安全保障・世界平和

21世紀を迎えた東アジアは、何よりも相互理解と信頼、そして平和の枠組みが求められています。本研究チームは、今まで互いの信頼と理解を損なう要因は何だったのか、さらにこの地域において安全保障と平和への道とは何だろうか、という課題に取り組んでいます。
  • エッセイ643:林泉忠「第13回SGRA-Vカフェ『ポストコロナ時代の東アジア』を終えて」

      2020年7月18日の第13回SGRA-Vカフェ「ポストコロナ時代の東アジア」は定員の100名を超える申し込みがあり、予想以上に多くの第一線で活躍されている大物の学者や各新聞社の編集・論説委員などが参加してくださった。そして活発な議論が行われ、大盛況で無事に終わった。終了後、主催側の今西さんから「大成功でしたね」というコメントを頂き、ホッとした。皆様のご厚情に心より感謝を申し上げたい。   今回のSGRAカフェは自分にとって3回目ではあったが、今までと比べて二つの特徴が挙げられる。   その一つは、やはり初めてのバーチャル講演という試みだった。そのため、今回はこれまでの12回と異なり、「カフェ」の前に初めて「V」が付けられていた。コロナ禍の影響で、実際に人が集まる講演が難しい中のやむを得ない選択であった。私は今までに各地で100回以上の講演を行ってきたが、目の前に実在の聴衆がいない「講演」は初めての経験だった。   パンデミックの中、国境を越える人と人の交流が激減し、国内で内向きの生活に集中する現象や、自国の利益を優先する傾向が見られることから、自国第一主義やナショナリズムの温床になることも懸念せざるを得ない、と講演の中でも語った。しかし一方、Vカフェのおかげで国境を越えて遠方の方も参加できるし、普段は多忙な方々も比較的参加しやすくなるため、V活動はコロナ時代に限らず、ポストコロナ時代にも多く見られる人類が経験する新たな交流手段になることも想像し難くない。   今回のカフェの経験から感じたもう一つの特徴は、タイムリーで進行中のテーマということに原因があるが、準備の段階からカフェの日まで予想外に世界情勢が激変し、カフェ参加者の注目点が少々ズレたことが挙げられる。   今回のカフェは3か月前から準備し始め、コロナ禍による東アジアへの影響を分析しポストコロナ時代を展望することだった。しかし、途中、筆者が現在居住している香港において、5月下旬に中国が導入した「国家安全法」が香港に限らず世界を震撼させた。米中対立を加速させ、日本の対中政策も大きく変化させた出来事が起こったのだ。講演の内容は、それによる影響を配慮しながらも本来のテーマに沿って東アジア全体をカバーするようバランスの維持に必死だった。   だが、講演者が住んでいる香港は急速に「米中新冷戦」の最前線になる気配が濃厚になったため、やはり、こちらが参加者の関心の焦点になった。しかし考えてみれば、国際政治の研究は本来、動く世界に注目し進行中の国際社会が注目する問題を取り上げ分析する作業なので、むしろ自然なことであり、国際関係を研究する最大の意義が含まれるイベントだったと思う。   「カフェ」という設定は本来、小規模でリラックスした講演会という位置付けだったが、Vの特徴が働き、予定していたコメンテータの下荒地修二先生(元外交官)や南基正先生(ソウル大学)をはじめ、特にV「懇親会」のコーナーにおいて高原明生先生(東京大学)、松田康博先生(東京大学)、菱田雅晴先生(法政大学)、小笠原欣幸先生(東京外国語大学)など活躍中の諸先生が次々と登場し、示唆に富むコメントをたくさんいただいた。これからのコロナによる世界への更なる影響や、米中新冷戦による東アジアへの波及現象の探究を深めていくには、まさに貴重な交流の機会だったことをあらためて感じている。   最後に、今回の素晴らしい企画において終始、周到にアレンジして下さった渥美財団関口グローバル研究会の今西淳子代表や辰馬夏実さんに深い感謝の意を表させていただきたい。   <林泉忠(りん・せんちゅう)LIM, John Chuan-Tiong> 国際政治学専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年よりハーバード大学リサーチ・アソシエイト、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、香港アジア太平洋研究センター研究員、中国武漢大学日本研究センター長、香港「明報」(筆陣)主筆、を歴任。 著書に『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス:沖縄・台湾・香港』(明石書店、2005年)、『日中国力消長と東アジア秩序の再構築』(台湾五南図書、2020年)など。     2020年8月27日配信
  • 李彦銘「第13回SGRAカフェ『ポストコロナ時代の東アジア』報告」

    今回のカフェはバーチャルカフェ(以下Vカフェ)という形をとり、延べ100名ちかくの参加が実現でき、SGRAカフェ史上最大規模となったといえよう。この成果は「ポストコロナ時代の東アジア」というタイムリーなテーマ、林泉忠先生をはじめとする講師陣、それからバーチャル形式という新しい実現手段の魅力を語ってくれた。   当日のVカフェは講演と懇親会の2部構成となったが、本レポートは講演内容を中心に報告し、懇親会については林先生のレポートに譲ろう。林先生の講演はまず現在の状況に対する見方、つまりグローバル時代の終焉から始まった。その具体例として、グローバルサプライチェーンの断絶や企業の自国内への回帰、人的交流の一時中断とナショナリズムの高揚、またウイルスに対する初動と「香港国家安全維持法」(国安法)の制定・実施をめぐって世界各国の中国に対する不信感が増長していることが挙げられた。   その後は、米中「新冷戦」が顕在化する状況における東アジア各国の関係性の変化について見解が述べられた。日韓にとっては、米中とどのようにバランスを維持していくのかが最大の問題であるが、中国が日韓と米国を分断させる戦略に乗り出している一方で、日韓の間で軋轢の深刻化が止まらない。日中は最近2年間の「疑似蜜月」関係から「中熱日冷」へと転換したと主張され、またこの日中友好の状態は主に中国主導によるものであったが、現在は日本の対中イメージが悪化する一途であり、習近平主席の国賓訪日もあやふやな状態になったと指摘された。中韓関係もまた、中国が主導しているように見え、韓国外交は主体性を持って臨んでいないと指摘された。   ではコロナが鎮静化したら中国の影響力は一気に強まるのか。まず香港に対し、中国政府は英米などの反発や批判を無視して権威主義体制へ移行させるだろう(1997年より以前の香港は行政主導+半植民地)。一方で台湾に対しては、新型コロナウイルス騒動は予想外の効果、つまり大陸と距離を維持することは悪いとは限らないという見方をもたらした。これは北京の「両岸融合」「恵台31カ条」のような急進的な政策による逆効果ともいえよう。これに加えて「香港統制」は台湾にさらなるプレッシャーをもたらし、また香港という緩衝地帯を失う結果、台湾の対米依存はさらに増すだろうという。   以上の議論を踏まえ、ポストコロナの時代は「新冷戦」時代が到来すると講演を結んだ。香港、台湾はこの新冷戦の激戦地になるだろう。11月の米大統領選の結果も注目しなければならないが、米国内では対中政策の合意がすでに出来上がっており、新冷戦はもはや回避できないと予測される。世界は米中2大ブロックに分割されるのか。今後日本に問われるのは主体性がある行動・リーダーシップである。   コメントとしてまず下荒地修二先生から、コロナの問題は国際社会に予想外のことをたくさんもたらし、相互不信もその一部ではあったが、現在はウイルスという共通敵にどう対処すればいいのかという段階に来ているではないかと指摘された。それから日中関係の改善は望まれる方向で、どちらが主導かということは重要ではなく、肝心なのは国際秩序をどのように建設的な方向へ持っていくのかであり、特に大国の間では議論をしなければならないと提起された。   南基正先生からは、ニューオーダー(new_order)としてポストコロナの国際秩序を考えるときに、国際政治のリアリズム理論の枠を超えなければならないと指摘された。コロナ問題によって各国では、アイデンティティ・ポリティックスから脱皮し、人々の生活を中心とする政治を構築する必要があることが浮き彫りになった。アイデンティティ・ポリティックスにこだわる結果、日韓関係には破綻が起るだろう。しかしコロナなど生活を中心とする政治の観点から見れば、ナショナリズムに訴えても問題は解決できない。アイデンティティやナショナリズムに訴えても票にならないことを、コロナは政治家に悟らせたのではないか。