• 2012.07.11

    第7回SGRAチャイナ・フォーラム「ボランティア概論」ご案内(延期)

    残念ながら、今年のチャイナフォーラムは、中国当局から開催大学への勧告により中止になりました。   関連エッセイ   -----------------------------------------   下記の通りフフホト北京で開催いたしますのでご案内します。参加ご希望の方は、SGRA事務局までご連絡ください。   ★講演: 宮崎幸雄 「ボランティア概論」   【フフホトフォーラム】 日 時:2012 年9月17 日(月)午後4時半~6時半 *時間が変更になりましたのでご注意ください。 会 場:内モンゴル大学南校区教学主楼XF0201   【北京フォーラム】 日 時:2012 年9月19 日(金)午後4時~6時 会 場:北京外国語大学日本学研究センター多目的室   ◆主催: 渥美国際交流奨学財団関口グローバル研究会(SGRA) 協力: 内モンゴル大学モンゴル学研究センター 北京外国語大学日本語学科 後援: 国際交流基金北京日本文化センター   ◆フォーラムの趣旨:   SGRAチャイナ・フォーラムは、日本の民間人による公益活動を紹介するフォーラムを、北京をはじめとする中国各地の大学等で毎年開催しています。7回目の今回は公益財団法人日本YMCA同盟の宮崎幸雄氏を迎え、長年の体験に基づいたボランティア活動の意義ついてご講演いただきます。日中通訳付き。   ◆講演要旨:   1)私のボランティア原体験 <ベトナム戦争とボランティア> ①自分で手を挙げて(挫折からの逃走)②こちらのNeeds (体育) とあちらのInterests(養豚)   ③信頼なくして“いのち”なし(地雷原の村) ④解放農民の学校(自立・自助) ⑥プロ・ボランティアとして国際社会へ 2)ボランティア元年と云われてー神戸・淡路大震災によって広まるボランティア(観) 3)ボランティア活動の社会的効果(地域への愛着・仲間・達成感・充実感、・希望) 4)大災害被災地のボランティア活動と援助漬け被災者 中国人が見た東日本大震災救援活動と日本人が見た四川大震災救援活動 5)3 ・11若者の自意識と価値観の変化 国際社会の支援と同情・共感・一体感と死生観・共生観と人と人との絆   ◆講師略歴:   現職:(公財)日本YMCA同盟名誉主事、学校法人アジア学院評議員、学校法人恵泉学園委員(公財)公益法人協会評議員、(社)青少年海外協力隊を育てる会顧問、(社)CISV理事、在日本救世軍本営監事   略歴:1933年大阪に生まれる。関西大学英文科専攻后米国に留学、青少年教育を学び日本YMCAに就職。1969年、世界YMCA難民救済事業ベトナム担当ディレクターとしてサイゴンに7年間在住し、ベトナム難民の定住と難民青少年の教育に当たる。8年間、スイス・ジュネーブにある世界YMCA同盟本部の難民事業の統括責任者として国連難民弁務官事務所(UNHCR)との連絡担当、米国民間団体との交渉業務を担当する。1985年帰国後日本YMCA同盟常務理事・総主事1998年3月定年退職。1998年よりロータリー米山記念奨学会事務局長/専務理事、アジア青少年団体協議会会長、国際協力機構(JICA)青年海外協力隊・技術専門委員/青年海外協力隊を育てる会副会長・顧問として現在に至る。   プログラムは下記よりダウンロードしていただけます。 日本語 中国語    
  • 2012.07.11

