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2018.12.20
今までに経験したことのない類の、広くて深い学びだった。
忘れないようにとせっせとメモをとって、でもそれは気軽には読み返せなくて、心の奥の引き出しにそっとしまっておきたくなるような。
私にとってはある意味とても非日常な旅だった。東日本大震災の被災地には何度も足を運んだけれど、原発事故で全村避難していた村に来るのは初めてだ。線量計をつけて歩くのも、原発事故や放射線被害について学者の先生から生で話を聴くのも、村の農家の人の暮らしを見せていただいて本音がポロリとこぼれる瞬間に立ち会うのも初めてで。頭も心もたくさん揺さぶられた3日間だった。
しかし飯舘村に暮らす人々にとってそれは日常だ。変わらない、そして日々変わりゆく日常。福島では今も毎日震災や原発関連のニュースをテレビや新聞で取り扱っているのだろうか。少なくとも2年前はそうで、それは東京に住む私にとって一つの驚きだった。
東京から飯舘村に行くには、福島駅で新幹線を降りて1時間ほど東へ車を走らせる。9月半ば、ちょうど稲穂が黄金色に光ってとても美しい風景だった。いいなぁ、こんな季節に来られて幸せだなぁと思ったのも束の間、境を越えて飯舘村に入った瞬間に景色が一変する。黄金色の稲穂はない。稲を育てるのが禁止されているからだ。そして見えるのは除染されてはげ山のようになった田んぼの跡地と黒と緑の巨大な除染袋の山ばかり。これが飯舘村の現実かとショックを受けた。そして境って何だろうと思った。放射性物質には境はない。村の中と村の外、境界線近くの線量は同じくらいのはずなのに地図上に引いた境が運命を分ける。村の一部は未だ帰還困難区域でバリケードで封鎖されている。その境目も難しい。バリケードの中は人が住めなくて荒れ放題で、でも中に家がある人には補償金がたくさん出るという。どちらがいいのか、いやどちらも嫌だな。村の人はこの美しい村で黄金色の稲や花を育てたり、牛を飼ったりして、昔ながらの暮らしを続けたいだけだっただろうに。
2017年3月31日に村の多くの地域で避難指示が解除になって、元の人口6,000人のうち約400人が帰村した。村に住む人、通う人、家族は別に暮らす人。人によって状況は様々だ。放射性物質は目に見えないし、この先の状況もわからない。だから一つひとつの判断に家族は揺れ、意見が分かれる。「これは放射能の問題というより生活や人間関係の問題、精神の分断だ。夫婦ゲンカ、親子ゲンカ、こういう問題はお金で解決できない。」ふくしま再生の会の田尾さんの言葉が胸に突き刺さった。
村に帰ってきて生活を再建しようとしている人にも何人かお会いした。
高橋日出夫さんは、国に建ててもらったというビニールハウスでアルストロメリア、トルコキキョウやカスミソウを育てて大田市場に出荷している。花について活き活きと語るときの日出夫さんの笑顔と、「生まれ育ったところでは見える景色全部が自分のもの。月も星も、飛行機までもうちのものと思う。避難先では月も星もよそのものって思ってたからなぁ」という一言が印象に残った。今67歳。あと20年は花を育て続けたいそうだ。
大久保金一さんは76歳。小宮地区にほぼ一人で住んでいる花の仙人だ。物心ついたときから花に興味を持っていて、花は食べられないからと親に叱られながらも花を植え育ててきた。震災の前の年に思い切って水を引いて花園を拡大しようとするも原発事故で中断。今も除染作業の最中だが、除染を終えたところには17種類の桜を始めボランティアの力も借りながら様々な花を育てている。金一さんは「原発事故があって涙を流さない日は一日もないといっても過言ではない」と言いながらも、花のことになると活き活きと語ってくれた。毎日一人であれをしよう、これをしよう、こうしたらどうかなとあれこれ考えて身体を動かす。生きる喜びとはこういうことなのかもしれない。事情の違う一人ひとりの生活の再建を支えるというのは気の遠くなるような道のりだと思う一方で、この喜びや尊厳を奪う権利は誰にもないのではと金一さんの姿を見ていて感じたのだった。
今回の旅を案内してくださったふくしま再生の会はシニア世代を中心とするNPO法人で、ほぼ毎週末東京などから飯舘村に通って村の人と一緒に様々な活動をしている。いま村の人は何を求めていてどんなデータや仕組みがあったらいいかを考え試行錯誤をしながら、ボランティアがそれぞれの関心や専門性を活かして活動しているのが特徴的だ。理事長の田尾さんは、「僕らは支援者じゃない。対等に協働している。ありがとうはいらない。村の人のためというよりか自分のためにやっている。」「ここは本物のフロンティア。まだわからないことがたくさんある。役に立てることがたくさんある」という。そして、なぜそこまでするのですかという質問には、「リタイアした人は都会でさみしいんだ。ここに来ると元気になる。人生100年、それをどう過ごすかだ。自分はここではりきっている。課題やわからないこともたくさんある。」と答えてくれた。
今回の旅で一番印象に残ったのは、あれをしよう、これをしようと自分で考えて身体を動かし、自分らしく生きる人の活き活きと輝く姿だった。それは被災した村の人も、再生の会の人も、たぶん私たちも同じ。人生とは、自分らしくクリエイティブに生きること。
では、私らしくクリエイティブに生きるって何だろう。私にとっては通訳の仕事を含めて、人と人との間に橋をかけることなのかなと思う。私はこの旅で村の人や再生の会の方たちにたくさんのものをもらった気がする。だから私らしく橋をかけることで何かお返しできたらと思った。具体的には今後、飯舘村に来たことのない日本の人、外国の人をもっとここに連れてきて橋をかけることで、お互いがもっと豊かになるような体験が提供できたらいいなと考えている。
今回お世話になった一人ひとりに感謝したい。SGRAの皆さんとのおしゃべりもとても楽しかった。
