国史たちの対話

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このメールマガジンは、SGRAが主催する「日本・中国・韓国における国史たちの対話」円卓会議の関係者によるエッセイを、毎月1回、日本語・中国語・韓国語の3言語で同時に配信します。どなたにも無料で購読していただけます。
  • 2017.09.14

    金キョンテ「第2回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性『蒙古襲来と13世紀のモンゴル帝国のグローバル化』円卓会議報告」

    第57回SGRAフォーラムは「第2回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性:蒙古襲来と13世紀のモンゴル帝国のグローバル化」というテーマで開催された。昨年秋に開催された第1回会議がプロローグとしてこれからの対話の可能性を開く場だったとしたら、第2回は学界で最も活発に活動している若手中堅の研究者が集まって、本格的な「対話」をしようとする場であった。   2017年8月7日から3日間、北九州国際会議場で予定されていた会議には開催危機の瞬間があった。観測史上2番目に進度の遅い台風10号が、当日九州の北部を通るという予報だったからである。幸いなことに、開催地である北九州の航空と列車運行には大きな影響はなかった。ただし、航空会社が事前に着陸時間を調整したために、韓国からの参加者の一部は(筆者本人を含め)開始時間に少し遅れて到着した。   初日には開会式と基調講演が行われた。今西淳子SGRA代表の開会挨拶に続き、三谷博先生(跡見学園女子大学)から趣旨説明があった。これまでの東アジアの歴史を背景に行われた様々な歴史に関する議論は、主に20世紀前半の日本の侵略をどのように捉えるかにあったこと、ある面では成功したが、いくつかの面では失敗したこと、また明らかなことは、国家が介入すると失敗したということ、そして、個人が構成する会議としてお互いを理解する努力があれば成功させることができると指摘した。また、全5回シリーズとして予定されるこの会議は、前近代と近代以後のすべての時代を網羅的に論ずるという趣旨で、1〜3回を前近代に配置したこと、最も重要なのは、お互いの発表をよく聞いてレスポンスをする作業であることを強調した。   葛兆光先生(復旦大学)は、基調講演「ポストモンゴル時代?-14~15世紀の東アジア史を見直す」で、モンゴル帝国の衰退後、新しい王朝が成立し、お互いに(朝貢システムに限らない)多様な関係を結びはじめた14世紀末〜15世紀初めに至る時期を、東アジアのその後の関係を示唆するものとして参考にすることができると提案した。関連する歴史研究者としても重要な指摘を含む提案だったと思う。   8月8日は、本格的な論文発表であった。4つのセッションに分けて11篇の論文が発表された。最初のセッションは、四日市康博先生(昭和女子大学)、チョグト先生(内蒙古大学)、橋本雄先生(北海道大学)の発表で、「モンゴルインパクト」の歴史的意味と各国の立場から、さらに世界史の視点からどのように見るべきかを提案した。2番目のセッションは、エルデニバートル先生(内蒙古大学)、向正樹先生(同志社大学)、孫衛国先生(南開大学)の発表で、モンゴル侵略による文化的・技術的影響に様々な史料を通じてアプローチした発表であった。3番目のセッションは金甫桄先生(嘉泉大学)、李命美先生(ソウル大学)、ツェレンドルジ先生(モンゴル国科学院)の発表で、モンゴルの主要侵略対象とされ、長い間抵抗した国である高麗を例に挙げ、モンゴルの支配実像の多角的な分析を示した。最後のセッションは趙阮先生(漢陽大学)、張佳先生(復旦大学)の発表で、食事と帽子という物質的、文化的要素にみられる長期的かつ系列的なモンゴルの影響を調べた。各セッションの発表者は、他のセッションの討論者として参加した。   8月9日の午前中は、昨日の各研究報告を踏まえての全体討論の時間だった。日本での一般的な学術大会とは少し異なる構成であったが、一日熟成した質問やコメントはそれぞれ本会議の趣旨に沿ったものであり、大変効果があったと思う。