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2008.12.06
下記の通り第33回SGRAフォーラムを開催します。参加ご希望の方は、ファックスまたはemailでSGRA事務局宛ご連絡ください。当日参加も受付けますが、準備の都合上、できるだけ事前にお知らせくださいますようお願いします。よろしければ下段の申込欄をお使いください。SGRAフォーラムはどなたにも参加いただけますので、ご関心をお持ちの皆様にご宣伝いただきますようお願い申し上げます。
日時:2008年12月6日(土) 午後2時30分~5時30分 その後懇親会
会場: 東京国際フォーラム ガラス棟G402会議室
参加費:無料 (フォーラム後の懇親会は、賛助会員・特別会員1000円・非会員3000円)
申込み・問合せ:SGRA事務局
Email:
[email protected] TEL: 03-3943-7612, FAX: 03-3943-1512
【フォーラムの趣旨】
WTOが進めている多国間自由貿易交渉が行き詰まり、2カ国間自由貿易協定(FTA)への政策転換の動きが本格化している。しかし、これらの協定が複雑に絡み合い自由化を妨げる、いわゆる「スパゲッティ・ボール現象」が懸念される。今後、FTAはどの方向に進むべきか、その課題と留意点を考察し、東アジアの発展を展望したい。
当フォーラムでは以下の議論を提起したい。SGRA独自の研究調査によると、東南アジア域内における産業構造が変わり、国家間の格差が広がっている。しかも、国家間の格差が国内格差にも連動するというダブル・パンチ現象が引き起こされている。この背景には日本(政府+企業)の東南アジア戦略も大きく関わっている。
1993年に発行された世界銀行の「東アジア奇跡」では日本を含む東アジア経済の目覚しい発展に注目した。当研究チームも、成長と分配が同時に進む発展モデルを「共有型成長」(SHARED GROWTH)と名づけた。いうまでもなく、この発展は20世紀後半の日本と東アジアの経験であり、その成長における日本の役割は極めて重要であった。経済協力を通じ成長と分配が共に促進される発展を東アジアで再現するために、何が必要か。
東アジア地域の経済統合は「共有型成長」を再現し、国際、国内における格差を縮めることができるのか。このフォーラムを通して、東アジアの経済統合への様々なビジョンを提示し、域内FTA戦略の形成に少しでも貢献できれば幸いである。
【プログラム】 詳細はここからご覧ください
● 基調講演:東 茂樹(西南学院大学経済学部教授) 「FTAで経済関係が深まる日本と東南アジア」
日本はここ数年、二国間あるいは地域の自由貿易協定(FTA)を推進する戦略をとっている。FTAの締結により海外から、熱帯果実や食肉、魚介類など農水産物の輸入が増加し、看護師や介護福祉士など日本で働く外国人も増えることになる。また日本から、電機や鉄鋼、自動車製品など工業製品の輸出が増加して、日本企業の海外投資もさらなる拡大に向かおう。FTA締結相手国との経済面における相互依存関係は深まって、東アジア地域共同体構築への一歩となるかもしれない。 FTAは締結にともない、必ず利害関係者を生じさせることに注意を払う必要がある。貿易の自由化により競争が進めば、比較優位のある産業は輸出を拡大する一方で、比較優位のない産業は淘汰あるいは事業転換に追い込まれる。また消費者にとって、良質な輸入品・サービスの価格低下は、生活に良い影響をもたらす。しかし発展途上国では、製薬特許などの知的財産権保護により、消費者の負担が増す場合もある。FTA実施により影響を被る関係者に対し政府は補償措置を導入して、格差の拡大を防ぐことが喫緊の課題となっている。
● コメント・パネルディスカッション
ド・マン・ホーン(桜美林大学経済経営学系講師)、ベトナム出身
フェルディナンド・C・マキト(SGRA研究チーフ)、フィリピン出身
平川 均(名古屋大学経済学研究科教授、SGRA顧問)
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2008.10.03
講演:工藤正司(アジア学生文化協会常務理事)
「一燈やがて万燈となる如く~アジアの留学生と生活を共にした協会の50年~」
