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2014.09.03
SGRAでは昨年に引き続き、福島県飯舘村スタディツアーを下記の通り行います。
参加ご希望の方は、SGRA事務局へご連絡ください。
日程:2014年10月17日(金)、18日(土)、19日(日)2泊3日
参加メンバー:SGRA/ラクーンメンバー、その他
人数: 10~15人程度
宿泊:「ふくしま再生の会-霊山(りょうぜん)センター」
参加費: 15,000円(ラクーンメンバーには補助金が出ます)
申込み締切: 9月30日(火)
申込み・問合せ: 渥美国際交流財団 角田
[email protected]
Tel:03-3943-7612
スタディツアーの趣旨:
渥美国際交流財団/SGRAでは2012年から毎年、福島第一原発事故の被災地である福島県飯舘(いいたて)村でのスタディツアーを行ってきました。
そのスタディツアーでの体験や考察をもとにしてSGRAワークショップ、SGRAフォーラム、SGRAカフェ、そしてバリ島で開催された「アジア未来会議」でのExhibition & Talk Session“Fukushima and its aftermath-Lesson from Man-made Disaster”などを開催してきました。
今年も10月に第3回目の「SGRAふくしまスタディツアー」を行います。お友達を誘って、ご参加ください。
参加者募集チラシ
ヴィラーグ ヴィクトル「第2回SGRAスタディツアー『福島県飯舘村へ行って、知る・感じる・考える』報告」
李鋼哲「第1回SGRAスタディツアー『飯館村へ行ってみよう』報告」
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2014.09.03
2014年8月22日(金)~8月24日(日)、インドネシアのバリ島にて、第2回アジア未来会議が、17か国から380名の登録参加者を得て開催されました。総合テーマは「多様性と調和」。このテーマのもと、自然科学、社会科学、人文科学各分野のフォーラムが開催され、また、多くの研究論文の発表が行われ、国際的かつ学際的な議論が繰り広げられました。
アジア未来会議は、日本留学経験者や日本に関心のある若手・中堅の研究者が一堂に集まり、アジアの未来について語り合う場を提供することを目的としています。
8月22日(金)、バリ島サヌールのイナ・グランド・バリ・ビーチホテルの大会議場の前室には、午後のフォーラムで講演する戸津正勝先生(国士舘大学名誉教授)のコレクションから70点のバティック(インドネシアの伝統的なろうけつ染)、島田文雄先生(東京藝術大学)他による20点の染付陶器、そしてバロン(バリ島獅子舞の獅子)が展示され、会場が彩られました。
午前10時、開会式は4人の女性ダンサーによる華やかなバリの歓迎の踊りで始まり、明石康大会会長の開会宣言の後、バリ州副知事から歓迎の挨拶、鹿取克章在インドネシア日本大使から祝辞をいただきました。
引き続き、午前11時から、シンガポールのビラハリ・コーシカン無任所大使(元シンガポール外務次官)による「多様性と調和:グローバル構造変革期のASEANと東アジア」という基調講演がありました。「世界は大きな転換期を経験している。近代の国際システムは西欧によって形作られたが、この時代は終わろうとしている。誰にも未来は分らないし、何が西欧が支配したシステムに取って代わるのか分からない。」と始まった講演は、ほとんどがアジアの国からの参加者にとって大変示唆に富むものでした。
基調講演の後、奈良県宇陀郡曽爾村から招待した獅子舞の小演目が披露されました。その後、参加者はビーチを見渡すテラスで昼食をとり、午後2時から、招待講師による3つのフォーラムが開催されました。
社会科学フォーラム「中国台頭時代の東アジアの新秩序」では、中国、日本、台湾、韓国、フィリピン、ベトナム、タイ、インドネシアの研究者が、中国の台頭がそれぞれの国にどのように影響を及ぼしているか発表し、活発な議論を呼び起こしました。
人文科学フォーラム「アジアを繋ぐアート」では、日本の獅子舞とバリ島のバロンダンス、日本と中国を中心とした東アジアの陶磁器の技術、そしてインドネシアの服飾(バティック)を題材に、アジアに共通する基層文化とその現代的意義を考察しました。
自然科学フォーラム「環境リモートセンシング」は、第2回リモートセンシング用マイクロ衛星学会(SOMIRES 20)と同時開催で、アメリカ、インドネシア、マレーシア、台湾、韓国、日本からの研究者による報告が行われました。 フォーラムの講演一覧
午後6時からビーチに続くホテルの庭で開催された歓迎パーティーでは、夕食の後、今回の目玉イベントである日本の獅子舞とバリ島のバロンダンスの画期的な競演が実現し、400名の参加者を魅了しました。
8月23日(土)、参加者は全員、ウダヤナ大学に移動し、41の分科会セッションに分かれて178本の論文が発表されました。アジア未来会議は国際的かつ学際的なアプローチを目指しているので、各セッションは、発表者が投稿時に選んだサブテーマに基づいて調整され、必ずしも専門分野の集まりではありません。学術学会とは違った、多角的かつ活発な議論が展開されました。
各セッションでは、2名の座長の推薦により優秀発表賞が選ばれました。 優秀発表賞受賞者リスト
また、11本のポスターが掲示され、AFC学術委員会により3本の優秀ポスター賞が決定しました。 優秀ポスター賞の受賞者リスト
さらに、アジア未来会議では投稿された各分野の学術論文の中から優秀論文を選考して表彰します。優秀論文の審査・選考は会議開催に先立って行われ、2014年2月28日までに投稿された71本のフルペーパーが、延べ42名の審査員によって審査されました。査読者は、(1)論文のテーマが会議のテーマ「多様性と調和」と合っているか、(2)論旨に説得力があるか、(3) 従来の説の受け売りではなく、独自の新しいものがあるか、(4) 学際的かつ国際的なアプローチがあるか、という基準に基づき、9~10本の査読論文から2本を推薦しました。集計の結果、2人以上の審査員から推薦を受けた18本を優秀論文と決定しました。 優秀論文リスト
41分科会セッションと並行して、3つの特別セッションが開催されました。
円卓会議「これからの日本研究:東アジア学術共同体の夢に向かって」は、東京倶楽部の助成を受けて中国を中心に台湾や韓国の日本研究者を招待し、各国における日本研究の現状を確認した後、これから日本研究をどのように進めるべきかを検討しました。
