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2025.09.11
2025年7月26日(土)、第77回SGRAフォーラムが渥美国際交流財団関口グローバル研究会および早稲田大学先端社会科学研究所・東アジア国際関係研究所との共催のもと、早稲田大学大隈記念講堂小講堂でハイブリッド形式により開催された。米国の政権交代がもたらした国際秩序の変動を念頭に置きつつ、多様性と相互協力を基盤とした平和構築の経験を改めて検証することが求められている。今回は「なぜ、戦後80周年を記念するのか?~ポストトランプ時代の東アジアを考える~」をテーマに、東・東南アジアの研究者が一堂に会し、戦後80年の歩みを振り返りつつ、東アジアの和解と平和の展望について議論が交わされた。
最初の講演では沈志華氏(華東師範大学)が「冷戦、東北アジアの安全保障と中国外交戦略の転換」と題し、冷戦期における中国の外交戦略が「革命外交」から「実務重視の外交」へと大きく転換した過程を三つの段階に分けて分析した。第1段階(1949-1969)はソ連と連携して米国に対抗した「向ソ一辺倒」の時代であり、東北アジアでは南北の二つの三角同盟が鋭く対立した。第2段階(1970-1984)では、中ソ対立を背景に米国と連携してソ連に対抗する「向米一辺倒」へと転換し、地域の緊張緩和に繋がった。そして第3段階(1985-1991)では、改革開放と共に非同盟の全方位外交へと移行し、中米ソの「大三角」構造の中で地域の対立構造が解消され、和平交渉のプロセスが始まったと解説。この歴史的変遷を踏まえ、今後の中国外交は「鄧小平が確立した実務重視の非同盟政策を堅持し、特に日韓両国との関係発展を地域の平和と安定の基盤とすべきだ」と提言した。
次に藤原帰一氏(順天堂大学・東京大学)が、「冷戦から冷戦までの間 第2次世界大戦後米中関係の展開と日本」をテーマに講演を行った。藤原氏は、かつての米ソ冷戦の終結後、再び米中間の緊張が「新冷戦」と呼べるほどの国際政治の分断を生み出している現状を指摘。第2次大戦後の日本の民主化が米ソ冷戦の開始と共に米国の対アジア戦略の拠点として組み込まれ、米中接近まで緊張が続いた歴史を振り返った。その上で、2008年以降に再び顕著になった米中間の新たな緊張関係がなぜ生まれたのか、その要因を権力移行論の観点から分析した。さらに、日本の対中政策が米国の影響を強く受けてきたことは事実としつつも、福田赳夫政権や現在の石破茂政権の動向を例に挙げ、日本独自の判断や米国との政策の「ズレ」も存在することを指摘し、日本の自主的な外交の役割について考察の視点を提供した。
フォーラムの後半は林泉忠氏(東京大学)をモデレーターに、若手研究者による多角的な討論が展開された。
権南希氏(関西大学)は、北朝鮮の核開発やロ朝の軍事接近、米中ロの対立激化により、東アジアの安全保障体制が構造的な不安定性を深めていると分析。北朝鮮が韓国を「主敵」と規定する一方、韓国社会では統一を段階的信頼構築の「過程」として捉える傾向が強まっているとし、法治主義に基づく統合体制の構築と社会文化的な接触を通じた信頼醸成の重要性を論じた。
ラクスミワタナ・モトキ氏(早稲田大学)は、タイ保守派の陰謀論を分析することを通じて、冷戦が途上国の国内政治に与え、今日まで続く権力構造を形成した影響を考察した。これにより、「国」を単位とした分析だけでは見えてこない、現代にまで続く冷戦の断層線を明らかにする視点の可能性を提示した。
野崎雅子氏(早稲田大学)は、日米中の留学生政策の変化に着目し、国際秩序と知的交流の関係を検討。かつては信頼関係構築の基盤であった知的交流が、国家間の緊張の高まりと共に分断の危機に瀕している現状を指摘し、その克服の可能性について議論を提起した。
李彦銘氏(南山大学)は、日中関係における和解の道のりに焦点を当てた。政府レベルでの一定の和解は達成されたとしつつも、2010年代以降の民間レベルでの歴史認識には依然として課題が残ると分析。一方で、非政府組織(NGO)における信頼構築の事例を挙げ、民間交流が持つ和解の可能性を展望し、今後に向けての提言を行った。
総合討論と質疑応答では、戦後80年という節目を迎え、世界各地で局地的な紛争が多発し、東アジアの緊張も高まっているものの、本格的な武力衝突(いわゆる「熱い戦争」)には至っていない、という現状認識が示された。その上で、悪化する米中関係を背景とした新たな「冷戦」への懸念や、厳しさを増す中国と周辺地域との関係に対し、今後いかに対応すべきかが議論された。また、こうした国際情勢と連動する日本の国内情勢も注目された。7月の参議院選挙において、経済や景気といった課題よりも「日本人ファースト」という排外的・保守的なスローガンに注目が集まったことは、その一例といえる。このような動向が日本の将来に与える影響は大きく、不安視する声が少なくなかった。
本フォーラムは、戦後80年という歴史を、大国間のマクロな視点から、各地域の固有の文脈、さらには民間交流というミクロな視点まで、重層的に捉え直す貴重な機会となった。登壇者の議論は、歴史認識の違いを乗り越え、対話を通じて相互理解を深めることの重要性を改めて浮き彫りにした。複雑化する国際情勢の中で、過去を真摯に検証し、未来志向の平和な関係をいかに構築していくか。そのための知的基盤を提供する、有意義な議論の場となった。
当日の写真
アンケート集計
<賈海涛(か・かいとう)JIA Haitao>
一橋大学言語社会研究科博士課程修了。博士(学術)。2023年度渥美奨学生。神奈川大学外国語学部中国語学科外国人特任助教、一橋大学非常勤講師。人文系ポッドキャストの運営者。研究分野は華語圏文学、文学言語。主要業績に、単著『流動と混在の上海文学――都市文化と方言における新たな「地域性」』(ひつじ書房、2025)ほか。
