• 2017.02.16

    エッセイ522:ライラ・カセム「一風変わった里帰り」

    (『私の日本留学』シリーズ#6)   私には故郷(ふるさと)が2つあります。留学生同士の親が出会い、兄と私が生まれ、13歳まで過ごした日本と、その後大学卒業まで過ごしたイギリスです。美術大学を卒業し、数年間アルバイトやインターンを転々としていたころ、大学院へ進学したい気持ちが芽生えてきました。どこへ行こうかと迷っていた時、両親が「私達が日本に留学した時の文部科学省の奨学金に申請してみれば?」と提案してくれました。成長するにつれ、「自分のような日本で生まれ育った外国人にとって、日本はどのような場所で、自分は何ができるのだろう」という疑問への回答も得られるのではないかと考え、日本への留学を決意しました。運良く試験に受かり、2010年4月に東京藝術大学大学院のデザイン科に入学しました。   一風変わった里帰り。そんな中、2011年3月11日に東日本大震災が起こりました。日本全国、そして世界中の皆が、自然の偉大さ、命の尊さ、人間の強さなど、様々なことを考えさせられた出来事でした。自分も何か手助けしたいと思った人は沢山いたことでしょう。また何かしたいが何をすればいいかわからないと、歯がゆく感じた人もいたでしょう。特にデザインをやっている身としては、この歯がゆさを今まで以上に感じました。「きれいなものだけをつくれば人は幸せになれるのか?」「人のための真のデザインとは何か?」等々と。   震災の甚大な被害を思えば悲観的な考えばかりになりがちな中で、私にはこれからの日本が良い方向へ変わるのではないかと楽観的に考える部分がありました。それは、これまで商業目的で活動していた多くのデザイナーが社会に目を向け始め、人のため、コミュニティーのためにどのように自分の技術・スキルを活用できるのかと考え始めたからです。私もその1人として、(震災前に)もともと興味のあった福祉の世界で人とともにデザインをしていくことを決意しました。そして、障がい者施設で知的障がいの成人にアートを教え、そのアートが施設の収入源となるデザイン商品へと転換する活動を始め、現在まで続いています。   しかし、震災から5年経った現在は、東京オリンピックの招致が決まったことで、2011年当初の震災復興ではなく、オリンピックを目的として行政と企業がともに社会的活動を実施する傾向が窺えます。震災以降には社会貢献活動を「震災があったからこういうことは大事ですよね」と言われましたが、今は私自身の活動を説明すると「オリンピックがあるから、このような障害者の活動は大事ですよね」と言われるのです。たしかに震災とオリンピック開催は多くのデザイナー、企業そして行政が社会に目を向けるための良いきっかけとなったことは事実ですが、物事をやる「きっかけ」と「理由」は別ものであり混同してはいけません。   社会貢献を目的とした活動をする人々が、今、答えなければいけない事は「なぜこのような活動をやりたいか」ではなく、「なぜこのような活動をやらなければならないのか」ではないでしょうか。震災後は復興、オリンピックでは「多様性とソーシャルインクルージョン(社会包括)」が課題として掲げられていますが、なぜこの課題が重要なのかという議論がそもそもなされていないのが現実です。復興とは何か、多様性、ソーシャルインクルージョンとは何か、これらの言葉が秘めている根本に答えることが理由となり、真の解決策を導く手段となるのです。その根本こそが、「故郷」という言葉に秘められていると思います。   私が障がい者福祉施設との協働活動でたびたび感じることは、社会の有力な人材となるためには、個人が様々な人と交流し共有できる「居場所」が必要であるということです。障がいや貧困など様々な背景を理由に社会から孤立している、忘れられていると感じている人は少なくないでしょう。障がい者施設に通う重度の障害をもつ多くの人々は、家と施設を往復する生活しかしていません。このような生活が本当にソーシャルインクルージョンといえるのでしょうか?   復興でも同じことです。巨大な防波堤を作り、高台に住宅を作ることが被災地の復興に繋がるのかと考えると、そうでないと言えるでしょう。一度自分の居場所をなくした人々は、物質的なものだけでは「故郷」を構築できないからです。英語では故郷を「Home_is_where_the_heart_is(故郷とは心の集うところ)」と表現します。社会とコミュニティーは様々な背景を持つ十人十色の人間から成り立つものです。その多様な人々の心が集える場をつくることで、協力し合い、調和して生きる世の中を築いていけるのだと思います。より多様な人々が理解し合い、共存できる「故郷」をつくることが、現在の日本や世界各国が掲げている様々な社会課題に取り組む理由、そして解決するヒントの1つになるのではないでしょうか。   私は生涯、デザイナーとして、そして多様な故郷を持つ人間として、社会に居場所がないと感じている人々の心が集える場をつくることに尽くしたいと考えています。   <ライラ・カセム☆Laila France Cassim> グラフィックデザイナー。東京大学先端科学技術研究センター特任助教。社会から取り残されたグループのエンパワメントにインクルーシブデザインのプロセスとグラフィックデザインのスキルをツールとして利用することに力を入れ、作品制作と研究に取り組んでいる。現在は足立区の障がい福祉施設「綾瀬ひまわり園」で定期的に講師をし、そのアートを活用し、施設の支援スタッフとともに利用者の社会参加と経済自立につながるアート作品の制作と商品づくりの開発に取り組んでいる。また、東京大学先端研では、突出した能力はあるものの既存の教育環境に馴染めず、不登校傾向にある小・中・高生の継続的な学習保障と生活のサポートを提供するプログラム「異才発掘プロジェクトROCKET」にも関わっている。     2017年2月16日配信
  • 2017.02.09

