SGRAの活動

  • 2016.09.22

    洪性珉「蓼科から地球市民を考える(第5回SGRA蓼科ワークショップ『地球市民って誰?』報告)」

    (第5回SGRA蓼科ワークショップ『地球市民って誰?』報告)   7月1日(金)朝、少し曇った天気の中、2016年度渥美奨学生たちは、新宿から蓼科へ向かった。バスで移動している途中は雨が降っていたが、諏訪に着いたらすっかり晴れていた。今回のワークショップのテーマは、「地球市民」であった。   プログラムの中でもっとも印象に残ったのは、グループワークである。参加者は4つのグループに分かれて課題を行うことになった。僕らのチームの名前は「虹の橋」と決めた。そして、与えられた課題は2つ。第1は、与えられた状況について演劇を行うこと、そして第2はより良い世界を作るために地球市民として行うべきことについてプレゼンテーションをすることである。   我がチームの演劇の内容は、グローバル企業の進出によって、ある家庭にも影響が及び、お父さんは職を失い、その代わりに子供が家庭の生計のために学校に行かず工場で働いている、という状況をどう解決すればいいのかについてである。ところで、僕が最後に演劇をやったのは何時だったのだろう。中学生、いや小学生だったかもしれない。余りにも慣れない演劇をするのは少し恥ずかしかった。幸いに、元奨学生の方々の熱演のお蔭で演劇は盛り上がり、無事に終わった。   その後、演劇の時に浮かび上がった問題点について解決策を講じ、それについてプレゼンテーションをした。課題としてポスターの制作もあったが、残念ながら僕は絵が得意ではない。ところが、チームのメンバーの中には、いいアイデアを出せる人、様々な意見をよくまとめる人、絵の演出が得意な人など、様々な人がいた。各自の長所をもって人の短所を補う作業は順調に進められた。我がチームは、「虹の橋」という名前を生かして「絶望の輪」が地球市民の活躍によって「希望の虹」に変わる様子を見せながら発表を行った。このように課題を行う中で、世界各国で起きているグローバル化に伴う問題も個々の地球市民が力を合わせれば、問題を解決できる大きな力になれることを感じた。   しかし、疑問に感じたこともない訳ではない。それは、ワークショップの最初の先生の基調講演でのことである。先生は、欧州移民研究がご専門だが、我々のためにお話の内容を東アジア地域にも広げ、地球市民について考える話題を提供してくださった。その中、日本の地球市民の例として2人の日本人を挙げられたが、その一人は東郷茂徳であった。彼は、朝鮮陶工の末裔で、本名は朴茂徳である。しかし、帝国主義の理念が高まっていた当時の日本で、彼は朴茂徳ではなく東郷茂徳を名乗ることで日本の官僚、政治家として活動することが出来た。その時代に生きていた東郷茂徳は、果たしてワークショップで議論している「地球市民」として働けたのか、それとも「帝国主義日本の官僚」としてしか働けなかったのか。私にとっては、すぐに彼が「地球市民」として働いたという結論に達することはできなかった。   もう一つは、講演の中で接した「日本人は、終戦から70年代まで在日朝鮮人以外に外国人と接する機会がなかった」ということばである。在日朝鮮人は果たして外国人であると言い切れるのか。戦前及び戦中には、朝鮮人は日本人と同じく日本の国民と看做され、戦争に動員されている。ところが、戦後になると日本はこの朝鮮人を排除する論理で、外国人として扱ったのである。言い換えれば、在日朝鮮人という存在は、帝国主義日本の「負の遺産」であり、その問題は未だに進行形でもある。上記のことばにはその問題についての意識が充分読み取れないように思う。この問題について認識せず、排除する論理を踏襲したまま「地球市民」について議論を進めても、どれほど有意義な議論を導きだせるのだろうか。以上が私の疑問であった。   一方、ワークショップの他に印象に残ったことも多い。例えば、ご飯が美味しかったことが挙げられる。朝ご飯も、懇親会のバイキングも全て美味しかった。朝ご飯を食べるときは、勿論おかずも美味しかったが、特にご飯が美味しかったので、いつもご飯のお代わりを2~3回もした。バイキングの時に食べた料理の中では、蕎麦が最も印象に残った。程よく歯応えのある麺に汁が絡むと蕎麦の風味が増す。さすが信州の蕎麦は旨いと感じた。   そして、7月3日(日)には全てのプログラムが終わり、東京に戻ることになった。東京は、この3日間の間にだいぶ蒸し暑くなっていた。そして、私たちはその暑さの中に入り、各々の日常に戻った。   蓼科ワークショップの写真   <洪 性珉(ホン・ソンミン)Hong Sungmin> 2016年度渥美奨学生。2012年4月に早稲田大学文学研究科東洋史学専攻に入学、現在は博士論文を執筆中。専門は東洋史、特に遼宋関係史を中心に東アジアの歴史を研究している。     2016年9月22日配信
  • 2016.09.01

