SGRAの活動

  • 2014.02.25

    レポート第67号 「アジア太平洋時代における東アジア新秩序の模索」

    SGRAレポート67号   第12回日韓アジア未来フォーラムin キャンベラ 「アジア太平洋時代における東アジア新秩序の模索」 講演録 2014年2月25日発行   <もくじ> 【発表1】構造転換の世界経済と東アジア地域統合の課題                      平川 均(名古屋大学大学院経済学部教授)   【発表2】中国の海洋戦略と日中関係:新指導部の対外政策の決定構造                      加茂具樹(慶応義塾大学総合政策学部准教授)   【発表3】アジア貿易ネットワークの結束と競合:ネットワーク分析技法を用いて                      金 雄熙(仁荷大学国際通商学部教授)   【パネルディスカッション】   【発表4】日韓関係の構造変容、その過渡期としての現状、そして解法の模索                      木宮正史(東京大学大学院情報学環(流動)教授)   【発表5】米中両強構図における韓日関係の将来                      李 元徳(国民大学国際学部教授)   【発表6】東アジア新秩序と市民社会:脱北者の脱南化現象を中心に                      金 敬黙(中京大学国際教養学部教授)   【パネルディスカッション】  
  • 2014.02.15

    第13 回日韓アジア未来フォーラム「ポスト成長時代における日韓の課題と東アジア協力」へのお誘い

    下記の通り第13回日韓アジア未来フォーラムを開催します。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。   日時:2014年2月15日(土)午後2 時00分~5時00分   会場: 高麗大学現代自動車経営館301号   申込み・問合せ:SGRA事務局   ● フォーラムの趣旨   「課題先進国」日本、そして「葛藤の先進国」とも言われる韓国が今までに経験してきた課題と対策のノウハウを東アジア地域に展開しようとするとき、どのような分野が考えられるだろうか。日本は、地震をはじめ自然災害への対策、鉄道システム、経済発展と環境負荷軽減及び省エネルギーの両立、少子高齢化への対処など、多くの分野において関連する経験や技術の蓄積、優位性を有している。さらに、日本以上の課題先進国となった韓国の経験や後遺症も、東アジア地域におけるこれからの発展や地域協力の在り方に貴重な手掛かりを提供している。本フォーラムでは、日本と韓国の経験やノウハウを生かした社会インフラシステムを、東アジア地域及び他国へ展開する場合、何をどのように展開できるか、そして、それが東アジアにおける地域協力、平和と繁栄においてもつ意義は何なのかについて考えてみたい。   ● プログラム   進  行: 金 雄煕(キム・ウンヒ、仁荷大学国際通商学部教授)   開会の辞: 李 鎮奎(リ・ジンギュ、未来人力研究院理事長/高麗大学教授)   挨  拶: 今西淳子(いまにし・じゅんこ、渥美国際交流財団常務理事)   円卓会議:報告のあと自由討論   【基調講演】「北東アジアの気候変動対策と大気汚染防止に向けて」 染野憲治(そめの・けんじ、環境省地球環境局中国環境情報分析官/東京財団研究員)   【報  告】「北極海の開放と韓日中の海洋協力展望」 朴栄濬(パク・ヨンジュン、韓国国防大学校安全保障大学院教授)   【報  告】「北東アジアの多国間地域開発と物流拠点としての図們江地域開発」 李鋼哲(り・こうてつ、北陸大学未来創造学部教授)   【報  告】「ポスト成長時代における日韓の課題と日韓協力の新しいパラダイム」 李元徳(リ・ウォンドク、国民大学国際学部教授)   【討  論】 報告者+討論者   木宮正史(きみや・ただし、東京大学大学院総合文化研究科教授)   安秉民(アン・ビョンミン、韓国交通研究院北韓・東北亜交通研究室長)   内山清行(うちやま・きよゆき、日本経済新聞ソウル支局長)   李奇泰(リ・キテ、延世大学研究教授)   李恩民(リ・エンミン、桜美林大学リベラルアーツ学群教授)   他数名(未来人力研究院及び渥美財団SGRAの関連研究者)  
  • 2014.02.05

    第17回日比共有型成長セミナー「ものづくりと持続可能な共有型成長」へのお誘い

    下記の通り、フィリピンのマニラ市でSGRA主催のセミナーを開催いたします。参加ご希望の方は、下記連絡先、またはSGRA事務局へご連絡ください。   第17回日比共有型成長セミナー 「ものづくりと持続可能な共有型成長」 "Manufacturing and Sustainable Shared Growth"   日時:2014年2月11日(火)8:30-17:30   会場:フィリピン大学大学工学部エンジニアリング・シアター Engineering Theater, College of Engineering (Melchor Hall), University of the Philippines, Diliman Campus   言語:英語   開催の趣旨:   3K(効率・公平・環境)の調和ある発展を目指す、日比共有型成長セミナーの2本の柱となるテーマは「都会・地方の格差」と「製造業」です。今回は後者に注目し、8月頃に前者のテーマのセミナーを開催予定です。しかしながら、今回のセミナーでも、2本の柱のつながりがより具体的に示されるようになっています。   また、本セミナーにおいては、ふくしま再生の会の田尾陽一代表に飯館村における活動を通して福島の報告をしていただきます。   プログラム(英文のみ)   参加申し込み・お問い合わせ:SGRAフィリピン Ms. Lenie M. Miro ( [email protected] )  
  • 2013.12.25

