SGRAの活動

  • 2012.06.13

    第2回日台アジア未来フォーラム「東アジアにおける企業法制の継受及びグローバル化の影響」報告

    2012年5月19日、国立台湾大学法律学院の国際会議場で第2回日台フォーラム「東アジアにおける企業法制の継受およびグローバル化の影響」が開催された。今回のフォーラムの趣旨は法制史の観点から、19世紀末に東アジア各国の企業法制がどのように西洋法制を継受したか、そして20世紀を通して現在に至るまで、これらの企業法制がグローバル化の影響を受けながら、どのように変容してきたかということを明らかにするもので、当日の参加者は約150名であった。   開幕式では、国立台湾大学法律学院・蔡明誠院長、渥美国際交流財団・渥美伊都子理事長、台湾法学会・王泰升理事長が開幕のスピーチをしてくださった。次に、慶応義塾大学法学部・宮島司教授が「会社法はどこへ」という題名で基調講演を行った。宮島教授は日本会社法について、明治期の商法典から2006年実施した新会社法までを4つの時期に分けてそれぞれの変遷を丁寧に説明し、各時期の改正では大陸法系、あるいは英米法系の影響をどのように受けたかということをも紹介した。また、近時、日本会社法における株式会社の機関設計ないし企業統治の規範内容に対して鋭い見解を示した。その後、元台湾司法院院長・中原大学講座教授・頼英照教授が「社外取締役制度から見た外国法の移植」という題名で基調講演を行った。頼英照教授は最初に台湾会社法の沿革を詳細に紹介し、2006年、台湾証券取引法がアメリカ法を模倣して導入してきた社外取締役制度を例として、外国法制の移植の善し悪しに言及した。   第1セッションは、国立政治大学法学院・頼源河教授が座長を担当し、「西洋法の継受期のアジア各国における企業法制」というテーマで3名の学者が報告を行った。東洋大学法学部第一部・後藤武秀教授は「台湾における西洋近代法の受容と慣習法の調整:台湾の伝統的会社組織である合股を例として」という題名で報告を行った。後藤教授は日本統治時代の台湾においては、西洋法の継受国である日本が統治しているとしても、最も盛んだった企業形態は家族経営からなる合股であったことを紹介した。合股は現代法の観点から言うと、組合という概念に類似している。このような特殊の組織形態は台湾独自の慣習法として樹立している。韓国国立忠南大学法学専門大学院・李孝慶准教授は「韓国における企業法制の継受と改革」という題名で報告を行った。李准教授は日本統治時代の韓国において、1912年朝鮮民事令により日本商法が適用され、1948年韓国政府樹立以降、1962年までこの商法が引き続き適用されてきたことを紹介した。これに加えて、韓国の商法はその後も何度も改正されたにもかかわらず、内容的には日本法をモデルにしたものが依然として多く、日本法から強い影響を受けたと言えよう。国立台湾大学法律学院・蔡英欣助理教授は「法律移植と既存規範との衝突、調和:日本商法及び20世紀初期の中国会社法制を中心として」という題名で報告を行った。蔡助理教授は日本商法と中国会社法制が制定された際に、両者が同じ課題、すなわち慣習法を無視し専ら西洋法を継受したことに対して経済界が猛反発したという課題に直面したことに言及し、国が外国法を継受する場合には自らの慣習を重視する必要性を強調した。   第2セッションは、常在国際法律事務所・林秋琴パートナーが座長を担当し、「第二次世界大戦後のアジア各国における企業法制」というテーマで3名の学者が報告を行った。慶應義塾大学法務研究科・高田晴仁教授は「第二次大戦後の日本の企業法制:1950年商法改正を中心として」という題名で報告を行った。第二次大戦後、敗戦後の日本はGHQの指示を受けて、法制度を大幅に改革した。日本商法もその中の一つであった。1950年商法改正により、アメリカ法をモデルとして、授権資本制度や株式会社の機関権限の新たな配分といった改正が行われ、今日の日本会社法の基礎になったといえよう。ただ、このような改正内容は日本の風土に合わないものが少なくないと強調した。国立台湾大学法律学院・黄銘傑教授は「東アジア各国における競争法の継受」という題名で報告を行った。黄教授は日本、台湾、韓国と中国など東アジア各国が現代競争法をいつ、またどのように制定したかを紹介した。周知のように現代の競争法の原型は1890年アメリカのシャーマ法である。東アジア各国は競争文化を欠いたが故に、アメリカの競争法を継受した際に異なった規範モデルを制定したということを指摘した。香港大学法学院・呉世学教授は「第二次世界大戦後の香港会社法の展開」という題名で報告を行った。呉教授は香港の会社法について、従来イギリス法の影響を受けた一方、近時、自らのモデルを模索していると指摘した。また、香港の行政機関の統計データにより、近時、香港で会社設立の数は飛躍的に増加していることを紹介した。   第3セッションは、萬國法律事務所・顧立雄パートナーが座長を担当し、「グローバル化時代のアジア各国における企業法制」というテーマで3名の学者が報告を行った。まず、中国人民大学法学院・楊東准教授は「全球化時代中国会社法の改革と整備」という題名で、中国会社法の形成ないし変遷を紹介した。中国は、1993年に国有企業を改革するために初めて会社法を公布してから、近時、国有企業ではなく一般企業を視野に入れ、企業の株主保護を重視してさまざまな改革を行ったと説明した。明治学院大学法学院・来住野究教授は「日本における近時の会社法改正と企業統治のあり方」という題名で、近時、日本の会社法において企業統治のあり方を検討した。2002年日本商法改正により、アメリカ型の委員会設置会社が導入されたが、現在に至っても、かかる新制度を利用した企業の数はほんのわずかである。このような改正結果をいかに評価するか、と問題を投げかけた。国立台湾大学法律学院・邵慶平准教授は「根本的な会社民主観念:グローバリゼーションの下での台湾会社法の堅持と示唆」という題名で、台湾会社法は長年、何度も改正されてきたが、アメリカ法のように取締役会優位主義を採用するようになった。取締役会優位主義を採用しているといっても、いくつかの近時の判決から、今の時代でも株主権は依然として相当に重視されているという動向が見えると強調した。   オープンフォーラムは、国立台湾大学法律学院・王文宇教授が座長を担当し、第3セッションで報告した楊東准教授(中国)、来住野究教授(日本)、邵慶平准教授(台湾)及び呉世学教授(香港)がパネリストとして参加者からの質問を受け、活発な議論を行った。最後に、今西淳子常務理事および王文宇教授が閉幕スピーチを行い、フォーラムは成功裡に終了した。   (文責:蔡英欣)   フォーラムの写真(1)   フォーラムの写真(2)   アンケート集計   (基調講演)頼英照「社外取締役制度から見た外国法の移植」日本語訳  
  • 2012.06.10

