日比共有型成長セミナー

エッセイ380:マックス・マキト「マニラ・レポート2013年夏」

2013年6月19日から21日まで、マニラにあるアジア開発銀行(Asian Development Bank, ADB)の本部で開催されたGlobal Development Network (GDN) の第14回年次グローバル会議に出席するため、マニラに一週間ほど帰った。論文発表をしないのに、飛行機代や会場の近くにある五つ星のホテルの滞在費などを補助してもらえたし、「不平等性、社会保護、包括的成長」(Inequality, Social Protection,
Inclusive Growth)というテーマがSGRAフィリピンのテーマである「持続可能共有型成長」(Sustainable Shared Growth)と関わっているので、大学は夏学期の最中であったが、スケジュールを調整して、世界中から集まった400人余りの経済開発研究者との議論に参加することにした。

 

アキノ大統領による基調講演では、フィリピン政府の、不平等性改善のための重要な対策である、条件付き補助金制度(Conditional Cash Transfer)が取り上げら れた。貧しい子供達が学校に通うことを条件に、現金が与えられている社会保護措置である。会議のなかでも、これについていくつかの興味深い研究が発表された。

 

本会議や分科会の間、僕はできるだけ参加者と話して研究やアドボカシーの可能性を摸索した。今後もさらに可能性を追求していきたいと思っている。セッションの質疑応答でも活発な議論があり、議長は大体の場合、参加者の勢いに負けないよう に必死だったし、できるだけ多くの人が質問できるように取り纏めていた。運よ く、僕はセッション中に質問の機会が2回まわってきたが、時間の制限で質問できなかったことも多かった。そのため、できるだけ、発表者を休憩時間中に捕まえて議論した。僕が質問したことは、重要だと思うので、下記のとおりご報告させていただきたい。

 

一つは「アジアや太平洋における包括的成長の実施」(Operationalizing Inclusive Growth in Asia and the Pacific) というテーマの分科会であった。発表者全員がADBの研究者だった。参加者が後ろの方に集まり、会議の間にさらに減ってしまいそうだったので、座長は「質疑応答の時に互いの顔がよく見えるよう に」前の方に移動するように促した。僕はすでに前のほうに座っていたので、移動の必要性がなかった。ADBの研究者が一般参加者との対話を嫌う傾向があるという印象を、僕はこの学会の早い段階で受けていたので、これで少し和らげることができてよかったと思った。

 

ADBの発表者の話を聞きながら、自分の頭で整理しようとしたのは、ADBが積極的に進めている「包括的成長」は以前の「共有型成長」とどう違うか、ということであった。どうしても発表者に確認しておきたかったので質問を投げかけた。「共有型成長」は1993年に世界銀行が発行した「東アジアの奇跡」という報告書で取り上げられた。発表者の一人が示した「成功した東アジア」がこの報告書の対象となっているが、日本を含むこれらの国々が成功できた理由の一つは、政府が行なった戦略的産業政策であると分析されている。発表者であるADBの研究者の報告を聞くと、両方の成長概念・開発政策・戦略が、貿易による地域統合、人材育成や雇用創出と言ったところで一致しているように聞こえた。ただ、雇用創出に関しては、一人の発表者が熱心に語ったものの、包括的成長の中では後からの思いつきのような存在だと受け止めざるをえなかった。これは一人が発表したADBの評価報告で最も明確だったと思う。ADBがあなたのプログラムをどう評価するか、ADBにとって何が重要であるか、明確に教えてくれる。ADBが発表した評価報告をみると、包括的成長は社会保護(=SAFETY NET、つまり人材育成や失業対策)を強調しているようである。この理解で行くと、次のフィリピンの事例のような問題がでてくるのではないか。フィリピンで教育を受けさせ、看護師やコール・センター従業員などを育てることは、果たして今のフィリピンにとって良いのだろうか。というのは、このような開発モデルに乗れば、フィリピンの早期非産業化(EARLY DE-INDUSTRIALIZATION)がますます深刻になりかねかないからである。僕は、今のフィリピンは、製造業を育てなくてはいけないと考えている。

