• 2017.05.04

    エッセイ532:林柏俊「八田與一先生、すみません」

    4月16日の夕方、長い海外出張から戻ってほっとしたその時、テレビの速報で八田先生の銅像が破壊されたニュースを見てびっくりした。翌日、日本の友人にすまないとLINEでメッセージを送ったところ、群馬県の40代のA君から「ニュースで見た。ひどいことをする人がいるものです」との返事が来て、A君のがっかりした顔つきが僕の頭に浮かんだ…。   犯人は警察に逮捕されたが、動機といきさつを犯人自身がFB(フェイスブック)で語ったところによると「八田氏の台湾での貢献に関する歴史評価を認めることができない。数年前から計画していた」とのことだった。それに対して、台湾駐日本代表の謝長廷氏は東京で「八田氏が台湾人に危害を加えたことはない。彼は政治家ではなく水利土木技師であり、反日の対象にはなり得ない」と発言した。一方、5月8日に「八田先生の追悼会」が行われる予定であり、民間の嘉南農田水利会(組合)と奇美博物館は速やかに協力を表明し、大至急銅像の修復を行うと発表した。追悼会に間に合うよう、現在も修復を急いでいる。   台湾南部の人と我ら日本留学組は、八田先生を大変尊敬している。この方の偉業が、最近の台湾内部の政治紛争に巻き込まれてしまったことは非常に遺憾である。特に八田先生の家族と今まで台湾を応援してくださった日本の友人に対して大変申し訳ないと、深く心が痛む。   いばらの道ともいえる120年の複雑な歴史の流れの中で、日本と台湾は今までにない友好的な関係を築き、強い信頼で結ばれたパートナーとなった。これは言うまでもなく、先人や先輩方の、多方面にわたる命がけの努力の上に築き上げられたものである。   この事件をきっかけとして、台湾と日本の友人は次のことを真剣に考えるべきだと思う。   (1)先人達が残した重要な資産について学び、再認識すべきである。例えばダムなど国土を支えている建造物、鉄道や道路などの交通システム、戸籍などの政治制度の背景を、両方が互いに学ばなければならない。   (2)様々な歴史を背負ってきた日台関係は平たんなものではなかったにもかかわらず、益々緊密かつ有効的なものになっている。宿命ともいえるこの関係について、その理由を理解しようと努めるべきである。   ただ観光に来るだけではなく、一段と日台関係の歴史と未来について考え、理解を深めるべきだと呼びかけたい。台湾には「打断手骨、顛倒勇」ということわざがある。折られた腕はさらに強くなるという意味だ。この事件によって我らはよい教訓を得たが、今後もまた何らかの事件が起こるかもしれない。   日台の絆は、はかり知れないほど貴重な宝である。日本人と台湾人にとって共有の無形資産と言えよう。やはり皆が一緒になって、雲上の八田ご夫妻のご恩にふさわしい絆を守り、着実に次世代へとバトンタッチするよう努力すべきである。   さて、話を戻して、僕はこの文章と次のメッセージをA君に送るつもりだ。   「大丈夫。安心してください。日台の絆は簡単に引き裂かれるものではありません。また台湾で一緒にお酒を飲んで、おいしい料理を食べましょう。」   〇筆者による補足説明   八田與一(はった・よいち)先生は、1886年石川県に生れ、1910年東京帝国大学土木工学科を24歳で卒業後、台湾総督府の土木技師に就任し、初めて嘉南平野の水利問題を調査、後に烏山頭ダムと嘉南大シュウを計画、建設して、荒地を良田に変えた貢献者です。 1920年に外代樹(とよき)女史を烏山頭の任地に妻として迎えて居住。1942年政府の派遣でフィリピンに赴任した時に、運送船の大洋丸が米軍の潜水艦の攻撃を受けて殉職。遺骨は同年台湾烏山頭墓地に納められ永眠されました。妻の外代樹女史は、終戦後日本への引き上げ前に、夫の後を追いダムに投身、情愛の厚い大和撫子に台湾の人は感動しました。 ダム施工中、病気などで死難した134名の殉職者を、日本人(統治者)台湾人(植民者)の区別なく殉職時の順で慰霊碑に姓名をきざみこんだ事に台湾の人も感服しました。 この恩典に感謝するため、1930年に「八田の友会」が組織され、日本の有名な彫刻家都賀田勇馬に銅像を依頼して翌1931年に烏山頭ダムに建立しましたが、第二次世界大戦末期の金属徴収令を避けるため、嘉南の人々が命をかけて、密かに銅像を現在の隆田駅の倉庫に隠しました。戦後、蒋介石政権の反日感情を懸念して嘉南水利組合の決議で私人住宅に移され、数十年を経て政治情勢の緩和にともなって、1981年に現在の烏山頭八田塚前に再び建立された次第です。 毎年5月8日の命日には「八田の友会」を開催し、八田家の子孫親友と共に追悼会を行っています。   <林柏俊 Bob Lin> 家族と祖父の日本人の友人のお陰で、1977年(15才)から名古屋に渡り、名古屋市立菊井中学を卒業。更に1年10カ月程の日本語の学力で高校入試にのぞみ、名古屋市立北高等学校に入学。高校2年生の時に(1980)アメリカに留学。南カリフォルニア大学で学士、経営修士(MBA)を習得。カリフォルニア州の公認会計士の免許取得後、1990年に台湾に戻る。現在は共益水泥製品廠/金匡国際(股)社長、台湾外貿協会WTO_GPA全球採購商機専案顧問等を務める。また、台日文化経済協会の理事として日本と台湾との民間交流の活動を支援している。       2017年5月4日配信
  • 2017.05.04

