安全保障と世界平和

21世紀を迎えた東アジアは、何よりも相互理解と信頼、そして平和の枠組みが求められています。本研究チームは、今まで互いの信頼と理解を損なう要因は何だったのか、さらにこの地域において安全保障と平和への道とは何だろうか、という課題に取り組んでいます。
  • 2020.04.30

    エッセイ630:林泉忠「「孤立」する台湾がテドロスに「完勝」したワケ?」

      (原文は『明報』(2020年4月20日付)に掲載。平井新訳)   4月8日、WHOのテドロス・アダノム事務局長は記者会見という公開の場で台湾を名指しし、台湾が彼に個人攻撃と人種差別を行なっているという異例の非難を行った。その後、「人から人への伝染」の可能性を警告する昨年12月末の台湾当局からのメールをWHOが無視したのではないかという国際社会からの疑念をめぐって、再度議論が紛糾したために、「テドロスvs台湾」というこの「意外な戦争」はさらに続き、しかも予想外の結果に至ることになった。   最大のポイントは、テドロスが積極的に仕掛けたこの「対等でない戦争」において、一方でテドロス本人に綿密な戦略的思考と有効な対応策の調整が欠けていたことと、また他方では台湾側が巧妙に「借力使力」(てこの原理のように相手の力をこちらの望みを達成するためにうまく利用すること)で立ち回り、自らが得意としている防疫の成功経験をうまく絡めて、機に乗じて“Taiwan_can_help”という国際戦略の大攻勢に打って出たということである。こうして台湾は、国際的な舞台において、ここ数十年で稀に見る高い露出度を獲得し、今回のパンデミックにおける台湾の防疫の優秀さがさらに世界的な注目を浴びるきっかけともなった。WHOの大門をもう一度叩いて開こうとする台湾にとって、これは有利な国際世論の環境づくりに成功したことになる。台湾は、いかにしてこれを成し遂げたのだろうか。     ○テドロスの台湾批判における戦略上の「4つの失策」   言うまでもないことだが、WHOは国際社会が今回の新型コロナウイルスのパンデミックに対応する上で最も重要な国際機関である。しかし、事務局長であるテドロス氏は、この空前の感染爆発の初期には、「あからさまな中国贔屓」と見受けられるいくつもの発言をしていた。1月14日にはまだ「人から人へ」の感染の可能性を否定する声明を発表するなど、この感染症の流行状況に対する数々の「誤った判断」が目立っていたといえる。こうした対応がすでに国際世論の多くの批判を招いていたのであり、テドロスの受けていたプレッシャーが相当なものだったのは言うまでもない。   次第に積み重なっていく国際世論からの批判の荒波の中で、テドロスがついに耐えきれなくなって、WHOの記者会見上で「反撃」を試みたのだろうということは想像に難くない。しかし、テドロスのこの「反撃」は、その問題設定のあり方そのものが、内容、対象、タイミング、状況判断の全てにおいて、成功する策略家であれば犯すことのない過ちを多く犯したことで、国際世論からの再批判という衝撃を受け止める支えすら失った。その結果は、予期していた効果を得られないばかりでなく、かえって台湾に「逆転勝利」のチャンスを与えてしまったのである。     ○テドロスの犯した過ちとは具体的には何だったのか。   第1に、証拠を欠いた非難だったことである。いかなる種類の「反撃」であっても、最も基本的な対応は十分な根拠を持って反論を行うことであろう。しかし、テドロスはただ単に「私に対する侮辱、「黒人」や「黒鬼(黒人であることを蔑んだ呼び方)」などという人種差別的表現を使った私への攻撃」が「台湾からだった」と指弾するにとどまった。確かに、テドロスは「台湾の外交部も、一部の人々が私に対して個人攻撃をしていることを知っていたし、しかもその中(そうした個人攻撃)に加わっていることを否定していない」と述べているが、ついに具体的な論拠を示すことはなかったのである。   第2に、場違いの状況だったことも問題であろう。それは「公私混同」、「公的機関の私的利用」と言われかねないやり方だった。実際、テドロスは、通常のWHOの記者会見の場において突如、彼個人に対する人身攻撃について語り出したが、いじめられていかにも辛そうなその表情を公に晒すことで、「国際機関を管理する指導者としての風格を失った」という印象を世間に与えてしまった。   第3に、タイミングも見誤ったといえる。3月に入って新型コロナウイルスはパンデミックに至り、欧米はまさに日増しに厳しい情勢になっていた。こうした状況において、テドロスが初期に「判断を誤った」とする国際世論の不満はどんどん高まりを見せていた。テドロスが記者会見で台湾を名指しで批判したちょうどその頃、テドロスの辞任を求めるネット上の署名運動に75万人ものネットユーザーが名を連ねていたが、こうした動向は決してそのすべてが台湾によって主導されたものだとは言えないだろう。したがって、こうした自己に不利な状況というタイミングで「反撃」を行ったテドロスが、国際世論の広い支持を得られなかったというのは、はじめから予測可能だったとさえ言えるだろう。   第4に、対象の選び方においても誤っていた。テドロスの「反撃」は、具体的な個人に対するものでもなければ団体に対してでもなく、また非常に具体的な一つの事件に関するものでもなく、一つの政治的な実体としての台湾そのものであり、しかも非難する理由として挙げたのは「人種差別」があったという非常に漠然とした内容であった。実際、テドロスの台湾への「反撃」は、国際世論の支持を取り戻すため以上のものではなかっただろう。しかし、この「反撃」の主体は、テドロスともしくはその秘書を加えた小さなグループがせいぜいのところであり、かたや相手は一つの社会全体である。しかも論拠も証拠も乏しい状況でこうした主張を行えば、相手方からどれほど強烈な「再反撃」の波が押し寄せるか想像に難くなかったはずだ。   果たして、テドロスの「反撃」が招いたのは、まさに台湾社会全体から押し寄せる「反テドロス」の怒号であった。この怒号は、民進党と国民党に珍しく与野党ともに声を合わせて「対外的に一致」する機会を与えただけでなく、島内の人々であれ海外からの留学生であれ皆が一致団結して、テドロスの「事実に沿わない非難」に対して抗議したのであった。     ○台湾はいかにして「借力使力」の「完勝」を成し遂げたのであろうか?   この時、台湾はまさに防疫に成果を上げており、この防疫対応の過程で示してきた台湾の医療技術とイノベーション力が国際社会に評価されていた。民進党当局もこの有難いチャンスを生かして“Taiwan_can_help”の国際キャンペーンを打ち出し、積極的に国際社会との交流協力を通じて台湾の存在感を強化し、台湾の国際的なプレゼンスを高めた。   したがって、テドロスによるあからさまな台湾批判は、むしろ台湾に格好の「当たりくじ」を送ることになってしまった。まず、台湾外交部はすぐさま声明を発表し、「あまりにも無責任な責任転嫁」だとテドロスに抗議し、謝罪を要求した。蔡英文総統もフェイスブック(Facebook)上で立場を表明し、テドロスに抗議するだけでなく、「台湾はこれまでいかなる形式の差別にも反対してきました。私たちは国際組織から長年排除されてきたのであり、差別され孤立するのがどのような気持ちか誰よりもわかっているつもりです」と「借力使力」の対応を示した。さらに、この流れに棹さして、台湾はWHOとの関係が縮まるよう希望しているとし、そしてテドロスに対して「ぜひ台湾に訪問してもらいたい」という意思表示の中で「台湾人民がいかに差別と孤立に遭う中で努力を続け、世界に向かう歩みを堅持し、国際社会に貢献しているかを感じて欲しい」とまで語った。国民党も声明で、「WHOのリーダーは論拠が不明確な状況のもとで最近(WHOが)受けている批判の原因を台湾のせいにすべきではない」と発表している。   市民の間に広がる「反テドロス」の怒号の中でも最も注目を集めたのは、台湾のユーチューバー「阿滴」と著名なデザイナー聶永真などが、テドロスによる「台湾批判」の後に「ニューヨークタイムス」に掲載しようと始めた「台湾人が世界に宛てて書いた手紙」という募金活動である。この運動は、もともとは400万台湾元(約1300万円相当)を集めることを目標としていたのに、キャンペーン開始からわずか15時間ほどで1900万元(約6840万円相当)を超える寄付金額を達成した。この意見広告は4月14日に「ニューヨークタイムス」に掲載され、“Who_can_help?Taiwan”(誰が助けられる?台湾だ)というメッセージが伝えられ、「孤立させられた時、私たちは団結を選択した」という台湾の立場を強調した。   こうして台湾から寄贈されたマスク等の防疫物資が多くの国に続々と届いているまさにちょうどその頃、アメリカのトランプ大統領は4月17日には中国が感染症の流行拡大や実際のデータを隠蔽したと再度批判し、同時に台湾が去年12月末に「人から人への感染」を警告したことをWHOが無視したと指摘した。これと同時に、テドロスの最大の支持者であるはずの中国では、広州地域において現地在住のアフリカ人が人種差別的な扱いを受けるという事件が発生していた。まだ感染者であると確定していない状況にもかかわらず、黒人であれば強制隔離され、パスポートを没収し、場合によっては住宅やホテルから追い出されるような事態も起こっていた。こうした事態に、多くのアフリカ諸国が現地の中国大使を召喚したり、中国外相王毅に親書を送付し、この問題を注視していることを伝え、説明を要求したりした。   一方で、台湾が外国人に対して非常に友好的な社会であることは世界が認めるところである。たとえ、両岸関係が長期的にうまく行っていないとしても、機会があって台湾に進学した大陸の学生や観光客は皆が、台湾社会の友好的な態度と礼儀正しさにプラスの評価を与えている。国際世論のプレッシャーを受けてきたテドロスは、軽率にも台湾に矛先を向けて「人種差別」の謗りを以って台湾への非難の理由とした。もしかすると彼は、台湾が国際的な地位を欠いているために国際連合が承認する主権国家でWHOのメンバーでもないことから、こうした非難への反発はそこまで大きく広がらないと考えていたのかもしれない。しかし、結果はむしろテドロスにとって逆効果となったのであった。   テドロスの「台湾批判」という判断の誤りは、「WHOの外に排除されている」という問題について、国際社会のより大きな関心を台湾に獲得させることになった。現在、欧米や日本などの諸国は、5月に開かれるWHO総会への台湾のオブザーバー参加への支持を、次々に表明している。こうした逆境のもとで、WHOもついに4月18日の記者会見上で、台湾の防疫対応における成果を初めて公に評価せざるを得なくなったのである。   台湾がWHOに参加できるか否かは、最終的には北京の態度にかかっている。しかし、今回の「テドロスvs台湾」という意外な場外乱闘は、北京の主権的立場のために国際社会において長い間孤立してきた台湾に、これを機に自らの立場についてより多くの国際世論の関心と支持を得るチャンスを与えたのである。この点から言えば、台湾はまさに「完勝」したといえるだろう。   <林 泉忠(リン・センチュウ)John_Chuan-Tiong_Lim> 国際政治専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、中国武漢大学日本研究センター長、香港『明報』(筆陣)主筆などを歴任。     英語版はこちら     2020年4月30日配信
  • 2020.04.16

