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2019.07.04
2019年5月31日、国立台湾大学国際会議ホールで、第9回日台アジア未来フォーラム「帝国日本の知識とその植民地:台湾と朝鮮」が開催された。今回のフォーラムの趣旨は、漢文など東アジア諸国共有の伝統知識を踏まえながら、グローバルな視野で、台湾と朝鮮をめぐって、思想、歴史、文学の視角から、近代日本帝国における知識の在り方と台湾、朝鮮との関連、また日本帝国の諸植民地における人間の移動と交流を探究することであった。 (1)帝国日本の知識と台湾(一):思想史、(2)帝国日本の知識と台湾(二):歴史と文学、(3)帝国日本の知識と朝鮮、という3つのセッションに分けて帝国日本の知識とその植民地に関わる諸問題に焦点を当てて、9本の論文が発表された。
今回のフォーラムへの参加申込は約200名であったが、会議当日、200席の会場はほぼ満席状態が続いていた。1つのセッションだけに参加した人もいたので、延べ参加者数は250名を越えたであろう。この点でも今回のフォーラムは大成功で、参加者から好評を得、台湾の新聞に報道された。
まず開幕式では、中央研究院人文社会科学研究センターの蕭高彦主任、渥美国際交流財団関口グローバル研究会の今西淳子代表、交通大学社会文化研究所の劉紀蕙教授(藍弘岳代読)より共催者として挨拶があった。
次に、京都大学名誉教授の山室信一先生が「日本の帝国形成における学知と心性」というテーマで基調講演を行った。講演では、まず、アカデミックな学術と、統治を正当化・合法化するための学術知と、統治にかかわる実践のための技法知(techne)から成るものとして、「学知」という概念が紹介された。そして、口承文芸や祭祀・伝説などに現れる「心理的慣習」や真偽に拘わらず社会的に流布した「集合的心理」を示す表現という意味で「心性」という概念も提起された。これらの概念定義を踏まえ、山室教授はこうした意味の「学知」と日本帝国の形成と管理運営との関係について、統治技法の遷移と統治人材の周流など、諸事例を挙げながら、説明された。また、朝鮮については神功皇后、台湾については鄭成功や呉鳳の例を挙げながら、帝国形成の対象となる地域についての空間心性がいかに歴史的に蓄積されてきたかを述べられた。
山室先生の博学でスケールが大きな講演の内容に導かれて、論文発表と討論が3つのセッションに分けて展開された。
第1セッションでは、まず、交通大学社会文化研究所の藍弘岳教授が、「明治日本の自由主義と台湾統治論――福沢諭吉から竹越与三郎まで」というテーマで発表した。日欧比較と世代差異の観点から、福沢諭吉と竹越与三郎をめぐって、明治日本のリベラリストの台湾統治論について考察した。そして、大日本帝国の時間的な後進性と空間的なアジア性によって、明治リベラリストが提示した台湾統治政策は、意識的に大英帝国のやり方を模倣しながら、より防衛的で日本的な特色を持つ政策になっていたと論じた。特に、福沢と竹越には台湾という植民地に対する知識の差異が見られるが、2人ともヨーロッパの帝国主義国家のリベラストが持つ内外で違う基準で物を見る方法を学んだことを指摘した。
次に、首都大学東京の法学政治学研究科の河野有理教授が「田口卯吉の台湾論大和魂」というテーマで発表した。内田魯庵の小説『社会百面相』の台湾論を紹介しながら、魯庵の冷たい視線と同様に冷ややかな眼差しを注いでいた人物として、田口卯吉の台湾論を検討した。そして、台湾統治に対する田口の「消極主義」は、経済的な自由主義と「市場」メカニズムへの信頼に支えられたものだと論じ、植民地へのインフラ投資の拡大が政治権力の巨大化と腐敗につながっていくことに田口が鋭敏に反応したことを指摘した。
最後に、台湾大学歴史学科博士課程の陳偉智が「観察、風俗の測量と比較の政治――坪井正五郎、田代安定と伊能嘉矩の風俗測量学」というテーマの論文を発表した。陳氏は坪井正五郎が東京の町で使った風俗を観察する測量の技法がどのように田代安定と伊能嘉矩に継承され、台湾台北などの町で再利用されていたかを報告した。
第2セッションでは、まず京都大学大学院文学研究科の塩出浩之准教授が「近代初期の東アジアにおける新聞ネットワークと国際紛争」というテーマで発表した。西洋人の新聞発行活動に触発され、1870年前後には中国人と日本人もそれぞれ中国語・日本語による新聞の発行を始めたことを論じた。さらに、台湾出兵などの事件を通して、英語新聞・中国語新聞・日本語新聞の間で言語を越えた言論の流通が起こり、東アジア地域の言論空間が形成されたことによって、東アジアにおける近代が始まったことを詳細に検討した。
次に、台湾大学日本語学科の田世民准教授が「近代日本における葬式儀礼の変化と植民地台湾との交渉」というテーマで発表した。日本近世思想史が専門の田氏は、日本では古来仏教が日本人の葬儀と密接な関係にあることを説明した上で、漢学が19世紀に隆盛したことを背景に、近世以降儒教や神道がいかに仏葬を排除して儒葬や神葬を行ったのかを考察した。近代日本において神葬祭を実施するために火葬が禁止されたが、様々な理由で禁令が解除され、火葬が日本の基本的な葬法となった過程を検討した。さらに、台湾総督府の政策と台湾の葬祭儀礼との交渉、特に官吏たちが純粋な儒教儀礼ではない葬送習俗をどのように捉え、改善しようとしたかを考察した。
最後に、清華大学台湾文学研究所の柳書琴教授は「左翼文化の廊下における『台湾のバイロン』――上海時期の王白淵を論じて」というテーマで発表を行った。柳教授は上海における王白淵という植民地台湾の左翼知識人の宣伝工作をめぐって、台湾の左翼知識人はどのように東アジアにおいて日本語を通して台湾の植民地経験を宣伝しながら、中国、日本、朝鮮の知識人たちと連携して植民地統治に抵抗していたかを検討した。
第3セッションでは、まず東京大学大学院総合文化研究科の月脚達彦教授が「朝鮮の民族主義の形成と日本」というテーマで発表した。朴殷植という植民地朝鮮の知識人が韓国併合(1910年)の後に民族史学を打ち立てるに際し、どのようにして日本による朝鮮植民地支配を批判する論理を獲得したかを第一次世界大戦終結後の時代状況の中で検討した。また、朴殷植とともに民族史学の代表的人物と評価される申采浩が、「武」について朴殷植とは異なる態度を取っていたことを明らかにすることにより、日清・日露戦争後の帝国日本に対する朝鮮の民族主義の対応を多面的に検討した。
次に、ソウル大学日本研究所の趙寛子準教授が「東アジア体制変革において日清・日露戦争をどう見るか――『思想課題』としての歴史認識」というテーマで発表した。日清・日露戦争に対する同時代人のスタンスが朝鮮・清国・ロシアの古い秩序を改革するための権力闘争と関わっていたことに注目。これらの権力闘争の検討を通じて、朝鮮と日本の民族的対立、民権と国権の政治的対立、近代化における新旧対立、左翼と右翼の理念対立といった、かつての認識の枠組みを超えて、同時代の歴史的変化における相互の分裂と連鎖の様相を探り、さらに今日の歴史認識の衝突を超えられる新たな「思想課題」を探るべきだという提案をした。
最後に、文化大学韓国語学科の許怡齡准教授が「近代知識人朴殷植の儒教改革論と日本陽明学」というテーマで発表した。植民地朝鮮の知識人としての朴殷植をめぐって、朴殷植の経歴、儒教改革論と高瀨武次郎『王陽明詳伝』といった日本の陽明学著作との関連などを検討した。
閉幕式では、台湾大学日本研究センターの林立萍教授から閉会挨拶があり、その後に山室教授が発表された論文ひとつひとつにコメントをしてくださった。素晴らしい総括のおかげで、多くの参加者が最後まで残っていた。今回の日台アジア未来フォーラムは大成功であったと、多くの方々から高い評価をいただいた。