    エッセイ531:林茜茜「住みにくい人の世」

    「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」夏目漱石の「草枕」の有名な冒頭の言葉である。同じく「人の世」に属しているため、「住みにくい」と感じる点に関しては、たぶん中国も日本も大して変わらないだろう。しかし、やはり文化の違いがあるので、どうしても感じ方には相違が生じる。   日本に来てあっという間に5年が過ぎた。この5年間で、日本に対する認識も少しずつ変わりつつある。日本へ留学する前に、日本のドラマやバラエティ番組を見たことがある。特にバラエティ番組における女装タレントたちの活躍ぶりを見て、大変驚いた。その時、私のなかの日本は、女装タレントも差別されることなく、自由にメディアに出られる開放的な国であったのだ。   実際に日本へ来て、テレビを見る機会は前よりだいぶ増えた。いつの間にか、朝起きたら、まずテレビをつける習慣が身に付いていた。午前中、ほとんどのテレビ局が報道番組をやっているが、番組で中国のこともしょっちゅう俎上に載せられる。しかし、日本のテレビで報道されている中国のイメージは、かなり偏っている印象をどうしても受けてしまう。例えば、中国のどこかでまた世界遺産を模倣した建築物が作られたとか、修復時に「万里の長城」の表面がコンクリートのようなもので平らに塗り固められたとか、珍事件ばかりが報道される。それを見ていると、やはり違和感を覚える。結局、中国に対する日本人の今までのステレオタイプと一致するネタだけが選択されているのではないか。その点について物申してみたい。   もちろんニュースで取り上げられた珍事件が実際にあったことは、揺るぎのない事実である。ただし、日本側の報道には、中国人全員がそれらの珍事件を違和感なく受け入れているような印象を与える傾向が見られる。そうすると、日本人の中国に対するイメージは、ますますステレオタイプ化されてしまうことになる。実際は中国においても、それらの事件に対して批判的な態度を取る人が大勢いることを、より多くの日本の方々に知ってもらいたい。中国のことをより的確に知りたいのならば、多様な中国人の声を意識的に聞く工夫が必要だと思う。   日本で生活してみて、もう一つ気になった点がある。日本では中国の言論統制がよく話題にされるが、しかし日本は本当に言論自由な国といえるのだろうか。確かに日本では国民が自由に発言できる権利をもっている。しかし、発言に不適切な言葉が一箇所使われるだけで、発言者はすぐ強く叩かれることになる。そうすると、人々はどうしても慎重に言葉を選び、しかも無難な発言をするようになってしまう。このような空気が蔓延すると、環境がますます窮屈になり、言論の自由も次第に奪われてしまう気がせざるを得ない。もちろん言葉に責任を持つべきだとは分かるが、しかし細かい言葉遣いの一箇所よりも、もっと発言内容の全体に目を向けてもらいたいとつくづく思う。   およそ5年前、上海で日本人の女性Aさんと知り合ったが、彼女は中国人の男性と結婚して、上海でおよそ8年間暮らしていた。中国語で値切れるほど中国の生活になじんでいたので、本当にタフな方だなあと思った。約2年前に旦那さんの仕事の関係で、Aさんは再び日本へ戻って暮らすことになった。ちょうど1週間前に、久しぶりに彼女に会ったが、なんとあのタフなAさんの口から「中国に戻りたい。日本は怖くて住めない!」という言葉が出た。その理由を聞くと、どうやらこの前、ある女性タレントが不倫のため、世間から厳しく叩かれ、一時期芸能活動を休業にまで追い込まれたのを見て、現在の日本がリンチ社会になっていると感じ、恐怖を覚えたらしい。もちろんそのことに対して異様さを感じた人は日本にも多くいるはず。私もその一人である。ただし、長年中国で暮らしたことのあるAさんだからこそ、そのことに対する違和感をよりいっそう敏感に感じ取ったのだと思う。   確かに「人の世は住みにくい」。しかし、この住みにくい人の世を少しでも住みやすくするには、やはり窮屈だと感じた社会の全体を見直し、改善する必要があると思う。改善の時期はいつであるかと聞かれると、答えは1つしかない。それは「今でしょ!」   <林茜茜(リン・センセン)Lin Qianqian> 渥美国際交流財団2016年度奨学生。2013年4月に早稲田大学教育学研究科国語教育専攻に入学し、2017年3月に博士学位を取得。日本近代文学、中日比較文学を中心に研究している。     2017年5月4日配信
  • 2017.04.27

