Asia Cultural Dialogue

洪玧伸「第78回SGRAフォーラム『沖縄から<アジアのジェンダーと暴力>につながる可能性を探るということ―戦前、戦後の時間軸では問えない日常から問いかけを中心に-』報告」

 

はじめに:戦後80周年という時間軸への「違和」

 

戦後80周年の2025年は、皮肉にも現在進行中の戦争報道に最も頻繁に接した年となった。この「時間軸」への「違和」がまさに、SGRA主催の第5回アジア文化対話が沖縄で開かれた第一の理由であろう。沖縄大学との共催で、「アジアにおけるジェンダーと暴力の関係性」をメインテーマとし、専門家や活動家のパネリストで構成された4つのセッションが設けられた。会場には沖縄市民を含む100人以上、Zoomでは200人余りが参加した。

 

問いの始まりとしてー基調講演「暴力に抗する『他者』の眼差し」

 

基調講演は『戦場の記憶』(2006年)で著名な冨山一郎(同志社大学教授)によるものであった。冨山は沖縄で繰り返される性暴力問題に抗して活動する高里鈴代が「何度東京に来て同じ話をすればいいのか」というつぶやきに出会った時を振り返る。3人の米兵による少女レイプ事件(1995年)に対する怒りで8万5千人の県民大会が行われた沖縄からの声を、高里は「東京」に届けようと奮闘していた。冨山が述べる「戦場」が、高里の「何度言えばいいのか」というつぶやきや、語っても、語っても言葉が届かない状況から始まることは大切である。

 

「何を言っても無駄」という状況にかかわる「暴力」そのものへの富山の洞察は「毎日の陳腐な営み」から「往復運動」として戦場を発見する眼差し、つまり平時/戦場、戦中/戦後、の二分法を超える眼差しであり、自身の身体感覚から始まっている。二分法を超えるためには、他者との関係の中に設定されている「実践」の領域が前提に置かれているのは言うまでもない。

 

交差する差別とジェンダー

 

第2セッションでは、沖縄とインドネシアからの活動家や研究者が戦争、紛争下の暴力「後」にどのような差別が温存され、それに抗する言葉を探るために女性たちはどのような「実践」連帯や活動を展開できるのかを議論した。

 

まず、高里によって沖縄戦や戦後の米軍基地化の現状、復帰後も続く基地拡散の状況が、いかに女性の生き方に影響していたのかが語られた。「近代への道」の中で「琉球人」から「沖縄人」にならなければならず、差別を温存したまま進めた沖縄の歩みが、沖縄戦を経て、さらに「日米政府」による27年間の占領期にどのように構造的な差別へ繋がっていったのか。特に、「日本人」対「琉球人」の潜在する対立を利用しようと、米軍が作成した「民事ハンドブック」や、繰り返し行われていた米兵による性犯罪やそれを可視化できなかった歴史を語った。

 

復帰以前の沖縄では、ベトナム戦争や冷戦構造の激化を背後に、土地の強制接収や性犯罪、人権蹂躙が繰り返された。同時期、インドネシアでは約50万人から300万人とされる民間人が警察や国家暴力の犠牲となった。1965年以降続いた「赤狩り」を掲げた大量虐殺には、多くの女性と子どもが含まれている。2人目の発表者、作家のIntan Paramaditha(マッコーリー大学)は組織的に標的とされ、強制的に解散された「Gerwani(ゲルワニ)インドネシア女性運動」以降、どのように女性たちが、歴史から抹消・排除された女性たちの存在を記憶し、継承していこうとしているのかを報告した。興味深いのは、インドネシア群島の横断的なフェミニスト集団「女性思想学校」が、男性中心、家父長制中心の言葉概念を転覆して再定義し、「ワリス(相続)」は、家父長制的な財産移転の概念から、植民地主義と資本主義の相続論理に異議を唱える言葉となった。

 

本セッションでは、人種に基づく「他者化」や、それを利用した植民地主義・帝国主義・軍事主義の暴力構図の連鎖を、沖縄やインドネシアの歴史的文脈によって語り、それに立ち向かう言葉をどのように模索してきたのかを検討した。それは具体的な「活動の現場」の声をも含んだものだった。

 

戦争とジェンダー

 

第3セッションを一言でいうならば、「無化された存在」から問う「戦争とジェンダー」といえる。山城紀子(フリージャーナリスト)は「沖縄戦・米軍統治下の福祉と女性」と題して、沖縄戦後日本と分類され米軍占領下の沖縄で行われた福祉政策の影を語った後、Jose Jowel Canuday(アテネオ大学)が「平和の最後の数マイル:ミンダナオ島ザンサモロ地域のジェンダー化された最前線における長期戦争の後に何が起こるのか」という発表を行った。

 

