安全保障と世界平和

21世紀を迎えた東アジアは、何よりも相互理解と信頼、そして平和の枠組みが求められています。本研究チームは、今まで互いの信頼と理解を損なう要因は何だったのか、さらにこの地域において安全保障と平和への道とは何だろうか、という課題に取り組んでいます。
  • 2020.04.02

    エッセイ626:林泉忠「なぜ台湾の防疫は香港と比べて成功したのか」

    (原文は『明報』(2020年2月24日付)に掲載。平井新訳)   新型コロナウイルス感染が世界的に広がり続ける中、台湾は危機管理と感染拡大防止対策において高い評価を得ており、東アジアのみならず世界をも凌駕する成果をしっかりと挙げている。本文では、台湾と香港のケースに焦点を当て、台湾がどのようにこうした成果を上げることができたのか、また香港とはどのように比較しうるのか、分析していく。   ○台湾のアドバンテージ:専門性と「速さ」   4月2日付のジョンズ・ホプキンス大学のデータによれば、「新冠肺炎」の東アジア地域における感染者数は、中国本土は82,381人、香港は765人、台湾も329人ではあるが、アジア四小龍の中では最も少ない(韓国9,976例、シンガポール1,000例)状況にとどまっており、台湾人が往々にして学ぶべき対象としている日本ですら、感染者がすでに2,384名を超えており、今回ばかりは台湾の後塵を拝しているほどである。   なぜ今回、台湾がこの世界の「防疫競争」の中で突出した好成績を収めることができたのか。その理由はけっして「僥倖」によるものではなく、「速さ」の二文字において他国に勝っていたからだと言えよう。このキーワードは、2003年SARSの教訓があっただけでなく、専門性の素養と民意の結集があったからである。   これまでの台湾経済は長年不振に喘ぎ、一人当たりのGDPと専門家の給与水準は「アジア四小龍」の他のメンバーの韓国、香港、シンガポールに遠く及ばない状況が続いてきた。しかし、台湾における専門家は平均して高い素養を有しており、公共サービス全体への評価は日本に勝るとも劣らない。そして医療と公衆衛生の専門水準もまた、国際社会の同領域から高い評価を得ている。2020年2月9日に発表された「2020医療保健指数」(Health_Care_Index)のランキングでは、台湾は86.71ポイントで世界ランキング第一位の座を守り続けており、韓国第2、日本第3位がそれに続く。ちなみに香港はランキング第14位、中国大陸は第16位となっている。台湾が誇る医療と防疫分野におけるこうした専門素養の高い水準も、今回の感染症の流行という事態への的確な対応に一役買っている。   台湾政府の反応の「速さ」は、今年の2月16日に台湾で初めて死亡例が出た際の処理の過程からも窺える。患者は1人のタクシーの運転手であったが、最初は重症のインフルエンザとして診断されたものの、鋭敏な主治医がその専門的判断に基づいて彼を隔離病棟に送ったため、感染拡大の可能性を避けることができたのである。この患者がその後に感染確認をされたのは、台湾疾管署が積極的に重症のインフルエンザ患者と報告された症例を遡って検査していたために、捕捉することができたのであった。   また台湾では、SARSの痛ましい教訓があったため、過去数年、各病院で毎年定期的に演習を行ってきた。今回の感染拡大という状況にあたり、マスクの生産数量の調整と有効管理、計画的な供給網の整備、第一線の医療従事者のマンパワーの配分などを含めた各種の処理対応の議論もこの間、適時進められてきた。最初の死亡事例が発生した後には、台湾中央流行疫情指揮中心(台湾中央感染症対策センター)はすぐさま市中監測報告の対応原則を発表し、防疫体制の戦線を社会の末端にまで拡大した。   このほかに、台湾の反応の「速さ」は、台湾が民主制度の最も完成されている華人地域として、民意とその変化に対するその鋭敏かつ迅速な対応力とも関係があるだろう。これはまた、今回の感染症の流行への対応に対して、「後手後手」と批判されてきた香港特別行政区政府と強烈な対比をなしていると言えよう。   ○香港の「遅さ」:マスクと「封関(入境制限)」問題   「マスクをめぐる混乱」は、感染症の流行が起こった後に各国各地で普遍的に観察された現象である。これは香港も台湾も例外ではない。例えば、1月下旬頃から、香港の街中至る所でマスクを求めての長蛇の列が見られた。中には年配の客が深夜まで並ぶ光景すらあったが、香港特区政府は1000万枚のマスクをずっと備蓄していたことを追及されてようやく認め、医療現場での需要に供することになったように、自らすばやく対応してマスクの在庫を一時的に放出することはできなかったのである。   一方で台湾は、全ての民衆が健康保険証を持って薬局に行けば最低限の数量のマスクの購入は保障され、長い列に並ばなくてもよいだけでなく、台湾におけるIT分野の発展を担当している行政院政務委員の唐鳳が、速攻で設計した「口罩供需資訊平臺(マスク供給情報アプリ)」によって、台湾の市民はネットであらゆる薬局の現在のマスクの在庫状況を検索して確認することができるようになり、列に並んでも結局マスクを買えずじまいという確率を減らすことができるようになった。