    エッセイ342:シム チュン キャット「日本に『へえ~』その11:注意放送大国日本!」

    日本に来たばかりの頃、出かけるときに一番よく耳にした日本語といったら、駅で電車を待つたびに聞こえてくる、あの「間もなく電車が参ります。危険ですから、黄色い線の内側まで下がってお待ちください」という注意放送でした。日本語がまだ十分に分かっていなかったことに加え、シンガポールの地下鉄の駅ではこんな長い放送があまり流れないので、「何事か?危険?何が参るの?」と最初は緊張して聞いていた記憶があります。もちろん、慣れてくると何のことはありませんでした。普通に電車が来ただけでした。常識的なことをなんでいちいち注意するのかなと疑問に思っていた、あの頃の初々しかった自分が愛しいです。なぜなら、こんなのはまだ序の口で、日本語がだんだん理解できるようになるにつれ、注意放送が日本社会のありとあらゆる場面で氾濫していることが分かったからです。   注意放送については、日本の電車は特に親切です。電車が接近するときの「参ります」だけでなく、停車した後でも「ホームと電車の間が一部広く開いているところがあります。足元に十分ご注意ください」という優しい声が流れたり、発車する直前でも「発車間際の駆け込み乗車は大変危険ですから、無理なご乗車をなさらないようお願いいたします」といろいろ「危険」を注意してくれたりします。さらに、荷物を持っていれば「お忘れ物をなさらないよう十分ご注意ください」と、雨が降れば「傘のお忘れにご注意ください」とあったりもして、小学生だった自分が登校する前にいろいろ注意してくれた母のことを実に懐かしく思い出させてくれます。   もちろん、注意放送は電車や駅の中にとどまりません。エレベーターに乗れば、「ドアが閉まります」「上に参ります」「3階です」と、多くのエレベーターは自分の動きと働きを細かく予告放送してくれます。エスカレーターはもっと丁寧です。「ご利用の際は、危険ですから手すりにおつかまりのうえ、黄色い線の内側にお乗りください。尚、小さいお子様をお連れのお客様は、どうぞ手をおつなぎください」と、乗り方だけでなく、親子の「絆」にまで気をかけてくれます。ただ、注意があまりにも長いので、全部聞き終わらないうちに降りてしまう場合が多いことがちょっと残念です。それから、銀行のATMでお金を引き出すときも、「現金をお取りください」や「カードのお取り忘れにご注意ください」と、間髪をいれずに現金とカードの引き抜きを繰り返し注意喚起してくれます。でも、その催促のスピードが速すぎて音声も大きいので、かえって慌ててしまって手順を間違えたりする場合もあります。また、機械音声のほかに、最近では生の人間による注意アナウンスも増えてきましたね。気温がちょっと下がると、テレビのアナウンサーが「お出かけの際は、昨日より1枚上着を羽織ってお出かけください」や「風邪を引かないよう、今夜は暖かくしてお休みください」と思いやりのある注意を払ってくれたり、暑くなると「今日はTシャツ1枚で十分でしょう」や「こまめな水分補給を心がけましょう」と服装の提案と飲水の指導までしてくれたりもします。どこもかしこも本当に優しさに溢れてはいますが、何か過剰すぎておかしくはないかと首を傾げてしまうのは僕だけでしょうか。   何なんでしょうね…。この国の人々はいつもボーっとしているということですかね。注意されないと、無理な乗車をしたり、電車とホームの間に開いた隙間に落ちたり、荷物を忘れたりする人が続出するのでしょうか。注意されないと、エスカレーターの乗り方も分からなかったり、お金を引き出すために銀行に行ったのにお金を取り忘れたりする人が多発するのでしょうか。注意されないと、天気を見て何を着て出かければいいのかも分からない人が増えてきたのでしょうか。あるいは注意されないと、何かが起きたときに「なんで注意してくれなかったの?」とクレームを入れる人がいるから、保身のために注意する側もつい過保護になりがちなのでしょうか。それとも、「絆」といううわべの言葉が持てはやされるほど人間同士の関係が実は希薄になりすぎたせいで、お互い注意をし合わなくなったからこそ、いちいち機械に頼らざるを得なくなったのでしょうか。いずれにしても、こんなにも注意放送がたくさんあると、何かバカにされている?と思ってしまう僕の方がおかしいのでしょうか。   当然ながら、注意放送の中には確かに必要性があって大事なものもあるのでしょう。しかしここまで氾濫が進んでいると、どんな注意も生活騒音の一部になってしまい、本当に大事なものまでも軽んじられたり聞き流されたりしてはいないか、と逆に心配になります。というより、ほとんど誰も聞いていないのではないですか。現に、僕があらゆる駅で観察する限り、あれだけ「大変危険ですから」と駅内アナウンスが朝から晩まで注意を促しても駆け込み乗車は一向に減りません。この前なんか、発車寸前にベビーカーを押しながら駆け込み乗車をする若いお母さんがいて、案の定ベビーカーが閉まるドアに挟まってしまったという危ない場面も目にしました。赤ちゃんの安全を顧みないほど、移動時間を急がなければならない用事というのはいったい何だったのでしょうね。そういう人に危険を冒させないためにも、誰も聞かない注意放送を流すよりも、閉まるドアに電気を流して体に触れるとピリッとくるようにしたほうが無理な駆け込み乗車も減っていくのではないでしょうか。もちろん、冗談ですが。   そんなに注意放送をするのが好きならば、もっと肝心な所で注意を呼び掛けて欲しいというものです。例えば、「地震大国日本で原発の再稼働は大変危険ですから、国民の生活を守るためというような矛盾に満ちた無理な言い訳をなさらないようお願いいたします」のような注意アナウンスのほうが現実味があるのではないでしょうか。もしくは「この国の未来に関わる問題が山積しております。言った言わない、解散しろ解散しない、協議に応じろ応じない、というような非生産的な水掛け論は大変無意味ですから、おやめください。尚、国民に選ばれた義務と責任とプライドのお忘れにも十分ご注意ください」のように、然る(叱る)べき所で注意喚起をしておいたほうが有意義なのではないでしょうか。もっとも、野次が飛び交う中で誰も聞きはしないでしょうが。   ------------------------------- <シム チュン キャット☆ Sim Choon Kiat☆ 沈 俊傑> シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。日本学術振興会の外国人特別研究員として研究に従事した後、現在は日本大学と日本女子大学の非常勤講師。SGRA研究員。著作に、「リーディングス・日本の教育と社会--第2巻・学歴社会と受験競争」(本田由紀・平沢和司編)『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』第18章(日本図書センター)2007年、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年。 -------------------------------     2012年7月11日配信
  • 2012.07.04

