SGRAスタディツアー

  • エッセイ540:ジャクファル・イドルス「飯舘村からインドネシアの原発問題を考える:2015年秋のSGRAスタディツアーに参加して」

      私はジャワ島中部の北部海岸に面したジュパラという小さな港町で、高校まで平穏に育った。しかし、2000年に入った頃、政府が突然ジュパラ近郊にインドネシアで最初の原子力発電所の建設計画を発表したため、この静かな町はその賛否を巡って住民の間で激しい対立が生じることとなった。私も自然な流れで原発問題に関心を抱くようになっていた。その結果、私の日本留学の当初の目的は、原発が立地された地域住民の意識について調査を行うことにあった。   私が来日を果して間もなく、新潟中越沖地震が発生し、柏崎刈羽原子力発電所にかなり大きな被害がもたらされたと聞いた。私は自らの貧乏な生活を無視して妻を説得し、柏崎刈羽原発とその周辺地域の現地調査に向かった。   現地調査で出した私の結論は大きくまとめると次の2点であった。   第1に、さすが日本の原子力発電所は、世界一といわれる高い技術と安全性に守られて、これだけ大きな地震が起きてもその危険性は制御でき、深刻な被害には至らなかったということである。説明役の技術者は全く原発についての知識がないインドネシア人留学生に解り易い日本語で、驚く程親切な対応をしてくれた。そのため、今迄以上に「さすが日本だ」と日本の科学技術への信頼が高まったのである。   第2は、柏崎という小さな町の風景に驚かされたことである。柏崎は小さな地方の町にもかかわらず、あちらこちらに立派な学校、病院、市民会館、ホテル等が立ち並び、道路等インフラも整っていた。立派なスーパーマーケットに陳列された商品の値段が、当時私が住んでいた東京の町田よりもかなり安いのに驚かされた。これは、「電源三法交付金」という原発の立地に伴う仕組みによって実現したものである。ジュパラ住民がこの現実を知れば、私の故郷での原発を巡る激しい対立は一挙に解決するように私には思えた。もちろん、交付金のかなりの額は賄賂となって消えていくのであるが。   2011年3月11日、東北地方に発生した大地震により、福島第1原子力発電所で発生したメルトダウンによる原発事故が発生した。この事故から4年が経って、ようやく私に計画避難区域に指定された飯舘村の状況を視察する機会が訪れた。この村は福島原発から30キロメートル離れたところに位置しており、避難区域とされた20キロメートルの圏外にあった。この村の人口は約6000人で、日本でもっとも美しい100村のひとつであった。しかし、現在(注)、この村は「帰宅は許されるが、宿泊は禁止される」という村全体が絶滅状態に置かれている。   (注)2015年当時。飯舘村に対する「避難指示」は、2017年3月31日に解除され、4月から村民の帰還が始まっている。)   私自身、飯舘村の現状を直接眼で見て大きなショックを受けた。原発事故の恐ろしさを実感させられた。一体この問題の解決に今後何十年必要とするのか。誰もその見通しをつけることができない。先祖伝来の土地を奪われ、家族は離れ離れになり、村の人々にどんな新しい人生が待っているのだろうか。それは決して補償金で償えるものではない。原発に対する私の甘い考えは飯舘村の見学によって根底から吹き飛んだのである。 実は、原発ではないが、インドネシアでも似たような悲惨な出来事があった。   それはジャワ島最東部東ジャワ州にある第二の大都会スラバヤ市から南に25キロメートル離れているシドアルジョ県で起きた泥火山による熱泥などの噴出事故、いわゆるシドアルジョ泥噴出事故である。この事故の発端は、2006年5月29日、東ジャワ州シドアルジョ県ポロン郡レノクノゴ村でラピンド社が運営するブランタス鉱区のバンジャル・パンジ天然ガス田の掘削の失敗によって水蒸気噴出が起きたことだった。当初は、バンジャル・パンジ田近くの沼地から水蒸気が吹き出ただけだったが、突然、水蒸気とともに摂氏50度にも及ぶ熱い泥が噴出し、巨大な噴水のような泥は高さ8メートルにまで達した。その後噴出した泥の量は増え続け、毎日およそ1億2,600万平方メートルに上り、あっという間に広い範囲の地域に拡大していった。   発生から9年たった2015年現在、泥噴出は止まる気配さえない。具体的な被害状況は、3つの郡にまたがる12の村が壊滅的状態にある。この事故によりシドアルジョ県ポロン郡にあった10,426戸の住宅が全壊し、住居を失い、失業し、避難生活を続けている住民は 6万人に達している。   このような状況の下、インドネシア政府の避難住民に対する対応政策が何も行われないことに対して、故郷を奪われた村民たちは「自分たちは見捨てられた」と感じている。