    第4回アジア未来会議☆論文・小論文・ポスター/展示の募集

    渥美国際交流財団関口グローバル研究会は、バンコク、バリ島、北九州に続き、ソウルにて第4回アジア未来会議を開催します。アジア未来会議は、日本で学んだ人、日本に関心をもつ人が一堂に集まり、アジアの未来について語る<場>を提供することを目的としています。毎回400名以上の参加者を得、200編以上の論文発表が行われます。国際的かつ学際的な議論の場を創るために皆様の積極的なご参加をお待ちしています。 日時:2018年8月24日(金)~8月28日(火)(到着日・出発日も含む) 会場:韓国ソウル市 Kホテル http://www.aisf.or.jp/AFC/2018/ アジア未来会議は下記の要項にしたがって論文・小論文・ポスター/展示を募集します。 ◆テーマ 本会議全体のテーマは「平和、繁栄、そしてダイナミックな未来」です。本会議では葛藤や格差などの人類共通の諸課題を解決するために、「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」を目指します。朝鮮戦争の後、韓国は絶え間ない努力と海外からの多大な援助によって「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げました。韓国は、その歴史的経験から、開発にともなう苦痛や悩みをよく理解していると言えるでしょう。こうした点からも韓国ソウルで開催される本会議が、これからのアジアの「平和、繁栄、そしてダイナミックな未来」に寄与することを願います。 第4回アジア未来会議で学際的に議論するために、下記のテーマに関連した論文、小論文、ポスター/展示発表を募集します。登録時に一番関連しているテーマを3つ選択していただき、それに基づいて分科会セッションが割り当てられます。 平和Peace、繁栄Prosperity、活力Dynamism、幸福Happiness、人権Human_Rights、成長Growth、グローバル化Globalization、教育Education、共存Coexistence、公平Equity、長寿Longevity、健康Health、メディアMedia、多様性Diversity、革新Innovation、歴史History、 コミュニケーションCommunication、社会環境Social_Environment、自然環境Natural_Environment、持続性_Sustainability ◆学術分野 下記の分野を受け付けます。 A 自然科学 物理学、化学、生物学、数学、医学、農学、工学、その他 B 社会科学 法学、政治学、経済学、経営学、社会学、教育学、その他 C 人文科学 哲学、宗教学、心理学、歴史学、芸術学、文学、言語学、その他 ◆発表言語 第4回アジア未来会議の公用語は英語、日本語と韓国語です。登録時に、まず口頭発表およびポスター/展示の言語を選んでいただきます。英語で発表する場合の発表要旨は250語以内に纏めてください。日本語か韓国語で発表する場合は、発表要旨のみ英語(250語)と日本語(600字)あるいは韓国語(600字)との両方で投稿していただきますが、論文および小論文は日本語あるいは韓国語のみで結構です。 ◆発表の種類 アジア未来会議は日本で学んだ人、日本に関心のある人が集まり、アジアの未来について語り合う場を提供することを目的としています。国際的かつ学際的なアプローチによる、多面的な議論を期待しています。専門分野の学術学会ではないので、誰にでもわかりやすい説明を心掛けてください。 1.小論文 short_paper(2~3ページ) 自分の専門とは違う研究者も参加して国際的かつ学際的な議論をすることを前提に、口頭発表の内容をまとめた小論文を投稿してください。小論文の代わりに発表レジュメ・パワーポイント等の配布資料でも構いません。 発表要旨のオンライン投稿の締め切りは2018年2月28日、合格後の小論文のオンライン投稿(PDF版のアップロード)の締め切りは2018年5月31日です。5月31日までに投稿がない場合は、アジア未来会議における発表を辞退したと見なされますのでご注意ください。小論文は、奨学金、優秀論文賞の選考対象にはなりません。 2.論文 full_paper(10ページ以内)―奨学金、優秀論文賞の選考対象になります アジア未来会議は、多面的な議論によって各人の研究をさらに磨く場を提供します。必ずしも完成した研究でなくても、現在進めている研究を改善するための、途中段階の論文を投稿していただいても構いません。 奨学金と優秀論文賞に申請する場合、発表要旨のオンライン投稿締め切りは2017年8月31日で、合格後の論文のオンライン投稿(PDF版のアップロード)の締め切りは2018年3月31日です。発表要旨の合格後、論文の投稿を前提に奨学金を申請できます。奨学金の選考結果は1月20日までに通知します。 また、学術委員会による審査により、優秀論文20本が選出されます。優秀論文には、アジア未来会議において優秀賞が授与され、会議後に出版する優秀論文集「アジアの未来へー私の提案Vol.4」に収録されます。既にアジア未来会議で優秀論文賞を受賞したことのある方は、選考の対象外となりますので予めご了承ください。 奨学金と優秀論文賞に申請しない場合、発表要旨のオンライン投稿締め切りは2018年2月28日で、合格後の論文のオンライン投稿(PDF版のアップロード)の締め切りは2018年5月31日です。 3.ポスター/展示発表 ・ポスターはA1サイズに印字して当日持参・展示していただきます ・展示作品は当日の朝に自分で搬入し展示していただきます 発表要旨のオンライン投稿締め切りは2018年2月28日で、合格後のポスター/展示のデータのオンライン投稿(PDF版のアップロード)の締め切りは2018年5月31日です。アジア未来会議において、AFC学術委員会により優秀ポスター/展示賞数本が選出されます。ポスター/展示作品は、奨学金と優秀論文賞の選考対象にはなりません。 ◆分科会セッションの割り当て 分科会は、2018年8月26日(日)に、韓国ソウル市のKホテル会議室で開催します。分科会セッションのスケジュールは、2018年8月5日までにAFCオンラインシステム上に発表し、その後調整の上、8月15日に決定します。 1.一般セッション(アジア未来会議実行委員会が割り当てる) 下記のグループセッションと学生セッションのものを除き、2018年5月31日までに投稿された論文または小論文は、まず口頭発表言語によって英語、日本語、韓国語のセッションに分かれます。次に、登録時に選んでいただく3つのテーマに基づき分科会セッションを割り当てられます。 2.グループセッション(グループで独自のセッションを作る) 独自のセッションを希望する方は、発表者3~5名、座長1~2名のグループを作り、①セッションのタイトルと趣旨(英語の発表の場合は英語のみ、日本語か韓国語の発表の場合は英語と日本語か韓国語)、②発表者および座長の氏名とAFCユーザー登録番号(4桁)と投稿番号(3桁)③発表言語を、2018年5月31日までにアジア未来会議事務局へEメールでお送りください。 3.学生セッション 大学院修士課程や学部の学生は、学生セッションに参加してください。大学院博士課程の学生は、どのセッションにも参加できますが、学生セッションを選ぶこともできます。 ◆論文投稿のスケジュール 2017年5月1日:論文の発表要旨のオンライン投稿受付開始(英語で発表する場合は英語。日本語か韓国語で発表する場合は、英語と日本語か韓国語の両方 2017年8月31日:論文の発表要旨の締め切り(奨学金と優秀論文賞の対象) ※奨学金と優秀論文賞に応募しない場合の締め切りは、2018年2月28日 2018年3月31日:論文(英語か日本語か韓国語)のオンライン投稿(PDF版のアップロード)の締め切り (優秀論文賞の選考対象) ※優秀論文賞に応募しない場合の論文の投稿締め切りは、2018年5月31日 ◆詳細は、http://www.aisf.or.jp/AFC/2018/call-for-papers/こちらをご覧ください。(一番上のタブで言語を選択)
  • 2017.04.20