    エッセイ341:葉 文昌「台湾のビール事情」

    今、台湾ではマンゴビールとパイナップルビールが流行っている。台湾の最大ビールブランド「台湾ビール」を持つ台湾菸酒公司(昔のタバコ酒専売公社)が開発して今年出したビールで、月に50万ダース売れる大ヒット商品だそうだ。ビール会社でありながら正統ビール市場で勝負に出るのではなくビールと銘打ったカクテルで盛り上げたのにはビール造りとしてのプライドに疑問を感じてしまうのだが、何はともあれ、2005年にビールの輸入関税が0%になってから、台湾のビール市場は外国製ビールも入り乱れての戦国時代なのだ。   日本のコンビニのビールコーナーにはアサヒ、キリン、サントリー、サッポロの4ブランドが、プレミアムビール、ビール、発泡酒と違うランクの銘柄を出して競っている。一方で台湾では、国産の台湾ビールを筆頭に、日本勢はアサヒ、キリン、サントリー、サッポロ、欧米勢はハイネケン、カールスバーグ、ミラー、バドワイザー、更にその他に青島、コロナ、タイガーなどが置かれている。ビールは1987年までは台湾菸酒公司が専売だったのでシェア100%であったが、2010年には75%に下がった。それでも圧倒的なシェアではあるが、しかしそれまで専売制度で努力せずとも製品が売れていた甘い体制から自由競争に突入したので、シェア25%減と言うのは痛い打撃かもしれない。   シェア25%の外国ブランドの中では、ハイネケンがトップの13.5%で、キリンの6%、青島3-4%、そして残りをバドワイザー、アサヒ、カールスバーグ等が分けた(2011年、台湾酒訊雑誌)。第一線のビールにはハイネケン、スーパードライ、一番搾り、とバドワイザーがあり、これらの特徴はブランド国からの直輸入であり、値段も高い。量販店における350cc級の半ダース最安値を見ると、ハイネケンが350cc換算で90日本円、一番搾りが87円、スーパードライが81円、バドワイザーが86円であった。この中ではハイネケンが最も高い価格設定で尚且つ単一銘柄でありながらもトップシェアを誇っている。低価格帯では台湾ビールが69円、青島ビールが59円、キリンBarビールが72円、アサヒ乾杯が58円、サッポロビールが61円であった。これら低価格帯ビールは台湾メーカーによる代理生産か又は中国生産であった。これらの価格は日本人から見れば安いと思うかも知れないが、日本も台湾もマクドナルドでの20分間の労働分に相当するので台湾人にしてみれば安くはない。   日本では日本ブランドしか並んでいないので平和に見えるかもしれないが、台湾にいれば逼迫した世界ビールブランド競争を肌で感じることができる。一方で消費者は世界中のビールから自分の好きなビールを選ぶことができるので幸せと言えば幸せである。台湾のビール市場を経験すれば日本のビール市場が少し退屈に見えてしまう。日本でも銘柄は多く出ているものの、競争の土俵は第二のビールや第三のビールに移っている。でもこれら発泡酒は、材料も工法もビールとは異なるものの味をそれに似せる為の研究開発であって、歴史に残るものではないし、世界での競争も難しい。台湾でのビール価格から、日本のビール価格の大半が酒税であることがわかるが、消費者が酒税の安い発泡酒を求めるがために日本のビール会社の開発がそれに移っていることは残念な気がする。ビールの酒税を下げれば国民も発泡酒からビールに戻る上に、開発競争も本来のビールに戻る。そしてプレミアムモルツ、スーパードライや一番搾り等のような、世界で十分に戦える新しいビールの出現が期待できるのではないか。   ------------------- <葉 文昌(よう・ぶんしょう) ☆ Yeh Wenchang> SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2001年に東京工業大学を卒業後、台湾へ帰国。2001年、国立雲林科技大学助理教授、2002年、台湾科技大学助理教授、副教授。2010年4月より島根大学総合理工学研究科機械電気電子領域准教授。 -------------------     2012年7月4日配信
  • 2012.07.01