中国における第3回目のフォーラムは、9月26日(金)に延辺大学総合棟七階報告庁にて、9月28日(日)に北京大学外国語学院民主楼にて開催されました。2006年に北京大学で開催したパネルディスカッション「若者の未来と日本語」、2007年に北京大学と新疆大学で開催した緑の地球ネットワーク高見邦夫事務局長のご講演「黄土高原緑化協力の15年:無理解と失敗から相互理解と信頼へ」に引き続き第3回目です。今回は、50年にわたり東京で留学生の受け入れ態勢の改善に取り組んできたアジア学生文化協会(ABK)の工藤正司常務理事に、協会の創設者穂積五一氏の思想とABKを通して見た日本とアジアのつながり、そして民間人による活動の意義をお話しいただきました。
工藤さんは、「お国の発展ぶりに讃辞を送ることからお話を始めることになるのですが、私の本当の心を申しますと、それよりも前に、私の国・日本が過去に皆様のお国に行ったことをお詫びさせて戴きたい思いです」、「今日私がお話しするのも、私たちの協会や創設者のことを、誇るためでも、宣伝するためでもありません。敗戦した国で日本人は何を考え、どのように行動したか、そして、現在はどう動いているかを、1つの例として、私たちの協会とその創設者の人間を通してのぞいてみること、そして、それを通じて『公益事業を民間が行うこと』の意味を皆さんと一緒に考えてみて、もし、皆様にも参考になることがあれば、活用していただきたいということです」と講演を始め、戦前の日本に対する反省に立って「新しい戦後日本」を構想して設立されたABKと創設者穂積五一氏の思想、その後の協会の展開と工藤さんご自身の関わりを、パワーポイントで写真を映しながら話されました。そして、最後に、「日本に居る留学生たちは、今、いじめにあうのを恐れて、自由にものを言えないのではないか」「移民政策が定かでないのに、日本の労働力不足を補うために留学生の受け入れを急増させようという留学生30万人計画は危ないのではないか」「日本も中国も短絡的に相手を見ることが多すぎるのではないか。お互いの現在の状況を新しい姿勢で、もっとよく研究する必要があるのではないか」と問題提起し、「具体的提案があれば、私はABKが現在進めている改革に、文化交流の一環として、組入れることを真剣に検討する用意があると申し上げます」と結ばれました。
延辺大学フォーラムの参加者は、主に国際政治学を専攻する学生約150名で、日本と中国の教育や学生の違いについて等の質問がありました。北京大学フォーラムの参加者は、日本語学習者を中心とした北京大学、北京第二外語大学、北京語言大学、北京人民大学等の学生、日本留学中にABKや太田記念館に滞在した方々、渥美財団の渥美理事長他関係者など約80名でしたが、大学で日本語を勉強する学生さんは皆さんとても流暢な日本語で質問したので驚きました。ふたつのフォーラムを実現してくださった延辺大学の金香海さんと北京大学の孫建軍さんに心から感謝いたします。また、参加してくださったSGRA会員のみなさん、呉東鎬さん、金煕さん、張紹敏さん、朴貞姫さん、馮凱さん、宋剛さん、ありがとうございました。
(今西淳子)
◆ 延辺大学の金香海さんより:
延辺大学のフォーラムでは、講演の後も、学生達の興味深い質問に対し、工籐さんは熱心に回答してくださり、会場は一貫して熱い雰囲気でした。その余蘊が去らず、30名の参加者達は、日本国際交流基金の援助で出来たばかりの「延辺大学日中ふれ合いの場」で立食パーティーを開き、ワインを交えながら、再び工籐さんから日中学生気質の違いや日本語教育についてのお話を伺い、夜が過ぎるのを忘れました。このように大きな共鳴を引き起こしたのは、やはり工籐さんの講演の内容とそのすばらしい人格のためであったと思います。
日本とアジアは長い文明交流の歴史がありました。日本は明治維新を通じて西洋と肩を並べる近代国民国家になりましたが、その過程でアジアを否定して西洋の価値観を取り入れて“空想的帝国”をつくろうとしたが失敗しました。この後、またアメリカの価値観を取り入れ、先進国になったけれども、ここにはいろいろな歪みが生じました。これがまさに、ABK創設者の穂積先生が、日本社会の疾病としたもので、敗戦直後から「アジアのために」アジアの留学生を支援してきた理由です。工藤さんは、日本の再生、そしてアジアの価値の回復と創造は、学生達の草の根の交流があって初めて、“一燈やがて万燈となるごとく”実現できると仰いました。大変優しく、すばらしい人格の持ち主で、文明に対する深い理解を持っていらっしゃる工藤さんを、私は非常に尊敬しています。
