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2016.12.27
下記の通りSGRAフォーラムを開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。
テーマ:「人を幸せにするロボット(人とロボットの共生社会をめざして 第2回)」
日 時:2017年2月11日(土・休)午後1時30分~4時30分
会 場:東京国際フォーラム ガラス棟 G501 号室
参加費:フォーラムは無料 懇親会は賛助会員・学生1000円、メール会員・一般2000円
お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局(
[email protected], 03-3943-7612)
ポスター
◇フォーラムの趣旨
近年、ニュースや様々なイベントなどで人型ロボットを見かける機会も多くなってきました。今、私たちの日々の生活をサポートしてくれる「より人間らしいロボット ヒューマノイド」の開発が急ピッチに進んでいます。
一方で、私たちの日常生活の中では、既に多種多様なロボットが入り込んでいる、といわれています。例えば「お掃除ロボット」、「全自動洗濯機」、「自動運転自動車」などなど。ロボット研究者によれば、これらもロボットなのだそうです。では、ロボットとは何なのでしょうか?
そして、未来に向けて「こころを持ったロボット」の開発がA.I.(Artificial Intelligence) の研究をベースに進められています。「こころを持ったロボット」は可能なのでしょうか?「ロボットのこころ」とは何なのでしょうか?この問題を突き詰めて行くと、「こころ」とは何か?という哲学の永遠の命題に行きあたります。
今回のフォーラムでは、第一線で活躍中のロボット研究者と気鋭の哲学者が、人を幸せにするロボットとは何か?人とロボットが共生する社会とは?など、皆さまの興味や疑問にわかり易くお答えします。
◇プログラム
詳細はプログラムをご覧ください。
【基調講演】「夢を目指す若者が集う大学とロボット研究開発の取り組み」
稲葉雅幸(Masayuki Inaba)東京大学大学院情報理工学系研究科創造情報学専攻教授
ロボットの研究開発は数十年の歴史があり、工場内から社会生活のさまざまな分野への活躍が期待されています。ロボットで社会貢献の夢を抱く若者が集い、社会へ飛び立ってゆく大学におけるロボット研究開発の取り組みについてご紹介します。
【プレゼンテーション1】「ロボットが描く未来」
李 周浩(Joo-Ho Lee)立命館大学情報理工学部情報コミュニケーション学科教授
SF映画、SF小説、SF漫画、未来の社会を描く物語には必ずと言っても過言ではないくらいロボットが出てきます。本講演では,予測可能な未来を実現させる技術としてのロボットについて、また、そのロボットが現在の社会に与える影響に関する内容を中心に話題を提供します。
【プレゼンテーション2】「ロボットの心、人間の心」
文 景楠(Kyungnam Moon)東京大学教養学部助教(哲学)
ロボットは人間のような心をもつことができるのでしょうか。それ以前に、心を「もつ」や「もたない」といったことはそもそも何を意味しているのでしょうか。私のプレゼンテーションでは、こういった問題を哲学的な観点から一緒に考えます。
【プレゼンテーション3】「(絵でわかる)ロボットのしくみ」
瀬戸 文美(Fumi Seto)物書きエンジニア
「絵でわかるロボットのしくみ」はロボット工学へのはじめの一歩を踏み出すためのガイドブックとして、数式や専門用語を用いずに分野全体の俯瞰を行うことを目的とした書籍です。この本ができるまでの紆余曲折をお話しし、ロボットや科学技術を身近なものとするにはどうしたらよいか、皆さんと考えたいと思います。
【フリーディスカッション】-フロアとの質疑応答-
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2016.12.08
台風のため延期された第21回日比共有型成長セミナーを、下記のとおりフィリピンのベンゲット州で開催します。参加ご希望の方は、SGRAフィリピンにご連絡ください。
◆第21回日比持続可能な共有型成長セミナー
テーマ:「開発研究・指導の進歩と効果を持続させるために」
“Sustaining the Growth and Gains of Development Research and Extension”
日時:2017年1月6日(金)~7日(土)
場所:ベンゲット州コルディリェラ行政地域
1日目:ベンゲット州立大学農業研修所にて円卓会議
2日目:農場の現場視察
言語:英語
申込み・問合せ:SGRAフィリピン (
[email protected] )
セミナーの概要
SGRAフィリピンが開催する21回目の持続可能な共有型成長セミナー。今回は、アジア未来会議から習った新しい形式で開催。テーマは「開発研究・指導の効果や成長の維持」。SGRAフィリピンの運営委員でもある、フィリピン政府農業省のJane Toribio博士の研究調査の現場である、ベンゲット州(マニラ市から北へ車で約6時間の山岳地帯)を会場とし、1日目は関係者の円卓会議を、2日目は現場視察を予定している。
これからのマニラ・セミナーは、今まで続けてきた「持続可能な共有型成長」というテーマにさらに集中し、効率・公平・環境の3側面(3K)を重視している委員たちの研究・アドバカシーのみを扱いたい。従来は絨毯爆撃(carpet bombing)方式で「なんでもあり」というやり方で、課題に命中しないことが多かったので、今後は精密打撃 (surgical strike)方式で展開する。今回は、持続可能な農業という3Kの研究・アドバカシーである。お時間のある方、ぜひ奮ってご参加してください。