当日の写真
<藍弘岳(らん・こうがく)Lan_HongYueh>
台湾国立交通大学社会文化研究所教授。
近著に:『漢文圏における荻生徂徠――医学・兵学・儒学』(東京大学出版会、2017)、「會澤正志齋的歴史敘述及其思想」(『中央研究院歴史語言研究所集刊』第89本第1分、2018)など。
2019年7月4日配信
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2019.06.27
SGRAでは、良き地球市民の実現をめざす(首都圏在住の)みなさんに気軽にお集まりいただき、講師のお話を伺い、議論をする<場>として、SGRAカフェを開催しています。下記の通り第12回SGRAカフェを開催しますので、参加ご希望の方はSGRA事務局へお名前、ご所属と連絡先をご連絡ください。
◆「混血」と「日本人」ハーフ・ダブル・ミックスの社会史
日時:2019年7月27日(土)14時~16時
会場:渥美財団ホール
会費:無料
参加申込・問合せ:SGRA事務局 <
[email protected]>
ちらし(PDF版)
『「混血」と「日本人」——ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』の著者、下地 ローレンス吉孝さんを招き、いわゆる「ハーフ」と呼ばれてきた人々に注目し、「日本人」という実は曖昧な言葉の境界について参加者とともに考えます。
「日本人」の境界線はどのように引かれているのか。その境界に生きる人々は、いかに生きているのか。時に侮蔑的な言葉を浴びせられ、時に差別され、あるいは羨望のまなざしで見つめられながら、「日本人」と「外国人」のはざまを生きてきた人びと。そんな彼らの戦後から現代までの生活史をたどることで、もうひとつの「日本」の輪郭線を浮かび上がらせます。
講師略歴:
発表者:下地ローレンス吉孝
1987年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。専門は社会学・国際社会学。現在、上智大学、国士舘大学、開智国際大学などで非常勤講師として勤務。著書に『「混血」と「日本人」:ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』(青土社、2018年)がある。
コメンテーター:ソンヤ、デール
社会学者。ウォリック大学哲学部学士、オーフス大学ヨーロッパ・スタディーズ修士を経て上智大学グローバル・スタディーズ研究科にて博士号取得。これまで一橋大学専任講師、上智大学・東海大学等非常勤講師を担当。ジェンダー・セクシュアリティ、クィア理論、社会的なマイノリティおよび社会的な排除のプロセスなどについて研究。2012年度渥美財団奨学生。
ファシリテーター:ファスベンダー、イザベル
東京外国語大学博士後期課程在籍中(2020年3月修了見込)。専門はジェンダー社会学。立命館大学にてドイツ語講師、同志社大学にて非常勤講師(Japanese Society and Culture, Ethnicity in Japan)を担当。現在の研究テーマは生殖をめぐるポリティクス、妊活言説。2017年度渥美財団奨学生。
2019年6月27日配信
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2019.05.30
下記の通り第9回日台アジア未来フォーラムを台北市で開催します。参加ご希望の方は、下記よりご登録ください。
テーマ:「帝国日本の知識とその植民地:台湾と朝鮮」
日時:2019年5月31日(金)8:50~17:10
会場:国立台湾大学凝態センター国際会議ホール
参加申し込み:会議ホームページより直接登録してください。
詳細は会議ホームページをご覧ください。
〇フォーラムの趣旨
台湾と朝鮮はともに漢文圏に属し、日本帝国の植民地を経験した。こうした過去の歴史は現在の台湾と朝鮮半島の政治と文学に重要な影響を与えている。周知のように、近代日本は漢文など東アジア諸国共有の伝統知識を踏まえながら、西洋文明を吸収して、日清・日露戦争を経て、台湾と朝鮮などの植民地を保有する帝国主義国家を築いた。帝国日本はどのように近代西洋の知識を吸収したのか。帝国日本の政治と知識の欲望において、台湾と朝鮮はいかに認識されていたのか。帝国日本における知識の在り方はどのように植民地における知識の形成と連結していたのか。そして、日本帝国と諸植民地の間にはどのような人間的な交流があったのか。本フォーラムでは、こうした問題意識に基づき、グローバルな視野で、台湾と朝鮮をめぐって、思想史と文学史の視点から、近代日本帝国における知識の在り方と台湾、朝鮮との関連、また日本帝国の諸植民地における人間の移動と交流を探究する。
次のようなテーマを検討する。(1)帝国日本の知識と台湾A:思想史。(2)帝国日本の知識と台湾B:歴史と文学。(3)帝国日本の知識と朝鮮。
〇プログラム
【基調講演】
山室信一(京都大学名誉教授)
「日本の帝国形成における学知と心性」
【第1セッション】
藍弘岳(国立交通大学教授)
「明治日本の自由主義と台湾統治論:福沢諭吉から竹越与三郎まで」
河野有理(首都大学東京教授)
「田口卯吉と植民地」
陳偉智(国立台湾大学博士課程)
「観察、風俗の測量と比較の政治:坪井正五郎、田代安定と伊能嘉矩の風俗測量学」
【第2セッション】
塩出浩之(京都大学准教授)
「近代初期の東アジアにおける新聞ネットワークと国際紛争」
田世民(国立台湾大学准教授)
「近代日本における葬式儀礼の変化と植民地台湾との交渉」
柳書琴(国立清華大学教授)
「祖国に留学する:左翼文化廊下における台湾の文学青年(1920-1937)」
【第3セッション】
月脚達彦(東京大学教授)
「朝鮮の民族主義の形成と日本」
趙寛子(ソウル大学准教授)
「東アジア体制変革において日清・日露戦争をどう見るか:「思想課題」としての歴史認識」
許怡齡(文化大学准教授)
「近代知識人朴殷植の儒教改革論と日本陽明学」
【総括】
林立萍(台湾大学日本研究センター主任)
山室信一(京都大学名誉教授)
〇日台アジア未来フォーラムとは
日台アジア未来フォーラムは、台湾在住のSGRAメンバーが中心となって企画し、2011年より毎年1回台湾の大学と共同で実施している。過去のフォーラムは下記の通り。
第1回「国際日本学研究の最前線に向けて:流行・ことば・物語の力」
2011年5月27日 於:国立台湾大学文学部講堂
第2回「東アジア企業法制の現状とグローバル化の影響」
2012年5月19日 於:国立台湾大学法律学院霖澤館
第3回「近代日本政治思想の展開と東アジアのナショナリズム」
2013年5月31日 於:国立台湾大学法律学院霖澤館
第4回「東アジアにおけるトランスナショナルな文化の伝播・交流―文学・思想・言語」
2014年6月13日~14日 於:国立台湾大学文学部講堂および元智大学
第5回「日本研究から見た日台交流120 年」
2015年5月8日 於:国立台湾大学文学部講堂
第6回「東アジアにおける知の交流―越境、記憶、共生―」
2016年5月21日 於:文藻外語大学至善楼
第7回「台・日・韓における重要法制度の比較─憲法と民法を中心として」
2017年5月20日 於:国立台北大学台北キャンパス
第8回「グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性
―コミュニケーションツール として共有・共感する映像文化論から
学際的なメディアコンテンツ学の構築に向けてー」
2018年5月26日~27日 於:東呉大学外双渓キャンパス
第9回「帝国日本の知識とその植民地―台湾と朝鮮」
2019年5月31日 於:国立台湾大学凝態センター国際会議ホール