    エッセイ521:趙国「先入観、実感、一般化の間に」

    (『私の日本留学』シリーズ#5)   まだ留学生活が終わったわけではありませんが、約4年間の留学生活について、反省を込めて顧みたいと思います。私は2012年度に早稲田大学の日本史学コース博士課程に入って留学生活を始めました。日本に来る前に、先輩留学生からいろいろな話を聞き、私は日本(人)に関するある種の先入観を持つようになりました。たとえば、学校生活と日本人学生についてです。同じゼミ所属の日本人学生でも仲良くなるまで非常に時間がかかるということです。日本人は他人への配慮心が高すぎる、また人間関係に用心深いという側面があり、特に外国人(留学生)については親切とはいえ、このような側面がもっと強く反映されているようです。自分が積極的に日本人学生たちの中に溶け込もうとしないかぎり、いくら時間が経っても決して仲良くできないという先輩留学生のアドバイスでした。   私はもともとそれほど社交的な性格ではありませんので、以上のような話を聞いて、ある程度の覚悟を持ってゼミに参加することになりましたが、想像した「日本人イメージ」とは相当違う学生たちと出会って半分驚き、半分安心しました。先に声をかけてくれたり、食事に誘ってくれたりする学生がたくさんいたのです。もちろん、中には予想通り(?)、非常に用心深く、私から声をかけることすら難しそうな人もいましたが、それは韓国でも同じでしょう。   またゼミは、韓国で経験したことよりむしろ自由な雰囲気でした。歴史という多少堅い学問的な雰囲気はあるものの、先生と学生、学生同士の活発な議論が行われ、あるゼミでは史料の選定からゼミのやり方まで、すべてを学生自らが決めるほどの自由度がありました。教室外での雰囲気も、私としては馴染みな風景でした。学校周辺の戸山公園では、酔っ払って乱暴ともいえるくらいの学生たちがたまに目にとまり、韓国での大学の風景とさほど違いはありませんでした。   このような経験から、私は、いつも遠慮がちで、静かな日本人という先入観を改めることができました。ただし、私の経験は、主に学校の生活、しかも「学問の独立」を学風とする自由な雰囲気の早稲田大学であるからこそ得たものかもしれません。つまり、私の限られた経験を一般化して、ほとんどの日本人がそうであるとは決して言えないのです。   当然ですが、社会の中には様々な人々がいます。私の限られた経験の中でも、憲法修正の反対集会や慰安婦問題に関するシンポジウムで大勢の人々を目の前にした一方で、長い行列の右翼宣伝車やヘイトスピーチをも目撃しました。ただし、その多様性をあまり強調すると、確かに存在する日韓の相違が逆に見えなくなると思います。その相違を理解するためにも、いわゆる「国民性」を定義・解明する、一般化の過程が不可欠でしょう。   日本にも早くから紹介されている、韓国の学者、李御寧氏の『「縮み」志向の日本人』という本もこの試みの一つだと言えます。盆栽からウォークマンまで、説得力をもって分析がなされた本ですが、他方では、世界最大級といえる日本の古墳や、東大寺のような巨大な建築物はどう説明するのかという疑問も残ります。つまり、一般化の作業には、再び先入観を作り出してしまう恐れもあります。     これは非常に難しい問題で、私も常に悩んでいるところです。たとえば、韓国には日本に対する先入観を持っている人がいますが、これらの人々に私は自らの経験に基づいて「実はそうではないこともある」と語る一方で、「一般化はできないけれど」という条件を付けないといけないのです。しかし同時に、社会全般における日韓の相違を理解するための、一般化した説明もまた必要であると思います。先入観、実感、そして一般化の間にバランスをとっていくことが重要です。歴史に限っても、日韓の間には、相手を理解しながら解決すべき問題が依然として残っています。互いの理解を高めるためには、なにより相手国へ関心を持つことが重要ですが、それと同時に、自分が得た知識、体験と距離を置き、相対化する必要もある、というのが私の留学生活を通じて得た貴重な教訓です。   <趙 国(チョ・グック)CHO_Guk> 歴史学専攻。早稲田大学大学院文学研究科博士課程在学中。研究分野は日本近現代史で、現在は日本の居留地における清国人管理問題について博士論文を執筆している。     2017年2月9日配信
  • 2017.02.02