    南基正「第51回SGRAフォーラム『今、再び平和について』報告」

    第51回SGRAフォーラム「今、再び平和について」報告   ◆南基正「フォーラムを終えて」   2016年7月16日(土)の午後、東京国際フォーラムで「今、再び平和について」と題して、第51回SGRAフォーラムが開催された。タイトルには「平和のための東アジア知識人連帯を考える」と副題がつけられた。   「SGRA安全保障と世界平和」チームとしては7回目のフォーラムである。本チームは、2003年、第10回SGRAフォーラムとして「21世紀の世界安全保障と東アジア」をテーマに初めてのフォーラムを開催して以来、「東アジア軍事同盟の過去・現在・未来」(2005年、第16回)、「オリンピックと東アジアの平和繁栄」(2008年、第32回)、「東アジア共同体の現状と展望」(2012年、第41回)、「東アジア軍事同盟の課題と展望」(2012年、第43回、第16回フォーラムのリユニオン)、「紛争の海から平和の海へ」(2014年、第45回)などのテーマでフォーラムを開催してきた。14年間7回のフォーラムを開催したので、2年に一度のペースである。その14年間、東アジアの現実は、「世界平和」の希望と「安全保障」の困難の間を行き来しながら展開してきた。   「安全保障と世界平和」を名前に掲げている当チームとしては、この現実を敏捷に捉えて対応してきたつもりである。ただ、その対応は現実の流れとは逆の方向を向いていた。例えば、東アジア共同体議論が盛り上がり「世界平和」の希望が語られる状況においては、「安全保障」の厳しさを考える必要を訴え、この地域の「安全保障」をめぐる国際環境が不安定化する状況においては、「世界平和」の展望を切り開く可能性を探るような形で、常にバランスを取ることを念頭に置いてきた。今年のテーマは、そのような意図が克明に反映された形になった。   7月のフォーラム開催に向けテーマの調整を始めたのは2月中旬だった。折しも、朝鮮半島の情勢は危機の渦に入りつつあった。1月6日に北朝鮮は4回目の核実験を行い、それから一ヵ月経った2月7日には長距離ロケットを発射した。これを受け、韓国政府は南北協力の象徴である開城工業団地を閉鎖した。この韓国の自虐的措置に触発され、中国を含めて国際社会では、非常に強硬な制裁措置について議論が沸き立ち、北朝鮮はソウルやワシントンへの核攻撃シナリオをちらつかせながら強烈に反発していた。平和の危機に際し、平和の構想力が切に望まれていた。「安全保障と世界平和」チームの名で行われるフォーラムはこのような情勢に対応すべきであると思われた。そして、それを有効に行うためには、この地域に住む知識人としての役割についての自覚が必要であるように思われた。「核とミサイルの国際政治」、「東アジアにおける冷戦研究のあり方」、「東アジア自治体共同体に託す平和の可能性」などのテーマが浮かび上がった。   しかし、まだこの段階では、いずれのテーマも明白な会議の目標がイメージとして描けない状況であった。この時、研究チームの連絡を束ねていた角田英一さん(渥美国際交流財団事務局長)からいただいた一言に触発されて出てきたのが今回のテーマである。角田さんは、昨年の「日本研究」フォーラムの末尾で、私が司会としてのまとめの発言のなかに「東アジアの知識人の連帯」を呼びかけたことを覚えていてくださった。そこで私が提案したのが「今、再び平和について:東アジア平和問題談話会の立ち上げを呼びかける」であった。これは1950年、朝鮮戦争が勃発した状況の下で日本の知識人グループの平和問題談話会が発表して、第3声明として有名になった「三たび平和について」を意識したテーマであった。これについて今西淳子さん(SGRA代表・渥美国際交流財団常務理事)と朴栄濬さん(韓国国防大学校安全保障大学院教授)から大筋で賛同という意見を寄せていただいた。   ただ、「平和問題談話会」をあまり前面に出すと想像力を制限する恐れがある、「呼びかける」ということを掲げると、能力以上の課題を背負うことになるので控えめに調整したほうがいい、との助言があった。非常に適切な助言であり、これを受け入れた形で、最終的に設定されたのが今回のテーマであった。そして、フォーラムでは、「国際政治や安全保障の方向からの現状分析やシナリオの提示ではなく、平和研究または平和論という方向からの問題提起」とすること、「なによりも平和を優先する考え方が各個撃破されている現状を検証する」こと、こうした現状を克服するために「知識人として何ができるのかを議論する」ことを目標として設定した。   フォーラムの内容を構成するにあたっては、2つの方向から問題を提起する必要があった。1つ目は、戦後のアジアにおいて「平和への呼びかけ」が知識人の連帯運動として出てきた先例を確認しておくこと。その例として「平和問題談話会」の経験を東アジアのレベルでいかに生かすことができるか検証する。2つ目は、東アジアの危機の原因を見極め、平和の現状を確認し、そこで知識人が動ける空間がどのように存在しているのか確認しておくことである。私と木宮正史先生(東京大学大学院総合文化研究科教授)の問題提起は、それぞれこの必要に呼応するものであった。   次に、具体的な事例報告として、日本、中国、台湾、韓国、そしてアセアンにおける「平和」の現状を把握することが必要と思われた。台湾と韓国の現状については、本研究チームの林泉忠さん(台湾中央研究院近代史研究所副研究員)と朴栄濬さんが担当することになった。中国パートは、本研究チームの李成日さん(中国社会科学院アジア太平洋・グローバル研究院研究員)に中国の研究者の紹介を依頼し、二人が候補者として挙がった。宋均営さん(中国国際問題研究院アジア太平洋研究所副所長)と趙剛さん(中国社会科学院日本研究所副研究員)である。一人は政治学、もう一人は思想史が専門であったが、専門が異なっていた方が相互に補完が可能と思われ、両方に報告をお願いすることにした。アセアンの専門家は今西さんにこのテーマにピッタリな研究者を紹介していただいたのだが、日程を合わせることができず、報告者を出すことはできなかった。   そして、会議の直前に中国からの出席予定者であった趙剛さんが、研究所の事情で来られなくなった。もう一人の中国からの出席者である宋均営さんも連絡がとれにくく、フォーラム参加が危ぶまれたが、出国をわずか1日を残してビザが下りたということで無事に参加していただいた。最後に、日本パートであったが、今西さんから、以前にSGRAフォーラムで講演をお願いした都築勉先生(信州大学経済学部教授)を紹介していただいた。都築先生は、私が博論を書いていた時から書物を通してお世話になっていた先生であったので、是非とも話を聞きたかった。SGRAフォーラムを手伝いながら、得をしたという気持ちになるのは、このように平素会いたかったひとに会えることである。以上が、フォーラム開催の経緯である。   2つの問題提起と4つの報告の内容は、SGRAレポートに纏められる予定であるが、それぞれの国が置かれた状況によって、「平和」の現状と、「何を平和と認識するか」に至るまでの経緯が大きく異なっていることを確認することができた。時に報告者たちの発言は、お互いに衝突し兼ねない際どいところまで及ぶこともあったが、報告者たちの「平和」な性格のおかげで、生産的な議論になった。「平和」の条件は違っても「平和」の観念には、底で通じるものがあることを確認したことは収穫であった。   総合討論で、劉傑さん(早稲田大学社会科学総合学術院教授)が強調されたことは、そのことであったように思われる。中国にも、特殊な政治状況から生まれていながらも、理念の違いや国の境を超えて訴えることのある「平和テキスト」があり、時を超えてこれを学習する人がいるという。劉傑さんの討論を通じて、このフォーラムの意義が新しく浮かび上がり、これからも引き続き、今回の趣旨を継承して続けていくべきであることが分かった。探してみると、この地域には「三たび平和について」だけでなく、多くの平和テキストがありそうである。これから当分、フォーラムでは、東アジアで共有し継承していくべき平和テキストを発掘し、一緒に読んでいきながら、それを今どう生かすべきか、考えてゆきたい。   その際、フォーラムの最後に谷野作太郎先生(元中国大使)から寄せていただいた論評は、議論が宙に浮かないようにフォーラムを進めていくために、肝に命じておくべきである。平和の理想を求めることは、平和でない現実を省みることから始めるべきである。そのような趣旨の論評であったと覚えている。   平和でない現実に身を置きながらも、現実に囲まれず、平和を想像することを止めないこと。そのため、東アジアの平和テキストを一緒に読んでいくこと。この地域の研究者たちが「知識人」としての役割を自覚し「平和」のため連帯を目指すのなら、このことから始めるのはどうだろうか、フォーラムを閉じながらそんな思いがした。   フォーラムのプログラム フォーラムの写真   <南_基正(ナム_キジョン)NAM_Kijeong> ソウル大学日本研究所副教授。韓国ソウル市生まれ。ソウル大学にて国際政治学を学び、2000年に東京大学で「朝鮮戦争と日本-‘基地国家’における戦争と平和」の研究で博士号を取得。2001年から2005年まで東北大学法学研究科の助教授、2005年から2009年まで韓国・国民大学国際学部の副教授などを経て現職。戦後日本の政治外交を専門とし、最近は日本の平和主義や平和運動にも関心を持って研究している。主著に『基地国家の誕生?日本が戦った朝鮮戦争(韓国文)』、『戦後日本と生活平和主義(編著・韓国文)』、『歴史としての日韓国交正常化II: 脱植民地化編(共著)』、“Similar Conditions, Different Paths?: Japan`s Normalization of Relations with Korea and Vietnam”, “The Reality of Military Base and the Evolution of Pacifism : Japan's Korean War and Peace”,「日本の反原発運動?起源としてのベトナム反戦運動と生活平和主義の展開(韓国文)」、「戦後日韓関係の展開?冷戦、ナショナリズム、リーダーシップの相互作用」などがある。     2016年9月1日配信  
  • 2016.07.21

