SGRAチャイナフォーラム

  • エッセイ445:太田美行「選ぶ-第8回SGRAチャイナ・フォーラム-に参加して-」

    これだけ近い国だというのに中国へ行くのは初めてである。そういう訳で空港からのタクシーの中では念願の中国をよく見ようと、ひたすら車窓に張り付いていた。大陸の広さを感じた。何よりも建物の一つひとつが大きく、隣の建物との間が広い。そして道路はひたすら真っすぐだ。東京に生まれ育った身としてまず感じたのがこの空間感覚の違いである。ここから中国の人たちとの間に何となく感じる感覚の違いの背景に納得する。フォーラム会場の中国社会科学院文学研究所から天安門まで官公庁が並ぶ、中国で最も広いであろう通りを歩いた時は都を訪れる遣隋使はたまた遣唐使の気分で、「威容」が与える心理的効果についてしばし考えた。こうして私の中国訪問とチャイナ・フォーラムは幕を開けた。   第8回チャイナ・フォーラム初日の中国社会科学院では佐藤道信先生が「近代の超克-東アジア美術史は可能か-」で「ヨーロッパ美術史」が存在するのに対して日本、中国・台湾、韓国に同様の広域美術史がなく、一国美術史が中心となっている現状と課題について、木田卓也先生は「工芸家が夢みたアジア:<東洋>と<日本>のはざまで」の講演で中国へ渡った近代日本の工芸家について講演をされ、2日目の清華大学では「脱亜入欧のハイブリッド:『日本画』『西洋画』、過去・現在」を佐藤先生が、「近代日本における<工芸>ジャンルの成立:工芸家がめざしたもの」で木田先生が近代日本と中国の美術・工芸のあり様について講演をされた。フォーラムの詳細は林少陽氏の報告書でご覧戴いたと思うので、ここでは私がフォーラム及び参加者との交流で感じたことを、広域史を中心にご紹介したい。   フォーラムは近代日本と中国、東アジアの美術・工芸のあり様と関わりを丁寧に、そして学術的に掘り起こし、整理していくものだった。私たちが当たり前にとらえている美術史が当時の時代背景と(恐らく)必要性や気運によってどのように「作られていった」のかを佐藤先生は「自律と他律の自画像」という言葉を用いながら、木田先生は工芸家の足跡をたどりながら、それぞれ明らかにした。   歴史というものは事実、起きたことの単なる集合体ではなく、どの「事実の集合体」を掘り起こして、どの角度から光を当てるか、それをどのように取り扱っていくのかの意図によって異なる意味をもってくる。その観点からすると今回のフォーラムでは、多くの事柄から「東アジア美術史」、「広域史」、「影響し合う」を選び、未来に対して前向きな意欲が感じられる発表と議論の場だった。一方で佐藤先生は「新しい基軸を作ることは新しい誤解を作ることになるのかと思う(こうした研究をするのは)自分がどこに立っているのか知りたい、それだけ」と語る。佐藤先生の指す「新しい誤解」への懸念はよくわかるものの、ある基軸を知ることで自分を取り巻く世界の構成が、成立の過程が、見えてくる。ひとつの基軸を知ることは他の基軸を感じ取る手がかりとなる。だから私はこの新しい基軸を積極的にとらえたい。   10年以上も前に「ワールド・ミュージック」が流行していた頃、確か音楽家の坂本龍一が雑誌の対談か何かで「今のワールド・ミュージックを語ると沖縄民謡のような民族音楽を語ることになってしまい、ワールドではなくなってしまう」という趣旨のことを言っていたのを思い出した。確かに当時彼が発表した音楽は沖縄民謡のアレンジ曲だった。同じように広域史を論じると自国史や「個」はどうなるのだろう。実際その点への心配の声が会場にはあった。しかし広域史を語ることは個や独自性を否定するものではないはずだ。独自性とは何か。人で考えた場合、個人の性質や能力、教育、経験の積み重ね、取り巻く環境とその歴史(国家だけでなく家族、友人、民族も含む)などから育まれ、磨かれたものではないか。ならば他との関わり(広域史)の中にある自己(自国史)を見出し、自己(自国史)の中に他(広域史)を見出すことはごく当たり前のことだ。自分の立っている場所を検証し続け、考えることこそが必要である。   もし自分の頭で考え物事を選ぶことをやめたら、すべてが曖昧なまま流されてしまいかねない。私たちは考え、掘り出し、そして選ぶ。その先にあるのが未来だ。何かを選ぶ時点で既に自らの態度を表明しているともいえないか。「東アジア美術史」、「広域史」、「影響し合う」を選ぶのは「影響し合う」未来を前向きなものにしたいからである。一見すると今回の講演は学術的で地味なものだろう。