プログラム
1日目:1月6日(金)
発表1(09:45~10:15)「ベンゲット州における有機農業の実践と経験」
発表者:Jeffrey Sotero
発表2(10:15~10:45)「ベンゲット州における苺農業」
発表者:Felicitas Dosdos
発表3(10:45~11:15)「ベンゲット州における被災のリスク低減や管理」
発表者:Atty. Roberto Canuto, Winston Palaez, Erick Abangley
発表4(11:15~11:45)未定
質疑応答
円卓会議(13:30~17:00)
モデレーター:Dr. Max Maquito
討論者:午前の発表者
2日目:1月7日(土)
08:00:バギオ市のR. Salda市長へ挨拶
08:30:Bahongの花畑と農園の視察
10:00:苺農園の視察
12:00:有機農業の食事
13:30: マニラへ向かいながら観光
詳細は プログラム をご覧ください。
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2016.11.24
(第3回アジア未来会議「環境と共生」報告#8)
◆今西淳子「円卓会議『日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性』報告」
2016年9月30日(金)午前9時から12時30分まで、北九州国際会議場の国際会議室で、円卓会議「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」が開催された。日本、中国、韓国から歴史研究者が集まり活発な議論が交わされた。88人が定員の会場は満席で、人々の関心の高さが示された。
最初に早稲田大学の劉傑(Liu Jie)教授が、問題提起の中で「なぜ『国史たち』の対話なのか」「『国史』から『歴史』へ」「対話できる『国史』研究者を育成すること」と題して、最近の10数年間の日本・中国・韓国の「歴史認識問題」をめぐる対話の成果、また留学生の増加と大学の国際化に伴う「国史」から「歴史」への変化を認めながらも、「国史たち」の対話をより実質的なものにするために、現在の研究者同士の交流をさらに進めると同時に、10年後、或いは20年後に本格的な国史対話が行えるような環境を整備することが重要であると指摘した。
次に、高麗大学の趙珖(Cho Kwang)名誉教授は、東北アジアの歴史問題は自民族中心主義と国家主義的な傾向に由来するとし、韓国で近来編集された学校教科書、学会の日本関係史、中国関係史の叙述について分析した。(1)「前近代中国に対する叙述」では、高句麗史をめぐる混乱を通じて「華夷意識」に言及、また、(2)「前近代日本に対する叙述」の結論においては「全体的に(韓国の)教科書でみる前近代日本は、文化後進国として(朝鮮の)先進文化の受益者、そして侵略者としての姿である。これは一面的には妥当だが、正確ではない。日本を一つのまともな関係主体として見做さない国史教科書の認識は、韓国をめぐる現在の様々な難題を解決し、正しい韓日関係を作るのに役立つとは思えない」と主張した。そして、(3)「近代東アジアに対する叙述」では、19世紀以後の東アジアは、一国の状況のみで自国史を述べること自体が不可能であるほどに三国の歴史が絡み合っているのに、韓国近現代史の教科書に中国と日本の近現代史に関する内容が殆ど出てこないこと、朝鮮戦争の場合でさえ、内部政治や経済や社会に関する説明が溢れ、参戦した各国の論理が紹介されていないことを指摘、近現代史の場合、中国史のみならず、日本史と連結して説明することによって脈絡を理解できるようになる、自分を読むことも重要な仕事であるが、如何に他人を読めばよいかという問題も重要である、と結んだ。
復旦大学の葛兆光(Ge Zhaoguang)教授は、「蒙古襲来」(1274、1281)「応永の役」(1419)「壬申丁酉の役」(1592、1597)を例にして、国別史と東アジア史の差異を論じた。一国史の視点から見ると、ひとつの円心の中心部は明晰でありながらも、周辺部はぼやけてしまう。もしいくつかの円心があれば、幾つかの歴史圏が形成され、それが重なる部分がでてくる。東アジア史を語る場合、この歴史圏の重なる部分を浮き彫りにする必要がある。たとえば蒙古襲来によって、日本が初めて「神国」と思われるようになり、日本文化の独立の端緒が開かれ、中国の「華夷秩序」から離脱したと日本史には記述される。ところが高麗は蒙古化され、蒙古人が日本に侵略する際、その前線基地になった。一方、中国では蒙古/元朝は「自国史」と見なされ、蒙古襲来は、蒙古と日本と高麗という中国の外で起こったこととされる。東アジア全体の視野で見れば、蒙元の日本侵略(または高麗を従属国にすること)は、東アジアの政治局面のみならず文化的にも各国の自我意識を喚起し、東アジアの「中国中心」の風潮が次第に変わっていくきっかけとなったと解釈できる。同様に、応永の役の発生及び解決は、その後数百年の東アジア国際関係を安定へと導いた。「壬辰の役」は、それまでの安定した東アジア国際関係を大きく揺らし、その後の東アジアが共有していたアイデンティティの崩壊の伏線を引いたが、当時はこの事件も速やかに収まり、東アジアのバランスのとれた局面は、19世紀に西洋諸国が武力を背景に東洋に進出するまで続いた。しかし、中国の歴史では、蒙元の日本侵略と高麗支配は、ただ蒙古人の世界支配の野心の現れに過ぎず、朝鮮の対馬への侵攻も隣国同士の紛争、「壬辰の役」に到ると、日本は侵略者であり、中国は朝鮮の国際的な友人として、両国が手を携えて日本侵略軍を打ち負かしたと明言する。もし歴史学者が東アジア史の視野をもって見直したら、新しい認識がでてくるのではないかと論じた。