    第5回ウランバートル国際シンポジウム「チンギス・ハーンとモンゴル帝国:歴史・文化・遺産」案内

    下記の通りモンゴル国ウランバートル市にてシンポジウムを開催いたしますので、論文、参加者を募集いたします。   【開催趣旨】   13世紀はじめ、チンギス・ハーンはモンゴル諸部を統一し、ユーラシアをまたぐモンゴル帝国を築きました。この偉業はチンギス・ハーンの子・孫に引きつがれ、モンゴル帝国も世界史上で最大の、空前絶後の世界帝国となりました。 チンギス・ハーンとモンゴル帝国について、かつてはさまざまな偏見、誤解がくりかえされ、歪曲、誹謗されていました。幸いにも、近年、とりわけ1990年代以降、チンギス・ハーンとモンゴル帝国に対する認識は変わりつづけ、チンギス・ハーンとモンゴル帝国に関する研究、論著も大きな成果を得て画期的な展開をみせてきました。 チンギス・ハーンは新しい歴史をつくりだし、モンゴル帝国はあらたな世界秩序を構築しました。チンギス・ハーンとその騎馬運団の挑戦は世界を揺るがしたと同時に、アフロ・ユーラシアの交流の道を大きくひらきました。モンゴル帝国時代、政治、軍事、商業、経済、貿易、科学、文化、宗教などはめざましく発展し、繁栄しました。これがあってからこそ、のちのヨーロッパのルネサンス、海洋進出があったのです。これらの歴史事実は、現在、世界的に承認されています。 しかし、チンギス・ハーンとモンゴル帝国は未だ謎に満ちており、解明されていない課題がいまだおおく残されています。チンギス・ハーン生誕850周年をむかえるこの機をとらえて、わたしたちは国際シンポジウム「チンギス・ハーンとモンゴル帝国――歴史・文化・遺産」を開催することにいたしました。 本シンポジウムは、近年の学界の最新の研究成果を総括し、歴史・文化・遺産の三つの視点からチンギス・ハーンとモンゴル帝国をアプローチし、広い視野から、特色ある議論を展開することを目的としています。   【日程】 2012 年7月24(火)~26日(木)   参加登録:7月24日(火)12:30~13:00 開会式・基調報告:7月24日(火)13:00~15:40 シンポジウム:7月24日(火)16:00~18:00時、 シンポジウム:7月25日(水) 9:00~12:00時、14:00~18:10時 草原への旅行:7月26日(木)   【会場】    モンゴル・日本人材開発センター 多目的室、セミナー室 (モンゴル国ウランバートル市)     【プログラム】        詳細は下記案内状をご覧ください。 案内状(日本語) Invitation in English    
  • 2012.06.27

    エッセイ340:マックス・マキト「防波堤の日本」

    昨年3月11日、大津波が太平洋側から日本列島を襲い、東北地方の海岸沿いが平らになってしまうほどの被害をもたらした。留学生関係のあるセミナーの休憩時間の雑談で、それについて思いついた仮想的な感想を、日本の西側にある国の研究者に、話題のひとつとして話してみた。それは、「日本列島がなければ、日本の西側に位置する諸国はあの津波でやられたかもしれない。日本が防波堤になった」ということだった。すると、その研究者は、この仮想を否定することもなく、「それはとくにありがたいとは思わない」と強調した。僕はその返事を聞いて悲しくなった。というのは、この研究者は、日本に長年留学し、充実した就職もできて家族と一緒に暮らしているにも関わらず、このように少し怒っているような返事をしたからである。あまりにもショックだったので、僕は残念ながら反論できなくて、国際紛争が起きる前に、日本の留学生の代表とは考えられないその研究者の前から退いた。   昨年8月、フィリピン大学の学会で発表した論文を、名古屋大学の平川均教授との共著で、労働・産業連携大学院のジャーナルに投稿してみた。およそ30年前、太平洋側からグローバル・スタンダード化の大津波が日本列島を襲い、国々の違いをなくして世界を平らにしようとしたので、大きな被害をもたらした。それについて思いついた仮想的な説を、その論文で提案した。それは、日本のような労働契約制度がなければフィリピンは共有型成長をなかなか達成できないだろうという仮説だ。その可能性を否定することもなく、ジャーナルのレフェリーは「数十年以上も失われた日本経済を、今さらモデルにするなんて」と強調した。僕はその返事を聞いて悲しくなった。共有型成長が一回も実現できていないフィリピン、その悲惨な労働事情に詳しいであろう研究者(レフェリー)にも関わらず、堂々とこのようなコメントをしたからである。   今度は、ちゃんと反論した。確かに日本経済はバブル経済が弾けてから数十年も低迷しており、成長が鈍く、格差も拡大してきたので、共有型成長のモデルとは言えなくなった。しかし、僕がフィリピンで実現してもらいたいのは、共有型成長が可能であると示した、失われた数十年以前の日本から学ぶことである。幸いにも、編集者は僕の反論を認めてくれて、その論文はジャーナルに掲載されるという通知が届いた。   3月11日の大津波が襲来したあとに、瓦礫の山が残った。その処理はあまり進んでいない。昨年7月に渥美財団で「放射能が人体に与える影響」についての話を聞く茶話会があったが、僕が瓦礫の処理を巡る懸念について質問した時に、講演者は「東電の敷地内に埋めるとよい」と答えたので、僕は思わず拍手した。最近、それに近い瓦礫の処理方法の提案を聞いた。被災地の中で瓦礫を処理するという提案である。瓦礫の山の上に土を被せて植林して「鎮守の森」を育てようというのだ(宮脇昭『瓦礫を活かす「森の防波堤」が命を守る』学研新書)。瓦礫処理と同時に、津波の防波堤にもなる。実際、海岸線にそのような森があった地区では、沢山の命が救われたという。   およそ30年前にグローバル・スタンダード化の津波が襲来したあと、日本の経済の活気と国民の安定した生活が失われた。今でもたくさんの国民が苦しんでいる。早く何らかの手を打ってほしいが、政治情勢はなかなか安定しないし、経済の建て直しはなかなか進まない。   しかし、僕は、グローバル・スタンダード化の津波に対して、日本が防波堤として頑張っていたことに感謝の意を表したい。いわゆるグローバル・スタンダードとは異なる日本の制度は、この津波に叩かれてしまったようにも見えるが、それでも、世界に別の道も実現可能であると証明したことを僕はありがたく思っている。上述のフィリピン大学の論文には、日本の大手自動車会社のデータを分析した結果、フィリピンの共有型成長に貢献していることを示した。日本からもたらされた共有型成長の種をフィリピンにしっかりと植えて大事に育てるべきである。それは、東アジアの「鎮守の森」にもなるであろう。   ※お断り:このように書いて、僕が反米だと誤解されるかもしれないが、そうではないことをはっきり言っておきたい。上述の論文では、日本と米国の労働契約制度を比較し、どちらかというと日本制度のほうが共有型成長に貢献できるであろうという結論を出した。ただ、完璧な社会制度はどこにもない。各国の制度には弱点もある。僕の今までの人生の半分はアメリカに魅了されて過ごした。今でも、アメリカが好きである。それに近い長さの人生は日本に魅了されて過ごしてきた。現在、拡大している格差のもとで多くの日本国民と同様に苦労しながらも、日本も好きである。要は、我々は、互いに違っていても、互いを尊重すれば友達になれるということである。   -------------------------- <マックス・マキト ☆ Max Maquito> SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。フィリピン大学の労働・産業連携大学院シニア講師。 --------------------------     2012年6月27日配信
  • 2012.06.15

