SGRAエッセイ

  • 2021.03.04

    エッセイ661:李鋼哲「台湾、新型コロナ禍の中の優等生(その1)」

      新型コロナ禍のため、今年8月に開催を予定していたアジア未来会議(AFC)は次年度に延期せざるをえなくなった。ところで、台湾の新型コロナ感染の状況はどうなのか?台湾は一体どんなところなのか?知りたい方が大勢いると思って、このエッセイを執筆することにした。   筆者は台湾に2回訪れたことがある。1回目は2000年8月、東アジア総合研究所が主催する国際シンポジウムを台北で開催。筆者はアルバイトで事務局長を務めていた。当時は中国籍だったので、台湾に行くには厳しい制限があり、1ヶ月前に申請したビザが下りるか下りないのか全く見当がつかずに待っていたが、幸い出発3日前に下りた。国際会議は無事に終了、翌日は新竹工業都市に見学に行ったが、強い台風にあってほとんど見学できずに戻ってきた。3日目は日本からの参加者(故金森久雄・日本経済研究センター顧問をはじめ著名な先生ら)一行約30名は李登輝元総統のオフィスを訪れ、2時間くらい歓談したのが一番印象に残る。   その後、2016年3月に、高雄市にある文藻外語大学に招待されてワンアジア財団の講義を行った。この時は日本国籍になっていたので、ビザも要らず、小松空港から台北の桃園国際空港までの直行便を利用。家族同伴の5日間の日程で、高雄と台北をゆっくり見学できた。高雄港を見学した時「高雄」という地名の由来を教えてもらった。日本統治時代には「打狗」(タコウ、犬を打つ)という町だったが、その読み方が日本人には「たかお」と聞こえたので、「高雄」に変更したという。台北では国父記念館を訪れ、「中華民国」の歴史と国父孫文についていろいろ勉強になった。   話を本題に戻して、台湾のコロナ禍事情はどうなんだろう?コロナ禍対策で世界一番優等生だということはニュースなどでも知られているが、その実態はどうなのか? 台湾の感染者は累計でわずか909人、死者は8人だという。 1月30日の日本経済新聞によると、台湾の衛生福利部(厚生省に相当)中央感染症指揮センターは、30日の発表で新型コロナウイルスに感染して80代の女性が29日に死亡したことを明らかにしたが、死者が出るのは2020年5月以来、約8カ月ぶりという。   台湾は、新型コロナの感染拡大を長く抑えていたが、2021年1月に入って台湾北部の桃園市の病院で院内感染によるクラスター(感染者集団)が発生した。新型コロナの治療を担当した医師や看護師、その家族が次々と感染し、これまでに19人の感染が確認されている。死亡した80代の女性もこのうちのひとりだった。台湾では、2月10日から16日まで春節の大型連休で帰省など人の往来が増える時期と重なっていたため当局の警戒感は一段と強まった。   台湾では如何にしてコロナ禍に対応したのかについては、エッセイの字数の制限で紹介できないので、台湾の方に続編をお願いしたい。   ところで、コロナ禍の中で台湾経済はどうなっているのか? 最近筆者はYouTubeを通じて、台湾の諸事情および台湾から見た国際関係、とりわけ米中両大国に挟まれた台湾の対外関係について猛勉強した。もちろん、「東アジア経済論」講義でも台湾と中国大陸との関係について講義するために資料をたくさん調べている。   まず、台湾経済はコロナ禍の中で世界での優等生ということを特筆すべき。日本のメディアでは、世界のほとんどの国でマイナス成長というコロナ禍の中、中国の2020年の経済成長率は前年比2.3%(この数字は本当なのか?と疑うが)であると大々的に報道されてはいるが、その他の国に関する報道は少ない。   実は、台湾のGDP成長率は2.98%であり、台湾では30年ぶりに大陸の成長率を上回ったという。ちなみにベトナムのGDP成長率は2.91%で2位、「4匹の小龍」と言われるシンガポール、韓国、香港などがマイナス成長の中で独り勝ちである。株価は急上昇し歴史的な記録を更新、台湾ドルも急上昇し、経済は30年ぶりの活気を取り戻したという。   その要因は、米中貿易摩擦により多くの台湾企業が大陸から戻ってきて、米国や東南アジアに投資が大幅に増えたこと、華為技術(ファーウェイ)に対する経済制裁のなかで、台湾の電子機器や部品への世界からの注文が増えていること、海外旅行していた台湾人が国内旅行に切り替えたので、海外に流れていたお金が台湾内部で流通したこと、などがある。   台湾からの海外旅行者(アウト・バンド)は2019年に1,800万人、人口わずか2,360万人の8割に達し、世界で最高のレベルだろう。