また政治家は政権のレガシーとして何を残すのかを考えるべきであり、特にミドルパワーの国々や日韓に期待したいという。   講演部分はここですでに1時間45分になり、一段落となった。個人的な感想は、まず長い時間をかけてさらに議論したい話題がたくさん出て、研究者として非常に興味深い集まりであった。もう一つは、一人の市民として、今後の国際秩序をどう展望し、そしてどう行動していけばいいのか、という大きな課題を改めて考えさせられたことである。一個人の力は本当に小さいものであり、そして懇親会でも指摘されたように、個人にとってアイデンティティは容易に越えられるものではない。まして政治情勢や情報制限、マイナスの歴史といった「人的操作」を受ければ、恨みや偏見が生まれやすい。しかしそこであきらめていいのか。この半年の間、外出自粛や会合自粛のなか、私も自分自身が閉塞感を感じたり事を悲観的にとらえやすくなったと感じたりしたが、そのバイアスで見落としてきた積極的な要素も現実に存在するのではないか。   当日の写真   <李彦銘(リ・イェンミン)LI_Yanming> 専門は国際政治、日中関係。北京大学国際関係学院を卒業してから来日し、慶應義塾大学法学研究科より修士号・博士号を取得。慶應義塾大学東アジア研究所現代中国研究センター研究員を経て、2017年より東京大学教養学部特任講師。       2020年8月20日配信
  • エッセイ636:林泉忠「香港の『国家安全法』から窺える台湾への啓示」

      (原文「香港『國安』變局對台灣的啓示」は『明報』筆陣(2020年5月25日付)に掲載。平井新訳)   感染症がいまだ終息しておらず、香港の「『逃亡犯条例』改正論争」もまだ依然として終わりをみせないなか、北京が「全人代」開催を機に疾風迅雷のごとく「香港国家安全法」を提起したことで、香港情勢は急転直下、重大な局面を迎えている。中国政府の香港および台湾に対する政策は完全に同じとは言えないまでも、台湾に対して「一国二制度」を長年の統一戦略として掲げてきたのと同様に、中南海の対香港および対台湾の考え方と戦略は常に一定程度連動してきた。この度の「香港国家安全法」は、北京の中央政府と香港特別行政区との関係を徹底的に明確化させることになった。そして、その衝撃は間違いなく台湾にも波及し、両岸関係の未来を展望するにあたって、無視できない新たな変数となるだろう。     ◯香港・マカオと台湾を区別しない中国の「国家安全保障観」   「香港国家安全法」が明らかにした重大な意義は、二つに大別できる。そしてこの二つの意義に共通しているのは、北京政府の国家統治に対する考え方からすれば、香港・マカオ地区と台湾地区との間に、どのようなバージョンの「一国二制度」が敷かれようとも、本質的な違いは存在しないということである。   まず、「香港国家安全法」の制定によってはっきりしたのは、国家主権と国家の安全保障に係る議題において、北京政府としてはいかなるあいまいさも交渉の余地も存在しないことである。そして「国家主権」と「国家の安全保障」の定義は、70年来改変されたことのない、「全体主義」から導かれる「権力至上主義」の考え方に基づいている。   確かに、欧米のような西洋国家を含む世界の大部分の国家には、どこでも国家安全保障に関連した法律が存在する。重要なのは、民主主義国家ではたとえ反与党・反政府ないし一部地域の独立を要求する言論および出版物が出現したり、さらには独立を要求する団体が設立されたとしても、政府を転覆させるための行動計画を立てない限り違法ではなく、言論、報道、出版、結社などの公民権を含む、憲法が保障する個人の自由を享受できる点である。   日本の沖縄を例に挙げれば、沖縄県では政府に抗議する大規模な集会が常に行われているだけでなく、独立を要求する団体・党派も存在している。そのメンバーの中にはかつて選挙に出馬した者もいるが、彼らの政治的主張を理由にして政府から立候補資格が香港のようにはく奪されたことはない。そして、米軍基地への反対を含む中央政府の政策に反対する出版物や、沖縄の独立・自立を主張する書籍でさえ書店に並んでいるばかりか、公立図書館にも所蔵されている。日本政府はこのような主張や活動に対して、国家安全保障に関連した法律を以ってこれを罪であるとすることはないのである。   しかし、1949年以降の中国で実施されたのは、共産党の一元的な指導によるレーニン主義政治体制である。そして、共産党が掌握した権力および社会に対する統治能力は、政治学的には「全体主義体制」と呼ばれ、台湾の「両蒋時代」における「権威主義体制」とは異なるものである。両者の最大の違いは、当時の国民党政権は市民の思想と行為を完全にコントロールするだけの能力を備えていなかっただけでなく、経済制度ないし社会制度に対する完全な管理能力も備えていなかったのに対して、1949年以降の新中国が実施した政治体制においては、これらの能力が備わっていたという点にある。   1980年代の初頭、中英両政府が将来の香港の主権移譲に向けた協議を開始したことで、香港社会はかつてパニックに陥った。悲観派は、「九七」(1997年の香港返還)以降の香港の「大陸化」は不可避であると考えた。一方で、楽観派は大陸の「香港化」の進む速度の方がより早まるだろうと考えた。こうした議論には、鄧小平が当時推進していた「改革開放」の開始直後だったという時代背景もあっただろう。1989年の「六四天安門事件」の後ではあっても、鄧小平はまだ中国が一人一票によって指導者を選出するまでにあと50年はかかると言及していた。こうした言及は、当時の中国の指導者が、将来的には普通選挙制度を含めた政治体制改革を起動するという可能性をまだ排除していなかったことを意味しており、楽観主義者の見立てにとって、ある程度はプラスの判断材料を提供していたと言えよう。   その後の30年にわたり、中国大陸は市場経済の深化および資本主義的な要素の浸透にともない、確実に「香港化」のプロセスをある程度経験した。しかし、中国大陸のガバナンスモデルは、当時の鄧小平が掲げたような、あるいは趙紫陽がかつて模索したような、もしくは多くの香港人が期待したような、「全体主義体制」から民主憲政への方向に向かうことがなかった。大陸側は、むしろ経済の飛躍や国力の増強にともなって、香港のガバナンスに関する議題においては、「大陸化」の進展を加速させることを要求している。   言い換えれば、北京の中央政府が香港に導入している「香港国家安全法」は、香港の「大陸化」の新たなマイルストーンを示しており、それが実質的に内包しているのは大陸が実施する「全体主義体制」の香港への拡張である。したがって、もし共産党統治下の大陸が台湾統一に成功したとすれば、北京の「国家主権観」と「国家安全保障観」に基づき、台湾においても必然的に「台湾国家安全法」の実施が推し進められるだろうと容易に理解できる。     ◯台湾版「一国二制度」にも適用される北京による「全面的管轄権」   「香港国家安全法」が明らかにするもう一つの重大な意義は何か。それは、「一国二制度」において中央政府が「全面的管轄権」を擁する能力を確保しただけでなく、「全体主義体制」および「権力至上主義」の考えを放棄することはできないという前提のもとで、たとえ香港・マカオにおける、あるいは将来的に台湾での実施を想定しているいかなるタイプの「一国二制度」であっても、北京政府が適当な時期にこのメカニズムを起動させ、「中央の全面的管轄権」を達成しようとするのは確実かつ不可避だという点である。   「中央の全面的管轄権」という概念は、もともと香港の『基本法』には見られない文言である。この概念は、2014年に香港で普通選挙が議論されていた折、国務院が6月に発布した『「一国二制度」の香港特別行政区における実践』白書のなかで初めて出てきたものである。とは言え、実際には、基本法のたてつけのなかには、すでに「中央の全面的管轄権」を実施するためのメカニズムがあらかじめ備えられていた。基本法では、基本法の解釈権が「全国人民代表大会常務委員会に属する」(第8章第158条)ことが定められているほか、中央政府が「関係する全国レベルの法律を香港特別行政区において実施する命令を出すこと」も認められている。今般の「香港国家安全法」は、この基本法第18条の規定に基づいており、「全国レベルの法律」である『国家安全法』が基本法の付属文書3に付け加えられたものである。   要するに、北京政府が香港で実施している「一国二制度」は、制度設計上は独自の法律、貨幣、関税特権など香港がもともと有する制度的な特徴を保持しつつ、言論や報道の分野でも一定程度の自由空間を維持することが許されているものの、それと同時に北京の中央政府が最高権力を擁することも保障している。今回、北京政府は香港の立法会を経ずに「香港国家安全法」を直接制定した。