-
2025.12.11
2025年10月31日から3日間、韓国・翰林大学にて「東アジア日本研究者協議会第9回国際学術大会」が開催された。私たちのセッション「宗教と漢字の視点から見る日本文化の深層」は、大会2日目の午前9時より1時間半にわたり行われた。
セッションは日本文化の深層を形成する宗教、特に仏教の現状と、日中における漢字観の比較が主要なテーマで、私は企画および司会を担当、宗教については磯部美紀氏(親鸞仏教センター)が、漢字については陳希氏(中央大学)が研究報告を行った。各報告に対しては、松本悠和氏(京都府立大学)および賈海涛氏(神奈川大学)がコメントを担当した。なお、陳氏は大会直前に急遽参加が難しくなったものの、動画配信によって支障なく報告できた。
磯部氏は「現代日本における宗教者とナラティブ」というタイトルで現代日本の葬儀における浄土真宗の僧侶による「法話」に焦点を当て、そのナラティブ(語り)が「死者と生者」の関係にどのような影響をもたらすかを、千葉県A市の「R寺」での事例を通して分析した。
家族構造の変化や檀家制度の弱体化により僧侶の役割が見直される中、R寺の住職は、通夜の場などで遺族との相互行為(傾聴と法話)を通じて故人の生涯を多面的に再構成する。法話の内容は、死者を単に「失われた存在」としてではなく、「教えを届ける仏弟子」「これからの生を導く存在」として、新たな文脈に位置づけ直す機能を持つ。これにより、死別を「関係の断絶」ではなく「関係の変化」として捉え直し、死者をも含めたアクター間の関係性を更新すると指摘した。
このナラティブによる再構築は、死者と生者間のコミュニケーションを拡張するもので、日本文化における死生観の一端を示唆する。欧米の「自律性」重視の死生観とは異なり、死者は関係の網の目から排除されることなく、「継続する絆」として相互依存の関係を保持し続ける。
陳氏は「方法としての漢字―1950年代の日中漢字論―」で、中国の歴史学者・唐蘭と日本の言語学者・河野六郎を取り上げ、両国における漢字観の比較検討を行った。1950年代を中心に、近代的言語観への疑問からどのような認識変化が生じたのかを探ることが主眼だ。
報告によると、唐と河野は西洋言語学が前提とする音声中心主義に対して、文字を思考形式・文化表現として再評価し、「言語の下位概念としての文字」ではなく、文字そのものを独立した学問として位置づける「文字学」の確立を志向していた。ただ、焦点は異なり、唐が漢字における音と義の調和を強調したのに対し、河野は視覚的思考の媒体としての文字の役割を重視した。
また、唐が実践的改革者として活動したのに対し、河野は理論構築者としての側面が際立っていた。これらの相違は、両国の社会や時代背景の影響によるものと考えられる。このように、漢字文化圏に属する両国の学者たちは、日常的な文字体系としての漢字の可能性を改めて見出し、文化の深化に寄与しようと模索していたことが浮き彫りになった。
続いて討論が行われた。松岡氏は、磯部氏の研究における「法話」の機能の再定義、すなわち、死者と生者の関係を結びなおす共同的営みとしての意義を評価しつつ、研究アプローチの妥当性や「法話」のナラティブとしての射程(宗派固有性と日本文化に共通する要素)、さらに「法話」が本来的には教化(教導)である点から、相互行為として捉える際の限界や検討の余地があることを指摘した。賈氏は陳氏の報告に対し、1950年代の議論にとどまらず、現代における漢字観の変容やデジタル環境下での文字の役割といった観点を踏まえて再検討する必要性を提示した。
会場参加者は多くはなかったものの、最後まで熱心に耳を傾けていた。両研究報告を通じ、日本文化の主要要素としての宗教や漢字について改めて考える貴重な機会になった。テーマの専門性が高いながらも、報告者と討論者の的確な議論の展開により、参加者が理解を深めやすい構成となっていた点も本セッションの成果として挙げられる。最後までスムーズなパネル進行にご協力いただいた報告者および討論者の皆様に、心より御礼申し上げたい。
当日の写真
<尹在彦(ユン・ジェオン)YUN Jaeun>
東洋大学社会学部メディア・コミュニケーション学科准教授。延世大学(韓国)社会学科を卒業後、経済新聞社で記者として勤務。2021年、一橋大学大学院法学研究科にて博士号(法学)を取得。同大学特任講師、慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所非常勤講師などを経て2025年、現職。渥美国際交流財団2020年度奨学生。専門は国際関係論およびメディア・ジャーナリズム研究(政治社会学)。
-
2025.12.11
「東アジア日本研究者協議会第9回学術大会」は、2025年10月31日から11月2日にかけて、韓国春川市の翰林大学で開催された。発表者4人、司会者1人、討論者1人の構成で「東アジアからみた日本美術―外来文化輸入の再検討―」をテーマにパネル発表を行った。
古くから日本文化は外来文化の影響を受けてきた。特に近世までは、中国を中心とした大陸からの影響が強く認められる。しかしその受容は外部から日本へ、という一方的なものではなく、常に重層的な様相を示している。日本における外来文化の移植と変容の考察は、東アジアの中に日本を再定位することに繋がる。本パネルでは、主に飛鳥時代から平安時代までの日本の美術が外来の影響を受け入れる独自の姿勢に焦点を絞った。発表する4人は中国、台湾、日本の若手研究者で、それぞれ彫刻、絵画、書法、染織の作例を取り上げ、東アジアという広域の視点から、外来文化の輸入における日本の主体性を議論した。
本パネルは2日目の最初のセッション(9:00〜10:30)で、司会は武瀟瀟(東京文化財研究所)が担当し、討論者には王雲教授(中央美術学院人文学院)を迎えた。発表は時代順に決めた。馬歌陽(復旦大学):「5~7世紀弥勒菩薩像の坐勢についての再考―東アジアの半跏倚坐像を中心に―」。廣谷妃夏(東京国立博物館):「日本製緯錦の特質に関する一試論」。閻志翔(京都大学):「神変からみた東大寺大仏蓮弁線刻画」。陳雪溱(東京大学):「桓武・嵯峨朝における王羲之受容論再考―入唐僧の請来書跡との関わりから―」。