飯舘村、また来ます。
(2017年12月記)
<野田百合子(のだ・ゆりこ)NODA Yuriko>
英語通訳、ファシリテーター、ミディエーター。公益社団法人CISV日本協会理事。国際基督教大学卒業、現在は明治大学専門職大学院ガバナンス研究科に在学中(ミディエーション研究)。人と人との間に橋をかけ、お互いがより深く理解し合えるようにサポートするというのをライフワークに、日々活動している。
2018年12月20日配信
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2018.12.20
「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」円卓会議では下記の要項にしたがって論文を募集します。
第4回「国史たちの対話の可能性」円卓会議は、2020年1月8日~12日に、フィリピンのマニラ市近郊で開催する第5回アジア未来会議に重ねて開催することになりました。テーマは「『東アジア』の誕生-19世紀における国際秩序の転換ー」です。
本会議では、下記の要項に従って発表論文を募集しています。対象は、博士号を取得した各国の「国史」研究者(日本人の日本史研究者、中国人の中国史研究者、韓国人の韓国史研究者)で、興味のある方には、発表要旨を2019年1月20日までに渥美財団事務局へ直接メールで送ってください。
応募いただいた発表要旨は実行委員会が審査し、「国史たちの対話」円卓会議で発表する9篇の論文のうち約半数と、アジア未来会議の分科会で発表する論文を、最大で日本語、中国語、韓国語、各3篇ずつ計9篇を選ぶ予定です。選出された発表要旨の執筆者は、期日までに論文を投稿し、フィリピンの会議に参加して発表していただきます。会議参加のための登録費、滞在費、交通費を渥美財団より全額補助します。
■投稿方法
下記リンクより募集要項の「趣旨とテーマ」をお読みいただき、このテーマで発表・討論したい方は、およそ2000字で発表要旨をお寄せください。その中から国境を越えた対話にふさわしいものを選びます。ただし、論文の執筆にあたっては、外国の類似分野の研究者、あるいは自国の他分野の専門家に分るようにご配慮ください。同種の問題が隣国にも存在し、それゆえに対話が可能となること、同時に国家間の異同や解釈の相違が浮彫りとされること。それを通じて、参加者の間に知を共有する新たな場が生れ、将来の知的協業が生れることを期待しています。
募集要項(日本語)
募集要項(中国語)
募集要項(韓国語)
募集要項に従って下記の情報をメールにてお送りください。
・氏名(漢字、ひらがな/ハングル、ローマ字)・所属・連絡先(Eメール)
・2000字の発表要旨
・600字程度の略歴・主要論文リスト
・推薦者氏名・所属・連絡先(Eメール)
送付先・問合せ:
[email protected]
締切:2019年1月20日(※締切変更しました)
この募集要項を関係者に転送し周知していただきますようお願い申し上げます。
2018年12月20日配信
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2018.12.13
SGRAは本年から国際文化会館の主宰するアジア・パシフィック・ヤング・リーダーズ・プログラム(APYLP)に参画していますが、下記の通り、第62回SGRAフォーラム/ APYLP x SGRAジョイント・セッションを国際文化会館と共催いたしますので、奮ってご参加ください。
今回のフォーラムでは「再生可能エネルギー社会実現の可能性」を、国際政治・経済、環境・科学技術(イノベーション)、そして「エネルギーとコミュニティー」の視点から総合的に考察します。元渥美奨学生に加え、ドイツやオーストラリア、福島県飯舘村からスピーカーが集まり、脱炭素化社会のこれからについて考察します。ドイツの脱原発政策を牽引してきた緑の党の連邦議員を務め、現在エナジー・ウォッチ・グループ代表のハンス=ヨゼフ・フェル氏や、震災で多大な原発被害を受けた飯舘村でエネルギー問題に取り組む若手リーダーの声を直接聞くまたとない機会です。講演の後には、気軽に意見・情報交換ができるワークショップ(各先着20名)も予定しております。締め切りは1月25日(金)ですが満席になり次第締め切ります(先着順)ので、お早目にお申込みください。
【第62回SGRAフォーラム/APYLPxSGRAジョイント・セッション】
◆「再生可能エネルギーが世界を変えるとき・・・?―不都合な真実を越えて」
日時:2019年2月2日(土)10:30 am ~5:30 pm(開場:10:00 am)
会場:国際文化会館 岩崎小彌太記念ホール
言語:日本語/英語(講演は同時通訳つき)
参加費:無料(要予約:定員120名、各ワークショップは先着20名)
※ご希望の方は昼食(500円)を申込時に予約していただけます。
※国際文化会館案内ページ
一般申し込み
ラクーン会員(渥美奨学生)申し込み
◇プログラム(日本語)、プログラム(英語)
◇チラシ
基調講演:
ルウェリン・ヒューズ(オーストラリア国立大学 准教授)
ハンス=ヨゼフ・フェル (エナジー・ウォッチ・グループ 代表)
登壇者:
朴 准儀(ジョージ・メイソン大学(韓国) 兼任教授)
高 偉俊(北九州市立大学 教授)
葉 文昌(島根大学 准教授)
佐藤 健太 (飯舘村議会議員)
近藤 恵 (飯舘電力株式会社 専務取締役)
司会:ソンヤ・デール(一橋大学 専任講師)
ワークショップ・ファシリテーター:
ロヴェ・シンドストラン(シカゴ大学博士課程、上智大学客員研究員)
◇フォーラムの趣旨
今回のフォーラムでは「再生可能エネルギー社会実現の可能性」を、国際政治・経済、環境・科学技術(イノベーション)、そして「エネルギーとコミュニティー」の視点から総合的に考察する。
〇流れは変わった?!
