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2025.11.26
はじめに:戦後80周年という時間軸への「違和」
戦後80周年の2025年は、皮肉にも現在進行中の戦争報道に最も頻繁に接した年となった。この「時間軸」への「違和」がまさに、SGRA主催の第5回アジア文化対話が沖縄で開かれた第一の理由であろう。沖縄大学との共催で、「アジアにおけるジェンダーと暴力の関係性」をメインテーマとし、専門家や活動家のパネリストで構成された4つのセッションが設けられた。会場には沖縄市民を含む100人以上、Zoomでは200人余りが参加した。
問いの始まりとしてー基調講演「暴力に抗する『他者』の眼差し」
基調講演は『戦場の記憶』(2006年)で著名な冨山一郎(同志社大学教授)によるものであった。冨山は沖縄で繰り返される性暴力問題に抗して活動する高里鈴代が「何度東京に来て同じ話をすればいいのか」というつぶやきに出会った時を振り返る。3人の米兵による少女レイプ事件(1995年)に対する怒りで8万5千人の県民大会が行われた沖縄からの声を、高里は「東京」に届けようと奮闘していた。冨山が述べる「戦場」が、高里の「何度言えばいいのか」というつぶやきや、語っても、語っても言葉が届かない状況から始まることは大切である。
「何を言っても無駄」という状況にかかわる「暴力」そのものへの富山の洞察は「毎日の陳腐な営み」から「往復運動」として戦場を発見する眼差し、つまり平時/戦場、戦中/戦後、の二分法を超える眼差しであり、自身の身体感覚から始まっている。二分法を超えるためには、他者との関係の中に設定されている「実践」の領域が前提に置かれているのは言うまでもない。
交差する差別とジェンダー
第2セッションでは、沖縄とインドネシアからの活動家や研究者が戦争、紛争下の暴力「後」にどのような差別が温存され、それに抗する言葉を探るために女性たちはどのような「実践」連帯や活動を展開できるのかを議論した。
まず、高里によって沖縄戦や戦後の米軍基地化の現状、復帰後も続く基地拡散の状況が、いかに女性の生き方に影響していたのかが語られた。「近代への道」の中で「琉球人」から「沖縄人」にならなければならず、差別を温存したまま進めた沖縄の歩みが、沖縄戦を経て、さらに「日米政府」による27年間の占領期にどのように構造的な差別へ繋がっていったのか。特に、「日本人」対「琉球人」の潜在する対立を利用しようと、米軍が作成した「民事ハンドブック」や、繰り返し行われていた米兵による性犯罪やそれを可視化できなかった歴史を語った。
復帰以前の沖縄では、ベトナム戦争や冷戦構造の激化を背後に、土地の強制接収や性犯罪、人権蹂躙が繰り返された。同時期、インドネシアでは約50万人から300万人とされる民間人が警察や国家暴力の犠牲となった。1965年以降続いた「赤狩り」を掲げた大量虐殺には、多くの女性と子どもが含まれている。2人目の発表者、作家のIntan Paramaditha(マッコーリー大学)は組織的に標的とされ、強制的に解散された「Gerwani(ゲルワニ)インドネシア女性運動」以降、どのように女性たちが、歴史から抹消・排除された女性たちの存在を記憶し、継承していこうとしているのかを報告した。興味深いのは、インドネシア群島の横断的なフェミニスト集団「女性思想学校」が、男性中心、家父長制中心の言葉概念を転覆して再定義し、「ワリス(相続)」は、家父長制的な財産移転の概念から、植民地主義と資本主義の相続論理に異議を唱える言葉となった。
本セッションでは、人種に基づく「他者化」や、それを利用した植民地主義・帝国主義・軍事主義の暴力構図の連鎖を、沖縄やインドネシアの歴史的文脈によって語り、それに立ち向かう言葉をどのように模索してきたのかを検討した。それは具体的な「活動の現場」の声をも含んだものだった。
戦争とジェンダー
第3セッションを一言でいうならば、「無化された存在」から問う「戦争とジェンダー」といえる。山城紀子(フリージャーナリスト)は「沖縄戦・米軍統治下の福祉と女性」と題して、沖縄戦後日本と分類され米軍占領下の沖縄で行われた福祉政策の影を語った後、Jose Jowel Canuday(アテネオ大学)が「平和の最後の数マイル:ミンダナオ島ザンサモロ地域のジェンダー化された最前線における長期戦争の後に何が起こるのか」という発表を行った。
山城が注目したのは、圧倒的な「恐怖」によって身内を殺してしまった痛みを「語る」ことの苦しみである。「我が子」を助けることが出来なかった「母親」たちの体験を含む沖縄戦の語りが公式の場に浮上したのは、沖縄で死者が神様になると言われる33回忌、つまり1977年以降だった。「法」によって守られない人々も「福祉」の面においては「本土並み」を掲げられるようになり、無国籍児男性のように、何処にも属さずにブラックボックスの中で生きているような人々を生み出す。こうした「戦争」の足跡は、依然として現在進行形であることが示された。
Canudayは、ミンダナオ島で半世紀も続く「戦争」状況における「ジェンダー化」された日常に焦点を当てる。銃後を支える役割を女性に任された村社会は、避難や紛争により自然災害に備えることが出来ず、洪水や干ばつ被害を余儀なくされる。農業中心の生産構図を保つ事が出来ず、子どもの栄養失調の高さに影響を及ぼす。1970年代には、バンサナモ地域は分離主義勢力の拠点および東南アジアで活動するテログループの潜伏地と報告され、アメリカのグローバルな対テロ戦争の警戒地域に設定された。
本セッションのポイントは、「戦争とジェンダー」が2025年現在、私たちのすぐ近くに存在している点である。無国籍児にしてもバンサナモの状況にしても、目に見えない形となっている人々への暴力は現在進行形で、特定の人々の移動する権利を奪い、教育を受け、就職し、住まいを構える当たり前の「日常」を制限している。
多様性からなる提言、一枚岩ではないアクションを探って
最後のセッションは活動と未来に焦点を当てたパネルで、20代の大学生、活動家が中心となって議論する場として設定された。沖縄で繰り返される米軍による性犯罪、その基地暴力の問題を国連の女性の地位委員会に訴えた沖縄キリスト教学院大学の在学生(徳田彩)・卒業生(松田明)が経験から学んだものを中心に報告した。沖縄大学の在学生(中塚静樹)は、沖縄戦体験者とのかかわりの中で学んだもの、沖縄に住む大学生として日々の学びのなかで感じた問題認識を発表した。さらに、同年代のタイの学生活動家Memee Nitchakarnが、軍事クーデターや戒厳令が繰り返し行われ、民主化運動のさなかにあるタイの状況を報告した。
若者たちの発表の後、第1、第2セッションで発表した沖縄の活動家たちから、30年前に国際の現場で沖縄戦から米軍基地に連なる暴力の現状を訴えた経験などのコメントが相次いだ。登壇者の大学生たちからは「戦争の記憶が薄れていく中で、若者たちへ寄せられる『頑張ってね』という言葉は時には励みではなく重荷に感じる」との本音が発せられた。この涙ぐんだ若い大学生のつぶやきが、まさに、「暴力に抗する他者の眼差し」と題した基調講演での冨山の問題提起に戻り、私たちへ省察を促したような気がする。私たちが語っている言葉が、実は暴力にさらされている人々を黙らせ、「言葉が後方に退き暴力がせりあがってくる状況」を容認しているかも知れない。
今回のシンポジウム自体が、時間軸では取り上げられない<戦後>という提起、それをジェンダー視点で議論していくという多少無謀に近い挑戦であったが、沖縄という<場の力>によって一つの言霊ははっきり共有されていったのではないか。登壇者が提起する「暴力」から、身の回りに起きている様々な状況に思いをめぐらし、「暴力」が表れる際の類似性に驚きながら、一定の緊張感を保ちながら聞いて、感じて、考えさせられる場となった。
当日の写真
報告文のフルバージョン
洪玧伸「沖縄から『アジアのジェンダーと暴力』につながる可能性を探るということ」
<洪玧伸 (ほん ゆんしん) HONG Yun-shin>
韓国ソウル生まれ。早稲田大学で博士号(国際関係学)を取得。現在、沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学准教授。著書に、『沖縄戦場の記憶と「慰安所」』(インパクト出版会、改訂版2022年)Comfort Stations as Remembered by Okinawans during World War II (Brill、2020)、共著に『戦後・暴力・ジェンダーⅠ:戦後思想のポリティクス』大越愛子・井桁碧編(青弓社、2005年)『戦後・暴力・ジェンダーⅢ:現代フェミニズムのエシックス』大越愛子・井桁碧編(青弓社、2010年)『現代沖縄の歴史経験』森宣雄・冨山一郎編(青弓社、2010年)編著に『戦場の宮古島と「慰安所」-12のことばが刻む「女たちへ」』(なんよう文庫、2009年)、などがある。沖縄の歴史とジェンダー、日本軍「慰安婦」問題、戦時性暴力などを専門とし、多角的な視点から研究を進めている。