そして政府に対して強い批判と反発を生んでいるが補償は今なお困難である。   このような現状があったにもかかわらず、近年インドネシアでは原子力発電所の建設に関わる動きが再び活発になってきた。しかし、原子力に関する知識の不足、公共施設に対する管理能力の無さ、国家責任に対する無自覚などなど、インドネシアでは技術的な視点だけでなく、社会的・政治的な視点からも原子力発電所を建設するための環境条件は全く整っていない。万一事故が起こったら、政府は「国民を守れる」と自信を持って言えるのか、これらの問に答えを出せる者はインドネシアには誰もいない。   高度な安全性で、優秀な原子力の専門家や技術者が多い日本においてでさえ、福島原発事故を終わらせる道が未だ見えていない。「インドネシアの国民の発展のため」と考えるなら、原子力発電建設の計画は見直すべきところか、むしろ原子力発電所は不要であり、建設すべきではないといえる。   <M.ジャクファル・イドルス M. Jakfar Idrus> 2014年度渥美奨学生。インドネシア出身。ガジャマダ大学文学部日本語学科卒業。国士舘大学大学院政治学研究科に在籍し「国民国家形成における博覧会とその役割:西欧、日本、およびインドネシアを中心として」をテーマに博士論文執筆中。同大学21世紀アジア学部非常勤講師、アジア・日本研究センター客員研究員。研究領域はインドネシアを中心にアジア地域の政治と文化     2017年7月20日配信  
  • 第6回ふくしまスタディツアー「『帰還』-新しい村づくりが始まる」へのお誘い

    関口グローバル研究会(SGRA)では昨年に引き続き、福島県飯舘(いいたて)村スタディツアーを下記の通り行います。 参加ご希望の方は、SGRA事務局へご連絡ください。   SGRAでは2012年から毎年、福島第一原発事故の被災地である福島県飯舘村でのスタディツアーを行ってきました。   そのスタディツアーでの体験や考察をもとにしてSGRAワークショップ、SGRAフォーラム、SGRAカフェなど、さまざまな催しを展開してきました。今年も第6回目の「SGRAふくしまスタディツアー」を行います。ぜひ、ご参加ください。   日 程:          2017年9月15日(金)、16日(土)、17日(日) 人 数:           10人程度 宿 泊:           「ふくしま再生の会-霊山(りょうぜん)センター」 参加費:           一般参加者は新幹線往復費用+1万2千円 (ラクーン会会員には補助が出ます) 申込み締切:       8月31日(木) 申込み・問合せ: SGRA事務局 角田 E-mail:  tsunodaaisf@gmail.com  Tel:  03-3943-7612   プログラム・詳細
  • 全相律「第5回SGRAふくしまスタディツアー『飯舘村、帰還に挑む』報告」

    渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA・セグラ)では、2012年秋から毎年、福島原発事故の被災地である福島県飯舘(いいたて)村へスタディツアーを行っています。今年も、5月13日(金)から15日(日)の3日間、SGRAふくしまスタディツアー《飯舘村、帰還に挑む》を実施しました。   「SGRAふくしまスタディツアー」は、今年で5回目。参加者は渥美財団のラクーンメンバー、留学生、大学教授や社会人など10名でした。国籍はアメリカ、イタリア、カナダ、韓国、スウェーデン、日本でまさに「SGRAならでは」の多様な国からのメンバーが参加しました。   一日目の13日の朝、9時24分発の東北新幹線(やまびこ113号)で福島に向かった私たちは、「福島市の再生エネルギービル」を訪れました。このビルには、毎年受入れをお願いしている「ふくしま再生の会」の他に、飯舘電力、会津電力、「いいたてまでいの会」などの団体が入っており、互いに交流・協力しながら運営しているとの説明を受けました。その後、福島市内にある松川第一仮設住宅を訪れ、木幡一郎さん(会長)から「仮設住宅での生活」や「帰還に対する不安」について話を伺いました。説明を伺った後は、仮設住宅の敷地内にあるラーメン屋「中華琥珀」で昼食を食べて(琥珀ラーメン、とても美味しかったです)、この日の最後の見学地である飯舘村役場飯野出張所を訪問しました。そこで門馬伸市副村長から2017年3月(予定)からの帰村計画についてお話を伺いました。初日の飯舘村内の見学を終えた私たちは、ふくしま再生の会の活動拠点である霊山センターに到着し、夜は参加者たちが作る各国の手作り料理を食べながら親交を深めました。   