SGRAの活動

  • 2017.11.25

    レポート第84号「東アジアからみた中国美術史学」

    SGRAレポート第84号(本文)   SGRAレポート第84号(表紙)   第11回SGRAチャイナ・フォーラム論文集 「東アジアからみた中国美術史学」 2019年5月17日発行   <フォーラムの趣旨>   作品の持つ芸術性を編述し、それを取り巻く社会や歴史そして作品の「場」やコンテキストを明らかにすることによって作品の価値づけを行う美術史学は、近代的社会制度の中で歴史学と美学、文化財保存・保護に裏打ちされた学問体系として確立した。 とりわけ中国美術史学の成立過程においては、前時代までに形成された古物の造形世界を、日本や欧米にて先立って成立した近代的「美術」観とその歴史叙述を継承しながらいかに近代的学問として体系化するか、そして大学と博物館という近代的制度のなかにいかに再編するかというジレンマに直面した。この歴史的転換と密接に連動しながら形成されたのが、中国美術研究をめぐる中国・日本・アメリカの「美術史家」たちと、それぞれの地域に形成された中国美術コレクションである。 このような中国美術あるいは中国美術史が内包する時代と地域を越えた文化的多様性を検証することによって、大局的な東アジア広域文化史を理解する一助としたい。   <もくじ>   【講演1】塚本麿充(東京大学東洋文化研究所) 「江戸時代の中国絵画コレクション ―近代・中国学への懸け橋―」   【講演2】呉 孟晋(京都国立博物館) 「漢学と中国学のはざまで―長尾雨山と近代日本の中国書画コレクション―」   【総合討論】 司会/進行:王 志松(北京師範大学) 討論:趙 京華(北京第二外国語学院)、王 中忱(清華大学)、劉 暁峰(清華大学) 総括:董 炳月(中国社会科学院文学研究所)      
  • 2017.11.20

    レポート第83号「アジアを結ぶ?『一帯一路』の地政学」

    SGRAレポート第83号   SGRAレポート第83号(表紙)   第58回SGRAフォーラム講演録 「アジアを結ぶ?『一帯一路』の地政学」 2018年11月16日発行   <フォーラムの趣旨>   中国政府は2013年9月から、シルクロード経済ベルトと 海上シルクロードをベースにしてヨーロッパとアジアを連結させる「一帯一路」政策を実行している。「一帯一路」政策の内容の中心には、中国から東南アジア、中央アジア、中東とアフリカを陸上と海上の双方で繋げて、アジアからヨーロッパまでの経済通路を活性化するという、習近平(シーチンピン)中国国家主席の意欲的な考えがある。しかし、国際政治の秩序の視点から観れば、「一帯一路」政策が単純な経済目的のみを追求するものではないという構造を垣間見ることができる。   「一帯一路」政策は、表面的にはアジアインフラ投資銀行(AIIB)を通じた新興国の支援、融資、そしてインフラ建設などの政策が含まれており、経済発展の共有を一番の目的にしているが、実際には、貿易ルートとエネルギー資源の確保、そして東南アジア、中央アジア、中東とアフリカにまで及ぶ広範な地域での中国の政治的な影響力を高めることによって、これまで西洋中心で動いて来た国際秩序に挑戦する中国の動きが浮かび上がってくる。   本フォーラムでは、中国の外交・経済戦略でもある「一帯一路」政策の発展を、国際政治の観点から地政学の論理で読み解く。「一帯一路」政策の背景と歴史的な意味を中国の視点から考える基調講演の後、日本、韓国、東南アジア、中東における「一帯一路」政策の意味を検討し、最後に、4つの報告に関する議論を通じて「一帯一路」政策に対する日本の政策と立ち位置を考える。   <もくじ> 【基調講演】 「一帯一路構想は関係諸国がともに追いかけるロマン」 朱建栄(Prof. Jianrong ZHU)東洋学園大学教授   【研究発表1】 「戦後日本の対外経済戦略と『一帯一路』に対する示唆」 李彦銘(Dr. Yanming LI)東京大学教養学部特任講師   【研究発表2】 「米中の戦略的競争と一帯一路:韓国からの視座」 朴 栄濬 (Prof. Young June PARK) 韓国国防大学校安全保障大学院教授   【研究発表3】 「『一帯一路』の東南アジアにおける政治的影響:ASEAN中心性と一体性の持続可能性」 古賀慶 (Prof.Kei KOGA)シンガポール南洋理工大学助教   【研究発表4】 「『一帯一路』を元に中東で膨張する中国:パワーの空白の中で続く介入と競争」 朴 准儀(Dr.June PARK)アジアソサエティ   【フリーディスカッション】「アジアを結ぶ?『一帯一路』の地政学」 -討論者を交えたディスカッションとフロアとの質疑応答- モデレーター:平川均(Hitoshi Hirakawa)国士舘大学21世紀アジア学部教授 討論者:西村豪太 (Gouta NISHIMURA) 『週刊東洋経済』編集長    
  • 2017.11.18

    レポート第82号「第2回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性─蒙古襲来と13 世紀モンゴル帝国のグローバル化」