    王 雪萍「第5回SGRAカフェ『一私人として見た日中・日韓関係』報告」

    第5回SGRAカフェは2013年12月7日(土)17時より、東京九段下の寺島文庫みねるばの森で開催されました。衆議院議長、外務大臣を長年務めた元自由民主党総裁の河野洋平氏の「一私人として見た日中・日韓関係」と題するご講演の後、イギリスから帰国して成田から駆けつけてくださった日本総合研究所理事長の寺島実郎氏から世界情勢を含めたコメントがありました。セグラ会員や渥美奨学生約40名が参加し、質疑応答を通して活発な議論が繰り広げられました。   今回のカフェは、河野氏のご講演を伺うだけでなく、同氏とSGRA会員の留学生や元留学生との交流も目的とされていました。河野氏は従軍慰安婦に関する「河野談話」等でアジアからの留学生に人気が高く、講演が始まる前から会場は熱気に包まれていました。今回のカフェのコーディネーターで司会を務めたセグラ参与の高橋甫氏がいくつかのエピソードを交えて河野氏をご紹介し、聴衆の期待はますます高まりました。   講演開始早々、河野氏は悲痛な声で「日本にとっては、中国と韓国ほど、大事な国はありません。中国と韓国とうまく付き合えば、日本という国はやっていけると思っています。今の政治状況は、はなはだ遺憾で、最も悪い状況です。一日も早くこの状況から脱出しなければなりません」と述べられました。その後、議員になる前から中国と交流し、香港経由で汽車に乗って、3日もかかって北京へ辿りついたエピソードや、若い頃から鄧小平氏や金大中氏と親密に交流した話を紹介しながら、政治家として日中関係、日韓関係を中心に、アジアにおける日本外交に尽力されたご自身の中国、韓国と交流の歴史と想いを語ってくださいました。最後に「留学経験は非常に大事だと思います。私たち日本人は日本に生まれたわけですが、日本に来ている留学生の皆さんは、ご自身の選択によって日本を留学先として選んだのです。そこに大きな期待をかけています」と講演を締めくくりました。   講演後、予定時間をはるかにオーバーして、アジアからの留学生・元留学生からの質問に次々と的確に答えてくださいました。数々の質問から、近年著しく悪化した日中・日韓関係の影響で、日本で生活している中韓両国の留学生の生活まで大きく影響されている様子が浮かび上がりました。しかし、その苦しい状況を十分理解していると前置きした後、河野氏は「私としては頑張ってもっと日本でやっていっていただきたい。今、日本の社会的な雰囲気は甚だよくない。しかし、これは日本の社会の普通の状況ではない。ヘイトスピーチは遺憾であるが、日本人の多くがそう思っているわけでは決してない。いつか必ず理解しあう状況を作らなければいけない」と関係改善への努力を強調しました。そして河野氏は、今硬直している日中・日韓関係を改善するために、お互いに譲歩することの大切さを訴えました。   「今日のアジアにおける政治家は、昔のような大物が殆ど見られなくなりましたが、現在の日本の政治家に対してどのように思われますか」という質問に対して、河野氏は政治家の資質の変化は世界の趨勢の変化と連動していることが関係していると指摘しました。その上、日本の政治家の変化は、政治家としてのキャリア不足が目立ち、それが政治の混迷につながっていること、特にその原因として、派閥による教育機能が希薄になり、先輩政治家からの知識の継承ができなくなっていることが大きな影響を与えているとの指摘があり、とても興味深いと思いました。   河野氏の講演と第一部の質疑応答が終わったところで、寺島実郎氏からコメントがありました。まず、寺島氏が北海道の高校生の時に、渥美財団の渥美伊都子理事長のご尊父である鹿島守之助氏に手紙を書いたところ、所望のクーデンホーフ・カレルギーの書物を送ってくださったというエピソードが紹介されました。寺島文庫2階のミニアーカイブスには、渥美理事長より寄贈されたクーデンホーフ・カレルギーの翻訳本や日本外交史全集が保管されています。寺島氏はイギリスから帰国したばかりということもあり、欧州情勢を紹介しました。イギリスの雑誌『The World in 2014』では、米中の力学が世界を動かすもっとも大きな要素としてあげられ、6月の米中首脳会談、7月の米中経済戦略対話、11月のバイデン訪中を見て、米中関係は日米関係よりはるかに深いレベルでコミュニケーションが取れていると報告しました。しかし、日本のマスコミは日本と関係ないことを殆ど取り上げません。次元の低い小さなナショナリズムにとらわれてしまい、本当の国益を追求できない状態になっています。イギリスは嫌われずに植民地から去る技を持っていましたが、それができなかった日本は近代史における段差を埋めることが大事であり、小さな猜疑心、嫉妬心からの足の引っ張り合いから脱出しなければいけないと強調しました。   両氏の講演、コメントを受けて、第二部の質疑応答の時間では、「日中韓の首脳会談を実現するためにどのような譲歩が必要なのか」、「中国と韓国のナショナリズムをどのように見るべきなのか」、「北朝鮮問題について日韓両国はどのように対処していくべきなのか」、「日韓・日中関係の改善に向けてリベラルな政治家、外交官を育成するのには、どうすればよいのか」、「金大中大統領の訪日の時に行われた日本政府による謝罪の経緯はどうだったのか」等など、来場した留学生・元留学生より、東アジアの国際関係をめぐる問題がたくさん提起され、河野氏と有意義な意見交換の場となりました。   講演会終了後、引き続き同会場で懇親会が開催され、参加者はさらに議論を深めることができ、忘れがたいひと時になりました。   当日の写真は下記よりご覧ください。   ゴック撮影   太田撮影   ------------------------------------------ <王 雪萍(おう・せつへい)WANG Xueping> 1998年に来日、2006年3月に慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士後期課程修了、博士(政策・メディア)。専門は戦後日中関係。慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所助教、関西学院大学言語教育研究センター常勤講師、東京大学教養学部講師を経て、現在東京大学教養学部准教授。著書に『戦後日中関係と廖承志――中国の知日派と対日政策』(編著、慶應義塾大学出版会、2013年)、『改革開放後中国留学政策研究―1980-1984年赴日本国家公派留学生政策始末』(単著、中国世界知識出版社、2009年)、その他著書や論文多数。 ------------------------------------------     2013年12月25日配信
  • 2013.12.11