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2019.05.02
2019年3月23日(土)、韓国ソウル市の未来人力研究院オフィスで第18回日韓アジア未来フォーラムが開催された。今回のフォーラムは、2018年8月にソウルで開催した第4回アジア未来会議の後、しばらく間をおいてこれまでの成果と課題を踏まえ、フォーラムの進め方などを整備して再スタートしようと思っていたところ、今西さんの緊急提案により、急きょ開かれるようになった。政治レベルにおける日韓関係の「軌道離脱」とも読み取れる異常な展開がその背景にあった。
日韓関係はどうしてここまで悪化してしまったのか。日韓の専門家たちは今の状況をどう診断し、どのような解法を提示するか。現状を打開するためには何をすべきか。今回のフォーラムでは日韓関係の専門家を日韓それぞれ5名ずつ招き、「日韓関係の現在地と改善案」について忌憚のない意見交換を試みた。
フォーラムでは、渥美国際交流財団関口グローバル研究会の今西淳子(いまにし・じゅんこ)代表による開会の挨拶に続き、日本と韓国から2名の専門家による基調報告が行われた。まず、木宮正史(きみや・ただし)東京大学大学院総合文化研究科教授は、「日韓関係をどう「科学」し、「実践」するのか」という題で、日韓関係の現状は、従来の相互対立を政策選好の共通性でカバーしてきた状況から、相互対立と政策選好の違いが増幅し、対立を管理せず、むしろ放置している状況であるとした。政策選好を接近させてそのために協力するということは難しいとしても、少なくとも各自の政策選好を妨害しないようなミニマムな合意を形成することは不可能ではないし、そうした政府による管理を可能にするような市民社会間関係は成立していると主張した。また、むやみに市民社会間関係の対立を刺激することで、そうしたことさえも困難にしてしまうような選択は控える必要があると強調した。
李元徳(リ・ウォンドク)国民大学教授は、「韓日関係の現在と改善の見通し」について報告した。1965年の国交正常化以来、外交的に冷え込み、好感度も急速に低下し、最悪の局面を迎えているが、人の往来、韓流は依然として健在である奇異な現象に触れた。日本国内の嫌韓、韓国内の反日の勢いは次第に強化されつつあり、日韓関係は攻守転換し、加害者・被害者関係の逆転現象が目立つようになったと診断した。そして最近の韓日関係の悪化要因の中で、「徴用工問題」が最も核心的な悪材料であるとしたうえで、3つのシナリオを提示した。シナリオ1は放置、シナリオ2は基金(財団設立)による解決、シナリオ3は司法的な解決(仲裁委員会または国際司法裁判所)で、そのうち、シナリオ3が選択可能な適切な道ではないかとの意見を示した。
コーヒーブレイクを挟んだ自由討論では、それぞれの立場や専門領域を踏まえた、内容の濃い議論が展開された。黄永植(ファン・ヨンシキ)元韓国日報主筆は韓国における言論の自由は委縮しており、日韓関係についても知識社会は沈黙していると批判した。徴用工問題については、その重要性を過大評価してはならないと強調した。堀山明子(ほりやま・あきこ)毎日新聞ソウル支局長は今こそ韓国政府が答えを出さないといけないと促した。木村幹(きむら・かん)神戸大学教授は1990年代半ば日本でみられたような「ガバナンスの崩壊」がいま韓国の対日政策で現れており、その回復こそが重要であるとした。また徴用工問題についてはICJ提訴で確定したほうが望ましいとした。朴栄濬(パク・ヨンジュン)国防大学教授は韓国の外交的孤立を憂慮しつつ、非核化・平和プロセスにおいて「日本軸」を活用する必要があるとした。
豊浦潤一(とようら・じゅんいち)読売新聞ソウル支局長は5か月以上放置されている徴用工問題をICJに提訴するのは日韓外交の敗北を認めることであり、基金(財団)方式以外の方法はないと指摘した。春名展生(はるな・のぶお)東京外国語大学准教授は「韓国被害・日本加害」という枠組みに嵌まらない事例もみつめるべく、国家対国家の図式を相対化する必要があるとした。木宮教授は徴用工問題より、北朝鮮の非核化問題の方がもっと重要でないかとコメントをした。南基正(ナム・キジョン)ソウル大学日本研究所教授は、日韓の間では、賠償を明記し日本の役割と努力の経緯をも認める「歴史宣言」が必要であるとした。また、ICJ提訴はレトリックであり、基金方式で日韓が積極的に解決すべきであるとした。金崇培(キム・スンベ)忠南大学助教授は、いまは韓国に分が悪い状況であり、日韓の差を認めたうえで話し合いを進めるべきであるとした。
最後は、李鎮奎(リ・ジンギュ)未来人力研究院理事長により、時宜にかなったテーマの選定に触れるコメントと閉会の辞で締めくくられた。閉会の辞が終わった午後5時半ごろからは、ケータリングスタイルで懇親会が始まった。まもなく会議場のオフィスはワインバーの雰囲気に一変し、案の定未来人力研究院のワインセラーは空っぽになり、日韓アジア未来フォーラムならではの「狂乱の夜」を再現した。
一般に「忌憚のない話し合いができた」とか「胸襟を開いて議論した」ということは、合意なしで終わったことを意味する場合が多い。今回のフォーラムでは、日韓の間で突っ込んだ話し合いを試みたわけだったが、結果は必ずしもそうだったとは言えないかもしれない。専門家グループによる国際会議ではそれぞれ自国の立場や国益を背負って議論する場合が大いにあるが、今回のフォーラムでは、国籍から離れ、理念的指向によって議論が分かれる場面がしばしば見られた。文在寅政府の「親日清算」や「対日ガバナンスの崩壊」については概ね冷ややかな評価で一致しているような感じもした。
いうまでもなく、良好な日韓関係は朝鮮半島の非核化、平和体制の構築、北東アジアの平和と繁栄において欠かせないものである。日韓関係において正面の「理」のぶつけ合いだけでは互いに魅力を感じないし、側面の「情」だけを強調するのも根本的な問題解決にはならないはずである。昨今のように「理」や「情」が働く余地が狭くなり、背面の「恐怖」だけを振りかざしてマネジメントしようとすると、日韓関係は破綻してしまうはずである。これからはやはりこの3つの要素でバランスをとることが大切であろう。
最後に第18回目のフォーラムが休むことなく成功裏に終わるようご支援を惜しまなかった今西代表と李先生、そして遠くから「春鹿」と宴会に必要な物品などを空輸してくれた石井さんのご尽力に感謝の意を表したい。
英訳版はこちら
当日の写真
<金雄煕(キム・ウンヒ)Kim_Woonghee>
89年ソウル大学外交学科卒業。94年筑波大学大学院国際政治経済学研究科修士、98年博士。博士論文「同意調達の浸透性ネットワークとしての政府諮問機関に関する研究」。99年より韓国電子通信研究員専任研究員。00年より韓国仁荷大学国際通商学部専任講師、06年より副教授、11年より教授。SGRA研究員。代表著作に、『東アジアにおける政策の移転と拡散』共著、社会評論、2012年;『現代日本政治の理解』共著、韓国放送通信大学出版部、2013年;「新しい東アジア物流ルート開発のための日本の国家戦略」『日本研究論叢』第34号、2011年。最近は国際開発協力に興味をもっており、東アジアにおいて日韓が協力していかに国際公共財を提供するかについて研究を進めている。
2019年5月2日配信
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2019.04.07
昨今、安倍首相とプーチン大統領による日露会談や北方領土をめぐる交渉が日本のマスコミに限らず、関係諸国のマスコミにもよく報道され注目を浴びている。実は、2018年は「ロシアにおける日本年」、「日本におけるロシア年」であり、また「シベリア出兵」百周年でもあった。この記念すべき年を迎えるにあたって、私どもは第11回ウランバートル国際シンポジウムのテーマを「キャフタとフレー:ユーラシアからの眼差し」に決めた。
