SGRAイベントの報告

梁 蘊嫻「第4回日台アジア未来フォーラム「東アジアにおけるトランスナショナルな文化の伝播・交流―文学・思想・言語―」報告(その2)」

第4回日台アジア未来フォーラム報告(その1)

 

午後の研究発表は、「古典書籍としてのメディア」「メディアによる女性の表象」「メディアと言語学習」「メディアとイメージの形成」「文学作品としてのメディア」「メディアによる文化の伝播」という6つのセッションで行われた。

 

フォーラムに先立ち、世界中の研究者や専門家を対象に論文を公募した。応募数は予想より多く、大変な盛況であった。国籍から見ても、台湾、日本、韓国、スウェーデンなどがあって、まさにグローバルな会合であった。発表題目も古典研究から近現代研究まで、そしてオーソドックスな研究から実験的な研究までさまざまである。紙幅の都合上、すべての発表は紹介することができないが、いくつか例を挙げておこう。

 

(1)「日本古典籍のトランスナショナル―国立台湾大学図書館特蔵組の試み―」(亀井森・鹿児島大学准教授)は、地道な書誌調査で、デジタルでの越境ではなく古典籍のトランスナショナルという観点から文化の交流を考える。

(2)「草双紙を通って大衆化する異文化のエキゾチシズム」(康志賢・韓国全南大学校教授)は、草双紙を通して、江戸時代の異文化交流の実態を究明する。

(3)「なぜ傷ついた日本人は北へ向かうのか?-メディアが形成した東北日本のイメージと東日本大震災-」(山本陽史・山形大学教授)は、日本文化における東北地方のイメージの形成と変容を和歌・俳諧・小説・流行歌・映画・演劇・テレビなどの文学・芸術作品を題材にしつつ、東日本大震災を経験した現在、メディアが越境することによっていかに変化していくのかを研究する。

(4)「発信する崔承喜の「舞踊写真」、越境する日本帝国文化―戦前における崔承喜の「舞踊写真」を手がかりに―」(李賢晙・小樽商科大学准教授)は、崔承喜の舞踊写真が帝国文化を宣伝するものであると提示し、またこれらの写真の持つ意味合いを追究する。

(5)「The Documentary film in Imperial Japan, before the 1937 China Incident」(ノルドストロム・ヨハン・早稲田大学博士課程)は、日中戦争期、ドキュメンタリー映画がいかにプロパガンダの材料として使われていたかを論じる。

(6)「Ex-formation Seoul Tokyoにおける日韓の都市表現分析」(朴炫貞・映像作家)は、情報を伝えるinformationに対して、Ex-formationという概念を提出したデザイン教育論である。ソウルの学生はソウルを、東京の学生は東京をエクスフォメーションすることで、見慣れている自分が住む都市を改めてみることを試みた。

(7)「溝口健二『雨月物語』と上田秋成『雨月物語』の比較研究」(梁蘊嫻・元智大学助理教授)は、映画と文学のはざまを論じる。

(8)「漢字字形の知識と選択—台湾日本語学習者の場合―」(高田智和氏・日本国立国語研究所准教授)及び「漢字メディアと日本語学習」(林立萍氏・台湾大学准教授)は、東アジアに共通した漢字学習の問題を取り上げる。

(9)「日本映画の台湾輸出の実態と双方の交流活動について」(蔡宜靜・康寧大学准教授)は、日本と台湾の交流に着目する。

 

発表題目は以上のとおり、実にバラエティに富んでいた。それだけでなく、コメンテーターもさまざまな分野の専門家、たとえば、日本語文学文化専攻、建築学、政治思想学などの研究者が勢揃いした。各領域の専門家が活発に意見を交換し、実に学際的な会議であった。今回、従来の日本語文学会研究分野の枠組みを破って、メディアという共通テーマによって各分野の研究を繋げることができたのは、画期的な成果であるといえよう。

 

研究発表会の後、フォーラムの締めくくりとして座談会が行われた。今西淳子常務理事が座長を務め、講演者の3名の先生方(延広真治先生、横山詔一先生、佐藤卓己先生)と台湾大学の3名の先生方(陳明姿先生、徐興慶先生、辻本雅史先生)がパネリストとして出席した。

 