東京大学の三谷博名誉教授は、国史たちの対話を促進するために、(1)日本における高校歴史教育課程の改訂について報告し、(2)日本史教科書の中の世界・東アジア記述の問題点を指摘した。日本の高校では「歴史総合」が必修教科となる予定である。「歴史総合」は、(a)世界史と日本史を融合させ、(b)近代史に絞り、(c)アクティブ・ラーニングを推奨する点に特徴がある。しかしながら、このような動向に、学会や教育会が協力するかどうかは未だ明らかではない。日本史の研究と教育において、つい最近生じた隣国との関係悪化は、東アジアの中に日本を位置づけるという研究動向に冷水を注いだ。内外から押し寄せる政治圧力を超えて、長期的に有意味な展開ができるか予断を許さないと述べた。また、長期的には(3)互いに隣国の国内史を学ぶ必要を強調した。日中韓3国の知識人たちの欧米への関心の高さと、隣国への無関心との対照に深い懸念を抱き、国際関係だけでなく、まず相手の国がどんな文脈を持っているかを知らなくてはいけない、隣国の歴史をわかったつもりにならず、互いに、虚心に学び合う、それが「国史たちの対話」の究極の課題であると結んだ。
韓国、中国、日本の歴史の大家の大局的な講演に続いて、6名の中堅若手の研究者からコメントがあった。
北九州市立大学の八百啓介教授は、先ず近代史における対欧米関係と東アジアの視点との比重についての中韓日の相違点を指摘して論点整理を試みるとともに、東アジアの国民国家としての日中韓の立場の相違、前近代東アジア史を国民国家の視点を離れて見直すことによって近代東アジアの国民国家を検証する可能性と必要性を指摘した。
北海道大学の橋本雄准教授は、1402年に執り行われた足利義満による明使接見儀礼を復元し、いかに義満が、明使への配慮や敬意を表しながら、自尊意識を満足させる儀礼に換骨奪胎していたかを詳しく説明した。日本史を描く場合に対外関係史の成果を衍用することは不可欠だが、ただ単に外国史の文脈をナイーヴに読み込めばよいというものではない。双方の文脈に注意しながら各国史料を実証的に突き合わせ、冷静な判断をしていかないと「国史」が偏ったものになってしまうだろう、と指摘した。
早稲田大学の松田麻美子氏は、「中国の教科書に描かれた日本:教育の『革命史観』から『文明史観』への転換」というタイトルで、中国の歴史教科書の変化について報告したが、習近平政権成立後は揺り戻しもおきていると指摘した。
復旦大学の徐静波教授は、東アジアの歴史を正しく認識する際、自国の立場に拘泥せずに、もっと広い視野で見る必要があり、または自国の資料だけでなく、出来るだけ各国の歴史資料や考古学の成果を利用して客観的に考察する必要があると指摘した。
高麗大学の鄭淳一氏は、「国史たちの対話」の進展のためには、これまで行われてきた官民レベルの歴史対話の事例をちゃんと調べ、「国史たちの対話」プロジェクトとの共通点、相違点を分析し、生産的な課題を引き出していくことが大事であると指摘。また、高校生・大学生レベルでの「対話」あるいは学術交流も視野に入れた若手研究者同士の交流を促進する方法、韓国の高校『東アジア史』の経験を参考にして東アジアにおける「国史」の叙述方式を 皆で考える必要があると提案した。
高麗大学の金キョンテ氏は、共通の歴史的事件に関する用語をどう決めるのかという問題をとりあげ、「壬辰倭乱」ではなく「壬辰戦争」という用語がいいと思うが、「韓国の情緒にはまだ早い」という反論があると紹介した。また、「国史教科書」と「国史研究」が持つべき目標」は、「自信感」「誇り」であったが、それはもう有効な目標ではなく、各国の政治的、歴史的な特徴が反映されなければならないと指摘した。
円卓会議「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」は、渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)が、2013年3月にバンコクで開催した第1回アジア未来会議中の円卓会議「グローバル時代の日本研究の現状と課題」をかわきりに検討を重ね、2015年7月に東京で開催したフォーラム「日本研究の新しいパラダイムを求めて」で、早稲田大学の劉傑教授によって提案された「アジアの公共知としての日本研究」を創設するための提案を受けて発展させたものである。本会議は、これから5回は続けるプロジェクトの初回として、第3回アジア未来会議の中で開催された。今後は、テーマを絞りながら、日本人の日本史研究者、中国人の中国史研究者、韓国人の韓国史研究者の対話と交流の場を提供していく予定である。
本プロジェクトのひとつの特徴は言葉の問題である。本会議では、下記6名によって同時通訳が行われた。【日本語⇔中国語】丁莉(北京大学)、宋剛(北京外国語大学)【日本語⇔韓国語】金範洙(東京学芸大学)、李へり(韓国外国語大学)【中国語⇔韓国語】李麗秋(北京外国語大学)、孫興起(北京外国語大学)。今後もできるだけ同じメンバーで続けていきたい。
本会議の講演録は、SGRAレポートに纏め、日本語版、中国語版、韓国語版を発行する予定である。
当日の写真
<今西淳子(いまにし・じゅんこ)Junko Imanishi>
