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2019.08.15
先ず活動をする私たちが楽しく、結果として日韓友好・親善に役立つ活動をする、文化交流と知的交流の中間レベルの活動をする、政治や宗教とは距離を置く、をモットーに2009年12月より日韓友好の思いを抱いている方々と手書きの手紙交流から活動をはじめた「暖流」(2013年4月NPO法人格取得)を紹介させて頂きたい。韓流ブームに後押しされ、仲間も増え、小規模ながらも順調(?)な親善活動が続いている。
日本では、☆古代から現代までの朝鮮半島の歴史を学習する「歴史学習会」の開催。☆韓国に因んだ場所を歩きながら会員同士の親睦を図る「散策会」。☆各分野の韓国専門家による「講演会」の開催(17回)。☆キムチやポジャギーなど「韓国文化の講習会」。☆舞や楽器など民族文化とK-POPなど現代文化の「公演会」などを。韓国では、☆本部と韓国支部の会員の作品を展示する「日韓親善交流展覧会&文化交流会」。☆有田焼の創始者李参平さんの一生を描いた小説の翻訳出版(2015年の優秀図書に選定)。☆ソウル市施設公団との共催で暖流会員がモデルを演じた「和服ファッションショー」。さらに、幸運にも4年前から世田谷区の補助金事業や「せたがや国際メッセ」でも活動するようになった。ささやかな達成感(自己満足?)を感じているところにいきなり暴風が吹き荒れ、韓国離れが激しくなった。「日韓親善」という言葉が顔負けするほどに。
何が原因で、これから暖流はどうすべきか?
可視的な流れは、文在寅政府による慰安婦問題の日韓合意の破棄(2015年12月28日、慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した日韓政府間の合意)と韓国最高裁による被徴用者裁判の判決を受け、日本政府が国家間の条約を守らぬ国は信用ならないと韓国をホワイト国家から除外したことである。しかし、この問題は日韓両国間の問題としてアプローチすることは正しくなく、米・中の覇権争いを念頭に置きつつ考えなければならない。しかし、筆者の能力と紙幅上の制約から日韓間に、さらに被徴用者裁判に限定し、日韓問題と今後の暖流のことを考えてみたい。また、日韓問題に関しては主観を挟まず事実のみ整理することに努めたい。
日本は「日韓併合条約」(韓日併合、朝鮮併合とも言う)が締結された1910年8月22日より朝鮮総督府が降伏文書に調印する1945年9月9日まで約35年間朝鮮半島を支配していたが、1965年6月22日、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(以下基本条約という)とその付随協約として「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(以下請求権協定という)が締結され、両国間の関係が正常化された。
基本条約と請求権協定の骨子は国交樹立と韓国に対する経済協力、そして両国間の請求権に関するものであり、請求権協定の主な内容は、☆朝鮮に投資した日本の資金及び日本人の全ての財産の放棄(当時の総督府や軍の財産を除いた民間の財産は約47億円、韓国の1年間国家予算は約3.5億ドル、日本の外貨準備金は約17億ドル)、☆無償3億ドル(1,080億円)、長期低利の貸付2億ドル(720億円)の供与(第1条)、☆請求権問題は完全かつ最終的な解決の確認(第2条)、☆協定の解釈や実施に関する紛争は先ず外交上の経路を通じて解決し、解決できない場合は両国政府が各1人ずつ任命した仲裁委員と、その2人の仲裁委員の合意あるいは第3国政府の指名する第3の仲裁委員で構成された仲裁委員会の決定に服すこと(第3条)である。
次に被徴用者への韓国政府の対応をみてみよう。朴正煕政府は請求権協定による無償3億ドルを産業の育成やインフラの整備に費やし、9年後の1974年に「対日民間人請求権補償に関する法律」を制定し、1975年から1977年まで被徴用死亡者8,552人に1人当たり30万ウォン、債券など74,963件に66億1,695万ウォン、合わせて91億8,252万ウォンを支給した(これは無償3億ドルの5.4%に該当)。しかし、2012年、盧武鉉政府は朴正煕政府による被害者補償が不十分であったと、再び6,334億ウォンを支給した(その内訳は、死亡者・行方不明者に1人当たり2,000万ウォン、負傷者に2,000万ウォンを上限に障害程度による慰労金、生存者に毎年80万ウォンの医療支援金)。
今度は韓国の「落星台経済研究所」李宇衍氏の研究を引用しながら徴用についてみよう。日本による炭鉱・鉱山・軍需企業勤労など戦時目的の労働動員は1939年9月から1945年2月まで約6年間、殆ど3南地方(慶尚道、全羅道、忠清道)を中心に、「募集」(1939年9月~1942年2月)からはじまり「官斡旋」、「徴用」(1944年9月~1945年3月)の順に為された。2年契約で、延べ72万4,000人が動員された(募集約20万、官斡旋約33万、徴用19万)。
募集は一般就業と同じ性格のもので、責任者は企業の労務管理者であったが、企業任せでは募集された人員が少なかったので、総督府が地域別に募集数を割当て、総督府の行政体系の末端である面(日本の町に相当)の面長を責任者とする官斡旋がはじまった。しかし来日費用がかからず安全に来られる官斡旋で来日した者の約40%が逃亡し一般就業をしてしまうことが発生した。令状を出す徴用は1944年9月から1945年3月まで約6カ月間行われた。拒否が可能だが受容すれば援護対象として優待され月給が募集や官斡旋より高かった。
労働動員が行われた1939年9月から1945年2月までのほぼ同期間の一般就業者数は、官斡旋や徴用からの逃亡者を除いても170万人に上った。このように新文明への憧れや高所得確保への期待で来日に憧れていた若者は多かったにもかかわらず、労働動員が必要であった炭鉱・鉱山・軍需企業では働きたがらなかったからである。
次に、朝鮮人労働者に対する未払い(未集金)について整理することにする。
朝鮮人労働者たちは賃料や公共料金の負担がなく、食事代が安く、韓国人が舎監である寄宿舎で生活し、給料はインフレ抑制のためいつでも使える少額の社内貯蓄を除いて郵逓局に強制貯蓄され、契約満了で帰国する時まで引出ができなかった。また、企業は朝鮮人労働者の人数、貯蓄額、送金額、支給額を毎月行政当局(市、警察など)に報告することになっていた。終戦時、残っていた労働者は32万人(逃亡者を含む)であったが、彼らの7月25日の給料日から8月15日までの給料、退職積立金(労使負担)、そして退職金などを清算しないで帰国した者の未払金(未集金)がある。日本政府は1946年、各企業に朝鮮人に対する未払金を文書に整理させ(項目別総計の資料はあるが、個人別資料は公開されていない)、全額を裁判所に供託させた。
最後に被徴用者裁判についてみよう。被徴用者訴訟に対する2018年10月30日韓国最高裁の判決の始まりは1997年に遡らなければならない。