歴史上、キャフタは単なる交易地ではなく、政治的あるいは軍事的な都市でもあり、北東アジアの秩序の形成に影響をあたえた重要な国際会議が何度も行われ、条約が結ばれた。また、19世紀半ば以降、多くのユダヤ人やタタール人などがキャフタを避難所とした。他方、明治以降、朝鮮半島、清朝を越えて、キャフタをはじめ、シベリアは、日本が深い関心をもった地域であった。19世紀後半から20世紀初期にかけて、榎本武揚や黒田清隆、福島安正など日本の多くの政治家や外交官、諜報将校、商人、唐行さんなどがキャフタを訪れ、日本商店や病院なども設けられていた。戦後の日本の経済成長が神話のように言われるが、その基礎は20世紀前半ではなく、19世紀にすでに築かれていたのである。あらたに地域研究、国際関係研究の視点からキャフタ、フレー(ウランバートルの前身)における歴史的空間を、ロシアと清だけではなく、日本とのかかわりをもふくめて検討することには、重要な意義がある。
シンポジウムの前日、すなわち2018年8月30日の夜、在モンゴル日本大使高岡正人閣下は、昭和女子大学学長金子朝子先生や東京外国語大学名誉教授二木博史先生、同大学講師上村明先生、高知大学湊邦生先生と私を大使館公邸に招いた。皆で食事をしながら、政治、鉱山開発、国際記憶オリンピック大会(この数年の大会でモンゴル国がトップに立ち注目されいる)、大相撲、そして日モ関係などについて歓談した。
第11回ウランバートル国際シンポジウム「キャフタとフレー:ユーラシアからの眼差し」は公益財団法人渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)と昭和女子大学国際文化研究所、モンゴル国立大学アジア研究学科の共同主催で、在モンゴル日本大使館、昭和女子大学、モンゴル科学アカデミー国際研究所、公益財団法人三菱財団、モンゴルの歴史と文化研究会の後援で、同年8月31日にモンゴル国立大学2号館学術会議室で実施され、モンゴル、日本、ロシア、中国、ドイツなどの国からの80名余りの研究者や大学院生、学生が参加した。
当日午前中の開会式では、在モンゴル日本大使高岡正人閣下、昭和女子大学学長金子朝子教授、モンゴル科学アカデミー副総裁G.チョローンバータル氏が挨拶と祝辞を述べた。その後、研究報告がおこなわれた。会議の公用語はモンゴル語・日本語であるが、モンゴル語の報告が主流を占め、日本語の報告にはモンゴル語通訳がつけられた。シンポジウムの質を高めるために、実行委員会は、招待研究者と応募者計22名の内、15本の報告を選んだが、ポーランドの若手研究者1名が旅費を得られなかったためか欠席し、実際には14本の論文が報告された。
本シンポジウムは、近年の研究の歩みをふりかえり、新たに発見された歴史記録に基づいて、ユーラシアの眼差しからキャフタとフレーにおける多様な歴史・政治・経済・文化的空間を考察し、その遺産を再評価しながら、今後、いかにその栄光を再興していくかなどをめぐって、創造的な議論を展開することを目的とした。
シンポジウム当日の夜の招待宴会では、馬頭琴やオルティンドー(長い歌)、ダンスなどが披露された。
本シンポジウムの成果を、以下の3項目にまとめたい。
第1に、従来、研究者が利用し得なかった、キャフタ、外モンゴルとかかわる地図を中心に検討する報告が多かったことは注目すべきである。
第2に、キャフタとかかわる国際条約についての研究が進展を見せた。
第3に、新資料を用いて、キャフタとフレーの近現代について検討した新説が提示された。
その詳細は2019年3月に刊行予定の『モンゴルと東北アジア研究』第4号と『日本モンゴル学会紀要』第49号にまとめたのでご参照ください。
また、同シンポジウムについては、モンゴル国の新聞『ソヨンボ』や『オラーン・オドホン』、モンゴルテレビなどにより報道された。
英訳版はこちら
当日の写真
<ボルジギン・フスレ Borjigin_Husel>
昭和女子大学国際学部教授。北京大学哲学部卒。1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会外国人特別研究員、ケンブリッジ大学モンゴル・内陸アジア研究所招聘研究者、昭和女子大学人間文化学部准教授などをへて、現職。主な著書に『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(1945~49年)――民族主義運動と国家建設との相克』(風響社、2011年)、共編著『国際的視野のなかのハルハ河・ノモンハン戦争』(三元社、2016年)、『日本人のモンゴル抑留とその背景』(三元社、2017年)他。
2019年4月12日配信
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2019.03.14
2019年2月2日、東京・六本木の国際文化会館で、第62回SGRAフォーラム・APYLP+SGRAジョイントセッション「再生可能エネルギーが世界を変える時…?-不都合な真実を超えて」が開催された。このフォーラムは、国際文化会館がアジア太平洋地域の若手リーダー達を繋ぐことを目的として組織し、SGRAも参加する、「アジア太平洋ヤングリーダーズ・プログラム(APYLP)」とのジョイントセッションとして開催された。
今回のフォーラムは、2015年のCOP21・パリ協定以降、急速に発展しつつある「再生可能エネルギー」をテーマとして、その急速な拡大の要因や将来の予測を踏まえて「再生可能エネルギー社会実現の可能性」を国際政治・経済、環境・技術(イノベーション)、エネルギーとコミュニティの視点から、多元的に考察することを目的とした。
フォーラムで行われた、研究発表と基調講演を概観してみよう。
午前中のセッションは、120名の会場が満杯となる盛況の中、デール・ソンヤ氏(一橋大学講師)の司会、今西淳子氏(渥美国際交流財団常務理事・SGRA代表)の挨拶で始まった。
第1セッションでは、3名のラクーン(元渥美奨学生)の研究発表が行われた。トップバッターの韓国の朴准儀さん(ジョージ・メイソン大学兼任教授)は、「再生可能エネルギーの貿易戦争:韓国のエネルギーミックスと保護主義」の発表を行い、専門の国際通商政策の視点から文在寅政権の野心的すぎる環境政策、中国の国策の大量生産による市場独占、アメリカの保護主義政策などを分析しながら、韓国の太陽電池生産の衰退を取り上げ、再生可能エネルギービジネスが大きく歪められている現状に警鐘を鳴らし、政策転換の必要性を力説した。
第2の発表は、高偉俊氏(北九州市立大学教授)による「中国の再生可能エネルギー政策と環境」。中国の環境問題を概観した上で、深刻な環境汚染を克服するために「再生可能エネルギーへの転換が必要だ」と訴え、政府主導で中国国内や外国で展開される中国製大規模プロジェクトを紹介したが、一方で、中国は大規模プロジェクトに傾斜せず、きめ細かな環境政策が必要であると強調した。第3の発表は、葉文昌氏(島根大学准教授)の「太陽電池発電コストはどこまで安くなるか?課題は何か?」で、PVの独自のコスト計算を披露しながら、太陽光発電コストを削減するための様々なイノベーションの可能性を示した。その上で、発電と同時に蓄電のイノベーションの必要性を訴えた。
春を思わせる陽光の下、庭園で行われたコーヒーブレイク後の第2セッションでは、原発被害からの復興と地域の自立のために「再生可能エネルギー発電」を新しい地域産業に育てようと試みる福島県飯舘村の事業が紹介された。まず、飯舘村の村会議員佐藤健太氏が、2011年3月11日の福島第一原発事故による被害と昨年まで7年間の避難生活を振り返りながら、飯舘村の再生、新しい地域づくりの核に「再生可能エネルギー発電」を取り上げる意義と将来のヴィジョンを語った。次に登壇した飯舘電力の近藤恵氏は、既に飯舘村内で実施中のコミュニティレベルの小規模太陽光発電プロジェクトなどの取組を紹介すると共に、現在の日本国内の規制、制度の下での地域レベルの発電システム拡大の難しさを語った。