    エッセイ530:チョ・アラ「批判的思考について」

    韓国の教育制度の問題と言えば、多くの韓国人は「注入式教育(詰め込み教育)」を思い浮かべるでしょう。その注入式教育の弊害は、批判的思考が難しくなることです。批判的思考のためには、ある情報を得た時そのまま信じ込まずに、その情報が本当に正しいかどうかを自分で確かめようとする「努力と時間」が必要です。しかし、今のように情報が溢れる時代には、批判的思考によってある情報が事実なのかどうかを判断することが容易ではありません。   この数か月、政治的、社会的に大きな衝撃を与えた朴槿恵元大統領と親友のスキャンダルで、韓国は毎日大騒ぎでした。連日驚きの事実が明らかになったため、私はネットで韓国ニュースメディアの報道と、この事件を報じる日本のメディアの様子を観察してみました。特に残念に思ったのは、韓国で既に明らかになっている事実関係を十分に把握していないまま、恣意的な解釈をする専門家やコメンテーターが少なくなかったことです。その解釈を受け、一部のパネリストたちと番組の司会者はまた事実とは程遠いコメントをします。例えば、朴氏の罷免について、ニュース番組やワイドショーに出演したコメンテーターが「まだ具体的な証拠も出ていないし、大統領が自分の疑惑を否定していることを理由に、『憲法違反』との判決が下ることはおかしい」と発言するのを聞いたことがあります。   しかし、この発言は多数の韓国国民の認識とはかけ離れています。韓国の憲法裁判制度は一般の裁判とは違い、「憲法の精神に基づく責任」が問われる政治的な色彩が強い裁判です。法律に比べると憲法は曖昧なところが多いけれども、その分弾劾は国会の3分の2以上の賛成という厳しい条件を必要とします。朴氏が捜査を拒否する間、嫌疑を裏付ける証拠は毎日のようにメディアに報じられ、その一部の事実は検察と特別検察の公訴状にも記載されました。なお、弾劾に賛成する世論は昨年12月から今年の2月まで一貫して70~80%を維持したのですが、朴氏の弾劾には何回か危機がありました。それに憤りともどかしさを感じた国民が、冬の寒さの中で広場に集まって、20回以上の平和的な集会が開催されました。証拠のない世論裁判によって罷免されたのではありませんし、同情される理由もないというのが多数の国民の意見なのです。   言論NPOの世論調査によると、韓国についての情報源を問う質問に、日本のニュースメディアと答えた比率は2015年には94.3%、2016年には92.1%でした。新聞やテレビニュース、或いはワイドショーの視聴者が、事実と違う専門家の意見を批判的思考なしにそのまま受け入れてしまえば、視聴者の目に韓国は法の支配が崩壊した国、国民の感情に振り回される国、ややもすればデモをする国に映るでしょう。集団的自衛権の行使容認と安保法制の成立以降、「日本が軍国主義に戻ろうとする野心を示した」と主張する一部の韓国と中国の報道に、日本の国民が同意できないと感じるのと似ているかも知れません。   経済交流、人的交流、文化交流が進む中で、何故日韓関係はなかなか改善しないのか、そして日韓の国民のお互いに対する親近感は何故なかなか強くならないのか。不幸な過去の歴史から生まれたいろいろな問題がネガティブな相互認識を形成する根本的な原因ではありますが、これを拡大させる「今現在のメカニズム」もやはり存在しています。日本ではネットで韓国のニュース記事の日本語翻訳を見つけることができます。同じように、ユーチューブでは、ハングルで「朴槿恵 弾劾 反応」と検索してみると、朴氏の弾劾を報じる日本のニュース番組やワイドショーにハングルの字幕を入れてアップロードした動画がたくさん出てきます。日本のニュース記事の下にあるコメントや2chなどの利用者のコメントを丸ごと韓国語に翻訳して韓国のウェブサイトにアップするケースも少なくありません。   反対の場合も同じですが、日本の韓国専門家やコメンテーターが韓国の状況について不確かな情報、或いは事実関係が間違った情報を生産し、それが批判的思考のフィルタリングなしで日本の国内に発信されると、それが韓国語に翻訳され、その情報が速いスピードで韓国国内に拡散するという意味です。そうなると、韓国の人は「韓国のことを知らないくせに、とんでもない捏造をする」と日本の社会に対して強い不満を感じ、日本のことをそんな風に決めつけてしまう可能性もあります。   私は日本でこの状況を観察しながら、専門家の役割についてよく考えるようになりました。今のように情報が溢れている状況では、批判的に情報を受け入れることが大変難しくなります。そうなると、情報を受容する側が簡単で分かりやすい情報、或いは専門家が発信した情報に依存する可能性が高くなります。研究者なら皆そうだと思いますが、とりわけ他の国の政治や社会問題について研究し、その成果を発信する立場にある人なら、現在のメディアとネットの環境に格別に注意を払う必要があります。   韓国と日本は似ているようでも、日韓の社会の歴史的流れ、特に民主主義体制を作ってきた経験に違いがあります。この違いが、実は国民の認識と行動に大きな影響を及ぼしてきたと私はみています。それに加えて、現在のメディアとネット環境の中で、現状の断面だけを見て相手について早まった判断をしてしまえば、両国国民の相互認識はこれからもっと悪化すると思います。この理由から、研究者と専門家の責任、そして情報を受け入れる側である市民の批判的思考の能力も、以前よりも強く求められると考えています。   <チョ・アラ(曺娥羅)CHO Ahra> 渥美国際交流財団2016年度奨学生。韓国・国立ソウル大学国際大学院国際地域学専攻で修士号を取得後、同大学院博士課程在学中。研究のテーマは、日中関係及び東アジア国際関係というコンテクストの中での安全保障や海洋秩序の問題。現在は慶應義塾大学の准訪問研究員としてフィールドワークを行いながら、中国の海洋進出が日本の防衛政策に及ぼした影響について博士論文の執筆に取り組んでいる。     2017年4月20日配信
  • 2017.04.20