    レポート第62号「Sound Economy ~私がミナマタから学んだこと~」

    レポート62号本文 レポート62号表紙   第6 回日SGRAチャイナフォーラム講演録 「Sound Economy ~私がミナマタから学んだこと~」 2012年6月15日発行   <もくじ・要旨>   【講演】Sound Economy (健全な経済と社会)~私がミナマタから学んだこと~                     柳田耕一(財団法人水俣病センター相思社初代事務局長)   水俣病は20世紀半ばに発生した世界で知られる環境問題の一つです。それは日本の南部の漁村で発生しました。当初、被害者は劇症型の病像を呈していたため「奇病」として恐れられ、隔離されるなどの酷い仕打ちを受けました。折から日本は戦後の復興期の入り口にあり、僻遠の地に救済の手が差し伸べられるまでには長い時間がかかりました。 公式発見から半世紀経った現在でも、抜本的な治療法は無く、被害の全体像の解明は進まず、地域経済は疲弊したままです。一方で水銀による環境汚染は世界中に広がり、酷似した症状をもつ人々も出現し、Minamata Diseaseは世界共通語となっています。現在では微量水銀の長期摂取による健康影響に世界の関心は向かっています。 もう一つの側面として関心がもたれているのは、社会経済的分野です。開発重視、科学重視、利益重視、人権無視の経済運営は、生活の基盤である環境を歪め傷つけ最後には地域社会そのものを持続不可能にしてしまいますが、その象徴として水俣病事件を捉えることもできます。   【報告】内モンゴル草原の生態系 ~鉱山採掘がもたらしている生態系破壊と環境汚染問題について~                      郭 偉(内モンゴル大学環境資源学院副教授)  
  • 2012.06.13