◆ 北京大学の孫建軍さんより:
「留学」について深く考えさせられるお話でした。外国の進んだ技術や裕福な生活に憧れ、または外国語の習得や学術研究に役立たせるために、留学したい人が多いものです。多くの人の場合、それは夢だけに終わってしまいますが、僅かながら留学を実現させた人もいます。自分を中心に生活を考える留学生と違い、工藤さんのいらっしゃるABKは留学環境を整えるために50年奮闘して来られました。日本国内政治の動きや国際関係の変化に翻弄されながらも、留学生のためという信念を曲げることがありませんでした。ABKのような組織は、アジアの学生にとってどれだけ心強い存在でしょう。ABKにお世話になった元中国人留学生が、会場にたくさん集まったのもABKの強い求心力の表れに違いありません。
講演を聞きながら考えました。心にゆとりのある人でなければNPO活動は成立しません。留学がきっかけで、自分はNPOの存在を知り、関わるようになりました。精神的に豊かな方のそばにいるだけで励まされます。もっと精神的に成長しなければならないと切実に感じました。
◆ フォーラムの写真は下記URLよりご覧いただけます。
延辺フォーラム
北京フォーラム
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2008.09.26
下記の通りSGRAチャイナフォーラムを開催しますのでご案内いたします。延辺と北京にお住いで、興味をもっていただけそうな方にご宣伝いただけますと幸いです。
★プログラムはここからダウンロードしていただけます
日本語プログラム
中国語プログラム
第3回SGRAチャイナフォーラム
講演:工藤正司(アジア学生文化協会常務理事)
■ 「一燈やがて万燈となる如く~アジアの留学生と生活を共にした協会の50年~」
○ 日時と会場:
2008年9月26日(金)午後3時~6時 延辺大学アジア研究センター
2008年9月28日(日)午後2時~5時 北京大学外国語学院民主楼
○ フォーラムの趣旨
2006年に北京大学で開催したパネルディスカッション「若者の未来と日本語」、2007年に北京大学と新疆大学で開催した緑の地球ネットワーク高見邦夫事務局長の講演「黄土高原緑化協力の15年:無理解と失敗から相互理解と信頼へ」に引き続き、中国で開催する3回目のSGRAフォーラム。今回は、50年にわたり東京で留学生の受け入れ態勢の改善に取り組んできたアジア学生文化協会の工藤正司常務理事に、協会の創設者穂積五一氏の思想とアジア学生文化協会を通して見た日本とアジアのつながり、そして民間人による活動の意義をご講演いただきます。日中同時通訳付き。SGRAでは、日中の懸け橋となった民間人による公益活動を、北京大学をはじめとする中国各地の大学で紹介するフォーラムを開催していきたいと思っています。
○ 講演要旨戦前の日本に対する反省に立って「新しい戦後日本」を構想して設立された(財)アジア学生文化協会と創設者穂積五一氏の思想。その後の協会の展開と私自身の人生転換、そして戦後日本の歩んだ実像。「戦前の日本」へ回帰傾向を強める現代日本と協会の危機。民間人による活動の意義と課題。
○ 講師略歴
1943年5月、山形県に生まれる。1968年3月、東京大学大学院修士課程卒業(専攻は電子工学)。在学中に穂積五一氏の主宰する学生寮「新星学寮」に入り、ベトナム等アジア諸国の留学生の問題に遭遇し、日本とアジア諸国に横たわる歴史的・社会的問題に関心を深め、人生航路を変える。1968年4月、穂積氏創設の(財)アジア学生文化協会に入職。現在に至る。
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2008.07.20
下記の通り32回SGRAフォーラムを開催いたしますのでご案内いたします。参加ご希望の方は、SGRA事務局にご連絡ください。
日時:2008年7月20日(日)14:00~18:00 19:30~21:00
会場:鹿島建設軽井沢研修センター会議室
参加費:無料
申込み・問合せ:SGRA事務局
Email:
[email protected]