    エッセイ520:謝志海「新年の抱負との付き合い方」

    新年早々、日本人から面白い質問をされた。「中国には新年の抱負ってあるの?(もしあれば)それは新年、それとも春節どちらに目標を立てるの?」とても日本人らしい質問だと思った。というのは中国では新年の抱負というものが一般的ではないからだ。誰も全くしないとは言わないが、年明けや春節に挨拶代わりのように「今年の抱負は?」と聞き合うことはない。   日本では正月を迎える前から「来年の抱負は?」という質問が飛び交っている。テレビを観ていても、芸能人だけでなく、政治家までもがこの質問をされている。また聞かれた側も普通に回答している。新年を新たな区切り、スタート地点として捉え目標設定することはとても良いことだと思い、とても興味深い。   では年の瀬、どのくらいの人が年初にたてた目標を達成できているのだろう。私に質問をしてきた日本人に「年末には今年の抱負をどのくらい達成できたか聞きあったりするの?」と聞いてみた。相手は「うーん、ないかなあ」と言葉に詰まってしまった。「その時期は師走でそれどころじゃないんじゃない。」というのが答えだった。そうか、日本では掲げた目標の達成度をレビューする機会があまりないのかもしれない。年末年始には抱負は?抱負は?とどこでも話題になるのに抱負を振り返るチャンスはシェアされていない。これもまた興味深いことである。   調べてみると、「新年の抱負に掲げるのは何か」というランキングは出てきたが、結果や、達成度についてのデータは出てこなかった。代わりにアメリカでの調査結果があった。アメリカのスクラントン大学の「新年の抱負」についての調査によると、2016年に立てた新年の抱負を達成出来たと感じられた人はたったの9.2%。日本で調査しても、案外似たようなものかもしれない。マクロミル社が2016年1月に日本で行った調査によると、過去に新年の抱負を立てたことがある人に挫折したことがあるかと聞いたところ、「挫折したことがある」と答えた人が87.6%と9割近い数になっている。目標を掲げることは簡単でもそれを実行するのは難しいということか。   日本の書店に行くとビジネス書のセクションには目標の実行の仕方、夢の叶え方等の自己啓発本がたくさん並んでいる。ということは日本人はやはり目標を掲げ、達成する為に日々奔走しているのではないだろうか。しかも海外からの自己啓発たぐいの本も日本語に翻訳され同じくビジネス書のコーナーにたくさん並んでいる。海外のメソッドまで取り入れようとしているのか、と感心する。   例えば、米国スタンフォード大学の心理学者、ケリー・マクゴニガル教授の著書「スタンフォードの自分を変える教室」では実践的で誰もがすぐに取り入れやすいように、目標達成へのステップを指南している。この教授の専門は健康心理学で、目標を叶えるプロなどではないのだが、彼女がよく提案するのは、大雑把に言うと自己分析や自分を振り返る時間が大切だということ。ということは目標を立てるだけではダメで随所に振り返りの作業を取り込むべきなのだろう。自己分析、すなわち自分を客観的に見ることは、難しいけれど目標を叶えるためには不可避なのだろうと感じさせられる。   日本には新年に抱負を掲げるチャンスがあり、それを実行する為の指南書も溢れている。日本に住んでいる私はこれらを活用しなくてはと思い始めた。新年の抱負としてではないが、私が立てた目標は実は数年前からずっと同じだ。ということは大多数の、新年の抱負を達成できていない人、挫折した人と同じになっている。年内に必ず自身の目標に対して振り返る機会を作ろうと思う。自己分析が上手になれば目標達成への近道となるはず。まずはそれが私の今年の抱負だ。   <謝志海(しゃ・しかい)Xie_Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。     2017年2月2日配信
  • 2017.01.30

    第22回日比持続可能な共有型成長セミナー「地方分権と持続可能な共有型成長」へのお誘い

      下記の通り第22回日比共有型成長セミナーをフィリピンのラグナ州ロスバニョス市で開催します。参加ご希望の方は、SGRAフィリピンに事前に申し込んでください。 第22回日比持続可能な共有型成長セミナー   テーマ:「地方分権と持続可能な共有型成長」 “Decentralization and Sustainable Shared Growth”   日時:2017年2月13日(月)9:30~15:30 会場:フィリピン大学ロスバニョス校(UPLB)公共政策と開発学部 言語:英語 申込み・問合せ:SGRAフィリピン ( [email protected] )   セミナーの趣旨 SGRAフィリピンが開催する22回目の持続可能な共有型成長セミナー。 第二次世界大戦後、フィリピンは東南アジアでトップの発展を遂げていたのに、残念ながら今では同級生に遅れをとってしまっている。フィリピン持続可能な共有型成長を妨げる3つの問題は、鈍い成長、格差、環境である。一方、戦後の開発の大半は、首都に集中する経済や政治的決断に依存していたが、この20年間には地方分権を目指す様々な努力が行われている。この努力を「持続可能な共有型成長」という観点から理解し、地方分権によって上述の問題が解決できるか検討するのが今回のセミナーの基本的な目的である。   プログラム   09:00–09:30 登録 司会:メルリン・M・パウンァラギ(Dr. Merlyne M. Paunlagui)、 ロウェナ・DT・バコンギス(Dr. Rowena DT Baconguis)   09:30–10:00 開会挨拶 ヴィルジニア・カルデナス(Dean Virginia Cardenas)UPLB公共政策と開発学部学部長 今西淳子(Ms. Junko Imanishi)渥美国際交流財団関口グローバル研究会代表   10:00–11:00 発表1「連邦制と地方自治」 ダニ・レイエス(Dr. Danny Reyes)UPLB行政ガバナンス学部教授   11:00–11:30 発表2「再建と復興の戦略の再検討:ジョージスムからの観点」 ジョッフレ・バルセ(Mr. Joffre Balce)良き政府協会研究員   11:30–12:00 発表3「フィリピン農業の現状」 エリセオ・ポンセ(Dr. Eliseo Ponce)国際コンサルタント、ヴィサヤス大学名誉教授   12:00–13:00 ランチ休憩 13:00–15:00 円卓会議 モデレーター:マックス・マキト(Dr. Max Maquito)SGRAフィリピン代表   15:00–15:30 ミリエンダ休憩 セミナー終了後 UPLBキャンパス見学   Program in English    
  • 2017.01.26