    第7回日台アジア未来フォーラム「台・日・韓における重要法制度の比較」へのお誘い

    下記の通り第7回日台アジア未来フォーラムを台北市で開催します。参加ご希望の方は、下記リンクより登録してください。   テーマ:「台・日・韓における重要法制度の比較─憲法と民法を中心として」 主 催:国立台北大学法律学院、公益財団法人渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA) 開催日:2017年5月20日(土曜日) 08:50-18:00 会 場:国立台北大学台北キャンパス(台北市民生東路三段67号) 参加申込み登録:参加申込みはこちら から 申込み締切:2017年5月13日(土)13時まで お問合せ:SGRA事務局   ●フォーラムの趣旨:   第7回日台アジア未来フォーラムは、法制史の観点から、東アジア諸国における憲法と民法に関する法制度の比較をテーマとする。法領域のなかから、憲法と民法をピックアップした理由は、この2つの法律が我々の日常生活と緊密に関係する法であると共に、憲法は法領域のなかで、最も位階の高い法律であると言われており、憲法以外の法が憲法の規定に違反するとその法は無効となる。市民の基本的な権利を始めとして国家組織のあり方まで、国家の最も重要な事項の原則はすべて憲法に定められるといっても過言ではない。また、民法は市民生活における市民相互の関係(財産関係と家族関係)を規定する法であり、民事法の領域の憲法とも言われる。すべての人間は、その一生において、必ず民法と関わることは言うまでもない。   今回のフォーラムでは、日本、韓国、台湾の法学者をお招きし憲法と民法から、それぞれ一つの重要な論点をピックアップして議論していただく予定である。2つのセクションを通じて、日本、韓国と台湾における民法ないし憲法の論点について、お互いの相違点を見出し、お互いに自らの国の法制度の改正に示唆を得ることができると期待する。 (基調講演1は英語。基調講演2と報告は日中逐次通訳)   ●プログラム   【基調講演1】「立憲主義ー過去、現在および未来」 コーヤン・タン教授(ハーバード大学法科学院)   〇第1セクション【憲法】「台湾・日本・韓国の国会制度」   【報告1】「日本国憲法上の国会の現状と課題」 佐々木弘通教授 (日本東北大学法学部) 【報告2】「韓国の改憲論における国会変化」 孫亨燮教授(韓国慶星大学法政大学) 【報告3】「台湾における国会議員定数の考察ーアメリカ法からの示唆」 林超駿教授 (国立台北大学法律学院)   【基調講演2】「理由あるいは詭弁ー判決における外国法の引用についての論争」 頼英照教授 (元司法院院長)   〇第2セクション【民法】「台湾・日本・韓国の民商統一・分離」   【報告4】「韓国における民商・分離立法の現状と課題」 権澈准教授 (韓国成均館大学法律系) 【報告5】「日本における民商法の関係」 中原太郎准教授 (日本東北大学法学部) 【報告6】「台湾民法における民商二法統一制度への懸念」 向明恩准教授 (国立台北大学法律学院)   ●日台アジア未来フォーラムとは   日台アジア未来フォーラムは、台湾在住のSGRAメンバーが中心となって企画し、2011年より毎年1回台湾の大学と共同で実施している。過去のフォーラムは下記の通り。   第1回「国際日本学研究の最前線に向けて:流行・ことば・物語の力」 2011年5月27日 於:国立台湾大学文学院講堂 第2回「東アジア企業法制の現状とグローバル化の影響」 2012年5月19日 於:国立台湾大学法律学院霖澤館 第3回「近代日本政治思想の展開と東アジアのナショナリズム」 2013年5月31日 於:国立台湾大学法律学院霖澤館 第4回「東アジアにおけるトランスナショナルな文化の伝播・交流―文学・思想・言語」 2014年6月13日~14日 於:国立台湾大学文学院講堂および元智大学 第5回「日本研究から見た日台交流120 年」 2015年5月8日 於:国立台湾大学文学院講堂 第6回「東アジアにおける知の交流―越境、記憶、共生―」 2016年5月21日 於:文藻外語大学至善楼
  • 2017.04.13