CFHRSセミナー「ダイナミックな東アジアの未来のための韓国の先導的役割」は、韓国未来人力研究院が主催し、講義と学部生による研究発表が行われました。
SGRAカフェ「フクシマとその後:人災からの教訓」では、SGRAスタディツアーの参加者が撮影した写真展示及びドキュメンタリフィルムの上映と、談話セッションを行いました。
午後5時半にセッションが終了すると、参加者は全員バスでレストラン「香港ガーデン」に移動し、フェアウェルパーティーが開催されました。今西淳子AFC実行委員長の会議報告のあと、ケトゥ・スアスティカ ウダヤナ大学長による乾杯、2名の日本人舞踏家によるジャワのダンス、優秀賞の授賞式が行われました。授賞式では、優秀論文の著者18名が壇上に上がり、明石康大会委員長から賞状が授与されました。優秀発表賞41名と、優秀ポスター賞3名には、渥美伊都子渥美財団理事長が賞状を授与しました。最後に、北九州市立大学の漆原朗子副学長より、第3回アジア未来会議の発表がありました。
8月24日(日)参加者は、それぞれ、世界文化遺産ジャティルイの棚田観光、ウブドでの観光と買い物、ウルワツ寺院でのケチャックダンスとシーフードディナー、などを楽しみました。
第2 回アジア未来会議「多様性と調和」は、渥美国際交流財団(関口グローバル研究会(SGRA))主催、ウダヤナ大学(Post Graduate Program)共催で、文部科学省、在インドネシア日本大使館、東アジアASEAN経済研究センター(ERIA)の後援、韓国未来人力研究院、世界平和研究所、JAFSA、Global Voices from Japanの協力、国際交流基金アジアセンター、東芝国際交流財団、東京倶楽部からの助成、ガルーダ・インドネシア航空、東京海上インドネシア、インドネシア三菱商事、Airmas Asri、Hermitage、Taiyo Sinar、ISS、Securindo Packatama、大和証券、中外製薬、コクヨ、伊藤園、鹿島建設からの協賛をいただきました。とりわけ、鹿島現地法人のみなさんからは全面的なサポートをいただき、華やかな会議にすることができました。
運営にあたっては、元渥美奨学生を中心に実行委員会、学術委員会が組織され、SGRA運営委員も加わって、フォーラムの企画から、ホームページの維持管理、優秀賞の選考、当日の受付まであらゆる業務をお手伝いいただきました。また、招待講師を含む延べ82名の方に多様性に富んだセッションの座長をご快諾いただきました。
400名を超える参加者のみなさん、開催のためにご支援くださったみなさん、さまざまな面でボランティアでご協力くださったみなさんのおかげで、第2回アジア未来会議を成功裡に実施することができましたことを、心より感謝申し上げます。
アジア未来会議は2013年から始めた新しいプロジェクトで、10年間で5回の開催をめざしています。第3回アジア未来会議は、2016年9月29日から10月3日まで、北九州市で開催します。
皆様のご支援、ご協力、そして何よりもご参加をお待ちしています。
<関連資料>
第2回アジア未来会議写真
第2回アジア未来会議新聞記事(ジャカルタ新聞)
第2回アジア未来会議和文報告書(写真付き)
Asia Future Conference #2 Report (in English) with photos
第3回アジア未来会議チラシ
(文責:SGRA代表 今西淳子)
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2014.08.10
2014年は、ハルハ河・ノモンハン戦争後75年にあたる。これを記念して、モンゴルとロシアで、さまざまな記念行事やシンポジウムがおこなわれた。そのなか、モンゴル国立大学モンゴル研究所とモンゴルの歴史と文化研究会主催、渥美国際交流財団助成、在モンゴル日本大使館、モンゴル・日本人材開発センター、ハル・スルド モンゴル軍事史研究者連合会、モンゴル国立大学プレス・パブリッシング社後援の第7回ウランバートル国際シンポジウム「総合研究――ハルハ河・ノモンハン戦争」が8月9、10日にウランバートルで開催された。
謎に満ちたハルハ河・ノモンハン戦争は歴史上あまり知られていない局地戦であったにもかかわらず、20世紀における歴史的意義を帯びており、太平洋戦争の序曲であったと評価されている。1991年、東京におけるシンポジウムによって研究は飛躍的に進み、2009年のウランバートル・シンポジウム(SGRAとモンゴル国家文書管理総局、モンゴル科学アカデミー歴史研究所共催)ではさらに画期的な展開をみせた。しかし、国際的なコンテキストの視点からみると、これまでの研究は、伝統的な公式見解のくりかえしになることが多く、解明されていない問題が未だ多く残されている。立場や視点が異なるとしても、お互いの間を隔てている壁を乗りこえて、共有しうる史料に基づいて歴史の真相を検証・討論することは、歴史研究者に課せられた使命である。そのため、私たちは今回のシンポジウムを企画した。
本シンポジウムは、北東アジア地域史という枠組みのなかで、同地域をめぐる諸国の力関係、軍事秩序、地政学的特徴、ハルハ河・ノモンハン戦争の遠因、開戦および停戦にいたるまでのプロセス、その後の関係諸国の戦略などに焦点をあて、慎重な検討をおこないながら、総合的透視と把握をすることを目的とした。
私は8月3日にウランバートルに着いた。6月末に予約したのだが、希望日の便が取れなかった。今は、モンゴルの鉱山開発やモンゴルへの旅行などはたいへん人気があって、夏の便は3ヶ月以上前にとるべきだと言われているが、その通りだった。
日本と対照的に、モンゴルでは、新聞を読んでも、テレビのニュースを見ても、ハルハ河戦争勝利75周年と関係する報道が多く、街に出ても、「ハルハ河戦争勝利75周年記念」の幕が飾られており、国全体がお祝いムードになっていた。
8月8日の午前中に、モンゴル国立大学モンゴル研究所長J. バトイレードゥイ氏と打ち合わせをした際、急にTV2テレビ局から連絡があって、急遽車で同社に向かい、取材を受けた。同社はその日の夜と翌日の朝、2回も報道した。
9日午前、モンゴル・日本人材開発センター多目的室で第7回ウランバートル国際シンポジウムの開会式がおこなわれ、在モンゴル日本大使清水尊則氏、モンゴル国立大学長A. ガルトバヤル氏、国際モンゴル学会事務総長・モンゴル科学アカデミー会員D. トゥムルトゴー氏、モンゴル国立大学歴史学術院長P. デルゲルジャルガル氏が挨拶をした。