2025年9月11日配信
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2025.08.25
2025年7月14日から18日、第6回国際和解学会年次会ソウル大会2025が韓国・ソウル大学日本研究所の主管で開催された。私が企画した渥美パネル「『尊厳の遺産』国連墓地:朝鮮戦争の記憶と和解」は、大会唯一の特別セッション(Alternative Session)として実施され、私の中では今でも余韻が続いている。
この渥美パネルは、自分が2021年に監修・出演した韓国放送公社(KBS)ドキュメンタリー「記憶の地、国連墓地」の上映会とトークイベントだ。昨年末に渥美国際交流財団のパネル募集を確認した途端、「和解(reconciliation)」をテーマとするこの学会にはこのドキュメンタリー上映がぴったりだと確信した。短期間で適任の先生方が集まり、意欲にあふれた企画書を作った。結果は幸いにも採択。
企画の意図は、国連創設80周年と朝鮮戦争勃発75周年、日韓国交正常化60周年の節目の年を迎え、朝鮮戦争に伴う文化遺産を通して、国際和解と「死者の尊厳」に関する知見を共有することだ。これは私が東京大学で担当している学術プロジェクト「尊厳学の確立:尊厳概念に基づく社会統合の学際的パラダイムの構築に向けて」を国際的に広く発信することとも共鳴する。パネルの先生方が途中で交替されることもあったが、渥美財団と学会事務局のご協力で、無事に開催することができた。朝鮮戦争の墓地に関するドキュメンタリーも、それを取り上げるパネルも、フィルムの内と外で劇的に「和解」に向かっていく私の道のりは、起承転結のナラティブそのものと言える。
7月15日、私の司会でパネルが始まった。KBSプロデューサーの李京玟(イ・ギョンミン)さん、パネルの趙明鎭(ジョ・ミョンジン)先生と私で渥美パネルのために英語字幕を付けたドキュメンタリーを上映。トークイベントでは李さんと私が番組制作の裏話を披露した。
パネルディスカッションでは、専門家の先生方から国際和解学的観点からみる「朝鮮戦争以降の東アジアの平和への道」をテーマとした自由討論が続いた。欧州連合(EU)理事会の趙先生は、ドキュメンタリーの感想に続き、ヨーロッパの安全保障に関する見解と、「ハイヒューマニズム(high-humanism)」の主唱者として記憶を通じた和解の実践方案を、自作の詩とともに提案された。東京大学名誉教授の木宮正史先生は、日本の国際政治学と日韓関係の観点からみる和解の方向を説明された。最後に、元渥美奨学生でソウル大学日本研究所長・南基正(ナム·ギジョン)先生は大会の主催者として、様々な和解に関する見解と学会のテーマである「分断を超えてー私たちを分ける障壁を克服して」について語られた。
質疑応答では、過去の戦争の記憶」を「未来の平和の道」へ導くための意見が参加者たちと共有された。2023年に朝鮮戦争停戦70周年を記念し、外務省の支援のもと「国際理念と秩序の潮流:日本の安全保障戦略の課題」の一環として東京大学で行ったドキュメンタリー上映会が、国際和解学会の場まで広がったことを考えると感慨深い。われわれの認識と経験の地平が拡大するにつれ、「和解」を見るまなざしも次第に深まるだろう。国を越えた和解、彼我間の和解、過去と現在・未来との和解、南北間の和解、生死の和解、自分との和解など…。
企画から実現に至る私の半年間の道のりは幕を閉じたが、この渥美パネルが、参加者たちにとって色々な障壁を乗り越える「和解」の幕を開けることを願う。
当日の写真
関連エッセイ:李貞善「記憶の地、国連墓地が遺すもの」
<李貞善(イ・ジョンソン)LEE Chung-sun>
東京大学大学院人文社会系研究科附属次世代人文学開発センターの特任助教。2021年度渥美奨学生として2023年2月に東京大学で博士号取得。高麗大学卒業後、韓国電力公社在職中に労使協力増進優秀社員の社長賞1等級を受賞。2015年来日以来、2022年国際軍史事学会・新進研究者賞等、様々な研究賞受賞。大韓民国国防部・軍史編纂研究所が発刊する『軍史』を始め、国連教育科学文化機関(ユネスコ)関連の国際学術会議で研究成果を発表。2018年日本の世界遺産検定で最高レベルであるマイスター取得後、公式講師としても活動。
2025年9月5日配信
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2025.06.20
SGRAレポート第111号
第11 回 日台アジア未来フォーラム
「疫病と東アジアの医学知識-知の連鎖と比較」
2025年6月20日発行
<フォーラムの趣旨>
2019年12月、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が中国の武漢市から流行し、多くの死者が出て全世界的なパンデミックを引き起こした。人と物の流れが遮断され、世界経済も甚大な打撃を受けた。この出来事によって、私たちは東アジアの歴史における疫病の流行と対処の仕方、また治療、予防の医学知識はどのように構築されていたか、さらに東アジアという地域の中で、どのように知の連鎖を引き起こして共有されたかということに、大きな関心を持つようになった。会議では中国、台湾、日本、韓国における疫病の歴史とその予防対策、またそれに関わる知識の構築と伝播を巡って議論を行った。
<もくじ>
【第1部】
[報告1] 新型コロナウイルス感染症(Covid-19)から疫病史を再考する
──比較史研究の可能性について
李 尚仁(中央研究院歴史語言研究所)
[報告2] 清日戦争以前の朝鮮開港場の検疫規則
朴 漢珉(東北亜歴史財団)