そして従来約8,000億台湾ドル(約2.5兆日本円)に上った年間外貨流出が、昨年は国内旅行者延べ約2.1億人の資金が国内で回り、経済成長に貢献したという。2021年の経済成長が今の勢いで伸びれば、1人当たりGDPは初めて3万ドル台(2011年に2万ドル台突破?)に乗るだろうと予測され、先進国に並ぶ。   台湾は新型コロナ禍の対応により世界で立派な「優等生」になり、経済成長でも模範を示している。本来ならば世界保健機関(WHO)などでその経験を世界に活用すべきであると思うが、複雑で不条理な国際政治に振り回され、国連や国際社会から十分注目されないのは誠に残念なことである。(続く)     ※本エッセイは、東アジア共同体評議会のe-論壇 百家争鳴に投稿されたものを、著者の許可を得て再掲します。     英語版はこちら     <李鋼哲(り・こうてつ)LI Kotetsu> 中国延辺朝鮮族自治州生まれの朝鮮族。1985年中央民族大学(中国)哲学科卒業後、中共北京市委党校大学院で共産党研究、その後中華全国総工会傘下の中国労働関係大学で専任講師。91年来日、立教大学大学院経済学研究科博士課程単位修得済み中退後、2001年より東京財団研究員、名古屋大学研究員、総合研究開発機構(NIRA)主任研究員を経て、06年より北陸大学教授。2020年10月、一般社団法人東北亜未来構想研究所を有志たちと創設、所長に就任。日中韓+朝露蒙など東北アジアを檜の舞台に研究・交流活動を行う。SGRA研究員および「構想アジア」チーム代表。近著に『アジア共同体の創成プロセス』(編著、2015年、日本僑報社)、その他論文やコラム多数。     2021年3月4日配信
  • 2021.02.11

    エッセイ660:唐睿「私の就職活動」

    2019年4月、私は博士課程の最後の1年を迎えました。博士論文の審査に向けて準備を始めるとともに、卒業後のことも考えなければならなくなりました。それまではまじめに勉強と研究をすれば良かったのですが、今後のことについて考えたことが少なく、明確な目標も持っていなかったため、迷っていました。博士を取得した学生にとっては卒業後大学で「ポスドク」をやって、数年後助教か講師になって、一生懸命研究成果を上げて教授への昇進に向けて頑張るというシナリオが一番有り得そうな道です。20年間頑張れば、私もいつか教授になれるかもしれません。   しかし、現実問題として、今の中国も日本も大学教員採用の競争は非常に激しくなっています。特に中国の大学で理工学系の教員職に応募する場合『Nature』『Science』系の論文を持っていないと、良い大学で助教以上の職に採用されるのはとても難しいです。研究は非常に面白いことですが、科研費が足りないことと、テニュア(終身雇用)取得まで定期的に論文を出さないと首になることを常に心配しながら研究するのは好きではないため、民間企業に就職することを決めました。   しかし、どの国で就職するか、どのような企業に応募するかについて新たな悩みが出てきました。国に関して特にこだわりはありませんが、どの国の企業に応募してもそれぞれの問題があります。日本では、私の研究テーマ「光集積回路」に関連する業務がある企業は非常に少ないです。そして、多くの日本企業はエントリーの締め切りが3月中で、2019年3月末に米国留学を終えて日本に帰ってきた私は、すでに日本での就職活動のタイミングを逃していました。残る選択肢は博士課程の学生を通年採用しているわずか一部の企業だけでした。   米国では研究テーマと関連性の高い企業が多いですが、私は米国の大学の学位を持っていないため、卒業後すぐには米国で勤務できません。就労ビザを取れない可能性も高いし、取れたとしても勤務が始まるまで時間がかかるため、面接のチャンスももらえない可能性が高いです。   中国に帰る選択肢もありますが、正直近年の中国の通信とIT企業にはあまり就職したくないです。中国の通信とIT業界にはブラック企業が非常に多く、社会問題になっているからです。2019年に中国のIT企業の社員から「996,ICU」という有名な言葉が作られました。朝9時から夜9時まで週6日の労働を続けていくと、いつか病院の集中治療室(ICU)に運ばれるという意味です。ほとんどの中国IT企業では、こういった996労働が暗黙のルールになっています。明らかに中国の労働法に違反するものですが、政府が積極的に企業の違法行為を取り締まる気配は見られません。その理由は、中国の経済成長はITと通信企業に大きく依存し、残業を制限すると中国の経済成長に大きく影響するからだと思っています。   