開会式の後、研究報告をおこなった。午前の会議では、P. デルゲルジャルガル氏が座長をつとめ、6本の論文が発表された。午後の会議では、モンゴル防衛研究所教授G. ミャグマルサンボー氏とモンゴル科学アカデミー歴史研究所教授O. バトサインハン氏が座長をつとめ、12本の論文が発表された。その後おこなったディスカッションでは、ウランバートル大学教授ダシダワー氏と私が座長をつとめた。
会議には、モンゴル、日本、中国、ロシア、ハンガリー、チェコ等の国からの研究者70人あまりが参加し、活発な議論が展開された。「最近、モンゴルの研究者は、あまりにも外国の研究者の主張に従い過ぎる」「モンゴル人研究者は独自の主張を持つべきだ」と、若手研究者の研究を批判する者がいれば、「未だ30年前の古い立場に立っている」と反論する研究者もいる。また、「モンゴル人の立場から見れば、ハルハ河戦争とはハルハとバルガの統一運動の一つの過程であった」「この統
一の運動を分断するため、ソ連と日本が同戦争をおこなった」という日本人の研究者のかんがえ方に対して、「モンゴルでは、だれもそう考えていない」と批判する声もあった。さらに、世界ハルハ河・ノモンハン戦争研究会を組織するという提案があり、全員の賛成を得た。ハルハ河・ノモンハン戦争の原因や結末、戦争の名称等をめぐって、各国の研究者のかんがえ方が大きく対立していることがしめされ、さまざまな課題はまだ残されている。
同日の夜、在モンゴル日本大使館で、同大使館と渥美国際交流財団共催の招待宴会がおこなわれ、清水大使と私が挨拶をし、一橋大学名誉教授田中克彦氏が乾杯の音頭をとった。参加者は歓談しながら、日本食を賞味した。
10日午前、参加者はジューコフ記念館を見学した。その後に行ったモンゴル軍事史博物館でも、各国の研究者の間では議論がつづき、また今後の学術交流などについても意見を交換した。午後からは、ウランバートル郊外のチンギスーン・フレーで、モンゴル国立大学モンゴル研究所主催の招待宴会がおこなわれた。
同シンポジウムについて、モンゴル国営通信社などモンゴルとロシアのテレビ局十数社が報道した。
当日の写真(フスレ撮影)
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<ボルジギン・フスレ Borjigin Husel>
昭和女子大学人間文化学部国際学科准教授。北京大学哲学部卒。1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。昭和女子大学非常勤講師、東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会外国人特別研究員をへて、現職。主な著書に『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(1945~49年)――民族主義運動と国家建設との相克』(風響社、2011年)、共編『ノモンハン事件(ハルハ河会戦)70周年――2009年ウランバートル国際シンポジウム報告論文集』(風響社、2010年)、『内モンゴル西部地域民間土地・寺院関係資料集』(風響社、2011年)、『20世紀におけるモンゴル諸族の歴史と文化――2011年ウランバートル国際シンポジウム報告論文集』(風響社、2012年)、『ハルハ河・ノモンハン戦争と国際関係』(三元社、2013年)他。
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2014年10月8日配信
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2014.08.09
下記の通りモンゴル国ウランバートル市にてシンポジウムを開催いたしますので、論文、参加者を募集いたします。
【開催趣旨】
謎に満ちたハルハ河・ノモンハン戦争は歴史上あまり知られない局地戦であったにもかかわらず、20世紀における歴史的意義を帯びており、太平洋戦争の序曲であったと評価されています。この戦争の真の国際的シンポジウムは、1989年、ウランバートルでモンゴル、ソ連に加えて日本から研究者をむかえた3者での協同研究から始まりました。そして、1991年、東京におけるシンポジウムによって研究は飛躍的に進み、2009年のウランバートル・シンポジウムではさらに画期的な展開をみせました。しかし、国際的なコンテキストの視点からみると、これまでの研究は、伝統的な公式見解のくりかえしになることが多く、解明されていない問題が未だ多く残されています。
立場や視点が異なるとしても、お互いの間を隔てている壁を乗りこえて、共有しうる史料に基づいて歴史の真相を検証・討論することは、われわれに課せられた使命です。
ハルハ河・ノモンハン戦争後75年を迎え、新しい局面を拓くべく、われわれは、関係諸国の最新の研究成果と動向、および発掘された史料を総括し、国際学術会議ならではのシンポジウム「総合研究――ハルハ河・ノモンハン事件戦争」を開催することにいたしました。
本シンポジウムは、北東アジア地域史という枠組みのなかで、同地域をめぐる諸国の力関係、軍事秩序、地政学的特徴、ハルハ河・ノモンハン戦争の遠因、開戦および停戦にいたるまでのプロセス、その後の関係諸国の戦略などに焦点をあて、ミクロ的に慎重な検討をおこないながら、総合的な透視と把握をすることを目的としています。このシンポジウムを通して、お互いに学ぶことができ、ハルハ河・ノモンハン戦争の一層の究明をすすめたいと願っています。
【日程・会場】 2014 年8月9(土)~10日(日)
参加登録:8月9日(土)9:00~9:30 モンゴル・日本人材開発センター
開会式・基調報告:8月9日(土)9:30~12:00 モンゴル・日本人材開発センター
会議:8月9日(土)13:30~18:00 モンゴル・日本人材開発センター
会議:8月10日(日)9:00~12:00 モンゴル防衛大学会議室
視察:8月10日(木)13:00~10:00 日本人抑留死亡者(ノモンハン戦死者含む)慰霊碑、
ジューコフ記念館見学、草原への旅行
【プログラム】
詳細は下記案内状をご覧ください。
案内状(日本語)
Invitation in English
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2014.07.06
渥美国際交流財団2014年度蓼科旅行・第3回SGRAワークショップin蓼科は、2014年7月4日(金)から6日(日)の週末に行われました。ワークショップでは、「『ひとを幸せにする科学技術』とは」をテーマに、講演やグループディスカッションなどが行われました。