ひとたびこの道が開かれれば、将来的には中央政府が必要だと考えさえすれば、この方法に則って大陸が香港に代わって法律を直接制定し、「中央の全面的管轄権」を全面的に実現することができるようになる。   習近平が2019年1月2日に台湾に対して重要な談話を発表した後、北京側の対台湾部門は「台湾版一国二制度」草案の準備を加速させている。枠組み自体が依然として定かではなく、特に統一後の台湾地区の地位をどのように規定するかについてはいまだ明らかにされていない。しかし、はっきりしているのは、たとえその内容が香港・マカオよりも「台湾人民の利益を十分に考慮したもの」であったとしても、香港における「教訓」を踏まえれば、「台湾版一国二制度」が台湾において「台湾国家安全法」を実施することのできるメカニズムを含めた「中央の全面的管轄権」をより明確に確保するものでしかあり得ないということは疑いようもなく確かである。これは台湾側にとって、北京政府の「台湾版一国二制度」を研究し、解釈していくうえで、必ず明確に認識しなければならない重要なポイントである。   「台湾版一国二制度」は、現在、いまだ北京政府の「希望的観測」の段階にあるものの、香港と国際社会を驚愕させた「香港国家安全法」の登場は、「一国二制度」の本質に対する台湾側の認識を、間違いなくより深めることになるだろう。本稿は、「香港国家安全法」に関して、台湾版「一国二制度」構想を含めた「一国二制度」の本質に対する示唆的な意味合いについてのみ論じた。紙幅の都合上、「香港国家安全法」が台湾民衆の心理に与える衝撃や、民進党および国民党の両岸政策を含む台湾の政局に対する影響の分析については、別稿に譲ることとする。   英語版はこちら   <林 泉忠(りん・せんちゅう)John_Chuan-Tiong_LIM> 国際政治専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、中国武漢大学日本研究センター長、香港『明報』「筆陣」主筆を歴任。     2020年6月25日配信
  • 第13回SGRA-Vカフェ「ポストコロナ時代の東アジア」へのお誘い

    SGRAでは、良き地球市民の実現をめざすみなさんに気軽にお集まりいただき、講師のお話を伺い議論をする<場>として、SGRAカフェを開催しています。今年は初めての試みとして、オンラインZoomによるSGRA-Vカフェを開催します。オンライン参加ご希望の方は、事前にSGRA事務局宛てお申し込みください。 みなさまのご参加をお待ちしています。   ◆第13回SGRA-Vカフェ「ポストコロナ時代の東アジア」   日時:2020年7月18日(土)15時~16時30分(日本時間) 参加方法:オンライン(Zoom)による 言語:日本語のみ 会費:無料 定員:100名(人数に達した時点で申込を締め切らせていただきます) 参加申込・問合せ:SGRA事務局 <sgra-office@aisf.or.jp> 申込内容:お名前・居住国/都市・ご所属・Zoom接続用メールアドレスをお送りください。 ※事前参加登録していただいた方に、カフェ前日に招待メールをお送りします。 ※ 事前に Zoom 接続テストをご希望の方は、参加申込メールでお知らせください。担当者よりテス ト日について折り返しご連絡差し上げます。接続方法、ミュート機能の ON/OFF の切り替え、 チャットの見方などについてご不安な方はどうぞお気軽にご連絡ください。   ◇プログラム   14:45 Zoom接続開始 司会:李彦銘 15:00 開会挨拶・講師コメンテーター紹介 15:10 講演:林泉忠 15:50 コメント:下荒地修二、南基正 16:05 質疑応答 16:25 まとめ・閉会挨拶 16:30 終了   講演要旨: 世界を震撼させた2020年の新型コロナウイルスが世界システムをかく乱し、「ポストコロナ時代」の国際関係の再構築が求められる中、東アジアはコロナの終息を待たずに、すでに激しく動き始めている。 コロナが発生するまで、中国のアメリカと日・韓の分断戦略はある程度効いていた。しかし、コロナ問題と香港問題によって「米中新冷戦」が一気に進み、今まで米中のバランスの維持に腐心してきた日韓の選択が迫られる。とりわけ日中の曖昧な「友好」関係の継続はいよいよ限界に達し、日本の主体性ある「新アジア外交戦略」が模索され始めている。 中国による「国家安全法」の強制導入で、香港は一気に「中国システム」の外延をめぐる攻防の激戦地になり、米中新冷戦の最前線になる。香港という戦略上の緩衝地帯を喪失する台湾は、「台湾問題を解決する」中国からの圧力が一段と高まり、アメリカとの安全保障上の関係強化を一層求めることなり、台湾海峡は再び緊迫した時代に入る。「ポストコロナ時代」における「米中新冷戦」が深まっていくことはもはや回避できない。   略歴: 林泉忠(りん・せんちゅう Lim Chuan-Tiong) 国際政治学専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年よりハーバード大学リサーチ・アソシエイト、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、香港アジア太平洋研究センター研究員、中国武漢大学日本研究センター長、香港「明報」(筆陣)主筆、を歴任。 著書に『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス:沖縄・台湾・香港』(明石書店、2005年)、『日中国力消長と東アジア秩序の再構築』(台湾五南図書、2020年)など。   下荒地 修二(しもこうじ・しゅうじ SHIMOKOJI Shuji) 日本の元外交官、中国、韓国などの勤務を経て、駐パナマ大使や駐ベネズエラ大使を歴任。   南基正(ナム・キジョン NAM Ki-Jeong) 専門は戦後日本政治外交。東京大学で「朝鮮戦争と日本― ‘基地国家’ における戦争と平和」の研究で博士号を取得。東北大学法学研究科助教授・教授、韓国・国民大学国際学部副教授、ソウル大学日本研究所副教授を経て、同研究所教授。   李彦銘(リ・イェンミン LI Yanming) 専門は国際政治、日中関係。北京大学国際関係学院を卒業してから来日し、慶應義塾大学法学研究科より修士号・博士号を取得。慶應義塾大学東アジア研究所現代中国研究センター研究員を経て、2017年より東京大学教養学部特任講師。   プログラム詳細およびレジュメ  
  • エッセイ633:林泉忠「日冷中熱??ポストコロナ時代における日中関係の新たな特徴」

      (原文「感染症の流行による日中「疑似蜜月期」の早期の終焉」は『明報』(2020年5月11日付)に掲載。平井新訳)   世界を震撼させた2020年の新型コロナウイルスが世界システムをかく乱し、「ポストコロナ時代」の国際秩序は再建の課題に直面している。このプロセスのなかで最も注目を集めた点は、世界の各ブロックないし各国がいかに中国との関係を調整するかである。本稿ではまず、「ポストコロナ時代」の日中関係に焦点をあてる。   周知の通り、トランプが2017年に大統領に就任してから、アメリカは全面的な「中国封じ込め」の国家戦略を策定した。アメリカは貿易戦争や科学技術競争などを通じて、中国に一歩一歩詰めよっていき、米中関係は日増しに悪化していった。しかし、日中関係は奇しくも「全面的な関係回復」という逆向きの段階を進んだのである。ただし、通常考えられなかった日中の2年間にわたるこの「疑似蜜月期」も、感染症の流行によってもたらされた構造的な衝撃によって、早期の終焉が言い渡されたと言えよう。   ○「蜜月期」から「疑似蜜月期」まで   1972年の日中国交正常化から半世紀近くにわたる日中関係を振り返ってみれば、「蜜月期」と呼べるのは、わずかに1980年代だけであることがわかる。1990年代に入り日中関係は「歴史問題」などの要因によって長年「時好時壊(良かったり悪かったり)」の段階にあった。2010年代には、特に2012年に日本が「尖閣諸島」(中国名:釣魚島)の「国有化」の措置を実施したことによって、日中関係は奈落の底へと転落し、一時期はすわ戦争かという一触即発の事態にまで及んだことすらあった。   そして、2014年11月、日中関係はようやく「雪解け」の契機を迎えた。両国は「4点の原則的共通認識」に達し、部分的な交流を再開させた。しかし、中国は遅々として両国首脳の相互訪問メカニズムを起動させようとはしなかった。2018年に至り、日本は中国に一歩譲って、中国の「一帯一路」に対する態度を軟化させる方向で調整した。その後、中国側も日中関係をようやく「正常軌道へと戻す」方針をとったのだった。   日中両国が全面的な関係回復に踏み出したことは、同年5月の李克強首相の訪日によって示されている。その後、安倍首相もまた10月に正式に訪中することができたのである。