Asia Cultural Dialogue
郭立夫「戦後80年に咲く花:宮古島スタディツアー活動報告」
2025年9月11日から16日にかけて、沖縄の地で「第78回SGRAフォーラム/第5回アジア文化対話/第611回沖縄大学土曜教養講座」が、「アジアにおけるジェンダーと暴力の関係性」のテーマで開催されました。今回のエッセイでは、印象に残った14日からの宮古島スタディツアーの報告をします。
今回のスタディツアーは、SGRAによる「第5回アジア文化対話」の一環として、戦後80周年という歴史的な節目に実施されました。世界各地から集まった研究者や活動家たちが、二度と戦争と暴力を繰り返さない未来を希求しながら、沖縄という地で対話と学びを深めるかけがえのない機会です。舞台となった宮古島は、沖縄本島から南西に約300km離れた位置にある離島で、太平洋戦争末期には地上戦こそ免れたものの、日本軍による飛行場建設や住民の強制疎開が行われ、朝鮮人労務者や「慰安婦」とされた女性たちが多数送り込まれた場所でもあります。戦後は米軍統治を経て、現在では自衛隊の基地が次々に建設されるなど、南西諸島防衛の最前線として軍事的要所となっています。
ツアーを企画した沖縄大学の洪玧伸(ホン・ユンシン)先生は、長年にわたり宮古島をフィールドとして慰安婦の記憶を丹念に辿ってきた研究者です。その洪先生の案内のもと、慰安婦たちが日常的に歌っていた「アリラン」の歌声をたどりながら、草むらの奥に眠る小さな井戸や忘れ去られた碑を一つひとつ訪ね、80年前の歴史と静かに向き合う旅となりました。島内をバスで移動する際にはいくつもの自衛隊施設の前を通り、その急速な軍事化の進行を肌で感じました。その景色からは、島の人々が日常的に戦争や暴力の影と隣り合わせに生き、必要とあらば国家に見捨てられ、いわば「disposable(廃棄されうる存在)」としての不安を抱えている現実が浮かび上がりました。80年前に終わったはずの戦争、あるいは冷戦という過去のはずの出来事が、ここ宮古島ではいまだに現在進行形の問題として存在している、そんな実感を胸に刻む体験となったのです。
参加者はまず宮古島市平良の公民館で開催されたシンポジウムに出席しました。オランダから参加した近代東アジア史の研究者K・W・ラドケ氏と韓国で長年慰安婦問題に取り組んできた梁絃娥(ヤン・ヒョナ)氏が講演し、戦時中宮古島に連行された女性たちの証言調査や、現在の東アジアにおける軍事化とジェンダー問題について報告がありました。地元の聴講者も交え、活発な意見交換が行われ、宮古島でこのような国際対話の機会が持たれた意義を実感しました。
シンポジウムの後、宮古島の「アリランの碑」の前で、地元の定例行事となっている「慰霊と平和を祈念するつどい」に参加しました。この「アリランの碑」は、かつて宮古島に連れてこられた朝鮮人「慰安婦」たちの記憶を刻むものであり、碑文には日本語や韓国語、英語を含む12か国語で平和への祈りが綴られています。当時、故郷を想いながら日々「アリラン」を口ずさんでいた女性たちの歌声は、やがて島民の耳にも親しまれ、宮古島独自の旋律や歌詞をもつ「アリラン」として受け継がれるようになったと伝えられています。慰安所など実際の「歴史的証拠」がない今では、この宮古島のアリランの歌は慰安婦の存在を証明する「文化的証拠」となったのです。世界各地から集まった参加者たちは、碑の前で静かに手を取り合い、「アリラン」を歌い、平和への祈願を言葉にして交わしました。歌声は時を超え、国境を越えて共鳴し、参加者の胸に深く刻まれる時間となりました。このような記憶の共有と祈りの場は、戦争の傷跡を風化させず、アジアの平和と共生を目指す実践のひとつとして、強く心に残るものでした。