これには、日本の世論やIT分野からも大きな称賛の声が上がっている。   台湾ではまさに民意の監視があるため、政府は必ず「120%のパワー」を出しきらなければならず、いかなる手落ちも許されない。武漢で都市のロックダウンが宣言される前日の1月22日には、蔡英文政府はすでに防疫体制を起動し、厳戒態勢を敷く準備を整えていた。中央流行疫情指揮中心の指揮官に任命されたのは、衛生福利部長(厚労大臣に相当)の陳時中だった。陳時中はすぐに学者ら専門家を召集するだけでなく、政府の各部門の連携をうまく統率して防疫作戦を遂行し、連日不眠不休で自ら第一線の指揮をとった。行政院長の蘇貞昌は「人材が必要なら人材を、資金が必要なら資金を供給していく。もし防疫の網が破れるようなことがあれば必ず厳重に対応する」と厳正に宣言しただけでなく、すぐさま総計600億新台湾元の緊急特別予算を編成して、交通運輸業、内需型産業、農漁業など、今回の感染症流行によって被害を被る産業への支援策を打ち出した。   政府が見せかけだけの「速さ」の演出を弄するようなことをせず本気で取り組んだため、台湾における感染症の流行は初期段階で一定の制御に成功し、マンパワーとリソースを完全に(重症患者の)緊急処置の部分に全て投入しなければならないような事態に陥ることもなく、余力をもって情勢の変化に対応することができたのである。これこそ、台湾が今回の防疫で比較的に成功できた経緯であり、こうした優れたパフォーマンスは高い世論の支持に結果として反映されている。   ○香港はどのように台湾に学ぶべきか?   今般の台湾政府の防疫対応に際し、TVBS(台湾無線衛星テレビ)が2月13日に公表した世論調査では、蔡英文総統への満足度が就任以来最高の54%にまで高まりを見せ、行政院長蘇貞昌への満足度も52%に達し、さらに連日不眠不休で防疫の最前線に立って指揮している衛福部長の陳時中への満足度は実に82%にまで達している。このほかにも、感染症の流行への台湾政府の対応のパフォーマンス全体に対し71%が満足と回答しており、政府の防疫対策とその能力に対し信頼すると回答した市民の割合は実に83%にも昇っている。台湾のこうした民意は、香港の林鄭政権の抗疫対応に不満を持つ香港市民の割合が2月14日の香港民意研究所が公表した世論調査で84%に達している状況は、台湾のこうした民意と雲泥の対比をなしているのである。   林鄭政権が香港世論から批判されているのは、このほかにも入境制限措置をめぐる「封鎖」問題が挙げられる。1月23日に武漢がロックダウンされた後、感染症の拡大を阻止するため、各国では次々に自国民の退去と入境制限、中国との航空便の往来を停止した。香港は中国大陸に隣接しているために、内地から香港に流入してくる人々によって香港での感染症の流行が制御不能の局面に陥ることを恐れた香港社会では、民主派であれ建制派であれ、誰もが「封関」を要求していた。しかし、林鄭政権はこれにまったく応じず、WHOの「指針」を盾にとって、公然と「封関」は「差別」につながる恐れがあると表明した。   1月31日に香港民意研究所が公表した調査データによると、8割以上の香港人が政府は「全面入境禁止」をすべきだと回答している。こうした情勢の下、香港医管局の労働組合「員工陣線」は「全面入境禁止」を訴えて政府との対話を行なったが、この対話が失敗したのち、2月3日にはストライキを発動した。これに対し、林鄭政権は最後には頭を垂れるしか無くなり、空港と港珠澳大橋及び深?湾以外のあらゆる港を閉鎖し、2月8日から内地から香港に入境するあらゆる旅客に検疫を求め、強制的に自宅もしくはその他の場所での隔離を行うという新政策を打ち出したことで、ようやく医療従事者らがストライキを終結させたのであった。   台湾が厳しい防疫対策において輝かしい成績を収めることができたのは、マスク生産供給の調整や万全な医療体制の整備、そして防疫の裂け目を全力で防ごうという明快な反応があったためである。これはまた、台湾の民主体制が次第に成熟しつつあることの証左でもあろう。香港にとっては、こうした台湾の防疫対応における危機管理能力と専門的な対応能力について、虚心坦懐に学ぶ必要があるのではないだろうか。こうした専門的な素養に裏打ちされ、事態に鋭敏に反応できる民主メカニズムはどのように学ぶことができるのか?香港社会の主流民意の要求に沿って、香港《基本法》に明文規定されている「双普選(行政長官と立法会のダブル普通選挙)」を実施する以外に、どんな選択肢があるだろうか?     英語版はこちら     <林 泉忠(リン・センチュウ)John_Chuan-Tiong_Lim> 国際政治専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、中国武漢大学日本研究センター長を歴任。     2020年4月2日配信
  • 2017.03.28