さまざまな問題があると言っても行動しなければならないので、とりあえず米国と中国、日本の企業にたくさん応募しました。最初に応募したのはたまたま見つけたAIチップを開発している日本のベンチャー企業です。やっていることが面白く、持っている技術も凄そうなので、ホームページに新卒の募集が出されていないにも関わらず、むりやりに応募して数回の面接を受けてから内定をもらいました。中国の企業には5社応募し、3社から内定をもらいました。一番驚いたのは、博士過程の研究と関連性の高い米国企業に10社以上応募しましたが、ほとんど電話面接の機会も与えてくれなかったことです。唯一面接のチャンスと内定をくれたのは、米国留学時にお世話になった先生がコンサルタントとして勤めているベンチャー企業でした。米国の学位を持っていない人にとって、就職活動をする際にコネクションがどれほど大事かを実感しました。   内定の中には、大手企業とベンチャー企業が両方ありました。大手企業に入れば安定した生活が過ごせるかもしれませんが、私は安定した生活よりも仕事のやりがいと面白さを重視しています。給料なども総合的に考えた結果、やはり量子コンピュータを開発している米国のベンチャー企業が一番魅力的だと思い、その企業の内定を受諾しました。   私の就職活動は終わりましたが、人生についていろいろ考えさせられました。もちろん不安はありますが、今後は新しい目標を立てて頑張っていきたいと思います。   追記: 残念ながら米国就労ビザの抽選に落ちました。2020年に米国に行くのは無理なので、とりあえず中国に帰って就職しました。深圳にあるディスプレイメーカーです。6月末に中国に帰る予定でしたが、コロナウイルス感染症の防疫のため予約した便が2回キャンセルされて、8月9日にやっと帰国できました。専用ホテルで2週間の隔離と帰省を経て、9月から深圳で仕事を始めました。ちょうど今「996」の部署で研修しているので、その大変さを痛感しています。サステナブルな働き方ではないので、この部署は毎年仕事を辞める人がたくさんいます。中国でも働き方改革がいつか必須となると考えています。     英語版はこちら     <唐睿(たん・るい)TANG Rui> 渥美国際交流財団2019年度奨学生。中国安徽省出身。2013年南京航空航天大学情報工学専攻学士課程卒業、2015年(日本)東北大学通信工学専攻修士課程修了、2020年東京大学電気系工学専攻博士課程修了。現在中国深圳市の企業でディスプレイの開発に携わる。     2021年2月11日配信  
  • 2021.02.04

    エッセイ659:金弘渊「アカデミアからインダストリーへ」

      私は博士課程で基礎生物学の研究をしていた。主にチョウの色素の合成と紋様形成のメカニズムについて、研究生から修士、さらに博士まで6年間研究してきた。博士2年生の頃、将来の進路を真剣に考えはじめた。単純に研究室の先輩たちの進路を参考にしてみると、自分の業績で大学に残れるものであるかを懸念し始めた。研究室で1日を過ごして疲れてようやく家についてから、もし、自分がこのまま社会に出て仕事に就くと、何かできるだろうかと自分に聞いてみた。   答えはすぐには出てこなかった。そもそも社会経験が少ない院生の自分に対し、社会はどのような人材を求めているかがわからなかった。製造販売業のような自分の日常生活に近い業界は、実際に商品を使用したり、売買をしたりするので、製品を設計、製造、販売する人が必要であることをイメージしやすいが、モノを作らない業界(例えばIT、保険、コンサルティングなど)についてはよく知らなかった。   自己勉強のつもりもあるので、「業界地図」などの就職ガイドを購読し、ネットで新卒向けの業界説明サイトから、まず各業界に関わる基礎知識と特徴及び規模などを調査した。その結果、自分の専門にぴったり合う業界はないけれど、逆に色々試すことができると考えた。   2ヶ月後、当時の考えは甘かったと振り返った。その2ヶ月間、新卒で就職する学部生たちと一緒にリクルートスーツを着て、企業の説明会に参加するために東京に行って、履歴書の提出とウェブテストを受けて面接まで行った。一般的な企業においては、博士の学生は必要とされていないと感じた。自分が考えた理由として、その1つは新卒の博士は年齢的に30歳に近く、かつ現場の実務経験がないから、実務的に働けるまでトレーニングに必要なコストが高いということ。   例えば、商品の研究開発職に応募した同じ30代の候補者が3人いたとして、Aさんは大卒で8年の業界経験と現場での開発経験があり、課長代理と同等の管理能力が認められる;Bさんは修士卒で社会人歴6年、その内4年は日本の本社で勤務した後、2年間ドイツの支社に出向し、ビジネスレベルの英語力がある;Cさんは博士の新卒で、在学期間の成績が優秀で、良い論文も数本発表した。