      SGRAレポート第82号    中国語版   韓国語版   SGRAレポート第82号(表紙)   中国語版   韓国語版     第57回SGRAフォーラム講演録 「第2回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性─蒙古襲来と13 世紀モンゴル帝国のグローバル化」 2018年5月10日発行   <フォーラムの趣旨>   東アジアにおいては「歴史和解」の問題は依然大きな課題として残されている。講和条約や共同声明によって国家間の和解が法的に成立しても、国民レベルの和解が進まないため、真の国家間の和解は覚束ない。歴史家は歴史和解にどのような貢献ができるのだろうか。   渥美国際交流財団は2015 年7月に第49 回SGRA(関口グローバル研究会)フォーラムを開催し、「東アジアの公共財」及び「東アジア市民社会」の可能性について議論した。そのなかで、先ず東アジアに「知の共有空間」あるいは「知のプラットフォーム」を構築し、そこから和解につながる智恵を東アジアに供給することの意義を確認した。このプラットフォームに「国史たちの対話」のコーナーを設置したのは2016 年9月のアジア未来会議の機会に開催された第1回「国史たちの対話」であった。いままで3カ国の研究者の間ではさまざまな対話が行われてきたが、各国の歴史認識を左右する「国史研究者」同士の対話はまだ深められていない、という意識から、先ず東アジアにおける歴史対話を可能にする条件を探った。具体的には、三谷博先生(東京大学名誉教授/跡見学園女子大学教授)、葛兆光先生(復旦大学教授)、趙珖先生(高麗大学名誉教授/韓国国史編纂委員長)の講演により、3カ国のそれぞれの「国史」の中でアジアの出来事がどのように扱われているかを検討した。   第2回対話は自国史と他国史との関係をより構造的に理解するために、「蒙古襲来と13 世紀モンゴル帝国のグローバル化」というテーマを設定した。13 世紀前半の「蒙古襲来」を各国の「国史」の中で議論する場合、日本では日本文化の独立の視点が強調され、中国では蒙古(元朝)を「自国史」と見なしながら、蒙古襲来は、蒙古と日本と高麗という中国の外部で起こった出来事として扱われる。しかし、東アジア全体の視野で見れば、蒙元の高麗・日本の侵略は、文化的には各国の自我意識を喚起し、政治的には中国中心の華夷秩序の変調を象徴する出来事であった。「国史」と東アジア国際関係史の接点に今まで意識されてこなかった新たな歴史像があるのではないかと期待される。   もちろん、本会議は立場によってさまざまな歴史があることを確認することが目的であり、「対話」によって何等かの合意を得ることが目的ではない。   なお、円滑な対話を進めるため、日本語⇔中国語、日本語⇔韓国語、中国語⇔韓国語の同時通訳をつけた。   <もくじ>   ◆開会セッション [司会:李 恩民(桜美林大学)]   【基調講演】 「ポストモンゴル時代」?─14~15世紀の東アジア史を見直す 葛 兆光(復旦大学)   ◆第1セッション [座長:村 和明(三井文庫)、彭 浩(大阪市立大学)]   【発表論文1】 モンゴル・インパクトの一環としての「モンゴル襲来」 四日市康博(昭和女子大学)   【発表論文2】 アミール・アルグンと彼がホラーサーンなどの地域において行った2回の人口調査について チョグト(内蒙古大学)   【発表論文3】 蒙古襲来絵詞を読みとく─二つの奥書の検討を中心に 橋本 雄(北海道大学)   ◆第2セッション [座長:徐 静波(復旦大学)、ナヒヤ(内蒙古大学)]   【発表論文4】 モンゴル帝国時代のモンゴル人の命名習慣に関する一考察 エルデニバートル(内蒙古大学)   【発表論文5】 モンゴル帝国と火薬兵器─明治と現代の「元寇」イメージ 向 正樹(同志社大学)   【発表論文6】 朝鮮王朝が編纂した高麗史書にみえる元の日本侵攻に関する叙述 孫 衛国(南開大学)   ◆第3セッション [座長:韓 承勲(高麗大学)、金キョンテ(高麗大学)]   【発表論文7】 日本遠征をめぐる高麗忠烈王の政治的意図 金 甫桄(嘉泉大学)   【発表論文8】 対蒙戦争・講和の過程と高麗の政権を取り巻く環境の変化 李 命美(ソウル大学)   【発表論文9】 北元と高麗との関係に関する考察─禑王時代の関係を中心に ツェレンドルジ(モンゴル国科学院 歴史研究所)   ◆第4セッション [座長:金 範洙(東京学芸大学)、李 恩民(桜美林大学)]   【発表論文10】 モンゴル帝国の飲食文化の高麗流入と変化 趙 阮(漢陽大学)   【発表論文11】 「深簷胡帽」考─蒙元時代における女真族の帽子の盛衰史 張 佳(復旦大学)   ◆全体討議セッション   司会/まとめ:劉 傑(早稲田大学)、論点整理/趙 珖(韓国国史編纂委員会)、 総括/三谷 博(跡見学園女子大学)   ◆あとがきにかえて   金キョンテ(高麗大学)、 三谷 博(跡見学園女子大学)、 孫 軍悦(東京大学)、 ナヒヤ(内蒙古大学)、 彭 浩(大阪市立大学)    
  • 2017.11.16