    レポート第78号「今、再び平和について-平和のための東アジア知識人連帯を考える-」

    SGRAレポート78号 SGRAレポート78号(表紙)   第51回SGRAフォーラム 「『今、再び平和について』― 平和のための東アジア知識人連帯を考える」 2017年3月27日発行   <もくじ> はじめに:南 基正(ソウル大学日本研究所副教授)   【問題提起1】 「平和問題談話会と東アジア:日本の経験は東アジアの公共財となり得るか」 南 基正(ソウル大学日本研究所副教授)   【問題提起2】 「東アジアにおけるパワーシフトと知識人の役割」 木宮正史(東京大学大学院総合文化研究科教授)   【報告1】 「韓国平和論議の展開と課題:民族分断と東アジア対立を越えて」 朴 栄濬(韓国国防大学校安全保障大学院教授)   【報告2】 「中国知識人の平和認識」 宋 均営(中国国際問題研究院アジア太平洋研究所副所長)   【報告3】 「台湾社会における『平和論』の特徴と中台関係」 林 泉忠(台湾中央研究院近代史研究所副研究員)   【報告4】 「日本の知識人と平和の問題」 都築 勉(信州大学経済学部教授)   パネルディスカッション 討論者:劉傑(早稲田大学社会科学総合学術院教授)他、上記発表者  
  • 2016.11.15

    第55回SGRAフォーラム「戦後日本の平和論:戦後日本の平和テキストを読む」へのお誘い

    下記の通り、第55回SGRAフォーラムを開催します。参加ご希望の方は、事前にSGRA事務局( [email protected] )へお名前、ご所属、連絡先、懇親会の出欠をご連絡ください。   日 時: 2016年12月1日(木)午後1時30分~午後3時 会 場: 韓国仁川松島コンベンシア(Songdo Convensia) 主 催:(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA) 言 語:日本語 申込み・問合せ:SGRA事務局 電話:03-3943-7612 Email:[email protected]   フォーラムの趣旨   本セミナーは、先夏の7月16日(土)、東京国際フォーラムで開催された「今、再び平和について––平和のための東アジア知識人連帯を考える」と題する第51回SGRAフォーラムの後続プログラムとして企画された。同フォーラムの総合討論を通じて参加者たちは、東アジアの各地域にはそれぞれ異なる特殊な政治状況に置かれながらも、理念の違いや国の境を超えて訴えることのある「平和テキスト」があることを再発見し、これをこの地域の知識人が共同で読むことにより、平和の理想を現実政治の指針として蘇らせることができるとの認識を共有するに至った。その議論を受け、同セミナーが生まれたのである。   平和でない現実の中で平和を想像することを止めないこと。そのため、東アジアの平和テキストを一緒に読んでいくこと。これが、この地域の研究者たちが「知識人」としての役割を自認し「平和」のため連帯をするため、今求められていることである。   その折に、韓国仁川の松島(ソンド)で、東アジア日本研究者協議会が発足し、その第一回目の国際学術大会が開かれることになった。上記フォーラムを開催した「安全保障と世界平和」チームは、この学術大会に参加し、東アジアの日本研究者たちが集まり、冷戦期、脱冷戦期、3.11後の日本において鋭く「平和」を説いた三つのテキストを読むことにした。   <プログラム> 司会:李 来賛(リ・ネチャン、韓国・漢城大学)   【報告1.】都築 勉(つづき・つとむ、日本・信州大学) 「鶴見俊輔の戦争と平和−−『転向研究』を読む」 【報告2.】朴 榮濬(パク・ヨンジュン、韓国・国防大学校) 「脱冷戦期、現実主義者の平和構想−−田中明彦の『新しい中世』を読む」 【報告3.】霍 士富(かく・しふ、中国・西安交通大学) 「歴史叙述と現実記述とのジレンマ−−大江健三郎『晩年様式集』を読む」   <討論者> 趙 寛子(チョウ・クァンジャ、韓国・ソウル大学) 南 基正(ナム・キジョン、韓国・ソウル大学) 徐 東周(ソ・トンジュ、韓国・ソウル大学)   プログラム
  • 2016.09.01