まず、今西理事が、フォーラムの全体について総括的なコメントをし、そして基調講演について感想を述べた。延広先生の講演については、寅さんが大好きな韓国人奨学生のエピソードを例に挙げながら、「男はつらいよ」にトランスナショナルな魅力があるのは、歴史のバックグランドや深さがあるからだと感想を述べた。また、横山詔一先生の講演については、今後、日本人や台湾人における異体字の好みをデーター処理していけば、面白い問題を発見できるかもしれないとコメントした。そして、佐藤卓己先生の講演については、ラジオの普及がきっかけで、「輿論」と「世論」の意味は変わっていったが、インターネットがますます発達した今日における「輿論」と「世論」の行方を観察していきたいと話した。

 

質疑応答の時間に、フロアから、中央研究員の副研究員・林泉忠氏から、「東アジアにおけるトランスナショナルな文化の伝播・交流」というフォーラムを台湾で開催するに当たって、台湾の役割とは何か、という鋭い質問があった。この質問はより議論を活発にした。

 

台湾大学の辻本雅史先生は準備委員会の立場から、フォーラムの趣旨について語った。「メディア」を主題にすれば、いろいろな研究をフォローできるからこのテーマを薦めたという企画当初の状況を話した。しかしその一方、果たして発表者が全体のテーマをどれだけ意識してくれるのかと心配していたことも打明けた。結果的には、発表者が皆「メディア」を取り入れていることから、既存の学問領域、すなわち大学の学科に分類されるような枠を超えて、横断的に議論する場が徐々に作られていったことを実感したと述べた。最後に、林泉忠氏の質問に対しては、台湾はあらゆる近代史の問題にかかわっているため、「トランスナショナルな文化の伝播・交流」を考えるのに、絶好の位置にあると説明し、知を伝達する一つの拠点として、「メディアとしての台湾」というテーマは成り立つのではないかと先見の目も持って提案した。

 

陳明姿先生は、いかに異なった分野の研究者を集め、有効的に交流させるか、というのがこのフォーラムの目的であり、また、それによって、台湾の研究者と大学院生たちに新たな刺激を与えることが、台湾でシンポジウムを開催する意義になると指摘した。

 

「台湾ならでは」について、今西理事も、台湾の特徴といえば、まず日本語能力に感心する。これだけの規模のシンポジウムを日本語でできるというのは、台湾以外はない。日本はもっと台湾を大事にしなければならない。また、SGRAは学際的な研究を目指しているが、それを実現するのは非常に難しい。しかし、台湾大学の先生方はいつも一緒に真剣に考えてくださる。こうして応えてくださるというダイナミズムがまた台湾らしい、との感想を述べた。

 

最後に、徐興慶先生がこれまでの議論を次のように総括した。①若手研究者の育成立場から、19本の発表の中に院生の発表が4本あったというのは嬉しい。②20年間で241名の奨学生を育てた渥美財団は非常に先見の明がある。育成した奨学生たちの力添えがあったからこそ、去年タイのバンコクで開かれたアジア未来会議のような大規模の海外会合を開催することができた。また、若い研究者の課題を未来という大きなテーマで結び付けた渥美財団のネットワークができつつあることに感銘を受けている。③学際的な研究を推進する渥美財団の方針に同感であり、台湾大学でも人文科学と社会科学との対話を進めている。④この十数年間、台湾の特色ある日本研究を模索しながら考えてきたが、その成果として、これまで計14冊の『日本学叢書』を出版することができた。台湾でしか取り上げられない課題があるが、台湾はそういう議論の場を提供する役割がある。徐先生は、台湾の日本学研究への強い使命感を示して、座談会を締めくくった。

 

同日夜、台湾大学の近くにあるレストラン水源会館で懇親会が開催された。参加者60名を超える大盛況で、皆、美食と美禄を堪能しながら、歓談した。司会を務めた張桂娥さん(東呉大学助理教授)は、抜群のユーモアのセンスで、会場の雰囲気を一段と盛り上げた。その調子に乗って、山本陽史先生は「津軽海峡冬景色」を熱唱し、引き続き川瀬健一先生も台湾民謡「雨夜花」をハーモニカで演奏した。最後に、フォーラムの企画者である私が皆様に感謝の言葉を申し上げ、一日目のプログラムは円満に終了した。

 

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<梁蘊嫻(リョウ・ウンカン)Liang Yun-hsien>

2010年10月東京大学大学院総合文化研究科博士号取得。博士論文のテーマは「江戸文学における『三国志演義の受容』-義概念及び挿絵の世界を中心に―」である。現在、元智大学応用外国語学科の助理教授を務めている。

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2014年8月20日配信