しかし、とかく考証の怪しげな歴史小説やドラマが溢れ、熱気を帯びた雰囲気や流れに足元をすくわれかねないような昨今、一つひとつを丁寧に掘り起こし、検証しつつ事実を浮かび上がらせることには大きな意味がある。   講演後の質問では少なからず論点から外れたというか、一足飛びのものがあったり、若い日本研究の学生と話していて意外にも現代日本の作家が読まれていないことに驚いたこともあった。(中国にも多数いるという村上春樹ファンはどこにいるのだろう?) それも事実なら、会場に大勢の学生が来てくれたこともまた事実だ。彼らの中に今回のフォーラムが種となり、芽吹く日が来ることを願っている。   木田先生は1920~30年代の「新古典派」を「懐古趣味的な保守反動勢力でなく、新しく東洋趣味的な工芸を作り出そうということを目指していた」、「『日本の近代』は、いかにあるべきか?、さらには『アジアの近代』はいかにあるべきかという問いが含まれていたと思われます」と語る。その頃の日本が発信する「東洋」と今の日本や他国がいう「東アジア(あるいは東洋)」では異なる点は多いだろう。だからこそ日本からだけでなく、その他の国から、人からの「東アジア広域史」を論じる声を聞き、共に今と未来とを選びたい。   --------------------------------------- <太田美行(おおた・みゆき)>東京都出身。中央大学大学院 総合政策研究科修士課程修了。シンクタンク、日本語教育、流通などを経て2012年より渥美国際交流財団に勤務。著作に「多文化社会に向けたハードとソフトの動き」桂木隆夫(編)『ことばと共生』第8章(三元社)2003年。 ---------------------------------------   2015年1月15日配信
  • 林 少陽「第8回SGRAチャイナ・フォーラム『近代日本美術史と近代中国』報告」

    2014年11月22日~23日、第8回SGRAチャイナ・フォーラムが北京で開催されました。今回のテーマは日本美術史です。22日の講演会は中国社会科学院文学研究所と、23日の講演会は清華大学東亜文化講座との共催でした。清華大学は北京大学のライバルであり日本でも知られていると思いますが、中国社会科学院は「知る人ぞ知る」かもしれません。中国社会科学院は、国家に所属する人文学及び社会科学研究の最高学術機構であり、総合的な研究センターです。中国社会科学院文学研究所の前身は北京大学文学研究所であり、1953年の創立です。1955年に中国社会科学院の前身である中国科学院哲学社会科学学部に合併されました。現在115人の研究員がいて、そのうち上級研究員は79名ということです。   今回、日本から参加してくださった2名の講師は、佐藤道信氏(東京藝術大学芸術学科教授)と、木田拓也氏(国立近代美術館工芸館主任研究員)です。佐藤氏は日本美術史学の代表的な研究者の一人であり、木田氏は日本の工芸史の研究者として活躍していらっしゃいます。木田氏が2012年に実施した「越境する日本人――工芸家が夢見たアジア1910s~1945」という展覧会が、今回の北京でのフォーラム開催のきっかけとなりました。   まず、11月22日の講演会についてご紹介します。佐藤氏の講演題目は「近代の超克-東アジア美術史は可能か」、木田氏は「工芸家が夢みたアジア:<東洋>と<日本>のはざまで」でした。   佐藤氏は、「美術」「美術史」「美術史学」をめぐる制度的な研究をしてきた研究者です。その目的は、美術の今がなぜこうあるのか、現在の史的位置を考えることにありました。最初は、「日本美術(史)観」をめぐる日本と欧米でのイメージギャップについて研究し、大きな影響を与えた研究者ですが、この十数年は、欧米と東アジアにおける「美術史」展示の比較から、その地理的枠組の違いと、それを支えるアイデンティーの違いについて考えてきました。欧米の国立レベルの大規模な美術館では、実質「ヨーロッパ美術史」を展示しているのに対して、東アジアでは中国・台湾、韓国、日本、いずれの国立レベルの博物館でも、基本的に自国美術史を中心に展示していることを指摘しました。   つまり、実際の歴史では、仏教、儒教、道教の美術や水墨画が、広く共有されていたにもかかわらず、東アジアの美術史ではそれが反映されていません。広域美術史を共有するヨーロッパと、一国美術史を中心とする東アジアという違いがあります。