    南基正「第51回SGRAフォーラム『今、再び平和について』報告」

    第51回SGRAフォーラム「今、再び平和について」報告   ◆南基正「フォーラムを終えて」   2016年7月16日(土)の午後、東京国際フォーラムで「今、再び平和について」と題して、第51回SGRAフォーラムが開催された。タイトルには「平和のための東アジア知識人連帯を考える」と副題がつけられた。   「SGRA安全保障と世界平和」チームとしては7回目のフォーラムである。本チームは、2003年、第10回SGRAフォーラムとして「21世紀の世界安全保障と東アジア」をテーマに初めてのフォーラムを開催して以来、「東アジア軍事同盟の過去・現在・未来」(2005年、第16回)、「オリンピックと東アジアの平和繁栄」(2008年、第32回)、「東アジア共同体の現状と展望」(2012年、第41回)、「東アジア軍事同盟の課題と展望」(2012年、第43回、第16回フォーラムのリユニオン)、「紛争の海から平和の海へ」(2014年、第45回)などのテーマでフォーラムを開催してきた。14年間7回のフォーラムを開催したので、2年に一度のペースである。その14年間、東アジアの現実は、「世界平和」の希望と「安全保障」の困難の間を行き来しながら展開してきた。   「安全保障と世界平和」を名前に掲げている当チームとしては、この現実を敏捷に捉えて対応してきたつもりである。ただ、その対応は現実の流れとは逆の方向を向いていた。例えば、東アジア共同体議論が盛り上がり「世界平和」の希望が語られる状況においては、「安全保障」の厳しさを考える必要を訴え、この地域の「安全保障」をめぐる国際環境が不安定化する状況においては、「世界平和」の展望を切り開く可能性を探るような形で、常にバランスを取ることを念頭に置いてきた。今年のテーマは、そのような意図が克明に反映された形になった。   7月のフォーラム開催に向けテーマの調整を始めたのは2月中旬だった。折しも、朝鮮半島の情勢は危機の渦に入りつつあった。1月6日に北朝鮮は4回目の核実験を行い、それから一ヵ月経った2月7日には長距離ロケットを発射した。これを受け、韓国政府は南北協力の象徴である開城工業団地を閉鎖した。この韓国の自虐的措置に触発され、中国を含めて国際社会では、非常に強硬な制裁措置について議論が沸き立ち、北朝鮮はソウルやワシントンへの核攻撃シナリオをちらつかせながら強烈に反発していた。平和の危機に際し、平和の構想力が切に望まれていた。「安全保障と世界平和」チームの名で行われるフォーラムはこのような情勢に対応すべきであると思われた。そして、それを有効に行うためには、この地域に住む知識人としての役割についての自覚が必要であるように思われた。「核とミサイルの国際政治」、「東アジアにおける冷戦研究のあり方」、「東アジア自治体共同体に託す平和の可能性」などのテーマが浮かび上がった。   しかし、まだこの段階では、いずれのテーマも明白な会議の目標がイメージとして描けない状況であった。この時、研究チームの連絡を束ねていた角田英一さん(渥美国際交流財団事務局長)からいただいた一言に触発されて出てきたのが今回のテーマである。角田さんは、昨年の「日本研究」フォーラムの末尾で、私が司会としてのまとめの発言のなかに「東アジアの知識人の連帯」を呼びかけたことを覚えていてくださった。そこで私が提案したのが「今、再び平和について:東アジア平和問題談話会の立ち上げを呼びかける」であった。これは1950年、朝鮮戦争が勃発した状況の下で日本の知識人グループの平和問題談話会が発表して、第3声明として有名になった「三たび平和について」を意識したテーマであった。これについて今西淳子さん(SGRA代表・渥美国際交流財団常務理事)と朴栄濬さん(韓国国防大学校安全保障大学院教授)から大筋で賛同という意見を寄せていただいた。   ただ、「平和問題談話会」をあまり前面に出すと想像力を制限する恐れがある、「呼びかける」ということを掲げると、能力以上の課題を背負うことになるので控えめに調整したほうがいい、との助言があった。非常に適切な助言であり、これを受け入れた形で、最終的に設定されたのが今回のテーマであった。そして、フォーラムでは、「国際政治や安全保障の方向からの現状分析やシナリオの提示ではなく、平和研究または平和論という方向からの問題提起」とすること、「なによりも平和を優先する考え方が各個撃破されている現状を検証する」こと、こうした現状を克服するために「知識人として何ができるのかを議論する」ことを目標として設定した。   フォーラムの内容を構成するにあたっては、2つの方向から問題を提起する必要があった。1つ目は、戦後のアジアにおいて「平和への呼びかけ」が知識人の連帯運動として出てきた先例を確認しておくこと。その例として「平和問題談話会」の経験を東アジアのレベルでいかに生かすことができるか検証する。2つ目は、東アジアの危機の原因を見極め、平和の現状を確認し、そこで知識人が動ける空間がどのように存在しているのか確認しておくことである。私と木宮正史先生(東京大学大学院総合文化研究科教授)の問題提起は、それぞれこの必要に呼応するものであった。   