[報告3] 幕末から明治初期の種痘について
松村 紀明(帝京平成大学)
[報告4] 流行性感染症と東アジア伝統医学
町 泉寿郎(二松学舎大学)
【第2部】
[指定討論1] 「報告1 新型コロナウイルス感染症(Covid-19)から疫病史を再考する
──比較史研究の可能性について」へのコメント
市川 智生(沖縄国際大学)
[指定討論2] 「報告2 清日戦争以前の朝鮮開港場の検疫規則」へのコメント
巫 毓荃(中央研究院歴史語言研究所)
[指定討論3] 「報告3 幕末から明治初期の種痘について」へのコメント
祝 平一(中央研究院歴史語言研究所)
[指定討論4] 「報告4 流行性感染症と東アジア伝統医学」へのコメント
小曽戸 洋(前北里大学東洋医学総合研究所教授)
【第3部】 自由討論
モデレーター:藍 弘岳(中央研究院歴史語言研究所)
発言者(発言順):
李 尚仁(中央研究院歴史語言研究所)
朴 漢珉(東北亜歴史財団)
松村 紀明(帝京平成大学)
町 泉寿郎(二松学舎大学)
講師略歴
あとがきにかえて
藍 弘岳(中央研究院歴史語言研究所)
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2025.06.19
SGRAレポート第110号
第20 回SGRA カフェ/第73 回SGRA フォーラム/第22 回SGRA カフェ連続3回シリーズ
「パレスチナを知ろう」
2025年6月20日発行
<各シリーズ開催の趣旨>
シリーズ1:第20回SGRAカフェ
「パレスチナについて知ろう:歴史、メディア、現在の問題を理解するために」
パレスチナは中東の重要な地域であり、イスラエルとの紛争や国際社会との関係が注目されています。しかし、多くの人はパレスチナの実情や人々の声を知らないまま、偏った情報や先入観に基づいて判断してしまうことがあります。シリーズ1では、パレスチナの歴史的背景やメディアの表現方法を分析し、現在の問題に対する多様な視点や意見を紹介しました。パレスチナについて知ることで、平和的な解決に向けた理解と共感を深めることを目的としています。大切なのは、同じ地球市民の一員として、この問題がこのままでいいのか、どうあるべきなのかを考えること、そしてそれに基づいて、何ができるか考え、実際に行動することではないでしょうか。シリーズ1はその出発点となるように、パレスチナ問題の歴史や現状、メディアとの向き合い方などについて、皆さんと一緒に考えました。
シリーズ2:第73回SGRAフォーラム
「パレスチナの壁:「わたし」との関係は?」
シリーズ2では専門家、パレスチナ出身者、パレスチナ支持の活動を行っている学生の声を取り上げ、なぜこの問題が全ての人にとって重要なのか、そしてその問題を取り上げようとするときに直面する壁について話し合いました。 「壁」という言葉には複数の意味が込められています。一つは、パレスチナ問題について公然と話すことを阻む見えない壁であり、タブーと言論の自由への抑圧を象徴しています。もう一つは、パレスチナ領土での継続的なアパルトヘイト(人種隔離)と植民地化の結果として存在する物理的な分離の壁です。世界中での学生の抗議活動は、これらの見えない壁を取り壊す試みであり、パレスチナ問題に対する公開討論を促進する力となっています。これはパレスチナ問題に対する新たな視点を提供すると同時に、世代間の意識の違いとその変化を示唆しています。
このフォーラムを通じて、参加者がパレスチナ問題に対する多面的な理解を深め、グローバルおよびローカル、マクロとミクロな視点からアプローチする機会になることを期待しています。
シリーズ3:第22回SGRAカフェ
「逆境を超えて:パレスチナの文化的アイデンティティ」
これまでは国際政治やパレスチナ問題の現状に焦点を当ててきたことを踏まえ、シリーズ3では文化、文学、芸術にスポットライトを当てました。
パレスチナに関するニュースは戦争や紛争に偏りがちですが、パレスチナ人には逆境の中で形成された独自で多様な文化的アイデンティティがあります。パレスチナの文学や芸術は民族が国家を奪われ、自決権を認められず、土地や文化の喪失を経験してきた中で、「故郷」をどのように捉えているかを映し出しています。
パレスチナの芸術や文学がいかにして平和的な抵抗の手段となり、抑圧や占領に対抗する一つの形となっているのかについても探求しました。メディアでは語られることのないパレスチナの別の側面をご紹介し、このシリーズがポジティブな視点で終わることを目指しました。
<もくじ>
シリーズ1 第20 回SGRAカフェ
「パレスチナについて知ろう:歴史、メディア、現在の問題を理解するために」
[講 演] パレスチナ問題の基礎知識:歴史と政治的構図の要点を抑える
ハディ ハーニ(明治大学) ※シリーズ1・2共通
[ 質疑応答・ディスカッション]
パレスチナについて知ろう:歴史、メディア、現在の問題を理解するために
司会:シェッダーディ アキル(慶應義塾大学)
オンラインQ&A担当:徳永 佳晃(東京大学)
発言者:ハディ ハーニ(明治大学)
シリーズ1 あとがきにかえて シェッダーディ アキル(慶應義塾大学)
シリーズ2 第73回SGRAフォーラム
「パレスチナの壁:『わたし』との関係は?」
[発表①] パレスチナ問題の基礎知識:歴史と政治的構図の要点を抑える
ハディ ハーニ(明治大学) ※シリーズ1・2共通
[発表②] 建築の支配:植民地主義の武器としての建造環境
ウィアム・ヌマン(東京工業大学)
[発表③] 立ち上がる学生、クィア、環境活動家たち:2023 年10月以降の東京のパレスチナ解放運動
溝川 貴己(早稲田大学)
[ 質疑応答・ディスカッション] パレスチナの壁:「わたし」との関係は?