    エッセイ628:林泉忠「『記事撤回事件』と『パンデミック宣伝戦』」

      (原文は『明報』(2020年3月23日付)に掲載。平井新訳)   香港における「抗疫大將(防疫作戦の将軍)」と称される香港大学微生物学系講座教授の袁国勇とその弟子である名誉助理教授龍振邦の両名が3月18日に『明報』に投稿した「17年前の教訓を全く活かせなかった武漢由来のパンデミック」の記事に関して「撤回声明」を出すに至り、香港全土を揺るがす「記事撤回事件」が起こった。では、記事撤回の決定はどのような経緯と圧力のもとに起こったのだろうか。事件の真相の詳細についてはまだよく分かっていない。確かに事件の背景に関しては諸説紛糾しているものの、中国の国内外で感染症の流行状況が逆転してしまった現状において、中国が今まさに戦いの火蓋を切って落とそうとしている宣伝作戦とこの「記事撤回事件」の関係にまず着目すべきだろう。     ○二人を「記事撤回」に追い込んだきっかけ   新聞紙上に掲載された文章は、たとえ誤りを含んだものであったとしても、普通はメディアを通じて読者へ釈明したり、訂正を出したりすれば事足りるのであって、記事そのものを「撤回」するというのは珍しい出来事である。そもそも一度掲載してしまった内容を「撤回」などできるはずもなく、「撤回声明」で問題が一件落着するわけでもない。実際、「撤回声明」が出たことによって、多くの読者が興味をもって元の記事を探して読むことにつながってしまい、当該記事は『明報』のウェブサイトでもヒット数が激増し、記事の影響力はかえって増大することになった。   ここで、「記事撤回事件」の背景と原因を窺い知るためには、北京側のロジックから理解しなければならない。   そもそも、3月18日の「記事撤回事件」は、2段階の進展を見せていた。まず、第1段階は、記事が発表された当日の夕方だいたい5時から6時の間に、記事の筆者である龍と袁の両名が『明報』社に記事内の「中華民国」の文字を「台(湾)」に変更するよう要求した。この段階での問題は、北京からすれば「常識を欠く低レベルの間違いを犯した」というものであっただろう。中国に復帰した後の香港は、中華人民共和国の特別行政区である。たとえ香港と内地の言論の自由に関する規範が必ずしも一致せず、内地では掲載不可能な「台湾総統選」や「台湾総統蔡英文」など類似のこうした表現について、必ずしも内地における報道に合わせて「中国台湾」、「台湾地区」と呼称する必要はない。 とはいえ、括弧を付けずに「中華民国」と香港、マカオを並列にすることは、?台湾を一つの国家であると認めること、?台湾の国名は「中華民国」であると認めている、とはっきりと示すことになってしまう。こうした表現は、もっとも緩やかな基準に基づいて判断したとしても、北京から見れば、少なくとも「ポリティカル・コレクトネスに反する」となろう。   しかし、香港の言論、新聞、出版の自由は、香港『基本法』の保障を受けている。だからこそ、『基本法』にもとづき、『明報』の編集部も当初、記事の筆者に対してかかる台湾の名称に関する表記の変更を積極的に要求しなかったと、筆者は信じている。重要なのは、袁国勇は香港大学医学院教授であるというだけでなく、同時に中華人民共和国国家衛生健康委員会のシニアエキスパートチームのメンバーであり、かつ香港政府の防疫専門家顧問団のメンバーであるなど、現役「官僚」の身分をも有しているということである。こうした身分を持ちながら、自らが公開する文章において、台湾を「中華民国」と表現することの重大性は、すでに「不適切」の一言で済まされる問題ではなく、これこそ彼ら2名を記事の撤回に追い込むことになった原因といえるだろう。もちろん、当該記事の「問題」はこれだけにとどまらない。     ○北京の新たな「宣伝戦」にも反する論調   記事の筆者である2人は、18日の夕方に「中華民国」の名称の訂正を求めた後、夜にはさらに『明報』に対して「記事撤回声明」を発表し、『明報』は当日深夜11時38分にニュースリリースを発表した。これが、「記事撤回事件」の第2段階目の展開であった。合理的に推察すれば、夜になって筆者両名が受けた圧力がさらに一歩強まり、「中華民国」という表現を訂正すれば良いという問題ではないということに思い及び、そこで夜中に再度新聞社に連絡してあまり見慣れない「記事撤回声明」を出すに至ったという経緯が考えられよう。言い換えれば、記事撤回の背景には、「中華民国」という呼称以外に文章内容も関係したということではないだろうか。   そもそも当該記事には、上述した台湾の呼称のほかに、論争を巻き起こす3つのポイントがあった。それは、第1に感染症の名称として「武漢肺炎」という呼称に正当なお墨付きを与える内容だったこと、第2に「ウイルスの発生地は武漢である」と主張したこと、第3に「中国人の陋習劣根」が「ウイルスの発生源」であると主張したことである。この3大論点は、それぞれ若干内容が異なるとはいえ、結局は中国における民族主義の逆鱗に触れたという点で、「世間の皆様に不快な思いをさせた」というばかりでなく、むしろ「中国人の民族感情を著しく傷つけた」という意味で、強い反発を招きやすく、中国大陸のネットユーザーの「出動」と炎上を触発する要因となりかねなかったのである。もちろん、こうした指摘の裏に潜んでいる真意は、当局の「野生動物の濫獲と食用に対する取り締まりの不行届」が招いた問題であるという意味で、民族感情レベルの問題だけではないと言えよう。   いわゆる「龍の逆鱗に触れたる者は必ず死に至る(「逆鱗」の故事成語)」となった当該記事が「炎上した」理由として、おそらく民族感情を害したことよりもさらに重大だったのは、公職にある香港随一の防疫専門家が、あろうことか「武漢肺炎」の用語を公然と肯定し、同時にさらに一?踏み込んで「ウイルスの発祥地は武漢である」という論まで展開したことだろう。   客観的には、3月に入って以降、中国内地における感染症の流行は次第に抑え込まれつつあった。習近平は3月10日に武漢を視察し「感染症との戦いには段階的な勝利を収めた」と標榜していた。これと同時に感染症の流行状況は中国国外において急激に拡大しつつあり、中国の国内外において状況が逆転し始めていた。   この段階に到って中国の官製メディアは、すぐに「パンデミック世論戦」を展開し始めた。一方では「中国の制度的優越性」によって「パンデミックとの戦い」に勝利できたと声高に喧伝し、他方では中国における感染症の流行のマイナスイメージを極力払拭しようとしたのであった。   これによって、感染症流行に対する中国政府の対応への中国国内外からの批判を和らげ、中国に対する責任問題の追及をかわそうとしていた。従って「武漢肺炎」という呼称を頑なに使用し続ける台湾当局や、トランプが連日に渡り「中国ウイルス」と呼び続ける事に対して、厳しく譴責していた。   この他にウイルスの発生源に関する問題について、中国世論ではこれを曖昧化し始めていた。中国とは関係がないと極力主張するばかりか、中国外交部のスポークスマンである趙立堅が、先日SNSメディアで表明したように、「新型コロナウィルス肺炎の感染症は米軍によって武漢に持ち込まれた可能性がある」とまで語っている。   簡単に言えば、中国側の世論において(コロナ騒動の原因と責任に関して)反転攻勢の宣伝が激しく展開されているまさにその時に、中国国家保健委員会シニアエキスパートチームの一員の身分を有する袁国勇教授が高らかに当該記事を発表したことは、北京側の宣伝の意向を無視し、中央政府の基本的な認識に真っ向から挑戦するという大禍を招いた事になるのである。このように顔に泥を塗られた北京当局が、記事の撤回だけでことを済ませ、袁国勇教授に対しその公職に引き続き留任させるというのであれば、中国内地の基準に照らせば、おそらく前代未聞の寛大な処置と言えるだろう。     ○反転攻勢の「パンデミック世論戦」もほどほどに   公正を期して述べるならば、もし当該記事が発表されたのが、2月中旬のWHOが正式に新型コロナウィル肺炎の名前を「COVID-19」命名とする以前であれば、問題はここまで重大なことにはならなかっただろう。実際にWHOが正式に命名する以前の段階では、世界各国のみならず中国国内メディア及びネットユーザーですら「武漢肺炎」という呼称を便宜的に使用していたのであり、この呼称が「社会的スティグマ」であると公式に認定されたのちに、ようやく呼称が変更されたという経緯があった。この点から言えば、今回の事件は、当該記事の筆者には中国政治の「敏感(デリケート)度」に対する観察と対応能力が足りなかったために起こったと言わざるを得ない。   実のところ、「武漢肺炎」であれ「中国ウイルス」であれ、たとえウイルスの発生源が最終的に武漢からであったと確定されたとしても、こうした名称が人種差別の意味を含んでしまう誹りは免れない。特に、人類の文明が進歩し、人権への尊重が進むにつれて、こうした名称は極力避けられるべきだろう。しかし、これは「香港インフルエンザ」、「香港脚(水虫)」、「日本脳炎」など、地域の名称を冠したその他の疾病の呼称に対しても、同様に批判を展開すべきであり、ダブルスタンダードとなってはいけないだろう。   この他、中国はまさに反転攻勢型の「パンデミック宣伝戦」をこれからさらにおし進めようとしている。しかし、これは西欧世論の注目を広く集めるばかりでなく、反感さえ招いており、中国は自画自賛だと批判されている。中国政府が「当局のとった的確な防疫対応は人類の健康と安全を守るために大きな貢献となった」などと強調することは、当局が感染症の発生初期に真相を隠蔽して感染爆発を招いたという中国社会及び国際社会が有する負の記憶を抹消しようとするものだという批判である。中国の感染症への対応が的確であったかどうか、またその効果はいかなるものかについて、もちろん様々な見解が存在するだろう。   しかし、もし民意と国際世論の反応を無視して、当局が「パンデミック宣伝戦」を高らかに展開し続けるのであれば、おそらく「感恩論」(訳者註:3月初旬に武漢市の党書記王忠林が、武漢市民に今回の感染症拡大に対する政府の対応に感謝する「感恩教育」の必要性を説いたことに対して、中国のネットユーザーを中心に市民からの批判が殺到したため、当局はすぐにこれを撤回した)や、出版されずに回収となった『大国戦”疫”』(訳者註:中国共産党と政府宣伝部門が主導し、習近平指導部の新型コロナウィルス感染症への対応の成果と指導力をアピールする内容の書籍が2月下旬に出版予定だったが、市民からの非難が殺到したために販売予定の書籍は回収された)と同様に、逆効果となるため、ほどほどに慎むべきだろう。   <林 泉忠(リン・センチュウ)John_Chuan-Tiong_Lim> 国際政治専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、中国武漢大学日本研究センター長を歴任。     2020年4月16日配信
  • 2020.04.10