学習院大学文学部卒。コロンビア大学大学院美術史考古学学科修士。1994年に家族で設立した(公財)渥美国際交流財団に設立時から常務理事として関わる。留学生の経済的支援だけでなく、知日派外国人研究者のネットワークの構築を目指す。2000年に「関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)」を設立。また、1997年より異文化理解と平和教育のグローバル組織であるCISVの運営に加わり、(公社)CISV日本協会常務理事。
2016年11月24日配信
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2016.11.24
(第3回アジア未来会議「環境と共生」報告#7)
公益財団法人渥美国際交流財団関口グローバル研究会は、2014年と2015年に清華東亜文化講座の協力を得て、中国在住の日本文学や文化の研究者を対象に、2回のSGRAチャイナ・フォーラムを開催した。2014年の会議では、東京藝術大学の佐藤道信教授が、19世紀以降の華夷秩序の崩壊と東アジア世界の分裂という歴史的背景の下で創られた東アジアの美術史は、美術の歴史的な交流と発展の実態を反映しない一国美術史にすぎないという問題を提起し、一国史観を脱却した真の「東アジア美術史」の構築こそ、東アジアが近代を超克できるか否かの重要な試金石であると指摘した。一方、2015年のフォーラムでは、国際日本文化研究センターの劉建輝教授が、古代の交流史と対比して「抗争史」の側面が強調されがちな近代においても、日中韓三国の間に多彩多様な文化的交流が展開されており、古来の文化圏と違う形で西洋受容を中心とする一つの近代文化圏を形成していたことを明らかにした。
今回は、過去2回のフォーラムの報告者とコメンテーターを討論者として招き、塚本麿充氏(東京大学)と孫建軍氏(北京大学)による二本の報告を基に、今後、東アジアにおける広域文化史の試みをいかに推進していくべきかについて活発な議論を繰り広げた。
まず、塚本氏の報告「境界と国籍―“美術”作品をめぐる社会との対話―」は、日本に伝来した中国・朝鮮絵画や福建、広東など中国の地方様式や琉球絵画といったマージナルな地域で生み出された作品を取り上げ、「国家」という大きな物語に到底収斂され得ない、まさに交流を通して境界で育まれた豊饒な「モノ」の世界を開示してくれた。
孫建軍氏の報告「日中外交文書に見られる漢字語彙の近代」は、1871年に日中間で調印された最初の外交条約「日清修好条規」から1972年の「日中共同声明」までの100年間の外交文書を対象に、日中語彙交流の見地から漢字語彙の使用状況、とりわけ同形語の変遷を考察し、日本語から新漢字を輸入することによって、古い漢字語彙から近代語へと変わっていく現代中国語の形成過程の一端を浮き彫りにした。
前者は、国家の物語に回収され得ない大量な歴史的事象の存在を突きつけることによって、後者は、この国ならではの均質、単一な価値を付与されたものの起源の雑種性を証明することによって、それぞれ、外側と内側から国民国家の文化的同一性の虚構を突き破る報告となった。
討論では、佐藤道信氏はまず、中国大陸や台湾、アメリカ、また関西と関東の様々な美術コレクションに接していた塚本氏の多文化体験に言及し、一国美術史に位置付けられない「モノ」の価値を見出す彼ならではの「鑑賞眼」の養われた背景を説明してくれた。その上、国家の呪縛から解き放たれた後の膨大な「モノ」の世界をいかに整理し、その歴史をどのように語り得るか、という新たな困難な課題を提示し、一国美術史に慣れ親しんだ我々自身の感受性の変革と歴史叙述の創造力が問われていることを示唆してくれた。
稲賀繁美氏(国際日本文化研究センター)は、交易のプロセスに組み込まれた美術品の制作が、最初から享受する者の美意識や趣味、要求を取り入れている事実に注目し、一つの価値体系もしくは「本質」が備わっているとする「一国美術史」の想定自体が、単純すぎるのではないかという疑問を呈した。同じ歴史観を共有することは困難だが、異なる歴史観があるという意識の共有は可能だという言葉が、とりわけ印象的であった。
木田拓也氏(国立近代美術館)は、日本で親しまれ、楽しまれている茶碗が中国に持っていくと、その美が全く認識されないという例をあげながら、他国、他地域の人々と共有しない美意識、価値観の存在もまた厳然たる事実であることを指摘した。「一国美術史」は単に国民国家歴史観の反映ではなく、むしろ国民国家の文化的同一性を創出する装置として、このような均一の価値観や美意識乃至身体性を常に作り続けていることを、木田氏の発言によって改めて意識させられるのである。
董炳月氏と趙京華氏(中国社会科学院文学研究所)は、魯迅による浮世絵のコレクションを整理し、書籍化する過程において、そのコレクションが、「浮世絵」ではないという錯覚すら与えるほど、「浮世絵」に対する我々の常識を揺るがす特異性を持っていることを紹介した。このような書籍の出版自体が、すでに広域文化史の構築へ向けての一つの実践だと言えよう。
林少陽氏(東京大学)も、「中間地域」で育まれた豊饒な「モノ」の世界に注目する塚本氏と同じ関心を共有し、「中間地域」の発見が、日本の一国美術史を相対化することができるだけでなく、中国美術史の一国中心主義的歴史叙述への再検討にもつながると述べている。
一方、孫建軍氏の報告に対し、外交文書を単に言語のデーターベースとして取り扱う方法の妥当性が問われ、具体的な歴史的背景や使用者の現実的状況、外交文書の特殊的性格などを考慮に入れると、言語使用のより豊かで複雑な相貌が浮かび上がってくるのではないかというコメントが多く寄せられた。