モデレーター:徳永 佳晃(日本学術振興会)
オンラインQ&A担当:郭 立夫(筑波大学)
発言者(発言順): ハディ ハーニ(明治大学)
ウィアム・ヌマン(東京工業大学)
溝川 貴己(早稲田大学)
シリーズ2 あとがきにかえて 郭 立夫(筑波大学)
シリーズ3 第22回SGRAカフェ
「逆境を超えて:パレスチナの文化的アイデンティティ」
[講 演] 逆境を超えて:パレスチナの文化的アイデンティティ
山本 薫(慶應義塾大学)
[ 質疑応答・ディスカッション] 逆境を超えて:パレスチナの文化的アイデンティティ
司会:シェッダーディ アキル(慶應義塾大学)
オンラインQ&A担当:銭 海英(明治大学)
発言者:山本 薫(慶應義塾大学)
シリーズ3 あとがきにかえて 銭 海英(明治大学)
登壇者略歴
おわりに
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2025.06.16
下記の通り第77回SGRAフォーラム 「なぜ、戦後80周年を記念するのか?~ポストトランプ時代の東アジアを考える~」を対面とオンラインのハイブリットで開催いたします。参加ご希望の方は、事前に参加登録をお願いします。
テーマ:「なぜ、戦後80周年を記念するのか?~ポストトランプ時代の東アジアを考える~」
日 時:2025年7月26日(土)14:00~17:00
会 場:早稲田大学大隈記念講堂 小講堂 およびオンライン(Zoomウェビナー)
言 語:日本語・中国語(同時通訳)
参 加:無料/こちらから事前申込をお願いします
※会場参加の方もオンライン参加の方も必ず下記より参加登録をお願いします。
※会場参加で同時通訳を利用する方は、Zoomを利用するためインターネットに接続できる端末とイヤホンをご持参ください。
お問い合わせ:SGRA事務局(
[email protected])
◇フォーラムの趣旨
80年の長きにわたる戦後史のなかで、アジアの国々は1945年の出来事を各自の歴史認識に基づいて「終戦」「抗戦の勝利」「植民地からの解放」といった表現で語り続けてきた。アジアにおける終戦記念日は、それぞれの国が別々の立場から戦争の歴史を振り返り、戦争と植民地支配がもたらした深い傷と記憶を癒やし、平和を祈願する節目の日であった。一方、この地域の人びとが国境を超えた歴史認識を追い求め、対話を重ねてきたことも特筆すべきである。
2025年は終戦80周年を迎える。アメリカにおける政権交替にともなって、アジアをめぐる国際情勢がより複雑さを増している。こうした状況のなか、多様性や文明間の対話を尊重し、相互協力のなかで平和を希求してきた戦後の歴史を本格的に検証する意味は大きい。本フォーラムは日本、中国、韓国、東南アジアの視点から戦後80年の歳月に光を当て、近隣諸国・地域と日本との和解への道を振り返り、平和を追求するアジアの経験と、今日に残る課題を語り合う。
◇プログラム
総合司会:李 恩民(桜美林大学グローバル・コミュニケーション学群長)
14:00
開会挨拶 今西 淳子(渥美国際交流財団関口グローバル研究会代表)
歓迎挨拶 鷲津 明由(早稲田大学次世代科学技術経済分析研究所長)
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14:20 基調講演Ⅰ.
「冷戦、東北アジアの安全保障と中国外交戦略の転換」
沈 志華(華東師範大学資深教授)
冷戦期において、中華人民共和国の外交戦略は三つの段階と2度の大きな転換を経て、「革命外交」から「実務重視の外交」への転換を実現した。同時に、東北アジアの安全保障構造も根本的な変化を遂げ、当初の二つの三角同盟間の対立構造から、緊張緩和および交差的な国家承認へと推移し、和平交渉のプロセスへと移行した。
まず1949年から1969年にかけての第1段階では、中国は「向ソ一辺倒」政策を採用し、ソ連と連携してアメリカに対抗した。これにより中国は冷戦構造に参入し、社会主義陣営の急先鋒となり、東北アジアは南北に分かれた二つの三角同盟が対立する局面に突入した。
続く1970年から1984年にかけての第2段階では、中国は「向米一辺倒」へと方針を転換し、アメリカと連携してソ連に対抗した。この過程で、最終的に中国は米ソ冷戦の二極構造から脱却し、東北アジアは緊張緩和期へと移行した。
最後の1985年から1991年にかけての第3段階では、イデオロギー上の対立および台湾問題により中米対立が激化したが、一方で中ソ関係は正常化された。中国の改革開放政策の実施に伴い、外交理念も大きく変化し、非同盟の全方位外交へと転換した。中米ソの「大三角」構造が形成され、東北アジア地域においては交差的な国家承認が進行し、二つの三角同盟が対立する局面は完全に解消され、和平交渉のプロセスが始動した。
以上を踏まえ、今後の中国外交においては、鄧小平が確立した実務重視の外交と非同盟政策を堅持しつつ、中米露の三国関係を冷静かつ慎重に処理し、とりわけ中日および中韓関係の発展を、東北アジアの平和と発展の基盤とすべきである。
14:50 基調講演Ⅱ.