    李恩民 「第4回東アジア日本研究者協議会パネル 『日本のODAとアジア:再評価の試み』報告」

    2019年11月2日、400人以上の参加者を迎えた東アジア日本研究者協議会第4回学術大会にて、SGRAより参加した3パネルの一つである「日本のODAとアジア:再評価の試み」が台湾大学の普通教学館で挙行された。 このパネルは公益財団法人渥美国際交流財団の助成を受けて企画されたものである。1950~60年代に始まった日本の政府開発援助(Official Development Aid=ODA)は、1989年には米国を抜きODA拠出額では世界ナンバーワンとなった。しかし、その過程で世界各国からさまざまな批判、日本国内からも不満または評価の高まりを受け、日本政府は予算の縮小・戦略の再構築を決断した。2015年、ODA大綱は「開発協力大綱」と名称を変更し、より一層強く「国益」の確保への姿勢を打ち出した。他方、政治的な要因で対台湾の経済協力事業は中止、経済的な要因で対韓国のODAは予定通り「卒業」、急速に経済の高度成長を遂げた中国へのODAも2019年春をもって終了した。アジアにおける複雑な政治経済の動きが世界規模で影響を拡大している現在、「日本の重要な政策ツールのひとつ」と位置づけられた「ODAを主体とする開発協力」について、立体的かつ総合的にレビューする機が熟した。 これまで日本が行ってきたODAについては政策決定のプロセスや戦略意図についての論考が多かったが、今回のパネルでは黄自進・中央研究院教授(Prof. Huang Tzu-chin, Academia Sinica)の司会のもと、異国で博士学位を取った多文化なバックグラウンドを持つ学者陣と共に、日本のODA政策へのレビュー、対アジア主要国ODAのケース・スタディーに重点を置いた議論を進めていった。 基調講演をされた深川由起子・早稲田大学教授(Prof. Fukagawa Yukiko, Waseda University)は「日本の開発援助政策転換~韓国との比較から~」というタイトルで、日本ODAの歴史と現在、成果と問題について総合的に語った。深川教授の研究によれば、日本のODAをめぐっては1990年代にその規模がピークに達すると、欧米から自国利益を拡大するための「商業主義」であるという批判を受けた。しかしながらその後、多くの研究によって誤解が解かれると共に、結果としてアジア各国が優れた経済発展を遂げることで、むしろ「商業的」なODAが民間企業の誘致や技術の波及に役立ったとする肯定的な評価が台頭していった。深川教授はさらに、アジアにおいてODAには自国の発展経験の移転といった側面が強く、中国の「一帯一路」がさらに商業性を強めた「経済協力」として展開されるようになって以来、日本のODAもより経済権益に直結するインフラ輸出などの「経済協力」として再編されつつある。これに対し、韓国はセマウル運動の移植や人材育成などより古典的なODAを展開している、との見解を示された。最後、深川教授は「北東アジアでは政治的障壁からドナー間の協力や対話が進んでいないが、潜在的には様々な補完性もあり、アフリカ支援協力などで具体的な協力を模索する時期に来ている」と鋭く指摘した。都市鉄道システム(高度な建設技術・安全・正確な運行管理など)をはじめとするパッケージ型インフラ輸出とODAの活用といった事例紹介は特に印象深かった。 次に韓国に絡んだ諸課題が提起され、金雄煕・仁荷大学教授(Prof. Kim Woonghee, Inha University)が登壇し、「日本の対韓国ODAの諸問題」をテーマに事例報告を行った。金教授の話によると、日本の対韓経済協力に対する研究は、その重要性にもかかわらず、いくつかの理由から客観的な分析が困難な状況である。1965年の日韓国交正常化を皮切りに実施された多くの協力案件は半世紀以上の歳月が経過してしまい、韓国経済において日本による資金協力や技術協力の痕跡を見出すことは、もはや容易ではない。また請求権資金がもつ特殊性、すなわち、戦後処理的・賠償的性格と経済協力としての性格を併せ持つことによる複雑性もある。さらに元徴用工の戦後補償問題に由来し最終的に最悪の状態に陥った日韓関係のなかで、日本が韓国に対し資金協力や技術協力を行ったことを公に議論することはかなりセンシティブでリスキーなことと認識されている。 同問題について金教授は次の通りに指摘した。韓国で請求権資金の性格や役割に対する評価は、一般的に日韓国交正常化に対する評価と密接につながっている。安保論理と経済論理が日韓の過去の歴史清算を圧倒する形で日韓国交正常化が進められ、肯定的な評価と否定的な評価が大きく分かれてしまった。請求権資金についても同じく評価が分かれているが、構造的な韓国の対日貿易不均衡などいくつかの問題は起こしたものの、請求権資金が韓国経済の初期発展過程で重要な役割を果たしたことは否定できないというのが韓国国内での一般論である。 報告の中で、金教授は詳細なデータをもって、請求権資金を中心に日本の対韓経済協力についての異なる評価や様々な論点を紹介し、特に日本の外務省が「日本の援助による繁栄」の象徴的事業としているソウル首都圏地下鉄事業と浦項製鉄所(現在のPOSCO)の建設事業についての異なる評価も取り上げつつ、より客観的に日本の対韓経済協力をレビューした。 上記の報告を踏まえて、フェルディナンド・シー・マキト准教授・フィリピン大学ロスバニョス校(Prof. Maquito, Ferdinand C. University of the Philippines Los Baños)は、商業主義や日中韓ODAの補完性についてコメントを入れながら「フィリピンからの報告:日本ODAの再検討」というタイトルで最新の研究成果を報告した。マキト准教授は、日本のODAを西洋諸国または中国のODAと比較した上で、その相違性と類似性を分析し、アジアにおける共有型成長への日本によるODAの貢献を評価した。マキト准教授は最後に、韓国や中国にとっても日本型ODAのシステムは模範的だったと指摘した。 最後は被援助国としての中国のケース・スタディーを私、李恩民・桜美林大学教授(Prof. LI Enmin, J.F.Oberlin University)より発表し、日本の対中ODAの40年を概観した。 1979年、鄧小平が推進した改革開放政策は経済発展を最優先にする新時代の幕明けであった。この年、中国政府は日本の財界人の助言を受け、これまでの対外金融政策を改めて日本からODAを受け入れ、主要インフレと文化施設の建設に集中した。それ以降の40年間、政府から民間まで日本側は円借款、無償資金提供、技術協力などを通して中国の経済発展、人材育成、格差の是正、環境保全等分野に大きく貢献してきた。その証として、ODAプロジェクトの現場で撮った写真を展示しながら中国民衆の認識・評価を紹介した。 全員の報告を終えた後、石原忠浩・台北にある政治大学助理教授の質問を皮切りにディスカッションに入った。しかし時間の制約があって、会場では十分な議論ができなかった。そのため、司会者の黄自進教授は国際性に富んだこのパネルの特徴について総括した後、パネルの締め括りとして今後も他地域で同じメンバーで会議を重ね、良き研究成果を出すよう力強く訴えた。 学術の立場から日本によるODAへのレビューは、理論的な検討も現地考察も欠かせない至難の作業である。90分のパネルだけで議論を尽くすことはほぼ不可能である。この意味で言えば、この種の研究成果の活発な意見交換は今後も進めて行かなければならない。   当日の写真   < 李 恩民  Li Enmin > 中国山西省生まれ。1996年南開大学にて歴史学博士号、1999年一橋大学にて社会学博士号取得。桜美林大学国際学系教授、公益財団法人渥美国際交流財団理事。2012~2013年スタンフォード大学客員研究員。主な著書に『中日民間経済外交 1945~1972』(人民出版社1997年)、『転換期の中国・日本と台湾』(御茶の水書房2001年、大平正芳記念賞受賞)、『「日中平和友好条約」交渉の政治過程』(御茶の水書房2005年)、『中国華北農民の生活誌』(御茶の水書房2019年)。共著に『歴史と和解』(東京大学出版会2011年)、『対立と共存の歴史認識』(東京大学出版会2013年、中文版:社会科学文献出版社2015年)、『日本政府的両岸政策』(中央研究院2015年)などがある。
  • 2020.04.02