    第46回SGRAフォーラム「インクルーシブ教育」へのお誘い

    下記の通りSGRAフォーラムを開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。   テーマ:「インクルーシブ教育:子どもの多様なニーズにどう応えるか」   日時:2014年1月25日(土)午後1時30分~4時30分 その後懇親会   会場:東京国際フォーラム ガラス棟 G610号室       参加費:フォーラムは無料 懇親会は正会員1000円、メール会員・一般2000円   お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局([email protected], 03-3943-7612)   ◇フォーラムの趣旨   インクルーシブ教育(inclusive education)は、障碍児教育に関する施策のひとつであるが、同時に、社会的・経済的格差、民族・人種・文化・宗教等の差異がもたらす差別の軽減・解消をめざし、不利益な立場にある人々の自立および社会への完全参加を、教育・学校の改革によって実現しようとする教育・社会理念とも捉えられる。   日本では、障碍のある子どもに特別支援学校だけではなく多様な学びの場を提供する施策が試みられてきた。その他の特別なニーズを持つ子ども、例えば当初は数年しか日本に滞在しない予定だった外国籍労働者の子どもたち、家庭や経済的事情により学業に困難を伴う子どもたち等は、対応されなかったわけではないが、教育のメインストリームの周辺課題とされてきた。グローバル化によりますます増加する子どもの多様なニーズに応えるためには、教育全般の課題として捉えない限り、この問題は根本的に解決しないのではないか。   教育が新自由主義や市場原理の波に巻き込まれ、競争的学力向上を目指す傾向にある中、果たしてインクルーシブ教育は実現できるのだろうか。さらに言えば、社会が障碍や人種・文化的差異をどのように構成し対応していくかという国の文化が変わらない限り、実現は難しいのではないか。実際、日本のみならず、ほとんどの国がインクルーシブ教育の実現に当たってさまざまな困難に直面している。   本フォーラムでは、インクルーシブ教育の実現に向けて、障碍のある子どもや外国籍の子どもへの支援の実情を踏まえながら、日本の教育がこれから子どもの差異と多様性をどう捉え、権利の保障、多様性の尊重、学習活動への参加の保障にどのように向き合うべきかについて考えたい。   ◇プログラム 詳細はこちらをご覧ください。   司会/コーディネータ:権明愛(十文字学園女子大学人間生活学部講師)   【基調講演】荒川 智(茨城大学教育学部教授) 「インクルーシブ教育の実現に向けて」   【報告1】上原芳枝(特定非営利活動法人リソースセンターone 代表理事) 「障碍のある子どもへの支援」   【報告2】中村ノーマン(多文化活動連絡協議会) 「学校教育からはみ出た外国につながりを持つ子ども達に寄り添って」   【オープンフォーラム】 進行:権明愛(十文字学園女子大学人間生活学部講師) 討論者:上記報告者   ポスター   ファックス申込書    
  • 2013.12.07

    第5回SGRAカフェへのお誘い

    SGRAでは、良き地球市民の実現をめざす(首都圏在住の)みなさんに気軽にお集まりいただき、講師のお話を伺い、議論をする<場>として、SGRAカフェを開催しています。第5回は、42年に及んだ議員生活、外務大臣、官房長官そして衆議院議長として豊富な政治経歴をお持ちである河野洋平氏に日中・日韓関係について一私人としての立場からお話しいただきます。   ◆河野洋平氏講演 「一私人として見た日中・日韓関係」   日時:2013年12月7日(土)17時~19時(懇親会を含む)   会場:寺島文庫1階みねるばの森   会費(ビュッフェの夕食付):SGRA会員・学生は1000円、非会員2000円   準備の都合がありますので、参加ご希望の方はSGRA事務局へお名前、ご所属と緊急連絡先をご連絡ください。   SGRA事務局: [email protected]  
  • 2013.11.27