様々な専門分野の研究者による多岐にわたるコメントの焦点を明確に示してくれたのはむしろフロアとの短い対話であった。明石康氏(元国際連合事務次長)は、国境を前提とする外交や国際政治の領域と異なり、文化領域こそ「国境」の人為性を相対化することができ、今回のフォーラムに大いに啓発されたと述べた。そして、葛兆光氏(復旦大学)は、国民国家がその成立した瞬間から、つねに自らの文化的同一性を作り続けていて、その文化的アイデンティティの形成の歴史と、その結果としての均質的、同一的文化、価値の存在を決して無視できないことを指摘した。これに対し、劉建輝氏(国際日本文化研究センター)は、このような文化的同一性は決して古くから自然に形成されたものでなく、人為的作為の産物にほかならないこともまた忘れてはならないと釘を刺した。古代と近代の東アジア文化交渉史に関する実証的研究を積み重ねてきたお二人の発言から、歴史的に構築された一国文化史の重みと、多彩な交流を包括する広域文化史への確信がひしひしと感じられた。
今回のフォーラムを通して、多様性と雑種性をも巧みに「国民性」や「国民文化の伝統」に回収する「一国文化史」が今日もなお国民国家の文化的同一性を創出する装置として機能し続けている状況において、「一国文化史」に強く規定され続けてきた我々自身の感受性や価値観、思考様式乃至歴史叙述の言語そのものに抗しながら、新たな広域文化史を紡ぎ出すことの可能性と課題の双方が鮮明に浮かび上がってきたと言えよう。
当日の写真
<孫_軍悦(そん・ぐんえつ)Sun_Junyue>
2007年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。学術博士。現在、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部専任講師。専門分野は日本近現代文学、日中比較文学、翻訳論。
2016年11月24日配信
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2016.11.15
下記の通り、第55回SGRAフォーラムを開催します。参加ご希望の方は、事前にSGRA事務局(
[email protected] )へお名前、ご所属、連絡先、懇親会の出欠をご連絡ください。
日 時: 2016年12月1日(木)午後1時30分~午後3時
会 場: 韓国仁川松島コンベンシア(Songdo Convensia)
主 催:(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)
言 語:日本語
申込み・問合せ:SGRA事務局
電話:03-3943-7612 Email:
[email protected]
フォーラムの趣旨
本セミナーは、先夏の7月16日(土)、東京国際フォーラムで開催された「今、再び平和について––平和のための東アジア知識人連帯を考える」と題する第51回SGRAフォーラムの後続プログラムとして企画された。同フォーラムの総合討論を通じて参加者たちは、東アジアの各地域にはそれぞれ異なる特殊な政治状況に置かれながらも、理念の違いや国の境を超えて訴えることのある「平和テキスト」があることを再発見し、これをこの地域の知識人が共同で読むことにより、平和の理想を現実政治の指針として蘇らせることができるとの認識を共有するに至った。その議論を受け、同セミナーが生まれたのである。
平和でない現実の中で平和を想像することを止めないこと。そのため、東アジアの平和テキストを一緒に読んでいくこと。これが、この地域の研究者たちが「知識人」としての役割を自認し「平和」のため連帯をするため、今求められていることである。
その折に、韓国仁川の松島(ソンド)で、東アジア日本研究者協議会が発足し、その第一回目の国際学術大会が開かれることになった。上記フォーラムを開催した「安全保障と世界平和」チームは、この学術大会に参加し、東アジアの日本研究者たちが集まり、冷戦期、脱冷戦期、3.11後の日本において鋭く「平和」を説いた三つのテキストを読むことにした。
<プログラム>
司会:李 来賛(リ・ネチャン、韓国・漢城大学)
【報告1.】都築 勉(つづき・つとむ、日本・信州大学)
「鶴見俊輔の戦争と平和−−『転向研究』を読む」
【報告2.】朴 榮濬(パク・ヨンジュン、韓国・国防大学校)
「脱冷戦期、現実主義者の平和構想−−田中明彦の『新しい中世』を読む」
【報告3.】霍 士富(かく・しふ、中国・西安交通大学)
「歴史叙述と現実記述とのジレンマ−−大江健三郎『晩年様式集』を読む」
<討論者>
趙 寛子(チョウ・クァンジャ、韓国・ソウル大学)
南 基正(ナム・キジョン、韓国・ソウル大学)
徐 東周(ソ・トンジュ、韓国・ソウル大学)
プログラム
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2016.11.14
下記の通り、第16回日韓アジア未来フォーラムを開催します。参加ご希望の方は、事前にSGRA事務局(
[email protected] )へお名前、ご所属、連絡先、懇親会の出欠をご連絡ください。
日 時: 2016年12月1日(木)午前10時50分~午後12時20分
会 場: 韓国仁川松島コンベンシア(Songdo Convensia)
主 催:(財)未来人力研究院(韓国)
共 催:(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)
申込み・問合せ:SGRA事務局
電話:03-3943-7612 Email:
[email protected]
フォーラムの趣旨