午後のセッションは、2本の基調講演と分科会でのディスカッションが行われた。
1本目の基調講演はルウェリン・ヒューズ氏 (オーストラリア国立大学准教授)の「低炭素エネルギー世界への転換と日本の立ち位置」。この講演の中でヒューズ氏は、低炭素エネルギーへの転換の世界的な流れを概観し、気候変動対策等を重要な政策とかかげ、低炭素エネルギーの振興を語りながらも、明確な指針が定まらない日本のエネルギー政策を多様なデータを用いながら解説した。
これに対して2本目の基調講演者ハンス=ジョセフ・フェル氏(グローバルウォッチグループ代表、元ドイツ緑の党連邦議員)は「ドイツと世界のエネルギー転換とコミュニティ発電」の中で、1994年に世界初の太陽光発電事業者コミュニティを設立し、ドイツ連邦議会の一員として再生可能エネルギー法(EEG)の法案作成に参画、その後世界の再生可能エネルギーの振興に取り組んできた経験を紹介しながら、「Renewable_Energy_100」のスローガンの下に、再生可能エネルギー社会の実現を訴えた。
午前中の5本の発表、午後の2本の基調講演の後、講演者、参加者が「国際政治経済の視点から」、「環境・イノベーションの視点から」、「コミュニティの視点から」の3分科会に別れて、熱い議論が展開された。
今回のフォーラムは、一日で「再生可能エネルギー社会実現のための課題と可能性」を探ろうという試みであり、さまざまな分野の多くのトピックスが取り上げられ、また様々な疑問、問題点も提起された。これらの議論を消化することは、容易ではないことを改めて感じさせられた。
フォーラム全体を通じて私が感じたのは、まず、「世界の脱炭素化、再生可能エネルギー社会に向かう傾向は後戻りできない現実、あるいは必然であろう」という認識が講演者だけでなく会場全体で共有されていたことである。
しかし、すべてが楽観的に進行して行くとは思えないことも、発表の中で明らかになった。また、分科会でも、各国、各分野がさまざまな課題を抱えていることが指摘されたし、このフォーラムで必ずしも疑問点が解消されたと言うこともできない。
例えば、地球温暖化の影響で顕在化する気候変動、資源の枯渇などを考えれば再生可能エネルギー社会(脱炭素エネルギー社会)への転換は、地球社会が避けて通ることができない喫緊の課題である。しかしながら、グローバルなレベルで大資本が参入し、化石燃料エネルギーから自然エネルギーに転換したとしても、地球環境問題は改善されるであろうが、大量消費文明を支える大規模エネルギーの電源が変わるだけで、大量生産大量消費の文明の本質は変わらないのではなかろうか、という疑問に対しての答えは得られなかった。
また、分科会では、巨大化するメガソーラが景観や環境を破壊するとして、日本でもヨーロッパでも反対運動が生まれていること、太陽光パネルの製造過程で排出される環境汚染物質などの問題も提起された。
FIT((売電の)固定価格買い取り制度)がもたらす、買い取り価格の低下による後発参入が不可能となる問題、財政が圧迫する(ドイツの事例による)などの問題点。蓄電システムなど技術的なイノベーションの必要性なども議論された。
当然のことながら、こうした地球社会の未来にもかかわる大きなテーマに簡単な解や道が容易に導き出されるとは思えないし、安易な解答、急いで解答を求める姿勢こそ「要注意」だと思える。
様々な課題や困難があろうが、再生可能エネルギー社会が世界に普及、拡大して行く傾向は、ますます大きな流れとなることは、間違いのない現実だろう。
ここで思い起こされるのが、このフォーラムのサブタイトルである「『不都合な真実』を超えて」というフレーズである。これは、アメリカ元副大統領アル・ゴアが地球環境問題への警鐘として書いた本のタイトルである。
大きな力強い流れがおこっている中では、流れに逆らう「不都合な真実」はともすれば語られず、秘匿される。
「再生可能エネルギー」の議論の中でも、福島第一原発事故においても、さまざまな「不都合な真実」が語られず、秘匿されてきたことが明らかになっている。
再生可能エネルギーの普及に向けた市民のコンセンサスのために、そして科学技術信仰のあやまちを繰り返さないためにも、さまざまな「不都合な真実」を隠すことなく、軽視することなく、オープンにして市民レベルでの議論を繰り返して行くことが求められる。
フォーラムの写真
《角田英一(つのだ・えいいち)TSUNODA Eiichi》
公益財団法人渥美国際交流財団理事・事務局長。INODEP-パリ研修員、国連食料農業機関(バンコク)アクション・フォー・デヴェロプメント、アジア21世紀奨学財団を経て現職
2019年3月14日配信
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2019.02.04
ラクーンのみなさん
SGRAではラクーンのみなさんにもっと参加していただくために、昨年に引き続き、SGRAセッション/フォーラム/カフェの企画案を募集します。企画が採用されれば、講師や討論者の旅費・滞在費などの経費の全額を、SGRAが負担します。奮って応募してください。
◇企画案は応募フォームを下記からダウンロードして記入、送付してください。
PDF版応募フォーム
http://www.aisf.or.jp/raccoon/SGRA-kikaku-form.pdf
Word版応募フォーム
http://www.aisf.or.jp/raccoon/SGRA-kikaku-form.docx
<募集内容>
1. 東アジア日本研究者協議会(EACJS)第4回国際学術大会(2019年11月1日~3日@台北市)のパネルに参加するSGRAチームを募集します。
※ 応募希望者は3月15日までにご一報ください。
詳細は下記リンクより募集要項をご覧ください。
http://www.aisf.or.jp/sgra/wp-content/uploads/2019/02/2019EACJS.pdf
2. SGRAフォーラムの企画案を募集します。<応募締切:2019年3月31日>
日本国内で1~2回くらい開催予定です。週末の午後1時から5時くらいまで。基調講演1名、研究報告2~3名で構成してください。講師、討論者、司会者にラクーンが3名以上入るようにしてください。50名~100名の参加者を集めたいです。有楽町の東京国際フォーラムで開催することが多いですが、ここに限りません(大学施設等での開催、東京以外での開催も可能です)。講演録はSGRAレポートとして発行します。今回募集するフォーラムの実施は2019年度になります。
3. SGRAカフェの企画案を募集します。<応募締切:2019年3月31日>
日本国内で1~2回くらい開催予定です。週末の午後に、渥美財団ホールで開催することが多いですが、ここに限りません(大学施設等での開催、東京以外での開催も可能です)。講師、討論者、司会者にラクーンが2名以上入ること。講演と質疑応答で2時間程度、30名以上の参加者を集めたいです。講演録は作成しません。
お問い合わせは:
[email protected](角田、辰馬)まで。
皆さんの積極的なご応募をお待ちしています。
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2019.02.02
SGRAレポート第89号
第62回SGRAフォーラム
「再生可能エネルギーが 世界を変える時…?