「冷戦から冷戦までの間 第2次世界大戦後米中関係の展開と日本」
藤原 帰一(順天堂大学国際教養学研究科特任教授・東京大学名誉教授)
かつて世界を分断した冷戦は今復活したように見える。日本の第2次世界大戦敗戦は連合国による日本占領の元で武装解除と民主化をもたらしたが、米ソ冷戦の開始とともに日本を拠点とした米国のアジア戦略が展開され、米中の緊張は1960年代にいっそう強まった。米中接近後には冷戦を基軸とした日中関係は変貌し、日中国交と経済関係の回復が実現する。冷戦は終わったはずだった。しかし少なくとも2008年以後には米中関係の緊張が再び広がり、同盟体制の再編を経て、冷戦と呼んでも誇張とは言えない国際政治の分断が生まれた。ではなぜ米中の新たな緊張は生まれたのか。これは一時的な緊張なのか、それとも長期的な対立と見るべきなのか。この報告では、大戦後から第2次トランプ政権に至るアメリカの対中政策を跡づけるとともに、その変化をどこまで権力移行論によって説明できるのかについて検討したい。さらに、日本の対中政策はどこまでアメリカの影響、主導権によって説明できるのか、そこに相違、ズレは存在しないのかについても、福田赳夫政権と石破茂政権を手がかりとして考察を試みたい。
15:20 質疑応答
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15:45 オープンフォーラム
モデレーター:林 泉忠(東京大学東洋文化研究所特任研究員)
◇若手研究者による討論
権 南希(関西大学政策創造学部教授)
東アジアの地政学的転換と朝鮮半島を考える
東アジアの安全保障体制は、北朝鮮の核・ミサイル開発に加え、ロシア・ウクライナ戦争を背景とする北朝鮮とロシアの軍事的接近、米中露の地政学的対立の激化により、構造的な不安定性を一層深めている。北朝鮮は2024年以降、韓国を「主敵」と規定し、統一を否定する二国家論を公式化した。一方、韓国社会では統一を「結果」よりも「過程」として捉える傾向が強まっており、経済協力や文化交流を通じた段階的信頼構築が注目される。本発表では、北東アジアの戦略構造と北朝鮮の政策転換を分析しつつ、法治主義に基づく統合体制の構築と、社会文化的接触を通じた内的インフラの整備の必要性を論じる。
ラクスミワタナ モトキ(早稲田大学アジア太平洋研究科)
タイ保守派の陰謀論分析からみる冷戦期の政治分析
途上国において、冷戦は国内政治に多大な影響を及ぼした。反共・親共問わず、特定の勢力の台頭や弾圧が冷戦の文脈で行われ、今日まで続く権力構造に寄与している。本報告では、戦後や冷戦を考える上での国内政治分析が提供しうる視点を、タイ保守派の陰謀論分析を通し模索する。これらの言説の性質から見受けられる今日の冷戦の断層線(fault line)に言及するとともに、「国」を単位とした分析を超える視点の可能性について考えたい。
野﨑 雅子(早稲田大学社会科学総合学術院助手)
国際秩序と知的交流—留学生政策から考える—
本討論では、近年の日米中の留学生政策の変化に着目し、国際秩序と知的交流の関係を検討する。冷戦終結後、留学生派遣・受け入れに代表される知的交流は、各国間の信頼関係構築の基盤として機能してきた。しかし、近年各国間の緊張関係が深まる中で、知的交流の場においても分断が深まりつつある。本討論では、近年の日米中の留学生数の推移や政策の変化を踏まえて、知的交流の場における分断の危機とその克服の可能性について議論したい。
李 彦銘(南山大学総合政策学部教授)
民間の歴史認識・信頼構築・協力と和解への道
本稿は日中の和解の道のりに焦点を当てる。まず、日中の政府レベルでは一定の和解が達成できたとして、事実を簡単に確認する。その上で、2010年代以降を民間人の歴史認識を事例として取り上げ、歴史認識の形成における変化と特徴を抽出してみる。次に、非政府組織(Nongovernmental Organization)における信頼構築の事例(ユネスコ第8代事務局長・松浦晃一郎=ユネスコ事務局長補・唐虔、行財政改革の実現)から、和解の可能性を展望したい。最後に、今後に向けての提言を行う。
◇フロアからの質問
16:50 総括・閉会挨拶 劉 傑(早稲田大学社会科学総合学術院教授)
※詳細は、下記リンクをご参照ください。
・プログラム(日本語)
・中国語ウェブサイト
皆さまのご参加をお待ちしております。
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2024.11.13
SGRAレポート第108号(日韓合冊)
第22 回 日韓アジア未来フォーラム
「ジェットコースターの日韓関係―何が正常で何が蜃気楼なのか」
2024年11月14日発行
<フォーラムの趣旨>
21 世紀の新しい日韓パートナーシップ共同宣言後、雪解け期を迎えた日韓関係は、その後浮き沈みを繰り返しながら最悪の日韓関係と言われる「失われた10 年」を経験した。徴用工問題に対する第三者支援解決法を契機に、2023 年の7回にわたる首脳会談を経て日韓関係は一挙に正常化軌道に乗った。一体、日韓関係において何が正常で、何が蜃気楼なのか? 徴用工問題解決の1年後の成果と課題、そして日韓協力の望ましい方向について考える。
<もくじ>
開会の辞
李 鎮奎(未来人力研究院)
南 基正(ソウル大学日本研究所)
【 第1部 報告と指定討論】日韓関係の復元、その一年の評価と課題
はじめに 座長:李 元徳(国民大学)
[報告1]
日韓関係の復元、その一年の評価と課題 政治・安保
西野純也(慶應義塾大学)
[報告2]
日韓関係の復元、その一年の評価と課題 経済・通商
李 昌玟(韓国外国語大学)
[報告3]
日韓関係の復元、その一年の評価と課題 社会・文化
小針 進(静岡県立大学)
[討論1] 西野純也先生の報告を受けて
金 崇培(釜慶大学)
[討論2] 李昌玟先生の報告を受けて
安倍 誠(アジア経済研究所)
[討論3] 小針進先生の報告を受けて
鄭 美愛(ソウル大学日本研究所)
[質疑応答]
【 第2部 パネル討論】 日韓協力の未来ビジョンと協力方向
座 長: 南 基正(ソウル大学日本研究所)
パネリスト: 西野純也(慶應義塾大学)
小針 進(静岡県立大学)
安倍 誠(アジア経済研究所)