1997年12月24日、ヨ・ウンテクさんとシン・チョンスさんの2人の原告が新日鉄を被告に強制徴用と奴隷労働に対する賠償請求を大阪地裁に提訴したが、敗訴する(2001年3月27日)。さらに大阪高裁と最高裁でもそれぞれ控訴や上告が棄却された(2002年11月19日、2003年10月9日)。
その後、2005年2月28日にイ・ジュンシクさんとキン・キュウスさんが加わり4人で、今度は韓国ソウル中央地裁に提訴するが、ここでも原告敗訴で終わり(2008年4月3日)、高裁でも控訴棄却になった(2009年7月16日)。しかし、最高裁では逆転して事件を高裁に破棄差戻すことになる(2012年5月24日)。高裁は最初の判決と異なり新日鉄住金に原告一人当たり1億ウォンの賠償を命じ(2013年7月10日)、それが最高裁で最終確定されたのである(2018年10月30日)。
韓国最高裁の判決を受けた日本政府は韓国に対する輸出規制を、さらにそれを受けた韓国は日本製品に対する不買運動を、と両国関係は悪化の度合いを高めている。こういう時こそ民間交流が大切なのではと考えている。曇ったり降ったりの後は必ず晴れると信じつつ日韓親善活動に邁進して行きたい。
<羅仁淑(ら・いんすく)La_Insook>
博士(経済学)。専門分野は社会保障・社会政策・社会福祉。SGRA会員。
英語版は下記よりお読みいただけます。
La Insook--Thoughts on Recent Japan-Korea Relations_rev
2019年8月15日配信
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2019.08.01
2019年6月末、G20大阪会議の開催直後、板門店で3回目の米朝首脳会談が行われた直後、その余韻も覚めやらぬ中、7月1日、日本政府は対韓輸出規制措置を発表した。当初は、そのタイミングからして、日本企業に対する元「徴用工」の損害賠償請求を認めた、2018年10月の韓国最高裁の判決に対して、有効な対策を提示できない韓国文在寅政権に対する「対抗措置」であるという見方が支配的であった。今後、日本企業に賠償を行わせるため在韓資産の現金化が強制執行され、日本企業に可視的な被害が及べば、韓国に対する「対抗措置」を日本政府が選択することは十分にありうることだと予想された。
救済を受けられなかった被害者の人権は回復されるべきだが、それは、1965年の日韓請求権協定という「国家間の約束」の枠内で行われるべきだろう。韓国最高裁は、協定の対象範囲を、協定の締結当事者の「立法者意思」よりも非常に狭く解釈することで、協定の「完全かつ最終的に解決」という文言による制約を乗り越えようとした。しかし、それは、韓国国内での支持は得られたかもしれないが、交渉当事者の一方である日本政府、社会の同意を得られたとは言い難かった。換言すれば、外交問題として取り組まざるを得ないものであった。したがって、交渉を通して日本政府や社会の合意を取り付けるのか、それとも、判決と協定の双方に違背しない何らかの妙案を提示するのか、ともかく韓国文在寅政権が取り組まなければならない課題であった。
しかし、判決以後の文在寅政権の対応は鈍かった。大統領自身が類似訴訟の弁護人の経験があり「日本企業が賠償すべき」との信念を持っていたのかもしれない。もしくは、それを大統領周辺が「忖度」したのかもしれない。日本の一部には、この判決の責任を文在寅政権に帰着させようとする見解も存在する。しかし、当該最高裁判決の「原判決」とも言える2012年5月の最高裁小法廷判決は、李明博政権末期に出されたものであった。朴槿恵政権は、その判決が確定することが日韓関係に及ぼす「破壊的影響」を考慮して種々の対応を模索したが、朴槿恵大統領の弾劾・罷免に起因して挫折を余儀なくされた。さらに、そこで試みられた行政と司法との調整が、文在寅政権下において違法な「司法壟断」とみなされ、最高裁長官の逮捕にまで及んだ。
韓国内では判決を日本政府に受け入れさせるように交渉するべきであり、日本政府や企業もそれに従うべきだという見方が強い。日本企業がその判決に従うのかどうかは企業自身の判断に委ねるべきだとは思うが、日本政府としては、やはり請求権協定における「完全かつ最終的に解決」という合意に反すると判断せざるを得ない。したがって、韓国内の司法手続きがこのまま進むと、それに対する何らかの「対抗措置」に踏み切らざるを得なくなる。
ただ、そうした日本企業の可視的な被害が生じる前に、今回、日本政府が「対抗措置」を採ったことはどのように正当化されるか。しかも、日本政府は、「対抗措置」であることを示唆しながらも、それを理由とすることは国際的な支持を得られないと考えたのだろう、表向きは重要な戦略物資やそれに伴う技術などが韓国を通して第三国(おそらく具体的には、北朝鮮や中国ということが念頭に置かれているのだろう)に違法に流出しているかもしれないと、安全保障上の理由を掲げて対韓輸出規制措置に踏み切ったと説明する。
日本政府の説明はともかく、日本企業の在韓資産の現金化に対する「予防的対抗措置」という側面は否定できない。この措置が韓国では「大騒動」を巻き起こしている。しかし、韓国から譲歩を引き出すのに効果的であるどころか、むしろ対日強硬論で韓国を「団結」させる結果をもたらしている。確かに、直後は、保守野党を含めて文在寅政権の対日「無策」が批判されたが、その後の推移を見ると政権批判は対日批判に掻き消された格好である。ある意味では、この一連の「騒動」の原因となった「徴用工」判決の問題がどこかに吹っ飛んでしまい、「日本が意地悪な脅しを加えて韓国を屈伏させようとしている」と韓国社会では受け止められている。韓国における日本製品の「不買・不売運動」の背景には、日韓の歴史的経験に起因する「反日感情」というよりも「弱い者いじめは許さない」という「素朴な正義感」が存在するようだ。
さらに、単なる「便法」ではなく、本気で韓国を安全保障上の「問題国家」とするのであれば、それは日本の外交や安全保障にとって、従来の立場とは異なる相当に大きな転換である。確かに、安倍政権は、「韓国とは市場経済と民主主義という基本的価値観を共有する」という表現を政府文書からわざわざ削除したり、日本外交における韓国の優先順位を下げるような表現を使ったりして、日本の外交や安全保障における韓国の位置づけを再考する、換言すれば「日韓関係の『再定義』」とでも呼ぶべき政策指向を見せてきたことは否定できない。そして、その証左として、韓国が同盟国との関係維持よりも対北朝鮮政策に前のめりになっていること、さらに米中対立の構図の中で曖昧な立場を示していることなどを示唆してきた。しかし、もしそうであれば、韓国に対してはもちろん、日韓が同盟を共有する米国、さらには日本国内にも、そして国際社会に対しても、納得のいく説明が必要だろう。
しかし、現状は、安全保障の問題だから明確にはできないという一点張りで、なぜ、このタイミングで韓国への対応を大きく変更する必要があったのかについて、納得いく説明が聞かれない。今回の「対抗措置」は、その意味で非常に不可解な部分が大きく、とても正当なものだと評価することはできない。ただ、一旦採った措置を何の明確な変更理由がないにもかかわらず撤回することもまた難しいのも事実だ。