その枠組を支えるアイデンティティーとして、大きく言えば、キリスト教美術を中軸とする「ヨーロッパ美術史」は、キリスト教という宗教、一方の東アジア各国の自国美術史は、国家という政治体制に、それぞれ依拠していることを佐藤氏は問題としています。   佐藤氏は1990年代以来、近代日本の「美術」「美術史」「美術史学」が、西洋から移植された「美術」概念の制度化の諸局面だったという前提で、「日本美術史」が、近代概念としての「日本」「美術」「歴史」概念の過去への投射であり、同様に日本での「東洋美術史」も(あくまで日本での、です)、じつは近代日本の論理を「東洋」の過去に投射したことを、いままでの著書で明らかにしてきました。 本講演において、佐藤氏は、19世紀の華夷秩序の崩壊後、ナショナリズムを基軸に自国の歴史観を構築してきた経緯を指摘しつつ、分裂した東アジアの近代が、歴史とその実態をも分断してきたのだとすれば、実態を反映した「東アジア美術史」の構築は、東アジアが近代を超克できるかどうかの、一つの重要な課題であると提起しました。そして、広域の東アジア美術史を実現するために、「自国美術史」の相互刊行、広い視野と交流史的、比較論的な視点、知識の樹立、さらには、イデオロギー(東西体制の両方)、大国意識、覇権主義、民族主義、汎アジア主義的視点などによる解釈の回避、国際間でのコミュニケーションと他者理解のしくみの確立、などを提言しました。   木田氏は、講演「工芸家が夢みたアジア:<東洋>と<日本>のはざまで」において、まず自分自身がこれまでに関心を持って取り組んできた工芸史、デザイン史という領域において、19世紀後半のジャポニスム、アール・ヌーヴォー、アール・デコ、モダニズムという流れにおける日本と西欧との文化交流に関する研究は盛んに行われているのに対して、それとは対照的にこの時代の日本と中国との関係については、あまり関心が払われていないことを反省しつつ、日本人の工芸家と中国との関連を紹介しました。木田氏はまず、日本の20世紀を代表する、国民的洋画家といえる梅原龍三郎の、1939年から43年までの計6回の中国訪問を紹介しました。戦争中にも関わらず、梅原は北京が最高であると記述しており、この時代の美術史の再評価の必要性を指摘しました。   そして、京都の陶芸家の2代真清水蔵六が、1889年(明治22)に上海と南京の間にある宜興窯に渡って、そこにおよそ1年間滞在して作陶を行ったことや、1891年(明治24)年に景徳鎮を訪問したこと、建築家で、建築史家でもあった伊東忠太が、1902年から1905年まで、約3年かけて中国、ビルマ、インド、トルコを経て、ヨーロッパへとユーラシア大陸を横断したこと、また1910年の日韓併合前から建築史家の関野貞が朝鮮半島で楽浪遺跡の発掘に関わっていたことなどを紹介しました。そして木田氏は、中国からの古美術品の流出と、日本におけるコレクションの形成との関係について紹介し、日本に請来された中国や朝鮮半島の美術品が日本の工芸家の作風に影響を与えたことを報告しました。   講演会には、社会科学院の研究員だけでなく、他の大学の研究者や大学院生も含む約50名の参加者が集まりました。中国社会科学院文学研究所の陸建徳所長が開会挨拶をしてくださいました。講演の後、とても密度の高い質疑と討論で盛り上がり、初日の講演会は大成功でした。   翌11月23日の講演会はさらに盛況でした。清華大学の会場は40名しか座れない会議室でしたが、実際80名を越す参加者があり、一部は立ったままで講演会を聴講していました。講演会を助成支援してくれた国際交流基金北京日本文化センターの吉川竹二所長や、中国社会科学院日本研究所の李薇所長も出席してくださいました。 佐藤氏の今回の講演題目は「脱亜入欧のハイブリッド:『日本画』『西洋画』、過去・現在」であり、木田氏の講演題目は「近代日本における<工芸>ジャンルの成立:工芸家がめざしたもの」でした。   佐藤氏の講演に対しては筆者が、木田氏の講演に対しては清華大学美術学院准教授の陳岸瑛氏が中国美術史研究者の立場からコメントし、また清華大学歴史学科の教授である劉暁峯氏がたいへん興味深い総括をしました。   紙幅の関係上2回目の両氏の講演についてご紹介できないですが、今回の出席者の積極的な参加ぶりは感動的でした。また会場からの討論の熱さも忘れがたいものです。参加者は美術史関係の研究者と大学院生のほか、文学研究者、歴史研究者も多いという印象を受けました。その意味において高度に学際的な会議でもあったと思います。   