    レポート第61号「東アジア共同体の現状と展望」

    SGRAレポート61号本文 SGRAレポート61号表紙   第41 回日SGRAフォーラムin蓼科 講演録 「東アジア共同体の現状と展望」 2012年6月18日発行   <もくじ> 【基調講演1】東アジア共同体形成における「非伝統的安全保障」        恒川惠市(政策研究大学院大学副学長)   【基調講演2】ASEANと東アジア共同体       黒柳米司(大東文化大学法学部教授)   【発表1】韓国と東アジア共同体       朴 栄濬(韓国国防大学校安全保障大学院副教授)   【発表2】中国の外交戦略と「東アジア共同体」       劉 傑(早稲田大学社会科学部教授)   【発表3】台湾・香港抜きの「東アジア共同体」は成立するのか?~脱「中心」主義で安定した共同体を~      林 泉忠(琉球大学法文学部准教授)   【発表4】モンゴルと東アジア共同体~資源開発とモンゴルの安全保障~      ブレンサイン(滋賀県立大学人間文化学部准教授)   【発表5】北朝鮮と東アジア共同体~北朝鮮とどのように付き合うのか~       李 成日(韓国東西大学校国際学部助教授)   【パネルディスカッション】東アジア共同体の現状と展望       進行:南 基正(ソウル大学日本研究所HK教授)       パネリスト:上記講演者  
  • 2012.06.06

    第44回SGRAフォーラム in蓼科「21世紀型学力を育むフューチャースクールの戦略と課題」へのお誘い

    下記の通り長野県蓼科にて第44回SGRAフォーラムを開催します。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。SGRAフォーラムはどなたにも参加いただけますので、ご関心をお持ちの皆様にご宣伝いただきますようお願い申し上げます。また宿泊の手配が必要な方はご相談ください。   日時:2012年7月7日(土)10:00~17:00 その後懇親会   会場:東京商工会議所蓼科フォーラム研修室A    〒391-0213 長野県茅野市豊平チェルトの森    電話 0266-71-6600   申込み・問合せ:SGRA事務局    電話:03-3943-7612    ファックス:03-3943-1512    Email:[email protected]   参加費: 無料   【フォーラムの趣旨】   SGRA「人材育成」研究チームが担当するフォーラム。   21世紀の幕開けとともに各国で急激に普及し始めたインターネットと携帯電話などの情報通信手段は、今では私達の生活の中で欠かせない存在となりつつある。しかもその変化のスピードがますます速まり、膨大な量の情報が氾濫している。こうした背景の中で、知識の暗記よりも情報通信技術の習得とともに世界につながるネットワークとその中に集まる知識と情報を活用できる能力が重要視され、次世代を担う人づくりを目指す学校教育のあり方にも大きな変化が迫られている。   新しい時代への対応を図るべく、アメリカ、イギリス、韓国、シンガポールなどでは90年代の後半から教育情報化政策が推進され始め、近年には国家目標に設定され、より本格的な導入に向けた動きが具体化している。日本でも1999年に全公立小中高校がインターネットに接続でき、全公立校教員がコンピュータの活用能力を身につけられるようにする「ミレニアム・プロジェクト」がスタートし、2010年からは総務省と文部科学省の推進のもと2020年までにフューチャースクールの全国展開を目指す事業も始動した。一方、新しい情報通信技術が次々開発されるにつれ、機械や機器には決して置き換えられないものがあることがますます鮮明になり、人間関係の大切さがより強調される中で生身の人間をもとにしたコミュニケーション能力が果たしてフューチャースクールで育成されうるかという懸念の声もある。   本フォーラムにおいては、世界最先端をいく韓国とシンガポールを中心にそれぞれの国の経験と現状について議論を交わす場を提供し、学びのイノベーションに関する理解と交流を深めつつ、フューチャースクールの今後の方向性について考えていきたい。   【プログラム】   詳細はここををご覧ください。   【基調講演1】次世代を担う人づくりとは          赤堀 侃司(白鴎大学教育学部長)   【基調講演2】日本のICT教育の現状と今後         影戸誠(日本福祉大学教授)   【発表1】韓国のフューチャースクール構想         曺圭福(韓国教育学術情報院研究員)   【発表2】シンガポールの教育におけるICT活用の動向と課題について         シム チュンキャット(日本大学非常勤講師)   【発表3】ICT機器を利活用した学習活動         石澤紀雄(山形県寒河江市立高松小学校)   【パネルディスカッション】   
  • 2012.03.07

    第11回日韓アジア未来フォーラム「東アジアにおける原子力安全とエネルギー問題」報告(1)