    南 基正「第45回SGRAフォーラム『紛争の海から平和の海へ―東アジア海洋秩序の現状と展望』」報告

    2013年9月29日午後、東京国際フォーラムで第45回SGRAフォーラムが開催された。これはSGRA「安全保障と世界平和」チームが開催する6回目のフォーラムであるが、テーマは「紛争の海から平和の海へ―東アジア海洋秩序の現状と展望」であった。 「安全保障と世界平和」チームは、2012年2月に、「東アジア軍事同盟の課題と展望」と題してリユニオン・フォーラムを開催したばかりであったが、同年の夏から秋にかけて、日中、日韓間に島々の領有をめぐって激しい応酬があり、東アジアの海が荒れ模様を増している状況を前に、この地域において安全保障と平和を考える上で、領土問題は避けて通れないものであることを意識せざるを得なかった。「安全保障と世界平和」チームでは、東アジア共同体の構築が地域の安全と平和に寄与するとの認識を共有し、その可能性を模索することを内容にフォーラムを開催したこともあった。東アジアには、一方に軍事同盟の現実があり、もう一方に共同体構築の初期的徴候が見えるなか、徐々に「軍事同盟」から「共同体」へ移行しつつある、というのがこれまでのフォーラムの成果であったと思う。ところが、2012年の夏以降の情勢は、この見通しが現実離れしたものではないかという疑問を抱かせた。日増しに深刻化する領土問題は、上述の移行の方向を逆転させ、共同体構築の議論は失せ、軍事同盟強化の叫び声だけが鳴り響いているように思われる。折しも、フォーラム開催3日前の26日には、安倍晋三首相が国連総会で演説し「積極的平和主義」を唱えていたが、安倍首相の日ごろの言動からみて、それは日米同盟強化の掛け声のように聞こえていた。 果たして領土問題は東アジアの海に紛争の渦を沸き起こし、共同体議論は破綻してしまうのか。それとも領土問題は東アジアの人々に協力と平和の大切さを気づかせ、共同体議論の突破口を用意させるきっかけとなりうるか。この地域は今、その岐路に立っているといえるが、共同体議論と領土紛争は対蹠関係にあることから、そのどちらにしろ、性急な結論に走ってしまうように思われる。したがって、その中間領域で、かつ長いタイム・スパンで、じっくり現実を見つめる必要がある。「(武力によって)強制できず、(対話によって)譲歩できず、したがって解決できず」の現実が物語るのは何であるのか。その現実を見つめると、そこに戦後の歴史の中で紆余曲折を経ながら形成された「秩序と規範」、即ち「東アジア型国際社会」の存在を確認することができるのではないだろうか。   第45回SGRAフォーラムはこうした問題意識から企画された。 その意味で、国際社会の「秩序と規範」を明文化した「国際法」の見地から、領土問題への視座を提供した村瀬信也先生(上智大学)の基調講演を最初に聴いておくのは、各国の立場を考慮して行われるメインの報告を適当な位置関係に並べるための縦軸と横軸を用意する上で、有用なことであった。村瀬先生は、国際法が国家間の「抗争」を「紛争」としてコントロールし、解決を図ることで国際社会に「法の支配」を確立し、平和と安定を保証してきたと強調し、特に国際法の中心的役割が「紛争の司法的解決」であるとして、日本が抱える3つの領土問題の解決を国際司法裁判所に委ねることを提案している。また村瀬先生は、その前段階として、日露の間で作成した『共同作成資料』のようなものを日韓、日中間にも作成することが望ましいと主張した。その主眼は領土問題を「非政治化」することにあった。 メイン報告は5つあった。順に韓国、中国、台湾、日本の立場からの報告があり、北極海における日中韓の協力の可能性についての報告で締めくくられた。まず韓国からの発言として私が報告した。私は、1965年の日韓漁業協定締結に至る日韓交渉の経緯を振り返り、そこに「東アジア型国際社会」の形成を見出すことが可能であるという内容の報告を行った。領土問題も絡み熾烈に展開された漁業交渉の過程において、日韓の交渉者たちは「国際法の適用」を受け入れ、そのため「国際法とは何か」をめぐって交渉が展開した。その結果、当時の国際法の常識を超え、グローバル・スタンダードを先取りする形で妥協が成立したが、私は、その経緯から学ぶべきことがあると主張した。 次に李成日さん(中国社会科学院)による中国の立場からの報告があった。李成日さんは、経済的相互依存が深まる反面、歴史認識と領土問題をめぐり政治関係において摩擦が激化するアジア・パラドックスへの中国の対応を考察することで、領土問題に対する中国の立場を暗黙に提示しようとした。その1つが「新型大国関係の構築と推進」であるとし、その中で「米国の東アジア同盟体制」と「中国の経済的台頭」という2つの新しい秩序変動要因の組み合わせを調整することで、地域の安定を確保することができるということであった。李成日さんは領土問題について直接言及はしていないが、読み方によっては、米国の東アジア同盟体制を硬直化させ、その結果、中国の平和的発展に不利な国際環境を作り出すことに繋がりかねない領土問題に中国は内心慎重である、と解釈できる報告だった。 私と李成日さんの報告は、領土問題を直接扱った報告というよりは、領土問題が時間の長さと空間の広がりのなかでどのような意味を持つものかを提示したものであった。これに対して林泉忠さん(台湾中央研究院)は、領土問題を正攻法で取り上げ、最近中国が関心を寄せ、台湾が戦後一貫して主張してきた「琉球地位未定論」を敢えてテーマにした。林泉忠さんが問題にしたのは、「なぜ中国において琉球地位未定論が再燃しているか」ということと、「領土問題と沖縄問題との間にどのような接点があるのか」という2つの問いであった。林泉忠さんは、琉球地位未定論が日本の9.11国有化措置への反応であること、領土問題に沖縄問題が絡む背景に長い歴史の経緯があることを明らかにした上で、結論としては、琉球地位未定論の再燃は領土紛争の解決に役立たないとの意見を表明した。 福原裕二さん(島根大学)は、領土問題を国家のナショナリズムのレベルから離れ、その海域を生活の場とする漁民の視線に目の高さをあわせた分析を行った。