    金雄熙「第16回日韓アジア未来フォーラム『日中韓の国際開発協力-新たなアジア型モデルの模索』報告」

    2016年12月1日(木)、韓国仁川市松島コンベンシアで第16回日韓アジア未来フォーラムが開催された。今回のフォーラムは、多様な分野における東アジア各国の日本研究の専門家が知識を共有できる貴重な場として設立された「東アジア日本研究者協議会」第1回国際学術大会の共同パネルで、テーマは「日中韓の国際開発協力-新たなアジア型モデルの模索」であった。2016年2月に東京で開催された第15回日韓アジア未来フォーラム「これからの日韓の国際開発協力:共進化アーキテクチャの模索」、2016年10月1日に北九州で開催された第3回アジア未来会議の自主セッション「アジア型開発協力の在り方を探る」における議論を受け、日韓に中国を含めて東アジアの開発援助のあり方について、モデル構築の可能性を念頭に置きながら考えた。   フォーラムでは、渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)の今西淳子(いまにし・じゅんこ)代表による開会の挨拶に続き、これまでのODA関連フォーラムの経緯と議論を受け、日中韓の研究者が比較の視座に立ち、アジア型開発援助モデルの収れんの可能性について論じた。まず李恩民(リ・エンミン)桜美林大学グローバル・コミュニケーション学群教授は、「中国的ODA」(The Chinese-style ODA)について、中国が開発途上国として日本などからODAの供与を受ける一方で、外交の一環として第三世界に属するアジア・アフリカ・ラテンアメリカ・太平洋諸国に政治色の強い「対外援助」を実施していることを指すと定義した。そして、アジア・アフリカ、特に隣国であるベトナムとモンゴルなどへの政治的・経済的援助等に焦点を当てて、「中国的ODA」展開のプロセスを究明し、レシピエント(被援助地域)の視点からその歴史と効果を検討し、「中国的ODA」の内実と本質に迫った。   孫赫相(ソン・ヒョクサン)慶熙大学公共大学院院長は、「開発協力に対するアジア的モデルの可能性の模索:北東アジア供与国間の収れんと分化」というタイトルで、経済発展段階における韓国、日本、中国の同質性と異質性が対外戦略と連携した開発協力ではいかなる様相に収れんし分化するのかについて考察し、開発協力におけるアジア的アプローチの可能性について報告した。現段階における性急なモデル化の試みには慎重な立場をとりながらも、国連の持続可能な開発目標(SDGs: Sustainable Development Goals)など国際規範の拡散などを軸としたアジア型モデルの収れんの可能性に触れた。また、ODAに変わる概念枠組みとして持続可能な開発のための「総合的開発支援(TOSSD: Total Official Support for Sustainable Development)」を用いて、中国の国際開発協力を国際比較の視座で議論できるとした。さらに、アジア型開発協力モデルの模索において、3 カ国による開発事業の共同実施や開発経験の共有、北朝鮮開発支援がいかなる意味合いや重要性を持つかについても言及した。   李鋼哲(り・こうてつ)北陸大学未来創造学部教授は、日中韓を始めとするアジア諸国は先進国からの援助を受けて経済成長を成し遂げており、既に先進国になった日本、先進国仲間入りを果たした韓国、そして未だに発展途上国である中国の国際開発協力は、それぞれの特徴をもちながらも、共通点が多いとした。そして日中韓3カ国の援助アプローチは、国際援助コミュニティーに支配的な援助アプローチと異なる、2つの基本的な特徴、即ち、「内政不干渉」の原則と「援助・投資・貿易の相乗効果」の重視を共有すると主張した。   その後、討論者の金泰均(キム・テギュン)ソウル大学国際大学院教授は、国際開発協力の「アジア型モデル」を議論する上では、3カ国のODAのウィンウィン戦略(モデリング)、3カ国の開発援助の特質、そして受援国(パートナー国)にとってもウィンウィン戦略になるかなどの視点をバランスよく考えるべきだとした。そして「内政不干渉」の原則をめぐる日韓と中国の認識の相違、開発援助(とりわけ、対アフリカ援助)における雁行モデル的な展開にみられる援助レジームの共通点と相違点、開発援助の担い手としての各国政策金融機関による国際開発金融機関(MDB: multilateral Development Bank)のセイフガード3原則(環境破壊、強制移住、人権蹂躙の禁止)などの共有を通じた国際開発協力の「アジア型モデル」の収れん可能性について議論した。   時間の制約で討論をフロアーにオープンすることはできなかったが、それぞれの立場や専門領域を踏まえた、そして自分の夢が込められた素晴らしい討論が交わされた。最後は、北朝鮮・統一専門家でもある徐載鎭(ソ・ゼジン)未来人力研究院院長により、北朝鮮に対する開発支援の重要性に触れるコメントと閉会の辞で締めくくられた。   これからも日韓アジア未来フォーラムで「ポスト成長時代における日韓の課題と東アジア協力」について、実りのある議論を展開していくためには、総論的な検討にとどまらず、ODAフォーラムのように具体的なイシューにおいて掘り下げた検討を重ねていかなければならない。次年度も前2回のODAフォーラムの延長としてODA問題を取り上げることになるが、次回のフォーラムに当たっても、引き続き国際開発協力における中国のプレゼンスにも注目しつつ、北朝鮮に対する開発支援をめぐる日中韓の協力の可能性を1つの軸に設定して進めていくと良いのではないかと思う。それによって「アジア型ODA」の課題も浮き彫りになるだろうし、ODAの理念にもどって、理論的に検討できるのではないか。最後に、このフォーラムの成功のためにご支援をいただいた李鎮奎未来人力研究院理事長と今西代表 、そして大統領の弾劾に向けたキャンドル集会の真っただ中で韓国を訪ねた発表者と渥美財団スタッフの皆さんに感謝の意を表したい。   当日の写真   <金雄煕(キム・ウンヒ)Kim Woonghee> 89年ソウル大学外交学科卒業。94年筑波大学大学院国際政治経済学研究科修士、98年博士。博士論文「同意調達の浸透性ネットワークとしての政府諮問機関に関する研究」。99年より韓国電子通信研究員専任研究員。00年より韓国仁荷大学国際通商学部専任講師、06年より副教授、11年より教授。SGRA研究員。代表著作に、『東アジアにおける政策の移転と拡散』共著、社会評論、2012年;『現代日本政治の理解』共著、韓国放送通信大学出版部、2013年;「新しい東アジア物流ルート開発のための日本の国家戦略」『日本研究論叢』第34号、2011年。最近は国際開発協力に興味をもっており、東アジアにおいて日韓が協力していかに国際公共財を提供するかについて研究を進めている。     2017年1月26日配信
  • 2017.01.26