この日は、趙珖先生(韓国国史編纂委員会)の論点整理が先行した。「モンゴル襲来」と「グローバル化」をキーワードにして、集中的な発表と討論が行われたこと、モンゴルは最初にグローバル化に成功した「帝国」であり、その中で、韓国・日本・中国がそれぞれどのような歴史を展開したのかを検討することによって、グローバル化を明確に理解することができること、グローバリゼーションは、単純なグローバル化だけではなく、グローカリゼーションとの相互関係を見なければならないと指摘した。また、4つのセッションの全ての発表によって政治と統治様式、文化交流が幅広く調べられており、各国の国史を扱いながら一国の視点からのみではなく東アジア全体から見ると、どのように幅が広がるかを示した良い実例だったと結んだ。   総合討論の司会を務めた劉傑先生(早稲田大学)は5つの議論主題を提案した。まず、モンゴル帝国の影響をどのように評価するのか。第2に、冊封体制と朝貢について。第3に、モンゴル帝国はモンゴル史か中国史なのか、そしてどのように対話したら良いのか。第4に、高麗から朝鮮につながる韓国の歴史における中国の立場は何だったのか。そして最後に、史料批判の問題であった。続いて自由討論が行われた。上記テーマのうち、冊封体制、モンゴル史、史料批判の問題について、参加者全員が発言する活発な議論が繰り広げられた。   最後に三谷博先生の全体総括があった。非常に充実した3日間の会議であり、実行委員の一人として感謝すること、さらにもっと深いレベルの「グローバル化」の分析があったらよかったという所感を述べた。そして今後も対話を続けて欲しいという総評だった。   午後は見学会であった。モンゴルが襲来した九州北部の重要な場所を踏査した。元寇記念館と筥崎宮は歴史をどのように記憶して使用するかの問題を提起する史料館で、また史跡として印象が深かった。雨の中を訪ねた生の松原元寇防塁跡では、約800年前にこの海から上陸を試みていたモンゴル連合軍と、これを眺めていた日本の鎌倉武士たちはどんな気持ちだったのだろうという考えに浸った。   期間中、各国の研究者が自分の最新の研究成果や研究の過程での悩みを提示し、議論やアドバイスが行き来した。当時存在していた国ないし王朝の勢力範囲は、そのまま現在の国境や国家概念と必ずしも合致しない。そのような面で、モンゴルの研究者の参加は大事であった。国際会議での最大の難関は、言語の問題である。交差通訳をする場合、時間がかかる。したがって質問や反論があっても飛ばす場合が多い。今回は3日にわたって同時通訳が提供されて、各国の研究者は率直に話をすることができた。渥美財団と同時通訳者の労苦に感謝する。   今回の大会においての感想は皆違うと思うが、多くの成果と課題を残したという点は同意するだろう。東アジアという空間、時間における朝貢関係の具体性、固定化された各国史の視座をどのように超えるのか等、基本的な問題提起を介して得られたことが多いと思う。連続した「国史の対話」は、5回まで予定されている。これまでの成果さえ失ってしまい、後戻りしてはいけない。成果を踏まえて、次のステップに進まなければならない。来年夏に開催する第3回会議は、近世に東アジアを揺さぶった戦乱と平和の世紀への移行を扱う予定である。多くの方々に関心を持って参加していただき、発展的な新しい歴史学の時代が来ることを期待している。   会議の写真はここからご覧いただけます。   報告書は2018年春にSGRAレポートとして発行予定ですが、関連資料はここからご覧いただけます。   韓国語版   中国語版   <金キョンテ☆Kim_Kyongtae> 韓国浦項市生まれ。韓国史専攻。高麗大学校韓国史学科博士課程中の2010年~2011年、東京大学大学院日本文化研究専攻(日本史学)外国人研究生。2014年高麗大学校韓国史学科で博士号取得。韓国学中央研究院研究員を経て現在は高麗大学校人文力量強化事業団研究教授。戦争の破壊的な本性と戦争が導いた荒地で絶えず成長する平和の間に存在した歴史に関心を持っている。主な著作:壬辰戦争期講和交渉研究(博士論文)     2017年9月14日配信
  • 2017.07.06