TEL: 03-3943-7612, FAX: 03-3943-1512
■ フォーラムの趣旨
国家と国家の間で平和と安定が維持されるためには何が必要となるのか。この問題に関して国際政治学の世界では、様々な研究がなされてきた。その一つとして、経済や文化、あるいはスポーツの交流が国家間関係の安定と地域秩序の平和に重要な機能を果たすという理論がある。いわゆる機能主義的な平和理論である。その理論は冷戦時代に米ソ関係、米中関係、そして東西ドイツ間の関係に適用され一定の成果をあげることができた。実際にこれらの関係においては、文化やスポーツの活発な交流が体制の安定に寄与したといわれている。激しい戦争なしに冷戦構造を溶かすことができたのは、両陣営の間で推進されてきた文化やスポーツ交流の影響もあったのではないだろうか。
東北アジアは、歴史や領土問題をめぐる葛藤などによって、世界的にも不安定な要因が多数残されている地域の一つとして指摘されてきた。韓半島での南北対立は依然変わらない状況である。日本と中国の間でも、歴史問題をはじめ、ガス田開発競争など葛藤の火種が伏されている。しかしこの地域でも、文化とスポーツの交流は互いの誤解と葛藤を溶かす鍵になるのではないだろうか。
注目すべき点は、1964年には日本が、1988年には韓国がオリンピックを開催した経験を持ち、今年は北京オリンピックを控え、東北アジアの主要な国家が世界的なスポーツ交流の場を提供し、また提供しようとする事実である。ほぼ20年ごとにこの地域で開かれる世界のスポーツ祭典・オリンピックは、果たしてこの地域に何をもたらしたのか。そして今、開かれようとする北京オリンピックは何をめざすべきなのか。その目標はいかに達成できるのか。
<東アジアの安全保障と世界平和>研究チームでは、日中韓の研究者を招いて、上記のような問題を共に議論していきたい。この地域で開かれたオリンピックが、各国家の発展のみならず、地域秩序の変化に及ぼした影響を検討し、文化やスポーツ交流のあるべき姿を探る機会にしたい。
■ プログラム
詳細はここをクリックしてください
【基調講演】
清水 諭 (筑波大学大学院人間総合科学研究科准教授)
「オリンピック運動の内破と東アジアの諸問題」
【講演1】
池田慎太郎(広島市立大学国際学部准教授)
「日本からみたオリンピック」
―東京オリンピックと1960年代の東アジア―
【講演2】
朴 榮濬(韓国国防大学校副教授、 SGRA研究員)
「韓国から見た東アジアのオリンピック:2028平壤オリンピック?」
【講演3】
劉 傑(早稲田大学社会科学総合学術院教授)
「北京オリンピックが中国にもたらすもの」
【パネルディスカッション】
「オリンピックと東アジアの平和繁栄」
進行:南 基正(韓国国民大学国際学部副教授、SGRA研究員)
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2008.07.15
2008年6月24、25日の2日間、モンゴル国家文書管理局、関口グローバル研究会(SGRA)、モンゴル科学アカデミー歴史研究所、モンゴル・日本センターが共同主催、在モンゴル日本大使館、モンゴル国立大学、モンゴル国際研究所、東京外国語大学が後援、渥美国際交流奨学財団、守屋留学生交流協会、高澤三次郎国際奨学財団、三菱商事、三井住友銀行、鹿島建設が協賛の国際シンポジウム「歴史・文学・メディア・アーカイブズからみたグローバル秩序――北東アジア社会を中心に」が、モンゴル国の首都ウランバートルで開催された。SGRAが初めてモンゴルでおこなったプロジェクトであるが、盛大な国際シンポジウムとなった。
開会の準備のために、6月19日、私は一足先にウランバートルに到着した。空港からウランバートル市内まで、30分ほどの距離だったが、二つのことにびっくりした。一つ目はポスターと宣伝カーである。外資企業の看板を除いて、ほとんどのポスターと看板が、国民大会議員選挙のポスターになっていた。そして、各政党の宣伝カーのほか、たくさんの車が各自の支持する政党の旗あるいは宣伝ポスターを掲げていた。至るところにポスターと旗が掲げられていた。モンゴル国で4年に一度の国民大会議(国会、定数76)の議員の選挙が6月29日におこなわれることについては去年同シンポジウムを企画した際すでに知っていたが、これほど熱くなっているとは思っていなかった。