馬歌陽氏は5〜7世紀東アジアにおける半跏倚坐の弥勒菩薩像を取り上げ、思惟相と施無畏印という2つの主要な表現型の成立を検討した。日本・朝鮮半島・中国およびインドの造像例を考察した結果、思惟相の弥勒像は、インドのガンダーラやマトゥーラ地域から伝わるもので、当初「弥勒」と直接的に関連するものではなかったが、後に東アジアにおいて弥勒菩薩としての意味を帯びるようになった一方、施無畏印の弥勒像は、中国において初めて弥勒菩薩と結びついた形態である可能性が高く、6世紀半ば頃現われるようなったと指摘した。いずれも弥勒菩薩の成道への道程や、内面的な修行、または衆生を救う誓願を示しており、これらは、単に一つの固定的なイメージではなく、複数の側面を持つ多義的な存在としての弥勒を反映していると述べた。
廣谷妃夏氏は7世紀以降、東西ユーラシア大陸全体に広まった緯錦(複様綾組織緯錦)に着目し、特に日本製緯錦の特質を検討した。奈良時代、錦綾などの高級織物生産は律令制に組み込まれた。法隆寺や東大寺正倉院に伝わった染織品の中には、中国からの輸入品のほか、この日本製の緯錦が多く含まれているとみられ、先行研究では、主に紋様表現や類例の多寡から判別されてきた。廣谷氏は日本古代の錦類を調査した成果をもとに、ユーラシア大陸の東西の出土品との比較を行い、紡織技術の地域的差異により、同じ複様綾組織緯錦であっても糸質や表現の細部は異なると新たに指摘した上で、日本製緯錦の特徴を明らかにした。
私(閻志翔)は東大寺大仏台座蓮弁の請花に刻まれた線刻画(天平勝宝8歳〔756〕8月から翌年正月までの間に制作)を取り上げ、図様の典拠を考察した。蓮弁線刻画の図様が『梵網経』に説かれる世界観とよく一致しており、鑑真来朝に伴う『梵網経』重視の影響が及んでいると早くに指摘されたが、本発表は、蓮弁線刻画の独特な図様を『華厳経』「十地品」に説かれる第十地に至った菩薩の神変によって新たに解釈し、第十地の菩薩の神変と『梵網経』の世界観が蓮弁線刻画に重層的に表現されていると述べた。そして、このような日本における『梵網経』受容の独特な様相は、東大寺の華厳思想の底流とされる「十地思想」を背景としたものであると指摘した。
陳雪溱氏は平安前期における王羲之書風の受容と変貌について再考した。平安時代の桓武・嵯峨朝における入唐僧の請来品や正倉院の出蔵記録といった史料に基づき、現存する尺牘、銘文、勅額、仏教関連文書などを照合・分析することによって、空海と最澄が請来した書跡や拓本は初唐期に規範化された様式に関連しており、特に王羲之様式については、唐代宮廷において集積された王羲之遺墨を基盤に再編集された「集王行書」様式の作品が請来品に含まれていたと推察した。一方で、東アジア全域を視野に入れ、平安前期における天皇権威と文化的受容の関連性について多角的に分析し、唐代から伝来した書風の展開や王権形成の過程における規範の在り方を明確に示した。
発表後、王雲先生がそれぞれにコメント・質問した。馬氏に対しては、発表で取り上げた弥勒像の坐勢は一般的に「半跏坐」と呼ばれているが、今回の発表で弥勒像の坐勢を「半跏倚坐」と呼ぶ理由について説明を求めた。私には「神変」に関する仏教思想史の研究成果をそのまま援用するのではなく、今後は仏教原典に基づき、美術史の視点から「神変」に対する全面的な考察を進めてほしいとコメントした。廣谷氏には、日本製の錦の糸質が異なることは理解したが、地域ごとに糸や技術に傾向が見られる点にはどのような背景が考えられるか、地域により異なる根拠は何であるか説明を求めた。最後の陳氏に対しては、正倉院所蔵の光明皇后「臨楽毅論」は、一般に知られている王羲之拓本の典型的な書風とはやや異なっており、両者の関連性が分かりにくいように思われるが、それらの異同について、具体的な説明を求めた。後半は王雲先生からのコメント・質問に対して、発表者がそれぞれ答える形で自由討論が行われた。
最後にフロアからのコメントも受けた。当日、会場には東北大学特任教授の長岡龍作先生がいらっしゃった。長岡先生からは、各発表では「作品と人との関係性」が見えないとの指摘があり、今後、「この作品は私に何をしてくれるか」という視点から、研究を進めてほしいとのご助言をいただいた。
本パネルは古代の日本美術を中心に、彫刻、絵画、書法、染織という多様な研究領域から日本美術にみられる外来文化の輸入を再検討した。若手研究者らは新たな成果を提示し、有意義な発表会となった。終了後、王先生、長岡先生を囲んで参加者全員が会場内に設けられたカフェで議論をさらに深めることができた。また、午後に全員で国立春川博物館を見学できたことも有意義な時間となった。
当日の写真
<閻志翔(えん・ししょう)YAN Zhixiang>
中央美術学院人文学院美術史専攻学士、東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻日本・東洋美術史研究分野修士、同大学院美術研究科美術専攻芸術学研究領域(日本・東洋美術史)博士。2021年4月〜2023年9月、日本学術振興会特別研究員(DC2)。2024年度渥美奨学生。現在、京都大学人文科学研究所外国人特別研究員。
-
2025.11.26
はじめに:戦後80周年という時間軸への「違和」
戦後80周年の2025年は、皮肉にも現在進行中の戦争報道に最も頻繁に接した年となった。この「時間軸」への「違和」がまさに、SGRA主催の第5回アジア文化対話が沖縄で開かれた第一の理由であろう。沖縄大学との共催で、「アジアにおけるジェンダーと暴力の関係性」をメインテーマとし、専門家や活動家のパネリストで構成された4つのセッションが設けられた。会場には沖縄市民を含む100人以上、Zoomでは200人余りが参加した。
問いの始まりとしてー基調講演「暴力に抗する『他者』の眼差し」
基調講演は『戦場の記憶』(2006年)で著名な冨山一郎(同志社大学教授)によるものであった。冨山は沖縄で繰り返される性暴力問題に抗して活動する高里鈴代が「何度東京に来て同じ話をすればいいのか」というつぶやきに出会った時を振り返る。3人の米兵による少女レイプ事件(1995年)に対する怒りで8万5千人の県民大会が行われた沖縄からの声を、高里は「東京」に届けようと奮闘していた。冨山が述べる「戦場」が、高里の「何度言えばいいのか」というつぶやきや、語っても、語っても言葉が届かない状況から始まることは大切である。