崔 喜植(国民大学)
李 政桓(ソウル大学)
鄭 知喜(ソウル大学日本研究所)
趙 胤修(東北アジア歴史財団)
開会の辞
今西淳子(渥美国際交流財団・SGRA)
金 雄煕(現代日本学会)
講師略歴
あとがきにかえて
※所属は本フォーラム開催時のもの。
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2024.10.24
ソウル中心部の光化門(グァンファムン)は今日も多くの人たちで賑わっている。おそらくその一部は大韓民国歴史博物館を訪れる来場客であろう。朝鮮王朝の歴史を物語る景福宮 (キョンボックン)と米大使館に隣接した歴史を学ぶ最適な場所で、2012年に開館されて以来、近現代の韓国歴史にちなんだ常設展と特別展を企画してきた。
7月27日から3カ月間にかけては特別な展示会が開催されている。タイトルは「あなたはまだここに」。朝鮮戦争で犠牲になった国連軍および民間人を記憶にとどめるために企画された。展示会は、大きく4つのセクションで区分される。「国連の名前で」、「1129日間の戦争」、「救護の手助け」、最後に「見知らぬ土地に刻まれた名前」。
初日の7月27日は、1953年に国連軍と共産軍の両側が朝鮮戦争の休戦協定を結んだ日となる。韓国政府はこの日を「国連軍参戦の日」に指定して、毎年国連軍の参戦勇士の貢献と犠牲を称えており、博物館側の公式説明には以下のように書かれている。
…戦争の残酷な瞬間を経験した多くの人々が、私たちの記憶の向こうに消えていきます。同族間の争いの悲劇で廃墟と化したこの地に、平和の花が咲くまで、実に多くの人々の努力と犠牲がありました。それぞれ違う国から来たが、一つになって戦った国連軍。戦争で苦しんだ軍人と民間人のために献身した人々。私たちが覚えている英雄より隠された英雄がはるかに多いという事実を私たちはもしかしたら忘れていたかもしれません…
(大韓民国歴史博物館のホームページ、特別展示会に関する説明)
70年前に起きた朝鮮戦争のことであるが、朝鮮半島の危機は依然として続けられている。最近北朝鮮が韓国内へ飛ばしたゴミ風船は、未完の戦争の生きた証であろう。朝鮮戦争勃発75周年を迎える2025年を控えて、韓国では各分野で戦争の教訓を改めて考察する動きがみられる。特別展示会「あなたはまだここに」も、まさにその一環として行われる活動である。
この展示会の最後のセクション「見知らぬ土地に刻まれた名前」に、私の研究論文が学術資料として引用されている。私が渥美奨学生であった2021年に韓国・釜山広域市の発行したジャーナル『港都釜山』に掲載された拙稿である。タイトルは「1951年国連墓地の戦没将兵献呈式―1950~1951年臨時国連墓地の統合から献呈式に至る過程の考察―」。国連墓地の設立70周年を記念して博士論文を完成していく中でその一部を投稿したものであった。研究を遂行しながら、求めていた史料をデジタル・アーカイブズから偶然に見つけた瞬間の興奮が今も脳裏に焼き付いている。
私が見つけたのは、国連墓地の設立直後の1951年4月6日に開かれた最初の献呈式(Dedication_Ceremony)の様相を表す史料であった。献呈式の記念式典では、緊迫感溢れる戦争の最中、李承晩(イ・スンマン)大統領を含め、マッカーサー(MacArthur)国連軍司令官の後任となったリッジウェイ(Ridgway)中将、多くの国連軍参戦国の要人が出席した。雨の中、決意に満ちた要人らの様子の厳かな気配にとらわれ、論文を書き終わった後のしばらくの間、私はその余韻に包まれていた。
その資料の一部が、大韓民国歴史博物館の特別展示会に掲載されている。私の研究を直接引用した史料は、国連墓地の象徴区域に表れている国連軍参戦国の配置図である。博物館側は、拙稿の分析内容をほぼそのまま展示物の説明文に採択して掲載した。担当キュレーターによると、拙稿を通して接した史料が今の国連記念公園の象徴区域をよく具現しているため、基礎データのエクセルファイルにて拙稿の内容を記録しておいたという。
論文を基にした形の学術監修ではあっても、自分の論文が国の知られざる歴史を伝える博物館の展示会の参考資料として用いられたことは、研究者として感無量である。他方で、3年前のKBSドキュメンタリー番組の学術監修の経験もあり、今後の使命や責任を考えるとさらに複雑な心境にもなる。結果的に展示物の説明文の下段と、展示場のクレジットタイトル、そして博物館のホームページに、自分の名前が記された。数年前に朝鮮戦争の国連軍戦没者、あの「見知らぬ土地に刻まれた名前」たちを想いながら書いた拙稿と私自身も、大韓民国歴史博物館という地に小さな足跡として刻まれた。
戦争は今なお世界各地で繰り返されている。ロシア・ウクライナ戦争や、イスラエルとヒズボラの紛争など、人間の尊厳を害する悲劇が相次いでいる。地球市民として我々は、苦難の時に人たちを救う英雄のみならず、名も知らなき全ての犠牲者――戦争捕虜、失郷民、拉致被害者、失踪者など――見知らぬ土地に刻まれた名前とともに、争乱の今を生きるあの無数な存在を記憶にとどめるべきであろう。展示会の閉幕を目の前にした今、そのタイトルが心の奥に響き渡り続ける。「あなたはまだここに」。
国連軍参戦の日記念特別展[あなたはまだここに]ホームページ(下段に拙稿表記)
SGRAエッセイ#710 李貞善「『あの時・あそこ』から『今・ここ』へ」
SGRAエッセイ#694 李貞善「記憶の地、国連墓地が遺すもの」
<李貞善(イ・ジョンソン)LEE Chung-sun>
東京大学大学院人文社会系研究科附属次世代人文学開発センターの特任助教。2021年度渥美奨学生として2023年2月に東京大学で博士号取得。高麗大学卒業後、韓国電力公社在職中に労使協力増進優秀社員の社長賞1等級を受賞。2015年来日以来、2022年国際軍史事学会・新進研究者賞等、様々な研究賞受賞。大韓民国国防部・軍史編纂研究所が発刊する『軍史』を始め、国連教育科学文化機関(ユネスコ)関連の国際学術会議で研究成果を発表。2018年日本の世界遺産検定で最高レベルであるマイスター取得後、公式講師としても活動。
2024年10月24日配信
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2023.11.07