―“An Inconvenient Truth” 不都合な真実を超えて」
2019年11月11日発行
<フォーラムの趣旨>
流れは変わった⁈
19世紀以降の化石燃料によるエネルギー市場が大きく変わろ うとしている。
UAEでは砂漠に300万枚の世界最大の太陽光発電基地を設 置し、原発1基分の発電を行う計画が進行している。その発電 コストは日本の火力発電コストの1/5と言われる。
中国は2017年共産党大会で「エコ文明」のリーダー(環境大国) 宣言し、CO2 社会からの脱却を表明し、巨大な太陽光発電施設 を各地に建設している。
また、トランプ政権はパリ協定を批判し脱退したにもかかわ らず、アメリカではカリフォルニアを始めとする各州・都市、 大企業等2500がパリ協定支持を表明し、国際金融市場でも環 境ビジネスへの投資が急増している。
COP21/パリ協定締結以降、再生可能エネルギー社会への牽引 役として「ビジネス」が躍り出た
こうした国際的な経済、社会のエネルギーをとりまく潮流の 変化は「パリ協定以降、脱炭素社会(再生可能エネルギー社 会)に向ける流れの牽引役が、気候変動に影響される国、環境 NGOから国際ビジネスセクターに移行した」と言われるよう になった。その背景には、気候変動による地球規模の災害への 危機感だけでなく技術革新とコストダウンにより再生可能エネ ルギーへの投資が“Payする”ことが実証されつつある、とい う現実がある。
再生可能エネルギー社会実現に向けた模索、可能性そして課題
一方で「ほんとなのか?」という疑問も拭うことはできない。
地球温暖化の影響で顕在化する気候変動、資源の枯渇などを 考えれば再生可能エネルギー社会(脱炭素社会)への転換は、 地球社会が避けて通ることができない喫緊の課題である。しか しながら、グローバルな大資本が参入し、化石燃料エネルギー から自然エネルギーに転換したとしても、地球環境問題は改善 されるであろうが、大量消費文明を支える大規模エネルギーの 電源が変わるだけで、大量生産大量消費の文明の本質は変わら ないのではないだろうか。
福島県飯舘村の「再生と自立」に向けた試み
こうした中で、2011年の東日本大震災と福島第一原発事故の 教訓から、コミュニティー発電(Community Power)による、 エネルギーの地産地消の試みを、地域の自立と新しいコミュニ ティーの創造に繋げようとする流れも生まれている。日本のコ ミュニティー発電は、ヨーロッパ各国に較べて大きく立ち遅れ、 さまざまな規制や障害が多いが、それを乗り越えてコミュニ ティー発電をコミュニティーの自立と尊厳の回復のシンボルに したいという福島県飯舘村の活動にも注目したい。
<もくじ>
【基調講演1】 《Renewable Energyに関する世界の動向》
「低炭素エネルギーのグローバルな展開と日本の立ち位置」
ルウェリン・ヒューズ(オーストラリア国立大学准教授)
【基調講演2】 《Global experience of Energiewende》
「ドイツと世界のエネルギー転換政策とコミュニティー発電」
ハンス=ヨゼフ・フェル(エネルギー・ウォッチ・グループ代表。元ドイツ緑の党連邦議員)
【プレゼンテーション1】 《国際政治経済からの視点》
「通商紛争の中の再生可能エネルギー ――韓国のエネルギーミックスと保護主義のインパクト」
朴 准儀(ジョージ・メイソン大学(韓国)兼任教授)
【プレゼンテーション2】 《環境技術/中国からの視点》
「中国の再生エネルギー政策と環境改善の行方」
高 偉俊(北九州市立大学教授)
【プレゼンテーション3】 《科学技術/イノベーションからの視点》
「太陽電池発電コストはどこまで安くなるか?課題は何か?」
葉 文昌(島根大学准教授)
【プレゼンテーション4】 《コミュニティーの視点から》
「コミュニティーパワーと飯舘村再生のヴィジョン」
佐藤健太(飯舘村村会議員)
【プレゼンテーション5】 《コミュニティーの視点から》
「飯舘電力の挑戦」
近藤 恵(飯舘電力専務取締役)
- ふりかえり対談 -
飯舘村から考える「再生可能エネルギー ―― 不都合な真実を超えて」
ロヴェ・シンドストラン、角田英一、ソンヤ・デール
〔総合司会 ソンヤ・デール(一橋大学専任講師)〕
あとがき
講師略歴
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2019.02.01
SGRAレポート第88号
第12回SGRAチャイナ・フォーラム
「日中映画交流の可能性」
2020年9月25日発行
<フォーラムの趣旨>
日中友好の基礎は民間交流に在り、お互いをより幅広く、正しく知るためには、相手の「心象風景」を知ることが、民間交流の基礎を固める上で重要である。映画は、その大事な手段であり、この40年にわたり、大きな役割を果たしてきた。
1977年と78年に、日本と中国でそれぞれ最初の映画祭が開かれた。中国では日本映画ブームが起こり、日本でも中国への関心から多くの観客が訪れた。このときの高倉健の影響力は衰えることなく、2014年の同氏の逝去に際し外交部スポークスマンが追悼の発言を行ったことは知られている。
日本映画の上映は、その後の「Love Letter」や「おくりびと」、「君の名は。」にいたるまで、中国に日本人の細やかな感情を伝え、等身大の日本人に親しみを感じさせてきた。そして、日本にロケした中国映画は、北海道ブームをもたらすなど、現在の日本旅行ブームの原動力にもなっている。また、中国映画の上映は、「芙蓉鎮」や「さらばわが愛、覇王別姫」が波乱の現代史に生きる中国人の姿を伝え、「ヒーロー」や「レッドクリフ」が歴史スペクタクルの楽しさを教えてくれた。
日中の国同士の関係に摩擦が生じたときも、映画交流はさらに発展を続け、映画祭の開催や劇場公開、合作映画の制作やインディペンデント映画の紹介、さらには回顧展の開催など、多様化が見られ、お互いに影響を与え合ってきた。近年はSNSによる発信など、中国の若者の日本への関心が増加しているが、日本でも賈樟珂や婁燁の作品が上映され、今年は「空海――美しき王妃の謎」がヒットし、「中国電影2018」で最新作が紹介されるなど、新たな動きが起こっている。4月の合作映画の撮影に関する日中政府間協議の締結も、重要な一歩である。
いまや中国は世界第1位のスクリーン数と第2の映画製作本数を誇る映画の一大市場であり、日本も世界第4位の映画製作本数を維持している。世界の映画産業のひとつの中心は、まさに東アジアにあると言ってもよいだろう。本フォーラムでは、この映画大国である日本と中国の40年にわたる映画交流を、日本と中国の側からそれぞれ総括を行い、意見交換を行い、今後の展望を検討することを目的としている。
刈間文俊氏は、1977年の中国映画祭から字幕翻訳に携わり、これまで100本に近い中国映画の字幕を翻訳し、中国映画回顧展のプロデュースを行うなど、日本での中国映画の紹介に携わってきた。王衆一氏は、日本映画に精通し、「人民中国」編集長として多くの日本の映画人と交友を持ち、「日本映画の110年」を翻訳し北京で出版している。日中の映画交流の歩みを現場で知る二人の発表をもとに、日中双方の識者による討論を行う。
<もくじ>
【講演1】
「中国映画が日本にもたらしたものはなにか?――過去・現在・未来」
刈間文俊(東京大学名誉教授)
【講演2】
「中国における日本映画――交流、参考、融合の軌跡」
王 衆一(『人民中国』編集長)
【 総合討論】
司会者:顔 淑蘭 (中国社会科学院)