次に、具体的な事例報告として、日本、中国、台湾、韓国、そしてアセアンにおける「平和」の現状を把握することが必要と思われた。台湾と韓国の現状については、本研究チームの林泉忠さん(台湾中央研究院近代史研究所副研究員)と朴栄濬さんが担当することになった。中国パートは、本研究チームの李成日さん(中国社会科学院アジア太平洋・グローバル研究院研究員)に中国の研究者の紹介を依頼し、二人が候補者として挙がった。宋均営さん(中国国際問題研究院アジア太平洋研究所副所長)と趙剛さん(中国社会科学院日本研究所副研究員)である。一人は政治学、もう一人は思想史が専門であったが、専門が異なっていた方が相互に補完が可能と思われ、両方に報告をお願いすることにした。アセアンの専門家は今西さんにこのテーマにピッタリな研究者を紹介していただいたのだが、日程を合わせることができず、報告者を出すことはできなかった。   そして、会議の直前に中国からの出席予定者であった趙剛さんが、研究所の事情で来られなくなった。もう一人の中国からの出席者である宋均営さんも連絡がとれにくく、フォーラム参加が危ぶまれたが、出国をわずか1日を残してビザが下りたということで無事に参加していただいた。最後に、日本パートであったが、今西さんから、以前にSGRAフォーラムで講演をお願いした都築勉先生(信州大学経済学部教授)を紹介していただいた。都築先生は、私が博論を書いていた時から書物を通してお世話になっていた先生であったので、是非とも話を聞きたかった。SGRAフォーラムを手伝いながら、得をしたという気持ちになるのは、このように平素会いたかったひとに会えることである。以上が、フォーラム開催の経緯である。   2つの問題提起と4つの報告の内容は、SGRAレポートに纏められる予定であるが、それぞれの国が置かれた状況によって、「平和」の現状と、「何を平和と認識するか」に至るまでの経緯が大きく異なっていることを確認することができた。時に報告者たちの発言は、お互いに衝突し兼ねない際どいところまで及ぶこともあったが、報告者たちの「平和」な性格のおかげで、生産的な議論になった。「平和」の条件は違っても「平和」の観念には、底で通じるものがあることを確認したことは収穫であった。   総合討論で、劉傑さん(早稲田大学社会科学総合学術院教授)が強調されたことは、そのことであったように思われる。中国にも、特殊な政治状況から生まれていながらも、理念の違いや国の境を超えて訴えることのある「平和テキスト」があり、時を超えてこれを学習する人がいるという。劉傑さんの討論を通じて、このフォーラムの意義が新しく浮かび上がり、これからも引き続き、今回の趣旨を継承して続けていくべきであることが分かった。探してみると、この地域には「三たび平和について」だけでなく、多くの平和テキストがありそうである。これから当分、フォーラムでは、東アジアで共有し継承していくべき平和テキストを発掘し、一緒に読んでいきながら、それを今どう生かすべきか、考えてゆきたい。   その際、フォーラムの最後に谷野作太郎先生(元中国大使)から寄せていただいた論評は、議論が宙に浮かないようにフォーラムを進めていくために、肝に命じておくべきである。平和の理想を求めることは、平和でない現実を省みることから始めるべきである。そのような趣旨の論評であったと覚えている。   平和でない現実に身を置きながらも、現実に囲まれず、平和を想像することを止めないこと。そのため、東アジアの平和テキストを一緒に読んでいくこと。この地域の研究者たちが「知識人」としての役割を自覚し「平和」のため連帯を目指すのなら、このことから始めるのはどうだろうか、フォーラムを閉じながらそんな思いがした。   フォーラムのプログラム フォーラムの写真   <南_基正(ナム_キジョン)NAM_Kijeong> ソウル大学日本研究所副教授。韓国ソウル市生まれ。ソウル大学にて国際政治学を学び、2000年に東京大学で「朝鮮戦争と日本-‘基地国家’における戦争と平和」の研究で博士号を取得。2001年から2005年まで東北大学法学研究科の助教授、2005年から2009年まで韓国・国民大学国際学部の副教授などを経て現職。戦後日本の政治外交を専門とし、最近は日本の平和主義や平和運動にも関心を持って研究している。主著に『基地国家の誕生?日本が戦った朝鮮戦争(韓国文)』、『戦後日本と生活平和主義(編著・韓国文)』、『歴史としての日韓国交正常化II: 脱植民地化編(共著)』、“Similar Conditions, Different Paths?: Japan`s Normalization of Relations with Korea and Vietnam”, “The Reality of Military Base and the Evolution of Pacifism : Japan's Korean War and Peace”,「日本の反原発運動?起源としてのベトナム反戦運動と生活平和主義の展開(韓国文)」、「戦後日韓関係の展開?冷戦、ナショナリズム、リーダーシップの相互作用」などがある。     2016年9月1日配信  
  • 2016.05.31