SGRAレポート第104号(日韓合冊)
第21回 日韓アジア未来フォーラム
「新たな脅威(エマージングリスク)・新たな安全保障(エマージングセキュリティ) ――これからの政策への挑戦」
2023年11月15日発行
<フォーラムの趣旨>
冷戦後の国際関係において非軍事的要素の重要性を背景にグローバルな経済対立、貧富格差の拡大、そして気候変動、先端技術の侵害、サイバー攻撃、パンデミックなどが新しい安全保障の範疇に含まれるようになってきた。伝統的な安全保障問題が地理的に近接した国家間で発生する事案抑止を前提とするのに対して、新たな安全保障上のリスクは突発的に発生し、急速に拡大し、さらにグローバルネットワークを通じて国境を超える。 多岐にわたり複雑に絡み合う新しい安全保障のパラダイムを的確に捉えるためには、より精緻で包括的な分析やアプローチが必要なのではないだろうか。
本フォーラムでは、韓国における「エマージングセキュリティ(新たな安全保障)」研究と日本における「経済安全保障」研究を事例として取り上げ、今日の安全保障論と政策開発の新たな争点と課題について考察した。
<もくじ>
【第1セッション】
[基調講演1]エマージングセキュリティ、新しい安全保障パラダイムの浮上
金 湘培(ソウル大学政治外交学部教授)
[基調講演2]経済安全保障・技術安全保障の現在
鈴木一人(東京大学公共政策大学院教授)
【第2セッション】
[コメント1]基調講演を受けて
李 元徳(国民大学校社会科学大学教授)
[コメント2]複合地政学への対応としての日韓協力
西野純也(慶應義塾大学法学部政治学科教授)
[コメント3]韓国と日本の共通の挑戦
林 恩廷(国立公州大学国際学部副教授)
[コメント4]安保、国家、リベラリズム
金 崇培(国立釜慶大学日本学専攻助教授)
【第3セッション】 自由討論/質疑応答
司 会: 金 雄熙(仁荷大学国際通商学部教授)
討論者:
金 湘培(ソウル大学政治外交学部教授)
鈴木一人(東京大学公共政策大学院教授)
李 元徳(国民大学校社会科学大学教授)
西野純也(慶應義塾大学法学部政治学科教授)
林 恩廷(国立公州大学国際学部副教授)
金 崇培(国立釜慶大学日本学専攻助教授)
総括・閉会挨拶
平川 均( 名古屋大学名誉教授/渥美国際交流財団理事、第21 回日韓アジア未来フォーラム実行委員長)
講師略歴
あとがきにかえて
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2022.04.05
2022年3月21日20時から1時間半にわたり、第17回SGRAカフェ「国境を超えたウクライナ人」がZoomウェビナーで開催されました。今回のカフェは、奇しくもロシアによるウクライナ侵攻開始と同じ2月に発行されたばかりの『国境を超えたウクライナ人』(2022年、群像社)の著者であり、2004年度渥美奨学生でもあるオリガ・ホメンコさんを講師にお迎えして、著作からウクライナとウクライナ人の歴史、文化的背景まで幅広くお話しいただきました。オリガさんは風邪で体調がすぐれない状態でしたが、最後まで情熱をもってお話しくださいました。当日は以前からオリガさんと親交の深い群像社編集発行人の島田進矢さんにゲスト、中央大学教授の大川真先生にコーディネーターとして参加いただきました。
最初に司会の今西淳子SGRA代表よりオリガさんの渥美奨学生当時の懐かしい写真、最初の著作『ウクライナから愛をこめて』(2014年、群像社)の元となったメールマガジン「SGRAかわらばん」(毎週木曜日に日本語で配信)への長年にわたるウクライナに関する投稿や最新作の内容とともにオリガさんの紹介がありました。続いてオリガさん、島田さんから短いご挨拶をいただいた後、『国境を超えたウクライナ人』執筆の経緯や「国境」、「超える」がキーワードとなった経緯について対談していただきました。
オリガさんからはウクライナの歴史と文化、ウクライナ人の精神的背景について日本との関わりも交えてお話しいただきました。特にウクライナのたどってきた歴史や置かれてきた状況についての話は、日本ではほとんど知られていない事ばかりで、物事や状況を多方面から見て考えることの大切さと、与えられる情報だけではなく、自ら知ろうとする事の大切さを教えられるものでした。これまでの支配のトラウマを乗り越え、今まさに自分たちの事を語り始めようとしているウクライナの方々の気持ちがオリガさんを通じて切々と伝わってきました。
最後に大川先生が参加者からの質問やコメントを紹介し、オリガさん、島田さん、今西さんの4人でお話しいただきました。ウクライナでは自由な自己表現ができなかった時代から詩人と作家がウクライナの主張を伝える上で大きな役割を果たしてきたという説明がありましたが、その作品は必ずしもウクライナ語で表現されるものだけではないという指摘が印象的でした。自分たちの言語はもちろん大切にするべきものだが、それがアイデンティティの全てではなく、大切なのは意識であり、文化であるということ、ウクライナのアイデンティティは歌、刺繍、踊り、生活習慣、生活風土などいろいろなものを含むとても豊かなものであることを理解してもらいたいし、それを通じて自己表現していくことが大切であるというオリガさんの一貫した主張が心に響きました。そういう意味でも、オリガさんの著作はウクライナを理解するうえで素晴らしい案内役ではないでしょうか。そして、ただ心を痛めるだけではなく、自ら知ろうとすること、多面的に考えようとすることの大切さが分かっているようで分かっていなかったことに気づかされました。
カフェの参加者からは、ウェビナーを通じてオリガさんにお話しいただいた事への感謝とオリガさんの気持ちに寄り添おうとする温かい応援がたくさん寄せられました。厳しい状況の中、また体調が万全ではない中で、力強いメッセージを伝えてくださったオリガ・ホメンコさんに改めて感謝いたします。
当日の写真とオリガさん書籍の紹介
アンケート集計結果
<三宅綾(みやけ・あや)MIYAKE Aya>
東京都出身。博物館学修士(ジョージワシントン大学)、哲学修士(美術史系)(学習院大学)。独立行政法人 科学技術振興機構(JST)(現・国立研究開発法人 科学技術振興機構)勤務を経て2020年より渥美国際交流財団に勤務。