    第21回日比持続可能な共有型成長セミナー「開発研究・指導の進歩と効果を持続させるために」へのお誘い

    下記の通り第21回日比共有型成長セミナーをフィリピンのベンゲット州で開催します。参加ご希望の方は、SGRAフィリピンにご連絡ください。   ◆第21回日比持続可能な共有型成長セミナー テーマ:「開発研究・指導の進歩と効果を持続させるために」 “Sustaining the Growth and Gains of Development Research and Extension”   日時:2016年8月26日(金)~27日(土) 場所:ベンゲット州コルディリェラ行政地域 1日目:ベンゲット州立大学農業研修所にて円卓会議 2日目:農場の現場視察 言語:英語 申込み・問合せ:SGRAフィリピン ( [email protected] )   セミナーの概要   SGRAフィリピンが開催する21回目の持続可能な共有型成長セミナー。今回は、アジア未来会議から習った新しい形式で開催。テーマは「開発研究・指導の効果や成長の維持」。SGRAフィリピンの運営委員でもある、フィリピン政府農業省のJane Toribio博士の研究調査の現場である、ベンゲット州(マニラ市から北へ車で約6時間の山岳地帯)を会場とし、1日目は関係者の円卓会議を、2日目は現場視察を予定している。 これからのマニラ・セミナーは、今まで続けてきた「持続可能な共有型成長」というテーマにさらに集中し、効率・公平・環境の3側面(3K)を重視している委員たちの研究・アドバカシーのみを扱いたい。従来は絨毯爆撃(carpet bombing)方式で「なんでもあり」というやり方で、課題に命中しないことが多かったので、今後は精密打撃 (surgical strike)方式で展開する。今回は、持続可能な農業という3Kの研究・アドバカシーである。お時間のある方、ぜひ奮ってご参加してください。   プログラム   1日目:8月26日(金) 発表1(09:45~10:15)「ベンゲット州における有機農業の実践と経験」 発表者:Jeffrey Sotero 発表2(10:15~10:45)「ベンゲット州における苺農業」 発表者:Felicitas Dosdos 発表3(10:45~11:15)「ベンゲット州における被災のリスク低減や管理」 発表者:Atty. Roberto Canuto, Winston Palaez, Erick Abangley 発表4(11:15~11:45)未定 質疑応答 円卓会議(13:30~17:00) モデレーター:Dr. Max Maquito 討論者:午前の発表者   2日目:8月27日(土) 08:00:バギオ市のR. Salda市長へ挨拶 08:30:Bahongの花畑と農園の視察 10:00:苺農園の視察 12:00:有機農業の食事 13:30: マニラへ向かいながら観光   Program in English      
  • 2016.06.23