19世紀以降の化石燃料によるエネルギー市場が大きく変わろうとしている。
UAEでは砂漠に300万枚の世界最大の太陽光発電基地を計画を設置し、原発1基分の発電を行う計画が進行している。その発電コストは日本の火力発電コストの1/5と言われる。
中国は2017年共産党大会で「エコ文明」のリーダー(環境大国)宣言し、CO2社会からの脱却を表明し、巨大な太陽光発電施設を各地に建設している。
また、トランプ政権はパリ協定を批判し脱退したにもかかわらず、アメリカではカリフォルニアを始めとする各州・都市、大企業等2500がパリ協定支持を表明し、国際金融市場でも環境ビジネスへの投資が急増している。
〇パリ協定締結以降、再生可能エネルギー社会への牽引役として「ビジネス」が躍り出た
こうした国際的な経済、社会のエネルギーをとりまく潮流の変化は「パリ協定以降、脱炭素社会(再生可能エネルギー社会)に向ける流れの牽引役が、気候変動に影響される国、環境NGOから国際ビジネスセクターに移行した」と言われるようになった。その背景には、気候変動による地球規模の災害への危機感だけでなく技術革新とコストダウンにより再生可能エネルギーへの投資が“Payする”ことが実証されつつある、という現実がある。
〇再生可能エネルギー社会実現に向けた模索、可能性そして課題
一方で「ほんとなのか?」という疑問も拭うことはできない。
地球温暖化の影響で顕在化する気候変動、資源の枯渇などを考えれば再生可能エネルギー社会(脱炭素エネルギー社会)への転換は、地球社会が避けて通ることができない喫緊の課題である。しかしながら、グローバルな大資本が参入し、化石燃料エネルギーから自然エネルギーに転換したとしても、地球環境問題は改善されるであろうが、大量消費文明を支える大規模エネルギーの電源が変るだけで、大量生産大量消費の文明の本質は変わらないのではないだろうか。
〇福島県飯舘村の「再生と自立」に向けた試み
こうした中で、2011年の東日本大震災と福島第一原発事故の教訓から、コミュニティー発電(Community Power)による、エネルギーの地産地消の試みを、地域の自立と新しいコミュニティーの創造に繋げようとする流れも生まれている。日本のコミュニティー発電は、ヨーロッパ各国に較べて大きく立ち遅れ、さまざまな規制や障害が多いが、それを乗り越えてコミュニティー発電をコミュニティーの自立と尊厳の回復のシンボルにしたいという福島県飯舘村の活動にも注目したい。
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2018.12.06
SGRAふくしまスタディツアーで、5月25日から27日の間、初夏の飯舘村を訪れた。私にとって3度目のツアーであったということもあり、今回は比較的のんびりできた。真剣な勉強ツアーというよりも、飯舘の自然に癒やされて東京に帰ってきたという感じだった。
飯舘村に行くたびに、自分の恐怖心が和らいで気持ちが楽になってきているように思うが、今回は特に楽しいツアーだった。のんびりできたのもあるが、もう一つの原因は線量計を持ち歩かなかったからだと思う。不思議にも線量計を持っていると急に意識が変わり、まわりに危険性が潜んでいるように感じる。飯舘村に到着した当初は気分が弾んでいたが、線量計を手にした途端、気持ちが引き締まっていくのを感じたことを思い出す。
前回の訪問に比べて、飯舘村の様子はだいぶ変わっていた。あちこちに新築の建物ができたり、新しい高速道路が通ったりと、工事作業で村中が騒がしかった。どうやら村の復興予算を使い切るための事業のようである。こうした工事が村民のためになっているのであればいいのだが、建設会社ばかりの利益となっていたら、真の復興といえるか疑問が残った。
現時点で飯舘村に帰還しているのはまだ700人しかいない。さらに、その大半は昼間だけ帰って、夜は他の村で生活している。菅野宗男さんによると、国の復興対策の不足が原因で、「大方の人が戻りたいと思うような解除がよかったのに」と悔やんでいた。飯舘村を村民が帰れるような形にしないと、復興に使われている国民の血税が無駄になってしまうと宗男さんは懸念を示した。
しかし、そもそも若い人が村へ帰りたいと思っているのか疑問に思った。避難先や別の村で落ち着いてしまって飯舘に戻りたくない人が少なからずいる上に、菅野永徳さんが話してくれたように、「村に道路が一本通ると、地域が衰えていく」。つまり、村に出口ができると、若い人はより便利な生活を求めてどんどん流れ出ていく。永徳さんはこうした価値観の差がわからない。永徳さんからすれば、都会はお金がないと住めないところなので、お金に縛られる窮屈な生活になってしまう。一方、農家は水と空気と土だけで暮らせる。「どうして若い人はお金にすがり付かなければ生きていけない生活を求めるのか、理解ができない」と語っていた。永徳さんは自分自身にも責任を感じて、村の文化をちゃんと継承できなかった、歴史の重要性をちゃんと伝えられなかったから若い人が出ていってしまったのではないかと後悔していた。
永徳さんの話を聞いて、SGRAのメンバーで飯舘村を復興させるためにはどうすればいいかという話になった。そこで、何か文化的なイベントがあれば村の活性化につながるのではないかという提案が出た。永徳さんは、「昔は山津見神社に3万人も集まる大きなお祭りがあった。山津見神社は約970年前からある飯舘村の中心的な神社である。神社の由緒書によれば、源頼義の夢の中に、山の神の使者である白狼が現れたため、山津見神社は数少ない狼信仰のお社になった。明治以前、太平洋側には狼信仰の神社が多かったが、明治以降はそれが良くないという風潮になり、次第に消えていった。山津見神社のお祭りは獅子舞があったが、ある年が凶作だったためやめることになった」と教えてくれた。
土曜日の宴会で飯舘村議会議員の佐藤健太さんと会った。彼は飯舘村のお神楽(かぐら)を復活したいと話していた。健太さんもちょうどSGRAのメンバーと同じように、新しいお祭りやお神楽があれば村は活性化するのではないかと考えている。村の伝説や歴史と結びつけて新しい舞やお祭りが作れたらいいね、と話し合った。神社というのは村の年中行事の拠点だけではなく、血縁と地縁を示すものであり、郷土愛の象徴でもあるため、山津見神社を中心に据えて飯舘村の新しい行事を起こすのは、最適のプランだと思う。