    第57回SGRAフォーラム「第2回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性:蒙古襲来と13世紀モンゴル帝国のグローバル化」へのお誘い

    下記の通りSGRAフォーラムを北九州市で開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。   テーマ:第2回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性     「蒙古襲来と13世紀モンゴル帝国のグローバル化」   会 期: 2017 年 8 月 7 日(月)~9 日(水)     8月7日(月)16:00~17:00 基調講演     8月8日(火)9:00~12:40 14:00~18:00 論文発表     8月9日(水)9:00~12:00  全体討議・総括   会 場: 北九州国際会議場国際会議室   主 催:(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA) 助 成:(公財)鹿島学術振興財団 協 賛:北九州市/(公財)北九州観光コンベンション協会   参加費:無料(一般参加者の食事と宿泊は自己手配) 使用言語:日・中・韓同時通訳付き お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局([email protected], Tel:03-3943-7612)   ◇フォーラムの趣旨  東アジアにおいては「歴史和解」の問題は依然大きな課題として残されている。講和条約や共同声明によって国家間の和解が法的に成立しても、国民レベルの和解が進まないため、真の国家間の和解は覚束ない。歴史家は歴史和解にどのような貢献ができるのだろうか。  渥美国際交流財団は2015 年7月に第 49 回 SGRA(関口グローバル研究会)フォーラムを開催し、「東アジアの公共財」及び「東アジア市民社会」の可能性について議論した。そのなかで、先ず東アジアに「知の共有空間」あるいは「知のプラットフォーム」を構築し、そこから和解につながる智恵を東アジアに供給することの意義を確認した。このプラットフォームに「国史たちの対話」のコーナーを設置したのは2016年9月のアジア未来会議の機会に開催された第1回「国史たちの対話」であった。いままで3カ国の研究者の間ではさまざまな対話が行われてきたが、各国の歴史認識を左右する「国史研究者」同士の対話はまだ深められていない、という意識から、先ず東アジアにおける歴史対話を可能にする条件を探った。具体的には、三谷博先生(東京大学名誉教授)、葛兆光先生(復旦大学教授)、趙珖先生(高麗大学名誉教授)の講演により、3カ国のそれぞれの「国史」の中でアジアの出来事がどのように扱われているかを検討した。  第2回対話は自国史と他国史との関係をより構造的に理解するために、「蒙古襲来と13世紀モンゴル帝国のグローバル化」というテーマを設定した。13世紀前半の「蒙古襲来」を各国の「国史」の中で議論する場合、日本では日本文化の独立の視点が強調され、中国では蒙古(元朝)を「自国史」と見なしながら、蒙古襲来は、蒙古と日本と高麗という中国の外部で起こった出来事として扱われる。しかし、東アジア全体の視野で見れば、蒙元の高麗・日本の侵略は、文化的には各国の自我意識を喚起し、政治的には中国中心の華夷秩序の変調を象徴する出来事であった。「国史」と東アジア国際関係史の接点に今まで意識されてこなかった新たな歴史像があるのではないかと期待される。  もちろん、本会議は立場によってさまざまな歴史があることを確認することが目的であり、「対話」によって何等かの合意を得ることが目的ではない。  なお、円滑な対話を進めるため、日本語⇔中国語、日本語⇔韓国語、中国語⇔韓国語の同時通訳をつける。円卓会議の講演録は、SGRAレポートして3カ国語で発行する。   ◇プログラム   〇8月7日(月)16:00~17:00 開会と基調講演 【趣旨説明】三谷博(跡見大学) 【基調講演】葛兆光(復旦大学)「『ポストモンゴル時代』?―14~15世紀の東アジア史を見直す」   〇8月8日(火)全日円卓会議(9:00~12:40 14:00~18:00) 【問題提起】劉傑(早稲田大学) 【研究発表】 (1)四日市康博(昭和女子大学)「モンゴル・インパクトの一環としての『モンゴル襲来』」 (2)チョグト(内蒙古大学)「アミルアルホンと彼がホラーサーンなどの地域において行った2回の戸籍調査について」 (3)橋本雄(北海道大学)「蒙古襲来絵詞を読みとく」 (4)エルデニバートル(内蒙古大学)「モンゴル帝国時代のモンゴル人の命名習慣に関する一考察」 (5)向正樹(同志社大学)「モンゴル帝国と火薬兵器」 (6)孫衛国(南開大学)「朝鮮王朝が編纂した高麗史書にみえる元の日本侵攻に関する叙述」 (7)金甫桄(嘉泉大学)「日本遠征をめぐる高麗忠烈王の政治的狙い」 (8)李命美(ソウル大学)「対蒙戦争-講和の過程と高麗の政権をめぐる環境の変化」 (9)チェリンドルジ(モンゴル社会科学院歴史研究所)「北元と高麗との関係に対する考察―禑王時代の関係を中心に」 (10)趙阮(漢陽大学)「14世紀におけるモンゴル帝国の食文化の高麗への流入と変化」 (11)張佳(復旦大学)「『深簷胡帽』考:蒙元とその後の時代における女真族帽子の盛衰史」   〇8月9日(水) 午前:総合セッション(総括と自由討論) 司会進行:劉傑(早稲田大学) 【論点整理】趙珖(韓国国史編纂委員会) 【討論】(日中韓モから各1名が発問、その後自由討論) 【総括】三谷博(跡見大学)   関係資料はここからご覧いただけます。  
  • 2017.06.29