しかし、安倍首相側は、習近平国家主席の国賓待遇での正式な訪日が実現したのち、両国の指導者の相互訪問をもってようやく日中関係の「全面回復」と言うことができるという認識だった。そして中国側も、もともと予定されていた習近平国家主席の4月の訪日をより重要視しており、日中首脳会談で「日中新時代」の到来を共同で宣言できることを期待していた。同時に、中国側は、来るべき日中首脳会談の際に、日中双方が両国関係の新時代を象徴する「第五の政治文書」が発表できるよう強く促すことも希望していた。こうして、中国側が主導するこの「疑似蜜月期」の日中関係は、より最高潮に達したのである。     ○「日中友好」における潜在的な脆弱性   両国関係の改善は双方の諸々の利害要素と戦略思考に関わっているが、日中関係がこの2年にわたって「疑似蜜月期」の状況を呈することができたのは、主に中国政府の一方的な新戦略によるものだった。実際、日本側は釣魚島の「国有化」措置をいまだに取り消したりしていないし、また釣魚島付近の「南西諸島」における自衛隊駐屯地の設置を含む日本の防衛力強化の動きを止めたりしていない。   日本側がいまだに重要な課題において譲歩していない状況のなか、中国側は依然として主体的に日本との関係修復を望んでいる。この背景には、まさに「中米新冷戦」の衝撃があり、それ以外の目的はないだろう。つまり、日米が連携して中国を封じ込めることを「分断」し、アメリカ政府の「中国抑制」能力を削るためということである。   要するに、1980年代以降の日中関係で稀にみる「疑似蜜月期」と呼べるこの2年間において、中国政府は「積極的対応」、日本政府は「成り行き任せ」という双方の基本姿勢が形成されたのである。しかし、この「擬似蜜月」が「一方向的」であったというその特徴からも明らかなように、この時期の「日中友好」は潜在的な脆弱性をはらんでいたと言える。こうした脆弱性は、両国関係に関する世論調査にも的確に反映されている。   日本の言論NPOと中国国際出版集団は2005年から日中関係に関する世論調査を共同で実施している。感染症流行前の昨年10月における世論調査の結果では、45.9%の中国人が日本に対して良い印象を持っていると示している。これは2005年の本調査開始以降、中国人の日本への好印象において最高の記録を更新した数字であった。しかし、日本人の中国に対する印象は、日中関係が「正常軌道」へと戻ったことで明らかに改善したとは言い難く、依然として中国に対して「良くない印象」を持つ人の割合は84.7%という高水準にあった。   実際、安倍政権は習近平国家主席の国賓待遇での正式な訪日を積極的に促しているものの、かたや日本国内では中国の最高指導者の訪日を歓迎する雰囲気は盛り上がっていない。   重要なのは、今年起こったこの予想外の新型コロナウイルスの大流行が、中国の対日戦略のあり方を徹底的に混乱させたと同時に、日本側がどうにか維持してきたものの元々脆弱だった「日中友好」の基盤をも動揺させたことである。     ○感染症流行による「日中友好」の基盤の動揺   まず、安倍首相が同盟国アメリカの進める厳格かつ迅速な「制中戦略」の推進という圧力を前にして北京と共に「日中友好」を提唱したのは、自身の(訳者注:「戦後レジームからの脱却」というような)歴史的評価に関わるもの以外に、やはり一番大きな理由は日中間の経済的な緊密関係に基づいていただろう。   しかし、中国から始まった新型コロナウイルスの感染拡大は、安倍政権に中国との経済関係を再考させることになった。4月7日、安倍政権は「緊急事態宣言」を発令し、同時に速やかに「緊急経済対策」の予算を通過させ、感染症流行の影響で危機に瀕しているサプライチェーンの再構築を呼びかけた。そのなかの一項目として、2,400億円もの予算が計上されていたのが、日本企業の生産ラインを中国などから日本国内に戻す、あるいはその生産拠点を東南アジアにまで多元化することを促すためのものであった。安倍政権におけるこうした動向は、明らかに「リスク分散」の考えに基づいたものである。   このほか、感染症流行後の中国経済に対する展望に関し、日本の世論のほとんどは比較的悲観的な見方を有しており、「V字回復」は起こらないと考えている。この点、中国世論の楽観的な態度とははっきりと異なっていると言えるだろう。経団連加盟の企業を含む日本の経済界は、慎重な立場を採っているようだが、こうした世論の雰囲気は、経済界が引き続き中国と緊密な貿易関係を維持するという従来の考え方には明らかな逆風となっている。   次に、中国の感染症への対応について、特に初期の「感染症流行の隠蔽」の疑いや、当局の「不作為」、そして李文亮医師らへの処分などは、日本社会の中国に対する見方をすでに悪化させていた。3月以降、中国がたびたび対外的に「大外宣(大プロパガンダ)」のメディア攻勢を発動したことは、日本メディアからは中国国内の感染症拡大における初動の失態の挽回を試みるものと解釈され、日本社会の中国に対する反感をいっそう増大させた。   さらに、3月以降に新型コロナウイルスが欧米などの西洋国家に広がると、パンデミックの衝撃はアメリカを直撃した。その後、ワシントンは、中国の「感染症の隠蔽」に対する責任追及や、中国への賠償要求などの「中国バッシング」の新政策を打ち出そうとしている。こうした中で「ポストコロナ時代」の米中関係がいっそう険悪なものになるのは想像に難くない。アメリカで「反中」の歩みが加速する情勢下で、日本の「親中」政策に対しワシントンがさらに圧力をかけてくるのは必定であり、ワシントンから日本に向けた銃の引き金に指がかけられたも同然だろう。     ○「日冷中熱」??ポストコロナ時代の日中関係   このような感染症による世界情勢の新たな変化を受けてか、安倍首相もまた中国側と歩調を合わせた形で日中関係の友好局面を維持することが難しいことを悟ったようである。安倍首相は、自身本来のイデオロギー的立場を慎重に抑制するのをやめて、もともとすでに脆弱であった日中関係を維持しようとはしなくなった。中国に対する反感が拡大したのと対照的なのは、日本社会における台湾の防疫に対する高い評価である。1960年代以降、最も親台的であると言える安倍首相も、もはや北京に対する不満を隠そうとはせず、台湾がオブザーバーとして今年のWHO総会に参加することへの支持を機に乗じ高らかに表明した。   一方、北京も安倍首相の日中関係改善へ向けた決心がすでに揺らぎ始めていることを見透かしたようで、憚ることなく日本を牽制する強硬措置に出ている。5月8日、中国海警局の船4隻が尖閣諸島付近の海域に侵入し、操業していた日本の漁船2艘を追尾したため、これに対し日本側は中国に抗議している。日本政府は、5月24日までに尖閣諸島の周辺に41日連続で中国の公船が出現したと発表している。   以上をまとめれば、もともとすでに脆弱だった日中の「疑似蜜月期」は、新型コロナウイルスの感染拡大によって早期に終焉するだろうということである。この判断にもとづき、筆者は、たとえコロナ後の秋になっても、日本側には習近平国家主席がゆったりと訪日できるような友好的な環境はもはや存在しないだろうと考えている。   しかし、米中関係がさらに厳しい状況となれば、中国は「日本を抱き込む」ことで、「アメリカを牽制する」という戦略を維持し、短期的にはこの戦略を放棄しないだろう。したがって、たとえ日本社会の中国に対する「親近感」が新型コロナによって下落したとしても、中国はすでに定まっている「正常軌道に戻」っている対日政策を短期的に全面撤回することはない。したがって、「日冷中熱」を特徴とする「ポストコロナ時代」の日中関係は、比較的長い期間にわたって持続するだろう。   <林 泉忠(リン・センチュウ)John_Chuan-Tiong_Lim> 国際政治専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、中国武漢大学日本研究センター長を歴任。     2020年5月28日配信
  • エッセイ630:林泉忠「「孤立」する台湾がテドロスに「完勝」したワケ?」