今回の訪問でもっとも印象深かったのは、田植えの体験だった。来日して11年も経つが、田植えは初めてだった。田んぼの土が想像以上にどろどろしていて、歩くのに一苦労したが、その柔らかく栄養に満ちた土に触れることで、なんとも言えない快感を覚えた。いつも悩まされている手のアトピーは土を触れても炎症せず、むしろ少し改善したように思えた。体を動かし、外の空気を吸い、土に触れるのがこんなに気持ちいいものかと、自然の治癒力を改めて実感した。
田植えが終わったら、早苗饗(さなぶり)という、一種の直会(なおらい)が行われた。直会とは、お祭りが終了した後に神に捧げた供え物を参加者で頂戴する行事のことであるが、早苗饗も同じように田植えの作業が無事終了した後、田の神に供物を捧げて豊作を祈願し、皆でご馳走を食べてお酒を交わす宴のことである。
日曜日の夕方に東京へ帰ってきて自宅で横になっていたら、不思議な感覚に浸った。田植えをしていた時の感触がまだ足のまわりに残っていた。硬い地面と小石の上に立って、柔らかいどろどろした土の中を歩き回るあの感触がまだ身体から抜けていなかったのだ。泳いだ日の夜にまだ自分が泳いでいると感じるように、私の体はまだ田植えの感覚を忘れていなかった。人間の動き方、労働の形がいかに体に滲み付いていくのかを考えさせられるきっかけとなった。
田植えで皮膚に付いた土がなかなか落ちず、石鹸で一所懸命こすっても、まだ爪の裏などに残っていた。それを見て、普段からまったく土に触れていない自分が少しおかしく思えた。そして昔言われたことを思い出した。数年前に一軒家でルームシェアしていたが、借りていた家の前に小さなお庭があった。不動産屋はその家の前のお庭をいずれはコンクリートで埋める予定だと話したが、その時、「家の前を綺麗にする」という表現を使った。土を見えないようにすることが本当に「綺麗にする」ことなのかと、その時に強い反感を覚えた。でも、都会に住んでいる現代人には、珍しくない考え方なのかもしれない。
人はどんどん土に触れる環境から離れていく。現代社会では、確かに、多くの人には土に触れる必要がないだろう。しかし、その経験を失った我々は、それだけを失っているのだろうか。土の感触以外にも、忘れていることはないのだろうか。
長年大都会に住んで、私の体もきっと都会の生活のために形成されてきているのだろう。歩き方や振る舞いには、都会の匂いが滲みているに違いない。仕方ないことではあるが、永徳さんが言っていたようなお金のために働き、消費するばかりの生活が、どうしても後ろめたく感じてしまう。
今回まったくの素人が植えた早苗がちゃんと育つか、心配半分、楽しみ半分だ。また来年、よろしくお願いします。
英訳版はこちら
<リンジ―・レイ・モリソン Lindsay Ray Morrison>
2016年度渥美奨学生。2017年に国際基督教大学大学院アーツ・サイエンス研究科博士後期課程を修了し、現在は武蔵大学人文学部助教。専門は日本文化研究。日本人の「ふるさと」意識の系譜について研究している。
2018年12月6日配信
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2018.11.15
今日の日本では「留学」と英語教育をキーワードに積極的なグローバル人材育成が推し進められている。10月13日開催された第61回SGRAフォーラムでは、「日本の高等教育のグローバル化!?」をテーマに、留学と英語教育を柱とするグローバル人材育成の現状を今一度振り返り、今後の在り方について建設的な討論が行われた。産学官民の関心が高い話題だけあって、休日にも関わらず、フォーラム会場は大学教員、日本人大学生、外国人留学生、企業関係者等、70人を超える参加者で賑わった。
司会を務めた張建・東京電機大学特任教授と今西淳子・渥美財団常務理事のあいさつでフォーラムはその幕を開けた。最初に、沈雨香・早稲田大学助手による、送り出し/受け入れ留学を通した大学のグローバル化とグローバル人材育成への問題提起があった。沈は留学をグローバル人材育成の柱とし、国を挙げた金銭的援助が精力的に行われてはいるものの、短期留学のみが急速に増加している現象を指摘した。そのうえで早稲田大学の学部生を対象に行われたアンケート調査結果をもとに、グローバル人材育成における短期留学の効用とキャンパス内国際交流の有効活用について疑問を投げかけた。
その後、吉田文・早稲田大学教授により「日本の高等教育のグローバル化、その現状と今後の方向について」を題材に日本におけるグローバル人材育成の背景と現状、またその課題についての基調講演があった。吉田教授は現代の日本におけるグローバル人材育成の主体が、会社から社会へ、社会から国家へ、そして大学へといかに変遷してきたか、さらに、その中でグローバル人材像がいかに変容してきたのか、その内容を詳しく述べた。その後、伸び悩んでいる長期海外留学と拡大する短期留学(海外研修)の現状を提示し、外国人との共生という社会の問題と日本企業のグローバル人材に対する矛盾ともいえる採用態勢を今後の課題とした。
一方、隣の国の韓国では海外留学が活発に行われている。そこで、本フォーラムでは韓国のシン・ジョンチョル・国立ソウル大学教授を招き、「韓国人大学生の海外留学の現状とその原因の分析」について講演をお願いした。その中でシン先生は、韓国人大学生の海外留学が1990年代から増加し、今は一定水準を維持していることや、その海外渡航目的が年々多様化していることを挙げ、その原因についての考察と、日本と韓国の現状比較を話された。過剰な留学ブームが続く韓国と留学の減少が懸念されている日本。両国の社会・経済状況を踏まえた、留学だけに依存しない、グローバル人材育成の在り方について提案する形で先生の発表は終了した。
問題提起と2つの基調講演を終えた後は、昭和女子大学のシム・チュン キャット准教授の進行の下、複数の日本の大学による事例報告と参加者を交えたパネルディスカッションが行われた。まず、関沢和泉・東日本国際大学准教授により、地方の小規模私立大学における留学プログラムの実践とその成果についての報告があった。関沢准教授は短期のプログラムがその後の留学への呼び水となったケースなどを紹介しながら、地方大学生の場合は金銭的問題が留学への主な阻害要因であると、さらなる留学推進への課題を提示した。次に、関西外国語大学のムラット・チャックル講師より、関西外国語大学におけるグローバル人材育成のためのカリキュラムの紹介と実践と成果の報告があった。英語授業と外国人留学生との交流を活用し、留学に行かずにしてグローバル人材育成を行っているプログラムを紹介した上で、学生の就職意識調査の結果から大学における就職ガイダンスの在り方を課題として提示した。最後に、金範洙・東京学芸大学特命教授からはご自身の民間機関が実施する教育コンソーシアムの概要と実際の韓国短期留学プログラムの実践事業例を題材に国際的な教育協力の試みについての報告が発表された。国境を越えて行われる政府間共同事業を紹介し、今後のグローバル人材育成の体制や方法について示唆を与えた。