    エッセイ551:レティツィア・グアリーニ「『共苦』から新たな震災後文学が生まれる?―福島県南相馬市に移住した柳美里を中心にー」

      ・・・・・・ (中略)南相馬に転居した、もうひとつの動機は、「共苦」です。 東日本大震災以降、「絆」「がんばろう」「寄り添う」という言葉があふれ返りました。どれも同情や善意に根差した言葉ですが、同情や善意というのは、外側から差し伸べられるものなんですね。 苦しんでいる人の苦しみは、その人自身のもので、他者であるわたしに同じ苦しみを苦しむなんてできっこない。 けれど、その苦しみに向かって自分を開くことはできます。 (柳美里『人生にはやらなくていいことがある』より) ・・・・・・   東日本大震災を契機に様々な意味で日本文学が動いたといえるでしょう。3・11以降、「震災後文学」というカテゴリーが誕生し、原発問題、政権への批判、放射線による生物の変容、復旧や復興などのテーマに焦点を当てる作品が次々に現れました。「震災後文学」を論じる著書やその翻訳の数もまたおびただしいです。東日本大震災以降、日本現代文学が新たな方向へと動いたと言っても過言ではないでしょう。   また、その「動き」は、文学と様々な行動や運動の繋がりにおいても見ることができます。ここで3つの例をあげてみましょう。2012年4月に、早稲田文学をベースとしたチャリティ・プログラムのために書きおろされた短篇やそれに付随して行われた座談・対談などが収められている『早稲田文学 記録増刊 震災とフィクションの“距離”』が出版されました。その著書が英語をはじめ、中国語、韓国語、イタリア語などに訳され、世界中から東日本大震災のための寄付が集まりました。また、2012年10月に、文学者が発表する場を利用し、原発問題を伝え続ける必要性を強調する「脱原発社会をめざす文学者の会」が発足しました。さらに、2015年に日本外国特派員協会で「原発がない世界を実現するほかない。声を発し続けることが、自分にやれるかもしれない最後の仕事だ」と語ったノーベル賞作家の大江健三郎の言葉は海外でも大きな反響を呼びました。   東日本大震災をもって、もうひとつの意味においても日本文学が動いたと思われます。つまり、作家たちが移動したのです。福島第一原発の事故を機に避難をめぐる問題は福島県だけではなく、あらゆる地域で起こっていました。芥川賞作家金原ひとみをはじめ、放射能汚染を心配しているが故に東京から関西へ避難した作家たちも少なくありませんでした。柳美里もその一人でした。   インタビューで語っているように、柳美里は「子どもの安全を確保するためにできるだけ遠くへ避難させたい」という母親としての気持ちに動かされ、2011年3月16日に鎌倉から大阪へ向かいました。しかし一方、「今すぐ福島に行きたい」という物書きとしての気持ちもあったとか。同年の4月に鎌倉に戻った柳美里は、そこから地元の人々の話を聴くために福島県に通い始めました。そして、2015年4月に南相馬市へ移住することにしたのです。いったい何故その決心に至ったのでしょうか?   「住みたいけれど住めない」「住みたくないけど住むしかない」…原発事故とそれに伴う放射能汚染の問題が「住む」という問題に密接な関係を持っているのです。人によって故郷との絆が様々であり、その苦しみを理解するためにはそれぞれの人の声に耳を傾けるべきだ、と柳美里は主張しています。しかし、よそに住みながらその苦しみを聴いているうちに柳美里は違和感を覚え、地元の人々の痛苦を共感するためには、同じ土地を踏み同じ空気を吸わなければならないと覚りました。作者の言葉を借りると、「共苦」が必要だったのです。   では、その共苦から何が生まれるのでしょうか? 今まで書かれてきた「震災後文学」は、「書けない自分」あるいは「無力な自分」にフォーカスを当てた作品が多いです。しかし、柳美里はまた違う形で物語を作ろうとしていると思われます。2016年12月まで、臨時災害放送局・南相馬ひばりエフエム(南相馬災害エフエム)の「ふたりとひとり」というラジオ番組において、柳美里は450人の地元の人々を取材してきました。それらの物語については作者が以下のように語っています。   ・・・・・・ 外から聴いた声ではあるけれど、いったん身体に取り入れて何日か経つと、いきなり内から声を聴くことがあります。そして、彼、彼女の痛苦が身体のそこから湧き上がり、彼、彼女が体験した光景が自分の記憶であるかのように広がる― ・・・・・・   柳美里はエッセイやインタビューにおいて南相馬市における生活を語っているものの、フィクションという形で福島県の人々の物語はまだ綴っていません。が、「同情」や「善意」、つまり外側から差し伸べられるものを捨て、共に苦しむ道を選んだ作者は、地元の苦痛とともにその希望や笑顔をいつか物語化し世界へ伝えてくれることを大いに期待しています。   〇参照文献 柳美里『人生にはやらなくていいことがある』ベストセラーズ(2016年) 「福島県南相馬市に移住した柳美里さんインタビュー」『通販生活』https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/150908/ (参照2017-10-23)   英訳版はこちら   <レティツィア・グアリーニ Letizia GUARINI> 2017年度渥美奨学生。イタリア出身。ナポリ東洋大学東洋言語文化科(修士)、お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科(修士)修了。現在お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科に在学し、「日本現代文学における父娘関係」をテーマに博士論文を執筆中。主な研究領域は戦後女性文学。     2017年11月16日配信  
  • 2017.11.16

    レポート第81号「人を幸せにするロボット-人とロボットの共生社会をめざして第2回-」

    SGRAレポート第81号 SGRAレポート第81号(表紙)   第56回SGRAフォーラム 「人を幸せにするロボット-人とロボットの共生社会をめざして第2回-」 2017年11月20日刊行   <フォーラムの趣旨> 近年、ニュースや様々なイベントなどで人型ロボットを見かける機会も多くなってきた。私たちの日々の生活をサポートしてくれる「より人間らしいロボット“Humanoid”」の開発が、今、急ピッチに進んでいる。一方で、私たちの日常生活の中には、すでに多種多様なロボットが入り込んでいる、ともいわれている。例えば「お掃除ロボット」、「全自動洗濯機」、「自動運転自動車」などなど……、ロボット研究者によれば、これらもロボットなのだという。では、ロボットとは何なのだろうか?そして、未来に向けて「こころを持ったロボット」の開発がA.I.(Artificial Intelligence)の研究をベースに進められている。「こころを持ったロボット」は可能なのだろうか?「ロボットのこころ」とは何なのだろうか?この問題を突き詰めて行くと、「こころ」とは何か?という哲学の永遠の命題に行きあたる。今回のフォーラムでは、第一線で活躍中のロボット研究者と気鋭の哲学者が、それぞれの立場からロボット開発の現状をわかり易く紹介。人を幸せにするロボットとは何か?人とロボットが共生する社会とは?など、人々が抱く興味や疑問を手がかりに、さまざまな問いに答えていった。   <もくじ> 【基調講演】「夢を目指す若者が集う大学とロボット研究開発の取り組み」 稲葉雅幸(東京大学大学院情報理工学系研究科創造情報学専攻教授)   【プレゼンテーション1】「ロボットが描く未来」 李 周浩(立命館大学情報理工学部情報コミュニケーション学科教授)   【プレゼンテーション2】「ロボットの心、人間の心」 文 景楠(東京大学教養学部助教(哲学))   【プレゼンテーション3】「(絵でわかる)ロボットのしくみ」 瀬戸 文美(物書きエンジニア)   【フリーディスカッション】-フロアとの質疑応答- モデレーター:ナポレオン(SGRA) パネリスト:稲葉雅幸、李 周浩、文 景楠、瀬戸文美ほか    
  • 2017.11.10