    エッセイ626:林泉忠「なぜ台湾の防疫は香港と比べて成功したのか」

    (原文は『明報』(2020年2月24日付)に掲載。平井新訳)   新型コロナウイルス感染が世界的に広がり続ける中、台湾は危機管理と感染拡大防止対策において高い評価を得ており、東アジアのみならず世界をも凌駕する成果をしっかりと挙げている。本文では、台湾と香港のケースに焦点を当て、台湾がどのようにこうした成果を上げることができたのか、また香港とはどのように比較しうるのか、分析していく。   ○台湾のアドバンテージ:専門性と「速さ」   4月2日付のジョンズ・ホプキンス大学のデータによれば、「新冠肺炎」の東アジア地域における感染者数は、中国本土は82,381人、香港は765人、台湾も329人ではあるが、アジア四小龍の中では最も少ない(韓国9,976例、シンガポール1,000例)状況にとどまっており、台湾人が往々にして学ぶべき対象としている日本ですら、感染者がすでに2,384名を超えており、今回ばかりは台湾の後塵を拝しているほどである。   なぜ今回、台湾がこの世界の「防疫競争」の中で突出した好成績を収めることができたのか。その理由はけっして「僥倖」によるものではなく、「速さ」の二文字において他国に勝っていたからだと言えよう。このキーワードは、2003年SARSの教訓があっただけでなく、専門性の素養と民意の結集があったからである。   これまでの台湾経済は長年不振に喘ぎ、一人当たりのGDPと専門家の給与水準は「アジア四小龍」の他のメンバーの韓国、香港、シンガポールに遠く及ばない状況が続いてきた。しかし、台湾における専門家は平均して高い素養を有しており、公共サービス全体への評価は日本に勝るとも劣らない。そして医療と公衆衛生の専門水準もまた、国際社会の同領域から高い評価を得ている。2020年2月9日に発表された「2020医療保健指数」(Health_Care_Index)のランキングでは、台湾は86.71ポイントで世界ランキング第一位の座を守り続けており、韓国第2、日本第3位がそれに続く。ちなみに香港はランキング第14位、中国大陸は第16位となっている。台湾が誇る医療と防疫分野におけるこうした専門素養の高い水準も、今回の感染症の流行という事態への的確な対応に一役買っている。   台湾政府の反応の「速さ」は、今年の2月16日に台湾で初めて死亡例が出た際の処理の過程からも窺える。患者は1人のタクシーの運転手であったが、最初は重症のインフルエンザとして診断されたものの、鋭敏な主治医がその専門的判断に基づいて彼を隔離病棟に送ったため、感染拡大の可能性を避けることができたのである。この患者がその後に感染確認をされたのは、台湾疾管署が積極的に重症のインフルエンザ患者と報告された症例を遡って検査していたために、捕捉することができたのであった。   また台湾では、SARSの痛ましい教訓があったため、過去数年、各病院で毎年定期的に演習を行ってきた。今回の感染拡大という状況にあたり、マスクの生産数量の調整と有効管理、計画的な供給網の整備、第一線の医療従事者のマンパワーの配分などを含めた各種の処理対応の議論もこの間、適時進められてきた。最初の死亡事例が発生した後には、台湾中央流行疫情指揮中心(台湾中央感染症対策センター)はすぐさま市中監測報告の対応原則を発表し、防疫体制の戦線を社会の末端にまで拡大した。   このほかに、台湾の反応の「速さ」は、台湾が民主制度の最も完成されている華人地域として、民意とその変化に対するその鋭敏かつ迅速な対応力とも関係があるだろう。これはまた、今回の感染症の流行への対応に対して、「後手後手」と批判されてきた香港特別行政区政府と強烈な対比をなしていると言えよう。   ○香港の「遅さ」:マスクと「封関(入境制限)」問題   「マスクをめぐる混乱」は、感染症の流行が起こった後に各国各地で普遍的に観察された現象である。これは香港も台湾も例外ではない。例えば、1月下旬頃から、香港の街中至る所でマスクを求めての長蛇の列が見られた。中には年配の客が深夜まで並ぶ光景すらあったが、香港特区政府は1000万枚のマスクをずっと備蓄していたことを追及されてようやく認め、医療現場での需要に供することになったように、自らすばやく対応してマスクの在庫を一時的に放出することはできなかったのである。   一方で台湾は、全ての民衆が健康保険証を持って薬局に行けば最低限の数量のマスクの購入は保障され、長い列に並ばなくてもよいだけでなく、台湾におけるIT分野の発展を担当している行政院政務委員の唐鳳が、速攻で設計した「口罩供需資訊平臺(マスク供給情報アプリ)」によって、台湾の市民はネットであらゆる薬局の現在のマスクの在庫状況を検索して確認することができるようになり、列に並んでも結局マスクを買えずじまいという確率を減らすことができるようになった。これには、日本の世論やIT分野からも大きな称賛の声が上がっている。   台湾ではまさに民意の監視があるため、政府は必ず「120%のパワー」を出しきらなければならず、いかなる手落ちも許されない。武漢で都市のロックダウンが宣言される前日の1月22日には、蔡英文政府はすでに防疫体制を起動し、厳戒態勢を敷く準備を整えていた。中央流行疫情指揮中心の指揮官に任命されたのは、衛生福利部長(厚労大臣に相当)の陳時中だった。陳時中はすぐに学者ら専門家を召集するだけでなく、政府の各部門の連携をうまく統率して防疫作戦を遂行し、連日不眠不休で自ら第一線の指揮をとった。行政院長の蘇貞昌は「人材が必要なら人材を、資金が必要なら資金を供給していく。もし防疫の網が破れるようなことがあれば必ず厳重に対応する」と厳正に宣言しただけでなく、すぐさま総計600億新台湾元の緊急特別予算を編成して、交通運輸業、内需型産業、農漁業など、今回の感染症流行によって被害を被る産業への支援策を打ち出した。   政府が見せかけだけの「速さ」の演出を弄するようなことをせず本気で取り組んだため、台湾における感染症の流行は初期段階で一定の制御に成功し、マンパワーとリソースを完全に(重症患者の)緊急処置の部分に全て投入しなければならないような事態に陥ることもなく、余力をもって情勢の変化に対応することができたのである。これこそ、台湾が今回の防疫で比較的に成功できた経緯であり、こうした優れたパフォーマンスは高い世論の支持に結果として反映されている。   ○香港はどのように台湾に学ぶべきか?   今般の台湾政府の防疫対応に際し、TVBS(台湾無線衛星テレビ)が2月13日に公表した世論調査では、蔡英文総統への満足度が就任以来最高の54%にまで高まりを見せ、行政院長蘇貞昌への満足度も52%に達し、さらに連日不眠不休で防疫の最前線に立って指揮している衛福部長の陳時中への満足度は実に82%にまで達している。このほかにも、感染症の流行への台湾政府の対応のパフォーマンス全体に対し71%が満足と回答しており、政府の防疫対策とその能力に対し信頼すると回答した市民の割合は実に83%にも昇っている。台湾のこうした民意は、香港の林鄭政権の抗疫対応に不満を持つ香港市民の割合が2月14日の香港民意研究所が公表した世論調査で84%に達している状況は、台湾のこうした民意と雲泥の対比をなしているのである。   林鄭政権が香港世論から批判されているのは、このほかにも入境制限措置をめぐる「封鎖」問題が挙げられる。1月23日に武漢がロックダウンされた後、感染症の拡大を阻止するため、各国では次々に自国民の退去と入境制限、中国との航空便の往来を停止した。香港は中国大陸に隣接しているために、内地から香港に流入してくる人々によって香港での感染症の流行が制御不能の局面に陥ることを恐れた香港社会では、民主派であれ建制派であれ、誰もが「封関」を要求していた。しかし、林鄭政権はこれにまったく応じず、WHOの「指針」を盾にとって、公然と「封関」は「差別」につながる恐れがあると表明した。   1月31日に香港民意研究所が公表した調査データによると、8割以上の香港人が政府は「全面入境禁止」をすべきだと回答している。こうした情勢の下、香港医管局の労働組合「員工陣線」は「全面入境禁止」を訴えて政府との対話を行なったが、この対話が失敗したのち、2月3日にはストライキを発動した。これに対し、林鄭政権は最後には頭を垂れるしか無くなり、空港と港珠澳大橋及び深?湾以外のあらゆる港を閉鎖し、2月8日から内地から香港に入境するあらゆる旅客に検疫を求め、強制的に自宅もしくはその他の場所での隔離を行うという新政策を打ち出したことで、ようやく医療従事者らがストライキを終結させたのであった。   台湾が厳しい防疫対策において輝かしい成績を収めることができたのは、マスク生産供給の調整や万全な医療体制の整備、そして防疫の裂け目を全力で防ごうという明快な反応があったためである。これはまた、台湾の民主体制が次第に成熟しつつあることの証左でもあろう。香港にとっては、こうした台湾の防疫対応における危機管理能力と専門的な対応能力について、虚心坦懐に学ぶ必要があるのではないだろうか。こうした専門的な素養に裏打ちされ、事態に鋭敏に反応できる民主メカニズムはどのように学ぶことができるのか?香港社会の主流民意の要求に沿って、香港《基本法》に明文規定されている「双普選(行政長官と立法会のダブル普通選挙)」を実施する以外に、どんな選択肢があるだろうか?     英語版はこちら     <林 泉忠(リン・センチュウ)John_Chuan-Tiong_Lim> 国際政治専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、中国武漢大学日本研究センター長を歴任。     2020年4月2日配信
  • 2017.03.28