    金 雄煕 「第11回日韓アジア未来フォーラムを終えて」   2012年2月25日、高麗大学校経営館で「東アジアにおける原子力安全とエネルギー問題」というテーマで第11回日韓アジア未来フォーラムが開催された。昨年3月の福島原発事故後、ほぼ1年が過ぎようとする時点で、「本場」では真正面から取り上げにくいということと、東アジア(協力)という視点も必要という判断から、先ずはソウルで議論してみることになった。 今回のフォーラムの講師の顔ぶれは「大物」が多く、また全く違う立場から原発問題を考えているという特徴があった。   基調講演者の金栄枰(キム・ヨンピョン)先生は長年韓国で原子力問題を研究され、原子力政策フォーラム理事長を務める方である。役職からも予想されるように、明らかに原子力の必要性と安全性を強調する「教科書的」な議論を展開した。 これに対し、多彩な経験をお持ちの田尾陽一さんは、「福島再生」という観点から、除染作業など現場での再生努力の一部を紹介した。田尾さんとはフォーラムの一週間ほど前、東京でお会いする機会があったが、その時、孫正義さんを「孫くん」と呼んでいたことと、美味しい「福島産放射能マツタケ」の話に驚いた。田尾さんの議論がちょっと浮いてしまうかもしれないという心配もあったが、とても「新鮮な」議論であり、オーディエンスからの受けもよく、見事に当った結果となった。   全鎮浩(チョン・ジンホ)さんは福島原発事故以来、韓国で最も忙しくなった国際政治学者の一人で、中立的観点から東アジアにおける原子力安全協力の重要性を強調した。 最後のスピカーの薬師寺泰蔵先生は「科学技術と国家の勢い」という文明史的観点から「坂の上の雲」としての原発の必要性について力説した。田尾さんとは長いお付き合いのようで酒席などでは議論がよく噛み合うような感じだったが、原子力問題となると、目には見えないものの、相当隔たりがあるような気がした。   このフォーラムの創立メンバーの李元徳(イ・ウォンドク)さんの司会で行われたパネル討論では、ウクライナのオリガ・ホメンコさんによる貴重なチェルノブイリ体験談や経済学者の洪鍾豪(ホン・ジョンホ)さんのコンパクトな提案を聞くことができた。時間が限られていたせいか、案外激論もなく閉会した。   食事会では、奈良の今西酒造「春鹿」で「一気飲みラブショット乾杯」があったといわれている。しかし、残念なことにその場に遅れて到着したため直接確認することはできなかった。「春鹿」は2009年度の第9回慶州フォーラムで奈良から空輸してきた一升瓶が目の前で割れて消えてしまう大事件があって以来、日韓アジア未来フォーラムの公式乾杯酒となっている。未来人力研究院の李鎮奎(リ・ジンギュ)先生が法事で早く帰られた関係で飲みが足りなかったせいか、場所を変え宿泊先の有名なドイツビール屋でもう一杯をしたあと、第11回フォーラムは終了した。   韓国側主催の時にいつも感じることだが、私の予想からしては「満員御礼」に近いレベルの(李先生に動員されたかもしれない)聴衆の数に驚いた。終了まで席を外すことなく真摯に講演や議論を一生懸命聞いてくれた学生諸君にこの場を借りて感謝したい。当たり前のことだが、このフォーラムを形にしてくれた今西さん、石井さん、金キョンテさん、そして忙しいところ参加してくれた韓国SGRAの皆さんにも感謝しなければならない。とくに素敵な食堂に案内してくれた幹事の韓京子(ハン・ギョンジャ)さん、本当にお疲れ様でした。   最後にちょっとした心残りと次回フォーラムのご案内。異なる立場からの素晴らしい講演のわりには立ち入った議論に踏み込めなかった限界は残したものの、いつものように、本当に、形式、内容、そして番外の三拍子が揃った素晴らしいフォーラムであったと思う。次回フォーラムは今回のフォーラムのセカンド・ラウンドとして福島でという動きがあるということにご注目!ぜひふるって参加してください。 (仁荷大学国際通商学部教授)   当日の写真(金範洙撮影)   2012年3月7日配信
  • 2011.11.30

    第42 回SGRAフォーラム「アジア地域エネルギー供給セキュリティ及び建築分野の省エネルギー」報告

    2011年10月29日(土)午前9時半から午後5時半まで、SGRA、北九州市立大学、早稲田大学及び日本建築学会アジア地域における建築環境とエネルギー消費検討小委員会が共同で第42回SGRAフォーラムを開催した。本フォーラムでは、2名の先生方の基調講演に続いて、日本学術振興会若手研究者交流支援事業により北九州市立大学が招聘したアジアの若手研究者が、各国の都市・建築省エネルギーの現状及び政策について発表した。 SGRA代表今西淳子氏、北九州市立大学建築都市低炭素化技術開発センター長黒木荘一郎氏、日本建築学会アジア地域における建築環境とエネルギー消費検討小委員会主査張晴原氏がそれぞれ挨拶を行い、省エネルギー事業とアジア地域の習慣・文化を配慮した対応と、正確な情報提供の重要さを強調した。 最初に、(株)住環境計画研究所代表取締役所長中上英俊氏が「アジアにおける省エネルギー政策の重要性」と題した基調講演を行った。中上氏は東南アジア諸国(タイ、インド、ベトナム)におけるエネルギー消費の実態と見通し、また省エネルギー法を始めとする各国の省エネルギー政策の現状について報告し、それらの実態に基づいて、今後のアジアの省エネルギーのあるべき姿、日本の役割などを指摘した。 続いて、早稲田大学准教授高口洋人氏が「カンボジアの建築における成長とエネルギー消費に関する一考察」という基調講演を行った。高口氏は2009 年からカンボジアでエネルギー消費量やライフスタイルの調査を続けている。同氏は、東南アジアの新興国が、日本のような大量生産・大量消費社会を経ずに、いま何をすればサステイナブル社会に軟着陸できるのかという点について議論を広げ、カンボジアにおけるエネルギー消費実態を見ながら、どのような住宅やエネルギーシステムを提供すべきなのか、またそこで先進国はどのような役割を果たすべきか提案した。 午後の研究報告では、5ヶ国からの7名の若手研究者がそれぞれ国の省エネルギー事情及び取り組みについて報告した。インドネシアのBudi Faisal博士及びBeta Paramita氏は、バンドンの都市構造と環境エネルギーの関係について報告した。フィリピンからのStephanie N. Gille氏とJosefina S. De Asis氏はフィリピンのエネルギー消費現状及びマニラを中心とした省エネルギー及びグリーン建築の取り組みについて紹介した。インドのNicholas Iyadura氏はインドが世界で最も少なくエネルギーを消費し、最も少なくCO2を排出していることを説明し、先進国のような大量消費・大量排出の社会構造になると持続が不可能になるので、持続可能な発展はインドにとって重要な課題であることを力説した。タイのSuapphong Kritsanawonghon氏はタイのエネルギー実態及び省エネルギーの政策について報告した。オーストラリアのAndrew Irelan氏はオーストラリアにおける省エネルギー・環境分野の主な二つ制度であるNABERSとGREENSTARを紹介し、省エネルギー政策に関して、市場の力の重要性を強調した。 パネルディスカッションでは、Max Maquito博士が巧みに「エネルギーと環境」というフォーラムのテーマを、彼の専門である「市場と経済」に変えてしまった。そのおかげで、エネルギーと環境だけに留まらず、より広い話題を議論することができた。 参加してくださった皆さん、誠にありがとうございました。 フォーラムの写真 今西勇人撮影 ルィン撮影 (文責:高偉俊) 2011年11月30日撮影
  • 2011.11.23