    エッセイ519:カバ・メレキ「13年ぶりのトルコ―人の死に慣れる自分―」

    明るく話すのが好きで、明るいトピックを好む私も、世の最も悲しいことの1つである若い人の死のただ傍観者になってしまうことについて書く日がやって来たようである。   2003年からの13年間の日本滞在を経てトルコに帰国したばかり。長い日本滞在の影響もあってバイカルチュラルになったことに帰国してから気がついた。それぞれの文化に異なることは多いが、身体が死ぬのは世界の文化を問わない。身体の呼吸は止まりどんどんと冷たくなっていく。死はどの国でも冷たい。日本で私が意識する人の死は駅の人身事故の放送だけだったかもしれない。しかし今は人の死が日本とトルコでは同じではないと思っている。   帰国してから私を出迎えたのは2016年7月15日の軍人の中に身を隠していたフェト(フェトフッラー派テロ組織(FETÖ))のメンバーによるクーデター未遂事件に、分離主義テロ組織クルド労働者党(PKK)などが行うテロ。さらにトルコ語の音に難民のアラビア語の言葉が混じる街、急激な経済成長が豊かにした人々の暮らしぶり。このような変化はメディアからも読み取れる。   しかし以前と異なるもう1つのことは人々の考え方に起きた変化である。都市化による個人主義と自由主義が普及し、経済力においてもブルジョワ的な要素をもたらした結果、人々は明らかに以前よりかなり楽な生活を送っている。デジタル化の進歩も目まぐるしいし、iPhone、PC、インターネット利用は年配の人にまで驚くほど普及し、すでに日常化している。体よりも頭を使う仕事の数が増えている。そのような日常生活の変化によって、型にはまった考え方の多くは柔軟な考え方に取って代わっている。心身ともに「豊か」になっているトルコである。しかし、皮肉的に言えば13年前よりも豊かになって、13年前よりも沢山の人が死んでいる。このジレンマは中東の地政学的な特徴から自由ではないと思う。   トルコの今日のニュースはフェト、PKK、シリア戦争、様々なテロ組織、トルコ軍のシリアでの活動を中心軸にしている。それにアレッポの悲惨も加わってしまった。ここ数日は街頭にアレッポに送るための物質を集めるテントが目立つようになった。アレッポは今住んでいるカッパドキアの540キロ先にあって、朝出発すれば昼までに到着できる場所にある。我々は死の近くに住んでいて、死とともに生きている。先週、私の職場のコピー担当の若い女性が真っ赤な目をして、私のために梶井基次郎の短編である「檸檬」をコピーしてくれた。アレッポの子供たちのニュースを聞いて涙していた。「檸檬」の主人公はレモンを丸善の店に置き、それが爆弾であると考え、そしてそのレモンの爆発によって愉快な気持ちになる。多分中東の我々の心の中にも「檸檬」の主人公に罹った「得体の知れない不吉な塊」が宿っているのかも知れない。なぜなら、子供や若者の殺害を許すような社会になっているからである。   毎日数人の警察官、軍人、一般人がテロの犠牲になるニュースを「当然のように」聞く。何気なく「山手線は人身事故の影響で運転を見合わせております」と聴きながらポカリスエットをごくごく飲んでのんびりと駅構内を歩く時の記憶に似たところがある。それでも日本にいた時、死は「竹取物語」のおじいさんが行く山の後ろとか、どこか遠くにあったような気がしていた。しかし、一度に沢山の人の葬式を行い、彼らの身体を土の中に埋葬する葬式をテレビのこちら側から文字通り毎日観ている。それでもこうして毎日トルコのおいしいパンを食べ、大学の自分の部屋の窓から松の木が雪に覆われた緑と白の風景を見ながら一文ずつ丹念に読んで、「檸檬」をトルコ語に翻訳している。   テロが起こるイスタンブールやシリア国境に近い地域以外の場所に住んでいる我々は、市場で果物を何キロも買って、週末は出かけて、周りの子供たちと一緒に野良猫に餌をあげて、信じられないほど静かに暮らしている。問題は同じ国と隣国で1秒ごとに死ぬ人々の死に慣れて自分の生活を続けていることである。毎日続く人の死に慣れてきた自分がいる。しかしこのような自分にはどうしても慣れない毎日である。どうにかしてテロや戦争を終わらせたいという気持ちを持つが魔法の杖は当然ないわけである。だから中東の子供たちに平和と命の尊さを教えたい。それが我々の責任であると思う。   <カバ・メレキKABA Melek> 渥美国際交流財団2009年度奨学生。トルコ共和国ネヴシェル・ハジュ・ベクタシュ・ヴェリ大学東洋言語東洋文学部助教授。2011年11月筑波大学人文社会研究科文芸言語専攻の博士号(文学)取得。白百合女子大学、獨協大学、文京学院大学、早稲田大学非常勤講師、トルコ大使館文化部/ユヌス・エムレ・インスティトゥート講師を経て2016年10月より現職。     2017年1月26日配信
  • 2017.01.19