    レポート第79号「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」

    SGRAレポート第79号     中国語版    韓国語版 SGRAレポート第79号(表紙)     中国語版      韓国語版   第52回SGRAフォーラム 「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」 2017年6月9日刊行   <もくじ> <第一部>   【問題提起】「なぜ『国史たちの対話』が必要なのか-『国史』と『歴史』の間-」 劉 傑(早稲田大学社会科学総合学術院教授)   【報 告1】「韓国の国史(研究/教科書)において語られる東アジア」 趙 珖(ソウル特別市歴史編纂委員会委員長/高麗大学校名誉教授)   【報 告2】「中国の国史(研究/教科書)において語られる東アジア-13世紀以降東アジアにおける三つの歴史事件を例に」 葛 兆光(復旦大学文史研究院教授)   【報  告3】「日本の国史(研究/教科書)におけて語られる東アジア」 三谷 博  (跡見学園女子大学教授)   <第二部> 討 論 【討 論1】「国民国家と近代東アジア」 八百啓介 (北九州市立大学教授)   【討 論2】「歴史認識と個別実証の関係-『蕃国接詔図」を例に-」 橋本 雄 (北海道大学大学院文学研究科准教授)   【討 論3】「中国の教科書に書かれた日本-教育の『革命史観』から『文明史観』への転換-」 松田麻美子 (早稲田大学)   【討  論4】「東アジアの歴史を正しく認識するために」 徐 静波  (復旦大学教授)   【討  論4】「『国史たちの対話』の進展のための提言」 鄭 淳一 (高麗大学助教授)   【討  論4】「国史における用語統一と目標設定」 金 キョンテ (高麗大学校人文力量強化事業団研究教授)   円卓会議・ディスカッション モデレーター:南 基正(ソウル大学日本研究所副教授)、討論者:上記発表者ほか    
  • 2017.03.13

    Takeshi Kawasaki “Name of the War and Possibility of Dialogue among National Histories” (Report No.2 of the 3rd Asia Future Conference “Environment and Coexistence”)