二つ目は旱魃である。空港から市内まで、土ばかりで、草がなく、緑色はまったくなかった。環境問題の厳しさを再び痛感した。
ホテルに到着すると、モンゴル国家文書管理局の総務課長チンバト(Ts. Chinbat)氏と外事課のボヤンヘシグ(Buyankhishig)氏が待っていた。荷物を置いてすぐ文書管理局に行った。
昼食の後、文書管理局のパソコンでメールをチェックしようとしたが、日本語のサイトはまったく開けなかった。隣の建物にある国家文書館に行って、ある役人が買ったばかりのTOSHIBAのノートパソコンを使ってみても、日本語のソフト、フォントを入れていないため、日本語のサイトはやはり開けなかった。ダウンロードもなかなかできなかった。TOSHIBAなのに、なぜ日本語のソフトが入っていないのか不思議に思った。外観は立派だが、ソフトなどをチェックしてみたら、2001年、1999年版のものばかりで、どうみても贋物っぽかった。メールをチェックすることをあきらめて、管理局に戻って、職員たちと一緒にシンポジウムの準備の仕事をした。
夕方、ホテルにもどって、ホテルのパソコンを開けてみても、日本語のサイトは開けなかった。そして、ホテル周辺のインターネット・カフェ、国家郵便局のインターネットコーナーにも行ってみたが、日本語サイトはやはり開けなかった。この事情を知った総務課長のチンバト氏が、夕食の後、自宅のApple Mac Bookを持ってきてくれたので、やっと日本語のサイトに入ることができた。
翌朝、目を覚ますと、雨が降っていた。まさに干天の慈雨だと思った。
文書管理局に行くと、ウルズィバータル(Ulziibaatar. Demberel)局長がスケジュールなどを遂一確認して、直接準備作業を指揮していた。私は外事課、総務課などの方々と一緒に仕事をした。仕事はスムーズに進んだが、あまりに熱心だったので、やっと昼食を取ることができたのは3時すぎてからであった。
土曜日、雨が続いていた。シンポジウムの準備のため、午後4時まで、チンバト氏等と一緒に働いていた。その後、空港で、今西さんを出迎えた。東京から直行のモンゴル航空OM502便はほぼ予定通りに到着した。新潟大学の広川佐保準教授も同じ便だった。
大雨のなかのウランバートル空港(チンギス・ハーン空港)は、初めてモンゴルに来た今西さんにどんなイメージを与えたのか分からなかったが、車のなかで、今西さんは「この空気がいい」と言った。モンゴルでは、「雨を持ってきた人」という言葉は相手を誉める言葉なので、チンバト氏の挨拶もこの言葉から始まった。意外にも、「雨」「雨を持ってきた人」という話題は会議修了まで終始続いた。
モンゴル国家文書管理局長、文書館長などが仕事で地方の県に視察に行っていたため、ウランバートルホテルで、チンバト氏が文書管理局を代表して、今西さんとわたしを招待してくれた。外交辞令のやりとりもあったが、話はもちろんシンポジウムと同文書管理局の仕事のことが中心であって、わりに気軽だった。
今西さんがモンゴル料理になれるかどうか心配していたチンバト氏は、今西さんに好きなものを注文させた。料理はモンゴル+西洋式のものであった。今西さんはウラバートルのモンゴル料理はこんなにヨーロッパ的なものだと思っていなかったそうだ。
日曜日、雨がやむ様子がなく、むしろ激しくなってしまった。天気予報では、「25日まで雨」ということで、私たちは心配し始めた。
文書管理局外事課の方は日曜日もシンポジウムの準備の仕事をしていた。わたしは少し手伝ってから、午前10時40分に空港に行って、北京大学の陳崗竜教授を迎えた。
空港から戻って、大雨のなか、私と今西さんは国家百貨店の7階のレストランで「中華料理」を注文した。野菜の前菜だが、牛乳(ヨーグルト?)がいっぱい入っていた。値段は東京に負けないほど高かった。物価の高騰を実感した。
午後、SGRA研究員のマイリーサさん、ブレンサインさん、ヤロスラブさん、包聯群さんと昭和女子大学のフフバートル准教授等が中国国際航空CA421便で来る予定で、私は文書管理局の職員と再び空港に行った。16時30分に到着予定だったが、空港で2時間も待った。中国国際航空の遅延はこれだけではなく、それ以降も遅延し続け、会議の参加者に多大な不便を与えた。