今回のふたつの講演会は高度な専門性を持つが故に大成功したと思いますが、日本研究と中国研究が対話する重要な機会でもあることを実感しました。   フォーラムの写真   フィードバックアンケートの集計結果   ----------------------------- <林 少陽(りん しょうよう)Lin Shaoyang> 1963年10月中国広東省生まれ。1983年7月厦門大学卒業。吉林大学修士課程修了。会社勤務を経て1999年春留学で来日。東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程、東大助手、東大教養学部特任准教授、香港城市大学准教授を経て、東京大学大学院総合文化科超域文化科学専攻准教授。学術博士。著書に『「修辞」という思想:章炳麟と漢字圏の言語論的批評理論』(東京:白澤社、2009年)、『「文」與日本学術思想——漢字圈・1700-1990』(北京:中央編訳出版社、2012年)、ほかに近代日本・近代中国の思想と文学ついての論文多数。 -----------------------------   2014年12月24日配信
  • 第8回SGRAチャイナ・フォーラム「近代日本美術史と近代中国」ご案内

    下記の通り、第8回SGRAチャイナ・フォーラムを、11月22日(土)~23日(日)に北京で開催します。参加ご希望の方は、事前にSGRA事務局( sgra-office@aisf.or.jp )にご連絡ください。   SGRAでは、日本の民間人による公益活動を紹介するSGRAチャイナ・フォーラムを、北京をはじめとする中国各地の大学等で毎年開催してきましたが、8回目の今回からは、今までと趣向を変え、「清華東亜文化講座」のご協力をいただき、北京在住の日本の社会や文化の研究者を対象として開催します。   主催: 渥美国際交流奨学財団関口グローバル研究会(SGRA)、中国社会科学院文学研究所、清華東亜文化講座 協力: 中国社会科学院日本研究所 助成: 国際交流基金北京日本文化センター、鹿島美術財団   フォーラムの趣旨:   「美術」とその一部とみなされる「工芸」は、用語の誕生から「制度」としての「美術」「工芸」の成立まで日本の「近代」と深い関係にあり、そして近代中国にも深い影響を与えた。「美術」と「工芸」は、漢字圏文化と西洋文化との関係・葛藤を表していると同時に、日中両国のナショナリズム、国民国家の展開・葛藤とも深い関係にある。一方、「美術」と「工芸」の展開の仕方や意味づけにおける日中の違いも無視できない。この違いはほかならず日中の「近代」の違いでもある。   本フォーラムは、美術史学と文学史・文化史の視点から日中両国の「近代」に焦点を当て、日本からの研究者の講演を中心に、中国の研究者の討論も交え、1日目は中国社会科学院文学研究所、2日目は清華大学で開催し、従来活発であったとはいえない日中近代美術・文化史研究交流のさきがけとなることを目指します。日中同時通訳付き。 プログラム 1日目:2014 年11月22 日(土)14時~17時 於:中国社会科学院文学研究所社科講堂第一会議室 講演1:佐藤道信「近代の超克―東アジア美術史は可能か」 講演2:木田拓也「工芸家が夢みたアジア:<東洋>と<日本>のはざまで」 1日目プログラム   2日目:2014 年11月22 日(土)14時~17時 於:清華大学甲所第3会議室 講演1:佐藤道信「脱亜入欧のハイブリッド:「日本画」「西洋画」、過去・現在」 講演2:木田拓也「近代日本における<工芸>ジャンルの成立:工芸家がめざしたもの」 2日目プログラム
  • レポート第68号「ボランティア・志願者論」

    SGRAレポート66号本文(日中英合冊版)   宮崎幸雄(日本YMCA同盟名誉主事) 「ボランティア・志願者論」講演録 2014年5月15 日発行   ☆日本語の講演録、中国語訳、英語訳を一冊に纏めてあります。   <講演要旨>   1)私のボランティア原体験 <ベトナム戦争とボランティア> ①自分で手を挙げて(挫折からの逃走)  ②こちらのNeeds (体育) とあちらのInterests(養豚)  ③信頼なくして “いのち” なし(地雷原の村)  ④解放農民の学校(自立・自助)  ⑤プロ・ボランティアとして国際社会へ   2) ボランティア元年といわれて—神戸・淡路大震災によって広まるボランティア(観)   3)ボランティア活動の社会的効果(地域への愛着・仲間・達成感・充実感・希望)   4)大災害被災地のボランティア活動と援助漬け被災者   中国人が見た東日本大震災救援活動と日本人が見た四川大震災救援活動   5)3 ・11若者の自意識と価値観の変化   国際社会の支援と同情・共感・一体感と死生観・共生観と人と人との絆  