福原さんは、研究者があまり取り扱おうとしない漁業関係の資料に目をむけ、丁寧な実証分析を行った結果、日韓間の海域における漁業の実態と損得勘定などを合わせて考えるならば、これまでの議論やアプローチは、問題の内実を捉えることができないばかりか、むしろ、領土問題と漁業問題の交錯した形で危機的状況を醸成している現実を浮かび上がらせた。その結果、領土問題の議論のあり方は、実は、地域の経済と人々のニーズに即した問題解決を遠ざけているという。 ここまでの報告が日中韓の「紛争の海」をテーマにしたものであるなら、朴栄濬さん(韓国国防大学)は日中韓の「協力の海」が北極海において実現可能な機会として登場しつつあることを力説する報告を行った。日中韓の三国は隣接する海域で紛争を繰り広げながらも、一旦グローバルな舞台に立てば、協力することから生まれる利益が、葛藤による損失の発生を上回ることを知ることになる。今は、北極海がそのような舞台になりつつある。この地域での協力の可能性を現実のものとするためには、隣接する海域での紛争をうまく管理する必要がある。朴栄濬さんの報告は、遠くの「協力の海」を媒介に、近くの「紛争の海」は「平和の海」になり得る、といっているように聞こえたが、それは行き過ぎた解釈であろうか。 当初、司会の役を任された朴栄濬さんであったが、私がこの報告を強く要請したことから、報告者に回ることになった。そのため、李恩民さん(桜美林大学)に司会をお願いした。領土問題はデリケートな問題であり、難しい役回りであったが、李恩民さんは快くお引き受けくださり、慎重な進行で、フォーラムの成功を導いた。 5つの報告が終わり、パネル・ディスカッションが始まった。パネル・ディスカッションも李恩民さんの司会で進行した。明石康さん(元国連事務次長)は、講演者や報告者が、時間の制限のため言えずに終わったこと、または暗黙に示唆した行間の意味をやわらかい言葉に包みなおして講演や報告の真意を一つ一つ丁寧に再確認し、このフォーラムが「領土問題ということで、とかく悲観的に暗い思いに浸ることに対する1つの建設的なアンチテーゼになっている」と総括した。その後、質疑とコメントがあった。それは、領土問題の国内政治、すなわち領土問題を提起する各国の政治的な意図の問題(高橋甫さん)、日中間の領土問題をめぐる決定的期日の問題と、領土問題と関連した中台協力の可能性(王雪萍さん)、北極海において協力を模索することが逆に領土紛争と絡んだトラブルを増大する可能性(黄洗姫さん)、領土問題解決の前提として日本の植民地主義に対する反省の総括の必要性(角田英一さん)、琉球独立論と「琉球地位未定論」の関係(沼田貞昭さん)、国際法の見地という大局的レベルと漁民たちの働く現場レベルに同時に焦点を合わすことの意義(加藤青延さん)、日韓間において歴史的に存在した「東アジア型」の解決を東南アジアに適応することの可能性(マキトさん)など、多岐にわたる質疑とコメントが寄せられた。質疑応答の時間を経て、講演と報告で言及されなかったが、この地域に散らばる領土問題を考える上で、必然に出会わされる問題の数々が出揃い、それに対する、講演者と報告者たちの暫定的結論が提出された。その詳細についてはレポートを参照されたい。   戯論と書いて「ケロン」と読む。言わずに知っていることをことさら言葉にする無益な言論を指す仏教用語である。誰の目にも明らかに墜落している飛行機のなかで「この飛行機は墜落するぞ」と騒ぎ立てる行動がそれに当たる。極端な例えであるが、そのような人は、懸命に機体を正常に戻そうとする機長にすれば、邪魔以外の何物でもない。物事の現象から距離をおくことで問題の根本に到達することを戯論寂滅というのだそうだ。無記(むき)という言葉もある。善悪、または正邪を決定することのできない、無意味な議論に応対しないことを指す。正論という名で横溢する戯論に無記で対応すること、それも一つの方法といえよう。問題のあり方を把握するより問題提起の仕方を工夫することによって問題解決の方向が違ってくるという考え方もある。国際関係論ではコンストラクティヴィズムの理論的枠組みがこれに近い。もっとも林泉忠さんのいうとおり、学問にタブーがあってはいけないが、プルーデンス(prudence、思慮)はなにも政治家だけに要求される徳目ではないだろう。 フォーラムの後に、「もっと荒れるかと思った」という感想が寄せられた。聴衆にとって、荒れずに終わったフォーラムが期待はずれだったのか期待通りだったのか、分からない。しかし「拍子抜け」の感想を持ったとすれば、企画の意図は活かされたことになる。報告者たちはみな、自国の立場を尊重、あるいは考慮しながらも、お互いに喧嘩する意図は最初からなかったからである。その点では、聴衆たちも同じ気持ちであったのではないかと察する。これは東アジア国際社会の現実でもあるのではないだろうか。この地域で協力は選択科目ではなく、必須科目だからである。そんな国同士で領土問題をめぐる劇的解決などありえない。実際の展開が「拍子抜け」の結論に終われば、もっともいい。紛争の海こそ平和の海への合鍵である。     フォーラムの写真   --------------------- <南 基正(ナム・キジョン)Nam Kijeong> ソウル大学日本研究所副教授。韓国のソウル市生まれ。ソウル大学校にて国際政治学を学び、1991年にM.A.を取得。また、2000年には東京大学で「朝鮮戦争と日本-‘基地国家’における戦争と平和」の研究でPh.D.を取得。2000年には韓国・高麗大学平和研究所の専任研究員、2001年から2005年まで東北大学法学研究科の助教授、2005年から2009年まで韓国・国民大学国際学部の副教授などを経て現職。戦後の日本の政治外交を専門とし、最近は日本の平和主義や平和運動にも関心を持って研究している。主著に『戦後日本と見慣れぬ東アジア(韓国文、編著)』、『歴史としての日韓国交正常化II: 脱植民地化編(共著)』などがある。 ---------------------   2013年11月27日送信
  • 2013.11.27