      (原文は『明報』(2020年4月20日付)に掲載。平井新訳)   4月8日、WHOのテドロス・アダノム事務局長は記者会見という公開の場で台湾を名指しし、台湾が彼に個人攻撃と人種差別を行なっているという異例の非難を行った。その後、「人から人への伝染」の可能性を警告する昨年12月末の台湾当局からのメールをWHOが無視したのではないかという国際社会からの疑念をめぐって、再度議論が紛糾したために、「テドロスvs台湾」というこの「意外な戦争」はさらに続き、しかも予想外の結果に至ることになった。   最大のポイントは、テドロスが積極的に仕掛けたこの「対等でない戦争」において、一方でテドロス本人に綿密な戦略的思考と有効な対応策の調整が欠けていたことと、また他方では台湾側が巧妙に「借力使力」(てこの原理のように相手の力をこちらの望みを達成するためにうまく利用すること)で立ち回り、自らが得意としている防疫の成功経験をうまく絡めて、機に乗じて“Taiwan_can_help”という国際戦略の大攻勢に打って出たということである。こうして台湾は、国際的な舞台において、ここ数十年で稀に見る高い露出度を獲得し、今回のパンデミックにおける台湾の防疫の優秀さがさらに世界的な注目を浴びるきっかけともなった。WHOの大門をもう一度叩いて開こうとする台湾にとって、これは有利な国際世論の環境づくりに成功したことになる。台湾は、いかにしてこれを成し遂げたのだろうか。     ○テドロスの台湾批判における戦略上の「4つの失策」   言うまでもないことだが、WHOは国際社会が今回の新型コロナウイルスのパンデミックに対応する上で最も重要な国際機関である。しかし、事務局長であるテドロス氏は、この空前の感染爆発の初期には、「あからさまな中国贔屓」と見受けられるいくつもの発言をしていた。1月14日にはまだ「人から人へ」の感染の可能性を否定する声明を発表するなど、この感染症の流行状況に対する数々の「誤った判断」が目立っていたといえる。こうした対応がすでに国際世論の多くの批判を招いていたのであり、テドロスの受けていたプレッシャーが相当なものだったのは言うまでもない。   次第に積み重なっていく国際世論からの批判の荒波の中で、テドロスがついに耐えきれなくなって、WHOの記者会見上で「反撃」を試みたのだろうということは想像に難くない。しかし、テドロスのこの「反撃」は、その問題設定のあり方そのものが、内容、対象、タイミング、状況判断の全てにおいて、成功する策略家であれば犯すことのない過ちを多く犯したことで、国際世論からの再批判という衝撃を受け止める支えすら失った。その結果は、予期していた効果を得られないばかりでなく、かえって台湾に「逆転勝利」のチャンスを与えてしまったのである。     ○テドロスの犯した過ちとは具体的には何だったのか。   第1に、証拠を欠いた非難だったことである。いかなる種類の「反撃」であっても、最も基本的な対応は十分な根拠を持って反論を行うことであろう。しかし、テドロスはただ単に「私に対する侮辱、「黒人」や「黒鬼(黒人であることを蔑んだ呼び方)」などという人種差別的表現を使った私への攻撃」が「台湾からだった」と指弾するにとどまった。確かに、テドロスは「台湾の外交部も、一部の人々が私に対して個人攻撃をしていることを知っていたし、しかもその中(そうした個人攻撃)に加わっていることを否定していない」と述べているが、ついに具体的な論拠を示すことはなかったのである。   第2に、場違いの状況だったことも問題であろう。それは「公私混同」、「公的機関の私的利用」と言われかねないやり方だった。実際、テドロスは、通常のWHOの記者会見の場において突如、彼個人に対する人身攻撃について語り出したが、いじめられていかにも辛そうなその表情を公に晒すことで、「国際機関を管理する指導者としての風格を失った」という印象を世間に与えてしまった。   第3に、タイミングも見誤ったといえる。3月に入って新型コロナウイルスはパンデミックに至り、欧米はまさに日増しに厳しい情勢になっていた。こうした状況において、テドロスが初期に「判断を誤った」とする国際世論の不満はどんどん高まりを見せていた。テドロスが記者会見で台湾を名指しで批判したちょうどその頃、テドロスの辞任を求めるネット上の署名運動に75万人ものネットユーザーが名を連ねていたが、こうした動向は決してそのすべてが台湾によって主導されたものだとは言えないだろう。したがって、こうした自己に不利な状況というタイミングで「反撃」を行ったテドロスが、国際世論の広い支持を得られなかったというのは、はじめから予測可能だったとさえ言えるだろう。   第4に、対象の選び方においても誤っていた。テドロスの「反撃」は、具体的な個人に対するものでもなければ団体に対してでもなく、また非常に具体的な一つの事件に関するものでもなく、一つの政治的な実体としての台湾そのものであり、しかも非難する理由として挙げたのは「人種差別」があったという非常に漠然とした内容であった。実際、テドロスの台湾への「反撃」は、国際世論の支持を取り戻すため以上のものではなかっただろう。しかし、この「反撃」の主体は、テドロスともしくはその秘書を加えた小さなグループがせいぜいのところであり、かたや相手は一つの社会全体である。しかも論拠も証拠も乏しい状況でこうした主張を行えば、相手方からどれほど強烈な「再反撃」の波が押し寄せるか想像に難くなかったはずだ。   果たして、テドロスの「反撃」が招いたのは、まさに台湾社会全体から押し寄せる「反テドロス」の怒号であった。この怒号は、民進党と国民党に珍しく与野党ともに声を合わせて「対外的に一致」する機会を与えただけでなく、島内の人々であれ海外からの留学生であれ皆が一致団結して、テドロスの「事実に沿わない非難」に対して抗議したのであった。     ○台湾はいかにして「借力使力」の「完勝」を成し遂げたのであろうか?   この時、台湾はまさに防疫に成果を上げており、この防疫対応の過程で示してきた台湾の医療技術とイノベーション力が国際社会に評価されていた。民進党当局もこの有難いチャンスを生かして“Taiwan_can_help”の国際キャンペーンを打ち出し、積極的に国際社会との交流協力を通じて台湾の存在感を強化し、台湾の国際的なプレゼンスを高めた。   したがって、テドロスによるあからさまな台湾批判は、むしろ台湾に格好の「当たりくじ」を送ることになってしまった。まず、台湾外交部はすぐさま声明を発表し、「あまりにも無責任な責任転嫁」だとテドロスに抗議し、謝罪を要求した。蔡英文総統もフェイスブック(Facebook)上で立場を表明し、テドロスに抗議するだけでなく、「台湾はこれまでいかなる形式の差別にも反対してきました。私たちは国際組織から長年排除されてきたのであり、差別され孤立するのがどのような気持ちか誰よりもわかっているつもりです」と「借力使力」の対応を示した。さらに、この流れに棹さして、台湾はWHOとの関係が縮まるよう希望しているとし、そしてテドロスに対して「ぜひ台湾に訪問してもらいたい」という意思表示の中で「台湾人民がいかに差別と孤立に遭う中で努力を続け、世界に向かう歩みを堅持し、国際社会に貢献しているかを感じて欲しい」とまで語った。国民党も声明で、「WHOのリーダーは論拠が不明確な状況のもとで最近(WHOが)受けている批判の原因を台湾のせいにすべきではない」と発表している。   市民の間に広がる「反テドロス」の怒号の中でも最も注目を集めたのは、台湾のユーチューバー「阿滴」と著名なデザイナー聶永真などが、テドロスによる「台湾批判」の後に「ニューヨークタイムス」に掲載しようと始めた「台湾人が世界に宛てて書いた手紙」という募金活動である。この運動は、もともとは400万台湾元(約1300万円相当)を集めることを目標としていたのに、キャンペーン開始からわずか15時間ほどで1900万元(約6840万円相当)を超える寄付金額を達成した。この意見広告は4月14日に「ニューヨークタイムス」に掲載され、“Who_can_help?Taiwan”(誰が助けられる?台湾だ)というメッセージが伝えられ、「孤立させられた時、私たちは団結を選択した」という台湾の立場を強調した。   こうして台湾から寄贈されたマスク等の防疫物資が多くの国に続々と届いているまさにちょうどその頃、アメリカのトランプ大統領は4月17日には中国が感染症の流行拡大や実際のデータを隠蔽したと再度批判し、同時に台湾が去年12月末に「人から人への感染」を警告したことをWHOが無視したと指摘した。これと同時に、テドロスの最大の支持者であるはずの中国では、広州地域において現地在住のアフリカ人が人種差別的な扱いを受けるという事件が発生していた。まだ感染者であると確定していない状況にもかかわらず、黒人であれば強制隔離され、パスポートを没収し、場合によっては住宅やホテルから追い出されるような事態も起こっていた。こうした事態に、多くのアフリカ諸国が現地の中国大使を召喚したり、中国外相王毅に親書を送付し、この問題を注視していることを伝え、説明を要求したりした。   一方で、台湾が外国人に対して非常に友好的な社会であることは世界が認めるところである。たとえ、両岸関係が長期的にうまく行っていないとしても、機会があって台湾に進学した大陸の学生や観光客は皆が、台湾社会の友好的な態度と礼儀正しさにプラスの評価を与えている。国際世論のプレッシャーを受けてきたテドロスは、軽率にも台湾に矛先を向けて「人種差別」の謗りを以って台湾への非難の理由とした。