    エッセイ518:李鋼哲「トランプ・ショックからトランプ・チャンスへ発想転換を」

      昨年11月9日に米国大統領選挙の結果が発表されると、世界に大きな衝撃が広がっていった。「トランプ・ショック」で、これからの米国と世界の行方を心配する声が世界中の世論を沸かす。民主党が強い米国の主要都市では大きなデモが発生した。当選した大統領に対する反対デモは、米国だけでなく世界でも例を見ない。新年早々の米国内世論調査でも、トランプ次期大統領の支持率は50%にとどまり、歴代大統領就任直前の支持率では最も低く、国民の分断によって今後の政権運営が難しくなることが予想される。   2016年は国際社会において波乱万丈の年、世界の流れが大きく転換した年であった。かつての「大英帝国」イギリスは7月に国民投票でEU離脱(Brexit)を決定、移民やテロを問題視するEU諸国でも波紋が広がり、極右保守政党が台頭しつつある。そして、今度は「アメリカ帝国」の大統領選挙で、もう一度世界に衝撃を与えたのは偶然の連続ではなく、「行き過ぎた」グローバリズムに対する反動であろう。世論ではEUや米国の先行きについて懐疑と心配の声が圧倒的に多いように見受けられる。これは一つの時代の終わりと新しい時代(多極化または無極化)の始まりを告げる鐘声ではなかろうか。   さらに世界の近代史において、19~20世紀にかけて欧米を中心に創られた世界秩序が、冷戦やポスト冷戦期のグローバル化資本主義を経て、21世紀に入り行き詰まってしまったことに対して、新しい秩序への変化を求める重要なシグナルだと見ることもできるだろう。もちろん、1世紀以上にわたって創られた1つの秩序から次の新しい秩序が成立するまで、世界は波乱と混沌が続く可能性が増すだろう。しかし、他方では、イマニュエル・ウォーラーステイン(アメリカの社会学者)が分析した、中心(先進国)と周辺(途上国)という構図が根底から変わり、先進国と新興諸国が平等な土台に立って、新しい世界秩序を模索・構築していく序曲になるかも知れない。   目を転じてアジアの未来を考えると、日本やアジアにとって「トランプ・ショック」はリスクの要因が大きいかも知れないが、発想を転換すれば、これまでの米国との関係を再構築する重要なチャンスとしてとらえることができるだろう。かつて、鳩山由紀夫元首相は「対米関係の見直し、沖縄米軍基地の国外移転、東アジア共同体を目指す」という対外関係の方針を打ち出して米国の反発を買い失脚したが、今こそ、そのような方向性は再検討すべき重要な課題のひとつになるのではなかろうか。安倍政権では日米同盟を強固なもの、半永久なものと強調しているが、日本の50年後や100年後のビジョンを考えた場合、いつまで非対称的な同盟(対米従属)関係を続けるのであろうか。   トランプ新大統領は就任後に、選挙公約で掲げた政策を修正しながらも実施しようとするだろう。米国がTPPを批准しないことになると、日本政府が熱心に進めてきたTPPは無意味になる。日本は、米軍駐留経費の負担増要求(トランプ氏は「海外駐留米軍の撤退」をも言及している)など多くの難題を突き付けられるだろう。日本は思い切って発想転換をすべき時なのかも知れない。米国の政策を逆手に取って、東アジア地域の経済連携を強化するチャンスかもしれない。沖縄問題をはじめとする駐留米軍の基地問題を根本的に解決するチャンスかもしれない。   もちろん日米同盟を一気にぶっ飛ばすということではない。しかし、世界の勢力図が大きく変わりつつある今日、その時代にふさわしい方向を模索していくことは不可欠であろう。1つの選択肢として、日米同盟に代わる安全保障メカニズムを「六者協議」を土台として、朝鮮半島南北+日米中ロが共同で「東北アジア安保協議体」を構築するという構想も改めて検討する価値があるだろう。それにASEANやインドなどアジア諸国を加えると幅広い「東アジア安保協議体」になる可能性も生まれてくるだろう。   多くの日本人は「同盟」を自国の安定を守ってくれるシステムと考えているようだが、日本も同盟国アメリカを守る義務を負うのが本当の意味での平等な同盟であることは言うまでもない。また、「同盟」は自国を守るという側面もあるが、他方では必ず敵(または仮想敵)を作るという両刃の剣のリスクを持ち合わせていることを忘れてはならない。何故かというと、「同盟」は敵が存在しないと意味がないからである。近年日本では「中国脅威論」、「北朝鮮脅威論」(確かに脅威的な側面がないわけではないが)が増えている裏には、為政者たちが意図的にマスコミを通じて脅威論を煽り、国民に恐怖心を植え付け、自分たちの集団利益を図っているというところが本音であろう。日本の国防費がここ4年間増えているという実態がそれを物語っている。東北アジアで軍備競争の機運がにわかに高まっていることは警戒しなければならない。   現在、日本にとって最大の貿易相手と輸出市場は東アジア地域で、日本の対外貿易の55%(2015年)以上を占めている。そのうち半分近くは中国(香港、台湾を含む)である。したがって、日本はあまり国益にならないTPPに固執するよりは、RCEPを推進したほうが、現在も未来も日本経済に大きな利益をもたらすことは明らかである。RCEPに関する交渉は2012年から始まって16年に締結を目指していたが、日本が対米関係を重視しTPP加盟を優先課題として力を入れていたため、交渉が前進していない。今こそ、日本と東アジアがRCEPを進め、「東アジア経済共同体」を目指す絶好の機会であるかも知れない。   トランプ・リスクをチャンスに変えるためには、日本や東アジア諸国は発想の転換が必要であろう。日本では批判と心配の声が多いフィリピンのドゥテルテ大統領は、対米・対中外交方針を大きく転換し、もしかすると日本や東アジア諸国が対米関係を根本から見直す先駆けになるかもしれない。   注記:このエッセイは選挙翌日の昨年11月10日に書き、最近修正した。トランプ大統領当選に対する世間の評価が変わりつつあるが、当時の世論ではほぼ「トランプ・ショック」一辺倒だった。   <李鋼哲(り・こうてつ)Li Kotetsu> 1985年中央民族学院(中国)哲学科卒業。91年来日、立教大学大学院経済学研究科博士課程中退。東北アジア地域協力を専門に政策研究に従事し、2001年より東京財団研究員、名古屋大学研究員、総合研究開発機構(NIRA)主任研究員を経て、06年現在、北陸大学教授。日中韓3カ国を中心に国際舞台で精力的に研究・交流活動に尽力している。SGRA研究員および「構想アジア」チーム代表。近著に『アジア共同体の創成プロセス』(編著、2015年4月、日本僑報社)、その他論文やコラム多数。   ☆SGRAエッセイは執筆者個人の見解でありSGRAを代表するものではありません☆   2017年1月19日配信
  • 2017.01.12