    アジア未来会議のお知らせと発表論文募集

    SGRAでは、新事業「アジア未来会議」を立ち上げました。アジア未来会議は、日本に留学し現在世界各地の大学等で教鞭をとっていらっしゃる皆さん、その指導を受けた若手研究者の皆さん、研究所や企業等で研究や活動を続けていらっしゃる皆さん、そして日本の大学院で研究を続けている留学生の皆さん、国際交流に関心のある日本の研究者の皆さんに、交流・発表の場を提供し、アジアの未来について議論していただくことを目的としています。   第一回は2013年3月に中国上海市で「地域協力の可能性」をテーマに開催し、その後隔年度ごとに日本を含むアジアの各都市で開催する予定で、第二回はインドネシア開催を検討しています。アジア未来会議では、自然科学、社会科学、人文科学を包括する広範なテーマを設定し、国際的かつ学際的に研究を続けている中堅・若手研究者の方々に参加していただきたいと思っております。勿論オブザーバー参加も大歓迎で、日本留学者の同窓会、あるいはネットワーク構築の場としてもご利用いただきたいと思います。   このたび、発表論文の募集を始めましたので、奮ってご応募くださいますようお願いいたします。また、お知り合いの方々へのご紹介、皆様が所属するメーリングリスト等でのご宣伝を、よろしくお願い申し上げます。 詳細はアジア未来会議ホームページ(日本語、英語、中国語対応)をご覧ください。   第1回アジア未来会議☆発表論文募集 【開催日】2013年3月8日(金)~10日(日) 【会 場】中国上海市(同済大学、上海財経大学、復旦大学) ◇自然科学シンポジウム「環境エネルギー技術の地域協力」  テーマ:環境、エネルギー    言 語:日本語、英語、中国語   ◇社会科学シンポジウム「アジアにおける地域協力」  テーマ:政治と外交、経済発展と開発、企業経営管理、教育と人材育成、その他  言 語:日本語、英語、中国語   ◇人文科学シンポジウム「アジアにおける地域交流」  テーマ:言語・言語教育、文学・文化・芸術、歴史、社会・生活、その他  言 語:日本語   発表論文を下記の要領で投稿してください。 1. アジア未来会議のホームページの「Registration」から登録してください。一度登録すればIDとパスワードにより何度でもアクセスし登録情報を改訂することができます。   2. 発表要旨を、下記の要領でアジア未来会議ウェブ上のご自分のページに投稿してください。   ◇自然科学:英語(250語以内)締め切り:2012年3月31日(土) ◇社会科学:英語(250語以内)締め切り:2012年3月31日(土) ◇人文科学:日本語(600字以内)締め切り:2012年3月31日(土)   3. 学術委員会による審査の結果を、2012年4月30日(月)までにEメールでお知らせします。   4. 合格通知を受け取ったら、論文の原稿(フルペーパー:A4判で最大10ページ)を、下記の要領で、アジア未来会議ウェブ上のご自分のページに投稿してください。   ◇自然科学:英語、日本語、または中国語 締め切り:2012年8月31日(金) ◇社会科学:英語、日本語、または中国語 締め切り:2012年12月31日(月) ◇人文科学:日本語 締め切り:2012年12月31日(月)   5. 学術委員会による最終審査の結果を、2013年1月31日(木)までにEメールでお知らせします。   その他 ◇優秀論文執筆者は参加費を免除します。 ◇優秀論文は、後日SGRAから発行する論文集に掲載します。論文執筆者には謹呈します。   ◇申請に基づく参加費補助があります。   ☆☆☆皆様のご参加をお待ちしています☆☆☆
  • 2011.10.26

    第6回チャイナフォーラム「Sound Economy-私がミナマタから学んだこと-」報告

    孫建軍「第6回チャイナ・フォーラムin 北京」報告 2011年9月23日、第6回SGRAチャイナ・フォーラムin北京が、国際交流基金北京日本文化センター(以下、日本文化センター)で開催されました。 今回のテーマは「Sound Economy-私がミナマタから学んだこと-」です。今年はより多くの社会人の参加を得るため、日本文化センターのご好意を得て、初めて大学のキャンパス以外に会場を移し、当会場で行われました。SGRA、日本文化センターの関係者のほか、大学生はもちろん、会社員、NGO関係者、日本大使館、中国外交部の外交官など40名近くが参加しました。 本日の講師の(財)水俣病センター相思社初代事務局長の柳田耕一氏は、まず10分ほどの映画『水俣病 その20年』を流しました。水俣病に苦しむ患者の衝撃的な映像にみんなが息を呑みました。そして、柳田先生は歴史を軸に、水俣、加害企業による公害の拡大、水俣病の深刻化及び企業や政府との戦いなど、世界的に水俣病が有名になるまでのことを、写真や資料を交えながら語ってくださいました。最後に、あらゆるMinamata Diseaseを防げる社会作りの大切さを訴えました。 社会人が多かっただけに、質疑応答では、質問の角度や中味の深さが一味違っていました。食品会社の社員からは中国で問題となっている「地溝油」(下水や生ごみから回収した油)の危害、NGOの職員からは有機水銀を埋立地に封じ込める具体的な方法、外交官からは水俣からチェルノブイリ、そして福島といった人的災害における構造的な背景など、どれもSGRAチャイナ・フォーラムの新しいテーマとして取り上げることもできるような内容の濃いものでした。 講演の最後に、司会を担当していた私は、過去のSGRAチャイナ・フォーラムを振り返って、社会の深刻な問題を前に「自分は何をすればいいか」という参加者から講師への共通の質問について、感想を述べました。深刻な社会問題に積極的に関わるには3つの「き」、つまり「勇気」「根気」「知識」が必要です。水俣病のために働く柳田耕一先生にしても、植林の高見邦雄先生にしても、アジア学生文化協会の工藤正司先生にしても、TABLE FOR TWOの近藤正晃ジェームス先生にしても、チャイナ・フォーラムの講師の方々はいずれも、これらの3つの要素を備えた方です。そして、若者として社会的責任を全うするために3要素を備えてほしいと呼びかけました。 今年のチャイナ・フォーラムのもうひとつの新しい試みとして、同じ日の午前中に北京大学日本言語文化学部の2年生を対象に、ワークショップが行われました。1年しか日本語を習っていないのですが、柳田先生のお話を真剣に聞く学生の表情は今までの授業風景にないものがありました。学生が寄せた感想文では、写真や映像のインパクトが語られ、中国の現状と結びつけながら、命の重さ、政府の責任、集団主義などについて言及する内容が多かったことから、今年のテーマも、例年と同じように、中国人学生に深く考える材料を提供できたようです。 (北京大学日本言語文化学部副教授) ☆北京大学の学生さんの感想文 ☆北京フォーラムの写真(劉健撮影) ☆北京とフフホトのフォーラムの写真(石井撮影) ネメフジャルガル「第6回チャイナ・フォーラムin フフホト」報告 第6回SGRAチャイナ・フォーラムin フフホトは、9月26日(月)内モンゴル大学学術交流センターで開催されました。同フォーラムには、内モンゴル大学、内モンゴル農業大学、内モンゴル師範大学、内モンゴル工業大学、内モンゴル医学院からの教師や生徒および内モンゴル草原環境保護促進会などNGO関係者を含めて約130人が参加しました。私が司会を務め、内モンゴル大学副学長・モンゴル学研究センター主任のチメドドルジ教授が開会の挨拶をしました。チメドドルジ教授は、SGRAチャイナ・フォーラムが2年連続で内モンゴル大学で開催されていることに対しSGRAに謝意を表し、工業化が急速に進んでいる今日の中国、特に地下資源開発によって経済成長を支えている内モンゴルは、環境問題において日本を含む先進国の経験から学ぶべきことが多いと指摘しました。SGRA代表の今西淳子さんは挨拶をし、SGRAの設立経緯、活動の趣旨について紹介しました。 今回のフォーラムは、特定非営利活動法人地球緑化の会副会長兼事務局長、モンゴル国ダルハン農業大学名誉教授、元(財)水俣病センター相思社事務局長の柳田耕一氏を迎え、グローバルな視点から、水俣でおきた人類史的な事件の事実と意味についてご講演いただきました。 水俣病は20世紀中期に発生した世界中でよく知られている環境問題であり、化学工場の廃液が海に流されて発生した公害病です。柳田先生は、病気の発生から行政の対応、市民活動の広がり、現在残されている課題などを中心に水俣病に関して詳しく紹介しました。公式発見から半世紀経った現在でも、抜本的な治療法は無く、被害の全体像の解明は進まず、地域経済は疲弊したままです。一方、水銀による環境汚染は世界中に広がり、酷似した症状をもつ人々も出現し、現在では微量水銀の長期摂取による健康影響に世界の関心は向かっているようです。 内モンゴル大学環境と資源学院の郭偉副教授が、柳田先生の講演に対してコメントをしました。郭先生は環境学の視点から柳田先生たちの活動を高く評価し、環境問題は人類共通の問題であり、若い学生たちが自ら環境保護に取り組むよう呼びかけました。また、内モンゴルの草原地帯における地下資源開発に伴う環境汚染問題を紹介しました。講演後柳田先生は、会場からの質問に対し丁寧に答えました。SGRA研究員で内モンゴル大学OB、滋賀県立大学准教授のブレンサイン先生が閉会の挨拶をしました。フォーラムの通訳はSGRA研究員、北京大学日本言語文化学部副教授の孫建軍先生が担当してくださいました。 (内モンゴル大学モンゴル学研究センター研究員) ☆フフホト・フォーラムの報告(中文)
  • 2011.08.03