もしかすると彼は、台湾が国際的な地位を欠いているために国際連合が承認する主権国家でWHOのメンバーでもないことから、こうした非難への反発はそこまで大きく広がらないと考えていたのかもしれない。しかし、結果はむしろテドロスにとって逆効果となったのであった。   テドロスの「台湾批判」という判断の誤りは、「WHOの外に排除されている」という問題について、国際社会のより大きな関心を台湾に獲得させることになった。現在、欧米や日本などの諸国は、5月に開かれるWHO総会への台湾のオブザーバー参加への支持を、次々に表明している。こうした逆境のもとで、WHOもついに4月18日の記者会見上で、台湾の防疫対応における成果を初めて公に評価せざるを得なくなったのである。   台湾がWHOに参加できるか否かは、最終的には北京の態度にかかっている。しかし、今回の「テドロスvs台湾」という意外な場外乱闘は、北京の主権的立場のために国際社会において長い間孤立してきた台湾に、これを機に自らの立場についてより多くの国際世論の関心と支持を得るチャンスを与えたのである。この点から言えば、台湾はまさに「完勝」したといえるだろう。   <林 泉忠(リン・センチュウ)John_Chuan-Tiong_Lim> 国際政治専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、中国武漢大学日本研究センター長、香港『明報』(筆陣)主筆などを歴任。     英語版はこちら     2020年4月30日配信
  • エッセイ628:林泉忠「『記事撤回事件』と『パンデミック宣伝戦』」

      (原文は『明報』(2020年3月23日付)に掲載。平井新訳)   香港における「抗疫大將(防疫作戦の将軍)」と称される香港大学微生物学系講座教授の袁国勇とその弟子である名誉助理教授龍振邦の両名が3月18日に『明報』に投稿した「17年前の教訓を全く活かせなかった武漢由来のパンデミック」の記事に関して「撤回声明」を出すに至り、香港全土を揺るがす「記事撤回事件」が起こった。では、記事撤回の決定はどのような経緯と圧力のもとに起こったのだろうか。事件の真相の詳細についてはまだよく分かっていない。確かに事件の背景に関しては諸説紛糾しているものの、中国の国内外で感染症の流行状況が逆転してしまった現状において、中国が今まさに戦いの火蓋を切って落とそうとしている宣伝作戦とこの「記事撤回事件」の関係にまず着目すべきだろう。     ○二人を「記事撤回」に追い込んだきっかけ   新聞紙上に掲載された文章は、たとえ誤りを含んだものであったとしても、普通はメディアを通じて読者へ釈明したり、訂正を出したりすれば事足りるのであって、記事そのものを「撤回」するというのは珍しい出来事である。そもそも一度掲載してしまった内容を「撤回」などできるはずもなく、「撤回声明」で問題が一件落着するわけでもない。実際、「撤回声明」が出たことによって、多くの読者が興味をもって元の記事を探して読むことにつながってしまい、当該記事は『明報』のウェブサイトでもヒット数が激増し、記事の影響力はかえって増大することになった。   ここで、「記事撤回事件」の背景と原因を窺い知るためには、北京側のロジックから理解しなければならない。   そもそも、3月18日の「記事撤回事件」は、2段階の進展を見せていた。まず、第1段階は、記事が発表された当日の夕方だいたい5時から6時の間に、記事の筆者である龍と袁の両名が『明報』社に記事内の「中華民国」の文字を「台(湾)」に変更するよう要求した。この段階での問題は、北京からすれば「常識を欠く低レベルの間違いを犯した」というものであっただろう。中国に復帰した後の香港は、中華人民共和国の特別行政区である。たとえ香港と内地の言論の自由に関する規範が必ずしも一致せず、内地では掲載不可能な「台湾総統選」や「台湾総統蔡英文」など類似のこうした表現について、必ずしも内地における報道に合わせて「中国台湾」、「台湾地区」と呼称する必要はない。 とはいえ、括弧を付けずに「中華民国」と香港、マカオを並列にすることは、?台湾を一つの国家であると認めること、?台湾の国名は「中華民国」であると認めている、とはっきりと示すことになってしまう。こうした表現は、もっとも緩やかな基準に基づいて判断したとしても、北京から見れば、少なくとも「ポリティカル・コレクトネスに反する」となろう。   しかし、香港の言論、新聞、出版の自由は、香港『基本法』の保障を受けている。だからこそ、『基本法』にもとづき、『明報』の編集部も当初、記事の筆者に対してかかる台湾の名称に関する表記の変更を積極的に要求しなかったと、筆者は信じている。重要なのは、袁国勇は香港大学医学院教授であるというだけでなく、同時に中華人民共和国国家衛生健康委員会のシニアエキスパートチームのメンバーであり、かつ香港政府の防疫専門家顧問団のメンバーであるなど、現役「官僚」の身分をも有しているということである。こうした身分を持ちながら、自らが公開する文章において、台湾を「中華民国」と表現することの重大性は、すでに「不適切」の一言で済まされる問題ではなく、これこそ彼ら2名を記事の撤回に追い込むことになった原因といえるだろう。もちろん、当該記事の「問題」はこれだけにとどまらない。     ○北京の新たな「宣伝戦」にも反する論調   記事の筆者である2人は、18日の夕方に「中華民国」の名称の訂正を求めた後、夜にはさらに『明報』に対して「記事撤回声明」を発表し、『明報』は当日深夜11時38分にニュースリリースを発表した。これが、「記事撤回事件」の第2段階目の展開であった。合理的に推察すれば、夜になって筆者両名が受けた圧力がさらに一歩強まり、「中華民国」という表現を訂正すれば良いという問題ではないということに思い及び、そこで夜中に再度新聞社に連絡してあまり見慣れない「記事撤回声明」を出すに至ったという経緯が考えられよう。言い換えれば、記事撤回の背景には、「中華民国」という呼称以外に文章内容も関係したということではないだろうか。   そもそも当該記事には、上述した台湾の呼称のほかに、論争を巻き起こす3つのポイントがあった。それは、第1に感染症の名称として「武漢肺炎」という呼称に正当なお墨付きを与える内容だったこと、第2に「ウイルスの発生地は武漢である」と主張したこと、第3に「中国人の陋習劣根」が「ウイルスの発生源」であると主張したことである。この3大論点は、それぞれ若干内容が異なるとはいえ、結局は中国における民族主義の逆鱗に触れたという点で、「世間の皆様に不快な思いをさせた」というばかりでなく、むしろ「中国人の民族感情を著しく傷つけた」という意味で、強い反発を招きやすく、中国大陸のネットユーザーの「出動」と炎上を触発する要因となりかねなかったのである。もちろん、こうした指摘の裏に潜んでいる真意は、当局の「野生動物の濫獲と食用に対する取り締まりの不行届」が招いた問題であるという意味で、民族感情レベルの問題だけではないと言えよう。   いわゆる「龍の逆鱗に触れたる者は必ず死に至る(「逆鱗」の故事成語)」となった当該記事が「炎上した」理由として、おそらく民族感情を害したことよりもさらに重大だったのは、公職にある香港随一の防疫専門家が、あろうことか「武漢肺炎」の用語を公然と肯定し、同時にさらに一?踏み込んで「ウイルスの発祥地は武漢である」という論まで展開したことだろう。   客観的には、3月に入って以降、中国内地における感染症の流行は次第に抑え込まれつつあった。習近平は3月10日に武漢を視察し「感染症との戦いには段階的な勝利を収めた」と標榜していた。これと同時に感染症の流行状況は中国国外において急激に拡大しつつあり、中国の国内外において状況が逆転し始めていた。   この段階に到って中国の官製メディアは、すぐに「パンデミック世論戦」を展開し始めた。一方では「中国の制度的優越性」によって「パンデミックとの戦い」に勝利できたと声高に喧伝し、他方では中国における感染症の流行のマイナスイメージを極力払拭しようとしたのであった。   これによって、感染症流行に対する中国政府の対応への中国国内外からの批判を和らげ、中国に対する責任問題の追及をかわそうとしていた。従って「武漢肺炎」という呼称を頑なに使用し続ける台湾当局や、トランプが連日に渡り「中国ウイルス」と呼び続ける事に対して、厳しく譴責していた。   この他にウイルスの発生源に関する問題について、中国世論ではこれを曖昧化し始めていた。中国とは関係がないと極力主張するばかりか、中国外交部のスポークスマンである趙立堅が、先日SNSメディアで表明したように、「新型コロナウィルス肺炎の感染症は米軍によって武漢に持ち込まれた可能性がある」とまで語っている。   