7月4日の早朝、現役・元渥美奨学生らを中心とした約40人の参加者は新宿センタービルに集合し、貸切バスで蓼科高原チェルトの森へ向かいました。旅路の途中、SUWAガラスの里ではガラス工芸品の鑑賞を、諏訪大社上社本宮ではお参りをしました。渋滞に巻き込まれることもなく、予定通り16時過ぎにはチェルトの森にある蓼科フォーラムに到着しました。チェルトの森の自然は素晴らしく、空気がとても澄んでいて、自然に心と体が休まっていくのを感じました。
夕食後、オリエンテーションとアイスブレーキングが行われました。アイスブレーキングでは、それぞれの趣味や家族構成などの簡単な紹介から、自分のこれまでの人生のモチベーショングラフを作成し説明し合うなど、短いながらも密度の濃い交流時間を持ちました。普段の会話では話すことがあまりないような、それぞれの人生や価値観などについても垣間見ることができるような時間でした。
7月5日、朝から本格的なワークショップが開催されました。ワークショップは、大きく分けて、講演とグループディスカッションで構成されました。
最初に、立命館大学名誉教授のモンテ・カセム先生による講演、「次世代のダ・ヴィンチを目指せ―地球規模の諸問題を克服するための科学技術イノベーションに向けて―」が行われました。カセム先生は、専門も多岐に亘るだけでなく、大学や国連など、様々な領域で活躍されてきた経歴をお持ちで、講演内容にも多くのメッセージが含まれていました。その中でも、先生が強調されたのは、学際的なコミュニティーで行われる「共同」作業が生み出すイノベーションが持ち得る大きな可能性でした。先生は、そのような共同作業が生み出す、新たなものを創造していくエネルギーを、ルネサンスを築いたダ・ヴィンチに見たて、現代の諸問題を克服していくために有用に活用すべきだと力説されました。講演の中では、その実例として、カセム先生自身の京都とスリランカのお茶プロジェクトの取り組みについての紹介などがありました。さらに、そのようなイノベーションを達成するには、個々人の専門をしっかりと持つこと、そしてネットワーク、コミュニケーション等が重要であると説明されました。講義の後には、活発な質疑応答も行われ、講演に対する高い関心が窺われました。
午後のワークショップは、参加者を6つのグループに分けて進められました。最初に、いくつかの代表的な科学技術を象徴する製品の落札ゲームが行われました。各グループには、仮想のお金が与えられ、その中で自分たちが欲しいと思う製品に呼び値を付け、落札するというものです。その過程で、なぜその製品(科学技術)が重要であるのか、各グループで議論し考える時間が持てました。
次に行ったのは、グループディスカッションでした。全てのグループに、人が幸せになるためのイノベイティブな科学製品を考案するという課題が出されました。グループごとに人の幸せとは何なのか、その幸せを促進できる科学技術はどのようなものなのか、議論が行われ、模造紙に科学製品を描いてまとめる作業をしました。
7月6日の最終日には、各グループが考案した製品を発表する時間を持ちました。それぞれのチームから、とてもユニークなアイディア製品が紹介されました。具体的には、瞬時に言語に関係なくコミュニケーションを可能にするノートパッド、インターネットを利用した全世界医療ネットワークシステム、人型お助けロボット(オトモ)、健康管理から睡眠時間を効率的に調節できるなどの機能を持った多機能カプセルベッド(ダビンチベッド)、地域コミュニティー再生のための技術などが提案されました。各チームが考案した製品は、医療格差、介護、社会の分断化など、現代社会が直面している諸問題を反映し、それに対するユニークな解決策を提示していました。
各グル―プが発表を行った後は、エコ、利潤性、夢がある、の3つの基準をもとに、参加者全員による評価が行われました。その中で、総合的に最も高い評価を得たものが、コミュニティー再生のための科学技術を提案したグループでした。このグループは、希薄化されている地域コミュニティーの再生こそが人の幸せに繋がると考え、個人の利便性ばかり追求するのではなく、コミュニティーの再生に目を向けるべきだという主張を行いました。科学技術そのものよりも、地域コミュニティーの再生を謳ったグループが最も多くの支持を得たことは、とても興味深い結果でした。参加者の多くが、コミュニティーの喪失を現代における大きな問題点だと認識しているということがわかりました。
最後に、全員が一人ずつ感想を述べる時間を持ちました。参加者からは、多様な専門分野や背景を持った人々との議論が面白く、勉強になったという意見が多く挙がりました。個人が各々の専門をしっかりと持ちながら、学際的なコミュニティーの中で問題の解決に取り組むときこそイノベイティブなことができるという、カセム先生の講演を今一度考えさせられました。
ワークショップを終えた後は、ブッフェ形式の昼食をとり、帰路につきました。帰路の途中に、蓼科自由農園で買い物をし、予定通り19:00頃には新宿駅に着きました。
今回のワークショップは、全ての参加者が積極的に参加できるような細かなプログラムが用意されていたため、短時間で参加者同士の密接なコミュニケーションを図ることができました。また、蓼科チェルトの森の素晴らしい自然も参加者の心をより開放する一助となりました。今回のワークショップでできたコミュニティーやその経験は、今後の学際的な、そしてイノベイティブな活動を行うエネルギーへと繋がっていくことと思います。
ワークショップの写真
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<金兌希(きむ・てひ)Taehee Kim>
政治過程論、政治意識論専攻。延世大学外交政治学科卒業、慶應義塾大学にて修士号を取得し、同大学後期博士課程在学中。2014年度渥美財団奨学生。政治システムや政治環境などの要因が市民の民主主義に対する意識、政治参加に与える影響について博士論文を執筆中
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2014年9月24日配信
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2014.07.04
SGRAでは会員を対象としたワークショップを下記の通り行います。
参加ご希望の方は、SGRA事務局へご連絡ください。
テーマ: 「人を幸せにする科学とは」
日 時: 2014年7月5日(土)~6日(日)
集 合: 7月5日(土)午前9時 東京商工会議所 蓼科フォーラムにて受付