19時、モンゴル出身のSGRA会員マンダフ・アリウンサイハンさんが手配したアイリッシュ・パブ(Grand Khaan Irish Pub)で、今西さんが在モンゴル日本大使館参事官小林弘之氏、モンゴル日本センター所長中村光夫氏、同大使館小山勲三等書記官、深井啓専門調査員等を招待した。昭和女子大学のフフバートル準教授、SGRA研究員のブレンサインさん(滋賀県立大学準教授)、マイリーサさん、アリウンサイハンさん、ヤロスコフさん、包聯群さんと私も参加した。
快適な雰囲気のなか、みな食事をしながら、自己紹介をし、今回の会議、SGRAの事業、モンゴルの総選挙、資源などについて歓談した。
小林参事官は有名なモンゴル通で、モンゴル国に進出した日本の企業、日本大使館の事業、モンゴル人留学生に対する支援、モンゴル国の現状、鉱山開発問題などについて紹介してくれた。また、今回の選挙についても詳細に分析した。結局、のちの選挙の結果は、ほぼその通りであった。氏はまた、自分の経歴を紹介しながら、研究者の道を選んだ私たちに貴重なアドバイスをした。
中村光夫所長は、JICAの仕事で、長い間トルコやアフリカの国で滞在経験があり、去年5月にモンゴル・日本センター所長に赴任。モンゴル・日本センターはモンゴルと日本両国間の理解を促進するために2002年6月に日本政府の無償資金協力で建設された。中村所長は、自分が経験したJICAの仕事や同センターがおこなってきた人材育成などの事業について語った。
今回のシンポジウムの開催にあたって、同センター主任ボロルサイハン(Bolorsaikhan. B)氏にたいへんお世話になった。本来ボロルサイハン氏もこの招待会に参加予定だったが、都合によって欠席になったことは、とても残念だった。
今西さんから、これからのモンゴルにおけるSGRAの事業に対して、日本大使館とモンゴル・日本センターからご支持とご協力を要請し、小林参事官と中村所長両氏は快諾し、わたしたちにいろいろアドバイスをしてくれた。
月曜日、雨がやんだり、降ったりしていた。
夕方、ウランバートルに戻ってきたモンゴル国家文書管理局長ウルズィバータル氏がレストラン・ソウルで今西さんを招待した。韓国系の料理店と言われているが、モンゴル・ヨーロッパ風の料理にした。モンゴル科学アカデミー歴史研究所の所員で、日本の東北大学で博士号を取得したオユンジャルガル(Oyunjargal. Ochir)さんが上手に通訳した。
ウルズィバータル局長は「モンゴルでこのように雨が降るのは珍しい。雨を持ってきた日本の今西代表に感謝したい」と語り、今西さんは「持ってきた雨が多すぎたかもしれない」と言って、選挙というたいへん忙しいところで、積極的に協力してくれたモンゴル国家文書管理局に感謝の意を述べた。冗談も混じえながら、今回のシンポジウム、そしてこれからもお互いに協力していくことについてまじめに話し合った。最後は記念品を交換した。
この日、モンゴル航空、大韓航空の便に乗った3名の日本人の研究者は、夜ウランバートルに到着した。その後、14時間以上も遅延した中国国際航空CA901便に乗った数名の研究者は、夜中になってやっとホテルに到着した。(続く)
写真による報告(その1)はここからご覧ください。
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<ボルジギン・フスレ☆ BORJIGIN Husel>
博士(学術)、昭和女子大学非常勤講師。1989年北京大学哲学部哲学科卒業。内モンゴル芸術大学講師をへて、1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士号取得。「1945年の内モンゴル人民革命党の復活とその歴史的意義」など論文多数発表。
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2008.07.01
レポート第45号
第30回SGRAフォーラム
「教育における『負け組』をどう考えるか~日本・中国・シンガポール~」講演録
2008年9月20日発行
【発表1】佐藤 香(東京大学社会科学研究所准教授)
「日本の高校にみる教育弱者と社会的弱者」
【発表2】山口真美(アジア経済研究所研究員)
「中国の義務教育格差~出稼ぎ家庭の子ども達を中心に~」
【発表3】シム・チュン・キャット(東京大学大学院教育学研究科博士課程)