「何を言っても無駄」という状況にかかわる「暴力」そのものへの富山の洞察は「毎日の陳腐な営み」から「往復運動」として戦場を発見する眼差し、つまり平時/戦場、戦中/戦後、の二分法を超える眼差しであり、自身の身体感覚から始まっている。二分法を超えるためには、他者との関係の中に設定されている「実践」の領域が前提に置かれているのは言うまでもない。
交差する差別とジェンダー
第2セッションでは、沖縄とインドネシアからの活動家や研究者が戦争、紛争下の暴力「後」にどのような差別が温存され、それに抗する言葉を探るために女性たちはどのような「実践」連帯や活動を展開できるのかを議論した。
まず、高里によって沖縄戦や戦後の米軍基地化の現状、復帰後も続く基地拡散の状況が、いかに女性の生き方に影響していたのかが語られた。「近代への道」の中で「琉球人」から「沖縄人」にならなければならず、差別を温存したまま進めた沖縄の歩みが、沖縄戦を経て、さらに「日米政府」による27年間の占領期にどのように構造的な差別へ繋がっていったのか。特に、「日本人」対「琉球人」の潜在する対立を利用しようと、米軍が作成した「民事ハンドブック」や、繰り返し行われていた米兵による性犯罪やそれを可視化できなかった歴史を語った。
復帰以前の沖縄では、ベトナム戦争や冷戦構造の激化を背後に、土地の強制接収や性犯罪、人権蹂躙が繰り返された。同時期、インドネシアでは約50万人から300万人とされる民間人が警察や国家暴力の犠牲となった。1965年以降続いた「赤狩り」を掲げた大量虐殺には、多くの女性と子どもが含まれている。2人目の発表者、作家のIntan Paramaditha(マッコーリー大学)は組織的に標的とされ、強制的に解散された「Gerwani(ゲルワニ)インドネシア女性運動」以降、どのように女性たちが、歴史から抹消・排除された女性たちの存在を記憶し、継承していこうとしているのかを報告した。興味深いのは、インドネシア群島の横断的なフェミニスト集団「女性思想学校」が、男性中心、家父長制中心の言葉概念を転覆して再定義し、「ワリス(相続)」は、家父長制的な財産移転の概念から、植民地主義と資本主義の相続論理に異議を唱える言葉となった。
本セッションでは、人種に基づく「他者化」や、それを利用した植民地主義・帝国主義・軍事主義の暴力構図の連鎖を、沖縄やインドネシアの歴史的文脈によって語り、それに立ち向かう言葉をどのように模索してきたのかを検討した。それは具体的な「活動の現場」の声をも含んだものだった。
戦争とジェンダー
第3セッションを一言でいうならば、「無化された存在」から問う「戦争とジェンダー」といえる。山城紀子(フリージャーナリスト)は「沖縄戦・米軍統治下の福祉と女性」と題して、沖縄戦後日本と分類され米軍占領下の沖縄で行われた福祉政策の影を語った後、Jose Jowel Canuday(アテネオ大学)が「平和の最後の数マイル:ミンダナオ島ザンサモロ地域のジェンダー化された最前線における長期戦争の後に何が起こるのか」という発表を行った。
山城が注目したのは、圧倒的な「恐怖」によって身内を殺してしまった痛みを「語る」ことの苦しみである。「我が子」を助けることが出来なかった「母親」たちの体験を含む沖縄戦の語りが公式の場に浮上したのは、沖縄で死者が神様になると言われる33回忌、つまり1977年以降だった。「法」によって守られない人々も「福祉」の面においては「本土並み」を掲げられるようになり、無国籍児男性のように、何処にも属さずにブラックボックスの中で生きているような人々を生み出す。こうした「戦争」の足跡は、依然として現在進行形であることが示された。
Canudayは、ミンダナオ島で半世紀も続く「戦争」状況における「ジェンダー化」された日常に焦点を当てる。銃後を支える役割を女性に任された村社会は、避難や紛争により自然災害に備えることが出来ず、洪水や干ばつ被害を余儀なくされる。農業中心の生産構図を保つ事が出来ず、子どもの栄養失調の高さに影響を及ぼす。1970年代には、バンサナモ地域は分離主義勢力の拠点および東南アジアで活動するテログループの潜伏地と報告され、アメリカのグローバルな対テロ戦争の警戒地域に設定された。
本セッションのポイントは、「戦争とジェンダー」が2025年現在、私たちのすぐ近くに存在している点である。無国籍児にしてもバンサナモの状況にしても、目に見えない形となっている人々への暴力は現在進行形で、特定の人々の移動する権利を奪い、教育を受け、就職し、住まいを構える当たり前の「日常」を制限している。
多様性からなる提言、一枚岩ではないアクションを探って
最後のセッションは活動と未来に焦点を当てたパネルで、20代の大学生、活動家が中心となって議論する場として設定された。沖縄で繰り返される米軍による性犯罪、その基地暴力の問題を国連の女性の地位委員会に訴えた沖縄キリスト教学院大学の在学生(徳田彩)・卒業生(松田明)が経験から学んだものを中心に報告した。沖縄大学の在学生(中塚静樹)は、沖縄戦体験者とのかかわりの中で学んだもの、沖縄に住む大学生として日々の学びのなかで感じた問題認識を発表した。さらに、同年代のタイの学生活動家Memee Nitchakarnが、軍事クーデターや戒厳令が繰り返し行われ、民主化運動のさなかにあるタイの状況を報告した。
若者たちの発表の後、第1、第2セッションで発表した沖縄の活動家たちから、30年前に国際の現場で沖縄戦から米軍基地に連なる暴力の現状を訴えた経験などのコメントが相次いだ。登壇者の大学生たちからは「戦争の記憶が薄れていく中で、若者たちへ寄せられる『頑張ってね』という言葉は時には励みではなく重荷に感じる」との本音が発せられた。この涙ぐんだ若い大学生のつぶやきが、まさに、「暴力に抗する他者の眼差し」と題した基調講演での冨山の問題提起に戻り、私たちへ省察を促したような気がする。私たちが語っている言葉が、実は暴力にさらされている人々を黙らせ、「言葉が後方に退き暴力がせりあがってくる状況」を容認しているかも知れない。