    ジャクファル・イドルス「飯舘村復興の現状と課題ー第6回SGRAふくしまスタディツアー報告」

    2017年9月15日(金)の早朝、北海道の上空を北朝鮮から発射されたICBM(ミサイル)が通過することを知らせる不気味な警報音が日本列島に響きわたった。その直後、私たちSGRAのメンバー16名は東京駅から新幹線で福島の飯舘村に向けて出発した。渥美財団主催のSGRAふくしまスタディツアーは、2011年3月11日に発生した大震災による巨大な津波が日本の東北地方を襲い、福島原子力発電所事故に起因する放射能汚染など、世界史上稀に見る災害に対する復興状況を視察し学ぶことを目的に2012年にスタートした。とくに、放射能汚染で全域が避難を余儀なくされた飯舘村に焦点を当てて、毎年、村の復興の状況について現地に出向いて観察を行ってきた。今回を含めると6回目のツアーとなるが、私自身は3回目の参加である。   今回のツアーには、日本人だけではなく、インドネシア、韓国、中国、ガーナ、イタリア、スウェーデン、カナダ、ネパール、アメリカからのメンバーの参加があった。飯舘村はこの4月に住民の避難区域から解除されたため、村民の帰還が始まり、新しい村づくりが動き出した。私たちは飯舘村の変化の現状を直接目で見て、また村の人々と交流することによって、新しい村づくりの取り組みの状況とその困難な課題について理解を深めたいと願っていた。それが今回のツアーの重要な目的であった。   私が前回の2015年に訪れた時の飯舘村の光景を今でも鮮明に覚えている。当時、村はまだ避難区域に指定されており、そのため放射能汚染を除染する作業員以外は、ほとんど人を見かけることはなかった。あちらこちらに空き家として放置された家々は雨風に打たれてボロボロの状態で、どこを見ても悲惨な光景が広がっていた。今でも、多くの家々はいまだ空き家の状態であるし、家の周辺や田畑のあちこちに、除染土を詰めた黒い袋(フレコンバック)が山のように積み上げられている。   しかし、今回飯舘村に入ってみると、前回とは違う光景が私の目に飛び込んできた。ボロボロであった被災家屋のうち帰還を決意した人たちの家は、新しく建て替えられ、真新しい農業用のビニールハウスが点在していた。田んぼには緑の酒米が広がっている。この光景の変化は新しい村づくりが既に始まっていることを私に強く感じさせた。今までの被災地の暗いイメージは変わろうとしていた。   村民の一人であり、「ふくしま再生の会」の副理事長でもある菅野宗夫さんの話を聞き、新しい村づくりの問題はそんなに単純ではないことを私たちは知るようになる。菅野さんが語った「村は避難区域から解除され、村民の帰宅は可能となりましたが、村は様々な困難に直面しています。その様々な問題と困難とは何なのか、皆さんに実際にその目で見て、体で感じて欲しいのです」というお話こそ、私たちSGRAふくしまツアーの目的そのものであった。   飯舘村総務課長によれば被災前には約6000人であった村の住民の内、現在村に戻ってきたのはわずか400人に過ぎない。しかもそのほとんどは高齢者であり、大多数の村民は村外から昼間村に通っている状況にある。今後村が元の姿に戻るには、住民帰還に向けた環境の整備のための数多くの解決困難な問題を克服していかなければならない。   今回のツアーでは、数多くの施設を見学し、新しい村づくりに努力する人々からも話を聞くことができた。そのいくつかの状況について簡単に報告したい。   (1)老人ホーム 震災以前に建てられた立派な建物は、震災による被害はなかったため、現在も使用可能である。しかし、看護師や介護師の数が大幅に不足しているため、それを維持し、充実させるには困難な状況が続いている。   (2)メガソーラーパネル 村の西側地区に田や畑に代わって、東京の大企業の大規模なメガソーラーパネルが設置されている。これは新しい村づくりのひとつの試みとも考えられるが、私には村の美しい自然との調和という点で、率直に言って違和感を覚えた。飯舘村の人々の生活に新たな問題となることがないよう願っている。   (3)花作り 農家の高橋さんの花作りのビニールハウスを見学し、高橋さんの力強い話を聞いた。このような村に戻ってきた人たちの未来に向けた一人一人の努力が村の発展の基礎であることを強く感じさせられた。困難を克服しようという高橋さんのエネルギーには少なからず感動を覚えた。   (4)道の駅「までい館」 「までい館」は飯舘村の復興のシンボルとして、国の重点支援を受けて作られた施設である。村内には、まだ以前のような商店は無く、帰ってきた村民の生活環境の向上や交流の場として、コンビニ、農産物の直売、軽食コーナーなどの施設の充実が図られている。このような施設がさらに発展して、村外からの人々も集まるようになることを期待したい。   (5)マキバノハナゾノ 上述の高橋さんの花作りとは別に、「花の仙人」と呼ばれている大久保金一さん(76才)の花園を見学した。夢のある大きなプロジェクトで、放射能汚染の被害を受けた山の中腹や水田を利用して水仙や桜などを植えていく大規模な花園作りが試みられている。ボランティアの若者グループも協力しているそうで、とても76才とは思えないエネルギーには驚かされた。ここが近い将来、復興のシンボルとして飯舘村の名所になるに違いない。   (6)宗教施設 山津見神社を見学した。ここで偶然飯舘村の村長と出会い、村の現状について話を聞くことができた。 私は村の復興にとって宗教の存在は非常に大きいと思う。とくに日本の社会はその伝統的な習慣や祭りなど、神社や寺院と密接に結びついてきた。私はインドネシア人でイスラム教徒であるが、インドネシアでも被災の復興では宗教が重要な役割を担う。   今回のSGRAふくしまツアーでは、飯舘村の人々と心暖まる数多くの交流ができ、又多くのことを学ぶことができた。ご協力をいただいた皆さまに心から感謝申し上げます。避難区域から解除されたことは新しい出発点に立ったことであると思う。私も飯舘村の明るい未来を信じて、これからも強い関心を持ち続けていきたいと思う。   ツアーの写真   <M. ジャクファル・イドルス  M. Jakfar Idrus> 2014年度渥美奨学生。インドネシア出身。ガジャマダ大学文学部日本語学科卒業。国士舘大学大学院政治学研究科に在籍し「国民国家形成における博覧会とその役割ー西欧、日本、およびインドネシアを中心としてー」をテーマに博士論文執筆中。同大学21世紀アジア学部非常勤講師、アジア・日本研究センター客員研究員。研究領域はインドネシアを中心にアジア地域の政治と文化。     2017年11月10日配信
  • 2017.10.19