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2025.11.20
2025年9月11日から16日にかけて、沖縄の地で「第78回SGRAフォーラム/第5回アジア文化対話/第611回沖縄大学土曜教養講座」が、「アジアにおけるジェンダーと暴力の関係性」のテーマで開催されました。今回のエッセイでは、印象に残った14日からの宮古島スタディツアーの報告をします。
今回のスタディツアーは、SGRAによる「第5回アジア文化対話」の一環として、戦後80周年という歴史的な節目に実施されました。世界各地から集まった研究者や活動家たちが、二度と戦争と暴力を繰り返さない未来を希求しながら、沖縄という地で対話と学びを深めるかけがえのない機会です。舞台となった宮古島は、沖縄本島から南西に約300km離れた位置にある離島で、太平洋戦争末期には地上戦こそ免れたものの、日本軍による飛行場建設や住民の強制疎開が行われ、朝鮮人労務者や「慰安婦」とされた女性たちが多数送り込まれた場所でもあります。戦後は米軍統治を経て、現在では自衛隊の基地が次々に建設されるなど、南西諸島防衛の最前線として軍事的要所となっています。
ツアーを企画した沖縄大学の洪玧伸(ホン・ユンシン)先生は、長年にわたり宮古島をフィールドとして慰安婦の記憶を丹念に辿ってきた研究者です。その洪先生の案内のもと、慰安婦たちが日常的に歌っていた「アリラン」の歌声をたどりながら、草むらの奥に眠る小さな井戸や忘れ去られた碑を一つひとつ訪ね、80年前の歴史と静かに向き合う旅となりました。島内をバスで移動する際にはいくつもの自衛隊施設の前を通り、その急速な軍事化の進行を肌で感じました。その景色からは、島の人々が日常的に戦争や暴力の影と隣り合わせに生き、必要とあらば国家に見捨てられ、いわば「disposable(廃棄されうる存在)」としての不安を抱えている現実が浮かび上がりました。80年前に終わったはずの戦争、あるいは冷戦という過去のはずの出来事が、ここ宮古島ではいまだに現在進行形の問題として存在している、そんな実感を胸に刻む体験となったのです。
参加者はまず宮古島市平良の公民館で開催されたシンポジウムに出席しました。オランダから参加した近代東アジア史の研究者K・W・ラドケ氏と韓国で長年慰安婦問題に取り組んできた梁絃娥(ヤン・ヒョナ)氏が講演し、戦時中宮古島に連行された女性たちの証言調査や、現在の東アジアにおける軍事化とジェンダー問題について報告がありました。地元の聴講者も交え、活発な意見交換が行われ、宮古島でこのような国際対話の機会が持たれた意義を実感しました。
シンポジウムの後、宮古島の「アリランの碑」の前で、地元の定例行事となっている「慰霊と平和を祈念するつどい」に参加しました。この「アリランの碑」は、かつて宮古島に連れてこられた朝鮮人「慰安婦」たちの記憶を刻むものであり、碑文には日本語や韓国語、英語を含む12か国語で平和への祈りが綴られています。当時、故郷を想いながら日々「アリラン」を口ずさんでいた女性たちの歌声は、やがて島民の耳にも親しまれ、宮古島独自の旋律や歌詞をもつ「アリラン」として受け継がれるようになったと伝えられています。慰安所など実際の「歴史的証拠」がない今では、この宮古島のアリランの歌は慰安婦の存在を証明する「文化的証拠」となったのです。世界各地から集まった参加者たちは、碑の前で静かに手を取り合い、「アリラン」を歌い、平和への祈願を言葉にして交わしました。歌声は時を超え、国境を越えて共鳴し、参加者の胸に深く刻まれる時間となりました。このような記憶の共有と祈りの場は、戦争の傷跡を風化させず、アジアの平和と共生を目指す実践のひとつとして、強く心に残るものでした。
その後、バスは島内を巡りながら、現在の宮古島における自衛隊配備の状況についても案内がありました。近年、陸上自衛隊のミサイル部隊が新設され、島の一角にはミサイル庫やレーダー施設が築かれています。緑豊かなサトウキビ畑の中に突如現れる軍事施設のフェンスを目にし、遠い戦争の記憶が現在の軍事化につながっている様子が肌で感じられました。
15日には、島内各地に残る戦争遺跡をさらに訪問しました。朝鮮人軍夫(従軍労務者)たちが過酷な労働の末に掘り抜いたというピンプ嶺の地下壕跡や、「慰安婦」たちが水汲みに使ったという井戸跡、通称「ツガガー」などを見学しました。雑草に覆われた小高い丘にひっそりと口を開ける井戸を覗き込み、戦時中ここで喉の渇きを癒やされた名も知らぬ女性たちの姿に思いを馳せました。宮古島と隣接する伊良部島を結ぶ全長3.5kmの伊良部大橋を渡り、下地島空港の西側に広がる海岸にも立ち寄りました。沖縄県が管理する同空港は元々パイロット訓練用に建設された滑走路ですが、地政学的に、また近年の国際情勢を受けて、一部軍事利用の可能性も取り沙汰されています。2019年に新ターミナルが開業して定期便が就航してからは利用者が急増していますが、地元では環境保護と観光振興の観点から慎重な議論が続いているとのことで、私たちは透き通る青い海を眺めつつ、平和な島の暮らしを守ることの難しさについて考えさせられました。
一連のフォーラムとフィールドワークを通じて、参加者たちはジェンダーと暴力という問題を多面的に捉え直す貴重な体験を得ました。沖縄という土地で直面した過去と現在、戦争の被害、基地による犠牲、環境破壊への懸念など、それらを実際に見聞きしたことで、机上の議論では得られないリアルな実感が伴いました。戦場の暴力は今も続くグローバルな課題であり、ジェンダー視点が欠かせないとの問題意識が、肌感覚をもって腑に落ちたと言えるでしょう。各国から集った参加者同士の対話を通じ、文化や立場の違いを越えて共感し学び合うことで、暴力の連鎖を断ち切るヒントが見えてきました。とりわけ、宮古島の「アリランの碑」で皆が手を取り合い歌ったひとときは、過去の犠牲を無駄にせず未来の平和を築くために連帯することの大切さを象徴していたように思います。
終わりに、私が心に深く残している小さなエピソードを一つご紹介したいと思います。2025年5月、下見のために宮古島を訪れた際、私はアリランの碑のすぐ隣に、美しく鮮やかな赤い花を咲かせる木を見つけました。地元ガイドの清美さんによれば、この木は今から20年前、アリランの碑が建立されたときに地元の人々によって植えられました。ところが、それ以来一度も花を咲かせたことがなかったといいます。その木が、まさに戦後80周年という節目、そしてSGRAの参加者たちがこの地を訪れる直前のタイミングで初めて花を咲かせていたのです。その姿は、宮古島の土に静かに眠る記憶が、大地を通して鮮烈な色彩となり、私たちに語りかけているかのようでした。「忘れてはいけない」という声なき声が、自然の中に確かに息づいているように思えました。風に揺れるその花に向けて、戦後80年を越えても、この記憶と願いが咲き続けるように。
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<郭立夫(グオ・リフ)GUO Lifu>
2012年から北京LGBTセンターや北京クィア映画祭などの活動に参加。2024年東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻で博士号を取得。現在筑波大学ヒューマンエンパワーメント推進局助教。専門領域はフェミニズム・クィアスタディーズ、地域研究。研究論文に、「中国における包括的性教育の推進と反動:『珍愛生命:小学生性健康教育読本』を事例に」小浜正子、板橋暁子編『東アジアの家族とセクシュアリティ:規範と逸脱』(2022年)、「終わるエイズ、健康な中国:China_AIDS_Walkを事例に中国におけるゲイ・エイズ運動を再考する」『女性学』vol.28, 12-33(2020 年)など。
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2025.10.10
第78回SGRAフォーラムの一環として実施されたスタディツアー「普天間から辺野古・大浦湾へ」に参加した。沖縄が抱える歴史的背景と米軍基地問題、そして環境や人権をめぐる課題を実地に学ぶことを目的として企画されたものである。限られた日程ではあったが、現地での視察と講義を通じて、沖縄の人々が直面する現実を多角的に観察し、理解する機会となった。
15世紀に成立した琉球王国は、中国や日本との間で外交と貿易を展開し、独自の文化を育んできた。しかし1609年の薩摩侵攻以降、二重支配の下で苦難の歴史を歩み、明治期には琉球処分により日本へ併合された。その後、言語や風俗の抑圧、土地の国有化、軍事化が進められたことは、現在の沖縄が抱える負担の原点でもある。