その後、バスは島内を巡りながら、現在の宮古島における自衛隊配備の状況についても案内がありました。近年、陸上自衛隊のミサイル部隊が新設され、島の一角にはミサイル庫やレーダー施設が築かれています。緑豊かなサトウキビ畑の中に突如現れる軍事施設のフェンスを目にし、遠い戦争の記憶が現在の軍事化につながっている様子が肌で感じられました。
15日には、島内各地に残る戦争遺跡をさらに訪問しました。朝鮮人軍夫(従軍労務者)たちが過酷な労働の末に掘り抜いたというピンプ嶺の地下壕跡や、「慰安婦」たちが水汲みに使ったという井戸跡、通称「ツガガー」などを見学しました。雑草に覆われた小高い丘にひっそりと口を開ける井戸を覗き込み、戦時中ここで喉の渇きを癒やされた名も知らぬ女性たちの姿に思いを馳せました。宮古島と隣接する伊良部島を結ぶ全長3.5kmの伊良部大橋を渡り、下地島空港の西側に広がる海岸にも立ち寄りました。沖縄県が管理する同空港は元々パイロット訓練用に建設された滑走路ですが、地政学的に、また近年の国際情勢を受けて、一部軍事利用の可能性も取り沙汰されています。2019年に新ターミナルが開業して定期便が就航してからは利用者が急増していますが、地元では環境保護と観光振興の観点から慎重な議論が続いているとのことで、私たちは透き通る青い海を眺めつつ、平和な島の暮らしを守ることの難しさについて考えさせられました。
一連のフォーラムとフィールドワークを通じて、参加者たちはジェンダーと暴力という問題を多面的に捉え直す貴重な体験を得ました。沖縄という土地で直面した過去と現在、戦争の被害、基地による犠牲、環境破壊への懸念など、それらを実際に見聞きしたことで、机上の議論では得られないリアルな実感が伴いました。戦場の暴力は今も続くグローバルな課題であり、ジェンダー視点が欠かせないとの問題意識が、肌感覚をもって腑に落ちたと言えるでしょう。各国から集った参加者同士の対話を通じ、文化や立場の違いを越えて共感し学び合うことで、暴力の連鎖を断ち切るヒントが見えてきました。とりわけ、宮古島の「アリランの碑」で皆が手を取り合い歌ったひとときは、過去の犠牲を無駄にせず未来の平和を築くために連帯することの大切さを象徴していたように思います。
終わりに、私が心に深く残している小さなエピソードを一つご紹介したいと思います。2025年5月、下見のために宮古島を訪れた際、私はアリランの碑のすぐ隣に、美しく鮮やかな赤い花を咲かせる木を見つけました。地元ガイドの清美さんによれば、この木は今から20年前、アリランの碑が建立されたときに地元の人々によって植えられました。ところが、それ以来一度も花を咲かせたことがなかったといいます。その木が、まさに戦後80周年という節目、そしてSGRAの参加者たちがこの地を訪れる直前のタイミングで初めて花を咲かせていたのです。その姿は、宮古島の土に静かに眠る記憶が、大地を通して鮮烈な色彩となり、私たちに語りかけているかのようでした。「忘れてはいけない」という声なき声が、自然の中に確かに息づいているように思えました。風に揺れるその花に向けて、戦後80年を越えても、この記憶と願いが咲き続けるように。
<郭立夫(グオ・リフ)GUO Lifu>
2012年から北京LGBTセンターや北京クィア映画祭などの活動に参加。2024年東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻で博士号を取得。現在筑波大学ヒューマンエンパワーメント推進局助教。専門領域はフェミニズム・クィアスタディーズ、地域研究。研究論文に、「中国における包括的性教育の推進と反動:『珍愛生命:小学生性健康教育読本』を事例に」小浜正子、板橋暁子編『東アジアの家族とセクシュアリティ:規範と逸脱』(2022年)、「終わるエイズ、健康な中国:China_AIDS_Walkを事例に中国におけるゲイ・エイズ運動を再考する」『女性学』vol.28, 12-33(2020 年)など。