    レポート第78号「今、再び平和について-平和のための東アジア知識人連帯を考える-」

    SGRAレポート78号 SGRAレポート78号(表紙)   第51回SGRAフォーラム 「『今、再び平和について』― 平和のための東アジア知識人連帯を考える」 2017年3月27日発行   <もくじ> はじめに:南 基正(ソウル大学日本研究所副教授)   【問題提起1】 「平和問題談話会と東アジア:日本の経験は東アジアの公共財となり得るか」 南 基正(ソウル大学日本研究所副教授)   【問題提起2】 「東アジアにおけるパワーシフトと知識人の役割」 木宮正史(東京大学大学院総合文化研究科教授)   【報告1】 「韓国平和論議の展開と課題:民族分断と東アジア対立を越えて」 朴 栄濬(韓国国防大学校安全保障大学院教授)   【報告2】 「中国知識人の平和認識」 宋 均営(中国国際問題研究院アジア太平洋研究所副所長)   【報告3】 「台湾社会における『平和論』の特徴と中台関係」 林 泉忠(台湾中央研究院近代史研究所副研究員)   【報告4】 「日本の知識人と平和の問題」 都築 勉(信州大学経済学部教授)   パネルディスカッション 討論者:劉傑(早稲田大学社会科学総合学術院教授)他、上記発表者  
  • 2016.11.15

    第55回SGRAフォーラム「戦後日本の平和論:戦後日本の平和テキストを読む」へのお誘い

    下記の通り、第55回SGRAフォーラムを開催します。参加ご希望の方は、事前にSGRA事務局( [email protected] )へお名前、ご所属、連絡先、懇親会の出欠をご連絡ください。   日 時: 2016年12月1日(木)午後1時30分~午後3時 会 場: 韓国仁川松島コンベンシア(Songdo Convensia) 主 催:(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA) 言 語:日本語 申込み・問合せ:SGRA事務局 電話:03-3943-7612 Email:[email protected]   フォーラムの趣旨   本セミナーは、先夏の7月16日(土)、東京国際フォーラムで開催された「今、再び平和について––平和のための東アジア知識人連帯を考える」と題する第51回SGRAフォーラムの後続プログラムとして企画された。同フォーラムの総合討論を通じて参加者たちは、東アジアの各地域にはそれぞれ異なる特殊な政治状況に置かれながらも、理念の違いや国の境を超えて訴えることのある「平和テキスト」があることを再発見し、これをこの地域の知識人が共同で読むことにより、平和の理想を現実政治の指針として蘇らせることができるとの認識を共有するに至った。その議論を受け、同セミナーが生まれたのである。   平和でない現実の中で平和を想像することを止めないこと。そのため、東アジアの平和テキストを一緒に読んでいくこと。これが、この地域の研究者たちが「知識人」としての役割を自認し「平和」のため連帯をするため、今求められていることである。   その折に、韓国仁川の松島(ソンド)で、東アジア日本研究者協議会が発足し、その第一回目の国際学術大会が開かれることになった。上記フォーラムを開催した「安全保障と世界平和」チームは、この学術大会に参加し、東アジアの日本研究者たちが集まり、冷戦期、脱冷戦期、3.11後の日本において鋭く「平和」を説いた三つのテキストを読むことにした。   <プログラム> 司会:李 来賛(リ・ネチャン、韓国・漢城大学)   【報告1.】都築 勉(つづき・つとむ、日本・信州大学) 「鶴見俊輔の戦争と平和−−『転向研究』を読む」 【報告2.】朴 榮濬(パク・ヨンジュン、韓国・国防大学校) 「脱冷戦期、現実主義者の平和構想−−田中明彦の『新しい中世』を読む」 【報告3.】霍 士富(かく・しふ、中国・西安交通大学) 「歴史叙述と現実記述とのジレンマ−−大江健三郎『晩年様式集』を読む」   <討論者> 趙 寛子(チョウ・クァンジャ、韓国・ソウル大学) 南 基正(ナム・キジョン、韓国・ソウル大学) 徐 東周(ソ・トンジュ、韓国・ソウル大学)   プログラム
  • 2016.09.01