  • 第7回チャイナフォーラム「ボランティア概論」報告

    2013年5月22日、第7回チャイナ・フォーラムが、ついに、北京外国語大学日本学研究センター3階多機能ホールにて開催された。   「ついに」という言葉を用いたのは、昨年9月に北京で開催できず、今回まで延期となってしまったので、夢がやっと叶えられたという気持ちが込められているからだ。昨年、開催できなかった理由は周知のとおりだが、5月の開催が急に決まったために、今回のフォーラムの特徴のひとつは短い準備期間であった。ポスターの印刷と掲示が開催一週間前、レジュメの完成が三日前、横断幕の製作が二日前、アンケートの作成が当日の朝、という慌しいスケジュールだった。それでも、フォーラムは無事に終了した。そういう意味で、今までで一番やりがいと満足感を味わったのは今回かもしれない。   個人的な感想はさておき、本題に入ろう。   東京YMCA同盟の宮崎幸雄名誉主事が今回の講師を務めてくださった。講演のテーマは「ボランティア概論」だ。テーマが幾度か変更されたが、レポートではポスターの通りにする。YMCAといえば、西城秀樹のあの名曲「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を想起させるが、宮崎先生は日本キリスト青年会(Young Men's Christian Association)同盟の名誉主事なのだ。しかし、その健やかな姿は、一目見れば、今の西城秀樹でも匹敵できない、と思ってしまうほどだ。   講演は、ベトナム戦時下、宮崎先生のボランティア原体験に始まり、養鶏、養豚などの逸話が盛り込まれると、早くも会場にいる人々を釘付けにした。話が近年の災害救援活動とボランティア活動に進むと、より身近に感じられ、阪神淡路大震災、四川大地震、東日本大震災の際、あれだけ多くのボランティアが力を注いだことに、思わず脱帽した。また、四川大地震の後、心のケアに関するマニュアルの日中翻訳作業に取り込んだSGRAも事例として挙げられ、私はその翻訳者の一員として、当時よりも誇らしく思った。   阪神淡路大震災以来、また四川大地震以来、ボランティア精神は、徐々に両国で広がり、より多くの若者がボランティア活動に身を投じるようになった。そんな中、宮崎先生は、若者の意識の変化に注目している。阪神淡路大震災のボランティアたちが期待していたのは、非日常的体験、被災者とのふれあい、居場所の発見であったのに対し、東日本大震災の場合、家族の絆、死生観や共生観に関する思考、異文化交流と近代史の学習など、高い次元の精神的ニーズが求められているという。   最後に、宮崎先生は、開催地の中国に焦点を絞り、そのボランティア活動の限界と新たな展望について述べた。政府の力が大きい中国では、ボランティア活動もその監督部門の指導を受け、組織的に行われている。それは、全体的に見れば効率がよいというメリットがある一方、一人ひとりの参加者が、自主的に参加するわけではなく、言われたからやっているに過ぎない、言ってみれば、ボランティア活動から得た満足感と達成感が希薄で、一人一人の力も最大限に発揮できないというのも無視できない。 しかし一方、八十年代生まれ、いわゆる八零後世代の人々は、自由で、独立の意志を持ち、自主的に地域社会の一員として権利を行使し、責任を果たす活動を展開している。そういう意味で、近い将来、中国で自主的にボランティア活動やチャリティ事業に従事する若者がどんどん増えていく、と宮崎先生は楽観視している。   質疑応答の段階で、ロータリー米山中国学友会の方や北京外国語大学の学生より、コメントと質問を頂戴した。ボランティア活動に止まらず、宮崎先生は、フォーラム終了後もしばらく学生の人生相談相手をつとめられた。   来年から、チャイナ・フォーラムは研究者交流へ方向転換する可能性が大きいが、中日外交の行方が不明瞭の中で開催された第7回チャイナ・フォーラムは、きっとわれわれの記憶に焼き付き、忘れられない一回となるだろう。     (文責:宋剛[北京外国語大学日本語学部専任講師])     当日の資料は下記リンクよりご覧ください。   発表用パワーポイント   配布資料(レジュメ)   アンケート集計   当日の写真を下記リンクよりご覧ください。   宮崎撮影   今西撮影   今回のフォーラムの講演録はSGRAレポート第68号として、今年の秋に発行する予定です。   ---------------------------     2013年6月5日配信