参加費: 5000円(食費、宿泊費(相部屋)を含む)
*ラクーン会員の方には補助がありますので事務局へお問い合わせください
募集人数: 先着20名(渥美奨学生を含む全参加者数は約40名になります)
募集締め切り:2014年6月20日(ただし定員になり次第募集を締め切ります)
申し込み・問い合わせ:SGRA事務局(
[email protected])
ワークショップの趣旨:
SGRAでは、福島原発事故を契機にして飯舘村スタディーツアーやSGRAワークショップ、そして5月31日にはSGRAフォーラム「科学技術とリスク社会」を開催してきました。そこから浮かび上がってきたのが「現代の科学技術は、ひとを幸せにしているのか?」という問いかけでした。今回のSGRAワークショップin蓼科では「ひとを幸せにする科学技術」をテーマとして、科学技術の発展と人の幸せについて、ひとりひとりが自分のこととして考える機会をもちたいと思います。プログラムではモンテ・カセム先生の講演に続き、グループゲームなどを行いながら「楽しく、しかし深く」語り合いたいと思います。
プログラム
7月5 日(土)(於:東商蓼科フォーラム)
9:30~12:00 講演+グループ分け
・講演 「次世代のダ・ヴィンチを目指せ」
-地球規模の諸問題を克服するための科学技術イノベーションに向けてー
モンテ・カセム先生(立命館大学名誉教授/立命館国際平和ミュージアム館長)
12:00~13:30 昼食
13:30~15:00 ビデオ+小グループディスカッション
15:00~15:30 休憩
15:30~17:00 小グループディスカッション
7月6日(日)
9:30~12:00 発表・まとめとふりかえり
《講師紹介》
モンテ・カセム先生(環境科学、イノベーション論)
スリランカ出身、東京大学工学研究科博士課程修了(建築学/都市計画)、国連地域開発センター等を経て、立命館大学教授、立命館アジア太平洋大学学長、立命館副総長(国際担当)等を歴任
皆様のご参加をお待ちしています。
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2014.06.14
2014年6月14日の会議は元智大学で開催された。開会式では、元智大学通識中心・劉阿栄主任が本学を代表して、ご来場の皆様を歓迎した。大衆教育基金会の簡明仁董事長もわざわざ駆けつけてくださった。簡董事長のご尊父は1920年代の農民運動家・簡吉氏である。簡董事長は、ご父君の事蹟の整理をきっかけに、台日の歴史研究に携わった。台湾と日本との思想の交流は早くから始まり、具体例として1920年から1930年までの間、台湾の社会運動の思潮は日本の学界からの影響によるものだとの、大変印象深いご挨拶だった。続いて、今西淳子渥美国際交流財団常務理事が、元智大学とご縁を結ぶことができて嬉しいこと、簡董事長の詳しい解説に感心したこと、そして、フォーラムの今後のテーマの一つとして、日台思想交流史を取り上げたいと述べられた。
フォーラムでは、川瀬健一先生が「戦後、台湾で上映された映画―民國34(1945)年~民國38(1949)年」という題目で講演された。1945年、第二次世界大戦が終わり、世界情勢が大きく変動したが、日本敗戦直後には台湾では多くの日本映画が上映されていた。1946年4月からは上映できなくなったが、その後も日本語の映画が1947年2月頃まで上映されていた。特に、1947年に起きた二・二八事件前後の映画上映状況、及びソ連映画(1946年4月~1948年7月まで)、中国共産党の映画(1948年7月~1949年末まで)の台湾での上映状況が詳しく紹介された。当時上映されたアメリカ映画は字幕が日本語だったという興味深い現象も紹介された。このことから、世界情勢や政策が急激に変わっても、文化はすぐに変えられるものではない事実が窺えるが、その一方、政策が文化に大きな影響を与えていることもよくわかる。
閉幕式では、元智大学の王佳煌副教務長が、「今回だけではなく、元智大学は今後ともフォーラムの開催に尽力したい」と挨拶され、元智大学応用外国語学科楊薇雲主任は、「人間は歴史から学んで未来を創る。そのため、未来フォーラムで歴史を語る川瀬先生の講演は、非常に考えさせられるものがあった」と、会議を締めくくった。
午後は、大渓保健植物厨房で食事をした。名前の通り、この厨房の料理は健康によい薬膳料理である。漢方薬の鶏スープ、枸杞そうめん、紅麹のご飯、磯巾着、木耳のエキスなど、珍しい料理が次々に出された。食事の後、陶磁器の産地・鶯歌へ向かい、台華窯という陶磁器の工房を参観した。美しい芸術品がたくさん展示されていた。続いて、鶯歌の古い商店街を散策。ここは時間をかけて探せば、掘出物がたくさん見つかる楽しい町である。皆、鶯歌を満喫した。
今回のフォーラムのプログラムはバラエティに富んでおり、充実した会議であった。多国籍(日本、台湾、韓国、スウェーデンなど)、かつ多領域の学者や専門家162名の参加を得て、大盛況であった。各領域の研究の交流、国際交流を促進し、また、学術研究を深め、広めることができ、大成功であった。
フォーラムを無事に開催することができたのは、数多くの団体が協力してくださったおかげである。特筆すべきは、台湾の政府機関・科技部からの助成をいただいたことで、これは台日の交流においては非常に有意義なことである。公益財団法人交流協会からも助成をいただき光栄であった。中鹿営造(股)からは今回も多大なるご支援をいただいた。そして、例年どおり、台湾日本人会にご協力いただき、多くの日系企業(ケミカルグラウト、全日本空輸(ANA)、台湾住友商事、みずほ銀行台北支店など)からの協賛をいただいた。学術団体では、台湾大学、台湾日本研究学会などから経験や資源を提供していただいた。また、財団法人大衆教育基金会、財団法人中日文教基金会から支援していただき、台湾の公益法人との交流が一歩前進したといえよう。ご支援、ご協力いただいた台日の各団体に心からの感謝を申し上げたい。
<関連リンク>
梁 蘊嫻「東アジアにおけるトランスナショナルな文化の伝播・交流―文学・思想・言語―(その1)」
梁 蘊嫻「東アジアにおけるトランスナショナルな文化の伝播・交流―文学・思想・言語―(その2)」
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<梁蘊嫻(リョウ・ウンカン)Liang Yun-hsien> 2010年10月東京大学大学院総合文化研究科博士号取得。博士論文のテーマは「江戸文学における『三国志演義の受容』-義概念及び挿絵の世界を中心に―」である。現在、元智大学応用外国語学科の助理教授を務めている。