まずは、この一連の「騒動」の原因となった「徴用工」判決に関して、韓国政府が当該判決と請求権協定とを両立しうる妙案を日本政府に提示して交渉を始めることが必要だと、私は考える。その際、判決の核心は日本企業が賠償することではなく被害者が救済されるべきだという点を優先したことだと解釈し、韓国政府が主導して、そこに韓国企業と日本企業との「自発的な参加」を呼びかけて補償に取り組むことが基本となるべきである。そして、その交渉と並行して、日本政府は安全保障上の問題に関して韓国政府と協議し、懸念が晴れるのであれば措置を果敢に撤回する姿勢を示すことが必要である。
日韓関係は、それまでの非対称的で相互補完的な関係が、対称的で相互競争的な関係に変容する中、双方ともそれぞれの「正義」を掲げて競争するようになっている。したがって、どちらかが正しいのかというゼロサム的な競争で問題が解決されることは困難な状況である。そうした競争を続ける限りは、相手が譲歩しない限りは「共滅」してもやむを得ないという、まさに「チキンゲーム」の様相を呈するしかない。歴史問題を直接的な契機として始まった対立が、経済領域、さらには安全保障領域にまで戦線を拡大することで、そうした様相を呈するようになりつつある。
では、どうしたらいいのか。日韓両政府は、相互に、相手の意図を読み取り、自らにとってより優先順位の高い重要なものは何なのか、それを獲得するためにはどうしたらいいのか、その代わり何を犠牲にしてもいいのか、こうした戦略的思考に基づいて交渉するという姿勢以外には、対立を緩和し解消するということは難しい。そのうえで、お互いの外交、安全保障、そして社会にとって、相手国はどのように位置付けられるのか、そうした知的な作業を自覚的に進める必要がある。日韓関係はそうした状況になっていることを、日韓両国の政治指導者はもちろん、市民も含めて肝に銘ずるべきだろう。
その意味で、最後に、韓国の民間団体や地方自治体から提起されている日韓交流の中断の動きに対して、韓国文在寅政権は「そうする必要はない」「そうするべきではない」という明確な姿勢を示してもらいたいと考える。
英語版はこちら
<木宮正史(きみや・ただし)Kimiya Tadashi)
1960年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。東京大学法学部卒、同大学院博士課程単位取得退学。韓国高麗大学大学院博士課程修了、政治学博士。著書に『韓国-民主化と経済発展のダイナミズム』『朴正熙政府の選択:1960年代輸出志向型工業化と冷戦体制(韓国語)』『国際政治のなかの韓国現代史』『ナショナリズムから見た韓国・北朝鮮近現代史』など。
2019年8月1日配信
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2019.07.18
~行って、見て、感じて、考える~
関口グローバル研究会(SGRA)では2012年から毎年、福島第一原発事故の被災地である福島県飯舘(いいたて)村でのスタディツアーを行ってきました。そして、スタディツアーでの体験や考察をもとにしてAFCワークショップ、SGRAフォーラム、SGRAカフェなど、さまざまな催しを展開してきました。
2017年に7年間の避難生活が解除され、住民も徐々に「ふるさと」に帰り始めていますが、昔のままの生活を取り戻すことはできません。飯舘村の住民たちは、新しいふるさと作りに向けて進み始めています。今回のツアーでは、新しいふるさとつくりのシンボルとしての「佐須の地域再生可能エネルギー事業」と北川フラム氏を中心に計画されている「飯舘村アートプロジェクト」に焦点を当てて、新しいふるさとつくりのヴィジョンと計画を共に考えます。
《「ふるさと」の再生》
日 程: 2019年9月21日(土)、22日(日)、23日(祝)
人 数: 10~15人程度
宿 泊: ふくしま再生の会体験宿泊施設 「風と土の家」
参加費: 一般参加者は新幹線往復料金+12000円
_______渥美奨学生・元奨学生(ラクーンメンバー)は参加費無料
申込み締切:9月10日(火)
申込み・問合せ:渥美財団 SGRA事務局 角田
E-mail:
[email protected] Tel: 03-3943-7612
ちらし(PDF)
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2019.07.04
2019年5月31日、国立台湾大学国際会議ホールで、第9回日台アジア未来フォーラム「帝国日本の知識とその植民地:台湾と朝鮮」が開催された。今回のフォーラムの趣旨は、漢文など東アジア諸国共有の伝統知識を踏まえながら、グローバルな視野で、台湾と朝鮮をめぐって、思想、歴史、文学の視角から、近代日本帝国における知識の在り方と台湾、朝鮮との関連、また日本帝国の諸植民地における人間の移動と交流を探究することであった。 (1)帝国日本の知識と台湾(一):思想史、(2)帝国日本の知識と台湾(二):歴史と文学、(3)帝国日本の知識と朝鮮、という3つのセッションに分けて帝国日本の知識とその植民地に関わる諸問題に焦点を当てて、9本の論文が発表された。
今回のフォーラムへの参加申込は約200名であったが、会議当日、200席の会場はほぼ満席状態が続いていた。1つのセッションだけに参加した人もいたので、延べ参加者数は250名を越えたであろう。この点でも今回のフォーラムは大成功で、参加者から好評を得、台湾の新聞に報道された。
まず開幕式では、中央研究院人文社会科学研究センターの蕭高彦主任、渥美国際交流財団関口グローバル研究会の今西淳子代表、交通大学社会文化研究所の劉紀蕙教授(藍弘岳代読)より共催者として挨拶があった。
次に、京都大学名誉教授の山室信一先生が「日本の帝国形成における学知と心性」というテーマで基調講演を行った。講演では、まず、アカデミックな学術と、統治を正当化・合法化するための学術知と、統治にかかわる実践のための技法知(techne)から成るものとして、「学知」という概念が紹介された。そして、口承文芸や祭祀・伝説などに現れる「心理的慣習」や真偽に拘わらず社会的に流布した「集合的心理」を示す表現という意味で「心性」という概念も提起された。これらの概念定義を踏まえ、山室教授はこうした意味の「学知」と日本帝国の形成と管理運営との関係について、統治技法の遷移と統治人材の周流など、諸事例を挙げながら、説明された。また、朝鮮については神功皇后、台湾については鄭成功や呉鳳の例を挙げながら、帝国形成の対象となる地域についての空間心性がいかに歴史的に蓄積されてきたかを述べられた。
山室先生の博学でスケールが大きな講演の内容に導かれて、論文発表と討論が3つのセッションに分けて展開された。
第1セッションでは、まず、交通大学社会文化研究所の藍弘岳教授が、「明治日本の自由主義と台湾統治論――福沢諭吉から竹越与三郎まで」というテーマで発表した。日欧比較と世代差異の観点から、福沢諭吉と竹越与三郎をめぐって、明治日本のリベラリストの台湾統治論について考察した。そして、大日本帝国の時間的な後進性と空間的なアジア性によって、明治リベラリストが提示した台湾統治政策は、意識的に大英帝国のやり方を模倣しながら、より防衛的で日本的な特色を持つ政策になっていたと論じた。特に、福沢と竹越には台湾という植民地に対する知識の差異が見られるが、2人ともヨーロッパの帝国主義国家のリベラストが持つ内外で違う基準で物を見る方法を学んだことを指摘した。