    全相律「第5回SGRAふくしまスタディツアー『飯舘村、帰還に挑む』報告」

    渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA・セグラ)では、2012年秋から毎年、福島原発事故の被災地である福島県飯舘(いいたて)村へスタディツアーを行っています。今年も、5月13日(金)から15日(日)の3日間、SGRAふくしまスタディツアー《飯舘村、帰還に挑む》を実施しました。   「SGRAふくしまスタディツアー」は、今年で5回目。参加者は渥美財団のラクーンメンバー、留学生、大学教授や社会人など10名でした。国籍はアメリカ、イタリア、カナダ、韓国、スウェーデン、日本でまさに「SGRAならでは」の多様な国からのメンバーが参加しました。   一日目の13日の朝、9時24分発の東北新幹線(やまびこ113号)で福島に向かった私たちは、「福島市の再生エネルギービル」を訪れました。このビルには、毎年受入れをお願いしている「ふくしま再生の会」の他に、飯舘電力、会津電力、「いいたてまでいの会」などの団体が入っており、互いに交流・協力しながら運営しているとの説明を受けました。その後、福島市内にある松川第一仮設住宅を訪れ、木幡一郎さん(会長)から「仮設住宅での生活」や「帰還に対する不安」について話を伺いました。説明を伺った後は、仮設住宅の敷地内にあるラーメン屋「中華琥珀」で昼食を食べて(琥珀ラーメン、とても美味しかったです)、この日の最後の見学地である飯舘村役場飯野出張所を訪問しました。そこで門馬伸市副村長から2017年3月(予定)からの帰村計画についてお話を伺いました。初日の飯舘村内の見学を終えた私たちは、ふくしま再生の会の活動拠点である霊山センターに到着し、夜は参加者たちが作る各国の手作り料理を食べながら親交を深めました。   二日目。午前中はふくしま再生の会の副理事長(福島代表)である菅野宗夫さんのお宅を訪問し、田んぼの「電気柵」作業をしました。午後はNPOプラチナギルドの会と合流し、村内を視察しました。まず、比曽の菅野啓一さん宅を訪問し、事故後の経緯や現状などを説明してもらいました。その後、家の裏手に回りイグネ(屋敷林)の除染や実験小屋の取り組みについても説明を受けました。飯舘村の森林は除染の対象から外されていますが、森林、樹木はどのくらい汚染されているのか、除染はどうしたら可能なのか、などの答えを出すための実験です。話を聞くだけで、その複雑さ、難しさが伝わってきます。   その後、立ち入り禁止区域である長泥のゲートや村役場、測定専用車の車庫も見学して回りました。夜は霊山センターの食堂で、村の方や東玉野地区の方なども参加された「大交流会(60名ほど)」が開かれました。かしこまった挨拶は抜きで、それぞれが自由に楽しく言葉を交わし、新たな人の輪ができました。とても楽しかったです。   三日目。最終日の午前、小宮の大久保金一さんのお宅を訪ねた私たちは「ふくしま再生の会」の東京大学大学院農学生命科学研究科教授の溝口勝先生の説明を伺いながら、小宮の試験田で除染を兼ねた代かきをしました。トラクターで代かきをした後に続きテニスコートブラシで排水し、これを繰り返しました。こうした作業により、田んぼの除染がどの程度可能になるのか、科学的な理論と、新しいアイディアと、経験をもとにした地道な実験が続きます。   その後、菅野宗夫さんのお宅に戻り、昼食のおにぎりを食べながら、宗夫さんのお話を伺いました。そして、参加されたメンバーそれぞれが感じたスタディツアーの感想も語り合いました。   出発の前に一番気になっていた放射線数値は、私たちが主に生活や活動をしていた霊山センター、菅野宗夫さんのお宅と田んぼ、小宮の試験田などで0.1~0.3マイクロシーベルト(μSv)程度。最終日に飯館村を発つ時の個人測定器の数値は10~13マイクロシーベルト(μSv)でした。   今回のスタディツアーは私にとってまさに「見て、知って、考える」の旅でした。これから宗夫さんの言葉通り「自分が見て体験した被災地のことを忘れず、今自分にできることを考えながら、(段々その関心が薄れていく)福島のことをなるべく大勢の人に伝えていきたい」と思っています。今後リピーターとして飯館村を訪ねる際は、今の「(帰還に対する)不安や恐怖」が「希望や笑顔」に変わっていることを期待しています。     英訳版はこちら   <全相律(ジョン・サンユル)Sangryul JEON> 渥美国際交流財団2016年度奨学生。韓国外国語大学大学院で日本語学を専攻。2009年4月文部科学省研究留学生として来日。東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻修士課程を経て現在博士後期課程在学中。専門は言語の普遍性と多様性に基づく日本語学・日韓対照言語学の研究。 ----------------------   ● スタディツアーの写真   参加者の感想文を下記リンクからお読みください。   ● リンジー・モリソン 「忘れ難きふるさと飯舘村に寄せて」   ● 宮里かをり「見て、聞いて、知って、感じて、考えた3日間」   ● 李 志炯(イ・ジヒョン)「新たなライフスタイルを目指して」   ● マックシム・ポレリ「<知る>と<分かる>」   ----------------------   2016年6月23日配信
  • 2016.06.16