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2014年9月17日配信
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2014.06.13
第4回日台アジア未来フォーラム報告(その1)
午後の研究発表は、「古典書籍としてのメディア」「メディアによる女性の表象」「メディアと言語学習」「メディアとイメージの形成」「文学作品としてのメディア」「メディアによる文化の伝播」という6つのセッションで行われた。
フォーラムに先立ち、世界中の研究者や専門家を対象に論文を公募した。応募数は予想より多く、大変な盛況であった。国籍から見ても、台湾、日本、韓国、スウェーデンなどがあって、まさにグローバルな会合であった。発表題目も古典研究から近現代研究まで、そしてオーソドックスな研究から実験的な研究までさまざまである。紙幅の都合上、すべての発表は紹介することができないが、いくつか例を挙げておこう。
(1)「日本古典籍のトランスナショナル―国立台湾大学図書館特蔵組の試み―」(亀井森・鹿児島大学准教授)は、地道な書誌調査で、デジタルでの越境ではなく古典籍のトランスナショナルという観点から文化の交流を考える。
(2)「草双紙を通って大衆化する異文化のエキゾチシズム」(康志賢・韓国全南大学校教授)は、草双紙を通して、江戸時代の異文化交流の実態を究明する。
(3)「なぜ傷ついた日本人は北へ向かうのか?-メディアが形成した東北日本のイメージと東日本大震災-」(山本陽史・山形大学教授)は、日本文化における東北地方のイメージの形成と変容を和歌・俳諧・小説・流行歌・映画・演劇・テレビなどの文学・芸術作品を題材にしつつ、東日本大震災を経験した現在、メディアが越境することによっていかに変化していくのかを研究する。
(4)「発信する崔承喜の「舞踊写真」、越境する日本帝国文化―戦前における崔承喜の「舞踊写真」を手がかりに―」(李賢晙・小樽商科大学准教授)は、崔承喜の舞踊写真が帝国文化を宣伝するものであると提示し、またこれらの写真の持つ意味合いを追究する。
(5)「The Documentary film in Imperial Japan, before the 1937 China Incident」(ノルドストロム・ヨハン・早稲田大学博士課程)は、日中戦争期、ドキュメンタリー映画がいかにプロパガンダの材料として使われていたかを論じる。
(6)「Ex-formation Seoul Tokyoにおける日韓の都市表現分析」(朴炫貞・映像作家)は、情報を伝えるinformationに対して、Ex-formationという概念を提出したデザイン教育論である。ソウルの学生はソウルを、東京の学生は東京をエクスフォメーションすることで、見慣れている自分が住む都市を改めてみることを試みた。
(7)「溝口健二『雨月物語』と上田秋成『雨月物語』の比較研究」(梁蘊嫻・元智大学助理教授)は、映画と文学のはざまを論じる。
(8)「漢字字形の知識と選択—台湾日本語学習者の場合―」(高田智和氏・日本国立国語研究所准教授)及び「漢字メディアと日本語学習」(林立萍氏・台湾大学准教授)は、東アジアに共通した漢字学習の問題を取り上げる。
(9)「日本映画の台湾輸出の実態と双方の交流活動について」(蔡宜靜・康寧大学准教授)は、日本と台湾の交流に着目する。
発表題目は以上のとおり、実にバラエティに富んでいた。それだけでなく、コメンテーターもさまざまな分野の専門家、たとえば、日本語文学文化専攻、建築学、政治思想学などの研究者が勢揃いした。各領域の専門家が活発に意見を交換し、実に学際的な会議であった。今回、従来の日本語文学会研究分野の枠組みを破って、メディアという共通テーマによって各分野の研究を繋げることができたのは、画期的な成果であるといえよう。
研究発表会の後、フォーラムの締めくくりとして座談会が行われた。今西淳子常務理事が座長を務め、講演者の3名の先生方(延広真治先生、横山詔一先生、佐藤卓己先生)と台湾大学の3名の先生方(陳明姿先生、徐興慶先生、辻本雅史先生)がパネリストとして出席した。
まず、今西理事が、フォーラムの全体について総括的なコメントをし、そして基調講演について感想を述べた。延広先生の講演については、寅さんが大好きな韓国人奨学生のエピソードを例に挙げながら、「男はつらいよ」にトランスナショナルな魅力があるのは、歴史のバックグランドや深さがあるからだと感想を述べた。また、横山詔一先生の講演については、今後、日本人や台湾人における異体字の好みをデーター処理していけば、面白い問題を発見できるかもしれないとコメントした。そして、佐藤卓己先生の講演については、ラジオの普及がきっかけで、「輿論」と「世論」の意味は変わっていったが、インターネットがますます発達した今日における「輿論」と「世論」の行方を観察していきたいと話した。
質疑応答の時間に、フロアから、中央研究員の副研究員・林泉忠氏から、「東アジアにおけるトランスナショナルな文化の伝播・交流」というフォーラムを台湾で開催するに当たって、台湾の役割とは何か、という鋭い質問があった。この質問はより議論を活発にした。
台湾大学の辻本雅史先生は準備委員会の立場から、フォーラムの趣旨について語った。「メディア」を主題にすれば、いろいろな研究をフォローできるからこのテーマを薦めたという企画当初の状況を話した。しかしその一方、果たして発表者が全体のテーマをどれだけ意識してくれるのかと心配していたことも打明けた。結果的には、発表者が皆「メディア」を取り入れていることから、既存の学問領域、すなわち大学の学科に分類されるような枠を超えて、横断的に議論する場が徐々に作られていったことを実感したと述べた。最後に、林泉忠氏の質問に対しては、台湾はあらゆる近代史の問題にかかわっているため、「トランスナショナルな文化の伝播・交流」を考えるのに、絶好の位置にあると説明し、知を伝達する一つの拠点として、「メディアとしての台湾」というテーマは成り立つのではないかと先見の目も持って提案した。
陳明姿先生は、いかに異なった分野の研究者を集め、有効的に交流させるか、というのがこのフォーラムの目的であり、また、それによって、台湾の研究者と大学院生たちに新たな刺激を与えることが、台湾でシンポジウムを開催する意義になると指摘した。