  • 第7回SGRAチャイナ・フォーラム「ボランティア概論」ご案内

    昨年9月にはキャンセルになってしまいましたが、7回めのSGRAチャイナフォーラムを下記の通り北京で開催いたします。みなさまのご参加をお待ちしています。   ★講演: 宮崎幸雄 「ボランティア概論」   日 時:2013 年5月22 日(水)午後4時~6時 会 場:北京外国語大学日本学研究センター多目的室   主催: 渥美国際交流奨学財団関口グローバル研究会(SGRA) 後援: 国際交流基金北京日本文化センター   フォーラムの趣旨:   SGRAチャイナ・フォーラムは、日本の民間人による公益活動を紹介するフォーラムを、北京をはじめとする中国各地の大学等で毎年開催しています。7回目の今回は公益財団法人日本YMCA同盟の宮崎幸雄氏を迎え、長年の体験に基づいたボランティア活動の意義ついてご講演いただきます。 日中通訳付き。   講演要旨:   1)私のボランティア原体験 <ベトナム戦争とボランティア> ①自分で手を挙げて(挫折からの逃走)②こちらのNeeds (体育) とあちらのInterests(養豚)   ③信頼なくして“いのち”なし(地雷原の村) ④解放農民の学校(自立・自助) ⑥プロ・ボランティアとして国際社会へ 2)ボランティア元年と云われてー神戸・淡路大震災によって広まるボランティア(観) 3)ボランティア活動の社会的効果(地域への愛着・仲間・達成感・充実感、・希望) 4)大災害被災地のボランティア活動と援助漬け被災者   中国人が見た東日本大震災救援活動と日本人が見た四川大震災救援活動 5)3 ・11若者の自意識と価値観の変化 国際社会の支援と同情・共感・一体感と死生観・共生観と人と人との絆   講師略歴:   現職:(公財)日本YMCA同盟名誉主事、学校法人アジア学院評議員、学校法人恵泉学園委員(公財)公益法人協会評議員、(社)青少年海外協力隊を育てる会顧問、(社)CISV理事、在日本救世軍本営監事   略歴:1933年大阪に生まれる。関西大学英文科専攻后米国に留学、青少年教育を学び日本YMCAに就職。1969年、世界YMCA難民救済事業ベトナム担当ディレクターとしてサイゴンに7年間在住し、ベトナム難民の定住と難民青少年の教育に当たる。8年間、スイス・ジュネーブにある世界YMCA同盟本部の難民事業の統括責任者として国連難民弁務官事務所(UNHCR)との連絡担当、米国民間団体との交渉業務を担当する。1985年帰国後日本YMCA同盟常務理事・総主事1998年3月定年退職。1998年よりロータリー米山記念奨学会事務局長/専務理事、アジア青少年団体協議会会長、国際協力機構(JICA)青年海外協力隊・技術専門委員/青年海外協力隊を育てる会副会長・顧問として現在に至る。  
  • 第7回SGRAチャイナ・フォーラム「ボランティア概論」ご案内(延期)

    残念ながら、今年のチャイナフォーラムは、中国当局から開催大学への勧告により中止になりました。   関連エッセイ   -----------------------------------------   下記の通りフフホト北京で開催いたしますのでご案内します。参加ご希望の方は、SGRA事務局までご連絡ください。   ★講演: 宮崎幸雄 「ボランティア概論」   【フフホトフォーラム】 日 時:2012 年9月17 日(月)午後4時半~6時半 *時間が変更になりましたのでご注意ください。 会 場:内モンゴル大学南校区教学主楼XF0201   【北京フォーラム】 日 時:2012 年9月19 日(金)午後4時~6時 会 場:北京外国語大学日本学研究センター多目的室   ◆主催: 渥美国際交流奨学財団関口グローバル研究会(SGRA) 協力: 内モンゴル大学モンゴル学研究センター 北京外国語大学日本語学科 後援: 国際交流基金北京日本文化センター   ◆フォーラムの趣旨:   SGRAチャイナ・フォーラムは、日本の民間人による公益活動を紹介するフォーラムを、北京をはじめとする中国各地の大学等で毎年開催しています。