次に、首都大学東京の法学政治学研究科の河野有理教授が「田口卯吉の台湾論大和魂」というテーマで発表した。内田魯庵の小説『社会百面相』の台湾論を紹介しながら、魯庵の冷たい視線と同様に冷ややかな眼差しを注いでいた人物として、田口卯吉の台湾論を検討した。そして、台湾統治に対する田口の「消極主義」は、経済的な自由主義と「市場」メカニズムへの信頼に支えられたものだと論じ、植民地へのインフラ投資の拡大が政治権力の巨大化と腐敗につながっていくことに田口が鋭敏に反応したことを指摘した。
最後に、台湾大学歴史学科博士課程の陳偉智が「観察、風俗の測量と比較の政治――坪井正五郎、田代安定と伊能嘉矩の風俗測量学」というテーマの論文を発表した。陳氏は坪井正五郎が東京の町で使った風俗を観察する測量の技法がどのように田代安定と伊能嘉矩に継承され、台湾台北などの町で再利用されていたかを報告した。
第2セッションでは、まず京都大学大学院文学研究科の塩出浩之准教授が「近代初期の東アジアにおける新聞ネットワークと国際紛争」というテーマで発表した。西洋人の新聞発行活動に触発され、1870年前後には中国人と日本人もそれぞれ中国語・日本語による新聞の発行を始めたことを論じた。さらに、台湾出兵などの事件を通して、英語新聞・中国語新聞・日本語新聞の間で言語を越えた言論の流通が起こり、東アジア地域の言論空間が形成されたことによって、東アジアにおける近代が始まったことを詳細に検討した。
次に、台湾大学日本語学科の田世民准教授が「近代日本における葬式儀礼の変化と植民地台湾との交渉」というテーマで発表した。日本近世思想史が専門の田氏は、日本では古来仏教が日本人の葬儀と密接な関係にあることを説明した上で、漢学が19世紀に隆盛したことを背景に、近世以降儒教や神道がいかに仏葬を排除して儒葬や神葬を行ったのかを考察した。近代日本において神葬祭を実施するために火葬が禁止されたが、様々な理由で禁令が解除され、火葬が日本の基本的な葬法となった過程を検討した。さらに、台湾総督府の政策と台湾の葬祭儀礼との交渉、特に官吏たちが純粋な儒教儀礼ではない葬送習俗をどのように捉え、改善しようとしたかを考察した。
最後に、清華大学台湾文学研究所の柳書琴教授は「左翼文化の廊下における『台湾のバイロン』――上海時期の王白淵を論じて」というテーマで発表を行った。柳教授は上海における王白淵という植民地台湾の左翼知識人の宣伝工作をめぐって、台湾の左翼知識人はどのように東アジアにおいて日本語を通して台湾の植民地経験を宣伝しながら、中国、日本、朝鮮の知識人たちと連携して植民地統治に抵抗していたかを検討した。
第3セッションでは、まず東京大学大学院総合文化研究科の月脚達彦教授が「朝鮮の民族主義の形成と日本」というテーマで発表した。朴殷植という植民地朝鮮の知識人が韓国併合(1910年)の後に民族史学を打ち立てるに際し、どのようにして日本による朝鮮植民地支配を批判する論理を獲得したかを第一次世界大戦終結後の時代状況の中で検討した。また、朴殷植とともに民族史学の代表的人物と評価される申采浩が、「武」について朴殷植とは異なる態度を取っていたことを明らかにすることにより、日清・日露戦争後の帝国日本に対する朝鮮の民族主義の対応を多面的に検討した。
次に、ソウル大学日本研究所の趙寛子準教授が「東アジア体制変革において日清・日露戦争をどう見るか――『思想課題』としての歴史認識」というテーマで発表した。日清・日露戦争に対する同時代人のスタンスが朝鮮・清国・ロシアの古い秩序を改革するための権力闘争と関わっていたことに注目。これらの権力闘争の検討を通じて、朝鮮と日本の民族的対立、民権と国権の政治的対立、近代化における新旧対立、左翼と右翼の理念対立といった、かつての認識の枠組みを超えて、同時代の歴史的変化における相互の分裂と連鎖の様相を探り、さらに今日の歴史認識の衝突を超えられる新たな「思想課題」を探るべきだという提案をした。
最後に、文化大学韓国語学科の許怡齡准教授が「近代知識人朴殷植の儒教改革論と日本陽明学」というテーマで発表した。植民地朝鮮の知識人としての朴殷植をめぐって、朴殷植の経歴、儒教改革論と高瀨武次郎『王陽明詳伝』といった日本の陽明学著作との関連などを検討した。
閉幕式では、台湾大学日本研究センターの林立萍教授から閉会挨拶があり、その後に山室教授が発表された論文ひとつひとつにコメントをしてくださった。素晴らしい総括のおかげで、多くの参加者が最後まで残っていた。今回の日台アジア未来フォーラムは大成功であったと、多くの方々から高い評価をいただいた。
当日の写真
<藍弘岳(らん・こうがく)Lan_HongYueh>
台湾国立交通大学社会文化研究所教授。
近著に:『漢文圏における荻生徂徠――医学・兵学・儒学』(東京大学出版会、2017)、「會澤正志齋的歴史敘述及其思想」(『中央研究院歴史語言研究所集刊』第89本第1分、2018)など。
2019年7月4日配信
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2019.06.27
SGRAでは、良き地球市民の実現をめざす(首都圏在住の)みなさんに気軽にお集まりいただき、講師のお話を伺い、議論をする<場>として、SGRAカフェを開催しています。下記の通り第12回SGRAカフェを開催しますので、参加ご希望の方はSGRA事務局へお名前、ご所属と連絡先をご連絡ください。
◆「混血」と「日本人」ハーフ・ダブル・ミックスの社会史
日時:2019年7月27日(土)14時~16時
会場:渥美財団ホール
会費:無料
参加申込・問合せ:SGRA事務局 <
[email protected]>
ちらし(PDF版)
『「混血」と「日本人」——ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』の著者、下地 ローレンス吉孝さんを招き、いわゆる「ハーフ」と呼ばれてきた人々に注目し、「日本人」という実は曖昧な言葉の境界について参加者とともに考えます。
「日本人」の境界線はどのように引かれているのか。その境界に生きる人々は、いかに生きているのか。時に侮蔑的な言葉を浴びせられ、時に差別され、あるいは羨望のまなざしで見つめられながら、「日本人」と「外国人」のはざまを生きてきた人びと。そんな彼らの戦後から現代までの生活史をたどることで、もうひとつの「日本」の輪郭線を浮かび上がらせます。
講師略歴:
発表者:下地ローレンス吉孝
1987年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。専門は社会学・国際社会学。現在、上智大学、国士舘大学、開智国際大学などで非常勤講師として勤務。著書に『「混血」と「日本人」:ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』(青土社、2018年)がある。