    エッセイ301:マックス・マキト「マニラ・レポートin蓼科」

    2011年7月2日(土)にSGRA蓼科フォーラム「東アジア共同体の現状と展望」が開催された。休憩中にパネルディスカッション司会の南基正さんからコメントを発言するよう頼まれた。フォーラムの真っ最中にマニラの家にいる愛犬が静かに亡くなったという知らせを受け取った僕は集中力が乱れていたが、要請に応じて何とか発言した。しかし、わかりにくいところもあったと思うので、ここで改めて整理して、その後の印象と一緒に述べさせていただきたい。 今回の発表者のなかには東南アジアの代表がいなかったが、基調講演をしてくださった恒川惠市先生と、黒柳米司先生がASEANに関して十分に話してくださった。それに少しだけフィリピンの立場を付け加えたい。 スペイン帝国がフィリピンを米国に譲るというパリ協定が署名された一年後の1899年、16世紀からスペインの海軍基地であったスービックに、星条旗が初めて掲げられた。それから100年近くたった1992年、米海軍は撤退し星条旗は下ろされた。その後、予想通り、スービック地域の経済は低迷したが、フィリピン政府がそこに経済特区を設置した結果、地域経済は回復に向かった。 当時、米軍の撤退はどちらかというと良かったと思った。あの国はうっかりすると軍事力をもって地域介入する傾向が強いので、東アジア共同体の構築はやはり我々東アジア人に委ねるべきであろうと思った。冷戦ベビーである僕としてはこのような考え方は驚くべきことであった。冷戦の恐怖に育てられたものにとっては、守ってくれる米軍はどうしても欠かせない存在のはずだったからだ。 スービックから米軍が撤退した頃、東アジア共同体について楽観的になる展開がいくつかあった。たとえば、東アジアの暴れん坊である北朝鮮をこの地域に巻き込もうとする日朝平壌宣言とか、あるいは、共産主義を支えてきた中央計画経済を放棄した中国の市場経済の導入とか。当時は、アメリカがなくてもこの地域はやっていけるのではないかという前向きな気持ちが湧いていた。 このような希望を象徴する当時のあるテレビ番組を思い出す。ある日本の俳優が銀座でタクシーを拾う。運転手さんに「ロンドンまでお願いします」という。目指す方向は西。太平洋を経て西欧を目指した今までとは正反対の、まさにその時代の風向きである。 残念ながら、平壌宣言は失敗に終わった。北朝鮮は弾道ミサイルの開発を進め、命中率はともかく、その射程距離に東南アジアの一部分も入ってしまった。そして、市場経済から膨大な富と力を蓄えた中国が、東南アジアの心とも言うべき南シナ海において威圧的な軍事力をもって暴走し始めた。シンガポール、ベトナム、そしてフィリピンはこのような行動に反発している。恒川先生が指摘されたように、残念ながら東アジアではまだ冷戦が終わっていない。 あの冷戦の悪夢が蘇った現状では、どうすればいいのか。基調講演にも取り上げられた逆転の発想があった。それは、黒柳先生が言及された「弱者である」ASEAN主導型の東アジア共同体である。しかしながら、この構想は東アジアの先輩である日中韓が容認するかどうかまだはっきりしていない。ERIAという東アジア共同体のための研究機関の本部は、日本の支持も受けてジャカルタにあるASEAN事務局に設置されたから、日本はASEAN主導を支持しているようである。しかし、韓国はソウルに設置したかったという。いずれにせよ、このASEAN主導型の東アジア共同体構築という構想に日中韓の容認が得られるならば、ASEANは喜んで協力するであろう。 ただし、この構想が容認済みという前提であれば、逆に日中韓の協力が必要となる。この構想が上手くいくためにはASEANの団結が益々重要になる。東アジア共同体の構築はASEANの中の一国だけでできることではないからである。そう考えると、日中韓に対して、ASEANを分裂させるような行動を避けていただくようにお願いしたい。 国際分業化は恒川先生の共同体の定義にも入っているが、僕もその通りだと思う。日本の企業も東アジアの国際分業化に大きく貢献してきた。EUのような制度がなくてもこれだけ域内貿易が進んでいるのはその結果とも考えられる。しかし、最近の動きをよくみると、日系企業の東アジアへの進出はある特定の国や地域に集中的に行われるようになりつつある。それ故に、日本は共有型成長という素晴らしい理念を持っているにも関わらず、バランスを欠いた分業化に成りつつある。このような不均衡な状態は結局ASEANの団結に打撃を与えかねない。 中国はまだ東アジアの国際分業化に日本ほど貢献していないが、領土問題の取り組みはASEANの分裂を進める危険性が十分にある。中国は多国間の話し合いの誘いに応ぜず、二カ国間の話し合いにしか対応しない姿勢である。これはASEANの分裂にも繋がりかねない。二カ国間の政府レベルの話し合いの大部分は不透明であり、政府同士が納得できたといっても、必ずしもそれが国民にとって良いとは限らない。劉傑先生が引用された「(東)アジアは中国の共通な故郷である」という言葉で思い出した。昔、中国の艦隊がアジアの海を帆走し回っている航海時代もあったが、当時の西洋的な考えとは違い訪問先を植民地化するような方針はなかった。乗組員が訪問先の国を気に入って、そこに住もうと決心して居残ったこともあった。今の中国はその原点に回帰していただきたい。 韓国は、北朝鮮巻き込み作戦の失敗や市場経済の過剰な導入により、日中韓の中では一番東アジア共同体の必要性を痛感しているかもしれない。1997年に勃発した東アジア金融危機によりIMFから厳しい政策転換を余儀なくされ、韓国社会は多大な打撃を受けたし、北朝鮮からは死者が出る軍事攻撃を2回も受けたのであるから。それだけに、ソウルではなくジャカルタ(ASEAN本部)にERIA本部が置かれたのは韓国にとって悔しいであろうが、朴栄濬さんの発表にあったように、韓国が戦後すぐに太平洋同盟構想を発表したように、今でもASEANを信じてくれるようお願いしたい。 今回のフォーラムの内容について、SGRAの仲間たちもいろいろと考えたようだ。意外にも、中国本土の仲間たちがASEAN主導型の共同体構築に寛大な姿勢であった。「強者同士だけだと何もならない」、「問題の島はどの国のものでもなく、皆で共有すればいい」、「皆さんの話は客観的でいい」など。これに対して、「辺境」の東北アジアの仲間たちは、「中国中心にすべき」という意見が強かった。「ASEAN+辺境」と提案しても直ぐ中国のことが気になって否定された。 良き地球市民を目指しているSGRAは、それ自体が小さな東アジア共同体の構築をしようとする活動である。SGRAは僕にとって共同体構築の悲しさや喜びを分かち合える場でもある。ASEANも軍事同盟もなくなり、東アジアという共同体のみとなる希望の未来、僕がこの目で見ることは出来ないかもしれないが、今から仲間たちとその準備を始めたい。 -------------------------- <マックス・マキト ☆ Max Maquito> SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。 --------------------------
  • 2011.07.27