もし自分が人事担当だったら、短期間で商品の研究開発をするため、候補者が会社に入ってから、会社に価値が提供できるようになるまでの時間を計算し、又その期間内に生じる全ての人件費(給料、トレーニング費)を合算し、即戦力があるAかBのどちらかを選ぶと思う。社会に出たら、仕事の経験が学歴より重要だと認識した。   もちろん自分は大卒の学生と一緒に入社し、同じ仕事をすることが自分にとっても、会社にとってももったいないと考えて、新卒博士向けの職務にもたくさん応募した。そもそも博士向けのポジションは少なかったから、自分の研究から離れる業界にも応募してみた。企業は応募者の過去の研究業績より研究分野を重視すると感じた。特に自分の研究は生物の基礎研究で、医学的若しくは薬学的な研究ではなく、会社にとって最優先の人選ではないと言われた。   自分では、生物研究と医学的な基礎研究は、研究対象の違いに過ぎないと認識しており、数ヶ月の勉強さえあれば、同様の仕事ができない訳がないと考えていた。でもそれは違うらしくて、面接がうまくいったにもかかわらず、最終面接に落ちたケースは少なくなかった。その理由はいまだにわかってない。就活は面接が終わった時点で会社との連絡が不可能になり、フィードバックなどがほとんどもらえない状態だ。自分が後から考えた理由の1つは、日本の企業は、例えば海外の市場の進出のためというような特別な戦略上の必要がなければ、外国人の社員は特に必要ないということだ。それ以外は多分、「ご縁」しか考えられない。   1年間で2回も就職活動を経験し疲れた。最後の結論としては、特に国全体の経済が厳しい時には、求職者が受動的に会社側の要望に応じることが多いということだった。去年の年末(編者注:2019年末)に新しい仕事に就くことできた。それはコロナ禍で就職が大変になる前の不幸中の幸いだった。     英語版はこちら     <金弘渊(きん・こうえん)JIN Hongyuan> 渥美国際財団2019年度奨学生。中国杭州出身。2019年東京大学大学院新領域創成科学研究科で先端生命科学を専攻し博士号(生命科学)を取得。専門は進化発生学、遺伝学。現在大阪で医薬品の臨床開発に携わる。     2021年2月4日配信
  • 2021.01.28

    エッセイ658:李鋼哲「言論の自由とマスコミ統制・自粛・忖度」

      最近、新型コロナ禍の中で言論の自由とマスコミ統制問題がクローズアップされている。   共同通信によると、国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は2020年4月21日、2020年の世界各国の報道自由度ランキングを発表した。対象の180カ国・地域のうち、日本は前年から1つ順位を上げ66位となったが、メディアの編集方針が経済的利益に左右されると改めて指摘された、と報道された。新型コロナウイルスの大流行に絡み、オルバン政権が強権的な姿勢を強めるハンガリーは順位を2つ下げ89位。情報統制を敷く中国は177位のままだった。感染者はいないと主張する北朝鮮は179位から再び最下位へ1つ落ちた。1位は4年連続ノルウェーで、フィンランド、デンマークがそれに続く。米国の順位は48位から45位に上がったという。   以上のランキングと関連して言論の自由が各国でどのように保証されているのか、または統制されているのか、筆者の関心はそこにある。   そもそも、現代のほとんどの国家では憲法により「言論の自由」が保証されている。自由度が一番低い共産党の独裁国家である北朝鮮や中国でも憲法では「言論の自由」や「出版の自由」、「集会の自由」などが保証されているはずだが、実態は甚だ「違憲」状態ではないだろうか?しかし、権力が憲法を踏みにじることができる権力構造の国であるため、「違憲状態」をチェックできるはずがない。   だからといって民主主義諸国ではどうであろうか?日本は先進国であり民主主義国とは言え「言論の自由」が保証されているとは言い切れない。筆者はゼミ生に課題を出して日本の「報道の自由度」を調べさせた結果、66番目であることが分かった。ただし、調べる前に何人かの学生からは「先生、ランキングは後ろから数えた方が早いんじゃないですか?」と冗談めいて言ってきたので、ちょっとびっくりした。普段は新聞をあまり読んでいない若い学生でさえそう感じるのだから。   最近、コロナ禍に関する情報に対しても民衆からの疑心暗鬼の声が聞こえる。