コメンテーター:ソンヤ、デール
社会学者。ウォリック大学哲学部学士、オーフス大学ヨーロッパ・スタディーズ修士を経て上智大学グローバル・スタディーズ研究科にて博士号取得。これまで一橋大学専任講師、上智大学・東海大学等非常勤講師を担当。ジェンダー・セクシュアリティ、クィア理論、社会的なマイノリティおよび社会的な排除のプロセスなどについて研究。2012年度渥美財団奨学生。
ファシリテーター:ファスベンダー、イザベル
東京外国語大学博士後期課程在籍中(2020年3月修了見込)。専門はジェンダー社会学。立命館大学にてドイツ語講師、同志社大学にて非常勤講師(Japanese Society and Culture, Ethnicity in Japan)を担当。現在の研究テーマは生殖をめぐるポリティクス、妊活言説。2017年度渥美財団奨学生。
2019年6月27日配信
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2019.05.30
下記の通り第9回日台アジア未来フォーラムを台北市で開催します。参加ご希望の方は、下記よりご登録ください。
テーマ:「帝国日本の知識とその植民地:台湾と朝鮮」
日時:2019年5月31日(金)8:50~17:10
会場:国立台湾大学凝態センター国際会議ホール
参加申し込み:会議ホームページより直接登録してください。
詳細は会議ホームページをご覧ください。
〇フォーラムの趣旨
台湾と朝鮮はともに漢文圏に属し、日本帝国の植民地を経験した。こうした過去の歴史は現在の台湾と朝鮮半島の政治と文学に重要な影響を与えている。周知のように、近代日本は漢文など東アジア諸国共有の伝統知識を踏まえながら、西洋文明を吸収して、日清・日露戦争を経て、台湾と朝鮮などの植民地を保有する帝国主義国家を築いた。帝国日本はどのように近代西洋の知識を吸収したのか。帝国日本の政治と知識の欲望において、台湾と朝鮮はいかに認識されていたのか。帝国日本における知識の在り方はどのように植民地における知識の形成と連結していたのか。そして、日本帝国と諸植民地の間にはどのような人間的な交流があったのか。本フォーラムでは、こうした問題意識に基づき、グローバルな視野で、台湾と朝鮮をめぐって、思想史と文学史の視点から、近代日本帝国における知識の在り方と台湾、朝鮮との関連、また日本帝国の諸植民地における人間の移動と交流を探究する。
次のようなテーマを検討する。(1)帝国日本の知識と台湾A:思想史。(2)帝国日本の知識と台湾B:歴史と文学。(3)帝国日本の知識と朝鮮。
〇プログラム
【基調講演】
山室信一(京都大学名誉教授)
「日本の帝国形成における学知と心性」
【第1セッション】
藍弘岳(国立交通大学教授)
「明治日本の自由主義と台湾統治論:福沢諭吉から竹越与三郎まで」
河野有理(首都大学東京教授)
「田口卯吉と植民地」
陳偉智(国立台湾大学博士課程)
「観察、風俗の測量と比較の政治:坪井正五郎、田代安定と伊能嘉矩の風俗測量学」
【第2セッション】
塩出浩之(京都大学准教授)
「近代初期の東アジアにおける新聞ネットワークと国際紛争」
田世民(国立台湾大学准教授)
「近代日本における葬式儀礼の変化と植民地台湾との交渉」
柳書琴(国立清華大学教授)
「祖国に留学する:左翼文化廊下における台湾の文学青年(1920-1937)」
【第3セッション】
月脚達彦(東京大学教授)
「朝鮮の民族主義の形成と日本」
趙寛子(ソウル大学准教授)
「東アジア体制変革において日清・日露戦争をどう見るか:「思想課題」としての歴史認識」
許怡齡(文化大学准教授)
「近代知識人朴殷植の儒教改革論と日本陽明学」
【総括】
林立萍(台湾大学日本研究センター主任)
山室信一(京都大学名誉教授)
〇日台アジア未来フォーラムとは
日台アジア未来フォーラムは、台湾在住のSGRAメンバーが中心となって企画し、2011年より毎年1回台湾の大学と共同で実施している。過去のフォーラムは下記の通り。
第1回「国際日本学研究の最前線に向けて:流行・ことば・物語の力」
2011年5月27日 於:国立台湾大学文学部講堂
第2回「東アジア企業法制の現状とグローバル化の影響」
2012年5月19日 於:国立台湾大学法律学院霖澤館
第3回「近代日本政治思想の展開と東アジアのナショナリズム」
2013年5月31日 於:国立台湾大学法律学院霖澤館
第4回「東アジアにおけるトランスナショナルな文化の伝播・交流―文学・思想・言語」
2014年6月13日~14日 於:国立台湾大学文学部講堂および元智大学
第5回「日本研究から見た日台交流120 年」
2015年5月8日 於:国立台湾大学文学部講堂
第6回「東アジアにおける知の交流―越境、記憶、共生―」
2016年5月21日 於:文藻外語大学至善楼
第7回「台・日・韓における重要法制度の比較─憲法と民法を中心として」
2017年5月20日 於:国立台北大学台北キャンパス
第8回「グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性
―コミュニケーションツール として共有・共感する映像文化論から
学際的なメディアコンテンツ学の構築に向けてー」
2018年5月26日~27日 於:東呉大学外双渓キャンパス
第9回「帝国日本の知識とその植民地―台湾と朝鮮」
2019年5月31日 於:国立台湾大学凝態センター国際会議ホール
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2019.05.02
2019年3月23日(土)、韓国ソウル市の未来人力研究院オフィスで第18回日韓アジア未来フォーラムが開催された。今回のフォーラムは、2018年8月にソウルで開催した第4回アジア未来会議の後、しばらく間をおいてこれまでの成果と課題を踏まえ、フォーラムの進め方などを整備して再スタートしようと思っていたところ、今西さんの緊急提案により、急きょ開かれるようになった。政治レベルにおける日韓関係の「軌道離脱」とも読み取れる異常な展開がその背景にあった。
日韓関係はどうしてここまで悪化してしまったのか。日韓の専門家たちは今の状況をどう診断し、どのような解法を提示するか。現状を打開するためには何をすべきか。今回のフォーラムでは日韓関係の専門家を日韓それぞれ5名ずつ招き、「日韓関係の現在地と改善案」について忌憚のない意見交換を試みた。
フォーラムでは、渥美国際交流財団関口グローバル研究会の今西淳子(いまにし・じゅんこ)代表による開会の挨拶に続き、日本と韓国から2名の専門家による基調報告が行われた。まず、木宮正史(きみや・ただし)東京大学大学院総合文化研究科教授は、「日韓関係をどう「科学」し、「実践」するのか」という題で、日韓関係の現状は、従来の相互対立を政策選好の共通性でカバーしてきた状況から、相互対立と政策選好の違いが増幅し、対立を管理せず、むしろ放置している状況であるとした。政策選好を接近させてそのために協力するということは難しいとしても、少なくとも各自の政策選好を妨害しないようなミニマムな合意を形成することは不可能ではないし、そうした政府による管理を可能にするような市民社会間関係は成立していると主張した。また、むやみに市民社会間関係の対立を刺激することで、そうしたことさえも困難にしてしまうような選択は控える必要があると強調した。