第二次世界大戦末期の沖縄戦は、県民約22万人が犠牲となった苛烈な地上戦であり、民間人の犠牲の大きさは他に例を見ない。戦後は米軍による接収が進み、住民の土地は銃剣とブルドーザーで奪われ、冷戦構造の中で沖縄は巨大な軍事拠点と化した。1972年の本土復帰以降も、在日米軍専用施設の約70%が沖縄に集中し、過重な負担が続いている。
私たちは宜野湾市に位置する嘉数高台公園を訪れ、そこから米海兵隊普天間飛行場を視察した。市街地の真ん中に位置するこの飛行場は学校や住宅に隣接し、騒音・落下物・環境汚染など、多くの危険を地域社会にもたらしている。最近では有機フッ素化合物(PFAS)などの有害物質による地下水汚染が健康被害への懸念を強めている。加えて、航空機事故や米兵による事件や事故は住民の不安を高めていることを実感した。
1995年の米兵による12歳の少女暴行事件を機に、普天間飛行場の返還が日米間で合意された。しかし危険性除去の代替策として浮上したのが、名護市辺野古への移設計画である。
続いて訪れた辺野古は現在、新たな滑走路と港湾機能を備えた基地建設が進行している。辺野古や大浦湾の152ヘクタールが埋め立て対象となり、世界的にも稀少な生態系が破壊の危機にさらされているという。特にジュゴンやアオサンゴなど絶滅危惧種262種を含む約5,300種の生物が生息するこの海域は、国際的NGO「ミッション・ブルー」により日本初の「Hope Spot」に認定されている。にもかかわらず、政府は環境影響評価を軽視し、建設を進めている実態を知り、深い憂慮を覚えた。
2014年の着工後に建設予定地の海底は軟弱地盤であることが判明し、71,000本の杭打ちによる補強が必要とされる。巨額の費用と長期化が予想され、米国からも実効性への疑念が投げかけられている。完成時期は早くとも2037年以降とされ、現時点では普天間返還の見通しすら曖昧なままである。
こうした状況に対し、沖縄の市民は長年にわたり粘り強く抗議活動を続けてきた。辺野古の浜辺やゲート前での座り込み、カヌーによる海上抗議、署名や住民投票、さらには国際自然保護連合(IUCN)との協力など、多様な手段が展開されている。2003年に提訴された「沖縄ジュゴン訴訟」は、米国の国家歴史保存法を適用させた画期的な事例であり、沖縄の声を国際的に可視化する機会となった。
近年では国連人種差別撤廃委員会へ働きかけ、同委員会が日本政府に対し、辺野古建設が琉球・沖縄の先住民族の権利を侵害していないか説明を求めるなど、国連を巻き込んだ動きも生まれている。現地で出会った人々の言葉には、生活を守り、未来世代に豊かな自然を残したいという切実な願いが込められていた。
今回痛感したのは、沖縄の基地問題が単なる地方の課題ではなく、日本の安全保障政策や環境保護、人権、そして暴力からの開放に直結する問題だという点である。辺野古を「唯一の選択肢」と繰り返してきた日米両政府の姿勢は、市民参加や自治の尊重を欠き、対話の不在を浮き彫りにした。さらに、軟弱地盤問題や環境破壊のリスクを前にしても計画を見直さないかたくなさは、政策決定の硬直性を象徴している。
求められるのは、沖縄の人々の声に耳を傾けるとともに、この問題を自分ごととして捉える視点である。環境、人権、平和という普遍的な価値のために、何ができるのかを考え、社会的対話を広げていくことが必要だろう。
ツアーで得た経験は、沖縄の歴史と現在を直視する重要な機会となった。普天間と辺野古の現実を前に、私たち一人一人が問われているのは、どのような未来を選び取るのかという根源的な問いである。沖縄が背負わされてきた過重な負担を減じ、豊かな自然と文化を守り抜くために学び続け、行動することの必要性を強く心に刻んだ。
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<イドジーエヴァ・ジアーナ IDZIEVA Diana>
ダゲスタン共和国出身。2024年度渥美財団奨学生。東京外国語大学大学院総合国際学研究科より2021年修士号(文学)、2025年9月博士号(学術)を取得。主に日本の現代文学の研究を行っており、博士論文のテーマは今村夏子の作品における暴力性。現在、東京外国語大学、慶應義塾大学、津田塾大学で非常勤講師。
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2025.01.16
2020年代も半ばに差し掛かった現在、言論の自由や人権保障といった民主社会を支える最も基本的な倫理的前提が新たな挑戦に直面している。ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエル・パレスチナ紛争といった国際的な紛争、少子高齢化や若年層の貧困問題といった日本国内における課題まで、私たちの社会は不安と恐怖を伴う多くの困難に直面している状況だ。
こうした中、政治的保守勢力は、複雑かつ国境を超えた宗教、政治、経済ネットワークを通じて連携を強め、社会の周縁に位置するマイノリティ――少数民族、移民、労働者、性的マイノリティなど――を、人類社会の進歩や伝統的な宗教文化的価値観、民主的制度、さらには社会の安定そのものを脅かす存在として再構築しつつある。これらの動きは、多様性と自由を否定するだけでなく、「自由」という概念そのものを見直す必要性を私たちに問いかけている。現代社会の基本的、倫理的前提として位置づけられてきた「自由」は、果たして今日の複雑化する社会問題に対抗するうえで十分なものか。また、「自由」をめぐる闘いには新たな可能性が存在するのか。これらの問いに向き合うことは、現代に生きる私たちにとって喫緊の課題だ。
2024年8月10日から11日にかけて、タイのチュラーロンコーン大学にて開催された「自由の限界と可能性」と題する第7回アジア文化対話の円卓会議が、渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)の主催で開催された。事例に根ざした議論と意見交換が繰り広げられ、主にアジアの文化や社会における自由の意味や実践について検討した。会議では学術的な議論に加えて学者、研究者そして活動家の間の経験共有と交流が重視された。
◇プログラム
【1日目】
司会:Sonja・PF・Dale(アジア文化対話プログラムディレクター)
発表1:Yingcheep・Atchanont(iLawディレクター)
討論:Jose・Jowel・Canuday(アテネオ・デ・マニラ大学准教授)/Carine・Jaquet(独立研究者)/郭立夫(筑波大学助教)
発表2:Miki・Dezaki(独立ドキュメンタリー映画監督)
発表3:Bonnibel・Rambatan(New_Naratif編集長)
討論:Jose・Jowel・Canuday/Mya・Dwi・Rostika(大東文化大学講師)/郭立夫
【2日目】
司会:Sonja・PF・Dale
発表1:Nyi・Nyi・Kyaw
発表2:Thigala・Sulathireh(Justice_for_Sisters)
討論:武内今日子(関西学院大学助教)/Carine・Jaquet
会議は3つのセッションから構成された。
1日目の発表1では「タイの自由」を調査・記録してきたiLawという非政府組織(NGO)リーダーのYingcheep・Atchanont氏が、タイにおける君主の尊厳に対する不敬罪などを定めた「レーザー・マジェステ法」を始めとする自由の制約について紹介、議論が交わされた。そこからタイ社会における少数民族問題や情報アクセスの制約まで展開し、公式文書公開の必要性や、何を持って自由を享受すべきかを検討した。
発表2では「表現の自由」を主題に、独立ドキュメンタリー映画監督のMiki・Dezaki氏が自身の体験に基づいて慰安婦問題をテーマとしたドキュメンタリーを日本で上映した後に遭遇したバッシングという自身の体験に基づき、日本の右翼文化を指摘した。「言論の自由」を掲げながらも、右翼団体や活動家たちが言論に制限をかけようとしている矛盾した様子が実体験として共有された。
発表3では、主にインドネシアで活動するオンライン情報プラットフォームのNew_Naratifの編集長Bonnibel・Rambatan氏が、アジアにおける3つの「自由の技術」に関する分析を提示し、既存の価値観や物質的基盤、アルゴリズムがもたらす影響について発表。これまで冷静かつ客観的とされてきた科学技術も実際は人の自由を制限する武器として利用されることを明らかにし、科学技術の力を自由を守るためのものにするためのアプローチについて提案した。
2日目のセッションでは「存在する自由」に着目し、Nyi・Nyi・Kyaw氏が南東アジアにおける移住の問題を提起した。ミャンマーのクーデターの例など、実践に根ざした詳細な報告と検討が行われた。続いて、Justice_for_SistersのThilaga・Sulathireh氏がクィア・フェミニズムの観点から、マレーシアにおける性的マイノリティのLGBTQコミュニティーが目指す実践について発表した。