    エッセイ517:林泉忠「『トランプ・蔡電話会談』米中角逐の新たな幕開け」

    12月2日午後11時、台北の総統府蔡英文総統からアメリカ大統領当選者トランプ氏への一本の電話が、北京の神経を尖らせ、また国際社会をも震撼させた。この日「TAIWAN(台湾)」が人目を引き、アメリカなどの国際メディアのトップニュースとなり現れた。驚きの表情を隠しきれない中国外相の王毅氏と中国国務院台湾事務弁公室スポークスマンが、メディアからの質問に答えた際に、「痛くも痒くもない」の一言だけを返した。「これは台湾側が行った小細工に過ぎず、1つの中国の構造を変えることは不可能である」と。   しかしながら、突然起こった12分間の「トランプ・蔡電話会談」が、いったいどれだけ中国指導部を驚愕させたかは、容易に想像がつく。連日中国共産党政府は、全ての国家安全機関とシンクタンクを動員し、今回の「電話事件」発生のいきさつを明らかにしようとしているが、調べれば調べるほど中南海をがっかりさせる結果となっている。   まず、常識にとらわれないカードを出すトランプ次期大統領の性格からすると、もし「トランプ・蔡電話会談」がふとひらめいた行動だったら、大して驚くことではない。ところが、アメリカ大統領選に勝利した直後、トランプ氏のチームはすでに各国首脳と電話会談を行う名簿を作成しており、消息筋によると、早い段階から「蔡英文総統」はその名簿の中に入っていたそうだ。通話のスケジュールが確定した後、関係者はトランプ次期大統領に説明を行っており、トランプ氏はもちろんネガティブな反応が出る可能性を十分に理解していた。言い換えるなら、今回の「トランプ・蔡電話会談」は偶然に起こった軽率な出来事ではなく、関係者たちによる周到な計画があって成しえた事で、決して台湾側の一方的な「小細工」として説明できるほど簡単なことではない。   ◇周到にアレンジされた「トランプ・蔡電話会談」   次に、中国の最大の心配事は結局のところ、「電話茶番」が、1970年代に構築された「キッシンジャー体制」以来アメリカが堅持している「1つの中国」政策の変更をトランプ氏が意図しているかどうかである。現在トランプ次期大統領の政権人事はまだ完全には固められておらず、また厳格に言うと、就任前の言動も、これからの米国政府の政策とは同じではないにもかかわらず、中国を懸念させる情報が1つまた1つと出てくるたびに、中南海はもうすでにトランプ氏の中国政策に対して引き続き「慎重で楽観的」でいられなくなっている。   ひとしきりの驚愕と震撼が過ぎ去った後、「トランプ・蔡電話会談」を主導していた一大勢力が浮上してきた。それは、アメリカ「ヘリテージ財団」である。イデオロギー的にアメリカの保守勢力の重鎮と見なされているこの財団は、1973年に創立され、創立者のフュルナー(Edwin_Feulner)氏の40年あまりの運営を経て、現在のような年度予算8000万ドルを超えるまでに発展し、ワシントンD.C.に対する影響力が最も大きなシンクタンクの1つとして見なされるようになった。共和党出身の歴任高官の多くはこのシンクタンクから政界入りしており、トランプ次期大統領に運輸長官に任命されたイレーン・チャオ氏もまたその中の一人である。選挙期間中、ヘリテージ財団はトランプ氏の為に政策白書を作成しただけでなく、財団の多くのメンバーも応援団として参加している。注目すべきは、ヘリテージ財団は数十年にわたって台湾との関係が密接であり、ワシントンD.C.の親台本営と見なされており、また台湾は長きにわたりロビー活動や交流を行ってきた対象でもある。   ◇影響力絶大の「ヘリテージ財団」   「トランプ・蔡電話会談」をもっとも直接的に推し進めたのは他でもない、まさに長期にわたりヘリテージ財団の総裁を務めてきたフュルナー氏である。フュルナー氏と台湾の政界はもともと深い関係にあり、台湾への訪問はすでに20回を超え、台湾歴代総統の就任式典にも数多く参加しており、李登輝、陳水扁、馬英九、蔡英文などの歴代の総統との面会も17回にも及ぶ。蔡英文総統と同じロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを卒業したフュルナー氏は今年8月にトランプ応援団に参加し、上級顧問として国家安全保障外交政策を務めるトランプ次期大統領の最重要ブレインの一人である。