    謝惠貞「第6回日台アジア未来フォーラム『東アジアにおける知の交流―越境・記憶・共生―』報告」

    2016年5月21日、第6回日台アジア未来フォーラム「東アジアにおける知の交流―越境・記憶・共生―」が台湾高雄市の文藻外語大学で開催された。西欧的国家モデルをいち早く志向して近代国家の成立に成功した日本は、二十世紀東アジアにおける知の交流を語る際に常に重要な役割を果たしてきた。しかし、近年のグローバル化の急速な進展によって、国民国家の恣意性が明らかになり、また様々な分野の活動にみられる多くの越境者たちの存在や異なる共同体における記憶の構築、多文化主義に見られるような共生の実践など、多種多様な交流の形態がこれまでのような国家単位における知の交流の形を大きく変えてきている。こうした東アジアにおける知の交流の変容をめぐって、講演と論文・ポスター発表を通して、多様な議論が展開された。   今回は、台湾日本人会の呼びかけを通して、全日本空輸株式会社台湾支社、ケミカルグラウト株式会社(日商良基注入營造)、台湾本田汽車股份有限公司、みずほ銀行台北支店より協賛を頂いたお蔭で盛大に開催ができた。   当日は、文藻の陳美華副校長と渥美国際交流財団今西淳子常務理事に続き、交流協会高雄事務所中郡錦藏所長、台湾日本人会日台交流部会の竹内功部会長、同会高雄支部の宮尾圭一支部長から開会のご挨拶をいただいた。総勢170名の方々に参加していただき、盛大に幕を開けることができた。   最初の基調講演は、立命館大学の西成彦教授が「元日本兵の帰郷」という演題で行った。西教授は「マイノリティ文学に潜在する二層性(想定される読者の二重性)は、戦後の日本語文学 (とくに日本国籍を持たない「在日」の作家)を考える場合に決して見落としてはならない重要なこと」であると指摘し、台湾人元日本兵であった陳千武の小説集『生きて帰る』を取り上げて論じた。こうした台湾人元日本兵の戦争経験は、大日本帝国が強いた「華人ディアスポラ」の一例とみなすべきだと語り、戦後沖縄文学の「嚆矢」と呼ばれる太田良博の「黒ダイヤ」をその対照として分析した。前者が中国語で綴ることを強いられた状況や、後者が引揚げ後に米軍軍政下に置かれるといった立場が、戦後「大日本帝国文学」のネガとして映されていると論じることによって、現代台湾・沖縄人の心象的鏡像を提示した。   次の基調講演は、2015年に第153回直木賞を受賞した台湾籍の作家東山彰良氏が「台湾で生まれ、日本で書く」をテーマに、自分自身のアイデンティティの揺らぎと「越境」作家としての心境を語った。大会のサブテーマ「越境・記憶・共生」に沿って、作家としての営為が越境的であるかどうかを回顧し、常に「越境的」な題材では書き続けられず、むしろ読者に感情移入できるように工夫することによって、結果的に読者の「越境」を手伝うことになると述べた。東山氏にとって、越境作家と称し得るのは、ドミニカ系アメリカ人作家のジュノ・ディアスやブルガリア系ドイツ人作家のイリヤ・トロヤノフなどの移民作家に加え、母国語を英語とし、日本語で台湾や中国のことを書いたリービ英雄であった。東山氏は彼らのような思惟の越境や言語の越境をともなってこそ「越境文学」と称し得るのだと述べ、両者はどこにも所属しない「喪失感」を共有しているのだと述懐した。しかし、外部から強制的に決められたアイデンティティを強要される場合、その権力の共犯構造に巻き込まれる沈黙の大衆にならないためにも、その権力と戦うべきだと述べ、スピード感に溢れるその語りぶりは会場を大いに魅了した。   続く研究フォーラムでは、台湾大学日本語文学系教授・日本研究センター副主任の林立萍教授を司会に迎え、「越境・記憶・共生に向けた知の交流」というテーマで、台湾、日本、中国、そしてアメリカという4つの視点から議論を掘り下げていった。名古屋学院大学の土屋勝彦教授は現代ドイツ文学の視点から越境を論じた。ドイツにおける移民文学が内なる他者性を喚起することに触れ、こうした他者による創作が言語的崩壊や国家意識の崩壊を導く契機となることを論じた。   また、コロラド大学教授フェイ・阮・クリーマン教授は、AKBなど現代のアジアの都市文化をつなぐ越境的な現象を手がかりに、ネグリとハートの『帝国』が提起した境界も差異もない「滑らかな空間」(smooth space)について提起した。その上で、2011年前後から急速に増えてきた翻訳活動を中心とした日台間の知識人ネットワークについて言及した。   廈門大学日語系教授兼学科主任の呉光輝教授は、西田幾多郎の思想を手がかりに、アジアにおける越境行為の持つ意義について論じた。西田思想を基にして、東洋と西洋によって共同で作り上げられたオリエンタリズムが持つ意義についても言及を試みた。   最後に、立命館大学の西成彦教授が、帝国主義時代におけるリンガ・フランカ(共通語)の問題を手がかりに、かつては言語的なヘゲモニーの下で個人が複数の言語を宿す状態があったことを述べ、そこからカフカのような「マイナー文学」が生まれてきたことについて言及した。帝国の文学がマイノリティの文学を奨励する一方で、そこから生まれる「マイナー性」がやがてセクシャルマイノリティまでをも包括することになると指摘し、それらがやがて人間の意識の変容をもたらすきっかけとなる可能性を述べた。   午後からのフォーラムでは、「文学」、「言語・教育」、「歴史・文化」という3つのセッションをそれぞれ2会場で構成して、台湾、日本、韓国、中国、ドイツ、アメリカで活躍する学者たちを招き、多角的な視点から深い議論が展開された。合計32本の論文発表と7本の日本語教育実践報告が行われた。   文学A会場では、文藻外語大学主任の林淑丹教授による「生命と共同体の記憶―『楢山節考』の世界」、銘伝大学頼衍宏副教授による「長屋王の変と『南斉書』」、そして北京大学の解璞助理教授による「中国現代小品文学と明治文学——水野葉舟『響』を中心に」、青島科技大学劉文娟講師による「川端康成「五拾銭銀貨」論」など、主に日中文学の比較研究に関連する4本の論文発表があり、台湾と中国における関連研究の蘊蓄の深さによってさらなる展開が生まれた。   文学B会場では、主に戦前から戦後までの台湾文学がいかに日本(語)と交渉してきたかを議論した。まずは文藻外語大学の黄意雯副教授による「銀鈴会の会誌から跨時代作家が如何に「越える」かを見る」、文藻外語大学の倉本知明助理教授による「越境するディストピア-ポスト・フクシマにおける台湾の原発小説」、輔仁大学の石川隆男講師による「張文環文学にみる保存的記憶-『山茶花』を例として」、文藻外語大学の謝惠貞助理教授による「越境するノスタルジア-東山彰良『流』におけるアウトロー像を通して」、北京外国語大学の劉妍講師による「雑誌『改造』と中国―横光利一『上海』を通して」、中興大学通識教育中心の蕭怡姍講師による「南島・趣味・旅行:日本統治期『台湾日日新報』における国島水馬の台湾旅行挿絵―「納涼八景」、「納涼八計」を例として」が発表された。現代に引き継がれた言語・遺産・記憶・文化・風景をめぐって、戦前と戦後の状況を対照しつつ論証することが未来志向の提案としても成立することが証明された。   言語・教育C会場では、信州大学の岩男考哲准教授と岐阜大学の仲潔准教授が「生徒たちが教科書で触れる「異文化間交流」を、文藻外語大学の賴美麗助理教授が「オーラルテストにルーブリックを導入する試み」を、同学方斐麗助理教授が「日本語副詞「きっと」と「必ず」の文法機能に関する研究」を、同学林琪禎兼任助理教授が「初級日本語学習者に対する「自他動詞」の指導について」を、同学張汝秀助理教授が「日本語会話授業のコース・デザイン-文藻外語大学日本語文系の会話授業を例として」を、同じく同学の久保田佐和子講師が「横断的に見た文藻外語大学日本語学習者の発話習得状況―アーティキュレーションを考慮点として」を発表した。学生の学習目標の意識化を助ける新しい教授法を実施、検討した成果であった。   言語・教育D会場では、5本の論文発表があった。文藻外語大学の董莊敬副教授の「日本の政策文書におけるキャリア教育の言説」は、非適応の若年者へのサポートによる自己形成へのシフトを提言した。同学の陳淑瑩助理教授の「日本統治下における台湾原住民の歴史教育-「尊王論」を中心に」は、皇民化政策として導入した差別構造について分析した。同学の小高裕次助理教授の「台湾で販売されている初学者用日本語教材における日本語発音の記述について」は、清音と濁音の区別を十分に解説されていない現状について指摘した。広州大学の李瑩瑩講師の「上代変体漢文における漢文助辞の破格と受容について――「矣」字を例として」は、「矣」が漢文助辞の提示用法と国語助詞「ヲ」の表記へ移行した過程を論じた。屏東大学の石川清彦講師の「日本語ディベートへの批判的考察」では、情報伝達を目的とするように教授法としてのディベートの改善を唱えた。上記二者は異色の発表であったが、小高氏の幅広い専門知識で熱い対話が交わされた。   歴史・文化E会場では、文藻外語大学の李姵蓉助理教授より、「戦争責任再論-記憶の忘却、喚起と継承」という問題提起が行われた。同学のドイツ籍の李克揚助理教授は、「海外人権力者たちの見たフォルモサ―ドイツのアジア植民地獲得の目標となった台湾をめぐる経緯」という意外な歴史を解明した。中国文化大学の黄馨儀助理教授は、「NHK朝の連続テレビ小説の台湾受容:『あまちゃん』のインタビュー調査を中心に」で、メディアによる日本文化への共感の仕方を分析した。中興大学の陳建源助理教授は、「東アジア大衆観光における多文化実践―士林官邸と蒋・宋家族の物語から考える」で、観光による文化創出の可能性を論じた。立命館大学博士課程の鄧麗霞氏は「“大東亞電影”的演繹與破綻——以《支那之夜》與《莎韻之鐘》為中心」において、李香蘭が「国策映画」の戦略に起用されたことを論じた。早稲田大学の野口真広次席研究員は「植民地台湾と自治― 自律的空間への意思」において、楊肇嘉という運動家が大英帝国の立憲主義に啓発されたことを解明した。   歴史・文化F会場では、台中科技大学の坂井洋兼任講師による「植村正久の思想と蔡培火―伝道対象としての台湾人」、義守大学の李守愛副教授による「日本の古代における釈奠と台南孔子廟の釈奠の発展」、中央研究院台湾史研究所ポスドクの曽齢儀氏による「宇治茶と台湾烏龍茶―三好徳三郎と日台間の茶の交流」、国立故宮博物院の蔡承豪副研究員による「流動、調查與詮釋:文溯閣四庫全書「臺灣」」、立命館大学生存学センター番匠健一研究員による「日本統治期台湾における「植民論」とSettler Colonialism:後藤新平と高岡熊雄の関係に着目して」は、いずれも系譜学という方法を意識した比較・受容研究で、日台文化や思想への理解を深める結果となった。   また、高雄の名山、半屏山とキャンパスを一望できる眺望スペースにおいて、文藻外語大学の日本語教師による教育実務報告が行われた。黄思瑋助理教授による「台湾における日本語のアクセント句の学習についての一考察」、韓国籍の趙英美助理教授による 「The relationships between the Korean wave and Korean language learning in Taiwan」、郭雅芬講師による「反転授業の試み―文藻外語大学専科部二年生の“日本語二”での試み」、童鳳環講師による「「暗誦」が第二言語習得における位置づけについて―文藻外語大学専科部一年生を対象に」、蔡燕昭講師による「遠隔授業教材製作の問題点―文藻夜間部日本語(一)の前期の教材を中心に」、遲秀蘭講師による「日本語の授業におけるSLT(Situational Language Teaching)教授法の応用―初級クラスを例として」、陳貞雯講師による「集中力を高める試みー初級日本語文法の授業を例に」は、文藻外語大学が教授法の改善を追求し、教育に力を入れている熱意を学者や来賓たちに伝えることができた。   今回のフォーラムでは、中国語・日本語・英語による発表が可能で、コメンテーターも2ヶ国語以上が堪能な学者たちであった。台湾は「東アジアにおける知の交流」を促進するための基本的条件を備えていると言える。また、文藻外語大学のドイツ学科より発表者がおり、欧亜語文学院張守慧院長もドイツ文学専門であったために、パネリストのドイツ文学専門の土屋先生と、東アジアにおけるヨーロッパ研究の交流を交わすことが出来たのが意外な収穫だった。日本と台湾の深い絆を活かして、東アジアやグローバルな研究へと広がる一助となるフォーラムとして、末永く続く記憶されることを願ってやまない。   当日の写真 アンケート集計結果     <謝惠貞(しゃ・けいてい)Sie Huei-zhen> 2012年9月東京大学大学院人文社会系研究科より博士号取得。博士論文のテーマは「日本統治期台湾文化人による新感覚派の受容――横光利一と楊逵・巫永福・翁鬧・劉吶鷗」。文藻外語大学日本語文学科の助理教授。       2016年6月16日配信
  • 2016.05.31