ある事件をきっかけに筆者はそのような不信感には裏付けがあると確信した。   先月、北陸大学の隣の金沢大学(国立大学)の准教授がコロナ禍で死亡したと、本大学の職員から立ち話で聞いた。「えー、そんなこともあるの?」とびっくりし、すぐインターネットで調べてみたら、このような記事が見つかった。42歳の若い教員で、11月中旬ころに体調を崩し病院でインフルエンザと診断され、薬をもらって自宅療養していた。熱は多少下がったが治らなかったので、保健所に2回電話をしてPCR検査を希望したが、医師の診断なしでは検査を受けられないと、同じ回答を得たという。単身赴任だったので、奥さんがSNSで連絡しても返事がなく、大学の職員に連絡して確認を依頼したところ、死亡していることが見つかった。もともと喘息があったが、死亡後のPCR検査で新型コロナと判定されたという。   このような事件は重要な報道の種になるはずだ。ところが、新聞にもテレビにもほとんど報道されず、事件発生10日後に北陸中日新聞に次のような短い記事が載っただけであった。 ———- 【2020年12月5日:北陸中日新聞】 インフルエンザとの同時流行に備え、石川県内では先月、新型コロナウイルスと双方の検査に対応できる指定医療機関が180カ所まで拡充されていた。先月26日の死亡確認後に新型コロナ感染が分かった金沢大准教授の高橋広夫さん=享年42=は、整備されたはずの新たな体制の中で、検査を受けられなかった。 ———- 全国的には同じ系列の東京新聞に掲載されているものの、これだけでは、地元の多くの人にさえ知らされていない。大きく報道されなかったのは大学側の隠蔽なのか、行政側の忖度なのか、その裏のことは知るすべがない。このような事件はマスコミが取り上げ、行政側に対して責任を追及するのが民主主義国家のメディアではなかろうか?同じような隠し事や過小報告が他の地域にもあるのではないか?知り合いの有識者たちの話を聞くと、政府が意図的に隠しているのではないかと疑心暗鬼だ。報道の自由が制限されているのか、あるいはメディア側が自粛や忖度をしているのか、それとも両方なのか?報道の自由度ランキングが66番目の実態が実証できる一つの事例である。   では、報道の自由度が45番目のアメリカはどうだろうか?今度の大統領選挙を通じて、筆者の民主主義に対する信奉は完全に崩れてしまった。筆者は多言語の優位を生かして、今度の選挙戦に深い関心を持ってYouTubeなどに頼り、台湾のメディア、韓国のメディア、アメリカの華人系メディアなどを通じて、一般の主流メディアでは取り上げていない「裏の情報」を毎日のように目の当たりにして、選挙過程の実態が客観的に報道されていないことにがっかりした。   結論的に言うとアメリカの民主主義はもう崩壊している。なぜなら主流メディアは真実の一面しか報道しないからだ。「不正選挙」で「権力がもぎ取られている」ことには目をつむっており、エスタブリッシュメント勢力がアメリカ憲法や民主主義を踏みにじっていることについては、ほとんど報道されていない。SNSやネットメディアは政治的に主張が違う人々のメディアへのアクセスを封殺、ツイッターがトランプ大統領を封殺したのが典型的で、世界最大の民主主義国家の大統領がメディアの自主判断によって発言が封印されるという前代未聞の事態が発生しているのだ。ツイッターだけではない、FACEBOOKなど他の主流ソーシャルメディアは、自分たちの判断基準(ファクトチェック)に則って国民の声を封殺しており、これは国家権力ではないメディアの言語道断であろう。メディアが偏向の報道しかしないとき、国民は政治判断の材料としての真実を手にすることができず、そうなったら民主主義の実行手段である選挙の公正性・公平性はゆがんでしまい、民主主義はもはや崩壊したと言っても過言ではないだろう。   公正、公平に真実を国民に知らせる使命を背負っているはずのメディア(筆者の価値判断基準で)が中立性を失い、政治に介入する時、公正、公平、自由な報道はもはや望めないのではないか?筆者が信奉し追求してきた民主主義の価値観、哲学や理念はもはや心の中で崩れていくような気がしてたまらない。筆者は今後独裁政権を批判する根拠を失いかねない。   独裁政権でメディアが厳しくコントロールされていることは誰もがわかっている事実だ。しかし、民主主義国家では言論統制は「論外」だと思われる民衆が多いのではないか?いずれも国民が真実を知る権利を奪われている点では「五十歩百歩」ではなかろうか?独裁国家の「リーダー」や「知性人」は今度のアメリカ選挙戦を見て、民主主義総本山の米国をあざ笑っている。