「台湾ならでは」について、今西理事も、台湾の特徴といえば、まず日本語能力に感心する。これだけの規模のシンポジウムを日本語でできるというのは、台湾以外はない。日本はもっと台湾を大事にしなければならない。また、SGRAは学際的な研究を目指しているが、それを実現するのは非常に難しい。しかし、台湾大学の先生方はいつも一緒に真剣に考えてくださる。こうして応えてくださるというダイナミズムがまた台湾らしい、との感想を述べた。
最後に、徐興慶先生がこれまでの議論を次のように総括した。①若手研究者の育成立場から、19本の発表の中に院生の発表が4本あったというのは嬉しい。②20年間で241名の奨学生を育てた渥美財団は非常に先見の明がある。育成した奨学生たちの力添えがあったからこそ、去年タイのバンコクで開かれたアジア未来会議のような大規模の海外会合を開催することができた。また、若い研究者の課題を未来という大きなテーマで結び付けた渥美財団のネットワークができつつあることに感銘を受けている。③学際的な研究を推進する渥美財団の方針に同感であり、台湾大学でも人文科学と社会科学との対話を進めている。④この十数年間、台湾の特色ある日本研究を模索しながら考えてきたが、その成果として、これまで計14冊の『日本学叢書』を出版することができた。台湾でしか取り上げられない課題があるが、台湾はそういう議論の場を提供する役割がある。徐先生は、台湾の日本学研究への強い使命感を示して、座談会を締めくくった。
同日夜、台湾大学の近くにあるレストラン水源会館で懇親会が開催された。参加者60名を超える大盛況で、皆、美食と美禄を堪能しながら、歓談した。司会を務めた張桂娥さん(東呉大学助理教授)は、抜群のユーモアのセンスで、会場の雰囲気を一段と盛り上げた。その調子に乗って、山本陽史先生は「津軽海峡冬景色」を熱唱し、引き続き川瀬健一先生も台湾民謡「雨夜花」をハーモニカで演奏した。最後に、フォーラムの企画者である私が皆様に感謝の言葉を申し上げ、一日目のプログラムは円満に終了した。
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<梁蘊嫻(リョウ・ウンカン)Liang Yun-hsien>
2010年10月東京大学大学院総合文化研究科博士号取得。博士論文のテーマは「江戸文学における『三国志演義の受容』-義概念及び挿絵の世界を中心に―」である。現在、元智大学応用外国語学科の助理教授を務めている。
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2014年8月20日配信
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2014.06.13
第4回日台アジア未来フォーラムが6月13日、14日の2日間にわたって、台湾大学及び元智大学で開催された。グローバル化が急速に発展した今日、メディアの発展が進むことで、文化の交流が盛んになり、文化の国境は消えつつある。この現象に着目しつつ、フォーラムのテーマを「東アジアにおけるトランスナショナルな文化の伝播・交流―文学・思想・言語―」とした。「メディア」は英語のmediaの訳語であり、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどの近現代以降にできあがった媒体として捉えられることが多い。ここではより広義的な意味を取っている。もとよりメディアは、時代によって異なり、メディアの相違が文化のあり方に関わってくる。
今回のフォーラムは、台湾・日本を含めた東アジアにおける文化交流・伝播の様態に迫り、異文化がどのようにメディアを通じて、どのように影響し合い、そしてどのような新しい文化が形成されるかを考えるものである。
1日目は台湾大学にて「文学とメディア」「言語とメディア」「思想とメディア」の3分野の基調講演、また19本の研究発表を行った。6月13日午前、台湾大学の文学院講演ホールで開幕式が行われた。渥美財団今西淳子常務理事、交流協会文化室福増伸一主任、台湾日本研究学会何瑞藤理事長、台湾大学日本語学科陳明姿主任のご挨拶によって、フォーラムが始まった。
1本目の基調講演では、東京大学名誉教授延広真治先生に「「男はつらいよ」を江戸から見れば―第五作「望郷篇」の創作技法―」というタイトルでお話をいただいた。山田洋次監督「男はつらいよ」は48連作に及ぶ喜劇で、ギネスブックにも登録された。48作中、監督自ら客がよく笑うと思われたのが第5作。延広先生は、この「望郷篇」の創作技法を江戸時代の作品に求められると指摘した。具体的に、江戸時代とかかわりの深い作品、たとえば落語「甲府い」・「近日息子」(原話:手まハし)・「粗忽長屋」(袈裟切にあぶなひ事)・「湯屋番」・「半分垢」(原話:駿河の客)、講談「田宮坊太郎」や曲亭馬琴『南総里見八犬伝』などを綿密に考察し、それらの作品と「望郷篇」の関係について詳しく説明した。
延広先生の講演を通して、日本人にとっての国民的映画「男はつらいよ」のユーモアは、監督の古典作品に対する造詣によるものであるとのことがよく理解できた。笑いは日本文化の中においては、非常に特徴的で大切なものである。落語の笑いは馬鹿馬鹿しくて、理屈がいらない。「男はつらいよ」が長く続けられたのは、落語的なユーモアセンスが染み付いているからではないかとつくづく思った。落語の笑いは外国人に理解されにくい。なぜならば言語の壁があるからだ。しかし、日本の笑いはドラマというメディアを通して伝えれば、外国人に受け入れられやすくなるであろう。
続いて、国立国語研究所横山詔一教授が「電子メディアの漢字と東アジアの文字生活」という演題で講演した。横山先生は、(1)「漢字をイメージする」、(2)「漢字を打つ」、(3)「文字の生態系モデル:文字と社会と人間」、という3つの要点を話した。横山先生はまず東アジアで共通して観察される「空書(くうしょ)行動」を紹介した。(空書行動とは、文字の形をイメージするとき、指先で空中に文字を書くような動作を言う)。この現象から、漢字文化圏の人は、漢字や英単語の形を思い浮かべるときに、視覚イメージだけではなく、体・肉体の動作(action)という運動感覚成分もあわせて活用しているということを指摘し、漢字は東アジアの人々の肉体感覚とつながっているメディアだという見解を提出した。