    第51回SGRAフォーラム「『今、再び平和について』― 平和のための東アジア知識人連帯を考える」へのお誘い

    下記の通りSGRAフォーラムを開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。   テーマ: 「『今、再び平和について』― 平和のための東アジア知識人連帯を考える」 日 時: 2016年7月16日(土)午後1時30分~5時30分 会 場: 東京国際フォーラム ガラス棟 G701 号室 参加費: フォーラムは無料 懇親会は正会員1000円、メール会員・一般 2000円 お問い合わせ・参加申込み: SGRA事務局([email protected], 03-3943-7612)   主 催:渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)   ◇フォーラムの趣旨   今回のフォーラムは、混迷を深める東アジアの国際情勢に対して、国際政治や安全保障論の方向からの現状分析やシナリオの提示ではなく、平和研究または平和論という方向からの問題提起として位置付け、進めていきたい。   そのためには、東アジア各国における「平和論」の現状を確認し、各国で「何よりも平和を優先する考え方」が各個撃破されている現状を検証すると共に、こうした現状に風穴をあけるためにはいかなる方法があるのか、そのために学問をする者として、知識人として何ができるのかを議論する場としたい。   そして、この地域の研究者たちが知識エンジニアになりつつある現状、あるいは、安全保障の専門家たちに平和が呪縛されている現実に対して、平和を語る知識人としての研究者の役割、東アジアの知識人の連帯の意義を考えたい。     ◇プログラム   詳細はプログラムをご覧ください。   <問題提起1>「平和問題談話会と東アジア:日本の経験は東アジアの公共財となり得るか」 南基正(ソウル大学日本研究所副教授)   <問題提起2>「東アジアにおけるパワーシフトと知識人の役割」 木宮正史(東京大学大学院総合文化研究科教授)   <報告1>「韓国平和論議の展開と課題:民族分断と東アジア対立を越えて」 朴栄濬(韓国国防大学校安全保障大学院教授)   <報告2>「中国知識人の平和認識」 宋均営(中国国際問題研究院アジア太平洋研究所副所長)   <報告3>「台湾社会における『平和論』の特徴と中台関係」 林泉忠(台湾中央研究院近代史研究所副研究員)   <報告4>「日本の知識人と平和の問題」 都築勉(信州大学経済学部教授)   【パネルディスカッション】   フォーラムのちらし   ------------------------------------------------------- ◇SGRAとは   SGRAは、世界各国から渡日し長い留学生活を経て日本の大学院から博士号を取得した知日派外国人研究者が中心となって、個人や組織がグローバル化にたちむかうための方針や戦略をたてる時に役立つような研究、問題解決の提言を行い、その成果をフォーラム、レポート、ホームページ等の方法で、広く社会に発信しています。研究テーマごとに、多分野多国籍の研究者が研究チームを編成し、広汎な知恵とネットワークを結集して、多面的なデータから分析・考察して研究を行います。SGRAは、ある一定の専門家ではなく、広く社会全般を対象に、幅広い研究領域を包括した国際的かつ学際的な活動を狙いとしています。良き地球市民の実現に貢献することがSGRAの基本的な目標です。詳細はホームページ(www.aisf.or.jp/sgra/)をご覧ください。 -------------------------------------------------------  
  • 2016.05.19