二日目。午前中はふくしま再生の会の副理事長(福島代表)である菅野宗夫さんのお宅を訪問し、田んぼの「電気柵」作業をしました。午後はNPOプラチナギルドの会と合流し、村内を視察しました。まず、比曽の菅野啓一さん宅を訪問し、事故後の経緯や現状などを説明してもらいました。その後、家の裏手に回りイグネ(屋敷林)の除染や実験小屋の取り組みについても説明を受けました。飯舘村の森林は除染の対象から外されていますが、森林、樹木はどのくらい汚染されているのか、除染はどうしたら可能なのか、などの答えを出すための実験です。話を聞くだけで、その複雑さ、難しさが伝わってきます。   その後、立ち入り禁止区域である長泥のゲートや村役場、測定専用車の車庫も見学して回りました。夜は霊山センターの食堂で、村の方や東玉野地区の方なども参加された「大交流会(60名ほど)」が開かれました。かしこまった挨拶は抜きで、それぞれが自由に楽しく言葉を交わし、新たな人の輪ができました。とても楽しかったです。   三日目。最終日の午前、小宮の大久保金一さんのお宅を訪ねた私たちは「ふくしま再生の会」の東京大学大学院農学生命科学研究科教授の溝口勝先生の説明を伺いながら、小宮の試験田で除染を兼ねた代かきをしました。トラクターで代かきをした後に続きテニスコートブラシで排水し、これを繰り返しました。こうした作業により、田んぼの除染がどの程度可能になるのか、科学的な理論と、新しいアイディアと、経験をもとにした地道な実験が続きます。   その後、菅野宗夫さんのお宅に戻り、昼食のおにぎりを食べながら、宗夫さんのお話を伺いました。そして、参加されたメンバーそれぞれが感じたスタディツアーの感想も語り合いました。   出発の前に一番気になっていた放射線数値は、私たちが主に生活や活動をしていた霊山センター、菅野宗夫さんのお宅と田んぼ、小宮の試験田などで0.1~0.3マイクロシーベルト(μSv)程度。最終日に飯館村を発つ時の個人測定器の数値は10~13マイクロシーベルト(μSv)でした。   今回のスタディツアーは私にとってまさに「見て、知って、考える」の旅でした。これから宗夫さんの言葉通り「自分が見て体験した被災地のことを忘れず、今自分にできることを考えながら、(段々その関心が薄れていく)福島のことをなるべく大勢の人に伝えていきたい」と思っています。今後リピーターとして飯館村を訪ねる際は、今の「(帰還に対する)不安や恐怖」が「希望や笑顔」に変わっていることを期待しています。     英訳版はこちら   <全相律(ジョン・サンユル)Sangryul JEON> 渥美国際交流財団2016年度奨学生。韓国外国語大学大学院で日本語学を専攻。2009年4月文部科学省研究留学生として来日。東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻修士課程を経て現在博士後期課程在学中。専門は言語の普遍性と多様性に基づく日本語学・日韓対照言語学の研究。 ----------------------   ● スタディツアーの写真   参加者の感想文を下記リンクからお読みください。   ● リンジー・モリソン 「忘れ難きふるさと飯舘村に寄せて」   ● 宮里かをり「見て、聞いて、知って、感じて、考えた3日間」   ● 李 志炯(イ・ジヒョン)「新たなライフスタイルを目指して」   ● マックシム・ポレリ「<知る>と<分かる>」   ----------------------   2016年6月23日配信
  • 第5回ふくしまスタディツアー「帰還に挑む :何ができるのか、何を目指すのか」へのお誘い

    関口グローバル研究会(SGRA)では昨年に引き続き、福島県飯舘(いいたて)村スタディツアーを下記の通り行います。 参加ご希望の方は、SGRA事務局へご連絡ください。 SGRAでは2012年から毎年、福島第一原発事故の被災地である福島県飯舘村でのスタディツアーを行ってきました。そのスタディツアーでの体験や考察をもとにしてSGRAワークショップ、SGRAフォーラム、SGRAカフェなど、さまざまな催しを展開してきました。今年も第5回目の「SGRAふくしまスタディツアー」を行います。ぜひ、ご参加ください。 日 程:         2016年5月13日(金)、14日(土)、15日(日)人 数:           10人程度宿 泊:           「ふくしま再生の会-霊山(りょうぜん)センター」参加費:           一般参加者は新幹線往復費用+1万2千円                (ラクーン会会員には補助が出ます)申込み締切:        4月30日(土)申込み・問合せ:    SGRA事務局 角田E-mail:  tsunodaaisf@gmail.com  Tel:  03-3943-7612 プログラム・詳細  