「ほら、やはり民主主義も偽善ではないか?言論の自由も嘘ではないか?」、「やはり我々の体制が優越だ」と。かれらは新型コロナ禍への対応についても「制度的優越性」を強調する。   だからと言って、言論の自由を無慈悲に弾圧する独裁政権が自分たちを正当化できるとは到底思えない。いつかは国民から見捨てられるに違いない。かの国は主権在民の「人民共和国」であり、封建王朝ではないのだから。かつて「無産階級(プロレタリア)の独裁」を掲げて百姓のために造った政権は、今や「有産階級(ブルジョア)とエリート階級の独裁」に変質したように思われてならない。   どこの国でも、いつの時代でも、国民の民意をくみ取り真に国民のための政治を行わない政権は、安定して長続きすることができないと筆者は考えている。中国の古典にも「水能載舟、亦能覆舟」《荀子哀公》という名言がある。その意味は、為政者は船の如く、民は水の如し;水は船を乗せて安全に航行することもできるが、船を倒して沈没させることもできる。為政者に対する戒めの諺である。     英語版はこちら     <李鋼哲(り・こうてつ)LI Kotetsu> 中国延辺朝鮮族自治州生まれの朝鮮族。1985年中央民族大学(中国)哲学科卒業後、中共北京市委党校大学院で共産党研究、その後中華全国総工会傘下の中国労働関係大学で専任講師。91年来日、立教大学大学院経済学研究科博士課程単位修得済み中退後、2001年より東京財団研究員、名古屋大学研究員、総合研究開発機構(NIRA)主任研究員を経て、06年より北陸大学教授。2020年10月、一般社団法人東北亜未来構想研究所を有志たちと創設、所長に就任。日中韓+朝露蒙など東北アジアを檜の舞台に研究・交流活動を行う。SGRA研究員および「構想アジア」チーム代表。近著に『アジア共同体の創成プロセス』(編著、2015年、日本僑報社)、その他論文やコラム多数。     2021年1月28日配信
  • 2021.01.21

    エッセイ657:謝志海「遅れる日本のワクチン開発から見えてくるもの」

      新型コロナウイルスという世界的大案件を持ち越したまま2021年を迎えてしまった地球。年末年始に「コロナ疲れ」を癒すどころか、日本では特に東京の感染者が急増したことが目立ち、気をつけながらのお正月を過ごした方が多かったことだろう。年末年始の感染者増加に、二度目の緊急事態宣言、コロナ関連においては相変わらず話題に事欠かない。医療従事者は慢性のコロナ疲れであることは間違いない。彼らの精神面はコロナと同様に心配である。最近では、欧州やアメリカで増えつつあるワクチン接種のニュースよりも、日々の感染者数の話が目立つ。   しかし、もし世界に先駆けてコロナワクチンを開発したのが日本の製薬会社だったら、きっともっと話題になっていただろうし、日本人はすでにワクチン接種をしていたかもしれない。なぜこんなことを思ったのかと言うと、昨年12月に米ファイザー製薬が開発したワクチンがロンドンで解禁になり、大きな話題を呼んだ。ドイツの製薬会社もほぼ同時にワクチン開発を発表した。その時私は、日本もすぐに大手製薬会社がワクチンを開発したと発表するのだろうと漠然と思っていた。日本が、米国のワクチンを取り入れるのか、ドイツのワクチンを取り入れるのか、そんなことより、日本は日本ですぐに製品化までするのだろうと思っていた。しかし年が明けてもそのような話は一向に聞かない。   ものづくりの国、技術先進国、おまけに世界に名の知れる大手製薬会社がいくつもある日本、何かがおかしい。どうした日本?そう考えると、最近の日本のプレゼンスが低くなっていることに気がついた。新進気鋭のスタートアップもさほど目立たなければ、世界的に有名な若きカリスマ社長などもいない。(個人的には気になる起業家は何人かいるが)業界問わず、そういうカリスマ的存在というものが、国をも引っ張り、国民の士気も上がるのでは?と思いはじめた。   もちろん日本にも起業し、現在も国際的に活躍する社長はいる。例えばソフトバンク・グループ孫正義、楽天を立ち上げた三木谷浩史など。しかし起業家の国際的知名度がぐっと上がるのは、海外に多い。中国ならアリババを作ったジャック・マー。イギリスならヴァージン・グループのリチャード・ブランソン。アメリカなら故人になってもスティーブ・ジョブスと、彼の遺したアップルは今でも存在感を放つ。同じくアメリカで今、一番目立つ社長といえば、テスラ・モーターズのイーロン・マスクだろう。このテスラで2年近く働いたという元パナソニックの副社長、山田善彦氏は、東洋経済の「テスラvs.トヨタ」特集で日本人にはちょっと耳の痛い指摘をした。