今回のシンポジウム自体が、時間軸では取り上げられない<戦後>という提起、それをジェンダー視点で議論していくという多少無謀に近い挑戦であったが、沖縄という<場の力>によって一つの言霊ははっきり共有されていったのではないか。登壇者が提起する「暴力」から、身の回りに起きている様々な状況に思いをめぐらし、「暴力」が表れる際の類似性に驚きながら、一定の緊張感を保ちながら聞いて、感じて、考えさせられる場となった。
当日の写真
報告文のフルバージョン
洪玧伸「沖縄から『アジアのジェンダーと暴力』につながる可能性を探るということ」
<洪玧伸 (ほん ゆんしん) HONG Yun-shin>
韓国ソウル生まれ。早稲田大学で博士号(国際関係学)を取得。現在、沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学准教授。著書に、『沖縄戦場の記憶と「慰安所」』(インパクト出版会、改訂版2022年)Comfort Stations as Remembered by Okinawans during World War II (Brill、2020)、共著に『戦後・暴力・ジェンダーⅠ:戦後思想のポリティクス』大越愛子・井桁碧編(青弓社、2005年)『戦後・暴力・ジェンダーⅢ:現代フェミニズムのエシックス』大越愛子・井桁碧編(青弓社、2010年)『現代沖縄の歴史経験』森宣雄・冨山一郎編(青弓社、2010年)編著に『戦場の宮古島と「慰安所」-12のことばが刻む「女たちへ」』(なんよう文庫、2009年)、などがある。沖縄の歴史とジェンダー、日本軍「慰安婦」問題、戦時性暴力などを専門とし、多角的な視点から研究を進めている。
-
2025.11.20
2025年9月11日から16日にかけて、沖縄の地で「第78回SGRAフォーラム/第5回アジア文化対話/第611回沖縄大学土曜教養講座」が、「アジアにおけるジェンダーと暴力の関係性」のテーマで開催されました。今回のエッセイでは、印象に残った14日からの宮古島スタディツアーの報告をします。
今回のスタディツアーは、SGRAによる「第5回アジア文化対話」の一環として、戦後80周年という歴史的な節目に実施されました。世界各地から集まった研究者や活動家たちが、二度と戦争と暴力を繰り返さない未来を希求しながら、沖縄という地で対話と学びを深めるかけがえのない機会です。舞台となった宮古島は、沖縄本島から南西に約300km離れた位置にある離島で、太平洋戦争末期には地上戦こそ免れたものの、日本軍による飛行場建設や住民の強制疎開が行われ、朝鮮人労務者や「慰安婦」とされた女性たちが多数送り込まれた場所でもあります。戦後は米軍統治を経て、現在では自衛隊の基地が次々に建設されるなど、南西諸島防衛の最前線として軍事的要所となっています。
ツアーを企画した沖縄大学の洪玧伸(ホン・ユンシン)先生は、長年にわたり宮古島をフィールドとして慰安婦の記憶を丹念に辿ってきた研究者です。その洪先生の案内のもと、慰安婦たちが日常的に歌っていた「アリラン」の歌声をたどりながら、草むらの奥に眠る小さな井戸や忘れ去られた碑を一つひとつ訪ね、80年前の歴史と静かに向き合う旅となりました。島内をバスで移動する際にはいくつもの自衛隊施設の前を通り、その急速な軍事化の進行を肌で感じました。その景色からは、島の人々が日常的に戦争や暴力の影と隣り合わせに生き、必要とあらば国家に見捨てられ、いわば「disposable(廃棄されうる存在)」としての不安を抱えている現実が浮かび上がりました。80年前に終わったはずの戦争、あるいは冷戦という過去のはずの出来事が、ここ宮古島ではいまだに現在進行形の問題として存在している、そんな実感を胸に刻む体験となったのです。
参加者はまず宮古島市平良の公民館で開催されたシンポジウムに出席しました。オランダから参加した近代東アジア史の研究者K・W・ラドケ氏と韓国で長年慰安婦問題に取り組んできた梁絃娥(ヤン・ヒョナ)氏が講演し、戦時中宮古島に連行された女性たちの証言調査や、現在の東アジアにおける軍事化とジェンダー問題について報告がありました。地元の聴講者も交え、活発な意見交換が行われ、宮古島でこのような国際対話の機会が持たれた意義を実感しました。
シンポジウムの後、宮古島の「アリランの碑」の前で、地元の定例行事となっている「慰霊と平和を祈念するつどい」に参加しました。この「アリランの碑」は、かつて宮古島に連れてこられた朝鮮人「慰安婦」たちの記憶を刻むものであり、碑文には日本語や韓国語、英語を含む12か国語で平和への祈りが綴られています。当時、故郷を想いながら日々「アリラン」を口ずさんでいた女性たちの歌声は、やがて島民の耳にも親しまれ、宮古島独自の旋律や歌詞をもつ「アリラン」として受け継がれるようになったと伝えられています。慰安所など実際の「歴史的証拠」がない今では、この宮古島のアリランの歌は慰安婦の存在を証明する「文化的証拠」となったのです。世界各地から集まった参加者たちは、碑の前で静かに手を取り合い、「アリラン」を歌い、平和への祈願を言葉にして交わしました。歌声は時を超え、国境を越えて共鳴し、参加者の胸に深く刻まれる時間となりました。このような記憶の共有と祈りの場は、戦争の傷跡を風化させず、アジアの平和と共生を目指す実践のひとつとして、強く心に残るものでした。
その後、バスは島内を巡りながら、現在の宮古島における自衛隊配備の状況についても案内がありました。近年、陸上自衛隊のミサイル部隊が新設され、島の一角にはミサイル庫やレーダー施設が築かれています。緑豊かなサトウキビ畑の中に突如現れる軍事施設のフェンスを目にし、遠い戦争の記憶が現在の軍事化につながっている様子が肌で感じられました。
15日には、島内各地に残る戦争遺跡をさらに訪問しました。朝鮮人軍夫(従軍労務者)たちが過酷な労働の末に掘り抜いたというピンプ嶺の地下壕跡や、「慰安婦」たちが水汲みに使ったという井戸跡、通称「ツガガー」などを見学しました。雑草に覆われた小高い丘にひっそりと口を開ける井戸を覗き込み、戦時中ここで喉の渇きを癒やされた名も知らぬ女性たちの姿に思いを馳せました。宮古島と隣接する伊良部島を結ぶ全長3.5kmの伊良部大橋を渡り、下地島空港の西側に広がる海岸にも立ち寄りました。沖縄県が管理する同空港は元々パイロット訓練用に建設された滑走路ですが、地政学的に、また近年の国際情勢を受けて、一部軍事利用の可能性も取り沙汰されています。2019年に新ターミナルが開業して定期便が就航してからは利用者が急増していますが、地元では環境保護と観光振興の観点から慎重な議論が続いているとのことで、私たちは透き通る青い海を眺めつつ、平和な島の暮らしを守ることの難しさについて考えさせられました。