続いて行われたフリーディスカッションでは、参加者と登壇者の間で積極的な意見交換が行われた。留学を経験した日本人学生からは自らの経験を踏まえた留学に対する意見や韓国の事例に対する質問があった。人材マネジメント業界で勤める社会人参加者からは今後の企業の努力や姿勢についての質問があり、さらに、留学生参加者からは実際の留学経験から感じた日本人学生との交流の難しさや解決方法についての話があるなど、フォーラムの終了時刻を延長せざるを得ないほどたくさんの質問や意見が会場を飛び交っていた。これらの白熱した議論は、グローバル人材の定義、さらなるグローバル化が進む現代社会の在り方、さらに、その社会での生き方について真剣に考えなければならないとの問題意識を喚起させるものであったといえよう。
フォーラムの写真
当日のアンケート集計結果
英訳版はこちら
<沈雨香(シン・ウヒャン)Sim_Woohyang>
2017年度渥美奨学生。早稲田大学教育学部卒業後、同大学教育学研究科で修士課程修了。現在は博士課程に在籍し博士論文を執筆しながら、早稲田大学教育・総合科学学術院の助手。専門は教育社会学。中東の湾岸諸国における高等教育の研究を主に、近年の日本社会における大学のグローバル化とグローバル人材に関する研究など、高等教育をテーマにした研究をしている。
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2018.11.08
2018年5月25日、私は初めてSGRAふくしまスタディツアーに参加させていただきました。渥美国際交流財団SGRAでは2012年から毎年、原発事故の被災地である飯舘村を訪れています。出発の前、私はSGRAスタディツアーに参加した先輩方の感想文を読み、飯舘村の状況について少し事前勉強をさせていただきましたが、現場では、飯舘村がおかれている厳しい状況を改めて感じることができました。
「ふくしま再生の会」理事長の田尾さんのご案内で、私たちは住民の帰還開始から1年となる飯舘村を見学しました。正直、この美しい里山が消滅の危機に直面していると思いました。そして、「ふくしま再生の会」が非常に困難な課題の解決に挑んでいるというのも初日の感想でした。日本の農山村は元々人口減少や高齢化の進行に苦しんでいますが、原発事故災害という特殊な環境において、その傾向はいっそう拍車をかけられています。
しかし、このスタディツアーで、私は次第にある現象に気づき、ここは交流人口がとても多いことに驚きました。というのは、ツアー中に私たちは他地域からの訪問者をよく見かけました。土曜日になると、何世帯かの高齢者しかいない限界集落に奇跡が起きていました。田植えを翌日に控え、佐須地区の「再生の会」の拠点に様々な分野の幅広い世代の人々が訪れていました。
やはり、人と人が集う場所には明日への活力が生まれると、私はその時強く感じました。原発事故が発生した3ヶ月後から、ここ佐須地区を舞台に、村民・専門家・ボランティアの協働による除染法の開発や農作物の栽培試験の取り組みが始まっていましたが、種まき、田植え、稲刈りなど1年を通して村民は多くの参加者の方々と一緒に米を育ててきました。現在は人々の繋がりによる協働の輪が広がりつつあります。
話によると、ほぼ毎週末(土日)、「ふくしま再生の会」の活動拠点に人びとが集まり、各種の活動を行っています。埼玉県立鴻巣高校のボランティアや東京大学のサークルのツアーなど若者たちが来ていました。そうした中で、大学と結ぶ活動の創造的展開も生み出されています。東京大学や明治大学などとの協働により、住民の目線による農地再生の取り組みと新しい地域づくりも可能になっているのではないかと感じました。
人々のつながりの「輪」は、環境保全に限らず、歴史と文化の継承という可能性も生み出しています。山津見神社拝殿の天井絵(オオカミ絵)の復元プロジェクトへの協力、明治時代に造られた校舎の保全と活用、味噌づくり継承プロジェクトなどはその好例です。こうした持続的な交流と協働こそが、「ふるさと再生」の仕組みを作り上げることができるのではないかと感じました。外国人の私は、日本のこのような多様な主体を持つ社会活動の展開とそれによる社会的価値創造にとても励まされました。
飯舘村は、日本の最も美しい村の一つとして知られていますが、飯舘村に行ってさらに、信じられないほど美しい光景に出会いました。それは「繋げて育む協働の輪」です。私は人々のつながりに非常に感動しました。またこの美しい村に行きたいです。
※SGRAスタディツアーの報告(2018年5月に実施)
英訳版はこちら
<マイリーサ Mailisha>
昭和女子大学国際学部教授。2000年一橋大学社会学研究科博士課程修了、博士(社会学)。専門分野は教育社会学、農山村の地域づくり。近年、日本の里山保全と中国の少数民族地域での環境問題を研究対象としている。日本学術振興会外国人特別研究員、立教大学非常勤講師、昭和女子大学人間文化学部特命教授などをへて、現職。主な著書に『内発的村づくりにおける人間形成をめぐって』(一橋大学大学院社会学研究科博士学位論文、2000年)「流域の生態問題と社会的要因――」中尾正義等編『中国辺境地域の50年史』(東方書店、2007年)他。
2018年11月8日配信
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2018.10.31
下記の通りSGRAチャイナ・フォーラムを北京で開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。
※お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局(
[email protected], 03-3943-7612)
テーマ:「日中映画交流の可能性」
日時: 2018年11月24日(土)午後2時~5時
会場: 人民大学逸夫会堂第二報告庁