    エッセイ529:金崇培「名称の国際政治学」

    政治学の定義に対して、多くの見解があるだろう。しかし、分析対象の権力構造を明らかにすることが政治学の目的の一つであることは否めない。また、政治学の応用分野でもある国際政治学は20世紀に誕生したが、この学問領域における大きなテーゼは戦争と平和であった。ただし、近年の国際政治学は国家間関係だけでなく、経済領域、市民社会や文明、文化など多岐にわたる領域に対しても関心を抱く。そして事物の名称の起源や伝播を追跡することもやはり国際政治学的観点から考えることができるであろう。   1945年の日本の敗戦は米国によるところが大きかった。また共産主義というイデオロギーの表象でもあったソ連の対日参戦も少なからず日本の降伏に影響を与えたという学説もやはり考慮しなければならない。ただし、太平洋だけでなく、日本軍はアジア大陸でも戦っていたのであり、日本を取り巻く戦争においてアジアの要素も見逃してはならない。アジア・太平洋戦争という名称は、戦争の性格をより正確に表出しようとした日本の研究者たちの思考の結果でもある。   もちろん大東亜戦争、15年戦争、太平洋戦争など、日本のイデオロギーまたは日本のイデオロギーを拒否した米国の視角を簡単に排除することもできない。その時代に伝播された名称は自然発生的ではなく、何らかの意図が作用していたからだ。鶴見俊輔は1931年の満州事変から1945年までを15年戦争と提唱した。ただし1933年には、満州事変の停戦協定である塘沽停戦協定が締結されたため、物理的な衝突が継続されてはいなかった。しかし、この名称は天皇制ファシズム、国家独占資本主義という日本国内の政治経済的構造に注目したという点で、依然として日本の学界において意味をなすものである。   戦争の名称を取り巻く論争に比べ、戦争を公式的に終了させる平和条約の名称は論争的ではない。しかし平和条約の名称もまた何かしらの意味をもつ。例えば、1919年に締結されたヴェルサイユ平和条約の英文正式名称は「Treaty of Peace between the Allied and Associated Powers and Germany」である。それにもかかわらず、今現在多くの国ではヴェルサイユという名称が一般的に使用されている。これは長い平和条約の名称を簡略化させるものでもあるが、ヴェルサイユ平和条約が締結された場所がヴェルサイユ宮殿であったことを再認識すべきでもある。   普仏戦争において、戦勝国であったプロイセンの皇帝ヴィルヘルム1世は1871年、ヴェルサイユ宮殿において戴冠式を行い、統一ドイツを宣言した。ドイツはこの戦争の結果、フランスに対して賠償金を要求し、アルザス=ロレーヌ地域を獲得した。これによりフランスではドイツに対する報復主義(Revanchism)が高揚した。当時フランスの議員であったクレマンソーの記憶と経験は、1919年に第一次世界大戦の敗戦国となったドイツに対して、過酷な懲罰へと繋がった。ヴェルサイユ宮殿での条約締結もやはり国際政治の権力構造を表している。   戦争と平和が主要テーゼである国際政治学において、日本と韓国で使用される名称は、どのように把握されるべきであろうか。1897年、高宗は朝鮮の国号を変え、大韓帝国の樹立を宣言した。大韓とは馬韓、辰韓、弁韓の領域を三韓として統合し、これを治める大きな韓を意味した。しかし1910年の韓国併合条約により大韓帝国は日本に編入された。韓国併合条約が発効された同日に日本は「韓国の国号を改め朝鮮と称するの件」という勅令を発令し、これにより大韓帝国を国家でない朝鮮という名称に変更した。   また、1897年に誕生した大韓帝国内における新聞では、少なくとも1900年には韓半島という地域名称も使用されていた。一方、大韓帝国成立以降1910年までの日本外交文書を見ると、大韓帝国という正式名称よりも、韓国が最も多く使用され、時には、朝鮮という名称も混用されていた。そして地域名称である韓半島という名称もやはり点在していたが、朝鮮半島という地域名称の使用は見られない。   1950年6月25日に勃発した戦争を韓国では韓国戦争または6.25戦争という。しかし日本では1950年当時、朝鮮動乱、朝鮮事変、朝鮮戦乱という名称があったが、今現在では朝鮮戦争が定着している。日本で使用された名称に共通するものは朝鮮であった。現在も日本で使われている地域名称である朝鮮半島とはおそらく朝鮮(1392-1897)だけでなく、1910年に日本が大韓帝国を朝鮮と命名したことと関連性があるであろう。   日本と韓国で今現在、政治的論争となっている特定名称とは異なり、日本で使用される朝鮮半島という名称を韓半島とすべきと、名称を論争化させる必要はない。ただし、ある名称の誕生が、いつどこで、どのように作られ、その名称に内在化されている権力構造を把握することは必要であろう。戦争と平和の国際政治学の領域に併せて、植民地問題の意味を再考する日韓関係の国際政治学が要求される。   <金崇培(キム・スウンベ)KIM Soongbae> 政治学専攻。関西学院大学法学部法律学科卒。韓国の延世大学政治学科にて修士号、博士号を取得。現在、延世大学統一研究院専門研究員。研究分野は東アジア国際政治史。在日韓国人三世。     2017年4月13日発行  
  • 2017.04.06