    第51回SGRAフォーラム「『今、再び平和について』― 平和のための東アジア知識人連帯を考える」へのお誘い

    下記の通りSGRAフォーラムを開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。   テーマ: 「『今、再び平和について』― 平和のための東アジア知識人連帯を考える」 日 時: 2016年7月16日(土)午後1時30分~5時30分 会 場: 東京国際フォーラム ガラス棟 G701 号室 参加費: フォーラムは無料 懇親会は正会員1000円、メール会員・一般 2000円 お問い合わせ・参加申込み: SGRA事務局([email protected], 03-3943-7612)   主 催:渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)   ◇フォーラムの趣旨   今回のフォーラムは、混迷を深める東アジアの国際情勢に対して、国際政治や安全保障論の方向からの現状分析やシナリオの提示ではなく、平和研究または平和論という方向からの問題提起として位置付け、進めていきたい。   そのためには、東アジア各国における「平和論」の現状を確認し、各国で「何よりも平和を優先する考え方」が各個撃破されている現状を検証すると共に、こうした現状に風穴をあけるためにはいかなる方法があるのか、そのために学問をする者として、知識人として何ができるのかを議論する場としたい。   そして、この地域の研究者たちが知識エンジニアになりつつある現状、あるいは、安全保障の専門家たちに平和が呪縛されている現実に対して、平和を語る知識人としての研究者の役割、東アジアの知識人の連帯の意義を考えたい。     ◇プログラム   詳細はプログラムをご覧ください。   <問題提起1>「平和問題談話会と東アジア:日本の経験は東アジアの公共財となり得るか」 南基正(ソウル大学日本研究所副教授)   <問題提起2>「東アジアにおけるパワーシフトと知識人の役割」 木宮正史(東京大学大学院総合文化研究科教授)   <報告1>「韓国平和論議の展開と課題:民族分断と東アジア対立を越えて」 朴栄濬(韓国国防大学校安全保障大学院教授)   <報告2>「中国知識人の平和認識」 宋均営(中国国際問題研究院アジア太平洋研究所副所長)   <報告3>「台湾社会における『平和論』の特徴と中台関係」 林泉忠(台湾中央研究院近代史研究所副研究員)   <報告4>「日本の知識人と平和の問題」 都築勉(信州大学経済学部教授)   【パネルディスカッション】   フォーラムのちらし   ------------------------------------------------------- ◇SGRAとは   SGRAは、世界各国から渡日し長い留学生活を経て日本の大学院から博士号を取得した知日派外国人研究者が中心となって、個人や組織がグローバル化にたちむかうための方針や戦略をたてる時に役立つような研究、問題解決の提言を行い、その成果をフォーラム、レポート、ホームページ等の方法で、広く社会に発信しています。研究テーマごとに、多分野多国籍の研究者が研究チームを編成し、広汎な知恵とネットワークを結集して、多面的なデータから分析・考察して研究を行います。SGRAは、ある一定の専門家ではなく、広く社会全般を対象に、幅広い研究領域を包括した国際的かつ学際的な活動を狙いとしています。良き地球市民の実現に貢献することがSGRAの基本的な目標です。詳細はホームページ(www.aisf.or.jp/sgra/)をご覧ください。 -------------------------------------------------------  
  • 2015.07.23