    Many people in Japan understand World War II ended on August 15, 1945. This is because Emperor Hirohito (posthumously known as Showa) announced on radio on this date that the Japanese Government had accepted the Potsdam Declaration by the Allied Powers that demanded unconditional surrender, saying that “we have resolved to pave the way for a grand peace for all the generations to come by enduring the unendurable and suffering what is insufferable…”  In the colonies like Korea, people are said to have given cheers for the Japanese defeat. However, it was on the previous day, the August 14 that Japan had conveyed to the Allied Nations its acceptance of the Potsdam Declaration.  In fact it was on August 10, four days before, that Japan conveyed its intention to accept the Declaration through Japanese ministers in Switzerland and Sweden, both neutral nations. Victory over Japan Day in the United States is September 2.  It was the day that Mamoru Shigemitsu, fully empowered foreign minister, had signed the instrument of surrender onboard the USS Missouri. The counterpart was Douglas MacArthur, Supreme Commander for the Allied Powers.The New York Times on September 2 wrote by just three big headlines; “JAPAN SURRENDERS TO ALLIES,SIGNS RIGID TERMS ON WARSHIP;TRUMAN SETS TODAY AS V-J DAY” In China, V-J Day is September 3, next day of the signing on the USS Missouri, although the Japanese Army had signed the instrument of surrender in Nanjing on September 9. The Soviet Union followed suit and made its V-J Day September 3.  Only Japan set August 15 as the day for the end of the war.  In Europe, the memorial day of victory in this war is May 8, eight days after Adolf Hitler committed suicide. All the countries which fought in this War have their own memorial day.  The names of this war are also different among the countries involved, while  recognition of the war is common ---Second World War, World War II, Seconde Guerre mondiale, and ZweiterWeltkrieg. But in the United States, “Pacific War (against Japan)” and “European War (against Germany and Italy)” are well-known.  In the Soviet Union, the war was called the “Great Patriotic War”.  The name was given because it war was more furious than the war against Napoleon (1812) which has been called the “Patriotic War,” and that “Great” was added to distinguish one from the other.  In China, they call the War “Anti-Japanese Revolution” and  “World Anti-Fascism.”  Each country and people perceives the war in different ways. In Japan, the Cabinet of Hideki Tojo officially named the war the Great East Asia War on December 12, four days after the declaration of war against allied nations. Including this one, each name contains various sentiments.  The Pacific War connotes that it was fought against America but feels like ignoring the battle line in China.  The Fifteen Years War, which means the War’s duration of fifteen years, is reasonable considering that the War started from the Manchurian incident in 1931.  Other names include “The Second Sino-Japanese War” and “The Asia-Pacific War.” The reason I am thinking over the name of war and the day when the war ended, although I am not a specialist, is that I was listening at the back row of the forum “Possibilities of Dialogues among National Histories.”  What kind of works will be necessary to talk about history among not only specialists or intellectuals but among ordinary people? The round table discussion was meaningful in that specialists from Japan, China and South Korea searched for the present state of  “intellectual  community” in this region and groped where to go from there. Professor Liu Jie of Waseda University, raised a question that dialogue on history has been stagnant, emphasizing necessity of finding an agenda that would come after studying each other’s academic research situations.  He also said, “The intellectual community in East Asia is the last frontier in the region.  I am worried that dialogue among intellectuals might collapse.”  “That is why we got together to exchange opinions and each other’s knowledge so that we can make national histories in East Asia that can be shared among us.  This forum is important in that we can nurture talented international students, a special group of resources who can understand fellow countries’ material, for the future.” Cho Kwang, professor emeritus at Korea University in South Korea, said experience of the colonial period can be a factor for providing a country’s national history. He said, “One cannot discuss world peace if his political perspective is right.”  I thought it is true, not only for Japan.  I thought it is true, not only for Japan.  He said “Gokuryeo (高句麗)” hold an important position in Korean history but added that it was also part of the regional history of China.  “Things look different depending on perspective -- personal-based or location-based,” Kwang said. One solution to overcome different views and misunderstanding can be to compile a history on Japan-China Korea relations Ming dynasty and Joseon missions to Japan (朝鮮通信使)show in which histories of Japan, of Korea and China intersect. Professor Ge Zaoguang of Fudan University, China, suggested possibilities of compiling  diplomatic history of Japan, China and Korea, taking as examples of Mongol invasions of Japan (1271, 1281), Oei Invasion (1419, known as the Gihae Eastern Expedition in Korea) and Japanese invasions of Korea (1592.) Hirosi Mitani, professor emeritus at the University of Tokyo, criticized a new high school subject introduced by the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology, called “comprehensive histories.”  The frame work of the new subject dealing with Japanese modern history is taught in the order of (1) modernization, (2) popularization, and (3) globalization. He said, however, “The order is reverse. Globalization was the start of Japanese modern history.”  He added that the most important thing for the young generation is “to look at their own country from the outside and learn from each other the histories of neighboring countries. If they do not do this, they will miss a chance to know the histories of East Asia forever”.   He urged the participants: “we cannot possibly advance only by dialogue. Let’s collaborate. Let’s create a reference about neighboring countries which can be read in their own countries”. I was told this type of forum will continue for at least five times hereafter. If young researchers would join, this type of works will become more active, even though political, economic and national security influences of each country would affect the outcome of the researches. Let me express my hope as a non-specialist.  I want to know national histories of Japan, China, and Korea. Also, I want to know history of country-to-country relations, not limited to the three countries. For example, the Vietnam War was fought between the United States and North Vietnam. Vietnam had been fighting against France for their independence. It was Japan that ruled Vietnam before France. Historical revisionism, which tends to rewrite its own beautiful version of history, is now spreading over Japan.  I do not think such atmosphere is temporary and even feel some energy in it. The forum on “dialogue among national histories” supported by a development of intellectual community of Japan, China and Korea will become more important and urgent.  SGRA Kawaraban 507 in Japanese (Original)  (Lecturer at Tsuda College, Former staff writer at The Asahi Shimbun)  Translated by Kazuo KawamuraEnglish checked by Mac Maquito
  • 2017.03.03