    南 基正「第45回SGRAフォーラム『紛争の海から平和の海へ―東アジア海洋秩序の現状と展望』」報告

    2013年9月29日午後、東京国際フォーラムで第45回SGRAフォーラムが開催された。これはSGRA「安全保障と世界平和」チームが開催する6回目のフォーラムであるが、テーマは「紛争の海から平和の海へ―東アジア海洋秩序の現状と展望」であった。   「安全保障と世界平和」チームは、2012年2月に、「東アジア軍事同盟の課題と展望」と題してリユニオン・フォーラムを開催したばかりであったが、同年の夏から秋にかけて、日中、日韓間に島々の領有をめぐって激しい応酬があり、東アジアの海が荒れ模様を増している状況を前に、この地域において安全保障と平和を考える上で、領土問題は避けて通れないものであることを意識せざるを得なかった。「安全保障と世界平和」チームでは、東アジア共同体の構築が地域の安全と平和に寄与するとの認識を共有し、その可能性を模索することを内容にフォーラムを開催したこともあった。東アジアには、一方に軍事同盟の現実があり、もう一方に共同体構築の初期的徴候が見えるなか、徐々に「軍事同盟」から「共同体」へ移行しつつある、というのがこれまでのフォーラムの成果であったと思う。ところが、2012年の夏以降の情勢は、この見通しが現実離れしたものではないかという疑問を抱かせた。日増しに深刻化する領土問題は、上述の移行の方向を逆転させ、共同体構築の議論は失せ、軍事同盟強化の叫び声だけが鳴り響いているように思われる。折しも、フォーラム開催3日前の26日には、安倍晋三首相が国連総会で演説し「積極的平和主義」を唱えていたが、安倍首相の日ごろの言動からみて、それは日米同盟強化の掛け声のように聞こえていた。   果たして領土問題は東アジアの海に紛争の渦を沸き起こし、共同体議論は破綻してしまうのか。それとも領土問題は東アジアの人々に協力と平和の大切さを気づかせ、共同体議論の突破口を用意させるきっかけとなりうるか。この地域は今、その岐路に立っているといえるが、共同体議論と領土紛争は対蹠関係にあることから、そのどちらにしろ、性急な結論に走ってしまうように思われる。したがって、その中間領域で、かつ長いタイム・スパンで、じっくり現実を見つめる必要がある。「(武力によって)強制できず、(対話によって)譲歩できず、したがって解決できず」の現実が物語るのは何であるのか。その現実を見つめると、そこに戦後の歴史の中で紆余曲折を経ながら形成された「秩序と規範」、即ち「東アジア型国際社会」の存在を確認することができるのではないだろうか。第45回SGRAフォーラムはこうした問題意識から企画された。   その意味で、国際社会の「秩序と規範」を明文化した「国際法」の見地から、領土問題への視座を提供した村瀬信也先生(上智大学)の基調講演を最初に聴いておくのは、各国の立場を考慮して行われるメインの報告を適当な位置関係に並べるための縦軸と横軸を用意する上で、有用なことであった。村瀬先生は、国際法が国家間の「抗争」を「紛争」としてコントロールし、解決を図ることで国際社会に「法の支配」を確立し、平和と安定を保証してきたと強調し、特に国際法の中心的役割が「紛争の司法的解決」であるとして、日本が抱える3つの領土問題の解決を国際司法裁判所に委ねることを提案している。また村瀬先生は、その前段階として、日露の間で作成した『共同作成資料』のようなものを日韓、日中間にも作成することが望ましいと主張した。その主眼は領土問題を「非政治化」することにあった。   メイン報告は5つあった。順に韓国、中国、台湾、日本の立場からの報告があり、北極海における日中韓の協力の可能性についての報告で締めくくられた。まず韓国からの発言として私が報告した。私は、1965年の日韓漁業協定締結に至る日韓交渉の経緯を振り返り、そこに「東アジア型国際社会」の形成を見出すことが可能であるという内容の報告を行った。領土問題も絡み熾烈に展開された漁業交渉の過程において、日韓の交渉者たちは「国際法の適用」を受け入れ、そのため「国際法とは何か」をめぐって交渉が展開した。その結果、当時の国際法の常識を超え、グローバル・スタンダードを先取りする形で妥協が成立したが、私は、その経緯から学ぶべきことがあると主張した。   次に李成日さん(中国社会科学院)による中国の立場からの報告があった。李成日さんは、経済的相互依存が深まる反面、歴史認識と領土問題をめぐり政治関係において摩擦が激化するアジア・パラドックスへの中国の対応を考察することで、領土問題に対する中国の立場を暗黙に提示しようとした。その1つが「新型大国関係の構築と推進」であるとし、その中で「米国の東アジア同盟体制」と「中国の経済的台頭」という2つの新しい秩序変動要因の組み合わせを調整することで、地域の安定を確保することができるということであった。李成日さんは領土問題について直接言及はしていないが、読み方によっては、米国の東アジア同盟体制を硬直化させ、その結果、中国の平和的発展に不利な国際環境を作り出すことに繋がりかねない領土問題に中国は内心慎重である、と解釈できる報告だった。   私と李成日さんの報告は、領土問題を直接扱った報告というよりは、領土問題が時間の長さと空間の広がりのなかでどのような意味を持つものかを提示したものであった。これに対して林泉忠さん(台湾中央研究院)は、領土問題を正攻法で取り上げ、最近中国が関心を寄せ、台湾が戦後一貫して主張してきた「琉球地位未定論」を敢えてテーマにした。林泉忠さんが問題にしたのは、「なぜ中国において琉球地位未定論が再燃しているか」ということと、「領土問題と沖縄問題との間にどのような接点があるのか」という2つの問いであった。林泉忠さんは、琉球地位未定論が日本の9.11国有化措置への反応であること、領土問題に沖縄問題が絡む背景に長い歴史の経緯があることを明らかにした上で、結論としては、琉球地位未定論の再燃は領土紛争の解決に役立たないとの意見を表明した。   福原裕二さん(島根大学)は、領土問題を国家のナショナリズムのレベルから離れ、その海域を生活の場とする漁民の視線に目の高さをあわせた分析を行った。