討論者:李 道新 (北京大学)
秦 嵐 (中国社会科学院)
周 閲 (北京語言大学)
陳 言 (北京市社会科学院)
林 少陽 (東京大学)
講師略歴
あとがきにかえて
陳 龑(東京大学大学院)
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2019.01.24
2018年10月27日(土)京都において、「第3回東アジア日本研究者会議国際学術大会」が開催され、SGRAから参加した2つのパネルの1つとして「アジアにおける日本研究者ネットワークの構築~SGRA(渥美国際交流財団関口グローバル研究会)の取り組みを中心に~」と題するパネルディスカッションが行なわれた。当パネルは発表者4名、討論者2名、座長兼司会1名で構成され、ほぼ満場に近い世界各国からの来場者を前に、SGRAがアジアを中心に取り組んでいる日本研究者ネットワークの構築について幅広い議論が交わされた。
本パネルは、アジアにおける日本研究者ネットワークが実現するまでに、2000年の発足以来継続してきたSGRAの取り組みを振り返り、今後目指すべき新地平を探ることを目的とした。特に、日本国内のSGRAフォーラムとシンクロして、アジア各地域で展開される、「日韓アジア未来フォーラム」(2001~)、「日比共有型成長セミナー」(2004~)、「SGRAチャイナフォーラム」(2006~)、「日台アジア未来フォーラム」(2011~)に焦点を当て、地域ごとの活動報告を通して、より創発的に共有できる「知の共同空間」構築のための解決すべき課題、未来を切り拓く骨太ビジョンの策定等について、異なる見解が共有され多様な視点が得られた。また、フロアの参加者たちを交えた質疑応答コーナーでも活発な意見交換が行なわれ、改めて本パネルの課題に寄せられた研究者たちの関心の大きさに気づかされ、実り豊かなひと時を過ごすことができた。
パネルの流れとしては、最初に座長兼司会の劉傑先生(早稲田大学社会科学総合学術院教授)がパネル企画の背景・趣旨およびメンバーの紹介を行い、次に4つの発表をした後、討論者がコメントをし、最後に参加者の質疑応答の時間を設けた。2015年第49回SGRAフォーラム「日本研究の新しいパラダイムを求めて」において、「アジアないし世界が共有できる『日本研究』とはどのようなものか」「東アジアの日本研究の仕組みをどのように構築していくのか」といった問題を提起した劉先生は、「日本研究」をアジアの「公共知」として育成するために、アジアで共有できるアジア研究を目指すネットワークの構築が喫緊の課題であるといち早く予見し提唱した識者であるが、SGRAの取り組みの方向性についてコメントしていただけるラクーン(元渥美奨学生)ネットワークのアドバイザーでもある。今回のパネル議題に強い関心を持つ劉先生の切れ味抜群の司会進行で、各発表が明るくテンポよく進められた。以下、4本の発表要旨と討論者によるコメントの概要を簡単にまとめる。
1本目の発表は、「日韓アジア未来フォーラム」(JKAFF)の設立(2001年)から係わってきた金雄熙先生(韓国・仁荷大学国際通商学科教授)による報告であった。韓国未来人力研究院の「21世紀日本研究グループ」と渥美財団SGRAの共同プロジェクトで始まったJKAFFの経緯(17回毎年開催した形式、内容、番外の三拍子が揃ったフォーラムのテーマの紹介)、現状(アジアの研究者及び現場の専門家たちが、アジアの未来について幅広く意見を交換する集まり)について詳しく説明した金先生は、さらに社会統計学の手法を用いて、これまでに積極的に参加した韓国ラクーンと出席関係者たちで築き上げられた知のネットワークを、ダイナミックなグラフで「見える化」した。スクリーンに写し出された科学的・実証的な考察結果に、報告者も含むフロア一同、強いインパクトを受けた。
金先生は、歴史問題で揺れ動く日韓の間ではあまり類を見ないしっかりとした交流プロジェクトであるJKAFFの実績を自負しながらも、決して現状に甘んずることなく、テーマ設定の在り方や次世代を担う若手研究者の育成面では考え直すところがあると、危惧の念を抱いているという。今後の課題として、より多元的で弾力的な推進体系を取り入れ、東アジア地域協力課題により多面的に対応し、ダイナミックで実践的な知のネットワークを作り上げていきたいと、淡々と語った金先生であるが、彼の眼には、知日派人材の宝庫である韓国ラクーンメンバーたちの目指す「日韓アジア未来フォーラム」(JKAFF)の未来像(テーマの多様化・運営主体の多元化・運営資金調達の安定化・専門同時通訳士の予算確保・ネットワークの脱集中化)が、より鮮やかに映って来たのではないか、というインパクトのある印象を受けた。
2本目の発表は、フェルディナンド・シー・マキト(Ferdinand_C._Maquito)先生(フィリピン大学ロスバニョス校准教授)による発表であり、SGRAの全面的な支援を受けて2004年に設立した「日比共有型成長セミナーの経緯、現状と課題」について振り返ったものである。当初は経済の成長と分配が同時に進む「共有型成長」を軸に進められたが、2010年よりラクーン同期である高偉俊教授(北九州市立大学教授)の協力を得て環境問題も含む学際的な日比共同研究プラットホームが実現した。以降、訪日歴あるフィリピン研究者を中心に環境問題が取り上げられ、ここ数年では、環境保全(持続的)、公平(共有)、効率(成長)の3つの目標を目指す「持続的な日比共有型成長セミナー」に進化してきた。この3つの目標に当たるフィリピン旧来文字の言葉の頭文字が<KA、KA、KA>であることから、「3KA(さんか)セミナー」と愛称されることに。
2017年に帰国したマキト先生は、東アジアからさらに南西に離れたフィリピンで展開した、「英語」ベースの日比共有型成長セミナーの活動を、遠路遥々の日本における「東アジア日本研究者協議会」で「日本語」で発表するめったにない機会に感謝しながら、少しのためらいと緊張感に包まれていたように見受けたが、簡潔明瞭で歯切れのよい日本語の説明と、持ち前のユーモアセンスで会場中の人びとを笑いのるつぼに陥れることに成功した。2020年1月に第5回アジア未来会議を開催する責任者に任命されたマキト先生は、3KAセミナーに基づく「持続的な共有型成長:みんなの故郷(ふるさと)、みんなの幸福(しあわせ)」という目標を大会のテーマに据えて、SGRAフィリピンの活動の集大成を目指したいという。さらに、フィリピンに限らず、世界が直面している課題でもある「持続的な共有型成長」の実現に向けて、微力ながら貢献できればと、目を輝かせながら力強く締めくくった。
3本目の発表は、2006年SGRAチャイナフォーラムが発足した当初から舵を取ってきた孫建軍先生(北京大学外国語学院副教授)が、フォーラムの経緯、現状と課題をめぐって、「広域的な視点から東アジア文化史再構築の可能性を探って」という視座から振り返った報告であった。前期(2006-2013)では、中国全土(北京、上海、フフホト、ウルムチ、延辺など)で活躍している20名弱の中国ラクーンの所属大学を拠点に、若者(大学生たち)向けに、環境問題・人材養成などの分野で活躍している日本の公益活動を紹介する講演会を開催し、知的情報の共有や国際的な視野と円満な人格の涵養を図るイベントがメインであった。