李元徳(リ・ウォンドク)国民大学教授は、「韓日関係の現在と改善の見通し」について報告した。1965年の国交正常化以来、外交的に冷え込み、好感度も急速に低下し、最悪の局面を迎えているが、人の往来、韓流は依然として健在である奇異な現象に触れた。日本国内の嫌韓、韓国内の反日の勢いは次第に強化されつつあり、日韓関係は攻守転換し、加害者・被害者関係の逆転現象が目立つようになったと診断した。そして最近の韓日関係の悪化要因の中で、「徴用工問題」が最も核心的な悪材料であるとしたうえで、3つのシナリオを提示した。シナリオ1は放置、シナリオ2は基金(財団設立)による解決、シナリオ3は司法的な解決(仲裁委員会または国際司法裁判所)で、そのうち、シナリオ3が選択可能な適切な道ではないかとの意見を示した。
コーヒーブレイクを挟んだ自由討論では、それぞれの立場や専門領域を踏まえた、内容の濃い議論が展開された。黄永植(ファン・ヨンシキ)元韓国日報主筆は韓国における言論の自由は委縮しており、日韓関係についても知識社会は沈黙していると批判した。徴用工問題については、その重要性を過大評価してはならないと強調した。堀山明子(ほりやま・あきこ)毎日新聞ソウル支局長は今こそ韓国政府が答えを出さないといけないと促した。木村幹(きむら・かん)神戸大学教授は1990年代半ば日本でみられたような「ガバナンスの崩壊」がいま韓国の対日政策で現れており、その回復こそが重要であるとした。また徴用工問題についてはICJ提訴で確定したほうが望ましいとした。朴栄濬(パク・ヨンジュン)国防大学教授は韓国の外交的孤立を憂慮しつつ、非核化・平和プロセスにおいて「日本軸」を活用する必要があるとした。
豊浦潤一(とようら・じゅんいち)読売新聞ソウル支局長は5か月以上放置されている徴用工問題をICJに提訴するのは日韓外交の敗北を認めることであり、基金(財団)方式以外の方法はないと指摘した。春名展生(はるな・のぶお)東京外国語大学准教授は「韓国被害・日本加害」という枠組みに嵌まらない事例もみつめるべく、国家対国家の図式を相対化する必要があるとした。木宮教授は徴用工問題より、北朝鮮の非核化問題の方がもっと重要でないかとコメントをした。南基正(ナム・キジョン)ソウル大学日本研究所教授は、日韓の間では、賠償を明記し日本の役割と努力の経緯をも認める「歴史宣言」が必要であるとした。また、ICJ提訴はレトリックであり、基金方式で日韓が積極的に解決すべきであるとした。金崇培(キム・スンベ)忠南大学助教授は、いまは韓国に分が悪い状況であり、日韓の差を認めたうえで話し合いを進めるべきであるとした。
最後は、李鎮奎(リ・ジンギュ)未来人力研究院理事長により、時宜にかなったテーマの選定に触れるコメントと閉会の辞で締めくくられた。閉会の辞が終わった午後5時半ごろからは、ケータリングスタイルで懇親会が始まった。まもなく会議場のオフィスはワインバーの雰囲気に一変し、案の定未来人力研究院のワインセラーは空っぽになり、日韓アジア未来フォーラムならではの「狂乱の夜」を再現した。
一般に「忌憚のない話し合いができた」とか「胸襟を開いて議論した」ということは、合意なしで終わったことを意味する場合が多い。今回のフォーラムでは、日韓の間で突っ込んだ話し合いを試みたわけだったが、結果は必ずしもそうだったとは言えないかもしれない。専門家グループによる国際会議ではそれぞれ自国の立場や国益を背負って議論する場合が大いにあるが、今回のフォーラムでは、国籍から離れ、理念的指向によって議論が分かれる場面がしばしば見られた。文在寅政府の「親日清算」や「対日ガバナンスの崩壊」については概ね冷ややかな評価で一致しているような感じもした。
いうまでもなく、良好な日韓関係は朝鮮半島の非核化、平和体制の構築、北東アジアの平和と繁栄において欠かせないものである。日韓関係において正面の「理」のぶつけ合いだけでは互いに魅力を感じないし、側面の「情」だけを強調するのも根本的な問題解決にはならないはずである。昨今のように「理」や「情」が働く余地が狭くなり、背面の「恐怖」だけを振りかざしてマネジメントしようとすると、日韓関係は破綻してしまうはずである。これからはやはりこの3つの要素でバランスをとることが大切であろう。
最後に第18回目のフォーラムが休むことなく成功裏に終わるようご支援を惜しまなかった今西代表と李先生、そして遠くから「春鹿」と宴会に必要な物品などを空輸してくれた石井さんのご尽力に感謝の意を表したい。
英訳版はこちら
当日の写真
<金雄煕(キム・ウンヒ)Kim_Woonghee>
89年ソウル大学外交学科卒業。94年筑波大学大学院国際政治経済学研究科修士、98年博士。博士論文「同意調達の浸透性ネットワークとしての政府諮問機関に関する研究」。99年より韓国電子通信研究員専任研究員。00年より韓国仁荷大学国際通商学部専任講師、06年より副教授、11年より教授。SGRA研究員。代表著作に、『東アジアにおける政策の移転と拡散』共著、社会評論、2012年;『現代日本政治の理解』共著、韓国放送通信大学出版部、2013年;「新しい東アジア物流ルート開発のための日本の国家戦略」『日本研究論叢』第34号、2011年。最近は国際開発協力に興味をもっており、東アジアにおいて日韓が協力していかに国際公共財を提供するかについて研究を進めている。
2019年5月2日配信
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2019.04.07
昨今、安倍首相とプーチン大統領による日露会談や北方領土をめぐる交渉が日本のマスコミに限らず、関係諸国のマスコミにもよく報道され注目を浴びている。実は、2018年は「ロシアにおける日本年」、「日本におけるロシア年」であり、また「シベリア出兵」百周年でもあった。この記念すべき年を迎えるにあたって、私どもは第11回ウランバートル国際シンポジウムのテーマを「キャフタとフレー:ユーラシアからの眼差し」に決めた。
歴史上、キャフタは単なる交易地ではなく、政治的あるいは軍事的な都市でもあり、北東アジアの秩序の形成に影響をあたえた重要な国際会議が何度も行われ、条約が結ばれた。また、19世紀半ば以降、多くのユダヤ人やタタール人などがキャフタを避難所とした。他方、明治以降、朝鮮半島、清朝を越えて、キャフタをはじめ、シベリアは、日本が深い関心をもった地域であった。19世紀後半から20世紀初期にかけて、榎本武揚や黒田清隆、福島安正など日本の多くの政治家や外交官、諜報将校、商人、唐行さんなどがキャフタを訪れ、日本商店や病院なども設けられていた。戦後の日本の経済成長が神話のように言われるが、その基礎は20世紀前半ではなく、19世紀にすでに築かれていたのである。あらたに地域研究、国際関係研究の視点からキャフタ、フレー(ウランバートルの前身)における歴史的空間を、ロシアと清だけではなく、日本とのかかわりをもふくめて検討することには、重要な意義がある。