  • 催事案内:講演会「ふくしま再生に向けて」

    催事案内:講演会「ふくしま再生に向けて」   毎年、SGRAふくしまスタディツアーでお世話になっている、菅野宗夫さんと佐藤聡太さんの講演会です。今年のスタディツアーに参加した、早稲田大学の小林敦子先生が企画されました。ふるってご参加ください。   ◆「生きがいを求め 次世代に何を残す―原発事故の教訓を世界へ―」   福島と言えば放射能汚染。これが多くの人が抱くイメージではないでしょうか? しかし、福島県飯舘村では、農民自身による再生への取り組みが、力強く始まっています。 この講演会では、帰還と再生に向けて動き始めた菅野宗夫さんと、次世代を担う佐藤聡太さんをお迎えして、現地の方々の声に耳を傾けたいと思います。   講師: 菅野宗夫(「ふくしま再生の会」、福島県飯舘村農民) コメンテーター:佐藤聡太(東京大学大学院農学生命科学研究院、福島県飯舘村出身)   日時:2015年11月16日(月) 18時15分~20時15分   会場:早稲田大学早稲田キャンパス 14号館406号室 http://www.waseda.jp/top/assets/uploads/2015/08/waseda-campus-map.pdf   参加費:無料(直接ご来場ください)   問い合わせ:早稲田大学教育学部小林敦子ゼミ atsuko.seminar2015@gmail.com   小林先生「ふくしま講演会」チラシ
  • 第4回SGRAふくしまスタディツアー「飯舘村、再生のジレンマを乗り越えて」報告

    渥美国際交流財団SGRAでは、2012年秋から毎年、福島原発事故の被災地である福島県飯舘(いいたて)村でのスタディツアーを行ってきました。そして、一連のスタディツアーでの体験や考察をもとにしてSGRAフォーラムやSGRAカフェ、そして「アジア未来会議」での写真展示やセッションなど、さまざまな催しを展開してきました。   今年も、<飯舘村、帰還を前にして>をテーマとして10月2日(金)から4日(日)まで、飯舘村の視察、見学と協働作業体験としての「稲刈り」を中心とした4回目のスタディツアーを行いました。 参加者は渥美財団の仲間、そして早稲田大学の小林敦子先生、大阪大学の4回生宮野原勇斗君を含めた9名。受入は、毎年お世話になっている「ふくしま再生の会」にお願いしました。   参加者の内、ソンヤさんは3回目、李鋼哲さん、ジャクファルさん、金銀恵さんは2回目。このように、年ごとの移り変わりを知るために訪れるリピーターとの再会に、地元の方々の喜びもひとしおでした。 飯舘村のアチコチが除染土のピラミッドで覆われる様に心を痛める一方で、2017年3月の帰還を前にして、「次世代、次々世代のために」村の農業や酪農の再生に力を注ごうとする方々の意欲と切実な思いが感じられるツアーでした。 (渥美財団事務局長 角田英一) ふくしまツアー2015時系列データ ふくしまツアーの写真   ◇エッセイ 金 銀惠「飯舘村、再生のジレンマを乗り越えて」  
  • エッセイ472:金 銀惠「飯舘村、再生のジレンマを乗り越えて」

    1.日本研究者として福島にどう向き合うべきか。   震災から4年半、SGRAふくしまスタディツアーも4回目になりました。   私は、2011年の渥美奨学生として、東北大震災以降の、日本国内外での大混乱を生々しく経験しました。それは、一生忘れられない経験でした。その年、「石巻の炊き出し」にも参加して、震災地の住民たちの力になりたいという気持ちも少しは晴れました。一方で「福島原発事故」には、如何なる形で向き合うべきかと悩みましたが、その頃は、直後の事故収束で緊迫していて、「再生」は、まだ私の心には響かない言葉でした。   私は、帰国して博士号を取得した後、「グローバリゼーション時代の東アジア都市の危機と転換」というテーマの研究チームで、共存とサステナビリティが可能な東アジアの都市を模索しています。勿論、他の日本研究にも関りながら、原発が生み出す「危険景観(Riskscape)」を巡る北東アジア(日本・中国・台湾・韓国)での対応や変化を分析しています。特に、私は、「福島原発事故以後、日本市民社会の変化と模索」の研究に集中しています。   2.2014年冬、 パイロットスタディ   私は、去年(2014年)12月に、初めて飯舘村を訪ねました。それまでも「福島の対応」に関心を持ちながら、マスコミ報道や資料を読み続けていました。