一連のフォーラムとフィールドワークを通じて、参加者たちはジェンダーと暴力という問題を多面的に捉え直す貴重な体験を得ました。沖縄という土地で直面した過去と現在、戦争の被害、基地による犠牲、環境破壊への懸念など、それらを実際に見聞きしたことで、机上の議論では得られないリアルな実感が伴いました。戦場の暴力は今も続くグローバルな課題であり、ジェンダー視点が欠かせないとの問題意識が、肌感覚をもって腑に落ちたと言えるでしょう。各国から集った参加者同士の対話を通じ、文化や立場の違いを越えて共感し学び合うことで、暴力の連鎖を断ち切るヒントが見えてきました。とりわけ、宮古島の「アリランの碑」で皆が手を取り合い歌ったひとときは、過去の犠牲を無駄にせず未来の平和を築くために連帯することの大切さを象徴していたように思います。
終わりに、私が心に深く残している小さなエピソードを一つご紹介したいと思います。2025年5月、下見のために宮古島を訪れた際、私はアリランの碑のすぐ隣に、美しく鮮やかな赤い花を咲かせる木を見つけました。地元ガイドの清美さんによれば、この木は今から20年前、アリランの碑が建立されたときに地元の人々によって植えられました。ところが、それ以来一度も花を咲かせたことがなかったといいます。その木が、まさに戦後80周年という節目、そしてSGRAの参加者たちがこの地を訪れる直前のタイミングで初めて花を咲かせていたのです。その姿は、宮古島の土に静かに眠る記憶が、大地を通して鮮烈な色彩となり、私たちに語りかけているかのようでした。「忘れてはいけない」という声なき声が、自然の中に確かに息づいているように思えました。風に揺れるその花に向けて、戦後80年を越えても、この記憶と願いが咲き続けるように。
当日の写真
<郭立夫(グオ・リフ)GUO Lifu>
2012年から北京LGBTセンターや北京クィア映画祭などの活動に参加。2024年東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻で博士号を取得。現在筑波大学ヒューマンエンパワーメント推進局助教。専門領域はフェミニズム・クィアスタディーズ、地域研究。研究論文に、「中国における包括的性教育の推進と反動:『珍愛生命:小学生性健康教育読本』を事例に」小浜正子、板橋暁子編『東アジアの家族とセクシュアリティ:規範と逸脱』(2022年)、「終わるエイズ、健康な中国:China_AIDS_Walkを事例に中国におけるゲイ・エイズ運動を再考する」『女性学』vol.28, 12-33(2020 年)など。
-
2025.11.19
| 進撃のKカルチャー―新韓流現象とその影響力 |
近年世界的に注目を集めている「韓流」について、まずその成長の経緯を理解し、 男子アイドルグループBTSの事例から、その成功要因を学びましょう。
この動画は、2022年5月にオンラインで開催された「第20回日韓アジア未来フォーラム『進撃のKカルチャー:新韓流現象とその影響力』」の小針進先生の発表「文化と政治・外交をめぐるモヤモヤする『眺め』」と韓準先生の「BTSのグローバルな魅力」を中心にまとめたものです。このフォーラムのレポートは日本語と韓国語で発行されていますので、興味のある方は各言語のレポートをSGRAのウェブサイトからご覧ください。
レポート第100号「進撃のKカルチャー―新韓流現象とその影響力」
◆ 台本:尹 在彦
◆ 動画構想:尹 在彦
◆ 動画編集:ジ ソヨン
※本動画はAI音声を使用して制作しています。
©️Copyright:関口グローバル研究会, 2025.
-
2025.11.19
SGRAレポート第114号
第76 回SGRA フォーラム
「中近東・東南アジアからみる日本と暮らす日本:それぞれの視点で考える」
2025年11月21日発行
<フォーラムの趣旨>
中近東や東南アジアでアニメ・マンガなど日本のポップカルチャーへの関心が急上昇している。日本語学習のきっかけとなることも多い。トルコ語に翻訳された日本のアニメや漫画が飛躍的に増えているように、日本ポップカルチャーはブームだ。日本研究においても、これらの地域でなぜ日本文化の受容が広がっているのか、なぜ若者が日本語に特別な関心を持つようになったのかをもっと議論すべきであろう。
一方、日本には中近東や東南アジアの国々から来た多くのイスラム教の移住者がいるが、日本語や文化、教育の環境に順応しようとしながら生活する中で、さまざまな困難に直面している。まずは言語の壁や文化的な違いによる摩擦が大きな課題だ。また、日本で生まれ育った子どもたちにとっては、自らのルーツに基づくアイデンティティーや宗教教育に関する問題も浮上している。
フォーラムでは、こうした課題に焦点を当て、第1部では中近東の日本語教育と日本研究を考える。第2部では、日本文化の受容と日本語教育を内側から議論をするために日本社会と共生する外国人コミュニティー、特に、イスラム文化圏から来た移民が直面する問題を深く掘り下げ、具体的な努力や解決策を模索する場とした。
中近東や東南アジア地域における日本文化の需要を外側と内側からとらえることにより、今日の世界における日本のソフトパワーの位置づけが可能になるだろう。
<もくじ>
開会挨拶
角田英一(渥美国際交流財団)
トルガ・オズシェン(COMU)
ムザッフェル・オズレミル(COMU)
【第1部】 中近東の若者にとっての日本語学習と日本文化
[発表1] トルコに於ける日本語教育と学習者の最初の混乱:カタカナ
レベント・トクソズ( テキルダー・ナムク・ケマル大学(NKU))
[発表2] トルコの若者のアニメとマンガ関心:現実逃避、別世界とアイデンティティー
チェリッキ・メレキ(COMU)
[発表3] イランの若者と日本語・日本文化:メディア、教育、就職、そして未来展望
アヤット・ホセイニ(テヘラン大学)
[討 論] 中近東の日本語・日本文化イメージを再考察する
司会:岩田和馬(東京外国語大学)
オンラインQ&A:シェッダーディ アキル(慶應義塾大学)
指定討論者:
孫 建軍(北京大学)
市村美雪(COMU)
ショリナ ダリヤグル(筑波大学)
討論者:
レベント・トクソズ(NKU)
チェリッキ・メレキ(COMU)
アヤット・ホセイニ(テヘラン大学)
【第2部】 日本におけるイスラムコミュニティーの日本文化受容と日本語教育
[発表4] 在日の中東出身者における日本語習得過程の変容と影響要因に関する考察
アキバリ・フーリエ(神田外国語大学)
[発表5] 在日インドネシアコミュニティーと多文化共生:イスラム教育を中心に
ミヤ・ドゥイ・ロスティカ(大東文化大学)
[討論・質疑応答] 日本の国際化の中の外国人コミュニティーを再考察する
司会:シェッダーディ アキル(慶應義塾大学)
オンラインQ&A:岩田和馬(東京外国語大学)
指定討論者:
ゲンチェル・バルオール・ゼイネップ(パムッカレ大学(PAU))
チャクル・ムラット(関西外国語大学)
討論者:
レベント・トクソズ(NKU)
チェリッキ・メレキ(COMU)
アヤット・ホセイニ(テヘラン大学)
アキバリ・フーリエ(神田外国語大学)
ミヤ・ドゥイ・ロスティカ(大東文化大学)
登壇者略歴
あとがきにかえて
チェリッキ・メレキ(COMU)
-
2025.11.19
SGRAレポート第113号
第75 回SGRAフォーラム/第45 回持続的な共有型成長セミナー
「東アジア地域市民の対話
国境を超える地方自治体・地域コミュニティ連携構想(LLABS)の可能性を探る」
2025年11月19日発行
<フォーラムの趣旨>
地理学的にいえば、「東アジア」は、北東アジア(日本、中国、韓国)と東南アジア(ASEAN 加盟国)の双方から構成され、「多様性の中の調和」原則の現出ともいえる「東アジア統合」というASEAN+3 のビジョンを共有している。東アジアはこのビジョンに向けて大きな前進を遂げたが、近年中国が関わる出来事がこのビジョンに向けた地域の進歩を頓挫させていることも否定できない。
国境を超える地方自治体・地域コミュニティ連携構想(Local-to-Local Across Border Schemes、以下LLABS)は、渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)とフィリピン大学ロスバニョス校(UPLB)経営開発学部(CPAf )のさまざまなコラボレーションとして、フェルディナンド C. マキト博士が主導する「持続可能な共有成長セミナー」を通じて生まれた。UPLB チームは、フィリピン内務省の地方政府アカデミーと地方自治省のために LLABS 研究プロジェクトを実施した。
本フォーラムでは、桜美林大学グローバル・コミュニケーション学群とSGRA の協力によって、従来主にフィリピンで検討されてきた LLABS構想について、北東アジアの研究者と一緒に議論し、その実現の可能性について探ることを目的とした。
会場とオンラインのハイブリッド形式で開催し、共催のフィリピン大学オープンユニバーシティを通じて広くオンライン参加者を募った。
<もくじ>
【開会挨拶】 李 恩民(桜美林大学)
【基調講演】 国境を超える地方自治体・地域コミュニティ連携構想(LLABS)の概要と意義
フェルディナンド C. マキト(フィリピン大学オープンユニバーシティ)
【討論1】 ASEAN+3と日本。LLABSの可能性コミュニティ連携
─成長のトライアングルと移民(中華街・カレー移民)に見る教訓─
佐藤考一(桜美林大学)
【討論2】 ASEAN+3と日本。LLABSの可能性
東北アジア地域における越境開発協力および地域自治体協力枠組み─中国を事例に─
李 鋼哲(東北亞未来構想研究所(INAF))
【討論3】 ASEAN+3と日本。LLABSの可能性
国際レジーム形成における韓国地方政府の取り組み─日中韓地方政府交流会議を事例として─
南 基正(ソウル大学日本研究所)
【討論4】 ASEAN+3と日本。LLABSの可能性
政治的制約を超える台湾と東南アジア「非政府間」の強い結びつき
林 泉忠(東京大学東洋文化研究所)
【市民の意見】
フィリピン市民の意見─LLABSとフィリピンの視点─
ジョアン V. セラノ(フィリピン大学オープンユニバーシティ)
インドネシア市民の意見─LLABSとインドネシアの視点─
ジャクファル・イドルス(国士舘大学)
タイ市民の意見─LLABSとタイの視点─
モトキ・ラクスミワタナ(早稲田大学)
【自由討論】
総合司会: ブレンダ・テネグラ(アクセンチュア)
進 行: フェルディナンド C. マキト(フィリピン大学オープンユニバーシティ)
発 言 者:(発言順):
南 基正(ソウル大学日本研究所)
林 泉忠(東京大学東洋文化研究所)
佐藤考一(桜美林大学)
李 鋼哲(東北亞未来構想研究所(INAF))
ジョアン V. セラノ(フィリピン大学オープンユニバーシティ)
ジャクファル・イドルス(国士舘大学)
モトキ・ラクスミワタナ(早稲田大学)
【総括にかえて】 平川 均(名古屋大学名誉教授)
【閉会挨拶】 今西淳子(渥美国際交流財団)
登壇者略歴
あとがきにかえて
─フェルディナンド C. マキト(フィリピン大学オープンユニバーシティ)
-
2025.11.16
SGRAレポート第112号(日中合冊)
第18回SGRAチャイナ・フォーラム
「アジア近代美術における〈西洋〉の受容」
2025年11月16日発行
<フォーラムの趣旨>
2023年に開催した「東南アジアにおける近代〈美術〉の誕生」では、日本における東南アジア美術史の第一人者である後小路雅弘先生(北九州市立美術館館長)を講師に迎え、いまだ東北アジア地域では紹介されることが少ない東南アジアにおける近代美術誕生の多様な様相について学んだ。その続編として今回は、初期の東南アジアの美術家にとって重要な存在であったゴーギャンを取り上げ、東南アジア近代美術において〈西洋〉がどのように受容され、そこにどのような課題が反映していたのかを考察した。
<もくじ>
【開会挨拶】
周 異夫(北京外国語大学日本語学院/日本学研究センター)
野田昭彦(国際交流基金北京日本文化センター)
【 講 演 】 アジア近代美術における〈西洋〉の受容 ─東南アジアのゴーギャニズム8後小路雅弘(北九州市立美術館)