また、ネットツールの普及により、文字をキーボードで打つことが当たり前の時代になり、漢字は手書きよりも、パソコンの変化候補から「見て選択すれば書ける」時代になったとともに、字体の使用にも変化がみられたということを指摘した。この現象を(1)異体字の好み、(2)台湾の日本語学習者が日本人にメールを書く場面、との両方面から考察した。これらの研究課題については、伝統的な語学研究法ではなく、「文字の生態系モデル」に基づいて分析した。横山先生はいくつか興味深い研究成果を提示したが、その中の一つを次に挙げておこう。台湾の日本語学習者がメールを書く時には、読み手の日本人が読みやすい表記、あるいは違和感を持たない表記を意識的・無意識的に選択するという傾向があるという。「文字と社会と人間は一体であり、切っても切れない関係にある」ということだが、インターネットが発達すればするほど、この傾向はますます強くなるといえよう。
横山先生の講演は、電子メディア(ネットメディア)の発達によって、東アジアにおける文字文化の国境が消えつつある実態に着目し、東アジアの文字生活が「漢字」という記号・媒体を通じて今後どのように変化していくのかを考える手がかりとなった。
3本目の講演は、京都大学佐藤卓己准教授の「輿論と世論の複眼的思考―東アジアの理性的対話にむけて」というテーマであった。佐藤先生は、マスメディアの普及にもたらされた「輿論」と「世論」の混同という現象には、知識人がどのような姿勢でいるべきかについて、次のような見解を述べた。
「輿論」と「世論」は、戦前の日本ではそれぞれ「ヨロン」と「セイロン・セロン」と読まれていた。意味上においても、「輿論」は「public opinion」、「世論」は「popular sentiments」と区別されていた。しかし今日に至って、「輿論」という言葉が使われなくなった一方、「世論」を「ヨロン」と読む習慣が定着し、「輿論」の意味と混同する例が見られるようになった。これは歴史の経緯から見れば、戦後1946年に「輿」という字が制限漢字に指定された政策と関係しているが、1920年代の「政治の大衆化」とともに生じた「輿論の世論化」という現象によるものでもあった。「輿論の世論化」はさらに1943年5月情報局の「輿論動向並びに宣伝媒体利用状況」調査結果が示すように、戦時下の国民精神総動員で加速化した。「輿論の世論化」は理性が感性に、知識人の輿論が大衆の世論に飲み込まれていく過程であった。日本ではこうした同調圧力への対応を「空気を読む」と表現するが、この「空気」、すなわち誰も責任をもたない雰囲気である「世論」の暴走は現在ますます警戒する必要がある。インターネットが普及した情報社会では、空気(世論)の中で、個人が担う意見(輿論)はますます見えなくなっている。
こうした状況に対しては、「輿論」と「世論」の区別を回復し、さらに「世論の輿論化」を目指すことの必要があると佐藤先生は指摘した。また、「世論の輿論化」とは、知識人が大衆の感情にどのような言葉を与え、対話可能な枠組を創っていくかということだと述べている。世論は即時的な感情的反応の産物であり、討議という時間を経て熟成されるのが輿論である。インターネットのように欲望を即時的に満たすメディアによって、現在ではますます「輿論の世論化」が加速化している。こうした現状に対しては、佐藤先生は、インターネット中心の今日だからこそ、伝統的な活字メディアによる人文知の重要性はますます高まると強く主張した。また、「世論の輿論化」の実践は、「トランスナショナルな文化の伝播・交流」として始まるべきだということが講演の結びとなった。
以上の3本の講演は、それぞれ文学研究、言語学研究、思想研究に大きな示唆を与えているものであった。午後は、分科研究発表が行なわれたが、その詳細は引き続き報告する。(つづく)
フォーラムの写真 ……………………………… <梁蘊嫻(リョウ・ウンカン)Liang Yun-hsien> 2010年10月東京大学大学院総合文化研究科博士号取得。博士論文のテーマは「江戸文学における『三国志演義の受容』-義概念及び挿絵の世界を中心に―」である。現在、元智大学応用外国語学科の助理教授を務めている。 ………………………………
2014年8月13日配信
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2014.05.31
下記のとおり、第47回SGRAフォーラムを開催いたしますので奮ってご参加ください。SGRAフォーラムはどなたにもご参加いただけますのでご関心のある方々にご宣伝ください。
テーマ:「科学技術とリスク社会」~福島第一原発事故から考える科学技術と倫理~
日時 :2014年5月31日(土)午後1時30分~4時30分
会場 :東京国際フォーラム ガラス棟 G610会議室
参加費:フォーラム/無料 懇親会/正会員1000円、メール会員・一般2000円
お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局宛に事前にお名前、ご所属、連絡先をご記入の上、参加申込みをしてください。
SGRA事務局(
[email protected] Tel: 03-3943-7612 )
◇プログラムの詳細はここをご覧ください。
フォーラムの概要:
3・11/福島原発事故以降、「科学技術の限界」あるいは「専門家への信頼の危機」が語られてきました。今回のSGRAフォーラムでは、島薗進先生(上智大学神学部教授-宗教学/応用倫理)、平川秀幸先生(大阪大学コミュニケーションデザインセンター教授-科学技術社会論)をお招きして、福島第一原発事故を事例として「科学技術と倫理」、「科学技術とリスク社会」、「科学なしでは答えられないが、科学だけでは答えられない問題群」などをテーマとしてオープンディスカッションを行います。
①理工系科学者のみならず社会系科学者、人文系科学者の役割と倫理
②科学者と市民を結ぶ科学技術コミュニケーションの可能性
〔トピック〕
福島第一原発事故から考える「科学技術の限界」、「専門家への信頼の危機」
巨大科学、先端科学が生み出す「リスク社会」の様相
「科学技術と倫理」の課題及び社会系科学者、人文系科学者の役割
科学者と市民を結ぶ科学技術コミュニケーションの可能性
プログラム:
1.問題提起:(5~10分)
チェ・スンウォン(韓国)理化学研究所/生物学
2.対談:(約40分)
島薗進先生 上智大学神学部教授(宗教学/応用倫理)
平川秀幸先生 大阪大学コミュニケーションデザインセンター教授(科学技術社会論)
モデレータ:エリック・シッケタンツ(ドイツ)
東京大学大学院人文社会系研究科特別研究員/宗教史
3.オープンディスカッション:(約90分)
ファシリテータ:デール・ソンヤ(ノルウェー)
上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科特別研究員/グローバル社会
◇プレスリリース・参加申込み