だが、自分が現地で目の当たりにしたフレコンバックのピラミッドは、言葉に尽くせない凄まじい光景でした。2日間の訪問の中で「ふくしま再生の会」の田尾陽一さんが、最初の飯舘村民との出会いから、NPO法人に至るまでの経緯を詳しく説明してくれ、菅野宗夫さんは、事故直後の混乱から抜け出して、再生に向かう決意を語ってくれました。   何よりも私にとって印象的だったのは「科学技術への信頼回復」のために、被災した農民とボランティアと科学者が共同作業をする姿勢でした。   「反原発・脱原発」という言葉をよく使いますが、実際、現場で住民と手を組んで、一歩ずつ踏み出す団体は数少ないのが現実です。目に見えない放射能だからこそ、科学技術との連携が必ず必要です。その点で「ふくしま再生の会」は、世界最先端の科学技術者の集まりではないかと思いました。   その夜の交流会では、工学と農学・林学の研究者、そしてボランティアの方々が一緒に、原発事故の原因、事故収束などについて、激論が続きました。人災に近い原発事故。そこから立ち上がるため、農民の知恵と多様な専門の融合の中から生まれ出たアイディアを少しずつ実験して、そのプロセスや結果を世界に発信するという考えに、私も共感しました。特に、「農学(農業)の力で福島を再生したい」という熱い思いに感動し、自然の再生を生かす科学こそが、人を生かす学問になると思いました。雪が積もった寒い朝、管野さんの奥さんの千恵子さんから暖かい靴下を貰って、明大農学部が設置した「ビニールハウスでの作業」を手伝いしなら、「農学に才能がある」と褒められて、再生のための実験に少しでも力になりたいと思いました。   3.2015年秋、再参加と協働作業   今回のスタディツアーには、渥美財団の仲間や関係者など国籍や分野、性別も世代も多様なメンバー達と共に参加しました。ツアーの2週間前に「豪雨のニュース」を聞いて本当に心配でした。「再生の会」からのメールでは、「再生の会」の拠点である菅野宗夫さんのお宅の周りの道路は破壊され、実験用ビニールハウスから収穫前の田んぼまでが被害を受けたことも伝えられました。実際、行ってみたら、道路やビニールハウスは復旧されていましたが、力を注いだ田んぼの1/5位の稲は、降雨で倒れてしまっていました。   2日目の協働作業体験は、その倒れた稲を起しながらの稲刈り作業と収穫の祭でした。   慣れない農作業の途中、周りで落穂拾いをしている二人に出会いました。将来飯舘村長の夢を持つ若い世代の代表、佐藤聡太君は、不安や期待が交差しながらも、飯舘村の再生に熱い抱負を語ってくれました。もう一人は、千葉からのボランティアの方で、今回が2年目の「稲刈りへの参加」で、落穂をお宅に飾って「福島の再生」を祈念していると話してくれました。   正直、昨年初めて参加した時には、「再生」という言葉自体に大きな疑問もありましたが、今回は「再生の力は、人の力だ」と強く感じました。   「イネ(畑作)試験栽培」の田んぼの稲刈り作業の中で、「コオロギ、ミミズ、オケラ、お腹が赤いイモリ」まで生きていて、「こんなに多様な生き物の居場所でもあった」と日本語の名前や子供の頃の思い出なども話し合いました。「生命の居場所としての土地」を再生することが、本当の再生の第一歩だと再確認した瞬間でした。しかし、向こうの田んぼにはびこる雑草を除去する作業からは、一日中凄い音が聞こえていました。骨の折れる除染作業、私が出会った政府から派遣されている作業員も、みんな若者でした。こうした厳しい労働を「再生の喜び」と結び付ける政策は本当にないのかと思いました。   4. 厳しい現状を乗り越えて   しかし、「再生の念願」を無駄にしないためにも、幾つかの矛盾を考えたいと思います。 まず、直接に測ってみても「放射線量」はまだまだ高くて、場所や条件別に相当の差があり、その実態を乗り越える除染方法を政策に転換する制度改革が切実に求められているのです。東京に戻る新幹線の中ではTPPの交渉で、日本の都市消費者は、海外から安い食糧を輸入出来ることに喜んでいるというニュースが流れていました。   日本政府の無理な帰還政策だけではなく、厳しい現状に囲まれた「福島農業と住民に本当に役に立つ帰還政策の中身は何か」、「帰還した他の地域の問題(高齢者中心、訴訟など)と、飯舘村の帰還は、どのくらいの差別性をみせるのか」などを議論する必要があると思います。   最後に、国土面積に比べて世界で一番密集した「韓国の原発」、30km圏域だけで300万以上の人口が住んでいることを思い出しました。現在の日本が原発事故以降直面した厳しい現実から、挑戦しつつある科学的・社会的な実験をどのように活かすか、これからも飯舘村の再生の道に注目すべきだと思いました。     