通底する議論は「自由」の視点から現代社会の多様性を探るものであり、論者たちの主張や経験はアジア全体に広がる問題を提起していた。参加者は「自由が広がる」とはどのような状況が展開されるのかを議論しながら、文化対話的な観点を提示した。何が自由を促進し、何が自由をそぐのかに関する議論は、参加者自身の問題意識を深めるものとなった。これらの議論から見出された制約の要因や自由の展望については、さらなる分析や討論の次の機会へとつながる要素を含んでいる。特に現代社会の多様性を議論する中で、自由の意味を再定義する視野の必要性も明らかになった。
当日の写真
<郭立夫(グオ・リフ)GUO_Lifu>
2012年から北京LGBTセンターや北京クィア映画祭などの活動に参加。2024年東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻で博士号を取得。現在筑波大学ヒューマンエンパワーメント推進局助教。専門領域はフェミニズム・クィアスタディーズ、地域研究。
研究論文に、「中国における包括的性教育の推進と反動:『珍愛生命:小学生性健康教育読本』を事例に」小浜正子、板橋暁子編『東アジアの家族とセクシュアリティ:規範と逸脱』(2022年)、「終わるエイズ、健康な中国:China_AIDS_Walkを事例に中国におけるゲイ・エイズ運動を再考する」『女性学』vol.28, 12-33(2020 年)など。
2025年1月16日配信
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2022.12.01
2年に1度開催されるアジア未来会議(AFC)を、いつもとても楽しみにしている。興味深い発表やディスカッションはもちろんだが、それより、世界中の「ラクーン(元渥美奨学生)」との再会や新しい出会いの機会でもある。自分にとってのAFCは、とても賑やかな笑いと笑顔がたっぷりのイベントだ。コロナの影響で1年延長され、ハイブリッド形式で開催されることになったが、私を含めてほとんどの参加者が家からオンラインで参加した。台湾に行けなかったことは残念だが、今回はこのユニークなオンラインAFC体験について書く。
自分が担当したAsian Cultural Dialogues(ACD)の円卓会議の他に、セッションの座長およびクロージングセレモニーの司会として関わった。ACDは角田さん(渥美財団事務局長)の発案により作られたネットワークおよび対談のフォーラムであり、今年は初めて私が担当した。コロナの影響で当初の企画より少し短めのプログラムになった。テーマは、「アジアにおけるメンタルヘルス、トラウマと疲労」にした。その理由は、やはりコロナ時代において感じる日常的なストレスおよび社会的な変化だ。インドネシア、フィリピン、日本からの発表の後には、インド、タイ、ミャンマーにいる、または専門にしているコメンテーターからの意見をいただき、ディスカッションした。
コロナは世界中で共通している経験だが、それぞれの国の対応・状況は異なる。その違いや対策などについて知り、話すことはとても面白かった。フィリピンのMaria Lourdes Rosanna E de Guzman先生の発表で、活動家の長い闘いと成果のおかげで、政府もしっかりとメンタルヘルスの支援をするようになったと聞いて感動した。日本のVickie Skorjiさんの話から、ジェンダー不平等とメンタルヘルスの関係性を改めて考えさせられ、多様な立場にいる人々を想像し、適切に対応する重要性を感じた。また、インドネシアのHari Setyowibowo先生の発表から、「コロナの影響で新しく生まれてくる可能性」という、前向きな視点も与えられた。
コメンテーターは、以前のACD円卓会議に関わってくれたCarine JacquetさんとラクーンのRanjana Mukhopadhyaya先生、ACD円卓会議に参加してくれた方の紹介で新しく関わってくださったKritaya Sreesunpagiさんであった。それぞれのコメントからコロナの深い影響を感じ、コロナの政治的な問題および争いの関係性について学び、考えることができた。コメンテーターの参加により、ACDネットワークの連続性および絆を感じることができて、角田さんおよび最初からずっとACDに参加してくださっている皆さんに敬意を表したい。充実したディスカッション後には、Kritayaさんの指導で10分ぐらいの瞑想があり、すっきりした気持ちでセッションを終えた。世の中に大変な事がたくさんあっても、自分にやるべき事が山ほどあるとしても、ひとまず自分のケアをしっかりする必要性を感じた。参加者の皆さん、本当にありがとうございました!
AFCの魅力は、自分の分野以外の研究者と触れ合うことだ。私が座長をしたパネルは専門と全く関係のない工学関係の発表が多かったが、興味津々で発表を聞くことができた。会場でやるときより視聴者が少なく寂しかったが、それなりに楽しくできたと思う。
クロージングセレモニーではオンラインながらも皆さんの笑顔が見られて、とても楽しい気持ちになった。知っている人に声を出して「元気!?最近どう!?」と、言いたかったけど、司会として真面目にしなくてはいけないね、とがまんした。次のAFCの会場がバンコクと発表され、とても良い盛り上がった雰囲気の中で会議を終えた。
オンラインだけのAFCは、正直少し寂しかったが、何よりこの状況の中で開催できたことは素晴らしかった。皆さんとの再会、本当に楽しみにしている。またバンコクで会おう、乾杯しようね!
英語版はこちら
<デール・ソンヤ DALE Sonja>
ウォリック大学哲学部学士、オーフス大学ヨーロッパ・スタディーズ修士を経て上智大学グローバル・スタディーズ研究科にて博士号取得。現在、インディペンデントリサーチャー。専門分野はジェンダー・セクシュアリティ、クィア理論、社会的なマイノリティおよび社会的な排除のプロセス。2012年度渥美国際交流財団奨学生。
2022年12月1日配信
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2022.11.03
今年のアジア未来会議は8月末に台北の中国文化大学で開催予定だったが、コロナ禍の終息が見られずハイブリッド形式で開催、台湾の参加者は会場に集まり、海外からはオンラインで参加した。コロナ禍にも関わらず、世界各地から大勢の参加者が集まり盛況だったと思う。
大会2日目の28日は多くの分科会が設けられたが、その中の2つを一般社団法人・東北亞未来構想研究所(INAF)が主催した。
この企画は、INAF所長である筆者が準備段階から研究所内の皆さんに呼び掛け、東北アジア地域を対象とした研究所としての特徴を生かし、東北アジア諸国と台湾との関係をテーマに設定し、政治や歴史、経済・産業分野を中心にしたユニークなセッションとして注目された。
当初、台湾に旅する機会が少ない皆さんは、視察旅行を兼ねて学術会議に参加を申し込んだが、残念ながらその望みは実現できなかった。
にもかかわらず、発表者の皆さんは忙しい中でも膨大なエネルギーを注いで準備を行った。専門分野ではあるものの、台湾との関係についてはほとんど各自の研究の射程に入っていなかった。台湾の特殊な事情により、日本を始め台湾研究者は非常に限られている。
特殊な事情の一つは、第2次世界大戦後の1949年に同じ国であった中国と台湾が中華人民共和国と中華民国に分断されたこと。次に国際社会の中で中国の存在感が大きく、台湾が小さいこと。最後に国際連合(UN)での代表資格が1945年から1971年10月までは中華民国だったが、その後は国連決議により中華人民共和国にとって替われ、それ以来、世界多数の国は中華人民共和国と国交を締結する際に「一つの中国」しか認めない、という中国政府の条件を受け入れ、中華民国との国交関係を次々と断絶したことなどが挙げられる。
そのような台湾(中華民国)が、今度のINAFセッションによって少しでも脚光を浴びることになったかもしれない。
【Part1】では平川均INAF理事長をモデレーターとし、3名の報告と討論が行われた。
第1報告は、筑波大学大学院博士課程の李安・INAF研究員による「岸信介政権期における政財界の対中「政経分離」認識―新聞報道を中心に―」だった。1950年代に国交がない中で民間貿易がどのように展開されたのかについて、当時のメディアの報道をリサーチした日中両国関係についての研究であるが、発表者は当時の日本と中華民国との関係についてもメスを入れて、日本は如何に国交がない中国との民間貿易に取り組んだのか、その中で中華民国との関係をどのように処理したのか、という大変興味深い内容であった。討論は羽場久美子・INAF副理事長・神奈川大学教授が務めた。