    第11回SGRAチャイナ・フォーラム「東アジアからみた中国美術史学」へのお誘い

    下記の通りSGRAチャイナ・フォーラムを開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。 ※お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局([email protected], 03-3943-7612)   テーマ: 「東アジアからみた中国美術史学」 日 時:  2017年11月25日(土)午後2時~5時 会 場:  北京師範大学後主楼914 主 催:  渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA) 共 催:  北京師範大学外国語学院、清華東亜文化講座 助 成:  国際交流基金北京日本文化センター、鹿島美術財団     ◇フォーラムの趣旨   作品の持つ芸術性を編述し、それを取り巻く社会や歴史そして作品の「場」やコンテキストを明らかにすることによって作品の価値づけを行う美術史学は、近代的社会制度の中で歴史学と美学、文化財保存・保護に裏打ちされた学問体系として確立した。とりわけ中国美術史学の成立過程においては、前時代までに形成された古物の造形世界を、日本や欧米にて先立って成立した近代的「美術」観とその歴史叙述を継承しながらいかに近代的学問として体系化するか、そして大学と博物館という近代的制度のなかにいかに再編するかというジレンマに直面した。この歴史的転換と密接に連動しながら形成されたのが、中国美術研究をめぐる中国・日本・アメリカの「美術史家」たちと、それぞれの地域に形成された中国美術コレクションである。このような中国美術あるいは中国美術史が内包する時代と地域を越えた文化的多様性を検証することによって、大局的な東アジア広域文化史を理解する一助としたい。     ◇プログラム 総合司会:孫 建軍(北京大学日本言語文化学部)   【問題提起】林 少陽(東京大学大学院総合文化研究科)   【発表1】塚本麿充(東京大学東洋文化研究所) 「江戸時代の中国絵画コレクション ―近代・中国学への架け橋―」   【発表2】呉 孟晋(京都国立博物館) 「漢学と中国学のはざまで―長尾雨山と近代日本の中国書画コレクション―」   【円卓会議】 進 行: 王 志松(北京師範大学) 討 論: 趙 京華(北京第二外国語学院文学院) 王 中忱(清華大学中国文学科) 劉 暁峰(清華大学歴史学科) 総 括: 董 炳月(中国社会科学院文学研究所)   同時通訳(日本語⇔中国語):丁莉(北京大学)、宋剛(北京外国語大学)   ※詳細は、下記をご参照ください。 プログラム(日本語) プログラム(中国語)     ◇開催経緯と過去3回のチャイナ・フォーラム   公益財団法人渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)は、清華東亜文化講座のご協力を得て、2014年から毎年1回、計3回のSGRAチャイナ・フォーラムを北京等で開催し、日中韓を中心とした東北アジア地域の歴史を「文化と越境」をキーワードとして検討してきた。   2014年の会議では、19世紀以降の華夷秩序の崩壊と東アジア世界の分裂という歴史的背景のもとでつくられた近代の東アジア美術史が、歴史的な美術の交流と実態を反映していない「一国美術史」として語られてきたという問題を提起し、この一国史観を脱却した真の「東アジア美術史」の構築こそ、同時に東アジアにおける近代の超克への一つの重要な試金石となることを指摘した。(佐藤道信:「近代の超克―東アジア美術史は可能か」)   一方、「工芸」は用語の誕生から制度としての「美術」の成立と深い関係にある。アジアにおいては、陶磁器や青銅器や漆器などを賞玩してきた歴史があり、工芸にはアジアの人々が共感しうる近代化以前の生活文化に根差した価値観が含まれているが、近代では「美術」の一部とみなされる。「美術」と「工芸」は、漢字圏文化と西洋文化との関係および葛藤を表していると同時に、日中両国のナショナリズム、国民国家の展開や葛藤とも深い関係にあることが確認された。(木田拓也「工芸家が夢みたアジア:<東洋>と<日本>のはざまで」)   2015年の会議では、古代の交流史と対比して「抗争史」の側面が強調される従来の近代東アジア史観に対して、実際の近代日中韓三国間において、「他者」である西洋文化受容と理解という目的のもと、互いの成果・経験・教訓を共有する多彩多様な文化的交流が展開し古代にも劣らぬ文化圏を形成していたことを踏まえ、改めて交流史を結節点とした見直しの重要性を確認した。(劉建輝:「日中二百年-文化史からの再検討」)   2016年の会議では、近代に成立した国民国家の文化的同一性のもとに収斂された「一国文化史」という言説の虚構性や恣意性を明らかにした。いわゆる中間領域に存在する作品が内包する文脈から、「モノ」の移動にともなって生まれた多様な価値観と重層的な歴史と社会の有様が認識でき、文物が国家に属するという従来の既成概念を取り去り改めて文物の交流を起点に大局的な文化(受容)史観を構築することの重要性を指摘した。(塚本麿充:「境界と国籍-“美術”作品をめぐる社会との対話―」)   次いで文学史からは、近代の日中外交文書における漢字語彙の使用状況とりわけ同形語の変遷をたどり、日本語から新漢字を輸入することによって古い漢字語彙から近代語へと変容していく現代中国語の形成過程から、ひとつの言語が存立するにあたり、実際の語彙の移動と交流に依拠する多層性と雑種性を持ちうることを明らかにした。(孫建軍:「日中外交文書にみられる漢字語彙の近代」)   それぞれの報告から、「国境」や「境界」というフレームに捉われない多様な歴史事象の存在を認識し、改めて「広域文化史」構築の可能性とその課題を浮き彫りにした。
  • 2017.10.07