2022年4月7日配信
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2021.12.02
8月15日、タリバン勢力によるアフガニスタンの首都、カブール陥落はある種の「時代の終焉」を見せつけているような気がした。20年前には「CNN」に代表される欧米系のメディアでしか見られなかった現地の様子は、アフガンの個々人のSNSアカウントから時々刻々と発信された。これは20年という時代の変化とともに何らかの不変さを感じさせた。変化とは技術的な意味で、不変はアフガン政治体制のもろさのことである。昨年以降、タリバンが勢いづいて勢力を急拡大していた事実は日本や米国の報道から知っていたが、体制崩壊はあまりにも早かった。米軍がそう簡単に撤退するとも思えなかった。しかし、いつの間にかカブールは我々の脳裏から消えていき、タリバンはアフガンの「正当な」統治勢力と化している。
私は2003年に大学へ入学した。当時はいわゆる「テロの時代」だった。「9・11テロ」(2001年)の衝撃と米国の対応(報復)、即ちアフガン・イラク戦争の影響は韓国にも及んでいた。9・11テロを生中継で目撃した数多くの一人として、想像を絶する「非日常の風景」に衝撃も受けた。米国のアフガン攻撃は当然視され、世界的にも米軍支持が次々となされた。当時はあの北朝鮮ですらテログループを非難し犠牲者を追悼する声明を出すほどだった。戦場と化したアフガンの聞きなれない地名で米軍は勝利を収め続けた。タリバンはあっけなくアフガンから駆逐されたように見えた。戦争の名目はタリバンがテロの首謀者、オサマ・ビンラディンをかくまったということだったが、戦争の最後まで目的を達成することはなかった(彼は隣国のパキスタンで捕まる)。
米国は気勢を上げ「大量破壊兵器(WMD)」疑惑を理由にイラクへ侵攻する。これがちょうど2003年だった。韓国の大学では当時いわゆる「学生運動勢力」がそれなりに力を有していた。キャンパス内ではイラク戦争への反対を訴える垂れ幕も散見された。それまで米国の軍事活動を概ね支持してきた韓国世論も、イラク戦争に対しては賛否両論が激しく対立していた。アフガン戦争とは違って、どうしても戦争の正当性が見当たらなかったからだ。2003年5月にブッシュ米大統領の「終戦宣言」で終わったように見えたイラク戦争は泥沼化していく。私は最初からイラク戦争には反対だったが、今、振り返ってみると戦争を多少変わった観点から見た時期もあった。2005年からの2年3か月の軍人時代(兵役、空軍)だ。
韓国政府は米国の支援要請を受け、軍事派遣を進めるか否かで相当迷っていた。派兵を反対するデモも繰り返し行われた。韓国内の対米感情は悪化の一途を辿り、ブッシュに対しても多くの批判がなされた。単純に進歩系市民団体だけでなく、米国の「一方主義」に拒否感を覚えた人々が多かった。陸軍部隊等の大規模派遣が決定された後には「それでもどこが安全か」という議論に移った(余談であるが、日本でも似たような論争は存在していた。しかし議論自体は韓国より比較的落ち着いた中で進められる。その背景には北朝鮮による拉致問題があったが、詳細については割愛する)。
私の「日常史」がイラク戦争に「出くわす」のは、ちょうど戦争の泥沼化が始まったこの時期だった。「イラク派遣の兵士を募集する」という内容の通達文が全軍に伝播された。基本的には陸軍兵士が中心だったが、クウェートに空軍部隊の展開も予定されていた。兵士の間では「今の何十倍ものお金がもらえる」ということで話題にもなった。当時の給料は平均月1万円前後だったからだ(現在は賃上げの影響で増額)。それがイラクに行くだけで、約2000ドル(約20万円)になるということだった。軍内部のインターネット(イントラネット)のメールマガジン(ニュースレター)には「平和的に現地住民と過ごす兵士の写真」が数回にわたり掲載される。応募することはなかったが、それにしても戦争がそれなりに身近にあった。それ以降、北朝鮮の初の核実験(2006年10月)も軍隊で経験したため、当時の「安保情勢」はある意味、「自分の問題」でもあった。そのせいか、今でもこの前後の時代に対し学問的な関心を持っている。
全世界が目撃しているように、アフガン・イラクの安定化は失敗に終わろうとしている。イラクでは「イスラム国」をはじめ、とても安定とは言えない情勢である。アフガンのカブール陥落と空港での大惨事はその象徴だった。米国はイラクとアフガンの再建や民主化を名目に莫大な金銭的かつ技術的な援助及び軍事支援を進めてきたが、現在、自国内でもアフガン戦争を評価する声は高くないようだ。
個人的にカブール陥落後、米国内の動きで特に印象深かったのは、アフガン戦争の開戦を最後まで反対した米民主党の下院議員(バーバラ・リー)の演説だった。リー議員は、9・11テロ直後の議会で大統領にテロ対応のための絶大な権限を付与する決議に対し「軍事行動によってさらなるテロを防ぐことはできない」「どんなに困難な採決でも、だれかが抑制を訴えなければならない」と主張した。しかし、むなしくも採決の結果、上院では98対0、下院では420対1で議決は可決された(『朝日新聞』2021年8月12日)。にもかかわらず、ちょうど20年が経った今、この反対意見はこれからの世界の「教訓もしくは反面教師」として残った。
ただし、「20年」は変化をもたらすための時間としては極めて短い気もする。民族的構成が比較的単純な韓国や台湾でも、冷戦期の独裁体制から抜け出し民主化を定着させるまで40年以上の年月を要した。そのため、おそらく変化したことがあるとすれば、それは米国がもはや時間の経過を耐える「忍耐力」が低下した事実かもしれない。これこそ、「一つの時代の終焉」を意味するのだろう。
<尹在彦(ユン・ジェオン)YUN_Jae-un>
一橋大学法学研究科特任講師。2020年度渥美国際交流財団奨学生。2021年、同大学院博士後期課程修了(法学)。延世大学卒業後、新聞記者(韓国、毎日経済新聞社)を経て2015年に渡日。専門は日韓を含めた東アジアの政治外交及びメディア・ジャーナリズム。現在、韓国のファクトチェック専門メディア、NEWSTOFの客員ファクトチェッカーとして定期的に解説記事(主に日本について)を投稿中。
2021年12月2日配信