    エッセイ528:中西徹「Noli_Me_Tangere(我に触るな):ドゥテルテ流民族主義的外交政策の背景」

    ロドリゴ・ドゥテルテ氏は、2016年6月末、一部の現地マスコミの「期待」を裏切り、しかし、大方の予想通り、第16代フィリピン大統領に就任した。選挙における得票率は4割程度だったが、現在の支持率は80%を優に超える。私の周りでは、選挙時には、極貧層から富裕層まで、ドゥテルテ氏を嫌う者は少なくなかったが、その後、彼の統治によって、マニラでは凶悪犯罪や収賄は激減したとし、ドゥテルテ氏に対する評価を変えた者も少なくない。たしかに、その感覚は実感できる。   ドゥテルテ人気の理由の一つは、しばしば指摘される彼の家父長的力強さだけでなく、その来歴にもあるように思われる。彼は、東ビサヤ地方のレイテ島で生まれたが、マラナオ族系と中国系の血筋を引き、身をもってマイノリティの立場を理解している。子どもにはイスラム教徒と結婚しているものもおり、イスラム社会、華人社会との接点を有する。これらのマイノリティ社会の人々の多くは、大統領選でドゥテルテ氏を支持した。彼の地盤はイスラム問題を抱えるミンダナオ島のダバオ市だ。左翼思想に触れた大学時代を除き、首都マニラとは無縁であり、中央の経験がない。法科試験合格後は、ダバオ市において、検察官を10年、ダバオ市長を22年間務めた。さらに、父も弁護士だったとはいえ、旧エスタブリッシュメントとは接点はなく、その生活は質素である。70歳を超えた彼には、フィリピンを再建した英雄になるという名誉欲はあったとしても、歴代の大統領にありがちだった「物欲」は感じられない。彼は、大学時代の恩師である共産党設立者のホセ・マリア・シソンの支持を受け、複数の左派系の人材を閣僚に任命した。   しかし、このような高い国民的支持にもかかわらず、欧米における評価は芳しくない。彼の悪名を国際的に轟かせたのは、公約「麻薬撲滅戦争」における,いわゆる「超法規的殺害」(extrajudicial_killings)である。売買関与しているとされる公職者のリストを公表し、自首しなければ命はないものと思えと呼びかける。警察だけでなく、自警団までもが常習者のリストを用いて摘発に精を出し、投降しなければ売人を銃殺する。新聞報道によれば、十分な取り調べのないまま殺された者も少なくない。大統領就任後3ヵ月の間に、3千人を超える「麻薬犯罪者」が道端などで超法規的に処刑された。フィリピンでは死刑が廃止されているが、麻薬犯罪については大統領のお墨付きなのだ。こうした実態が欧米の非難を浴びた。タイム誌はドゥテルテ氏のことを「処刑人」と呼び、人権NGO団体だけでなく、アメリカもEU諸国も、その「非人道的行為」を厳しく批判した。しかし、ドゥテルテ氏は、全ての批判者に悪口雑言の限りを尽くし、決して政策を変えようとはしない。   たしかに、欧米の価値基準からすれば、このような振る舞いは、デュー・プロセスを踏まない非人道的で野蛮な行為としかうつらないであろう。だが、フィリピンには、現在推定400万人以上の麻薬中毒者がいると報道されている。そして、その売買で甘い汁を吸っている者は、ギャングやゴロツキだけではない。警察や政官界にも「闇の組織」は蔓延しており、そのネットワークは巨大である。超法規的手段を執らない限り、麻薬撲滅はありえないというのが彼の立場だ。   東アジアにおいては麻薬犯罪には死刑が適用される国が多い。中南米の例を引き合いに出すまでもなく、麻薬は現在も発展途上国において最も深刻な問題の一つだからである。しかし、歴史をひもとけば、麻薬を植民地インドで生産し、中国に持ち込み戦争を起こしたのは英国である。他方、フィリピン革命の後、米西戦争に勝利したアメリカは、フィリピンの独立を約束したにもかかわらず、多くのフィリピン人を虐殺し植民地とした。それは、ドゥテルテ氏の故郷レイテ島でも悲惨を極め、彼はその生き残りの子孫だと自認している。アメリカによって、発展途上国の罪のない市井の人々がどれほど殺害されてきたのか、彼の憤りはこうした歴史からも来ていることは間違いないであろう。   ドゥテルテ氏の外交を考えるとき、彼が独特な民族主義者であることを理解するのは重要である。彼は、相手が欧米の価値観で頭ごなしに批判しない限り、口汚く罵ることはない。忌むべきは未だに宗主国のように振る舞いたがる大国による内政干渉だからだ。彼は、これまでの麻薬政策を批判した、エスタブリッシュメントを基盤とする民主党オバマ政権を徹底的に嫌い、CIAによる暗殺の可能性にしばしば言及しアメリカを牽制してきた。その外交は一見すると、個人的感情丸出しの素人に見えるが、中国、日本への訪問からもわかるように、領土問題の先鋭化を巧みに抑え、中国とアメリカという2大大国から微妙な外交的距離を置きつつ、日中両国から大型援助を引き出すという成果を出した。麻薬中毒者の更生施設に加え、クラーク基地跡地の開発事業が喫緊の課題だからである。言いたい放題の後の後始末もそつなくこなしており、彼のスタンスはそれなりに計算されたものだ。ドゥテルテ氏は、共和党トランプ氏がアメリカ大統領に選ばれるや否や、いち早く祝福を送った。今後はアメリカとの関係にも新しい変化が起こるかもしれない。   *本稿の中国語版は台湾の自由時報(2016-12-12)に掲載された。   <中西徹(なかにし・とおる)Toru_Nakanishi> 東京大学・大学院総合文化研究科・教授(地域研究・開発経済)。1989年東京大学大学院修了(経済学博士)。国際大学助手。1991年北海道大学助教授。1993年東京大学助教授。2001年東京大学教授(現在に至る)。主要著書に『スラムの経済学』(単著:東京大学出版会、1991年)、『開発と貧困』(共著:アジア経済研究所1998年)、『人間の安全保障』(共著:東京大学出版会、2008年)、『現代社会と人間への問い』(共著:せりか書房、2016年)。     2017年4月6日配信
  • 2017.03.30

    エッセイ527:金律里「日本での生活をふりかえって」

    (『私の日本留学シリーズ#8』)   ・きっかけ 学部時代に読んだ日本人学者の本が、私が日本留学に興味を持ったきっかけであった。ずっと「宗教」と「死」に興味を持っていて、学部卒業後はどこかの大学院に進学して本格的に研究をしてみたいと考えていた時に、日本の学者はこんなに面白いことを考えるんだと思い、留学先を日本に決めた。それから、日本語の勉強を始め、日本の大学についても調べた。   ・弟とともに日本留学生活を始める しかし日本留学の情報は十分ではなくアドバイスをもらえる人もいなかったため、留学準備をして日本に来るまでは本当に大変だった。日本語で書かれた本が少し読める日本語のレベルだったが、日常会話がままならなかった。それでも心強かったのは、弟も同時期に日本の大学に入学して、兄弟2人で助け合いながら留学生活を始められたことだ。また、日本人と結婚した親戚のおばさんにもいろいろ面倒を見てもらえたし、良い助言者の留学生先輩もいた。   ・修士課程では 紆余曲折の研究生生活を経て修士課程に入り、決めた論文のテーマは『水子供養』だった。死、お墓、葬送儀礼などに漠然と興味を持っていると先生に話したら、「水子供養について研究してみると面白いかもしれない」という助言をもらった。偶然に決めた、あるいは決めさせられた(?)研究テーマを現在も続けていることは不思議に思える。   ・アルバイト 奨学金が無かった修士課程では、研究とアルバイトを両立する日々を過ごした。今考えると修士の時が最も頑張った時期だった。無事修士論文を提出して博士課程に進学した1年目までは奨学金がなく、アルバイトに時間をたくさん使った。韓国語講師や通訳のアルバイトがほとんどで、韓国語講師の経験は、人前で上手くしゃべれないことを克服するのに少し役立った。また、通訳の仕事は、臓器移植や遺伝子研究など自分の研究と関わりがなくもない分野もあったけれども、貿易や起業、発電といった普段触れることもない分野もあって、楽しい経験ができたと思う。   ・女子寮生活 修士に入ってから民間の女子寮に入寮し、ずっと住んでいた。寮は7割くらいが日本人の学部生で高校生も何人かいる。残り3割程度が留学生で、入寮当時は韓国人と中国人がほとんどであったが、ここ数年、インド、ベルギー、ノルウェイ、ウズベキスタン、アメリカ、インドネシア等々国籍が豊かになった。週末はみんなで一緒に料理を作って食べたりもするし、お互いの国の文化や言葉について話し合ったりもする。寮では朝食と夕食が提供されるが、豚肉を食べないイスラームの人たち、牛肉を食べないヒンドゥの人、そして肉食をしないベジタリアンもいるので、食事を用意する寮母さんは大変だろうが、宗教文化に興味のある私としては食事の時間も楽しかった。   ・博士進学後と現在 博士2年目からやっと奨学金を受給することになり、以前のように朝から晩までアルバイトをしなくても生活ができるようになった。また、奨学金の関係で年に数回関西地方に行くことになったが、そのおかげで旅行もできて楽しい時間を過ごせた。経済的精神的に余裕はできたものの、研究に費やす時間をそれほど増やさなかったことを、いまだに後悔している。「理系の人は博士3年で大体卒業するが、文系は3年以内に博士論文を提出することはそれほど多くはない」と聞いてきたが、自分も博士5年目となってしまった。運よく渥美奨学金もいただくことになったが、途中で所属大学の研究員に採用されたことで奨学金を辞退することになってしまった。昨年9月ソウルで結婚式を挙げてから日本に戻って博士論文を執筆し続け今年3月に論文を提出した。そして8年間生活した日本を離れ、現在はソウルに住んでいる。   <金律里(キム・ユリ)Kim Yullee> 東京大学死生学・応用倫理センター特任研究員。渥美国際交流財団2015年度奨学生。韓国梨花女子大学を卒業してから来日、2015年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程を退学。     2017年3月30日配信
  • 2017.03.28

