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梁 蘊嫻「第4回日台アジア未来フォーラム「東アジアにおけるトランスナショナルな文化の伝播・交流―文学・思想・言語―」報告(その1)」

第4回日台アジア未来フォーラムが6月13日、14日の2日間にわたって、台湾大学及び元智大学で開催された。グローバル化が急速に発展した今日、メディアの発展が進むことで、文化の交流が盛んになり、文化の国境は消えつつある。この現象に着目しつつ、フォーラムのテーマを「東アジアにおけるトランスナショナルな文化の伝播・交流―文学・思想・言語―」とした。「メディア」は英語のmediaの訳語であり、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどの近現代以降にできあがった媒体として捉えられることが多い。ここではより広義的な意味を取っている。もとよりメディアは、時代によって異なり、メディアの相違が文化のあり方に関わってくる。

 

今回のフォーラムは、台湾・日本を含めた東アジアにおける文化交流・伝播の様態に迫り、異文化がどのようにメディアを通じて、どのように影響し合い、そしてどのような新しい文化が形成されるかを考えるものである。

 

1日目は台湾大学にて「文学とメディア」「言語とメディア」「思想とメディア」の3分野の基調講演、また19本の研究発表を行った。6月13日午前、台湾大学の文学院講演ホールで開幕式が行われた。渥美財団今西淳子常務理事、交流協会文化室福増伸一主任、台湾日本研究学会何瑞藤理事長、台湾大学日本語学科陳明姿主任のご挨拶によって、フォーラムが始まった。

 

1本目の基調講演では、東京大学名誉教授延広真治先生に「「男はつらいよ」を江戸から見れば―第五作「望郷篇」の創作技法―」というタイトルでお話をいただいた。山田洋次監督「男はつらいよ」は48連作に及ぶ喜劇で、ギネスブックにも登録された。48作中、監督自ら客がよく笑うと思われたのが第5作。延広先生は、この「望郷篇」の創作技法を江戸時代の作品に求められると指摘した。具体的に、江戸時代とかかわりの深い作品、たとえば落語「甲府い」・「近日息子」(原話:手まハし)・「粗忽長屋」(袈裟切にあぶなひ事)・「湯屋番」・「半分垢」(原話:駿河の客)、講談「田宮坊太郎」や曲亭馬琴『南総里見八犬伝』などを綿密に考察し、それらの作品と「望郷篇」の関係について詳しく説明した。

 

延広先生の講演を通して、日本人にとっての国民的映画「男はつらいよ」のユーモアは、監督の古典作品に対する造詣によるものであるとのことがよく理解できた。笑いは日本文化の中においては、非常に特徴的で大切なものである。落語の笑いは馬鹿馬鹿しくて、理屈がいらない。「男はつらいよ」が長く続けられたのは、落語的なユーモアセンスが染み付いているからではないかとつくづく思った。落語の笑いは外国人に理解されにくい。なぜならば言語の壁があるからだ。しかし、日本の笑いはドラマというメディアを通して伝えれば、外国人に受け入れられやすくなるであろう。

 

続いて、国立国語研究所横山詔一教授が「電子メディアの漢字と東アジアの文字生活」という演題で講演した。横山先生は、(1)「漢字をイメージする」、(2)「漢字を打つ」、(3)「文字の生態系モデル:文字と社会と人間」、という3つの要点を話した。横山先生はまず東アジアで共通して観察される「空書(くうしょ)行動」を紹介した。(空書行動とは、文字の形をイメージするとき、指先で空中に文字を書くような動作を言う)。この現象から、漢字文化圏の人は、漢字や英単語の形を思い浮かべるときに、視覚イメージだけではなく、体・肉体の動作(action)という運動感覚成分もあわせて活用しているということを指摘し、漢字は東アジアの人々の肉体感覚とつながっているメディアだという見解を提出した。

 