シンポジウムの前日、すなわち2018年8月30日の夜、在モンゴル日本大使高岡正人閣下は、昭和女子大学学長金子朝子先生や東京外国語大学名誉教授二木博史先生、同大学講師上村明先生、高知大学湊邦生先生と私を大使館公邸に招いた。皆で食事をしながら、政治、鉱山開発、国際記憶オリンピック大会(この数年の大会でモンゴル国がトップに立ち注目されいる)、大相撲、そして日モ関係などについて歓談した。
第11回ウランバートル国際シンポジウム「キャフタとフレー:ユーラシアからの眼差し」は公益財団法人渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)と昭和女子大学国際文化研究所、モンゴル国立大学アジア研究学科の共同主催で、在モンゴル日本大使館、昭和女子大学、モンゴル科学アカデミー国際研究所、公益財団法人三菱財団、モンゴルの歴史と文化研究会の後援で、同年8月31日にモンゴル国立大学2号館学術会議室で実施され、モンゴル、日本、ロシア、中国、ドイツなどの国からの80名余りの研究者や大学院生、学生が参加した。
当日午前中の開会式では、在モンゴル日本大使高岡正人閣下、昭和女子大学学長金子朝子教授、モンゴル科学アカデミー副総裁G.チョローンバータル氏が挨拶と祝辞を述べた。その後、研究報告がおこなわれた。会議の公用語はモンゴル語・日本語であるが、モンゴル語の報告が主流を占め、日本語の報告にはモンゴル語通訳がつけられた。シンポジウムの質を高めるために、実行委員会は、招待研究者と応募者計22名の内、15本の報告を選んだが、ポーランドの若手研究者1名が旅費を得られなかったためか欠席し、実際には14本の論文が報告された。
本シンポジウムは、近年の研究の歩みをふりかえり、新たに発見された歴史記録に基づいて、ユーラシアの眼差しからキャフタとフレーにおける多様な歴史・政治・経済・文化的空間を考察し、その遺産を再評価しながら、今後、いかにその栄光を再興していくかなどをめぐって、創造的な議論を展開することを目的とした。
シンポジウム当日の夜の招待宴会では、馬頭琴やオルティンドー(長い歌)、ダンスなどが披露された。
本シンポジウムの成果を、以下の3項目にまとめたい。
第1に、従来、研究者が利用し得なかった、キャフタ、外モンゴルとかかわる地図を中心に検討する報告が多かったことは注目すべきである。
第2に、キャフタとかかわる国際条約についての研究が進展を見せた。
第3に、新資料を用いて、キャフタとフレーの近現代について検討した新説が提示された。
その詳細は2019年3月に刊行予定の『モンゴルと東北アジア研究』第4号と『日本モンゴル学会紀要』第49号にまとめたのでご参照ください。
また、同シンポジウムについては、モンゴル国の新聞『ソヨンボ』や『オラーン・オドホン』、モンゴルテレビなどにより報道された。
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当日の写真
<ボルジギン・フスレ Borjigin_Husel>
昭和女子大学国際学部教授。北京大学哲学部卒。1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会外国人特別研究員、ケンブリッジ大学モンゴル・内陸アジア研究所招聘研究者、昭和女子大学人間文化学部准教授などをへて、現職。主な著書に『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(1945~49年)――民族主義運動と国家建設との相克』(風響社、2011年)、共編著『国際的視野のなかのハルハ河・ノモンハン戦争』(三元社、2016年)、『日本人のモンゴル抑留とその背景』(三元社、2017年)他。
2019年4月12日配信
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2019.03.14
2019年2月2日、東京・六本木の国際文化会館で、第62回SGRAフォーラム・APYLP+SGRAジョイントセッション「再生可能エネルギーが世界を変える時…?-不都合な真実を超えて」が開催された。このフォーラムは、国際文化会館がアジア太平洋地域の若手リーダー達を繋ぐことを目的として組織し、SGRAも参加する、「アジア太平洋ヤングリーダーズ・プログラム(APYLP)」とのジョイントセッションとして開催された。
今回のフォーラムは、2015年のCOP21・パリ協定以降、急速に発展しつつある「再生可能エネルギー」をテーマとして、その急速な拡大の要因や将来の予測を踏まえて「再生可能エネルギー社会実現の可能性」を国際政治・経済、環境・技術(イノベーション)、エネルギーとコミュニティの視点から、多元的に考察することを目的とした。
フォーラムで行われた、研究発表と基調講演を概観してみよう。
午前中のセッションは、120名の会場が満杯となる盛況の中、デール・ソンヤ氏(一橋大学講師)の司会、今西淳子氏(渥美国際交流財団常務理事・SGRA代表)の挨拶で始まった。
第1セッションでは、3名のラクーン(元渥美奨学生)の研究発表が行われた。トップバッターの韓国の朴准儀さん(ジョージ・メイソン大学兼任教授)は、「再生可能エネルギーの貿易戦争:韓国のエネルギーミックスと保護主義」の発表を行い、専門の国際通商政策の視点から文在寅政権の野心的すぎる環境政策、中国の国策の大量生産による市場独占、アメリカの保護主義政策などを分析しながら、韓国の太陽電池生産の衰退を取り上げ、再生可能エネルギービジネスが大きく歪められている現状に警鐘を鳴らし、政策転換の必要性を力説した。
第2の発表は、高偉俊氏(北九州市立大学教授)による「中国の再生可能エネルギー政策と環境」。中国の環境問題を概観した上で、深刻な環境汚染を克服するために「再生可能エネルギーへの転換が必要だ」と訴え、政府主導で中国国内や外国で展開される中国製大規模プロジェクトを紹介したが、一方で、中国は大規模プロジェクトに傾斜せず、きめ細かな環境政策が必要であると強調した。第3の発表は、葉文昌氏(島根大学准教授)の「太陽電池発電コストはどこまで安くなるか?課題は何か?」で、PVの独自のコスト計算を披露しながら、太陽光発電コストを削減するための様々なイノベーションの可能性を示した。その上で、発電と同時に蓄電のイノベーションの必要性を訴えた。
春を思わせる陽光の下、庭園で行われたコーヒーブレイク後の第2セッションでは、原発被害からの復興と地域の自立のために「再生可能エネルギー発電」を新しい地域産業に育てようと試みる福島県飯舘村の事業が紹介された。まず、飯舘村の村会議員佐藤健太氏が、2011年3月11日の福島第一原発事故による被害と昨年まで7年間の避難生活を振り返りながら、飯舘村の再生、新しい地域づくりの核に「再生可能エネルギー発電」を取り上げる意義と将来のヴィジョンを語った。次に登壇した飯舘電力の近藤恵氏は、既に飯舘村内で実施中のコミュニティレベルの小規模太陽光発電プロジェクトなどの取組を紹介すると共に、現在の日本国内の規制、制度の下での地域レベルの発電システム拡大の難しさを語った。