    SGRAセッション/フォーラム/カフェの企画案と運営委員の募集

    ラクーンのみなさん   渥美財団やSGRAのイベントの運営に当たっては、いつもご支援とご協力をありがとうございます。 SGRAではラクーンのみなさんにもっと参加していただくために、SGRAセッション/フォーラム/カフェの企画案と運営委員の募集を行います。企画が採用されれば、講師や討論者の旅費・滞在費などの経費の全額を、SGRAが負担します。特に、セッション企画の公募は、初めての試みです。奮って応募してください。   ◇企画案は応募フォームを下記からダウンロードして記入、送付してください。 PDF版応募フォーム Word版応募フォーム   ◇運営委員をご希望の方は、下記へメールでご連絡ください。   ◆申込み・お問い合わせ: [email protected]   <募集内容>   1. 第2回東アジア日本研究者協議会国際学術大会(2017年10月27日~29日@中国天津市南開大学)のパネルに参加するSGRAチームを募集します。<応募締切:2017年6月30日> 詳細は下記リンクをご覧ください。 →EACJS#2SGRAパネル参加チーム募集要項   2. 第4回アジア未来会議(2018年8月24日~28日@韓国ソウル市Kホテル)の自主セッションに参加するSGRAチームを募集します。<応募締切:2017年7月31日> 詳細は下記リンクをご覧ください。 →AFC#4SGRAセッション参加チーム募集要項   3. SGRA運営委員(2017年4月から1年間)を募集します。<申込締切:2017年4月30日> SGRAフォーラムやアジア未来会議の準備や実施運営のお手伝いをしていただける方。年3~4回準備会議があります。首都圏在住の方にお願いします。   4. SGRAフォーラムの企画案を募集します。<応募締切:2017年7月31日> 日本国内で年2回くらい開催予定。週末の午後1時から5時くらいまで。基調講演1名、研究報告2~3名。講師、討論者、司会者にラクーンが3名以上入ること。50名~100名の参加者を集めたい。有楽町の東京国際フォーラムで開催することが多いが、ここに限らない(大学施設等での開催も可能)。   5. SGRAカフェの企画案を募集します。<応募締切:2017 年7月31日> 週末の午後に、渥美財団ホールで開催することが多いが、このパターンに限らない(大学施設等での開催も可能)。講師、討論者、司会者にラクーンが2名以上入ること。講演と質疑応答で2時間程度。30名以上の参加者を集めたい。   <その他> ◎第4回アジア未来会議への参加もお忘れなく。前回と同様、今回も、論文またはポスター発表をするか、会議運営のお手伝いをしてくださるラクーンのみなさんは全員、登録費、滞在費、旅費を補助します。5月1日から登録を受け付けますので、奮って応募(オンライン登録)してください。     皆さんの積極的なご応募をお待ちしています。  
  • 2017.03.28

    レポート第78号「今、再び平和について-平和のための東アジア知識人連帯を考える-」

    SGRAレポート78号 SGRAレポート78号(表紙)   第51回SGRAフォーラム 「『今、再び平和について』― 平和のための東アジア知識人連帯を考える」 2017年3月27日発行   <もくじ> はじめに:南 基正(ソウル大学日本研究所副教授)   【問題提起1】 「平和問題談話会と東アジア:日本の経験は東アジアの公共財となり得るか」 南 基正(ソウル大学日本研究所副教授)   【問題提起2】 「東アジアにおけるパワーシフトと知識人の役割」 木宮正史(東京大学大学院総合文化研究科教授)   【報告1】 「韓国平和論議の展開と課題:民族分断と東アジア対立を越えて」 朴 栄濬(韓国国防大学校安全保障大学院教授)   【報告2】 「中国知識人の平和認識」 宋 均営(中国国際問題研究院アジア太平洋研究所副所長)   【報告3】 「台湾社会における『平和論』の特徴と中台関係」 林 泉忠(台湾中央研究院近代史研究所副研究員)   【報告4】 「日本の知識人と平和の問題」 都築 勉(信州大学経済学部教授)   パネルディスカッション 討論者:劉傑(早稲田大学社会科学総合学術院教授)他、上記発表者