福原さんは、研究者があまり取り扱おうとしない漁業関係の資料に目をむけ、丁寧な実証分析を行った結果、日韓間の海域における漁業の実態と損得勘定などを合わせて考えるならば、これまでの議論やアプローチは、問題の内実を捉えることができないばかりか、むしろ、領土問題と漁業問題の交錯した形で危機的状況を醸成している現実を浮かび上がらせた。その結果、領土問題の議論のあり方は、実は、地域の経済と人々のニーズに即した問題解決を遠ざけているという。   ここまでの報告が日中韓の「紛争の海」をテーマにしたものであるなら、朴栄濬さん(韓国国防大学)は日中韓の「協力の海」が北極海において実現可能な機会として登場しつつあることを力説する報告を行った。日中韓の三国は隣接する海域で紛争を繰り広げながらも、一旦グローバルな舞台に立てば、協力することから生まれる利益が、葛藤による損失の発生を上回ることを知ることになる。今は、北極海がそのような舞台になりつつある。この地域での協力の可能性を現実のものとするためには、隣接する海域での紛争をうまく管理する必要がある。朴栄濬さんの報告は、遠くの「協力の海」を媒介に、近くの「紛争の海」は「平和の海」になり得る、といっているように聞こえたが、それは行き過ぎた解釈であろうか。   当初、司会の役を任された朴栄濬さんであったが、私がこの報告を強く要請したことから、報告者に回ることになった。そのため、李恩民さん(桜美林大学)に司会をお願いした。領土問題はデリケートな問題であり、難しい役回りであったが、李恩民さんは快くお引き受けくださり、慎重な進行で、フォーラムの成功を導いた。   5つの報告が終わり、パネル・ディスカッションが始まった。パネル・ディスカッションも李恩民さんの司会で進行した。明石康さん(元国連事務次長)は、講演者や報告者が、時間の制限のため言えずに終わったこと、または暗黙に示唆した行間の意味をやわらかい言葉に包みなおして講演や報告の真意を一つ一つ丁寧に再確認し、このフォーラムが「領土問題ということで、とかく悲観的に暗い思いに浸ることに対する1つの建設的なアンチテーゼになっている」と総括した。その後、質疑とコメントがあった。それは、領土問題の国内政治、すなわち領土問題を提起する各国の政治的な意図の問題(高橋甫さん)、日中間の領土問題をめぐる決定的期日の問題と、領土問題と関連した中台協力の可能性(王雪萍さん)、北極海において協力を模索することが逆に領土紛争と絡んだトラブルを増大する可能性(黄洗姫さん)、領土問題解決の前提として日本の植民地主義に対する反省の総括の必要性(角田英一さん)、琉球独立論と「琉球地位未定論」の関係(沼田貞昭さん)、国際法の見地という大局的レベルと漁民たちの働く現場レベルに同時に焦点を合わすことの意義(加藤青延さん)、日韓間において歴史的に存在した「東アジア型」の解決を東南アジアに適応することの可能性(マキトさん)など、多岐にわたる質疑とコメントが寄せられた。質疑応答の時間を経て、講演と報告で言及されなかったが、この地域に散らばる領土問題を考える上で、必然に出会わされる問題の数々が出揃い、それに対する、講演者と報告者たちの暫定的結論が提出された。その詳細についてはレポートを参照されたい。   戯論と書いて「ケロン」と読む。言わずに知っていることをことさら言葉にする無益な言論を指す仏教用語である。誰の目にも明らかに墜落している飛行機のなかで「この飛行機は墜落するぞ」と騒ぎ立てる行動がそれに当たる。極端な例えであるが、そのような人は、懸命に機体を正常に戻そうとする機長にすれば、邪魔以外の何物でもない。物事の現象から距離をおくことで問題の根本に到達することを戯論寂滅というのだそうだ。無記(むき)という言葉もある。善悪、または正邪を決定することのできない、無意味な議論に応対しないことを指す。正論という名で横溢する戯論に無記で対応すること、それも一つの方法といえよう。問題のあり方を把握するより問題提起の仕方を工夫することによって問題解決の方向が違ってくるという考え方もある。国際関係論ではコンストラクティヴィズムの理論的枠組みがこれに近い。もっとも林泉忠さんのいうとおり、学問にタブーがあってはいけないが、プルーデンス(prudence、思慮)はなにも政治家だけに要求される徳目ではないだろう。   フォーラムの後に、「もっと荒れるかと思った」という感想が寄せられた。聴衆にとって、荒れずに終わったフォーラムが期待はずれだったのか期待通りだったのか、分からない。しかし「拍子抜け」の感想を持ったとすれば、企画の意図は活かされたことになる。報告者たちはみな、自国の立場を尊重、あるいは考慮しながらも、お互いに喧嘩する意図は最初からなかったからである。その点では、聴衆たちも同じ気持ちであったのではないかと察する。これは東アジア国際社会の現実でもあるのではないだろうか。この地域で協力は選択科目ではなく、必須科目だからである。そんな国同士で領土問題をめぐる劇的解決などありえない。実際の展開が「拍子抜け」の結論に終われば、もっともいい。紛争の海こそ平和の海への合鍵である。   フォーラムの写真   --------------------- <南 基正(ナム・キジョン)Nam Kijeong> ソウル大学日本研究所副教授。韓国のソウル市生まれ。ソウル大学校にて国際政治学を学び、1991年にM.A.を取得。また、2000年には東京大学で「朝鮮戦争と日本-‘基地国家’における戦争と平和」の研究でPh.D.を取得。2000年には韓国・高麗大学平和研究所の専任研究員、2001年から2005年まで東北大学法学研究科の助教授、2005年から2009年まで韓国・国民大学国際学部の副教授などを経て現職。戦後の日本の政治外交を専門とし、最近は日本の平和主義や平和運動にも関心を持って研究している。主著に『戦後日本と見慣れぬ東アジア(韓国文、編著)』、『歴史としての日韓国交正常化II: 脱植民地化編(共著)』などがある。 ---------------------     2013年11月27日送信
  • 2013.11.13