    南基正「第51回SGRAフォーラム『今、再び平和について』報告」

    第51回SGRAフォーラム「今、再び平和について」報告   ◆南基正「フォーラムを終えて」   2016年7月16日(土)の午後、東京国際フォーラムで「今、再び平和について」と題して、第51回SGRAフォーラムが開催された。タイトルには「平和のための東アジア知識人連帯を考える」と副題がつけられた。   「SGRA安全保障と世界平和」チームとしては7回目のフォーラムである。本チームは、2003年、第10回SGRAフォーラムとして「21世紀の世界安全保障と東アジア」をテーマに初めてのフォーラムを開催して以来、「東アジア軍事同盟の過去・現在・未来」(2005年、第16回)、「オリンピックと東アジアの平和繁栄」(2008年、第32回)、「東アジア共同体の現状と展望」(2012年、第41回)、「東アジア軍事同盟の課題と展望」(2012年、第43回、第16回フォーラムのリユニオン)、「紛争の海から平和の海へ」(2014年、第45回)などのテーマでフォーラムを開催してきた。14年間7回のフォーラムを開催したので、2年に一度のペースである。その14年間、東アジアの現実は、「世界平和」の希望と「安全保障」の困難の間を行き来しながら展開してきた。   「安全保障と世界平和」を名前に掲げている当チームとしては、この現実を敏捷に捉えて対応してきたつもりである。ただ、その対応は現実の流れとは逆の方向を向いていた。例えば、東アジア共同体議論が盛り上がり「世界平和」の希望が語られる状況においては、「安全保障」の厳しさを考える必要を訴え、この地域の「安全保障」をめぐる国際環境が不安定化する状況においては、「世界平和」の展望を切り開く可能性を探るような形で、常にバランスを取ることを念頭に置いてきた。今年のテーマは、そのような意図が克明に反映された形になった。   7月のフォーラム開催に向けテーマの調整を始めたのは2月中旬だった。折しも、朝鮮半島の情勢は危機の渦に入りつつあった。1月6日に北朝鮮は4回目の核実験を行い、それから一ヵ月経った2月7日には長距離ロケットを発射した。これを受け、韓国政府は南北協力の象徴である開城工業団地を閉鎖した。この韓国の自虐的措置に触発され、中国を含めて国際社会では、非常に強硬な制裁措置について議論が沸き立ち、北朝鮮はソウルやワシントンへの核攻撃シナリオをちらつかせながら強烈に反発していた。平和の危機に際し、平和の構想力が切に望まれていた。「安全保障と世界平和」チームの名で行われるフォーラムはこのような情勢に対応すべきであると思われた。そして、それを有効に行うためには、この地域に住む知識人としての役割についての自覚が必要であるように思われた。「核とミサイルの国際政治」、「東アジアにおける冷戦研究のあり方」、「東アジア自治体共同体に託す平和の可能性」などのテーマが浮かび上がった。   しかし、まだこの段階では、いずれのテーマも明白な会議の目標がイメージとして描けない状況であった。この時、研究チームの連絡を束ねていた角田英一さん(渥美国際交流財団事務局長)からいただいた一言に触発されて出てきたのが今回のテーマである。角田さんは、昨年の「日本研究」フォーラムの末尾で、私が司会としてのまとめの発言のなかに「東アジアの知識人の連帯」を呼びかけたことを覚えていてくださった。そこで私が提案したのが「今、再び平和について:東アジア平和問題談話会の立ち上げを呼びかける」であった。これは1950年、朝鮮戦争が勃発した状況の下で日本の知識人グループの平和問題談話会が発表して、第3声明として有名になった「三たび平和について」を意識したテーマであった。これについて今西淳子さん(SGRA代表・渥美国際交流財団常務理事)と朴栄濬さん(韓国国防大学校安全保障大学院教授)から大筋で賛同という意見を寄せていただいた。   ただ、「平和問題談話会」をあまり前面に出すと想像力を制限する恐れがある、「呼びかける」ということを掲げると、能力以上の課題を背負うことになるので控えめに調整したほうがいい、との助言があった。非常に適切な助言であり、これを受け入れた形で、最終的に設定されたのが今回のテーマであった。そして、フォーラムでは、「国際政治や安全保障の方向からの現状分析やシナリオの提示ではなく、平和研究または平和論という方向からの問題提起」とすること、「なによりも平和を優先する考え方が各個撃破されている現状を検証する」こと、こうした現状を克服するために「知識人として何ができるのかを議論する」ことを目標として設定した。   フォーラムの内容を構成するにあたっては、2つの方向から問題を提起する必要があった。1つ目は、戦後のアジアにおいて「平和への呼びかけ」が知識人の連帯運動として出てきた先例を確認しておくこと。その例として「平和問題談話会」の経験を東アジアのレベルでいかに生かすことができるか検証する。2つ目は、東アジアの危機の原因を見極め、平和の現状を確認し、そこで知識人が動ける空間がどのように存在しているのか確認しておくことである。私と木宮正史先生(東京大学大学院総合文化研究科教授)の問題提起は、それぞれこの必要に呼応するものであった。   次に、具体的な事例報告として、日本、中国、台湾、韓国、そしてアセアンにおける「平和」の現状を把握することが必要と思われた。台湾と韓国の現状については、本研究チームの林泉忠さん(台湾中央研究院近代史研究所副研究員)と朴栄濬さんが担当することになった。中国パートは、本研究チームの李成日さん(中国社会科学院アジア太平洋・グローバル研究院研究員)に中国の研究者の紹介を依頼し、二人が候補者として挙がった。宋均営さん(中国国際問題研究院アジア太平洋研究所副所長)と趙剛さん(中国社会科学院日本研究所副研究員)である。一人は政治学、もう一人は思想史が専門であったが、専門が異なっていた方が相互に補完が可能と思われ、両方に報告をお願いすることにした。アセアンの専門家は今西さんにこのテーマにピッタリな研究者を紹介していただいたのだが、日程を合わせることができず、報告者を出すことはできなかった。   そして、会議の直前に中国からの出席予定者であった趙剛さんが、研究所の事情で来られなくなった。もう一人の中国からの出席者である宋均営さんも連絡がとれにくく、フォーラム参加が危ぶまれたが、出国をわずか1日を残してビザが下りたということで無事に参加していただいた。最後に、日本パートであったが、今西さんから、以前にSGRAフォーラムで講演をお願いした都築勉先生(信州大学経済学部教授)を紹介していただいた。都築先生は、私が博論を書いていた時から書物を通してお世話になっていた先生であったので、是非とも話を聞きたかった。SGRAフォーラムを手伝いながら、得をしたという気持ちになるのは、このように平素会いたかったひとに会えることである。以上が、フォーラム開催の経緯である。   2つの問題提起と4つの報告の内容は、SGRAレポートに纏められる予定であるが、それぞれの国が置かれた状況によって、「平和」の現状と、「何を平和と認識するか」に至るまでの経緯が大きく異なっていることを確認することができた。