「パナソニックに限らず、今の日本の企業はこのテスラのスピード感についていけない。よほどのカリスマ経営者がいるか、創業者が経営に関わっていない限り無理だ」そう、スピード感だ!今の日本に足りないものは。   日本に足りないものについて話す前に、日本の素晴らしいところも伝えておきたい。まずはなにより、マスク・手洗いをちゃんとする国。公共の場所がとても綺麗なところも日本の魅力だ。現に世界に比べたら、日本のコロナ感染者数は騒ぐほど多くはないのではないか。だからなおさら思う。今の日本には全体的にスピード感がないと。コロナで様々なことが停滞するのはわかる。感染者をたくさん出すが、ワクチン開発はものすごいスピードのアメリカとヨーロッパ諸国。中国は徹底した感染対策に加えて、いち早くワクチンを開発した。ここに日本が入れていないのが非常に残念なのだ。   製薬業界に全く詳しくない私が検索で見つけた、日本のワクチン開発が遅れている理由の一つとして「大規模な臨床試験をできない日本の弱点が新型コロナで明らかになった」と日経・FT感染症会議(主催・日本経済新聞社、共催・英フィナンシャル・タイムズ)で医薬品医療機器総合機構理事長の藤原康弘氏が言っている。どうやら制度の問題が大きいようだ。確かに日本の新薬の認証は元来とても慎重で時間がかかるとされている。しかし、コロナは未曾有のパンデミックで、従来どおりの慣習にのっとって開発していたら、間に合わないのは当然だ。コロナに対しては、特例を設け、迅速に優先的に感染者の情報を手に入れたりする方法を見つけたりして、なんとか国内での開発をあきらめたり、スピードを緩めたりはしないでほしい。   日本がポストコロナで輝くために必要なのは、危機管理をしながらの新しいことへの挑戦精神をあきらめないことだろうか。最後に、元駐中国大使、元伊藤忠商事株式会社会長を務めた丹羽宇一郎氏の著書からの言葉を引用したいと思う。「いままでの日本ではあり得なかったことが、これからは当たり前のように起こります。だからこそ、何歳になっても努力を怠ってはいけないのです。」当然至極のことを言っているようだが、これはコロナ前の2019年に出版された「仕事と心の流儀」という本の「「ドングリの背比べ」を続けていたら仕事を奪われる」の項からの一節である。今とても心に沁みる言葉ではないか。世界が混沌としたまま年を越したが、努力の先に明るい未来が待っているかもしれない。     英語版はこちら     <謝志海(しゃ・しかい)XIE Zhihai> 共愛学園前橋国際大学准教授。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイト、共愛学園前橋国際大学専任講師を経て、2017年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。     2021年1月21日配信
  • 2021.01.14

    エッセイ656:王雯璐「有事のマイノリティー」

      早いもので、新型コロナウイルスが猛威を振るい始めて一年が経ち、人々の日常生活を完全に変えた。寒い季節に入って、再び世界中で感染者数が急増している。最近、我々日本在住の外国人の多くが、ある一つのニュースに心を痛めたのではないだろうか。日本政府は、新型コロナウイルスの変異種が確認されたことを受けて、全世界からの外国人の新規入国を停止した。2020年8月中旬以降、外国人の入国が緩和されて、職場では新しい外国人研究者を受け入れてきたので、私も近いうちに、実家に帰ったり、海外調査に出かけたりすることができると期待していたさなかのことであった。   2020年3月初旬に私は研究調査と学会参加のため、アメリカへ渡航した。すでに中国をはじめとするアジア地域(そしてイタリア)で感染が拡大していた頃であったが、アメリカではまだ特に入国禁止措置が取られている状態ではなく、学会も中止されていなかったため、渡航を決行した。アメリカに着いた一週間目は図書館などに問題なくアクセスできたが、3月15日頃から各大学が閉鎖となり、外出自粛の要請も出された。その後、私は毎日、日本の外務省のホームページで入国制限の最新情報を注視しつつ、航空会社に予定より早い便に変更してもらえないか、連絡し続けていた。幸か不幸か、入国制限がかけられるまでには帰れたが、公共交通の利用禁止や14日間の自宅隔離が求められ始めた当日に日本に着いた。帰国前の不安や焦りに満ちた日々をいまだに鮮明に覚えている。日本に自宅があるのに、外国人だから家に帰れない、家族と会えないということが、自分の友人に大きく影響を与えたためである。   