第2報告は、川口智彦・INAF理事の「北朝鮮-台湾関係と国際関係」。北朝鮮(DPRK)は建国後、ソ連や中国など社会主義圏との交流関係が多く中国とは親密な関係を持っていたため、資本主義圏の中華民国(台湾)との交流はほとんど行われず、両者関係は空白と言っても過言ではなかった。そのような厳しい状況であるにも関わらず、発表者は一生懸命に資料を収集し、韓国研究者の論文を見つけ出し、北朝鮮と台湾の関係が形成された時期の台湾外交を「第1期、柔軟な外交(1972~1987)」、「第2期、実用外交(1988~1999)」、そして「定型化(2000~現在)」に分け、両岸関係、中米関係、中韓関係と関連させながら、それぞれの時期にあった当該国間の外交、経済交流の事例に関する研究を紹介した。日本では前例をあまり見ない先駆的な研究であるかもしれない。討論は三村光弘・INAF理事・ERINA研究主任(北朝鮮専門家)が担当した。
第3報告は、アンドレイ・ベロフ・INAF理事・福井県立大学教授の「Economic Relations between Russia and Taiwan」であった。前述と同じ理由で、台湾はソ連やロシアと外交関係がなかったため、相互交流がほとんどなく、それに関する先行研究もほとんど見当たらない状況の中で、経済交流に関する資料を収集し、エネルギーや半導体の貿易が行われていることを明らかにしたので、これも先駆的な研究であるかもしれない。討論は筆者が務めた。
【Part2】のモデレーターは川口智彦理事が務め、2名の報告と討論が行われた。
第4報告は陳柏宇・INAF理事・新潟県立大学准教授の「東アジアにおける帝国構造とサバルタン・ステイト:台湾と韓国を中心に」であった。報告者はINAFセッションの中で唯一台湾出身の学者であり、東アジアの国際関係や国際政治を専門とし、台湾と中国の関係、台湾と日本の関係など多くの研究成果を発表している。本報告では「サバルタン」とは植民地化または他の形態の経済的、社会的、人種的、言語的または文化的支配によってもたらされる従属の状態であることを説明した上で、戦後の韓国と台湾(中華民国)は東アジアのサバルタン・ステイトの代表例だ、という指摘は印象に残った。討論は佐渡友哲・INAF理事が務めた。
最後の報告は筆者で、テーマは「半導体産業におけるグローバル・サプライ・チェーン再編―米中覇権争いと台湾―」にした。筆者は半導体産業の研究が専門ではないが、米中貿易摩擦および覇権争いが激しさを増す中、「半導体を制する者は21世紀を制する」と言われるので、それに関する資料を収集・分析して、半導体の開発・生産・販売を巡る米中台3者の関係を明らかにしようとした。討論は平川均理事長が務めた。
発表と討論の後に総合討論が行われ、白熱した議論が交わされた。台湾で開催されるアジア未来会議であるがために、INAFセッションでは台湾を重点的に取り上げて、興味深い報告や分析が行われていたことで、多数の参加者がオンラインで参加し、有意義な交流の舞台となった。
英語版はこちら
<李鋼哲(り・こうてつ)LI Kotetsu>
1985年北京の中央民族大学業後、大学院を経て北京の大学で教鞭を執る。91年来日、立教大学大学院経済学研究科博士課程単位修得済み中退後、2001年より東京財団、名古屋大学国際経済動態研究所、内閣府傘下総合研究開発機構(NIRA)を経て、06年11月より北陸大学で教鞭を執る。2020年10月1日に一般社団法人・東北亜未来構想研究所(INAF)を有志たちと共に創設し所長を務め、日中韓+朝露蒙など多言語能力を生かして、東北アジア地域に関する研究・交流活動に情熱を燃やしている。SGRA研究員および「構想アジア」チームの代表。近著に『アジア共同体の創成プロセス』、その他書籍・論文や新聞コラム・エッセイが多数ある。
2022年11月3日配信
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2022.09.21
第6回アジア未来会議は2022年8月27日(土)~29日(月)、ハイブリッド形式で実現しました。本来は2021年8月に台北市で開催する予定でしたが、新型コロナウイルスの世界的な流行により1年延期し、その代わりに同年8月26日に1日限りの「プレカンファランス」をオンラインで開催しました。それから1年。東アジアではまだパンデミックの収束の目途が立たない状況ですが、台湾の中国文化大学をメイン会場とし、海外からはオンラインで参加というハイブリッド形式で、多くの人が参加できる会議を実施することができました。
総合テーマは「アジアを創る、未来へ繋ぐ―みんなの問題、みんなで解決」です。2020年1月のマニラ会議の閉会式で、共催の中国文化大学の徐興慶学長(当時)が台湾での開催を宣言。同年2月には渥美財団の担当チームが訪台して会場や宿泊施設、宴会場を視察し、中国文化大学で最初の準備会議を開催しました。当時もほとんどの人がマスクを着用していましたが、その後台湾と日本の往来が全くできなくなり、しかも2年半以上も続くとは誰も予想できませんでした。
今回のアジア未来会議は全員が一堂に集まることはできませんでしたが、最新のオンライン会議技術を駆使して3日間にわたって実施され、基調講演とシンポジウム、3つの円卓会議と179篇の研究論文発表を行い、広範な領域における課題に取り組む国際的かつ学際的な議論が繰り広げられました。今、アジアや世界は大きく変化しています。このような時だからこそ「みんなの問題、みんなで解決」の必要性が強調されました。
8月27日(土)は台北市の中国文化大学の会場とハイブリッド形式で実施。午前は12の分科会で英語、日本語、または中国語による45篇の論文発表が行われました。分科会はZoom会議のブレイクアウトルーム機能を使い、会場の座長や発表者もオンライン会議に参加しました。午後2時(台湾時間)、中国文化大学と東京の渥美国際交流財団をつないで開会式が始まりました。会場参加者は220名、Zoomウェビナーへの参加者は324名でした。最初に明石康大会会長が第6回アジア未来会議の開会を宣言しました。続いて渥美国際交流財団の渥美直紀理事長が主催者として、中国文化大学の王淑音学長が共催者としてあいさつし、日本台湾交流協会台北事務所の泉裕泰代表と中国文化大学傑出校友会の黄良華会長から祝辞をいただきました。
次は、前中華民国副総統の陳建仁博士による基調講演「国際感染症と台湾―新型コロナウイルスとの共存かゼロコロナか?」(中英、中日同時通訳)でした。感染症対策の第一人者だけにパワフルなお話で「台湾の100万人当たりの累計感染者は世界最少で、同死亡者もニュージーランドに次ぎ2番目に少なく、2020年のGDP成長率3%超を維持できたという『成功の主役』は台湾の人々である」と強調しました。
シンポジウム「パンデミックを乗り越える国際協力―新たな国際協力モデルの提言」(中英、中日、英日同時通訳)では、中国文化大学の徐興慶先生がモデレーターを務め、国立台湾大学の孫效智先生、ソウル大学の金湘培先生、台北市立聯合病院の黄勝堅前総院長、日本の国立国際医療研究センターの大曲貴夫先生、中国文化大学の陳維斌先生が会場やオンラインで登壇され、それぞれ哲学、国際政治学、医学、公衆衛生学、国際交流の視点から分析し、国際的な協力によっていかにパンデミックを「みんなの問題、みんなで解決」していくか検討しました。
8月28日(日)と29日(月)には、円卓会議と分科会(研究論文発表)を行いました。円卓会議I「あなたは大丈夫―アジアにおけるメンタルヘルス、トラウマ、疲労」と円卓会議II「コミュニティとグローバル資本主義―It’s a small world after all」(いずれも英語)では、パンデミックだけでなく、自然災害や戦争によって現れたコミュニティのさまざまな課題、さらにはそれが人々の精神、感情に与えた影響についてアジア各国から報告があり、いかに対応していくかを議論しました。また、一般社団法人東北亞未来構想研究所(INAF)主催の「台湾と東北アジア諸国との関係」(日本語)セッションでは、東北アジア地域協力の視点から台湾に照準を合わせて、各国との国際政治・経済・文化などの関係について多面的に検討しました。
円卓会議と併行して34の分科会(参加登録者308名)を開催し、英語と日本語の134篇の論文の口頭発表が行われました。世界各地から2名の座長と4名の発表者がZoomのブレイクアウトルームにオンラインで参加し、研究報告と聴講者を交えた活発な議論が展開されました。アジア未来会議は国際的かつ学際的なアプローチを目指しており、各セッションは使用言語と発表者が投稿時に選んだ「環境」「教育」「言語」などのトピックに基づいて調整されました。
第6回アジア未来会議のプログラム
分科会ではセッションごとに座長の推薦により優秀発表が選ばれました。