日本には、経済発展と省エネルギー・環境の両立、防災、 高齢化社会対応など課題先進国ならではの技術と知識、それに経験がある。圧縮成長を成し遂げ、さらに経済危機を乗り越えてきた韓国の経験もアジア地域における将来の発展に貴重な手掛かりを提供すると期待されている。近年は中国も、急速に援助量を増加させており、国際世論を意識しながら対外援助をさらに充実させようとしている。今後日中韓は、これらの知的資産を活用しながら、三ヶ国の切磋琢磨を通じて、質量ともに開発援助の向上を図るべきであろう。本フォーラムでは、日中韓が協力し、競争し合いながら、ともに進化し、開発協力の「アジアモデル」とでもいえるようなアーキテクチャを創り上げる可能性も視野に入れながら、議論を展開したい。今回は、2016年2月に東京で開催された第15回日韓アジア未来フォーラム「これからの日韓の国際開発協力:共進化アーキテクチャの模索」、2016年10月1日に北九州で開催された第3回アジア未来会議の自主セッション「アジア型開発協力の在り方を探る」における議論を受け、日韓に中国を含めて東アジアの開発援助のあり方を考える。日韓同時通訳付き。
<プログラム>
司会:金 雄煕(キム・ウンヒ、仁荷大学国際通商学科教授)
開会の辞:今西淳子(いまにし・じゅんこ、渥美国際交流財団常務理事・SGRA代表)
【報 告1】「中国的ODAの展開:レシピエントの視点」
李 恩民(リ・エンミン、桜美林大学グローバル・コミュニケーション学群教授)
【報 告2】「開発協力に対するアジア的モデルの可能性の模索:北東アジア供与国間の収斂と分化」
孫 赫相(ソン・ヒョクサン、慶熙大学公共大学院院長・韓国国際開発協力学会会長)
【ミニ報告及び討論1】「日中両国の対外開発協力に関する比較研究」(仮題)
李 鋼哲(り・こうてつ、北陸大学未来創造学部教授)
【討論2】金 泰均(キム・テギュン、ソウル大学国際大学院教授)
【自由討論】渥美財団SGRA及び未来人力研究院の関連研究者
【閉会の辞】: 徐 載鎭(ソ・ゼジン、未来人力研究院 院長)
詳細は下記リンクをご覧ください。
プログラム
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2016.11.11
SGRAレポート77号(本文)
SGRAレポート77号(表紙)
第15回日韓アジア未来フォーラム
「これからの日韓の国際開発協力-共進化アーキテクチャの模索」
2016年11月10日発行
<もくじ>
はじめに:金 雄煕(キム ウンヒ、仁荷大学国際通商学部教授)
第一部
【講演1】「韓国の学者たちがみた日本のODA」
孫 赫相(ソン ヒョクサン:慶熙大学公共大学院教授・韓国国際開発協力学会会長)
【講 演 2】「韓国の開発経験とODA戦略」
深川由起子(早稲田大学政治経済学術院教授)
第二部
【円卓会議(ミニ報告と自由討論)】
【ミニ報告1】「日本のODAを振り返る-韓国のODAを念頭においた日本のODAの概括-」
平川 均(国士舘大学教授・名古屋大学名誉教授)
【ミニ報告2】「日本の共有型成長DNAの追跡-開発資金の観点から-」
フェルディナンド・C・マキト(テンプル大学ジャパン講師)
【自由討論】
モデレーター:金 雄煕(キム ウンヒ、仁荷大学国際通商学部教授)
パネリスト:上記講演者、報告者及び下記の専門家
園部哲史(政策研究大学院教授)
広田幸紀(JICAチーフエコノミスト)
張 玹植(チャン ヒョンシク:ソウル大学行政大学院招聘教授・前KOICA企画戦略理事)
その他 渥美財団SGRA及び未来人力研究院の関連研究者
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2016.11.10
(第3回アジア未来会議「環境と共生」報告#6)
筆者は、北九州市で9月30日−10月1日に開催された公益財団法人渥美国際交流財団主催第3回アジア未来会議に参加した。2013年3月にバンコックで開かれた第1回会議、2014年8月バリ島で開かれた第2回会議にも参加した。400名の参加者が熱心に議論を交わし合う姿を目の当たりにして、渥美奨学金により日本で博士号を取得した人々を中核とするアジアおよび他の地域の知的ネットワークが、今やインドネシアなどの若い学生・研究者の新しい息吹もあって着実に拡大していることを心強く思った。以下、筆者の参加したセッションについての感想を記す。
◇9月30日午前 AFC_Forum_#2「東南アジアの変わりつつある社会環境に対する宗教の反応」
(1)筆者は、1976−78年スハルト「新秩序」の軍の二重機能の下で政治勢力としてのイスラームの影響力は限られていたインドネシアに在勤し、2000年−2002年には駐パキスタン大使として、近代的穏健イスラーム国家を標榜しながらも急進イスラームの勢力伸張に伴う深刻な不安定要因を抱えた9.11事件前後のパキスタンの姿に接していた。このような経験に鑑み、「1998年後のインドネシアにおける民主主義のデイレンマ:一層の自由は宗教間の対立が深まることを意味するのか、対話が進むことを意味するのか?」とのガジャマダ大学ムンジッド・アハマッド氏の発表は極めて興味深いものだった。
今日のインドネシアは、スハルト・ファミリー及び軍部の強権的支配の崩壊後、政治の民主化、地方分権化が進みつつあること、また、経済成長が進み「イスラーム大国」に変貌しつつあること、民主主義の進展と自由の拡大が異宗教間の対話を進める契機となり得ることなど、筆者にとって学ぶことは多かった。なかんずく、アハマッド氏他インドネシアからの参加者が、自国の抱える問題を闊達に議論していたことが印象的だった。と同時に、インドネシアと比較すると、ムシャラフ政権の崩壊により軍部支配は一応終わったとは言っても、民主化の進展にはまだまだ障壁が残り、多種多様な人種・地域からなる国家を統一するシンボルとしてのイスラームのあり方が急進派と穏健派の間で激しい対立抗争を呼んでいるパキスタンは、何時イスラーム国家として安定するのだろうかとの疑問を禁じ得なかった。