    第5回SGRAワークショップin蓼科「地球市民って誰?」へのお誘い

    SGRAでは会員を対象としたワークショップを下記の通り行います。 参加ご希望の方は、SGRA事務局へご連絡ください。   テーマ: 「地球市民って誰?」   日 時: 2016年7月2日(土)午前9時30分 ~ 3日(日)午後1時 現地集合( 東京商工会議所 蓼科フォーラム にて受付) *1日(金)朝新宿発の貸切バスもありますので、お問い合わせください。 参加費: 5000円(食費、宿泊費(相部屋)を含む) 申し込み・問い合わせ:SGRA事務局     [email protected]   ワークショップの趣旨:   SGRAでは、2013年より蓼科でワークショップを開催しています。2013年は「原発を考える」、2014年は「人を幸せにする科学とは」、2015年は「知の空間を創る」というように、答えだすことを目的としないテーマについて、小グループのディスカッションや参加型のアクティビティーを通して、参加者全員で考えるプログラムです。 「良き地球市民の実現」はSGRAの目標であり、設立当初よりその概念について検討を重ねてきましたが、近年、SGRAの中でも議論をする機会が減り、また社会的にも以前より実現が困難になってきたのではないかという懸念が強くなっている今、あらためて考えてみたいと思います。 今回のワークショップでは、欧州移民研究の第一人者でいらっしゃる宮島喬先生(お茶の水女子大学名誉教授)のお話を伺い、その後、ディスカッションやアクティビティーを通じて、「地球市民とは誰か」を一緒に考えてみたいと思います。   プログラム   7月2 日(土)(於:東商蓼科フォーラム) 9:30~12:00 「知の空間を創る」+グループ分け ・宮島喬先生のご講演と質疑応答 12:00~13:30  昼食 13:30~15:00 ゲーム感覚のグループワーク 15:00~15:30  休憩 15:30~17:00 グループワーク、ディスカッション 7月3日(日) 9:30~12:00 発表・まとめとふりかえり
  • 2016.04.26

    Dr. Aliza Racelis in Sustainable Shared Growth Seminar #20

    Conceptions of Environment & Coexistence according to the Spanish philosopher Leonardo Polo: Implications for Sustainability Education     [caption id="attachment_6666" align="aligncenter" width="289"] Click image to enlarge[/caption]   ABSTRACT   The functional integrity of the ecology requires balance between the demands of economic development and the preservation of the ecology and balance in satisfying the needs of current versus future generations: work, collaborative sharing and the care of the earth are at the heart of what it is to be human and are constitutive of the order of divine creation (Barrera, 2010).   Ethics of care and concern for specific aspects of the common good seem crucial in any environment, as do personal values, character, and leadership. The ethical influences of human institutions have quite immediate and individual impacts (Racelis, 2014b). We observe that the human person is a being of opportunities, of choices or alternatives, a family and social being, a being who invents, a being capable of unrestricted growth in time. Man’s social being belongs to his manifestative relationship with the world, also referred to as intersubjectivity. Given that the human essence has been created to grow, each person is responsible for rectifying all intersubjective relationships that can inhibit such growth, and nourish those which enable such development (Racelis, 2014a).   The Spanish philosopher Leonardo Polo had proposed four “anthropological transcendentals”, namely: (1) Personal Co-existence, (2) Personal Freedom, (3) Personal Intellection, and (4) Personal Love (Sellés, 2013). Co-existence is not mere living with, dwelling in or coinciding with, but rather it refers to the personal being’s being personally open in his intimacy. Polo (1997) says: “Loyalty and justice are conditions for the coexistence of free systems. But there is more: truthfulness, friendship, the most important of the virtues according to Aristotle. Polo (1991) likewise emphasizes that the human being, no matter what his journeys and difficulties, can always grow; he grows to the measure that his acts are good. Hence, the importance of the moral virtues.   Since vigorous and deliberate reforms are needed to sustain broad-based long-term prosperity and sustainability, this paper shall draw implications of Polo’s conceptions of co-existence, freedom, culture and environment for the research and study of paths to long-term prosperity and sustainability education.   Click here for Presentation Slides   Dr. Aliza Racelis (University of the Philippines) [email protected]
  • 2016.04.25

    Opening Remarks of Junko Imanishi (Sustainable Shared Growth Seminar #20)

      Good morning, おはようございます。   I am very happy to be able to come back to Manila and participate in this Shared-Growth Seminar.   I am Junko Imanishi, Chief Representative of SGRA. SGRA, or Sekiguchi Global Research Association is based in the town called Sekiguchi in Tokyo. SGRA was born from the Atsumi International Foundation, which provides scholarships to Ph.D. candidates who are studying in graduate schools in Japan. It is a family foundation and is aiming to build a network of scholars who have studied in Japan. In fact, SGRA is the research network of the former scholars of Atsumi International Foundation. It was established 21 years ago and now the network has been grown to more than 200 scholars around the world. The instigator and also the coordinator of today’s Seminar, Dr. Max Maquito were in fact one of the 11 scholars in the first year of the establishment.   The first Japan-Philippines Shared-Growth Seminar was held at the University of Asia and the Pacific, in Manila, on March 26th, 2004. The title of the Seminar was “Aiming for Shared Growth” with the sub-title of “Enhancing Efficiency and Equity through Japanese Companies in Special Economic Zones.” I think that it is the passion of Dr. Maquito that led the achievement of this Seminar series for 20 times in 12 years.   In 2010 and 2011, there was the academic exchange program organized by Dr. Weijun Gao, Professor of the University of Kitakyushu, who was another Atsumi scholar of the first batch. And a group of scholars in architecture and engineering from the universities in Manila were invited. During this exchange program, we agreed to co-host forums in Tateshina in 2010, and in Tokyo in 2011.   I think that the Shared-Growth Seminar changed after these two forums in Japan. The planning committee was established and many people became involved in organizing the Seminar. As a result, the scale of the Seminar became bigger. I remember that I happily received the report of the 16th Shared-Growth Seminar that was held on August 23rd, 2013, at the University of the Philippines with 220 participants. The theme of this Seminar was “the Urban Rural Gap & Sustainable Shared Growth”. The reason for the big success must have been thanks to the teamwork of scholars involved, many of them must be attending this Seminar today.   Thus, I would like to thank all of you who have been helping the Shared-Growth Seminars, for as many as 20 times. I also would like to add my appreciation for participating in the Asia Future Conference, our by-annual symposium that we hosted in Bangkok in 2013 and in Bali in 2014.  I would like to thank you because we always had the biggest delegation from the Philippines in those past two Conferences. The Third Asia Future Conference will be held in October this year, in Kitakyushu, Japan, so I look forward to welcoming many of you there again.   Congratulations Maquito San, for the 20th Shared Growth Seminar. We say in Japanese 継続は力なり or “To keep doing is powerful.” I wish you will be able to keep hosting this seminar series in the coming years.
  • 2016.04.22

