衛国(南開大学)「朝鮮王朝が編纂した高麗史書にみえる元の日本侵攻に関する叙述」
(7)金甫桄(嘉泉大学)「日本遠征をめぐる高麗忠烈王の政治的狙い」
(8)李命美(ソウル大学)「対蒙戦争-講和の過程と高麗の政権をめぐる環境の変化」
(9)チェリンドルジ(モンゴル社会科学院歴史研究所)「北元と高麗との関係に対する考察―禑王時代の関係を中心に」
(10)趙阮(漢陽大学)「14世紀におけるモンゴル帝国の食文化の高麗への流入と変化」
(11)張佳(復旦大学)「『深簷胡帽』考:蒙元とその後の時代における女真族帽子の盛衰史」
〇8月9日(水) 午前:総合セッション(総括と自由討論)
司会進行:劉傑(早稲田大学)
【論点整理】趙珖(韓国国史編纂委員会)
【討論】(日中韓モから各1名が発問、その後自由討論)
【総括】三谷博(跡見大学)
関係資料はここからご覧いただけます。
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2017.06.29
SGRAレポート第79号 中国語版 韓国語版
SGRAレポート第79号(表紙) 中国語版 韓国語版
第52回SGRAフォーラム
「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」
2017年6月9日刊行
<もくじ>
<第一部>
【問題提起】「なぜ『国史たちの対話』が必要なのか-『国史』と『歴史』の間-」
劉 傑(早稲田大学社会科学総合学術院教授)
【報 告1】「韓国の国史(研究/教科書)において語られる東アジア」
趙 珖(ソウル特別市歴史編纂委員会委員長/高麗大学校名誉教授)
【報 告2】「中国の国史(研究/教科書)において語られる東アジア-13世紀以降東アジアにおける三つの歴史事件を例に」
葛 兆光(復旦大学文史研究院教授)
【報 告3】「日本の国史(研究/教科書)におけて語られる東アジア」
三谷 博 (跡見学園女子大学教授)
<第二部>
討 論
【討 論1】「国民国家と近代東アジア」
八百啓介 (北九州市立大学教授)
【討 論2】「歴史認識と個別実証の関係-『蕃国接詔図」を例に-」
橋本 雄 (北海道大学大学院文学研究科准教授)
【討 論3】「中国の教科書に書かれた日本-教育の『革命史観』から『文明史観』への転換-」
松田麻美子 (早稲田大学)
【討 論4】「東アジアの歴史を正しく認識するために」
徐 静波 (復旦大学教授)
【討 論4】「『国史たちの対話』の進展のための提言」
鄭 淳一 (高麗大学助教授)
【討 論4】「国史における用語統一と目標設定」
金 キョンテ (高麗大学校人文力量強化事業団研究教授)
円卓会議・ディスカッション
モデレーター:南 基正(ソウル大学日本研究所副教授)、討論者:上記発表者ほか
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2017.03.03
第57回SGRAフォーラム
「第2回国史たちの対話の可能性」円卓会議
◆「蒙古襲来と13世紀モンゴル帝国のグローバル化」
日 時: 2017 年 8 月 8 日(火)~ 10 日(木)
会 場: 北九州国際会議場会議
主 催: 渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)
協 賛:北九州市、北九州観光コンベンション協会
協 力: 鹿島学術振興財団
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報 告(金キョンテ) : 日本語版 中国語版 韓国語版
感 想(三谷 博): 日本語版 中国語版 韓国語版
フィードバック(三谷⇔葉文昌): 日本語版
感 想(孫 軍悦): 日本語版 中国語版
感 想(ナヒヤ): 日本語版
感想(彭 浩): 日本語版 中国語版
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概 要: 日本語版 中国語版 韓国語版
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発表題目一覧表
スケジュール: 日本語版 中国語版 韓国語版
会議案内(インフォパック):日本語版 中国語版 韓国語版
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発表要旨(発表者11名分): 日本語版 中国語版 韓国語版
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予稿集(Proceedings):
日本語版 中国語版 韓国語版
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基調講演 :
◆葛 兆光「『ポストモンゴル時代』?―14~15 世紀の東アジア史を見直す」
日本語 中国語(原著) 韓国語
発表論文(発表者別) :
◆橋本 雄「蒙古襲来絵詞を読みとく」
発表要旨 日本語(原著) 中国語 韓国語
論文 日本語(原著) 中国語 韓国語
◆向 正樹「モンゴル帝国と火薬兵器」
発表要旨 日本語(原著) 中国語 韓国語
論文 日本語(原著) 中国語 韓国語
◆四日市康博「モンゴル・インパクトの一環としての『モンゴル襲来』」
発表要旨 日本語(原著) 中国語 韓国語
論文 日本語(原著) 中国語 韓国語
◆孫 衛国「朝鮮王朝が編纂した高麗史書にみえる元の日本侵攻に関する叙述」
発表要旨 日本語 中国語(原著) 韓国語
論文 日本語 中国語(原著) 韓国語
◆張 佳「『深簷胡帽』考--蒙元とその後の時代における女真族帽子の盛衰史」
発表要旨 日本語 中国語(原著) 韓国語
論文 日本語 中国語(原著) 韓国語
◆金 甫桄「日本遠征をめぐる高麗忠烈王の政治的狙い」
発表要旨 日本語 中国語 韓国語(原著)
論文 日本語 中国語 韓国語(原著)
◆李 命美「対蒙戦争-講和の過程と高麗の政権をめぐる環境の変化」
発表要旨 日本語 中国語 韓国語(原著)
論文 日本語 中国語 韓国語(原著)
◆趙 阮「14世紀におけるモンゴル帝国の食文化の高麗への流入と変化」
発表要旨 日本語 中国語 韓国語(原著)
論文 日本語 中国語 韓国語(原著)
◆ツェレンドルジ「北元と高麗との関係に対する考察 - 禑王時代の関係を中心に-」
発表要旨 日本語 中国語 韓国語(原著)
論文 日本語 中国語 韓国語(原著)
◆チョグド(朝克图)「アミルアルホンと彼がホラーサーンなどの地域において行われた二回の戸籍調査について」
発表要旨 日本語 中国語(原著) 韓国語
論文 日本語 中国語(原著) 韓国語
◆エルデニバートル(额尔敦巴特尔)「モンゴル帝国時代のモンゴル人の命名習慣に関する一考察」
発表要旨 日本語 中国語(原著) 韓国語
論文 日本語 中国語(原著) 韓国語
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2017.03.03
第52回SGRAフォーラム@AFC#3
◆「第1回国史たちの対話の可能性」
日 時: 2016 年 9 月 30 日(金)
会 場: 北九州国際会議場会議
主 催: 渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)
助 成: 東京倶楽部
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プログラム: 日本語版 中国語版 韓国語版
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報告書: 日本語版 中国語版 韓国語版
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発表論文:
◆劉傑「「国史」と「歴史」の間」
日本語(原著) 中国語 韓国語
◆葛兆光「中国の国史(研究/教科書)において語られる東アジア:
十三世紀以降東アジアにおける三つの歴史事件を例に」
日本語 中国語(原著) 韓国語
◆趙珖「韓国の国史(研究/教科書)において語られる東アジア」
日本語 中国語 韓国語(原著)
◆三谷博「日本の国史(研究 /教科書)において語られる東アジア」
日本語(原著) 中国語 韓国語
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