(2)続いて「フィリピンにおける気候変動とカトリックの反応」(アテネオ・デ・マニラ大学ジャイール・セラノ・コルネリオ氏発表)をめぐる討論で、気候変動のもたらす環境破壊、災害の被害者である貧者に対するカトリック教会の取り組みに見られる社会的宗教的正義の問題が取り上げられた。タイの教育関係NGO代表ヴィチャク・パニク氏は、「人道に反する仏教:愛とか親切心ではないもの」と題する発表で、仏教がナショナリズムの一部ないしは支配階級の政治的道具として使われる場合には、人命をも脅かす強圧的なものになりうる危険を指摘した。フランスの現代東南アジア研究所カリヌ・ジャケ氏は、「宗教と救援活動:ミャンマーにおける宗教関係団体と社会的貢献の役割」と題する発表において、ミャンマーの辺境地域などの自然災害被害者に対する仏教団体、キリスト教団体の救援活動を通じて、国家が十分に果たし得ない救援などの社会貢献活動ネットワークが広がって行く可能性を指摘した。
(3)セッションを総括したエリック・クリストファー・シッケタンツ氏(東京大学)は、宗教が民族ないし国家のアイデンティティを誇示する手段として使われる時に政治的対立がしばしば生じるが、宗教が政治的対立に巻き込まれないようにして行くにはどうしたら良いか、また、地域ないし国家のアイデンティティを超えて宗教が果たし得る役割にはどのようなものがあるかを考える必要があると指摘した。
(4)以上の討論を聞いていて、筆者は、アジア各国における多様な宗教状況についてこのような議論を聞く機会は日本国内では極めて少なく、インドネシアにおけるイスラーム、フィリピンにおけるカトリック、タイ及びミャンマーにおける仏教がそれぞれ果たしている役割及び抱えている問題についての日本の一般国民の理解は皮相なものにとどまっており、この日の討論のような内容を日本国内で広めていくことが必要であると感じた。
◇10月1日午前「平和」分科会(2)
筆者がミラ・ゾンターク立教大学教授とともに共同議長を務めた本分科会では、多民族・多文化社会であるインドネシアと平和国家を目指す日本の直面する問題に関してそれぞれ2つの発表が行われた。
(1)インドネシア
〇「宗教的シンボルの無い教会」(バンジャルマシン宗教・社会研究所シリ・タラウィヤ氏)
南カリマンタン州首都バンジャルマシンのイスラーム社会の中に存在する少数のキリスト教ベテル派信者と周辺住民との間に、信者の集まりに伴うゴスペル等の騒音、駐車問題等を巡り摩擦が生じ、ベテル派追放の動きもあったが、イスラーム系住民の中にも共存しようと努める向きもある。他方、地方政府当局の硬直的介入がかえって事態を混乱させている。
〇「モルッカ諸島におけるサニリ(伝統的合議体)を通じる紛争解決及び環境保存」(ジョグジャカルタ大学スハルノ講師)
中央政府がインドネシア全土にわたって「村」という同一の行政単位を広めようとして来たのに対し、モルッカ諸島では、伝統的な合議体であるサニリが例えば漁業資源の有効利用、保存といった問題について調整機能を発揮している。1999年のアンボンにおけるイスラーム系住民とクリスチャンの流血の対立への政府・公的機関の無為な対応ぶりは、サニリという「土地の知恵(local_wisdom)」への住民の志向を高めた。
〇この2つの発表は、インドネシアのような多文化社会では、異宗教・異民族間の様々な問題が地域レベルで生じるところ、これに対する中央ないし地方政府の画一的な対応には限界があることを指摘する点で共通していた。
(2)日本
〇「至上の法としての憲法遵守:憲法9条と日本の平和主義」(デリー大学准教授ランジャナ・ムコパディヤーヤ博士)
1947年5月5日に日本の仏教、キリスト教等宗教関係者からなる全日本宗教平和会議は、先の戦争を阻止できなかったことについての「懺悔の表明」を行った。仏教界は「聖戦」の名の下に戦争と植民地拡大を支持したことを反省し、憲法9条の戦争放棄条項を仏教の非暴力の教えを具現するものと考えた。キリスト教徒も同条項を「汝殺すなかれ」の教えを反映するものと捉えた。このようにして、日本の宗教界は憲法9条改正に反対する平和運動の主要な勢力となって来た。
〇「地球温暖化、戦争、原子力の三角関係」(木村建一早稲田大学名誉教授)
地球温暖化防止のための炭酸ガス排出制限を定めた京都議定書の下でも軍事目的のためのエネルギー使用についての抜け道がある。米国、中国等の武器生産・使用等の軍事支出のうちかなりの部分が炭酸ガス排出につながるという意味で、地球温暖化は戦争にも関連している。原子力発電は温暖化防止に役立つとして推進されてきたが、日本においては2011年の福島の原発事故以来多くの原発が閉鎖を余儀なくされている。また、原発に蓄積されるプルトニウムは、核兵器生産に使用され得るものとして、非核3原則との関連で深刻な問題を提起している。地球温暖化、エネルギーの問題を考えるにあたりこのような相関関係を考慮する必要がある。
〇この2つの発表は、憲法改正、原子力発電という現下の懸案を考えるに当たり興味深い視点を提供するものだった。
◇10月1日午後「教育」分科会(3)
筆者が傍聴したこの分科会では、いずれもインドネシアからの4人の学生・若手研究者が、英語教育に関わる発音訓練、YouTubeの利用、グローバル言語とローカル言語、外国人とのコミュニケーション成立過程についてそれぞれ発表を行った。筆者がジャカルタに在勤していた30年前に比べて、インドネシアの学生とか若手研究者の英語習熟度及び発表意欲が著しく高まったことに印象付けられた。