英語版はこちら --------------------------------------------------------------------------------------------------------- <金銀惠(きむ・うね)KIM Eun-hye> 韓国全州出身。ソウル在住。2013年に韓国ソウル大学社会学科より博士号(社会学)取得。専門分野は、都市・文化・日本社会学(メガイベント・世界都市論・開発主義)。現在、ソウル大学アジア研究所、SSK東アジア都市研究団選任研究員。最近は、東アジア都市の比較研究を発展させ、都市の危機を新しい転換の機会として模索している。SGRA会員。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------     2015年10月29日配信
  • 第4回ふくしまスタディツアー「飯舘村、帰還に向けて」

      SGRAでは昨年に引き続き、福島県飯舘村スタディツアーを下記の通り行います。 参加ご希望の方は、SGRA事務局へご連絡ください。   渥美国際交流財団SGRAでは2012年から毎年、福島第一原発事故の被災地である福島県飯舘(いいたて)村でのスタディツアーを行ってきました。 ふくしまスタディツアーでの体験や考察をもとにしてSGRAワークショップ、SGRAフォーラム、SGRAカフェ、そしてバリ島で開催された「第2回アジア未来会議」でのExhibition & Talk Sessionなど、さまざまな催しを展開してきました。 今年も10月初めに第4回目の「SGRAふくしまスタディツアー」を行います。ぜひ、ご参加ください。     日   程         : 2015年10月2日(金)、3日(土)、4日(日)2泊3日 参加メンバー:渥美財団奨学生、ラクーンメンバー、SGRAメンバー その他 人   数         :7~8人程度 宿   泊         :「ふくしま再生の会-霊山(りょうぜん)センター」 参加費         :渥美奨学生、ラクーンメンバーは無料                       一般参加者は新幹線往復費用+1万円 申込み締切  :9月15日(火) 申込み・問合せ:(渥美国際交流財団 SGRA 角田) E-mail: tsunodaaisf@gmail.com   TEL: 03-3943-7612   プログラム・詳細
  • 第3回SGRAふくしまスタディツアー報告

    渥美国際交流財団/SGRAでは2012年から毎年、福島第一原発事故の被災地である福島県飯舘(いいたて)村でのスタディツアーを行ってきました。そのスタディツアーでの体験や考察をもとにしてSGRAワークショップ、SGRAフォーラム、SGRAカフェ、そしてバリ島で開催された「アジア未来会議」でのExhibition & Talk Session“Fukushima and its aftermath-Lesson from Man-made Disaster”などを開催してきました。今年も、10月17日から19日の3日間、SGRAふくしまスタディツアー《飯舘村、あれから3年》を実施しました。このレポートはツアーの記録報告です。 「SGRAふくしまスタディツアー」は、今年で3回目。参加者は渥美財団のラクーンメンバー、呼びかけに応えて参加した留学生、日本人学生、大学教授や社会人など16名。国籍も中国、台湾、グルジア、インドネシア、モンゴル、日本、年齢層も18歳から70歳代まで、まさに多様性を絵にかいたような多彩なメンバーであった。 17日(金)朝8時、メンバーたちのチョットした不安も乗せながら、バスは秋晴れの中を福島に向けて出発した。途中、福島駅で、今回の受入れをお願いしている「ふくしま再生の会」のメンバーと合流。「NPO法人ふくしま再生の会」(理事長田尾陽一さん)は、地元の農民とヴォランティア、科学者により構成されたNPO団体。2011年秋から、飯舘村の再生プロジェクトとして、住民自身による効率的な除染方法の研究開発や飯舘村に伝わる「マデイ(真手)」の考え方をもとにしたサステイナブル/エコロジカルな地域産業とコミュニティーの再生に取り組んでいる。 最初の訪問先は、福島市内の松川仮設住宅。ここでは飯舘村で被災した100名を超えるお年寄りが、未だに避難生活を続けている。入口付近には、簡単なスーパーやラーメン屋、集会所などが設けられ、それなりの生活環境は整えられているが、鋼板一枚の仮説のプレハブ住宅では冬の寒さはお年寄りにとっては厳しかろうと想像される。集会所で、8名の被災者のお話をうかがった。