時に報告者たちの発言は、お互いに衝突し兼ねない際どいところまで及ぶこともあったが、報告者たちの「平和」な性格のおかげで、生産的な議論になった。「平和」の条件は違っても「平和」の観念には、底で通じるものがあることを確認したことは収穫であった。   総合討論で、劉傑さん(早稲田大学社会科学総合学術院教授)が強調されたことは、そのことであったように思われる。中国にも、特殊な政治状況から生まれていながらも、理念の違いや国の境を超えて訴えることのある「平和テキスト」があり、時を超えてこれを学習する人がいるという。劉傑さんの討論を通じて、このフォーラムの意義が新しく浮かび上がり、これからも引き続き、今回の趣旨を継承して続けていくべきであることが分かった。探してみると、この地域には「三たび平和について」だけでなく、多くの平和テキストがありそうである。これから当分、フォーラムでは、東アジアで共有し継承していくべき平和テキストを発掘し、一緒に読んでいきながら、それを今どう生かすべきか、考えてゆきたい。   その際、フォーラムの最後に谷野作太郎先生(元中国大使)から寄せていただいた論評は、議論が宙に浮かないようにフォーラムを進めていくために、肝に命じておくべきである。平和の理想を求めることは、平和でない現実を省みることから始めるべきである。そのような趣旨の論評であったと覚えている。   平和でない現実に身を置きながらも、現実に囲まれず、平和を想像することを止めないこと。そのため、東アジアの平和テキストを一緒に読んでいくこと。この地域の研究者たちが「知識人」としての役割を自覚し「平和」のため連帯を目指すのなら、このことから始めるのはどうだろうか、フォーラムを閉じながらそんな思いがした。   フォーラムのプログラム フォーラムの写真   <南_基正(ナム_キジョン)NAM_Kijeong> ソウル大学日本研究所副教授。韓国ソウル市生まれ。ソウル大学にて国際政治学を学び、2000年に東京大学で「朝鮮戦争と日本-‘基地国家’における戦争と平和」の研究で博士号を取得。2001年から2005年まで東北大学法学研究科の助教授、2005年から2009年まで韓国・国民大学国際学部の副教授などを経て現職。戦後日本の政治外交を専門とし、最近は日本の平和主義や平和運動にも関心を持って研究している。主著に『基地国家の誕生?日本が戦った朝鮮戦争(韓国文)』、『戦後日本と生活平和主義(編著・韓国文)』、『歴史としての日韓国交正常化II: 脱植民地化編(共著)』、“Similar Conditions, Different Paths?: Japan`s Normalization of Relations with Korea and Vietnam”, “The Reality of Military Base and the Evolution of Pacifism : Japan's Korean War and Peace”,「日本の反原発運動?起源としてのベトナム反戦運動と生活平和主義の展開(韓国文)」、「戦後日韓関係の展開?冷戦、ナショナリズム、リーダーシップの相互作用」などがある。     2016年9月1日配信  
  • 2016.05.31

    第51回SGRAフォーラム「『今、再び平和について』― 平和のための東アジア知識人連帯を考える」へのお誘い

    下記の通りSGRAフォーラムを開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。   テーマ: 「『今、再び平和について』― 平和のための東アジア知識人連帯を考える」 日 時: 2016年7月16日(土)午後1時30分~5時30分 会 場: 東京国際フォーラム ガラス棟 G701 号室 参加費: フォーラムは無料 懇親会は正会員1000円、メール会員・一般 2000円 お問い合わせ・参加申込み: SGRA事務局([email protected], 03-3943-7612)   主 催:渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)   ◇フォーラムの趣旨   今回のフォーラムは、混迷を深める東アジアの国際情勢に対して、国際政治や安全保障論の方向からの現状分析やシナリオの提示ではなく、平和研究または平和論という方向からの問題提起として位置付け、進めていきたい。   そのためには、東アジア各国における「平和論」の現状を確認し、各国で「何よりも平和を優先する考え方」が各個撃破されている現状を検証すると共に、こうした現状に風穴をあけるためにはいかなる方法があるのか、そのために学問をする者として、知識人として何ができるのかを議論する場としたい。   そして、この地域の研究者たちが知識エンジニアになりつつある現状、あるいは、安全保障の専門家たちに平和が呪縛されている現実に対して、平和を語る知識人としての研究者の役割、東アジアの知識人の連帯の意義を考えたい。     ◇プログラム   詳細はプログラムをご覧ください。   <問題提起1>「平和問題談話会と東アジア:日本の経験は東アジアの公共財となり得るか」 南基正(ソウル大学日本研究所副教授)   <問題提起2>「東アジアにおけるパワーシフトと知識人の役割」 木宮正史(東京大学大学院総合文化研究科教授)   <報告1>「韓国平和論議の展開と課題:民族分断と東アジア対立を越えて」 朴栄濬(韓国国防大学校安全保障大学院教授)   <報告2>「中国知識人の平和認識」 宋均営(中国国際問題研究院アジア太平洋研究所副所長)   <報告3>「台湾社会における『平和論』の特徴と中台関係」 林泉忠(台湾中央研究院近代史研究所副研究員)   <報告4>「日本の知識人と平和の問題」 都築勉(信州大学経済学部教授)   【パネルディスカッション】   フォーラムのちらし   ------------------------------------------------------- ◇SGRAとは   SGRAは、世界各国から渡日し長い留学生活を経て日本の大学院から博士号を取得した知日派外国人研究者が中心となって、個人や組織がグローバル化にたちむかうための方針や戦略をたてる時に役立つような研究、問題解決の提言を行い、その成果をフォーラム、レポート、ホームページ等の方法で、広く社会に発信しています。研究テーマごとに、多分野多国籍の研究者が研究チームを編成し、広汎な知恵とネットワークを結集して、多面的なデータから分析・考察して研究を行います。SGRAは、ある一定の専門家ではなく、広く社会全般を対象に、幅広い研究領域を包括した国際的かつ学際的な活動を狙いとしています。良き地球市民の実現に貢献することがSGRAの基本的な目標です。詳細はホームページ(www.aisf.or.jp/sgra/)をご覧ください。 -------------------------------------------------------  
  • 2015.07.23