    第2回日台アジア未来フォーラム「東アジアにおける企業法制の継受及びグローバル化の影響」報告

    2012年5月19日、国立台湾大学法律学院の国際会議場で第2回日台フォーラム「東アジアにおける企業法制の継受およびグローバル化の影響」が開催された。今回のフォーラムの趣旨は法制史の観点から、19世紀末に東アジア各国の企業法制がどのように西洋法制を継受したか、そして20世紀を通して現在に至るまで、これらの企業法制がグローバル化の影響を受けながら、どのように変容してきたかということを明らかにするもので、当日の参加者は約150名であった。   開幕式では、国立台湾大学法律学院・蔡明誠院長、渥美国際交流財団・渥美伊都子理事長、台湾法学会・王泰升理事長が開幕のスピーチをしてくださった。次に、慶応義塾大学法学部・宮島司教授が「会社法はどこへ」という題名で基調講演を行った。宮島教授は日本会社法について、明治期の商法典から2006年実施した新会社法までを4つの時期に分けてそれぞれの変遷を丁寧に説明し、各時期の改正では大陸法系、あるいは英米法系の影響をどのように受けたかということをも紹介した。また、近時、日本会社法における株式会社の機関設計ないし企業統治の規範内容に対して鋭い見解を示した。その後、元台湾司法院院長・中原大学講座教授・頼英照教授が「社外取締役制度から見た外国法の移植」という題名で基調講演を行った。頼英照教授は最初に台湾会社法の沿革を詳細に紹介し、2006年、台湾証券取引法がアメリカ法を模倣して導入してきた社外取締役制度を例として、外国法制の移植の善し悪しに言及した。   第1セッションは、国立政治大学法学院・頼源河教授が座長を担当し、「西洋法の継受期のアジア各国における企業法制」というテーマで3名の学者が報告を行った。東洋大学法学部第一部・後藤武秀教授は「台湾における西洋近代法の受容と慣習法の調整:台湾の伝統的会社組織である合股を例として」という題名で報告を行った。後藤教授は日本統治時代の台湾においては、西洋法の継受国である日本が統治しているとしても、最も盛んだった企業形態は家族経営からなる合股であったことを紹介した。合股は現代法の観点から言うと、組合という概念に類似している。このような特殊の組織形態は台湾独自の慣習法として樹立している。韓国国立忠南大学法学専門大学院・李孝慶准教授は「韓国における企業法制の継受と改革」という題名で報告を行った。李准教授は日本統治時代の韓国において、1912年朝鮮民事令により日本商法が適用され、1948年韓国政府樹立以降、1962年までこの商法が引き続き適用されてきたことを紹介した。これに加えて、韓国の商法はその後も何度も改正されたにもかかわらず、内容的には日本法をモデルにしたものが依然として多く、日本法から強い影響を受けたと言えよう。国立台湾大学法律学院・蔡英欣助理教授は「法律移植と既存規範との衝突、調和:日本商法及び20世紀初期の中国会社法制を中心として」という題名で報告を行った。蔡助理教授は日本商法と中国会社法制が制定された際に、両者が同じ課題、すなわち慣習法を無視し専ら西洋法を継受したことに対して経済界が猛反発したという課題に直面したことに言及し、国が外国法を継受する場合には自らの慣習を重視する必要性を強調した。   第2セッションは、常在国際法律事務所・林秋琴パートナーが座長を担当し、「第二次世界大戦後のアジア各国における企業法制」というテーマで3名の学者が報告を行った。慶應義塾大学法務研究科・高田晴仁教授は「第二次大戦後の日本の企業法制:1950年商法改正を中心として」という題名で報告を行った。第二次大戦後、敗戦後の日本はGHQの指示を受けて、法制度を大幅に改革した。日本商法もその中の一つであった。1950年商法改正により、アメリカ法をモデルとして、授権資本制度や株式会社の機関権限の新たな配分といった改正が行われ、今日の日本会社法の基礎になったといえよう。ただ、このような改正内容は日本の風土に合わないものが少なくないと強調した。国立台湾大学法律学院・黄銘傑教授は「東アジア各国における競争法の継受」という題名で報告を行った。黄教授は日本、台湾、韓国と中国など東アジア各国が現代競争法をいつ、またどのように制定したかを紹介した。周知のように現代の競争法の原型は1890年アメリカのシャーマ法である。東アジア各国は競争文化を欠いたが故に、アメリカの競争法を継受した際に異なった規範モデルを制定したということを指摘した。香港大学法学院・呉世学教授は「第二次世界大戦後の香港会社法の展開」という題名で報告を行った。呉教授は香港の会社法について、従来イギリス法の影響を受けた一方、近時、自らのモデルを模索していると指摘した。また、香港の行政機関の統計データにより、近時、香港で会社設立の数は飛躍的に増加していることを紹介した。   第3セッションは、萬國法律事務所・顧立雄パートナーが座長を担当し、「グローバル化時代のアジア各国における企業法制」というテーマで3名の学者が報告を行った。まず、中国人民大学法学院・楊東准教授は「全球化時代中国会社法の改革と整備」という題名で、中国会社法の形成ないし変遷を紹介した。中国は、1993年に国有企業を改革するために初めて会社法を公布してから、近時、国有企業ではなく一般企業を視野に入れ、企業の株主保護を重視してさまざまな改革を行ったと説明した。明治学院大学法学院・来住野究教授は「日本における近時の会社法改正と企業統治のあり方」という題名で、近時、日本の会社法において企業統治のあり方を検討した。2002年日本商法改正により、アメリカ型の委員会設置会社が導入されたが、現在に至っても、かかる新制度を利用した企業の数はほんのわずかである。このような改正結果をいかに評価するか、と問題を投げかけた。国立台湾大学法律学院・邵慶平准教授は「根本的な会社民主観念:グローバリゼーションの下での台湾会社法の堅持と示唆」という題名で、台湾会社法は長年、何度も改正されてきたが、アメリカ法のように取締役会優位主義を採用するようになった。取締役会優位主義を採用しているといっても、いくつかの近時の判決から、今の時代でも株主権は依然として相当に重視されているという動向が見えると強調した。   オープンフォーラムは、国立台湾大学法律学院・王文宇教授が座長を担当し、第3セッションで報告した楊東准教授(中国)、来住野究教授(日本)、邵慶平准教授(台湾)及び呉世学教授(香港)がパネリストとして参加者からの質問を受け、活発な議論を行った。最後に、今西淳子常務理事および王文宇教授が閉幕スピーチを行い、フォーラムは成功裡に終了した。   (文責:蔡英欣)   フォーラムの写真(1)   フォーラムの写真(2)   アンケート集計   (基調講演)頼英照「社外取締役制度から見た外国法の移植」日本語訳  
  • 2012.06.10