被災当時の状況や家族と離散して暮らさなければならない辛さなどが語られた一方で、被災から3年半を経た今では、この仮設住宅群の中での助け合いの生活は、それなりの心の安定と平和をもたらしてくれている、との話もあった。被災以前は大家族で子や孫に囲まれて暮らしてきたお年寄りが離散生活を強いられることは辛いだろうが、以前から孤立して生活していたお年寄りにとっては、集合住宅での助け合いの生活は、それなりの心の安定と平和をもたらしてくれているのかも知れない。 松川仮設住宅を後にして、バスは阿武隈高原飯舘村に向かった。一年ぶりに訪れた飯舘村は、昨年までとは一変した村になっていた。道路沿いに、農家の庭に、荒れ果てた田畑のあちこちに1トンもある黒いプラスティックの袋が山積みにされている。ああ、これが農家の周辺や田畑の土をはぎ取った「汚染土」の山なのだ。この「汚染土」はいつになったら撤去されるのだろうか。これからも増え続ける大量の「汚染土」の行き場は、まだ決まっていない。村役場や政府からの明確な答えもない。 飯舘村内を見学した後、ふくしま再生の会の活動拠点である霊山センターに到着した。このセンターで農民やヴォランティアの方々との2日間の短い共同生活が始まる。夕食は、私たちと地元の方々、ヴォランティアの方々との協働自炊である。地元の方から「この食材は全部スーパーで買ったもの。以前だったら、この時期は自分の田んぼでできた新米や、山で採れたキノコや栗、そしてイノシシまで使ったふるさとの料理を食べてもらえるのだけど、今は何もおもてなしができない。ごめんね…。」と言われた。返す言葉もない。辛いのは、我々ではなく、地元の方々なのだから。手作りの夕食を食べながら、飲みながらの語らいは、深夜まで続いた。 2日目。この日も、雲一つない快晴だった。黄や紅に色づき始めた山々が美しい。午前中、大久保地区のAさんの畑を訪問した。春に桜が咲き、花々に覆われたならば、まさに桃源郷になるであろう、と思わせるような山間の地だ。再生の会は、ここに住むAさんと共に花を中心とした栽培実験を行っている。「えっ、ここに住む住民?? 人が住んでいるのだろうか?」。Aさんは90歳を超える母親と共に、この大久保地区に住んでいる。以前Aさんは母親と共に、仮設住宅での避難生活をしていた。だが、ある夜、母親が「もうイヤだ。家に帰りたい」と叫び始めたことを切っ掛けにして、家に帰り「今までどおりの生活」に戻ることを決めたそうだ。むろん、帰還は禁じられていることを承知の上で…。これも、一つの選択なのだろう。 午後は、再生の会のさまざまな実験の拠点となっている、飯舘村佐須地区の菅野宗夫さんの田んぼでの、稲刈り作業である。稲刈り作業を始める前に、緊張が走った。あるメンバーから「この稲刈りは安全なのか?」「若者に危険な作業を強いることになるのではないか?」との質問が出されたのだ。田んぼは丁寧に除染され、昨年の収穫米や、今年の隣の田んぼでの収穫米でも、放射線濃度は基準値以下であった。このことから考えても、安全と言えるものの、刈り取りしようとしている稲は、実験段階の稲であることは間違いない。「安全との思い込み」や「安全に対する説明無し」では、他の人々の「安心」は得られない。この質問を受けた菅野宗夫さんの説明に納得したメンバーは穂先だけの稲刈りを行ったのだが、十分な説明をせずに稲刈りを行おうとしたことは、明らかにツアーのオーガナイザーである私たちの落ち度であった。当事者と他の人が感じる「安全」と「安心」の違い、これはこれからも飯舘村の再生の過程につきまとう大きな課題となるのだろう。 夕刻、河北新報の寺島英弥さんをお招きして、多くのスライド写真を見ながら、福島第一原発事故から今日までの被災地全体の状況の説明をうかがった。飯舘村とは異なり、津波と放射能被害のダブル被害を受けた沿岸部の状況、帰還に向けた地域ごと、ジェネレーションごとの「想い」の違い、3年半を経て住民の中に高まる疑心や生活に対する不安などが寺島さんの話から浮き彫りにされていった。 夜、宿舎の霊山センターに戻ると、仲間である大石ユイ子さんと農家の方々から大量のおでんと地元の野菜の差し入れが届いていた。だが、「チョッと待てよ。地元の野菜は大丈夫なの?」かすかな不安が心をよぎる。ちょうど再生の会の夕食の当番の方々が地域の農産品や植物の放射線量測定の専門家チームだったので、「この野菜は大丈夫なの?」と聞いてみた。「大丈夫ですよ。この野菜は飯舘村の野菜ではなく、相馬市の野菜で定期的に放射線量を計り、出荷しているもの。それに地元の人々は、私たち以上に放射能には敏感なので安全でないものは、絶対に食べませんし、持ってもきませんよ。」