フュルナー氏は10月に財団訪問団を引き連れて台北を訪問し、13日には総統府において蔡英文総統と面会した。   ヘリテージ財団の米台関係における重要な地位にあり影響力があるもう一人の人物は、財団研究員のスティーブン・イェーツ(Stephen_Yates)氏で、彼は現在アイダホ州共和党主席を務めており、またトランプ氏側の顧問も兼任している。イェーツ氏は、ディック・チェイニー(Dick_Cheney)副大統領の国家安全保障問題担当副補佐官を務めた人物で、今年に入り「台湾関係法」と「6つの保障」(Six_Assurances)を共和党の綱領に入れた起草者でもある。その内の「6つの保障」はまさに、北京を怒らせてやまない「中国の台湾に対する主権を承認しない」である。イェーツ氏はもともと台湾と深い関係にあり、1987年から89年にかけて、高雄でモルモン教の宣教師をしていた事があり、流暢で且つ台湾なまりの北京語を話し、台湾の政界及び社会各界に幅広い人脈を持っており、財団の同世代の中で彼の右に出るものはいない。「トランプ・蔡電話会談」の4日後、イェーツ氏はトランプ氏の意思を携え台北を訪れ、更に蔡英文総統を表敬訪問した。   「トランプ・蔡電話会談」のアメリカ政界における反応は、ほぼ二極化して現れており、在任中のオバマ政府は、やはり「1つの中国」政策を重ねて表明したので、この電話が長年における米国の対中政策に衝撃を与え、世界の2大経済大国間の協力関係に影響を及ぼしたくないことがはっきりと窺える。しかしながら、民主党の人々及びアメリカメディアによる「1つの中国政策」に対し、トランプ氏本人がツイッターやフェイスブックに続けて投稿し強く反撃しただけでなく、主にトランプ側の要員や共和党内にいる有力政治家もまた、次々と「トランプ・蔡電話会談」への評価を表明し、ホワイトハウスの長く続く硬直した思考を問いただした。トランプサイドの顧問を務めているある元国務院の役人は、実際は「トランプ・蔡電話会談」に関わった人物は皆、長年にわたりアメリカがとってきた「1つの中国政策」を非常に理解しているが、「過去に共和党や民主党の大統領が行ってきた事を、トランプ氏が同じように行うとは限らない。彼にとっては典型的なワシントンのルールが必ずしもいつも最も良いものではない」と言及した。   ◇「台湾」をカードとする米中の新たな角逐   中国にとってトランプ時代の対中政策の不安材料は「トランプ・蔡電話会談」にとどまらない。トランプ次期大統領が蔡総統からの電話を受けたまさにその日に、米下院は圧倒的多数で「国防権限法」を可決し、新法案は20年余りに渡る米台間の軍事交流上の多くの制限を解除し、米台関係の未来を「無限の可能性に満ち溢れ」させた。実際、台湾側はすでにその法案が米の上、下院で通った後の検討・協議を開始しており、台湾の国防相が正々堂々とペンタゴンに足を踏み入れることを待望し、また台湾をアメリカ主導の環太平洋合同軍事演習に参加させ、台、米、日、3者による軍事上の協力を実現するという望みがある。   確かに、習近平体制下の北京からすると、「台湾問題」は決して容易に妥協できない「核心的問題」である。「トランプ・蔡電話会談」は危機であると同時に転機でもあり、少なくともすでに中国はトランプ時代に対する「慎重で楽観的」な認識からは転換しただろう。北京はトランプが就任するまでの残された時間を座視することなく、トランプの弱点と人脈について研究し、同時にトランプ次期大統領の対中政策に影響を与えうる全ての人物に近づくことに大幅に力を注ぎ、40年間に渡ってアメリカが既定してきた「1つの中国政策」が完全に歪められないように確保するだろう。   「台湾」をカードとするトランプ時代における米中の角逐は、新たな幕開けを迎えている。   (原文は『明報』(2016年12月9日付)に掲載。比屋根亮太訳)   英訳版はこちら   <林泉忠(リン・センチュウ)☆John_Chuan-Tiong_Lim> 国際政治専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2010年夏台湾大学客員研究員。2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、2014年より国立台湾大学兼任副教授。     2017年1月12日配信