7回目の今回は公益財団法人日本YMCA同盟の宮崎幸雄氏を迎え、長年の体験に基づいたボランティア活動の意義ついてご講演いただきます。日中通訳付き。   ◆講演要旨:   1)私のボランティア原体験 <ベトナム戦争とボランティア> ①自分で手を挙げて(挫折からの逃走)②こちらのNeeds (体育) とあちらのInterests(養豚)   ③信頼なくして“いのち”なし(地雷原の村) ④解放農民の学校(自立・自助) ⑥プロ・ボランティアとして国際社会へ 2)ボランティア元年と云われてー神戸・淡路大震災によって広まるボランティア(観) 3)ボランティア活動の社会的効果(地域への愛着・仲間・達成感・充実感、・希望) 4)大災害被災地のボランティア活動と援助漬け被災者 中国人が見た東日本大震災救援活動と日本人が見た四川大震災救援活動 5)3 ・11若者の自意識と価値観の変化 国際社会の支援と同情・共感・一体感と死生観・共生観と人と人との絆   ◆講師略歴:   現職:(公財)日本YMCA同盟名誉主事、学校法人アジア学院評議員、学校法人恵泉学園委員(公財)公益法人協会評議員、(社)青少年海外協力隊を育てる会顧問、(社)CISV理事、在日本救世軍本営監事   略歴:1933年大阪に生まれる。関西大学英文科専攻后米国に留学、青少年教育を学び日本YMCAに就職。1969年、世界YMCA難民救済事業ベトナム担当ディレクターとしてサイゴンに7年間在住し、ベトナム難民の定住と難民青少年の教育に当たる。8年間、スイス・ジュネーブにある世界YMCA同盟本部の難民事業の統括責任者として国連難民弁務官事務所(UNHCR)との連絡担当、米国民間団体との交渉業務を担当する。1985年帰国後日本YMCA同盟常務理事・総主事1998年3月定年退職。1998年よりロータリー米山記念奨学会事務局長/専務理事、アジア青少年団体協議会会長、国際協力機構(JICA)青年海外協力隊・技術専門委員/青年海外協力隊を育てる会副会長・顧問として現在に至る。   プログラムは下記よりダウンロードしていただけます。 日本語 中国語    
  • レポート第62号「Sound Economy ~私がミナマタから学んだこと~」

    レポート62号本文 レポート62号表紙   第6 回日SGRAチャイナフォーラム講演録 「Sound Economy ~私がミナマタから学んだこと~」 2012年6月15日発行   <もくじ・要旨>   【講演】Sound Economy (健全な経済と社会)~私がミナマタから学んだこと~                     柳田耕一(財団法人水俣病センター相思社初代事務局長)   水俣病は20世紀半ばに発生した世界で知られる環境問題の一つです。それは日本の南部の漁村で発生しました。当初、被害者は劇症型の病像を呈していたため「奇病」として恐れられ、隔離されるなどの酷い仕打ちを受けました。折から日本は戦後の復興期の入り口にあり、僻遠の地に救済の手が差し伸べられるまでには長い時間がかかりました。 公式発見から半世紀経った現在でも、抜本的な治療法は無く、被害の全体像の解明は進まず、地域経済は疲弊したままです。一方で水銀による環境汚染は世界中に広がり、酷似した症状をもつ人々も出現し、Minamata Diseaseは世界共通語となっています。現在では微量水銀の長期摂取による健康影響に世界の関心は向かっています。 もう一つの側面として関心がもたれているのは、社会経済的分野です。開発重視、科学重視、利益重視、人権無視の経済運営は、生活の基盤である環境を歪め傷つけ最後には地域社会そのものを持続不可能にしてしまいますが、その象徴として水俣病事件を捉えることもできます。   【報告】内モンゴル草原の生態系 ~鉱山採掘がもたらしている生態系破壊と環境汚染問題について~                      郭 偉(内モンゴル大学環境資源学院副教授)  
  • 第6回SGRAチャイナ・フォーラム「Sound Economy ~私がミナマタから学んだこと~」ご案内