簡単に言えば、中国側の世論において(コロナ騒動の原因と責任に関して)反転攻勢の宣伝が激しく展開されているまさにその時に、中国国家保健委員会シニアエキスパートチームの一員の身分を有する袁国勇教授が高らかに当該記事を発表したことは、北京側の宣伝の意向を無視し、中央政府の基本的な認識に真っ向から挑戦するという大禍を招いた事になるのである。このように顔に泥を塗られた北京当局が、記事の撤回だけでことを済ませ、袁国勇教授に対しその公職に引き続き留任させるというのであれば、中国内地の基準に照らせば、おそらく前代未聞の寛大な処置と言えるだろう。     ○反転攻勢の「パンデミック世論戦」もほどほどに   公正を期して述べるならば、もし当該記事が発表されたのが、2月中旬のWHOが正式に新型コロナウィル肺炎の名前を「COVID-19」命名とする以前であれば、問題はここまで重大なことにはならなかっただろう。実際にWHOが正式に命名する以前の段階では、世界各国のみならず中国国内メディア及びネットユーザーですら「武漢肺炎」という呼称を便宜的に使用していたのであり、この呼称が「社会的スティグマ」であると公式に認定されたのちに、ようやく呼称が変更されたという経緯があった。この点から言えば、今回の事件は、当該記事の筆者には中国政治の「敏感(デリケート)度」に対する観察と対応能力が足りなかったために起こったと言わざるを得ない。   実のところ、「武漢肺炎」であれ「中国ウイルス」であれ、たとえウイルスの発生源が最終的に武漢からであったと確定されたとしても、こうした名称が人種差別の意味を含んでしまう誹りは免れない。特に、人類の文明が進歩し、人権への尊重が進むにつれて、こうした名称は極力避けられるべきだろう。しかし、これは「香港インフルエンザ」、「香港脚(水虫)」、「日本脳炎」など、地域の名称を冠したその他の疾病の呼称に対しても、同様に批判を展開すべきであり、ダブルスタンダードとなってはいけないだろう。   この他、中国はまさに反転攻勢型の「パンデミック宣伝戦」をこれからさらにおし進めようとしている。しかし、これは西欧世論の注目を広く集めるばかりでなく、反感さえ招いており、中国は自画自賛だと批判されている。中国政府が「当局のとった的確な防疫対応は人類の健康と安全を守るために大きな貢献となった」などと強調することは、当局が感染症の発生初期に真相を隠蔽して感染爆発を招いたという中国社会及び国際社会が有する負の記憶を抹消しようとするものだという批判である。中国の感染症への対応が的確であったかどうか、またその効果はいかなるものかについて、もちろん様々な見解が存在するだろう。   しかし、もし民意と国際世論の反応を無視して、当局が「パンデミック宣伝戦」を高らかに展開し続けるのであれば、おそらく「感恩論」(訳者註:3月初旬に武漢市の党書記王忠林が、武漢市民に今回の感染症拡大に対する政府の対応に感謝する「感恩教育」の必要性を説いたことに対して、中国のネットユーザーを中心に市民からの批判が殺到したため、当局はすぐにこれを撤回した)や、出版されずに回収となった『大国戦”疫”』(訳者註:中国共産党と政府宣伝部門が主導し、習近平指導部の新型コロナウィルス感染症への対応の成果と指導力をアピールする内容の書籍が2月下旬に出版予定だったが、市民からの非難が殺到したために販売予定の書籍は回収された)と同様に、逆効果となるため、ほどほどに慎むべきだろう。   <林 泉忠(リン・センチュウ)John_Chuan-Tiong_Lim> 国際政治専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、中国武漢大学日本研究センター長を歴任。     2020年4月16日配信
  • エッセイ626:林泉忠「なぜ台湾の防疫は香港と比べて成功したのか」

    (原文は『明報』(2020年2月24日付)に掲載。平井新訳)   新型コロナウイルス感染が世界的に広がり続ける中、台湾は危機管理と感染拡大防止対策において高い評価を得ており、東アジアのみならず世界をも凌駕する成果をしっかりと挙げている。本文では、台湾と香港のケースに焦点を当て、台湾がどのようにこうした成果を上げることができたのか、また香港とはどのように比較しうるのか、分析していく。   ○台湾のアドバンテージ:専門性と「速さ」   4月2日付のジョンズ・ホプキンス大学のデータによれば、「新冠肺炎」の東アジア地域における感染者数は、中国本土は82,381人、香港は765人、台湾も329人ではあるが、アジア四小龍の中では最も少ない(韓国9,976例、シンガポール1,000例)状況にとどまっており、台湾人が往々にして学ぶべき対象としている日本ですら、感染者がすでに2,384名を超えており、今回ばかりは台湾の後塵を拝しているほどである。   なぜ今回、台湾がこの世界の「防疫競争」の中で突出した好成績を収めることができたのか。その理由はけっして「僥倖」によるものではなく、「速さ」の二文字において他国に勝っていたからだと言えよう。このキーワードは、2003年SARSの教訓があっただけでなく、専門性の素養と民意の結集があったからである。   これまでの台湾経済は長年不振に喘ぎ、一人当たりのGDPと専門家の給与水準は「アジア四小龍」の他のメンバーの韓国、香港、シンガポールに遠く及ばない状況が続いてきた。しかし、台湾における専門家は平均して高い素養を有しており、公共サービス全体への評価は日本に勝るとも劣らない。そして医療と公衆衛生の専門水準もまた、国際社会の同領域から高い評価を得ている。2020年2月9日に発表された「2020医療保健指数」(Health_Care_Index)のランキングでは、台湾は86.71ポイントで世界ランキング第一位の座を守り続けており、韓国第2、日本第3位がそれに続く。ちなみに香港はランキング第14位、中国大陸は第16位となっている。台湾が誇る医療と防疫分野におけるこうした専門素養の高い水準も、今回の感染症の流行という事態への的確な対応に一役買っている。   台湾政府の反応の「速さ」は、今年の2月16日に台湾で初めて死亡例が出た際の処理の過程からも窺える。患者は1人のタクシーの運転手であったが、最初は重症のインフルエンザとして診断されたものの、鋭敏な主治医がその専門的判断に基づいて彼を隔離病棟に送ったため、感染拡大の可能性を避けることができたのである。この患者がその後に感染確認をされたのは、台湾疾管署が積極的に重症のインフルエンザ患者と報告された症例を遡って検査していたために、捕捉することができたのであった。   また台湾では、SARSの痛ましい教訓があったため、過去数年、各病院で毎年定期的に演習を行ってきた。今回の感染拡大という状況にあたり、マスクの生産数量の調整と有効管理、計画的な供給網の整備、第一線の医療従事者のマンパワーの配分などを含めた各種の処理対応の議論もこの間、適時進められてきた。最初の死亡事例が発生した後には、台湾中央流行疫情指揮中心(台湾中央感染症対策センター)はすぐさま市中監測報告の対応原則を発表し、防疫体制の戦線を社会の末端にまで拡大した。   このほかに、台湾の反応の「速さ」は、台湾が民主制度の最も完成されている華人地域として、民意とその変化に対するその鋭敏かつ迅速な対応力とも関係があるだろう。これはまた、今回の感染症の流行への対応に対して、「後手後手」と批判されてきた香港特別行政区政府と強烈な対比をなしていると言えよう。   ○香港の「遅さ」:マスクと「封関(入境制限)」問題   「マスクをめぐる混乱」は、感染症の流行が起こった後に各国各地で普遍的に観察された現象である。これは香港も台湾も例外ではない。例えば、1月下旬頃から、香港の街中至る所でマスクを求めての長蛇の列が見られた。中には年配の客が深夜まで並ぶ光景すらあったが、香港特区政府は1000万枚のマスクをずっと備蓄していたことを追及されてようやく認め、医療現場での需要に供することになったように、自らすばやく対応してマスクの在庫を一時的に放出することはできなかったのである。   一方で台湾は、全ての民衆が健康保険証を持って薬局に行けば最低限の数量のマスクの購入は保障され、長い列に並ばなくてもよいだけでなく、台湾におけるIT分野の発展を担当している行政院政務委員の唐鳳が、速攻で設計した「口罩供需資訊平臺(マスク供給情報アプリ)」によって、台湾の市民はネットであらゆる薬局の現在のマスクの在庫状況を検索して確認することができるようになり、列に並んでも結局マスクを買えずじまいという確率を減らすことができるようになった。これには、日本の世論やIT分野からも大きな称賛の声が上がっている。   台湾ではまさに民意の監視があるため、政府は必ず「120%のパワー」を出しきらなければならず、いかなる手落ちも許されない。武漢で都市のロックダウンが宣言される前日の1月22日には、蔡英文政府はすでに防疫体制を起動し、厳戒態勢を敷く準備を整えていた。