しかし、2012年に起きた反日活動の影響で大きく軌道修正したチャイナフォーラムは、2014年より、清華大学東亜文化講座の協力を得て、広域的な視点から東アジア文化史再構築の可能性を探ることをテーマの主眼に据え、日本文学や文化研究に携わる中国人研究者の関心を集め、国際的な学術的活動への新しい展開を見せている。その背景には、研究者層の拡大、経済的背景の変化、文化史(美術、言葉、映画)への共通的関心など、様々な要素が挙げられるという。豊富な語彙で切れのいい言葉づかいの名人である孫先生は、軽妙でユーモアな語り口と独創的な表現力を駆使しながら、今後の課題について、ぶれない文化史を軸に、他地域の経験を如何に生かすかという極めて重大な問題を提起した。底の知れぬ可能性を持つチャイナフォーラムは、独自の路線を維持するか、それともさらなる大きな方向転換に挑むか、今後の動向が興味深い。
4本目の最終発表は、本パネルの企画者である張桂娥(東呉大学日本語文学科副教授)が、2010年代に誕生したばかりの「日台アジア未来フォーラム」(JTAFF)の歩み(経緯、現状と課題)を振り返りながら、台湾ラクーンメンバーの「既成概念にとらわれない柔軟なフットワークで、身の丈にあった知的交流活動の展開」を紹介した。JTAFFでは、主にアジアにおける言語、文化、文学、教育、法律、歴史、社会、地域交流などの議題を取り上げ、若手研究者の育成を通じて、日台の学術交流を促進し、台湾における日本研究の深化を目的とすると同時に、若者が夢と希望を持てるアジアの未来を考えることを、その設立の趣旨としている。2011年東北大震災の直後にスタートしたJTAFFは、かつてないほど盛り上がった日台友好ムードに恵まれ、台湾の大学機関・公的部門のみならず、台湾現地の日系企業からも比較的潤沢な活動資金が確保できるという、運営体質に恵まれた組織である。
JTAFF主催責任を担う7名の台湾ラクーンはそれぞれ専門が異なるため、バラエティーに富んだ多元的学問領域を視座に、既成概念にとらわれない柔軟なフットワークを展開してきたが、長期的には、持続可能な「知の共同空間」の構築に欠かせない骨太ビジョン、いわば具体的にアプローチできる目標を確立しない限り、活動のアイデアの枯渇やマンネリ化に陥る危機感を募らせる一方である。今後、台湾ラクーン個々のメンバーに期待される急務は、学際的・国際的学術交流に積極的に参画することによって、長期的視野に立ったフォーラム作りをはじめ、広域的な視点に立ったテーマの取組みまで、日台間の歴史文化・政治的・社会的問題に幅広い関心をもって、深く掘り下げることの出来る高度の知見と能力を兼ね備えることではないか。
続く専門家の助言を仰ぐ時間であるが、1人目の討論者として迎えた稲賀繁美先生(国際日本文化研究センターおよび総合研究大学院大学教授)のコメントは、まず所属する公的機関、国際日本文化研究センターを引き合いに、「国際」を大々的に掲げたにも関わらず、日本国内にある国際学術機構の交流成果は民間組織であるSGRAの実績には遥かに及ばない現実に言及し、東アジアで展開されるSGRAの取り組みこそ、日本の国際的学術組織がもっとも見習うべき見本の1つではないかと念を押した。
そして、国際社会に向けて発信する際の言語媒体に悩まされる学者の懸念に対し、英語が公用語である3KAセミナーを除き、同時通訳付き形式を採用したSGRA中韓台のフォーラム運営方式には肯定的な意見を示した。最後に、本パネルの4つの発表を通して、日本学を外に開いたことをどう意味づけするのか、東アジアの諸国(非日本語の世界)に蓄積された日本研究の成果、知識、解釈が、日本の学会・日本列島に住んでいる国民にも行き渡るようなプラットホームの構築をどう実現していくのか、日本学のあり方や真価が問われる喫緊の課題ではないかとコメントした。
2人目の討論者である徐興慶学長(中国文化大学学長・外国語文学院日本語文学系教授兼院長)は、本パネルで報告した上記4名の発表内容を総括した形で感想・助言を述べられた。たとえば、フィリピン3KAセミナーでは、時の政権と抗って果敢に取り上げられた環境・自然問題、経済利益の公平的再分配問題を、古き時代から蓄積してきた文化資産の共有で日本とは強いつながりを持ってきた中国では、両国の美術交流史・文化交流史の再構築に焦点を当てるチャイナフォーラムの斬新な試み、JKAFFで実現できた日韓交互開催形式の幅広いネットワークの強い連帯感、そして、第1回JTAFFの開催に徐興慶学長自身がパイオニア主催者として最善を尽したJTAFFの独創的なスタイルーー既成概念にとらわれない柔軟な対応力を培った多元文化社会台湾ならではの底力――、つまり、SGRAの元奨学生がそれぞれの国の置かれた状況にふさわしい活動をダイナミックに展開することに成功しているのではないかと、励ましのコメントを送った。
座長を務めた劉傑先生は、討論者の意見に対してそれぞれ簡潔なコメントを述べたあと、会場からの質問を受けることに移った。
渥美国際交流財団についての質問をはじめ、4つの国以外でも実施した或いは実施する予定の取り組みや奨学金の申請方法、元奨学生が活躍できる交流の場の提供や場づくりのノウハウなど、会場まで駆けつけた今西淳子常務理事が自らの言葉で説明したり、現場にいる元奨学生たちが補足したり、実に幅広い課題について議論が交わされた。満場に近いオーディエンスから終始熱い注目を浴びている会場の雰囲気から、東アジア日本研究者協議会のような、広域的な地域連携による知的交流の場づくりの大切さが、フロア全員にも、しっかりと体感できたのではないか。
何より、本来、日本留学を終え、韓・比・中・台、それぞれの国に貢献すべく、帰国した高度知日派人材であるラクーンメンバーが、独自な組織運営を営みながら孤軍奮闘してきた足跡・蓄積してきた知的交流のノウハウは、こうした国際的な知的情報の交換/交流舞台に持ち込まれ、広く共有されることで、新たなエネルギーを生み出していくと確信できよう。そのエネルギーは、やがて国際交流に役立つファシリテーターに吸収され、国際的ネットワークへ拡張していき、その先々には、再生できる知的交流サークルが形成されることであろう。
今回は(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)のパネル企画者及び発表者として参加でき、実りの多い貴重な体験を記憶に刻むことができた。それぞれの立場をわきまえながら、同じ思いで別々の国で努力している仲間たちとの意見交換によって、これまでにない斬新なアプローチに向けて発展させ、アジアにおける日本研究者ネットワークを広げることの意味を台湾の仲間たちに伝えることができる。参加してみて改めて、会話・対話を通じたコンセンサス(合意)形成の意味と必要性を深く認識させられた東アジア日本研究者協議会であった。
素晴らしい機会を与えていただき、感謝の念に尽きない。
報告者、討論者、座長(司会)の先生方に改めて感謝を申し上げたい。(文中敬称略)
金雄熙(日韓アジア未来フォーラム)発表資料
マキト(共有型成長セミナー)発表資料
孫建軍(SGRAチャイナフォーラム)発表資料
張桂娥(日台アジア未来フォーラム)発表資料
第3回東アジア日本研究者協議会国際学術大会の写真
英訳版はこちら
<張 桂娥(ちょう・けいが)Chang_Kuei-E>
台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本語教育、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科副教授。授業と研究の傍ら、日本児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。
2019年1月24日配信