    第58回SGRAフォーラム「アジアを結ぶ?『一帯一路』の地政学」へのお誘い

    下記の通りSGRAフォーラムを開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。   テーマ:「アジアを結ぶ?『一帯一路』の地政学」 日時:2017年11月18日(土)午後1時30分~4時30分 その後懇親会 会場:東京国際フォーラム ガラス棟 G610 号室 参加費:フォーラムは無料 懇親会は賛助会員・学生1000円、メール会員・一般2000円 お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局([email protected], 03-3943-7612)     ◇フォーラムの趣旨   中国政府は2013年9月から、シルクロード経済ベルトと 海上シルクロードをベースにしてヨーロッパとアジアを連結させる「一帯一路」政策を実行している。「一帯一路」政策の内容の中心には、中国から東南アジア、中央アジア、中東とアフリカを陸上と海上の双方で繋げて、アジアからヨーロッパまでの経済通路を活性化するという、習近平(シーチンピン)中国国家主席の意欲的な考えがある。しかし、国際政治の秩序の視点から観れば、「一帯一路」政策が単純な経済目的のみを追求するものではないという構造を垣間見ることができる。   「一帯一路」政策は、表面的にはアジアインフラ投資銀行(AIIB)を通じた新興国の支援、融資、そしてインフラ建設などの政策が含まれており、経済発展の共有を一番の目的にしているが、実際には、貿易ルートとエネルギー資源の確保、そして東南アジア、中央アジア、中東とアフリカにまで及ぶ広範な地域での中国の政治的な影響力を高めることによって、これまで西洋中心で動いて来た国際秩序に挑戦する中国の動きが浮かび上がってくる。   本フォーラムでは、中国の外交・経済戦略でもある「一帯一路」政策の発展を、国際政治の観点から地政学の論理で読み解く。「一帯一路」政策の背景と歴史的な意味を中国の視点から考える基調講演の後、日本、韓国、東南アジア、中東における「一帯一路」政策の意味を検討し、最後に、4つの報告に関する議論を通じて「一帯一路」政策に対する日本の政策と立ち位置を考える。   ◇プログラム 詳細はこちらをご覧ください。   【基調講演】 「一帯一路構想は関係諸国がともに追いかけるロマン」 朱建栄(Prof. Jianrong ZHU)東洋学園大学教授   【研究発表1】 「戦後日本の対外経済戦略と『一帯一路』に対する示唆」 李彦銘(Dr. Yanming LI)東京大学教養学部特任講師   【研究発表2】 「米中の戦略的競争と一帯一路:韓国からの視座」 朴 栄濬 (Prof. Young June PARK) 韓国国防大学校安全保障大学院教授   【研究発表3】 「『一帯一路』の東南アジアにおける政治的影響:ASEAN中心性と一体性の持続可能性」 古賀慶 (Prof.Kei KOGA)シンガポール南洋理工大学助教   【研究発表4】 「『一帯一路』を元に中東で膨張する中国:パワーの空白の中で続く介入と競争」 朴 准儀(Dr.June PARK)アジアソサエティ   【フリーディスカッション】「アジアを結ぶ?『一帯一路』の地政学」 -討論者を交えたディスカッションとフロアとの質疑応答- モデレーター:平川均(Hitoshi Hirakawa)国士舘大学21世紀アジア学部教授 討論者:西村豪太 (Gouta NISHIMURA) 『週刊東洋経済』編集長  
  • 2017.09.26