    レポート第61号「東アジア共同体の現状と展望」

    SGRAレポート61号本文 SGRAレポート61号表紙   第41 回日SGRAフォーラムin蓼科 講演録 「東アジア共同体の現状と展望」 2012年6月18日発行   <もくじ> 【基調講演1】東アジア共同体形成における「非伝統的安全保障」        恒川惠市(政策研究大学院大学副学長)   【基調講演2】ASEANと東アジア共同体       黒柳米司(大東文化大学法学部教授)   【発表1】韓国と東アジア共同体       朴 栄濬(韓国国防大学校安全保障大学院副教授)   【発表2】中国の外交戦略と「東アジア共同体」       劉 傑(早稲田大学社会科学部教授)   【発表3】台湾・香港抜きの「東アジア共同体」は成立するのか?~脱「中心」主義で安定した共同体を~      林 泉忠(琉球大学法文学部准教授)   【発表4】モンゴルと東アジア共同体~資源開発とモンゴルの安全保障~      ブレンサイン(滋賀県立大学人間文化学部准教授)   【発表5】北朝鮮と東アジア共同体~北朝鮮とどのように付き合うのか~       李 成日(韓国東西大学校国際学部助教授)   【パネルディスカッション】東アジア共同体の現状と展望       進行:南 基正(ソウル大学日本研究所HK教授)       パネリスト:上記講演者  
  • 2012.06.06

    第44回SGRAフォーラム in蓼科「21世紀型学力を育むフューチャースクールの戦略と課題」へのお誘い

    下記の通り長野県蓼科にて第44回SGRAフォーラムを開催します。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。SGRAフォーラムはどなたにも参加いただけますので、ご関心をお持ちの皆様にご宣伝いただきますようお願い申し上げます。また宿泊の手配が必要な方はご相談ください。   日時:2012年7月7日(土)10:00~17:00 その後懇親会   会場:東京商工会議所蓼科フォーラム研修室A    〒391-0213 長野県茅野市豊平チェルトの森    電話 0266-71-6600   申込み・問合せ:SGRA事務局    電話:03-3943-7612    ファックス:03-3943-1512    Email:[email protected]   参加費: 無料   【フォーラムの趣旨】   SGRA「人材育成」研究チームが担当するフォーラム。   21世紀の幕開けとともに各国で急激に普及し始めたインターネットと携帯電話などの情報通信手段は、今では私達の生活の中で欠かせない存在となりつつある。しかもその変化のスピードがますます速まり、膨大な量の情報が氾濫している。こうした背景の中で、知識の暗記よりも情報通信技術の習得とともに世界につながるネットワークとその中に集まる知識と情報を活用できる能力が重要視され、次世代を担う人づくりを目指す学校教育のあり方にも大きな変化が迫られている。   新しい時代への対応を図るべく、アメリカ、イギリス、韓国、シンガポールなどでは90年代の後半から教育情報化政策が推進され始め、近年には国家目標に設定され、より本格的な導入に向けた動きが具体化している。日本でも1999年に全公立小中高校がインターネットに接続でき、全公立校教員がコンピュータの活用能力を身につけられるようにする「ミレニアム・プロジェクト」がスタートし、2010年からは総務省と文部科学省の推進のもと2020年までにフューチャースクールの全国展開を目指す事業も始動した。一方、新しい情報通信技術が次々開発されるにつれ、機械や機器には決して置き換えられないものがあることがますます鮮明になり、人間関係の大切さがより強調される中で生身の人間をもとにしたコミュニケーション能力が果たしてフューチャースクールで育成されうるかという懸念の声もある。   本フォーラムにおいては、世界最先端をいく韓国とシンガポールを中心にそれぞれの国の経験と現状について議論を交わす場を提供し、学びのイノベーションに関する理解と交流を深めつつ、フューチャースクールの今後の方向性について考えていきたい。   【プログラム】   詳細はここををご覧ください。   【基調講演1】次世代を担う人づくりとは          赤堀 侃司(白鴎大学教育学部長)   【基調講演2】日本のICT教育の現状と今後         影戸誠(日本福祉大学教授)   【発表1】韓国のフューチャースクール構想         曺圭福(韓国教育学術情報院研究員)   【発表2】シンガポールの教育におけるICT活用の動向と課題について         シム チュンキャット(日本大学非常勤講師)   【発表3】ICT機器を利活用した学習活動         石澤紀雄(山形県寒河江市立高松小学校)   【パネルディスカッション】   
  • 2012.05.30