    「第2回国史たちの対話の可能性」円卓会議資料

    第57回SGRAフォーラム 「第2回国史たちの対話の可能性」円卓会議 ◆「蒙古襲来と13世紀モンゴル帝国のグローバル化」 日 時: 2017 年 8 月 8 日(火)~ 10 日(木) 会 場: 北九州国際会議場会議 主 催: 渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA) 協 賛:北九州市、北九州観光コンベンション協会 協 力: 鹿島学術振興財団 ------------------------------------------------------------------------------------ 報 告(金キョンテ) : 日本語版  中国語版  韓国語版 感 想(三谷 博):  日本語版  中国語版  韓国語版 フィードバック(三谷⇔葉文昌): 日本語版 感 想(孫 軍悦): 日本語版  中国語版 感 想(ナヒヤ): 日本語版 感想(彭 浩): 日本語版  中国語版 ------------------------------------------------------------------------------------ 概  要: 日本語版    中国語版   韓国語版 ------------------------------------------------------------------------------------ 発表題目一覧表 スケジュール: 日本語版  中国語版  韓国語版 会議案内(インフォパック):日本語版  中国語版  韓国語版 ------------------------------------------------------------------------------------ 発表要旨(発表者11名分): 日本語版     中国語版   韓国語版 ------------------------------------------------------------------------------------ 予稿集(Proceedings): 日本語版     中国語版     韓国語版 ------------------------------------------------------------------------------------ 基調講演 : ◆葛 兆光「『ポストモンゴル時代』?―14~15 世紀の東アジア史を見直す」 日本語  中国語(原著)  韓国語   発表論文(発表者別) : ◆橋本 雄「蒙古襲来絵詞を読みとく」 発表要旨   日本語(原著)  中国語  韓国語 論文     日本語(原著)  中国語  韓国語   ◆向 正樹「モンゴル帝国と火薬兵器」 発表要旨 日本語(原著)  中国語  韓国語 論文   日本語(原著)  中国語  韓国語   ◆四日市康博「モンゴル・インパクトの一環としての『モンゴル襲来』」 発表要旨   日本語(原著)  中国語   韓国語 論文         日本語(原著)  中国語  韓国語   ◆孫 衛国「朝鮮王朝が編纂した高麗史書にみえる元の日本侵攻に関する叙述」 発表要旨  日本語  中国語(原著)  韓国語 論文     日本語  中国語(原著)  韓国語   ◆張 佳「『深簷胡帽』考--蒙元とその後の時代における女真族帽子の盛衰史」 発表要旨   日本語  中国語(原著)  韓国語 論文     日本語  中国語(原著)  韓国語   ◆金 甫桄「日本遠征をめぐる高麗忠烈王の政治的狙い」 発表要旨  日本語  中国語  韓国語(原著) 論文     日本語  中国語  韓国語(原著)   ◆李 命美「対蒙戦争-講和の過程と高麗の政権をめぐる環境の変化」 発表要旨   日本語  中国語  韓国語(原著) 論文     日本語  中国語  韓国語(原著)   ◆趙 阮「14世紀におけるモンゴル帝国の食文化の高麗への流入と変化」 発表要旨   日本語  中国語  韓国語(原著) 論文     日本語  中国語  韓国語(原著)   ◆ツェレンドルジ「北元と高麗との関係に対する考察 - 禑王時代の関係を中心に-」 発表要旨  日本語  中国語  韓国語(原著) 論文     日本語  中国語  韓国語(原著)     ◆チョグド(朝克图)「アミルアルホンと彼がホラーサーンなどの地域において行われた二回の戸籍調査について」 発表要旨  日本語   中国語(原著)  韓国語 論文     日本語   中国語(原著)   韓国語   ◆エルデニバートル(额尔敦巴特尔)「モンゴル帝国時代のモンゴル人の命名習慣に関する一考察」 発表要旨  日本語  中国語(原著)   韓国語 論文     日本語  中国語(原著)   韓国語
  • 2017.03.03

    「第1回国史たちの対話の可能性」円卓会議資料

    第52回SGRAフォーラム@AFC#3 ◆「第1回国史たちの対話の可能性」   日 時: 2016 年 9 月 30 日(金) 会 場: 北九州国際会議場会議 主 催:  渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA) 助 成: 東京倶楽部   ------------------------------------------------------------------------- プログラム:  日本語版   中国語版   韓国語版 ------------------------------------------------------------------------- 報告書:    日本語版   中国語版   韓国語版 -------------------------------------------------------------------------   発表論文:   ◆劉傑「「国史」と「歴史」の間」 日本語(原著)  中国語  韓国語   ◆葛兆光「中国の国史(研究/教科書)において語られる東アジア: 十三世紀以降東アジアにおける三つの歴史事件を例に」 日本語  中国語(原著)  韓国語   ◆趙珖「韓国の国史(研究/教科書)において語られる東アジア」 日本語  中国語   韓国語(原著)   ◆三谷博「日本の国史(研究 /教科書)において語られる東アジア」 日本語(原著)  中国語   韓国語   -------------------------------------------------------------------------