    文 景楠「第7回SGRAカフェ『中国台頭時代の台湾・香港の若者のアイデンティティ』報告」

    2015年7月11日、東京九段下にある寺島文庫みねるばの森にて、台湾中央研究院近代史研究所の林泉忠先生をスピーカーに迎え、第7回SGRAカフェが開催された。SGRA運営委員のデール・ソンヤさんの司会のもと、まずSGRA代表の今西淳子さんによる開催の挨拶があり、続いて林先生による講演が始まった。以下、その様子を簡略に伝えたい。   今回の講演は、2014年に中国語圏で起こった政治的な出来事のなかでも特に印象的であった、台湾のひまわり学生運動と香港の雨傘運動を取り上げたものであった。現在の台湾と香港の状況を象徴するようなこれら二つの運動は、学生たちが立法院や道路を占有する映像とともにメディアによって大きく取り上げられ、海外の人々にも非常に強いインパクトを与えた。これらの運動が現代の中国語圏を理解する上でどのような意味をもつのかを整理し、それをもとにして、運動の主体となった台湾と香港の若者のアイデンティティの問題に進んだ。   林先生によれば、二つの運動は以下のような特徴をもつ。まず、それらはともに学生主体の運動であり、政権や社会格差への関心が主な動機として始まっている。また両者は、方法としては非暴力を、理念としては民主主義を掲げたものであり、その展開においてインターネットが重要な役割を果たしていたという点でも類似している。さらに、ひまわり学生運動と雨傘運動の中心となった若者たちが、深い関心をもって互いの活動を積極的に支援したという点も特徴的である。   すでに『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス:沖縄・台湾・香港』というタイトルの著書を上梓されていることからも窺えるように、林先生が、これらの運動を理解する際にキーワードとしたのは、「中心と辺境との距離」である。上で取り上げた二つの運動は、民主化運動といった点を重視すれば、中国語圏で行われてきた従来の政治運動と一見同様に見えるかも知れない。しかし、今回の二つの運動には大きな違いがあり、それには、近年の中国語圏における最も重大な変化、すなわち「中国の台頭」という現象が関係している。   現在の中国語圏において、中国本土と台湾、香港の力関係は従来のそれから大きく変化している。香港は以前もっていた経済的求心力を失い始め、台湾もまた爆発的な成長を見せる中国との関係をどのように保つかに苦慮している。このような関係の変化は、特に雨傘運動に対する中国政府の対応から垣間見ることができる。林先生の理解によれば、中国政府の雨傘運動への対応は予想以上に強硬なものだった。これは、香港がもっていた経済的重要性が弱まってきたことによって、現在の中国政府がある意味では香港(に住む人々)に対して優位に立つようになったという事情を反映しているといえる。   このような現実に直面している香港の学生たちが今回の運動で問わなければならなかったのは、おそらく民主主義やそのための手続きの問題だけではなく、激変する社会情勢における自分たちの立ち位置でもあったのだろう。同様の指摘は、台湾の事例にも当てはまる。中国政府の反応は香港の場合とは違って比較的おだやかなものではあったが、ひまわり学生運動がそもそも中国本土と台湾の経済的な協定が火種となったものであるという点を考えれば、台湾の若者が苦心していたものもまた、単なる政治的意思決定のプロセスの妥当性だけではなく、中国台頭時代における自らの立ち位置への不安でもあったと思われる。   このように、今回の二つの運動は、ますます中心化していく中国本土とますます辺境化する台湾・香港の関係がもつ不安定さを反映したものであり、若者による民主化運動という理解だけではこれらの内実を正確に把握することは、もはやできないのである。   中心と辺境の距離感は、講演の主題となったアイデンティティの問題に直結している。林先生の調査によれば、香港・台湾の住民のかなりが、自らを香港人・台湾人と考えている。香港人や台湾人という自己認識が何を意味するのか、さらに、この自己認識が中国語圏の今後に対して何を示唆するのかに関しては、まだ判定を下すことができない。しかし、社会情勢の変化が、中国語圏が従来から抱えていた問題の位相を変えていることは恐らく事実であり、今後このような傾向はさらに加速されるだろう。   現状の整理は上記のとおりであるが、これから中国語圏の人々が何を目指すべきかを示すことは簡単ではない。これに関して林先生は、中心となっていく中国政府が、どのように辺境の人々からの信頼を回復できるのかが鍵となるだろうと述べた。その具体的な方法は事案に応じて個別的に論じられなければならないが、その指摘は方向性としては全面的に正しいと思われる。   中国語圏の若者のアイデンティティの問題は、その地域の現実を直に反映したものである。今回の講演は、このようなアクチュアルな現象に着目することで今後の中国語圏全体のあり方を考えるという、非常に刺激的な内容であった。   当日の写真   英語版エッセイはこちら    -------------------------------------- <文 景楠(ムン・キョンナミ) Kyungnam MOON> 哲学専攻。東京大学大学院博士課程在学中。研究分野はギリシア哲学で、現在はアリストテレスの質料形相論について博士論文を執筆している。  --------------------------------------   2015年7月23日配信    
  • 2014.10.20

    レポート第69号「紛争の海から平和の海へ」

    SGRAレポート69号(本文) SGRAレポート69号(表紙)   第45回SGRAフォーラム 「紛争の海から平和の海へ:東アジア海洋秩序の現状と展望」講演録 2014年10月20日発行   <もくじ> 【基調講演】 「東アジアの海と領土―国際法の視点から― 」 村瀬信也(むらせ・しんや)上智大学法学部教授   【報告1】< 韓国の立場> 「東アジア型国際社会の出現 ―日韓漁業協定(1965)への過程を振り返る― 」 南 基正(ナム・キジョン)ソウル大学日本研究所副教授   【報告2】< 中国の立場> 「東アジア国際秩序の現状と展望 ―中国内における「新型大国関係」の議論を中心に― 」 李 成日(リ・チェンル)中国社会科学院亜太与戦略研究院助理研究員   【報告3】< 台湾の立場> 「『琉球地位未定論』の再燃で尖閣紛争の解決に役立つのか ―中国と台湾の議論を中心に― 」 林 泉忠(リム・チュアンティオン)台湾中央研究院副研究員   【報告4】< 日本の立場> 「竹島/独島をめぐる海の一断面」 福原裕二(ふくはら・ゆうじ)島根県立大学准教授   【報告5】 「北極海の開放と韓国・日本・中国の海洋協力の可能性」 朴 栄濬(パク・ヨンジュン)韓国国防大学校安全保障大学院教授     【パネルディスカッション】 司会: 李 恩民 総括:明石 康(国際文化会館理事長) パネリスト:上記発表者