北京市海淀区中関村大街59号中国人民大学校内(明志路)
主 催: 渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)
共 催: 中国人民大学文学院、清華東亜文化講座
助 成: 国際交流基金北京日本文化センター
ポスター(PDF)
■フォーラムの趣旨
日中友好の基礎は民間交流に在り、お互いをより幅広く、正しく知るためには、相手の「心象風景」を知ることが、民間交流の基礎を固める上で重要である。映画は、その大事な手段であり、この40年にわたり、大きな役割を果たしてきた。
1977年と78年に、日本と中国でそれぞれ最初の映画祭が開かれた。中国では日本映画ブームが起こり、日本でも中国への関心から多くの観客が訪れた。このときの高倉健の影響力は衰えることなく、2014年の同氏の逝去に際し外交部スポークスマンが追悼の発言を行ったことは知られている。
日本映画の上映は、その後の「Love Letter」や「おくりびと」、「君の名は。」にいたるまで、中国に日本人の細やかな感情を伝え、等身大の日本人に親しみを感じさせてきた。そして、日本にロケした中国映画は、北海道ブームをもたらすなど、現在の日本旅行ブームの原動力にもなっている。また、中国映画の上映は、「芙蓉鎮」や「さらばわが愛、覇王別姫」が波乱の現代史に生きる中国人の姿を伝え、「ヒーロー」や「レッドクリフ」が歴史スペクタクルの楽しさを教えてくれた。
日中の国同士の関係に摩擦が生じたときも、映画交流はさらに発展を続け、映画祭の開催や劇場公開、合作映画の制作やインディペンデント映画の紹介、さらには回顧展の開催など、多様化が見られ、お互いに影響を与え合ってきた。近年はSNSによる発信など、中国の若者の日本への関心が増加しているが、日本でも賈樟珂や婁燁の作品が上映され、今年は「空海――美しき王妃の謎」がヒットし、「中国電影2018」で最新作が紹介されるなど、新たな動きが起こっている。4月の合作映画の撮影に関する日中政府間協議の締結も、重要な一歩である。
いまや中国は世界第1位のスクリーン数と第二の映画製作本数を誇る映画の一大市場であり、日本も世界第4位の映画製作本数を維持している。世界の映画産業のひとつの中心は、まさに東アジアにあると言ってもよいだろう。本フォーラムでは、この映画大国である日本と中国の40年にわたる映画交流を、日本と中国の側からそれぞれ総括を行い、意見交換を行い、今後の展望を検討することを目的としている。
刈間文俊氏は、1977年の中国映画祭から字幕翻訳に携わり、これまで100本に近い中国映画の字幕を翻訳し、中国映画回顧展のプロデュースを行うなど、日本での中国映画の紹介に携わってきた。王衆一氏は、日本映画に精通し、「人民中国」編集長として多くの日本の映画人と交友を持ち、「日本映画の110年」を翻訳し北京で出版している。日中の映画交流の歩みを現場で知る二人の発表をもとに、日中双方の識者による討論を行う。
■プログラム
総合司会:孫 郁(中国人民大学文学院)
【講演1】刈間文俊(東京大学名誉教授)
【講演2】王衆一(人民中国編集長)
【総合討論】
討論者:李道新(北京大学)、秦 嵐(中国社会科学院)、周 閲(北京語言大学)
陳 言(北京市社会科学院)、林少陽(東京大学)
司会者:顔淑蘭(中国社会科学院)
〇同時通訳(日本語⇔中国語):文 俊(北京語言大学)、宋 剛(北京外国語大学)
※プログラムの詳細は、下記URLをご参照ください。
日本語 中国語
■発表内容
【講演1】
◆刈間文俊「中国映画は日本になにをもたらしたか――その過去・現在・未来」
[要旨]
1977年に始まる中国映画祭は、日本に中国映画を紹介する大きな役割を果たした。1986年の「黄色い大地」のロードショー公開は、ニューウェーブの衝撃をもたらし、1985年の中国映画回顧展は、中国映画史の豊かさを教えるものとなった。1990年代に入ると、中国映画は国際映画祭での受賞が相次ぎ、インディペンデントの映画製作も始まるなど、多様化が見られた。日本における中国映画は、中国を知るための窓から、陳凱歌や張藝謀、賈樟珂、婁燁という監督の名前で語られる芸術となり、さらに歴史スペクタクルを描くエンターティメントとなったが、いま中国で大ヒットしている「私は薬神ではない」は、新たな社会派エンターティメントの可能性を示すもので、日本でも驚きをもって受け入れられるだろう。
[略歴]
東京大学名誉教授、武蔵野大学講師、南京大学客員教授。NPO法人日中伝統芸術交流促進会副理事長。1952年生まれ。東京都出身。麻布高校卒、1977年東大文学部中国文学科卒、83年同大学院博士課程中退。駒澤大学講師、87年東大教養学部講師、助教授を経て96年教授。専門は中国現代文学、中国映画史。共著書に「上海キネマポート―甦る中国映画」(凱風社)1985年、「チャイナアート」(NTT出版)1999年、訳書に陳凱歌「私の紅衛兵時代-ある映画監督の青春」 (講談社) 1990年。これまで中国映画の字幕を百本近く翻訳してきた。『空海―美しき王妃の謎』も日本語版の監修・翻訳を担当。
【講演2】
◆王衆一「今に問われる日本映画が中国に与えた影響――融合・参考・合作」
[要旨]
西洋から来た映画は日本経由で中国に伝わったのである。戦後日本映画はいくつかの段階で、それぞれ特色のある形で中国に入りましたが、決定的に中国で日本映画の存在を示したのは40年前『中日友好条約』が調印された時点からです。高倉健、栗原小巻、中野良子、倍賞千恵子などは幾世代の中国人の記憶に残っていて、国民間の好感度向上に一役を買っています。以来、日本映画は中国映画に与える影響はハリウッドとヨーロッパ、ロシア映画と違う形で今日まで続いています。中日友好や共同市場をめざす合作映画も中日映画交流の特徴のひとつです。昨年中国でヒットした『君の名は。』やこの夏中国で話題を呼ぶ『万引き家族』は、日本映画の新たなブームが始まったことを宣言すると同時に、同時代の日本人の「心象風景」は、映画を通して中国の若い世代に理解されることにつながるでしょう。政府間の映画合作協定の締結は、将来共同市場の形成に新たな可能性を与えています。
[略歴]
『人民中国』雑誌社総編集長。1963年生まれ。吉林大学で日本言語学を専攻、1989年に修士号取得。同年、人民中国に入社。1994年から東京大学で一年客員研究員。コミュニケーションや、翻訳学、大衆文化など多岐にわたる研究を行う。中華日本学会及び中日関係史学会常務理事、中日友好協会理事を務める。著書に『日本韓国国家のイメージ作り』、訳書に『日本映画のラディカルな意志(四方田犬彦著)』『日本映画史110年(四方田犬彦著)』などがある。第十三期全国政治協商会議委員。