「高校教育の日星比較~選抜度の低い学校に着目して~」
【オープン・フォーラム】
進行:孫 軍悦(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
パネリスト:発表者全員
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2008.06.25
レポート第44号
第29回SGRAフォーラム
「広告と社会の複雑な関係」講演録
(2008年6月25日発行)
<もくじ>
【基調講演】関沢 英彦「広告と社会の複雑な関係」
(東京経済大学コミュニケーション学部教授・博報堂生活総合研究所エグゼクティブフェロー)
【発表1】徐 向東「中国における社会変動と企業のマーケティング活動」
((株)中国市場戦略研究所代表取締役・SGRA人的資源と技術移転研究チームチーフ)
【発表2】オリガ・ホメンコ「ウクライナにおける広告と社会の複雑な関係~広告がなかった時代からグローバル化の中へ~」
(早稲田大学国際教養学部訪問学者、学術振興会外国人特別研究員、SGRA研究員)
【パネルディスカッション】「広告と社会の複雑な関係」
進行:関沢 英彦
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2008.06.23
下記の通り、SGRAでは初めてモンゴル国ウランバートル市でシンポジウムを共催いたします。
● 国際シンポジウム in ウランバートル
「アーカイブズ・歴史・文学・メディアからみたグローバル秩序―北東アジア社会を中心に―」
プログラム(英文)
発表要旨集(英文)
主催: モンゴル国家文書管理局、関口グローバル研究会(SGRA)、モンゴル科学アカデミー歴史研究所、モンゴル日本センター
後援: 在モンゴル日本大使館、モンゴル国立大学、モンゴル国際研究所、東京外国語大学
協賛: 渥美国際交流奨学財団、守屋留学生交流協会、高澤三次郎国際奨学財団、三菱商事、三井住友銀行、鹿島建設
○ 日程:2008年6月23(月)~25日(水)
○ 会場:モンゴル・日本センター、モンゴル国家文書管理局(モンゴル国ウランバートル市)
○ 開催の趣旨:
近現代北東アジア地域の社会秩序の再編において、旧ソ連、日本、アメリカ、中国はきわめて大きな役割を果たしてきました。一方、冷戦後の北東アジア社会においては、グローバル化が急速に進められているものの、同地域内の各国は政治、経済、民族、文化等多くの面で矛盾や葛藤を抱えており、相互関係はますます複雑になっています。本シンポジウムは、20世紀以降、激変する北東アジア社会の複雑な状況を視野に入れながら、歴史、文学、メディア、アーカイブズという社会の基礎的な情報源から得られるデータの分析過程の中に、この地域の一元化と多元性の葛藤という今日的であると同時に歴史的である問題を取り込み、現代北東アジア社会のグローバル秩序の歴史的背景とその今日的意義を考え直し、北東アジアの地域秩序はどのようなプロセスをへて構築されたか、これからどのように構築していくか等をめぐって、特色ある議論を展開することを目的とします。同時に、こうした議論、対話を実現するために、関係諸国のアーカイブズ情報の資源化とネットワークの形成をめざしています。
○ テーマ:
セッション1:歴史・メディア・アーカイブズからみた北東アジアの社会秩序:過去・現在と課題
セッション2:北東アジア文学の中の社会像・世界像
セッション3:アジア主義論からアジア共同体へ
セッション4:北東アジア地域アーカイブズ情報の資源化とネットワークの形成にむけて
○ 参加者:
日本、中国、韓国、オーストラリア、ドイツ、ロシアなどの国、地域からの研究者約25名、モンゴル国からの研究者約25名。
○ 公用語: モンゴル語、英語、日本語、ロシア語。
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2008.04.11
レポート第43号
渥美奨学生の集い講演録
平川 均 「鹿島守之助とパン・アジア主義」
2008年3月1日発行