午後のセッションは、2本の基調講演と分科会でのディスカッションが行われた。
1本目の基調講演はルウェリン・ヒューズ氏 (オーストラリア国立大学准教授)の「低炭素エネルギー世界への転換と日本の立ち位置」。この講演の中でヒューズ氏は、低炭素エネルギーへの転換の世界的な流れを概観し、気候変動対策等を重要な政策とかかげ、低炭素エネルギーの振興を語りながらも、明確な指針が定まらない日本のエネルギー政策を多様なデータを用いながら解説した。
これに対して2本目の基調講演者ハンス=ジョセフ・フェル氏(グローバルウォッチグループ代表、元ドイツ緑の党連邦議員)は「ドイツと世界のエネルギー転換とコミュニティ発電」の中で、1994年に世界初の太陽光発電事業者コミュニティを設立し、ドイツ連邦議会の一員として再生可能エネルギー法(EEG)の法案作成に参画、その後世界の再生可能エネルギーの振興に取り組んできた経験を紹介しながら、「Renewable_Energy_100」のスローガンの下に、再生可能エネルギー社会の実現を訴えた。
午前中の5本の発表、午後の2本の基調講演の後、講演者、参加者が「国際政治経済の視点から」、「環境・イノベーションの視点から」、「コミュニティの視点から」の3分科会に別れて、熱い議論が展開された。
今回のフォーラムは、一日で「再生可能エネルギー社会実現のための課題と可能性」を探ろうという試みであり、さまざまな分野の多くのトピックスが取り上げられ、また様々な疑問、問題点も提起された。これらの議論を消化することは、容易ではないことを改めて感じさせられた。
フォーラム全体を通じて私が感じたのは、まず、「世界の脱炭素化、再生可能エネルギー社会に向かう傾向は後戻りできない現実、あるいは必然であろう」という認識が講演者だけでなく会場全体で共有されていたことである。
しかし、すべてが楽観的に進行して行くとは思えないことも、発表の中で明らかになった。また、分科会でも、各国、各分野がさまざまな課題を抱えていることが指摘されたし、このフォーラムで必ずしも疑問点が解消されたと言うこともできない。
例えば、地球温暖化の影響で顕在化する気候変動、資源の枯渇などを考えれば再生可能エネルギー社会(脱炭素エネルギー社会)への転換は、地球社会が避けて通ることができない喫緊の課題である。しかしながら、グローバルなレベルで大資本が参入し、化石燃料エネルギーから自然エネルギーに転換したとしても、地球環境問題は改善されるであろうが、大量消費文明を支える大規模エネルギーの電源が変わるだけで、大量生産大量消費の文明の本質は変わらないのではなかろうか、という疑問に対しての答えは得られなかった。
また、分科会では、巨大化するメガソーラが景観や環境を破壊するとして、日本でもヨーロッパでも反対運動が生まれていること、太陽光パネルの製造過程で排出される環境汚染物質などの問題も提起された。
FIT((売電の)固定価格買い取り制度)がもたらす、買い取り価格の低下による後発参入が不可能となる問題、財政が圧迫する(ドイツの事例による)などの問題点。蓄電システムなど技術的なイノベーションの必要性なども議論された。
当然のことながら、こうした地球社会の未来にもかかわる大きなテーマに簡単な解や道が容易に導き出されるとは思えないし、安易な解答、急いで解答を求める姿勢こそ「要注意」だと思える。
様々な課題や困難があろうが、再生可能エネルギー社会が世界に普及、拡大して行く傾向は、ますます大きな流れとなることは、間違いのない現実だろう。
ここで思い起こされるのが、このフォーラムのサブタイトルである「『不都合な真実』を超えて」というフレーズである。これは、アメリカ元副大統領アル・ゴアが地球環境問題への警鐘として書いた本のタイトルである。
大きな力強い流れがおこっている中では、流れに逆らう「不都合な真実」はともすれば語られず、秘匿される。
「再生可能エネルギー」の議論の中でも、福島第一原発事故においても、さまざまな「不都合な真実」が語られず、秘匿されてきたことが明らかになっている。
再生可能エネルギーの普及に向けた市民のコンセンサスのために、そして科学技術信仰のあやまちを繰り返さないためにも、さまざまな「不都合な真実」を隠すことなく、軽視することなく、オープンにして市民レベルでの議論を繰り返して行くことが求められる。
フォーラムの写真
《角田英一(つのだ・えいいち)TSUNODA Eiichi》
公益財団法人渥美国際交流財団理事・事務局長。INODEP-パリ研修員、国連食料農業機関(バンコク)アクション・フォー・デヴェロプメント、アジア21世紀奨学財団を経て現職
2019年3月14日配信
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2019.02.04
ラクーンのみなさん
SGRAではラクーンのみなさんにもっと参加していただくために、昨年に引き続き、SGRAセッション/フォーラム/カフェの企画案を募集します。企画が採用されれば、講師や討論者の旅費・滞在費などの経費の全額を、SGRAが負担します。奮って応募してください。
◇企画案は応募フォームを下記からダウンロードして記入、送付してください。
PDF版応募フォーム
http://www.aisf.or.jp/raccoon/SGRA-kikaku-form.pdf
Word版応募フォーム
http://www.aisf.or.jp/raccoon/SGRA-kikaku-form.docx
<募集内容>
1. 東アジア日本研究者協議会(EACJS)第4回国際学術大会(2019年11月1日~3日@台北市)のパネルに参加するSGRAチームを募集します。
※ 応募希望者は3月15日までにご一報ください。
詳細は下記リンクより募集要項をご覧ください。
http://www.aisf.or.jp/sgra/wp-content/uploads/2019/02/2019EACJS.pdf
2. SGRAフォーラムの企画案を募集します。<応募締切:2019年3月31日>
日本国内で1~2回くらい開催予定です。週末の午後1時から5時くらいまで。基調講演1名、研究報告2~3名で構成してください。講師、討論者、司会者にラクーンが3名以上入るようにしてください。50名~100名の参加者を集めたいです。有楽町の東京国際フォーラムで開催することが多いですが、ここに限りません(大学施設等での開催、東京以外での開催も可能です)。講演録はSGRAレポートとして発行します。今回募集するフォーラムの実施は2019年度になります。
3. SGRAカフェの企画案を募集します。<応募締切:2019年3月31日>
日本国内で1~2回くらい開催予定です。週末の午後に、渥美財団ホールで開催することが多いですが、ここに限りません(大学施設等での開催、東京以外での開催も可能です)。講師、討論者、司会者にラクーンが2名以上入ること。講演と質疑応答で2時間程度、30名以上の参加者を集めたいです。講演録は作成しません。
お問い合わせは:
[email protected](角田、辰馬)まで。
皆さんの積極的なご応募をお待ちしています。