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2018.10.25
2018年8月26日の午後に開催された第4回アジア未来会議自主セッション「現代モンゴル地域における社会変容」は、激変する北東アジア社会の複雑な状況を視野に入れながら、最新の資料を駆使して、モンゴル地域における社会変遷を焦点に特色ある議論を展開することを目的とした。同セッションでは、国立政治大学民族学部准教授の藍美華(LAN Mei-hua)先生と私が共同で座長をつとめた。
SGRA会員、内モンゴル大学モンゴル研究センター准教授のリンチン(仁欽、Renqin)氏の報告「20世紀後半の内モンゴルにおける草原生態系問題の検討」は、20世紀後半の内モンゴルにおける放牧地開墾問題の実態はどうだったか、その背景と要因は何であったか、放牧地開墾問題はモンゴル人地域社会に何をもたらしたか、さらに今日の内モンゴルにおいても生じている環境、漢化、自治区の自治権の低下、人口、言語教育など非漢民族の生存権問題と如何に関連しているのかなどについて考察した。
リンチン氏は、結論として、下記の事を指摘した。
第1に、「大躍進」運動では、農業地域か牧畜業地域かを問わず、内モンゴル地域では「農業を基礎にする」という方針のもと、「牧畜業地域の食糧と飼料の自給」という名目で、中華人民共和国建国以来最大規模の放牧地が開墾された。
第2に、「文化大革命」期間の「牧民はみずから穀物を生産すべき」のスローガンのもとで、内モンゴル生産建設兵団による2回目の大規模の放牧地開墾が行われた。しかし、その結果、食糧と飼料の自給が成し遂げられるどころか、むしろ穀物は減産したのである。
第3に、草原生態系への破壊的影響をもつ開墾により、放牧に利用できる草原の面積が縮小したため、牧民たちは生産手段でもある放牧地を失い、生活の困窮状態に陥った。
第4に、近年、北京、天津にとどまらず、はるか朝鮮半島、日本にまで猛威を振るっている「黄沙」の主な発生源は内モンゴルとされているが、そう簡単に結論づけることはできない。内モンゴルにおける環境問題は、実際このようは政治的・社会的・人為的要因があった。
SGRA会員、昭和女子大学国際学部国際学科教授のマイリーサ(Mailisha)氏の報告「観光化の中における文化伝承」は、甘粛省粛南ヨグル族自治県白銀モンゴル自治郷(1930年代に外モンゴルから河西回廊に移住したハルハ・モンゴル人の村落)における「伝統文化の担い手と継承のための工夫」の事例を検証した。言語や文化の消滅の危機にさらされている少数民族の生存戦略と、その潜在的な可能性について検討し、「民族風情園」など「中国的な見せる観光」における問題点を指摘し、たいへん興味深かった。
東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程ソルヤー(Suruya)氏の報告「フルンボイル地域における民族衣装の再創造――ダウル人を中心に――」は、日本における文化人類学の先端的な研究成果を吸収し、ホブズボウムとレンジャーの「伝統の創造」論を踏まえ、先行研究を批判的に参考にしながら、民族表象の問題として民族衣装に焦点をあてた。フィールドワークで得た成果に基づいて、ダウル人の民族衣装を中心に、内モンゴル・フルンボイル地域におけるモンゴル系サブグループの民族衣装が、20世紀以降、いかに衰退から「再生」へと発展してきたのか、それがフルンボイルのモンゴル系サブグループのアイデンティティの再構築とどのような関係をもっているかなどについて検討をおこなった。今日、ダウル人は伝統を取り戻そうと、その民族衣装を再構築し続けているが、そのプロセスにおいて、実際は、多くの伝統が失われ、また新たな「伝統」が生まれ続けていることなどを指摘した。
桐蔭横浜大学FIJ欧米・アジア語学センター非常勤講師ボヤント(Buyant)氏の報告「内モンゴルにおける土地紛糾の一考察」は、モンゴル人社会の現状を踏まえ、映像資料を含む第一次資料を用いて、2010年以降、内モンゴル地域で農民・牧畜民と地方政府の間で起きた土地・生態環境をめぐる紛糾を焦点に、さまざまな矛盾や葛藤を抱えている多民族国家中国の民族問題の現状について考察し、検討した。1978年に「改革開放政策」が提唱されて40年が経過した現在、少数民族地域におけるインフラ整備や資源開発、経済成長、党幹部養成等は目覚ましい勢いで進んでいる一方、「党国家」をおびやかす事件が多発し、少数民族をとりまく状況は急速に変わっている。氏の報告は刺激的であり、関心をもたらせた。
セッションの最後に、藍美華氏がセッション報告の成果をまとめ、今後の研究の展開について期待をかけた。
当日の写真
<ボルジギン・フスレ Borjigin_Husel>
昭和女子大学国際学部教授。北京大学哲学部卒。1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会外国人特別研究員、昭和女子大学人間文化学部准教授などをへて、現職。主な著書に『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(1945~49年)――民族主義運動と国家建設との相克』(風響社、2011年)、共編著『国際的視野のなかのハルハ河・ノモンハン戦争』(三元社、2016年)、『日本人のモンゴル抑留とその背景』(三元社、2017年)他。
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2018.10.25
第4回アジア未来会議の一環として、私が企画責任者を務めるグループセッションが8月26日(日)午後にソウルのThe_K-Hotelで開催された。セッションのテーマは「東アジアのナショナリズムを再考する――日・中・韓の近代史からの問い」である。
今日、東アジア諸国の相互依存が一層深まる一方で、感情的摩擦が次第に表面化するようになった一面も否定できない。それは、それぞれ周辺文化への理解の未熟さや、「東アジア」という空間形成の歴史的経緯の軽視などに由来したところが多いと言えよう。そこで、文化のグローバリゼーション(光と影の両面)などに対応しうる「国民国家」というシステムのより広い文脈での位置づけ、および総合的な見通しが問われている。このような問いに検討を加えるために、狭義の一国史に限定することなく、「東アジア」という「場」を多様な文化が接触・連鎖する「舞台」として複眼的・動態的に認識し考察する必要があるように考えられる。