中央流行疫情指揮中心の指揮官に任命されたのは、衛生福利部長(厚労大臣に相当)の陳時中だった。陳時中はすぐに学者ら専門家を召集するだけでなく、政府の各部門の連携をうまく統率して防疫作戦を遂行し、連日不眠不休で自ら第一線の指揮をとった。行政院長の蘇貞昌は「人材が必要なら人材を、資金が必要なら資金を供給していく。もし防疫の網が破れるようなことがあれば必ず厳重に対応する」と厳正に宣言しただけでなく、すぐさま総計600億新台湾元の緊急特別予算を編成して、交通運輸業、内需型産業、農漁業など、今回の感染症流行によって被害を被る産業への支援策を打ち出した。   政府が見せかけだけの「速さ」の演出を弄するようなことをせず本気で取り組んだため、台湾における感染症の流行は初期段階で一定の制御に成功し、マンパワーとリソースを完全に(重症患者の)緊急処置の部分に全て投入しなければならないような事態に陥ることもなく、余力をもって情勢の変化に対応することができたのである。これこそ、台湾が今回の防疫で比較的に成功できた経緯であり、こうした優れたパフォーマンスは高い世論の支持に結果として反映されている。   ○香港はどのように台湾に学ぶべきか?   今般の台湾政府の防疫対応に際し、TVBS(台湾無線衛星テレビ)が2月13日に公表した世論調査では、蔡英文総統への満足度が就任以来最高の54%にまで高まりを見せ、行政院長蘇貞昌への満足度も52%に達し、さらに連日不眠不休で防疫の最前線に立って指揮している衛福部長の陳時中への満足度は実に82%にまで達している。このほかにも、感染症の流行への台湾政府の対応のパフォーマンス全体に対し71%が満足と回答しており、政府の防疫対策とその能力に対し信頼すると回答した市民の割合は実に83%にも昇っている。台湾のこうした民意は、香港の林鄭政権の抗疫対応に不満を持つ香港市民の割合が2月14日の香港民意研究所が公表した世論調査で84%に達している状況は、台湾のこうした民意と雲泥の対比をなしているのである。   林鄭政権が香港世論から批判されているのは、このほかにも入境制限措置をめぐる「封鎖」問題が挙げられる。1月23日に武漢がロックダウンされた後、感染症の拡大を阻止するため、各国では次々に自国民の退去と入境制限、中国との航空便の往来を停止した。香港は中国大陸に隣接しているために、内地から香港に流入してくる人々によって香港での感染症の流行が制御不能の局面に陥ることを恐れた香港社会では、民主派であれ建制派であれ、誰もが「封関」を要求していた。しかし、林鄭政権はこれにまったく応じず、WHOの「指針」を盾にとって、公然と「封関」は「差別」につながる恐れがあると表明した。   1月31日に香港民意研究所が公表した調査データによると、8割以上の香港人が政府は「全面入境禁止」をすべきだと回答している。こうした情勢の下、香港医管局の労働組合「員工陣線」は「全面入境禁止」を訴えて政府との対話を行なったが、この対話が失敗したのち、2月3日にはストライキを発動した。これに対し、林鄭政権は最後には頭を垂れるしか無くなり、空港と港珠澳大橋及び深?湾以外のあらゆる港を閉鎖し、2月8日から内地から香港に入境するあらゆる旅客に検疫を求め、強制的に自宅もしくはその他の場所での隔離を行うという新政策を打ち出したことで、ようやく医療従事者らがストライキを終結させたのであった。   台湾が厳しい防疫対策において輝かしい成績を収めることができたのは、マスク生産供給の調整や万全な医療体制の整備、そして防疫の裂け目を全力で防ごうという明快な反応があったためである。これはまた、台湾の民主体制が次第に成熟しつつあることの証左でもあろう。香港にとっては、こうした台湾の防疫対応における危機管理能力と専門的な対応能力について、虚心坦懐に学ぶ必要があるのではないだろうか。こうした専門的な素養に裏打ちされ、事態に鋭敏に反応できる民主メカニズムはどのように学ぶことができるのか?香港社会の主流民意の要求に沿って、香港《基本法》に明文規定されている「双普選(行政長官と立法会のダブル普通選挙)」を実施する以外に、どんな選択肢があるだろうか?     英語版はこちら     <林 泉忠(リン・センチュウ)John_Chuan-Tiong_Lim> 国際政治専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、中国武漢大学日本研究センター長を歴任。     2020年4月2日配信
  • レポート第78号「今、再び平和について-平和のための東アジア知識人連帯を考える-」

    SGRAレポート78号 SGRAレポート78号(表紙)   第51回SGRAフォーラム 「『今、再び平和について』― 平和のための東アジア知識人連帯を考える」 2017年3月27日発行   <もくじ> はじめに:南 基正(ソウル大学日本研究所副教授)   【問題提起1】 「平和問題談話会と東アジア:日本の経験は東アジアの公共財となり得るか」 南 基正(ソウル大学日本研究所副教授)   【問題提起2】 「東アジアにおけるパワーシフトと知識人の役割」 木宮正史(東京大学大学院総合文化研究科教授)   【報告1】 「韓国平和論議の展開と課題:民族分断と東アジア対立を越えて」 朴 栄濬(韓国国防大学校安全保障大学院教授)   【報告2】 「中国知識人の平和認識」 宋 均営(中国国際問題研究院アジア太平洋研究所副所長)   【報告3】 「台湾社会における『平和論』の特徴と中台関係」 林 泉忠(台湾中央研究院近代史研究所副研究員)   【報告4】 「日本の知識人と平和の問題」 都築 勉(信州大学経済学部教授)   パネルディスカッション 討論者:劉傑(早稲田大学社会科学総合学術院教授)他、上記発表者  
  • 第55回SGRAフォーラム「戦後日本の平和論:戦後日本の平和テキストを読む」へのお誘い

    下記の通り、第55回SGRAフォーラムを開催します。参加ご希望の方は、事前にSGRA事務局( sgra-office@aisf.or.jp )へお名前、ご所属、連絡先、懇親会の出欠をご連絡ください。   日 時: 2016年12月1日(木)午後1時30分~午後3時 会 場: 韓国仁川松島コンベンシア(Songdo Convensia) 主 催:(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA) 言 語:日本語 申込み・問合せ:SGRA事務局 電話:03-3943-7612 Email:sgra-office@aisf.or.jp   フォーラムの趣旨   本セミナーは、先夏の7月16日(土)、東京国際フォーラムで開催された「今、再び平和について––平和のための東アジア知識人連帯を考える」と題する第51回SGRAフォーラムの後続プログラムとして企画された。同フォーラムの総合討論を通じて参加者たちは、東アジアの各地域にはそれぞれ異なる特殊な政治状況に置かれながらも、理念の違いや国の境を超えて訴えることのある「平和テキスト」があることを再発見し、これをこの地域の知識人が共同で読むことにより、平和の理想を現実政治の指針として蘇らせることができるとの認識を共有するに至った。その議論を受け、同セミナーが生まれたのである。   平和でない現実の中で平和を想像することを止めないこと。そのため、東アジアの平和テキストを一緒に読んでいくこと。これが、この地域の研究者たちが「知識人」としての役割を自認し「平和」のため連帯をするため、今求められていることである。   その折に、韓国仁川の松島(ソンド)で、東アジア日本研究者協議会が発足し、その第一回目の国際学術大会が開かれることになった。上記フォーラムを開催した「安全保障と世界平和」チームは、この学術大会に参加し、東アジアの日本研究者たちが集まり、冷戦期、脱冷戦期、3.11後の日本において鋭く「平和」を説いた三つのテキストを読むことにした。   <プログラム> 司会:李 来賛(リ・ネチャン、韓国・漢城大学)   【報告1.】都築 勉(つづき・つとむ、日本・信州大学) 「鶴見俊輔の戦争と平和−−『転向研究』を読む」 【報告2.】朴 榮濬(パク・ヨンジュン、韓国・国防大学校) 「脱冷戦期、現実主義者の平和構想−−田中明彦の『新しい中世』を読む」 【報告3.】霍 士富(かく・しふ、中国・西安交通大学) 「歴史叙述と現実記述とのジレンマ−−大江健三郎『晩年様式集』を読む」   <討論者> 趙 寛子(チョウ・クァンジャ、韓国・ソウル大学) 南 基正(ナム・キジョン、韓国・ソウル大学) 徐 東周(ソ・トンジュ、韓国・ソウル大学)   プログラム
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