 

例の「成功したアジア」を取り上げたADBの発表者は、正しい雇用創出がやはりフィリピンにとって重要で、この早期非産業化の議論をフィリピンで深める必要があると賛成してくれた。包括的成長の生みの親のようなもう一人のADB報告者(日本人ではないらしい)は、言葉的に両方の成長は似ているが、共有型成長のほうは「機会の平等性」を無視しているのではないか、と答えてくれた。この答えは先の僕の理解を確認できたと僕は受け止めている。教育のためにお金がない人々に補助金を提供したり、解雇者を救ったりすることは大事であるが、先ほどの早期非産業化の問題の解決策にならず、フィリピンは「中所得の罠」から益々脱出できなくなる。

 

もう一回質問の機会を与えられたのは、フランスに本拠を置いているFERDI財団(FONDATION POUR LES ETUDES ET RECHERCHES SUR LE DEVELOPPEMENT INTERNATIONAL、国際開発の研究財団)が設けた 分科会であった。

 

そこでは、被援助国の災害に対する脆弱性を含む成果主義の評価に基づくODAの配分について報告された。それに対して、指定のコメンテーターが、「このようなシステムは被援助国の政策者にとって難し過ぎて、下手をすると贈与の金額が削減される可能性がある。援助の政治経済学を念頭に置きながら、評価の提案を批判しなければいけない」と強調した。つまり、これ以上ODAの配分を複雑化するな、というコメントだった。

 

東京大学の博士論文や名古屋大学で研究員として研究をしていたときに、僕も日本のODAについて近代経済学の観点から研究したことがあるので、先のコメンテーターに対して、「政治経済といっても、ODAは政治家・官僚が参加している交渉テーブルではなく、最終的な恩恵者である被援助国の国民のところで終わるものである」と指摘した。FERDI財団が設けようとする成果主義のODA評価システムは、被援助国の政府の成績を評価する道具にもなりえるので、国民にとってありがたいものになるであろう。その意味でも、援助国のODAのやりかたを評価できるシステムでもあると思うので、研究の対象になった世界銀行の援助以外に、他の機関の援助の配分が成果主義に基づくものであるかどうか調べたことがあるかと質問した。

 

以上の僕のコメントについて、コメンテーターは笑顔でその通りだと認めてくれた。成果主義の評価システムの開発者は、他の国際援助機関の援助配分も調べたが、大体世界銀行と同じような結果が出た。ただし、成果に基づいて配分していない援助機関もあるので、そのような機関は今後、配分を見直す必要があるだろう。

 

会議の3日目の朝、今西淳子SGRA代表のアドバイスで、会議を抜けて、鹿島フィリピンの事務所に足を運んだ。SGRAフィリピンが8月にフィリピン大学と共催するセミナーのスポンサーをお願いするためであった。加藤総明COOと斉藤幸雄CFOが応対してくださり、僕がセミナーについて説明させていただいた後、セミナーの最大のスポンサーになることを決断してくださった。お二人は、第16回共有型成長セミナーで発表予定の建築学関係の研究に関心をもっておられるが、フィリピンにおける都会と農村の格差の解消にも興味を示してくださった。これからご指導とご支援をよろしくお願いします。

 

この他、SGRAフィリピンのセミナーだけでなく、来年8月にバリ島で開催するアジア未来会議への参加を誘ったり、インドやベトナムの参加者と共同研究プロジェクトの可能性を探ったりした。おかげさまで大変充実した3日間を過ごすことができた。Global Development Networkに感謝の意を表したい。今回僕は「SGRAジャパン」のメンバーとして登録した。僕の顔をみればすぐ日本人ではないとバレてしまうが、開発に関する日本の素晴らしい発想を信奉する者としてそう表現させていただいた。

 

英語版
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<マックス・マキト ☆ Max Maquito>
SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。
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2013年7月17日配信