    第2回東アジア日本研究者協議会へのお誘い

    東アジア日本研究者協議会は、東アジアの日本研究関連の学術と人的交流を目的として、2016年に発足、韓国・仁川で第1回国際学術会議が開催され、続いて本年10月末には第2回が中国・天津で開催されることとなりました。SGRAからは「日本の植民地支配下の東アジアにおけるメモリアル遺産」「おぞましき女性の行方-フェミニズム批評から読む日本昔話-」「戦争・架け橋・アイデンティティ~近代日本と東アジアの文化越境物語~」の3パネルが参加します。   歴史的な壁のため、さらに東アジアでは自国内に日本研究者集団が既に存在することもあり、国境・分野を越えた日本研究者の研究交流が妨げられてきた側面があります。東アジア日本研究者協議会は日本研究の質的な向上、自国中心の日本研究から多様な観点に基づく日本研究への志向、東アジアの安定と平和への寄与の3つを目的としています。SGRAも同協議会の理念に賛同して共同パネル参加をします。これを機会に皆様のご参加やご関心をお寄せいただければ幸いです。   第2回東アジア日本研究者協議会 国際学術大会 日 時:   2017 年 10 月 27 日(金)~ 29 日(日) 会 場: 中国天津賽象ホテル(天津賽象酒店、天津市南開区華苑産業区梅苑路8号) 主 催: 東アジア日本研究者協議会 共 催: 南開大学(中国・天津)   ——————————————————————————————— SGRAより参加の3チーム 「日本の植民地支配下の東アジアにおけるメモリアル遺産」 「おぞましき女性の行方─フェミニズム批評から読む日本神話および昔話─」 「戦争・架け橋・アイデンティティ~近代日本と東アジアの文化越境物語~」 ———————————————————————————————   ◆「日本の植民地支配下の東アジアにおけるメモリアル遺産」   趣旨: 20世紀前半期において、東アジアのほとんどの地域は日本の植民地支配を受けた。これは関係する国と地域にとって不幸な歴史であったことはいうまでもないが、日本の支配が敷かれていたこれらの地域においては、人と物の流れが加速し、日本の近代化の経験による各種の社会整備、調査記録や記念物が形として残された。また戦後70年間において、これらのメモリアル遺産は東アジアを取り巻く複雑な関係性のなかでその存在が直視され、議論される場は多くなかったように思われる。本セッションでは、戦後の視点に立ってこれらのメモリアル遺産の歴史的広がりやそれがもつ現代的な意味を議論したい。   パネル詳細   発表者: ◇ユー・ヤン グロリア(コロンビア大学大学院/東京大学大学院) 「実像か幻像か:満洲の視覚資料の見方や眼差しの再考」 (発表要旨)   ◇鈴木恵可(東京大学大学院) 「再展示される歴史と銅像―台湾社会と植民地期の日本人像」 (発表要旨)   ◇ブレンサイン(滋賀県立大学教授) (発表要旨) 「満鉄と満洲国による農村社会調査について」   討論者: マグダレナ・コウオジェイ(デューク大学大学院/早稲田大学大学院) 張 思(南開大学教授)   司 会: 李 恩民 (桜美林大学教授)     ◆「おぞましき女性の行方─フェミニズム批評から読む日本神話および昔話─」   趣旨: 本パネルは、日本昔話と神話において棄却された女がどのように語られ、また、現代作家によってどのように語り直されているかについて、フェミニズムの観点から批判的に分析を試みる。 神話と昔話は、それらを語り継ぐ文化の世界観や信仰などを反映するし、人間存在の根本的な課題やモチーフを表す一方、ジェンダー差別のような社会問題をも明らかにする。なぜなら、神話や昔話は文化の価値観を継承させるためだけではなく、女性抑圧のような社会規範を正当化するためにも、永きに渡って伝承されてきたからである。そのため、聞き慣れた昔話と神話を批判的に読み直す必要があるだろう。本パネルは日本神話と昔話──その原文と現代作家によって語り直された作品を、フェミニズムの観点から再考し、家父長的な要素を脱構築する。   パネル詳細   発表者: ◇リンジー・モリソン(武蔵大学人文学部英語英米文化学科助教) 「暗い女の極み 日本昔話の「蛇女房」におけるおぞましき女性像をめぐって─」 (発表要旨)   ◇フリアナ・ブリティカ・アルサテ(国際基督教大学ジェンダー研究センター研究所助手) 「神話の復習と女性の復讐──桐野夏生の『女神記』をフェミニズムから読む──」 (発表要旨)   討論者: レティツィア・グアリーニ (お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科) シュテファン・ヴューラー(東京大学大学院総合文化研究科)   司  会: 張 桂娥(東呉大学日本語文学系副教授)     ◆「戦争・架け橋・アイデンティティ~近代日本と東アジアの文化越境物語~」   趣旨: 戦前の日本と東アジアとの関係は、戦争や植民地支配に集約される場合がしばしば見られる。そのため、戦前における日本と東アジアとの民間レベルの社会・文化交流の架け橋を担っていた人々とそのストーリーはよく軽視されてしまう。本セッションではあの激動の時代において戦争を超える日本と中国・東アジアの民間レベルの交流物語を取り上げ、国境や戦争を超える東アジアの文化交流の意味を検討する。   パネル詳細   発表者: ◇林 泉忠(台湾・中央研究院副研究員) 「知られざる『旅愁』の越境物語~戦前東アジア文化交流の一断章~」 (発表要旨)   ◇李  嘉冬(上海・東華大學副教授) 「近代日本の左翼的科学者の中国における活動~上海自然科学研究所員小宮義孝を例に~」 (発表要旨)   討論者: カールヨハン・ノルドストロム(日本・都留文科大学講師) 篠原 翔吾(北京・在中国日本国大使館専門調査員)   司 会: 孫 建軍(北京・北京大学副教授)  
  • 2017.09.14

    金キョンテ「第2回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性『蒙古襲来と13世紀のモンゴル帝国のグローバル化』円卓会議報告」