    文 景楠「第7回SGRAカフェ『中国台頭時代の台湾・香港の若者のアイデンティティ』報告」

    2015年7月11日、東京九段下にある寺島文庫みねるばの森にて、台湾中央研究院近代史研究所の林泉忠先生をスピーカーに迎え、第7回SGRAカフェが開催された。SGRA運営委員のデール・ソンヤさんの司会のもと、まずSGRA代表の今西淳子さんによる開催の挨拶があり、続いて林先生による講演が始まった。以下、その様子を簡略に伝えたい。   今回の講演は、2014年に中国語圏で起こった政治的な出来事のなかでも特に印象的であった、台湾のひまわり学生運動と香港の雨傘運動を取り上げたものであった。現在の台湾と香港の状況を象徴するようなこれら二つの運動は、学生たちが立法院や道路を占有する映像とともにメディアによって大きく取り上げられ、海外の人々にも非常に強いインパクトを与えた。これらの運動が現代の中国語圏を理解する上でどのような意味をもつのかを整理し、それをもとにして、運動の主体となった台湾と香港の若者のアイデンティティの問題に進んだ。   林先生によれば、二つの運動は以下のような特徴をもつ。まず、それらはともに学生主体の運動であり、政権や社会格差への関心が主な動機として始まっている。また両者は、方法としては非暴力を、理念としては民主主義を掲げたものであり、その展開においてインターネットが重要な役割を果たしていたという点でも類似している。さらに、ひまわり学生運動と雨傘運動の中心となった若者たちが、深い関心をもって互いの活動を積極的に支援したという点も特徴的である。   すでに『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス:沖縄・台湾・香港』というタイトルの著書を上梓されていることからも窺えるように、林先生が、これらの運動を理解する際にキーワードとしたのは、「中心と辺境との距離」である。上で取り上げた二つの運動は、民主化運動といった点を重視すれば、中国語圏で行われてきた従来の政治運動と一見同様に見えるかも知れない。しかし、今回の二つの運動には大きな違いがあり、それには、近年の中国語圏における最も重大な変化、すなわち「中国の台頭」という現象が関係している。   現在の中国語圏において、中国本土と台湾、香港の力関係は従来のそれから大きく変化している。香港は以前もっていた経済的求心力を失い始め、台湾もまた爆発的な成長を見せる中国との関係をどのように保つかに苦慮している。このような関係の変化は、特に雨傘運動に対する中国政府の対応から垣間見ることができる。林先生の理解によれば、中国政府の雨傘運動への対応は予想以上に強硬なものだった。これは、香港がもっていた経済的重要性が弱まってきたことによって、現在の中国政府がある意味では香港(に住む人々)に対して優位に立つようになったという事情を反映しているといえる。   このような現実に直面している香港の学生たちが今回の運動で問わなければならなかったのは、おそらく民主主義やそのための手続きの問題だけではなく、激変する社会情勢における自分たちの立ち位置でもあったのだろう。同様の指摘は、台湾の事例にも当てはまる。中国政府の反応は香港の場合とは違って比較的おだやかなものではあったが、ひまわり学生運動がそもそも中国本土と台湾の経済的な協定が火種となったものであるという点を考えれば、台湾の若者が苦心していたものもまた、単なる政治的意思決定のプロセスの妥当性だけではなく、中国台頭時代における自らの立ち位置への不安でもあったと思われる。   このように、今回の二つの運動は、ますます中心化していく中国本土とますます辺境化する台湾・香港の関係がもつ不安定さを反映したものであり、若者による民主化運動という理解だけではこれらの内実を正確に把握することは、もはやできないのである。   中心と辺境の距離感は、講演の主題となったアイデンティティの問題に直結している。林先生の調査によれば、香港・台湾の住民のかなりが、自らを香港人・台湾人と考えている。香港人や台湾人という自己認識が何を意味するのか、さらに、この自己認識が中国語圏の今後に対して何を示唆するのかに関しては、まだ判定を下すことができない。しかし、社会情勢の変化が、中国語圏が従来から抱えていた問題の位相を変えていることは恐らく事実であり、今後このような傾向はさらに加速されるだろう。   現状の整理は上記のとおりであるが、これから中国語圏の人々が何を目指すべきかを示すことは簡単ではない。これに関して林先生は、中心となっていく中国政府が、どのように辺境の人々からの信頼を回復できるのかが鍵となるだろうと述べた。その具体的な方法は事案に応じて個別的に論じられなければならないが、その指摘は方向性としては全面的に正しいと思われる。   中国語圏の若者のアイデンティティの問題は、その地域の現実を直に反映したものである。今回の講演は、このようなアクチュアルな現象に着目することで今後の中国語圏全体のあり方を考えるという、非常に刺激的な内容であった。   当日の写真   英語版エッセイはこちら    -------------------------------------- <文 景楠(ムン・キョンナミ) Kyungnam MOON> 哲学専攻。東京大学大学院博士課程在学中。研究分野はギリシア哲学で、現在はアリストテレスの質料形相論について博士論文を執筆している。  --------------------------------------   2015年7月23日配信    
  • 2014.10.20