【 指定討論1】 王 嘉(北京外国語大学)20世紀初期ベトナム近代美術教育について
【 指定討論 2】 二村淳子(関西学院大学)ゴーギャンにおけるベトナム、ベトナムにおけるゴーギャン
【自由討論】
モデレーター:林 少陽(澳門大学歴史学科/SGRA/清華東亜文化講座)
発 言者: 後小路雅弘(北九州市立美術館) 王 嘉( 北 京 外 国 語 大 学 )、二村淳子(関西学院大学)
【閉会挨拶】 王 中忱(清華東亜文化講座/清華大学中国文学科)
講師略歴
あとがきにかえて 李 趙雪(南京大学芸術学院)
-
2025.11.13
2025年10月17日、台湾・台北市の東呉大学外雙溪キャンパスにて、同大学東アジア地域発展研究センターとの共催で「第12回日台アジア未来フォーラム/2025年東呉大学東アジア地域発展研究センターUSR国際シンポジウム」が開催された。
「大学と地域社会の未来」をテーマに、グローバルな潮流のなかで再定義される大学の社会的責任(University Social Responsibility, USR)を、台湾、日本、そして欧州の知見から、教育・研究・地域連携の多角的な視点で再考することを目的とした。オンライン併用で実施され、各地から多様な研究者・教育関係者が登壇。北海道ニセコ町教育委員会や地域コミュニティ訪問団をはじめ、東呉大学教職員・学生ら延べ100名を超える聴衆が参加し、活発な質疑応答が交わされた。
開会式では、東呉大学の王世和副学長が歓迎の辞を述べ、大学が地域社会に積極的に関わる意義を強調した。続いて、SGRA代表の今西淳子氏が2011年以来のフォーラムの歩みを振り返りながら、台湾側との長年の協働と友情に深く謝意を表した。最後に東呉大学外国語学部長であり東アジア地域発展研究センター長を務める羅濟立教授が、学術と地域実践をつなぐ新たな連携モデルへの期待を語った。
基調講演
午前のセッションでは、麗澤大学大学院の山川和彦教授が「地域社会の持続と観光学2.0 ― 共創するまちづくりに向けて」と題して基調講演を行った。座長は徐興慶講座教授(東呉大学)が務めた。
山川教授は、観光を単なる経済振興の手段としてではなく、文化・環境・教育を結ぶ「共創的学習の場」として再構築する「観光学2.0」の視点を提示した。現代社会が抱える環境問題や地域格差、文化継承といった複合的課題に対して、大学は知識の提供者にとどまらず、地域と共に学び、共に課題解決を探る「共創的学習のプラットフォーム」としての役割を果たすべきであると力説した。特に、地域住民・行政・大学が対等な立場で地域価値を創り出す「学びの循環モデル」の意義を、千葉県や北海道などでの実践事例を交えて紹介。地域資源の再発見と住民主体の物語づくりを支援する大学の新たな関与の形を提案した。
徐教授は「山川教授の議論は、観光を『学問』としてだけでなく、『地域の人々と共に未来を構想する実践の知』として捉える重要性を示した」と総括。台湾各地で展開されている大学のUSR活動との親和性を指摘し、「日本と台湾がそれぞれの地域で積み重ねてきた実践を往還させることが、アジアにおける共創型地域学の新たな可能性を開く」とコメントした。
招待講演
午後は二つの招待講演が行われ、大学の地域貢献および国際的な社会連携の実践について多面的な報告を行った。
国立台湾海洋大学・楊名豪助理教授
楊助理教授は「国境を越える関係人口の創出―日台大学協働の試み」と題し、日台の大学が連携して地域社会と関わる実践例を紹介。特に北海道ニセコ町と台湾北部地域を結ぶ地域創生プロジェクトを中心に、学生が現地調査・交流・共同企画に主体的に参加する「体験型USR教育」の具体的な成果が報告された。
大学の教育機能と地域貢献を融合させたカリキュラム設計が、学生の主体性をいかに引き出し、地域に新たな視点を提供したかを詳細に解説。自治体・企業・市民団体との円滑な協働プロセスも具体的に示された。楊助理教授は、大学が越境的な「関係人口」形成の媒介として、文化や経済の交流促進において重要な役割を担うことを強調し、継続的な国際協働の意義を提示した。
オックスフォード大学・オリガ・ホメンコ博士( Olga Khomenko)
続いて行われたオンライン講演では、オリガ・ホメンコ博士(オックスフォード大学グローバル地域研究学科)が「Universities as Civic Actors: Lessons from Ukraine and Europe for Taiwan」と題した発表で、ウクライナおよび欧州各国における大学の「シビック・エンゲージメント(市民的参画)」の事例を比較分析し、大学が社会の信頼と民主的価値を支える「市民的主体」として機能している現状を示した。
特に戦争下のウクライナでは、大学が人道支援や避難者支援の拠点となり、知識の場であると同時に「生存と連帯の拠点」として地域を支えているという特異な事例を紹介。また、英国やベルギー、フランス、ドイツ、スウェーデンなど各国の大学が、市民参加型の教育、地域開発、SDGs推進といった多様なモデルで社会的役割を拡大している事例分析を踏まえ、「大学はもはや中立的存在ではなく、社会に根ざした公共的機関である」と結論づけた。その上で、台湾の大学がこれらの欧州における「市民的主体」としての国際的経験を活かし、長期的かつ体系的な市民連携モデルを構築する可能性に言及した。
パネルディスカッションと実践的交流
パネルディスカッションでは、東呉大学王世和副学長を座長に、同大学汪曼穎教授(心理学科)、張綺容副教授(英文学科)、李泓瑋助理教授(日本語文学科)、施富盛助理教授(社会学科)が登壇。「USRの現況と展望―マクロからミクロへ」をテーマに、東呉大学が士林・北投地域で展開している多様な地域連携活動を題材に議論が進められた。登壇者からは、心理学的支援、社会調査、言語文化交流など、各専門分野における分野横断的な実践が具体的に報告された。学生の主体的参加を促す教育方法や、地域パートナーシップの持続性を確保するための財源・組織運営モデルなどが詳細に検討され、大学と地域社会のより強固な連携に向けて活発な意見交換が行われた。
フォーラムには、北海道ニセコ町教育委員会および地域代表団のメンバーも会場で参加し、教育現場や地域活性化に関する具体的な意見交換や助言がなされた。質疑応答では、参加者から大学と地域社会の協働の在り方や行政との連携枠組み、次世代育成への波及効果など、多角的な質問が寄せられ、終始熱気に包まれた議論が展開された。