「環境と共生」という今回会議のテーマのうち筆者が参加したセッションは、平和と宗教、多文化社会の問題、環境等に関するものだったが、これらの問題を世界レベル、国家レベル、地域社会レベルで複眼的に把握する必要があること、さらにそれぞれのレベルでのガバナンスの問題に取り組む必要があること、また、インドネシアのような多民族・多文化国家は、日本国内には見られないような様々な課題を抱えていることを明らかにするものだった。また、筆者は英語で行われたセッションに参加したので特に感じたのかもしれないが、今回会議に国外から78名と最も多く参加していたインドネシアの若手研究者とか学生の強い意欲と熱気に感銘を受けた。
<沼田 貞昭(ぬまた さだあき)☆NUMATA Sadaaki>
東京大学法学部卒業。オックスフォード大学修士(哲学・政治・経済)。
1966年外務省入省。1978-82年在米大使館。1984-85年北米局安全保障課長。1994−1998年、在英国日本大使館特命全権公使。1998−2000年外務報道官。2000−2002年パキスタン大使。2005−2007年カナダ大使。2007−2009年国際交流基金日米センター所長。鹿島建設株式会社顧問。日本英語交流連盟会長。
2011年11月10日配信
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2016.11.10
SGRAレポート76号(日中合冊版)
劉 建輝(国際日本文化研究センター教授)「日中200年―文化史からの再検討」講演録
2020年6月18 日発行
☆中国語の講演録、日本語訳を一冊に纏めてあります。
<フォーラムの趣旨>
従来、東アジアの歴史を語る時、ほとんどの識者が古代の交流史と対比して、近代の抗争史を強調し、両者の間に一つの断絶を見出そうとしてきた。たしかに政治、外交だけに目を向ければ、日中、日韓などの間に戦争も含む数多くの対抗や対立が頻発し、ほとんど正常な隣国関係を築くことができなかった。しかし、もしこの間の三国間の文化的交流、往来の足跡を精査すれば、そこには近代以前とは比べられないほど多彩多様な事実、事象が存在していることに気付くだろう。そしてその多くはいずれも西洋という強烈な「他者」を相手に、互いの成果、経験、また教訓を利用しながら、その文化、文明的諸要素の吸収、受容に励む努力の跡にほかならない。その意味で、東アジア、とりわけ日中韓三国はまぎれもなく古来の文化圏と違う形で西洋受容を中心とする一つの近代文化圏を形成していたのである。
また、従来、日本にせよ、中国にせよ、その歩んできた歴史を振り返る際に、往々にして周辺との関係を軽視し、あたかも単独で自らのすべてを作り出したかのような傾向も存在している。これはあきらかに近代以降のいわゆる国民国家という枠組みの中で成立したナショナリズムに由来する一国主義のもたらした影響である。ところが、多くの古代、近代の史実が示したように、純粋な国風文化はそもそも「神話」に過ぎず、われわれはつねに他者との関係の中で「自分」そして「自分」の文化を形作ってきたのである。近代日本にとって、この他者は、むろんまず西洋という存在になるが、ともにその受容の道程を歩んだもう一つの他者――中国や韓国も当然無視すべきではないだろう。
そして、昨今、とりわけ日中の間にさまざまな摩擦が生じる時に、よく両国の「文化」の違いが強調され、その文化の差異に相互の「不理解」の原因を探ろうとする動向も見られる。しかし、これもきわめて単純な思考と言わざるを得ない。文化にはたしかに変わらない一部の古層があるが、つねに歴史性を持ち、時代に応じて流動的に変化する側面も存在する。したがって共通する大事な歴史的体験を無視し、文化の差異ばかりを強調するのはいささかも生産的ではなく、結局は自らを袋小路に追い込むことにしかならない。
以上に鑑み、本フォーラムでは、いわば在来の一国主義史観、文化相互不理解論などの弊害を修正し、過去の近代東アジア文化圏、文化共同体の存在を振り返りながら、その経験と教訓を未来にむけていかに生かすべきかについて検討し、皆さんとともにその可能性を探ってみたい。(参考文献:劉 建輝著『増補・魔都上海――日本知識人の「近代」体験』2010年、同『日中二百年――支え合う近代』2012年)
<もくじ>
【講演】 劉 建輝(国際日本文化研究センター)
「日中200年―文化史からの再検討」
【討論】
モデレーター:
王 中忱(清華大学中国文学科)
討論者:
王 京(北京大学日本言語文化学部)
劉 暁峰(清華大学歴史学科)
王 成(清華大学日本言語文学研究科)
董 炳月(中国社会科学院文学研究所)
【あとがきにかえて】
孫 建軍(北京大学日本語学科准教授)
娜荷芽(内蒙古大学蒙古歴史学科准教授)
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2016.11.09
SGRAレポート75号(本文1)
SGRAレポート75号(本文2)
SGRAレポート75号(表紙)
第50回SGRAフォーラムin北九州「青空、水、くらし-環境と女性と未来に向けて-」
2016年6月27日発行
<もくじ>
事例発表1.(日本) 「青空がほしい」運動に学ぶ-現在に問いかけるもの-
神﨑智子(アジア女性交流・研究フォーラム主席研究員)
事例発表2.(中国) 「変わるのか、人々の意識-中国の母親の環境意識の変化と活動-」
斎藤淳子(フリージャーナリスト/北京在住)
事例発表3.(韓国) 「絶え間ない歩み-韓国YWCAの環境活動と女性の社会参加:環境活動家から脱核運動へ-」
李 允淑(イ・ユンスク)(韓国YWCA運動局部長)
オープンフォーラム
モデレーター:田村慶子(北九州市立大学法学部教授・大学院社会システム研究科長)
ミニ報告:「里山を考える会の活動について」
小林直子(NPO法人里山を考える会)