    ヴィラーグ・ヴィクトル「第9回SGRAカフェ『難民を助ける―民と官を経験して』報告」

    渥美国際交流財団関口グローバル研究会では、2016年4月2日(土)14時半より17時過ぎまで第9回SGRAカフェを開催しました。今回のテーマは『難民を助ける―民と官を経験して』で、講師に柳瀬房子様をお迎えしました。   柳瀬様は、今回のテーマの通り、難民支援の「民」と「官」両方の立場を経験してこられました。1979年にインドシナ難民の支援を目的として発足した「難民を助ける会」に設立準備から携わり、現在に至るまでの長年の民間活動に加え、近年は法務省難民審査参与として日本における難民認定行政にも携わっておられます。活動歴は37年にも渡り、難民を助ける会では専務理事、事務局長、理事長を経験され、現在は、認定NPO法人格を得ている同会の会長を務めていらっしゃいます。1992年には、日本に住んでいる難民等の援助を行う国内の活動を担う社会福祉法人さぽうと21を立ち上げました。1990年代中頃に、対人地雷廃絶キャンペーンの一環として、募金を目的として執筆された絵本『地雷ではなく花を下さい』はベストセラーとなり、外務大臣表彰や日本絵本読者賞を受賞しました。今日でも、難民支援や地雷廃絶の分野において国内外で活動を続けておられます。   短い時間でしたが、ご講演では1979年に始まった活動が、現在に至るまでどのように展開されてきたかについて、設立当初と今の時代とを比較しながら紹介していただきました。例えば、インドシナ危機が発生した当時は、多くの日本の若者が直接支援のために現地に行きたいという風潮でしたが、30年以上たった現在は、シリア危機の解決に向けて日本から自ら出向こうという人は少なくなっています。また、国内活動においても、当時の民間セクターには、日本が国連難民条約を批准するように圧力をかけるほどの活気があったそうです。その反面、設立当初、IT化や口座振込がまだ進んでいない時代における市民活動の実態、とりわけ非常に手間暇のかかる電話や電報、手紙による通信方法、そして大量の現金書留による募金の描写がとても印象的でした。   最近の情報として、日本の難民受け入れの動向と、シリア内戦により大量に発生している難民及び避難民を助けるための取り組みについても教えていただきました。参加者は、日本で行われている難民認定の丁寧なプロセスにおいて使用されている、人をはじめとした様々な資源の多さと、本制度の限界・問題点についても説明を受けることができました。   また、シリア問題を受けて、「難民を助ける会」がトルコ国境で進めている取り組みについてもお話を聞けました。その中で、団体の英語名(Association_for_Aid_and_Relief,_Japan、略してAAR_Japan)に「refugee(難民)」という語が含まれていない理由を、支援対象地域の政府との政治的な問題を回避するための配慮と説明していただいた時は、「目から鱗」でした(「我が国には難民問題なんて発生していない」という政府のスタンスへの事前対策です)。   質疑応答の中で、海外活動については、例えば現地派遣スタッフの安全管理及びそれに欠かせない教育・研修、他の国際及び現地NGOとの連携のとり方に関する参加者の疑問に対して丁寧に答えていただきました。また、国内の難民受け入れについては、そもそも難民と移民の違い、実際に迫害を受けてきた難民と難民性の低い庇護希望者(日本でいう難民認定申請者)の見分け方、更に言語教育などを含む経済的な自立に向けた社会的な統合の問題についても話し合いました。   今回のカフェを通して、国内の文化的なマイノリティを対象としているソーシャルワークに関心をもつ報告者にとっては、特に次の3点が参考になり、考えさせられました。1)世論に膨大な影響を及ぼすマスコミとの付き合い方、つまり「難民」に対してどのような社会的なイメージを、どのように作り、またどうすれば啓発活動を通じて全体的な意識の向上を目指せるか。2)難民を「可哀そうな」弱者として見ない、即ち既にもっている学歴などの人的資本を最大限に活かすための自立支援とは何か。3)他の社会的な課題と同様に、難民の受け入れと社会的な統合において、なぜ「官」ではなく、「民」が主導権をとった方が望ましいのか、そしてどのようにすればそれができるか。   非常に有意義な2時間半でした。   当日の写真     <ヴィラーグ・ヴィクトル Virag_Viktor> 2003年文部科学省学部留学生として来日。東京外国語大学にて日本語学習を経て、2008年東京大学文学部行動文科学科社会学専修課程卒業(文学学士[社会学])。2010年日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科前期課程卒業(社会福祉学修士)。同大学社会事業研究所研究員、東京外国語大学多言語・多文化教育研究センター・フェロー、日本学術振興会特別研究員を経験。2013年度渥美奨学生。2016年日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科後期課程卒業(社会福祉学博士)。上智福祉専門学校、昭和女子大学、法政大学、上智大学、首都大学東京非常勤講師。日本社会福祉教育学校連盟事務局国際担当。国際ソーシャルワーカー連盟アジア太平洋地域会長補佐(社会福祉専門職団体[日本社会福祉士会]内)。主要な専門分野は現代日本社会における文化等の多様性に対応したソーシャルワーク実践のための理論及びその教育。     2016年4月21日配信