総括と展望
閉会式には中央研究院の藍弘岳研究員(渥美国際交流財団台湾同窓会会長)および本フォーラムの企画・運営を担った張桂娥副教授(東呉大学日本語文学科・東アジア地域発展研究センター諮問委員)が登壇。渥美財団台湾奨学生のこれまでの社会貢献の歩みを紹介するとともに、それぞれの所属機構が地域社会の信頼と連携の要として果たしてきた努力と成果を温かく振り返った。
また、学術研究と社会実践を結びつけることの現代的意義を改めて共有し、台日双方の参加者・関係者への深い感謝を込めつつ、今後も国際的ネットワークを通じて学び合い、共に成長していくことを呼びかけた。
今回のフォーラムは、台湾、日本、欧州という異なる地域を結びつけながら、大学の社会的責任を「共創」「市民的主体」「越境的連携」という新たな視点から再定義し、地域創生・市民連携・国際協働の新たな地平を開いた点で極めて大きな意義を有する。渥美国際交流財団は今後も、大学・地域・市民社会のあいだに生まれる知の循環と実践の連携を力強く支え、アジアにおける持続可能な学術文化の発展に寄与していくつもりだ。
当日の写真
<張 桂娥(ちょう・けいが)Chang_Kuei-E>
台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本語教育、翻訳論。現在、東呉大学日本語文学科副教授。授業と研究の傍ら、日台児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。
-
2025.10.22
下記の通りSGRAチャイナフォーラムをハイブリッド形式で開催いたします。会場でもオンラインでも参加ご希望の方は、事前に参加登録をお願いします。
テ ー マ:「『琳派』の創造」
日 時:2025年11月22日(土)午後3時~5時20分(北京時間)/午後4時~6時20分(東京時間)
会 場:北京大学外国語学院新楼501(オンラインとのハイブリット開催)
言 語:日中同時通訳
共同主催:渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)
北京大学日本文化研究所
清華東亜文化講座
後 援:国際交流基金北京日本文化センター
協 賛:鹿島建設(中国)有限公司
※参加申込(リンクをクリックして登録してください)
★会場参加者の事前申請は締め切りました★
(参加方法に関わらず参加用URLが届きます。会場参加の方は当日会場にお越しください。)
(会場参加を希望する方で北京大学関係者以外の方は、事前に北京大学への入校申請が必要となりますので、フォーラム参加登録時に必要事項の入力をお願いします。登録いただいた情報をもとに事務局でまとめて申請します。なお、事前入校申請受付は11月18日(火)で締め切ります。(締め切りを過ぎた場合はオンラインでご参加ください。)当日は、北京大学のキャンパスに入校する際に身分証明書(中国籍の方はID、外国籍の方はパスポート)の提示が必要です。忘れずにお持ちください。)
お問い合わせ:SGRA事務局(
[email protected] +81-(0)3-3943-7612)
◆フォーラムの趣旨
公益財団法人渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)は、2007年から毎年、北京を中心とした中国各地の大学等で、日本の民間公益団体の主宰者を招いてSGRAチャイナ・フォーラムを開催してきた。2014年からは趣向を変え、清華東亜文化講座のご協力をいただき、中国在住の日本文学や文化の研究者を対象として、東北アジア地域の近現代史を「文化と越境」をキーワードに議論を重ねている。本年も、これまでの成果を踏まえながら、「東アジアにおける広域文化史」の可能性を探る。国立近代美術館の学芸員を長く務められた古田亮先生(東京芸術大学 大学美術館教授)をお迎えし、「琳派の創造」をテーマに、西洋の影響を受けて近代に創られた美術史の言説について考察する。日中同時通訳付き。
◆プログラム
総合司会:孫 建軍(北京大学日本言語文化学部/SGRA)
開会挨拶:野田昭彦(国際交流基金北京日本研究センター所長)
講演:古田 亮(東京芸術大学 大学美術館)「『琳派』の創造」
指定討論
討論者:戦 暁梅(国際日本文化研究センター)
中村麗子(東京国立近代美術館)
董 麗慧(北京大学芸術学院)
自由討論
モデレーター:林 少陽(澳門大学歴史学科/SGRA/清華東亜文化講座)
閉会挨拶:王 中忱(清華東亜文化講座/清華大学中国文学科)(予定)
◆講演内容
古田 亮(東京芸術大学 大学美術館)「『琳派』の創造」
「琳派」は、一般に日本美術史上に現れた流派の一つととらえられている。江戸時代初期に活躍した俵屋宗達や本阿弥光悦らによってつくられ、尾形光琳や酒井抱一によって受け継がれて近代に至ると説明されることが多い。しかし、実際には二つの点で間違っている。一つは、その間に「琳派」と名乗った画家は一人もいないこと。つまり、尾形光琳の「琳」に由来するこの用語は光琳以前に存在しなかっただけでなく、光琳自身も使わず、抱一の時代にもなかった。「琳派」という用語は近代に創造されたのである。もう一点は、江戸時代の宗達、光琳、抱一には直接の師弟関係も、狩野派のような流派としての家のつながりもない。光琳は時代を超えて宗達を発見し、抱一もまた時代を超えて光琳を発見した。その関係は私淑というべきものであった。
一方、「琳派」が近代に創造されたと言うとき、それは学術研究の結果ではなかった。歴史に沿って宗達、光琳、抱一という流れが初めから認識されていたのではない。まず、明治時代後半(19世紀末)、ジャポニスムに端を発してヨーロッパから〈日本らしい装飾芸術〉として光琳が注目された。ついで大正時代に、個性主義という20世紀初めの芸術観のもとに宗達の芸術が再評価された。本発表では美術史家よりもむしろ近代美術の同時代のムーブメントのなかで「琳派」という伝統がつくりあげられていったことを明らかにする。
※プログラムの詳細は、下記リンクをご参照ください。
日本語版
中国語版
中国語版ウェブサイト