    第6回SGRAチャイナ・フォーラム「Sound Economy ~私がミナマタから学んだこと~」ご案内

    下記の通り北京とフフホトで開催いたしますのでご案内します。参加ご希望の方は、SGRA事務局までご連絡ください。   ★講演: 柳田耕一 「Sound Economy ~私がミナマタから学んだこと~」 【北京フォーラム】 日 時:2011 年9月23 日(金)午後7時 会 場:国際交流基金北京日本文化センター多目的室   【フフホトフォーラム】 日 時:2011 年9月26日(月)午後3時 会 場:内モンゴル大学学術会議センター第8会議室 主催: 渥美国際交流奨学財団関口グローバル研究会(SGRA) 協力: 国際交流基金北京日本文化センター 北京大学日本言語文化学部     内モンゴル大学モンゴル学研究センター フォーラムの趣旨:   SGRAチャイナ・フォーラムは、日本の民間人による公益活動を紹介するフォーラムを、北京をはじめとする中国各地の大学等で毎年開催しています。 昨年は認定NPO法人 緑の地球ネットワーク事務局長の高見邦雄氏に鉱山開発と北京の水問題について講演していただきました。6回目の今回は、元(財)水俣病センター相思社事務局長の柳田耕一氏を迎え、グローバルな視点から、水俣でおきた人類史的な事件の事実と意味についてご講演いただきます。フォーラムは日中逐次通訳付き。また、今回は北京大学で日本語を学ぶ学生を対象に、日本が経験した公害問題をテーマにしたワークショップを開催します。   講演要旨:   水俣病は20世紀半ばに発生した世界で知られる環境問題の一つです。それは日本の南部の漁村で発生しました。当初、被害者は劇症型の病像を呈していたため「奇病」として恐れられ、隔離されるなどの酷い仕打ちを受けました。折から日本は戦後の復興期の入り口にあり、僻遠の地に救済の手が差し伸べられるまでには長い時間がかかりました。   公式発見から半世紀経った現在でも、抜本的な治療法は無く、被害の全体像の解明は進まず、地域経済は疲弊したままです。一方で水銀による環境汚染は世界中に広がり、酷似した症状をもつ人々も出現し、Minamata Diseaseは世界共通語となっています、現在では微量水銀の長期摂取による健康影響に世界の関心は向かっています。   もう一つの側面として関心がもたれているのは、社会経済的分野です。開発重視、科学重視、利益重視、人権無視の経済運営は、生活の基盤である環境を歪め傷つけ最後には地域社会そのものを持続不可能にしてしまいますが、その象徴として水俣病事件を捉えることもできます。   講師略歴: 現職:特定非営利活動法人 地球緑化の会 副会長兼事務局長、モンゴル国ダルハン農業大学名誉教授、株式会社ティエラコム監査役 略歴:1950年熊本市生まれ。1973年東京農業大学中退。学生時代より水俣病被害者支援運動に参加。日本初の市民運動型財団・水俣病センター相思社の設立運動に参加し、1974年の設立と同時に初代の事務局長に就任。以来、水俣現地に於いて、水俣病発掘や裁判支援、様々な資料作成やイベントの企画などに関わる他、有機農法運動やフリースクール運動を立ち上げる。1989年相思社を退職し、その後いくつかの環境NGOに関わる。1996年より神戸に本社を置く民間企業の役員に就任する一方、環境NGO運動も継続し現在に至る。これまで100回以上に渡り、植林や環境問題調査目的で多くの国を訪問しNGOや市民と交流し、ミナマタの経験を伝える活動を行ってきた。水俣病問題や地球環境問題に関する著書あり。   プログラムは下記よりダウンロードしていただけます。 日本語版 中国語版 ポスターは下記よりダウンロードしていただけます。 北京フォーラムポスター フフホトフォーラムポスター
  • 2011.07.27