このような問題意識のもとで、今回は3名の発表者と2名の討論者を迎えてセッションを組んでみた。
まず、李セボン氏(延世大学比較社会文化研究所・専門研究員)は「儒者の視点から見た「文明」とナショナリズム――中村正直を中心に」という題で発表した。主に幕末から明治初期にかけて活動し儒学というレンズを通して西洋を見た中村正直(1832~1891)の思想を手がかりに、儒者のいう「文明」とナショナリズムの関係について考察している。
ついで、黄斌氏(早稲田大学地域・地域間研究機構・次席研究員)は「アジア主義・ナショナリズムとマルクス主義の狭間――李大釗の葛藤」という題で発表した。中国ナショナリズムの系譜を時系列に整理した上、その系譜の中に中国共産党の創立に参加した李大釗(1889~1927)の思想を位置づけ、その思想の変容および影響などを分析している。
3番目の発表者は柳忠煕氏(福岡大学人文学部東アジア地域言語学科・専任講師)であり、発表題目は「朝鮮知識人の戦争協力と〈朝鮮的なもの〉――尹致昊と李光洙を中心に」である。帝国日本の戦争遂行に協力した植民地朝鮮の知識人の政治的想像力とはどのようなものだったのかという問題提起を行い、尹致昊(1865~1945)と李光洙(1892~1950)の二人のそれぞれの戦争協力の理由と論理を明らかにし、〈帝国/植民地〉という状況における〈朝鮮的なもの〉の保存への試みとその逆説を解析している。
討論者として、平野聡氏(東京大学大学院法学政治学研究科・教授)と劉雨珍氏(南開大学外国語学院・教授)を迎えた。3名の発表内容について逐一、感想とコメントをされただけでなく、的確なアドバイスもいただいた。
セッションとして、必ずしも最初から意識していたわけではないが、結果的に明治・大正・昭和の3つの時期をカバーし、そして日・中・韓の3国の知識人の思想的葛藤と苦闘を凝縮的にそれぞれの発表に反映させたことになり、よくバランスがとれた。発表者と討論者に加え、聴衆も積極的に参加してくれたおかげで、大変濃密な議論の時間を過ごすことができた。
聴衆に福島大学のある教授がおられ、会議後、ここソウルでこんなに高いレベルの発表およびコメントを聞けるとは思わなかったという。この言葉を励みに、今後できればよりよい企画を提案できるよう協力していきたい。
*発表者、討論者、そして、何よりも渥美国際交流財団の関係者の方々のおかげで、セッションを成功裏に開催できたことを心より感謝申し上げます。皆さま、本当にどうもありがとうございました!
当日の写真
<朱 琳(シュ・リン)ZHU_Lin>
東北大学大学院国際文化研究科准教授。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門はアジア政治思想史。
2018年10月25日配信
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2018.10.18
渥美国際交流財団関口グローバル研究会は、バンコク、バリ島、北九州、ソウルに続き、マニラ近郊にて第5回アジア未来会議を開催します。アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心のある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。アジア未来会議は、学際性を核としており、グローバル化に伴う様々な課題に対して、科学技術の開発や経営分析だけでなく、環境、政治、教育、芸術、文化の課題も視野にいれた多面的な取り組みを奨励します。毎回400名以上の参加者を得、200編以上の論文発表が行われます。活発な議論の場を創るため、皆様の積極的なご参加をお待ちしています。
日時:2020年1月9日(木)~13日(月)(到着日と出発日を含む)
場所:フィリピン国マニラ首都圏アラバンとラグナ州ロスバニョス
総合テーマ:持続的な共有型成長-みんなの故郷(ふるさと)、みんなの幸福(しあわせ)
http://www.aisf.or.jp/AFC/2020/
アジア未来会議は下記の要項にしたがって論文・小論文・ポスター/展示の発表要旨を募集しています。アジア未来会議は、特定分野の学会ではないので、一般の人々にもわかる発表を心掛けてください。
〇上記総合テーマに含まれる下記トピックに関連する研究発表の提案を募集中。
【効率】成長と繁栄 地域貿易と統合 グローバル化 移動 連携性 技術/社会革新
【公平】平和 公共/民間ガバナンス 紛争解決 人権 公平性 倫理
【環境】持続性 環境 生物多様性 気候変動 被災リスク管理
【人間】特別支援 文化/宗教研究 健康 教育 歴史 特別枠 共有型成長のメカニズム
〇発表言語
第5回アジア未来会議の公用語は英語と日本語です。登録時に、まず口頭発表およびポスター/展示発表の言語を選んでいただきます。英語で発表する場合の発表要旨は250語以内に纏めてください。日本語で発表する場合は、発表要旨のみ日本語(600字)と英語(250語)との両方で投稿していただきます。論文および小論文は日本語のみでけっこうです。
〇発表の種類
1.小論文(2~3ページ)
2.論文(5ページ以上10ページ以内)
3.ポスター/発表展示
〇分科会セッションの割り当て
分科会は、2020年1月10日(金)にアラバンで、1月11日(土)にフィリピン大学ロスバニョス校で開催します。
1.一般セッション(個人投稿:アジア未来会議実行委員会が割り当てる)
2.グループセッション(グループで独自のセッションを作る)
3.学生セッション
〇発表要旨の提出期限
[A] 奨学金・優秀論文賞の選考対象となる論文の発表要旨の投稿
2018年10月17日から2019年1月1日
[B] 論文・小論文・ポスター/展示の発表要旨の一般投稿(奨学金・優秀論文賞の対象外)
2018年10月10日から2019年6月30日
詳細は下記ウェブサイトをご覧ください。
画面上のタブで言語(英語か日本語)を選んでください。
http://www.aisf.or.jp/AFC/2020/call-for-papers/
2018年10月18日配信