優秀発表賞受賞者リスト
会議に先立って学術委員会が優秀論文を選考しました。1年間の開催延期があったため、3年間の間に優秀論文の選考を2回実施しました。1回目の選考についてはプレカンファランス報告をご覧ください。2回目の選考は2021年8月31日までに発表要旨、2022年3月31日までにフルペーパーがオンライン投稿された133篇の論文を12のグループに分け、各グループを6名の審査員が以下の7つの指針に沿って審査しました。 (1)会議テーマ「アジアを創る、未来へ繋ぐ―みんなの問題、みんなで解決」との関連性、 (2) 構成と読みやすさ、 (3) まとまりと説得力、 (4)オリジナリティ、 (5) 国際性、 (6) 学際性、 (7) 総合的なおすすめ度。投稿規定に反するものはマイナス点をつけました。各審査員はグループの中の9~10本の論文から2本を推薦し、集計の結果、上位18本を優秀論文と決定しました。
第6回アジア未来会議優秀論文リスト
優秀論文集『アジアの未来へ-私の提案-Vol.6B』は2023年3月に出版予定です。
また、台湾実行委員会による台湾特別優秀論文も同じプロセスで選考されました。
台湾特別優秀論文リスト
分科会セッションの後の閉会式もオンラインで実施されました。本会議の短い報告のあと、優秀発表賞が発表されました。最後に次回2024年に開催される第7回アジア未来会議のお誘いが開催地のバンコク市から呼びかけられました。
コロナ禍の第6回アジア未来会議の開催経緯については、プレカンファランス報告もご参照ください。
第6回アジア未来会議「アジアを創る、未来へ繋ぐ―みんなの問題、みんなで解決」は、(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)主催、中国文化大学の共催、(公財)日本台湾交流協会の後援、国家科学及び技術委員会と(公財) 高橋産業経済研究財団の助成、台湾大学日本研究センターと台中科技大学日本研究センターの協力、そして日本と台湾の組織や個人の方々からご協賛をいただきました。
主催・協力・賛助者リスト
運営にあたっては、中国文化大学を中心に台湾実行委員会が組織され、基調講演とシンポジウムを企画実施してくださいました。また台湾特別優秀論文賞を設けて台湾在住の研究者を特別支援しました。アジア未来会議全般の運営は、元渥美奨学生の皆さんが、優秀賞の選考、セッションの座長、技術サポート、翻訳や通訳等、さまざまな業務を担当してくださいました。とりわけ、台湾出身の方々は台湾実行委員会メンバーとして諸調整や翻訳等をお手伝いくださいました。
論文を投稿・発表してくださった200名のみなさん、会場またはオンラインでお集りくださった基調講演・シンポジウム500名、分科会300名の参加者のみなさん、開催のためにご支援くださったみなさん、さまざまな面でボランティアで協力してくださったみなさんのおかげで、第6回アジア未来会議を成功裡に実施することができましたことを心より感謝申し上げます。
第7回アジア未来会議は、2024年8月9日(金)から13日(火)まで、チュラロンコーン大学文学部東洋言語学科日本語講座の共催で、タイ王国バンコク市で開催します。皆様のご支援、ご協力、そして何よりもご参加をお待ちしています。
第6回アジア未来会議の写真(ハイライト)
第6回アジア未来会議フィードバック集計
基調講演とシンポジウムのフィードバック集計
第7回アジア未来会議論文募集のチラシ
<今西淳子(いまにし・じゅんこ)Junko_Imanishi>
学習院大学文学部卒。コロンビア大学人文科学大学院修士。1994年の設立時より(公財)渥美国際交流財団に常務理事として関わる。留学生の経済的支援だけでなく国際的かつ学際的研究者ネットワークの構築を目指し、2000年に「関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)」を設立。2013年より隔年でアジア未来会議を開催し実行委員長を務める。
2022年9月22日配信
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2022.07.26
本年8月末に台北市の中国文化大学で開催予定であった第6回アジア未来会議は、新型コロナウイルス感染の収束が見通せず、海外からの台湾入境が厳しく制限される状況が続いているため、ハイブリッド方式で実施いたします。台湾在住の方は、中国文化大学の会場で開催する開会式、基調講演、シンポジウム、懇親会に是非ご参加ください。その他の方はオンラインでご参加ください。日本語への同時通訳もあり、また、カメラもマイクもオフのウェビナー形式ですから、どなたでもお気軽にお聞きいただけます。
円卓会議と200本の論文発表が行われる分科会もオンラインで行われます。優秀論文賞の表彰式、優秀発表賞の選考も行います。円卓会議と論文発表のセッションはどなたでも聴講していただけます。皆様のご参加をお待ちしています。
《概要》
名称:第6回アジア未来会議
テーマ:「アジアを創る、未来へ繋ぐ-みんなの問題、みんなで解決」
会期:2022年8月27日(土)~ 29日(月)
開催方法:中国文化大学(台北市)会場及びオンラインによるハイブリッド方式
プログラムはここをご覧ください。
【開会式、基調講演、シンポジウム】
2022年8月27日(土)午後3時~6時30分(日本時間)
※言語:中英・中日同時通訳
1.開会式
開会宣言:明石康(アジア未来会議大会会長)
主催者挨拶:渥美直紀(渥美国際交流財団理事長)
共催者挨拶:王淑音(中国文化大学学長)
来賓祝辞:泉裕泰(日本台湾交流協会台北事務所代表)
来賓祝辞:黄良華(中国文化大学傑出校友会会長)
2.基調講演「国際感染症と台湾―新型コロナウイルスとの共存か戦いか」
講師:陳建仁(前中華民国副総統)
3.シンポジウム「パンデミックを乗り越える国際協力―新たな国際協力モデルの提言」
(台湾)孫效智(国立台湾大学学長特別補佐:生命教育学)
(韓国)金湘培(ソウル大学教授:国際政治学)
(台湾)黄勝堅(台北市立聯合病院前総院長:医学)
(日本)大曲貴夫(国立国際医療研究センター国立感染症センター長:公衆衛生学)
(台湾)陳維斌(中国文化大学国際部部長:都市工学)
4.優秀論文賞授賞式
5.懇親会(会場参加者のみ)
◇基調講演・シンポジウム参加申込
会場参加
オンライン参加
【円卓会議・セッション・分科会(論文発表)】
2022年8月27日(土)10:00~13:30(日本時間)
2022年8月28日(日)10:00~18:30(日本時間)
2022年8月29日(月)10:00~18:30(日本時間)
※言語:英語、日本語、または中国語
※オンライン(Zoom会議Breakout_Room機能利用)
1.円卓会議I:アジアにおけるメンタルヘルス、トラウマと疲労
「Are you okay? ―Discussion on mental health, trauma, and fatigue in Asia」
2022年8月28日(日)10:00~13:30
※言語:英語
2.円卓会議II:世界を東南アジアのレンズを通して観る
「Community and Global Capitalism ―It’s a Small World After All」
2022年8月29日(月)10:00~13:30
※言語:英語
3.INAFセッション
「台湾と東北アジア諸国との関係」
2022年8月28日(日)15:00~18:30(日本時間)
※言語:日本語
4.分科会/セッション(テーマ別論文発表と討論)
アジア未来会議は、学際性を核としており、グローバル化に伴う様々な課題を、科学技術の開発や経営分析だけでなく、環境、政治、教育、芸術、文化の課題も視野にいれた多面的な取り組みを奨励しています。200本の論文を言語とテーマによって46セッションに分け、ZoomのBreakout_Room機能を用いて分科会が行われます。
※言語:英語、日本語、または中国語
◇円卓会議・分科会聴講申込
円卓会議・分科会の聴講をご希望の方は、アジア未来会議オンラインシステムにてユーザー登録と参加登録をお願いします。発表要旨、論文、及びZoomのリンク情報はAFCオンラインシステムにて閲覧・ご確認いただけます。(登録・参加無料)
<お問い合わせ> アジア未来会議事務局
[email protected]
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2020.03.19
2020年1月、第5回アジア未来会議の円卓会議「東南アジア文化/宗教間の対話」がアラバン・ベルニューホテル(マニラ)とフィリピン大学ロスバニョス校を会場にして2日間にわたって行われた。テーマは「社会倫理とグローバル経済」。アジア経済が私の研究対象であり、発展途上経済、最近では新興経済と呼ばれる地域の経済発展に関心を持っていることもあり、円卓会議開催の趣旨説明を行った。そのため、特に円卓会議に参加する中で考えたこと、感じたことを述べることにしたい。