    第57回SGRAフォーラムは「第2回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性:蒙古襲来と13世紀のモンゴル帝国のグローバル化」というテーマで開催された。昨年秋に開催された第1回会議がプロローグとしてこれからの対話の可能性を開く場だったとしたら、第2回は学界で最も活発に活動している若手中堅の研究者が集まって、本格的な「対話」をしようとする場であった。   2017年8月7日から3日間、北九州国際会議場で予定されていた会議には開催危機の瞬間があった。観測史上2番目に進度の遅い台風10号が、当日九州の北部を通るという予報だったからである。幸いなことに、開催地である北九州の航空と列車運行には大きな影響はなかった。ただし、航空会社が事前に着陸時間を調整したために、韓国からの参加者の一部は(筆者本人を含め)開始時間に少し遅れて到着した。   初日には開会式と基調講演が行われた。今西淳子SGRA代表の開会挨拶に続き、三谷博先生(跡見学園女子大学)から趣旨説明があった。これまでの東アジアの歴史を背景に行われた様々な歴史に関する議論は、主に20世紀前半の日本の侵略をどのように捉えるかにあったこと、ある面では成功したが、いくつかの面では失敗したこと、また明らかなことは、国家が介入すると失敗したということ、そして、個人が構成する会議としてお互いを理解する努力があれば成功させることができると指摘した。また、全5回シリーズとして予定されるこの会議は、前近代と近代以後のすべての時代を網羅的に論ずるという趣旨で、1〜3回を前近代に配置したこと、最も重要なのは、お互いの発表をよく聞いてレスポンスをする作業であることを強調した。   葛兆光先生(復旦大学)は、基調講演「ポストモンゴル時代?-14~15世紀の東アジア史を見直す」で、モンゴル帝国の衰退後、新しい王朝が成立し、お互いに(朝貢システムに限らない)多様な関係を結びはじめた14世紀末〜15世紀初めに至る時期を、東アジアのその後の関係を示唆するものとして参考にすることができると提案した。関連する歴史研究者としても重要な指摘を含む提案だったと思う。   8月8日は、本格的な論文発表であった。4つのセッションに分けて11篇の論文が発表された。最初のセッションは、四日市康博先生(昭和女子大学)、チョグト先生(内蒙古大学)、橋本雄先生(北海道大学)の発表で、「モンゴルインパクト」の歴史的意味と各国の立場から、さらに世界史の視点からどのように見るべきかを提案した。2番目のセッションは、エルデニバートル先生(内蒙古大学)、向正樹先生(同志社大学)、孫衛国先生(南開大学)の発表で、モンゴル侵略による文化的・技術的影響に様々な史料を通じてアプローチした発表であった。3番目のセッションは金甫桄先生(嘉泉大学)、李命美先生(ソウル大学)、ツェレンドルジ先生(モンゴル国科学院)の発表で、モンゴルの主要侵略対象とされ、長い間抵抗した国である高麗を例に挙げ、モンゴルの支配実像の多角的な分析を示した。最後のセッションは趙阮先生(漢陽大学)、張佳先生(復旦大学)の発表で、食事と帽子という物質的、文化的要素にみられる長期的かつ系列的なモンゴルの影響を調べた。各セッションの発表者は、他のセッションの討論者として参加した。   8月9日の午前中は、昨日の各研究報告を踏まえての全体討論の時間だった。日本での一般的な学術大会とは少し異なる構成であったが、一日熟成した質問やコメントはそれぞれ本会議の趣旨に沿ったものであり、大変効果があったと思う。この日は、趙珖先生(韓国国史編纂委員会)の論点整理が先行した。「モンゴル襲来」と「グローバル化」をキーワードにして、集中的な発表と討論が行われたこと、モンゴルは最初にグローバル化に成功した「帝国」であり、その中で、韓国・日本・中国がそれぞれどのような歴史を展開したのかを検討することによって、グローバル化を明確に理解することができること、グローバリゼーションは、単純なグローバル化だけではなく、グローカリゼーションとの相互関係を見なければならないと指摘した。また、4つのセッションの全ての発表によって政治と統治様式、文化交流が幅広く調べられており、各国の国史を扱いながら一国の視点からのみではなく東アジア全体から見ると、どのように幅が広がるかを示した良い実例だったと結んだ。   総合討論の司会を務めた劉傑先生(早稲田大学)は5つの議論主題を提案した。まず、モンゴル帝国の影響をどのように評価するのか。第2に、冊封体制と朝貢について。第3に、モンゴル帝国はモンゴル史か中国史なのか、そしてどのように対話したら良いのか。第4に、高麗から朝鮮につながる韓国の歴史における中国の立場は何だったのか。そして最後に、史料批判の問題であった。続いて自由討論が行われた。上記テーマのうち、冊封体制、モンゴル史、史料批判の問題について、参加者全員が発言する活発な議論が繰り広げられた。   最後に三谷博先生の全体総括があった。非常に充実した3日間の会議であり、実行委員の一人として感謝すること、さらにもっと深いレベルの「グローバル化」の分析があったらよかったという所感を述べた。そして今後も対話を続けて欲しいという総評だった。   午後は見学会であった。モンゴルが襲来した九州北部の重要な場所を踏査した。元寇記念館と筥崎宮は歴史をどのように記憶して使用するかの問題を提起する史料館で、また史跡として印象が深かった。雨の中を訪ねた生の松原元寇防塁跡では、約800年前にこの海から上陸を試みていたモンゴル連合軍と、これを眺めていた日本の鎌倉武士たちはどんな気持ちだったのだろうという考えに浸った。   期間中、各国の研究者が自分の最新の研究成果や研究の過程での悩みを提示し、議論やアドバイスが行き来した。当時存在していた国ないし王朝の勢力範囲は、そのまま現在の国境や国家概念と必ずしも合致しない。そのような面で、モンゴルの研究者の参加は大事であった。国際会議での最大の難関は、言語の問題である。交差通訳をする場合、時間がかかる。したがって質問や反論があっても飛ばす場合が多い。今回は3日にわたって同時通訳が提供されて、各国の研究者は率直に話をすることができた。渥美財団と同時通訳者の労苦に感謝する。   今回の大会においての感想は皆違うと思うが、多くの成果と課題を残したという点は同意するだろう。東アジアという空間、時間における朝貢関係の具体性、固定化された各国史の視座をどのように超えるのか等、基本的な問題提起を介して得られたことが多いと思う。連続した「国史の対話」は、5回まで予定されている。これまでの成果さえ失ってしまい、後戻りしてはいけない。成果を踏まえて、次のステップに進まなければならない。来年夏に開催する第3回会議は、近世に東アジアを揺さぶった戦乱と平和の世紀への移行を扱う予定である。多くの方々に関心を持って参加していただき、発展的な新しい歴史学の時代が来ることを期待している。   会議の写真はここからご覧いただけます。   報告書は2018年春にSGRAレポートとして発行予定ですが、関連資料はここからご覧いただけます。   韓国語版   中国語版   <金キョンテ☆Kim_Kyongtae> 韓国浦項市生まれ。韓国史専攻。高麗大学校韓国史学科博士課程中の2010年~2011年、東京大学大学院日本文化研究専攻(日本史学)外国人研究生。2014年高麗大学校韓国史学科で博士号取得。韓国学中央研究院研究員を経て現在は高麗大学校人文力量強化事業団研究教授。戦争の破壊的な本性と戦争が導いた荒地で絶えず成長する平和の間に存在した歴史に関心を持っている。主な著作:壬辰戦争期講和交渉研究(博士論文)     2017年9月14日配信