    レポート第69号「紛争の海から平和の海へ」

    SGRAレポート69号(本文) SGRAレポート69号(表紙)   第45回SGRAフォーラム 「紛争の海から平和の海へ:東アジア海洋秩序の現状と展望」講演録 2014年10月20日発行   <もくじ> 【基調講演】 「東アジアの海と領土―国際法の視点から― 」 村瀬信也(むらせ・しんや)上智大学法学部教授   【報告1】< 韓国の立場> 「東アジア型国際社会の出現 ―日韓漁業協定(1965)への過程を振り返る― 」 南 基正(ナム・キジョン)ソウル大学日本研究所副教授   【報告2】< 中国の立場> 「東アジア国際秩序の現状と展望 ―中国内における「新型大国関係」の議論を中心に― 」 李 成日(リ・チェンル)中国社会科学院亜太与戦略研究院助理研究員   【報告3】< 台湾の立場> 「『琉球地位未定論』の再燃で尖閣紛争の解決に役立つのか ―中国と台湾の議論を中心に― 」 林 泉忠(リム・チュアンティオン)台湾中央研究院副研究員   【報告4】< 日本の立場> 「竹島/独島をめぐる海の一断面」 福原裕二(ふくはら・ゆうじ)島根県立大学准教授   【報告5】 「北極海の開放と韓国・日本・中国の海洋協力の可能性」 朴 栄濬(パク・ヨンジュン)韓国国防大学校安全保障大学院教授     【パネルディスカッション】 司会: 李 恩民 総括:明石 康(国際文化会館理事長) パネリスト:上記発表者  
  • 2012.12.26

    レポート第64号「東アジア軍事同盟の課題と展望」

    レポート64号本文 レポート64号表紙   第43回SGRAフォーラム 「東アジア軍事同盟の課題と展望」講演録 2012年11月20日発行   もくじ   【発表1】ポスト冷戦期における米韓同盟の持続と変化 朴 栄濬(韓国国防大学校安全保障大学院副教授)   【発表2】台湾内政の変動と台米同盟                     渡辺 剛(杏林大学総合政策学部准教授)   【発表3】ポスト冷戦期の米比同盟―引き続く過去と新たな脅威                     伊藤裕子(亜細亜大学国際関係学部教授)   【発表4】日米関係における「日米同盟」―過去、現在、今後―                     南 基正(ソウル大学日本研究所副教授)   【問題提起1】「同盟」を超える領土紛争の対応と連携~「尖閣諸島」における日米・中台の「協力」関係                     林 泉忠(琉球大学法文学部准教授)   【問題提起2】対テロ戦争にみる安全保障の新展開                    竹田いさみ(獨協大学外国語学部教授)   【パネルディスカッション】  
  • 2012.06.10

    レポート第61号「東アジア共同体の現状と展望」

    SGRAレポート61号本文 SGRAレポート61号表紙   第41 回日SGRAフォーラムin蓼科 講演録 「東アジア共同体の現状と展望」 2012年6月18日発行   <もくじ> 【基調講演1】東アジア共同体形成における「非伝統的安全保障」        恒川惠市(政策研究大学院大学副学長)   【基調講演2】ASEANと東アジア共同体       黒柳米司(大東文化大学法学部教授)   【発表1】韓国と東アジア共同体       朴 栄濬(韓国国防大学校安全保障大学院副教授)   【発表2】中国の外交戦略と「東アジア共同体」       劉 傑(早稲田大学社会科学部教授)   【発表3】台湾・香港抜きの「東アジア共同体」は成立するのか?~脱「中心」主義で安定した共同体を~      林 泉忠(琉球大学法文学部准教授)   【発表4】モンゴルと東アジア共同体~資源開発とモンゴルの安全保障~      ブレンサイン(滋賀県立大学人間文化学部准教授)   【発表5】北朝鮮と東アジア共同体~北朝鮮とどのように付き合うのか~       李 成日(韓国東西大学校国際学部助教授)   【パネルディスカッション】東アジア共同体の現状と展望       進行:南 基正(ソウル大学日本研究所HK教授)       パネリスト:上記講演者  
  • 2005.07.30

    レポート第27号「東アジア軍事同盟の過去・現在・未来」

    SGRAレポート第27号   第16回フォーラム講演録 「東アジア軍事同盟の過去・現在・未来」 竹田いさみ、R.エルドリッヂ、朴 栄濬、渡辺 剛、伊藤裕子 日本語版 2005年7月30日   ---もくじ-----------------   【基調講演】「対テロ戦争にみる安全保障の新展開」                            竹田いさみ(獨協大学外国語学部教授)   【研究報告1】「日米関係における『日米同盟』―過去、現在、今後」                                 ロバート・エルドリッヂ(大阪大学大学院国際公共政策研究科助教授)   【研究報告2】「ポスト冷戦期における米韓同盟の持続と変化」                                 朴 栄濬(韓国国防大学校安全保障大学院助教授、SGRA研究員)   【研究報告3】「台湾内政の変動と台米同盟」                               渡辺 剛(杏林大学総合政策学部専任講師)   【研究報告4】「米比同盟と冷戦・ナショナリズム・対テロ戦争」                                 伊藤裕子(亜細亜大学国際関係学科助教授)   【パネルディスカッション】                               進行:南 基正(東北大学法学部教授、SGRA研究員)