残念なことに私自身の語学力に加えて宗教や東南アジア社会に対する知識不足が加わり、その理解は限られている。そのため、会議の内容の紹介にはなっていない。これについては司会の労を取って下さった小川忠・跡見学園女子大学教授の報告で確認していただきたい。私自身も今後、記録が出された段階で、改めて経済学と宗教や社会倫理との関係について考えを深めたいと思う。
さて、本円卓会議を設けることの趣旨に関わって、私自身は、経済学が今日、発展途上社会に多大な影響を与えているにも拘らず、その社会への配慮が極めて不十分であると感じてきた。2001年のノーベル経済学賞の受賞者のジョセフ・スティグリッツ教授は、経済学を学ぶ学生の経済行動に関する公正の認識が一般の人々と掛け離れたものであることを、彼の同僚のシカゴ大学の経済学者リチャード・セーラー教授の経験を紹介する形で述べている。それによると、嵐の後に雪かき用シャベルの価格設定に関する調査で、値上げをアンフェアと考える回答が、一般の人々では82%であるのに対して、同大MBA受講生では24%に過ぎなかった。経済学の学生のフェアの認識は社会的なそれとは大きく異なっているのである。実際こうした事例は、現在進行中の新型コロナウイルス感染禍にあってマスクを高値販売する行為として身近で起こっている。スティグリッツ教授はまたアメリカ社会の所得格差の拡大で、富裕層と政治家の結託だけでなく経済学が一役買ってきたことを鋭く批判している。
経済学が社会問題に関心が薄い、あるいは利己的であるという問題提起に関しては、円卓会議の基調講演者であるバーナード・M・ヴィレガス・アジア太平洋大学副学長が言及した。ヴィレガス教授は経済学博士号を有する教育者として半世紀の経験に基づいて、経済学が過度の細分化と数量化を進めてきたこと、また経済学が経済現象の分析で数式の優雅さを競い、市場の自立性を強調し、正義や人間の社会的責任、そして国家の規制への配慮などを排除してきたことを客観的批判的に総括された。同時に、経済学は「社会科学」であるとして、フィリピンの貧困問題の解決のために諸科学の成果を採り入れて経済学教育を実践されてこられたことを説得的に述べられた。
フィリピンにおける貧困の女性化を扱われたフィリピンの聖スコラスティカ大学のシスター・メアリー・ジョン・マナンザン女史のご報告、タイにおける仏教の社会倫理認識とグローバリゼーションを報告された社会参画仏教ネットワークのソンブーン・チュンプランプリー氏の報告、そしてインドネシアにおけるイスラム運動の最新情報を報告されたシャリフ・ヒダヤツラ―州イスラム大学のジャムハリ・シスワント大学院長の報告は、いずれも東南アジアの宗教者の現在の課題を取り上げられた。
それらを聴きながら、私の知る経済学はそれらに真に応えられるのだろうかとの問いが浮かんでは消え、消えては浮かんだ。宗教者の社会活動は生身の人間を対象にしている。人々が様々な環境や条件の中で絶対的貧困や性差別を含む様々な差別と闘っていることに直接に関わっている。東南アジアの社会活動の多くが、貧困や性差別からの解放に向けられている。
考えてみるに、経済学は社会を明らかに異なる視点から捉えている。経済学は、複雑な社会関係を単純な抽象的市場のモデルで表し、その市場を通じて社会が「効率」を最大化できると捉える。ここでの市場は、理念と現実の区別を曖昧なままに社会を同一視している。その上、現在主流の経済学では、数学的モデルを通じて現実の社会が捉えられ、それ以外の社会科学は排除されている。もちろん経済学は現在大きく発展し、現実に近づくために様々なモデルが作られている。原理的なモデルは修正されている。
だが、こうした経済学が発展途上世界に適用されるとき、果たしてどうだろうか。開発の処方箋を書き上げる経済学者は発展途上社会に関する知識をほとんど持っておらず、そうして作られた処方箋が先進国や国際開発機関を通じて政策とされている。結局、そうしたモデルは単純な市場モデル、つまり原理的なモデルに依拠する政策でしかなかったと言えるだろう。政策が失敗する場合は、その原因は発展途上社会それ自体の中に求められてきた。1997年のアジア通貨危機への対応が好例である。
経済学では、あえて言えば経済と社会の区別はないように私には思える。経済のグローバル化の中で経済学は発展途上地域の開発に関わり、発展途上諸国に自由化、民営化を強制してきた。そのことで起こる様々な矛盾は弱者に押し付けられてきた。
話が少し飛躍するが、2008年のアメリカのサブプライムローン危機に発する世界金融危機、そして2017年のアメリカのトランプ大統領の誕生は、新自由主義経済学が推し進めてきた政策の失敗の帰結の面があるように思われる。また、成功するはずがないと思われた共産党政権下の中国が、驚異的な発展・成長を達成したことは痛烈な皮肉である。それは主流派経済学への現実社会の反撃と捉えられるのではないか。あらゆる社会にはルールが必要である。だが、過去半世紀の経済学はそれを規制と捉えることで社会のルールを壊し所得格差を拡大させ、社会的分断を深め、経済と社会を劣化させてきた。その付けがアメリカの外と内の両方における民主主義の危機なのではないか。
円卓会議で、私が経済学は抽象的な「モデル」を前提として厚生を考えていると発言した時、シスター・マナンザン女史が辟易とした表情を見せた。そのように私には感じられ、鋭く心に突き刺さった。
「経済学は科学である」という言葉も頭に浮かぶ。だが、社会科学としての経済学は抽象的モデルの現実社会への適用に関しては、自制的でなければならないし、諸科学との協力・協調の中で政策が作りだされなければならないのではないか。経済学がどれだけ学問的な優位性を主張しても、それだけでは独断であり傲慢でしかない。国際開発、貧困開発では自制的態度が、今まで以上に切実なものとして求められているのではないか。
経済学は確かに部分的、局所的分析、政策では有効性を持つ。それは間違いない。しかし、発展途上社会に適用しようとする時には、とりわけ慎重さ、自制が求められる。アジア通貨危機の頃だったと思うが、経済学者が発展途上国の歴史や社会を学ぶことは政策決定で判断を曇らせると、かつてある著名なアメリカの経済学者が語ったとの逸話を思い出す。経済学は現在、発展途上経済の開発に大きな影響力を持つ。経済学を学ぶ者は社会や歴史について真剣に学ぶ必要がある。2日間の円卓会議の場に身を置いて、社会との関係について考えさせられた。今後も両者の関係と持続可能な共有型成長について考えていきたいと思う。
最後に、このような円卓会議の開催は、私には経済学と宗教を考える貴重な契機となった。基調講演をお引き受け下さったビリエガス教授はじめ、報告者と参加者の皆様、開催と運営にあたって司会の小川忠教授、ランジャナ・ムコパティヤヤ博士、プロジェクトコーディネーターのブレンダ・テネグラ博士、フェルデイナンド・C・マキト博士、そして私の通訳もしてくれたソンヤ・デール博士ほか関係者すべての皆様に感謝を申し上げたい。
英語版はこちら
<平川均(ひらかわひとし)HIRAKAWA_Hitoshi>
京都大学博士(経済学)。東京経済大学等を経て、名古屋大学大学院経済学研究科教授/同国際経済動態センター長を歴任。現在、名古屋大学名誉教授、浙江越秀外国語学院特任教授、国士舘大学客員教授。渥美国際交流財団理事。主要著書に、平川均・石川幸一ほか共編『一帯一路の政治経済学』文眞堂、2019年、「グローバリゼーションと後退する民主化―アジア新興国に注目して」山本博史編『アジアにおける民主主義と経済発展』文眞堂、2019年、ほか。
※円卓会議『東南アジア文化/宗教間の対話』の報告は下記もご覧ください。
◇小川忠「経済学と宗教実践―壁を乗り越える試み」
2020年3月19日配信
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2020.03.12
第5回アジア未来会議の円卓討議B「東南アジア文化/宗教間の対話」の表題は「宗教は市場経済の暴虐を止められるか」というものだった。いささか粗削りなテーマ設定ではある。今日の世界が置かれている政治状況は、この一文で表現できるほど単純なものではない。それでも国際協調の精神が危機に瀕している今だからこそ、経済学、政治学、文化人類学、宗教学という専門の垣根を越えて集まり、世界が抱えている問題について議論することが必要である。そして行動が必要である。
まさに単刀直入に、会議冒頭で名古屋大学の平川均名誉教授が、そういう問題提起を行った。東南アジアは数十年わたり驚異的な経済発展を遂げ、貧困を削減し膨大な中間層を創出してきた。しかし強い光は、深い闇をも生む。こうした発展は、グローバル資本主義に一層組み込まれることを意味し、経済成長の果実を享受できる者と享受できない者との格差を拡げ、深刻な環境破壊をもたらした。