    レポート第66号「日英戦後和解(1994-1998)」

    レポート66号本文(日英中合冊版) レポート66 号表紙   沼田貞昭(元カナダ大使、日本英語交流連盟会長) 「日英戦後和解(1994-1998)」 講演録 2013年10月20日発行   <本文より> 戦後和解の問題について、学者としてではなく、外交の実務者として経験したことをお話します。戦後和解という場合にいろいろな側面がありますが、私は1994~98年まで在英大使館のナンバー2として勤務していたときに、一番この問題を経験しましたので、そのことを振り返ってみたいと思います。私にとってイギリスは、それが2回目の勤務でした。最初に勤務した1960年代の後半は、戦争の記憶がまだ残っていましたが、捕虜の問題が非常に騒がれている状態ではなかったのです。ところが、2回目の勤務中の1995年は、戦争が終わってちょうど50周年で、この問題がはっきりと出てきて、その処理に腐心することになりました。   SGRAレポート66号本文(日本語版)   SGRA Report #66 (English Edition)   SGRAレポート66号本文(中文版)   SGRAレポート66号本文(ハングル版)   SGRAレポート66号本文(ハングル版)表紙    
  • 2013.11.06

    ヴィラーグ ヴィクトル「第2回SGRAスタディツアー『福島県飯舘村へ行って、知る・感じる・考える』報告」

    第2回SGRAスタディツアーは、「福島県飯舘村へ行って、知る・感じる・考える」をテーマに、2013年10月18日(金)から20日(日)までの2泊3日に亘って行われました。実施にあたって、特定非営利活動法人「ふくしま再生の会」とGlobal Voices from Japanにご協力を頂きました。   初日の早朝、本年度及び元渥美奨学生、その他のSGRA関係者を中心に、寝ぼけ眼の参加者十数名が池袋のサンシャインシティに集合しました。バスの中では、最初の休憩後、ようやく目が覚めたところで、ふくしま再生の会より事前に提供して頂いた資料を基に、飯舘村の基礎知識と再生の会の活動概要について、再生の会でも活躍されているGlobal Voices from Japanの角田英一さんから簡単な説明を受けました。なるべく先入観や偏見をもたず、頭を白紙の状態にして現場に入るのが重要ということで、事前学習は本当に初歩的な内容に止めました。   お昼は、福島駅前で弁当を食べましたが、ここで3日間の案内人を担当してくださった、ふくしま再生の会の代表を務めていらっしゃる田尾陽一さんと合流しました。現地での流れ、地域の歴史や特性、また放射能汚染に関する田尾さんのレクチャーを聴きながら、仮設住宅に向かいました。この時点から配布して頂いた線量計で放射線量の計測を始めました。   仮設住宅では、自治会の会長、副会長、管理人の方々をはじめとして、入居者の皆さんからお話を伺いました。その中で最も印象的だったのは、実質的な家族分離状態に関する悩みでした。というのは、飯舘村は災害の前は3世代以上の世帯が一般的であったのに、汚染被害を受けた後、希薄な支援体制の下で避難する中で、この世帯構成が崩れてしまったのです。子どもをもつ若い世代は別の地域で生活を再建し始め、仮設住宅に残っているのは高齢者ばかりです。さらに、皆さんは自分の土地、即ち日々の農作業からも切り離されており、経済的な困難に加え、プレハブでは孤立しがちになるという課題も抱えていらっしゃいます。   次に、飯舘村の小学校3校が移されている仮設校舎を訪問し、3人の校長先生と懇談しました。校舎では良い学習環境が整っているとはいえ、生徒さんが学校外で過ごす時間の様子が心配事の一つであることが分かりました。具体的には、放課後の過ごし方が避難前後で大きく異なります。今は全員、授業が終わるとすぐにスクールバスで帰宅します。避難先がバラバラであるため、近所の友達関係などの絆が失われてしまいました。さらに広い空間と自然に恵まれた農村環境から切り離されたため、毎日の運動量が減り、体力低下が気になるそうです。バス通学や校庭が狭くなったことも影響しているはずです。   続いて、仮村役場に行って「通行証」をもらい、実際の避難区域にあたる村に入りました。誰もいない従来の村役場の前で、最近まで村議会議員であった農家の菅野義人さんと待ち合わせた後、彼の案内を受け、村を見学しました。各種の公共施設、田畑(水田と畑)、バリケード、神社などを順番に回り、避難前後の状況と将来の展望について説明を聴きました。そして、手元の線量計で各所の汚染状況を自分達で常に確かめました。   夕方、隣接の伊達市にある旅館に着き、入浴を済ませた後の夕食では、各自の感想を共有し、不明な点を田尾さんに質問しながら議論を展開しました。参加者の心の中では、特に午後聴いた菅野義人さんの村と自分の家の歴史に関する言葉が響いたようでした。彼の家系は飯舘村において何世代にも亘る、少なくとも400年以上に至る歴史があり、天明の大飢饉(江戸中期)の際に90世帯のうち村に残った僅か3世帯の一つにあたるということです。今回の放射能汚染からの復興も自信がある、という極めて逞しい言葉でした。   2日目は、朝食をとってからバスで南相馬市に行き、約6キロまで福島第一原発に近づきました。原発までの現在の運輸経路とバリケードの現状、津波による被害状況や堤防などを見学し、放射線量を測って回りました。線量は飯舘村よりもずっと低いのですが、原発から20キロ圏内は長い間立ち入り禁止になっていたため、津波からの復旧が遅れています。   道の駅で昼食をとってから、飯舘村に戻り、午後は田尾さんに加えて農業委員会会長の菅野宗夫さんにお世話になりました。国家行政が進めている除染事業のぎくしゃくした流れ(仮々置場→仮置場→置場)について一通り把握し、その実態を見た後、菅野宗夫さんの土地を拠点にしているふくしま再生の会による様々なプロジェクトを見学しました。水力発電、オールタナティブの除染方法の開発、それを踏まえた栽培実験等々について勉強させて頂きました。最後に、菅野宗夫さんのご自宅でこたつを囲んで、災害直後の避難の流れなどのお話を直接伺いました。       宿舎に戻って入浴後の夕食兼総括は、菅野宗夫さんご夫妻とお父様も出席して下さったお陰で、懇談しながら有意義に議論が展開する会になりました。お父様は、蓼科ワークショップ参加者にとって映像からお馴染みの歌まで披露して下さいました。疲れが相当溜まっているにも関わらず、参加者はそれぞれの部屋に戻ってからも、目が自然に閉じてしまう直前まで、活発な議論で盛り上がりました。   最終日は、朝食をとって旅館を出発し、地域の歴史に対する理解を深めるために伊達市の文化財である保原歴史文化資料館に立ち寄りました。池袋に着いたのは夕方で、到着後すぐ解散となりました。   実は、私の出身国ハンガリーにおいて、与党は経済成長に伴い、かつロシアの資源への依存から脱却するために、原発を増設する方針を数カ月前に発表し、なおかつその技術移転を巡って日本と交渉する意図を明らかにしました。したがって、今回のスタディツアーでは、日本滞在期間に合わせて東電の電力使用歴が10年を上回る東京都民、あるいはコミュニティ開発・復興についても研究しているソーシャルワークの専門家という立場のみでなく、ハンガリーを母国とする身としても、個人的に考えさせられることがたくさんありました。参加者の具体的な感想も含む、より詳しい記録に関しては、映像作家の朴炫貞さんが撮影して下さったドキュメンタリー映像を楽しみにしていてください。   旅行の写真   金範洙撮影(1)   金範洙撮影(2)   今西撮影   ふくしま再生の会Facebook   -------------------------- <ヴィラーグ ヴィクトル ☆ Virag Viktor > 2003年文部科学省学部留学生として来日。東京外国語大学にて日本語学習を経て、2008年東京大学(文科三類)卒業、文学学士(社会学)。2010年日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科博士前期課程卒業(社会福祉学修士)、博士後期課程進学。在学中に、日本社会事業大学社会事業研究所研究員、東京外国語大学多言語・多文化教育研究センター・フェローを経験。2011/12年度日本学術振興会特別研究員。2013年度渥美奨学生。専門分野は現代日本社会における文化等の多様性に対応したソーシャルワーク実践のための理論及びその教育。 ---------------------------     2013年11月6日