また、ネットツールの普及により、文字をキーボードで打つことが当たり前の時代になり、漢字は手書きよりも、パソコンの変化候補から「見て選択すれば書ける」時代になったとともに、字体の使用にも変化がみられたということを指摘した。この現象を(1)異体字の好み、(2)台湾の日本語学習者が日本人にメールを書く場面、との両方面から考察した。これらの研究課題については、伝統的な語学研究法ではなく、「文字の生態系モデル」に基づいて分析した。横山先生はいくつか興味深い研究成果を提示したが、その中の一つを次に挙げておこう。台湾の日本語学習者がメールを書く時には、読み手の日本人が読みやすい表記、あるいは違和感を持たない表記を意識的・無意識的に選択するという傾向があるという。「文字と社会と人間は一体であり、切っても切れない関係にある」ということだが、インターネットが発達すればするほど、この傾向はますます強くなるといえよう。

 

横山先生の講演は、電子メディア(ネットメディア)の発達によって、東アジアにおける文字文化の国境が消えつつある実態に着目し、東アジアの文字生活が「漢字」という記号・媒体を通じて今後どのように変化していくのかを考える手がかりとなった。

 

3本目の講演は、京都大学佐藤卓己准教授の「輿論と世論の複眼的思考―東アジアの理性的対話にむけて」というテーマであった。佐藤先生は、マスメディアの普及にもたらされた「輿論」と「世論」の混同という現象には、知識人がどのような姿勢でいるべきかについて、次のような見解を述べた。

 

「輿論」と「世論」は、戦前の日本ではそれぞれ「ヨロン」と「セイロン・セロン」と読まれていた。意味上においても、「輿論」は「public opinion」、「世論」は「popular sentiments」と区別されていた。しかし今日に至って、「輿論」という言葉が使われなくなった一方、「世論」を「ヨロン」と読む習慣が定着し、「輿論」の意味と混同する例が見られるようになった。これは歴史の経緯から見れば、戦後1946年に「輿」という字が制限漢字に指定された政策と関係しているが、1920年代の「政治の大衆化」とともに生じた「輿論の世論化」という現象によるものでもあった。「輿論の世論化」はさらに1943年5月情報局の「輿論動向並びに宣伝媒体利用状況」調査結果が示すように、戦時下の国民精神総動員で加速化した。「輿論の世論化」は理性が感性に、知識人の輿論が大衆の世論に飲み込まれていく過程であった。日本ではこうした同調圧力への対応を「空気を読む」と表現するが、この「空気」、すなわち誰も責任をもたない雰囲気である「世論」の暴走は現在ますます警戒する必要がある。インターネットが普及した情報社会では、空気(世論)の中で、個人が担う意見(輿論)はますます見えなくなっている。

 

こうした状況に対しては、「輿論」と「世論」の区別を回復し、さらに「世論の輿論化」を目指すことの必要があると佐藤先生は指摘した。また、「世論の輿論化」とは、知識人が大衆の感情にどのような言葉を与え、対話可能な枠組を創っていくかということだと述べている。世論は即時的な感情的反応の産物であり、討議という時間を経て熟成されるのが輿論である。インターネットのように欲望を即時的に満たすメディアによって、現在ではますます「輿論の世論化」が加速化している。こうした現状に対しては、佐藤先生は、インターネット中心の今日だからこそ、伝統的な活字メディアによる人文知の重要性はますます高まると強く主張した。また、「世論の輿論化」の実践は、「トランスナショナルな文化の伝播・交流」として始まるべきだということが講演の結びとなった。

 

以上の3本の講演は、それぞれ文学研究、言語学研究、思想研究に大きな示唆を与えているものであった。午後は、分科研究発表が行なわれたが、その詳細は引き続き報告する。(つづく)

 

フォーラムの写真 ……………………………… <梁蘊嫻(リョウ・ウンカン)Liang Yun-hsien> 2010年10月東京大学大学院総合文化研究科博士号取得。博士論文のテーマは「江戸文学における『三国志演義の受容』-義概念及び挿絵の世界を中心に―」である。現在、元智大学応用外国語学科の助理教授を務めている。 ………………………………

 

 

2014年8月13日配信