「グローバル資本主義が行き詰まりを見せるなか、明日を切り開くカギが過去に隠れているのではないか」「もう一度、アジア各地で息づいてきた宗教、伝統文化のなかに、新たな経済のかたちを考えるヒントがあるのではないか」「タコつぼ化した専門分野の壁を乗り越え、全体知の復権を構想しよう」と平川氏は参加者に呼びかけた。経済学の権威が、今日の経済学の限界をこれだけ率直に語るのは衝撃的であり、その誠実な問いかけは、各参加者の胸に深く届いたと確信する。
平川氏に続いて、基調講演を行ったのはフィリピン歴代大統領の経済顧問を務めてきたフィリピンを代表する経済学者、アジア太平洋大学のバーナード・ヴィレガス教授である。ヴィレガス氏は、国際間の貧富格差、そして一国内で広がる貧富格差、公職にあるものの汚職、ビジネスリーダーたちの社会貢献意識の低さを問題視した。政財界の指導者たちが、人々の公益をかえりみることなく、利潤を追求するのみでは社会的紐帯は成り立たないことを指摘した。他方、消費者も、自分の消費行動が地球環境にどのような影響を及ぼしているのかを考える想像力をもつべきと訴えた。
つまり健全な経済には社会倫理が不可欠であり、そうした社会倫理の土台となるのが、宗教や文化的価値観なのである。ヴィレガス氏の講演を聴いて思い浮かんだのは、渋沢栄一の道徳経済合一論である。
今から100年ほど前に、日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は著書『論語と算盤』のなかで、利益は独占するものではなく、社会に還元すべきものであると説き、「富を為す根源は仁義道徳」と論じていた。あらためて『論語と算盤』をアジアの人々と一緒に読み直し、語り合いたいと感じた。
経済学の限界、新自由主義経済の閉塞状況に関する、平川・ヴィレガス両経済専門家の問題提起を受けるかたちで、世界の三大宗教(仏教、イスラム教、キリスト教)を基盤に社会的に行動し続けている知識人3人が、それぞれの立場からの発表を行った。
最初のプレゼンテーションは、フィリピンのシスター・メアリー・マナンザンである。彼女はマニラのベネディクト派女子修道院の院長にして、フェミニスト市民活動家でもある。シスターは「女性の貧困」に焦点をあて、フィリピンにおける女性の貧困の原因として、不平等な利益分配、土地と資本所有の不平等、外国資本の経済支配等をあげ、男性以上に女性のほうが、寿命・健康・教育・生活水準・政治参加等の面で抑圧的環境に置かれていることを指摘した。そのうえで、伝統的な教会の家父長的・西洋優越主義的イデオロギーが女性に屈従を強いてきた、と既存の教会のあり方を手厳しく批判した。そのうえで、女性の置かれている状況を変えていくためには、経済的な支援のみならず、ジェンダー平等の観点から女性を精神的に解放し、自己肯定感を持たせていくことが大切で、そこに宗教が果たすべき役割があるという。
次に発表したのは、タイの仏教に根差した平和・人権市民活動家のソンブン・チュンプランプリー氏である。仏教NGO「関与する仏教(社会参加仏教)」国際ネットワークの専務理事を務め、タイ、ラオス、カンボジア、ミャンマーでの草の根市民運動を組織している。
21世紀に入ってタイの政治は、タクシン派と反タクシン派の対立が民主主義を機能不全に陥らせ、軍政支配の復活を招きいれてしまった。分断はタイ国民の多くが信仰する仏教にまで及んでいる。仏教は、本来は暴力を戒める平和な宗教とみられているが、仏敵を倒すためには暴力行使も是とする過激僧がアジアの仏教界に現れ、物議をかもしている。
ソンブン氏は、ブッダが説いた「中道」の教えに立ち返り、過激を排し、貪欲と憎悪を捨て去ることが、現代の仏教徒に求められていると述べた。市場経済の暴走をくいとめる知恵もブッダが説いた価値のなかにあり、それは自立、自分と社会との調和、小規模な自給生活、自然との共生、瞑想、我執の消滅といったものである。「関与する仏教(社会参加仏教)」とは、このような価値に基づいて、人権抑圧、経済搾取、自然破壊に異議を唱え、人間の苦の根本にある強欲、敵意、無知に向き合うことを目指す実践的な仏教のあり方を指す。
ソンブン氏らの「関与する仏教(社会参加仏教)」は、今日の世界が置かれている状況に照らした仏教教義の創造的解釈といえよう。
インドネシア国立イスラム大学ジャカルタ校のジャムハリ副学長は、世界最大のイスラム教徒人口を擁する多宗教国家インドネシアにおいて、多数派のイスラム教徒が次第に少数派への寛容性を失い、少数派へのハラスメントを増大させている状況に警鐘を鳴らす報告を行った。同大学付属機関「イスラムと社会研究センター」が2017年に全国2000人を超える高校生・大学生・教員を対象に行った調査によれば、回答者の34%が少数派宗教への差別を是とし、23%が自爆テロを聖戦(ジハード)として許容すると答えたという。
インドネシアは21世紀半ばから高い経済成長率を維持し、今や国民の半数以上が中間層となった。中間層の拡大とともに、学歴社会化、デジタル社会化も進んでいる。先のアンケートに答えた高校生、大学生はインドネシア経済の躍進が生んだ新中間層の申し子ともいうべき存在である。都市部の、高学歴の中間層の若者が、なぜ他者への寛容性を失い、一部過激化するのか。これは、インドネシアだけでなく先進国の民主主義も、同じ問題に直面している。
ジャムハリ氏は、その理由の一つとして、経済発展とグローバリゼーションの加速化による伝統的な地縁・血縁社会の弱体化、共同体から放り出され厳しい競争にさらされている個人のアイデンティティー不安の問題を挙げた。
翌日、私がモデレーターをつとめた分科会セッションでは、宗教・倫理と経済の調和を図る試み、ケーススタディー報告を参加者にお願いした。前述したタイのソンブン氏は、仏教内部の寛容派と非寛容派の亀裂が深刻化するなかで、仏教内部の対話の重要性を指摘し、非寛容派仏教リーダーとの対話例を紹介してくれた。
フィリピン大学ロス・バニョス校で農業・応用経済を教えるジーニィ・ラピナ助教授はリベリア、ブルンジ、スーダンでUNDPの農村開発プロジェクトに携わってきた実践経験をもつ。彼によれば、農村開発において、その土地の文化・宗教を考慮に入れる必要があり、部族ごとのアイデンティティーに細分化され、時にそれが反目しあうなかで、対峙する共同体が共に利益を分かちあう共通インフラを作ることが、敵対意識軽減に効果的であると説明した。
インドネシア国立イスラム大学ジャカルタ校教員で歴史研究者アムリア・ファウジアは、社会的弱者への短期的な救援・支援を指す慈善(チャリティー)と長期的な自立を促すフィランソロピーの違いを論じ、インドネシア・イスラームには慈善とフィランソロピー両方の伝統が存在することを説明した。彼女によれば、インドネシア・イスラームにおいて活発なフィランソロピー活動が行われており、それが社会のセーフティ・ネットになっているという。一例として、私有財産を放棄し公益に資するためにモスク等に寄進し基金とする「ワクフ」と呼ばれる、欧米の財団制度に似たイスラム公益制度がある。アムリア氏は、インドネシアのワクフの全体像を描いた優れた論文を発表している。
最後に印象に残ったコメントを書きとめておきたい。冷戦時代、半世紀に渡り共産主義と戦ってきた、資本主義の牙城アメリカにおいて、近年共産主義・社会主義になびく若者が増えているという。「共産主義は死んだのか」とベレガス教授に聞いてみた。彼の答えは、「経済理論としての共産主義の命脈は尽きた。しかし社会的弱者への視線、公平・公正な利益分配というイデオロギーとしての共産主義は、依然として顧みる価値がある。」
共産主義は宗教を否定するといわれるが、階級のない平等な世界というユートピアを設定する共産主義は、それ自体が宗教的でもある。「人はパンのみにて生きるにあらず。」極度に数式化、理論化した経済学が行き詰まりを見せるなかで、宗教の復権現象が世界中で起きているのは、別個の現象に見えて、地下水脈のようにつながっているような気がする。
円卓会議の写真
<小川 忠(おがわ・ただし)OGAWA_Tadashi>
2012年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士。1982年から2017年まで35年間、国際交流基金に勤務し、ニューデリー事務所長、東南アジア総局長(ジャカルタ)、企画部長などを歴任。2017年4月から跡見学園女子大学文学部教授。専門は国際文化交流論、アジア地域研究。
主な著作に『ヒンドゥー・ナショナリズムの台頭 軋むインド』(NTT出版)2000、『原理主義とは何か 米国、中東から日本まで』(講談社現代新書)2003、『テロと救済の原理主義』(新潮選書)2007、『インドネシア・イスラーム大国の変貌』(新潮選書)2016等。
2020年3月12日配信