「何かある時、日本で一番早く見捨てられるのは外国人だよね」 「それはどこの国でもそうでしょう」   最近のニュースを見て家族に愚痴を言った時に、このように返された。確かに、現代社会は国民国家の枠によって形成されて、その中の一人ひとりは基本的には特定の集団に属して、その所属によって色々と規定されてしまうのだ。もちろん、どの国にも所属しない難民や複数の集団に所属する多国籍者も存在して、実像はさらに複雑だ。多くの人にとっては、自国を離れ他国に行くと、通常は人口的なマイノリティーとならざるを得ない。肌の色や話す言葉などでマジョリティーとの明確な違いがある場合、さらに目立つこととなる。これによって、誤解されたり、差別を受けたりすることがありがちだ。特に、昨今のコロナ禍のような有事の際は、マイノリティーが置かれる厳しい環境がさらに浮き彫りになる。   3月にアメリカにいた際、私は感染拡大していることが分かっていても、外出時にマスクを付けなかった。現地でのトラブルを回避するためだった。その頃、世界中でアジア系の人がマスクを付けていることで、ウイルスだと言われたり、時に暴力を振われたりしたことが、しばしばニュースで報じられた。   カリフォルニアの民間団体や大学関係者が立ち上げた、アジア系アメリカ人や太平洋諸島出身の人々に対する暴力事件を申告するプラットフォームSTOP AAPI HATEには、3月中旬のオープンから8週間で1843件ものコロナ関係の差別事件の申告が寄せられた。中には身体的暴力が8.1%を占めている。差別の理由として、17.5%の回答者はマスクまたは服装と述べている。このような世界中のアジア系に対する差別を情報収集、分析、発信しているプラットフォームとして、他に、海外在住の中国系研究者が運営するSinophonia Trackerやオーストラリアの民間団体が進めるI Am Not a Virusキャンペーン等々がある。SNS上でもJeNeSuisPasUnVirusのハッシュタグに注目が集まっている。   これらは全て中国系をはじめとするアジア系の人々の処遇に目を配るものである。一方、同時期に、中国の広東省に居住するアフリカ系移民が大家に強制的に退居され、感染してないのに隔離されたことが報道された。もう少し調べたところ、インドでも例えば北東部出身で肌の色が中国人に近いモンゴロイド系の人、そして社会的に少数派であるムスリムへ差別や暴力が向けられている。いずれも社会のマイノリティーである。しかし、差別は感染症によって作り出されたものではなく、既存の差別問題が感染症によってさらに露呈されたのだ。危機時に自分の集団に所属しないと思われる人々を排除し攻撃することは、歴史的によくあることである。関東大震災後の朝鮮人殺傷事件や、9.11アメリカ同時多発テロ事件後の非イスラム教国での人口的少数であるイスラム教徒に向けられた敵意が想起される。   しかし、マジョリティーやマイノリティーとは、実は非常に流動的で、時間や空間が変わると入れ替わるものだと思う。日本社会に暮らしている自分は外国人として確かにマイノリティーだが、日本在住の外国人のなかでは中国人はマジョリティーである。日本人とは外見のみではほぼ見分けられないため、日本語を上手に話せば、うまくマジョリティーである日本人にカモフラージュすることもできる。もしかすると、日本国籍を持っているハーフの日本人よりも日本人と思われやすく、疎外感を感じにくいかもしれない。そう考えると、国籍や肌色といった一見明確そうなカテゴリー付けも実は非常に恣意的なものだと感じる。   新型コロナが世界中で広がっている中、最近ではあまり特定グループを敵視することが報道されなくなった。しかし程度の差はあれ、どの国や地域でも起こっていた他人化(othering)の現実を簡単に忘れてはならない。世界規模のパンデミックはいずれまた発生するかもしれないし、人類は色々な災害に直面するだろう。その時、今回のコロナの経験を振り返った上で、人々がより寛容でいられるようになればと願う。     英語版はこちら     <王雯璐 WANG Wenlu> 渥美国際交流財団2019年度奨学生。東京大学国際高等研究所東京カレッジ特任研究員。2011年北京外国語大学中国語言文学学科卒業。2014年同大学大学院比較文学専攻修了、修士号取得。2020年3月東京大学人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学。専門分野は東アジアとヨーロッパの交渉史、東アジアにおけるキリスト教の布教史。     2021年1月14日配信