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エッセイ534:南衣映「平和の国で考えてきたこと」

(『私の日本留学シリーズ#9』)

 

米軍基地は、ある人々にとってはアメリカ文化を楽しめる身近な場所となっている。毎年、花見と花火の季節に開かれる開放イベントでは、戦闘機や軍艦を見物し、ホットドッグやピザを味わう人々で賑わっている。しかし、そこはどうしても忘れることのできない苦痛が始まったところでもある。米兵の犯罪や事故で生命と尊厳を奪われた女性たちにとってはそうである。この事実を知らない人はほとんどいないだろう。だが、何も言えず静かに涙を流すしかなかった人々がどれほど存在していたかを知ることはできない。また、一方には、経済的な事情などの理由で兵士になったが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)で苦しんだ末、自ら命を絶ってしまう若者たちがいる。米軍基地は軍産複合体(military-industrial_complex)であると論じられているが、それは苦痛と快楽の複合体(pain-pleasure_complex)でもあると私は思う。

 

米軍基地による安全保障が謳われている中で、こうした苦痛は語ること自体難しいものになっている。そのようにして、基地というのは多くの人々によって支えられている。私のように遠く離れているところに住んでいる者たちにとって、米軍基地とは何か。韓国と沖縄で基地のある日常を生きている人々の声を聞いて私はそう考えた。それからもう一度米軍基地に目を向けた。様々な人々がそれぞれ異なるかたちで関係しているこの巨大なシステムは、どのように形成されてきたか、その文化的基盤とは何かを考え始めた。具体的な事例として、東アジア最大の駐留地域である日本で、ミュージシャンによる公演活動や、FENとして知られている米軍ラジオ放送が、どのようにおこなわれてきたのかを研究してきた。このように文化を取り上げることで明らかにしたかったのは、米軍基地の明暗ではなかった。そうではなく、苦痛がどのようにして快楽と結び付くようになったかを考えたかった。そこで、第2次世界大戦期までのアメリカで何が起きてきたかを追跡してきた。

 

その過程で浮かび上がってきたのは、新しい史実よりも歴史とは誰の語りであるかという問いであった。資料調査中に訪れた米軍のミュージアムで、朝鮮戦争の最中を生きている少女の写真を見た。自身に銃口を向ける米兵の前で、チマチョゴリを着た少女は怯えていた。米軍はその姿をカメラに収め、「誰が敵であるかわからなかった」と伝えている。そこに写っている少女のことを、私は見たことも聞いたこともなかった。戦争は遠い過去のことのようである豊かな時代に生まれ育った私は、大学院に進学し米軍について研究をしている。だが、60余年前、私と同じところで生まれ育ったあの少女は、米兵に敵扱いされていた。この少女の姿が、韓国ではなくアメリカでこのように語られているのはなぜだろうか。

 

日本に帰ってアメリカで収集してきた米軍の文書を読んでいると、あるフレーズが目に入ってきた。「われわれはなぜ朝鮮で戦うのか」。戦場に派遣される兵士のため、こうしたタイトルの映画や冊子などが制作されていた。なぜアメリカの若者は朝鮮半島に来たのか。私はそのとき初めて問うようになった。戦争がどのように勃発したのか、どのように展開されたのかについては、小さい頃から聞いてきた。大学に入ってからは、戦争中に民間人の虐殺がどのように起きていたのか、米軍がその悲劇にどのようにかかわっていたかも知るようになった。しかし、米兵になった人々については考えたことはなかった。米兵はどのような思いで朝鮮半島に来たのか。アメリカの若者は、どのようにして見も知らぬ韓国人のために命を捧げるようになったのか。アメリカの青年が朝鮮の少女に銃口を向けるようになったのはなぜか。

 

その戦争は休んでいるものであれ、終わっていない。世界一平和が訴えられてきた国で暮らすことで、私は自身が世界一長い戦争が続いている国で生まれ育ったことに気付き、これまでの自身を振り返るようになった。それだけでなく、韓国の戦争も、日本の平和も、米軍基地という共通の土台の上に成り立っているのはなぜかを問うようになった。さらに、その土台が若者の苦悩と苦痛によって築かれてきたことにも目を向けるようになった。「基地問題」の対策が論じられても、基地というシステムが生み出す苦痛は、依然として語れないもの、聞こえないものになっている。米軍基地について何が見えても何は見えづらいのか。何が聞こえても何は聞きづらいのか。日米韓同盟の強化が推し進められる昨今の様子を見ると、平和なんて無理だという思いがしなくもない。しかし、他に選択肢があるのか。戦争による苦痛に満ちている社会で生まれ育った私は、やはりそう思うしかない。なかなか難しいものであるからこそ、平和は研究に値する対象ではないかと思う。

 

<南衣映(ナム・ウイヨン)Nam, Euiyoung>
東京大学大学院情報学環特任研究員。2006年、韓国ソウル国立大学社会学科卒業後、国費留学生として来日。2014年、東京大学大学院学際情報学府博士課程満期退学。19世紀後半以降のアメリカが軽武装国家から軍事大国へ変貌してきた過程を視野に入れ、第2次世界大戦以降の東アジアにおけるアメリカナイゼーションを考察している。

 

 

 

2017年5月18日配信