    南 基正「第41回SGRAフォーラム in 蓼科『東アジア共同体の現状と展望』」報告

    2011年7月2日、第41回目のSGRAフォーラムが「東アジア共同体の現状と展望」をテーマに長野県の東商蓼科フォーラムで開催された。SGRA「東アジアの安全保障と世界平和」研究チームが企画・開催するフォーラムとしては、2003年2月の第10回フォーラム「21世紀の世界安全保障と東アジア」、2005年7月の第16回フォーラム「東アジア軍事同盟の過去・現在・未来」、2008年7月の第32回フォーラム「オリンピックと東アジアの平和繁栄」 に次いで4回目である。 今回のフォーラムの目標は、ASEANと日中韓など、東アジアの諸国が提唱している様々な東アジア共同体論を引き出し、その共通項をまとめ、そのような構想が政策や制度として定着するためにはどのような課題に取り組むべきかについて東南アジア、日本、韓国、中国、香港、台湾、モンゴル、北朝鮮などの視点から点検することにあった。当初の企画意図は簡単な発想から出た。「SGRAには丁度いいばらつきで東アジアの国々からの研究者が集まっている。彼らは自国の事情をよく理解しつつも、留学を含め海外での研究歴が長く、その間多様な出身国の研究者と交わったことがあるから、隣の国々の事情をもよく考えて、物事を発想し伝えることができる。このような研究者が集まっていること自体が、この地域で何か新しいものを形にしていく基盤となるだろう。それを表に引き出してみよう。」このフォーラムはそのような発想から企画された。 開会の辞で今西淳子常務理事は、アジアのなかに共同体のような形で平和の枠組みを構築することは、祖父である鹿島守之助・元鹿島建設会長の遺志であったと語った。改めてSGRAフォーラムで東アジア共同体を論じることの意義が大きく感じられた。 フォーラムは長くこの問題に携わり発言してきた2名の講演者の基調講演から始まった。まず、恒川惠一・政策研究大学院大学副学長が「東アジア共同体形成における『非伝統的安全保障』」という題目で講演を行った。恒川教授は、一般に共同体の条件として「分業の成立」と「不戦への合意」の二点があることを踏まえ、東アジアの地域において依然として影響力のあるアメリカのヘゲモニーと戦争よりは現状維持がいいという認識の拡大によって時間を稼ぎながら、経済の地域統合と機能的協力を重ねていくことで、上の二点を実質のものにし、共同体に近いものへとアジアの現実を変えていく、という具体的方法論を提唱された。その際に重要なことがこの地域において非伝統的安全保障における協力を推進していくことであると強調された。 続いて、第二講演者の黒柳米司・大東文化大学法学部教授が「ASEANと東アジア共同体構想―何を・誰が・いかに?」というテーマで講演を行った。黒柳教授は、アジア太平洋地域に幾多の重層的対話メカニズムが出来上がっているなか、共同体構築への道程ではASEANが主役とならざるを得ない幾つかの合理的な理由があり、これを認めることが重要であると主張された。その大きな理由は、ASEANの国々が地域平和を達成してきた実績があることに加え、周囲に脅威を与えない小国であるがゆえにリーダーシップが委ねられるという、逆説的現実にあった。したがって、ASEANが内部結束を深め、外部からの支持を獲得することの成否に東アジア共同体の成否がかかっている、というのがその結論であった。 休憩を挟み、韓国・中国・台湾/香港・モンゴル・北朝鮮の順に、それぞれの立場で見つめる東アジア共同体構想について発表があった。 朴栄濬・韓国国防大学校副教授は韓国の東アジア共同体構想を歴史的に辿る内容で報告を行った。朴副教授によれば、李承晩・朴正熙の両大統領が推進したアジア太平洋の多国間協力の枠組みが北朝鮮の脅威に対する安全保障として構想されたのに対して、金大中・盧武鉉の両大統領が追及した東アジア共同体は、北朝鮮を抱き込んで形成すべき民族共同体の外延として必要なものと認識されたところに違いがあった。このような差は今も受け継がれ、韓国社会においては進歩・保守を問わず、東アジア共同体に積極的な意見が多く見られる中、保守派が統一の過程で影響を及ぼす覇権国の登場を牽制する装置として東アジア共同体を論じる反面、進歩派は南北国家連合の環境作りとして東アジア共同体が語られている現状を指摘した。 劉傑・早稲田大学教授は、中国がいまだ東アジアの地域で共同体という概念で地域協力の枠組みを公式の文書で提起したことはないが、鳩山内閣が提唱した東アジア共同体構想は、「睦隣・安隣・富隣」を唱える中国の外交戦略と重なる部分もあり、東アジアの「一体化」に向けた議論は活発化していると、中国の現状を把握した。その上、中国は侵略された歴史があるため、どうしても主権へのこだわりが強く、「主権」と「国際協調」を同時に追求しながら、事案によっては二つの目標が衝突していると、中国の東アジア外交を分析した。なお、中国は「主権」を前面に出す外交でも、軍事力よりは強い文化力を背景にアジアを包み込む戦略をとることも考えられ、これが東アジア共同体へのもうひとつの道になりうるとの展望を提示した。 ここまでがいわゆる東アジア共同体作りにおいて「中心」といわれてきた国家からの研究者による講演と報告であった。夏のフォーラムでは恒例となった峠の釜飯で昼食をとり、午後の部では、「周辺」または「辺境」といわれてきた地域からの視点が加わった。 中国福建省出身で香港で育ち、日本で学び、現在は琉球大学で教えている林泉忠・准教授は台湾と香港の視点を介在させ、「中心国家」を中心に展開している東アジア共同体構想の閉鎖性を指摘し、脱「中心」主義と脱「主権」主義を志向することこそが、開かれ、かつ安定した共同体構想の不可欠な条件であると主張した。 次に内モンゴル出身のブレンサイン・滋賀県立大学准教授がモンゴルの立場から見える東アジア共同体構想について報告を行った。