    下記の通り北京とフフホトで開催いたしますのでご案内します。参加ご希望の方は、SGRA事務局までご連絡ください。   ★講演: 柳田耕一 「Sound Economy ~私がミナマタから学んだこと~」 【北京フォーラム】 日 時:2011 年9月23 日(金)午後7時 会 場:国際交流基金北京日本文化センター多目的室   【フフホトフォーラム】 日 時:2011 年9月26日(月)午後3時 会 場:内モンゴル大学学術会議センター第8会議室 主催: 渥美国際交流奨学財団関口グローバル研究会(SGRA) 協力: 国際交流基金北京日本文化センター 北京大学日本言語文化学部     内モンゴル大学モンゴル学研究センター フォーラムの趣旨:   SGRAチャイナ・フォーラムは、日本の民間人による公益活動を紹介するフォーラムを、北京をはじめとする中国各地の大学等で毎年開催しています。 昨年は認定NPO法人 緑の地球ネットワーク事務局長の高見邦雄氏に鉱山開発と北京の水問題について講演していただきました。6回目の今回は、元(財)水俣病センター相思社事務局長の柳田耕一氏を迎え、グローバルな視点から、水俣でおきた人類史的な事件の事実と意味についてご講演いただきます。フォーラムは日中逐次通訳付き。また、今回は北京大学で日本語を学ぶ学生を対象に、日本が経験した公害問題をテーマにしたワークショップを開催します。   講演要旨:   水俣病は20世紀半ばに発生した世界で知られる環境問題の一つです。それは日本の南部の漁村で発生しました。当初、被害者は劇症型の病像を呈していたため「奇病」として恐れられ、隔離されるなどの酷い仕打ちを受けました。折から日本は戦後の復興期の入り口にあり、僻遠の地に救済の手が差し伸べられるまでには長い時間がかかりました。   公式発見から半世紀経った現在でも、抜本的な治療法は無く、被害の全体像の解明は進まず、地域経済は疲弊したままです。一方で水銀による環境汚染は世界中に広がり、酷似した症状をもつ人々も出現し、Minamata Diseaseは世界共通語となっています、現在では微量水銀の長期摂取による健康影響に世界の関心は向かっています。   もう一つの側面として関心がもたれているのは、社会経済的分野です。開発重視、科学重視、利益重視、人権無視の経済運営は、生活の基盤である環境を歪め傷つけ最後には地域社会そのものを持続不可能にしてしまいますが、その象徴として水俣病事件を捉えることもできます。   講師略歴: 現職:特定非営利活動法人 地球緑化の会 副会長兼事務局長、モンゴル国ダルハン農業大学名誉教授、株式会社ティエラコム監査役 略歴:1950年熊本市生まれ。1973年東京農業大学中退。学生時代より水俣病被害者支援運動に参加。日本初の市民運動型財団・水俣病センター相思社の設立運動に参加し、1974年の設立と同時に初代の事務局長に就任。以来、水俣現地に於いて、水俣病発掘や裁判支援、様々な資料作成やイベントの企画などに関わる他、有機農法運動やフリースクール運動を立ち上げる。1989年相思社を退職し、その後いくつかの環境NGOに関わる。1996年より神戸に本社を置く民間企業の役員に就任する一方、環境NGO運動も継続し現在に至る。これまで100回以上に渡り、植林や環境問題調査目的で多くの国を訪問しNGOや市民と交流し、ミナマタの経験を伝える活動を行ってきた。水俣病問題や地球環境問題に関する著書あり。   プログラムは下記よりダウンロードしていただけます。 日本語版 中国語版 ポスターは下記よりダウンロードしていただけます。 北京フォーラムポスター フフホトフォーラムポスター
  • レポート第56 号「中国の環境問題と日中民間協力」

    レポート56号本文 レポート56号表紙   中国語版レポート56号本文 中国語版レポート56号表紙   第5回チャイナフォーラム講演録 「中国の環境問題と日中民間協力」 第一部(北京):北京の水問題を中心に 第二部(フフホト):地下資源開発を中心に 2011年5月10日発行   <もくじ> 【基調講演】「得ることと失うことと」 高見邦雄(緑の地球ネットワーク事務局長)   【発表1】「水:北京の未来発展への影響と制約」 汪 敏(苗東連合規画設計顧問有限公司高級工程師)   【発表2】「水を節約するために私たちができること」 張 昌玉(中国人民大学外国語学部副教授)   質疑応答(北京)   【発表3】「鉱工業開発と内モンゴル草原の環境問題に関する現状分析」 オンドロナ(内モンゴル大学民族学社会学学院副教授)   【発表4】「アルタン・オナガー(黄金の仔馬)は何処へ飛んでいったのか:資源開発と少数民族の生存について」 ブレンサイン(滋賀県立大学人間文化学部准教授)   質疑応答(フフホト)  
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