鹿島守之助博士は、今日、鹿島建設元社長として昭和期を代表する卓越した実業家であると同時に、政治家、外交史研究者でもあった人物として知られている。日本の外交研究とそれに関する活動にも多大な貢献を果した。しかし、彼が1920年代後半以降、生涯を通じて、独特なアジア主義者として「アジア連盟」あるいは「アジア共同体」の理想を追求した人物であったことを知る人は少ない。彼が73年に、かつての生家・永富家の一角に「わが最大の希願は、いつの日にか パンアジアの実現を見ることである」と刻んだ碑を建立していたことを知れば、意外に思う人がほとんどであろう。実際、彼の国際政治や外交に関する膨大な著作や政治活動の軌跡を辿るならば、彼は確かに「汎(ハン)アジア」「パン・アジア」を悲願としており、大戦後の多彩な社会活動も彼の思想と深く関っている。
彼のアジア主義はどのような思想であり、その思想に駆り立てたものは何か、彼の思想が「大東亜共栄圏」によって象徴される日本のアジア侵略の試練とどう関り、その試練をどう潜り抜けてきたか、彼の構想が戦後むしろ省みられないできたのは何故かなどである。
東アジア共同体への関心が21世紀に入って急速に高まっている現在、鹿島博士のパン・アジア論に改めて光を当てることによって、今日の東アジア共同体に資する何かを発見できるのではないか。報告ではほぼ時代に沿って鹿島のパン・アジア論の生成と変遷をみた後、その思想と論理の特徴を確認したい。そのことによって上述の疑問の幾つかに回答を試みたい。
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2008.03.21
■日 時: 2008年7月20日(日)14時~18時、19時半~21時
■会 場: 鹿島建設軽井沢研修センター会議室
■フォーラムの趣旨:
国家と国家の間で平和と安定が維持されるためには何が必要となるのか。この問題に関して国際政治学の世界では、様々な研究がなされてきた。その一つとして、経済や文化、あるいはスポーツの交流が国家間関係の安定と地域秩序の平和に重要な機能を果たすという理論がある。いわゆる機能主義的な平和理論である。その理論は冷戦時代に米ソ関係、米中関係、そして東西ドイツ間の関係に適用され一定の成果をあげることができた。実際にこれらの関係においては、文化やスポーツの活発な交流が体制の安定に寄与したといわれている。激しい戦争なしに冷戦構造を溶かすことができたのは、両陣営の間で推進されてきた文化やスポーツ交流の影響もあったのではないだろうか。
東北アジアは、歴史や領土問題をめぐる葛藤などによって、世界的にも不安定な要因が多数残されている地域の一つとして指摘されてきた。韓半島での南北対立は依然変わらない状況である。日本と中国の間でも、歴史問題をはじめ、ガス田開発競争など葛藤の火種が伏されている。しかしこの地域でも、文化とスポーツの交流は互いの誤解と葛藤を溶かす鍵になるのではないだろうか。
注目すべき点は、1964年には日本が、1988年には韓国がオリンピックを開催した経験を持ち、今年は北京オリンピックを控え、東北アジアの主要な国家が世界的なスポーツ交流の場を提供し、また提供しようとする事実である。ほぼ20年ごとにこの地域で開かれる世界のスポーツ祭典・オリンピックは、果たしてこの地域に何をもたらしたのか。そして今、開かれようとする北京オリンピックは何をめざすべきなのか。その目標はいかに達成できるのか。
<東アジアの安全保障と世界平和>研究チームでは、日中韓の研究者を招いて、上記のような問題を共に議論していきたい。この地域で開かれたオリンピックが、各国家の発展のみならず、地域秩序の変化に及ぼした影響を検討し、文化やスポーツ交流のあるべき姿を探る機会にしたい。
■プログラム
【基調講演】清水 諭(筑波大学体育専門学群教授)
「オリンピック・スタディーズと東アジア」
【講 演1】池田慎太郎(広島市立大学国際学部准教授)
「日本からみたオリンピック-東京オリンピックと1960年代の東アジア」
【講 演2】朴 榮濬(韓国国防大学校副教授、 SGRA研究員)
「韓国からみたオリンピック-ソウル・オリンピックと冷戦」
【講 演3】劉 傑(早稲田大学社会科学総合学術院教授)
「中国からみるオリンピック-北京オリンピックと東北アジアの未来
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【パネルディスカッション】進行:南基正
(韓国国民大学国際学部副教授、SGRA研究員)