「でも、地元の人たちは、これからずっと、こうした不安や風評被害と向き合って行かなければならないのよね…。」稲刈りと同じ、「安全」と「安心」の問題には、これからもずっと、この地域が向き合って行かなければならないのだろう。 夕食の後、地元の若者の佐藤健太さんが訪れてくれた。佐藤健太さんは32歳。今は、福島市内に住みながら、飯舘村の若者の声を代弁しようと各地を飛び回っている。故郷への想いをふっきって、都会で生活を始めた20代、30代。いつかは帰りたいとの想いを持ちながら、京都の肉屋で修行を始めた若者、あるいは北海道の奥地で酪農を始めた若者のことなどなど、彼の話は印象的だった。 「当たり前のことだが、生まれ育ったふるさとへの想いは捨てることはできないし、オヤジの世代の苦しみも十分にわかっている。一方で、若者は多かれ少なかれ都会の生活を経験しているので、都会の生活には馴染みやすい」「帰るか、帰らないかを考えるには、自分たちの子供世代の20年先、30年先のことまでを見通さなければならない。そんなことができるだろうか?」「世間もお役所も(帰るか、帰らないかの判断を)急がさないでほしい。自分たちも悩んでいる、苦しんでいる。今は、仮の生活とは言いながらも、新しい生活を営むことに精いっぱいなのだから」。こうした彼との語らいの中で、今まで、私たちが話をうかがってきた50代、60代の方々、お年寄りとは異なる若い世代の苦悩を聞くことができた。 3日目。最終日の朝、私たちは菅野宗夫さんの牛舎の畑で始まった政府の除染作業を見に行った。自分たちでできる除染方法を開発し、昨年までは「除染は自分の手でやりたい」と言っていた宗夫さんは除染作業を見守りながらも、私たちに多くを語ろうとしなかった。宗夫さんの心の中では、言葉にならない想いが去来していたのかもしれない。 このツアーを終えた後、渥美財団とも関係の深い畑村洋太郎先生の「除染のゆくえ-畑村洋太郎と飯舘村の人々-」というドキュメンタリー番組がNHKで放映された。畑村先生と飯舘村の農民による「除染を早く、現実的に進めるための実証実験」を追ったドキュメンタリーである。この番組の中で畑村先生は、3年、30年、100年というタームを語り、3年が「コミュニティーが離散しないで元に戻れる限度」と述べている。 3年の限度が過ぎ、除染が終了し帰還できるまでにはさらに2~3年は必要だろうと言われている今日、「皆で一緒に」という言葉は力を失いつつある。これから先には、年寄りも、若者も、子供も、一人一人が置かれている状況を踏まえながら、現実を「見て」「感じて」「考えて」さらには「一人一人が、自分で判断しなければならない」という道のりが待ち受けている。これからの道のりの中で、被害者の心が萎えないことを祈るだけでなく、私たちが記憶を萎えさせないことこそが求められているのではないだろうか。 ふくしまツアーの写真 (文責:渥美財団理事 角田英一)
  • 第3回ふくしまスタディツアー「飯舘村、あれから3年」参加者募集

    SGRAでは昨年に引き続き、福島県飯舘村スタディツアーを下記の通り行います。 参加ご希望の方は、SGRA事務局へご連絡ください。   日程:2014年10月17日(金)、18日(土)、19日(日)2泊3日 参加メンバー:SGRA/ラクーンメンバー、その他 人数: 10~15人程度 宿泊:「ふくしま再生の会-霊山(りょうぜん)センター」 参加費: 15,000円(ラクーンメンバーには補助金が出ます) 申込み締切: 9月30日(火) 申込み・問合せ: 渥美国際交流財団 角田 tsunoda@aisf.or.jp Tel:03-3943-7612   スタディツアーの趣旨: 渥美国際交流財団/SGRAでは2012年から毎年、福島第一原発事故の被災地である福島県飯舘(いいたて)村でのスタディツアーを行ってきました。 そのスタディツアーでの体験や考察をもとにしてSGRAワークショップ、SGRAフォーラム、SGRAカフェ、そしてバリ島で開催された「アジア未来会議」でのExhibition & Talk Session“Fukushima and its aftermath-Lesson from Man-made Disaster”などを開催してきました。 今年も10月に第3回目の「SGRAふくしまスタディツアー」を行います。お友達を誘って、ご参加ください。   参加者募集チラシ   ヴィラーグ ヴィクトル「第2回SGRAスタディツアー『福島県飯舘村へ行って、知る・感じる・考える』報告」   李鋼哲「第1回SGRAスタディツアー『飯館村へ行ってみよう』報告」
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