    エッセイ338:趙 長祥「グローバリゼーションとローカライゼーションのバランス」

    我々人間の社会は産業革命によって、古代文明から現代文明社会に入ったという。そのようなスパンでみればほんのわずかかもしれないが、ITの発達と急激な経済活動の拡大に伴なう地球の一体化、つまりグローバリゼーションの時代に突入してからでも既に30年間を経過している。グローバル化によって地球は「小さな世界」になった。そして、便利になった一方で、各地で様々な不具合を生じ始めた。一番多く指摘されるのは多様性の滅亡である。即ち、様々な特徴を含んだ豊かな現地カルチャーの消失が心配されている。すると、グローバリゼーションに対して、ローカライゼーションも唱えられるようになった。   世界各地を彩る文化を保護するためにローカライゼーションは非常によいことだと思っている。しかし、経済活動を多国間で展開する時に、特に先進国から発展途上国へ移転する過程で、現地の商習慣などを含めた意思決定プロセスを完全に現地化してよいものか、私は大きな疑問を抱いている。勿論強制的に現地の方に押し付けてはナンセンスだが、すべてを現地に合わせるのも尚更ナンセンスだと思う。国際的に共通しているマナーも現地化して良いものか。例えば、交通信号を守ること、約束を守ること、時間を守ること、お互いの信頼を以てビジネスを進めることなど。これらの国際的に共通する基本的なマナーは、一人の人間として道徳的にも要求されるので、グローバリゼーションとかローカライゼーションと関係なく、どこの国でも受け入れるべきものである。まず、一人一人がきちんと守ること。そして、できないのであれば、現地の方をできるように改善させる工夫をしなければならないと思っている。   多くの国では、「郷に入れば郷に従え」という諺が通用している。この諺に含まれた意味通りに、郷に従えば、現地の習慣や文化などを学ぶことができるし、特に“面子”を重視するアジアの国々では人間関係の潤滑油ともなりうる。しかし、人間の惰性によって、悪い習慣をマスターするのは良い習慣の習得よりよっぽど速いのである。たとえば、上海で、外国人の習慣をよく観察すると、すっかり現地化している。さすがにつばを吐く人はあまり見当たらないが、赤信号を平気で渡り、約束時間や約束の仕事を平気で遅れるようになっている。もともと国際共通的なマナーを持っていたはずなのに、上海現地での生活によって直ちに現地化されてしまった。なぜかと聞くと、現地では殆どの人がそのような習慣なので、自分一人だけで青信号になるまで待つのは逆におかしく見られる。すると、国際共通の常識を失うのである。   日本人はマナーの面では、世界中に賞賛されている。しかし、私自身の体験がこのような常識を覆した。   ある日系企業の現地法人の社長と一緒に仕事したことがある。その方は、顧客に対して文句ばかりで、仕事上の約束も守らなかった。いい加減な仕事態度は私にとっては驚きばかり、「あれ~日本人なの?」と思うほどだった。とうとう付き合いをこちらからやめた。   また、別の日系企業で1ヶ月間のお手伝いをしたことがあった。ある日、仕事で外出中の現地スタッフが日本人スタッフに午前10時ごろ電話して、至急仕入れの数量確認(日本人だけが知っているデータだった)を依頼して、当日の14時までに返事してくださいとのことだった。その日本人スタッフは電話でOKと答えた。しかし、電話を受けた直後、数量の確認もせず、平気で会社を出て顧客の接待に行った。本来マネジャー層として来ている日本人スタッフが自らしっかり約束を守れば、現地社員も自然に守るようになるはずだ。5分間もかからないデータ確認の仕事で、すぐに返事ができるのに、自らの国際的共通マナーを現地化しながら現地社員に約束を守れというのは可笑しい。お互いの信頼関係も築けず、時間がたつにつれて徐々に相互不信に陥り、仕事もほとんど予定通りに完了できず、会社の業績も下がる一方となった。   このような事例は個別のものではなく、数多くの現地日系企業に普遍的に存在している。従って、中国で経営している日系企業にとって、意思決定のプロセスにおいて、マーケットニーズへ柔軟に対応するローカライゼーションと、商習慣を含めた国際的な基本マナーのグローバリゼーションのバランス確保は最も大きな課題だと考えられる。   物事の変化は紙一重である。善と悪の意識区分はその典型例である。人間の頭には、善と悪の扉が設けられている。善を常に考え常に実行すれば人間は天使となる。しかし、善の扉を閉めて悪ばかりを考え悪ばかりを実行すれば人間は悪魔となる。経済社会において、合理的な人間は圧倒的に多い。より善行を多く、悪行を少なく考え実行すれば、正しい人間と成り、社会も調和する。それと同じく、グローバリゼーションとローカライゼーションのバランスを如何に上手く取れるかによって、結果が異なってくる。理屈を知っている人は多いが、実際にしっかり理屈を理解して徹底的に正しく実行している人は少ない。如何にバランスを保ち、「言うは易く行うは難し」を克服するかである。   ----------------------------- <趙 長祥(ちょう・ちょうしょう)ZHAO Changxiang> 2006年一橋大学大学院商学研究科より商学博士号を取得。専門分野はイノベーション とアントレプレナーシップ、コーポレートストラテジー。SGRA研究員 -----------------------------   2012年5月30日配信