山城が注目したのは、圧倒的な「恐怖」によって身内を殺してしまった痛みを「語る」ことの苦しみである。「我が子」を助けることが出来なかった「母親」たちの体験を含む沖縄戦の語りが公式の場に浮上したのは、沖縄で死者が神様になると言われる33回忌、つまり1977年以降だった。「法」によって守られない人々も「福祉」の面においては「本土並み」を掲げられるようになり、無国籍児男性のように、何処にも属さずにブラックボックスの中で生きているような人々を生み出す。こうした「戦争」の足跡は、依然として現在進行形であることが示された。

 

Canudayは、ミンダナオ島で半世紀も続く「戦争」状況における「ジェンダー化」された日常に焦点を当てる。銃後を支える役割を女性に任された村社会は、避難や紛争により自然災害に備えることが出来ず、洪水や干ばつ被害を余儀なくされる。農業中心の生産構図を保つ事が出来ず、子どもの栄養失調の高さに影響を及ぼす。1970年代には、バンサナモ地域は分離主義勢力の拠点および東南アジアで活動するテログループの潜伏地と報告され、アメリカのグローバルな対テロ戦争の警戒地域に設定された。

 

本セッションのポイントは、「戦争とジェンダー」が2025年現在、私たちのすぐ近くに存在している点である。無国籍児にしてもバンサナモの状況にしても、目に見えない形となっている人々への暴力は現在進行形で、特定の人々の移動する権利を奪い、教育を受け、就職し、住まいを構える当たり前の「日常」を制限している。

 

多様性からなる提言、一枚岩ではないアクションを探って

 

最後のセッションは活動と未来に焦点を当てたパネルで、20代の大学生、活動家が中心となって議論する場として設定された。沖縄で繰り返される米軍による性犯罪、その基地暴力の問題を国連の女性の地位委員会に訴えた沖縄キリスト教学院大学の在学生(徳田彩)・卒業生(松田明)が経験から学んだものを中心に報告した。沖縄大学の在学生(中塚静樹)は、沖縄戦体験者とのかかわりの中で学んだもの、沖縄に住む大学生として日々の学びのなかで感じた問題認識を発表した。さらに、同年代のタイの学生活動家Memee Nitchakarnが、軍事クーデターや戒厳令が繰り返し行われ、民主化運動のさなかにあるタイの状況を報告した。

 

若者たちの発表の後、第1、第2セッションで発表した沖縄の活動家たちから、30年前に国際の現場で沖縄戦から米軍基地に連なる暴力の現状を訴えた経験などのコメントが相次いだ。登壇者の大学生たちからは「戦争の記憶が薄れていく中で、若者たちへ寄せられる『頑張ってね』という言葉は時には励みではなく重荷に感じる」との本音が発せられた。この涙ぐんだ若い大学生のつぶやきが、まさに、「暴力に抗する他者の眼差し」と題した基調講演での冨山の問題提起に戻り、私たちへ省察を促したような気がする。私たちが語っている言葉が、実は暴力にさらされている人々を黙らせ、「言葉が後方に退き暴力がせりあがってくる状況」を容認しているかも知れない。

 

今回のシンポジウム自体が、時間軸では取り上げられない<戦後>という提起、それをジェンダー視点で議論していくという多少無謀に近い挑戦であったが、沖縄という<場の力>によって一つの言霊ははっきり共有されていったのではないか。登壇者が提起する「暴力」から、身の回りに起きている様々な状況に思いをめぐらし、「暴力」が表れる際の類似性に驚きながら、一定の緊張感を保ちながら聞いて、感じて、考えさせられる場となった。

 

当日の写真

 

報告文のフルバージョン

洪玧伸「沖縄から『アジアのジェンダーと暴力』につながる可能性を探るということ」

 

<洪玧伸 (ほん ゆんしん) HONG Yun-shin>

韓国ソウル生まれ。早稲田大学で博士号(国際関係学)を取得。現在、沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学准教授。著書に、『沖縄戦場の記憶と「慰安所」』(インパクト出版会、改訂版2022年)Comfort Stations as Remembered by Okinawans during World War II (Brill、2020)、共著に『戦後・暴力・ジェンダーⅠ:戦後思想のポリティクス』大越愛子・井桁碧編(青弓社、2005年)『戦後・暴力・ジェンダーⅢ:現代フェミニズムのエシックス』大越愛子・井桁碧編(青弓社、2010年)『現代沖縄の歴史経験』森宣雄・冨山一郎編(青弓社、2010年)編著に『戦場の宮古島と「慰安所」-12のことばが刻む「女たちへ」』(なんよう文庫、2009年)、などがある。沖縄の歴史とジェンダー、日本軍「慰安婦」問題、戦時性暴力などを専門とし、多角的な視点から研究を進めている。