東アジアの「辺境中の辺境」であるモンゴルは、中国とロシアという大国に挟まれた緩衝地帯に位置し、早くから大国間の等距離外交で独立を守ってきた国であり、民主化以後には、安定した民主主義の上に、多極的かつ開かれた国家運営を行っている。豊富な資源に加え、そのような経験と志向を持つがゆえに、モンゴル国は東アジア共同体のもうひとつの構成員として注目すべき存在である、というのが主な主張であった。 最後に北朝鮮との国境地帯で中国の朝鮮族として生まれ育ち、北京で大学を卒業し、日本の大学院で学んだ後、韓国の釜山に位置する東西大学で教えている李成日・助教授の報告があった。報告では、中国との経済協力に新しい進展はあるものの、急速に進む東アジアの経済統合のなかで一人取り残されている状況、またARFを例外にするといかなる東アジアの地域協力機構にも加入していない現実など、北朝鮮を巡る厳しい現状に言及しつつも、「強盛国家」建設を目指す北朝鮮が、経済再建のためにも周辺環境の安定を望んでいると分析した。その上、地政学的に東アジアの中心に位置する北朝鮮を抜きにして、果たして東アジア共同体構想は現実として可能か、との問いを投げかけた。 ここまでの発表は李恩民・桜美林大学教授の司会の下で進行した。要領を得た司会ぶりでほぼ予定通りに会議は進み、いい流れを作っていただいた。そのお陰で、パネルディスカッションの時間が十分に確保できた。ここから私に司会の役が回ってきた。 パネルディスカッションは、平川均・名古屋大学教授の総括討論から始まった。平川教授は、まず、今回のフォーラムの意義として「『辺境』をいかに理解するか」という問題を中心課題にする必要があることを感じたと感想を述べられた。その次に、開会の辞で今西常務理事が、鹿島守之助のパン・アジアニズムに言及したことに触れ、日本が東南アジアをいかに位置づけるかの問題が、戦後日本の主流派のアジア政策と鹿島守之助のパン・アジア構想の重要な差異になっていたと指摘した。最後に、日本の東アジア共同体構想を語るうえでは、日本の構想の中で占める中国の位置を確認することが重要であると問題を提起された。 次に二人の元奨学生と二人の2011年度奨学生から感想が寄せられた。韓国出身の2000年度奨学生である鄭成春・韓国対外経済政策研究院・研究員は、東アジア共同体作りのドライバーズ・シートにASEANが座るべきだとの黒柳教授の報告に対して感想を述べ、日中の複雑な関係と立場を考慮すると韓国がもっと積極的に動く余地があるとの趣旨で発言した。フィリピン出身の1995年度奨学生であるF.マキト・アジア太平洋大学研究顧問は、ASEANのなかで大きくなりつつある中国の脅威への危機感を指摘し、そのような現状であるからこそ、東南アジア主導の共同体構想に賛成の立場を表明した。そのためにはASEANの国々が団結する必要があり、日本と中国は東南アジアの特定の国家に偏らず、公平な政策を採ることが要望されると訴えた。ベトナム出身で今年度奨学生のホー・ヴァン・ゴックさん(千葉大学)は、幼いときからこの地域に漢字文化圏があり、ベトナムがその文化共同体の一員であることを自覚していたと語り、経済開発に成功した日中韓は、先輩国家として、この地域の成長と安定のために役割を果たすべきであると注文した。台湾出身の謝恵貞さん(東京大学)は、林泉忠准教授の報告に触れ、内田樹の『日本辺境論』の視座に立てば日本も辺境であるとし、中心・辺境の境がなくなることが共同体形成の意義ではないかと問いかけた。また、劉傑教授への質問として、いずれ中国と台湾は協力体制を作っていくことになると思われるが、中国は台湾問題を「主権」の観点からアプローチせず、普遍的人権の問題で扱うべきであると訴えた。 最初に答弁に出た恒川教授が「本質をついている」と評価したように、フロアからのコメントと質問は、聴衆の集中力と理解力の高さを物語っていた。以後、午前の報告と同じ順番で基調講演者と発表者たちの追加発言と答弁が続けられた。しかし、徐々に答弁は教科書的な内容に丸く収まっていくような気がした。これでは、「辺境」の視覚を取り出し、「中心」のそれと交わらすことでようやく新しい問題提起がなされたのに、もったいない。そこで、最後の時間を使い、最後の質問をぶつけることにした。202Q(ニ・マル・ニ・キュウ)年に21カ国の署名をもって締結された蓼科条約をもって、東アジア共同体の成立が実現した、との仮想現実を作り出し、それについての感想をパネリストたちに要求した。 唐突の質問だったので、パネリストには考える時間が必要だった。丁度うまい具合に最後の質問がフロアから飛んできた。本年度奨学生で中国出身の李彦銘さん(慶応大学)からのコメント・質問であった。まずは、日本の共同体構想が明確に示されなかったことを指摘し、日本の核武装の可能性、中国の国民意識の急速な変化による中国指導部の政策と国民の意識のズレ、アジアにおけるナショナリズム克服の過程で日本の果たすべき役割など、報告とディスカッションで疎かにされた問題を提起した。 いずれも重要な問題提起であったが、終了の時刻がもう近づいてきており、これらの問題については深く議論できずに終わらなければならなかった。司会として進行に問題があったと認めざるを得ない。しかし、弁明の余地がないわけではない。「中心」と「辺境」の視座を交差させるという当初の趣旨を生かすため、パネリストの数が多くなり、その分、提起された問題も多岐になった。プレーヤーが多くなれば、それだけゲームは複雑になる。重層的なフレームワークの中で展開する東アジア共同体論議の難しさがそのまま今回のフォーラムに表れたような気がする。それでも、最後に何かを残したかった。その気持ちを最後の質問に込めた。 私の気持ちを理解していただいたのだろうか。パネリストの皆さんは、わずかに残った最後の答弁の時間を使い、私の唐突な質問に対して、機知を働かせた明快な文章の答弁をいただいた。その内容は、近刊のSGRAレポートを見ての楽しみにしていただきたい。 第41回SGRAフォーラムの写真は下記よりご覧いただけます。 マキト撮影   マティアス撮影 参考:蓼科旅行記 2011年7月27日配信